魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第27話 転換

 修学旅行から数日が経ち、そろそろ春の残滓も薄れてきた今日この頃。

 四月も終わりに近づいて五月病だとかいうものが発祥する月が間近に迫っていた。

 

「…………はぁ~~」

 

 朝のジョギングをしながら佐々木まき絵は、心の底から憂鬱そうな溜息を朝の大気へと吐き出した。

 何時もの明るさは鳴りを潜め、仄かに漏れ出る暗鬱なオーラが彼女の表情を曇らせて見せる。

 ちょっと(かなり)成績は悪いけど運動神経抜群の元気一杯スポーツ少女が普段の元気印らしくないほど憂鬱そうな溜息を漏らすかというと、五月病とは全く関係ない。先日、偶然にも新体操部の顧問が同僚の源しずなと話していた内容にショックを受けたまま早朝まで引き摺っているのだ。

 

「子供っぽいかかぁ。私に何が足りないんだろ」

 

 好きなものはネギ。でもそれ以上に大好きなものは新体操と公言する彼女である。五歳の頃からやっているから結構自信を持っていて、勉強や他のことはともかく新体操なら誰にも負けないと思っていた。

 思い出すのは昨日の出来事。顧問の二ノ宮がいる中等部にある生徒数に比例するような大きな体育館の中にある体育教官室を訪れた時だった。

 

「しずなが体育教官室(こっち)に来るなんて珍しいわね?」

 

 新体操部の顧問である二ノ宮は珍しく来たしずなと共にコーヒーを飲んでいた。彼女は二ノ宮と同じく中等部を担当することもあって数年来の友人であるが体育系の顧問でなければ体育教官室に来ることは滅多にない。

 その後話題は噂の子供先生達などの話題を経て、話しこみながらも二ノ宮が見ていた去年の新体操部の大会のビデオに話の種が向けられた。

 

「あら? まき絵ちゃんね。去年の大会のビデオ?」

 

 しずなも以前は現3-Aが二年の頃の副担任であったのでビデオに写った少女―――――佐々木まき絵が映っていたので気になり問いかけた。

 

「日曜日に部内で夏の大会の選抜テストやるの。その参考にね」

 

 丁度、ビデオではリボンの演技をしているまき絵の姿が映っていた。しずなの言う通り、去年の大会のビデオで夏の大会の選抜テストがあるため、顧問として出場テストを選ぶ身として準備をしていたのだ。

 

「まき絵ちゃん部活頑張ってるものね。どうなの? 彼女は」

 

 あまり新体操のことは詳しくないなりにビデオ越しでも彼女の演技に感心するしずな。だが、二ノ宮はその言葉を聞いて少し難しそうな顔をして口を開く。

 

「まき絵か……正直、まき絵は大会ダメかもな~」

 

 そこにまさしく最悪というタイミングで開いていた体育教官室の扉を通って声をかけようとしたまき絵。前の時間に居眠りをして全国大会優勝の夢を見て有頂天になっていたまき絵は二ノ宮の率直な考察を聞いてしまって「ステーン」とズッコけた。

 彼女の話によればまき絵は、技術は正確、運動神経は抜群、練習も熱心と非の打ち所のないのだが、長所である明るさと単純なところが逆に仇になって短所になっていると言うのだ。良く言うと天真爛漫。悪く言うと中学三年生でありながら子供っぽいというか、彼女から見ると小学生の演技に見えてしまうのだ。その所為で素質はあるのに今イチ壁を突き抜けられていない。

 しずなとしては厳しい意見に感じるがまき絵の普段からすると彼女の言っていることも多少なりとも理解できる。バカレンジャーの一角に数えられるほどに勉強が出来ず、そのことに焦りもせずに暢気にすごしているのを見れば納得も出来てしまう。

 

「あの……まき絵……」

 

 顧問の言葉の一つ一つがまき絵の頭に重くのし上がってゆき、途中で競争して傍にいた亜子の声すらも耳に入らず、

 

「うわあああ~~~~~ん!」

「まき絵――――っ!?」

 

 ポロポロと涙を流しながらその場を逃げるように走り去るまき絵、自身の最も得意とするものを否定された現実が受け入れられなくて、その晩は一晩中泣いて過ごした。

 朝になっても落ち込みは変わらず、気分を変えるために自主トレでランニングをしていたのだが効果は薄そうだった。

 自分の性格が子供っぽいのは何となく分かっていた。そして一朝一夕で変えられないだろうとも感じている自分がいる。今すぐ得る必要があっても、方法が分からない以上はどうにもならない。技術が足りないのなら練習を増やして覚えて行けばいいが、子供っぽいことを変えるために何が足りないのかが分からなかった。

 

「胸が大きくなれば大人っぽくなれるかな」

 

 クラス内でも胸が大きい子は落ち着いている子が多い。まき絵基準で一部の例外はあるが「胸が大きい=大人っぽい」が符合する。

 自分の胸がクラス内で大きくないことも相まって胸があれば大人っぽくなれるのではないかと真剣に悩む。

 

「ん? あ、アスカ君だ」

 

 胸を大きくすることこそが大人への近道かと考えながら走っていると、一応の目的地である世界樹広場前まで来たので足を止めて息を整えていたらどこからか判別できない音が聞こえた。

 見に行くと手摺の小さな幅の上で何かの型を行うように拳を突き出したりして動くアスカの姿を見つけた。

 ようやく陽も昇り始めた早朝の時間帯、ただ一人黙々と型の練習を行うアスカの姿があった。朝日が広場を照らす中で真摯な表情で練武を続ける姿は、飛び散る汗が光を弾き、虹にも似た光彩を辺りに散らして少し幻想的な気配を辺りに振り撒いていた。

 

「――――ふっ」

 

 一通りの型をやり終えたのか、アスカは動きを止めて吹き出る汗もそのままに息を整えている。

 整え終えた息を深く吸い、吐いたアスカは腰を軽く落として拳を構え、そちらに憎い敵でもいるかの如く眼光鋭く見つめる。彼方を見つめて構えたアスカに自分が相対したわけではないのに、余波だけで威圧されてまき絵の身体が震える。

 虚空の敵を見据えて、ゆっくりと構えた拳を突き出した。

 最初はゆっくりと徐々にスピードを上げて、今度は型も何もない演武が始まった。

 やがてはまき絵の見ている先で手足が霞んでいく。

 

「ぜあっ!」

 

 ラストとばかりに叫び一発。拳を振り抜くと空気を切り裂いた音が遅れて耳に届く。

 破裂した空気が元に戻る。

 真冬でもないのにアスカの汗が気化して全身から蒸気が浮かび上がっていた。

 昇って行く太陽の光に照らされたアスカの姿は、まき絵の目には犯しべからざる神聖なもののように思えた。

 

「なんか用か、まき絵」

 

 顎からポタポタと滴り落ちる汗を手で拭ったアスカが手摺から飛び降りて振り返り、震えていたまき絵を訝しげに見ていた。

 

「朝のジョギングか? 以外だな、そういうところは物臭に見えたのに」

 

 滴り落ちる汗の量は長い時間、身を入れて体を動かした証拠でもある。はたしてまき絵は新体操にここまでの情熱を傾けたことがあったかと自問する。

 

「どうして、そんなに頑張れるの?」

「ん?」

 

 まき絵は静かに舞った演舞の踊りを待って放散される熱に浮かされるように問いかけた。

 

「しんどいはずなのに、もしかしたら誰も認めてくれないかもしれないのに、なんで頑張れるの?」

「なんでって……」

 

 そんなことを考えもしなかったように瞼を瞬くアスカに、まき絵の心に闇が忍び寄る。

 

「ウルティマホラみたいな格闘大会に出て優勝するとか、あるでしょ」

「別に、そういうのじゃねぇな。興味ない」

 

 別段、大会に出る気とかはないと言い切ったアスカはまき絵の言葉を否定し、手を振って付いた汗を振り払った。

 上がって行く朝日に照らされながら落ちる汗がキラキラと輝いてまき絵の目を幻惑する。

 

「じゃあ、どうして」

「う~ん」

 

 再度の問いを重ねるまき絵に困惑したのか、アスカは困ったように左手で後頭部を掻きながら仕方なさ気に自分が強くなった理由を考えているように見えた。

 暫くああでもないこうでもないと考えていたアスカは、ふと何かを閃いたように息を呑むような静かな声で呟いてまき絵と視線を合わせた。

 

「強くなりたいってのはあるけど、他人と競い合いたいとか全然ない。つか、どうでもいい」

「なに、それ」

 

 答えになっていない返答に馬鹿にされたように感じたまき絵は面持ちを僅かに鋭くした。アスカもそれを察したように、「まだある」と苦笑しながら手で制した。

 この時、アスカが浮かべた表情は先程までと同じ苦笑なのに、一切の言葉を遮らせるだけの表情だった。苦笑を浮かべているのに、どこか違う世界で生きているように見えたことも留まった理由の一つかもしれない。

 

「理由は上手く説明できないんだけどさ。まあ、こういうのは自分が分かってればいいんだよ」

「自分が?」

「他人にああだこうだ言われたからって自分が自分であることは変えられねぇだろ。極論、自分が分かってれば他人の言うことは二の次で良いってことだ」

 

 顧問の言葉に沈んで努力を始めたが、はたしてその方向性は合っているのかと悩んでいるまき絵には理解できない理屈だった。

 

「よく分かんないよ」

「俺にまき絵の悩みが分かる訳なんてねぇだろってつうことさ。まき絵にだって俺の悩みは分かんねぇと一緒でな。他人は他人、自分は自分…………なんで俺はこんならしくない話をしてんだ?」

 

 カラカラと笑うアスカは悩みなんて一欠けらもないようだが、アスカにはアスカで何かを悩んでいるのだろうか、まき絵には分からなかった。

 笑いを収めて真面目な顔になったアスカは、自分がどうしてこんな哲学を語っているのかと首を捻り出した。

 

「他人は他人、自分は自分か……」

 

 まき絵の好きなネギもそうだが、アスカもまき絵が知る弟といった普通の男の子とは全く違う異質な存在だった。

 二人とも弱音は全然吐かないし、安直に他人を当てにもしない。どんなことにも尻込みせず率先して行動する。まき絵のイメージだけではなく、世間一般の常識からも乖離していた。

 今、自分が抱える問題を目の前の少年に聞いてみたくなった。

 

「ねぇ、私って子供っぽい?」

「ああ」

 

 一大決心をして問いかけてみれば、肯定を返されてまき絵の心臓に特大の針が突き刺さった。

 ショックでフラフラと体が揺れる。

 

「いいじゃねぇか、ガキっぽくて。俺達はまだガキだ。ガキがガキっぽくて何が悪い。一年経てば勝手に年食うんだから急いで大人にならなくたっていい」

 

 一種の開き直りとも言える暴論だったが、子供に見られることを忌避していたまき絵とは違った別の視点からの言葉だった。

 

「で、そんなことを聞いてくるってことは誰かに子供っぽいって言われたか」

「う……」

「図星か」

 

