魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第29話 忍び寄る足音

 

 召喚された時は何時も不思議な感触を覚える。何度も行ってきたことが慣れることはない感触に惑いつつも表情には出さない。その程度には慣れたということだろうかと自問しつつ、ゆっくりと瞼を開く。

 

「召喚に従い、参上した」

 

 悪魔といえど雇用主には下手にである。この場合の雇用主は召喚者であり、目の前の立つ少年に他ならない。

 跪いたまま顔だけを上げると、過去の召喚者とは似ても似つかない風体に悪魔は眉を顰めた。

 

「これは珍しい。今回の召喚者は可愛らしい少年のようだ」

「…………悪魔なのに口が減らないね」

「失礼。久方振りの召喚で舞い上がっていたようだ。気を悪くしてしまったのなら謝ろう」

 

 深く一礼する。相手が見た目とは裏腹に生物としての格が上と認めた上での謝辞であり、召喚者を敬う為のポーズでもある。

 

「まあ、いいよ。仕事を頼みたいんだけど」

 

 召喚者も悪魔の性質などはご存じなのだろう。深くは突っ込みはせず、早々に召喚した目的に映った。

 指を伸ばして悪魔の額に触れて来る。すると、召喚者の記憶が流れ込んできた。

 

「彼女の能力を確かめてほしいんだ」

 

 ピタリと召喚者の記憶が特定の人物を視界に映したところで止めた。

 

「これはこれは、可愛らしい少女だ。活発そうで、こういう少女が悲哀に沈むところを見たいものだが」

「あくまで確認だけにして。使い物にならないと困るんだ」

「仰せのままに。ところで、召喚者の記憶に出て来た人物の中に気になる者がいるのだが」

 

 所詮、悪魔は召喚され使役されるだけの存在。召喚者の命令に逆らうことはありえず、召喚された悪魔もそのことを込みで承諾しているのだ。

 少女よりも若い金髪の少年は、悪魔の記憶にある在りし日の過去を呼び起こす。

 

「言うと思ったよ。多分、君の考えている通りだと思う」

「今回の召喚主は良く調べてらっしゃる。同時に底意地の悪い方のようだ」

 

 頷いた召喚主に、悪魔は隠しもせずにほくそ笑んだ。 

 

「これでも苦労したんだけどね。()の過去を調べ、該当する悪魔達を調べるのは」

 

 ()と言った時に召喚主の人形染みた表情に走った感情の細波に、苦労したと言った言葉とは裏腹の熱を感じ取った悪魔は喜びで笑いたくなった。

 

「強そうなお人ですやん。その悪魔さんは斬ったら駄目ですの?」

 

 部屋の暗がりの中から召喚主と悪魔以外の声が響いた。

 

「君は自分の得物を使えるようになりなよ」

「斬った方が調子が良くなるんですよ」

「彼は仕事があるから駄目。他に呼んだ悪魔にして」

「弱いの斬っても張り合いがないんや。その御方やったら」

「駄目なものは駄目」

「ケチ~」

 

 妖気とでもいうべき気配を放つもう一人の人物は、悪魔の前に姿を現すことなく召喚主に諌められて下がったようだ。

 もう一人の人物の気配が探知外まで遠ざかったのを確認した悪魔は面白いとばかりに破顔した。

 

「いやはや、面白い方を飼っておられるようだ」

「面倒なだけだよ。それに別に飼ってるわけじゃない。ただの仕事上のパートナーだから」

 

 狂犬と一緒にされることを嫌ったのか、口調だけは言葉通りに捉えられるがやはり感情が籠っていない。

 こういう人形のような召喚主が感情を爆発させたらどうなるか、見てみたいものであると悪魔は内心で考えながら本題が切りだされるのを待った。

 

「目標の子は日本の麻帆良都市学園にいる。君はこれからそこへ向かい、これで彼女の能力を確かめてもらいたい。確認が終わったら後は好きにしていいよ。出来るかい?」

 

 渡されたのは魔法的な力が込められたペンダントだった。生憎と専門ではない悪魔にはどのような力があるのかは分からないが。

 

「無論と答えておきましょう。しかし、よろしいので? 御身の記憶を見た限りでは少女の周りには実力者が多い様子。場合によっては召喚主が気にしている少年と闘うかもしれませんが」

「…………終わったら好きにしていいって言ったよね。なんで僕に聞くのかな?」

「いえ、ならばいいのです」

 

 自分の感情すら分かっていない様子の召喚主が面白いと悪魔は笑いを漏らす。

 これだから長生きは止められず、これから向かう地で待っている少年のことを思うと愉快で堪らない。人間で言えばアドレナリンが大量に溢れ出ているような上機嫌になっていた。

 

「ところで、何故私だったのです? あの地に遣わされた悪魔は私以外にもいたはずですが」

「それなら大した理由はないよ。六年前に召喚された悪魔の中で、名前が分かったのが君だけだったんだよ」

「はて、私の記憶が確かならば前回の召喚の時に召喚主はいなかったと思いますが」

「苦労したと言ったろ。メガロに保管されていた資料を忍びこんで読んだんだよ。そこで君の名前を見つけた。特定の悪魔を召喚する時は情報があった方が呼びやすいからね。まぁ、もっとはっきりとした理由を挙げるなら――――」

 

 暗に自分を選んだ召喚主の理由を聞かせろと聞いている等しい言葉に、召喚者の少年――――フェイト・アーウェンルンクスは彼らしからぬ仕草で鼻を鳴らした。

 

「――――単なる嫌がらせだからね」

 

 そして悪魔は、過去からの来訪者は麻帆良学園都市へと向けて動き出す。

 春から夏にかけて穏やかな温かさが次第に熱を帯びてゆく時期。時間は穏やかに過ぎていく。静けさの中で小さな不安を棘のように撒き散らしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園女子中等部三年A組、今日の最後の授業は担任教師であるネギによる英語の時間になる、なるのだが。

 

「で、では―――――次の所を……和泉さん」

 

 ネギの状態はふらつき、頬がこけている。はっきり言って尋常ではない。

 指名された亜子が立って指定された英文を朗読しているが、果たしてネギの耳に入っているのだろうか。

 

「ネギ先生……」

 

 3-Aネギ大好き'sのトップ数人の中に入る宮崎のどかは授業もそっちのけでネギの心配ばかりしていた。心配をしているのはほぼクラス全員に言えることだが。

 

「ネギ君、疲れてるっていうかなんかゲッソリとヤツれてない?」

「遅い五月病か?」

「気の早い夏バテとかー」

 

 教壇でフラフラするネギの様子に様々な憶測が飛び交う。教室全体でやっているものだから、個人の声は潜めても全体ではさざ波のように聞こえてしまう。でも、疲れているネギにはそれにすら注意が及んでいないようだ。

 アーニャはアーニャで注意力が散漫で、見事なまでに目を開けて寝ているアスカに気づいてすらいない。

 幸か不幸かフラフラしていてもネギはしっかりと授業を行い、授業そのものについては問題なく進んでしまった。どれだけ授業を聞いていたのか物凄く怪しいのだが。

 丸伸びしたチャイムが鳴り響いた。

 

「それじゃあ今日はここまでに~……」

 

 間延びしたチャイムが鳴り授業が終って、ネギが授業の終了を宣言して頭を下げ、フラフラと偶に黒板や壁にぶつかりそうになりがら、アーニャに引っ張られる様にして教室を出て行く。

 何時もならそこでクラスが騒がしくなるのだが、今回はネギ達の様子がおかしいことで少し違った。

 あやかを始めとして彼を心配するもの多数。普通の人間でよほど嫌いでなければ心配するのも当然で、中には行動を起こす者がいた。ふらふらと蛇行運転しながら廊下を歩くネギの後を、建物の角からこっそり覗いていた綾瀬夕映、宮崎のどか、古菲が追う。

 

「ネギ先生達が何かを隠していると、のどかはそう思うのですね」

 

 ここ数日、ネギの様子がおかしいことに気付いたのどかが夕映に相談したことがこの行動の発端である。

 宮崎のどかには二人の親友が居る。早乙女ハルナ、綾瀬夕映の両名である。とりわけその二人の内、夕映とは格別に親しかった。

 

「う、うん。修学旅行の時も何かあったはずだし」

「それは私も気になっていたのです」

 

 職員室に入った二人が出てくるのを待つ二人は、修学旅行の出来事を思い出す。

 

「何人かがホテルから姿を消していました。私達は知り合いに会いに行ったアーニャさんと連絡が取れなくなり、格闘系の人達が様子を見に行って帰れなくなったと聞きました。ですが、のどかの話を聞けば全く違うことになります」

 

 ネギが来る前は前髪で眼を隠すという髪型で人との接触、特に異性に対しては男性恐怖症なのでないかと噂されるぐらいに引っ込み思案だったのどか。のどかが先生であるネギ・スプリングフィールドに想いを寄せていることは、それの程度に関してはともかくとしてクラスの全員が知っている事実である。

 

「どういうことアルか?」

「彼らは船に乗ってどこかの島に行った、とのどかが教えてくれました。つまり、あの日の行動として私達に伝えられた物は偽りということになります」

 

 勉強をしないだけで頭の回転の速さはクラスでも屈指の夕映が立てた推測に付いていけない古菲は、まだ詳しく理解できていないようだ。のどかだって理解できているわけではない。ただ、現実として自分の目で見た物が、与えらえた情報と食い違うのは認めざるをえない。

 

「島に向かったメンバーの中にアーニャさんの姿はなかったとのことです。ですが、帰って来た時にはいた。逆説的ですが、アーニャさんはその島にいたということになります」

「ん~、実際にその島でアーニャがいたのを見ていたのではないアルか?」

「どうしてか気を失ってて、気が付いたら帰って来てたんです」

「島で何があったのか見ていたら確定だったんですが……」

 

 それが残念でならないと、夕映は悔しがっていた。

 何かがあったのは確かなのに、唯一現場にいたのどかが気を失っていて見ていないのだ。知的探求心の塊である夕映は大層、惜しんでいた。

 

「しかも、のどかと一緒に密航した明日菜さんが彼らと関係を深めていて、この半月でネギ先生らの異変。明日菜さんも何らの関係があるはずですが、本人聞いてみましたがはぐらされるばかりです」

 

 のどかに相談を受けた夕映が原因を究明するために動くのは自明の理であった。だが、のどかと途中まで行動を共にしていた明日菜にははぐらかされてしまい、更に問い詰めようとしても逃げられる。

 退屈な日常に無い物を求めていて知的欲求に取り憑かれた彼女の欲望は、のどかから与えられた好機に物の見事に食いついた。

 

「これは現場を抑えるしかありません。で、聞き込みをしたわけですが」

「聞かれても私には分からないアル」

「だとしても一緒に来られても困るのです」

 

 夕映が最初に取った行動は聞き込み。あの日にいなかった面々に近い同じ格闘系の古菲から始めたのだが彼女も何も知らず、暇だからと同行することになったのは良い事なのか悪い事なのか。

 選ぶ人を間違えたと思い、情報通の和美のところに最初から行けば良かったのだ。彼女から有益な情報も手に入れられたのだから。

 

