第38話 舞台開幕
学園祭当日は、よく晴れた。夏が近い。朝から刺すようなきつい日差しで、日中はかなり暑くなりそうだった。今はまだ過ごしやすい気温だが、本格的に夏が来ればそんなことを言ってはいられなくなるだろう。
アスカの口から思った言葉が口を突いて出る。
「暑いな」
「ほんまやで。まだ六月やっちゅうのにな」
そう言って隣に立つ犬上小太郎が見上げた先には、六月半ばの梅雨の終わりを告げるような蒼い空が広がっている。
いささか気の早い太陽は、まだ六月の半ばだというのに、焼け焦げろと言わんばかりに地面を全力で睨み付けている。
ムッとするほど湿度の高い空気が押し寄せ、陽射しの強さだけでなく人の密集による気温の上昇もあって身体の内から水分を絞り出そうとするとでもするように拭っても止まらない汗が服に染みていく。
嵐の前の静けさという不穏な言葉が頭によぎるほど風もなく雲も少なく気持ちの良い晴天で、陽射しも零れる宝石のようである。
「しっかし、ほんまに暑いのう」
人混みを縫って歩いていた足を止めると、小太郎は流れ落ちる汗を服の袖で拭った。
吊られて足を止めたアスカは、シャツの首周りを持って風を送り込みながらウェールズとの違いに辟易していた。
「日本っていつもこんなに暑いのか?」
「ちゅうより、この人の密集度の所為やろ。なんやねん、この数は」
「あ~、祭りはどこの国でも楽しみにしてたんだろ」
納得したアスカが辺りを見渡せば、何時の間にそこまで増えたのか、猫の這い出る隙間もないほどにギッシリと並んだ人の壁。そして誰もが楽しげなイベントが始まるのを今か今かと、まるで飢えた獣のように待ち構えていた。
麻帆良学園都市の空を綺麗な円を描いた白い雲が流れて、色とりどりの風船が雲を追いかけるように吸い込まれていく。航空隊が生み出した乱気流に巻かれて流される風船を眼で追う二人。
空を茫洋とした視線で色とりどりの風船が空へと吸い込まれていくのを見ているのは、祭りの開始を今か今かと楽しさを抑えきれない表情で待ち受ける周りと違って、どこか取り残されたような気分で眺める。
『生徒の皆さん、午前10時を過ぎました』
各々が腕時計などを見て時間を確認して待ちに待ったアナウンスが流れ始めると、騒めいていた観衆が祭りの始まりを目前に、ほんの僅かな時間だけ沈黙する。
『只今より、第78回麻帆良祭を開催します!!』
航空部のパフォーマンスが行われ、麻帆良祭進行委員会のアナウンスが開催を宣言した。
放送が学園全体に響いて、大勢の人間が歓声を上げている。
大空を幾つもの気球が飛び、どこの大学部が調達したのか象や馬が歩き回り、生徒達は様々な仮装で往来する。お世辞抜きで学園祭というレベルを超えた、都市を上げての一大祭りが始まった。
『一般入場の方は入り口付近で立ち止まらないように――――――』
人々の歓声と嬌声が入り交じり、独特の音楽場と変わる広場の中心にいる二人の眼の前で紙吹雪が舞っていた。
天を覆って舞い散る色取り取りの欠片が、人々の歓声と一緒くたになって渦を巻く。風に吹き上げられ、煌めく光の粉をたゆたわせて、漫然と太陽が輝く空に駆け昇ってゆくのだった。
「……………」
群衆の中でアスカが遥か遠き天空へと手を伸ばす。どれだけ手を伸ばそうとも、いと小さき人の身では太陽は掴めない。握った拳の向こうで太陽は燦然と輝いている。
太陽を掴みたいわけじゃない。アスカは何時だって空に想いを馳せる。
ウェールズと土地や空気が違っても何一つ変わらないのは空だけだ。だからというわけではないが、このように晴れた空の下にいる時は不思議と落ち着ける。
空は何時も通り青くて、どこまでも高くて。世界は昨日までと同じ仮面を被って、そこに在る。空は、ちっぽけな夢だの過去だの未来だの、本当に些細な悩み事に苦しんで生きている自分達を、きっと困った子供を見るように呆れながらも包んでくれている。
紙吹雪のようにどこまでも行けたらと思った。自分の行きたいところへ、望む相手がいる所へ、どこまでも果てしない場所へと。
どこまでも行けると思った瞬間、自分がどこへ行くのかと疑問が脳裏を過ぎった。一体どこへ行けばいいのか、果てのない青空はアスカに何も応えてはくれなかった。空はただそこに在るだけで答えを返してはくれない。
「折角の祭りやどっか冷やかしに行こか。まずはどこへ行く、アスカ?」
「ん? ああ、適当にぶらつこうぜ」
小太郎に話しかけられ、らしくもなくセンチメンタルになっている自分に自嘲したアスカからどこか遠くで景気良く花火が打ち上げられている。
「飯食って遊んで騒いで…………そうしたら時間は勝手に過ぎるだろ」
久しぶりの娯楽だと、今は懊悩を忘れることにしてアスカは歩き出した。
良く晴れた青空の下、麻帆良学園都市は予想通りの混雑振りを見せていた。
大通りの両側に屋台がずらりと並び、その間に沢山の人がいた。カップルで綿飴を舐めてたり、女の子が姦しく笑い合いながらお菓子を食べてたりしている。両親と子供二人の四人家族が子供達を中心として嬉しそうに話しながらアスカと小太郎の前を通り過ぎた。
「よくもまあ、こんなに人が集まったもんや」
右を見ても左を見ても、溢れんばかりの人、人、人。むしろ感心してしまった小太郎の視線の先では、一輪車に乗ったピエロが大通りを走り回りながら風船を売る。
一つの広場で何組もの楽団がそれぞれ勝手な曲を演奏する。焼き菓子の露店に客が集まる。酒瓶が飛び交る。お祭り特有の空気が流れて来ていた。
ピエロから風船を貰った子供が転んで、その手を離れた風船が空の上へと飛んでゆく。雲一つない一面の青空に風船が彩りを添える。賑やかで、騒がしくて、落ち着かなくて。そんな日常からかけ離れた時間が、今この街を包み込んでいた。
「人に酔いそうなぐらいにな」
そこらの屋台で買ったリンゴ飴を、今時珍しい煉瓦を積み上げた赤銅色の壁に背を凭れて舐めていたアスカは若干の呆れと共に想いを吐露した。
「ん? おい、小太郎」
「分かっとる」
アスカの前に立っていた小太郎は、言われるまでもなく接近してくる誰かの存在を察知していた。
二人の腰ほどの身長しかない子供が前を見ていないのか真っ直ぐ向かってきて、小太郎が伸ばした手に頭を抑えられた。
「ちゃんと前見て歩けや」
ビックリした表情の小さな少女の頭をポンポンと軽く叩く小太郎。
肩の辺りで髪を綺麗に揃えている少女は笑顔で答え、そして小走りで人混みの中に飛び込んでいった。
「優しいじゃねぇの、小太郎ちゃんよ」
「うっさいわ。通行人の邪魔にならへん内に行くで」
「へいへい」
その背中を見送って、アスカが茶化すと小太郎が鼻を鳴らす。
見渡せば、辺りは見事なまでの人、人、人。寄せては返す波のように、いやむしろ渦を巻く激流のように、老若男女が歩き回っている。ぼんやりと突っ立っていられるような環境ではない。
歩み出そうとしたその時だった。
「きゃぁああああああああああああっ!」
祭りに騒ぐ通りに女性の悲鳴が響き渡った。
二人が揃って振り返ると、直ぐ前の道を女物のハンドバックを持った、黒サングラスに黒ジャンバーに顔半分を覆う白いマスクをした如何にもな風体の男が通り過ぎていく。
視線を反対に向ければ、男が通ってきた方向で石畳に蹲った女性がいた。倒れる時に足を捻ったのか、立とうして痛みに顔を歪めた。
「誰かその男を捕まえて! ひったくりよ!」
自分で追いたくても足を怪我して立っているのがやっとの女性が掠れた声で叫んだのと、アスカと小太郎が頷き合って動き出したのは同時だった。
「待てっ!」
アスカによる静止の声をかけられて、ひったくり犯は自分を追いかけて来る者がいると分かったのだろう、長く続く大通りの石畳に観光客や生徒が多く歩いていたが彼らを突き飛ばしながら無理矢理に道を作り、走って逃げている。
「怪我人が出てもお構いなしかいな。おい、止まれや!」
怪我をさせないために突き飛ばされた人達が倒れないように走り抜ける間際に支えなければならないので、思ったよりかは距離が縮まらない。いずれは追いつくだろうが怪我人が出る前に捕まえたい。人通りのない所へ誘い込むのが最適だが、追いかけている二人が後方にいてはそれも難しい。
と、一緒にいた友達を守って突き飛ばされた男の子の背中を支えたアスカの視線の先で、必死に走っているひったくり犯が突然立ち止まり、近くの路地に飛び込んでくれた。
「チャンス!」
「逃がさんで!」
思わずアスカが叫びながら、二人もひったくり犯に遅れて路地に入り込む。
「大丈夫、はる樹君?」
「ああ、金髪の兄ちゃんが助けてくれたな。雪も怪我とかしてないか?」
「はる樹君が庇ってくれたから」
二人が路地に突入した直後、麻帆良学園初等部に通っている小さなカップルの雪とはる樹がこんな会話をしているとは露とも知らず、アスカ達にとって幸運な事に、そして相手にとっては不運なことに路地は別の通りに繋がっていなかった。つまり行き止まりで、どうやら男は学園祭の混雑を狙った外様らしく土地勘はなかったようだ。
三方を建物に囲まれた場所で、女性物のハンドバックを固く握った男は、慌てた様子で次に進むべき道を探している。残念ながら壁を登る以外に逃げる道はない。なんの異能の力も持たぬ一般の犯罪者では、身の丈以上の壁を登ることは出来ない。
「おい、盗んだ物を返せ」
「う、うるせぇ!」
逃がさないように路地の出口を背にしたアスカが慇懃無礼に話しかけると、大仰に肩を震わせた男は後ろを振り返りつつ叫んだが、叫ばれた二人は寧ろあきれ顔だった。
「この状況で逃げられると思ってんのか?」
両手を広げればそれで幅を塞いでしまう細い裏道なので他に逃げようもない。物見高い見物人も多く、例え奇蹟が起きて二人を退けられても出口には人だかりが出来ているので突破は難しい。
「ガキ二人がなんだ。俺の邪魔をするなっ!」
