魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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以前までの話を纏めました。


第24話 運命を超えろ

 

 

 

 

 明日菜と茶々丸が船から離れた少し後まで時間は巻き戻る。

 意識がないと思われていたアンナ・ユーリエウナ・ココロウァとナナリー・ミルケインは棒上の人になっていた。ようは取り出した箒に乗っているのである。

 前に座り箒を操っているアーニャは轟々と耳元を風が鳴り響く音が木霊する中で後ろに座っているナナリーの様子を見た。

 

「本当に良かったの? ナナリーだけでも船に残ってても良かったのに」

「大丈夫、アーニャが一緒だから」

「調子いいんだから」

 

 固い表情ながらも言葉を発したことにひとまずは安心したアーニャである。

 

「でも、本当に良いの? この島に漂うきな臭い空気は戦いによるものよ。アナタにそこに入って行く覚悟はある?」

 

 アスカやネギと長いこと一緒に過ごしていたからか、アーニャは戦いをしているきな臭いを嗅ぎ取る力があった。その力が今まで嗅ぎ取ったどの戦いよりも陰惨で巨大なものになると言っている。

 アーニャですら尻込みするどころか引き返したいところのなのに、実技が優秀ではなかったナナリーが飛びこむなど以ての外だ。

 

「行く」

 

 引き返してくれれば、と見込みを込めて言った説得に返ってきたのは震えているが確かな言葉だった。

 

「下手な覚悟なら死ぬわよ」

「わ、分かってる。分かってるけど、アスカ君が戦ってくれてるのに一人で待つなんて出来ない。私にも出来ることがあるはず」

 

 本音は絶対に前者だろ、と思わくもないが怯えているのだろうが絶対に退く気は無いと断固とした決意にツッコミは控えた。

 ナナリーにその決意を抱かせたアスカのことを思う。

 

(絶対にアスカは退かないわよね)

 

 アスカの性格を良く熟知しているアーニャは自分が攫われた後の行動をほぼ正確にシュミレートしていた。

 アスカ・スプリングフィールドは日常においては、特定の分野を除いて怠惰を絵に書いたような少年である。ある側面、つまりは非日常に置いてはその限りではない。非日常では日常での怠惰が反転するのだ。だからといって勤勉になるわけではないが。

 

「アーニャちゃん、あそこ」

 

 戦いに関して負けず嫌いなアスカのことを考えて苦い顔をしていたアーニャの肩を後ろからナナリーが揺らし、進行方向からずれた方を指さした。

 アーニャが指差した方向を見ると、信じられない速度で走る少女とその肩に乗る一匹のオコジョがいた。

 

「明日菜! カモ!」

「アーニャちゃん!?」

 

 箒を操作して進行方向を合わせながら呼びかけると神楽坂明日菜とアルベール・カモミールは驚いた表情を浮かべた。

 

「「なんでここに!?」」

 

 アーニャと明日菜は異口同音の言葉を放った。

 進み続けている二人の目が交差し合う。アイコンタクトと言うには短すぎる時間で二人は互いの目的を悟った。目的の全てを理解したわけではない。特にアーニャ達はこのような島にいるのかも理解できていないのだ。

 進みを緩め、止まったと同時に箒から降りる。

 相対するは明日菜の肩の上から地面に降り立ったカモである。明日菜とナナリーは横で待機。

 

「カモ、説明!」

 

 時間が無いことはあちこちでぶつかり合う魔力と気が物語っているので、アーニャはもっとも事情を知っているであろうカモに説明を求めた。明日菜でないところが相手を見ていた。

 カモが口を開く。

 要約すれば、簡単な物だ。ナナリーとアーニャが囚われていることを是としなかったアスカが行動し、皆がそれに付いてきた。この島に来たことは結局は敵の手の平の上で、敵の目的であるエミリアが攫われ、退く気が無いアスカ達は戦いに突入した。

 実力で劣るのに連携されては勝ち目がない、各個撃破と言えば聞こえはいいが、ようは行き当たりばったりである。

 ネギと共に敵の首魁と対峙したカモは暴走したネギの風に吹き飛ばされて突入した洞窟の天井に僅かに開いていた穴から外に放り出され、軽い体だったことが災いしてかなり上空まで飛ばされて落ちた所に偶々走っていた明日菜に助けられたとのことだ。

 カモのことはともかく、大体はアーニャの想像通り。想像通り過ぎて笑えない。アーニャの後ろでナナリーが顔を赤くしたり青くしたりして、急激な血流の変化に貧血を起こしたようで「へぅ」なんて言いながら明日菜に凭れかかった。

 

「この馬っ鹿!! なんで阿呆兄弟を止めないのよ!!」

 

 アスカは真正面に進み、障害物があれば破壊してでも直進する。ネギは多少はマシだが大して差はない。

 無謀であり、暴走の結果にアーニャは怒鳴らずにはいられなかった。だが、カモは大声に眉を顰めただけで冷ややかな目でアーニャを見つめていた。

 

「俺っちの言葉で止まるほどあの二人は生易しくはねぇぜ。本当ならこれは姉さんの役目だ」

「っ……そうだけど」

「兄貴達は頑固だ。筋金入りのな。残念だが俺っちの言葉は聞いても引かねぇ時は絶対に引かねぇ。止めるには力尽くでなくちゃならない。そういう意味であの二人を止められるのはアーニャの姉さんだけだ。そのことを分かっていながら敵にむざむざ捕まった責は大きいぜ」

 

 アーニャはカモの論理を認めざるをえなかった。

 カモは決して感情で論理を揺らしたりしない。が、逆に論理を聞き入れない状態のアスカとネギを説得することもまた出来ないのだ。

 敵の目的がエミリアであると分からない中ではカモの論理も完璧ではない。確実性のない疑念だけで止まってくれるほどアスカとネギの行動力は容易くはない。

 今まではアーニャが静止してきた。感情で行動を決める側にいるアーニャは二人ほど頑固ではないので、感情に流され過ぎずに暴走する二人を止めることが出来るのだ。

 

「俺っちのミスは確かだ。寧ろこっちの方の責が大きい。後で責めは十分に受ける。が、それも全員が生きて帰ってからだ」

「ええ、そうね。なにか策はあるの?」

「あるっちゃ、ある。可能性だがな」

 

 そこでカモは二人の話に口を挟めずにいた明日菜の顔を見上げた。

 

「明日菜が?」

 

 超の手引きで船に密航していた、と聞いたアーニャは明日菜に何かあるとは思えず、訝しげに眉を顰めた。

 明日菜が魔法の世界に片足を突っ込んだのはエヴァンジェリンと戦っている時だ。アスカと仮契約し、アーティファクトと魔力供給による能力の強化が出来るが、素人に毛が生えたレベルの明日菜がいたところで大勢に影響は全くない。寧ろ、足手纏いでマイナスでしかないはずだった。

 

「言っただろ、可能性だって。見てな」

 

 言いようとは違って自信を覗かせるカモは確信を持っているようであった。

 アーニャとナナリーが見ている中で、口の中で素早く何かを唱えたカモの指先に魔力の光が灯った。その指先は明日菜へと向けられている。

 

「何?」

 

 指先の光はやがて消えた。指先を向けられた明日菜が訝しげに見つめるがアーニャは表情を驚愕に染めていた。

 

「…………どういうこと、カモ。今、あなたは何の魔法を明日菜に使ったの?」

「睡眠魔法だ。快眠後でも爆睡しちまう強力な、な」

「ありえないわ。そんな魔法を向けられて明日菜が無事なはずがない」

「二人とも見たはずだぜ。俺っちの魔法が消された瞬間を」

 

 見習いとはいえ、魔法使いであるアーニャは見ていた。明日菜にかけられた魔法が掻き消えるその瞬間を。 

 魔法である。カモは明日菜に向けて何らかの魔法を使った。なのに、明日菜には何の影響もない。普通ならばありえない。

 可能性として考えられるのは明日菜が纏う魔力がカモよりも遥かに高い事だが、アスカの魔力を纏っているといっても明日菜自身の魔力は少ない。カモが使った睡眠魔法を弾くことは出来ない。であるならば、魔力ではなく別の要因。

 

「魔法無効化能力じゃないかと、俺っちは見てる」

「まさか…………魔法世界で実在が確認されたのは数例だけなのよ。こんな身近にいるはずがないわ」

「なら、試してみな。軽い攻撃系魔法でいい。俺っちはもうやってみたぜ」

「いいわ。試してやろうじゃないの」

 

 魔法使いの天敵。魔法無効化能力は魔法学校の教科書にも載っているが三千年近いと言われている魔法世界の歴史で、たった数人しか保持していた記録のない能力に遭遇するなど信じられるはずがないと、アーニャはもっと言葉を重ねたかったが売り言葉に買い言葉である。

 ナナリーが気が付いた時にはもう遅い。アーニャは既に詠唱を終えていた。

 

「「あ」」

 

 火の粉よりマシ程度とはいえ素人同然に向かって魔法を使ってしまったアーニャと止めることが出来なかったナナリー二人の声が重なった。

 だが、その声は直ぐに驚愕に染まる。

 

「ちょっと、止めてよ…………って、どうしたの?」

 

 降りかかる火の粉を明日菜が厭うように払った。それだけでアーニャの魔法が掻き消えたのだ。アスカの魔力に弾かれたのではない。文字通り、掻き消されたのだ。

 この異常を為した明日菜本人に自覚はなさそうだ。

 

「成程ね。色々と思うところはあるけど納得は言ったわ」

「納得が言ったら話を先に進めるぜ」

 

 頭が痛いとばかりに額に手を当てているアーニャに同感だとカモも頷く。

 

「あちこちで戦っちゃいるが戦力はこっちの方が下だ。まともに戦っても勝機は薄い」

「でしょうね。で、どうするの?」

 

 明日菜を使った策も含めてと、言葉に込めて言うとカモが口を開く。

 