 当てずっぽうだったのか、喉の奥で唸ったまき絵を見たアスカは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 もうまき絵は観念して全部を話してしまうことにした。

 

「私、新体操部なんだけど、演技が『子供っぽい』って先生が」

 

 まき絵の声は話すどんどん小さくなっていく。それどころか涙すら浮かんできた。

 直接言われたわけではなく、教師同士の会話からたまたま聞こえてしまったためかまき絵のショックは大きかった。

 何時も元気なまき絵が表情を暗くして涙を目に湛えている。普段の彼女はまさしく天真爛漫。そんな彼女の落ち込みように、周りも心配せざるを得ないだろう。だが、アスカは慌てた様子も見せなかった。

 

「まき絵の演技、見せてくれよ」

「え―――っ、でも…………」

「でないと判断も出来ない。見て判断してやるよ、子供っぽいかどうか」

 

 完全に自信を失くしたまき絵は、人に自分の演技を見せる気にはならない。しかしアスカの言いようを前にすると即座に断れなかった。

 そしてアスカはそれ以上、何も言うことなく手摺に腰を下ろして観戦の体勢に入ってしまった。

 

「う……じゃ、じゃあ…ちょっとだけね。コホン」

 

 アスカとは二ヶ月以上の付き合いである。こうなってしまっては他人の言うことを聞かないことを知っているまき絵は、最初は躊躇した様子だったが、やがてモジモジとしながらも常に持ち歩いているリボンをポケットから取り出し演技を始めようとする。

 リボンを手にまき絵がアスファルトの地面を蹴った。

 そこから始まったのは素人目にも伸び伸びと動くまき絵。流れるように体を動かし、その体の周りを風に乗り輪舞を刻むリボンが回る。途中からまき絵も演技にのめり込んで楽しそうに体を動かし、リボンが体の上や横でまるで生き物のように動く。

 やがて舞いが終わる。

 アスファルトの上に、静かに着地して最後にポーズを決めてまき絵の演技は終了した。恥じらいを見せるまき絵は、日の光よりも紅く染まった顔で、恐る恐る問う。

 

「えと……こ、こんなカンジなんだけど………」

「いいんじゃねぇの」

 

 少し恥ずかしいのかリボンをいじりながら少々自信なさげにまき絵が尋ねると、いっそ淡泊なほどの口調でアスカが拍手を送る。

 

「褒められてる気がしないんだけど」

「新体操なんて見たことも聞いたこともないんだ。素人から見ても優れてるってのは一目で分かったが、ただまあ……」

 

 少し間を置いたアスカは先程の演技を思い出す様に目を細めた。

 

「まき絵らしいってのは感じたな」

「私らしい?」

「素直で真っ直ぐて、何事にも一生懸命なまき絵の心が良く現れてた。俺は良かったと思うぞ、今の」

 

 べた褒めの言葉にまき絵の頬に朱が走った。

 

「でも先生は子供っぽいって」

 

 やはりまき絵はそこが引っ掛かってしまう。

 

「なんだったらアーニャに聞いてみればいい。あいつも先生なんだ。なんか気の利いたことの一つでも言うだろ、多分」

「アーニャちゃんに?」

「ああ、ネギは俺と似たようなことしか言わないだろうからな」

 

 いい加減に相手をするのが疲れたと、アスカの態度は前面に出ていた。

 騒動時以外は表情と同じく緩いアスカがここまで相談に乗ってくれただけでも十分と思うことにした。別視点からの意見は参考になったし、更に違う視点を持っているだろうアーニャと話をすればまた何か違うのだろうかとまき絵は考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、修学旅行も終わったし、今日からまた頑張ろう」

 

 快晴の空の下、四泊五日の修学旅行後の休みを挟んだ実に一週間ぶりの久しぶりの学校に向けて路面電車や走る生徒達に囲まれながらも、父親からもらった杖を背負ったネギは意気込みを包み隠さずその小さな体で現しながら走る。

 アスカは遥か後方でのんびりと歩いているので、並走するのはアーニャ一人だけだった。

 

「直ぐ中間テストよね。憂鬱だわ」

「初っ端からテンションを下げるようなこと言わないでよ」

「事実よ。何時までも修学旅行気分を引っ張らないでよね。また最下位にならないようにテスト対策をしないと」

 

 盛り上げたテンションがアーニャによって現実を見せられ、瞬く間に下がって行く。

 が、アーニャの言うこともまた事実。教師の二人は考えざるをえない現実なので、文句を言う資格は子供であってもない。

 

「目標は最低でも最下位にならないこと。修学旅行で色々とあって遅れてる授業計画の見積もりも早くしないと」

「あ~う~」

「唸ったって何も出やしないわよ」

 

 こういう時はやはり男よりも女よりも現実的なのか、アーニャの方が先を見ていてネギは初っ端の意欲を挫かれてから回復できていない。当人の性格の違いもあるかもしれないが。

 

「そういえばカモは? 帰ってから姿を見ないけど」

 

 この話題ではネギのテンションが上がらないと察したアーニャは話題の転換と合わせ、修学旅行から戻ってから全然姿を見ないオコジョ妖精のことを聞いた。

 

「調べ物があるって僕も知らないんだ。麻帆良にいるとは思うんだけど」

「昔みたいに悪さしてないといいけどね」

「流石にそれはないって」

「罪は消えないのよ」

 

 女の恨みは怖い、とカモが出会った当初に起こした下着ドロのことを未だに根に持っているアーニャに、内心で震撼するネギであった。

 この話題は禁句だと判断し、話題を変えようとするも直ぐには思い浮かばない。

 

「ケンカだケンカ!!」

「部長に五十枚!!」

 

 そんなネギの悩みを振り払うように、聞こえてきた声が一瞬で霧散した。

 

「あれ? あれは……」

 

 騒がしいと思い、気になって声のした方に視線をやるとなにやら人だかりが目に付いた。

 ネギがいる場所はグラウンドと校舎を分けるように建てられている路面電車の通路のために作られた石段の上。登校する学生と事故が起きないように比較的高めに作られているので必然、人だかりの場所を見下ろす形となる。そんな高めに作られている石段のおかげで、どんな騒ぎが起きているのか、ネギのいる場所からはよく見えた。

 そこには推定五十人超の大勢に囲まれた一人の少女がいた。

 随分とガラが悪く不良っぽく制服を着崩したのや、逆に空手着を着た者、剣道の胴着を着た者などの武道家らしき者が多数といった千差万別の人間が揃っていた。共通しているのは格闘技を得意としてそうなことと、皆それぞれ殺気立っていることだが、当の少女は怯えるでもなくいたって涼しい顔だ。

 ネギは彼女を知っていた。

 その少女とは――――――

 

「くーふぇさん!?」

 

 出席番号12番古菲。成績は芳しくなく、バカレンジャーの一人でバカイエロー。日本語を覚えるので精一杯なためと言っているが、目下のところ格闘技にしか興味がない様子。反面、スポーツ全般に強い。

 騒ぎの中心である威圧されそうな人数に囲まれても余裕の笑みを浮かべている古菲の状況に当然ネギは慌てる。生徒を想うネギにとっては、例え本人が余裕の笑みを浮かべていても心配せずにはいられない。

 

「た、た、大変!? く、くーふぇさんが何か悪そうな人達に囲まれて~!?」

「アレは何時もの事にござるよ」

「あら、楓じゃない」

「にんにん、おはようでござる」

「おはよう」

 

 あわわと慌てるネギに、ひょっこりとどこからかなんの脈絡もなく沸いて来た長瀬楓が説明する。着ている制服と持っている鞄から登校途中らしく騒ぎを見つけたか聞きつけたのか。

 ネギと違ってアーニャに動揺はない。修学旅行で古菲と楓の実力を知っているのでどうということはないと分かっているのだ。

 

「「「「「今日こそ勝たせてもらうぞ、中武研部長、古菲!!」」」」」

 

 古菲が構える前に、囲んでいた連中が一斉に飛び掛って合図すらせず乱闘が始まった。 が、そんな会話が終わる頃には古菲は挑戦者たちを一蹴していた。四方から繰り出される攻撃を受け流しつつ、一人一人確実に「ドカバキズガッガッガッポカスカバキッ」という擬音と共に沈めていく。

 

「古は学園の格闘大会で優勝しているから、ああして挑戦者が後を断たないのでござるよ」

「この場合は古菲が強すぎるのかしら、それとも相手が弱すぎるのかしら」

「前者だと思うでござるよ。流石に古菲を普通に分類するのは相手が可哀想でござる」

「楓も?」

「それはどういう意味でござるか」

「さあね。私は分かりきったことは聞かない主義なの」

 

 古菲は麻帆良学園都市で毎年秋に催される大格闘大会「ウルティマホラ」の2002年度チャンピオンであり、麻帆良中の格闘技系の部活動者達から憧れられ慕われる存在である。そのためか毎朝、男子学生の挑戦者が後を絶たない。戦いに勝つことより強敵と全力で戦うことを望む性格。

 そう解説をし始めた楓と言葉を交わすアーニャと違って、ネギは圧倒的な数をものともせず一人、又一人と沈めて行く古菲の姿を呆然と見ていた。ネギは古菲の実力を見たことがなかったのだ。

 

「弱いアルネ。さぁ、もっと強い奴は居ないアルか?」

 

 瞬殺、死屍累々、という単語が似合いそうな圧倒的な力の差が其処に具現化された。順当に沈められた五十人近くいた挑戦者は暫く動けそうになく、このままでは遅刻確定だろう。

 

「ネギ坊主にアーニャ、ついでに楓もニーツァオ!」

「おはようございます、くーふぇさん」

「おはよう、朝から頑張るわね」

 

 周りが歓声や拍手をする中、騒ぎの元であった場所へと歩を進めたネギとアーニャ。

 楓はにこやかに挨拶を返し、後ろを振り返った。

 

「ま、まだじゃぁ!菲部長!!」

 

 どうやらKOしきれてなかったらしい「麻帆高空手愛好会」と書かれたシャツを着た学ラン、ツンツンヘアーの男が立ち上がって殴りかかってきた。

 男が古菲に殴りかかったそのライン上にはネギがいた。意識が半分飛んでいる所為か、それともネギが小さすぎて気付かなかったのか。

 

「うひゃあ!?」

 

 遅まきながらネギも気づくも既に男は腕を振りかぶっており、魔法を使っても避けることは難しい。障壁を張れば防げるが一般人が多くいる場所でそんな不自然な現象を起こすわけにもいかない。

 大人しく攻撃を受けるしかないネギが悲鳴を上げる。

 

「なにやってんだ」

 

 聞き覚えのあり過ぎる声が聞こえてネギが閉じていた瞼を開くと、何時の間にやってきたのか平常時の常である寝ぼけ眼をしたアスカがツンツンヘアーの男の拳を手の平で受け止めていた。

 

「おい、人に殴り掛かる時はしっかりと相手を見ろよ」

 