「朝倉さんから、明日菜さん達がエヴァンジェリンさんの家に頻繁に通っているという情報を手に入れました。何やってるか突き止めるですよ、のどか」

「う、うん」

 

 情報通の和美に確認すると明日菜らは放課後にエヴァンジェリンの家を訪れて一、二時間程経ってから女子寮へと戻っていることを聞いた。エヴァンジェリンの家の直ぐ傍にネギらの家があり、彼女も修学旅行の時にいなかったメンバーの一人なので何らかの関係があると夕映は推測した。

 今までの情報を統合して考えると、エヴァンジェリンの所へと行ったことであれだけ疲労する原因があると思われる。で、気になったので皆で尾行してみようという話になったのだ。

 コソコソとみんなでネギとアーニャを追いかけていた時、噂をしていたら何とやらでアスカと一緒にいるエヴァンジェリンと落ち合った。何やら四人で話しているので会話を聞こうと首を伸ばすが、流石に距離が遠すぎて聞こえない。

 

「むぅ、聞こえないです。古菲はどうですか?」

「距離がありすぎて無理アル。近づこうにも後少しでも踏み込めば間違いなくバレるアル」

「あの、五十メートル近くありますけど、これでも駄目なんですか」

「最近のアスカは異常アル。この前なんて百メートル離れてたのに視線を向けただけで反応したから、これぐらいの距離の方が無難アル」

「…………どこの原始人ですか、アスカさんは」

 

 ネギとアーニャの二人は注意力散漫なのもあって割と近くで尾行できたのだが、アスカが合流したとなればあまり近くには寄れないので、この為に用意していた双眼鏡を取り出して観察する。

 当然、双眼鏡を使わなければ顔が良く見えない距離で声が聞こえるはずもない。

 

「な~に怪しいことやってんの三人とも」

 

 突如として柱の角からネギ達を隠れて見ていた三人の後ろから声がかかる。

 

「あ、朝倉さ!?」

「しっ、のどか! 大きな声を出したら気づかれます」

 

 声をかけてきたのは情報をくれた朝倉和美である。しかし、このタイミングで話しかけられるとは思っておらず、のどかが驚いて大きな声を出しかけたのを隣にいた夕映が慌てて口を押える。

 当の和美は何が楽しいのか、ニヤニヤと笑っている。

 

「向こう動き出したよ。放っておいていいの?」

「そんなわけないでしょ。行きますよ」

「ちょっと待った」

 

 そうしている間にもネギ達はエヴァンジェリンと何か話しながら、学校の玄関を抜けて街に出ていく。夕映の先導で後を追おうとするが、その前を和美が塞ぐ。

 

「もしかして邪魔をする気ですか」

「いやいや、古菲がいるのにそんなことしないって」

「なら、目的はなんです?」

 

 夕映はあくまで頭の回転が速いだけで、腹芸を出来るほどではない。和美に腹芸を仕掛けられても勝ち目はなさそうなので、ネギ達を見失う前に妨害をする目的を問うた。

 

「一枚、写真を撮らせてくれたら通してあげるよ」

「写真?」

「アンティークのを買ったばかりで試し撮りをさせてほしいのよ」

 

 そう言って和美が取り出したのは彼女にしては珍しいポラロイドカメラだった。

 どきそうにない和美。古菲がいるのだから力尽くで突破することは珍しくないが、それは最後の手段である。こうやって考えていること自体、無駄な時間である。写真の一枚ぐらい試し撮りをされても困ることはない。

 

「分かりました。ですが、急いで下さい」

「はいよ」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべたまま、パシャリとシャッター音が下りた。

 ジ―ッとポラロイドカメラから写真が現れる。

 

「では、行かせてもらいます」

 

 その写真を見届けることなく、夕映の先導で三人は先を行ったネギ達を追いかけんと小走りで向かう。

 三人を見届けることなく現像された写真の方に注目していた和美は、最初はキョトンとした表情だったが徐々に楽しそうなそれに変わっていった。

 

「これは面白くなりそうだね。私も行こっかね」

 

 持っている写真には差し出された腕に噛みついているエヴァンジェリンと、その光景を物陰から覗き見ている夕映達三人の姿が映っていた。

 こんな楽しそうな光景がこれから見れるのだと楽しそうに笑い、どうやってか持っていたポラロイドカメラを一枚のカードに変えて先に行った三人の後を追った。

 

「これでは尾行にならないです」

「まーまー、気にしない気にしない。バレナイって」

「あ、雨アル!」

 

 四人で喋りながらではとても尾行とは言えない。事実、建物の影に身を隠して後を追う四人がいる道路の反対側から指を差す子供の純粋な瞳が眩しい。母親の犯罪者を見たような対応に気づかなかったことは幸運か。

 

「お………あの家がエヴァンジェリンさんの家ですか? 四人で入っていく―――――」

 

 途中から雨が降ったことでずぶ濡れになりながらも見つからないように藪に身を潜めて夕映が言った。

 振り始めた雨にネギとアーニャが折り畳み傘を取り出して、男と女で別れて相合傘になっていたり、道中に色んな苦労はあったものの、どうにか目的地まで尾行出来たらしく、街外れにある一軒の木造りのログハウスへと二人で消えていった。

 

「しかし、毎日通ってヤツれるってことは、こりゃアレかなー」

 

 仕草で顎に手を当てて、和美が親父染みた想像したのか笑みを浮かべて何か重々しい感じで口を開いた。

 

「ドレですか?」

 

 ボケ役は揃っていてもイマイチ突っ込み役が不在の為か会話が回りにくいので、仕方なく突っ込み役に回らざるをえない夕映が問いかけた。

 

「いやー、そりゃ大きな声ではあまり言えないよーな、マル秘のアレ」

 

 和美は夕映の問いかけに、ピシッと指を立てて勿体付けて答える。

 

「そ、そんなはずありません!」

 

 真っ先に反応したネギに恋するのどかが和美に迫る。その顔は火照っていた。耳年増らしく何が言いたいかを察したようだ。案外、同人誌を作るためのハルナの資料を見せられたのかもしれない。

 

「コラコラー、何を考えているのですかっ!?」

 

 本来ならばこういう突っ込み役はハルナにでも任せたいところだが、肝心の彼女は修羅場に陥っている同人誌への追い込みのためにいない。

 和美が何を言いたいのかを理解しても引っ込み思案ののどかでは突っ込めず、古菲は何のことか見当がつかずに首を傾げていた。となると残るのは夕映のみ。和美の暴走を止めるために顔を紅くしながらも突っ込むのだった。

 

「ゴ、ゴメンゴメン、冗談だって」

 

 流石に真剣にネギに告白までしたのどか相手にこれ以上、茶化すのは不味いと悟った和美は素直に謝る。

 

「あれ? 誰もいないアルよ?」

 

 ネギ達の姿が完全にログハウスに消えたのを確認して、四人は雨の中を水溜りを蹴飛ばしながら走って近づき、窓から中を覗き込む。

 

「おかしいなー。確かに二人で家に入ったのに」

「お風呂にもトイレにもいないアルよ」

 

 サラサラと降っていた雨が本格的になり始めてきた。夏のように雨に濡れたからといって大丈夫な季節ではない。体も冷えてきたから、このままでは風邪を引いてしまいかねない。

 チャイムを鳴らしてもドアをノックしても誰も返事をしないため仕方なく、悪いと思ったが無断で逃げ込むようにエヴァンジェリンの家に忍び込んだ。

 傍目には犯罪だがクラスメイトだからと許されると考えている部分があった。雨宿りだと言い訳も忘れない。

 しかし、四人が先に入っていくのを見たのにおかしい。誰もいない。確かに四人ともが家に入るのを見たのに、ロビー、キッチン、寝所。果ては風呂やトイレまで探し回ったが、家の中は神隠しでも起きたのかと思うほど静かだった。

 

「み、みなさん、こっちへ~~っ」

「何かあったの?」

 

 手分けして家捜ししていた時、のどかと夕映が地下室で何かを見つけたみたいで、二人を呼びに来た。地下へ降りる途中、山のように置かれた人形が怖かったのは内緒である。実は夕映が最初に見つけた時、ちょっとチビッたのは秘密である。

 地下へ続く階段の奥にあったのは大きな扉。そこを開けると、夕映がスポットライトを浴びている台座の上に乗った大きいボトルシップみたいなものを覗き込んでいた。そのガラスと思しき球体の中には、塔のミニチュアが入っていた。

 それを指差して、のどかがこの中にネギがいるのを見たって言う。

 

「え!? どーゆーことアルか?」

「ですから、小さいネギ先生が――――」 

「ん?」

 

 後からやってきた古菲が夕映に聞いていると和美はどこからか「カチッ」とした音に気がついて辺りを見渡す。

 

「おっ?」

 

 足元に魔法陣が浮かび上がり、和美の姿が消失した。まるでどこかに飛ばされたみたいに。

 

「……ほぇ?」

「あ……」

 

 和美と同じように「カチッ」と音が鳴り、古菲、のどか、夕映の順に足元に魔法陣が浮かんでその姿を消失させた。残ったのは大きいボトルシップだけで少女達の姿はどこにも無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四人の少女達が謎のボトルシップらしきものを発見し、その姿を消失させた丁度その頃、二人の少女が下校の途についていた。

 一人は赤毛に耳を隠す程度のショートヘアとそばかすの少女。もう一人は腰まであるロングヘア、もう一人の少女と同年代と思えない身長とプロポーションを持っている女の子。彼女達と同じ三年A組の生徒である那波千鶴と村上夏美。インパクトの大きい外見を持つ者が多いA組の中で、あまり目立たない子と一際目立つ子の組み合わせだ。

 突然の雨であったが千鶴がしっかりと鞄に折り畳み傘を携帯していたお陰で事なきを得て、二人で一つの傘を差して川沿いの道を女子寮に向かって歩いている。

 

「ネギ先生、大丈夫かなー」

「風邪かしらねぇ。心配だわ」

 

 二人の話題はここ数日、調子の悪そうなネギのこと。

 千鶴は普段、麻帆良学園都市内の保育園で保母としてボランティアをしている。普段から子供を見慣れている彼女には、その理由までは分からなくとも、ネギの僅かな変化も見逃さなかった。

 元より心身ともに母性的な少女だ。普段からネギとアーニャの事を保護者のような目で見ていたのだろう。勿論、その対象にアスカも入っている。麻帆良広しといえど、アスカをただの子ども扱い出来る女子中学生は彼女だけだろう。

 

「あら?」

 

 雨が振っているといってもこのまま何事もなく帰るはずだった中で、千鶴が何かに気付いて視線を動かした。

 

「こんにちわ、お嬢さん方」

 

 雨が降っている中で傘もささず、帽子を被って薄汚れたコートを着ている四十代から五十代くらいの老境に入った男が道のど真ん中に立っていた。

 明らかに不審な人物に、千鶴と夏美の全身に緊張が走る。

 男の服装は異様だった。まだ暑い時期にも関わらずコートなんて着て、雨が降っているのに傘も差さないで濡れるに任せている。どう見ても不審人物であった。

 

