魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第41話 届け、この想い

 

 六月末の梅雨真っ盛りの時期だというのに、午前八時の麻帆良学園都市の上空には雲一つない快晴である。空気も清涼としていて、春と夏の合間の心地良い陽気が続いている。雨が降らないのでニュースで今年の夏は水不足が懸念されているだとかなんとか。

 

『只今より、まほら武道会第二試合に入らせて頂きます!』

 

 雲一つない青空の下、マイクを通して聞こえる始まりを告げる和美の声が会場中に響き渡る。

 今か今かと待ちわびていた観客達の歓声が、まるで嵐のように会場内で荒れ狂うように湧き上がる。会場の歓声と熱気が一秒ごとに盛り上がりを増していくような錯覚を覚えるほどだった。

 試合の舞台は龍宮神社の敷地内にある、池の中心にぽつんと浮かぶように存在している能舞台で行われる。会場である龍宮神社満員御礼、正月ですらここまで人はいなかったと思うほどの大入り満員である。

 司会兼審判である和美とこれから試合が行われる舞台を歓声が包む。

 ここまで来て止められる者はいない。

 結局、フードの人物はあの後には現れることなく、いい加減に焦れた和美に急かされて明日菜は、珍しく木刀を手に持って先に待つアスカがいる舞台の上に上がった。

 

「アイツと何を話してたんだ?」

 

 向かい合い、最初に口火を開いたのはアスカだった。

 まさかの展開に明日菜は目を瞬かせ、少し低くなった声に胸を熱くしながら努めて平静を装った。

 

「アイツって?」

「フードを被っていた怪しい奴のことだ。何を話してた?」

 

 五メートルの距離を挟んで向かい合った二人の胸中にあるのは共通の人物。先ほどの――――自らクウネル・サンダースと名乗る怪しすぎる人物であった。

 

「意味の解らないことをペラペラと言ってただけよ。そう言えばエヴァちゃんがアスカ達のお父さんの友人って言ってたけど本当なの?」

「友人つうか仲間らしい」

「ということは、紅き翼ってやつの?」

「ああ」

 

 頷き、アスカは明日菜から視線を外して選手席を見る。

 その視線の意味が示すものは只一つ。戦いの場にいながらアスカは目の前にいる明日菜よりもフードの人物を優先している。

 

「アスカ!」

 

 その事実に立腹した明日菜は思わず大きな声でアスカの名前を叫んでいた。

 腫れ物に触るような、それでいて退かない強さを宿した声に、アスカの体は我知らずに体が一瞬震えるのが感じ取れた。

 ゆっくりと視線を戻し、明日菜を見て始めて存在を認識したようだった。

 意思の強そうなアスカの蒼の瞳が、明日菜を映して見開かれていた。睨むよう細められた明日菜の目が濡れていた。

 

「お前………」

 

 明日菜、と呼びかけかけた声が喉に詰まり、大きく目を見張って言葉にならない言葉を呟き、仮面を被って平静を装い口を開いた。

 

「なんだよ」

「私を見て。これから戦う相手は私よ」

「お前には興味ない」

 

 決死の覚悟で告げた明日菜に返って来たのは心を抉る言葉だった。だが、今の明日菜はその程度で挫けるほど弱くはない。

 

「お前、じゃない。ちゃんと明日菜って名前で呼びなさいよ。私はこの時をずっと待っていたんだから」

 

 明日菜はアスカの酷い言葉にも動揺することなく言い返して、堂々と自分の胸を張った。その動作や言葉の一つ一つで、この少女が今の言葉に全く傷ついていないことを思い知らされる。

 

「それに人の事を幽霊みたいに見るのは失礼よ」

 

 にっこりと彼女は微笑んだ。

 

「先に言っておくわよ! 私、絶対に今のアスカには負けてやらないから!」

 

 バン、と明日菜がアスカの機先を制して啖呵を切った。

 ギリギリ押え込んできたきたものが決壊したような啖呵に無絵を衝かれ、アスカは成す術もなく明日菜の顔を見返した。

 

「刻み込んでやるから、私という存在をアナタの心に」

 

 真っ直ぐに、まるで人の中心を射抜くような視線でアスカを直視して言う。この少女は全力で真っ直ぐに物を言う。これだけの物を言う姿勢は今までの明日菜になかった。

 

「やれるものなら、やってみせろ」

 

 明日菜はジッと言い返すアスカを見つめる。オッドアイに睨まれたアスカの手負いの獣染みたその目に細波が走った。

 互いに戦いの気運は高まった。

 腰を落して木刀を構えるアスカを前にして、明日菜は持っていたデッキブラシを脇に構えて、両手を開く。

 

「左手に魔力」

 

 ポウ、と淡い輝きが左手を覆う。

 明日菜が独自に魔力を発したことにアスカが目を瞠った次の瞬間、更に驚愕の事態が起きる。

 

「右手に気」 

「な、に!?」

 

 明日菜が魔法に関わったのはここ数ヶ月の話。

 少なくとも一ヶ月前まで明日菜が魔力も気も独自に発することが出来なかったことを知っているアスカは、目の前で少女が両方を同時に発していることに自分の目を疑った。

 魔力と気は反発する。両方の力を両手のみに集約しているから可能なことだが、一ヶ月で習得できる技術ではない。

 アスカの驚愕はこれだけで終わらなかった。

 

「――合成」

 

 胸の間に持ってこられた両手が近づき、もう少しで合わさるかと思われた瞬間、両方のエネルギーが触れ合った。

 バチッと両方のエネルギーが反発するように紫電を纏ったが直ぐに収まり、一瞬強い風が吹いて明日菜の全身を凄まじいオーラが纏う。

 

「咸卦法だと!? どうして――っ?!」

 

 明日菜が行ったのは咸卦法という技法。

 相反するエネルギーである気と魔力を融合させることで爆発的な力を得ることができる技法。非常に高度な技法であるため取得にはかなりの時間を要するが、習得難度に見合った効果があり、発動しただけで身体強化のみならず、加速、物理防御、魔法防御、鼓舞(精神の高揚)、耐熱、対冷、対毒、などといった様々な強化。防御効果を発揮。その強力な効果ゆえ、究極技法とも呼ばれている。

 

「行くわよ、アスカ。覚悟はいい?」

 

