魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第28話 アスカの休日

 気がつくとアスカ・スプリングフィールドは一寸先も見えない真っ暗闇の中を歩いていた。

 前後左右全てが闇。自分の体さえも、手を目の前まで持ってこないと確認できない程である。状況が分からず、目視で判断出来ないとなれば音に頼るしかない。

 

「誰かいないのかっ!」

 

 耳を澄ましてもなにも聞こえないので、足を止めて出来る限りの大声で叫んでみた。

 暫く待っても返事は返ってこない。これだけの闇にいて気配も感じなかったことから大して期待もしていなかったが、誰もいないという現実を直視させられて肩を落として落胆した。

 首を動かして辺りの様子を窺っても、やはりなにもないし誰もいない。ただひたすら闇だけが広がっているばかりだ。

 普通ならどんな暗がりの中にいても、時間が経てば徐々に暗さに目がある程度慣れてくるものである。アスカならば十秒もあれば慣れてるはずなのに、一向にその気配がない。どう考えてもこの闇は普通ではなかった。

 

「■■■」

 

 困ったように頭を掻いていたアスカは、突然、背後から囁くような声が聞こえてきたことに最大級の警鐘が体に走った。

 

「誰だ!?」

 

 悪寒に心身を支配されそうになりながら振り返ってもそこには誰もいない。

 闇の中で視界が悪いのだとしても、周囲数メートルの気配を感じとれるので誰かがいれば直ぐに分かる。だからこそ、周囲に人がいないと分かる。

 しかし、先程の声は近距離から聞こえた。それも底知れない悪意を隠そうともせずに。

 

「■■■」

 

 声の気配の位置を見極めようと集中していると、また聞こえてきた。今度は先程とはちょうど逆方向からだ。

 まったく感知できなかったことに慌てて振り返るが、やはりそこには闇が広がるだけで誰もいなかった。やはり周囲に人の気配はない。

 

「いったい誰だ! いるなら出て来い!」

 

 声の主はアスカに気配を悟らせないほどの実力者。真っ向から叩き潰せるだけの実力者が、こんな嬲るようなやり方をすることに薄気味悪さを感じて大声を出した。

 

「■■■」

「そこか!」

 

 今度こそ聞き間違いはない。背筋に走る悪寒のままに全開に魔力を迸らせて、背後にいる声の主へと拳を振り切った。

 敵である。敵のはずであった。でなければこんな悪寒は抱かぬし、抱きようはずがない。

 拳は放たれた。敵を打ち砕き、感じていた悪寒はあっさりと消え去る。

 

「あ?」

 

 自分でもおかしいと感じる声が口から勝手に漏れる。

 手応えがないのだ。正確には軽すぎると言い換えてもいい。何故ならアスカの拳は、敵の――――ウェールズにいるはずのスタンの老体のど真ん中を貫いていたから。

 

「な……ぜ……」

 

 何故、と問われようともアスカに答えようがない。アスカこそ、この疑問に対する答えを持っていないのだから。だが、スタンの肉体を貫いた感触が今もある。当然だ。アスカの腕はスタンの肉体を貫いているのだから。

 貫いた時に飛び散った血がアスカの手や服を汚している。

 生暖かいものが頬にも付いている。血は頬にも飛び散っている。血の生臭さが、血の温かさが気持ち悪い。

 

「……………」

 

 スタンは何かを言おうとして、口から溢れる血によって言葉を紡ぐことは出来なかった。

 固まったアスカの目の前で力の無くなったスタンが崩れ落ち、ヌルリと手に内臓の感触を残して、やけにゆっくりと地に倒れていく

 体の真ん中に穴の開いたスタンの体を見下ろしたアスカは、血を吸って重みを増した服が罪の重さを表しているようだと心の何処かでそんなことを思った。そして初めて自分の周りを見渡した。そこで初めてここが先程のように真っ黒な空間ではないことに気付く。

 火災が起きたのか辺り一面に火が灯り、そこには斬りつけられた死体、焼かれた死体、何かに押しつぶされた死体、目立った外傷はないがピクリとも動かない死体。他にはアスカの周りに何もなく、死体と火しかなかった。この光景に似たものを、かつて見たことがある。

 悪魔の襲撃によって滅ぼされた故郷の光景に似ているのだ。自分が、ネギ達がいろんなものを失ったあの悲劇の場所に。

 そう思ってしまったアスカは、目の前の死体達の顔に幾つかに見覚えを感じて目を向ける―――――目の前の死体は、いや死体達はネカネやアーニャ、ネギ、村の住人達だった

 それを認識したアスカは、何かが心を侵していくのをを感じた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」

 

 闇を灯す暗闇の火の中に、何かが哂いを響かせる。

 その笑いが発端となって、周りから爆笑が起こった。

 見るとアスカは見知った顔に取り囲まれていた。

 ネギが、アーニャが、ネカネが、他にも麻帆良に来て出会っで交流を深めた人々が、ハワイにいるナナリーやエミリアが、これまでアスカが知り合った全ての人達が『人殺し』と連呼しながら、アスカの周りを回って哂い続ける。現れては消え、消えては現れる。

 みんなのそんな声を聞きたくなくて見たくなくて、尻餅をついたまま立ち上がるよりも固く両手で耳を塞いで強く目を閉じる。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 アスカはその光景に、事実に耐えられず、血に染まり燃え続ける大地でただ一人、夜とは違う本当の暗黒の空に向けて声の限りに絶叫した。

 耳は塞いでいるのに声は消えてくれない。嘲笑は止まない。

 

「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 せめて自分の声で聞こえない様にしようとしても、嘲笑はアスカの耳に入って来る。心が壊れそうだった。

 

 

 

 

 

 何時の間にかアスカは、黄土色に染められた世界の果てまで何もないと錯覚するほどの荒れ果てた荒野に蹲っていた。

 夢か現か、或いはこの世かあの世なのかも分からないひどくあやふやな世界。死んだ風に砂埃が舞い、荒野の向こうに夕焼けの色に染まる太陽が沈む様は、幻想的な儚さなを感じさせた。

 生命の息吹を感じることが出来ない荒野を、一人の少女――――――――――神楽坂明日菜が歩いている。

 何故、彼女を待っているのか。何故、自分がこんな所にいるのか、何故、自分から彼女の下へ行かないのか。幾つもの疑念は脳裏に過ぎった瞬間に消えていた。

 直後、真下から魔風とでも呼ぶべき風がアスカの全身に吹き付けてきた。強すぎる風に目を閉じたがアスカが瞼を開いた時、目に映ったのは自分と明日菜の間を阻むように奈落へと突く巨大なグランドキャニオンにあるような断崖であった。

 断崖の闇は深く、底が知れない。足を踏み外せばどこまでも落ちてしまう根源的な恐怖を呼び覚ます。魔風はそこから吹き付けてきていた。

 真っ直ぐにアスカを見つめて歩みを進める明日菜には、先にある地面の断崖に気付いた様子がない。

 

(こっちに来るな!)

 

 一心に自分だけを見つめて近づいてくる明日菜を静止しようとしたアスカだが、発したはずの声は口から出ることはなく音にならなかった。 声が出せないならと、アスカは身振りで手振りで懸命に訴えた。だが見えていないのか明日菜の歩みは止まらなかった。

 ならばと、アスカは断崖を飛び越えて、手を広げて自分の身体で遮り明日菜の歩みを止めようとした。

 

(え……!?)

 

 まるで最初からアスカなど存在しないように無視して、明日菜が前を阻んだ自身の身体を通り過ぎていった。

 最初から存在しないように肉体を通り過ぎていく明日菜に驚いている暇はない。アスカの直ぐ後ろの足下には地面がない。止めるために肩を掴もうとしたが、アスカの手は明日菜に触れることが出来ず、スッとすり抜けてしまった。勢い余って地面に膝をついてしまう。

 明日菜が断崖へと真っ直ぐに向かって行く。

 

(待ってくれ!!)

 

 彼女を追おうと膝をついたまま手を伸ばしながら叫んだ。だが叫びは声にはならず、歩みを止めない明日菜が断崖へと進み行く。止めようもないまま明日菜は断崖へと落ちていった。

 断崖へと落ちていく明日菜が顔だけをアスカへと向けた。

 

「闘いしか呼ばない化け物のクセにどうして私達の前に現われたの?」

 

 活発な表情を憎しみ染めて言い放った言葉と断崖の向こうに背中が視界から消えていくのを見て、夢と現の狭間でアスカは絶叫した。

 

「―――――ッ!」

 

 声無き絶叫と共にアスカの瞼が僅かに動いた。眼を覚ましたのだ。

 それは自分の意思で動かしているとは思えないほど僅かなものだった。殆ど痙攣にも近い感覚で、ゆっくりと瞼が開く。目覚める時に似ている。思考は曖昧で上手く何ものにも焦点を合わせられない。数秒は視界がハッキリしないのか、何度か瞬きを繰り返してようやく目の先にあるものが天井であると認識する。

 激しい頭痛と嫌悪感、虚脱感。全身の骨が抜き取られたみたいに気怠くて瞼を開くのにも随分と時間と努力を要した。

 

「……俺、は……」

 

 目覚めた時、アスカの全身は滝のような汗で濡れていた。喉には血の味。

 ベッドに寝転がったまま、何度か無意味に瞬きを繰り返す。夢から覚めた直後のような曖昧な思考に戸惑う。記憶に断絶があって状況が理解できない。 

 ここがどこなのか、直ぐ分からなかった。或いは見覚えがあっても、その視覚情報を脳が直ぐには認識できなかったのかもしれない。室内の明かりは消えていたが、カーテンの隙間から差し込む月明かりのお陰で真っ暗ではなかった。

 傾けた視界に映るのは、仄暗い室内と隣のベットで寝ているネギ。暗くとも直ぐに夜目が聞いて見慣れた家の光景に心を撫で下ろした。

 

「またこの夢か。毎日毎日、なんだってんだ」

 

 やっと夢だと気がつくと、おもむろに呟いた。全身に滝のような汗が流れていて、汗を吸った服が重りを縛り付けたように重量を増している。嫌な汗で全身びっしょりになっていたが、全く気にならなかった。

 心臓は早鐘のように鼓動を刻み、血流の流れを早められた全身の血管が浮き上がっていた。

 しばらくジッとしていると、早鐘を打っていた心臓も鼓動を緩めてきた。水分を吸った服の重さはどうしようもないが汗を引いてきた。だけど、気持ちだけは元には戻りはしなかった。

 

「ちくしょう……」

 

 答えの返ってくるはずのない問いに眼を瞑った。まるで理不尽な世界が、そうすれば彼の前からなくなってしまうのではと、願っているかのようだ。

 まだ夜も深まったばかりの時間帯だが再び寝られる気はしなかった。まだまだ朝陽は昇らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はえ? 今日は修行禁止?」

 

 毎朝の如く千草の家で朝食を食べていたアスカは、日本人でもないのに無駄に綺麗な箸使いで白ご飯を口に運んでいたところに千草から齎された話に目を白黒とさせた。

 

「朝早うから絡繰が訪ねて来てな」

 

 六人が座ってもまだ余裕のある大テーブルで家長席に座っている千草が、食事の合間に面倒臭そうに頷いた。

 本当に面倒くさいとアスカが築地市場で買ってきた魚を解しつつ考える。

 麻帆良学園から築地市場まで車でも一時間近く掛かるはずで、アスカはどうやって行って帰って来たのか考えるだけでも頭が痛くなる。またどこぞで変な噂が立っているのか、とても怖くて調べられそうにない。

