魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第40話 まほら武道会

 去年の来客動員数を超えて例年以上の盛り上がりを見せる麻帆良祭初日が終わり、二日目の朝がやってきた。

 この日も朝早くから麻帆良学園都市に向かおうと多くの人達が各種交通機関を利用していた。県外から麻帆良祭を楽しむ者の中には始発で目指す者もいる。

 都市外の者には負けずとばかりに、気が早い者はまだ眠い目をしょぼつかせながら既に動き出していた。中には中夜祭を満喫して寝ていない剛の者もいて、早朝と呼べる時間にも関わらず麻帆良学園都市は賑やかであった。

 その中でも龍宮神社周辺には既に数百、或いは千にも及ぶかもしれない人達が集まっていた。

 復活した伝説の格闘大会。二十年前になくなるまでは麻帆良祭の目玉とまで言われた「まほら武道会」。麻帆良の名物人間、超包子のオーナーにして最強の頭脳と呼ばれている超鈴音が複数の大会を合併・吸収して纏めた一大イベントである。

 龍宮神社前に集まった人混みの中にいる伊達メガネを掛けた少女も理由はどうあれ、大会を見に来た観客の一人であった。

 クラスの出し物である「お化け屋敷」の衣装の黒いセーラー服を着た、愛用のノートパソコンが入った鞄を片手に持った長谷川千雨である。その背後にはお馴染の相川さよが憑いている。

 

「ふーん、結構、人きてんじゃねーか。 ま、昨日からずっとネットで散々話題になってるから当然か」

『なんでそんなに話題になるんでしょう?』

「やっぱ、賞金一千万ってのがデカいんだろう。聞いたことないぞ、たかが格闘大会にそんな大金」

 

 賞金一千万という巨額さ、伝説の格闘大会の復活というイベント性の高さ、予選会での披露された実力のとんでもなさの話題に引かれ、もしくは噂の真偽を確かめようと多くの人達が会場である龍宮神社に足を運んでいた。気の使い手が出たり、予選通過者の半分が子供とあっては話題性には事欠かない。朝8時からという他の例にない早期からの開始に、話題の大きさもあって少しぐらいは足を運んでみるかと思う者は多かった。

 普通に幽霊と喋っている現状に慣れてしまった千雨は、少し肩を落としながら年頃の乙女らしく下品にならないように大きく開けた口元を片手で隠しながら欠伸をする。

 

「四時間ちょっとしか寝てねぇとやっぱり眠いな」

 

 しょぼつく目に浮かんだ涙を拭き取る。涙を拭き取る動作もどこか緩慢なのも本人が言ったように眠気が影響しているのか。

 

「あいつらなんで酒も飲まずにあのテンションを長時間維持できんだよ、まったく」

『お祭りですもん』

「便利な言葉だよ、それ」

 

 結局、クラス全員参加ということで強制連行された中夜祭で、途中で眠気に勝てずに千雨は騒ぐクラスメイトの中で眠りこけたが朝の4時まで騒いでいたらしく、起きたら広場には死屍累々と熟睡している連中が折り重なっていた。

 

『楽しかったですね、前夜祭』

「私としては、どうして酒もなしにあそこまで騒げるのか呆れるけどな」

 

 クラスメイト達の元気さに呆れつつも、諦めの境地すらも通り抜けてしまった千雨は仙人のように受け入れることも大切だと悟っていた。一々反抗して空気を悪くするのは不味いと分かっているので、よほどの害にならない限りは受け入れられるようになってしまった。

 少年少女が教師になったり、目の前で乱闘や拳銃発砲事件まであったのだ。器とかそんなものが異様に大きくなってしまったてもおかしくはない。今では大抵の非常識なことが受け入れられるようにようになってしまったことを憂えるべきか、嘆くべきか。

 

「どんだけ注目されてんだよ、この大会は」

 

 どこのセール中のデパートかというほどの混雑ぶりに、迷惑そうに言いながらも周りで屯している者達を見て頬を緩めた。

 

『顔、緩んでますよ。本当に千雨さんってコスプレ好きですね』

「うるさい」

 

 何故か袖を肩で切り取ってギザギザにした空手着はまだしも、なにかを勘違いしたような個性過ぎる恰好した者達が妙に多いのは、コスプレ好きな千雨としては彼・彼女達がコスプレ趣味の持ち主でなくても十分な目の保養になる。

 こんな恰好をした選手ばかりが出て来るなら観戦する必要もないのだろうが、彼女にはそうは出来ない理由があった。

 

「しかし、アスカの野郎。一ヶ月かそこらでなんであんなに大きくなってたんだ?」

『え、え~と、それは』

「言いたかねぇなら別にいいぞ。これ以上の非常識は御免だからな」

 

 これほどまでに器が大きくなってしまった原因で、昨夜に偶々出会ったアスカ・スプリングフィールドのことを思い出す。

 一ヶ月前は千雨よりも頭一つ分以上低かったのに、昨夜会った時は目線が上になっていた。普通ならありえない成長の仕方で、その理由をさよは明らかに知っていそうだが、これ以上は常識を壊されたくない千雨も無理に聞こうとしなかった。

 

「さしあたって、アスカから貰ったこのチケットをどうするか」

 

 予選会に出たのなら本選に出ると考えての行動だったが今やプラチナが付いているチケットを見下ろして、売って小遣いにすれば欲しかったアレコレが買えると誘惑に駆られる。しかし、ここは我慢するところだと欲求を抑え込める。

 抑え込めずにユラユラと脳裏で具象化した物欲様が「おいでおいで」と手招きしているが。

 

『折角貰ったんですから見に行きしょうよ』

「幽霊は良いよな、チケットいらずで」

『じゃあ、千雨さんも幽霊になります? 歓迎しますよ』

「大金積まれたってゴメンだ」

 

 さよに言われて、それを切っ掛けにして手招きする物欲様の誘惑を撥ね除ける。

 名残惜しげに見つめる物欲様を見ないようにするために別の事を考える。

 

『只今より入場を開始します』

 

 そのアナウンスと共に内側から入り口の扉が開けられ、多くの見物客が良い席で試合を見るために我先にと会場入りしていく。試合開始までまだ一時間以上もあるので走るほど慌てて席を取ろうという者も流石にいない。

 友達と一緒に来た者は隣り合って喋りながらゆっくりと歩き、席を取るために早く来た者も早足だが走ってはいない。

 一躍、麻帆良祭の目玉となった麻帆良武道会にしては静かな立ち上がりだった。

 

「…………怪我とか、しなきゃいいけど」

 

 早足で会場入りしていく者達の中で自分のペースで歩いていた千雨の口から思わず本音が漏れ出て、慌てて手で押さえて聞かれなかったかと周りを見渡す。

 隣にいる者と話し合ったり、前を向いていたりして、視線は向いても千雨に視線を集中させている人はいない。今の一言を聞き咎めた者はいなさそうだ。こうして立ち止まっている方が視線は集中する。口元から手を離して短い息を吐く。

 

「心配すんのは友達なら当然だよな、うん」

 

 誰に向かって言うでもなくブツブツ言いながら足を進めて本選の会場に向かって行く千雨。

 行動が答えを示しているが、それを改めて人に聞き咎めたり指摘されたりすると意地を張りたくなる心境。周りに本音を知られるのが恥ずかしいと感じる年頃なので建前で隠そうとする。

 そんな千雨をさよはクスクスと微笑ましく見ながら、後に憑いて会場に向かう。

 

『千雨さんって素直じゃないんですね』

 

 一連の流れを見ていたさよが本音に気づかないはずがない。 殆どが建前で、最後が千雨の本音であると。知らぬは本人ばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 時刻は七時を少し回ったといったところの時間。本選出場者の集合時間が午前七時三十分なので、そろそろ選手が集まり出す頃合いだ。当然、本選出場者である神楽坂明日菜と桜咲刹那の姿も龍宮神社にあった。

 

「出場者は拝殿に集合だっけ」

「ええ、選手の控室も兼ねているそうですから行きましょうか」

 

 昨日、本選出場者だけを集めた中で聞いた超の話を思い浮かべた明日菜は視線を拝殿へと向けた。

 少し早い気もするが、選手が客席にいるのも変な話なので、刹那の言うように集合場所の拝殿が選手の控室を兼ねているのならそこで時間を潰すべきだろう。

 

「頑張ってな、二人とも。でも、怪我だけはせんように気をつけて」

 

 選手ではない木乃香では拝殿まで同行は出来ない。親友二人が行ってしまうのは少し寂しくはあるが、辛気臭い顔ではなくて笑顔で送り出すところなので、怪我をしないように注意だけをして応援する。

 

「ありがとう、木乃香」

「後で客席の方に顔を出しますので」

 

 木乃香に応えるように笑みを浮かべてそれぞれの言葉で気持ちで伝える。

 拳や武器を使って戦うのが格闘大会の趣旨なので怪我をしないと確約は出来ない。それでも心配してくれる親友の心遣いは嬉しくある。

 何時までも手を振っている木乃香の姿を二人とも目で追ったり手を振り返しながら拝殿の扉の前に立つ。

 古菲が書いたらしい「選手控え室」と書かれた書が頭上に張られた扉の前で一つ深呼吸。このような大会には縁のなかった明日菜は少し緊張しながら扉に手をかけた。

 

「失礼しまーす」

 

 どことなく遠慮がちに小さく声をかけながら引き戸を横にカラカラと開ける。

 選手控え室に入った明日菜の目に入ったのは、それぞれ思い思いに佇んでいる者達の姿。

 まず目に着いたのが三年近く共に過ごしているクラスメイト達の姿。

 普通の私服に見えない変わった白のロングコートを着た龍宮真名、何時ものチャイナ服の古菲、蝶ネクタイでバーテンか執事のような服を着た長瀬楓の三人。

 三人は明日菜達の姿を捉えると微笑んだり、軽く挨拶のようなものをしてきてくれた。

 刹那と一緒に挨拶を返しながら他に目を向けると、素性の分からない白いローブを目深に被って人相も分からず男か女かも分からない人、黒いローブで口元も隠している怪しさ満載の二人。後者は目元や足元は見えているので女と分かった。しかも片方は予選会で一悶着あった人だと分かる。体格で大体の推測は着く。

 残るは三人。学ランにリーゼントという前時代的なヤンキーの恰好をした男子高校生、もう一人の男は先のヤンキーと同じ年頃のタラコ唇をした漢服を着ている。

 そして最後の一人は明日菜も良く知っており、3-Aとも大きな関わりのある―――――ー

 

「おはよう、明日菜君」

 

 何時ものようにスーツのポケットに両手を入れたスタイルで挨拶をしてきたのはタカミチ・T・高畑その人である。

 

「おはようございます、高畑先生」

 

 育ての親とも言える人に折り目正しく頭を下げる明日菜。明日菜の隣にいた刹那は自分に向けられた挨拶ではなかったから目礼で済ませる。

 何時からか自分の前で慌てなくなった少女を前にして高畑は束の間、嬉しいものを見たという風に目を細めた。

 記憶を消されて芽生え始めた感情も失って、それでも麻帆良の日常の中で少しずつ成長していく姿を見続けてきた。師の面影を無意識に求めて煙草を吸うように求めてきた時、どれだけ高畑は胸を締め付けられる思いを味わったか。記憶を消したのは高畑なのに、一途に慕ってくれる姿を見るにつけて罪悪感に駆られてきたか。そして何気ない日常を楽しそうに謳歌する笑顔にどれだけ救われたか、きっと明日菜は知る由もない。