追いかけてきたのが子供で、そんな相手に怯えた自分を振り払うようにバックを握っていない方の手が後ろに回される。また手前に戻って来た時には刃背にセレーションを持つサバイバルナイフが握られていた。
「糞やな」
サバイバルナイフを出した男を見て、二人の瞳が絶対零度の温度に下がる。
後ろからでは瞳がどうなっているかは分からないが、空気さえ凍り付きそうな雰囲気的に感情がどういうものになったかもまた経験的に分かる。世の中、人は逆らってはいけない人間を感覚的に察するのだ。
「お前はここで潰れろ。豚箱の中こそお前には相応しい」
アスカの口からその台詞が吐かれた数秒後、男は自らの愚かさを呪うことになる。こんなところに来るべきじゃなかったとひったくり犯が後悔した時には遅かった。
二人が揃ってが凶器に臆すことなくひったくり犯に歩み寄る。
数秒後、路地に男の聞くに耐えない悲鳴が響き渡った。
『只今より第七八回、麻帆良祭を開始します!!』
麻帆良中に響き渡るようにながされるアナウンスと同時に大規模な麻帆良祭が開始される。
雲一つない空を曲芸飛行する前世代の複葉機やイベント用に客を乗せて浮かぶ飛行船と熱気球が流れていく。麻帆良祭が始まったのに合わせてばら撒かれる花火や紙吹雪、風船で空が様々な色に大いに彩られる。
フランスの凱旋門を彷彿とさせる木製の巨大門の入り口から多くの外部の客が入り、生徒達は様々に完全に仮装して、空には気球や浮遊物などが飛び交い、統一感のない仮装行列が街中を闊歩していた。麻帆良にやって来た一般人が歓声を上げている。
「うわー! すごいやー! 僕、こんなに大きなお祭りとは思ってなかったよ!」
上空には飛行機や飛行船・気球が飛び交い、地上にはパレードや様々なイベントで盛り上がっている。見渡す限りの人、人、人に、スーツ姿で背には杖を担いでいるネギは驚きつつ周りを見回していた。
とうとう始まった麻帆良祭の盛り上がりように、片田舎の小さな祭りしか知らないネギのテンションも鰻上りである。周りを見れば仮装した人と着ぐるみばかりで、建物の演出と相俟ってちょっとした異世界にいるような錯覚さえ覚えて、何時もの落ち着きを無くして子供らしくはじゃぐ。
隣にいるアーニャが恥ずかしくて仕方ないと手で顔を抑えた。
「恥ずかしいから落ち着きなさいって」
「そういうアーニャだって似たようなものじゃないか」
「どこがよ」
「恰好から手に持っているそれも合わせて全部」
言われてアーニャは着ているクラスで行うお化け屋敷のキャラクターであるドラキュラの仮装を見下ろし、顔を抑えていた手とは別の方の手に持っている『麻帆良祭マニュアル』などという分厚い本を順繰りに見る。
「おかしいとこなんて、どこにあるのよ」
「駄目だ、脳まで侵されてる」
何度も開かれた跡のある本を片手に自覚のないアーニャにネギの目が死んだ。
「しかし、人多いわね。流石に三日間で延べ入場者が約四十万人って言われるだけあるわ」
「世界でも有数の学園都市の全校合同のイベントだからね。話では毎年、大騒ぎの馬鹿騒ぎで三日間は昼夜問わず乱痴騒ぎのどんちゃん騒ぎらしいし」
「仮装だらけでどこの異世界よって感じだけどね」
ドラキュラの恰好をしているアーニャが言える台詞ではない。
「ところでそのマニュアル本って、どういうことが書かれてるの?」
「これ? 学園祭という名の一大テーマパークの様相を呈していることとか、開催期間中にバイタリティ溢れる学生達による技術と熱意を結晶したイベントやアクションが各地で開かれてて、噂を聞きつけた関東圏からの観光客はご家族連れを中心として年々増加傾向にあって、ここ数十年で各クラブによる商業化が過激さを増したこの麻帆良祭は一説には一日で二億六千万ものお金が動くとも言われている、だって」
「に…………におく!?」
一生涯関わり合いになることはないだろうと思っていた金額に、庶民的な金銭感覚を持つネギには信じられない現実である。
「中には三日間で数千万を稼ぐサークルや学祭長者と呼ばれる生徒もいるそうよ。元々は国際化に対応した自立心の為の営利活動の許可だったようだけど、まさかここまでやるとは最初に考えた人達も思っていなかったでしょうね」
「ふわぁ――――」
マニュアル本を読みながらのアーニャの説明を聞いたネギの頭はもうパンクしそうだった。
学園側も良かれと思って許可した営利活動だったが、麻帆良生のバイタリティを舐めていたと言いようがない。
技術と熱意を結晶したイベントやアトラクションは年々度を越えて、高利益に目を付けた各種企業が各クラブのバックにつくこともあって、もはや学生だけの祭りという規模を超えている。そして規模は拡大の一途を辿っている。
中には本場の企業を超える技術を持つにまで至ったクラブもあり、突っ込みどころ満載のものがあるが、きっと気にしたら負けだ。
「ほら、麻帆良祭のガイドマップ」
「ん、ありがとう」
学祭実行委員会が造った麻帆良祭のガイドマップを受け取ったネギは目を落とした。
「へー、本当に何とかランドみたい」
テレビで見たとあるネズミがマスコットのテーマパークのような、これも学生が作ったとは思えない完成度の高いパンフレットに感嘆の声を漏らす。
お祭りという面だけでみれば、日本のお祭りでも有数の規模を誇るだろう。世代層も下は一桁台から、上は高齢者までと本当に幅広い。
「あっ、ネギ危ない!!」
「うひっ!?」
出し抜けに聞こえたアーニャの大声がしたのと、ネギが斜め後ろのアスファルトを大きな何かが踏みしめた轟音に奇声を発したのは同時だった。
顔を向ければ三本指の巨大な足を持つ何かがいた。指一本だけでもネギの胴体を超えた何かを、顔を上げて元を辿ろうとして首が大分上を向く。
「うひゃああ?!」
「うおお!?」
首が殆ど真上を向いた先にいたのは実物大のティラノサウルスそっくりのなにかであった。とても本物にしか見えない恐竜にネギと、ネギの肩に乗っていたカモが大声を上げて驚くのも無理ないほどの完成度。
よく見れば恐竜の臀部に、「巨大二足歩行システム研究会」「ロボット研究会」「古生生物研究会」「恐竜の会」の提供・協賛と書いてあるのでその通りなのだろう。
「そこのボクー、パレードに入っちゃだめだよー」
「ご、ごめんなさい」
これまた仮装しながらパレードの一列に並んでいた係員らしき人が笛を吹きながら注意されたので、反射的に謝ってしまうネギ。
「人気の仮装パレードも年々派手になるみたいね」
「どこが仮装なの!? どう見てもホンモノだよアレ!!」
現実逃避して目を逸らしているアーニャの横でネギとしては理解できない領域にあった。
もはや現代科学を超えているとしか思えないほどクオリティが高すぎて、感心を通り過ぎて開いた口が塞がらないネギとカモだった。
「ネギ、そろそろクラスの方に行ってみる?」
「あ、うん」
アーニャの勧めにネギは名残惜しそうにパレードを一瞥して一同で教室へ向かった。
もう今までの信じられない現実は気にしない方向にしたようだ。でなければ麻帆良では生きていけない。
「あれ? なんかすごく長い行列が……」
女子中等部の校舎に入って教室に向かう階段で、下の方にまで続く長い行列が目に止まって首を傾げるネギ。あまりに長すぎる行列に頭の後ろで汗が流れる。
アーニャは予想できていたのだが、敢えて黙っていた。
「あれ? ウチのクラス?」
「ネギくーん!」
「アーニャちゃーん!」
行列は置いておいて一先ず目的地である3-Aに向かうが、その行列が自分が受け持つ教室目当てだと知って思わず立ち止まっていると聞き覚えのある声が耳に入った。
廊下に長く続く行列の横を通って教室の入り口へと向かうと出迎えたのは椎名桜子と明石祐奈の二人。
「見て見て!! ちゃんと開演に間に合ったよー!!」
「お蔭で『ドキッ♡女だらけのお化け屋敷』作戦大成功の大繁盛だよ!」
祐奈は臍出し肩出しのセクシー衣装に、獣の猫耳と尻尾を付けているのでコンセプトは猫娘をモチーフにしたか。祐奈に続いたは桜子は胸元も大きく開いた吸血鬼スタイルである。
二人とも中学生にしては少々冒険し過ぎの露出の多い仮装をしているが、二人とも平均よりもスタイルがずっと良いので良く似合っている。年に似合わぬ色気と年相応の元気さが入り交じって魅了せずにはいられない雰囲気を作っていた。
年相応のスタイルであるアーニャの目付きが嫉妬で鋭くなる。
「えっ、何ですか女だらけって!」
そんな2人のセクシー過ぎる格好を見て、顔を赤らめて恥ずかしがっていたネギは桜子が先程発した言葉の中に不穏当なものが混じっていたことに気づいた。
「お客一人につき、コンパニオンの女の子が一人付くんだよ。タッチ一回に五百円」
「おさわりパブですかっ!?」
教育者として見過ごせないネギが突っ込むと、テヘッ、と舌を出してお道化る桜子の嘘に振り回される。
「兄貴、この場合はどっちかっていうとイメクラだぜ」
「カモ、変なこと教えない。っていうか、なんでそんなことをネギは知ってるのよ」
ボソリッと周りに聞かれないぐらい小さな声で主に突っ込んだカモに更に突っ込みを返すアーニャは、このことをネカネに報告しようと心に決める。
ネギがおさわりパブなんて言葉を知っていること自体がカモの入れ知恵であることは想像の必要もないぐらい簡単な帰結。こうやって無垢だった少年は穢れた妖精に毒されていくのだろうかとアーニャはネギの将来が少し不安になった。
微妙にカオスであった。
冗談に面白いくらいに引っかかるネギは完全に玩具扱いされていた。ネギとしても自分のキャラクターというものは心得ている。年下なので威厳を以て振る舞うことは無理であることもまた同様に。時間と経験を積み重ねていくしかない。
「まーまー♪ とにかく、体験して行ってよネギ君」
「ほらほら、アーニャちゃんも」
「私はいいわ。変な事されそうだし、他の所を回って来るわ」