「明日菜の姉さんの能力、魔法無効化能力も確実じゃない。そもそも未だ可能性の段階だ。本当なら大人しくしてほしいとこなんだが」

「引く気は無いわよ、私は」

「てな感じだ。魔法が効かねぇから俺っちには止められねぇ」

 

 小動物なので魔法を封じられたカモの戦闘能力はこの中で断トツで最弱である。明日菜は絶対に引く気が無いのでカモにはどうにも出来ない。

 

「明日菜の姉さんだけじゃねぇ、二人にも聞くぜ――――――命を賭ける覚悟はあるかい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カモがアーニャ達に求めたのは、ゲイル達の目的である儀式の邪魔をすることである。戦え、とは一言も言わなかったがそれとは別種の問題があった。どうやって儀式を邪魔するかである。

 その答えをアーニャは持たず、「成る様に成れよ」と行き当たりばったりでいくしかなかった。

 運良く儀式場がある大洞窟内に侵入して、運悪くエミリアが穴に落とされているところだったのは僥倖であった。どうやって儀式を邪魔すればいいのか、一目瞭然であったのだから。

 儀式の邪魔をするのと、エミリアを助けるために穴に飛びこんだアーニャとエミリアを間欠泉のような水が二人を襲う。

 

「確かに命を賭けるって言ったけど――――――これはないでしょ!!」

 

 二人分の障壁で防御しているが、それでも抑えきれずに水が全身を襲う。

 

「アーニャ!!」

「分かってるわよ! アンタも魔力を振り絞りなさい!!」

 

 微かに聞こえたナナリーの声に自分の声すらも聞こえない激しい水の音の中で叫び返しながらも、アーニャは一時も前進を止めなかった。

 アーニャの、彼女達の胸にあるのはただ一つの想い。

 

「女は命を賭けられて黙っていられるほど生易しくはないのよ!!」

 

 アーニャは知っていた。今必要なのは小賢しさや知識ではなくアスカのような前へ前へと進み続ける愚直さであると。水なぞ何するものぞ、とばかりにアーニャは愚直に前進する。

 その気概は後ろにいるナナリーにも届く。

 

「エミリアさん!!」

 

 アスカに泣いて縋って助けてほしいと言ってくれた少女に報いるために、その眼は水流に塞がれようと閉じられることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスタロウとフェイトの戦いは、その結末が戦う前から決まっている。この世には隔絶した実力差というものがあり、容易に覆せるような奇蹟など起こりえない。

 

「ぐっ……が、ぜらっ! じぇ、ぎぃっ………ぬあっ」

 

 一撃、二撃と決まり、三撃、四撃とアスタロウの体に突き刺さる拳や足。奮戦はしている。力量差を考えればよく戦っているだろうが定まっている結末は変わらない。

 木々の固まりが伐採され、根こそぎ吹っ飛ばされたことで広場のようになっている中心にフェイトはただ一人で立つ。

 

「本来なら反発する気と魔力を上手く併用し続けるのは器用だとは思うよ。そこまで両方の力を使いこなしているのは殆ど見たことが無い。だけど、それまでだ。慣れてしまえばどうってことない」

 

 障壁は魔力で、肉体の防御は気を、攻撃は魔力と気を使い分ける。確かに器用ではある。が、器用であるだけで他に感想は浮かばないというのがフェイトの考えだった。

 当然だ。魔力の扱いにしろ、気の扱いにしろ、全く体系の違う力なのだ。普通はどちらか一本に絞って鍛える。両方鍛えるのは全くの無駄とはいかないが、器用貧乏にしかならない。それが世界の現状だ。

 

「これが変えられない運命だ。ナギも君にも、運命を打ち破ることは決して叶わない」

 

 傷一つなく、それどころかその制服のような服にただ一つの汚れすらなくフェイトは当たり前の如く王者のように君臨する。それこそ決して変えられないその名の如く運命を冠するように。

 

「うっせえ、タコ。運命だなんだのは打ち破る為にあんだよ」

 

 伐採されまくった木の欠片に埋もれるように沈んでいたアスタロウがのっそりと体を起こす。

 その身体は傷がないところを探す方が難しい。アスタロウがのっそりとしていたのは素早く動けなかったからだ。

 

「その有様でよく吠える。犬そのものだね」

「犬とちゃうわ。狗や」

 

 膝に手をついて体を起こそうとするが、それすらも苦難なのか動作が遅い。

 ようやく立ち上がったアスタロウは死に体である。

 

「どうにも君の相手をしていると調子が狂う」

 

 首を横に振ったフェイトは困惑しているようだった。アスタロウにとっては本当にどうでもいいことだが。

 直ぐに気を取り直したフェイトは地面に手をついて身の丈を遥かに超える大剣を手にする。地面から大剣が生まれるなんて奇々怪々な現象だが、どうやらフェイトは地属性の魔法使いらしく難なく行っていた。見立て通り、流石は超高位魔法使いと言ったところか。

 

「ならば、証明したまえ。僕に傷一つ付けられない時点で運命を打破しようなどと片腹痛い」

「上等! やってやらぁ!!」

 

 石で出来た大剣を持ち、嘯いたフェイトに一矢報いんとアスタロウは片足を前に出して腰を落した。

 腰溜めに構えられた右拳に紫電が狗神が集う。

 アスカ最強の技である雷華豪殺拳と小太郎最強の技である狗音爆砕拳の合わせ技。

 

「行くで……!」

 

 と言ったアスタロウの背後から飛び出す無数の影。

 狗神ではない。全てがアスタロウと同じ背格好と姿をした分身である。その全てが雷華豪殺拳か狗音爆砕拳を放つ準備を整えてフェイトに飛び掛かる。

 

「分身? これならさっきの方が速かった。しかも人型だから動きも読みやすい」

 

 その数にして十五体。だが、その数に比べて速度は雷を纏った狗神に遥かに劣る。

 音速を突破していなければ、機動もまた愚直である。

 

「はっ」

 

 軽く息を吐き出すような掛け声で大剣を振るうフェイト。

 大剣ゆえに大振りの一撃は空間を切り裂くように震わせ、一薙ぎで風を切って先頭を走っていた五体の分身を上半身と下半身の二つに別れさせる。

 

「次」

 

 流れ作業の言いながら振るわれた間隙に飛びこもうとしている三体を、力尽くで軌道を捻って更に両断する。

 

「数だけは多い」

「それはどうも!」

「褒めてない」

 

 俊足で飛びこんできた二体を蹴り飛ばし、背中を向けたところにやってきた一体を大剣から離した片手で肘打ちを食らわせる。

 残るは四体。だが、流石にここまで連続で攻撃を加えられると綻びがでる。十六人もいる相手と違ってフェイトは一人しかいないのだ。

 

「「「精々、褒めてみろや!」」」

 

 肘打ちの回転力のまま大剣を振るったが、これは体の分身がその身を挺して止める。

 衝撃で二体が消え、一体がなんとか消えずに大剣を拘束する。残った分身の内、最後の一体が左手に狗神を纏って直進する。

 

「狗音爆砕拳!!」

 

 狙いはフェイトではなく大剣であった。

 放たれた狗音爆砕拳をまともに食らった大剣はその根元からボキリとあっさりと折れる。この攻撃の所為で大剣を抑えていた分身が消えてしまったが瑣末である。狗音爆砕拳を放った分身はそのままフェイトにしがみ付いていたからだ。動きを封じるために。

 タイミングを計ったように飛びこんで来る影。右手に紫電と狗神を纏わせたアスタロウである。

 

「雷狗――――」

 

 狗神に雷を纏わせることが出来るのは既に実証済みである。

 魔力と気は反発し、併用は出来てもそこまでの制御は出来ないアスタロウでは本当の意味で雷華豪殺拳と狗音爆砕拳を同時に放つことは出来ない。狗神を使役する上で確実に気を使う以上、雷華豪殺拳もまた気を使用しなければならない。

 

『いいかい、アスカ君。神鳴流には雷の技がある。雷鳴剣と言ってね。雷と相性の良い君なら或いは直ぐにでも使えるようになるかもしれない』

 

 京都で近衛詠春が言った言葉がヒントだった。

 アスカは京都から帰って来てから隙を見つけては神鳴流の練習をしていたのである。気の扱いが未熟なのと純粋な技量不足で碌に技を放つことは出来ないが、気の扱いに秀でた小太郎と合体してこの問題の一部は解決している。制御なんて出来ないたった一発きりのギャンブルだが、雷華豪殺拳並の雷を纏うことは出来る。

 

「――――爆殺拳!!」

 

 分身の上から今放てる最大の技である雷狗爆殺拳を左拳でぶちかます。

 フェイトは分身に拘束されて動けないはず。だが、超高位魔法使いに常識は通用しない。

 

「稚拙だ。あまりにも稚拙すぎる」

 

 肉体を突き破った感触が届いているはずのアスタロウの手には硬質な感触。例えるなら石を砕いたかのような。それも当然、アスタロウの左拳は再生した大剣を砕いたところで止まっている。

 しかし、それはアスタロウも織り込み済み。

 

「ならもう一発喰らっとけ!」

 

 左を戻しながら、本命の右拳に溜められた雷狗爆殺拳を放つ。

 

「稚拙だと言った」

 

 バチチチ、と耳を弄する甲高い音が鳴った。

 アスタロウの渾身の一撃は障壁を最大展開したフェイトの掌に受け止められていた。

 

「期待外れだよ。もう死にたまえ」

 

 失望したことを隠そうともせず、受け止めていた拳を引く。

 

「ちくしょう……!」

 

 今度こそ打つ手はなかった。引き寄せる力に抗うことも出来ず、その頬に諸に拳がめり込んだ。

 

「なんてな」

「本命はこっちだ!」

 

 頬に拳がめり込んだアスタロウが消し飛んだ。分身である。

 本体はフェイトの背後に回り込んでいる。伐採されまくった木の欠片に埋もれるように沈んでいた時から既に分身と入れ替わっており、本体は迂回しながら背後に回っていたのだ。