 明日菜は試合前に感じていた疼きを忘れるように極度の集中にも似た精神状態が世界を捻じ曲げていく。

 やがて余分な思考が消える。余分な臭いが消える。余分な音が消える。余分な色が消える。戦いの為の不必要な要素が、脳から削り落とされていく。戦いの為の刃と化し、その研ぎ澄まされた精神だけが敵を映す。

 

『一回戦第二試合――――』

 

 試合が開始されようとしているのに、逆にアスカは目の前の事実を受け止めきれずにいる。

 

『――――開始!!』

 

 和美の試合開始の合図と共に明日菜は解き放たれた獣のように飛び出した。

 

「たぁああああっ!」

 

 何故明日菜が究極技法を使えるのか、アスカの思索は不思議だが強烈なオーラを纏う明日菜の雄叫びによって中断された。

 刹那、まるで何かに弾き飛ばされたかのような勢いで明日菜が迫る。

 

「なっ!?」

 

 瞬動ではないのに、瞬動に匹敵するスピードで瞬く間に明日菜の履いているローファーの底が迫った。真正面からの跳び蹴りだ。アスカは反射的に前に掲げた木刀に魔力を注ぎ込み、彼女の蹴りを受け止めた。

 

「うぐっ!」

 

 とんでもない衝撃が全身を揺さぶってくる。

 受け止めた木刀どころか体ごと後ろに持って行かれそうになる。まるで生身で大型トラックと正面衝突でもしたかのような一撃だ。まともに食らっていたら、無事では済まなかったろう。一瞬でも遅れていれば、アスカであろうとも間違いなく重傷は免れなかった強烈な攻撃だった。

 

「てぇあああああああ!」

 

 蹴りを受け止められた明日菜が空中にありながらも、物理法則を一切無視するかのように身体を回転させた。それと共に縦横無尽にデッキブラシと蹴りが飛んで来る。

 最初の一撃よりは弱いものの、十分な体の捻りを加えられたいずれも巨大な鉄塊を叩きつけられているような必殺の一撃ばかりだ。それでもアスカは全ての攻撃を木刀で受け切り、時には回避してやり過ごす。

 

「はぁあああああああ!」

「いゃあああああああ!」

 

 明日菜が着地した合間を縫って、アスカも雄叫びを上げつつ木刀を繰り出していく。

 この猛攻に負けじと明日菜もまた体勢の不利を気にせずにデッキブラシで迎え撃つ。

 

「どう、私もやるようになったでしょ!」

「どうかな!」

 

 とアスカは言いつつも、既に明日菜が昔のままでないことを確信して油断を取っ払っている。

 眼の前でデッキブラシが剣術の道理を無視するかの如く腕ごと大きく振るったのを、アスカは立てた木刀で防御して間髪を入れずに打ち込んだ。

 

「なら、もっと見せてあげる!」

 

 攻撃を放った直ぐ後にデッキブラシを引き戻していた明日菜は、その打ち込みを危なげなく受けた。以前ならば間違いなく決まっていたであろう一撃を事もなげに防ぐ。

 

「強くなったことは認めてやる。けどな」

 

 簡単に防がれたことでアスカは、一度体勢を立て直すことにした。潮が引くように後ろに下がる。すると、明日菜のデッキブラシと回し蹴りの二段攻撃が空振りした。

 

「まだまだ俺に刻み込めるほどのもんじゃねぇな!」

 

 アスカは、「ダンッ」と舞台を強く踏みしめて再び大きく踏み込んで突きを見舞う。

 

「この程度で終わりじゃないわよ!」

 

 回し蹴りをスカされて背中を向けて大きな隙を見せたかに思えた明日菜は、糸の切れた操り人形を思わせる動きで素早く身を伏せて突きを躱し、床を掃くような感じでデッキブラシを低空に振るった。

 足を狙った攻撃をアスカは飛び上がって回避したが、それこそが明日菜の狙いだったようだ。デッキブラシを持っていない方の手で舞台に手を着き、空に伸び上がるような蹴りを放つ。

 アスカは身を投げ出すようにして側転して間合いを外した。次に体勢を整えた時には明日菜も既に起き上がって構えを取っている。

 

『こ……これは意外!! 色モノかと思われたメイド女子中学生の予想以上の動き!! 色モノにあるまじき、アスカ選手との本格勝負です!!』

 

 試合会場のそこかしこから聞こえる口笛や拍手と歓声。予想を遥かに超える、武道会の名に恥じないに戦いぶりにテンションが上がらぬはずがない。

 

「咸卦法だけじゃない。以前とは動きが比べ物にならねぇ。よほどやり込んできたようだな」

 

 予想外の明日菜の実力に、アスカの心臓は先程から忙しなく高鳴っていた。

 咸卦法のことがあるにしても動作の全てが洗練されている。何が原因かはわからないがアスカの記憶にある姿よりも数段上、動きから予想していた想定レベルを逸脱している。

 

「言ったでしょ、この時を待っていたのよ。この程度で終わらせる気はないわ」

 

 明日菜はアスカが本気を出していないと感じながらも、互角に渡り合えたことに確かな実感を得ていた。

 自身、どうして咸卦法を使えるのかは分からない。あるのは、何故忘れていたのかという疑念だけだ。それほどに咸卦法発動時の感覚は馴染み深く、この状態こそが当たり前なのだと感覚があった。

 知識や記憶の面ではなく、もっと根強い本能的な面が受け入れていた。

 強い力を得ることは好都合だったからこそ、この状況を受け入れていた。必要なら躊躇いもなく使う。どうして自分は知識にないことが出来るのかはどうでもいい。疑問は後で考えればいいのだから。

 

「行くわよ、アスカ!」

「来い!」

 

 両者の闘いに望む意志がここにきてようやく合致し、同時に飛び出して戦いが再開された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高畑が拝殿から選手控え席に来る途中に旧友の姿を見て、慌てて駆けつけた時には既に姿はなかった。

 探している間に明日菜の試合が始まり、仕方なく今は捜索を中断することにした高畑の目の前で驚愕の光景が繰り広げられていた。

 

「なっ、それはっ!? 明日菜君!!」

 

 明日菜が咸卦法をいとも簡単に駆使して、アスカと互角の試合を演じている。

 本来の彼我の実力差は圧倒的。真っ向から戦えば秒殺も在り得ただろうに、目の前では予想に反して明日菜が健闘している。だが、高畑の驚きは試合内容にではなかった。

 

「なぜ今の彼女が咸卦法を!?」

 

 信じられないという形相で試合を見ている高畑の隣で、エヴァンジェリンは今の言葉の不自然さに気づいた。

 

(『今の』彼女だと? 明日菜が咸卦法を使えたことには驚いたが、この様子だとタカミチはアイツが咸卦法を使えることを知っていたのか?)