祐奈に背中を押されるネギに巻き込まれまいと、桜子から逃れたアーニャは適当な言い訳をしてすたこらさっさと逃げた。
止める間もなく逃げたアーニャに悪戯する気満々だった桜子がチッと舌打ちした。
アーニャと違って祐奈によって連れ込まれたネギは、入り口の造り込み具合からその力の入り様が窺い知れて、ネギは我知らず感心の声を漏らす。
「しかし凄いですね」
作業の全てを知っているわけではなかったが、正直、これ程だとは思っていなかった。麻帆良でもトップクラスのバイタリティを持つ3-Aの面目躍如であった。
「みんなで、すっごく頑張ったからね」
「当然、目指すは学祭トップだもん」
頑張った自信をのぞかせて祐奈と桜子が胸を張る。張れるほど胸があることに、この場にアーニャがいれば恨みがましい眼で歯軋りをしたことだろう。
微笑ましいとも思い、ネギは促されるままに入り口の中へと入ろうと歩みを進めた。次の番だった男性客が文句を言うがネギが担任であることを伝えると、まだ祭りが始まったばかりということもあってトラブルにならかった。
「当お化け屋敷ではお客様の好みに合わせて三つのコースからお選びいただけます」
重苦しい音を立ててドアが開く。無駄に精巧で恐怖心を煽る音を立てるので、どれだけ力を入れたのか少し呆れた。
「じゃ、じゃあ一番怖くなさそうなコースかな」
魔法使いといえど怖いものは怖い。京都で本物の鬼やらを見たが人間が作る物は時に本物以上の恐怖を引き出す。入り口からしてこれだけの精巧な作りをしているお化け屋敷だ。中はもっと凄いものだと容易く想像がつく。
様子見も兼ねてネギが優しそうなコースを選ぼうとしていたのには、そんな打算的な恐怖を避ける理由があった。
「「「ようこそ、3-Aホラーハウスへ~~~」」」
入り口を開けた先には更に三つの扉があった。
ネギから見て右から、大胆にも肩を露出したドレス姿のあやか、真ん中は喪服姿のまき絵、左にはセーラー服姿のアキラが立っている。各々が立っているドアの上には「ゴシックホラー」、「日本の怪談」、「学校の恐い話」とプレートがあった。
一番怖くなくて可愛さを強調しているコースがあやかのいる「ゴシックホラー」、恐怖度は普通で可愛さは一番低いコースがまき絵のいる「日本の階段」、最大の恐怖と最大のラブ度があるコースがアキラのいる「学校の怖い話」である。
順当にいけば、一番怖くなさそうなコースであるあやかが選ばれるはずだった。
「じゃあ、アキラさんのいるコースで」
「ネギくーん!?」
「ネギ先生!?」
選ばれたのは恐怖度最高のアキラが立っている「学校の怖い話」コースだった。
自分が選ばれるものだと思っていた二人は豪快にすっ転んだ。漫才もかくやと云わんばかりの転びっぷりだ。特にネギが選ぶ可能性が高かった恐怖度の一番低い「ゴシックホラー」コースにいたあやかの転び振りはまき絵を凌駕していた。
「先生、なんでこっちに?」
何時もの清涼な雰囲気で静かに立っていたアキラは選ばれるわけがないと思っていたので驚いていた。本当にこれで良かったのかと逆に聞く始末。
「いえ、向こうは別の意味で恐そうなことが起こりそうな予感がしたもので。主に僕の貞操関連で」
あやかの瞳には肉体を射すくめられるほどの威圧感を、まき絵からはあやかとは別種の纏わりつくような空気を、二人から邪な気配を感じ取ったネギは無難な選択をした。前者二人から醸し出される雰囲気から身の危険を感じたのだ。
お化けの前に貞操が奪われる予感がしたので、恐怖度が高くてもお化けだけですむアキラがいるコースを選んだ。自身の危険というならば、選択としては決して間違っていないだろう。
最近のネギはどこか図太くなってきたような気がすると少し評判である。
「それじゃ、行きましょう」
「はい」
貞操の危機は回避されたので、あやかとまき絵の未練がましく呼ぶ声をバックに喜び勇んで招きに従ってアキラが開けた扉を後に続く。
「うわー、真っ暗ーそれに広い。本当に教室の中ですか?」
扉の向こうは慣れた3-Aの教室のはずなのに、思わずネギがぼやくほどにおかしなほどの広さがあった。五メートル先が見えなくなるとしても広さが想像できない。
「超さんの最新技術だって言ってた」
物理的に不可能な現状に疑問を持つネギに、アキラはスポーツも万能の無敵超人「麻帆良の最強頭脳」の異名をとる超の名を上げた。
超の名前を上げただけで納得してしまうのは超だからだろうか。魔法のような超の科学力にネギはただ感嘆するばかりである。
魔法みたいな科学ってあるもんだと、先程の恐竜ロボットを思い出しながら歩き出した。そして第一歩目で止まった。
「え?」
どんなお化けが出て来るのかと楽しみにしていたネギは、踏み出した足に床とは違った柔らかな感触が伝わってなんだと見下ろした。
「ひ……! ひええええええ――――――!?」
薄暗い教室の中で見下ろした視線の先には死んだように地に伏せた麻帆良学園の学園長である近衛近衛門がいた。軟体生物を踏んだような感触は、学園長の異様に伸びた頭だった。真ん中辺りにネギが踏んだ足跡が残っている。
何時もは閉じているように見える瞼を開けて白目をひん剥き、如何にも苦しげな表情で死後硬直して全身が固まっている学園長がそこにいた。冷静になってよく見れば人形なのだと分かる。服には『当お化け屋敷は学園長の許可を頂いています』と注意書きがあったことに気づいただろう。
だが、まさか学園長のような異様な風体が初っ端から足の下にいるとは誰も考えもしない。
普通に学園長の年なら、興味本位で入って驚かされ過ぎてポックリ逝ってしまったということも考えられる。踏んだ頭の、人形とは思えないリアルな感触が勝手に脳内でストーリーを作り出す。
「がっ、学園長が、しっ、死んで…………!?」
ネギはここがお化け屋敷であることも忘れ、人形である可能性も簡単に吹き飛び、意識は驚愕一色に染められた。
腰を抜かして尻餅をつき、そのまま必死に後退る。すると、背後の何かにぶつかった。能動的な反応としてぶつかった物を確かめるために無意識に背後を振り返る。
「わあああっ!?」
そこにいたのは体操服姿で頭に斧や草刈鎌が突き刺さっている村上夏美と和泉亜子の姿があった。彼女達も白目を剥いて死んでいるようにネギの眼には見えた。
「ア、アキラさん! みんなっ、みんながっ…………!」
最初の学園長ショックによって、ネギの頭からここが生徒が作ったお化け屋敷であるとの認識は吹き飛んでいる。頭に斧や草刈鎌が突き刺さっている夏美と亜子の姿に動揺しまくっていた。恐ろしきは精巧な学園長の人形である。
「落ち着くんだ、ネギ先生」
目元に涙を薄らと浮かべて混乱しまくるネギの姿は、可愛いもの好きのアキラとしては頭を撫でたい衝動に駆られるも、ここは我慢我慢と自分に言い聞かせる。己の役を真っ当しなければならない。小動物のようなネギの姿に嗜虐心が生まれたかは定かではない。
「予想外のコトが起こってしまった。どうやら私達は学園に潜む怨霊を怒らせてしまったらしい。早く逃げないと君も私も世にも恐ろしい呪いにとり殺されてしまう………………かも」
合間合間に本気で驚くネギに僅かな申し訳なさを感じつつも、定められた台詞を言い切る。最後に付けたしたのは生来の人の良さが滲み出た為だ。
性格的に人を脅かすお化け役にも向かないが、決して情感が込もっている言い難いアキラの言葉にも学園長・夏美・亜子と続いた脅かしに屈したネギには真実味を以て伝わって来る。
逆にアキラぐらいの喋り方の方が恐怖を引き出すと喋っている本人だけが気づかない。ナイスなキャスティングであった。
「さあ、早く私について来て」
「ハ、ハイ」
恐怖に呑まれたネギに状況の不審さを疑う余地もなく、もはやアキラに流されるままに手を引っ張られるままに軽く走り出した。
「!」
だが、走り出して直ぐになにかがぶつかる音と共にアキラの動きが止まった。音はネギよりも上、アキラの顔辺りから聞こえた。
丁度、頭部ぐらいの大きさのなにかが闇の中で床に落ちてゴロンゴロンと転がる。またなにかが起こるのかと戦々恐々としていたネギがギョッと目を剥いた。
「ひっ……ひっ……!?」
薄暗闇の中で微かに見えた廊下に転がるなにかを見たネギの口から過呼吸を起こしたように引き攣る。
「に、逃げて……ギ先生……」
「ひィッ――――!?」
実は床の保護色を被って首より上だけを出しているだけのアキラだが、薄暗闇の中で混乱の極致にあるネギが気づけるはずもなく畏れ戦く。ことに無表情のアキラの表情と声がネギの恐怖を煽っているのは間違いない。
「アキラさんアキラさ――――ん!!」
膝を付いて、首だけになったように見えるアキラに触れることも出来ずに名を呼んでいたネギの直ぐ近くにあった窓に、ドンという音と共に手形が付いた。
「えっ………わひゃああああああ――――――――っ!?」
バンバンバン、と次々に窓に押し付けられる血を付けたような赤い手形が増え、もはや窓を埋め尽くさんばかりに広がる手形の群れは、それだけで十分にホラーである。実はこの窓も超の発明品で、最初から付いていた手形を、予め録音した叩く音を流すのように合わせて映すようにしているだけの単純なものだが暗い空間と合わさってかなり怖い。
そして遂には窓が粉々に砕け散る。これも演出の一環で、脅かす人から少し離れた窓を割っていた。この窓もガラス製ではなく割れても怪我をしない飴細工なので危険性はないと細部に凝っている。
「ギャ、キャ―――――ッ!」
窓を破って伸びてきた無数の腕にネギは本気で恐がり、マジでガチで泣いていた。死んだと思っているアキラを見捨てて逃げるほど、ネギは本気でテンパっている。
「あれ、ネギ君じゃん」
「あら、ホント」
「触っちゃえ♪」
「うわああ~~~~~ん!?」
手が出た後に逃げるタイミングが遅すぎて直ぐに捕まってしまった。