 なにも知ることなく誰かと添い遂げて一生を終えてほしいと身勝手にも思っていた。高畑の独善だとしても、真実を知るには彼女の過去は重すぎる。傷つくと分かっていても押し通せる気持ちを持ってはいなかった。

 

「どうかしましたか? 私の顔になにか付いてます?」

 

 高畑が眩しい物を見るように自分を見ていることに気がついた明日菜は、少しピントがずれた返答を返した。

 記憶を失っている明日菜に、高畑が長年抱えていた懊悩が分かるはずもない。分かってほしくもない。分かる時が来てほしくないとも思っている。

 

「元気になったようで安心したよ」

 

 一時は目も当てらない沈み込みようだった。でも、高畑は手を出さなかった。いや、出せなかった。

 事情は全て学園長から聞いた。侵入した上級悪魔、人質に取られた生徒達、その人質の中に明日菜がいた。

 人質はスプリングフィールド兄弟を誘き出す餌であり、学園側の動きを掣肘する頸木であった。高畑が出張で麻帆良を離れていて容易には戻って来れない時を狙い、雨に紛れて侵入した手際はいっそ見事といっていい。

 上級悪魔を相手にするなら魔法先生数人でかかる必要がある。

 個人頼みで相対するには危険すぎる相手。倒すには確実に数で囲む必要がある。だが、相手も当然そこは織り込み済み。無数の攪乱や陽動に翻弄され、一人で相手が出来そうな学園長は容易に現場に立てる立場ではない。

 結果として敵に自由行動が認められていたアスカが悪魔を倒した。それでハッピーエンドにならなかったのは何故か、答えは簡単である。その実力が、在りようが、あまりにも人の、一般人の領域から外れすぎたから。

 魔法使いでも気の使い手でも、高位になればなるほど普通の人の想像の域を超えていく。例えばナギ・スプリングフィールドがリーダーを務めていた「紅き翼」を例に挙げるとして、その単体戦闘力は戦闘機や戦車を容易く凌駕する。

 単体で戦術レベルから戦略レベルの戦闘力を有する者達を受け入れることは唯人には出来ない。恐怖を隣人することは決して出来ないのだから。

 

「はは、その節は本当にご迷惑をお掛けしました」

 

 何時からだろうか、守ると誓った少女が自分に敬語を使うようになったのは。埒もなくそんな思考が高畑の脳裏を過ぎる。

 親しき仲にも礼儀はありとも言うが、今は以前には感じなかった壁を少し感じる。

 壁を作ってきたのは自分だと分かっている。育ての親をやりながら成りきれていない。好いてくれていると分かっていても知らぬ振りを続けてきた傲慢。決して言えない秘密を言い訳にして本当に大切な時になにもしてやれない苦痛。

 この手は既に血に濡れている。一人や二人ではない。時には命乞いをする者を無慈悲に下したことすらある。こんな自分が人に愛される資格はないと思っている。同僚の源しずなの好意に答えないのはその気持ちから来ていた。

 苦笑を返す明日菜に尋ねたい衝動がどうしようもなく胸の奥から突き上げてくる。

 

(君は僕が本気で戦うところを見て今まで通り接してくれるかい? それとも――――)

 

 先に続く言葉は心の中ですら形にはならない。形にしてしまえば現実になってしまうかもしれない恐怖が押し留めたのだ。

 内心で呟こうとも表には出せない。もし今まで通り接することが出来ないと明日菜に言われれば高畑は文字通り生きてはいけないだろう。

 高畑の人生は十年前の時点で決定づけられた。師を目の前で死なせ、仲間の殆どを失って、守ろうとした人すら傷つけた。

 タカミチ・T・高畑のこの十年間は神楽坂明日菜と共に在り、それはこれからも変わらない。だからこそ、嫌われてしまったら、違う関係になったら指針を失ってどう生きたらいいか分からなくなる。

 だからこそ、明日菜の好意に知らぬ振りを続け、源しずなの気持ちを受け入れようとはしない。

 変わるのが怖いから。変わってしまったらどうなるか分からないから。分からず、知らず、見ず、聞かずを繰り返す。

 

(最低だ。でも……)

 

 明日菜はアスカが戦う姿を見て、あれだけの変調を来たした。

 悪魔がスプリングフィールド兄弟と因縁浅からぬ関係で、アスカが今までとは別の一面を見せたことが原因の一因であることは間違いない。しかしなによりも、普通の人の想像の域を超えた戦いをしたことに大きな理由があるとしたら、高畑もまた無関係ではいられない。

 だから、答えを聞くことが怖い。容易に触れることが出来ない。

 明日菜がどれだけ変調を来たそうとも、本質的にアスカと同じ側にいる自分が彼女になにを言えよう。

 かけられる慰めの言葉がなかった。傍観者として苦しんでいる姿を見ていることしか出来なかった。

 なにも出来ない自分が許せなくて、明日菜を追い込んだアスカが許せない。アスカに対しては八つ当たりだと分かっている。だが、他に誰を恨めよう。悪魔はもはやこの世にいない。侵入を手引きした何者かは誰か分からない。八つ当たりできる対象はアスカしかいないのだ。

 胸中に満ちる苦い思いを噛み締めてニコチンが無性に摂取したくなった高畑はスーツの内ポケットに入れている煙草を取り出しかけて、ここには未成年が多いので止む無く自嘲した。よりにもよって神社の拝殿をニコチンで汚すわけにはいかない良識はあった。

 急速に口元が寂しくなって手持ち無沙汰に顎髭を擦っていた高畑の前で、明日菜は誰かを捜すように首を左右に向けて辺りを見渡していた。

 

「高畑先生はアスカを見てませんか?」

「いや、知らないな」

 

 どうしたのかと聞く前に、顔を前に戻した明日菜に問いかけられた高畑は自分で想像していたより、ずっとつっけんどんで冷淡な声が出た。己惚れるわけではないけれど、普段の自分なら絶対にこんなことは言わないだろうってぐらいの冷ややかな声だった。

 明日菜の隣で刹那や拝殿にいる全員が目を丸くするほどの変わりようだった。

 

「た、高畑先生、私なにか粗相をしましたか? 」

 

 急に不機嫌になったと分かる高畑に明日菜は自らがなにか機嫌を損なうような行いをしたのかと思って狼狽した。高畑と話していたのは自分だけで、なら機嫌が急降下した理由は自分以外に考えられない。

 

「すまない。ちょっと個人的な事情で、君になんの責任もない。…………すまない」

 

 先程の和やかだったのとは打って変わったように不機嫌そうな声のままで言うと、謝りつつも抑えきれない怒りが明日菜を傷つけると考えて高畑はさっさと踵を返した。近くにいても傷つけるだけなら離れるしかない。

 困惑している明日菜達を置いて、離れて壁際に背を凭れさせた。苛立ちを押さえるように目を閉じた高畑の姿を白いローブを着た人が面白いものを見たとばかりに口元を綻ばせていた。

 

「ええか、絶対に決勝まで来いよ。俺らはそれまで当たらんのやからな」

 

 もう一度話をしようと足を踏み出しかけた明日菜を機先を制するように、明日菜達が来たのとは別の引き戸が開かれた。

 開けたのは金髪の少年。その顔は斜め後ろに向けられて続けて入って来る黒髪の少年に向けられていた。

 

「漫画とかだと、そう言ってる奴って以外にあっさり負けるよな」

 

 明日菜とそう身長が変わらない金髪の少年――――アスカ・スプリングフィールドは、黒髪の少年――――犬上小太郎の先程の台詞を揶揄するように唇の端を吊り上げた。

 

「言ってろや。漫画は漫画ってことを教えたる」

「期待しねぇで待ってるよ」

 

 暗に証明して見せろと言葉に込めたアスカが前を向いて出場者のメンバーを見渡して明日菜に気づき、僅かにその表情を強張らせた。

 屹然とした視線でアスカを見据えた明日菜が足を踏み出そうとした正にその時、階段を下りてきた和美が試合の組み合わせ表の前に立った。

 

「おはようございます選手の皆さん!!」

 

 現れた和美の声が控え室内に響き渡る。

 条件反射で明日菜達がそちらに視線をやると、黒いコンパニオン風のスタイルが際立つ服にリング付きピアスを着けた朝倉和美がいた。

 彼女の恰好は実に良く似合っており、とても中学生には見えない。化粧までしていることもあって今年大学生になったと言われても信じてしまいそうな色気があった。

 特に同年代よりも一部が劣る刹那としては羨ましい限りのバインバイン具合で、自分が同じ格好をしても滑稽さが発揮されるだけで惨めさが増すだけ。字自分のセーラー服の胸元を見下ろして溜息を一つ漏らしてから顔を上げる。

 和美の隣には袖や裾がゆったりとした中華服を着た超がいて、気を逸した明日菜はアスカが何事もなかったように背中を壁に付けるのを見ていることしかか出来なかった。

 

「ようこそお集まり頂きました。三十分後より第一試合を始めさせて頂きますが、ここでルールの説明をさせて頂きましょう」

 

 和美は一度マイクを下ろして周りの反応を窺い、誰からも否がないことを確認してマイクを口元に近づける。

 

「十五メートル×十五メートルの能舞台で行われる十五分一本勝負。ダウン10秒・リングアウト10秒・気絶・ギブアップで負けとなります。時間内に決着がつかなかった場合は観客によるメール投票に判断を委ねます」

 

 ルールの説明は予選会前にもされており、基本的にはお浚いなので簡単なものだ。昨日との違いを確認するのみである。

 武器は飛び道具、刃物のついたものは使用禁止は変わらない。試合の進行上必要な措置として制限時間が設けてあり、オーバーした場合は観客のメール投票によって勝敗が決まることになっていた。

 

「それでは以上で説明を終わります。第一試合は三十分後です」

 

 和美のよく通る声が拝殿内に響き、その声を合図にして参加者達が三々五々に散っていく。

 主催者である超や司会の和美よりも早くアスカは拝殿を出ていく。

 

「おい、アスカ。ええんか?」

「いいんだよ」

 

 遅れて後を小太郎が話しかけているが、一歩目が鈍かった明日菜の視線の先で引き戸が閉められた。

 特別強く閉められたわけでもない引き戸が、どうしてもアスカの拒絶を現しているようで明日菜は伸ばしていた腕を力なく下ろした。

 拝殿の中でいきなり走り出せば注目する。アスカを追う行動は全員が見ていた。全員に背中を向けて俯く明日菜を。

 

「明日菜さ……」

「大丈夫」

 

 近寄った刹那が慰めようとして手を肩に伸ばしたところで明日菜が顔を上げる。

 

「嫌でも試合で顔を合わせるんだから。今は、これでいい」

 

 刹那からは明日菜の顔が見えなかったが、その声はとても力強かった。

 侵すべからずの背中に伸ばした手の行き所を失って、明日菜のような強さを持っていない刹那の方が顔を俯かせた。

 その時、グギッ、と砕きかねないほど歯を強く噛み締める音が比較的近くにいた楓の耳に届いた。隣にいた真名も聞こえたのか、同じタイミングで振り返って見た 。

 そこにいたタカミチ・T・高畑の顔を見て、楓は普段は閉じているように見える片目を大きく見開き、普段は冷静沈着な真名ですらも驚いた表情を浮かべた。やはり白いローブの人物は口元を綻ばせたままだった。