「そんなに緊張しなくても何もしない。少し聞きたいことがあるだけなのでね」

「聞きたいことですか?」

 

 敵意はないし、何もする気はないと両手を上げてその場から動かずに問いかけてくる男に、千鶴は十分な距離を取ったまま問い返した。

 

「イスタンブールから仕事で来たばかりでね。イスタンブルールは分かるかね? トルコのことだよ。流石にトルコの場所が分からないとお手上げだが」

「はぁ……」

「仕事で来たのだが道に迷ってしまったようでね。良かったら道を教えて頂きたいのだが」

 

 生返事をした夏美の横で千鶴の中で、目の前の相手は危険であると警鐘が最大限に鳴り響いていた。

 多少危ない人や近寄らない方が良い人はある程度幼い頃から感じることが出来た。もしかしたらこの感受性が千鶴の精神を大人の領域まで引き上げたのかもしれない。その感受性が言っているのだ、目の前の男は今までに会った誰よりも危険だと。

 

「どこへ行きたいのですか?」

 

 問いかけながらも、目の前の男を止められる人物を脳内で弾き出す。

 警察は駄目だ。目の前の男は千鶴が知る範囲では犯罪を犯しておらず、ただ危険だと感じたからでは動いてはくれまい。それに警察ではこの男を止められるとは思えない。

 国家権力では駄目ならば腕っぷしに自慢のある者しかいないが、果たしてこの男を止められるのか。それこそ人外染みた強さがある高畑ぐらいしか思いつかないが、高畑は出張で麻帆良にいない。

 

「この都市で最も偉い者がいる場所へ」

「近衛学園長へですか?」

「ああ、仕事をする前に話しを通しておこうと思ってね」

 

 話の内容はそれほどおかしいところはないのに、こうやって話をしているだけで心が汚染されていくようだ。夏美も千鶴の反応のおかしさに気づいて、背中に隠れてしまっている。

 

「失礼でなければ、用件をお聞きしても?」

 

 かくいう千鶴も剥き出しの膝が震えだした。夏美がいなければ逃げ出しているか、へたり込んでいるかしているだろう。

 

「君のような美人なら喜んで教えたいところだが、残念ながら守秘義務があって答えられない。すまないね」

「いえ……」

「ところで、そろそろ近衛学園長がどちらにいるか教えてもらってもいいかね」

「私達は学生でするので学園長室がどこにあるかまでは…………」

 

 学園長室は千鶴達が通う女子中等部の校舎の中にあるが、しらばっくれことにした。こんな不審人物を招き入れるわけにはいかない。

 

「やれやれ、どうやら嫌われてしまったようだ」

 

 男には千鶴の思惑など簡単にお見通しのようだったが効いた風はない。

 

「貴方がどちら様か知りませんが、この雨の中で傘も差さず、名乗りもしない方を親切になど出来ません」

「ち、ちづ姉!」

 

 この言い方では気分を害し、手を出してくるかもしれないが千鶴は気丈に接する。

 オロオロする夏美を尻目に得体のしれない老人を前にしても気丈な態度で接する千鶴。隣にいる夏美が怯えきっているのとは対照的に、千鶴は男の非紳士的な行為を正面から指摘した。

 

「おや、これは失礼お嬢さん。婦人に対して名乗りもしなかったのは私の落ち度だ」

 

 意外にも、素直に受け入れて謝罪する男。

 危険性を察知しているのに平常通りの言葉遣いで話を続けている時点でかなり胆が据わっている。意外そうに、面白そうに千鶴を見ている。

 こういった状況ではたいていの場合、今の夏美のような態度をとられる老人にとっては非常に興味深い反応であり、老人は思わず笑みを浮かべた。雨に濡れるのも気にせずに帽子を取ると、慈愛に満ちた視線で千鶴を見る、

 

「私はヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・ヘルマン伯爵。伯爵などと言ってはいるが、没落貴族でね。今はしがない雇われの身だよ」 

 

 取った帽子を胸元に掲げ、軽く優雅に一礼して名乗りを上げた。

 没落貴族だとしてもその動作は堂に入っており、雪広あやかという正真正銘の雪広財閥のお嬢様が間近にいる夏美の目でも伯爵と名乗っても何の違和感はなかった。

 

「そうだ。美しいお嬢さん達、何か願いごとはないかね。今ならサービス期間中につき、先着三つまで格安でお受けするが」

「…………? 願い事? 間に合っていますわ」

「そうかね、残念だ」

 

 千鶴に対して願い事はないかと尋ねてみるが、はっきりと拒絶された。 しかし、男――――ヘルマンは気にした風もなく笑い、くるりと身を翻した。

 

「気丈なお嬢さんだ。私を相手にこのような反応ができる人間は非常に珍しい。()といい、君のことも大変気に入った。その勇気に免じて、一度だけ嘘を見逃そう。それと忠告を一つ」

 

 恐怖を覚えているのは震えている手を見れば分かる。それでも逃げなかった勇気はヘルマンの興味を十分に引くものであった。まるで塩の像と化したかのように恐怖に打ち震える夏美こそが普通であり、千鶴のような反応を見せる人間は極稀だ。

 

「今宵はきっと嵐となろう。今日は早く帰りたまえ。では、息災を祈っているよ」

 

 そう言ってヘルマンは千鶴達の前から姿を消した。千鶴達の心にどうしようもない影だけを残して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンの家から姿を消した四人の少女達は、気がついたら見たことのない場所に立っていた。

 上を向けば青い空に白い雲。下を向けば小さな砂辺もあれば辺り一面の海もある。おまけに煌く陽光まで完備されており、まるで南国のプライベートビーチを思わせる。

 辺り一面の水平線。今いる彼女たちがいる場所は海に浮かぶように作られている白亜の建物から伸びる手摺もない橋に?がった円筒状の塔の上。白い石畳に書かれた五芒星が描かれており、彼女たちはそこに立っていた。

 

「どうなってるアルか?」

「へ?」

 

 辺りを不思議そうに見渡しながら困惑を露にする古菲とのどか。

 

「何か見覚えがあるね」

「そうですね、どうやら先程のミニチュアと同じ場所のようです」 

 

 その中で和美は何となく見覚えがあるような気がして、夕映が彼女の言葉からヒントを得て見えている風景が自分たちが先程あったボトルシップの中にあった場所にいることが分かった。

 

「じゃあ、さっきのネギ先生も……」

「多分、本人であると推測されるです」

 

 どうやら彼女の話によればここはあのミニチュアの中であるらしく、さっきのどかが見たネギらしい人物も本人であると推測できた。夕映は相変わらずの鉄面皮ようだが自分の意見を述べる姿は興奮しているようだった。そしてその意見は恐らく合っているであろう。

 のどかの疑問を解消する大きなヒント。否、もはや答えは目の前にある。ここまで大規模な事が出来ることに好奇心が更に刺激されて大きな瞳に歓喜を湛えていた。

 そういうわけで少女たちは、恐らくネギがいるであろう白い石畳の橋の向こうに見える場所に建っている白亜の宮殿に向けて、橋を渡るために歩を進めて行った。

 

「うわっ、こんな高い橋に手摺ないし!」

「わははははっ、滅茶苦茶高いアルね~」

 

 手摺がないことに驚いたものの臆した様子のない和美と、何とかは高いとこが好きとでもいうのか楽しそうな古菲を先頭に一行は進む。

 

「ゆ、夕映~」

「大丈夫ですよ、のどか。非日常な出来事は胸躍る思いです。学校のつまらない授業などよりも余程、楽しいですよ」

 

 例えるなら高層ビルと高層ビルとの間に渡された少し丈夫な板の様な物でしかない。心臓が止まりかねない景観が丸見えなのである。しかも、高さに比した程ではないが、少なからず風が吹いていた。

 

「って、ゆえっちも膝震えてるけど――――」

「これは武者震い、ということにして下さい。お願いですから」

 

 生まれたての小鹿みたいに震えている夕映の膝を全員見なかったことにするらしくコメントは差し控えた。怖いのは皆同じだったからだ。しかし武者震いとは、日本語とはこういう時には便利である。

 色々あったが、突然の突風が吹くことも無くどうにか橋を渡り切った。

 そして白亜の宮殿に辿り着くと階段が見えた。階段を抜き足差し足で降っていくと、突如仄かな明かりが漏れる扉のちょうど壁際で先頭に立つ和美の動きが止まる。掌を上にして静止のジェスチャーをかける。ちなみに万が一、何かあった場合に外に伝えるために古菲は残っているのでいない。

 和美に続いていたのどかと夕映も揃って歩を止める。そして和美が聞き耳を立てているのを見習って耳を欹てる。すると何やら話し声が聞こえてきた。

 

「も、もう限界ですよ。これ以上は――――――」

「少し休めば回復する、若いんだからな」

 

 一体、何が限界なのか、と三人が共通の疑問を抱いた。そして何故休めば回復するのか、とも。

 彼女たちは言葉の断片から推測するより他にない。推測するに当たって変な方向に思考が回るので三人の体温は異常なほどの上昇を開始する。直ぐに色事に意識が傾いてしまうほど十四歳は多感な時期である。つまり、エロに興味を持つのは男ばかりではないということだ。

 

「あっ、ダメです」

「いいから早く出せ。ふふ、流石に若いだけあって旺盛だ」

 

 艶のあるエヴァンジェリンの声と、怯えたようなネギの声、声に合わせて小さい衣擦れの音が耳に届く。一体何を出すというのだろうか、耳年増である夕映も顔面が体温の上昇と伴って紅く染まっていく。しかし問題はそれだけに留まらなかった。

 

「ダ、ダメですよ。エヴァンジェリンさん」

「痛くはせんよ。ほら、寧ろ気持ちいいだろ?」

「う……ぁ……」

 

 どう考えても淫靡に聞こえる内容に、年頃の少女達の脳裏にはネギを尾行する時に和美がふざけて話した18禁な映像が流れていた。特にのどかの顔は完熟トマトのように真っ赤に熟れて「あわわわわわわわ」と言いながらガクガクと震えだし、彼女よりかは震度は小さいもの夕映も同様に頭は完全にオーバーヒート。

 限界に達した少女たちはその声の主たちを止めるべく彼らの前に顔を晒した。

 

「「「何をやっ…………て……?」」」

 

 物陰から飛び出した少女たちの声の勢いが急速になくなっていく。彼女たちの眼前に広がっていたのは淫靡さとは懸け離れていた光景だった。

 

「ん?」

「エ、エヴァンジェリンさん、そそそ、それ以上は~~~」

 

 二人が並んで座っていて、血を吸われて今も顔を少々歪めて懇願するネギと、その腕に噛み付いて血を吸う子供が御飯を口に運んでいる時に声をかけられたような顔のエヴァンジェリン。

 

「…………何だ、お前達」

「え、と……………………何やってるのですか?」

 

 エヴァンジェリンはネギの腕から口を離して突然、現われた少女達に問いかける。

 末だにダメージが抜け切らないのどかを除いて、まだダメージが少しはマシな夕映が代表してそもそもの疑問を口に出す。エヴァンジェリンの問いには答えていない。

 