アキラと同じ黒いセーラー服に、顔に血のメイクを施した柿崎美砂・釘宮円・那波千鶴の三人がネギを床に転がして楽しそうに擽りまくる。冷静なカモは前後不覚を起こして恐慌を来たしたネギと違って楽しそうに見ていた。お化け屋敷なのだから脅かされて平然としているよりは楽しいだろうと主にはなにも言わなかった。
「だっ誰か助けて――――っ! わああ、は、早い!? 何で!?」
なんとか三人の囲みから涙ながらに抜け出して走ったが、いくら走れどもユッタリとした三人から何故か距離が離れない。余裕のある三人は演出の一環として青白い人魂を背後に浮かせて、「恨めしや~」とおどける。
ネギの怖がりようは脅かす側としては嬉しくなるぐらいで、工学部が作ったスーパールームランナーの上で気づかずに走り続けるネギを見ていたら笑えてくる。
「きゃあああああ!」
目の前にいきなり降って来た鳴滝風香と長瀬楓が逆さに宙ぶらりんに、女の子のような悲鳴を上げて乗っていたスーパールームランナーから飛び下りて横方向に走り出した。
「あ、出口だ!?」
すると、少し先に出口らしき光が見えた。
絶望の末に長い長い旅路の果てに見えたか細い一筋の光のような希望を見た旅人のような面持ちか、道を見失って砂漠を彷徨うことになった旅人が一滴の水を求めた先に遂にオアシスを発見したような面持ちか。たかがお化け屋敷から出るだけで大袈裟と思うなかれ。今のネギにとってはただ一つの無窮の出口なのだから。
遂にネギは出口を通過した。だが、直ぐ目の前にのどかの姿があった。
「わ」
ノンストップで出口の暗幕を駆け抜けたネギは、このままではのどかにぶつかってしまう。
暗幕を抜けて暗がりから一気に明るい世界に出た反動でハッキリと見えない。目の前に立っている相手が一瞬だけ誰か分からない。それでも普通なら怪我をする速度で走っていた自覚があった。
回避するには距離が近い。ネギに出来ることは急制動をかけて自らの運動エネルギーを殺すことだった。
「きゃっ」
「うわぁっ」
それでも出口からのどかまでは一メートルもない。完全に運動エネルギーを殺すことが出来ず、のどかを巻き込んで二人して廊下に倒れ込んだ。
のどかではネギを受け止めることと倒れた自分の受け身を取ることを両立させることは出来なかった。
ネギとしては慕ってくれる少女に自分の所為で怪我をさせるわけにはいかない。ぶつかって後ろ向きに倒れて廊下に頭を打ち付けるかもしれないのどかを、ネギが庇おうとしたのは当然の流れであった。
ぶつかられたのどかが下で、ぶつかったネギが上に押し掛かるような体勢であった。
「ネ、ネギ先生……」
「あ……」
火よりも顔を真っ赤にしたのどかが問題にしているのはこの体勢ではない
ネギは手を伸ばしてのどかが頭を打つことだけは避けることが出来た。結果的な不運というべきか、のどかの脇の下を通すように両手を伸ばして頭を支え持った所為で、ネギの頭部はのどかの胸辺りに押し付けられていた。
別にネギの行動に間違いがあったわけではない。きっと星の巡り合わせが悪いのだろう。特に女性関連の星の巡りが。
「本当にいるのですね、ラッキースケベというやつが」
「うほ―っ! これはいい絵が!」
どこか現実逃避をしながらもツッコミ魂を刺激されたのか冷静に状況を指摘する夕映と、思わぬ奇蹟の光景に興奮してスケッチブックを取り出して絵を書くハルナを前にして、ネギが取れる行動はそう多くはなかった。
のどかが怪我をしないようにゆっくりとかつ急いで離れて両手を床につく。
「申し訳ありませんでした――――――――っ!!」
日本で最上級の謝罪のポーズと誰に教わったのか、最終奥義として有名な見事なジャンピング五体倒置土下座でのどかに謝罪したのであった。
のどかはポカンとした様子だったが、女の子座りのままネギを見下ろす。
「許して貰えるならなんでもしますから平にご容赦を!!」
「…………なんでもするんですか?」
「ネカネ姉さんにはお願いですから言わないでって、はれ?」
「なんでもしてくれるんですか?」
過去にもあったラッキースケベをしたことに怒髪天を突いたネカネによる折檻を思い出して、ガタガタブルブルと震えていたネギは怒った様子のないのどかの顔を見上げて何故かゴクリと唾を呑み込んだ。
「私とデートして下さい」
艶やかに微笑んだのどかの言葉に「No」と言えるほどネギの意志は強くなかった。
アスカが空を見上げると、徐々に青からオレンジ色に変わりつつあった。もう陽が落ちかけていたが、祭りに浮かれる街は昼間にも増して賑やかに盛り上がっていた。
果敢に食料を要求する腹を満たすために烏賊の串焼きを三本と、焼きそばを一つを屋台で調達する。
手摺に行儀悪く座って串焼きに噛り付く。落ち着いた場所を探すために歩き回っていたので買ってから時間が経っていることもあって、少し冷えて硬くなっているせいでどうにも食べにくい。焼きそばの方も安さに相応しい質の悪い肉と、ひたすら味の濃いソース。
「失敗したな」
「こういうのは味やなくて祭りで気分よく盛り上がった胃袋で味わうから美味いねん。素面で食うもんちゃうわ」
隣で同じ物を食べている小太郎は、アスカと違って大層美味しそうに食していた。
「この後、どうすんねん。もっと遊ぶか」
「気分じゃないな」
祭りの空気に馴染めていないアスカが美味しく食べるはずがない。
アスカは祭りの恩恵を悪い意味では受けているなと思いつつ、食べれない程ではないので瞬く間にそれらを腹に収めて、いい加減に家に帰るかと手摺から降りたその時だった。
「――――なんだ…………?」
アスカは不意に何かを感じて周囲を見回した。
何か首筋を誰かの手に撫でられたような戦慄が、不意に彼の裡を駆け抜けたのだ。気のせいと片付けるにはあまりにも確固たる不安が、胸の奥に居座って動かない。
「どうしたんや? やっぱ武道会の方に行くんか?」
「何かおかしい」
小太郎に言いつつ、辺りを見るがなにも不自然さはない。だが、どこかがおかしい。見えない手で首筋を触れるか触れないかの距離で撫でられているような嫌悪感があった。
自然な生理現象として瞼を一度閉じて開く瞬きをした。一秒にも満たない時間。瞼を閉じて開いた時、計ったようにアスカの間合いの外に一人の人物が立っていた。
「探しましたよ、アスカ君」
白いローブで全身をスッポリと覆い、素肌が見えるのは鼻から下の口元だけ。
ローブの人物の声は成人男性にしては少し高い。が、女性だと断定するには声が少し低い。ローブで全身を覆っているので体型も判別がつかず、目の前の相手が男か女かも分からない。
体格から大人かとも思えるが、龍宮真名や長瀬楓のような例もあるので大人だと決めつけるのも早計である。
「誰や、アンタは……………いや、なんなんや?」
隣にいる小太郎が総毛立っているのを視界の端に捉えながら、アスカも静かに戦闘態勢を整える。
目の前に立っているのに気配が感じられない。どれだけ隠そうともこれだけの近距離、それも視界にハッキリと映っていて気配が感じられないことなどありえないことだ。
頼りになる危機回避能力が全く反応しようとしない。今まで一度足りとてこんな事態に遭遇したことはなかった。どんな強者であっても対峙すればどれだけ力を隠していようとも一端は感じ取れる。
瞼を閉じたらそこにいるのかどうかすらも分からなくなるほど相手。霞か幻影と言われた方が信じられそうな相手を人間と断定することは出来なかった。
「人扱いもしてくれないのですか」
人間扱いすらされていないのに愉快にそうに笑うフードの人物。露わになっている口元を笑みの形から変えないことが余計に非人間的な雰囲気を醸し出す。眼の前にいるのに始めからそこにいないような、どこかここに在ることに対して違和感がある。
別荘での二年の間にエヴァンジェリンより受けた薫陶から正体を推察する。
「幽霊? いや、思念体か」
分身ではない。気配のない幽霊か、誰かの思念が形作ったモノが目の前にいるとしたらまだ納得がいく。
「当たらずとも遠からずといったところです」
フードの人物は会話から少しでも情報を得ようとするアスカの問いを煙に巻くように答える。
柔らかい言葉遣い、口元に浮かぶ薄い笑み、自然体で立っている体からは敵意は感じられない。だがアスカの緊張が解れることはない。ここまで無色透明な、怪しすぎる相手がいるのに安心など出来ようはずもない。
相手に気づかれないように僅かに体重を前に傾け、何時でもフードの人物がいるのとは反対方向の後ろへ小太郎共々逃げれるように準備を整える。
「そう警戒しないで下さい、といって信じる者は少ないですね」
風が静かに駆け抜ける。肉食の野獣を前にした草食獣のような反応を見せるアスカに、フードの男はただ笑みを浮かべるだけだった。
警戒心を無駄に煽るような言い方。警戒されていると分かっているのに、尚も余裕の笑みを崩さない目の前の相手に下手な動きには移れない。
実力が未知数の相手と対した時、後手に回るのは良くないが、かといって先手を取れば有利になる相手とも思えない。アスカの人生においてここまで不審な人物も奇妙な人物もいなかった。経験にない相手を前にして先に行動に移るのに逡巡があった。
「ふふ、怪しい者ではありませんよ。さてどうしましょうか。そうですね―――――」
困ったとばかりの口調ではあるが、口元に浮かんだ笑みが全てを台無しにしている。
「―――――邪魔者もいますし、まずは場所を変えましょうか」
あまりにも自然に伸ばされた手は、頭に乗せられて始めてアスカに気づかせた。
頭に乗せられた手を払うには、腕を持ち上げて払うという二つの動作が必要になる。それならば足に込めている力を開放して後退した方が良いと判断するのに一秒もかからなかった。その一秒で十分に人を殺せる。急所たる頭を抑えられているのだから。
(―――――やられる!?)