 開始前から大会は波乱を含んで始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良武道会の本選が行われるのは、龍宮神社内の普段は能舞台として使われている舞台である。

周囲をぐるりと囲む回廊の前には湖があり、舞台はその中央に鎮座している。三方には灯篭が立てられており、残った入り口側には選手席が用意されていた。一般客は回廊の一般観客席からの観覧となっていて、登り始めた日の照り付けで水面が美しく輝く様を見ることが出来る。

 現在の時刻は午前八時少し前。試合開始時刻を間近に控えて、会場の熱気は否応もなく高まっていた。

 

「だから気だって気。今回の大会は絶対凄いって」

「はぁ? 何言ってんだ馬鹿じゃねぇの?」

「昨日の分身やら遠当て見なかったのかよ」

「あんなのイカサマだって」

「バッカ。達人の間じゃな………」

 

 会場のそこからしこから湧き上がる議論の嵐。

昨夜の予選会を見た者達は興奮気味に語り、見ていない者は当然として懐疑的である。疑念を抱く者にありのままの真実を語ろうと、気などは甚だ現実性に乏しい。出場者の半分以上が子供と知れば大会の信憑性を問いたくなるのも当然。

 そんな喧騒著しい回廊の一角。舞台全体を満遍なく見渡せる解説席と銘打たれた席の近くに長谷川千雨はいた。

 早い時間に会場入りしたお蔭で良い席を確保出来たと、同級生がいれば誰だと驚くほどのホクホク顔である。

 

『色んなところでお話してますね』

 

 幽霊の特性を活かして見て回っていたさよは感心したように呟いた。

 あまりにも早く会場入りした為に暇を持て余していた千雨は、手持ちのノートパソコンを回廊の欄干に乗せてネットサーフィンをしていた。麻帆良武道会のことを取り上げている記事があったので、暇潰しがてらに読んでいたところにさよに話しかけられて呆れながらも鼻を鳴らした

 

「主催者である超が担いだイカサマなのか、それとも本物の超能力なのか。みんな気になってるんだろ。ま、興業としては十分に成功してる辺りが抜け目ないけどな」

 

 隣近所でどちらが正しいかの議論が持ち上がって、結局は実際に見て判断するかと答えが出て来るのは必然。何時までも議論をするよりは論より証拠。実際に目にして判断した方が早い。賞金の高さも相まって観客はなんの疑いを見せず、試合を今か今かとそれぞれのやり方で待っていた。

 

『千雨さんはどう思っているんですか?』

「ふん、気とか胡散臭せぇ」

 

 読んでいたパソコンの画面に映る『「遠当て」の使い手に突撃インタビュー!! 「気」は実在した!?』から目を離して鼻を鳴らす。

 

『昨日も見たのに』

「そうだけどな……」

 

 が、口ではなにを言おうと千雨も予選会の現場にいて、インタビューに答えている豪徳寺薫が「漢魂」というのを放つのを見ている。確かになにかが拳の進路上に放たれ、対戦者を打ち倒しているのを見ては信じないわけにはいかない。

 取材を受けている豪徳寺薫は、リーゼントに学ランという極めて古風なヤンキーの格好をしているが、画面上に映っている写真で照れたようにピースしている姿を見れば、安易に否定し続けるのは可哀想な気持ちにもなる。

 それでも言葉だけでも常識を忘れないように否定するところ辺りが千雨の千雨たる所以か。

 

「言っただろう、胡散臭いんだよ。こういうのは科学的に実証できないと、議論だけがイタチごっこになって答えは出ないもんだ」

『どちらも自分の自説を覆さず、相手の論理ばかりを否定しようとするって昨日も言ってましたね』

「私としては、この大会はマジな格闘技の試合を見るよりかは楽しめるだろうってだけで、そこまで求めちゃいないけどな」

 

 「気」のことを信じる信じないは別にして、普通の格闘技の大会を観戦するとはまた違った楽しみがあると結論付ける。

 周りの観客も自分のように何事も受け入れる器を持てと、社会を斜めに見た者特有の斜に構えた顔で笑ったところで、パソコンの画面に表示された時間を見た。

 大会開始まで残り数分となったのを確認して頬杖を付きながらパソコンを閉じる。

 

「皆さん、大丈夫でしょうか」

「大丈夫ですよ。知り合いばっかですし」

 

 直ぐ近くから聞き覚えのある声が聞こえて頬杖を付いていた顔を上げた。

 そこにいたのは見覚えのありすぎる顔が二つ。教師のネギ・スプリングフィールドと同級生の宮崎のどかだ。

 デートの途中で立ち寄ったかのように仲良く手を繋いで隣に立っている。

 

『もしかしてデートですかね』

「まさか」

「「え?」」

 

 こちらは幽霊同伴で、のどかは彼氏持ち。

 のどかに女として負けているようで、思わずさよの言葉に反応してしまった。

 千雨の思わず上げてしまった声に反応して、二人はようやく手を繋いでいた相手だけに向けていた意識を外へと向けた。

 千雨の隣にいたのどかが反対を向き、ネギは視線を上げる。

 

「「「……………」」」

 

 暫し無言で三人の視線が交錯する。

 この二人と千雨の交流は絶無とまではいかないまでも皆無に近い。挨拶をすれば挨拶をし返すし、話しかければ言葉を返すが、のどかと千雨は社交性のある方ではない。

 のどかは活動停止中の図書館探検部のメンバーを中心とした交流関係が中心で、引っ込み思案な性格から積極性があるわけではないので他グループなどの交流は夕映やハルナを介して行うことが多い。

 交流があったとしても積極的な相手側からというケースが多い。自分からは存外に少ない。

 対して千雨にはこれといって親しい者がいない一匹狼タイプで、誰かと一緒に過ごすということは少ない。修学旅行の班のように比較的に良識のあるあやかや千鶴といったグループと多少なりとの交流があるぐらいか。

 

「え、え~と、もしかして二人はデートですか?」

『あの繋がれた手を見て下さいよ。どう見てもデートに決まってるじゃないですか』

 

 一度二人の繋いでいる手を見遣って、千雨は後ろでさよがいらんことをほざいているのを無視して当たり障りのない話題を振ってみた。

 言った千雨本人にとっては当たり障りのない話題のつもりでも、二人にとってはハートブレイクショットをされて固まったボクサーのように言葉が心に突き刺さる。勿論、悪い意味ではなく良い意味でだ。

 視線を向けられても繋ぎ合わせている手を離すでもなく否定するでもなく、二人は揃って顔を俯けて耳の先まで朱色に染めた。時に態度は言葉を容易く凌駕することがあると言う。諺の証明とする二人がここにいた。

 

「あ~、答えなくていいです。大体は分かりましたから」

 

 揃って頬を赤らめて顔を俯ける二人に何を言ってもらうようよりも分かりやすい態度に、千雨は胸が一杯一杯になって投げやりに言った。

 

『この付き合い出しましたって感じの初々しさが溜まりませんね』

「黙れ、幽霊」

 

 悶えているさよに小さく突っ込みを入れつつ、改めて二人を見る。

 この事態になっても手を離していないので、「彼氏いない歴=年齢」の千雨には二人の甘々っぷりは目の毒である。醸し出す空気が甘々すぎて、無糖コーヒーを胸焼けするぐらいに飲みたい気分であった。

 

(いいんちょと佐々木は残念て感じだが、まあ順当なところだろ)

 

 誰が最初にネギを射止めるかというとクラス内でのオッズは初期からのどかがトップであった。次点であやかとまき絵が続いていたがトップののどかの独走状態が長らく続いていた。

 単純なショタコンの性癖の持ち主であるあやかは異性というより弟といった感じで、クラスの者達が求めているような異性への恋心とは根本的に違う。

 行き過ぎた好意から暴走しがちだが、暫くは現状が続くと誰もが思っている。

 あやかのお嬢様的な性格的では、本当の意味での求愛は自分からではなく相手からでなければ発展しない。ネギのことを想って行動はするが、結果的にいい人で終わってしまう性格をしているのが雪広あやかなのだ。

 佐々木まき絵の方は単純に性格が中学三年生とは思えないほどに子供っぽい。

 天真爛漫な性格が災いして、新体操部の顧問から「子供の演技」と言われたこともある。

 積極性はあるが、子供が異性の関係なく好意を抱いているだけで、ネギのことを「弟」としてや可愛い物を愛でるかのように思っていた。この点に関しては3-Aの中でも同じように思う者も多い。この好意が変わったのは修学旅行が終わって暫くしてからで、県大会で素晴らしい演技を見せて徐々に好意の意味が変わりつつある状況であった。

 前者二人に比べればのどかは最初からネギを異性として見ていた。時間をかけて階段を一歩一歩ずつ登るように気持ちを育み、今という時に成就させた。のどかの周りとは違った好意は確かにネギに届き、まだ異性を意識できる年齢ではないのに振り向かせた。

 二人とも残念がるだろうが祝福するだろう。悪い意味での女の汚さを表に出さないのが3-Aの良い面である。女子校特有の陰湿さは欠片もなく、グループ毎に個々人の仲の良さはあっても派閥や暗い面はない。この三年間で色々と規格外な面があってぶっ飛んだ連中に驚かされてきたが嫌いにはなれないのはそんな理由があった。本当のことをいえば今のクラスで良かったとも心底思える。

 

「デートコースに格闘大会はないんじゃないですか、ネギ先生」

 

 デートコースにしては不適切といえる場所にいることを揶揄するようにネギに話題を向ける。彼氏のいない僻みを覚える前に、自分本位の考えて振り回しているのではないかと懸念したのだ。

 

「分かってはいるんですけど……」

 

 ネギも格闘大会の会場をデートコースにするには合わないと分かっているのか、気まずそうにのどかと繋いでいる手とは逆の方の手で頬を掻きながら苦笑する。

 

「3-Aの人達も一杯出るから私が見たいってお願いしたいんです。ネギ先生はなにも悪くないです」

 

 なにかを言いかけたネギの機先を制してのどかが被せるように言い切った。さり気なくネギを庇い、批判があるなら受けて立つと言わんばかりにこちらを見上げるのどかの気迫に千雨はたじろいだ。

 

『のどかさん、強くなりましたね。やはり恋をすると女の子は変わるんでしょうか』

(知るか)

 

 気持ちを前面に押し出してネギを庇う姿に、千雨は確かにのどかの女としての強さを垣間見た。

 両者とも、自分が自分がという面もないので相手を想い引き過ぎて離れていくような危うさがあったので、この様子を見るにネギはのどかの尻に敷かれているかもしれない。

 

「僕も大会に出たかったんですけど、この大会の事を知った時にはもう予選会が終わってて」

 

 女ばかりを矢面に立たせるのはイギリス紳士を自称する主義に反すると、自ら泥を被ろうとするのどかを押し留めてネギは本音を語った。

 腕試しも兼ねて武道大会のことを知った時には参加したかったのだが時は既に遅し、予選会は当の昔に終わっていた。駄々を捏ねてなにが変わるわけでもない。そういう意味での子供っぽさを持っていないネギは心底落胆したものだ。

 

「アスカと小太郎君にチケットを貰ったので、出られないものは仕方ないので観戦だけでもと思って見に来たんです」

 

 落胆するネギを心配したのどかが観戦だけでもと提案して、二人から貰ったチケットを使って二人で会場入りをしたのだと説明する。確かにデートコースには不適切だが場所で気持ちが変わるわけではない。

 

「すみませんでした。こちらの思い込みで変なことを言って」

 

 そっと寄り添うに傍らにいる互いを見る様子を傍目から見ていれば、千雨の邪推は邪推でしかないと分からせられた。

 武道派のアスカはともかくとして、頭脳派のネギが本選に勝ち残れるとは信じがたいが、この場でそれを否定するのは無粋というもの。降参とばかりに手を上げて負けたことを示す。

 

「でも、珍しいですよね。千雨さんってこういうのには興味なさそうな感じがしたんですけど」

「え? あ、まぁ……」

 

 のどかからの切り込みに逆に切り返されたなにげない口撃に、下げていた顔を押し上げられた。咄嗟に返す言葉が無くて言い詰まる。あまりにも咄嗟で予想外の人物からの切り替えに、建前どころか本音も口から出てこなかった。

 

『アスカさんに誘われたからって言ったらどうですか』

(この状況で言ったら変に解釈されるだろうがボケ幽霊!)