「授業料に血を吸わせて貰っているだけだよ。献血程度のな。多少魔力を補充せんと稽古もつけれんし…………」

 

 不法侵入を咎める前にこうしてネギの血を吸っている経緯を素直に説明するエヴァンジェリンも、もしかしたら現われた少女達を前に混乱していたかもしれない。

 

「「ええ~~~?!!」」

 

 血を吸っているとか、魔力とか、分からないことばかりで二人は怒号のような悲鳴を白亜の宮殿内に鳴り響かせた。

 

「何事っ!!」

「どうしたんやっ!」

「危険です! お嬢様、下がってください!!」

 

 すわ、敵襲かと思って真っ先にアーティファクトのハリセンを片手に駆けつけた明日菜。明日菜に若干遅れて木乃香、刹那と続き、刹那が先に着いた木乃香を庇って後ろに下がらせ、鞘から抜き放った夕凪を構えた。

 

「「「えっ?!」」」

「「「あ」」」

 

 現われるはずのない三人が現われて困惑の声を上げるのどかと夕映。先程の声の主が敵襲ではなくて夕映達だと分かって間抜けな声を上げるのだった。

 

「ぷくくくっ…………最高っ!!」

 

 写真でこの光景を見ていたのである程度の察しがついていた和美は、一人で壁を叩いて襲ってくる笑いを必死に堪えていた。

 

「これはどういう状況アルか?」

 

 夕映達の声に急いで階段を飛ぶようにして下りてきた古菲が見たものは、ハリセンと刀を構えたまま固まった明日菜と刹那、その後ろに庇われた木乃香と、正対して口をポカンと開けたのどかと夕映、一人で爆笑している和美の姿だった。

 状況が混沌とし過ぎていて、さっぱり意味が分からない。

 

「知らん。私に聞くな」 

 

 なんとなく上げた疑問の声に答えたのはエヴァンジェリンだったが、彼女も事情が分かるはずもないのでにべも無く斬り捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 針山と称するしか出来ない空間に、二つの小さな影が動き回っていた。

 

「ケケケ、コッチダゼ」

「逃げんな!」

「鬼サンコッチ、ダ」

 

 針山の一つに着地し、尚も移動し続けるのは片言で話す自動人形であるチャチャゼロである。その後ろをアスカ・スプリングフィールドが追う形であった。

 アスカは裸足で氷で出来たらしい氷の氷山の一つに爪先で着地すると、チャチャゼロを追ってまた飛ぶ。

 

「浮遊術ハ使ッテナイダロウナ」

「見りゃ分かんだろうが。使ってねぇよ」

 

 先を進むチャチャゼロは後ろを振り返りつつ確かめるが、言う通りアスカは空を飛べる浮遊術を使っていないようだ。この戦いの約束事の一つとして浮遊術を使っていないことになっているので、真面目に守っているようで何よりだ。

 

「ソレッ」

「っ!?」

 

 チャチャゼロが転進して、その手に持っている鉈のような刃物で追ってきたアスカに斬りかかった。

 斬りかかられたアスカは慌てず身を逸らして斬撃を避け、お返しとばかりに借りた魔剣を切り上げる。

 

「ハンッ、温イゼ」

 

 チャチャゼロはさっき斬りかかった手とは逆に持っている鉈を振り、重さを利用して下から上がって来る魔剣を避けて。回避の為に振った動作を次の攻撃へと続ける。

 

「そっちがな!」

 

 横合いからやってくる刃を魔力を収束させた太腿で受け止め、同じく魔剣を持っていない手を拳の形にしてチャチャゼロに放つ。

 この一撃を鉈で受け止めた二人の距離が開く。

 

「ヒャッハァッァァァァァァァァァ!!」

「ハァアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 互いに奇声を上げながら、氷の氷山の上を舞踏の如く舞う。そんな奇怪な光景を目撃したアーニャは、目の周りに隈を作りながらどんよりとした視線を向けた。

 

「どこの戦闘民族よ、アンタら」

 

 トイレに行ったら奇声が聞こえるから来てみれば、なんともコメントに困る光景にアーニャは吐き捨てざるをえなかった。

 遺失魔法の再現を任せていたネギが本格的にエヴァンジェリンの師事を受け始めた所為で、その作業をアーニャがやっているのだが一向に捗らない。たった一人で散逸していた部分を再現して見せたネギの頭脳と、前までは針山で倒立することすら苦難していたのに今では戦闘が出来るまでになっているアスカの才能に嫉妬する。

 

「アンナ様、こちらにおいででしたか」

「ん? ああ、自動人形の」

 

 寝不足と作業の進みなさ具合にイラついていたところに背後から声がかかった。

 振り返った先に立っていたのは、エヴァンジェリンが付けてくれた自動人形。チャチャゼロから続いている茶々シリーズで、主であるエヴァンジェリンの魔力が封印されているので別荘の管理を任せている個体の一体。見た目はどことなく茶々丸に似ているが――――茶々丸が似ているのかもしれないが――――茶々丸と違って感情を僅かとも感じさせないその姿は少し苦手だった。

 

「マスターがお呼びです」

「エヴァが? 私だけ?」

「アスカ様もとのことです」

 

 エヴァンジェリンが別荘にいる者を突然呼び出すことは珍しくない。しかし、アスカとアーニャを同時に呼び出したことは今まで一度もない。アーニャの中で嫌な想像が膨らむ。

 

「…………もしかして、なにかあったの?」

「存じ上げません。マスターからお二人を至急連れてこいとの命令です」

 

 茶々丸なら用件ぐらい聞いてくるぐらいはするが、自動人形は主であるエヴァンジェリンの命令に従いすぎて融通が全く利かない。不便とまではいかないが、どうにも気持ちの面で良い気はしない。

 

「直ぐに行くからちょっと待って」

「承知しました」

 

 自動人形が大人しく引き下がるのを見て一安心する。

 ごねると実力行使で命令を執行しようとするので、本当に融通が利かないのだ。あまり待たせてもくれないので、今も戦っている一人と一体に視線を向ける。

 

「どうやってあれを止めよう……」

 

 アーニャが止めるにはレベルにはかなり厳しい領域で戦っているので、即座に方策が思い浮かばなかった。

 寝不足で考えが纏まらず、取りあえず全部燃やそうと思い立つまで後数分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは私が造った『別荘』だ。ちょっと前に少しだけ使ったがそれ以来放っていたが、坊や達の修行のために再び掘り出して来た」

 

 来てしまったものはしょうがないが人の家への不法侵入に対する罰だけ(茶々丸の鋼鉄の腕による拳骨によって四人の頭の上に漫画のような大きなタンコブを作っていた)はしっかり与え、エヴァンジェリンがこの場所の説明を行っていた。

 

「へー、こんなモノ造ってしまうとは魔法使いとは凄いアルねー」

 

 ヒリヒリするタンコブを痛そうに摩りながらもキョロキョロと辺りを見渡す古菲。一連の魔法関連の話を聞いても直ぐに復帰する辺り、理解しているのかしていないのか怪しいものである。

 

「全く…………勝手に入って来おって一応言っておくがな。この別荘は一日単位でしか利用出来ないようになってるから、お前達も丸一日ここから出れんからな」

 

 エヴァンジェリンは全く懲りた様子のない古菲に腰に手を当てて呆れた表情を浮かべ、同じような様子の他の少女達にも向かって言葉を続ける。

 

「「「「ええ―――――?!」」」」

 

 暴露された衝撃の真実に侵入者たる四人の少女たちは揃って驚愕の声を上げた。

 この『別荘』の主であるエヴァンジェリンは勿論、利用者であるネギ、明日菜、刹那、木乃香に驚きの色はない。利用する前に事前の説明を受け、それを理解した上でここにいるのだから驚く理由はない。

 

「じゃ、明日まで出れないアルか?!」

「聞いてないよっ!」

「明日の授業どうするのですか―――――っ!」

「…………!」

 

 順に古菲、和美、夕映、のどかと続けざまに、まるで親鳥から餌を貰う雛の如くエヴァンジェリンに向かって囀る。

 そもそも不法侵入者である彼女たちに事前の説明など出来るはずもなく、それで責められたとしても自業自得としか言いようがないが人間というものは他人に責任を転嫁する生き物である。

 

「ああ、もううるさいな。安心しろ。日本の昔話に『浦島太郎』ってのがあったろ。ここはそれの逆だ」

 

 ビーチクパーチク囀る少女達を鬱陶しげに見やり、説明するためか何時か見た教師スタイル(眼鏡+差し棒+黒板)を茶々丸に用意させた。

 エヴァンジェリンが説明しながら黒板に書いたのはネギの一日のタイムスケジュール。

 朝の睡眠から古菲との朝練、朝食を取ってから学校に行き、放課後になったら最近入ったエヴァンジェリンとの修行の項目が追加されている。そこに更に横に追加されたもう一日分のタイムスケジュール。違うのは睡眠からは魔法勉強、基礎訓練、実践訓練などの修行一色に染められた一日。

 

「ここで一日過ごしても外では一時間しか経過していない。これを利用してこいつらには毎日丸一日たっぷり修行してもらっている」

 

 書き記された図を見てエヴァンジェリンの説明を纏めると、通常の学校もあるタイムスケジュールの中にあるエヴァンジェリンとの修行の間にもう一日別荘内で過ごしているということだ。

 ちなみに一日の仕上げに実戦稽古を行っているが5~15分ぐらいしか持たない。というか、それ以上はまだ無理。

 

「ということはネギ先生は仕事をした後に、もう1日ここで修行したということですか?」

「教職の合間にちまちま修行しててもラチがあかないからな」

 

 爛々とした目で問いかける夕映を訝しげに思いながらも問いに正直な考えを返す。

 

「てコトはネギ坊主、一日が二日アルか!?」

「いえ、最初はそうでしたけど今は僕がお願いして三日にしてもらっています」

「時間が増えるのは私にとっては都合がいいがな」

 

 古菲の驚きに更に上乗せするようにはにかんだ笑みを浮かべながらぶっちゃけてしまったネギ。強くなりたかったネギがエヴァンジェリンに無理を言って頼んだのだ。

 

「「「ふええ~~~~~!?」」」

 

 ネギの周りに集まった三人が衝撃の事実に驚きの声を上げる中で、彼、彼女たちから少し離れた場所から眺めていた和美は、腕を組みながらネギの学校でのヤツれ具合は当然だと納得した。

 

(丸二日もぶっ続けで修行した後に血まで吸われたらヤツれもするわな、そりゃ。しっかし、別荘か。魔法ってのは凄いね)

 

 事前に魔法のことを知っていた和美は改めて魔法の凄さを思い知った。

 燦々と輝く太陽はまるで南国。広い海はコバルトブルーで綺麗な色をしている。この場所での一日は外の一時間ということを知ったら、あまりのデタラメ具合に溜息を漏らすばかりだった。そこで同じように彼女たちの輪に入っていなかった明日菜たちが眼に入り、「はて、なら彼女たちはどうなのか?」と疑問に思った。

 