視界に光が満ちて間に合わぬと悟った防衛本能が目を閉じさせ、顔の前で腕を重なる防御態勢を取らせる。
フードの人物は自分を狙った刺客かと思い、脳裏に今までの走馬灯が一瞬で流れる。
ここで死ぬのか、と思ったのだが一向に身体に変化はない。実は既にあの世に召されていますということはあるまい。
閉じた瞼の向こうで光が止んでもなにも起こらないことに疑問を抱きつつ、手が離れていくのと同時に目を開く。そしてまだフードの人物が目の前に立っていることに気づき、今度こそ全力でバックステップする。
大人でも大股でも三歩は必要になる距離を開けたアスカだが違和感があった。
「小太郎は? いや、ここはどこだ?」
近くにいるのはフードの人物だけで小太郎の姿がない。それと場所も変わっていた。人混みの中にいたのに、どこかの路地にいる。
(魔法使い…………それもこれだけの転移魔法を詠唱もナシにだと?)
体に無駄な力が入るのを感じた。たった一秒でそうと気づかせることなく転移魔法を無詠唱、もしくは遅延呪文を使ったと推測される。
手を伸ばされれば気づく。なのに、触れられるまで気づかせなかったフードの人物の技量。両者を合わせるとアスカの警戒心は天井知らずに跳ね上がるのは当然の流れだった。
「おや、余計に警戒させてしまったようですね。これは困った困った」
ちっとも困ったように見えないフードの人物は、警戒するアスカの様子を楽しそうに見遣る。
その様子を見てアスカは確信した。このフードの人物も人の困る様子が大好きな鬼畜野郎だっていうのが。
「このままでは話が進みませんか。どうです? ここは怪しい魔法使いの正体を探るということで話を聞いてもらえませんか?」
「……………目的はなんだ? 俺になんのようだ」
現れてからのフードの人物の行動と言動に敵意は感じられない。
どちらかといえば好意にも近い感情を感じたアスカは距離はそのままに構えだけを静かを解いた。それでも完全には脱力せず、膝は少し落として何時でも動けるようにはしている。フードの人物は敵ではなさそうだが味方でもなさそうだから警戒は絶対に解かない。
「私としてはもう少しフレンドリーなのがいいのですが、まぁいいでしょう」
警戒を解かないアスカを少し不服そうにしたフードの人物は自分の不審さを屁とも思っていないのか、自分に甘えない子犬を眺めて仕方ないなと受け入れたような余裕を見せつける。
愛玩動物を愛でるような対応をされていることに青筋を立てながらも、冷静さを失えば喰われると直感が囁いていた。
「まずは改めて自己紹介といきましょう」
フードの人物は人の神経を逆撫ですることに関しては達人的に優れていた。なのに、全く気にしたような素振りも見せることなく続ける。
「私の名はアルビレオ・イマ。君の父ナギ・スプリングフィールドの仲間であり友人です」
「……っ!?」
アスカは僅かに息を呑み、全身が瘧のように震えた。
顔に現れた驚愕の表情を待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべるフードの人物―――――アルビレオ―――――を見て、アスカは青筋を更に三つほど作りながら表情を消した。
もっと大きな反応を見たかったのか、アルビレオの表情はどことなく残念そうだった。それがまたアスカの額に青筋を増やすと分かっていてやっているなら相当の策士だろう。
「ですが、私の事はクウネル・サンダースと呼んで下さい。気に入っていますし、直ぐそこで行われる武道会にもその名で登録していますので」
誰が聞いても偽名と分かる某ケンタッキー屋の名人物の名前で呼んでほしいと言うだけで面の厚さが知れる。警戒心の中に呆れが混ざって隙が生まれるのを防ぐのに一杯一杯だった。
「で、英雄様が俺になんのようだ?」
「言葉が刺々しいですね。君の生い立ちと育ちを思えば我々に敵意を向けるのは仕方のないことかもしれませんが」
「テメェ、いい加減にしろよ」
アルビレオの揶揄するような言い方に、いい加減に堪忍袋の緒が切れかけていたアスカの口調が刺々しいものへと変わる。
言い方からしてアルビレオはアスカの生まれも今までのことも知っているようだ。確かに名前を呼ばずに俗称で問いかけたアスカにも非はあったが、だからといっておちょくられていい気はしない。
戦う気ではなく殺る気に移りかけていたアスカの心を読み取ったかのようなタイミングで口を開く。
「君ならば武道会に参加すると思ったのですが、その気配がなかったものでね。参加はしないのですか?」
「名声や金に興味はない。強さをひけらかすつもりも、見世物になる気もない」
「これは困りましたね。十年前の友の約束を果たす為、君には是非にも出場してほしいのですが」
今までで一番困ったような表情を浮かべるアルビレオ。
最初以外は口の中で呟かれたのでアスカにも聞こえなかったが、アルビレオはアスカに武道会に出て欲しいと思っていることは分かった。
アルビレオはこの僅かな接触と、ずっと観察し続けてきた自らの目でアスカの気質を読み取っていた。でなければ、ここまで初対面でギリギリのラインを見極めて弄れるはずもない。
「では、こういうのはどうでしょう」
良いことを思いついたように上に向けた右手の手の平に縦にした拳をポンと重ね合わせ、胡散臭い笑みを更に胡散臭くしたアルビレオにアスカは警戒心を更に深めた。だが、それは全て無駄に終わった。
「武道会で私の下へ辿り着けたのなら――――」
アルビレオは、ゲオルク・ファウストを唆した悪魔メフィストフェレスのように哂う。
「――――俺と戦わせてやる」
追い求める人の声で耳元で囁いた。
「お前……!?」
瞳を大きく見開いてその正体を問おうと顔を上げたアスカの視線の先には誰もいない。
慌てて辺りを見渡すが、狭い路地にはアスカ以外の人の姿はどこにもない。
路地から出ると、雑多な人々が目の前に屯っている。
「ここは龍宮神社か」
神社に集まるには不似合いな巨漢や体格の良い者が多く胴着や動きやすい恰好の者達が屯していた。理由は直ぐに分かった。アスカの直ぐ近くに「まほら武道会予選会会場」と書かれたプラカードが置かれている。
アスカの記憶では麻帆良で開催される有名な格闘大会は秋の体育祭の季節に行われる大格闘大会だけで、麻帆良祭では学園統一のような大きな大会はなかったと思う。
しかし、龍宮神社に集まっている人達は場所が間違っているのかと思うほどの盛況ぶり。だが、その疑問も直ぐに探し人の行方に気を取られて脳裏に残ることはなかった。
「くそっ、どこに行った」
周囲を見渡してから、アルビレオの気配を探すために目を閉じて意識を凝らす。
掴みどころのない雑多な人々の気配、人いきれにも似た多数の気配が混濁して個人を特定することが出来ない。
武道会に向けて高まっていく闘争心に煽られるように脳髄を震わせ、額の辺りだけに太陽が当たっていて熱くなるような感覚があったが、アルビレオの気配はやはり感じ取ることができない。
人が多すぎるのだ、とアスカは内心に舌打ちした。
闘争の場では研ぎ澄まされる人の気配が、未熟者が多いここでは無秩序に入り混じって滞留している。木を隠すなら森の中という。アルビレオが狙ってこの場に来たと考えるなら正解と言わざるをえない。
これだけの雑多な気配の中から特定の気配を感知するにはアスカはまだ未熟過ぎた。
「龍宮神社で武道会があることを知っていてたのなら、そういうことなのか?」
他人であるアルビレオの思惑を理解することは出来ない。出来るのは思惑を推測して、状況から考えて予測するのみ。
アルビレオが龍宮神社で武道会があることを知っていてこの場所に転移して、あんなことを言ったということは望んでいることはただ一つ、戦うことだけだ。状況を考えれば答えに辿り着くことは難しいことではない。
「アスカ、なのか?」
「あん?」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにいたのは背後に幽霊を憑かせた伊達メガネの少女であった。
「え、本当にこいつがアスカなのか?」
『そうですよ』
「千雨とさよか、珍しい組み合わせだな」
驚きで目と口を真ん丸としている長谷川千雨と相坂さよに、アスカは張っていた肩の力が抜けて変な溜息が漏れたのだった。
ネギは困っていた、物凄く困っていた。何に困っているのか、本人にもよく分かっていなかったが。
あの時、あの場にいた夕映とハルナは気を利かせて別行動を取っている。後を追おうとしたハルナを夕映が無粋だと引っ張って行ったのだが。困惑の原因はデート相手である宮崎のどかその人にあることは間違いない。
「ネギ先生、楽しくないですか?」
「いえ、楽しいですよ」
困惑しているだけだ、とデートの最中に口に出すほどネギも考え無しではなかった。
嘘はついていない。のどかと共にいるのは楽しいし、ここまでのデートを思い返すと心の奥底からポカポカするものがある。
誘われた生徒の部活だけではなく、時間が合う限りは全員のところに二人で顔を出して、今は五時半から行われる麻帆良祭名物である「光と人と水のマジカルショー」の観客席に来ていた。
学園都市と外部との境界にもなっている麻帆良湖の近くにある観覧場に二人の姿はあった。元々は憩いの場として作られた観覧場が最も「光と人と水のマジカルショー」が良く見える絶好のスポットなので、ネギとのどか以外にも多くの人がいた。
「あ、始まりますよ」