 受け止めた拳を放り出すと、力を入れた様子はなかったのにツンツンヘア―の男の体が一瞬浮いた。

 それだけで彼我の力の強さを明確に感じ取ったツンツンヘア―の男は情けない悲鳴を上げて逃げて行った。

 

「ったく」

「ありがとう、アスカ」

「ネギもちゃんと周りを見ないといらない怪我するぞ」

「気をつけるよ」 

 

 一瞬だけ鋭くなった目をまた寝ぼけ眼に戻したアスカが礼を言うネギに言いつつ、大きな欠伸をした。相変わらず日常では締まらない男である。

 

「隙有りアル!」

「おとといこい」

 

 一息の間に右の横合いから飛び出して来た古菲が衝いてきた右の拳を、アスカは欠伸をしつつ左手で内側から弾く。

 気を抜いているようでもアスカの感覚から逃れることはできない。

 古菲の攻撃を弾いた左手とほぼ同時に密着するほどの距離に踏み込む。両者が接触するほどの距離から右手を伸ばして手の平をお腹に当てる。

 寸止めで攻撃を終わらせられた古菲は両手を上げて降参を示した。

 

「うぬぅ…………アスカはまた強くなったアルな」

「当然。俺は一日一時間一分一秒で強くなる男だぞ」

「何時まで女の子のお腹に触ってんのよこの変態!」

「痛っ」

 

 ふふん、と鼻高々のアスカに長い鼻はアーニャによって折られるのであった。

 

「ふふ、面白いやりとりでござるな」

「そんな和やかなものじゃないですよ」

 

 やり取りを黙って見ていた楓は楽しそうに呟き、ネギは疲れたように溜息を吐いたのだった。

 

――――――――キーンコーンカーンコーン

 

 響き渡る始業の時間を告げるチャイムの音。

 

「あ」

 

 もっとも早く現状に気づいたのは、やはりというかネギだった。

 腕に嵌めている腕時計を見下ろして時刻は既に始業時間を示していて固まった。

 五人の周りに人はいない。誰もが学生なのだから始業時間が迫っている中でオチオチとコントを見ている暇はない。やり取りに気にはなったが放っておいて各自学校に向かったのだ。

 

「急ぐか」

「走れば十分に間に合うアル」

「にんにん」

 

 慌てるネギとアーニャと違って体育会系三人は言いつつ素早くダッシュをする。瞬く間に見えなくなるその背中に置いて行かれたネギとアーニャは。

 

「「遅刻だ~~~っ!?」」

 

 と、叫びながら慌てて学校へ向かったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園女子中等部三年A組、今日の最後の授業は担任教師であるネギによる英語の時間であった。

 修学旅行後で気合の入っているネギはしっかりと授業を行い、問題なく進んでいる。

 

「では―――――次の所を……四葉さん」

 

 当てられた四葉五月が英文を読み終えたところで、丸伸びしたチャイムが鳴り響いた。

 

「それじゃあ今日はここまで。宿題は次の授業までにやっておいて下さいね」

 

 間延びしたチャイムが鳴り授業が終って、ネギが授業の終了を宣言してアーニャと共に教室を出て行く。

 途端に静かだった教室は世界が変わったかのように騒がしさを取り戻す。

 早々と部活に向かうか帰るかで帰り支度をする者、帰る前にトイレに行くのか何も持たずに教室を出て行く者、隣近所の友人と話をしている者、十人十色の中で教科書類を鞄の中に入れた龍宮真名は、何故かジャグリングをしている最後尾のザジ・レイニーデイの後ろを通って足早に教室を出ようとした。

 

「真名」

 

 その真名を呼び止めたのは長瀬楓であった。

 まるでこの先には行かせないとばかりに前を遮り、何時ものように穏やかな表情の中に微かな緊張を滲ませていた。

 

「修学旅行でテロ騒ぎがあったでござろう。その穴埋めにこれから皆でボーリングに行かないかという話が出てるでござる。真名もどうでござるか」

 

 修学旅行の三日目はテロ騒ぎで殆どの生徒がホテルから出ることが出来なかった。その鬱憤を晴らすために計画されたのだと楓は語る。

 しかし、真名の表情は小動もしなかった。

 一度は止めた足を再び進めた。

 

「私はいいからお前達だけで行けばいい」

「そう言わずに」

 

 横を通り抜けようとした真名の腕を楓が掴んだ。

 体格は殆ど変らないながらも、単純な身体能力では楓の方が真名よりも上。力尽くで掴まれては真名も止まらざるをえない。

 

「興味ないと言ってるんだ。手を離せ」

「皆が行くのでござるから、遠慮することはないでござるよ」

 

 にこやかに笑む楓と違って前だけを見据える真名の表情に感情は感じられない。

 行く気はないが、楓の手は無理やりにでもない限り離しそうにない。

 

「離せ」

「っ!?」

「…………その気持ちだけは有難く思う。すまない」 

 

 一瞬だけ本気の殺気を向けられた楓は思わず手を離し、それで真名は自分が何をしたのかを悟って、微かに顔を傾けて気持ちに対してだけ謝った。

 真名は強くならなければならないと自分を戒めていた。言ったように気持ちは有難いとは思っても、クラスメイトとの交流などは煩わしいものでしかない。

 

「真名……」

 

 背後で楓がどのような表情を浮かべているのか、どのような感情を抱いているのか。何時もの真名ならば察せれたそんな簡単な事すらも、今の真名には確認出来る余裕はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 放課後の麻帆良学園都市内にあるボーリング場「TORI BOWL」に何故かアーニャの姿はあった。正確にはアーニャ他数名と3-Aの殆どである。ボーリング場だというのに仕事上がりでスーツから着替えてもいない。本人としてははっきりといって場違いに感じていた。

 

「せめて着替える時間ぐらいは欲しかったわね」

 

 熱気に盛り上がっているボーリング場では、スーツではイマイチに熱気に乗りきれない。どうやらアーニャの中ではスーツを着ているか着ていないかで社会人としてのスイッチが切り替わるようだ。それでも学校という限定空間の中でなら教師という建て前を持って意図的に忘れることも出来るのだが、ボーリング場という共用空間にいるとそうもいかない。

 来ていないのは、こういう遊びに興味の無さそうなエヴァンジェリンの主従と真名、後は他に用事のあった生徒ぐらいだろうか。フロアの半分を貸切っているといっても過言ではない。

 見渡せば数レーンは麻帆良学園女子中等学校の制服を着た騒がしい少女達が大量にいて占拠している。

 そしてその少女達の中に男は子供三人。女に縁のない世の男共ならば嫉妬のあまり藁人形に五寸釘を打ちつけるところであろう。

 

「どうだ、ストライクだ!」

「俺もやで!」

 

 張り合ってボーリングを楽しんでいるアスカと小太郎はどうでもいい。本当に心底どうでもいいとアーニャは溜息を吐いた。

 

「むむ、難しい」 

「難しいですぅ」

 

 運動が苦手なメンバーで固められたグループの中で、投げ方から力の入れ方まで考え込み過ぎて変なことになっているネギと、ネギと同じようにボーリングは得意ではなさそうな宮崎のどかの二人が微妙に甘酸っぱい空気を作ってるのもどうでもいいと思い込む。でないとやっていられない。

 

「良いわよね、みんな単純で」

 

 現実逃避気味に呟いているアーニャのいる場所からは、ボーリングをしている生徒達の後ろなので先ほどから短いスカートから見えてはいけないものが見えてしまいそうでハラハラしていた。

 ここが千草の家ならば、最近彼女の家で飲むようになって好きになった緑茶が欲しくなるだろうという時に、再び軽快な音が鳴り響き古菲が投げたボールが見事に10本ピンを全て倒す。つまりストライク。

 

「うおおっ。すげっ、7連続ストライク!!」

 

 裕奈と亜子が適当なフォームで脅威の連続ストライクを取った古菲に驚く。

 

「負けんで!」

「一番は俺だ!」

 

 古菲の連続ストライクに触発されて、小太郎とアスカが同じようにボールを転がしてストライクを取る。

 二、三度やるだけで簡単にストライクが取れるようになった二人が妬ましいと感じる年頃のアーニャだった。パッと見では見様見真似で適当に投げているのにストライクを取れるのだから体育会系は中々に理不尽である。

 

「うち、全然ダメやわ~~。21点やし」

 

 完全に観戦モードのアーニャの隣に、投げ終わった木乃香が苦笑して座りながら自分の成績のボードを見て悲鳴を上げた。その下の方にアーニャの得点が表示されていた。木乃香よりも下である。

 

「アーニャちゃんはウチと同じでダメダメやな~」

「アスカ達みたいにちょっと見てやっただけで簡単に連続でストライクを取れる方がおかしいのよ。私はおかしくない」

 

 自己防衛の呪文みたいに、もう一度「私はおかしくない」と繰り返しても虚しいだけである。

 「あはは」と笑っていた木乃香は寂しそうに辺りを見たのを、暗黒モードに突入しかけていても見逃さなかったアーニャはその原因を知っていた。

 木乃香の周りには大体明日菜か刹那のどっちかがいる。

 頭はともかく運動神経は抜群に良い明日菜はアスカらとトップグループで楽しんでいるのでともかくとして、刹那の姿はボーリング場のどこにもなかった。

 

「刹那は、来なかったの?」

「……うん。剣の修行するからって」

 

 昨日は会わなかったが今日の刹那は明らかに精彩を欠いていた。この間の『エンジェルさん』のことで何か思うことがあるのだろうかとアーニャは考えたが、推測に過ぎないので口には出さなかった。

 

「修学旅行の終わりの頃から、なんか避けられてるような気がすんねん。うち、なんかしたかな」 

 

 事情を聞けば、何時もなら話をする時は相手の目をハッキリと見て話すのに、今日はどこか視点が曖昧で瞳の周辺を彷徨っている感じで、雰囲気も寄せ付けないとまでは言わないが距離を置いているように思えると。

 本当に僅かな距離。それがどうしても気になった。避けているわけでもなく、気持ち的にどこか一線を引かれているようで気になっていた木乃香の目に涙が浮かぶ。

 寂しそうに、そして悲しそうに表情を歪める木乃香から視線を外して周りの様子を観察した。

 どうやらみんなボーリングに熱中してこちらに注意を払ってはいないようだ。話をするにしても首を突っ込んできやすい彼女らがいては出来るものも出来ないので好都合だった。

 

「私の主観だけど、木乃香は何もしてないわ。刹那は自分のことで何か思うところがあるんだと思う」

「自分のことで?」

「剣の修行をするってちゃんと言ったんでしょ。前と違ってちゃんと話をしてるんだから気に病むことはないわ」

 

 刹那は何かを隠している、と早い段階でアーニャは気付いていた。そしてその秘密が今回の件に関係しているのではないかと漠然とした予感があった。

 

「私も出来るだけ力を貸すからそんな顔しないの。美人が台無しよ」

「アーニャちゃん……」

「アスカとネギも、明日菜だって私達の味方よ。ネカネ姉さんも千草先生も小太郎もこっちについてくれるわ。刹那に逃げ場なんてないわよ」

 