 

 明日菜は自分がどうして咸卦法を使えるのかは分かっていなかったが、意外な所に情報は隠されているようだと狼狽する高畑を見て推測するエヴァンジェリン。その背後にまた浮かび上がるフード姿。 

 

「ふふふ、タカミチ君も頑張りましたねぇ。ですがあれは明日菜さんが元々持っていた力ですよ」

「ぬぐっ、貴様っ!」

 

 再び風景に透過していたカメレオンが元に戻るように姿を現したアルビレオに、出たり消えたりすることに苛立ったエヴァンジェリンが振り向きながら叫ぶ。

 楓と古菲の姿は近くになく反対側の選手控え席に移動していた。エヴァンジェリンとフードの人物は知己らしく、そこに明らかに様子のおかしい高畑まで混ざったのだから部外者感のある二人は邪魔になるだろうと空気を読んで離れたのだ。

 エヴァンジェリンの詰問は続かなかった。彼女よりも遥かに重く冷たい気配を放つ人物が先に動いたからである。

 

「アル」

 

 アルビレオの前に立ったのは、ポケットに両手を入れた独特の戦闘スタイルの高畑である。既にポケットに手を入れて、その眼には殺意すら宿っていた。

 旧友であろうと答えねば撃つ、と目が語っていた。

 

「死んだと言われていたあなたが今になって現れたことや、色々と聞きたいことが山ほどあります。ですが、今はどうでもいい」

 

 裂帛の気合を漲らせ、今にも必殺の一撃を放とうとしている高畑。彼の明らかな異変にエヴァンジェリンは巻き込まれては堪らないと、二歩距離を開けた。

 この距離は絶対安全圏ではないが、これ以上の退避は高畑の神経に障る可能性がある。ゆっくりと足裏を地面に擦らせてジワジワと距離を開けていく。

 

「どういうつもりですか? どうして彼女にアレを……理由次第では只ではおきません」

 

 言葉通り、高畑はアルビレオの返答次第では拳を振るうことも厭わぬと、ズボンのポケットの内で拳を固めて彼ならではの戦闘態勢から凄味を滲ませて尋問する。

 

「タカミチ君も色々あったようですが…………。もう十年ですか。ずっとこの下で休養してきて身動きが取れなかった私とは違いますね。時間の流れは純粋だった君を変えたようです」

 

 高畑とは反対に両手を広げて天に向けるアルビレオは、高畑の殺気には気づいていない様子で顔を愉悦に歪めている。

 今にも爆発してしまいそうな高畑を前にしても、ローブの人物はこの状況を楽しんでいる。決して彼が自分に危害を加えないと考えているのか、例え彼が爆発しても被害を蒙らない自信があるのか…………恐らくは後者であろうとエヴァンジェリンは思った。

 

「気と魔力を融合して身の内と外に纏い、強大な力を得る高難度技法。相反する力を融合して得る力の凄まじさはあなたたちも知っての通り」

 

 咸卦法を習得し使い手として名を広めた高畑と、彼に習得の為の場所を提供したエヴァンジェリンは、アルビレオに言われるまでもなく良く知っている。

 聞きたいことはそんな既に既知のことではない。もっと別の根源的なことだ。

 

「私が手を貸すまでもなく彼女自身が思い出したようですが、完成度は高くとも今のタカミチ君には到底及びません。それでもあの威力です」

「その言い様では、貴様は明日菜が咸卦法を使えることを知っていたな。タカミチも」

「ほう、その様子ではエヴァンジェリンは知っていたようですね」

「アイツの修行の監督をしていたのは私だ。いきなり咸卦法を使った時は驚かされたが、今は横に置いておく。それよりも吐け。神楽坂明日菜は何者だ?」

 

 高畑の想いも、アルビレオの策略にも、この問いに比べれば塵にも等しい。

 この麻帆良学園において、神楽坂明日菜の力量を最も正確に把握しているのは、剣の師匠である刹那と、修行場所を貸して実際に教えていたエヴァンジェリンの二人。

 

「魔法無効化能力、咸卦法、それにまるで始めから知っていたことを思い出しているような尋常ではない上達速度。まさか一般人だと言うつもりはあるまい。答えろ、神楽坂明日菜の正体を」

「ふふふ、さあ」

「貴様!!」

 

 この期に及んで答えようとしないアルビレオにいい加減にキレて、「実力行使」の文言がエヴァンジェリンの頭の中で点滅する。

 

「詳しく聞きたいならタカミチ君に。彼の方が私よりも良く知っていますから」

「なに?」

「アル!」

 

 老獪な笑みを深めて高畑を見据えながら返ってきた返答は流石に予想外で、咄嗟に視線を向けた高畑の常ならぬ余裕を失った声と顔が更に助長する。

 

「ぐっ……」

 

 エヴァンジェリンが高畑に問う顔を向けても、彼は答えるわけにはいかないから顔を逸らすことしか出来ない。

 高畑が答えられないことを分かっていたようだが、アルビレオは深めていた笑みを一度消した。

 

「タカミチ君が答えられないなら…………そうですね、エヴァンジェリン。我が古き友、一つ賭けをしませんか? 私は明日菜さんが勝つ方に賭けます」

 

 一度消した笑みを再び浮かべ、そう切り出した。

 突然すぎるアルビレオの申し出に、エヴァンジェリンは眉を潜めつつ一度高畑に視線を向けてから口を開いた。

 

「お前の掛け金は何だ?」

「明日菜さんについての情報」

「アル!? いい加減にして下さい!!」

 

 躊躇いもなくそう答えたアルビレオに、とうとう高畑はエヴァンジェリンを押し退けてポケットから出した両手で首元を掴んだ。

 

「さっきからペラペラと! 僕達の十年を無駄にするつもりですか!」

 

 二人にそれほどの体格差はない。両手でローブを纏っている首元を掴み、引き寄せた高畑は声音も高く言い募った。

 これだけの事態に試合に注目していた近くの観客や選手たちが注目する。高畑は麻帆良学園都市の殆どが知っているといっていい有名人なので、彼がこれほどまでに周囲の目を気にせずに我を忘れる様子は人目を引く。