 

 明らかに面白がっているさよに心中で突っ込みを入れつつ、必死に良い返答を考えるがこういう時に限って思いつかない。

 答えられずに言葉に詰まった千雨を見るのどかの視線がなにもかもを見透かしているようで、視線を逸らさずにはいられなかった。ただジッと見ているだけでなにを言うでもなかったが、さっきまでのからかいの仕返しをされているような気分であった。

 結局、良い理由は思いつかなかったので、入手経路だけをぼかす。

 

「偶々、チケットが手に入ったから来てみただけだ。他意はない」

「そうですか」

「そうだよ」

 

 視線を戻した千雨は、今度はハッキリとのどかの目を見て言った。

 言われたのどかは首を少し傾けて訝しそうにしているが、千雨はこの事情で押し通すことにしたのでそうとしか言いようがない。何時も使っている敬語じゃなくてタメ口になっていることも気づかずに言い募る。

 女にしか理解しえない気持ちというものが確かにある。男のネギには分かり得ない領域で通じ合っている二人に口を挟むことはしなかった。これでも女子校で教師をしているので、男には口を出さない方が良い時があることを心得ている。

 

「あっ、始まるみたいですよ」

 

 ネギの声に二人が顔を向ければ、選手控え室を兼ねている拝殿から真っ直ぐ選手席を通り過ぎて舞台に朝倉和美が上るところだった。

 

『わ~、朝倉さん大学生みたいです』

 

 黒いコンパニオン風のスタイルが際立つ服にリング付きピアスを着けた和美の恰好は同年代の少女の女としてのプライドを物凄く傷つける。ふと、のどかは隣にいる千雨の一部分を見て、更に自分の胸元を見下ろした。

 

「むぅ……」

 

 千雨は着やせして見えるが、大浴場で見たことのあるスタイルから平均よりも上であることを知っている。

 己が胸の進捗具合が平均に届いていないことを知っているのどかにとっては、分けてほしいと思える胸の大きさである。ネギが実はお姉ちゃん子であることを知っている身としては、胸の大きさは物凄く気になるところであった。

 

「ま、まだ将来性がありますから」

「?」

 

 まだまだ中学三年生なので将来性は十分にあるはず。

 世の中には大学生になってからスタイルが良くなったとも聞いたことであるので、のどかは希望を捨てていない。言われたネギはなんのことだか分からずに首を捻っていたが。

 

(頑張れよ、宮崎)

 

 女は子供といえど思春期ならば視線に敏感になる。特に同じ女から向けられる品定めにも似た目は直ぐに分かる。和美を見た後に自分の胸付近にあれだけ恨みがましい視線を向けられて気づかないはずもない。

 無自覚な女たらしの面のあるネギを繋ぎ止めておくのだから苦労も掛かるだろう。これは将来大変だな、と当然の如く他人事なので傍観者の目で見ていた千雨であった。

 

「朝倉さんが審判をするんですか?」

 

 生暖かい目で見られていることに気がついたのどかは話題を変えた。

 のどかにとってみればクラスメイトが多く出場しているだけでも奇異なのに、この大会の主催者や審判兼司会までクラスメイトとあっては強い疑問を持っても無理はない。

 出場者の大半のことはエヴァンジェリンの別荘にいたので納得は出来る。主催者が超なのも理解はしよう。でも、そこに和美がいる理由が分からない。

 

「予選会を見たけどあいつの司会っぷりは堂に入っていた。超が主催者だから手近にいたあいつに頼んだんだろうけど、人選に間違いはなさそうだぞ」

 

 予選会を見ていた千雨は昨日の和美の様子を現場で見ている。

 トラブルがあっても受け入れる度量と、その場その場に合わせた適応力を持ち、観客を飽きさせずに盛り上げられるトーク力を持っている者はかなり少ない。

 超の人脈であれば該当者は幾らでもいそうだが、クラスメイトの和美を適用したのは慧眼と言わざるをえない。

 

「私としては先生達や武道四天王とか呼ばれてる四人は別にして、神楽坂やエヴァンジェリンが本選に残れたって方が気になるけどな」

 

 武道四天王と呼ばれている四人や広域指導員で不良に畏れられている高畑、実際に実力を目にしたことのあるアスカと違って、明日菜やエヴァンジェリンには確たる強さの証拠や噂はない。

 修学旅行の後に明日菜が剣道部の桜咲刹那から剣道を習っていると噂は聞いたことがあるがその程度。いくら喧嘩が強かろうが不思議さばかりが残る。

 明日菜とエヴァンジェリンの存在、女子中学生が多く出場していることが観客達に武道会の信憑性を疑わせてもいた。ただの女子中学生が大人の武道家をも打倒できる力があると誰に分かろうか。

 千雨の疑問に思う声を聞いた二人には何も言えなかった。魔法を知っているか知らないかで、この大会の見方も大分変わって来る。二人と千雨の間には明確な違いがあるのだから答えられるはずもない。

 千雨が挙げた内の一人、エヴァンジェリンは魔法界では教科書にも載るほどの賞金首で人ですら吸血鬼の魔法使い。明日菜もまた素人とは思えないほどの実力を秘めている。下手をすれば上位陣を喰いかねない。優勝もあり得る。

 同意も否定も返すことが出来ず、沈黙でしか応えることしか出来ない。安易な同意は噂の当人たちの侮辱になるので、事情が事情であっても性根が真っ直ぐな二人は嘘をつけない。

 同意を得られるものだと思っていた千雨は黙り込んでしまった二人を変なものでも見るような目で見つめた。

 

『ご来場の皆様、大変長らくお待たせしました!!』

 

 どうしたのかと追及する前に舞台の端に到着した和美がマイクを片手に叫んだので、視線を舞台へと向けた。

 時刻は午前八時。

 激しい戦いが繰り広げられる麻帆良武道会は後の展開など誰にも予想できぬほど静かに始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 選手控え席は湖面の真ん中に浮かぶ舞台へと通じる唯一の通路の脇にある。明日菜達もそこにいた。

 舞台と同じく一段下にあるので、試合を見ようとしている回廊や背後の拝殿前の観客達からは良く見える位置にある。選手席には湖に落ちないように柵があるだけで周りの視線を遮る物はなにもない。

 本来この場所は舞台で舞を踊る者を良く見るための貴賓席でもあるので、そのような席が舞台を見れないような仕組みになっていたら意味がない。

 

「うう~、視線が刺さるぅ」

 

 大会出場選手である神楽坂明日菜は、前後左右から向けられる視線の束に実に落ち着かない気分を味わっていた。

 

「明日菜さん、大丈夫ですか?」

「あまり大丈夫じゃないかもー」

 

 同じ本選出場者である刹那が心配して声をかけるほどの落ち着きのなさであったが、当の明日菜の心境は意味はかなり違うが「穴があったら入りたい」気分。

 文科系である美術部員(しかも殆ど幽霊部員化している)の明日菜には、このような多重の視線を集める機会なんて今まで一度もなかった。慣れてない感覚が気になって身の置きどころがない。

 しまいにはノイローゼに陥りそうだった。

 

「でも明日菜さんの場合、体育祭の時にもっと多くの観客の中でやったこともあるじゃないですか」

 

 麻帆良学園の行事は都市を上げての一大規模になることが多い。

 秋に開催される体育祭は、国内でも大きい方のスタジアムで競技が行われることもある。それだけ体育祭に参加する学生の数が半端ではないのだ。一つや二つの学校の運動場ではとても賄いきれない。

 麻帆良学園都市にはこのような行事や大会用に作られたスタジアムや競技場がいくつもある。このようなスタジアム等で競技が出来るのは体育祭前に日頃の体育の成績で選抜された、よほどの競技成績優秀者に限られる。

 

「体育祭で? ああ、短距離の部で美空ちゃんに負けた時のこと?」

「そうです。あの時はもっと人が見てましたよ」

 

 刹那が言っているのは、短距離の部で出場した明日菜が決勝で春日美空とデッドヒートを繰り広げて惜しくも負けた時のことだった。

 2-A全員参加の応援だったので刹那も見ていた。

 二年女子短距離の決勝だったので、競技が行われた会場はこのた龍宮神社よりも遥かに大きい。失礼な話になるが比べるのが失礼になるほどの差である。人の数も、集まる視線も今とは比べ物にならないはずだった。

 

「あるけどさ、中学生の競技なんて誰も見てないわよ。見てたって知り合いとか家族とかだろうし、私はあんま交友関係広い方じゃないから意識しなかったわ」

 

 明日菜は運動神経が桁外れに高いので体育祭で注目されることも幾度かあった。が、どれだけ活躍しようとも中学生の競技であることには変わりない。

 中学生のは家族や友人らが見に来るぐらいで、注目されるのは高校生や大学生ばかりである。幼稚園や小学生のは微笑ましさ等から見に行く人がいたとしても、中学生は意外と穴場になることが多く大抵は物好きが冷やかしに行くぐらいである。

 陸上部の本職にも勝るタイムを見せたことで、陸上に力を入れている外部の有力高校からスカウトが来たこともあったが、麻帆良を離れる気はなかったので断った記憶がふと明日菜の脳裏を過ぎったが直ぐに消えた。

 

「そういうものでしょうか」

 

 剣道部の一員であっても神鳴流の使い手として自らを律している刹那は公の大会などに出たことがない。

 日頃の体育でも能力をセーブしているので、体育祭でも目立った活躍をすることが出来ないので大観衆の中で注目されるという経験がない。 

 刹那としては単純な人数比を考えれば今の方が遥かに少ないので、明日菜の経験則から来る気持ちがイマイチ理解できなかった。

 

「体育祭でした時は、スタジアムが大きすぎて観客席まで大分距離があったじゃない。よほど近づかなければ人だって分からないんだから気にもならなかったの。他にも競技はしていたから視線が集中するなんてことはなかったしね」

「ああ、成程」

 