 

「なんでまた」

「別荘の調整や、言うとっとな。誰かさんが四六時中、使ってる所為で碌に整備も出来んてな」

 

 『別荘』を使い過ぎている自覚があるのか、アスカは喉の奥で唸りはするものの抗弁はしなかった。暇さえあれば『別荘』を使うアスカを危惧した千草とネカネの策略とも知らず。

 

「骨董品は扱いに気をつけなあかんやろ。これからは別荘を使う時間を減らすか、丸一日全く使わん日を作るか、明日までに決めときや」

「ぬぅ……」

「まぁ、仕方ないんじゃないの。諦めたら」

 

 納得がいってなさそうなアスカを宥めるのは、実はあまり箸の扱いが上手くないアーニャである。

 己がやりたいことは他人に幾ら言われたところで変えようとしないアスカであっても、身内の言うことには渋々ながらも従う。千草の言に直ぐに従わなかったのはまだそこまでの仲の良さではないということか。

 食事が終わり、最近は修行漬けだったので別荘使用禁止を言い渡されて途端にやることを無くしたアスカは散歩に出かけた。

 姉としてはもっと普通のことをして遊んだりしてほしいネカネは洗い終えた食器を布巾で拭きながら悩む。

 

「散歩じゃなくて、小太郎君と一緒に遊びに行けばいいのに」

 

 小学校の友達と遊ぶと出かけて行った小太郎のように同年代と遊んでほしいのである。

 

「アスカがいると体力勝負になるからって嫌がられてるみたいや」

「あら、そうなんですか」

「家にも親から苦情が来とったからの。無理に連れて行けとはよう言わんわ」

「手加減が出来ない物ね、アスカって。しかも負けず嫌いだし」

 

 千草が頭の痛い出来事を思い出して頭が痛いとばかりに溜息を漏らし、拭き終わった食器を受け取って棚に直していくアーニャが「子供なのよ」と斜に構えた言い方をする。

 

「あんな性格だから融通も効かないし、魔法学校でも同年代とか年齢の近い男子には結構敬遠されてたわよ」

「逆に女の子からは凄い慕われたわよね。その所為で男の子に嫌われたてたってのもあるけど」

「…………情景が簡単に目に浮かぶようやわ。あれだけ融通が利かん人間も珍しいで。もっと最初はまともやと思ってたんやけどな」

 

 アスカと性格が似ていると良く言われる小太郎はそこら辺を上手く調整できる。逆にアスカの場合は好かれる人間には好意的に接されるが、逆に好かれない人間には徹底的に嫌われる。そしてなによりもアスカ自身が他人に興味がないことが最たる原因なのだろう。

 似て非なるネギも同様の傾向にあるが、二人とも後者の方が少ないのは人徳なのか、それとも人柄なのか。

 

「それにしても最近のは異常よ。まるで何かに急き立てられてみたい」

 

 修学旅行から戻って来て、エヴァンジェリンの師事の下で修業を始めてからは常軌を逸し始めているとアーニャは語る。

 

「夢見が悪かったって本人は言ってるけど……」

「だからて、暇を持て余してからって走って築地市場にいくのは間違ってるやろ」

「アスカは限度を知らないから」

「やり過ぎちゃうのよ。その所為で学校対抗でも張りきっちゃって怪我人を出してしまうぐらいで」

 

 アスカのことを話していたはずなのに、どうしてか魔法学校での苦労話に突入してしまう。

 最近のアスカの異変に三人で話し合っているが、何故か途中で話が脱線してしまっていた。話すのが好きな女が集まれば姦しいと言うが、話題もどんどんずれて行ってしまうものらしい。

 そうこうしている内に皿洗いと片づけを終えた時に天ヶ崎家の玄関を開けてネギがやってきた。 

 

「おはよう」

 

 ノックもなしに人の家にやってきたのに第一声が朝の挨拶であることに、スプリングフィールド一家+アーニャが天ヶ崎家に慣れてしまったことが良く解る。

 挨拶を返しつつ、ネカネが勝手知ったる我が家のように紅茶のセットを用意するのを見ながらその思いを強くする。

 何時もの席に座り、ネカネが淹れた紅茶を飲みながらネギは机の上に置いた本を広げた。

 

「また夜更かししてたの? ちゃんと寝ないと駄目じゃない」

 

 ネカネは行儀が悪いと本を取り上げて遠ざけながらネギに注意する。

 

「文句なら急かすアーニャに言ってよ。遺失した魔法を再現しろなんて無茶なのに」

「必要な事なんだから文句言わない。それにアンタも楽しんでるじゃない。さぁ、片付かないから早く食べちゃって」

 

 アスカの時と同じくネギも納得いっていない様子ながらも従い、紅茶の後に出された朝食を優先して食べ始めた。子供達の中でやはりアーニャの発言力は大きいようだった。

 

「なんだかんだでうちもこの光景に馴染んでしまったんやな」

 

 自分で淹れた緑茶に舌鼓を打ちながら、今更ながらの諦観に長い溜息を漏らしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やることもなく麻帆良都市内をブラブラと歩いていたアスカがハプニングに出くわしてしまうのは宿命であろうか。

 

「あ、あの…………ごめんなさい。困るんです」

 

 学園都市で休日ということもあって学生が多い道端で、3-Aに在籍している運動部四人組は高校生ぐらいの四人組に声を掛けられていた。

 

「いーじゃん、どうせヒマしてんだろう? オレらと付き合えよ」

「だからさー、絶対に退屈はさせないからさー。いいクラブ知ってんだよ。そこなら顔パスで入れるからさー」

「な、行こうぜ。女だけで遊んでてもつまんねーだろ?」

「アイドルとかモデルなんかもよく来るんだぜ? 俺もそっちの知り合い多いから、なんなら紹介しても……」

 

 言い寄られている女性四人が目配せを交し合っている間も、軽薄そうな男達は、軽薄な口調で、軽薄な台詞を垂れ流していた。

 顔立ちは整っているのだが、その痴的な言動からは、品性の欠片も見出すことは出来ない。要するに、ナンパである。

 ナンパ自体はよくあることだった。日常茶飯事と言ってもいい。タイプは違えど、彼女たちはいずれも際立った美少女であるので、比較的によくあることだった。

 

「ナンパでしたら他を当たってください」

 

 軽薄そうで手前勝手な物言いに、運動部四人組の一人――――大河内アキラはうんざりしたように表情を曇らせながら告げた。

 

「そうそう私たちは用事があるんだから付き合えないのよ」

 

 リーダー格らしき少年にアキラは毅然とした態度で言い返し、横に並んだ明石裕奈が続けた。その後ろでは和泉亜子、佐々木まき絵が心配そうに様子を伺っている。アキラと裕奈が前に出て、亜子とまき絵が二人の背中に隠れている形だ。

 

「確かナンパってやつか」

 

 それを若干遠くから目撃したアスカは呟く。

 はっきり言って、若さ故に血気盛んそうな男共と真面目そうな少女たちでは釣り合いが取れるように見えない。

 アキラと祐奈の背中に隠れる形の和泉亜子と佐々木まき絵はナンパ男達を怖がっている感じを受ける。男の四人組はどちらかというと不良っぽいし、同人数とは囲まれれば怖がりもする。

 

「ガタガタ言わずに一緒に来いっつってんだろ!!」

「痛っ」

 

 律儀に受け答えしたのがかえって不味かったのか、リーダー格らしき少年は急に荒々しい顔つきになって一番に近くいたアキラの腕を掴んだ。が、

 

「誘うのはいいけどよ。手荒なのは歓迎しねぇな、おい」

「痛ぇ! イテテテテテ……!」

 

 荒事の予感を感じ取ったアスカはアキラと不良少年の間に移動し、痣が出来そうなほどに強引に掴んだ腕を捻り上げていた。

 アスカは改めて四人組と運動部四人組とを交互に観察した。

 四人はいかにも軟派な遊び人風で、ファッションには気を遣っているらしいが、知性や品性は感じられない。対する運動部四人組は文字通りスポーツ少女然としており、相手としてはどう見ても彼らとはジャンルが違う。ナンパする相手を間違えているとしか思えない。

 

「なあ、アキラ。困ってるか?」

「うん、さっきからしつこく誘われて………困ってたの」

「つうわけだ。ナンパなら他に行け」

 

 アキラの、というより女性陣の意向を伝えて手を離したアスカだが、ちっぽけなプライドを踏み躙られてナンパ男たちの顔が怒りに歪んだ。まさか自分よりもかなり年下の子供に虚仮に(彼ら主観)されて黙っていられるほど人間が出来ていない。

 

「ああ~ん? ガキに用はねぇんだよ、引っ込めバカ!」

 

 彼らにはせせら笑っているように見えるアスカを睨み、男たちは次々と拳を固めて殴りかかる。少し殴れば簡単に退散するだろうという思惑があった。

 一番近くにいたボクシングを真似た構えをした長髪の少年が右ストレートを打ち込んできた。

 生意気なガキだと思い、舐めきっているパンチだった。相手をするのが羊の皮を被ったライオンだと気づけなかったのは哀れと言える。

 アスカは腰の入っていないヘナチョコパンチを片手で蝿を叩くように右に弾くと、左半身に変化しながら密着し、真下から突き上げる掌底のアッパーを相手の顎にぶち当てた。

 ヘラヘラ笑っていた口がガンと噛み合わされ、脳天まで衝撃が突き抜ける。完全に顎が上がったところに胸に突き蹴りを入れると、不良少年の身体は真後ろにいて反射的に支えようとした仲間の幸運な二人もろとも吹っ飛んだ。

 瞬きをする間の出来事だった。通りにいる他の学生や通行人が驚いて立ち止まる。

 唯一、巻き込まれた二人とは違って射線上から回避した運の悪い不良少年は、当然の如く突き飛ばされただけだと勘違いしているので攻撃を仕掛ける。しかし、攻撃が届く直前、アスカはそっと避けて男の射線から逃れる。

 男の拳は、その身体ごとアスカの横をすり抜けていく。まず拳が、続いて頭から突っ込むように上半身が、そして下半身は―――通り抜けられなかった。アスカがさりげなくその場に残しておいた足で男の足を払ったのだ。

 

「ぐえっ!?」

 

 受身も取れず、男は豪快に転倒する。そこにアスカは音もなく歩み寄り、身を起こしかけた男の顎先を靴の先端で蹴り抜いた。

 

「――――っ!?」

 

 男は声にならない悲鳴を上げ、白目を剥いてぶっ倒れる。

 アスカの打撃があまりにも素早いため、突き飛ばされただけだと勘違いした仲間の少年二人は、すぐに起き上がって反撃に出ようとしたが、長髪の少年が陸揚げされたタコのようにぐったりとして動かないことに気付いて青褪め、無事だった少年が倒される光景を見て血の気を失った。目の前で起きたことが信じられなかったのもあるが、二人にぶつかった少年といま倒された少年が白目を剥いて完全に気絶していたからである。

 

「「う、うわぁぁぁぁぁぁ!?」」

 

 いくら身の程知らずとはいえ、少年たちも流石に目の前の相手がただの子供でないことを悟った様子だった。残りの少年二人は気絶している少年たちを放って逃げ出した。

 

「さて、怪我はないか」

 

 星が瞬きそうなぐらい無駄に爽やかな笑顔で振り返って問いかけるアスカの姿に、

 

「大丈夫だけど、普通はこっちが聞く台詞じゃないかな」

「「「うん、うん」」」

 