 

「僕達、ではありません。君の十年でしょう」

 

 しかし、これほどの注目を浴び、更に煽るように言って高畑から今にも実行しそうな本気の殺気を浴びてもアルビレオは揺るがない。

 

「――――それにね、もう遅いのですよ」

 

 ギリギリと力が入っていた高畑の手が様子の変わったアルビレオの声に反応して止まる。

 

「そう、もう無駄になっているのです。あなたの献身も全て」

 

 フードの人物――――本名をアルビレオ・イマという――――は日常生活中では基本的に人を食った性格を崩さない。仲間である紅き翼にも同様で、エヴァンジェリンに「我が古き友」と言ったように彼が何歳なのか、高畑も知らない。ただ、見た目よりも長く生きているとは聞いたことがあった。彼は余程真剣な話でない限り、自分の本心を語らない。そして今は自分の本心を言っていると、フードの奥に見える真剣な眼が物語っていた。

 

「つい先日、上級悪魔がこの麻帆良に侵入してきたことは君も知っていますね」

 

 周りに聞こえないように小さな声で成されるのは問いではなく確認。閻魔が冥界の王・総司として死者の生前の罪を裁くように淡々と、そして静かに語る。

 

「彼の悪魔は明日菜さんの魔法無効化能力を知っていました。そして彼女の能力は修学旅行でフェイト・アーウェンルンクスに知られています。悪魔を放ったのは彼と見るべきでしょう」

「…………アーウェン、ルンクス……」

「その名に君も覚えがあるでしょう」

 

 アルビレオが挙げたその名は彼ら紅き翼にとって忌まわしき敵の一人の名であった。

 当然、高畑のあの場にいて、後になって敵の名を聞いたから知っている。いや、それ以前から連綿と続いてきた因縁の深き敵の名前を忘れるはずがない。

 

「忘れる、はずがありません。でも奴らは…………「完全なる世界」の残党はもうこの世にはいないはずです」

 

 今はもう掴むではなく縋りつくようにローブを握り、高畑は自らの手を血に染めてまで勝ち取った成果を誇りもせずに言った。

 二十年前の大戦を生き延びた彼らを、力をつけた高畑は結果的にせよ紅き翼を離脱したクルト・ゲーデルと協調はしなかったが互いを利用し合って虱潰しに刈り取った。そして蛇のようなしつこさを持って数年前に徹底的に根絶した。

 この世から根絶しても、今でも定期的に捜査していて網に引っ掛かったことはない。

 修学旅行に現れたのも、アーウェンルンクスの名を騙る偽物か、或いは同じ名前なだけだと考え、彼らはとっくの昔にいないものだと思い込んでいた。思い込もうとした。それぐらい高畑は人道すらもかなぐり捨てて残党を殲滅したのだから。

 世間的には呪文が使えないから「偉大なる魔法使い(マギステル・マギ)」の資格がないと思われているが事実は違う。紅き翼自体が非公式にメガロメセンブリアと敵対関係にあることとも関係ない。魔法世界共通の敵として認識されている「完全なる世界」の残党狩りで常軌を逸した能力と狂人的な殺意を見せたことが、彼に資格がないと判断された理由であった。

 彼もまた己が起こった人道を外れる所業を理解しており、手の指で数えることすらできない数の血で染めた罪業を知っているからこそ、自らに人に愛される資格がないと言い切れる。

 

「ええ、あなたとクルト君が徹底的に潰しました。ですが、まだいたのですよ。彼らの生き残りが、あなたの知らない後継が」

 

 それこそがフェイト・アーウェンルンクスだとアルビレオは語る。

 高畑は知らぬが十二年前からナギやアルビレオらに関わり、ある意味で今を作り出したといってもいい存在。当時関わった者として、実際に矛を打ち合った者として考えることは多い。

 

「彼らに明日菜さんのことを知られてしまったのです」

 

 絶対に知られてはならない相手に秘密がバレてしまったことに、紅き翼の知恵者である男が断定したことに、高畑はネギ達の故郷が襲撃を受けたと聞いた時よりも深い衝撃を受け、アルビレオの胸元を掴んでいた手を離した。

 

「望むと望まずに関わらずに過去が彼女を追い立てる。もはや悠長にしていられる余裕はないのです。いずれ向き合わなければならない過去、自衛の為の力は必ず必要になります」

 

 その為の咸卦法であり、自分が出てきたのだとアルビレオは語る。

 

「僕が、僕が彼女を護れば!」

「そうやって、四六時中傍に張り付くことが彼女の幸せに繋がると本気で思っているのですか?」

 

 自分で言っていて荒唐無稽さに呆れてしまうが、それでも縋りつきたくなる。しかし、アルビレオはバッサリと切り捨て、高畑の逃げ道が塞がれていく。

 

「それでも、それでも僕は……」

「いい加減に認めなさい。もう彼女は以前のようには戻れない」

 

 自らの未熟と怠慢を断罪するように降りかかった言葉に叩きのめされて、高畑は無力感に苛まれて奥歯が砕けるほどに噛み締めんながら俯いた。

 認めたくなかった現実、受け入れたくない事実、それら全てが高畑を打ちのめす。

 

(この様子、神楽坂明日菜には何かがあると思っていたが)

 

 魔法無効化能力に優れた基本性能と、アスカほどではないにしても戦いにおいて異常なほどの学習能力を持つ明日菜の特異性。

 アルビレオが発動させている魔法で消されている会話を盗み聞きしていたエヴァンジェリン。ここに来て、これらの異質さが浮き彫りになっていくのをしっかりと見ていた。

 

(試合前にアルが言っていたガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ)

 

 名に聞き覚えがある。それも当然、彼は元メガロメセンブリア捜査官にして紅き翼の一員で、十五年前に一度だけだが会ったことがあった。

 純粋な戦闘能力だけを見るならばナギらには一歩劣るものの、彼の本分は異常なまでの調査力にあった。

 情報収集及び操作の方面をタカミチ率いるタカミチ少年探偵団と調査・捜査を行って一国家へのパイプを繋ぐなど、彼失くしては紅き翼はこれだけの評価を得られなかっただろうと言われている程の男。

 