 少しは視線が集まるのにも慣れてきたのか、頬の赤みはそのままにずっと下げていた顔を上げた明日菜の言を聞いてようやく刹那も合点がいった。

 記憶を掘り返してみれば、明日菜達が短距離をしていた時にも、スタジアム内では十近くの競技を並行して行っていた。その分だけスタジアムの視線は分散化して、多くの人達がいても逆に視線も希薄になって意識をしなかったのだろう。

 

「規模よりも質ということですか」

「うん? そういうことになるのかな」

 

 龍宮神社に集まっている観客は百を優に超えている。現在も続々と入り口から人が入って来ていることも考えれば、これからももっと増えていくだろう。

 多くの人でごった返している観客席である回廊とは場所が違い、選手控え席は明らかにいる者達も少ない例外扱いされているいて選手と考えるのは必然。武道会を見に来ているのだから観客達が興味本位もあって視線を向けるのが当たり前なのだ。

 明日菜が気にしているのは人数ではなく、向けられる視線の質にあった。重さと言い換えてもいい。本選出場者である今の方が体育祭のスタジアムの時よりも注目度が遥かに高いのだ。

 

「大丈夫かしら、あの高音って人」

「え?」

 

 少しばかり物思いに耽っていた所為で、話を聞いていなかった。明日菜が何を言いたいのかが分からなかった刹那は疑問符を上げたとこで、背後から倍近い歓声が上がって振り返った。

 

「昨日の予選会であんなことがあったから変な目で見られないかなって」

 

 確かに、と続けられた言葉で直ぐに納得がいって同意の頷きを返した。

 二人して振り返った先に歓声の元が近づいて来る。長く続く歓声から一回戦を行う選手が出てきたのだと直ぐに分かった。

 

「昨日、組み合わせ発表の時に朝倉が誰か特定できることを言っちゃったから変な目で見られないといいけど…………あっちゃー、駄目だったか」

 

 長身のロボットと足元と手と目元以外を黒いローブで纏った性別不明の人物が、両側にある選手控え席の間を通り抜けて舞台へと登っていく。

 明日菜と刹那の視線が話題にしていたローブの人物の背中に向けられた。そして観客の特定一部が同様にローブの人物の背中を上から下まで舐めるように見ているのにも気がついた。

 

「うわぁ」

 

 思わず呻いた明日菜の懸念はドンピシャだったと言わざるをえない。高音の登場と同時に会場の空気が明らかに変わったのだ。ピンク色というか、女性としては一瞬でもこの場にいたくないと思う邪な色に。

 明らかに格闘大会よりもそちらを見に来たと思われるほどの邪な視線を向ける男性達がいるのだ。高音にとって不運だったのは大会に参加して本選にまで残ってしまったことか、それとも事件に巻き込まれたことか。

 現代日本に住んでいれば、よほどの例外がなければ思春期の女子が不特定多数の者達に殆ど上半身裸を、しかも女性のシンボルである乳房を見られて平気でいられるはずがない。それは明日菜も刹那も変わらない。自制心が強いとされる刹那でも、同じような状況で衆人環視の中に立つ気概は持てない。

 高音は全身を黒いローブで隠していたので、話題の大元の出来事が起こった時も顔が隠れていたので誰かを特定できるものはいなかった。知っているのは被害にあった本人とその知り合い、そして声を聞いたアスカだけのはずだった。

 

「駄目だったみたいですね」

 

 きっと高音はこの場に立つまで、このような状況になるとは分かってはいなかったのだろう。先ほどからずっと寒気が立つのか全身がビクンビクンと跳ねている。

 

「なにごともなければいいんですが」

 

 同じ女性として高音に多大の同情を向け、これ以上は変なことが起きなければいいのにと切に願う刹那であった。

 祈る刹那に対して、昨夜のことを思い出してなんとなく無理なような気がすると思った明日菜はなにも言わなかった。

 大会の司会進行役の朝倉和美が舞台に上がる途中で選手席にいる明日菜達に気づき、進路を変更して向かってくる。

 

「明日菜達もそろそろ準備してよ」

「あ、朝倉。アンタ、どうすんのよコレ」

「悪いとは思うけど、もうどうしようもないでしょ。後で謝るしかないよ」

 

 進行役の和美としては武道会を盛り上げるための話題の一つして上げただけなのかもしれなかったが、話題の当人としては堪ったものではない。

 

「お姉さま! 頑張って下さい!」

 

 同じ選手控え席の直ぐ近く、何メートルか離れた場所に一人でいた舞台に上がっているローブの人物である高音と同じ恰好をした、体格と今の声からして少女がローブのフード部分を撥ね上げるような勢いで応援していた。

 彼女にも自分がお姉さまと呼ぶ人に向けられる視線の意味を分かっているのだろう。ある意味で孤立無援な状況に立つ高音を応援しようと声を張り上げる。

 だが、彼女にも「お姉さま」だなんて特殊すぎる呼び方が別の意味で不味いとは考えもしなかったらしい。また会場の空気が悪い意味で変わった。

 

「あ、」

 

 何度目かの声援の時に吹いた風によってフードが外れる。素顔が露わになって上げた佐倉愛衣の声は歓声に呑み込まれて消えていった。

 

「なんというか、幸の薄そうな人だよね」

 

 和美の論評に、的確だと頷いてしまった明日菜と刹那だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拝殿は選手控え室だけではなく大会の運営本部も兼ねている。流石に選手個人に個室はないまでも、この拝殿には格闘大会を行う場合における基本的な機能が整備されているので、「臨時更衣室」や「臨時救護室」など様々な部屋がある。

 拝殿の廊下を歩く一人の男の姿があった。

 グレーのスーツと白のワイシャツ、紺のネクタイと無難な色合いに身を包んだ、顎髭に四角い眼鏡をかけた男の名はタカミチ・T・高畑。

 

「超君の姿はないか」

 

 運営本部も兼ねている割には、主催者である超鈴音は大会前に拝殿内で選手達の前に現れたきり姿を見せていない。

 彼女の動向を探るために大会に出場していたタカミチ・T・高畑は思いっ切り肩透かしを食らっていた。

 

「これじゃあ、大会に出場した意味がない」

 

 廊下を歩きながら無駄骨を踏んだかと僅かに肩を落とす。

 観客よりも選手の方が主催者に近づきやすいだろうと考えて出場したのに、これでは無駄足を踏んだことになる。

 元より高畑は学園のパトロールのシフトに入っていない遊撃に近い立場にいるので、無駄足を踏んだからといって誰かの迷惑になるわけではない、ただ、やはり無駄足を踏まされるというのは気分の良いものではない。

 不快とまではいかなくても、どうしても徒労感が肩にズッシリと乗っかかる。

 学園長の許可を得ず、高畑の独断に大会に参加したので勇み足と言ってしまえばそれまで。

 

「だけど、まだ始まったばかりだ。彼女がどうしてこの大会を復活させたのか。危険発言の意図を確かめるまでは」

 

 超は予選会の前に、「表の世界、裏の世界を問わずこの学園の最強を見たい」や「呪文詠唱の禁止」とボーダーラインをはみ出るような発言を繰り返した。今までの行動もあって、見過ごしていいレベルを超えている。

 が、記録機器の排除と魔法バレ対策は高畑の見た範囲内では完璧と言っていいレベルで施されている。

 超ほどの天才ならば言い逃れ出来るだけの材料は十分に揃っていた。二年以上を担任として関わってきた高畑はそれが良く分かっていた。

 まだ大会は第一試合が始まったところ。

 魔法も映像に残って多くの人に見られたアウトだが、噂話に上がろうとも今のご時世ならば記録機器がなければ信じる人はいないだろう。話を聞いた人たちはトリックだと勝手に解釈するはず。もしくは超達が作った技術の産物と思うか。

 

「それに……」

 

 続く言葉が唇から出されることはなかった。

 高畑にはまだ龍宮神社に残る必要があった。

 順当にいけば、準決勝で戦うのは幼き頃より知っているアスカ・スプリングフィールドである。

 高畑は彼に用があった。どうしても外せない要件。その頃には大半の試合が終わっているので、超が動き出すならなんらかの行動をしているだろう。

 超とアスカのどちらが優先順位が上かとかではなく、結果がどうあれ少なくとも自分の試合が終わるまでは様子見を見ることに決めた。

 

「さて、いないままだと怪しまれる。そろそろ戻るかな」

 

 僅かに煙草の紫煙の臭いがする息を吐き出して、沈みがちな気分を変えるように前髪を掻き上げる。

 高畑の一回戦の相手は学生の一人。

 申し訳ないが普段通りにやれば負けはない。

 しかし、大人で参加している数少ない一人として周囲の目が気になるのは引け目であろうか。

 なんとなく周り全てが自分を見ているような錯覚を覚えて、選手控え室も兼ねている拝殿に来ていた。すると、どうにも手持ちぶたさになって煙草が吸いたくなった。だが、拝殿内は当然の如く全部屋禁煙、正確には拝殿自体が禁煙だった。

 駄目と言われればしたくなるのが人間である。吸ってはいけないと分かるとどうにも吸いたくなった高畑は、拝殿の屋根に上って一服することにした。

 拝殿内が禁煙ならば屋根の上ならば大丈夫だろうと屁理屈を捏ねた自覚はあったのか、余人には分かりにくいが廊下を歩く高畑の姿は極力足音を消すようにしていた。

 木の廊下を踏みしめる音をさせず、気配を押さえているので姿を目にしなければそこにいると分からないだろう。だからだろう、「臨時更衣室」とプレートが付けられた部屋の前を通りかけた高畑がその言葉を聞いたのは。

 

「明日菜さんはアスカさんが好きなんですか?」

「「え?」」

 

 期せずして漏れ聞こえる臨時更衣室にいる誰かの声と、一瞬にして頭の中が真っ白になった高畑の声が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回戦が始まる前に明日菜と刹那の二人は拝殿の隅にある「臨時更衣室」とプレートが付けられた一室にいた。

 一室に入って着替え始めた後、スパッツを脱いだ明日菜の様子が一変した。溜め込んで限界に達していた風船に更に空気を入れて破裂させて、抑え込んでいたなにかが広がっていくように思えた。

 

「…………さあ、やってやるわよ!」

 

 広がっていく何かに名前を付けるとするならばやる気。脱いだばかりのスパッツを机に叩きつけるように置く。

 

「この時をずっと待ってたんだから」

 

 最初、刹那も口をポカンと開けて唖然とした。

 スパッツを脱いでいるのでスカートを翻して下着も見えているが、良く考えなくても恥ずかしい恰好を気にした風もない明日菜に今はかける言葉がない。

 

「明日菜さん、そろそろ着替えないと時間が……」

「あ、ごめん」

 

 おずおずと声をかけると、明日菜はハッとした様子で自分の状態に気がついたようで、顔を赤らめて背中を向ける。

 何故か大会側――――この場合は司会兼審判を務める朝倉和美が窓口になって――――の意向で着ている服から用意された服へと着替えを命じられていた。

 あまり時間がないと和美から言われているので、着替えを開始する。

 

「人前で試合をするにしても借り物の服でやらずにすんで助かったわよね。朝倉って意外に考えてる。超の入れ知恵かしら」

「どちらにせよ、汚したり破いたりして弁償にならずに良かったです。こういう衣装って高いんですよね? 弁償ってなってたらゾッとしたところです」

 