観客席の淵で手すりに手を置いて楽しく会話をしていた二人は、俄かに明るくなった景色に胸を弾ませた。
『只今より麻帆良祭名物、光と火と水のマジカルショー「マホラ・イリュージョン」を開始します♪』
流れたアナウンスと共に水面が弾け飛び、光が舞い上がった。炎が湖の上を走って水面を輝かせる。炎が通ったときに水が噴出して半月を描く幻想的な風景に多くの感嘆の声が重なる。
「わー、凄い! 見て下さい! 水の上に火で絵が! どうやってるんだろ」
幻想的な風景に目を奪われて、年相応に喜びを示すネギの姿をのどかは笑顔で眺める。
彼女にとっては目の前の幻想的な風景よりもネギの笑顔こそが尊いもののように見えた。
宮崎のどかにとって、魔法などつい少し前までは夢物語だった。
知ったのは偶然、関わり続けたのは必然。今も彼女は、持て余しながらも魔法との付き合い方を模索している真っ最中だった。
思い人の双子の弟であるアスカは、あの嵐の夜に全てを曝け出した。
そんな危険なモノ、受け入れるべきじゃない。理屈で考えればそれが当たり前だ。そして彼女の理性は、実際にその結論に至っていたはずなのだ。だが、同時に彼女はその結論と全く別の答えを持っている。
「ネギ先生」
「え?」
今ならこの気持ちを伝えられると思った。そして今を逃せば次が何時来るかも分からない。このチャンスを躊躇いはしなかった。
「先生は今、好きな人とかいらっしゃいますか?」
誰も自分達を見ていないとしても衆人環視の中であることを変わらない。この状況が覚悟の上であっても、躊躇いはしなくても恥ずかしさは消えない。
顔をほんのりと赤く染め、自然な動作で握った左手が口の近くに来るのを自覚する。
「え? ハ、ハイ。クラスの皆さんのことは全員好きですよ」
返ってきたネギの答えはのどかの望んだものではなかった。
少年は少女の想いを理解できない。何時の世だって、先に大人になるのは男の子よりも女の子なのだから。
「あ、いえ、そういうことではなくてその……」
まだ子供のネギではのどかの複雑な乙女心を理解しろというのは色々と無理がある。自分から口に出すことに恥ずかしさはあれど、そこは惚れた弱みと年上の意地が後押ししてくれる。
「誰かと一緒にいると、とっても胸がドキドキしたりとか、そういうことはありませんか?」
「えっ……?」
光に照らされたのどかの顔を見て、ネギの胸は一瞬だけ早鐘よりも早く大きく高鳴った。
左手で頬杖を付いて、瞳を潤ませて光に照らされた目の前にいる彼女の顔は一生徒ではなく、修学旅行に見た恋する乙女の顔をしていた。その顔が自分に向けられている。とても光栄なことのように思えた。
「私、ネギ先生とこうして一緒にいるだけで胸がドキドキしたりして一杯幸せに感じます」
ネギに向き直ったのどかは、今も高鳴っていると示すようにネギの手を取って自身の胸に当てた。
規格外が多いクラスの中では発育が遅い自覚があるので異性に触れるのは少し恥ずかしかったが、恋心が乙女をどこまでも大胆にさせる。
「分かりますか? 私の胸の高鳴りが」
「はい、ドクンドクンって一杯鳴っています」
なんら淫靡な行為ではなく、好意を示すだけのとても温かな行動。嫌悪感も恥ずかしさも感じなかった。
ネギは不思議な安心感に包まれて、素直に答えを返した。
他人の心音には安心させる不思議なリズムがある。或いは覚えていないはずの母の記憶がそうさせるのだろうか。
「トロくてドジで引っ込み思案な私ですけど、先生が来てから色んな事に頑張れるようになりました。ネギ先生のお蔭だと思います」
胸に当てていた手を両手で握り、視界を遮っていた髪を上げて、異性にもこんなにも自分の意見を真っ直ぐに言えるようになったのはネギと接してからだとのどかは言う。
でも、ネギには違う考えがあった。
「僕は、のどかさんに好意を向けてもらえるような人間じゃないんです」
アスカに全てを背負わせ、自分の闇からもずっと目を逸らし続けてきた。
五月や新田のお蔭で変わっていこうという気持ちにはなっても、ネギは自分は存在してはいけないとまでは言わないがネガティブな認識が深く根付いていた。のどかの純粋な好意を向けられるのは、自分はひどく汚れているように思えてならない。
こうして触れていると自分の汚れを移してしまうような気がして、それだけは認めることが出来なくて少し強引に繋いでいた手を離した。
「違います」
手を振りほどく強引さとは裏腹に弱さを垣間見せた言葉を真っ向から否定したのどかの強さは、ネギの想像を遥かに超えていた。
少女は何時だって少年が想像するより、ずっと強かで剛い。
「覚えてますか? ネギ先生が初めて麻帆良に来てくれた日の放課後のことを」
「放課後?」
のどかに言われなくても最も印象の深い一日を忘れてはいない。だけど、のどかがなにを言いたいのかが分からない。
「階段から落ちた私を助けてくれたのはネギ先生です。他の誰でもない、ネギ先生なんですよ。好意を向けられる人間じゃないって、そんな悲しいことを言わないで下さい」
手を伸ばして頬に触れた優しいのどかの言葉にネギは涙が出そうになった。
のどかの純真さが、清さが、眩しさが、どうしようもなくネギの心を抉って同時に照らし出す。
「僕はのどかさんを救えたんですか?」
「はい。私はネギ先生に救われました」
どのようなものでも子が持つ物なら受け入れて来る母性のような温かさに、赦しを求めるネギは涙を堪えるのに精一杯だった。自分を全て分かった上で受け入れてくれるのどかの存在は今のネギには何よりの救いだった。ネギはのどかにネカネとは少し違う暖かさを感じた。
「でも、僕と一緒にいたら、また前みたいに酷いことが起こるかもしれません」
言葉とは裏腹に頬に触れた温かさを失いたくなくて俯いた。
この温もりを喪うことだけは今のネギには認めることは出来ない。
受け入れることは出来ない。受け入れてしまったらネギは壊れてしまう。それなら離れても幸せでいてくれる方がいい。どこかで生きていてくれるならどんな責め苦にも地獄にも耐えられる。それだけこの温もりが愛おしかった。
「ごめんさない。今までのどかさんに自分の言葉で何も言いませんでした。本当ならもっと早くこうするべきだったんです」
アスカが明日菜を拒絶するのに便乗して、しかし何一つネギはのどかに言葉をかけなかった。そのことを深く謝罪する。
ずっと伏せていた顔を上げる。ネギの頬は瞳から溢れた涙で濡れていた。ポロポロと頬を流れていく。
「僕は自分を守ることが出来ないほどに弱い。まだ誰かを守れるほど強くはないんです」
ネギはまだまだ未熟者だ。強さだけじゃない。肉体的にも精神的にもネギは自分のことだけで手一杯どころか何もかもが足りない。誰かの命を背負えるほど今のネギは強くない。
「のどかさんの気持ちは嬉しいです。この想いを大事にしていきたい思っています」
のどかの存在は、生徒達や他の人達とは異なる領域にいた。
もっと自分のことを知ってほしい。
もっと相手のことを知りたい。
胸の中で芽生えた想いを、時間をかけて大事に育てて生きたい。そんな思いが生まれていた。なのにアスカの行動を止めることなく、その行動でのどかにも選択を強いようとした。卑怯な行為だ。
「僕を好きって言ってくれて嬉しかったんです。本当に……本当に嬉しかったんです」
ボロボロと涙を流しながら言い募るネギにのどかは何も言えない。
「守ることを考えなければ従者は多い程に有利です。のどかさんの想いを利用したくありません。全て僕の我が侭です。悪いのは全部、僕なんです」
魔法使いは呪文詠唱中は全くの無防備であり、攻撃されれば呪文は完成しない。それを守護する魔法使いの従者―――――即ちミニステル・マギと呼ばれるパートナーがいた方がよいとされている。
アーティファクトは使い方によっては異常に強力なアイテムになり得る。
だけど、ネギは道具を理由にしてのどかを利用したくない。例え黙っていたとしても自分でも気づかぬ心の底で、そのことが作用することが嫌だった。
偶発的で、偶然が重なって生まれてしまった奇縁。大切だから利用したくないと、大事に思おうとしているから利用したくないと、告白されて嬉しかったから利用したくないと、全身から溢れさせていた。
のどかが好奇心に駆られて踏み込もうとしているのに対して、ネギは我が侭と言いつつものどかが思う以上に真剣に彼女の想いに応えようとしていた。
のどかは溢れ出る涙を拭うネギを見つめる自分を俯瞰視しながら自問自答する。
ネギにはのどかの想いに必ずしも応えなければならない義務など無い。利用して引き込む選択肢もあった。利用しないにしても、これを切っ掛けにお互いの想いを深めてもいい。
どこまでも真面目に、誠実に、大切に、のどかの想いに応えようとしてくれている。同時に一時の好奇心に浮かされた我が身が、好きになった人を悪い方向に変えさせかけた自分が恥ずかしくなった。
(ああ、私はこの人を好きになって良かった)
環境に、道具に作用されることなく想いに応えようとしてくれる人を好きになって良かった。人によっては不器用と馬鹿にされようとも己の想いを貫こうとしている。自分が好きになったのはこの人だと、今なら胸を張って言える。
「ありがとうございます」
泣き続けるネギに近づいて、謝るよりも何よりも感謝の気持ちを伝えたくて、別荘を使用したのか自分と同じぐらいになっている体を抱き締める。
のどかの瞳からもネギに負けず劣らずの大粒の涙が幾つも溢れてくる。