(ガトウ・『カグラ』・ヴァンデンバーグと神楽坂明日菜か)

 

 明日菜は八年前に高畑が麻帆良に連れてきた孤児だと聞いている。記憶を失い、彼が保護したと。

 「カグラ」坂という名字、高畑がどこからか連れてきた、魔法無効化能力という異質な能力。更に究極技法とまで呼ばれる咸卦法を簡単に発動させた。

 既に故人だったゼクトは例外にして他の紅き翼のメンバーと違って、ガトウとはそれほど親しかったわけではない。会ったことも一度しかないし、大した会話もしていない。

 それでもナギが行方不明になって死んだと言われてから、行方を知っている可能性の高い紅き翼の面々の事を調べもしたし、少しの会話でも交流はあったので彼に妻や子供がいなかったのは知っていた。

 少なくとも明日菜はガトウや高畑と深い関わり――――アルビレオの様子から見て紅き翼とも何らかの関係があると推察できた。

 エヴァンジェリンが紅き翼と関わったのは十五年以上前。彼女が知らなかったことを考えれば麻帆良学園都市に封印された後、ガトウの公式死亡は九年前なので、明日菜の外見年齢を考えればその間に関係があったと思われる。

 普通に考えれば、明日菜の魔法無効化能力が発現して、その能力を利用されない為に保護したというのが一番真っ当な線だが解せない部分が多い。

 明日菜が麻帆良に来てからは高畑と一緒に暮らしていたようだが、高畑が咸卦法を完全に習得したのはその後。最近まで魔法を知っている様子がなかったのでガトウに習ったと見るのが自然だ。

 

(何らかの理由で記憶を封印されたとして、ならば奴は咸卦法を五~六歳で使えた計算になる。おかしいではないか)

 

 究極技法とまで呼ばれる技術を僅か五~六歳で使えるようになるとは信じ難い。そこになんらかの隠されたことがあるのではないかと推測するだけの不自然さが多い。

 

「エヴァンジェリン。話は逸れましたが賭けは成立ということでよろしいですか?」

「よろしくないな。一々賭けをしなくてもタカミチか今度学園長辺りにでも聞けばいい話だ。貴様相手に賭けなどするものか」

 

 呆然自失といった様子で項垂れた高畑の肩を一度軽く叩いて問いかけてきたアルビレオに、彼の性格の悪さを骨身に染みて知っているエヴァンジェリンは受け入れる気はないとピシャリと跳ね除けた。

 咸卦法の発動による基本性能のアップやその他の付与能力があろうとも、明日菜の動きにはまだまだ無駄が多く、別荘内の二年で更なるレベルアップを遂げたアスカには及ぶべくもない。

 

「そうやって貴様の口車に乗って賭けをして、あの筋肉ダルマに巻物を盗られたのだ。二の轍を踏む気はない」

 

 確かに序盤は善戦したが所詮はそれまで。認識の齟齬を突いて速攻で勝負を決めて行っていたなら勝ち目もあっただろうが、戦闘の基本経験値の差は如何ともし難い。

 試合時間が長引けば長引くほどアスカの勝利は揺るがなくなる。それだけ咸卦法を含めても二人の実力差は開いている。

 が、物事には必ず万が一というものがある。そもそも頭を撫でた時に明日菜に魔法をかけて念話のラインを繋げ、イカサマをしようとしているアルビレオと真っ当な賭けになるはずがないと確信している。

 高畑の様子を見るに、事態は思ったよりも深刻なのだろう。これほどに折れた高畑の姿は同級生だったこともあるエヴァンジェリンですら見たことがない。

 ならば、明日菜に修行場所を提供しているエヴァンジェリンにも、高畑や学園長は手を貸してほしいと言ってくることは見えている。世界を相手にした紅き翼の中で参謀の立場にあったアルビレオを相手に無謀な賭けをするほどの緊急性は感じられなかった。

 

「困りましたね。では掛け金を更に上乗せしましょうか」

 

 本当に困ったとは思えぬ言い様をするアルビレオは内緒話をするように、腰を屈めてエヴァンジェリンの耳元に顔を近づけ、「周りには内緒ですよ?」と言い含めて話を切り出す。

 

「私の賭け金はナギ・スプリングフィールド、サウザンドマスターの情報です」

 

 何時もの薄ら笑いを浮かべてエヴァンジェリンにとっての爆弾を躊躇いもなく投下した。

 

「な……か……」

 

 アルビレオの目論見通り、爆弾を爆発させられたエヴァンジェリンは何も言えなかった。彼女がこの十五年間、ずっと行方を求めてきた男の情報を、アルビレオは賭けの対象にしようとしているのだ。

 

「どうです。乗りますか?」

 

 笑う頭に角と、背中には羽根、尻には尻尾が幻視しそうなほど、甘い誘惑で誘う。誘惑をかけるアルビレオが、エヴァンジェリンには悪魔に見えた。

 

「の……ぐぐ……」

 

 この十五年の間に積み重ねてきた複雑な感情が渦巻く相手。手の平をプルプルと震わせたエヴァンジェリンに、この誘惑に抗えというのは無理があった。

 ナギの最も身近にいたであろうアルビレオが持つ情報ならば確実にナギに近づくことは誰にでも分かる。

 

「――――乗るに決まっているだろうが!!」

 

 身を破滅させる悪魔の誘惑と分かっていてもエヴァンジェリンには抗うことは出来なかった。

 

「では、アスカ君が負けた場合、貴女には何時か私が困った時に協力してもらいましょう」

 

 そこで、アルビレオは先程まで浮かべていた顔に貼りついていたような薄ら笑いを収めた。代わりにこの男にしては珍しい、どこか憂慮したような物憂げな表情を浮かべた。

 

「――――そんな日が永遠に来なければいいのですが」

 

 エヴァンジェリンにはアルビレオが何が言いたのかが分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「凄いッ!」

「こりゃ、予想外だぜ」

 

 観客席でアスカと渡り合う明日菜を見ていたネギ・スプリングフィールドは、素直に感心の声を挙げていた。長谷川千雨がいる方向とは反対の、宮崎のどかがいる方の肩に乗っているアルベール・カモミールが彼の耳にだけ聞こえるぐらいの小さな声で感嘆の声も漏らす。

 千雨などは黙って鑑賞していたが、ネギとのどかは揃って唱和して応援していた。

 