 年上の男たちを片手で捻ったアスカを見て感心するも、亜子のもっともな意見に残りの三人が頷く。

 

「俺が普通なわけないだろ」

「自分で言っちゃおしまいだよ」

「違いない」

 

 普通とは縁遠いのだと自分で言ってまき絵が茶々を入れたが、当の本人は闊達として笑うばかりである。

 

「今日は一人?」

「ネギ君やアーニャちゃんか明日菜達と一緒にいること多いのに、今日は誰もいないんだね」

「やることないんで散歩中だ。他の奴らは――」

 

 何故か近くに寄るとアスカの頭を撫でたがるアキラは聞きつつ、肌触りの良い金髪を触ろうとするが避けられてしまい、ちょっと寂しそうだった。

 アキラにとっては丁度良い高さにアスカの頭があって、髪に触りたがるのを苦笑と共に眺めていた亜子は、騒動があったら火消しにやってくるネギとアーニャ、もしくは明日菜達が何時まで経っても現れないことに当たりを見渡していた。

 一人であることを伝えようとしたアスカが何かに気付いたように後ろを振り返った。

 そこには逃げたナンパ男たちが通りの向こうから仲間らしき格好をした男達を数人連れてやってきていたからだ。

 

「あ! あのガキです。荒田さん」

「こいつ?」

 

 と、荒田と呼ばれた男はアスカを指差した。

 自分自身の腕を頼りにしている者と、数を頼りに威張っている卑怯者との間には、対峙した時に受ける印象からして歴然とした差があるのだ。この荒田という男はその中間ぐらいの微妙な感じだが。

 

「こんなガキにビビッて逃げ出したのか、お前ら」

「だって、なんか格闘技をやってるみたいで強いんすよ」

「チョー生意気なんですよ、このガキ。礼儀を教えてやってください、荒田さん!」

 

 口々にそう応える男たちは、ついさっきアスカに撃退された名も無きナンパ君一号、二号(仮称)だった。

 どうやら、けんもほろほろに追い払われたことを根に持って、助っ人を呼んできたらしい。―――――「自分には出来ないから助けを呼ぶ」普通ならいい話のはずなのに、これがナンパをして撃退された末なので凄まじく情けない話だった。

 

「おい、ガキ! 大人の話に子供が首を突っ込むんじゃねぇ。格闘技をやっているらしいがきっちり侘びを入れてもらうぜ?」

「―――――」

 

 あまりにも典型的な展開と現れた人物に、アスカは心底呆れたといった感情を全く隠していない視線で男たちを見据えた。冷ややかな視線に、先程やられたナンパ君一号、二号は後退ったが荒田は怯まずにその視線を受け止める。

 

「そんな目で睨んだって無駄だぜ! 荒田さんはレスリングをやってるんだからな!」

「やっちゃってください! 荒田さん!」

 

 荒田の後ろに隠れながら、一号、二号が囃し立てた。虎の威を借る狐そのままの二人は無視して、アスカは荒田だけをじっと見つめる。

 言うだけあって、それなりの修練は積んでいるようだ。着ている革ジャンの下に薄いタンクトップを着ているだけなので、筋肉の盛り上がりがはっきりと分かる。格闘用に鍛え上げられている肉体だった。

 

「お前らは下がっててくれ。こいつらは俺に用があるみたいだからな」

 

 先程までの男たちと違い、筋骨隆々の男が現われたことでアキラ達にも動揺が広まった。が、アスカには動揺の欠片一つなく、少女たちを下がらせようとする。

 

「ちょっと待って! あんな大男に勝てるわけないじゃない」

「そうやで、いま高畑先生を呼んだから!」

 

 当然、祐奈と亜子もアスカを止めようとする。

 荒田は二メートル近くの身長で、古菲にも勝ったことがあって確かに強いのだろうがこの場にいる面々の中で一番小さなアスカが勝てるとはとても思えなかった。人間、見た目で強さを図ってしまうものである。

 逸早く亜子が携帯で高畑に連絡をつけるも駆けつけるには今暫くの時間がかかるだろう。

 

「大丈夫だって。心配すんな、直ぐに終わらせる」

 

 少女たちの制止を笑って抑え、大丈夫だと念押ししてから荒田と呼ばれた男に歩み寄る。

 アスカの笑みに頼もしさと自信を感じた少女たちは、不安ながらも大人しく待っていることにした。もちろん、何かあったらアキラは飛び出す気満々だったが。

 

「ガキのくせに粋がってるから、こういう目に合うんだぜ。もう年上には逆らおうとするんじゃねえぞ」

 

 荒田は見た目で歩み寄ってきたアスカを舐めきっているので無造作に手を伸ばし、軽く小突こうとした。

 幾ら不良でも子供相手に本気を出す気も、真面目にやる気もない。小突けば直ぐに終わるだろうと、想像していた。普通の子供が明らかに年上、もはや大人といってもいい体格に殴られればそうなるだろう。相手がアスカでなければ、だが。

 手が頭に触れようとした瞬間、アスカはするりと足を踏み出す。

 半身になって前に出る動作が、同時に荒田の腕を躱す動作となった。伸びている手を左手で外側に弾きながら、手首を掴み、肩越しに引き込むと同時に荒田の懐に滑り込んだ。ジーンズの股を掴んで、荒田の巨体を背中に担ぎ上げる。荒田の視界がグルリと一回転した。

 

「―――――なっ!?」

 

 巨体が宙で綺麗な弧を描き、固い地面に叩きつけられると周りで見ていた全ての考えを裏切り、アスカは荒田を足から着地させた。

 床は畳ではないのだ。当たり所が悪ければ死ぬかもしれない。単純にリスクを考えて足から着地させたのだ。

 変わらずにいるのはアスカだけで、誰もが信じられない光景を眼にして唖然としていた。元か現役かは分からないがレスラーといっても信じられる体格をした巨漢をいとも簡単に投げる子供がいると誰が想像できるのか。

 

「粋がってた割には大したことないな。所詮は見た目だけが」

 

 彼我の実力差が分かれば自分から引くだろうと考えたのだが、いらない一言を言ってしまうのがアスカの悪い癖だった。

 

「……クソッ!」

 

 いくらなんでも紛れで子供が自分の巨体を投げられるとは荒田も思っていない。今度は本気でアスカに挑みに掛かった。アスカは掴みかかってくる手の下を体格差を活かして掻い潜ると、タンクトップの胸元を掴んで背負い投げを決める。

 

「この野郎、舐めやがってっ!」

 

 今度もまた足から着地したことで、舐められていると感じた荒田は吼えて三度襲い掛かった。

 三回が四回になり、四回が五回に増えたところで結果は変わらない。

 投げられては足から着地し、挑んでは投げられてを繰り返す。それは異様な光景だった。身長では五十cm以上は高く、体重ではおそらく五倍の差がありそうな荒田がアスカに子ども扱いされているのである。

 

「何やってんですか、荒田さん!?」

「そうですよ! そんなガキ如き何時もの調子でやっちゃって下さいよ!」

「うっせぇ!」

 

 情けない姿にナンパ一号、二号が発破をかけるも、荒田は目の前の少年の実力が想像を超えていることを実感し始めていた。

 

「なあ、もう止めないか?」

「ぬかせぇぇ!!」

 

 ここで引いては今まで築き上げた面子が崩れるとあって必死の形相の荒田に対して、アスカは余裕たっぷりだが相手をするのに飽きたとばかりに欠伸をしながら提案する。

 意地になった荒田が勢いをつけて挑むも結果は変わらない。

 

「聞く気なしか。しょうがねぇ、とっとと終わらせるか」

 

 完全に頭に血が上ってこちらの話を碌に聞いていないことを悟る。それどころか逆に火に油を注いでいるだけだと嘆息して、掴みかかって来た荒田の手から逃れながら踏み込みつつ後方に回り込む。

 

「くっそ―――!」

「秘伝奥義千年殺しぃぃぃぃぃ!!!!!」

 

 叫びながら振り返ろうとした荒田は、直ぐ真後ろから聞こえてきたアスカの声に猛烈な嫌な予感を感じて身体を凍りつかせた。

 

「ぐふぉあ!!!!!」

 

 身構える暇も無かった。なにかの衝撃が後ろから下腹部を貫き、荒田は突き上げた熱い衝撃に喚きながら宙を飛んでいた。

 

「この技だけは…………使いたくなかった」

 

 両手の人差し指と中指を突き出して組み、大きく前方に突き出した姿勢で、アスカは憂慮を秘めた表情でぼそりと呟いた。

 派手なカンチョウーを奥義と呼ぶべきかどうかは別にして、その一撃で宙を舞った荒田は、どしゃりと地面に突っ伏してプルプルと尻を抑えて起き上がれない。

 

「ふ……また、つまらぬ物を突いてしまった」

 

 フッと指先に息を吹きかけ、格好をつけるアスカだが周りの目はしらけ切っていた。

 本人が意図したわけではないがアスカの道化染みた仕草と被害者(荒田)の痴態もあって、先程まであった子供が大人をあしらうという異様な光景を誰もが忘れていた。

 

「ひ、ひぃっ……」

「荒田さぁん……」

 

 地面に横になって尻を抑えて痙攣している荒田を見て、完全に裏返った情けない声で残った男たちが悲鳴を上げた。

 

「さっさと連れて行け。通行人の邪魔だ」

「「ヒィィィィィィィィ―――――!!」」

 

 アスカが名も無きナンパ君一号、二号(仮称)を見て言うと、怯えながらすっかり伸びている仲間三人を引き摺って逃げていく。

 

「ふぅ………」

 

 溜息を吐いて肩を落としたアスカは、拍手の音に顔を上げた。運動部四人組が少し控え目に手を叩いている。

 

「凄いニャ~。最後がアレだったけどニャ~」

「本当に、最後がアレだったけど」

「ホンマや、最後がアレやったけど」

「だよね、最後がアレだと」

 

 次々と感心しながらも、最後の奥義と言いながら結局はただの浣腸だったことに突っ込みを入れていく。

 

「でも、凄かったで。あんな大男をポンポンと投げとったし」

「本当、見掛け倒しだったわね」

 

 自分たちよりも小さなアスカがあれだけ簡単に投げられると、荒田は実は見掛け倒しで大したことのないように彼女たちには見えた。

 

「お~い、君たち大丈夫かい!」

 

 そこに連絡を受けた高畑が駆けつけた。もうナンパ男たちはいないが連絡を受けて僅か数分で辿り着いたのだから必死さが窺い知れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長谷川千雨の趣味にパソコンは欠かせない。

 問題は昨晩に中学入学と同時に親に買ってもらったパソコンが遂にご臨終を迎えたことだった。ネット中毒の自覚があった千雨は、買った当時からして中古だったパソコンを早々に買い替えることにしたのは自然の流れである。 

 早速とばかりに休日を利用して電気屋でパソコンを購入し、宅配を頼んだので千雨はホクホクの思いで帰宅の途についていた。

 両耳につけたイヤホンから好きな音楽を聞きつつ、買ったばかりのパソコンのことを思い出す。

 

「やっぱ麻帆良の方が都市外よりも性能が良いんだよな」

 

 普通を標榜している千雨は桁外れの面々や出来事が多い麻帆良のことが好きではなかった。しかしそれでもこれから愛用することもあってパソコンの性能が上なのは素直に嬉しい。

 何故かクラスにいる人型ロボットに思うところはあれども、今まで性能の低いパソコンを使っていただけに期待は大きい。

 