「ネギ先生を好きになって良かった」
今の想いを伝えるのに多くの言葉は必要ない。このたった一言だけで良かった。
互いの顔を寄せ合うように抱き締められたネギも、かけられた言葉と顔に触れる自分のとは違う涙に、今度は間違えなかったことに収まりかけていた涙が再び溢れ出す。
涙を流す二人の顔に悲壮な色はなかった。浮かんでいる表情は薄い笑顔。小さな恋心を育んでいこうとしている二人の姿がそこにあった。
「何かあったらネギ先生が助けてくれるんでしょ?」
ああ、どうしてのどかの言葉は何時もネギの心の奥に染み渡るのか不思議だった。
もう片方の手がネギの頬に当たられ、顔が強制的に上げられる。
顔を上げた先には慈母の如き優しい表情を浮かべたのどかの顔があった。素敵すぎる女性に絶対の信頼の視線を向けられて否と言えるほど、ネギは男を止めていなかった。
「ええ、今度こそ助けてみせます」
答えた言葉に一瞬の迷いもなかった。男が涙を流すことは許されないとばかりに引っ込む。
良い女の前では男は愚物に成り下がる。愚かと言うなかれ、古今東西において良い女を前にした男は魅了されて愚者になる。女に見合う男になりたいという気持ちは避けようがないのだ。
「期待しています。これはお詫びとお礼の印です」
なにに対してのお詫びなのか、何に対してのお礼なのか、のどかにしか分からない。
嫣然と微笑んだのどかが呟きと同時に挟まれていた顔を優しく引っ張られた。目を閉じたのどかの顔が近づいて来るのを見て、これから行われる行為がなんであるかが分からぬほど鈍くはない。
近づく速度は決して早くはない。振りほどこうと思えば振りほどける力具合。のどかはネギに選択の余地を与えている。
ネギは選んだ。静かに自分も目を伏せて、のどかの唇を受け入れた。
軽い音を立てて二人の唇が重なった。その瞬間、一際大きな光が走り、大きく噴き出す噴水の水に呼応するように炎が勢いを増す。
「「……………」」
照明に照らされたのではない赤みを増したのどかの顔と手が離れるまでネギは動かなかった。
ネギの中では数十分間にも数分にも感じたキスは、実際には数秒程度であっただろう。一際激しい光に照らされて、ネギは離れていくのどかの唇を名残惜しく開けた目で見つめる。
「次はネギ先生からして下さいね」
のどかが片目を瞑って、人差し指を立てて唇に立てて悪戯っぽく笑う。
「はい、必ず」
この時、この瞬間にネギ・スプリングフィールドは宮崎のどかにハートを射抜かれた。
ネギは今ならどんな強者であっても負けない絶対の自信があった。
きっと五月と新田に背中を押されていなければ、のどかに甘えて縋って依存していただろう。遠くない何時かに破局すると分かっていても突き進んでしまう甘さと優しさがこの時ののどかにはあった。
全てを赦してしまう優しさは、時に人を堕落させる緩やかな毒となる。今の二人の道は最適の時に交わり、重なった。
「ヘッ……妹よ、元気にしてるか?」
甘酸っぱい二人を見やって、カモは鼻を擦って背中を向ける。
二人の想いに当てられて、空を眺めながら恋人や気になる相手がいないので無性に故郷にいる家族に会いたくなったカモだった。
それからの二人に言葉はなかった。ただ、目の前で湖を彩る火と水と光のパレードを眺めて、互いに微笑むだけだった。二人が醸し出す甘酸っぱすぎる雰囲気に誰も耐え切れず、周囲数メートルが空白地帯になっていたことに気づくまで後数分。
近衛木乃香と桜崎刹那の二人と学祭を回っていた神楽坂明日菜は、偶々通りかかった龍宮神社に屯する人の多さに驚いていた。
「それにしても何なのよ、この騒ぎは」
「歴史の古い格闘大会があったらしいけど、こんな大きなもんやなかったと思うけど」
明日菜の疑問に木乃香は記憶を穿り返して、合致しない情報に頭を捻っていた。
見渡す限りの多種多様の者達が本殿へと続く石畳に集まっていて、総じて常とは違った闘志のような熱気を放っていれば異様とも思える。
龍宮神社は各人が着込む服装が学祭の仮装とは違って中途半端なコスプレ会場のような状態に陥りつつある。
刹那が人が一番集まっている場所に、これだけの人が集う理由があると考えて小走りで走って行った。
「これが原因のようです」
人が集まる掲示板の近くに置かれていた箱の中から宣伝用らしきチラシを一枚を取り出して戻って来た刹那が、明日菜にそれを手渡す。
「あー、格闘大会ね。…………ん? ええ――――っ! いっせんまんえん―――――っ!?」
麻帆良学園最強への挑戦と書かれたチラシにはデカデカと千万円の賞金額が書かれていた。
麻帆良祭においては、賞金百万のイベントなど探せば幾つかあるのは事実だが、一千万ともなると別格だ。今まで見たことはあっても考えたこともない大きすぎる金額に目ん玉を飛び出さんばかりに食いついた。目の色を変えて思わず一人でノリツッコミをしてしまった。
「一千万円もあれば、学費と生活費が全部払えるかも……」
明日菜は近年に稀に見る苦学生である。実際には周りから色んな手助けがあるが、親がいない彼女の身元保証人は高畑や学園長で、奨学金制度を使っているが実質的に両者に養ってもらっていると過言ではない。
勤勉ではないが義理堅い彼女は現状を気にしていた。その為の新聞配達のアルバイトである。
大会で勝てば学費と生活費を払えると考えると大分気持ち的に楽になる、と顎に手を当てて考える。勝てると決まったわけではないが使い道が遊ぶとかではないのは性分か。
「なんや誰かが色んな大会を吸収合併して纏めたみたいやな。体育祭と違って大きな大会がなかったから話題で持ちきりみたいや」
掲示板の近くにいた空手着の袖を切り取って指なしのグローブを填めた、見た目とは違って親切な男性から大会の経緯を聞いてきた木乃香が明日菜からチラシを受け取りつつ言う。
お嬢様である木乃香と彼女を護ることこそを第一に考えている刹那の二人には、大金に対してそこまで魅力を感じない。
「二十年前までは、この大会が麻帆良祭の目玉やったらしいで。腕の覚えのある人達が集まって来て面白くなってきたーって言うってはったわ」
木乃香の話を聞けば、どうしてこれだけの人数が龍宮神社にいるのか納得もいく。
優勝賞金一千万円という高額賞金に釣られた者や、純粋に自分の腕を試したい者。理由は様々なれど、集まった闘志と熱気が龍宮神社を覆っているのは少しでも察しのつくものなら感じ取れる。
「明日菜さんも出てみたらいかがですか? 結構いけるかもしれませんよ」
刹那の申し出は忌憚のない意見であった。
修行当初から感じていたが、元より明日菜は身体能力共に抜群の可能性を秘めており、大器に至る素質を備えている。一時期は危ういほど沈んでいたが鍛錬を再開してからの伸びは目を瞠るものがある。
組み合わせの妙があるとしても一般人相手ならば良い線までいけるのでは、と考えていた。
「ギリギリまで選手登録の受付をやっているみたいやしな」
刹那に続いて木乃香も打診してきたので、賞金自体には魅力を感じるが、大会で目立つことには前向きではない明日菜はどうしようかと考え込む。
『見学者と参加希望者は、入り口よりお入りください』
中庭へと続く門がアナウンスと共に開かれ、明日菜達の周囲の人垣も動き始めた。まだ参加するか決めていないがジッとしていると邪魔になりかねない。
「参加するしないは別にしても中に入ってみようや」
「そうね。そうしよっか」
どういう選択をするにしてもこのままこの場に留まっていてもなにも始まらない。参加しないにしても誰が勝ち残って賞金を獲得するのか興味もある。
どの道、選択をする判断材料を増やす為にも、木乃香の言に従って明日菜は前に進むことにした。
周りの波に乗って流れに沿うようにして明日菜達三人も移動を始め、龍宮神社の中庭へと足を踏み入れた。
中庭に設置された予選の為の特設リングがあった。優勝賞金が一千万円と高額なこともあって、予選会場だというのに正方形の特設リングが等間隔に八つもある。予選会は直ぐなのに灯りの類がないので、試合中はなんらかの方法で灯りを中てるのだろう。
そして中庭中の視線を集めて、ライトアップされた社の手前にて人影が見えた。 人影は右手にマイクを左手を天空に向けて掲げた。
『ようこそ!! 麻帆良生徒及び学生及び部外者の皆様!! 復活した「まほら武道会」へ!! 突然の告知に関わらず、これ程の人数が集まってくれたことを感謝します!! 優勝賞金一千万円!! 伝統ある大会優勝の栄誉とこの賞金、見事その手に掴んでください!!』
『おおおおおおお――――!!!!』
ラウンドガールのようにボディコン衣装を中学生らしくなく着こなした朝倉和美が化粧もバッチリに告げると、その声と共に明日菜達の周りの男達の気合の籠った掛け声が一斉に上がって唱和した。
「あれ、なんで朝倉が司会を?」
何故か司会をしている和美に対しての明日菜の疑問に答えられる当人は、慣れたもので前口上を述べ上げる。
『では今大会の主催者より開会の挨拶を! 学園人気No1屋台「超包子」のオーナー、超鈴音!!』
ライトアップされた社の少し奥から影を縫うように現れたのは、中華服で正装した超鈴音だった。
大々的に紹介された彼女を知らない者からは子供かという声も上がるが、麻帆良の天才頭脳などという二つ名を持つだけあって有名なので近場にいた知っている者が説明している。
和美からマイクを受け取った超は会場に集まった一同の前へ出て、勿体ぶるように不敵気に笑いながら口を開いた。