「そういえば明日菜たちはどうして?」

「木乃香がエヴァちゃんに弟子入りしているのよ。その繋がりでね」

 

 近づいて問いかけてきた和美に最初から用意していたように明日菜が答える。何時かは聞かれると分かっていたので返答に澱みはない。 

 

「それじゃ刹那さんお願い」

 

 話はここまでと打ちきり、明日菜は刹那に呼びかけながらハリセンを構えた。

 

「こちらこそよろしくお願いします。」

 

 刹那も一礼して持っていた木刀を構える。そして明日菜が打ち込みを始めた。素人ゆえに無軌道な太刀筋だが、刹那はそれをきっちりと見極めて捌いて時々、明日菜に対してアドバイスをしていた。

 木乃香はそんな二人を見守っている。

 ただ剣を打ち合わせる簡単なものだが、素直にアドバイスを受けるので明日菜の上達は早く、センスもいいのだろう動きが見る見るうちに精錬されていく。

 

「明日菜さんは桜咲さんに剣道を習ってるんですか?」

「剣道っていうか」

 

 ちゃっかりとネギの隣を確保しつつ、突如として始まったチャンバラにのどかは気になって訊ねた。

 打ち合わせながら会話をするといった他に意識を割くことは難しいようで明日菜の剣筋が乱れて行く。それでも止めないのは、まだ始めたばかりなのと剣だけでなく余所にも意識を配るようにしているから。

 

「よっ、はっ、わっ!」

「やはりなかなか筋がいいですよ、アスナさん」

 

 空がうっすらと暗くなっていく時間帯にハリセンと木刀がぶつかりあう音が鳴り響く。

 刹那の言うように明日菜の元々の運動能力に加えて、刹那には師としての才能もあるか一般人のレベルからすれば上等と呼べるものであった。のどかの方に意識を割きつつであることを考えれば中々の動きである。

 

「でも、何でイキナリ?」

「私は修学旅行で何も出来なかったらっ!」

 

 和美もそれが気になって聞いてみた。

 最後にいいのが入りかけて語尾が強くなったが、上手く説明できていない。彼女の中にも上手く形になっていないのかもしれない。

 

「ええい!」

 

 両手でハリセンを振り回すアスナ。その動きは初心者には到底見えなかった。傍目から見ても刹那の方が技量は上だが、まだ粗い面が目立つもののなかなかに様になっている。

 

「ふ~ん」

 

 明日菜の返答に納得したわけではないが踏み込みづらい雰囲気を感じ取って、それ以上の追求はしなかった。

 修学旅行の時のことは、ほぼ傍観者であった和美にはかなり大変だったとしか聞かされておらず、明日菜の無力感は分からない。

 次の木乃香の方に視線を向けると、

 

「うちはな、魔力が暴走して危ないって言われて頑張って魔法を習ってねん」

「では、木乃香さんは魔法を使えるのですか?」

「それがまだやねん。ようやく魔力を感じ取れるようになったところで、先はまだ長いわ」

 

 本当に大変やわ~、とポヤポヤとした笑顔で言われたもんだから夕映も困った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンの別荘は今までにない数の来客を迎えていた。

 吸血鬼の別荘、と言葉にすると物騒極まりないが、そこは思いのほか清々しい空気に満ちていて集まった少女達の騒がしい声が響いていた。

 ネギの体調不良を心配した一部生徒たちが原因はエヴァンジェリンにあると考えに至り、色んな経緯を辿って彼女の住んでいる家に押しかけた。そして地下にあるボトルミニチュアの形をした『別荘』を見つけてしまい、中に入ってしまったのだった。別荘の主からしっかりとお叱りを賜り、今は―――――

 

「ん~~♪ 何時も思うけど茶々丸さん達の作った御飯って美味しい!」

 

 太陽が地平線に半ば沈み。何時もの食堂ではなく。塔の上に設けられたテラスで取る事になった。そこで開かれた夕食会のなかで明日菜の歓声が上がった。

 別荘は一回入ると二十四時間、つまり丸一日は出ることが出来ない。

 だからといって不法侵入をした四人の御飯を用意する義務は、この別荘の主であるエヴァンジェリンにはない。というか、なんでそこまで面倒を見なければならないと詰め寄って来た古菲や和美に対する返答である。

 流石に明日菜達も不法侵入した彼女達を擁護することが出来ず、ネギはエヴァンジェリンの威圧に屈したために助けの手はない。

 これ見よがしエヴァンジェリンが秘蔵の食料を出して他の子たちに歓声を上げさせるのだから性質が悪い。水分だけは取らして貰えるのが空きっ腹を刺激する。

 

「クク、良き哉、良き哉。お前達、そんなに飯が食いたいか?」

 

 ワインが入ったグラスを片手に、おいしそうな匂いや食べ続ける明日菜たちを見てダラダラと涎を垂らす古菲や眼がギラギラとした和美や夕映、諦めた様子ののどかを楽しそうに見ながら話しかけた。

 返事がどうかなど、飢えた獣が目の前で食べ頃な獲物を用意されたような目が全てを物語っていた。

 目の前であれだけ豪華な食事の数々に諦めた様子を見せていたのどかでさえ、普段は草食動物のような否好戦的な視線から肉食動物のようなギラギラとした輝きをチラチラと見せていた。

 

「まずは足を舐めろ。さすれば貴様達の望みを叶えてやらんでもない」

 

 黒のニーソックスに包まれた小さな足が緩やかに動き、スカートの裾から伸びる白く細い太腿がゆっくりと露になる。ワイングラスを片手に持ちながら少女達の前に組んだ足を差し出して女王様然とした笑みを浮かべる。

 少女達の顔に揃って激震が走る。

 まず料理を食べられる明日菜達はエヴァンジェリンのドSな提案にドン引き。そこまでしなくても御飯ぐらい上げれば良いのにと思っていた。

 反対に不法侵入した夕映達といえば、『別荘』に入ったことで外との時間にズレが生じているが体感時間ではちょうど夕食時、普段なら寮で御飯を美味しく食べている時間帯。胃は空腹を教えるように鳴り響き、目の前で美味しそうな匂いを振り撒く料理が消費されていくのを見れば口の中で唾液が溢れて止まらない。 

 

「もう我慢出来ないアル! プライドなんて空腹に比べれば安いものアル!」

 

 少女達の中でも運動系の古菲は消費カロリーが多い。空腹度で言えば断トツで、人間として手放してはならないプライドを捨ててまでエヴァンジェリンの提案の乗ろうと身を乗り出した。

 

「古ーちゃん、早まっちゃ駄目よ!」

「その一線を踏み越えたら人としていけません!」

「そうですよ、それは流石に不味いです!」

 

 級友であり戦友を押し留めようと、今にもエヴァンジェリンの足を舐めようとしている古菲を必死に止める。

 近くで繰り広げられる人間としての尊厳を掛けた一幕と、足掻く少女達を楽しそうに眺めるエヴァンジェリンの対比に、明日菜達の顔が引き攣っていた。流石にここは止めるべきだろうかと目で相談する。

 それよりも先に、エヴァンジェリンがダメ押しの一打を入れてしまう。

 

「ほれほれ、早くせんと止めてしまうぞ」

「止めるなアル!」  

 

 目の前でゆらゆらと揺れるエヴァンジェリンの足こそが食料と言わんばかりに、古菲の目が血走っていた。あまりにも空腹に成り過ぎて正気を失いかけているのか、拘束する夕映達を実力行使に振り払いそうな雰囲気を出し始めた。

 これには明日菜達も誰かが怪我をする前に止めるべきだと判断して、力押しで止められそうな明日菜と刹那が立ち上がって――――――――――彼女達の機先を制するように横を通り抜けた人物を見て安心したように座り込んだ。冷めるので止めていた食事を再開する。

 

「まずはニーソを脱がせよ。だが、手は使うなよ。犬のように全部口で――――」

「何をやっとるか」 

 

 目の前で繰り広げられる醜い人間劇にご満悦な笑みを浮かべてダメ押しの命令を言いかけたが、何時の間にか隣りにいたチリチリパーマのアスカが額にデコピンを食らわした。

 

「へぶぅ!?」

 

 余程、デコピンの威力が強かったのかエヴァンジェリンは変な悲鳴を上げる。そしてヒットした額からは威力が強かったのかシュウシュウと煙が上がっていた。

 エヴァンジェリンの手から中身の入ったワイングラスが宙を飛びかける前に、アスカの後ろで湯気を出す物体が乗ったカートを押して来た茶々丸が腕を飛ばして――――ロケットパンチで――――で見事にキャッチ。中身も零すことなく受け止めた。

 

「あああアスカ、何をする!! というか何時の間に来た!!」

 

 デコピンで後ろに跳ね飛んでソファに後頭部を打ち付けてフリーズしていたエヴァンジェリンは、起き上がり拳のように戻りながら叫んだ。

 

「呼んだのはお前だろうが」

「いや、そうなんだが。そこで冷静に返されてもな」

「ケケケ」

 

 天然なのか、狙ってやっているのか分からない。まだ痛むのか紅くなっている額をスリスリと摩りながら言い募るエヴァンジェリンは悔しそうに唸る。アスカの頭の上でこちらもチリチリパーマになっているチャチャゼロが嗤っているのが癪に障る。

 

「ところでなんで焦げてるんだ?」

「アーニャの野郎が俺達を止める為に魔法の矢を撃ってな」

「あの小娘の得意な属性は火だったな。成程、火炙りになったか」

 

 だから揃ってチリチリパーマになっているのだな、と愉快な姿が見れたのでさっきの忘れてやるかと内心で考えたエヴァンジェリンだったが、

 

「いや、うっかり迎撃したら魔剣が爆発した」

「は?」

「アホミタイナ魔力ヲ込メルカラ暴発シチマッタンダヨ、御主人」

 

 ほれとばかりに差し出された、柄だけになった魔剣をしげしげと眺めたエヴァンジェリンは「またか」と顔を歪めた。

 

「これで何本目だ? 程度が低いとはいえ、市場に流せばかなりの金額になるのだぞ。もっと大事に扱え」

 

 木乃香よりも魔力量が上で、人類でもトップクラスの魔力量のアスカが扱える武器は少ない。しかも魔力コントロールが出来るようになったので0から100まで出力を一瞬で上げれる様になったことで、かなりの強度がないと武器自体が耐えられずに自壊してしまう。

 

「つってもな」

「アスカの馬鹿みたいな魔力を一身に受けられる武器は少ないのだぞ。伝説級でもなければな。流石の私もそこまでのは持っていない」

「俺にも親父の杖みたいな武器があればな……」

「あれは例外だ。武器は私の方でも探しておく」

 

 無手でも戦えるアスカだが折角詠春に神鳴流を習ったのだ。使わないのは勿体ない。使える武器があればだが。

 ふと、周りが静かなことに気づいたエヴァンジェリンは柄だけになってしまった魔剣を近くにいた自動人形に預けて周りを見て固まった。

 

「……って、茶々丸?! 何をやっている!」

 

 アスカと話していたエヴァンジェリンは茶々丸の行動を見咎めて叫んだ。

 