「神楽坂もとうとう、あっちの世界行きか」

 

 周りが応援一色の中で、クラスメイト同士の常識外れの戦いを一緒に見ていた千雨は半眼で頬を引きつらせながら呻く。

 

「いや、元からはあいつには素養があったけか」

 

 どう見ても中学三年女子の身体能力を時々超えていたことがあるのでアスカと同様に人外認定するだけの素養は持っていたと、千雨は自らが作り上げている常識を守る。

 そんな彼・彼女らの前で激戦は尚も続いていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回戦第二試合は大まかな予想とは違って、大分違う展開となっていた。

 

『神楽坂選手とアスカ選手! 前評判と違って二人で舞を舞っているかのような華麗な攻防です!!』

 

 和美の実況を否定する声はない。同意するように歓声が高らかに舞い上がる。

 当初は格闘経験のない明日菜に誰も期待してはいなかった。主催者側も同じ考えでイロモノとしてコスプレしての試合となったが、明日菜はデッキブラシ、アスカは木刀を武器に何度も鍔迫り合いを繰り返している。

 しかも武器を振るう手が観客達の手には映らないようなスピードでだ。

 

(やっぱり……)

 

 一瞬も止まることなく十五メートル四方の舞台の上を縦横無尽に動き、各々が持つ武器や四肢をぶつけ合う中でアスカの疑念は確信に変わっていた。

 

(元々の目の良さだけではなく、体自体が俺の動きについてきている)

 

 咸卦法を発動させていたとしても体の動きまでは矯正されない。アスカの動きについてきているのは純粋な明日菜自身に寄るところが多い。

 

「いい加減に手を抜くのは止めたら!」

「まだまだ!」

 

 と言いつつもアスカは魔力の強化を段階的に上げ、試合前には考えていた手加減も徐々に止めてきている。魔法は使っていないが、この大観衆の中で使うわけにはいかないので時間的にアスカの実力がMAXになるのは時間の問題だろう。

 

「それぇ!」

「くっ!」

 

 なのに、明日菜は一歩も引くことなく、それどころか油断すればアスカですら食われかねないほどの勢いで攻撃してくる。 

 十五分という試合の時間制限がなければ、明日菜のスタミナ切れまでいなす事はできる。が、時間制限がなかったとしても真っ向からぶつかって来ているのに相手にその選択肢を選べるはずもない。

 

「ちっ!?」

 

 アスカは思ったように調子が上がらない自分の体に当惑する。

 今のアスカにとっての戦いとは、決して戦いを楽しむものではなく、あくまで「守る」に重きが置かれる。戦っている相手がその「守る」相手であるから、傷つけるようなことが無意識の内に意識的に上げた手を抜いていることに気づかない。

 本人は徐々にペースを上げているつもりでも、実際には動きに反映されない。意識と肉体の狂いが歯車を崩していく。

 

(…………なによ)

 

 明日菜は数合交わして、アスカが自分よりも遥かに上の領域がいることを悟っている。にも関わらず、攻撃にこちらを斃そうとする意志がないことに立腹していた。

 いくら明日菜が以前では考えられない速さで疾走して剣撃を放とうとも、練習で刹那と打ち合っている時よりも全てが研ぎ澄まされていても、今の自分の実力が届いていないことがハッキリと分かってしまう。

 

「私には向き合う価値もないっての!?」

 

 アスカが自分の事なのに自分が分からないと言う奇妙な感覚に陥っている中で、それすらも呑み込むかのように明日菜は天頂に持ち上げたデッキブラシを真下に向かって一閃する。

 

「はぁっ!」

 

 明日菜の咸卦の力の密度が上がり、アスカも魔力を上げた気になる。

 

「くっ」

 

 明日菜の今日最高の一撃で唐竹に振り下ろされた斬撃を受け切れず、ガキンという木製の木刀から本来聞こえない音と共にアスカは体勢を崩したまま後退する。

 

「見てよ! 私をちゃんと見てよ!!」

 

 弾かれたアスカが姿勢を立て直す前に、明日菜のデッキブラシが再び襲い掛かる。それも辛うじて防いだ。

 ならば、とアスカは瞬動を使って距離を開けた。が、僅かに遅れて明日菜もついてきた。また咸卦法のパワーによるものかと考えて連続して瞬動を繰り返して舞台を跳び回るも、五回を超えた辺りで明日菜が並行してしまい、遂には追い抜かれた。

 

「瞬動を身に着けているのか?!」

 

 ヒュン、と風になった明日菜の斬撃を、戸惑いながらも受け止めた。更に回転数を上げた明日菜の斬撃の全てに合わせる。それでも驚愕は消えない。

 瞬動は使えないはずだ。では、こういうことか。明日菜はこの僅かな時間に、アスカが行う瞬動を見て学び、更に実践したのだ。恐るべき才覚。

 

「ちっ」

 

 アスカの背後に火の玉のような光が浮かび上がった。

 こうなれば雷の魔法の射手の効果で痺れさせる作戦に出たのだ。

 タイミングを見計らい、絶対に避けられないタイミングで魔法の射手を放った。

 

「――――――――私にはあらゆる魔法も気も通用しない」

 

 明日菜は一言そう呟くと、目の前に迫った雷の魔法の射手に向かって無防備に身を曝した。それだけだ。それだけで、魔法の射手は明日菜に触れるや否や掻き消されるように消えた。

 

「な、に!?」

 

 あまりといえば予想外の光景に、アスカは驚いた。

 今の攻撃は体が痺れて少しの間だけ動けなくなる程度の威力しかなかった。それにしたって咸卦法の力に負けぬように調節してあるのに、いきなり消されたのだ。流石に平静ではいられない。

 防御したとか、逸らしたというならまだ納得できる。だが攻撃は文字通り、掻き消されたように消えたのである。爆発だとか、攻撃の余波すらも残さずに忽然と消えた。魔法世界の常識をもってしても異常だった。 

 

「魔法無効化能力か!?」

 

 事実に思い至り、驚愕に浸る暇もない。

 

「私は此処にいる! 私は此処にいるのよ!!」

 

 次に仕掛けたのも明日菜の方だった。アスカに驚愕している暇などない。

 正面からデッキブラシを打ち込まれるのを、アスカは受けずに身体ごと躱した。

 

「知っている!」

 