「収入の当てがあるとしても、暫くは飯のランクとコスプレの頻度を減らさないとな」

 

 ネットアイドルをしていて、アフィリエイトで収入もあったので金の方も問題ない。暫くは節制を強いられるが、それもネットアイドルを続けていれば改善する。

 新しいパソコンに夢を馳せつつ、大通りを外れた路地へと入った。休日ということもあって人が多く、人間不信の気がある千雨は人が少ない方が落ち着くのだ。

 大型のトラックがようやく一台通れる路地に足を踏み入れ、我知らずに緊張していたのだろう周りに目を向ける余裕が出来た。

 

「我ながら地味な格好だ」

 

 路地にあるショーウインドーに自分の姿が映り、自分で選んだ格好ながらも苦笑を浮かべた。

 年頃の女子中学生にしては珍しい丸眼鏡をつけて首の後ろで髪を括った、決して目立つどころか周囲に埋没するスタイル。服装も髪型や丸眼鏡に違和感が出ない様に大人しめなものを選んだ。

 

「やっぱこの眼鏡ぐらいは、もう少しまともな物に変えるべきか…………。金もないし、やっぱこのままでいいか」

 

 視力の補正や遮光など機能を目的としていない伊達眼鏡を押し上げて考えるがパソコンを買った直後で先立つ物がない。仕方ないと歩き出した。

 この伊達眼鏡をしているのも、普段からお祭り好きで常識外れのクラスメイト達と一線を画して周りと同一視されたくない為の物。年齢詐欺かと訴えたく面々ばかりで、化粧もしていないのに綺麗な者が多いのだ。ネットアイドル時は別として、冷静になると見た目に自信のない千雨はコンプレックスを抱えていた。

 何度もナンパをされたことがあると言うクラスメイトと違って千雨には縁がないのだから。

 

「きゃっ!?」

 

 人がいないのだからと道の端に寄らずに歩いていると、後ろから肩を引っ張られて誰かの腕の中に抱えられてつい女の子らしい悲鳴を上げてしまった。いきなり何者かに抱きかかえられた場合の反応としては至って普通のものだろう。

 

(抱えられてる?! なんで! どうして!!)

 

 引き寄せられたところまで分かるが、そうする理由に事情を理解していない千雨にはさっぱり検討がつかずに咄嗟に思いついたのが、

 

(変態か!!)

 

 という至極最もなもので、彼女が取った行動も女性が取る行動で在り来たりなものだった。相手を確かめることもせず、千雨は言葉と共に腕を振るった。

 

「この変態が!!」

 

 自身を抱えている者の横っ面に綺麗に決まるビンタ。

 千雨を抱えていることもあって避けられなかったこともあって力一杯、振られた腕は正確に頬を打ち抜く。

 

「痛っ!」

 

 女の力とはいえ頬を全力で張られた当人は、それでもバランスを崩したりしなかったのは流石というべきか。

 ビンタを放った衝撃で千雨の耳からイヤホンが外れ、さっきまでは聞こえなかったエンジン音と自分がいた場所の近くを車が通り過ぎていくの見てようやく自分の状況を理解した。

 

(もしかして変態とかじゃなくて助けてくれた?)

 

 自分を引き寄せたのはイヤホンで音楽を聴いていて車が迫ってくるのに気づいていなかったから助けるためであった。もしかしたら車に体を引っかけられて怪我をしたかもしれない。助けてくれた恩人に自分がしたことは、助けてもらったことを反故にするようなビンタ。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 下ろされた千雨が真っ先にしたのは頭を深く下げての命に恩人に対して謝罪。いまだに助けてくれた相手が誰かを確認していないのは彼女が慌てていたからだろう。

 

「次から殴る相手は確認しろよ」

 

 聞こえてきた声に千雨は心の中で頭を捻った。

 変態という先入観があって、千雨を抱えたのは年上の大人の男と考えていた。なのに聞こえてきた声は声変わりをした男性の言葉ではなく、かといって高い女性の声でもない。

 断定はできないが未成熟な子供の声で、しかも聞き覚えがあるような気がした。それも毎日聞いているような……………。

 

「ア、アスカ、アスカ・スプリングフィールド!!」

「おうよ」

 

 動揺した所為か思わずフルネームで名前を言う千雨を前に、ビンタをされて赤くなった頬に手を当てたアスカが困ったような苦笑いを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 助けてもらったのは事実。丁度、昼時なこともあって千雨はアスカに昼ご飯を奢ることで落ち着いた。

 

「お~、食った食った」

「ちくしょう、遠慮せずに食いやがって」

 

 小柄な見た目に似合わず大食漢なアスカと共に店から出て来た千雨は恨み節を漏らす。

 

「遠慮してこの店にしただろ。何をグチグチ言ってんだか」

「何が遠慮しただ! もうこの店に来れないだろうが!!」

「なら、金を払った方が良かったのか?」

「う!? それは……」

 

 二人が出て来た店の表にはデカデカと「時間内に超特盛巨大ラーメンを食せたら無料、賞金一万円」と書かれたポスターが張られている。アスカはこれに挑戦し、見事にクリアしたのだが店主の恨みがましい顔を思い出して文句を言っていたのだ。

 しかし、食べられなかったら1万円を払わなければならず、優に十人前はありそうな超特盛巨大ラーメンを綺麗に平らげたアスカにご飯を奢ると考えるとゾッとする。

 少なくとも奢るつもりの食事代は無料になったことを喜ぶべきなのだが、良くこの店を利用していた千雨は二度と来れないことが残念でならない。

 

「賞金も貰ったんだ。これで遊びに行こうぜ」

 

 当のアスカは千雨の懊悩など知ったことではないとばかりに提案してくる。

 諸々で謝罪は既になっている。むしろ千雨の方が弁償してぐらいの気持ちのところで、賞金一万円で遊びに行こうという提案は千雨の琴線を大いに擽った。

 パソコンは後日発送で、次の休みまで届くことはない。コスプレ関連も今はすることがなく、寮に帰っても勉強ぐらいしかすることがないので遊びに行くのは悪い選択ではない。

 

「いいけど、どこに行くんだ?」

「知らん。そっちで考えてくれ」

「誘っといてそれか!」

「遊び方なんて知らないからな」

 

 なんて計画性のない男かと思うが、天才少年なのだから世俗に溢れたガキのように遊び方も知らないのかもと思い直す。

 巷のイメージにある天才とはあまりにもアスカはかけ離れているが、これでも飛び級をしているぐらいなのだ。事実、勉強はかなり出来る。噂では山勘が物凄く当たるなんて話だが。

 

「私だってそんなに知ってるわけじゃないぞ」

「友達いなさそうだもんだ」

「と、友達のひ、一人や二人ぐらいいるに決まってんだろ」

「あ、そうか。俺が友達だから一人はいたな。悪い悪い」

 

 いらない一言を言ったりするが、こちらが赤面するようなことをサラリと言ってのけるところが始末に負えない。

 頬が赤くなるのを自覚しながら、こちらの異変を理解できていない馬鹿男は千雨を不審げに見つめて来る。

 

「ん? 眼鏡はどうした」

「ラーメンの湯気で曇るから外したんだよ」

 

 ポケットに入れてあるが、再度付ける気にはなれない。首の後ろで括っていた髪も、暑くなって後頭部の高い位置で一つに纏めた髪型――――ポニーテール――――にしているので、アスカと二人でいても千雨だと気づく人間は稀だろう。変装だと思えば眼鏡がない違和感も気にならない。

 

『眼鏡無い方が美人だぞ』

 

 ネギとアーニャと、偶々部屋を訪れてネットアイドルがバレた時に言われた言葉がリフレインする。

 

「ぬぅ」

 

 こいつは将来女の敵になるのではないかと懸念を抱いてアスカを見ていると、何かに気づいたように千雨の腕を引いた。

 今度は抱き抱えるのではなく背後へと流された千雨は、直ぐ近くに一台のバンと数台のバイクがやってきた止まったのを見て強い厄介事の臭いをかぎ取った。

 合計十数人の黄色と黒を基調にした悪趣味なストリートファッションに身を固めた少年たちが降りてきた時は、またぞろ厄介事がと内心で叫ぶ。

 

「黒木さん、見つけやした。この金髪のガキですぜ!」

 

 バイクに乗っていた少年が呼びかけると、バンのドアが開いて、金髪のオールバックにした大柄な男が現れた。眉は薄く、顔色は日焼けしたようにドス黒い。まだ二十歳前に見えるが、赤いシャツの胸を肌蹴て金のネックレスを光らせているあたり、不良を通り越して既に立派なチンピラの域に達している。

 アスカの顔をしげしげと見つめた黒木は、合点がいかないという顔で周りの不良たちに尋ねた。

 

「おい、お前らこんなガキに痛い目に合わされたってのか?」

「本当ッスよ、黒木さん! 荒田さんもコイツにヤラれたんすよ、このガキをナメちゃいけねぇ」

 

 リーダー格らしき黒田という男に、一人の少年が説明し、他にも何人かが口々に文句を並べ立てる。

 

「……………………ああ、どこかで見たと思ったらさっきのナンパ君一号、二号とその他か」

 

 集団の何人かに見たことがあるような気がして頭を捻っていたアスカは、レスラー崩れのことは覚えていたので連鎖的に他のメンバーも思い出した。

 

「「「「「誰がナンパ君一号、二号とその他か」」」」」

 

 上に向けた掌にポンとしているアスカに、名前すら出てこなかった者と、そうそうに逃げ出してその他扱いされた少年たちが纏めて突っ込みを入れる。タイミングがあっているので仲はいいらしい。

 

「ア、アスカ……」

 

 自分たちが十数人ものの不良たちに囲まれており、周りは助けを求める視線を向けても進んで関わりにはなりたくない。中には携帯などで隠れて警察に連絡しているらしき人はいるが、見ているだけで助けに入る気はないようで孤立無援であることに気付き、恐怖に顔を青褪めて近くにいる知り合ったばかりのアスカの服を掴む。

 この場面において一切の動揺も見せないアスカの方が異常なのだ。

 

「坊主。お前、自分の立場ってやつがよく分かってねえようだな。こいつらに怪我をさせてくれたワビは、きっちり入れてもらわねえとな!」

「詫びって悪いのは嫌がる中学生をナンパして、断られたからって強制手段に出ようとしたのはそっちだ。こっちはそれを止めただけで、喧嘩を売ってきたのはそっちだぞ」

 

 アスカは心底呆れたように言って、それが真実だと察することが出来た見物人も軽蔑するような視線を少年たちに向ける。

 

「子供一人相手に数を集めないとまともに口も聞けないなんて格好悪すぎだろ」

 

 流石に付け足した言葉は言い過ぎたと思って、直ぐに口を閉じたが時既に遅し。

 

「テメェ……! ガキだと思って優しくしてやればつけあがりやがって!」

 

 黒木の顔色がみるみる紅に染まった。子供に言われたことが、多少は自覚があったのか指摘されたのは屈辱だったらしい。黒木は発情した猪のように鼻息を荒げ、唇を歪めて部下に命じた。取り合えず周りの見物人やアスカと千雨は「いや、全然優しくしてない」と同じ事を思った。

 公道にて突如始まった決闘騒ぎに、道行く人々は安全な所へ避難しつつも、安全地帯に収まると、その決闘の観戦を始めた。騒ぎの起こりやすい麻帆良ならではの肝の据わり様である。

 