『私が…………この大会を買収して復活させた理由はただ一つネ。表の世界、裏の世界を問わずこの学園の最強を見たい、それだけネ』
片目を閉じてウインクを入れて、左手の人差し指を立てながらあっけらかんと楽しそうに言い放った。
裏の世界という単語に心当たりのない観衆は騒めいた。順当に考えるならマフィアやヤクザといった脛に傷を持った人達のことだが、麻帆良学園都市ではそのような職業の者達が追放されて久しい。僅かに残っていた者達もこの一年の間に悉くが駆逐されている。
大半の者達は超の言っている本当の意味を理解している者は、僅かにいた例外を除いていなかった。
『二十数年前までこの大会は元々裏の世界の者達が力を競う伝統的大会だたヨ。しかし主に個人用ビデオカメラなど記録機材の発達と普及により、使い手たちは技の使用を自粛、大会自体も形骸化、規模は縮小の一途をたどた……………だが私はここに最盛期の『まほら武道会』を復活させるネ! 飛び道具及び刃物の使用禁止……………そして、呪文詠唱の禁止! この二点を守れば如何なる技を使用してもOKネ!』
「ちょ、ちょっとアレいいの?」
「一般人の前でなんてことを!?」
裏の世界という単語に引っかかるものを感じていた中で更に決定的なルールを発表されて、明日菜は困惑して刹那は動揺した。
裏だの表だのと言ったのは見方を変えれば、自分が出資した武道会を盛り上げる為の演出と取れなくも無い。だがそんな下手な演出をしなくても、超の財力や麻帆良の最強頭脳と呼ばれる頭脳を駆使すればもっとマシな案があるはず。
裏の世界と言っただけではなく呪文詠唱の禁止まで出したとなれば、先の言葉は本気で魔法のことを知っているとしか考えるしかない。
『案ずることはないヨ。今のこの時代、映像記録がなければ誰も何も信じない。大会中、この龍宮神社では完全な電子的措置により、携帯カメラを含む一切の記録機器は使用できなくなるなるネ』
科学技術が発達したこの時代においては映像記録でさえ偽造が可能になり、完全には信じられない時代になっている。だが、それでも映像があれば信じる人も中には存在し、人の口に戸は立てられないというが証拠のない現象を信じる人はまずいない。
魔法バレの疑いはあっても可能性の段階なので確証がない。賞金金額一千万でこれだけ注目を浴びる大会を急に中止してしまったら逆に不自然さが生まれる。学園側としても記録が残らないように配慮されているのなら問題があろうと開催せざるをえない。
『裏の世界の者はその力を存分に奮うがヨロシ!! 表の世界の者は真の力を目撃して見聞を広めてもらえればこれ幸いネ!! 以上!』
超の宣言に集まった者達は理解できずとも、総合格闘技においてスタンダードとなっている反則とされている技以外は全て使えるルールと解釈して吠えた。
『では詳細の説明に移らせて頂きます!!』
引っ込む超からマイクを受け取って和美が大会の説明を始めた。大抵は戦意に燃えすぎて聞こえていなかっただろうが。
「ちょっと不味いんじゃない、これ」
明日菜の疑念も尤もだった。超が言い当てた裏の世界と関係を深めている彼女らは正確に理解して、その危険性を熟知している。かといって、これだけ戦意に燃えている参加者達を止めることなどもう出来ようもない。武道会を止める誰もが納得する正当な理由なしでは暴動が起きる。
明日菜の懸念に対して刹那も木乃香も答える言葉を持たない。彼女達も現状に戸惑うしか術を持っていなかった。
「ふふ、中々面白い事になっているようだな」
「え……」
和美に後を任せて引っ込んだ超のことをどうするかを考えていた背後から声をかけられた。
聞き覚えのある声に三人は同時に後ろを振り向いた。
「面白い大会になりそーネ」
そこには相変わらずの中華服に動きやすいようにスリットが危険域まで開いている古菲。
体育祭でもウルティマホラに参加して優勝したこともあって、こういう大きな大会で強敵と戦えるのが嬉しいのだろう、顔が笑みの形で固定されている。
「一千万なら私も出てみるかな。なぁ楓」
この龍宮神社の娘であり、肌の黒に致命的に合っていないが見事に着こなしている巫女服姿の龍宮真名が隣に立つ自分と同じぐらいの背丈の少女に話しかける。
「そうでござるなぁ…………バレない程度の力でなら」
真名に話しかけられた、お化け屋敷で来ていた黒いセーラー服の衣装のままの長瀬楓がのんびりとしつつも参加の意思を窺わせる。
「龍宮!」
「楓ちゃん!」
「くーへ!」
明日菜達が各々仲の良いメンバーの名を呼ぶ。刹那も含めて、武道四天王と呼ばれるおそらくは女子中等部最強の四人が揃った事になる。
「あいあい」
「こんな大会は滅多にないアルよ」
「遊びの大会で一千万ならボロい儲けだ」
このような大会に率先して参加しそうな古菲は別にして、真名や楓は自分の力を必要とあれば別だが衆人環視の前でひけらかすことはしない。真名は自分が言っている通り、守銭奴な面もあるので高額な賞金に釣られて参加し、他の三人が参加するならと楓も前向きな意見が出ていた。
次々と現れる参加者と見学者の中心にいる明日菜達は置いてけぼりになっていた。
「む、無理…………こんなメンバー相手に優勝なんて絶対に無理よ。どんなに頑張っても四位とか五位ぐらいにしかなれないわ」
「腕試しに参加するだけも意義があるんちゃう?」
実力を付けている自負はあっても師である刹那と同格とされる武道四天王に勝てる自信などない。例え一般人全てには勝てたとしてもこの三人に勝てるはずがない。
木乃香も明日菜が優勝できるとは思っていないのか、言っていることは中々に辛辣だ。苦笑いで否定しない刹那も同じことを思っているのだろう。明日菜もそう思ったので否定はしなかった。
「ほほう、中々に楽しそうな催しじゃないか。私も混ぜろ」
一気に参加意欲を喪失しだしている明日菜に追い打ちをかける存在が、楽しげに声をかける。
「げっ、まさかエヴャちゃんも参加する気!?」
明日菜が驚くのも無理はない。真名並みにこういう祭りは興味のなさそうなエヴァンジェリンが現れたのだ。
エヴァンジェリンの登場に、彼女が真祖の吸血鬼と知っている刹那が盛大に顔を引き攣らせる。明日菜は早くも参加意欲が萎んできた。最初から参加する気のない木乃香だけが呑気にしていた。参加する人達の冥福を内心で祈っていたが。
「やあ、楽しそうだね」
二度あることは三度ある。この場合は三度あることは四度あるのか。更に更にエヴァンジェリンの後ろから低い成人男性の声が降って来た。
「た、高畑先生!?」
こういう場には最も縁が遠そうな教師の高畑の登場に明日菜の許容量はもう破裂した。
「みんなが出るなら僕も出てみようかなー」
「なんで貴様がこんなものに出るんだ?」
片手で頭を掻いて火の点けていない煙草を口に咥えながらの気楽な声に、心底うんざりした顔でエヴァンジェリンが猫でも追い払うように手をシッシッと振るう。
「いや、ちょっと覗きにきただけだったんだけどね。見逃せないことがあったんだよ」
「超のことか」
気の抜けた気楽な表情には不釣り合いな鋭い感情を一瞬だけ垣間見せた高畑にエヴャンジェリンがズバリと答えを言い当てる。
高畑はエヴァンジェリンに対してなにも答えなかったが、こういう場合は沈黙こそがなによりも解答となる。
『では参加希望者は前へ出て籤を引いてください!』
金的などの反則行為に値する説明を終えた和美の促しに参加者達が動き出す。
拝殿の扉を開けて何人かの少女が籤が入っているらしき箱を持って出てきた。参加者たちはその場その場で適当に何列かに別れて並んでいく。
「や、やっぱり出場するの止めようかな~」
籤を引くために離れて行った出場を表明した面々の常識外れぶりに、参加意欲はプラスどころかマイナスにぶっちぎりに振り切った。明日菜は参加する全員が全員とも常識外れな気がして及び腰になっていた。
出場したらただではすまない予感がビンビンしている。古菲のように強敵に挑むことに快感やワクワクするような思春期の男の子体質でもない。
「明日菜はそれでええとして、せっちゃんはどうするん?」
「楓達が出るなら私も出てみようかと」
「じゃあ、うちはせっちゃんが優勝出来るように一杯応援するな」
刹那と木乃香も及び腰になっている明日菜を発奮するほど非情ではない。純粋な腕試しにならと出場する気になっている刹那と、彼女を応援することにした二人は明日菜が出場しない前提で話を進めていた。
明日菜としても負けると分かっている大会に無理に出場する必要もない。木乃香と同じく刹那やクラスメイトの応援に回るかと、完全に参加する気を失くしたまさにその時だった。
「!?」
偶々向けた視線の先で、隣に立っている眼鏡の少女や見覚えのある黒髪の少年と何やら話している金髪の少年が列に並ぼうとしているのが見えた。
話には聞いていて、大きくなった今の姿を知らない明日菜はその金髪の少年がアスカだと直ぐに分かった。
幼き頃の面影を十分に残したアスカの姿が参加者の中に消えて行った。
『予選会は籤引きで決まったそれぞれ20名一組のグループで行われるバトルロイヤル!! 予選会終了ギリギリまで参加者を受けつけます!! 年齢性別資格制限一切なし!! 本選は学祭二日目明朝午前8時より!! 只今より予選会を始めます!!』
和美の宣言が響き渡る中で、神楽坂明日菜の肉体は本人の意思を外れてまるでなにかに導かれるように動き出す。