 無防備に背中を曝すフェイトへと、今度こそ左拳に溜められた本命の雷狗爆殺拳が放たれる。

 まともに決まればエヴァンジェリンが張っている障壁であろうとも突破することが出来るであろう雷狗爆殺拳は、確かに障壁を突破してフェイトの体に突き刺さった。そのフェイトの体が瞬く間に色を失わなければ、アスタロウであってもそう思っただろう。

 石人形、と真下から呟くような声が漏れた。

 

「言ったはずだよ、稚拙だと」

 

 石人形が砕けると同時に、地面を割ってフェイトが現れた。何時の間に石人形を作りだしたのか、何時の間に入れ替わっていたのか、アスタロウには全然わからなかった。

 フェイトは、地面を突き破ったその勢いのままに拳でアスタロウの顎を撥ね上げ、体を捻って無防備な腹に回転蹴りを叩き込む。

 力を失って吹き飛ぶアスタロウの身体。その身体に指先を向けながらフェイトが詠唱を開始する。

 

「ヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト 小さき王 八つ足の蜥蜴 邪眼の主よ その光、我が手に宿し 災いなる眼差しで射よ」

 

 詠唱が続き、後は魔法名が唱えられようとしたところでフェイトが向けていた指先が淡く広がる。アスタロウは気絶しているのか、それとも諦めたのか、空中で動かない。もしくは動けないのか。

 

「アスカ!」

 

 そこへ聞こえてはならない声がアスタロウの耳朶を震わせた。

 アスタロウが、アスカが聞き間違えるはずのない神楽坂明日菜の声を。

 

「石化の邪眼」

「明日菜!?」

 

 空中で体を起こしたアスタロウが既に魔法名は唱えられている。

 フェイトの指先から光線が放たれ、超速で走り込んだ明日菜がその射線を遮る。

 アスタロウは間に合わない。フェイトは間に割って明日菜のことを気にもしない。そのまま二人とも石化させるつもりだ。

 間に割り込んだ明日菜は、両手にアーティファクトのハマノツルギを手にして怯まない。怯む気配すらない。

 

「魔法がなんだっていうのよ!」 

 

 詠唱していたことから明日菜は魔法と判断し、こんな近距離ではどんな効果でも避けきれない。ならば、光線を浴びながらも踏み出した勢いのまま明日菜は傲然と突っ込んで攻めを選んだ。

 自身への被害を省みない特攻。奇しくも明日菜の選択は本人の勇気に関係なく最も正しい行動を取っていた。

 両手を交差して光線から顔を庇うも、光線を浴びた部分の着ている服がビキビキと音を立てて石化していく。パキャアンという音と共に石になった服が砕けて明日菜は半裸になってしまうが、肉体の方は無事である。

 半裸になって羞恥を覚えるよりも先に敵を倒そうという意気が勝り、敵に踏み込む。

 

「何っ、レジストしたっ!?」

 

 今度はフェイトが表情こそ変わらないが驚く番だった。アスタロウと違ってフェイトは明日菜の接近に気が付いていた。だが、気配も消さずに真正直にやってきた時点で実力が知れている。

 確実に捕らえ、かつ確実にアスタロウを巻き込んで石化させるつもりだったのだ。なのに、光線は服を石化したのに肉体は何ともない。この驚きが魔法を中断させる。

 突っ切って自身に迫ってくる影にフェイトは僅かに目を見開いた次の瞬間、ハマノツルギが振るわれた。

 

「やぁあああああああああ――――――っ!!」

 

 振り方も動きも素人くさい。そのくせしてスピードだけは一線級なのだから戸惑いだけが増える。が、その力は恐るべくことはない。石化の邪眼がレジストされたのも服に魔法的効果があったか、アーティファクトの物であると考えた。

 障壁で十分に耐えられると判断したフェイトは目の前の少女の能力と、動きを見せているアスタロウに意識を配分した。

 

「――っ?!」

 

 その次の瞬間に起こった現象は、フェイトに生まれて初めてとも思える驚愕の相を浮かばせた。

 

「障壁が!?」

 

 ガラスのような音を立てて、その音のように軽い音と共にフェイトの曼荼羅のような障壁がいとも簡単に明日菜のハマノツルギによって砕かれる。

 取るに足らないと思った少女が為した全てが信じられない。フェイトに生まれた隙をアスタロウは見逃さなかった。否、それ以前に明日菜が飛び出した時点で行動を起こしていた。

 制限時間内であれば合体状態を任意で解除することが出来る。想いが一つのアスタロウは自ら合体を解除していた。

 分離した二人の位置関係は、小太郎が下でアスカが上。この状態に意図はない。ないが、アイコンタクトもなしにさっきまで同一人物だった二人は次の行動を以心伝心していた。

 

「――行けや!」

「応さ――っ!」

 

 小太郎が差し出した足に乗っかったアスカは、互いに蹴り合ってその反動で体をフェイトに飛ばす。

 石化の邪眼をレジストされ、障壁を破砕された動揺でフェイトはアスカへの反応が僅かに遅れる。その隙をアスカは存分に利用した。

 

「喰らえ!!」

 

 技も何もない。右拳を障壁を失って動揺しているフェイトの頬に叩き込んだ。

 弾かれる顔、急転する視界、口から迸る白い血、現状を理解できない思考、全てが合致したフェイトの中で何かがキレた。

 

「よくも…………やってくれたね!!」

 

 澄ましていた表情を憤怒で頬を紅く染めたフェイトが、遥かに実力で劣るアスカに二度目の拳を入れられたことに激昂して拳を放った。

 

「!?」

 

 アスカの目の前から閃光が迫る。それがフェイトの放った拳なのだと、アスカ・スプリングフィールドという人間を容易く殺せる一撃なのだと、見えもしないのに直感した。

 脳裏に今までの走馬灯がカラカラと巡る。迫る死に―――――――――――アスカは勝利を確信して笑った。

 

「へっ、言ったろ。運命は殴り飛ばすものだってよ。なあ、エヴァンジェリン」

「――――ああ、よくやった」

 

 アスカの命を刈り取る死神の鎌は存在しない第三者の手によって防がれた。 

 

「っ――――!?」

 

 突如、フェイトの影から現れた第三者の小さな手が今にもアスカを撃ち殺そうと伸ばした腕を掴んでいた。

 華奢な腕からは想像もつかない万力のような力によって掴まれたフェイトの腕はピクリとも動かない。

 

「よくもアスカを痛めつけてくれたな、若造。お返しだ!」

 

 フェイトの耳にその言葉が届くと同時に、転移してきた人物の莫大な魔力を纏ったもう片方の拳が少年を襲う。一瞬の内に文字通りのソレが起こり、その細い腕から考えられない威力をもって再展開された障壁ごと殴り飛ばされ、フェイトを風にさらわれた紙切れのように弾き飛ばした。

 

「ふんっ」 

 

 バサバサッと音が響き、コウモリが背後に集って一枚のマントとなって少女の身体を包み込む。

 

「エ、エヴァちゃん!?」

 

 石化して砕けた上半身の服が無くなって腕で胸を隠しながら倒れ込んだアスカの下に駆け寄っていた明日菜は、まさかの少女の登場に驚く。

 アスカに迫る死神を力尽くで捻じ伏せた少女―――――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは、壇上の役者の様に優雅な仕草で振り向くと不適な笑みを浮かべる。

 

「遅えぇぞ」

「事前に言ってあっただろう」

「直前過ぎんだよ。走馬灯が脳裏を過ったぞ」

 

 アスカの顔にも同じ笑みがあった。最大最強にして、アスカの知る限りで最も強い父と肩を並べる魔法使いの救援は万の術者の助けにも勝る救いであった。

 

「エヴァという名前と金髪に蝙蝠、そうか君が真祖の吸血鬼『闇の福音』か」

 

 ガラリ、と数十メートルの轍を作って止まったフェイトがゆっくりと立ち上がった。

 流石にエヴァンジェリンの一撃を無防備に受けたのはダメージが大きいのか、その膝は少しだけ揺れている。

 

「ほぅ、生きていたか。もやしのような見た目と違って存外にしぶといではないか。褒めてやろう」

 

 己が全力を防いで生きているというのに、エヴァンジェリンは敵に向かって平然と言い切った。

 

「褒美代わりだ。未熟者を相手にしてはつまらなかろう。次は私が直々に相手をしてやる。この闇の福音の手にかかって死ねるのだ。黄泉路で自慢できるぞ。そら、喜んで死んで行け」

 

 マントを翻し、エヴァンジェリンはご満悦の笑みを浮かべて呟くのを、その真意を見透かそうとするようにフェイトは静かに眺めたが結論は早く出たようだ。素人の明日菜にでも分かるぐらい体から緊張感を抜いた。

 

「止めておくよ。君相手では流石に分が悪い。何よりも今回の仕事で闇の福音の相手をするのは割が合わない。今回は退かせてもらう」

 

 フェイトの足下に魔法陣が浮かび上がる。エヴァンジェリンの眼はそれが転移魔法の陣であることを見破った。

 足手纏いを二人も抱えて自分と戦おうとはしないとエヴァンジェリン側の状況を読み切り、悠々と転移準備を整えたフェイトは最後に明日菜に抱えて貰わなければ体を起こすことも出来ないアスカを見た。

 

「この一撃の報いは必ず返す」

 

 頬を指差して最後にそれだけを言い残して、フェイトは転移魔法を使ってこの場から姿を消した。

 一秒、二秒、三秒…………十秒を超えたところでフェイトが完全にこの場から転移したことを確認したエヴァンジェリンは、張り詰めていた空気が破裂したように重く長い溜息を吐いた。

 

「逃げてくれたか」

 

 同時にエヴァンジェリンを覆っていた全能感とでもいうべき魔力が残らず消え去る。

 

「一時的とは良く言ったものだ。本当に数十秒しか持たないではないか」

 