「構うこたぁねえ…………このガキに大人の厳しさを教えてやれ!!」

 

 不良たちは待ってましたとばかりに歓声を上げて殺到した。

 

「下がってろ、千雨」

 

 話をしながらも千雨が握っていた服の裾を離させて、少しずつ距離を空けていったアスカ。

 完全に頭に血が上ってこちらの話を碌に聞いていないことを悟る。それどころか逆に火に油を注いでいるだけだと嘆息して、一人目の懐に入り込み、畳んだ左腕をコンパクトに振り抜く。

 アスカの掌底が、男の三日月―――――耳たぶの下にある下顎骨の尖った部分―――――にめり込んだ。問答無用で全力で放てば、容易く下顎が顔から千切れ飛ぶが手加減しているのでそんなことにはならない。

 男の身体が、錐揉みしながら宙を舞ってあまり華麗ではない三回転半(トリプルアクセル)を決め――――当然の如く着地に失敗して、どしゃりと地面に倒れた。

 

「クッ、この化け物が!」

「よく言われる」

 

 数分後には黒木を含めて全員が簡単に倒され、アスカは傷一つ負っていない。息一つ、汗すらも流していないアスカを見て黒木がそう言いたくなるのも分かる。

 

「お前たち、何時までそうやってる気だ! さっさと立て」

 

 変に根性があるのか黒木の命令に少年たちがフラつきながら立ち上がり、怒りに狂った眼差しをアスカに向けた。パチッという乾いた音と共に黒木の手にナイフが現れる。ナイフを持っていない者は、バンから木刀やバットや特殊警棒を持ち出してきた。

 素手では敵わないと悟った彼らは各々取り出した武器を構える。

 

「いい加減に諦めたらどうだ? この上さらに恥の上塗り状態になりたいのか」

 

 凶器を出してきた少年たちに周りが悲鳴を上げる中で、アスカは恐れ気も見せず、逆に嗜めるような口調で忠告してきた。そのいっそ不適とも取れる態度に、真っ先にナイフを取り出した黒木以外は戦慄を覚えて二の足を踏む。

 刃物の弱点は主に二つある。一つは持った方も大きなストレスを負うことだ。躊躇なく刺せる人間はそうはいない。これみよがしに出した時点で素人であることは明白だ。

 

「くっくっくっくっ……」

 

 しかし、当の黒木は気にしないのか、鈍いのか、はたまたナイフを持ったことで余裕に満ちた笑みを浮かべ、ナイフを持つ手に力を込める。

 

「死んだぜ、お前? 俺にナイフを抜かせて無事だった奴は、今まで誰もいねぇんだからなぁっ!」

「―――――」

 

 黒木の言葉に、アスカは醒めた眼差しで周囲をざっと見渡した。当たり前のことではあるが、彼らは休日の人通りの多い通りのど真ん中で騒動を起こしているので注目の的になっている。

 

「こんな衆人環視の中でナイフなんか出した時点で警察の御用になるだけのような気がするが、ましてや殺人予告とは」

「う、うるせぇっ!」

 

 格好よく決めたつもりが冷静なツッコミを入れられ、黒木は顔を真っ赤にして怒鳴った。締まらないことこの上ない。

 

「ちょ、ちょっと黒木さんやり過ぎですって!」

「そうですよ! 何もそこまで……」

 

 頼んだ張本人であるナンパ君一号、二号も得物を持ち出した黒木達に及び腰になって止めようとした。

 

「下らねぇことを吐かしてんじぇねぇっ! お前ら武器持ってんだ、ビビんじゃねぞ! 行けっ!!」

 

 止めようとしたナンパ君一号、二号を殴り飛ばした黒木によってハッパをかけられた少年たちは奇声を発し、自分を奮い立たせてアスカに向っていった。

 

「はぁ~、ったく……」

 

 アスカは横に回り込もうとする相手に向かって突進し、思いっきり振り被ってきた木刀を避け、がら空きになったところにすかさず鞭のようなミドルキックを食らわせる。「グエッ」と呻いて膝が折れて下がった少年の顎を肘で搗ち上げて意識を飛ばさせ、あっさりと一人目をKO。

 木刀にしろ、バットにしろ、素人が攻撃する時は必ず振り上げる。この下がってしまえば殆ど攻撃を貰ってしまうので、懐に飛び込んでしまえば隙だらけになることが多い。

 

「面倒くさい」

 

 左右から同時に攻撃してきた四人に対し、アスカは距離に応じてそれぞれ一人目が落とした木刀を拾っての突き、後ろ回し蹴り、裏拳、フックで応戦した。急所に当てて一撃で相手を昏倒させ、これで合計五人を倒したことになる。

 

「ヒュッ」

 

 一人の少年が突き出したナイフを避けて、引き戻す瞬間を逃さず、アスカはその切っ先を右手の二本の指で挟んだ。瞬間、ナイフは空中に固定されたように停止し、ナイフを引こうとした少年の身体の方がアスカの方に倒れるように引き寄せられる。アスカは空いている左腕を素早く倒れ込むような形の男の首に上から回し、頚動脈を押さえて落とす。息を漏らすように吐いて気を失った。

 続けて木刀を振り被った少年の攻撃を避けつつ、その太腿に下段蹴りを放つ、それだけで少年は木刀を落として崩れ落ち、足を押さえて動くことができない。

 

「グアァ……あ、足が……」

 

 アスカは徐々に千雨から不良達を引き離しながら、少しでも千雨に意識をやって人質に取ろうとする素振りを見せた者から真っ先に沈ませていく。

 後ろに守る対象がいるので、向ってくる者だけを倒し、決して千雨の下には行かせないようにしていた。人質に取られる可能性があるのもそうだが、自分事の所為で巻き込んだのでこれ以上の迷惑は掛けたくない。

 

「クソッ、なんて野郎だ!!」

 

 さっきと違って武器を持っていて五分も経っていないのに数を半分に減らされ、それを見た黒木は愕然とする。そうしている間も一人、二人と仲間の人数は碌にアスカに触れることすらできずに減っていくばかりである。

 絶対的な強さを見せ付けるアスカだが、十人近くに囲まれていても自分一人なら問題ないが、後ろに守る者がいることや万が一を考えて周りにも被害が出ないように気を配っているため、一人一人の行動全てを読み取ることは難しい。

 事実、一人で逃げるつもりなのかバンに乗り込んだ黒木の存在を意識の端から外してしまった。

 周りに借り物の力を見せ付ける小物というのは根の方まで性質が悪く、こんな輩に対して絶対にやってはならない事がある。追い詰め過ぎてはいけないのだ。

 

「アスカぁ! 危ない――――!!」

 

 状況の変化についていけずに虚ろな眼でアスカの戦う姿を追っていた千雨は、バンに乗って一人で逃げるものと思っていた黒木が再び出てきたのを見て、突然大声を上げる。

 千雨の叫びを聞いたアスカは黒木の方を向いた。

 

「死ねや、ガキがぁぁ!」

 

 狂気染みた黒木の声が響き渡った瞬間―――――アスカの視界に、人魂のような白い光の玉が飛び込んできた。『バンッ!!』と花火が爆発したような銃声が轟き、アスカは吹っ飛ぶように力なく仰向けに倒れた。

 

「きゃあああああぁぁ―――――――っ!!」

 

 千雨の悲鳴が高く響き、一人の少年が女の子を守って不良たちをバッタバッタと倒す軽快なドラマ見ていい感じだったのに、刃物やバットなどの凶器を持ち出しただけでなく、拳銃という殺傷能力の高い武器を撃ったことでパニックを起こした。

 千雨が悲鳴を上げ、それがきっかけとなって周囲は騒然となり、巻き込まれないようにバラバラに散っていく。

 

「ガキ――て、てめが悪いんだぞ! 俺を怒らせやがって!!」

 

 数秒後、周りには誰もいなくなった通りで、流石に黒木の仲間もその場で凍りつき、壊れかけの人形のようにぎこちなく首を回して撃った本人を見た。

 黒木は土気色の顔にダラダラと脂汗を垂らし、犬のように口を開けて息を荒げている。前に突き出した両手には、先端から白い煙を上げるオートマチック式の拳銃が握られていた。

 

「流石に喧嘩に飛び道具はやりすぎだろう」

『へ……?』

 

 何事もなくむくりと起き上がったアスカに両目をまん丸に見開いた黒木は、パッパッと服についた埃を払うような仕草を見せられて呆けたような声を上げる。それは隠れて見ていたギャラリー、思わず腰を抜かしてしまった千雨、凍り付いていた少年たちも同様で、撃たれて倒れていたはずの少年が何時の間に立ち上がって動いたのかを見れなかった。

 アスカの無事な様子を見て、周囲の人間の中には「もしかしたら明後日の方向に撃ったのか?」と、撃った直後の黒木の様子から考える者も少なからずいた。

 

(ふぅ……間一髪。正直に言えば危なかったが)

 

 だが、周囲の考えとは別に弾丸の照準は間違いなくアスカを捉えていた。あの瞬間、即座に身体強化を施し、顔面に来た弾丸を間一髪で指の合間に挟んで止めたのである。

 倒れる動作の間に弾丸を指で弾いて近くの街路樹にめり込ませた動作を見た人間はいなかったので、初めからどこか別の場所に撃ったと周囲の人間は思ったのである。

 

(油断大敵か。周りに被害が出る前にさっさと決める)

 

 止めたといえ、無事なアスカの姿を見て恐怖に駆られて流れ弾で周りに被害が不味いので、撃たれた振りをして倒れただけである。まあ、拳銃を素手で捉えるなんて普通はできないので、何らかの理由で誤魔化すことには変わらないが。

 そして全員が呆けた次の瞬間、そうとは知らない者たちには瞬間移動したように感じられる速さで彼我の距離を一気に詰めたアスカが黒木を背後を取る。

 

「グガ――ッ!!」

 

 呆けた黒木の腕を、腕返しの要領で関節を極めながら腕を捻って拳銃を奪い、右肩を軸にして一回転して背中から地面に叩きつけた。

 

「おら、お前らのリーダーはもう終わりだ。武器を捨てろ」

 

 少年たちも流石に拳銃を持ち出して撃ち、そのリーダーがやられたのとで戦意を失ったらしく、次々に武器を落として座り込んでいる。

 それを見遣ったアスカは黒木を見下ろし、極めている腕に力を込める。

 

「さて、どこでこれ(拳銃)を手に入れたのか吐いてもらおうか」

「誰が言う……………痛ぇ! 痛ぇって!! 分かった、言うから力を緩めてくれ!!」

 

 腕を極めたまま問いに答えるように力を入れていくと、ギリギリと骨や関節が鳴るほどなのでよほど痛いのかあっさりと降参した。

 アスカは入手経路にフムフムと頷きつつ、警察のパトカーのサイレンが聞こえてきたので説明が面倒だな、と現実逃避気味に考えていた。

 

 

 

 

 

 警察署でアスカと千雨の二人がやっと事情聴取から解放されたのは、昼の災難から時間も経って夕方過ぎだった。

 

「もう、来んじゃねぇぞ悪ガキ」

 

 見送りは定年間近らしい中年刑事一人。しかも口が悪い。

 

「俺は何もしてねぇだろうが。クソ刑事」

「お前がなんかやると俺が後始末させられんだよ。糞が、最初に連続で関わっただけでお前の担当にされちまっただろうが」

「仕事が増えて万々歳じゃねぇか」

「俺はもう直ぐで定年なんだぞ。最後ぐらいはしんみりとさせろ。少しは自嘲しろ」

「問題事が向こうからやってくるんだから知るか」

 