 ウィンクをすると木乃香はようやく笑ってくれた。

 

「似合ってへんで、ウィンク」

「うるさいわね、分かってるわよ」

 

 話して気分転換にはなったのだろう。木乃香は顔を洗ってくると言ってこの場を離れていった。

 思ったよりも重くなった話に溜息を吐き終わり、顔を上げると何時の間に来たのか近くにまき絵が立っていて物問いた気に見ていた。

 

「なに、まき絵?」

 

 自分に用があるのだろうことは目を見れば分かったので、面倒事は早くに済ませるに限ると問うた。

 

「アーニャちゃんは大人だよね」

「いきなりなに」

「木乃香の相談に乗って励まして…………私には出来ないと思って」

 

 勝手に言って勝手に落ち込み始めたまき絵にアーニャは頭痛を覚え始めた。何が楽しくて遊びに来てストレスを感じなければいけないのかと理不尽を感じていた。

 

「私が言ったことなんて誰にでも出来ることよ。まき絵にだって出来るわ」

「出来ないよ、私には」

「もっと周りを良く見て考えて、そういうことが当たり前になってくれば自然と視野も広がるわ。私はそう教わって、大人に近づこうとしているだけよ」

 

 アーニャは完璧超人でも天才でもない。当たり前の話だがやったことのないものまで最初から完璧に熟せるはずもない。

 人間は大別して三つに分かれる。

 言われずに出来るのが『天才』。言われたら出来るのは『優秀』。言われても出来ない『凡人』。

 よく自分には才能無いとか向いてないとか言っている人間がいるが、それでも言われたら大抵のことは出来るようになるものである。実は十分『優秀』な奴が多かったりするものだ。逆に何も言われずに出来る真性の『天才』っていうのはそんなに居ないのだが。

 本当に才能が無くて向いてない者は言われても出来ない。何故だと聞かれても理屈ではないのだろう。そもそも理屈が分かっていれば苦労はしない。

 アーニャは『天才』ではない。かといってこの分類では『凡人』とも言えない。

 だから、能力や資質には先天的な差があっても平等なまでに不平等な現実に嘆く暇があるのなら出来るまで繰り返すしか無いと、割と早い段階で学んだ。秀でた才能を持たないにも関わらず強くなるしかなかった彼女に出来るのは反復だけ。

 繰り返していけば何時か実る事もある。成就が遅い事は多々あれど、完全に無理なんて状況は実はそんなに多く無い。並外れた才能に恵まれずとも『人』と『能力』には恵まれたのか、多くの師から学んできた。

 

「大人に近づく、か」

「大人は大人として生まれるのではなく子供から少しずつ大人になって行くって、お爺ちゃんの受け売りだけどね。実践してるつもりよ。まだまだだけど」

 

 アーニャの言葉に思うところがあったのか、まき絵は言葉の意味を刷り込むように繰り返した。

 悩みに答えが出たのか、それとも指針が出来たのか。

 まき絵はスッキリとした表情で「ありがとう」と言って離れて行った。

 結局、アーニャにはなんのことか分からなかったが、当人が納得したのならいいかと自分に言い聞かせ、頭を動かすよりは良いだろうとボーリングをしようかと腰を浮かせかけたところに「アーニャちゃん」と再びかけられる声。

 

「今度は何! って明日菜じゃない」

「何ってこっちの台詞よ。もしかしてご機嫌ななめ?」

「そういうわけじゃないんだけど、まあ色々とあるのよ」

 

 やってきたのは明日菜だった。

 また相談かと思うと神経が逆立ってしまったようで、一瞬の激発を無関係の明日菜に向けたことを恥じるように顔を逸らした。

 明日菜も気になったようだが、特に聞いてこなかったことは助かったのかとどうか。

 明日菜が隣に座って、他愛もない世間話をしていると満を持して明日菜が核心を切り出した。

 

「────修行?」

「就学旅行の時に痛感したの。従者としてやっていくなら強くならないといけないって」

 

 ハワイで戦ってみて一つ間違えれば取り返しがつかない事もあることを理解し、人よりも体力があるって言っても戦いの中じゃそんな事全然関係無いことを分かった上で戦い方を教えて欲しい、と相応の決心が込められた瞳を向けられると真摯に応えなければならない気持ちになる。

 

「止めておいた方がいいと思うけど」

 

 アーニャとしてはお勧めは出来ない。

 現時点でも主従の力の差は歴然で、アスカの才能は桁外れだ。追従できるとしたら別方面の才能があるネギぐらいだと魔法学校時代に気づいている。

 エヴァンジェリンに師事して今後ももっと強くなっていくだろう。明日菜にも才能がないとは思わないがアスカほどではないはず。この差は恐らく変わらない。寧ろもっと広がって行く一方となるだろう。

 

「また何も出来ないなんて嫌なの」

 

 そう言われれば、アーニャは弱い。

 スプリングフィールド兄弟の並外れた才能に何時か置いて行かれるかもれない恐怖に怯えていたアーニャであるからこそ、同じ想いを抱く明日菜を否定することは出来ない。

 自分から首を突っ込むかそうではないかは別にして、従者である明日菜が自分である程度の戦闘を潜り抜けられるようにすることは必要なのかもしれない。

 ふと、アーニャの脳裏にある考えが過った。

 

(エンジェルさんで木乃香の魔力が不安定になっていて早急に制御しないと危ないって千草は言ってたわよね。確かエヴァンジェリンの手を借りるとも)

 

 先日のエンジェルさんの時に霊に取り憑かれ、魔力を多量に放出した所為で木乃香の中の安全弁が緩んでいるとの診断が下された。今は魔術具で抑えられているが、木乃香の魔力容量は巨大だ。早急に制御能力を身に着ける為、超高位魔法使いであるエヴァンジェリンが指導する話が出ていたのを思い出す。

 木乃香がエヴァンジェリンの所に顔を出すとなれば絶対に千草は刹那を付ける。

 

(明日菜の教師役を刹那にすればいいのよ。明日菜のアーティファクトって大剣でしょ。神鳴流が扱う野太刀も大きいし、二人は仲も良いから適役じゃない)

 

 神鳴流は魔物や怨霊を退治する退魔師の一族に受け継がれる剣の流派。長大な野太刀を駆使した一刀流の技が多いが、小太刀を併用した二刀の使い手も登場する。また「神鳴流は武器を選ばず」とされ、剣術以外の体術でも攻撃力は落ちない。

 素人の明日菜に学ばせるには格好の流派であると、この考えが後の厄介な事に結びつくと知らずに考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは不機嫌だった。その不機嫌さを表情と態度に出さない程度には。

 

「…………よく来た。まあ、上がれ」

 

 やってきた客に家主であるエヴァンジェリンは尊大に言った。

 エヴァンジェリンの不機嫌な原因は「お邪魔します」と言った客の中にいる。

 スプリングフィールド兄弟とアーニャは問題ない。彼女自身が招いた客である。

 木乃香に関しても千草経由で詠春と学園長から話が通っているので問題はない。数日前に頼まれたことだが、修行において回復役が傍にいることはプラスの要素に働くので教えるのは面倒ではあるが受け入れないほどではない。

 木乃香の護衛として付いてきた刹那も予想の範疇である。ここ数日は離れ気味であるが今までを思えば、木乃香の行くところには刹那がいることは自明の理。木乃香が絡まなければ物静かなタイプなので、少なくとも害になりはしない。

 

「よろしくね、エヴァちゃん」

 

 問題は、不遜にも吸血鬼の真祖であるエヴァンジェリンに小さな子供に言うように言い方をする神楽坂明日菜にあった。

 アーニャに頼まれたことではあるが早まったと思わないでもない。

 当初の予定の三人が五人になれば、一人二人増えたところで大したことはあるまいと考えた数時間前の自分を呪おうとして、益にもならないので思考を遥か彼方にうっちゃることにした。

 思考の切り替えは長いことを生きていると慣れによって簡単に出来る。明日菜の扱いは木乃香の修行の間は空く刹那に任せるつもりなので、面倒なことは考えずに話を進めるに限る。

 

「まずは二階へ来い。始める前に話すことがある」

 

 二階に上がって全員を座らせたエヴァンジェリンは、茶々丸に用意させておいたボードの前に立って何かを書き始める。

 

「では、始めるか」

 

 エヴァンジェリンは眼鏡を掛けて小さいながらも女教師を気取り、真剣な目を向けてくるスプリングフィールド兄弟とアーニャ、木乃香を向かい合うように座らせて笑みを浮かべていた。

 意外と教師と言うか、我ながら物を教える職が向いているのかもしれないと自画自賛する。途中経過に問題はあっても、格好はともかく引き受けた以上は本気でやるのがエヴァンジェリンである。

 

「先生、ボードに何が書いてあるのか読めません」

「私も」

「うちも」

 

 シュタッとノリ良く手を上げたのは明日菜。続いたのは刹那と木乃香。

 ボードに書かれているのは日本語と違う言語で、三人には辛うじて文字としか判別できなかった。

 

「俺も読めん」

「ラテン語なのだ、ほぼ素人の二人と呪術士系の刹那が読めないのはいいとして――――――アスカ、お前が読めないのは問題ではないか」

 

 何故か自信満々に手を上げたアスカにエヴァンジェリンは確実にげんなりとしていた。

 ラテン語は魔法を習う上で欠かせない言語で、魔法学校で確実に学んでいるはずである。見習い魔法使いとはいえ、現役の魔法使いが読めないのはおかしいのだ。

 

「アスカも読めないわけじゃないんですけど……」

「エヴァンジェリンの字が達筆過ぎるのよ。綺麗な字って逆に読み難いから文字を形で覚えているアスカじゃ、読めないはずだわ」

「ぬぅ」

 

 ラテン語が読める二人にそう言われては、エヴァンジェリンも唸るしかない。

 字が上手過ぎるのが原因だとするならば不満やらも抑えられると自己完結し、多数が読めなくとも口頭で説明してしまえばいいと話を続けることにした。

 

「アスカ達三人の魔力容量は強大だ。トレーニングなどでは強化し難い、言わば天賦の才。ラッキーだったと思え」

 

 話を進めるエヴァンジェリンにネギ達は視線で言葉を交わし、触らぬ神に祟りなしと触れないことにした。

 

「それは努力とか訓練とか、そういうのは関係ないの?」

 

 アーニャに引き込まれた明日菜が疑問に思ったのか、何となく疑わしげにエヴァンジェリンを見上げる。

 

「なくはないさ。どんな才能があろうと、それを仰する制御力がなければ、いざ解放しても無駄が目立つだけだしな。例えばネギも見習いという観点から見れば中々だが、私から見れば及第点も与えられん」

 

 エヴァンジェリンは言いながら、ネギを指差す。指差されたネギは落ち込んだが。

 およそ、曲がりなりにも魔法と名のつくものを扱える人間ならば、他の魔法使いが魔法を使った時に魔力や術式というものが感じることが出来る――――――――その構成の精度や込められた魔力から、ある程度の相手の力量を把握することが出来る。