「マスターの命令通り作っていた賄い料理を皆さんに」 

 

 最初からマスターであるエヴァンジェリンに命じられて作っていた賄い料理を振舞っているだけなので、茶々丸はその通りに答えた。

 

「飯~~っ!」

 

 出された簡単な賄い料理に古菲が奇声を上げて齧り付く。他の子たちも古菲のように奇声は上げなかったものの獣の如く飛びついた。

 

「それは後でだと言っただろ! あ、貴様ら命令をこなしていないのに食べるんじゃない! ってこら神楽坂明日菜に刹那! 邪魔をするな!」 

「もうエヴァちゃん、照れない照れない」

「まあまあ、良いじゃないですか。それぐらいなら」

 

 言う事を聞いても同じものを食べさせるとは一言も言っていない。足を舐めても食べれるのは半分にも満たない、少ない賄い料理だけ。

 主の意識がアスカに向いていたので渡しても問題ないと判断した茶々丸の行動は、当然エヴァンジェリンの意図したものとは懸け離れている。でないと、足を舐めても賄い料理しか食べれない絶望を味わわせられない。

 しかし、半分にも満たないが一応腹の足しにはなる賄い料理を獣の如く食う少女達にエヴァンジェリンの静止は届かない。力尽くで静止しようとして明日菜と刹那に羽交い絞めにされて直ぐには振り解けない。

 

「馬鹿ばっかだな」

「なんでちょっと自慢そうなのよアンタは」

 

 一瞬にして喜劇と成り果てた眼前の光景に何故か胸を張っているアスカの頭を叩いたアーニャは、状況の混沌さと厄介さに気づいて深い溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 結局、エヴァンジェリンの静止も虚しく賄い料理全てが夕映達の胃の中へと消えた。賄い料理でも十分に美味しいので茶々丸の好意で用意されていた御代わりまで食べ尽くし、満腹に満たされた夕映達とは反対に一人だけ打ちひしがれるエヴァンジェリンの姿があった。

 夕食会も終わり、それぞれの余暇を楽しんでいる中、宴会場の端で何やら息込んだ夕映がネギに迫っていた。そして出てきた言葉はネギにとって大破壊のものである。

 

「ネギ先生、私も魔法使いになれないものでしょうか?」

 

 ネギが魔法使いである、という事は既に自明の理。魔法という存在さえ知ってしまえば、十歳で先生になれるなどネギ達の身辺は怪しすぎる。

 ネギが困って周りを見ても、苦労を分かち合ってくれるアスカとアーニャはいない。汗を掻いたから流してくると風呂に行ったアスカと、見れた顔ではないので別の風呂に向かったアーニャを恨んだネギであった。

 

「ええっ、魔法使いに!?」

 

 その突拍子もない発言に、ネギはしばらくその意味が分からず数秒後、同時に驚いていた。ネギは一瞬呆然として、事の重大さに気がついた。

 

「やはり、無理ですか? 一般人ではダメ、とか?」

「いえっ…………必ずしもそうではないですが」

 

 殊勝な心がけにネギは言葉を濁すが、そこにぐいっと夕映が踏み込んでくる。

 

「では、是非!」

 

 洪水のように交わされる二人の会話。巻き込みたくないとなんとか断ろうとするネギであったか、情熱的な上に一応、理論にも筋が通っている夕映を断りきれないネギ。横から突けば簡単に崩れる理論ではあったが。

 

「ダメですよっ。無関係なあなた達生徒を危険な目に合わせる訳にはいきません」

 

 非日常のリスクはどこの世界でも変わりない。例えるならヤクザや裏社会と同じだ。非日常や裏と名がついている時点で表の世間に誇れるものではないのだから。魔法使い事態は陰ながらの社会貢献が金科玉条といってもだ。

 

「ええ、ですから危険と冒険に満ちた『ファンタジーな世界』に足を踏み入れる決意は既に固めています」

「でも……」

 

 ネギの静止に対して綾瀬さん達の決意は固く、決意の言葉を言っている。

 煮え切らないネギの態度に業を煮やした夕映は、対象を変えてネギの魔法の師エヴァンジェリンに次なる目標を定めた。目標を定めた夕映の行動は速かった。一目散にエヴァンジェリンの下へ向かい、自説を語る。

 

「――――――――――という訳なのですが」

 

 何故、魔法使いは自身たちの存在を秘密にしなければならないのか理由が気になるも、もっと気になることがゴロゴロとあった。

 まず会話や状況から推察するにエヴァンジェリンはかなり強力な魔法使い。更に学園の不思議……………広大な地底図書室や動く石像、巨大な世界樹。これらの不思議は全て「魔法使い」が麻帆良学園を造ったと考えれば非常に納得がいく。

 推論すると世界中にかなりの規模の魔法使いの社会が存在することになる。夕映は図書館島や学園の秘密、魔法使いのことが知りたい。ここまで来て習わない手はない。

 

「なに、魔法を私に教えろと?」

 

 イライラを発散するように酒をがぶ飲みした甲斐もあって、ホロ酔い加減になって機嫌が戻ってきたところを邪魔されて少しご機嫌斜めになったみたいだ。

 思案気に高価そうな透明度の高いグラスに入った酒を傾けて揺ら揺らと波立つのを見ている彼女の考えは読み取れない。だが、どう好意的に見ても夕映の願いを肯定的でいるとは考え難い。

 

「やはり駄目ですか? 一般人には魔法を教えることは出来ないということですか?」 

「いや、一般人云々よりもただ単に貴様に魔法を教えるのが面倒なだけだ」

 

 更に言い募る夕映に対するエヴァンジェリンの返答は極あっさりとした単純で明快な理由だったので、夕映は口をペケ印にして唖然とした表情になった。

 

「他の奴らみたいに一般人が関わって来ることを否定せん。肯定もせんがな。正直に言えば一切合切どうでもいい」

 

 他の魔法使いとは違って一般人が係わってくること事態を別段否定しない。ぶっちゃけどうでもいいというのが感想だ。だからこそ、夕映やのどかが係わってくることに関して思うこともなく、自分の迷惑にさえならなければどうでもよかった。

 事実、エヴァンジェリンとしてはただでさえ時間がないのにこれ以上の弟子を取ることは不可能だった。それにそもそも教えを請いに来た夕映に彼女の食指が働かない。

 

「ならば、何故」

「はっきり言うが、貴様如きに時間を割いてまで教えてやる魅力を感じん。それに尽きる。つまらんのだ」

 

 例えばアスカ。他の追随を許さない圧倒的な戦闘才能。ナギに良く似ていることからも将来が楽しみだ。

 例えばネギ。溢れんばかりの才能と遺失魔法を一部とはいえ再現したその頭脳は、エヴァンジェリンを実に満足させてくれるだろう。

 例えば木乃香。ネギ程の才能は感じられないが、極東最大の魔力等の資質は一級品。仕事の一環として戯れ、暇つぶしとしては上等であろう。

 翻ってエヴァンジェリンは目の前に立つ少女を見た。

 秀でた素質や変わった精神性を持つ者ではない。これで興味を引く動機でもあれば別だったが、彼女の感覚では「つまらん」で終わってしまう。

 

「どうしても教えてほしかったら」

 

 しかし、眼の輝きが尋常ではない夕映を相手にしないために、エヴァンジェリンは溜息混じりに指をある人物――――――――ネギへと向けた。

 

「向こうに先生がいるんだからそっちに頼め。魔法先生にな」

 

 そう言われると夕映たちはさして反論せずにその自分の下へと向かい。エヴァンジェリンに言われたことをそのまま伝える。

 

「あの、いいんでしょうか。マスター」

 

 流石にエヴァンジェリンが自分に押し付けられたとあっては、ネギも理由もなく断ることは難しい。

 

「勝手にしろ。どうなっても私は知らんがな。いっそクラス全員にバラしゃーいいんだ」

 

 今現在、ネギ達が麻帆良に現われてから魔法を知ることになった生徒は増加傾向にある。このペースでいけば全員が知ることになってもおかしくはない。

 特に当事者であるネギ達はまだまだ子供で、魔法を知った生徒達中学生は好奇心やら幼い正義感やらで何かをしようとする。その好意を無碍に拒絶することはきっとネギには出来ない。

 何だかんだと言って許容してしまうのがネギだ。付いて来た者を振り払うことが出来ない。それが、危ない。生徒達が魔法を知ること自体は問題ないかもしれないが、不必要な危険に巻き込む可能性を大きくすることにはやはり不安を感じずにはいられない。

 これらをエヴァンジェリンは全てを分かった上で言っている。変わってきたといっても彼女の本質は『闇の福音』と呼ばれた頃のままなのだから、自分から飛び込んだ者の面倒まで見る気はない。

 

「まあ『別荘』は外よりも魔力が充実してるから素人でも案外ポッと使えるかも知しれんぞ?」

 

 この言葉が切っ掛けとするように、夕映の眼にギラつく炎が大きくなるのが見えた。背後でのどかが静止しようとしているが届いてはいなかった。

 

「ネギ先生、お願いします!」

 

 ずいっと体を近づけて迫る夕映に、不承不承にネギが諦めたように息を吐くまで後数分。 

 

「ではこの杖を振りながらこう唱えてください。プラクテ・ビギ・ナル、火よ灯れ」

 

 ネギはどこからか練習用の三十センチほどの初心者用の杖(星型、惑星型、月型、羽型が先についた)を何本か用意して自ら実演するために、月型の飾りが先についた杖を手に取った。

 「プラクテ・ビギ・ナル」と言うのは、自分専用の始動キーを持たぬ初心者の魔法使いのための仮の魔法始動キーだ。

 本来、魔法使いは、自分専用の『始動キー』と呼ばれる呪文を持ち、魔法を詠唱する際は最初にそれを唱えるものなのだが、この魔法のように誰もが共通の始動キーを用いて行使する魔法も少なからず存在している。それは、魔法を学ぶための練習用の魔法、或いは日常生活に密着した目的を持つ誰もが使う魔法。こうした魔法は最初から誰もが共通の始動キーを唱えて発動するように呪文が構成されているのだ。

 『火よ灯れ』の魔法は、料理や夜の灯り等、かつては日常生活でも頻繁に使われていたコモンスペルの一つだ。実用性が失われ、実際に使われる事こそ少なくなったが、今でも魔法学校や身内に最初に習う魔法である事に変わりは無い。

 ネギが杖を振って呪文を唱えると杖の先に小さな炎が現れた。杖の先に火を灯すだけのなんとも地味な魔法であるが、一般人である少女達から見ればそれだけでも凄い光景だ。二人はその様子を見て感心しておぉーっと拍手が上がる。

 

「ま、こんなのよりライターを使った方が早いんですけど初心者用の呪文ですね」

 

 この魔法は練習用の魔法なのだ。

 現代では昔より科学技術が進み、大抵のことは魔法を習得するより圧倒的に早いし使う人間を選ばない。昔の人間が見れば今の技術も十分に魔法染みていると言える証拠だった。

 魔法世界でも昔は火打ち石の代わりに使われていたそうだが、使う人がいなくなったわけではないが今は魔法界にもライターがあるので実用的な魔法ではなくなってしまった。

 