 アスカはこの中年と刑事と顔見知りどころか悪態を付き合う仲らしい。

 

「またな、クソ刑事」

「けっ、二度と来んな! 塩持って来い塩をっ」

 

 背後を振り返って叫ぶ中年刑事に笑いつつ警察署を出るアスカの後ろを千雨も付いて行った。

 

「ご協力ありがとうございました」

 

 警察署の入り口に立っている警官が苦笑いと共に敬礼し、署内に戻っていく。

 千雨は完全に巻き込まれただけ、アスカは喧嘩のお礼参りを撃退しただけで正当防衛が認められた。そもそもアスカの絶妙な手加減で少年たちには怪我一つないことも大きく、未成年者が拳銃を撃ったということで今まで時間がかかったが純粋な被害者ということで二人は認められた。

 ナンパ君一号、二号も武器を持ち出した黒木達を止めようとしたことから、保護観察で済んで反省しているようである。

 何気に被害者、人を助けて、第一発見者などと麻帆良に来て数ヶ月で何度も警察署を訪れているアスカと一部職員が顔見知りになっているのも大きかった。さっきの中年刑事のようにアスカを見た瞬間に「ああ、またか」と思ったらしい。

 ちなみに少年たちは今もなお拘留中、特に銃刀法違反の黒木は現行犯逮捕されている。

 警察の事情聴取の後、迎えに来た高畑が待っている駐車場へ行く途中で堪えきれなくなった千雨がガバッと顔を上げ、血走った目をアスカに向けた。

 

「―――――何なんだよ、お前は! あの人数を苦もなく倒せる強さといい、拳銃を持った相手を楽々と制圧するとかありえねーだろっ!!」

 

 十人近くの大人と変わらない男たちに囲まれ、暴力の中にいればその場で恐慌を起こしたとしても無理はなかった。一介の女子中学生にしては今までよくもった方だろう。溜まりに溜まった鬱憤を吐き出すのは仕方ない。

 

「なんでって言われてもな。これが俺だと応えるしかない」

 

 もはや常態になったとはいえ、毎度毎度こういうことがあれば嫌気も差す。しかし、かといって目の前の厄介事を投げ出すわけにもいかない。目の前で傷つき、助けを求める人がいて、それに応える意思と成せる力があるのなら応えたい。

 

「巻き込んでしまった千雨には悪いと思っている。ごめん」

 

 だが、そのことと完全に巻き込まれただけの千雨には関係のないこと。被害者は千雨だけで、別の意味ではアスカも加害者と大差はない。自分の厄介事に巻き込んだことをアスカは深々と頭を下げて謝罪の意を伝える。

 

「お、おい―――」 

 

 これに慌てたのは糾弾していたはずの千雨の方で、ここまで素直に認めて謝罪されると反応に困る。頭を下げ続けるアスカを前に頭をかいたり、無意味に手を動かしたり、目が助けを求めるように辺りを見渡す。

 

「ああ、もう! なんだってこんなことに!!」

 

 小学生ぐらいの男の子に頭を下げさせている女子中学生。シュールな光景だった。

 いくら夕方で人通りが少ないとはいえ、完全に途絶えたわけではない。なので、周りの人が自分たちを指差してヒソヒソしているのが見えて羞恥心が湧き上がってくる。

 少なくともアスカは嘘を言っておらず、紳士に対応してくれている。それにあの乱闘の中でもアスカが自分を守りながら闘っていたのは、どんな状況でも千雨の視界の中にアスカの背中があり、誰かに遮られることもなかったから分かっている。

 

「分か――」

「んじゃ、俺はもう帰るわ。良く考えたら家で昼を食べるつもりだったのに何の連絡も入れてねぇや。ネカネ姉さん、怒ってないだろうな。やぺやぺ」

 

 羞恥心が限界を迎え、明後日の方向を向いて謝罪を受け入れようと言葉を発している途中で、何かに気付いたような仕草をしたアスカが早口で言った。

 

「――――って、もういねぇし!」

 

 視線を前に戻すと何時の間にかアスカの姿はなかった。

 夜の闇に千雨の叫びが響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に帰る為、千雨の前から姿を消したアスカは、壁を蹴って近くの家の屋根の上に登り、そのまま走り出した。

 家の屋根から屋根へと移り、風を切り裂いて最短距離を疾走する。

 

「やっぱ連絡もなかったのはマズったな」

 

 携帯電話なんて持っていないので念話で連絡を取っておけば良かったと後悔するが後の祭り。

 早く家に帰って大人しく頭を下げるしかないと、走る速度を更に上げる。

 と、鼻先を通り過ぎる風の中に、肌を粟立たせるような冴えた冷気が一筋、微かに混じった。

 

(…………!?)

 

 奇妙な胸騒ぎを感じて、アスカは思わずマンションの屋上で足を止めていた。

 

「――――なんだ……?」

 

 アスカの研ぎ澄まされた感覚に何かが引っ掛かった。何か―――首筋を冷たい手で撫でられたような戦慄が、ふいに彼の裡を駆け抜けたのだ。気のせいと片付けるにはあまり確固たる不安が、胸の奥に居座って動かない。

 その場に留まり、感覚を全開にするとアスカの耳に、くぐもった微かな声を捉えた。それが女性の声だと気付くが早いか、屋上の縁に足をかけて眼下を見下ろし、気配の在り処を確認すると一瞬の遅滞もなく行動を開始した。

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市にある、とあるマンションの一室。

 長らく干していないらしい湿っぽいベッドの上に、ウルスラ女学院の制服を着た少女が後ろ手に縛られ、声を上げないように猿轡をされた状態で転がされていた。

 部屋には他に、そのベッドを取り囲むようにして数人の男たちがいた。人目で真っ当な職業についていない人種だと判る獣染みた危険な雰囲気を発散している者ばかりである。

 左右からベッドにレンズを向けている二台のビデオカメラが、これから少女の身に降りかかる非情な現実を無残に示していた。

 

「ボス、今回は中々の上玉じゃないですか」

「ああ、実に運が良い」

 

 下卑な笑い声が響く中で少女は怯えるように瞳を涙で濡らして身じろぎした。

 皺一つない見る者に上品さを感じさせる制服を着た姿は人目見るだけで格式の高い環境で育てられたものだと分かる。彼女は帰宅途中に彼らに背後から薬を嗅がされて眠らされ誘拐されたのだ。

 

「売る前に少し味見させてもらえやせんか?」

「ふむ……」

 

 ある意味で決まった言葉を繰り返し、それはまるで舞台で決められた台詞を喋っているかのよう。

 男達が情欲に染まった眼で少女を見下ろす。好色に染まった眼で全身を舐めるように一瞥された少女の背に最大級の悪寒が走り抜ける。

 

「お前たちには悪いがこういうのは最初じゃないと良いのが撮れないからな。諦めろ」

「そんなぁ」

 

 しかし、リーダーだけは標準よりも整った少女の容姿に惹かれることなく、一切の情欲の欠片もなしであくまでビジネスライクに応える。提案を突っぱねられた部下は残念そうに肩を落とした。

 リーダーはそんな部下を見て、柔らかく微笑んだ。

 

「そう、しょげるな。壊れるまでされたら困るがほどほどなら文句は言わんから撮影が終わったら好きにしろ」

「ありがとうございやす、ボス!」

 

 苦笑を浮かべて囚われた少女にとっては悪夢としか思えない決定を下した。

 

「よし、始めろ……」

 

 その場を仕切っているらしい強面のサングラス男が命じると、男優役なのだろう半裸の男が二人、ベッドの上に上がって少女の身体に触った。少女は自由な足をバタつかせて激しく抵抗するが、大人の男二人に押さえつけられ、両足を左右に大きく広げた状態でロープで固定されてしまう。

 

「いや……いやぁ! お願い……帰して!!」

 

 少女は己の運命を悟ったかのように叫び声を上げた。

 準備が整ったので猿轡を外された少女は涙声で訴えながら身を捩るが、それは男たちの嗜虐心をさらに煽るだけだった。しかし、どこに逃げるのか。逃げる場所などなかった。助けてくれる人もいない。密室した環境。

 ただ残酷に真綿で首を絞めるかのように、残酷な運命が人間という形で襲い来る。これから熟れていく成熟していない肢体に男達の指が這った。

 

「構うこたねぇ……どうせガキなんて一発やっちまえば大人しくなる。それに派手に抵抗してくれた方が本物っぽいって良く売れるしな」

 

 ねちゃりと音がしそうなほどにおぞましく男の一人が笑みを浮かべる。口が開かれて、唾液に濡れた歯が剥き出しになる。それが余計に少女におぞましさを誘った。

 

「それに有名女子校のハメ撮りだ。高く売れるぜ」

「いやぁあああああああああ―――――っ!!!!」

 

 ゲラゲラと笑いながら男優の一人が少女に馬乗りになり、ブラウスを力任せに引き裂いて隠されていた下着を露出させて、羞恥に顔を紅潮させながらも必死に首を振るのを見ながら愉悦に浸る男。

 

「だが、あんまり喚かれると興が冷める。もう一度猿轡を嵌めろ」

「了解です」

 

 敏感な胸を荒っぽく鷲掴みされて少女は悲鳴を上げる。もう一人の男がナイフでスカートを切り裂き、下着に指をかけると、少女はそれだけはどうしても我慢できずに狂ったように暴れだした。

 

「助けて!! 誰か!!」

 

 再度猿轡を嵌められようとして助けの叫びを上げて、必死に身体をよじらせながら迫る男達の手から逃れようとする。

 

「誰か!」

「このガキが!」

「……誰か助けて!!」

 

 いい加減に苛立って来たのか馬乗りになった男が猿轡を拒み続ける少女の髪を掴んで、顔を殴りつけようとしたその時――――救いの主は現れた。

 カーテンが閉められた窓が突然外から割られて何者かが部屋に侵入してきたのだ。

 粉砕された窓ガラスが降り落ちるその場所に、金髪の少年が現れた。

 

「な………なんで子供(ガキ)がここに居やがる?」

 

 リーダーである強面のサングラスの男は女優となる少女よりも更に若い少年の登場に困惑していた。サングラスの男だけではなく、部屋にいる全員が同様だった。

 

「偶々、通りかかった正義の味方だ」

 

 サングラスの男の疑問は至極もっともで、さっきまで男達がしようとしていたことを考えるならあまりにもギャップがあり過ぎる。

 どう見ても自分を助けることが出来るとは思えない少年に、救助が来たのかと希望の光が見えかけていた少女の心が絶望に染まる。

 

「少女の危機をとても見過ごすことはできない。さあ、そうそうに観念した方が怪我をしないですむぞ?」

「ブ、ブッ殺せ!」

 

 薄暗い中でも不適に笑いながら言う少年に舐められたと考えて切れたサングラスの男の命令に、男優役とカメラマン役の計四人が、取り出したナイフとスタンガンを手に同時に襲い掛かった。

 少女が少年に助けを求めるように頼む暇もなく、少女は確定された未来に目を閉じて背ける。

 が、『ブォン!!』という部屋の中を駆け抜けた烈風に目を開くと、ポトポトと男達が持っていた凶器が床に落ちていた。

 

「「「「あげぇっ」」」」

 

 四人の男達は揃って股間を抑え、自分で口の中のどこかを切ったのか血の混じったピンク色の泡を吹いて悶絶していた

 かなりの威力で蹴られたそれは、普通なら靴の爪先と骨盤に挟まれ、睾丸が一溜まりもなく叩き潰された。

 