 これで超に借りが出来た、と思ってアスカ達の方を見ようとした瞬間だった。

 ぶわり、とエヴァンジェリンに再び魔力と言う名の全能感が戻る。呪いが一時的に解除されたのだ。今度のは学園側の干渉によるものであると同時に感じ取る。 

 あまりの遅さとタイミングの悪さ眉を顰めた。

 

「……おそ……」

 

 もう数十秒早ければフェイトを逃がす必要もなかったのに、と内心で思わずにいられなかったエヴァンジェリンが嘆息を漏らすのも至極当然の話であった。

 何時切れるか分からない薬の効果に怯えてフェイトを誘導する必要もなくなったのだ。だが、フェイトがいなくなってから呪いが解けるのでは興醒めもいいところである。しかも超に借りまで出来ている。

 溜息やら嘆息が漏れるのは仕方ない。仕方ないが。

 

「敵を追っ払った最大の功労者の私を労わらずに桃色空間を作るなそこの二人!!」

 

 ズビシと振り返って指を指した。その指の先にはキョトンとした顔のアスカと明日菜。

 ボロボロだがないよりかはマシだろう、とそっぽを向きながら自分の服を脱いで差し出すアスカと頬を真っ赤にしながら受け取る明日菜の二人に突っ込みを入れるのだった。

 

「おーい、誰か俺の心配をしてえな」

 

 アスカが一撃を加える為の最大の功労者であった小太郎は、足を蹴り合った反発のまま体勢を整えることも出来ず転がり、かなり離れた木の幹に尻からぶつかって逆さまのまま文句を言うが、ギャーギャーと騒ぐ当の三人が気付いた様子がない。

 

「俺ってこんな役やねんな。モテへんのって辛いわ」

 

 三角関係のような状態のアスカと変わりたいかと言えばノーサンキューだが、せめて天地がひっくり返っている状態を直してくれる相手がいてもいいのではないかと思う小太郎だった。

 

「小太郎は男にモテたかったのか?」

「ちゃうわ! …………って、いたんか小動物」

 

 黄昏ていた小太郎を笑ったのは、何時の間に来たのかアルベール・カモミールであった。

 カモは頭に出来ている自身の頭部にも匹敵するタンコブを痛そうに擦る。

 

「色々あって明日菜の姉さんと一緒に来たんでさ。まぁ、こっちの思惑をあっさりと飛び越えられちまったがな」

 

 これはその代償さ、とタンコブを擦ってカモは言いながらもどこか安堵しているようでもあった。

 人型ではないから分かり難いが、別れた数十分の間にやつれているように見えた。小太郎達とはまた違う種類の戦いをカモもまた潜り抜けたのだろうと分かる。 

 一つの戦いを終えたのだから小太郎も張り詰めていた糸が緩んだのだろう。存在に気づいていない、または忘れている三人に代わって気の利いた労いの一つもかけてやろうと言葉を探したその時だった。

 

「なんや? 地面が揺れてる……」

 

 頭が地面に触れているので小太郎は始め地震が起こっているのかと思った。

 

「うわっ!?」

 

 その声を上げたのはカモか、それともアスカ達三人の誰かか。大きく揺れる地面に翻弄される小太郎には分からない。

 永遠とも思える刹那に地震は収まり、全ての感覚が停止し、消失し、ざらりとした何かが猛然と膨れ上がっていく。

 それは小太郎の精神を食い尽くすかと思えるほどの、強大で底知れない気配を放つものだったが、それを敢えて抑えるつもりはないかのような広がり方。単純な力の総量で言えばネスカですらも遥かに上回る。

 

「ここから直ぐに離れろ」

 

 唯一立っていたエヴァンジェリンが厳しい面持ちでナマカ山を睨み付け、その身体が影の中に沈んでいく。

 誰も後を追おうとはしなかった。行っても足手纏いにしかならないと分かっていたのである。

 

「村に戻ろう」

 

 己の力不足を悟ったアスカが発した押し殺した言葉に誰も否とは言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永遠の命を得る。それがゲイル・キングスの目的であった。その為に肉体を奪い、生き続けて来た。

 遂に永遠の命を得る手段をもう少しで手に入れるところまで来たが老いた体で永遠を生きても何の意味がない。その為の若いフォンの肉体を奪い、この瞬間に辿り着いたのだ。なのに、宿願の成就を前にして儀式の邪魔を許した。

 捨て置いた二人の少女――――アーニャとナナリーに足元を掬われたのだ。この宿願を何百年と求め続けたゲイルが我慢できるはずがない。

 邪魔をした高畑を直ぐにでも誅殺し、穴に飛び込んだ少女二人を引き摺り上げて八つ裂きする。

 怒りのままに行動しようとしたゲイルの一歩目は永遠に先へと進まなかった。

 

「――ッ!?」 

 

 不意にゾクリと血が凍るような戦慄を覚えて、ゲイルは目を限界まで見開いた。

 洞窟の入り口から流れる風が触れる肌の感覚すら途切れ、一切の音が辺り完全に消えて静寂が溢れる。

 呼吸が死んだ。理由もなく、感情が一気に失せた。全身の五感が、まるで現実から逃げていくように薄れる。胃袋に重圧が落ち、呼吸が乱れ、心臓が暴れ回り、頭の奥がチリチリと火花みたいな痛みを発して思考が止まる。

 穴の奥から発せられる何かにゲイルの体が支配されていく。ゲイルだけではない。虫の息であった高畑でさえ、一様に心臓を鷲掴みにされたように凍りつき、背筋を粟立たせる。

 

「な、なんなのだ!?」

 

 ようやく発したゲイルの叫びに呼応するように、穴から一気に水が噴き出した。

 殺意。あたかも世界そのものが敵に回ったかのような、全方位から迫る威圧感。肌を叩く水の音がやけに耳に響いた。空気が押し潰すように圧し掛かり、死神の鎌を首筋に当てられたような、そんな凍てついた恐怖を囚われていたゲイルは感じていた。

 誰も動かなかった。否、動けなかった。ゲイルの頭に上っていた血が、一気に首から抜けていくような、ぞっとする感覚――――――――身体を震わせてその気配の方向を視線で探ろうとして、まるで周囲の重力が十倍に膨れ上がったような威圧に射竦められた。

 その気配は吹き上がる自ら発せられていた。

 

「水が気配を持つなど…………っ!?」

 

 ありえない、と叫びかけたゲイルの口が塞がれた。

 水である。噴き出した水が、地面に落ちた水が、天井を叩いた水が、全方位からゲイルへと襲い掛かる。

 

「アアアアアアアアアアァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッツ!!」

 

 限界まで眼を見開いたゲイルの、この世とも思えない雄叫びとも思える叫喚が迸る。

 それもそのはずである。穴という穴から侵入してくる水によって己が犯されていくのだ。

 生娘が汚されるのとはまた違う凌辱。奪われていく。今まで犯して奪ってきたゲイルの全てが、自身の肉体を捨て去っても守り続けてきた己が犯されていくのだ。

 目から鼻から口から、穴が無ければ切り裂いて穿って作り、フォンの肉体を持つゲイルはその肉体も魂も浸食していく。

 

「タカミチ!」

 

 もしもエヴァンジェリンが現れ、直ぐに影の転移魔法でこの場を離れなかったら高畑もまた同じ目に合っていただろう。

 ゲイル以外、誰もいなくなった大洞窟に己を失った哀れな存在が産声を上げる。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――!!!!!!!!」

 

 フォンの肉体を持ったその存在は、怒りのままに狂乱の叫びを上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 疲労が濃くて足の遅い少年二人を気づかないながら走っていた明日菜は、突如として背後のナマカ山から轟いた爆音に驚いて足を止めて振り返った。

 振り返って見えたのはナマカ山の頂上から吹き出す水である。一瞬噴火かとも思ったが、清流な輝きはマグマではないと直ぐに看破出来た。

 同じように足を止めて振り返ったアスカと小太郎は、近づいてくる気配に首を巡らせた。

 

「アスカ!」

 

 やってきたのは杖に乗ったネギと横を並走する茶々丸。そしてそれぞれ別方向から傷を負っている龍宮真名・長瀬楓・桜咲刹那の三名である。

 傷を負いながらも無事に合流できたことを喜び、一声かけようとしたアスカの口を閉じさせたのは、ナマカ山頂上に出現した巨大な気配であった。

 遠目からでは姿はハッキリと見えない。だが、この島を圧して余りあるほどの気配の持ち主であるとその場にいた誰もが直感した。

 

「な、何これ?」

 

 経験したことのない気配の強大さに、かなり距離が離れているにも関わらず、明日菜は肌を泡立たせて鳥肌が立った腕を摩ったり、体を震わせていた。他の者達もまた動くことすら出来なかった。

 内包するとんでもない力を感じてゾクリと、アスカの身体を震わせる……………………いや、この震えは、恐怖の為だけではない。

 孤独と絶望と憎悪、あの存在が放つ想念が世界に満ちていく。怒りであった。これを感じるだけで常人は視力を失い、体の弱い者は倒れてしまう。

 ここにいるのは、天と闇を従える暗黒の支配者。

 ここにいるのは、闇と冥府の王。

 ここにいるのは、天と地と統べる神。

 ここにいるのは、生と死を審判する死神の中の死神である。

 全開状態のエヴァンジェリンすらも上回る威圧感。誰もが戦う前から死を予感した。

 

「神じゃ。カネ神が降臨されたのじゃ」

「婆さん」

 

 何時の間に現れたのか、大婆の声に小太郎が思わずギクリと息を飲み込んだ。ネギ達も同じであった絶句した。唯一反応したアスカは、自分達が村の近くにいることに今更ながらに気が付いた。

 

「カネ神がお怒りであられる。我らはもう終わりじゃ」

 