「お、何々? 面白そうなことやってるねえ」

「私も混ぜるアル!」

 

 和美や古菲も混じって杖を片手に呪文を唱えるが上手くいかない。

 

「プラクテ・ビギ・ナル、火よ灯れ!」

 

 ネギに聞いた事を念頭に息を一つ吐き、意識を集中して呪文を唱えた。

 魔力とは、空気、水、その他全て万物に宿るエネルギーを息を吸うように体内に取り込み、杖の一点に集中するイメージで火を灯す。

 

「まあまあ、普通は何ヶ月も練習しないと」

 

 和美や古菲が笑っているように張り切って唱えた夕映の杖の先には何の変化もない。初心者がいきなり火を灯せるはずがないのでネギが慰めるように言う。

 幾らエヴァンジェリンの話で、この『別荘』の中では魔力が溢れているといっても素人が最初から上手くいくはずもない。

 

「プラクテ・ビギ・ナル―――――って何かハズカシイねコレ」

 

 途中参加の和美がふざける様に杖をくるくる振る。当然魔法は発動しない。魔力をちゃんと扱ってなければ、これでは呪文はただの言葉になる。真剣に取り組んでいるのどかや夕映でさえ無理なのだ、杖を振る程度では魔法は起きるはずがない。

 

「そう言えば、明日菜たちは出来るの? コレ」

 

 和美は杖を振っていてふと気になって、食後の憩いの時間を過ごしていた明日菜たちに問いかけた。

 

「私は無理。そもそも魔法使いの修行なんてしてないし」

「私は出来ます。ラン」

 

 明日菜が即答し、彼女の隣に座っていた刹那の指先に火が生まれる。西洋とは違う詠唱(?)なので陰陽術か。

 

「よし、ウチもがんばる!」

 

 そう言って木乃香が気合を「ムンっ」と入れて取り出した初心者用の杖を振り回しだした。

 この杖はアーニャから貰ったものである。この様子に明日菜と刹那は顔を見合わせて苦笑してしまった。頑張っているが、未だに魔法のマの字も扱えていないのが木乃香の現状なのだ。

 

「あれ、木乃香は魔法を使えないの?」

 

 他の二人は承知の事実のようだが、和美は魔法使いの修行をしている木乃香ならてっきり楽勝かと思っていた。

 

「感じ取れても魔力を扱うってことが出来んくてな。火も灯せへんねん」

 

 頑張って杖を振り回していたが自分に掛けられた問いに手を休め、しょんぼりとした様子で答えた。

 本来、魔法使いの修行と言うものは時間が掛かる。それも当然で、元々きちんと認識される事の少ない魔力と言うモノを、しっかり感じ取れるようにならなければならないのだから時間が掛らない筈が無い。 実際、これだけ魔力の濃度の高い別荘に居てかなりの時間がかかってようやく木乃香も感じ取ることが出来た。ようやく操る段階に来たところなのだ。

 実際、如何に基礎的な魔法とは言え、その感覚が掴めない内は簡単に発動するものではない。一度しっかり感覚を掴めれば、その先は論理的な構成の解釈と基本的な呪文の記憶が魔法習得における大きな比重を占める様になる。

 

「あれ? でも、この前に私に回復魔法かけてくれなかったけ?」

 

 指先すらも動けないほど疲労している時に回復魔法をかけてもらったことがあったので疑問に思った明日菜が疑問を振った。

 

「じゃあ、魔法使えてるじゃん」

「それがな、どういうわけか他はサッパリやのに回復魔法だけは治れ~って思ったら上手くいくねん。エヴァちゃんやネギ君は感覚でやってるから魔法を使えてるわけじゃないって」

 

 和美の言葉に否定を連ねながら大変やわ、と困り顔を浮かべる。

 鍛錬のし過ぎで疲労困憊だった明日菜を心配した時に魔法が始めて発動して嬉しかった。その後に明日菜を心配する気持ちに反応した魔力によるゴリ押しで効率が悪すぎると駄目だしをされてしまった。自分でも魔力の流れはサッパリで、どうやって発動しているのか良く分かっていない。

 

「それだけお嬢様が治癒に大きな適正を示している証拠です。きっと一角の治癒術師になれるでしょう」

 

 修学旅行の折に木乃香が見せた資質から考えて刹那の言う事も広大な話ではない。本人が努力を怠らなければ莫大な魔力も合わせてそれだけの可能性を秘めている。

 

「ありがとう、せっちゃん。うち、頑張るわ!」

 

 刹那の応援に鼓舞にされた木乃香も、夕映やのどかと一緒になって練習を続けている。

 そこに風呂を浴びてサッパリした風情のアスカとアーニャが戻って来た。

 

「よくやるわね」

「いいんじゃねぇの、頑張るのは」

「まあいいけどね…………取りあえず、人ん家に不法侵入した理由を聞こうじゃないの」

 

 最初は呆れていたアーニャだったが、横に立って肩にタオルを引っかけているアスカが引くぐらいのおどろおどろしいオーラを漂わせ、楽しげにしている面々へと突撃して行った。

 

「骨は拾ってやるから、安心して死んで来い」

 

 取りあえず彼女らの冥福を祈っておくことにしたアスカだった。

 

 

 

 

 

「―――――つまり、学校でネギの様子がおかしかったから後を尾行して来たと」

「「「……はい」」」

 

 自身はテラスにあった椅子に座り、被告人たる綾瀬夕映、宮崎のどか、古菲を石畳の上に直に正座させたアーニャ。その後ろにはネギの姿があった。アスカの姿はない。興味がないと言って、チャチャゼロとどこかに行ってしまった。

 

「和美はなんで? アンタ、魔法知ってるんだから止めなさいよ」

 

 同じように石畳座って、魔法を知っていて止めなければならない朝倉和美に対するアーニャの風当たりは強かった。

 これは失敗したかと背中に冷や汗を流しながら、和美は精一杯の虚勢を張ってカードと取り出した。

 

「私はこれを見て止められないと分かったのよ」

「仮契約カード…………それは写真よね。ん?」

「あ、僕とマスターだ」

 

 和美が持つ仮契約カードを苦々しい顔で見たアーニャの隣で、ネギが写真を見ていた。その写真には夕映達が踏み込む寸前の、ネギとエヴァンジェリンが吸血している場面が撮られていた。

 

「違う違う。これが私のアーティファクト『ミライカメラ』の効果なのよ」

「…………そういうことね。『ミライカメラ』は未来視が出来るアーティファクト。どうせ夕映達を撮って面白そうだからって付いてきたんでしょ」

「正解」

 

 疑問符が話している当人達以外の脳裏に浮かんだ。

 

「朝倉って誰かと仮契約してたの?」

 

 明日菜が口に出したように、そんな話は魔法を知っている面々も知らない。ただ一人、苦い物を盛大に食べたような表情をしているアーニャ以外は。

 

「もしかしてアーニャちゃんと?」

「…………そうよ。なんか文句あるの」

 

 木乃香が恐る恐る問いかけるが、返って来たのは恐ろしい形相だった。慌てて口を閉じる。

 八つ当たりになっていると自覚しているアーニャは深い溜息を吐いて、憤りを吐き出し、気分を平静へと戻す。慣れた物で、通常に戻ったアーニャは渋々口を開いた。

 

「和美のアーティファクト『ミライカメラ』はカメラで映した人物の未来が見れるのよ」

「凄いアーティファクトですね」

「そうでもないよ。色々と制約とかも多いしね」

 

 未来視が出来るなら凄いと素直に感心した様子の刹那に、自分のアーティファクトだから説明役を交代した和美が苦笑と共に続ける。

 

「被写体に事前に撮影の許可を貰わないとシャッターも押せないのよ」

「だからあの時、試し撮りさせろなんて言ったのですね」

 

 ここに来る前に校舎で話しかけた時に頼んできたことを思い出した夕映はあまり良い気持ちは抱いていないようだ。

 

「そうそう、ごめんね騙す形になっちゃって」

「いいのですが、あまりいい気分ではないです」

「とまあ、撮られる相手からしたら良い思いを抱かれ難いしね。騙して撮るにも昨今見ず知らずの人に写真を撮られるのは嫌だろうし」

 

 これがまず第一と区切り、和美は苦笑を深めた。

 

「なんとか撮ったからって見たい時間は選べない。数分後から数日後まで誤差があるしね。他にも自分は撮れないし、撮った写真は見た人の主観によって変わるから、血塗れで倒れている写真が転倒してトマトジュースを溢しているだけかも分からないし」

「使えるんだか使えないんだか分からんアーティファクトやな」

 

 撮った写真も主観によって解釈が変わるのであれば、物によっては振り回されかねないアーティファクトに木乃香も呆れ気味だった。

 

「使い道がないわけじゃないのよ。今回みたいにネギ君が吸血されている場所に夕映っち達が隠れて見ているなんて、魔法バレしているって確信できたから付いて来たみたいに、写真の結果は変えられないけど、そこに関わるかを私自身は選べるから。まぁ、その写真通りの光景が起きるまでは口外することも、誰にも見せることも出来ないから止めようがないのも本当」

「つまり、和美が付いてこなくても結果は変わらないと?」

「多分ね」

 

 使いようによっては強力にもなるが、何時も使えるわけではないので使い様にも迷うアーティファクトといいうことかと全員が理解する。

 

「和美のことは納得したわ。じゃ、次に」

 

 和美から次に向けられた視線の先にいるのは夕映。

 

「夕映は魔法を習いたいと、そう言いたいのね」

「はい、そうです」 

 

 アーニャから迸る威圧は留まることを知らず、威圧に晒された夕映は涙目となって大人しく聞かれたことに答えていた。

 

「まあ、不法侵入に関しては家主から許可が出ているから問題にはしないけど」

 

 エヴァンジェリン曰く、「どうでもいい」のだそうだ。料理を作るのも世話をするのも彼女ではなく、従者達なので迷惑さえならなければ問題ないのだそうだ。

 

「「「ふぅ~」」」 

 

 あからさまに安堵した表情で息をつく少女達を、組んだ腕の指先をトントンと忙しなく動かして神経質な様子を見せるアーニャ。

 

「で、何で魔法を習いたいの?」

 

 他の少女達から視線を外し、残った夕映へと眼力が集中する。

 聞かれた夕映はソレに若干臆した様子を見せたものの真剣な表情で口を開いた。

 

「知ってしまった、からでは理由になりませんですか? 危険と冒険に満ちた『ファンタジーな世界』。胸が躍るものです。学校の授業のように退屈ではなく御伽噺のような非日常。私もそんな世界が見てみたいのです」

 

 澱みなく答える夕映の言葉を聞いた瞬間、アーニャは自分でも良く分からない感情に囚われて体を硬直させた。

 夕映の性格を考えるなら十分に納得できる答えだった。別に怒りや悲しみや嫌悪を感じている訳じゃない。なんといったらいいのか。月は遠くから見るから綺麗に見えるだけ、近くで見たら白いデコボコだらけ神秘さなど欠片もないと、彼女が抱いている幻想もそんなものだ。何となくそんなことがアーニャの頭に浮かんだ。