 スカートの下に激しい動きをしても大丈夫なようにスパッツを履いているが、元よりセーラー服は貸衣装なので多少の汚れならともかく格闘大会で着ていて破ったりしては言い訳にもならない。

 

「それにしてもごめんね。着替えろって言われたのは私だけだったのに、刹那さんも一緒に着替えてもらっちゃって」

 

 赤いスカーフを外してパイプ机に置うて畳んでいる明日菜が、背中を向けて同じようにしている刹那を横目で見る。

 着替えを向かい合ってするには同年代で同性であっても気恥ずかしいものがあった。これがクラスで他にも誰かがいれば別な話なのだが部屋には二人きりなので、自然と視線を避けるように背中を向け合って着替えていた。

 入り口の向かいに荷物が置けるように配慮されているらしいパイプ机があり、スカーフを置いた明日菜が横に視線を向ければ自然と背中を見せている刹那が見えた。

 

「いえ、私も助かりました。弁償できるような余裕もありませんし」

 

 上下よりもスパッツを先に脱ぐことにした刹那は苦笑しながらスカートの中に両手を入れて、黒のスパッツを下ろしていく。

 刹那もまた金銭的余裕はなく、明日菜と共にいたことで着替える機会を得れて助かっていた。

 武道四天王のネームバリューがあった所為で、危うく刹那の財布がピンチになるところだった。そう思えば、多少早めに着替えることなどなんでもない。

 

「刹那さんが破くわけないじゃない。今のエヴァちゃんって魔力が封印されてるんでしょ。それだと流石に実力が違いすぎるから破けるとも思えないと思うけど」

 

 明日菜は刹那と違って上の服から先に脱ぐことにしたようで、首の後ろに両手を持っていって襟を持ち上げた。

 実力的に考えれば気も使える本気の刹那と、封印によって魔力が使えないエヴァンジェリンの実力差は歴然。刹那のセーラー服に埃を着けることも出来ないはずと明日菜は考えた。

 

「分かりません。エヴァンジェリンさんには私達にはない時間の研鑽があります。油断していたら負けるのは私の方ですよ」

 

 服でくぐもって聞こえる明日菜の声に、何時もの謙遜ばかりではない紛れもない事実を込めて言いながら、刹那も袖を持ちながら腕を引き抜き、両腕を抜いてから襟から頭を抜き出す。

 チラリと明日菜を見れば、あまり服を畳むのには慣れていないのか、形にはなっているが下手くそな畳み方だった。同室の木乃香の几帳面な性格から考えて彼女が明日菜の畳み物もしているのだろう。こういう何気ない場面で日常が見えてくるのは何とも面白い。

 

「う~ん、少し分かる気がする。なんていうか、身のこなしが違うのよね」

「それが分かるだけ、明日菜さんもこの二ヶ月の間の修行で見違えるように伸びている証拠です。私もうかうかしていたらどうなるか」 

「そんなこと言って煽てて。口が上手いんだから」

 

 明日菜も自分の畳み方が下手くそだと見て思ったのだろう。変な畳み方で跡が残るよりは広げておいた方が良いと思ったのか畳むのを諦め、バッと広げてパイプ机にかける形に落ち着いた。

 その横でブラジャーの代わりにサラシを巻いている刹那が脱いだセーラー服から赤いスカーフを抜き取って慣れた手付きで畳んでいる。

 

「その様子だと手加減はなし?」

 

 スカーフを畳む様子を見た明日菜は、思わず拍手したくなるぐらいの見事な手並みと慣れ具合に少し感心する。関西の出身の子は家事が上手いのかと僅かな勘違いを抱きながら。

 

「勿論、試合なんですから手加減なんてしません。お互い真剣勝負です。明日菜さんそうもでしょ?」

 

 二人揃って黒いスカートに手をかけながら、刹那は切り捨てるような言葉とは打って変わってクスクスと笑いながらジッパーを下ろす。

 麻帆良女子中等部の制服はブレザーなので、クラスの出し物の衣装とはいえセーラー服は新鮮であった。しかし、上はともかくスカートの形式はどちらも大して変わらない。

 セーラー服は手間がかからないが見栄えではブレザーかな、と刹那はスカートから足を抜きながら丸一日着てみた感想を考えていた。

 

「――――私は勝つ。勝たなきゃいけない。勝ちたいのよ」

 

 脱いだスカートを持ち上げて畳もうとした刹那は、急に真剣な声音になった明日菜の声に動作を止めた。

 

「明日菜さん?」

 

 スカートを畳む動作を一旦止めて振り返る。そこには刹那が振り返ったことを気づいているのかいないのか、スカートを畳むことなくパイプ机に広げて置いた明日菜が背中に手を伸ばしてブラのホックを外そうとしていた。

 

「ずっと思ってたんだ。私ってアスカのこと何も知らないんじゃないかって――――げ……? 下も着替えるのコレ?」

 

 ブラのホックを外し、肩紐を下ろして右腕から抜く。

 続いて左腕も同じように肩紐を下ろしながらブラを外し、先に抜いた右腕で刹那には羨ましすぎるぐらい発育している胸を隠しつつパイプ机に歩み寄る。大会側に用意されている服を触って、着替えるのに下の下着も含まれているのに気がついて嫌そうな声を上げた。

 よく友達同士で服を貸し借りはするが流石に下着までは、よほどの緊急事態にならなければ貸したり借りたいしない。新品だろうが気持ち的に自分が選んだのではないのを着るのは気が進まない。

 

「サイズも合ってるし、言い訳もさせない気ね。朝倉め、後でとっちめてやらなきゃ」

 

 こうして用意されているのだから、きっと和美のことだからサイズまで知られていると見た方がいい。

 諦めたようにため息を漏らして上の下着から身に着け始めた。案の定、サイズは計ったようにピッタリだった。後で和美を折檻することを心に決める。

 

「何故…………急にその様なことを?」

 

 あれだけの目に合って、まだアスカに歩み寄ることを止めようとしない明日菜が何を考えているのかは刹那には分からない。

 彼女の疑問は当然だった。明日菜はほんの少し考えてから、顔だけを刹那に向けて下も脱いで用意された下着を着ける。

 次は明日菜らの試合なので、何時までも着替えに時間を割くわけにはいかない。臨時更衣室に入る前に和美に散々念を押されているので、刹那も一度は止めた手を動かして着替えを再開した。

 

「もっと色んな事考えないと、駄目なのかなって思ったんだ」

「と、言いますと?」

 

 サラシを解いて露わになった胸を腕で隠しながら刹那が問いかける。

 

「魔法を知ってアスカと仮契約をして従者になったりもして、色んな事があったけど正直なところ私には理解の範囲を超えてるのよ」

「明日菜さんは何も知らなかった一からの状態で、望む望まざるに関わらず巻き込まれたんです。始めからこっち側だった私だって戸惑う面があるんですから仕方のないことです」

 

 エヴァンジェリンとスプリングフィールド一派の激突時から始まった一連の事象。修学旅行で関わる必然を持ち、悪魔が襲撃したことによって破綻した。

 あまりにも劇的に状況が動き過ぎて、噛み締めて受け入れる前に次の事件がやってきてしまっている。

 生まれた頃から関わってきた刹那ですら、短い期間でこれだけの事件が多発した状況を全て受け止めて切れていない。元は素人であった明日菜が追いつけないのが当然なのだ。

 

「仕方がないからって許されるものでもないのよ」

 

 神楽坂明日菜は明朗快活で陽気そのものといった感じの少女だけど、一旦落ち込むとなると、その反動でとことん深いところまで一気に転がり落ちていくタイプなのかもしれない。プラス方向に出るにしろ、マイナス方向に出るにしろ、いずれにしても感情表現豊かな明日菜らしい。

 だが逆に言えば、プラスに働かればとてつもないパワーを発揮する可能性を秘めている。今がその時だった。

 

「何時も状況に流されていただけで、自分で決めたんじゃないって気がするの」

 

 この一か月間、ずっと自分の選択は正しかったのかと考え、問い続けてきた。

 

「何時だって人は限られた中で選ばなければなりません。それの何が悪いんですか?」

「悪いってことじゃないの。ただね、与えられた選択肢の中に望むものがない時ってあるじゃない」

 

 明日菜の苦笑混じりの言葉に、それはそうだと逆に納得させられて刹那も小さく頷いた。

 

「だから、こうも考えたの。望む選択を自分で作ることも必要なんじゃないかって。その為には考えること、行動することを止めちゃいけない」

 

 明日菜の言葉は、木乃香を守る一点だけを求め続けて距離を取っていた刹那には、今も変わらず秘密を抱え続けて本当の一歩を踏み出せないこともあって大いに身につまされる話であった。

 

「あの時、私は最低なことをした。見ない振りをしておくのは簡単だけど、逃げ出したってなにも変わらないから」

 

 人は自らの穢れを醜さを見ることを嫌がる。何らかの理由を付けて遠ざかり、目を逸らそうとする。

 前と今の刹那がそうだ。魔法の秘匿を理由にして木乃香から遠ざかり、自らのコンプレックスである白き翼を伝えられずにいる。なのに、明日菜は自らの心の穢れを見つめようというのか。

 始めて刹那はこの親友に尊敬と憧れと同時に、嫉妬と自らの醜さを抱いた。

 

「アスカと話をしないといけない。話をして、あの時のことを謝る。それが今の私のすること」

 

 不思議な光を見せる眼差しを浮かべる明日菜の横顔を神妙な表情で見ていた刹那は、ずっと胸の底に溜まっていた疑問が浮かび上がってくるのを自覚した。

 

「でも……」

 

 そこで始めて刹那は逡巡した。

 下着のまま振り返った明日菜の姿に別な疑問が浮かびかけたが、胸の底に沈殿していた疑問を払わなければならない衝動の方が勝った。

 本当にこの疑問を問いかけるべきか、一瞬の逡巡が唇の動きを阻害する。

 場合によっては、ここに至るまでに明日菜が積み上げてきた物を無に帰するかもしれない。最悪、この件が原因で仲が悪くなってしまうかもしれない。でも、問わずにはいられない。

 遂に、喉の奥から問いが出てきて唇から溢れた。

 

「明日菜さんはアスカさんが好きなんですか?」

「え?」

 

 刹那の不意の問いに、まるで溶岩を呑み込んだように明日菜の胸が熱くなった。肺腑を切れ味の悪いナイフで無理矢理に抉られたみたいな表情を浮かべる。

 

「今までずっと疑問だったんです。友達でも、他人なら離れてしまえばいい。それだけの理由があります。でも、明日菜さんは不思議とアスカさんに拘っています。どう思っているんですか?」

 

 刹那の問いに返す言葉を持たず、明日菜は自身の鼓動だけが耳の中で鳴り響き続ける世界で眼を見開いていることしか出来なかった。

 この時、世界は二人の間だけで完結していた。だから、部屋の外に第三者がいたことに気がつなかった。

 

「…………ってアレ? 刹那さん、なにそのド派手な下着……」

 

 顔を朱に染めた明日菜はその問いに答えようとせず、違う面が目について思うがままに吐露する。

 

「あ、明日菜さんこそ……」

 