「男として死ね」

 

 アスカは地獄の番人とばかりに告げる。

 四人を瞬殺したアスカは、次はお前だとばかりに残ったサングラスの男を睨み付ける。

 

「な、なんだ!? てめぇ………何しやがった!!」

 

 倒れているのに断続的に痙攣している仲間達を見て信じられないような光景を見て叫びを上げる。リーダーの男には何が何だか分からなかった。少年の姿が一瞬だけ霞んだと思った瞬間には自分以外の全員が倒れていたのだから。

 

「様子から見てあんた達はこんなことするのは初めてじゃなさそうだから、こんなことが二度と出来ないようにしただけだ。分かり易く言うと―――――男として死んでもらった」

 

 何をしたのか見えなかったサングラスの男の問いに、男からすれば実に恐ろしいことをしたのに簡単にアスカは答えた。リーダーの男は、ようやく目の前にいる少年が化け物だと理解した。

 

「はははっ! 死にやがれ化け物が!!」

 

 窓際の机に駆け寄って引き出しから拳銃を掴み出すと、銃口を少年に向ける。

 そんな男に、アスカはその場で両腕を組んだまま、落ち着いていた。

 男は引き金を引き、轟く銃声に思わぬアスカの強さに再度希望を持った少女が悲鳴を上げる。しかし、弾丸は壁に孔を穿っただけで、そこにアスカはいない。既にその瞬間には、サングラスの男の全身は石と化していた。

 どうやって移動したのか自分の目前に立ったアスカの拳が男に突き刺さっていた。一瞬で衝撃が脳にまで達して全身を硬直させた。

 

「相手が悪かったな。まあ、自分の悪行を呪え」

 

 少年がそれだけ言うと拳を更に押し込んだ。その瞬間、サングラス男の意識が焼き切れた。

 床に転がって白目を剥いて口から止めどなく泡を吐きながら、末期の如くの痙攣を繰り返す男を見下ろしたアスカは、ベッドの上にいる少女の身体を縛っているロープを解いてやった。

 アスカは、自分の服を脱いでかけてやり、まだ事態がよく呑み込めていない顔の少女に優しく微笑みかけた。

 

「もう大丈夫だ。安心していい。よく頑張ったな」

「あ、ありがとう………ございます………うぇ………」

 

 目の前の少年に助けられたことは未だに信じがたいものがあるが、少年の暖かい笑顔に自分はもう安全なのだと実感して、礼を言いながら嗚咽を漏らす。

 アスカは突入する前に呼んだ警察のパトカーのサイレンが聞こえるまで、襲われかけた恐怖や助かった安堵等いろいろな感情から泣き出した少女が安心するように背中を撫で続けた。

 

「…………また帰るのが遅くなりそうだな」

 

 腹が減ってきたから取調室でカツ丼を奢ってもらおうと、テレビドラマから得た知識に惑わされながら小さく呟くのだった。

 

 

 

 

 

 その数時間後、男たちが所属していた組織は、その末端に至るまで何者かに壊滅状態に追い込まれ、逃れようのない証拠と共に警察に突き出された。ちなみに、この半年で麻帆良でとある少年の周囲で問題を起こしたやのつく組織や不良と呼ばれる人間が捕まったり、こてんぱんにされた影響で治安が良くなっているのはもっと余談である。

 

 

 

 

 

 この数日後にアスカに助けられた女子生徒が学校で友人である高音・D・グッドマンに、この話を嬉々として話すのはもっと余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市はその名の通り、学生の為の都市である。つまり、都市内にある飲食店などは基本的に学生向けであり、大人向けの店というのは実は少ない。少ないと言っても皆無ではないが学生向けの店に比べれば数はかなり少ない。

 その理由として、第一には大人よりも子供の方が人数が多いことが挙げられる。つまり、大人向けの店では利益が上げ難いのだ。

 麻帆良学園本校女子中等部だけでも、例えば明日菜達の学年はAからSまでの24クラスに737名が在籍している。全学年がほぼ同様とすると合計で二千二百名以上が在籍するマンモス校となる。同じ中学でも男子中東部や大学付属の中学校もあり、下は幼稚園から上は大学まで考えれば、生徒数だけでも生半可な町を凌駕している。他に類を見ない超マンモス学園、それが麻帆良学園都市である。

 世間的に大人として見られる20歳は四年生大学の半分に達してから。各学園の教師等の大人を足したとしても一つの学校にようやく届く数にしかならないだろう。なので、他の都市と違って麻帆良学園都市はどうしても子供を中心にして考えねばならない必要があった。

 生徒の非行を助長する可能性のあるタバコの自動販売機は皆無。専用の、それも生徒が来ないような片隅の販売店でしか売っていない。

 大人の憩いの場である飲み屋も立地条件がかなり限られる。寮から各学園までの通学路は当たり前の如く御法度。小等部から高等部までの学園から離れた大学部の近くに集中しているのはそういう事情があった。

 このことから必然的に大人世代と子供世代の棲み分けがされており、子供が行くなら繁華街、大人が行くなら大学部の近くとなっている。

 そして今日もまた大学部の近くにある屋台に多くの人が集まっていた。

 昔ながらのおでんの屋台は酒も出て、大学部の近くにあることから小等部や中等部の教師がよく飲みに来る馴染みの店だった。

 学祭で有名になった「超包子」のように特別上手いわけではないが長年変わらない安定した味に訪れる常連客は多い。先輩が後輩を連れて来て、後輩がまた更に後輩を連れて来て………………と、一種のスパイラルを形成して伝統のようになっている。

 おでん屋の店主が開店すると、どこからか客が机と椅子を持ってきて即席の席を作ってしまう。バイタリティが並外れている麻帆良の人々は大人でもあっても同じらしい。

 周りの屋台もおでん屋に便乗してこの場所に店を開けるようになり、この一帯は屋台の集合場所みたいなもので、中心点に席があって喜びはしても誰も気にしない。

 おでん屋の店主も諦めているのか何も言うことなく、今日もまた大人達の憩いの場は開かれる。

 しかし、人が集まれば諍いは起きる。特にこれほどのバイタリティを有する麻帆良の人々は毎日のようになにかしらの騒動を起こす。

 

「何だとてめえコラ!」

「ああ!? 何か文句あんのか!」

 

 ガタンガタンと乱暴に椅子を蹴倒す音が続けて響く。

 和やかに酒を飲んでいた大学生や、生徒に対する悩みを相談し合っていた教師達の眼が一斉に、物騒な怒鳴り声を喚き散らす音の発生源に向けられる。

 けして多くない客の彼・彼女の視線の先では、なにやら厳つい男性の集まりが二派に分かれて威嚇し合っていた。

 巻き込まれることを嫌って近くにいた者達が早々に退散している。それでも遠くに場所を移しただけで、観戦して酒の肴にしようとしているのだからイイ度胸をしている。

 そんなほぼ全員が観戦者になろうとしていた中で奇妙な一団がいた。

 屋台に座っている男が三人、正確には男性が二人に少年が一人。この場に子供がいること事態が明らかな奇妙であったが周りに気にしている者はいない。少年のことを皆は良く知っているのだから。

 

「まったく、また彼らか。本当に毎度毎度飽きないな」

 

 少年と青年に挟まれた真ん中に座るのは壮年の男性。少年の父親と言われれば信じてしまう年齢差のある男性の名は新田。学園広域生活指導員で生徒からは「鬼の新田」と呼ばれるほど規則に厳しく、恐れられている教師である。

 今は普段生徒を叱っている時のような顔をしておらず、騒ぎを起こした大学生達を迷惑そうにビールを口に運びながら見ていた。 

 

「工科大と魔帆大の格闘団体は昔から仲が悪いですからね。この間の体育祭でも揉めてたらしいですよ」

「だからといって、こう何度も騒ぎを起こされるのは困る。店主、ビールのお代りを」

 

 優男然とした瀬流彦の説明に憮然とした様子で、飲み干したビールの代わりを注いでもらう。

 

「源先生も残念ですよね。来れば良かったのに」

 

 中等部の女性教員源しずなのバスト99cmという巨乳を思い出して、瀬流彦は心底残念そうに肩を落とす。

 穏やかな気性で男をたててくれる源は瀬流彦の好みのどストライクなのだ。偶に学園長のセクハラに鉄槌を下しているがそこがまたいい。高畑に気がありそうなのが少し気にくわないが。

 

「仕事が残っていたのでは仕方あるまい。今回は他の先生方も都合が悪い分だけ我々で楽しもう」

 

 自他共に厳しい新田だがこういう酒の席では堅苦しいことを言わない。店主に注がれたビールの泡が零れないように慌てて吸っている新田は、少し絡み酒の気があるが陽気で奢ってくれたりと気前がいいので、瀬流彦としては一緒に酒を飲むのは嫌いではない。特にこの自分の半分以下の少年が腹を空かしているところに出くわしたのは運が良かった。

 新田は子供がいると見栄を張るので必ず奢ってくれる。給料日前で財布の中が寂しい時だったので便乗する気満々である。

 

「そうですね」

 

 唇の上に僅かに泡を付けたままの新田が差し出したコップに自分の差し出して、チンと合わせる。

 気分が良くなって自分のコップに入っているビールを一気に飲む。

 

「おお、いい飲みっぷりだね。店主、ビールを貸してくれ」

 

 若者が自分に付き合ってくれるのが嬉しいのか、新田は店主に頼んでビールの瓶を受け取る。

 

「さぁ、どうだねもう一杯」

「あ、すみません。じゃあいただきます」

 

 自分で注ぐのかと思っていたが、これは後でお返しをしないといけないな、と思いながら空になったコップにビールを注いでもらう。

 まだ夜は長いから抑え目にと考えながら注いでもらったビールをチビチビと飲んでいて、新田を挟んで自分の反対側に座っている少年がやけに静かなことに気がついた。

 あのクソ刑事はカツ丼も出してくれなかったから美味い匂いに引き寄せられたやってきた少年の名はアスカ・スプリングフィールド。名物である子供先生の片割れの兄弟にして、女子中に通う男子生徒という変わり種である。

 彼は新田が自分の奢りだと言ったら喜び勇んでおでんを食べていたはずである。もうお腹一杯になったかと思ったが、いくらなんでも静かすぎる。

 体の小さいアスカは反対側にいる自分からでは新田の体に隠れて姿が見えない。どうしたのかと少し体を反らして、新田の背中側から見ようとしたまさにその時だった。

 

「打撃が寝技に劣るってぇのかダボがぁ!」

「上等だコラァ! ルール無しの路上で勝負だ!」

 

 この場にいる以上は酒を飲んでいるのだろう。威嚇し合っている両陣営共に顔が赤く、今まではどちらが優れているかを口で言い合っていたが段々と態度が荒くなりエスカレートしている。実力行使に出そうな雰囲気だ。

 アスカを見ようとした瀬流彦の意識もそちらに移った。

 

「む、これは止めないとまずいか」

 

 酒を飲んでいても教師としての勤めを忘れていない新田は、少し酔っぱらいながらも状況を正しく理解していた。

 

「怪我でもされたら困りますしね。でも、どうします? 新田先生でもあの人数は少し厳しくないですか」

「かといって放っておくわけにもいかないでしょ。なに、荒くれ者の相手には慣れていますから」

 