 それを追って明日菜が横薙ぎにデッキブラシを払うが届かず、そこに生じた一瞬の間隙にアスカが滑り込む。

 返す刀で逆袈裟にデッキブラシを斬り上げると、アスカは横向きに錐揉みしながら跳躍し、その回転に乗せて木刀を打ち込んできた。

 

「――――つっ!」

 

 下ろしたデッキブラシで受けたが、信じられぬパワーで押し切られる。

 想定以上のパワーに吹っ飛ばされた明日菜は舞台に背中から落ちた。しかし受け身を取り、飛ばされた勢いを利用して後転から素早く立ち上がり、距離を詰めていたアスカの追撃を躱そうと更に背後へと回転しながら瞬動で飛び退いた。これをアスカが追う。

 

「なんで関わる! なんで関わろうする! 怖かったんだろ! 俺に近づかれるのが嫌だったんだろ!」

 

 空中から着地した瞬間は誰であろうとも隙が出来る。アスカはその隙を見逃さず、着地した明日菜の肩に木刀を振り下ろす。デッキブラシを防御に動かすには遅すぎる。いくら明日菜に不思議なパワーが湧いていようとも関係のない神速の一撃。

 

「だから何よ! あれだけで私の全てを分かった気にならないで!!」

 

 キンッ、と明日菜は木刀の前に差し出した前腕で無造作に防御した。事もなげに素手で弾いたのに怯む様子が欠片もない。

 

(――――バカな!)

 

 鉄同士を当てあったような硬質な響きと硬い感触に、アスカはこの試合で何度目かも分からない驚愕の叫びを心中で上げた。

 咸卦のオーラが木刀を受けた右腕に集まっている。他の部分が薄くなったのではなく、この部分だけの密度を上げたようにオーラの色が濃い。全力に近いはずのアスカの攻撃が容易く防がれていた。だが、実際には試合開始よりはマシな程度で本気には程遠いと本人だけが気づかない。

 無駄が多い明日菜の攻防の隙を突いて戦いを終わらせることは容易だ。それよりも攻撃気の薄い今のアスカの油断。手加減している中での油断は致命的な隙を生む。

 

「己惚れないでよ!」

 

 動揺するアスカに対して明日菜は冷静に、防御した腕を引いて空間を広げて木刀を掴む。

 

「私は一方的に守ってもらおうなんて思ってない!」

 

 踏み込みながら掴んだ木刀を力任せに引っ張ってアスカの体勢を前のめりにさせる。

 掴んでいた木刀を離さず、後ろに引いてたデッキブラシを振りかぶって間近にあったアスカの胸を打った。

 

「うぐっ!」

 

 打撃されたアスカの身体はバッティングされたボールのように軽々と飛ばされた。突き飛ばされたというより、胸元でダイナマイトが爆発した爆風の圧力で吹き飛ばされたような感覚だった。

 一瞬とはいえ意識を失ったが直ぐに取り戻し、舞台に両足で二本の轍を作りながら舞台端で止まった。数メートルはある轍が今の打撃の強さを物語っていた。咄嗟に手に持っていた木刀の存在を確かめた。奇跡的に木刀は手の中に残っている。

 

「誰が一人で戦ってるって? 誰がみんなを守らなくちゃいけないって? 馬鹿にしないで! 自分一人で全部やってる気になって。私達を馬鹿にしないで!」

 

 明日菜は無造作に間合いを詰めると、頭部を狙ったハイキックを放った。スカートが翻ろうが構わない。気にすることなく蹴りを打ち込む。

 アスカは木刀でそのハイキックを受けた。先ほどの明日菜と同じように魔力を集中して。

 

「――あっ!?」

「誰も馬鹿になんかしてない!」

 

 木刀に蹴りを弾かれた相手の動揺を見逃さずに踏み込む。木刀を持たない方の手で拳を握り、魔力を纏って下から掬い上げるように突き上げる。

 

「がはっ」

 

 魔法の射手なしの、ただの魔力を込めた拳が明日菜の腹に食い込む。身体が浮き上がる。

 本気で放てば咸卦法を発動していようとも容易に明日菜を戦闘不能にできたが、それでなくても十分すぎるほどに手加減して普通の拳で肺に溜まっていた空気だけを吐き出させるだけに終わったのは、今のアスカの甘さと言えよう。

 咸卦法の強力さは分かっていも明日菜に怪我させる危険性を考えて無意識に手加減してしまう弱さがアスカにはある。その甘さも弱さも直感で理解しているからこそ、弱者であると自覚している明日菜は何ら遠慮することなく全力を振るう。

 

(力を……)

 

 無尽蔵に力が溢れ出て来るようでもあった。これには流石のアスカも警戒を強め、追撃することなくザッと後ろに飛び退きながら防御の為に全身の魔力を高めた。

 

(凝縮して……)

 

 明日菜は刹那との訓練で教わったことを実践しようとしていた。制御しきれずに溢れ出していた部分の咸卦の力を練り込んで高めていく。

 

「爆発させるっ!」

 

 着地と同時に、気合の声と共に明日菜は存在が不定形に震え出していたデッキブラシを振り下ろした。

 瞬間、破壊的な咸卦の力が舞台を抉り、木片を撒き散らしながら凶悪な衝撃波と化してアスカに襲い掛かった。当たるとは思っていない。そもそも当たらなくてもいい。放てばいいのだ。それだけでいいのだと、明日菜は確信していた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 衝撃波が巻き散らした粉塵の向こうから、殆ど無傷のアスカの姿が見える。自分の呼吸音がやけに耳に響く。

 確かに一撃を入れたはずなのに、アスカの顔に苦悶の色はない。自分はアスカに打たれた腹がジンジンと痛んで、今にも舞台の上をのた打ち回りたいぐらいだが脂汗を顔全部に浮かべながらなんとか我慢する。 

 

「…………やっぱ、そう簡単にはいかないか」

 

 だが、軽口を叩こうとも明日菜の方が疲労の色が大きい。まるで体中の生命力を根こそぎ使い果たしてしまったかのような疲労感だ。

 

「降参しろ。このまま戦っても勝敗は見えてる」

「まだまだ余裕よ。勝手に人が負けることにしないでよね」

 

 粉塵が晴れてきて、衝撃波が通って舞台の木面を剥がして抉れた後を見ながらのアスカの問いかけに、明日菜自身も同じ結末が見えながらも退く気は毛頭なかった。

 敗北を予見しながらも戦いの続行を望むのは無謀と言われるかもしれないが、明日菜の目的はこの戦いの先にしかない。この事実を受け止めて突き進むのみ。

 