 中学生が付けるようなものではない、やたらと豪奢で絢爛な下着を身に着ける二人は紅い顔を交わし合った。

 明日菜に至ってはビスチェと呼ばれるようなものを着て、ガーターベルトまで付けている。要するに主観だけではなく傍目にもエッチな下着を気づかずに付けていたのだ。

 紅い顔のまま困惑の表情を浮かべている二人の間を縫うように、臨時更衣室の襖が遠慮なく開けられた。

 

「ホラ、なにやっての! 早く着替えて二人とも! 客が待ってるよ~~!」

 

 部屋にいる二人の下着姿だが外に丸見えになっているのに頓着することなく襖が開けられ、司会兼審判の和美が現れた。

 和美の近くに、先程までそこにいた人物の影も形もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い布の欠片が宙を舞って目の前を飛んで行くのを、舞台に立つ和美は若干の哀れみを以て見遣る。

 先の試合のことは早く忘れてあげるのが高音に対して同性として出来ることであると判断し、大きく息を吸う。

 

『えー、大変なハプニングがありましたが、会場は色々な意味で大盛り上がりとなっています。第一試合はグッドマン選手の勝利です』

 

 舞台に空いた穴を塞いだ麻帆良大土木建築研のメンバー達が使った道具と材料を手に肩に持ちながら去って行く。穴だらけになっていた舞台が瞬く間に修復されていく様子を見て、観客達が歓声を上げる。

 普通の格闘大会と同じように一試合が終わったインターバルの間にトイレに行ったり水分補給したりと、そうでなくても隣近所と先程の試合の寸評をしていて観客達は思いの外忙しい。

 

『ご覧下さい。麻帆良大土木建築研の手によって空いていた穴も迅速に修復されました』

 

 第一試合を行った高音と田中さんの姿はなく、舞台の修復を行っていた麻帆良大土木建築研も作業を終えていなくなった舞台上にただ一人残った和美が大会進行を進める。

 

『それでは皆様お待たせしました!! 続きまして一回戦第二試合を執り行います! では、今大会の華である次の試合を行う神楽坂選手と、Dブロック第一試合の出場する桜咲選手の登場です!!』

 

 和美の声がマイクを通して龍宮神社中に響き渡り、選手席間の通路に現れた少女達の姿を見た観客達のどよめきが起こる。

 二人はおおよそ格闘大会に甚だ不釣合いな格好で試合場の花道に立っていたのだ。困惑と好奇心と他にも色々なものが混じった声が龍宮神社を埋め尽くす。

 

『キュートなメイド姿の女子中学生二人の登場に、会場も別な感じで盛り上がり中!!』

 

 ゴスロリであちこちにレースのフリフリが付いたメイド服なのかと疑ってしまう衣装を着て、クロスが刺繍された帽子を被り、これまた何故かデッキブラシを持った明日菜。

 和装に身を包み、スカート部分が短すぎて映画などの物語にしか出てこないような衣装に猫耳+尻尾まで付けて、靴底が10㎝近い草履を履き、これまた何故か箒を持った刹那。

 大会側が指定した衣装を着た二人も二人だが、どう考えても特定分野狙いの衣装にしか見えない。

 

「ちょっと待った朝倉――ッ!」

 

 片手を上げて花道にやってきた二人を紹介する和美に顔を紅くしながら怒鳴る明日菜。刹那はその横で冷や汗をかいて顔を赤くしていた。思わずポーズをとってしまったのが恥ずかしかったらしい。

 

「何なのよ、この服!!」

「いや~、アンタ達って前年度チャンピオンとかの押しが無いし、折角可愛い所だしって事で超の指示でね」

 

 明日菜の正当な文句を、マイクの電源を事前に切って観客にまで聞こえないようにしてからしれっと答える和美。

 これは武道四天王に名が挙げられている刹那は別にして、明日菜には体育祭で同じクラスの春日美空と陸上で学年学園都市一位をデッドヒートしたぐらいしか売りがない。

 それにしても運動神経は良いのだろうと推察は出来ても格闘にはなんの関係もない。

 

「私はともかく刹那さんは違うでしょ!」

「でも、武道四天王っていても古菲ほどの知名度も人気もないじゃない。これも大会の為よ」

「ニヤけた顔で言っても説得力ないわよ! 楽しんでるでしょアンタ!!」

 

 武道四天王という逸話にしても、元の始まりは同じクラスの級友達が既に有名だった古菲に合わせてグループを作ってしまおうと考えたところから始まっている。

 格闘系部活として分かりやすい剣道部から刹那、バイアスロン部から龍宮真名、「にんにん」と言ってどこから見ても忍者である長瀬楓。成績下位者五人をバカレンジャーと呼ぶようになっていた時期なので、それっぽければなんでもいいという少女達のノリは凄かった。若干のこじつけの面も多くあったが、裏のことも考えれば本質的には正鵠を射ていたということだろう。

 優れた身体能力、揃って大会には出ないという事実から古菲の名が高まっていくに連れて武道四天王の名も広がっていった。しかし、そこには古菲以外は実がない。彼女らが中学生であるということ、性格的に挑戦を受けないということもあって、ハッキリとした実力を目にした者は殆どいないのだ。

 このような自称他称も合わせて名乗っているのは麻帆良学園都市を探せばいくらでもいるので、この事実を少しだけ気にはしても殊更気にする者もいなかった。

 つまり、何が言いたいかというと明日菜達は有り体に言って話題性に欠けるのだ。

 

「似合ってるよ。ほら、観客も喜んでくれてるじゃん。今更、着替えるってなったら顰蹙もんよ?」

 

 和美が言うように注目度も話題性も少なかった選手の登場にしては場の盛り上がりは最高潮に達していた。

 日本人らしく黒髪黒目の刹那には、凛とした立ち振る舞いもあって和装は良く似合っている。亜麻色の髪にオッドアイと日本人離れした面のある明日菜も洋装が映えている。

 大凡、戦闘に向いているとは思えないメイド服だとしてもだ。刹那は和装自体は京都にいた頃から慣れているので違和感を感じなかった所為で、この状況を受け入れてしまっていた。

 

「せめてスッパツ返してよ。動いたらパンツ見えちゃうじゃない」

 

 下着を着けたところで和美が現れて着替えを急かされたので、うっかり脱いだスパッツを履くのを忘れてしまっていた。

 試合ともなれば動き回ることになるだろう。動きが激しくなれば短いスカートの中の事を気にすることも出来ない。

 下手に豪奢な下着を着ていることもあって衆目に曝されるのは裂けたいのが明日菜の気持ちであった。

 

「まぁまぁいいじゃん。写真撮影禁止なんだし」

「良くない! 超を出しなさいよ! 抗議するから!」

 

 和美は記録できる電子機器――――つまりビデオカメラ類等――――を使っての撮影は出来ないので、後に残る問題はないのでそれはそれでいいのだが、この衆人環視の中では同性に見られるだけでも恥ずかしいのに格闘大会ということもあって観客は男性が多いので御免蒙りたい。神楽坂明日菜にはそのような露出の趣味はないのだから。

 

「ダメダメ。これは主催者の超からの命令だよ。聞けない場合は失格になっちゃうよ」

 

 これには明日菜も引き下がらざるをえないはずと、勝利を確信している和美から伝家の宝刀が繰り出された。

 目論み通り、どうしても出場したい明日菜はグッと言葉を呑み込んだ。

 だが、直ぐに覚悟を決めたように決然と顔を上げると、和美に向かって歩く。

 

「ちょ、なに? 力尽くってのは駄目……」

「違うわよ、あのね」

 

 ガシリと肩を掴まれた和美が予想外の展開に焦って言い募るが、そういうつもりではない明日菜はその耳元へと唇を寄せて何かを囁いた。

 

「え? それってマジ?」

 

 囁かれた言葉を聞いた和美はその内容が信じれなかったのか心底驚いた顔をしていたが、頬を真っ赤に染めてコクリと頷いた明日菜に破顔する。

 

「いや~、まさか明日菜がそういうこと言うなんてね。よし、分かった! 私の権限で認めたげるから行ってきな!」

「いいの?」

「問題なし! ほらほら、グズグズしてると撤回しちゃうよ」

「ありがとう、朝倉」

 

 傍で見ていた刹那には全く分からなかったが、明日菜が言ったことは和美の琴線に大いに引っ掛かったらしく気前良く送り出した。

 ぽかんとして、そそくさと拝殿へと戻っていく明日菜の背中を見送った刹那は、ならば自分もと和美の下へと向かう。

 

「あの、朝倉さん私は?」

「明日菜の分もサービスよろしくね」

 

 何が楽しいのか、ニヤニヤと笑いながら即答された。

 

「どうして明日菜さんだけ」

「あんな乙女なこと言われたら頷かないわけにはいかないでしょ」

「乙女なこと?」

 

 納得がいかずにいると、和美がちょいちょいと手招きをしたので近くに寄ると、明日菜がしたように耳元に首を寄せて来る。

 息が当たってこそばゆい思いをしていると、和美が特大の爆弾を落とす。

 

「明日菜がさ、『好きな人以外に見られたくない』だって。こんな乙女なことを言われたら言うことを聞くしかないじゃない」

「好きな……!?」

「はいはい、大きな声は御法度ね。こういうのは言わぬが花ってもんよ」

 

 驚愕の内容に思わず大声で言いかけた刹那の口を、そうなるだろうと予期していた和美が塞ぐ。

 

「っていうわけで、私にも立場があんの。刹那さんは勘弁してよね、流石にサービスがないのもまずいしさ」

 

 驚きも冷めやらぬ刹那の口から手を離した和美は、そう言って機嫌良く舞台へと向かって歩き出した。

 

「おい、刹那」

「エヴァンジェリンさん」

 

 更衣室で言った『明日菜さんはアスカさんが好きなんですか?』の問いの答えだと刹那が気づくよりも早く、明日菜達と同じようにクラスの出し物である、借り物ではなく自分で作った袖なしの黒いセーラー服を着たエヴァンジェリンが話しかけた。

 

「貴様達にそういう趣味があるなら最初から言えば私も訓練着を考えたものを」

「止めて下さい、本当に」

 

 エヴァンジェリンの申し出を速攻で断る刹那。

 別荘の利用の度にこのような服に着替えさせられたら落ち着かない。

 

「冗談だ。それで剣の師匠のお前から見てどうだ? アイツはアスカに勝てると思うか?」

 

 本当に冗談なのか判別しづらいニヤニヤとした笑みに疑念を抱きつつも、昨夜に見たアスカの戦い方から実力差を図る。

 

「昨夜は全く魔力も気も使っていなかったので、現在の強さがどの程度なのかはハッキリとは分かりませんが」

 

 少なくとも自分よりも体格が良い十八人も敵を相手にしていた動きに衰えはなく、寧ろ更に鋭さを増していたように感じた。

 

「真っ向から戦って明日菜さんに勝機があるとは思えません」

「だろうな。前のアスカならともかく、今のアイツに勝つのはこの麻帆良にいる者でも片手の指にも足りない。それでも戦うか」

 

 エヴァンジェリンは衣装はあれだが、やる気に満ちた明日菜の戦意を感じ取っていたのだろう。現に明日菜は衣装に文句は付けつつも、試合を止めようとはしていない。

 実力差は誰よりも分かっているにも関わらずだ。

 

「確かに明日菜では無理アルかなー」

「ん、厳しいでござるな。修行も頑張っているようでござるが……」

 