 もっとも、ネギの目から見たら、エヴァンジェリンが扱う魔法の術式は、自分の物とは次元が違いすぎて教えられても理解すらも出来ないが。

 

「だがそれにしても、先天的な魔力の大きさというのは重要だ。こればかりは、そうだな……………………例えば身長なんかと同じでどんなに頑張っても、天賦のもの以上にはできない。ある程度には、成長させることはできてもな」

 

 子供から大人に経るまでに年を取っていけばある程度は成長する。が、持って生まれた天凛以上には絶対に増やすことは出来ない。魔力量によって一回の魔法で使える魔力も変わって来るのであれば、恵まれた資質はそれだけで魔法使いの技量を左右する秤になりうる。

 

「が、何事にも例外というのは存在するものだ」

 

 と言ってエヴァンジェリンが見たのはアスカである。言われた当人は何のことかさっぱり理解できずに首を捻っていた。

 

「アーティファクトである『絆の銀』の副次効果だろう。出会った頃よりも魔力が上がっている。合体によって魔力を受け入れる器が広がっているのだろうな」

「そうなのか」

 

 普通なら学会に出して研究するような話なのにアスカの返事は淡泊だった。

 エヴァンジェリンがそのことに気づいたのは必然である。

 魔の者であり人間ではない存在と合体した悪影響はないかと観察していたからこそ気付けた。

 元よりエヴァンジェリンは『絆の銀』を全面的に信用などしていなかったのだ。落とし穴はどこにだって必ずあると思っていたら案の上であった。アスカの腕にある見えざる紋様を彼女だけが知っていた。

 

「合体以外にも効果あったんだ」

「暢気すぎるわよ、ネギ」

「でも、アーニャ。魔法使いにとって魔力が上がるのは良いことじゃないの?」

 

 理論派であり、生まれながらに莫大な魔力を持っていたネギには理解しにくいのかもしれない。普通の魔法使いレベルの才能と資質しか持たないアーニャには理解できない思考回路だった。

 

「いい? さっき、エヴァンジェリンが魔力量は天賦の物以上に出来ないって言ったでしょ。アスカはそれをしてるのよ。アーティファクトの効果と言っても異常なの。他に身体にどんな悪影響が出てるか分からないわ」

 

 どのような方法を試しても大して魔力量を上げれなかった自分とは違い、とアーニャは内心で一人ごちた。

 

「なんともないぞ、俺は。魔力が上がってる実感もないし」

「それはそうだろう、アスカ。お前の魔力の扱い方は最大か最少のどちらか。扱えているとはとても言えた物ではない」

 

 アスカの性格を熟知しているつもりのエヴァンジェリンは密かな頭痛を覚えつつも、脱線している話を戻すべく三人が作り上げる奇妙な雰囲気に切り込んだ。この秘密を誰かに語るつもりは彼女にはなかったから。

 

「アスカはまず自らの莫大な魔力を制御、使いこなさなければならない。その為には『精神力の強化』。或いは『術の効率化』が必要になってくる。どっちも修行だな。これはお前達にも言えることだ」

 

 白いチョークで黒板をカンっと軽く叩いて、黒板に図として魔力が大きいだけでは何の意味もないと説明するエヴァンジェリン。

 

「ちなみに『魔力』を扱うためには主に精神力、『気』を扱うためには主に体力といったところだ。気と魔力は相応の練習がなければ相反するだけだ。特に近衛木乃香から魔力供給を受ける刹那は覚えておけ」

 

 そこで一旦言葉を止め、刹那が頷いたのを確認したエヴァンジェリンは木乃香に向き直る。眼鏡を外し、真剣な目で言葉を紡ぐ。

 

「それと近衛木乃香。貴様には千草から通して詠春からの伝言がある」

「父さまから?」

「ああ、魔法についてもいろいろと教えてやってほしいとのことだ。理由は知っての通りだ」

 

 面倒くさいだなんて思いつつも報酬を貰っている以上は下手に手も抜けない。「面倒くさい」なんていう本音を小声でぶつぶつと呟いているが。

 

「うちは魔力量が多いて言われたけど、具体的にどれぐらいなん?」

「む」

 

 木乃香の問いにエヴァンジェリンは気を害したように流麗な眉毛を顰めた。彼女にはあまり触れられたくない質問らしい。

 言うべきか言わざるべきかと視線を流して、やがて諦めように視線をとある人物に定めた。

 

「単純にこの中で潜在魔力量が高いのはアスカだ。近衛木乃香、お前はその次になる」

 

 エヴァンジェリンはまず初めにアスカを見た。次いで、その視線を木乃香に向けた。

 アスカの方が魔力量が多いと知らされた木乃香は残念そうに眉尻を下げた。

 

「二番目かぁ。一番やないんやな」

「…………何も知らないって凄いわよね」

「分かるか、アーニャ」

「ええ」

 

 木乃香の呑気な反応に遠い目をしたアーニャは、苦い物を呑み込んだように苦み走った表情を浮かべるエヴァンジェリンと気持ちを共有する。

 

「いいか、近衛木乃香。貴様の魔力量は極東一と言われている。分かるか? 数億に及ぶ極東の中で一番ということは、貴様の魔力量は世界でも有数のものなのだ」

「でも、アスカ君よりは下なんやよね」

「それはそうだが、比べる対象としてアスカは間違っているぞ」

「じゃあ、エヴァちゃんやネギ君達とはどれぐらいの差があるんやろ」

 

 無邪気な木乃香の質問。突っ込まれたくない話題にエヴァンジェリンの頬が若干引き攣った。

 

「貴様に数段劣ってネギが、更にその下が私だ。だが、お前達は自分の魔力を全く扱えていない。真っ向から魔力勝負をすれば、アスカが相手だろうが私が絶対に勝つ」

「つまり、エヴァちゃんが一番魔力低いってこと?」

 

 傍から聞いていれば言い訳染みた論理を正確に論破する明日菜。自分と関係のない話に退屈にそうにしていた者とは思えない突っ込みであった。

 

「魔力が一番低いのは私よ。それも断トツにね」

 

 自嘲するように、歪んだ笑みでアーニャは自分を卑下した。エヴァンジェリンは否定しなかった。

 

「そうなん?」

「ええ、伊達に『平均的な魔力量の女』なんて呼ばれてないわ。そうね。分かりやすく言うなら木乃香は私が数十人、下手をすれば百人以上いてようやく同じぐらいの魔力になるんじゃないかしら」

 

 木乃香の疑問に普通に笑って胸を張るアーニャ。その内心と今までの努力を知るネギとアスカは何も言わない。言えるはずがない。

 見抜いたエヴァンジェリン以外に知られることなく、アーニャは木乃香に顔を向けて説明を続ける。

 

「気をつけなさい。人並み外れた魔力なんてものは自衛能力がないと危ないわよ」

「怖いこと言わんといてえなぁ…………って、なんで目を逸らすんアスカ君、ネギ君。しかもせっちゃんまで」

 

 脅しとも取れるアーニャの凄みに最初はにこやかに笑っていた木乃香だったが、裏方面の人間が次々と目を逸らしているので不安を感じるようになっていた。

 

「便利な魔力タンク」

「儀式の生贄」

「「その末路は……」」

「ちょっとお二人とも、不吉なことを言わないで下さい! 本当のことですけど」

「だって」

「なぁ」

 

 ネギとアスカの絶妙な合いの手に、流石に温厚な刹那も立ち上がって物申した。

 当の二人は「何を当たり前のことを」とばかりに顔を見合わせるだけで、あり得る可能性を口にしただけで特段気にした様子もない。 

 

「煽るな貴様ら。話が進まん」

 

 イマイチ危機感の足りない木乃香にいい気味だと楽しみながら眺めていたエヴァンジェリンが止めに入るも、その理由が話が進まないことに呆れたのだから救われない。

 

「便利な魔力タンクだとか、生贄になるのを回避するために自衛の手段を手に入れるのだ…………ええい、メソメソするな!」

「トドメを刺したの、エヴァちゃんよ」

 

 衝撃の事実に母が守ってやると言わんばかりに涙目の木乃香を胸に抱えた刹那の目にイラつき、いらない一言を口にした明日菜を睨んで怯ませるのであった。

 ゴホン、と咳払いをして空気を元に戻す。

 

「これからの修行の方向性を決める為に自分の戦いのスタイルを選択してもらう」

「戦いのスタイル、ですか?」

「まぁ、既に決まっているようなものだがな。簡単に言おう」

 

 エヴァンジェリンが指を二本立てて挙げた進むべき道は二つ。それは『魔法使い』と『魔法剣士』であると。

 ゲームの話のようだが、これは魔法使いの戦闘スタイルを大きく二つに分けるための、便宜上の言葉である。

 魔法使いの戦闘スタイルは、大きく分けて二つ。前衛における戦いを仲間に任せ、自らは後方から強力な魔法を放つ『魔法使い』タイプと、自らも前衛に出て戦う『魔法剣士』に分かれると説明した。

 ネギが魔法使いタイプかと言えばそうでもない。

 単純な話、杖を持っているといってもネギはどちらにもなっていない未熟な魔法使いだということだ。

 魔法世界を別にして、魔法が一般に知られていない旧世界では杖を持って歩くなんて怪しすぎる。一流ともなれば別の魔法発動媒体を持っている。

 話しを聞いていたネギがふと気になった事を尋ねたように口を開いた。

 

「一つ聞いてもいいですか?」

「何だ?」

「父さんは、サウザンドマスターのスタイルは?」

 

 やはりと言うべきか、ナギの戦闘スタイルを聞いてきたことにエヴァンジェリンは笑った。

 

「フッ、言うと思ったよ」

 

 フッと笑みを浮かべるエヴァだが、それには苦笑の意味も込められていた。

 この二つのタイプの分類自体が、強い魔法使いになればなるほど、意味がなくなっていくと言う事だ。サウザンドマスターのタイプを聞いたところで、今のネギにあまり意味は無い。本来、未熟な魔法使いを育てるための指針であり、それがそのまま戦闘スタイルの話として使われているだけに過ぎないのだから。

 

「私の戦いを見れば分かるように強くなってくれば、この分け方はあまり関係なくなってくる。が、敢えて言うなら奴のスタイルは『魔法剣士』、それも従者を必要としないほど強力な、だ」

 

 それを聞いたネギは「やっぱり」と頷き、どこか納得した表情をしている。子供の頃に、一度だけ父の戦いを見ているので、その姿を今の話に当て嵌めて考えているのだろう。

 『魔法使い』を目指すからと言って白兵戦をしてはいけないと言うわけではない。『魔法剣士』が速度ではなく威力重視の魔法を使ってはいけないわけでもない。後衛で砲台となるのが役目である『魔法使い』と言っても、危険に晒される事だってある。そのような時のために、自分の身は自分で守れるぐらいの自衛手段を身に付けておくに越した事はない。『魔法剣士』もそうだ。白兵戦の技術しか持っていなければ、おのずと射程が短くなっていき、距離を取られてしまうと何もできなくなってしまう。その為に遠くを狙い撃つための重火力の魔法を隠し持っている事はさほど珍しい話でもなかった。