 涙を流す大婆の言葉を証明するように天空に水球が生み出された。

 突如として大地が出現したかのように、この島を覆い尽くすと思われるほど巨大な黒色の水球が存在していた。

 そして島を覆い隠してあまりある体積で押し潰さんばかりに水球が滴り落ちて来る。天罰の如き水球に抗える者などいない。アスカの影から現れ、タカミチを放り捨てて飛び上がったエヴァンジェリンを除いて。

 

「来たれ氷精、闇の精 闇を従え吹けよ常夜の氷雪――――――――闇の吹雪!!」

 

 冷徹さをもって手で渦巻いていた吹雪の精霊が、エヴァンジェリンが放った魔法名と共にこの世に顕現する。

 膨大過ぎる吹雪の奔流は何もかもを打ち払わずにはおかぬというように、事象の全てを粉砕しながら迸る。

 その魔力の冴え、術式の精密さ、あらゆる領域で停電時にネスカと戦った時の比ではない。即ち、エヴァンジェリンが放つ掛け値なしの全力の魔法であった。

 吹雪の氷乱が、訪れる破滅を砕かんと空気分子を焼き払いながら地上から降り上がる。何もかもを微塵と化す吹雪が、極度の気温の変化により間の空気で水蒸気爆発を起こしながら直進して――――。

 街一つ容易く消滅させてしまえるほどの魔法が解き放たれ、島に堕ちて来ていた巨大な水球を跡も残さないほどに粉々に砕いた。言わずもがなその余波は凄まじかった。

 島を覆い尽くすほど巨大な水球が爆発した。エヴァンジェリンが放った闇の吹雪は水の球体を内側から食い破り呑み込む。太陽の光に乱反射して照らされる辺り一面には氷風が吹き荒れる。

 下にいるアスカ達を爆発音と、氷風の冷気と砕き切れなかった水の奔流が襲った。お伽噺の大洪水のような、地を呑み込まずにはいられない神罰だった

 

「くっ――!」

 

 水流が収まっても膨大な威圧は引かなかった。余波によって大気は荒れ狂い、しかも尚も連続して発せられる爆発にアスカは目を開けていられずに閉じてしまった。

 他の誰もが我が身を守ることすら危うい状況で、エヴァンジェリンは飢狼の如く連続して攻撃を仕掛けてくるカネ神の相手をしなければならなかった。

 一瞬ごとに起こる全てのことが、致命的に自分の命を抉ろうと追いかけてくる。それを振り切るために、エヴァンジェリンの意識はどこまでも冴えていった。全て、発生する事象の必ず一歩先を行く。その急速な加速の中で舞い続ける。

 力を爆発させ、高め、練り上げ、高密度化させていく。二人の周囲の空気に混入した塵が体外に零れ出る余波で吹き飛ぶ。

 接近し、遠ざかり、それらを繰り返し、衝突すれば、そこから生じた衝撃波だけで周囲の空間に互い以外の如何なる存在を許さずに破壊していく。

 水が生み出され、凍らされ、砕かれ、結晶となって地に振り降りる。

 

「おお……」

 

 誰が上げた感嘆の声であろうか。無理からぬことだと、自分が想像だにしないレベルで戦っているエヴァンジェリンを見上げたアスカは思った。

 一撃で大河を引き裂き、山を砕ける領域にいる二者が戦っている。

 空間が、世界が、耐え切れぬように不自然に鳴動する。現代においてこれほどの力が集まること自体が、既に異常な事態であった。

 もはや神話にさえ匹敵する超常なる力の激突。幾重にも颶風渦巻く戦場は、一観客に落とされた少年少女達の安全を保障しない。

 

「これがエヴァンジェリンの力。ああ……」

 

 アスカはブルッと身体を震わせた。目の前の神話の如き光景を見て震えが止まらないことは間違いなかった。

 羨ましい、と誰もが恐怖に慄く中でアスカだけが感じていることは正反対だった。

 他者を威圧する空気に満ち満ち、鍛え上げられた錬鉄の武威を如何なく発揮できる戦い。あの場に自分がいないことこそをアスカは悔やむ。

 激しい攻防を繰り返しながら数㎞の距離を行き来する二つの光。遠く離れているからこそ視認できる神話の戦いのような光景を見て、アスカの胸に去来するものは、その闘いを見た誰もが抱くだろうものとは大きくかけ離れていた。

 

「俺も戦いたい」

 

 どうして自分はあそこにいないのかと自問し、弱いからだと気づいたアスカは愛しい人にそっぽを向かれたように嘆いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どれだけの時間が経っただろうか。エヴァンジェリンとカネ神の戦いは海へと移行しているが、その被害は更に広がっているように思えた。

 時間の感覚はとうにない。嵐が過ぎるのを身を縮めてただ待つようにしていた中で、四肢を砕かれた高畑がネギに回復を魔法を受けながら顔を上げた。

 

「圧倒的な物量と力の差がある。このままではエヴァは負ける。エヴァが得意とするのは氷属性であり、彼女が吸血鬼だからこそ、ここまで戦えている。あの相手は紅き翼でも単体では不可能だ」

 

 高畑の言葉を誰も否定しなかった。それほどにカネ神の攻撃は苛烈に強烈に留まる事を知らない。

 海に囲まれた島の上という条件も不利であった。カネ神は生命の根源になる要素をつかさどる神である。水が豊富な場所は圧倒的に有利であり、カネ神も辺りの海から水を引き上げて攻撃している。

 今もまたエヴァンジェリンは水の槍によって身を砕かれ、再生しているところであった。

 エヴァンジェリンもただやられているわけではなく、水の制御を奪って凍らせて自分の物としている。だが、地力が違うのだ。3の水を奪っている間に、10の水を操られては如何なエヴァンジェリンといえでも劣勢は避けられない。

 

「ジリ貧だな。このままじゃ、いずれ負けるぜ」

 

 冷静な意見を出したのはカモ。

 その頭脳では如何に勝利の道筋を見つけ出さんと駆動している。そして幾つかのウィークポイントを見つけた。それは高畑も同じであった。

 

「カネ神は怒りで我を忘れているのか、力の使い方が大雑把だ。百の力で十しか操れていない。だからこそ、エヴァも戦えているとも言える」

「今だけだ。あれだけの力を使っているのに疲れる気配どころか底も見えねぇ。避けず、受けず、圧倒的な力に任せてねじ伏せてやがる」

「文字通り、桁が違うか」

 

 一人と一匹の会話にネギの内心を諦めが覆う。

 全員があまねく疲労し、エヴァンジェリンの援護が出来そうな高畑は戦える状況ではない。下手にネギ達が手を出そうとも、エヴァンジェリンの足手纏いにしかならない。

 ネギは助けを求めるようにアスカを見た。

 或いは、この時にネギがアスカを見たのは彼の中にある双子の弟への甘えであり、コイツならば何か手があるのではないかと思わせる期待の現れであった。

 だが、その期待と甘えはアスカの表情に浮かぶ異質さに押し潰された。

 

(え……?)

 

 喜悦である。愉悦である。絶望の最中に人が浮かべていい表情ではない。

 希望があるわけではない。一発逆転の方策が浮かんでいるわけでもない。このアスカの表情が示すのは自分よりも強者と出会った時の物であることを双子の兄であるネギは良く知っている。

 余人が見れば気が狂ったかと思われるだろう。だが、ネギだけは、この時のネギだけは一人だけ絶望に沈まぬアスカを見て救われた。そしてその耳で光る銀の輝きが天恵を齎す。

 

「ある。あった!」

 

 ネギが打てる最後の一手が詳らかにされる。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 両者の高純度に高められたパワーが一撃ごとに鬩ぎ合って火花を散らした。一つの火花が消えぬ内に、更なる火花が三つ、いや六つ、六つから十二の火花が散った。瞬く間にそれらの火花は数十に上り、更に加速度的に増えていく。大型の花火を超える火花を起こしているのが人型だと誰が思おう。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――――――――――ッ!!!!」

 

 フォンの肉体を器とするカネ神と称された存在は咆哮を上げる。

 怒りである。憎しみである。憎悪である。

 眠っていたのか、生きていなかったのか、何もかもが分からない中で魂とでも呼ぶべきものに不純物が混ざっている不快感に怒りだけが増していく。

 独りになりたい。自分の物は自分だけの物というのは程度の差はあれ、誰でも持ちうる想いであるが、この存在を侵しているのは根源にへばり付かれていることへの不快感である。

 目覚めた瞬間から不快で、剥がしたくても根源にへばり付かれていてはどうしようもない。身体が重い。動き難い。消えてなくなれと願っても離れない。不快で不快で仕方ない。

 

「この――っ!!」

 

 目の前の存在もまた煩わしくて鬱陶しい。

 大した力もないのに無駄にしぶとくて、何度も肉体を粉々にしているのに一向に死なない。

 憎しみに支配された思考では考えることは出来ない。鬱陶しいという思考は怒りに転化され、余計に鈍化していく悪循環。

 目の前の存在がいなくならない限り、現状維持が続く――――――――――はずであった。一発の銃声が轟音の最中に鳴り響き、カネ神の右胸を弾丸が当たらなければ。

 痛みはない。そのようなものを感じる感覚器官は存在しない。あくまでフォンの肉体は器であってその存在の本当の肉体ではないのだから。

 

「?! ■■■■■■■■■■――――――っ!?」

 

 それでも驚きはあった。今まで戦っていた金髪の童が距離を開け、欠損した肉体を復元するのを許す程度には動揺していた。

 水を貫き、数多の防御が施されている器に到達されたのだ。根源にへばり付かれている不快感は消えないまでも、怒りが一瞬止まる程度には驚いた。だからこそ、一方的な蹂躙とはいえ多大な力によって上空に積乱雲が生まれおり、そこに杖に乗った少年がいることにも気づかない。