 近くで話をしていた古菲と楓の会話が刹那の耳に入ってくる。

 エヴァンジェリンも古菲も楓も、基本的には全員が明日菜の負けだと想像する。だからこそ、刹那一人だけがその言葉達を否定しようとした。

 明日菜のこの大会にかける熱意は並ではない。油断すれば負けると、隙を見せれば自分でも喰われると理解していたからだ。

 

「フフ…………そうとも限りませんよ」

 

 刹那が否定の文言を口にする前に、彼女達の身内ではない誰かが先に言った。

 

「ん?」

 

 男とも女ともつかない微妙な声音のした方向へ、刹那とエヴァンジェリンの視線が揃って向いた。

 視線の先、スパッツを履いて戻って来たばかりの明日菜の背後に、声を放った人物は気配すらもさせずに立っていた。

 地面に引き摺るようなほどに長い白いローブに身を包み、フードを目深に被っているので顔も見えない。年齢不詳どころか、ゆったりとしたローブを着ているので体格すら判別できないので性別すら断定できない。

 

「え……?」

 

 地面を踏みしめる音と声に、明日菜も遅まきながら背後に誰かがいるのに気がついて振り向いた。

 

「確か……クウネル・サンダースさん?」

 

 某白髪白髭白スーツなおじさんを思わせる名前の選手の事を明日菜も覚えていた。特徴的でありながら慣れ親しんだ名前で、怪しさ満開の恰好の人がいたので強く印象に残っていた。

 最後が疑問形になったのは記憶力に自信がなかったところ辺りが明日菜らしい。

 明らかに偽名すぎる名前を明日菜が口に出すと、目の前の人物は唯一フードに隠れていない口元を微かに綻ばせながら手を伸ばす。

 そうすることが当たり前のような自然な感じがあって、手が頭に触れても正体不明な相手なのに不思議と忌避感を抱かなかった。だから、わしゃわしゃと乱暴に髪の毛を掻き混ぜられて、「ぎゃ!?」と年頃の乙女らしくなく悲鳴を上げてしまった。

 

「ちょちょちょっとイキナリ何するんですか――――!?」

 

 大人が小さな子供にするような、大袈裟な愛情表現に似た撫で方に嫌悪よりも受け入れてしまった自分に対して驚きが先行した。顔を紅くして大袈裟ともいえる動作で距離を開ける。手を守るように上げたのは無意識の防衛反応か。

 明日菜が慌てた様子で後ろに下がって横に並んだの横目に見て、エヴァンジェリンは目の前にいる怪しげなフードの人物を観察した。

 

(怪しい)

 

 目の前の人物を語るには、そのたった一言で十分だった。

 全身をスッポリと隠すローブといい、怪しげな言動とおかしな行動を合わせて不審人物との結論が出るのは早かった。

 だが、ローブの人物が出す気配に懐かしさを感じた。

 

「?」

 

 全身を観察して結論が出たエヴァンジェリンだが、唯一見える口元に浮かぶ微笑が記憶にある『誰か』と重なる。

 エヴァンジェリンの顔色が目に見えて変わっていく。気配の懐かしさから合致する人物に思い当たるまでにしばらくの時間がかかるのは、該当した人物がここにいるはずがないと思い込みからきていた。

 

「なっ……き、貴様はまさか……?」

 

 らしくもなく驚愕の様相を隠しもせず狼狽するエヴァンジェリン。しかし、当のローブの人物の目的は彼女ではなかった。

 

「改めて間近で見ても信じられませんよ、明日菜さん。かつては人形のようだった貴女が、こんな元気で活発な女の子に成長しているとは……」

 

 エヴァンジェリンの反応を静かに見た後、ローブの人物は彼女から視線を外して明日菜を見て、感慨深げに話し掛ける。

 一度言葉を切ると、再度話を始める。

 

「良き友人にも恵まれているようです。ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグが貴女をタカミチ君に託したのは正解だったようですね」

 

 ガトウ、という名前が音になって耳から入って脳が認識した瞬間、ドクンと心臓が自分でも驚くほど大きく高鳴った。

 次いで押し留めていた何かが零れ出るように森の中の風景と共に『彼』の笑みが脳裏に浮かんで、ズキンと走った頭痛という名の奔流が全てを押し流していく。

 大切な『何か』も、愛しい『誰か』も、全てが夢幻の幻であったかのように押し流されていく。欠片も残さず、一抹の残滓すら残さず消えていく。記憶は霞がかかったように曖昧で、思い出そうとするほどぼやけていく。まるで記憶自体を思い起こすことを禁じられているように。

 

「…………あ、あんた、誰…………?」

 

 頭痛の走った頭を右手で押さえ、どこまでも自分のペースを崩さないフードの人物を明日菜は困惑したように見つめた。

 彼女の斜め後ろに立っている刹那も敵意のない相手だけに、どうすればいいのか分からず成り行きを見守っていた。

 

「魔法使いですよ、物語に出てくるような人を助ける魔法使い。貴女に助言をしに来ました」

 

 明日菜の問いかけに、フードの人物は口元を笑みの形に留めたまま悪戯っぽくそう告げた。

 纏っているローブや神秘性は魔法使いという自称するに足りる要素を満たしている。だが、フードの人物は物語に出てくるような登場人物を導く魔法使いというよりも、助けを求める人間を言葉巧みに騙して命を刈り取る狡猾な悪魔の方が似合っていた。

 魔法使いという存在がこの世に存在していることを知り、身近にその実例と会ったことがあるからこそ神楽坂明日菜は容易に目の前の人物の言を否定できない。

 

「アスカ君に勝ちたいのでしょう? ならば、私を受け入れなさい。そうすれば貴女なら勝てる」

 

 その表情も言動もどこか演技のように感じ、しかし嘘をついているような欺瞞さは感じられなかった。理屈もなく信じてみようと思わせる何かを明日菜はフードの人物から感じていた。

 

「オ、オイ貴様!!」

 

 明日菜が内側から鈍く走る衝動に駆られて頷きかけたのを、横から彼女よりもキーの高い声が迸った。

 かけられていた催眠術から覚めたように、キョトンと瞬きを繰り返した明日菜は隣にいるエヴァンジェリンを見ると、何時も冷静沈着な彼女らしくもなく動揺を露わにしていた。

 

「何故、貴様が今ここにいる!? お前のことも散々探していたのだぞ!?」

「…………」

 

 エヴァンジェリンが目を見開いて詰問も強く詰め寄るも、ローブの人物は彼女に流し目を送って薄く笑みを浮かべると、何も応えずにまるで空気へ溶け込むかのように霞の如く姿を消してしまった。

 

「消えた! 何者アルか、今の人!」

「……!」

 

 姿を消したのではなく、文字通り消えた。なんの予備動作もなく目の前で煙が晴れるように消えていったローブの人物。そこにいたのが幻だったように消えて驚いた古菲は、思わずさっきまでローブの人物がいた空間に手を伸ばしていなくなったことを確認していた。

 姿が消えるまでを細目でありながらも注視していた楓すらも原理が分からない。常の冷静さを欠いて、片目を僅かに開けていた。

 

「ぐ……バカな。今の今まで気づけんとは…………しかし何故?」

 

 この場でローブの人物の正体を知っていそうなのはエヴァンジェリンのみ。ぶつぶつと呟き続けるエヴァンジェリンを後ろから見下ろした楓はローブの人物の正体を問うことを決めた。

 

「エヴァ殿、今の御仁は一体?」

「奴はナギの友人の1人だ。名をアル……」

「えっ」

 

 楓に声をかけられて我を取り戻したエヴァンジェリンは、経緯はともかく一度でも姿を見せたのなら探しようはあると考えて返答していた正にその時だった。

 

「クウネル・サンダースで結構ですよ。トーナメント表に書かれている名前の通りにクウネルとお呼び下さい」

 

 ローブの人物の本名を言いかけたエヴァンジェリンの後ろから音どころか気配すらなく声がかかる。

 背後からの声に古菲と楓とエヴァンジェリンが慌てて振り返った。そこには先程消えたばかりのローブの人物が何時の間にか立っていた。

 唐突に現れてペコリと優雅に一礼するローブの人物に、古菲と楓は虚を突かれて警戒心から一歩下がって距離を開ける。だから、エヴァンジェリンが言いかけたローブの人物の本名に明日菜が反応していたことに誰も気がつかなかった。

 

「ふざけるな!! 貴様、今までどこで油を売っていた!」

 

 ローブの人物の人を食ったような言動と行動に激昂しているエヴァンジェリンの近くで、直ぐ背後に現れたにも関わらず気配を全く感じなかったことに古菲の頬を冷や汗が一粒流れていく。

 

「それに神楽坂明日菜について、何故、知っている!」

「あれ? 知らなかったのですかエヴァンジェリン。そうですか、それはそれは…………フフフッ」

 

 自己流に改造しまくって原型を失いかけている服と、金髪と真っ白な肌のコントラストがフランス人形を思わせるエヴァンジェリンが怒りを露わにしている様子は本人が思っているよりも他人に訴えかけるものが多い。

 なのに、フードの人物は気にした様子もなく、それどころか更に彼女を弄るように含み笑いを浮かべる。

 

「では…………今しばらくはヒ・ミ・ツ、ということにしておきましょうか?」

「ぬぐっ」

 

 右手を上げて人差し指を立てて相変わらずの嘘くさいニッコリした笑みを浮かべるフードの人物に、米神に大きな青筋を浮かべたエヴァンジェリンが歯軋りをする。

 

(そうだった。性格の悪さで言えば、こいつはナギ以上の……)

 

 ナギが天然だとすれば、目の前のフードの人物は理性的に計算して人を弄る詐欺師。両者とも最終的な結果は変わらないが、分かっていながらといないのとでは大分違う。太陽と月みたいな、頭に来る怒り具合がやはり変わってくる。

 

「明日菜さん。今、貴女は力が欲しいのでしょう? アスカ君に届くために」

 

 フードの人物はアッサリとエヴァンジェリンから視線を外すと、再び明日菜に問いかける。

 

「私が少しだけ、力をお貸しましょう。もう二度と貴女の目の前で誰かが死ぬ事のないように、誰もいなくならないように」

「え……」

 

 明日菜はそれを聞いてびくりと震えた。一度は押し込められた扉の中にある記憶が反応する。厳重に閉められた鍵を解き放たんと、心臓が脈動するようにドクンと動いた。

 

「アル!?」

「おや、タカミチ君が来てしまいましたか」

 

 拝殿の方から選手控え席に戻ろうとしていた高畑が、こちらに気づいて走り寄ってくるのを見遣ってフードの人物は笑みを深くする。

 

「それでは、また後ほど」

 

 固まった明日菜を置いてそれだけ言うとフードの人物は再び姿を消した。

 




Aブロック

第一試合『高音・D・グッドマン VS 田中さん』

第二試合『アスカ・スプリングフィールド VS 神楽坂明日菜』


Bブロック

第一試合『豪徳寺薫VS タカミチ・T・高畑』

第二試合『古菲 VS 龍宮真名』


Cブロック

第一試合『クウネル・サンダース VS 大豪院ポチ』

第二試合『山下慶一 VS 長瀬楓』


Dブロック

第一試合『桜咲刹那 VS エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル』

第二試合『犬上小太郎 VS 佐倉愛衣』

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