 

「で、どうするのだ? 決めたのか」

「考えるまでもないわね」

「俺が魔法剣士で」

「僕が魔法使いと」

 

 何故かアーニャが偉そうに胸を張っていたりしたが、現在の戦闘スタイルが決まっているアスカとネギに迷いはなかった。

 

「しっかし、魔法使いに戦闘スタイルがあるなんて初めて知ったな」

「仕方あるまい。魔法学校とは未熟者以下の卵達が魔法使いとしての基礎を学ぶための場所だ。そもそも戦闘だけに特化した魔法使いの方が少ないのだから、学校で戦闘者としてのスタイルを教えるはずがない」

「納得。ネギが覚えた戦闘用魔法の大半も授業で覚えたものじゃないしね」

 

 戦闘スタイルがあることに感心しているアスカに説明しているエヴァンジェリンの言に、アーニャは深い納得と共に頷いた。

 魔法学校卒業組の三人の中で最も覚えている魔法が多いネギにしても、殆どが禁呪書庫に侵入して血の滲むような思いをして独学で身に着けたものだ。魔法学校はあくまで学び舎であり、戦闘者を育成する場所ではないのだから。

 

「近衛木乃香は魔力の扱いに慣れることだ。私に任されているのはそれまでに過ぎん」

「うちにはせんとうすたいるとかはええの?」

「何故肝心なところが棒読みなのだ? まぁ、そもそも戦闘なんて柄ではないだろ」

「確かに木乃香が戦うなんてシュールな図よね」

 

 何か納得いっていない様子の木乃香はともかく全員の脳裏に、明日菜が言う通り木乃香がポワポワとした様子で戦闘をしている姿を想像して「ないな」と共通の見解を持ったのであった。

 

「神楽坂明日菜の面倒は刹那、お前が見ろ。私は知らん」

 

 投げっ放しとしか聞こえない言い方であるが、事前に話しは通っていたので刹那は頷き、言い方が気に入らないと顔に書いてある明日菜も殊更に文句を言いはしなかった。

 エヴァンジェリンの性格を考えれば、文句を言って機嫌を損ないでもしたら追い出されかねないことは明日菜も良く解っているので無駄に波風を立てようしない。この中で立場的にいる必然性が薄いのは明日菜なのだから。

 

「では、次に目標を決めてもらう」

「目標?」

「目的地も決めずに歩き出す馬鹿はいない。各々で決めておけ」

「俺達はもう決まってるぞ」

「ほう……」

 

 ネギと視線を噛み合わせたアスカが不敵に笑ったのを見て、エヴァンジェリンはナギと言うのだろうと推測した。

 スプリングフィールド兄弟のことを良く知っていれば難しい答えではない。

 

「ドラゴンを斃せるぐらいにだ」

「は?」

「まずはそれぐらい強くなりたいよね」

 

 予想の斜め上を飛び越えて地球を突破するぐらいにありえない決意表明だった。

 エヴァンジェリンは自分の耳を疑い、アーニャ以外の全員が唖然としているのを見てとって聞き間違いではないと確信が持てた。

 

「待て。過程が飛んでいるぞ。何故、いきなりドラゴンが出て来た」

「学園の地下にいて、アイツがいると親父の手掛かりが手に入れられないんだ」

「だから待てと言っているだろう。結果を言うな。過程を言え、過程を。お前達には周知のことでも私にはさっぱり意味が分からん」

 

 頭痛を覚え始めたエヴァンジェリンはいい加減に付き合っていられないと、アーニャを見て説明を求めた。

 指名されたアーニャは仕方なさそうに事情を説明し始める。

 

「――――――――つまりは、京都で詠春から受け取った地図が麻帆良の地下を描いたもので、そこにナギの手掛かりがあるらしいから行ってみたらドラゴンが門番をしていただと」

「嘘のようだけど本当よ」

 

 この目で見たのに信じたくはないけど、と本音を覗かせてアーニャは嘆息した。

 エヴァンジェリンも麻帆良の摩訶不思議さには呆れていたが、まさか地下に門番をしているとは想像も出来なかった。

 

「そのドラゴンは魔法障壁を持っていて、低位魔法を弾いてしまうんです。地下を壊さないようにしようと思うと高位魔法は使えないですし」

「倒せないならネギが囮になって誘導して、離れた隙に突破しようとしたら『斃さないと扉は開きません』なんてアナウンスが流れたんだよ」

 

 能天気にその時の話をするスプリングフィールド兄弟と、その内容にエヴァンジェリンは修行前から不貞寝したくなった。

 

「前振りが長かったが早速修行を始める。地下へ来い」

 

 やけになったエヴァンジェリンはさっきの話を横にうっちゃり、笑顔で地下へと誘った。それがまるで地獄への切符を差し出してくる死神のようだと、言った当人と茶々丸以外の全員が思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカの視界360度、辺りを見渡せば遠間に見えるのは水平線だけという奇妙な場所。恐らくはどこかの屋上中央。まるで中世ヨーロッパの城の庭にあるような白い円盤型の屋根のある建物や、何故か椰子の木があるものの、それはさておき、アスカの表情は苦悶に満ち満ちていた。

 

「ぬぐううううううううううううう!!」

 

 辺りにアスカ・の叫びというか呻き声が響き渡っていた。

 それもそのはず、なんとアスカは指一本で逆立ちしていた――――エヴァンジェリンが作り出した氷柱の針山の尖がり上に。その状態で既に一時間以上も魔力を収束して身体を何とか支えているが全身は汗びっしょりで、支えている筋肉はプルプルと末期の如く震えている。

 

「もう、へばったのか。情けない奴だ」

 

 アスカの苦痛に満ちた呻き声が響き渡る。もはや限外寸前というアスカを前にしてエヴァンジェリンは他人行儀な感じどころか遠慮も呵責も無い。

 

「一…………時間…………も……こんな…………こと、を……して、れば…………充分、だろっ!」

「強くなりたいと言ったのはお前だろう? お前が強くなるにはこれが一番手っ取り早い」

 

 汗をダラダラと流し、掛かっている負荷でやばい感じに身体が震えだしてきたので堪えかねたアスカが叫ぶも、エヴァンジェリンはしたり顔で語る。

 

「アスカの最大の欠点は強大な魔力がありながらも全く活かせていないことだ。お前の魔力ならば全身の身体強化と針先への一点集中を必要な分だけ行っていれば、丸一日やっていても余裕なはず。苦しいのはそれだけ無駄が多い証明だ」

 

 長時間姿勢を維持したければ魔力の放出を限界まで抑え、かつ長時間安定させるという二重の作業を行わなければならない。大容量のエネルギーというのはえてして制御が難しいので、出来なければ針がアスカの身体を串刺しにして文字通り身体に穴が空く事態が待っている。

 

「こう、もっと…………マシな、方法が…………ある、だろ!!」

「喚いてないでそのまま後、三時間続けろ。まあ、途中で指を変えるぐらい許してやる」

 

 今もアスカの人差し指から放出している魔力が針先が刺さらないように全体重を支えていて、既に限界間近だというのにエヴァンジェリンは無茶を言う。

 

「言っとくが、サボったり、落ちたら地獄を見ると思え。自動人形に見張らせているから直ぐに私に伝わるからな」

 

 エヴァンジェリンの背後にいた茶々丸に似ている自動人形が一礼する。

 この自動人形は茶々丸よりも更に表情に乏しく、まさしく人形そのものといった風情でアスカを見ている。この場合は監視していると言った方が正しいか。

 

「あ、悪魔め!」

「良く言われた物だ」

 

 逃げ場を失くされ、当のエヴァンジェリンはアスカが苦しんでいるのを見て明らかに喜んでいる。アスカが叫ぶのは無理はなく、何度も言われ慣れているエヴァンジェリンは鼻で笑うのみだった。

 

「この程度でヘコたれるのか。お前の思いはその程度か?」

 

 傍目にはイジメのように受け取れるが、エヴァンジェリン曰く『これくらい当然だ』と何事も無いような表情でアスカに発破を掛ける。

 

「くっ…………だからってこんなのを三時間もやってられるか!!」

 

 下剋上とばかりに氷柱の針山の上で跳躍した。

 元よりアスカは手っ取り早く最短コースを進むのが好きで、長い時間をかけて何かをするのが嫌いなのだ。

 即断即決、結果は直ぐに知らないと我慢に出来ない性格。こんなだから好きなことは継続出来ても試験勉強は一夜漬けで、しかもそれでなんとかなってしまうのだから始末が悪い。

 

「その気概や良し。一時間は持った褒美だ。いいモノを見せてやろう」

 

 言われたことだけを唯々諾々と従うような弟子を取る気はエヴァンジェリンにない。修行の内容を理解し、どう活かせるかを考えられなければ遣り甲斐がない。

 元よりアスカが大人しく従うとは思っていないエヴァンジェリンは、予想通りに反逆を敢行したことにそうこなくてはと唇の端を吊り上げて笑みを浮かべる。

 序盤ではエヴァンジェリンの楽しみが少ない。魔力を以って暴れられる事こそが、彼女にとっては重要なのだ。

 

「手加減してやる。耐えてみろ」

 

 宙に飛び上がったものの、先の一時間で疲労が頂点に達しているアスカの隙は大きい。こちらに向かって降りてくるアスカを迎え撃つように自ら飛んで接近する。

 接近に反応して防御しようとした右手を掴んで開いた胴体に己の右手を当てる。この攻撃自体に威力は無い。真価はこれから明らかになる。

 エヴァンジェリンが掌底をアスカの胴体に入れると同時にポッポッと腕の周囲に光が起こる。

 

「うばぁお――っ!?」

 

 無詠唱による雷の魔法の射手を叩き込んで、バチィッと何かが弾けたようにアスカが体が悲鳴と共に吹き飛ぶ。

 攻撃を仕掛けようとしたところに不意の接近で詠唱時間ゼロの魔法で追撃。アスカは成す術もなくその攻撃を食らってしまう。

 威力そのものは怪我をしないように手加減されているので大した事はないのだが、如何せん速いため防御したり反撃を狙う暇が無い。後、「雷」の魔法の射手なので付加効果で痺れる。

 

「リク・ラクラ・ラック・ライラック 来れ、虚空の雷、薙ぎ払え」

 

 しかも、大締めはここからが本番だと詠唱しながら両手に紫電を纏わせるエヴァンジェリン。当然、狙いは弾き飛ばされて落下中のアスカ。

 さっきまでのただの打撃と無詠唱の一撃に過ぎず、最後はやはり詠唱魔法による追撃。

 しかし、先程の雷の魔法の射手で体が痺れて目下落下中のアスかには、対処しようにも体勢を立て直す時間すら与えられていない。出来る事があるとすれば、不完全でも魔法障壁を張って身を守るぐらいだ。