 カネ神が硬直したのは一秒にも満たない。だが、杖に乗った少年――――ネギにはそれだけで十分だった。既にネギ最大最強の魔法の準備は出来ている。

 この魔法は正式な体系のものではなく、環境操作系のものを意図的に攻撃に転化した――――つまりは、独力で放つことが出来ない魔法である。

 ネギ達がメルディアナ魔法学校の禁呪書庫に忍び込み会得したその魔法が齎す効果は、表の世界でも広く名が知られている。

 

「行っけぇええええええええええええっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!」

 

 ダウンバースト。ある種の下降気流に過ぎないそれが、ネギの禁呪指定環境操作系魔法によって圧縮されて空気の弾丸となって振り降りる。

 

「■■■■■■■■■■ッ!?」

 

 知恵などない、思考も出来ないカネ神にダウンバーストを避けることは叶わない。その存在に避けるという選択肢すらないのだ。

 上空から海へと真っ逆さまに落とされたカネ神を唖然として見下ろしたエヴァンジェリンの下へ、アスカを抱えた楓が虚空瞬動でやってきた。

 

「何をやっているこの馬鹿――」

「真・雷光剣っっっっっっっっ!!!!!!」

 

 エヴァンジェリンが一瞬の思考の隙間から回復し、無謀な行動を取っている者達へ罵声を浴びせようとしたところで、今度は刹那の叫びが届き、天から雷が落ちたような轟音が生まれた。

 雷はカネ神が落ちた海上へと振り降りた。傍目からでも強い雷が辺り一帯を呑み込んで、あまりの強さに海水が蒸発した蒸気が湧き上がる。

 

「二度は言わない。これを付けろ」

 

 楓から離れたアスカが浮遊術で宙を飛びながら、勢いがつき過ぎてエヴァンジェリンに抱き付いてしまい、その耳で囁いた。

 アスカの温もりにエヴァンジェリンは思わず赤面してしまったが、その手に握らされたアスカのアーティファクト――――絆の銀に目を瞠った。

 絆の銀の効果が頭に浮かび、それが自分に手渡された意味を一瞬で理解した。

 

「賭けか。だが、これしかないか」

「ああ」

「いいのか? 私が使うと最悪、人に戻れなくなるぞ」

 

 絆の銀のデメリットをエヴァンジェリンはカモから聞いていた。

 絆の銀は装着者を一体化させる。相手が同じ人間であれば問題ないが、人外となると弊害が起きる。特に人外特有の特殊能力――――狗神化、吸血鬼の再生能力――――を使うとどのようなことがアスカの身に起こるのか予測が出来ないのだ。

 そしてエヴァンジェリンには、まだ使っていないとっておきの秘奥がある。合体した状態で使ってしまうとアスカが人から逸脱してしまうかもしれない危険性がある。

 

「全部、生き残ってからだ。俺だけじゃない。みんなだ。後のことは後で考える」

 

 その言葉が実にアスカらしいと思えたエヴァンジェリンは、その耳に絆の銀を装着するのであった。

 

 

 

 

 

 遂に鬱陶しい風と雷がようやく止んで、カネ神は咆哮を上げた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 怒りは更に増している。

 ダメージは殆どない。精々が少し驚かされたぐらいである。が、鬱陶しい。一切合財が鬱陶しい。カネ神は更なる怒りに呑み込まれて咆哮を上げ続ける。

 

「ギャーギャーと五月蠅いぞ、貴様。このアヴァン様の耳が穢れるではないか」

 

 ふと、海上で咆哮を上げていたカネ神は直上から聞こえた声に怒りを向ける矛先を向けることにした。

 今度こそ殺し尽くすと決意し、顔を上げるとそこにいたのは先程まで邪魔だった存在とは少し形が変わっていた。

 風にたなびく髪の毛はなにも変わっていない。身長が僅かに伸び、体型が目に見えて雌雄が変わったことだろうか。あと一つ、明確に変わったところを上げるとするならば目だ。

 先程までは必死さがあった目の色が変わり、傲岸不遜にしてどこまでも広がり続ける青空のように澄んでいるという矛盾した要素を兼ね備えた蒼い瞳だった。

 

「散々やってくれた礼だ。見せてやろう、闇の福音の秘奥を」

 

 気配が違う。魂が違う。不可思議な違和感にカネ神は行動を遅らせた。

 その間にアヴァン――――アスカとエヴァンジェリンが合体した――――は、大技を放つために溜めをするように腰を深く落として右手を上に翳した。

 深く息を吐きながら眼を細めた。ふわりと、艶やかな長い金髪が逆立った。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック」

 

 始動キーを唱えるアヴァンの両腕に歪な紋様が浮かび上がる。闇に染まったように黒くなった腕に走る紋様は血管のように脈動していた。

 

「集え氷の精霊 槍もて迅雨となりて敵を貫け 氷槍弾雨、固定。来れ虚空の雷 薙ぎ払え 雷の斧、固定」

 

 絶望の言霊が大気を震わせ、世界を凍えさせ轟かせる。

 魔法名が唱えらえると同時に解き放たれるべき魔力がアヴァンの両の手の平の上に留まり続ける。

 

「双腕掌握」

 

 よりにもよってアヴァンは、手の平大に圧縮した魔力球を迷わずに一気に握り潰した。

 握り潰したその魔力を自らの胸に押し当てて、体ではなく魂と同化させる。途端にアヴァンが内包する力は数倍、数十倍にまで上昇する。

 

「術式兵装・氷雷華人」

 

 ゆらりと長い髪を払ったその外見に大きな変化はない。が、そのことが逆に恐ろしい。

 

「これが闇の魔法だ」

 

 敵に仇名す攻撃魔術を敢えて自らの肉体に取り込み、霊体にまで融合する。術者の肉体と魂を食らわせてそれを代償に常人に倍する力を得ようという狂気の技。闇の眷属の膨大な魔力を前提とした技法の為に並みの人間には扱えない禁呪。

 

「分かるか。分かるだろう、仮にも神と呼ばれる存在ならば、このアヴァン様の恐ろしさが」

 

 氷の如き声音はそれ故に恐ろしく、如何なる者も膝を折らずにはおかぬ禍々しい響きさえ秘めていた。

 

「っ…………■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!」

「温いぞ」

「■■!?」

 

 愉悦を浮かべる目の前に存在へと憎悪に狂ったカネ神は突撃しようとした鼻先が蹴られた。一瞬で移動したアヴァンが蹴りを放ったのだ。

 その一瞬の後、ぼっと空気が凝縮したような音が鳴った。音が遅れて届く―――――アヴァンの速さは音をも凌駕していた。

 大気中を物体が超高速で移動するとき、正面の空気は引き裂かれ、逆に背後の空間には真空を残すソニック・ウェイブを発生させていた。アヴァンが通った道筋は抉れた水面が証明していた。

 

「教授してやろう。これこそ氷雷華人の効果の一つ、体内の電気信号の加速だ」

 

 跳ね上がった後頭部に、先程まで前にいたアヴァンが超速で移動して肘を叩き込む。

 ほぼ同時に、その背中へと反対の手で拳を放って下から掬い上げるようなアッパーによって斜め上に弾き飛ばす。

 アヴァンは拳を戻しざま、一瞬にして上空数十メートルの高さにまで跳ね跳んだカネ神を追いかけるように、水面を爆発させて破壊しながら宙に舞い上がった。その全身から迸る紫白色の光の燐光が残像を引き、アヴァンのシルエットをオーラの如く浮き立たせる。

 

「加速された電気信号によって肉体、思考共に生物の領域を超える。が、本来ならば肉体が持つはずがない。それを可能にするのがもう一つの効果、肉体の凍結」

 

 言いながらカネ神を追い抜いて頭上から破壊的な一撃を見舞った。カネ神はかろうじて掲げた両手で頭部の一撃は防いだものの、今度は直角に地面に向かって急降下を始める。

 カネ神が触れたアスカの肉体は氷のように冷たく、そして固かった。

 

「本来ならばそんな状態になれば指一本動かすこと叶わない。効果の一つである電気信号によって無理やり肉体を動かし、少し動くだけで崩壊する肉体を吸血鬼の再生能力で復元する」

 

 電気信号を極限まで加速されているアヴァンの感覚では、ゆっくりと落下していくカネ神に次々と攻撃を放つ。

 エヴァンジェリンである時と比べても比較にならないほど威力とスピードの増した拳で、カネ神の顔といわず、胴体といわず、滅茶苦茶な勢いで叩き込まれていった。

 

「認めよう、カネ神。貴様の力はこのアヴァンを以てしても届かない。この攻撃もまたダメージにはならんだろう。だがな、だからといって私は負ける気がせん」

 

 殴られ蹴られる度にボールのように跳ね回るカネ神だが、そのダメージは少ない。未だ力の差ははっきりとしている。

 

「力の差が勝負における絶対なファクターではないと教えてやる。感謝しろよ、神」

「■■■■■■■――――ッッ!!」

 

 カネ神が咆哮を上げて水を生成し、槍として放つが空を切る。

 カネ神の視界のどこにもその姿を認めることが出来ない。確実に捉えたはずなのに何の手応えもなかった。そこには残滓のように空気が纏わりつき、消えていくのみである。アヴァンの欠片など微塵もなかった。

 

「敢えて言おう」

 

 カネ神の全身に正面から凄まじい力が叩き付けられた。殆ど水平の体勢で飛んでいたカネ神の身体が立ち上がり、強引に後ろに圧し戻される。

 

「どれほど強大な力であろうとも、当たらなけばどうということはないと」

 

 カネ神を襲ったのは音速を突破した時、裂かれた大気が生み出した衝撃波だった。音速を超えて動く。人型が為したことにカネ神の怒りに狂った思考が、らしからぬ戦慄を覚えさせる。

 その戦慄を忘れるかのように「■■■■■■■■■■■■――――――!!!!」と、更なる咆哮を上げて生み出した水龍を生み出した。

 だが、水龍の動きは遅すぎて稲妻の如き速さのアヴァンを捉えることが出来ない。

 咢で噛んだと思ったらその空間から消えており、水龍は残影の跡を追って体を旋回させ、連続で幾つかの水のブレスを連射する。しかし、そのブレスは的外れな場所を貫くだけであり、高速で動き回るアスカを捉えることは出来なかった。