 

「まあ、いいんじゃない。好きにすればって………………なによ、全員揃って狐に化かされた様な顔して」

 

 あっさりと認めてしまったアーニャに、今までの問答は何だとその場にいた全員があんぐりと口を開け呆然としている。

 予想外の返事が返って来たからだろうが、アーニャの口からはまだ全てが語られたわけではない。

 本題はこれから。

 

「時期的には今は中途半端だから、一学期を終えてからで七~九月か…………欧州圏の魔法学校なら丁度いいか。英語の読み書きと会話は出来ないだろうから詰め込みでやったとして、ラテン語とかギリシャ語も出来ないと魔導書とか読めないし、色々と困るわよね。日本に魔法学校があれば楽なんだけど、あるのかしら? いや、そもそもこの年齢で受け入れてくれるのかしら? 受け入れてもらえると仮定して…………」

「あの……一体、何の話を?」

 

 ブツブツと呟き、一人で考えを纏めているアーニャの言葉を聞きつつ、何やら彼女の考えとは外れたところにまで考えが及んでいるのを察して当人である夕映が困惑気味に口を突っ込んだ。

 

「何って魔法学校に通うんでしょ? 一応、立場は見習いだから紹介状とか書けないけど、そこまで魔法に興味があるのなら伝手を頼るぐらいは先生としてはやってやろうって思ったんじゃない」 

 

 祖父であるメルディアナの校長やここの学園長に頼ってもいい。本人が魔法の事を知ってこれだけの熱意を持っているなら無碍にはしないだろう。秘匿の問題もこちらに引っ張りこんでしまえば意味をなさない。

 

「ち、ちょっと待って下さいっ!!」

 

 ようやくさっきから何を言いたいのかを察して、早速とばかりに行動を開始しようとしたアーニャを慌てて静止する。夕映達とアーニャの間に明確な認識の違いがあることに気が付いたのだ。

 

「魔法を習いたいなら魔法学校に通うのが手っ取り早いと思うんだけど?」

 

 アーニャの純粋な疑問だった。そして正論だった。

 

「あのそうじゃなくて、私はネギ先生に教えて貰うことが決まっているのです」

「僕は少しだけ手解きはしましたけど、まだ教えるとは言ってませんよ」

 

 確かにネギは「火よ灯れ」のやり方は教えたが、一度も教えるとは言っていない。

 

「な!?」

 

 もうネギの弟子でいる気になっていた夕映にとっては裏切りに等しい一言であった。

 

「あのね、ネギだけじゃなくて私達の身分は見習い魔法使い…………まだ一人前とは認められていないのよ。ちゃんとした学校に通って免許を持った教師に習った方がタメになるでしょうが」

 

 学校と名がつくだけあって教師は教育課程を経ているので、見習いよりも確実に信頼できる。麻帆良で教員免許もないのに教師やっているアーニャの台詞ではないが。 

 

「ぐっ……」

 

 切って返すように返って来る正論を前に夕映が沈黙する。

 

「うん、それがいいと思います。僕はまだ見習いですし、ちゃんとした先生に習った方がいいですよ」

 

 アーニャの言に同意するようにネギも続く。

 ネギが夕映を教えるということは、言うならば美術学校を卒業したばかりの人間に家で教えを乞うのと変わらない。勿論、人に教えた経験はなく、免許も持っていない。そんな人間に習うか、ちゃんとした勉学に励む場所で免許を持った人間に習うか、どちらがいいのかと聞いているのだ。

 これ以上ないほどの正論。

 

「でも、アーニャ。魔法学校に編入試験とかあったけ?」

「う~ん、入学した時に試験を受けた記憶はないけど、編入はどうだったか記憶にないしな。校長先生に聞いてみないと」

 

 そもそも、ネギ達が卒業した魔法学校は、麻帆良の初等部のようなものだ。つまり小学校。流石に二人が混ざると………………意外と大丈夫かもしれない、と並んでいる姿を想像して思ってしまった。

 

「確かに、魔法は一年やそこらで身につけることの出来る物ではないから、本格的に学びたいならその選択肢が最も妥当だな」

 

 二人の言う事も分かるとエヴァンジェリンが納得の姿勢を出したことで場の雰囲気が変わる。

 そも、麻帆良にいる魔法生徒は大体九割が魔法学校卒業生で研修のために来ている。あと残りは親の都合などでだ。魔法生徒に指導する魔法先生もいるにはいるが、全くの素人を一から教える時間的余裕はないだろう。彼ら、彼女らにも普通の生活があるのだから。

 

「はっ!? ですが、木乃香さんや明日菜さんたちはどうなりますか!? 同じ素人だったはずなのに魔法学校に行かずに習っているではないですか!」

「木乃香の場合は多分に政治的な問題とかが絡んでくるから詳しくは言えんが、諸々の理由で魔法学校に通えない。そもそも神楽坂明日菜は魔法を習っているわけじゃないからな。お前達とは前提が違う」

「ぬっ……」

 

 木乃香たちのこと気付いた夕映がそこに突っ込みを入れるも、冷静すぎるエヴァンジェリンの返答に呻き声を漏らした。

 関西呪術協会の長の娘である木乃香が魔法学校に行くには政治的問題があり、明日菜はそもそも魔法を習っていないので対象外。それでも知的好奇心に燃える夕映はきっと諦めないだろう。

 

「夕映、あなたはこっちのことを何も知らないのよ」

 

 囁くように、嘆くように、悔いるようにアーニャは言った。

 

「アンタが言っているのは結局の所、表の世界にいる人間がこちらに幻想を抱いているにすぎないわ。物語みたいに綺麗な世界じゃないのよ、こっちは」

 

 魔法のことを良く知らないから、、自身が知らぬ未知溢れる世界の都合の良い分だけを見ている。この『別荘』のように、自然ではありえない力を目にしたことが悪影響を与えた理由の一端でもあろう。

 この世界の醜さも、おぞましさも、何一つ見ることなく平穏に過ごせること以上の幸運を彼女たちは知らない。

 

(恵まれているからといって幸福とは限らないのが人間の難しさなのかもね)

 

 恵まれているからこそ夕映のように退屈を感じるのかもしれないし、もっと上を求めてしまうのかもしれない。

 世界はそこに人がある限り欲から、悪からは切り離せないのだと思い知らせるために、アーニャは禁忌の箱を開く。 

 

「見せてあげるわ。極端ではあるけど、魔法のもう一つの側面を。明日菜達も見なさい」

 

 ネギはひっそりと瞼を下ろした。そうすることで見たくない物から目を塞ぐように。

 

 

 

 

 

 一人、離れていたアスカが呼ばれた。

 テラスにやってきたアスカは、アーニャの顔を見た途端にこれから何かをするのかを悟り、表情を引き締めた。

 

「始めるのか」

「ええ、当初の予定とは違ったけどね。本当にいいのね?」

「ああ」

 

 問いに言葉少なに応えたアスカの顔が見ていられなくてアーニャは顔を逸らした。

 これから行うことにはテラスでは狭く、一定の広さが必要になるので大きなホールへと移る。その道中、アスカの表情は彼にしては珍しく凍り付いたように動かない。

 

「ふん、ヤツの生存している事をこの目でしっかりと再確認しておくか」

 

 話だけは聞いていたが実際に自分の目で見るのも悪くない、とこれから行われることに期待しているエヴァンジェリンの呟きを敢えてアーニャは聞こえていない振りをする。

 先にホールに向かったネギが石畳の上にチョークで大き目の複雑怪奇な魔法陣を描いていた。

 

「ネギはこっちに、アスカは私の隣に座れ」

「俺はいい。見てる」

「そうか。なら、後は適当に座れ」

 

 と言って、アスカは魔法陣から離れて座り込んだ。意地でも動きそうにないのを見ると、特に追及はしなかった。

 エヴァンジェリンとネギが車座になって魔法陣の上に円になって座り込む。術者であるネギを基準に時計回りに、エヴァンジェリン→明日菜→和美→アーニャ→刹那→木乃香→古菲→のどか→ネギの順番に輪になって座った面々。

 座り方はそれぞれ、胡坐を掻いて下着丸見えの女の子としてちょっとどうよって言いたいエヴァンジェリン。普通に女の子座りが多い面々の中で異端だった。

 

「皆さん、手を繋いでください」

「待て、ぼーや。私がやろう」

 

 これから使う魔法のために膝立ちなろうとしたネギを静止してエヴァンジェリンが行うと宣言する。よほど過去が気になるらしい。 

 

「えっ、えぇっ?!」

 

 隣りに座っておきながら好きな人と手を繋ぐことに躊躇いと恥じらいを見せたのどかが驚いた声を上げる。

 

「ナニをしているのですか、のどか。急いでください」

「う、うん……」

 

 既に全員が手を繋ぎ終わっており、 夕映に急かされた恐る恐るネギの手を掴んで、

 

「ひゃ~……!」

「のどかさん!」

 

 今にも気絶しそうなほど顔を真っ赤にして叫び声を上げた。手を繋いだネギが声を掛けているも本人は何故のどかが顔を紅くしているのかは理解していない様子。心配はしても気づけない鈍感ここに極まれり。

 

「よし、準備出来たな。では、行くぞ。スプリングフィールド兄弟の過去へと」

 

 全員の準備が整ったのを確認し、楽しげに開始を宣言する。

 

「先に言っておくが、これから行うのは対象の意識を術者の記憶として体験せしめる魔法だ。記憶だから干渉は出来んし、ただ見ていることしか出来ん」

 

 今回は記憶を見せる対象がネギとアスカでありながら、魔法を行使するのはエヴァンジェリンという形を取っている。

 記憶を覗く魔法は、読心術の上級魔法に当たる。高位になればなるほど距離を離して覗けるが、どれほど高位であっても精神という物は繊細でいて頑丈なもの。表層意識ならばともかくそれ以上の深度になれば、そう記憶を見るなどと言う行為ならば了解を得なければプロテクトが係り覗けない。

 これだけの人数を参加させるにはネギには無理。何人も額をゴツンと擦る必要があり、どう考えても不可能だ。

 それをエヴァンジェリンが魔法だけを行うことで、ネギの記憶を繋いだ手を通して見せることで可能にした。ちなみに記憶を見れない茶々丸はチャチャゼロと共に待機するしかないので、外界にて待っている。

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック ムーサ達の母、ムネーモシュネーよ」

 

 ムネーモシュネーとは、古代ギリシアで、ずばり記憶の意であり、学芸の女神ムーサたちの母である。

 そもそも、過去というものは、映像や音声のような形で直に近くすることは出来ない。映像や音声は、常に、現在において、知覚されるものである。従って、過去そのものを映像や音声として体験することは、本来、不可能なはずなのである。かように見ることも触れることも叶わない過去というものを、ある何らかの形で存在せしめているのが、記憶であり、即ち、人間の精神なのである。

 

「彼の下へと、我らを誘え――――――――」

 

 エヴァンジェリンの詠唱に合わせて、魔法陣が光を放つ。視界が全て光に染まった。

 


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