 

「雷の斧ッ!!!」

 

 短い詠唱の後に放たれる力ある言葉と共に放たれた雷の精霊は、魔法名と同じく巨大な雷の斧となって、その刃をアスカ目掛けて容赦なく振り下ろした。

 

「あぼぉおおおおおお―――――っ!?」

 

 荒ぶる力は容易く障壁を突き破って、アスカの身体を貫いていく。

 この時、アスカは身を以って理解した。本人も言った通り無論手加減はされたものだがそれでも威力は中々であり、不完全な魔法障壁で身を守ったはいいが、仮に完全な障壁であったとしても、これは防ぎ切る事が出来ないと。

 ポトリと氷柱が無い場所に落ちて、全然歯が立たないってことを改めて実感するアスカ。それほどまでに実力差がある。未熟な自身にも分かる事実を体をビリビリと痺れさせながら理解した。

 

「今のが決めとしてそれなりに有効な雷系の上位古代語魔法だ」

 

 音も無く静かに空に浮かぶエヴァンジェリンの姿からは、強者故の絶対の余裕が感じられた。

 

「ううぅ、しび、しびれる~~~~~」

 

 怪我させないといっても雷系特有の付加価値である痺れまでは逃れられず、体を起こすどころか満足に動かすことも出来ずに震えた声を漏らす。

 

「ちなみに、これはナギが好んで使った連携でもある。覚えておいて損はないぞ」

 

 氷と闇の精霊の力を借りた魔法が専門である事を差し引いても、まだまだ強い魔法が使えるはずのエヴァンジェリンが雷の斧を使ったのはアスカに見せるため。

 かく言うエヴァンジェリンは、あまりこのような連携を使わない。先程行ったように使えはするが。

 

「え……親父が」

 

 痛みと痺れに打ちひしがれながらも「ナギ」というワードが出てきて反応を示すアスカ。やはり父に由来する魔法と言うのはそれだけで彼にとっては無条件に興味を抱くものになるようであった。

 流石は英雄と呼ばれる男が好んで使った連携であるだけあって、距離を詰めての白兵戦と無詠唱の魔法の射手で体勢を崩させ、相手が満足に防御できない隙を突いて、中の上程度の威力だが詠唱の早いタイプの上位古代語魔法。シンプルだが効果的な戦法である。

 ならば、それを容易く、それも得意でもない系統の魔法を軽々と行使するエヴァンジェリンの力量の高さにアスカは内心で震撼する。伝説とまで言われた「闇の福音」の実力の高さをマジマジと思い知らされた。

 あれほど動き回ったというのに、エヴァンジェリンには着衣のわずかな乱れすら見られない。それだけ無駄のない動きでアスカを一蹴したということだろう。

 

「もし、この針山の上でチャチャゼロと戦えるまでになったなら他のことも教えてやる。ナギが好んだ連携や魔法をな」

 

 餌は撒かれた。後は獲物が罠にかかるのを待つだけ。

 

「…………分かった。やる」

「ならば、やれ。反抗したから二時間追加だ」

「ってことは五時間もかよ!?」

 

 三時間に二時間を足すと五時間。増えた時間に目玉が飛び出しかけているアスカだが、やると言ったのは彼自身である。

 言った言葉は曲げないのが信条であるアスカに出来ることはただ一つ。

 

「ぬぐぅおおおおおおおおお――――――――――っっ!!」

「私は少し離れる。後は任せた」

「分かりました。マスター」

 

 汚い絶叫にあっさりと背を向けたエヴァンジェリンは、自動人形に見張りを任せるとさっさとアスカの前から立ち去ってしまった。自動人形の返事を聞く間もなく、聞く気もないのかもしれないが、既に目的地が定まっているのか迷いのない足取りで歩いていく。

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンが階段を下りて開けたホールのような場所に着いた時、自身の従者であるチャチャゼロが対峙していた桜咲刹那が持っている夕凪を弾き飛ばしたところだった。

 くるくると舞った夕凪が自身の前の床に突き刺さるのを横目に一人と一体へと視線を戻す。

 

「――、」

 

 片手に自分の身長ほどもある刃物を持って刹那の懐に潜り込んでいるチャチャゼロと、獲物を弾き飛ばされてしまって唖然とした顔の刹那。

 次の攻撃に移ろうとしているチャチャゼロの前に、刹那が距離を取ろうと瞬動で数メートルを一瞬でバックステップした。これでチャチャゼロの攻撃は空振りして獲物を失ったといっても刹那は体勢を整えられる筈だった。

 

「くっ――」

 

 しかし、一足でバックステップして体勢を整えようとしていた刹那の視界の中に突然出現した異物。

 それが刹那の後退と同じく前進していたチャチャゼロが振り下ろしている刃物。視界一杯に映る刃物に我が目を疑うような表情で凝視して何かを言いかけて言葉が止まった。

 

「勝負アリダナ」

 

 床に足をつけたチャチャゼロが今も刹那の視界に残影として残っている刃物を肩に担ぎ、面白なげに告げた。

 刹那は自分とは桁違いの実力というものを思い知らせた。視界を埋められたあの一瞬、チャチャゼロにその気があれば、刹那は瞬時に艶やかな鮮血の花を咲かせていたのだから。

 

「参りました。降参です」

 

 完全に戦意を挫かれ、刹那は崩れ落ちるように膝を折って呻くように負けを認めた。

 

「どういう状況だ、これは?」

 

 刹那とチャチャゼロが勝負をしたのは分かるが先程到着して途中の経過を知らないので状況を掴めない。

 なので、近くで息も絶え絶えでホールの床に横たわってグロッキー状態の、年頃の乙女として「ちょっとどうよ?」と突っ込みたい状態の神楽坂明日菜の横腹を軽く蹴った。

 

「グェ……! それが人にモノを聞く態度!?」

 

 蹴られて痛かったのか、これまた乙女らしくない悲鳴を上げながら起き上がり、明日菜が蹴った張本人であるエヴァンジェリンに詰め寄る。

 

「あ……!」

 

 しかし、精神とは裏腹に肉体は突然の動きを拒否するように足が縺れる。

 普段ならまだしも疲れ切った肉体ではここから立て直すことが出来そうにない。そんな彼女が倒れる先にいたのはエヴァンジェリン。そもそも彼女に向かっていこうとしたのだから前向きに倒れれば彼女に覆いかぶさるような形になるのは当然。

 

(受け止めて!)

 

 ここで彼女に避けられたら明日菜は冷たく固い床に「ビターン!!」と漫画の如く張り付いてしまう。それを避けるために彼女は眼力(念話は使えず、突然のことで声が出なかった)で思いの限りに懇願した。

 

「―――――だが、断る」

 

 しかし、そこはサドとして定評のあるエヴァンジェリン。助けを求める明日菜の心の嘆願が届いていながらも無情にも拒否して、無駄に闘牛士(マタドール)が闘牛を避けるように格好良く、社交界でダンスを踊るように軽やかにステップを踏んで、明日菜の落下予想地点から華麗にも回避して見せた。

 結果、懇願が聞き届けられなかった明日菜を受け止めるものはなく、漫画の如き描写と共に地面に張り付いて痛そうな音を立てた。 

 

「あべしっ!」

 

 と、同時にこれまた乙女としてどうかという断末魔の悲鳴(?)を上げた。彼女は昨日、北斗の拳を見たに違いない。次は「ひでぶ」か「たわば」だろう。きっと明日菜なら期待に応えてくれる。

 

「やらないわよ!!」

「何を言っている?」

「いや、なんとなく叫ばないといけない気がして」

 

 何やら電波を受信したらしい明日菜に突っ込みを入れる明日菜。問いかけるエヴァンジェリンに自分でも突然叫んだ理解が出来ずに首を捻っていた。

 

「…………って、そうじゃなくて何で避けるのよ! 痛いじゃないっ!」

 

 このままでは話題を転換されて流されてしまうと悟った明日菜が再度、エヴァンジェリンに詰め寄る。今度は先程の二の舞にはならないように上半身だけ。つまり、体を起こした状態で近くにいた彼女に掴みかかったのだ。

 流石にスカートを掴まれてしまっては避けて「ひでぶ」か「たわば」状態にさせることが出来ず、ちょっと残念だったエヴァンジェリン。ちなみに明日菜に怪我はなく、ちょっと打ったらしい鼻の頭が赤いだけ。あれだけ勢い良く顔面を強打したはずなのに鼻血も出ていない。

 

「知らん、そっちが勝手に倒れ掛かって来たんだろうが」

 

 見る限りエヴァンジェリンに罪悪感は一ミクロンの欠片もない。今も隙あらば明日菜の手を振り解こうと虎視眈々と狙っている。そこまで「ひでぶ」「たわば」が見たいのか。

 

「エヴァちゃんが人の脇腹を蹴るからでしょうがっ」

 

 流石にこれ以上の醜態は晒せんと執念染みた想いでエヴァンジェリンのスカートは意地でも離さない。今、離されたら間違いなく、「ひでぶ」「たわば」状態になってしまうからだ。

 

「人の進行方向に偶々いて出した足に当たっただけだ。他意はない」

「どう見てもワザとでしょうが!」

 

 悪びれた様子も無く、それどころか「こいつ何、言ってんだ?」って的な眼で見られたら誰だって怒る。然しものエヴァンジェリンも明日菜の勢いに押されたのか、それとも流石に悪いと思ったのか少しだけ熟考して頷き、

 

「――――――――気のせいだ」  

「こいつ、悪びれた様子もなしに―――!!」

 

 微かな明日菜の希望をも打ち砕く大魔王が如き知らん振りを披露して見せた。明日菜の「憎しみで人が殺せたら!!」と心の叫びが響き渡った。

 

「ククク…………ああ、スッキリした」

「―――――(返事がない。屍のようだ)」

 

 数分間、同じやり取りを繰り返した(エヴァンジェリンがボケ、明日菜が突っ込み)後、吸血鬼なのに血も吸わずにお肌ツヤツヤとなったエヴァンジェリンと、彼女に突っ込みを入れ続けてまるで血を吸われたようにツッコミ疲れてダウンした明日菜の姿があった。

 

「これは突っ込みを入れるべきでしょうか?」

「ケケケ」

 

 刹那にどこぞの関西人の魂が宿ったのか、漫才の相方がボケた時に入れる「ツッコミ」をするべきかと手刀の形にした手をウズウズと揺らしていた。

 チャチャゼロは笑っているだけで突っ込みはしなかった。

 

「――――――――つまり、そこの馬鹿が基礎鍛錬と素振りだけダウンして」

「誰が馬鹿よ!!」

「で、暇を持て余していたチャチャゼロが試合を申し込んだという訳か」

 

 話を聞いたエヴァンジェリンは、明日菜の突っ込みを無視して納得した。

 

「しかし、チャチャゼロよ。よく寸止めで我慢して殺し合いにしなかったな」

「コレデモ御主人ノコトヲ考エテンダゼ。ウッカリ殺シチマッタラ面倒ダロウ?」

「だから寸止めなわけか」

 