 そこにいたはずのアヴァンの姿がない。消えたのだ。瞬間移動したなどという冗談はない。高速で移動しているに過ぎないが、瞬時に加速して静止する、その動きは消えたとしか表現のしようのないものだった。目で追いきれないだけではなく、気配そのものの移動が感知しきれないのだ。

 

「突破できないか。ふん、このままでは負けるのは俺と、貴様はそう思うか?」

 

 我が身を超音速の砲弾に変えたアヴァンの攻撃であってもカネ神の守りを抜くことは出来ない。この時のアヴァンのスピードは音速を超えており、超々高速の突進が大気の壁を突き破った衝撃波がカネ神を木の葉のように吹き飛ばすが、それでもダメージは本当に微々たるものでしかない。

 術式兵装・氷雷華人の発動中は肉体制御に比重を掛け過ぎて、強化の割にパワーは寧ろ下がっている。

 カネ神が空中で急制動をかけると側面に光が走る。そこで初めて蹴りを放ったが、アヴァンはまた残影を残して姿を消した。直後、カネ神は背中から衝撃を受ける。

 

「怒りも薄れてきたようだな。いや、私に純化してきたか。ああ、冷静になられると益々、私の勝機がなくなっていくと貴様は思うか?」

 

 吹き飛ばされながら視界の端に蹴りを放ったらしい姿勢のアヴァンの姿が一瞬だけ留まり、また消える。

 死角に潜りこんだアヴァンが冷たい波動を背中に叩きつける。カネ神は感知しえた気配に意識を凝らして、体勢を整えるよりも先に水刃を振り返りながら放つ。だが、やはりそれは空を切って、代わりに何時の間に近づいたのか防御を掻い潜って拳が腹に当たった。しかし、やはり威力が足りない。

 正面にいるアヴァンに向けて拳を放つも既にそこにはいない。幼い子供に紙を鉛筆を渡して出鱈目な線を書かせたような、紫白色の光の燐光が目を疑いたくなるほどの目まぐるしい動きの軌跡を描く。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■ッッッッ!!!!!!!!!!!」

 

 叫びは獣のように。が、圧倒的な速度の差は覆られない。

 紫白色の光輝を放つアヴァンに、殴られ、打たれ、突き落とされ、蹴り上げられる。一撃一撃が放たれるごとに衝撃波が生まれ、カネ神の身体は碌に姿勢を保つことも出来ず、箱に投げ入れたピンボールの如く彼方此方跳ね回っていた。

 カネ神は自らがナマカ山の直上へと追いやられていることに気が付かない。

 

「全ての答えを此処に見せよう」

 

 全ては此処へと帰結する。

 アヴァンはカネ神をナマカ山へと叩き落とす準備を全て終えていた。

 

「眠れ、神よ」

 

 だが、同時にアヴァンの時間も此処までである。

 合体が解除される。弾き飛ばされたのはエヴァンジェリンであった。

 

「な……!?」 

 

 任意ではなく、限界によるものである。元より疲労していたアスカ、カネ神に追い込まれていたエヴァンジェリン、そして魂を侵す闇の魔法によって絆の銀の効果が発揮できる時間は極短いものになっていた。

 二人もまたそれを理解し、しかしアスカはそのまま強行することにした。

 

「このまま行けぇえええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」

 

 体ごとカネ神にぶつかり、残っていた全力を推進力へと変える。

 その口から魔力の限界によって大量の血を迸らせながら、生命力を力へと変えて決して離さぬとばかりにカネ神の胴体を捕まえてナマカ山へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには何もなかった。無、虚無、何もない空白。光はない。闇もない。自分だけが存在する空虚。

 重ね合わせるもの、溶け合うもの、何一つとしてない。そこは何もない空間だった。全てが無で塗り潰されていた。敢えて近いものがあるとすれば闇だろうか。だが、それすらも便座上でしかない。

 エミリア・オッケンワインがいる場所は、果てしなく何もない。ただそれだけの空間にすぎなかった。どっちを向いても、闇だった。前も、後ろも、上も、下も、右も、左も、現在も、未来も、そして、過去すらも。まるで黒い水の中にいるみたいだった。

 何もないところだ。だが、ある意味でここには全てがあるのかもしれない。

 争いも憎しみも存在しない。そもそも個人という意味すら失われている。個にして群、群にして個。そうした多くの意味が寄り集まった場所なのだ。

 生と死の境界。人の世と死後の世界の間をたゆたう虚ろなる根の国。黄泉平坂とも呼ばれる狭間の世界かもしれない。

 威圧も孤独も無い。体温と同じ生暖かさを持つ空虚。温もりを不快と思うのであれば、そこは確かに居心地の悪いところだった。恐ろしく一方的で、しかし、決まった流れの無い、閉鎖された無限の空間。幾億の星を散りばめた宇宙の常闇。無限、という言葉を体現する唯一の存在。人の力では、このスケールは計り知れない。

 希望すらもこの深淵は、そんな可能性すら呑み下してしまう。どこまで行ってもなにもない底なしの闇をもって、飛び出すより先に人を萎縮させてしまう。無限というだけで、この空間にはなにもない。他に出会える知的生命体はいない。

 意識が白濁していた。それが嘗ては自我の欠片であったことすら、今のエミリアだったモノには分からなかった。

 自我が散り散りになって、まるで自分がバラバラに砕け散ったみたいだ。水に垂らされた一滴の墨汁のように、エミリアは拡散していく。他者はおろか己の存在すら定かではない真っ黒な世界に、身を溶け込ませて世界と一体となっているような感覚に耽溺していた。

 意識だけだからこそ存在し続けられる場所にいるエミリアは、次第に思考も磨滅して微かに残っていた自我も曖昧になり、夢見るように空間を漂う。

 星の海を惑星が永劫回帰するだけのようなこの深閑としたこの場所に、もはや外界との接点はなく、以前の出来事はともすれば遠い異世界のように感じられる。

 争いもなければ、飢え、痛み、乾き、嘆き、あらゆる負の源流もない。負がない代わりに、人々の営み、歓び、愛、あらゆる生の源流もない。あるのは永遠の安定。そして静謐。完全なる平安とは、このような世界を指しているのかもしれない、と。ただし、このような平安が幸福と呼べるかどうかは甚だ疑問であったが少なくとも不幸ではないのだろう。

 その思考も直ぐにあやふやになっていく。自分の身体の輪郭が、感覚が思い出せない。

 自分が生きているのか死んでいるのかさえも判然とせず、思考を試みている自分自身の存在すらあやふやだった。徐々に自分という概念すらも忘れていく。だが、同時に満たされてもいる。ありとあらゆるものの存在を感じ、完全な世界として認識することが出来た。

 不思議な感覚だった。脈絡ある思考が纏まらない。エミリアを取り巻く世界ではなく、彼女自身の精神の方が、混濁し、意味性を失っているらしい。世界と自己とを隔てる壁が存在せず、酷く曖昧だった。自我を強く保たねば世界の中に溶けてしまうだろう。

 次第にそれにも疲れた。この空間で自己を保ち続けることは、たった一人で世界に相対するに等しい。

 エミリアは自らが終わるまでの時を、心静かに待つしかない。動けないまま、ただ緩慢に時が過ぎていく。

 たゆたっていた。たゆたっていた。たゆたっていた。どこまでも広大な空間の只中で、包まれていた。酔夢にも似た安心感。しかし、そうしていられのは、この時までだった。

 

『――――エミリアさん――――!』

 

 その名前が、空間に漂うだけだったエミリアだったモノの中に、名前が泡のように浮かぶ。

 懐かしい気配だった。とても身近な誰かだったような気がする。その誰かと共に一緒に過ごしていた。それでも、気配が誰かは思い出せない。思考すら続かず、何故か寂しさのようなものが染みてきた。

 

『起っきなさい、この馬鹿!!』

 

 再び空間に響く声。今度は別の声だった。

 すると声が合図だったように、突然なにかがつながるのが分かる。

 肉体があるわけではなく、意識上―――――肉体という名の器に注がれるべき精神という名の入れ物が突然生まれたとでもいうか、あるはずのものに感覚が繋がったのか。

 あやふやだった自分が一つに纏まっていき、霧が晴れるように、すぅと意識がクリアになっていく。

 次々と接続されて、まず蘇るのは、寒気だった。痺れるような悪寒の中、身悶えする。

 緩慢な思考が、最初の言葉を紡いだ。

 

(エミリア・オッケンワイン………自分の名前)

 

 真っ先に思い出した自分の名前。だけど、他には何も思い出せない。

 そんなことよりも寒い。つながった精神の熱が奪われてゆく。自分という存在が虚無に飲み込まれてゆくのが分かる。無駄だ、なにをやっても。

 誰かの温もりも、誰かの願いも、誰かとの約束も、多くの想いが今のエミリアには届かない。思い出せない。ひどく寒い。引き寄せる自分の指先すら見えない。

 どれほどの月日が流れたのか。それもこれも、今となっては、幾星霜を隔てた追憶の夢。

 なにやら煩瑣な成り行きがあった気がする。大切だったなにか、守りたかったはずのなにか、虚無は精神があろうとも心を犯していく。予め決まった結末があるのに、なにをしたところで―――――

 

『やれやれ、仕方ないわねこの愛娘は。相変わらず寝坊助さんなんだから』

 

 自分しかいない虚空に声が流れる。自分の内側に宿る思惟。自分という存在を形作るものから発せられた声。

 声が光になる。そう、光あれ、と原初の創造主は言った。言葉が光を生む。思考が現象を認識する。知性の存在が、茫漠として在るだけの空間を世界と認識し得る。人の人たる優しさが、世界に意義を与える。

 仄暗い空間が光に溢れ、エミリアを守るように包む。

 