 新田としても普段なら多少の喧嘩も容認しているが、両者共に酒を飲んでいてはどんな間違いが起きるか分からない。瀬流彦の言う通り、あの人数を、それも格闘団体の大学生数人を相手にするのは無理がある。だが、だからといって乱闘になって周りの人に被害がいったり彼らが怪我をするのを容認することは出来ない。

 スーツの上着を脱いで、ネクタイを外して戦闘態勢を整えようとしたまさにその時だった。

 ヒィック、と隣にいたアスカが大きくしゃっくりした。そして新田に先んじて立ち上がった。

 

「どうかしたのかな、アスカ君?」

 

 アスカが突然立ち上がって身体を急にぐにゃりと揺らすのを見て、様子がおかしいことに気付いた新田が問いかけた。

 新田の声に伏せられていた顔が上げられ、とろんと細められたその目からは、理性と呼ばれる類のものが綺麗に吹っ飛んでいた。

 

「あア?」

 

 それはアスカの声だったが、アスカの発した言葉とは思えなかった。新田に向けられた目は、眠たげに細められてはいたが、完全に坐っていて――――そう、ちょうど凶暴な酔っ払いに似た――――いや、そのもの目つきになっていた。

 

「まさか、アスカ君も酒を飲んだんじゃ」

 

 視線と態度、顔が赤らんでいることから酒を飲んで酔っ払っていると察した瀬流彦がアスカの席にあったコップが空になっているの気づき、状況を推察する。

 

「あ~、一杯だけなんだが飲ませちゃまずかったすか?」

 

 新田とは逆隣りのアスカの隣にいた大学生院生らしき私服を来た男がすまなそうに頭を掻いた。

 世間では親が子供に酒を飲ませるということもある。彼としてはこの場にいる珍しい子供に戯れに勧めてみたぐらいの気持ちだったのだ。嫌がるなら無理に飲ませる気もなかったのだが、意外に一杯丸々飲んでしまったので逆に困った。少し酔っぱらったみたいだがアルコール中毒にはなっていなさそうで安心していたところだった。

 

「喧嘩かぁ? 俺も混ぜろ~」

 

 そうこうしている内に、ゆるりとアスカの身体が揺らいだ。

 決して素早い動きではなかったが、子供に酒を飲ませた男に注意しようとして意識を逸らしてしまった新田や瀬流彦が止める間もなく、恐ろしく無駄のない身のこなしで喧嘩を仕掛けている者達の間に入っていく。

 

「ひっ!?」

 

 まったく強さを感じさせないにも関わらず、喧嘩をしていた者達は、何故かアスカの姿に内心震え上がっていた。酔っぱらっていても奇跡的に働いた第六感が危険のアラートを全開にして鳴らしたのだ。

 もっとも直感が冴えていた一人が、相手が子供と分かっていても反射的に目の前のアスカに向かって拳を繰り出す。

 

「ほわちゃぁ~」

 

 アスカは避ける素振りさえ見せなかった。ただ、男の拳が当たる寸前、最低限の動きで身体を捻り、腕を使って攻撃をいなす。

 

「む、やるな」

「にゃるらるはぶなぺた~」

 

 反射的とはいえ、子供に簡単に攻撃を避けられたことに腹を立てた男は唸り声を上げながら、再び襲いかかるが、やはり同じだった。アスカは身体をぐにゃぐにゃと捻るだけで、途中から加わった他の者たちの攻撃も全て弾き飛ばし、やり過ごしていた。

 

「なんら、ぜーんいんたーいしたこと、ないぞー」

 

 と、アスカの坐った目が攻撃を全てやり過ごされて息を荒げる者たちを見て、にぃっと口元が吊り上った。

 

「……………………なんか止めなくてもいいような気がしてきました」

「私も同感だ」

 

 完全にアスカに振り回されている格闘団体に、止めるべく飛び出しかけていた新田とは瀬流彦は途中で止めて観戦者になっていた。

 

「そういえば、この前の体育祭の時に開催されたウルティマホラで優勝者したのって中学生でしたよね。彼と同じクラスの古菲さん」

「ん? それがどうかしたのかね」

「いや、僕もまた聞きなんですけどウルティマホラで優勝した古菲さんよりもアスカ君の方が強いって話を小耳に挟みまして」

 

 酔拳とでもいうのか、骨がないような動きで周りを囲む翻弄するアスカの姿を眺めながら瀬流彦が現実逃避気味に話す内容に、新田としては大学生も出場したウルティマホラに女子中学生が優勝したというだけでも驚きなのに、更に年下の少年にそんな噂があること自体が驚きだった。

 

「あ、それは俺も聞いたな。不良グループを一人であっという間に倒したとか、拳銃も避けたとかで出場してたら優勝間違いなしってトトカルチョしてた友達が言っていた。拳銃は冗談だろうけど、確かに噂通り強いよな。お、あの囲みを抜けるか」

 

 アスカに酒を勧めた張本人である大学院生らしき男が一人で大学生数人を翻弄するアスカを肴に酒を飲みながら話す内容に、新田は眉間に皺を寄せて返す言葉がなかった。この騒ぎで一気に酔いが抜けてしまった。

 

「高畑先生は生徒が事件に巻き込まれたとかで警察にいるらしいですし、どうしましょうかあれ」

「む……」

 

 瀬流彦の言葉に何も言えずに、新田は困ったように腕を組むしかなかった。

 酔いは醒めたとはいえ、あの乱闘の中に飛び込むのは広域生活指導員である新田でも危険極まりない。この事態を収められそうなのは、新田と同じ広域指導員で不良達に「死の眼鏡」「笑う死神」などと呼ばれて恐れられている高畑ぐらいしかいない。

 しかし、当の高畑は警察署にいるらしく、簡単に呼ぶことは出来ない。いてほしい時にいてくれない男ものだと内心憤る。

 新田と瀬流彦が解決策を見つけられずにいると転機が訪れた―――――――悪い方の。

 ズドン、とまるで地面が揺れたような重い音がした。 皆が地面から衝撃を感じて発生源を見ると、何時の間に移動したのか男たちの後ろにある街路樹の根元に立っていたアスカが回し蹴りを放った姿勢で静止していた。成人男性二人分の腰の太さぐらいの街路樹の幹がメキメキと音を立てて、横倒しに倒れるのを見て、全員の口がアングリと開いた。

 

「な……なんで、ありえん…………」

 

 誰かがそう言うも、街路樹がドスンと倒れた強烈な衝撃が皆の足元に響いてくる。

 攻撃が当たらなくて堪忍袋の緒が切れかけていた格闘団体の大学生達から瞬く間に熱は失せ、水を打ったように静まり返る。

 

「あーれー、まちがえっちゃった。まーだまだぁーつぎいくーぞー」

 

 ひぃっくとしゃくりながら、アスカは楽しげに、歌うような調子で言いながら嗤う。無自覚の悪魔の如く。

 

「ひぃっ…………ひっく……」

 

 男の一人がアスカが成した破壊の痕跡に腰を抜かして尻餅をついた。

 危ない足取りで確実に一歩ずつ近づいて来るアスカに誰も動けない。男達は身の危険を感じているのに、蛇に睨まれた蛙の如く動けない。分かっているのだ。今のアスカの前で下手な動きを見せて気を引いたら真っ先に標的になると。

 

「この――」

 

 だが、助けの手というものは確実に用意されている。特にこのような喜劇の場であれば必ず。

 

「――――――馬鹿たれがぁぁぁぁぁぁっっ!!」

 

 酔いも覚めるような鬼女が何時の間にかアスカの背後に忍び寄っていて拳骨を真上から叩き落とした。

 

「あふんっ」

 

 ゴチン、と半端のない音が広場に響き渡り、酔っぱらっていたアスカは微妙に色っぽい声を漏らして崩れ落ちた。

 その頭には漫画のように大きなたん瘤があり、叩き落とされた拳骨の強さを物語っていた。

 猛威を振るっていた酔っ払いアスカを苦もなく沈めた鬼女――――後ろにアーニャとネカネを従えた天ヶ崎千草は、流れた黒髪を払いのけて今日は休みの日なので私服らしい着物を揺らす。

 

「まったく、あれほど酒は飲むなと言ってるのに。誰よ、アスカに酒を飲ませたのは」

 

 周りがアスカの心配をしてしまうほど頭から落ちたように見えたのに、アーニャは地面に沈んでいるアスカを心配するような素振りを欠片も見せずに周りを睨む。飲ませた張本人である大学院生らしき男はこそこそと逃げていた。三十六計逃げるが勝ちを選んだようだ。

 口振りから以前にも似たような事例があったと周りで聞いていた者達は考えた。

 

「あら、新田先生じゃないですか」

 

 地面に沈んでいるアスカの首根っこを掴んで引きずりながら、新田を見つけたネカネが近づいて来る。

 前から掴んでいるの、あの掴み方ではアスカの首が締まっている気がするのだが新田も流石に突っ込めなかった。

 

「すみません、御迷惑をおかけしまして。」

「い、いや、こちらこそ何も出来なくて申し訳ない」

「愚弟には強くきつく厳しく言いつけておきますので。前にお酒を飲んで家を壊した時にあれほど酒を飲むなと教え込んだというのに、まだまだ足りなかったようね」

 

 なにやら物騒な言葉とドロドロとした粘着質なオーラがネカネから湧き出るに従って、ギリギリと力が入ってアスカが割と危険な痙攣をしているのだが、女性陣は誰も気にした風はなかった。アーニャなんて蹴りを入れてる有様である。

 新田の体も余波で震えていた。条件反射で反応してしまうほどオーラを浴びて肉体が怯えているようだった。

 

「私からもお楽しみのところをお邪魔してすみません。直ぐに撤収しますので」

 

 直接的な迷惑を被っていた大学サークルの方に謝っていた千草が合流した。

 ここでアスカの為を思って引き止めるか、それとも見なかった振りをするか。それが問題だ。

 

「ええ、お元気で。アスカ君にもよろしく伝えて下さい」

 

 新田が選んだのは後者だった。毒々しいオーラに日和ったと言ってもいい。それぐらい女性陣が怖かったのだ。

 

(すまない、アスカ君。今度、君の為に秘蔵のお菓子を上げるから許してくれ)

 

 連れて行く、ではなく連行されていくという言葉が似合う四人を見送る新田は心中でアスカに謝り、お中元で貰ったが勿体なくて食べずにしまっておいたとっておきを今度送ろうと心に決めた。

 姿が見えなくなるまでその場にいた全員が無言で見送った。そしてさっきまでの光景を忘れようと、皆がそそくさと酒を飲み始めた。

 

「おい、打撃もやるな」

「ふ、寝技も中々凄いぜ」

 

 酒鬼の恐怖を共に生き抜いた格闘団体の間に仲間意識が生まれて固い握手を交わして、同じ席で酒を酌み交わしていた。後日、彼らの団体は合併して打撃と寝技を融合させた新団体に生まれ変わったという。

 

「千草さんとネカネさん――――可憐だ」

「え!?」

 

 自分も今見たことは忘れて酒を飲もうと考えた新田は、皆が元に戻った中で去っていた二人が消えた方向を見つめていた瀬流彦が恋する乙女のように頬を上気させて零した言葉に絶句した。

 アスカにしたサドなところが彼の好みのどストライクだったらしい。

 ちなみに、翌日に現れたアスカに怖々話を聞いた新田は更に絶句した。なんと、彼の中には昨日の放課後から後の記憶がなかったのだ。あまりのも恐ろしすぎて追及できず、彼はこの事実を墓まで持っていくことに決めた。

 


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