 血を見るのが大好きなキリングドールなりに主人のことを思いやったように見えるが、チャチャゼロに限ってそうではないことをエヴァンジェリンは良く理解している。

 寸止めでなければ今の刹那が相手ではうっかりとやり過ぎてしまうから予防線を張ったのだ。

 チャチャゼロも十五年の退屈で、一時の快楽よりも楽しい時を少しでも長引かせれる方法を選んだに過ぎない。

 

「武器を選ばずと言っても、神鳴流は古来から自分よりも大きい魔を調伏するための流派。まだまだ未熟な刹那では遥かに体格で下回り技術で上回るチャチャゼロに懐に潜り込まれたら厳しいか」

「ソノ通リダゼ。才能モ実力モアルンダロウガ詰メモ心モ甘インダヨ、コイツ」

 

 神鳴流は退魔剣術と言われるだけあり、人間を超える力を体躯と異能を持つ魑魅魍魎の類との戦闘を想定した対人外剣技である。

 木乃香の父、近衛詠春のように人相手でも変わらない実力を発揮する者がいるのとは対照に、未熟な者は退魔に特化してしまう傾向がある。勿論、これは若輩に見られる典型的な事例であり、なにも刹那が珍しいわけじゃない。

 それどころか対人であっても刹那は十分に強い。

 ただ相手が悪かった。チャチャゼロは実力で上回り、刹那がこれだけの小さな相手にしたのは初めて。やり難い相手なのだ。

 

「次いでだ、チャチャゼロ。刹那はお前が揉んでやれ」

「オ、イイノカ」

「は?」

 

 嫌な笑みを浮かべながら自分を見るエヴァンジェリンとギラリと刃物を輝かせるチャチャゼロを見て、刹那の背筋がゾゾゾと這い上がるものを感じ取った。

 

「今度は寸止めではなく実戦形式でな。でなければ強くなれん。殺さない程度に遊んでやれ」

「オ、ラッキー。直グニ壊レテクレルナヨ」

 

 チャチャゼロが刃物をグルグルを回す。何故か刹那には、自分の目の前で腹をすかした肉食獣が「待て」をさせられた風景が思い浮かんだと後に木乃香に語ったそうな。

 生贄一名様ご案内。

 何故か刹那の脳裏にそんなフレーズが浮かび、近くに未だ虫の息で倒れている明日菜が手招きしている気がした。歯応えのある相手と戦ってハッスルするチャチャゼロの猛攻を捌く刹那が絶叫を迸らせるまで数分後。

 

「ごめんね、刹那さん。骨は拾うから」

 

 師匠の刹那がチャチャゼロと鍛錬している間のしばらくは怠けても問題ないと明日菜は自己完結して、寝ても茶々丸がどうにかしてくれるだろうと瞳を閉じた。刹那の悲鳴をBGMに明日菜の意識は闇に沈んでいった。

 

 

 

 

 

 チャチャゼロに刹那という玩具を与えたエヴァンジェリンは書庫へとやってきた。

 そこにいるのは三人と一体。

 

「ん……むぅ……ん?」

 

 書庫の入り口で、坐禅を組んで頭を捻っているのは近衛木乃香。

 魔力を感じ取り、意のままに操ることを教える方法なんて実はない。普通は魔力なんてものは幼少の頃から感覚で操っていて慣れていくものである。

 

「あ、エヴァちゃん」

 

 書庫の入り口で足を止めていたエヴァンジェリンに木乃香が気付くが、物音や気配で気付けるようでは集中力が足らないと内心で評価を下す。

 

「その様子では未だに魔力を感じれてすらいないようだな」

 

 エンジェルさん事件から身に着けている魔力抑えのブレスレットが問題なく機能していることを確かめ、これがあるから余計に時間がかかるだろうと予測を出す。

 

「そうなんよ。魔力ってどうやって感じたらええの?」

「それは呼吸の仕方を聞いているのと同じだぞ。多分に感覚が占める。仮に言葉で伝えたとしても分かるものではあるまい」

「だからこその坐禅なんやろ。でも、こんなんでホンマに魔力を操れるようになるんやろか」

 

 坐禅なんて一般でもやっていることをして本当に効果があるのかと木乃香は疑ってかかっているようだ。

 

「この場所は俗世よりも魔力――――正確には大気中に満ちるマナが遥かに濃い作りになっている。外よりも遥かに魔力を感じ取り、操りやすい環境になっている。これで出来なければ諦めろ。坐禅なのは特に意味はない。集中できればそれでいいのだ。もっと集中できるポーズがあるならそっちをしても構わん」

「なんかうちだけ適当ちゃう?」

 

 ようは一人で勝手にやれと言われている等しいことに、馬鹿ではない木乃香は当然ながら気付く。

 

「魔力を感じるなんてのは初歩の初歩ですらない。出来て当たり前のことを改まって教えられるのはそういう専門の者に頼め」

「う~」

「唸っても何も解決せんぞ。さっさと魔力ぐらい感じて見せろ」

「…………エヴァちゃんのイケズ」

「あ、なんか言ったか」

「何も言ってないですぅ」

 

 本当は聞こえていたが、敢えて聞こえない振りをする。弟子のガス抜きの為に多少は見逃してやらなければな、と広い心で見逃してやったエヴァンジェリンであった。

 もう数日、なんの進歩もなければ別の方策を考えようと思案しながら書庫の奥へと足を進める。

 エヴァンジェリンが長い間に溜め込んだ魔導書やらが収められているだけあって、下手な学校の図書室よりも蔵書数の多い書庫である。

 幾つもある本棚を横目に進んでいると、一つの本棚の前に何冊もの本を抱えた茶々丸を見つけた。 

 

「マスター」

「茶々丸、あの二人はどこにいる」

「奥の方に」

「案内しろ」

 

 「イエス、マスター」と何時ものように頷いた茶々丸も自動人形と比べれば随分と表情豊かになったものだと感心した。

 先に立って歩き出した茶々丸の後に付き、残った二人――――本に埋もれたネギとアーニャの下へ辿り着くのは直ぐだった。

 学校の机よりも遥かに大きい大テーブルの上に山積みにされた蔵書に埋もれるように二人の姿はあった。

 

「おい、お前達」

 

 近くによって二人とも反応しない。

 これが本当の集中している姿だと先程の木乃香と比べ、一人で納得しながら口を開いた。

 

「ん? どうかしたの、エヴァ」

「いや、様子を見に来ただけだが…………物の見事にのめり込んでいるな」

 

 が、声をかけて反応したアーニャだけでネギは魔導書から顔を上げすらしない。

 それだけ集中しているのは良い事だが状況による。

 

「ちょっと、ネギ」

「うん」

「駄目だわ、これは」

 

 機嫌が降下したエヴァンジェリンに気づかれない様に小さな声でアーニャが肘で反応を促すが、当のネギは自動反応したような返事だけしてやはり顔を上げようともしない。

 魔法学校時代、禁呪書庫に忍び込んだ時と同じだとアーニャはあっさりと匙を投げた。

 

「まあ、いい。それだけ集中してるということだからな。話は後で出来る」

 

 前から覗き込むとエヴァンジェリンが与えた宿題の範囲をもう少しで終わりそうだ。無視されてあまり機嫌がよろしくなさそうなエヴァンジェリンだが、折角集中しているのを邪魔しては何の意味もない。折檻は後ですればいいのだから。

 

「ん? 貴様は違うことをしているのか?」

「折角これだけの魔導書があるんだからちょっと調べ物をね。あんまり芳しくはないけど」

「ほぅ、調べ物ね」

 

 視線をずらしてアーニャが積み上げたのだろう本の山を見ると、特定の分野に偏りが見られた。積み上げられている山の上の本を手に取り、タイトルを見れば「石」の属性に関する魔導書だった。

 他にも多少の違いはあっても、「石」に纏わる論文や魔導書ばかり。

 

「なんだ、身内に石化している奴でもいるのか」

 

 なんて適当に言った言葉が確信を突いたなんて、言ってから気づく。

 

「そうよ。アンタは知らないの? 永久石化を解く方法を」

「あるぞ」

 

 軽く言った直後、アーニャが喉の奥で声を引き攣らせたのをエヴァンジェリンは見逃さなかったし、聞き逃さなかった。

 アーニャは小さく息を吸って吐いた。

 一度下げた顔を上げた時には緊張を残しながらも平静と言えるだけの状態に持ち直したのを見て、アーニャの評価を一段上げる。

 

(惜しいな。これでもう少し才能があれば)

 

 一流の魔法使い――――高位魔法使いの位階に上がれただろうにと、生きとし生けるもの全てに平等などあり得ないと分かっていても目の前の少女に天が与えた素質に文句を言いたくなった。

 

「その方法って?」

 

 惜しんでも現実は変わらない。アーニャの問いに応えるために思考を巡らせる。

 

「永久石化とは解けぬからこそ永久の名が付く。例外があるとすれば」

 

 そこで言葉を切り、書庫入り口で今も魔力を感じ取る集中をしているだろう木乃香の姿を思い浮べる。

 

「治癒に特化した近衛木乃香が世界屈指の治癒術士に成ることが出来れば、或いは永久石化も解けるかもしれん」

「あくまで可能性の上では、でしょ」

「だが、最も可能性は高い」

「その可能性も小さな物じゃない。賭けるにはリスクが大きすぎるわ」

「0ではないのだ。それだけで十分だろう」

「って言ってもねぇ……」

 

 イマイチ乗り気ではない様子のアーニャ。ふむ、と思案を重ねたエヴァンジェリンは脳裏に五百年前のことが過った。

 

「もう一つあったな」

 

 この六百年でエヴャァンジェリンが最も死を覚悟した出来事。

 

「今は失われた神聖魔法。対象となる相手を取り込み、対応する生贄(・・)の魂を代償にあらゆる状態異常を改善する禁術だ。あれならば永久石化であろうとも元に戻る可能性がある」

 

 その神聖魔法の原理を参考にして十年の歳月を費やして完成させたのがエヴァンジェリンの固有技法『闇の魔法(マギア・エレベア)』である。

 

「遺失したんなら意味ないじゃない。変な期待を持たせないでよ」

「そうでもない。確かこの書庫のどこかにその神聖魔法の前段階を記した魔導書がどこかにあるはずだ」

「え!? なんでもっと早く言わないよ!!」

「あ、おい」

 

 そしてアーニャはエヴァンジェリンが止めるよりも早く走り出した。

 ネギがいたが魔導書に集中し過ぎて聞いておらず、上げた手が摑まえる相手を失って彷徨うのを視界に収めて、言おうとした言葉は聞く相手もいないまま呟かれる。

 

「一度見ただけの魔法式をうろ覚えで書いたやつで、肝心な本番部分は全くの白紙なんだが」

 

 エヴァンジェリンの予想外はアーニャの執念とネギの優秀さであると、この時はまだ知る由もなかった。

 

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