(……どう……して………)

 

 そうなることでエミリアの意識はようやく己を取り戻すことが出来た。自分の身に何が起きているのかも理解した。

 

(…ここ……は…)

 

 窺えるものは、ただ認識不能の暗闇のみ。自身の精神以外に他には何もない。指先から、少しずつ感覚が消えていく。自分がバラバラに千切れていく。暗く冷たい闇の底へと落ちていく。

 

『帰れ、エミリア。お前には待ってくれている者がいる』

 

 別の光が生まれた。内から生じた温かな波動が凍えた虚無を払ってゆく。知っている声、だけど知らない声。ずっと共に在り続けた人。

 エミリアは目の前に広がる光に向かって手を伸ばす。

 眩い光が人の形になり、伸ばした手を握り返す人肌の温もりを伝える手のひら。

 

「エミリアさん!!」

 

 伸ばした手を掴んだのは暗闇に突如として現れたナナリー・ミルケイン。ナナリーの手を掴んで支えているのはアーニャだ。

 

『幸せになりなさい。あの子と共にね』

 

 それが母の声であり、寂しそうに笑う父の声でもあり、急速に気配が遠ざかっていくのを感じた。

 彼女の中で、沢山の声がした。

 懐かしい声、悲しげな声、古い声、新しい声、敵の、味方の、死に行く者の、子供の、大人の声。その全てがエミリアに笑いかけ、多くの人々を伴って去っていく。

 刹那の中をエミリアは探した。そして見つけた。

 

「成るよ! 必ず幸せになるから!!」

 

 その声が届いたのか、寄り添うに二つの光は穏やかに瞬いた。

 収束していく光の中で自身の身体が構築されていくの感じながら、エミリアはナナリーの手を強く掴んだ。

 世界が収束していく。まるであるべきものがあるべき場所へと帰って行くように

 向こうの世界に戻らないといけないのに、今のままでは届かない。でも、それでも不安はなかった。エミリアは、ナナリーは、そしてアーニャの三人はお節介なヒーローがいることを知っている。

 

「待たせたな!!」

 

 そうして現れたアスカの姿は、まごうことなきヒーローそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 アスカがカネ神と共にナマカ山に落ちた直後、再び噴火のように湧き出した水が島に振り降りる。

 今度はしとしとと優しく振り降りる黄金に輝く雨。地面に落ちても積もることもなく消えて行った。

 黄金の雨に濡れた明日菜達が、村の住人達が驚きの声を上げた。

 四肢を砕かれていた高畑は治った傷に驚きながらも立ち上がる。他の者も驚きに大差はあれど、雨が触れる先から傷が癒えていく。

 

「傷が治って行く……」

「癒しじゃ。カネ神が怒りを沈め為された恵みの雨じゃ」

 

 傷を負っていない明日菜が黄金の雪のように揺らめいて落ちたそれを手の平に受けるが水は残らない。まるで幻想のように消え失せていた。

 黄金の雨は何時までも止まない。

 これが無害な物だと気づいた村の者達が手に欠片を取って、驚愕の声を上げた。死んで動かない者達が次々とその身を起こしたからだ。

 

「死者すらも蘇らせるカネの水じゃ」

 

 はっ、とした様子の真名が癒えた傷を有難ることもなく突如として走り出した。その後を追って走り出す。

 

「だが、幾らカネの水であろうとも生きようとする気力のない者を蘇らせることは叶わん」

 

 死を受け入れたナーデレフ・アシュラフが蘇ることがないと真名が知るのは、そう時間はかからなかった。

 真名は二度の絶望を味わうことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ナマカ山から転移魔法でオアフ島に戻って来たフェイトは、ゲイルが用意していた隠れアジトの一つに足を踏み入れようとした。

 何のことはない。撤退するために彼自身の荷物を回収に来たのだ。

 誰もいないと思ったアジトに人の気配を感じたフェイトは一瞬足を止め、その気配に覚えがあることに気が付いて止めていた足を進めた。

 灯りを点けていないのでアジトの中は暗い。初級魔法で灯りを点けた。

 

「何をやってるの、月詠?」

「あれまぁ、フェイトはんや。生きてたんですなぁ」

 

 アジトのど真ん中にでんと置かれている机に腰かけている月詠は、にへらと笑ってフェイトの方へと振り向いた。

 その上半身は裸でなだらかな裸身を晒しつつ、そこから視線を視線を外したフェイトは辺りに散乱している治療薬を見た。

 

「負けたの?」

「そうなんですぅ。先輩にやられちゃいました。あ、治療薬は全部遣わしてもろうたんでないですよ」

「僕には必要ないから構わない」

 

 自分よりは弱いがそこそこに強い月詠のことを戦いの面では信頼していたので少し驚いたフェイトは、頬の傷を指差されたことに不快を露わにした。

 あまり触れられたくない話題なので、早々に話を変えることにした。

 

「負けた割にはご機嫌だね」

「先輩はうちの裡を傷つけてくれましたから」

「良く解らないが」

「うちだけが分かってたらええんです。と、そういえばゲイルはんはどうなったんですかぁ?」

「さあ? 勝ったんなら生きてるだろうし、負けたのなら死んでるだろう。僕はもう興味がない」

 

 そうは言ったがフェイトはゲイルの敗北を確信していた。

 アスカが自分以外に負けることを許さないという気持ちが大半を占めていると彼は気付かない。だからこそ、殺すと宣言したゲイルを放っているのだ。

 

「うちとしては先輩に死なれたら困るわぁ」

「気になるなら戻れば?」

「もう転移魔法符がないんですわ。独力ではよう行って戻って来ないんです」

 

 フェイトが気にすることではないの荷物を纏めることにした。

 元よりフェイトの荷物は大したことが無いので纏めるのに時間はかからない。

 月詠との縁もここまでと考えたところで、少しその戦闘能力が勿体ないことに気が付いた。月詠は完成していない。これからもっともっと強くなるだろう。その戦闘能力は放っておくには惜しい。

 

「君も来るかい? 当てがないなら、だけど」

「勧誘ですか?」

「そう思ってもらって構わない。君の望む修羅と闘争を提供しよう」

 

 唐突だったかと思いもしたが、うーんと顎に手を当てて考えている月詠を見るともなしに眺める。

 

「条件があります」

 

 直ぐに呑むと判断したが、月詠が何が楽しいのかニコニコと笑いながら提案した。

 聞こう、と頷きを返すと月詠は口を三日月のように歪めた。その脇には黒い刀身の長刀が置かれていた。

 

「うちの生まれた場所、時坂を滅ぼすのを手伝って下さい。協力だけで構いません。手を下すのは自分でやりますから」

 

 その提案にフェイトは少し悩み、Yesと返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テロ予告があったとして3-Aはホテルに缶詰めになっていた。その中で新田はただ一人でホテル前に立つ。

 アスカは何も言わなかった。が、争いごとを気配を確かに感じたのである。守ると誓ったのだ。生徒を、アスカ達がいないこの場所を守る為に新田は立つ。朝からもう何時間もピクリとも動かずに曇り空の中で仁王立ちを続ける。

 

「新田先生」

「ネカネ先生か。どうしたかね」

 

 背後から声をかけてきたのは生徒達のことを任せているネカネだった。

 振り返りはしない。ただ一身に帰って来る者達を待つ。そう決めた。

 

「どうした、ではありません。朝からずっと飲まず食わずで、休まないと倒れちゃいますよ」

 

 茶目っ気を覗かせたネカネは見た目以上に美しかった。石像とは違った生きている躍動感が彼女を引き立たせる。

 

「これでも柔道の段位を持っている。この程度でどうにかなるほど柔ではないさ。生徒達はどうかね?」

「不満たらたらですが、それなりに楽しくやっているようです」

「ならばよかった。どこでも楽しさを見つけられるのは子供の特権だが、3-Aは色々と規格外だったから心配していたところだ」

 

 数時間前に千草も同じように報告してくれたことを思い出し、心配をかけているのは自分だと気づいて苦笑を浮かべた。

 

「すまない。迷惑をかけているのは私の方だったか」

「いえ、そんなことありません。寧ろ弟達が面倒をかけて申し訳なく思っています」

「面倒だなどと思ったことはないよ。楽しい子らだからね」

「良くも悪くも、ですよね」

「そうともいうかな」

 

 と、二人で苦笑を交わす。

 

「もう戻りたまえ。3-Aの相手は天ヶ崎先生一人だけでは大変だ」

「私も待ちます。弟と妹のことですから。実は落ち着きがないからって追い出されちゃって」

 

 そう言われてしまったら新田に返す言葉が難しい。公人としてではなく私人としている者を追い払うには理屈が難しい。

 どうやって返すかと考えていると、一陣の風が吹いた。

 優しく、そして穏やかな風は新田の視界を一瞬だけ塞がせ、再び開いた時、流れた視界の先、通りの向こうから複数の人影が現れた。

 ネギがいた。アーニャがいた。小太郎がいた。明日菜がいた。刹那がいた。真名がいた。楓がいた。茶々丸がいた。エヴァンジェリンがいた。高畑がいた。見知らぬ少女が二人いた。そして、アスカがいた。

 無事である。全員生きて、楓の背に乗っているアスカを除いて全員が自分の足で歩いていた。

 

「アスカ! ネギ! アーニャ! みんな!!」

 

 隣から涙を浮かべたネカネが飛び出した。

 曇った空の一部が晴れ、空いた場所から太陽の光が降り注ぐ。太陽の光に照らされた面々の中で、新田に気づいたアスカがゆっくりと手を上げた。

 

「よくぞ、よくぞ無事に帰って来た……!」

 

 満面の笑みを浮かべてピースサインをするアスカの姿は、涙に濡れた新田の視界の薄らとしか見えなかった。

 戦いを終えて帰って来た戦士達を迎えるべく、新田もまた足を踏み出したのだった。

 

 

 

 

 


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