「ちょっとは私を信用して。人を勝手に値踏みしないで」

 

 囁くような、しかしハッキリとした声がアスカの耳朶を刺激する。

 

「アスカは勝手だわ! 私の幸せがどこにあるかなんて、アスカが決めることじゃないのに、どうして一人で決めるのよ」

 

 赤らんでいた明日菜の目に涙が滲んでいた。

 明日菜の瞳が一杯に開かれて、揺れているのを美しいと思った。アスカの唇が何かを呟こうと必死に動くが、言葉は何も出てこない。

 

「アスカが私のことを守りたいと思ってくれてたように、私だってアスカのこと守りたいって、支えになりたいって思ってるのよ」

 

 正面から挑むように、ただ真っ直ぐに意思をぶつける。真っ直ぐな意思に、アスカは何も返す言葉がなかった。

 

「どうしてアンタは何時だって自分を犠牲にして…………勝手に自分を粗末にしないで! アスカを大切に思う人のことも考えて!」

「……え……?」

 

 言われたことが理解できないと呆然としたアスカの顔。

 他人に心配をかけさせるようなことをしていて、誰かに守られることなんて絶対にありえないと、何も言わなくても誰かが自分のピンチを察して助けに来てくれるなんて都合の良いことが起こる訳がないと本当にそう信じている顔。

 そんな小さなことが心の底から頭にきた。

 

「………あ」

 

 アスカは言うべき言葉を失った。ひどくもどかしかった。言いたいことはいくらでもあったのに、思考が堂々巡りする。

 

「いい加減にしてよ! アンタを失えば、それを悲しむ人がいるってどうしてそれに気づかないの? 守ろうとしていた人はどうなるの?」

 

 受け止めたい。けれど、だからなにもかも曝け出せと要求するのは、自分のエゴだと思った。

 

「…………」

 

 明日菜の言葉はアスカの心を深く抉った。なのに自身が傷つけられたというよりも、明日菜を傷つけたという思いが色濃かった。そこにあるのは、罪の意識だ。アスカは自分が、とんでもない勘違いをしていたことを悟り始めていた。

 

「私だって、戦える。私だって、アンタの力になれる!!」

 

 それは完全魔法無効化能力を持っているだとかとかではない。そんな小さな次元の話ではない。例えこの瞬間に全ての力を失って一般人にも劣る力になったとしても、それでも明日菜は同じ事を言えると誓える。

 

「アンタ一人が傷つき続ける理由なんてどこにもないのよ! だから言いなさい、私の名を!! 」

 

 顔を上げ、明日菜は叫ぶように答えた。

 言葉の中身より、今にも崩れそうな濡れた瞳に胸を突かれたアスカは、明日菜から我知らず後ずさる。

 

「な、なんでだ? なんでそこまで俺に拘る?」

 

 全て自分の行為が招いたことだ。受け入れ難い現実を受け止め、それでもこんな選択しかできない自身への怒りを握った拳とは別に、逃げるように足が下がる。

 明日菜は、ただその真っ直ぐな眼差しだけを向ける。

 

「私はね、アスカ・スプリングフィールドという人が好きになったの。英雄の息子とか、他のどんな意味もどうだっていいいのよ」

 

 願いは叶う、努力は報われる、頑張った分だけ幸せになれる、そんな夢みたいな現象を明日菜は信じている。だから、アスカが報われないことが、幸せにならないことが我慢ならなかった。

 

「あんたが善人とか悪人とか関係ない。どんな世界に浸っているかも関係ない。重要なのは私が隣にいるかどうかよ」 

 

 その瞬間、二人は同じフィールドに立っていた。魔法世界の英雄の息子とか、魔法無効化能力の持ち主とか、そんなものとは別の次元で、神楽坂明日菜はアスカ・スプリングフィールドの前に立ち塞がった。

 

「どれだけ暗い世界にいても、どれだけ深い世界にいても私は絶対に諦めない。そこから必ず引き上げてみせる」

 

 アスカとヘルマンの鬼神の如き戦いを、明日菜は覚えている。どちらも、とても恐ろしくて、とても哀しかった。どんな戦いでも少年はボロボロになり、瀕死どころではない身体となった。こうして話せているのが奇跡とも思えるほどの凄絶な戦いを繰り広げてきた。

 

「………………」

 

 アスカの返事はない。もとより、明日菜は返事は求めていなかった。何も考えてやしない。ただ、胸から生まれた言葉をぶつけているだけだ。喉の奥につっかえていた言葉を溶かすみたいに話し続けた。

 

「私が、嬉しいから」

 

 すとんと、当たり前に明日菜は口にしていた。例えつっかえても、強く、胸の思いのままに言う。

 アスカは、答えない。

 

「また話が出来て嬉しいよ、アスカ」

 

 アスカの息が止まった。他愛もない言葉なのに、心臓を貫かれた気がした。痛みよりも、切ない衝撃がずっと胸の内に残った。

 

「アスカに出会えて良かった。話せて良かった。大変だったけど、辛かったけど、今こうしていられるのが嬉しいから、だから、ありがとうって言いたい。それって変かな?」

 

 尋ねた。やはり、アスカの答えはなかった。

 

「もう一人で頑張らなくても良い。ご苦労様、これまで沢山苦しいことあったでしょ。もう大丈夫。アスカは一人じゃないから」

 

 明日菜にぶつけられた言葉に、アスカの中のなにかが、心にのしかかっていたものが文字通り叩き砕かれたように思う。

 

「私にアスカを護らせて」

 

 その力強い意志に、アスカが一瞬身じろぎした。

 

「護る……?」

 

 本来なら滑稽な言葉であった。言った明日菜自身、馬鹿だと思うほどの言葉だったが恥ずかしさに俯きはしない。一瞬でもアスカから目を離したくないというように見つめている。

 

「勝手だって言われても引き下がる気はないわ」

 

 ぎゅっと手を握って、少女が言う。

 

「どうしても、どうあっても、なにが起こっても、どんな過ちだと分かっていても、私はアスカの隣にいたい」

 

 ニコリと微笑んだ。明日菜の、始めて見る顔だった。そして同時にアスカは気づいた。自分が、ずっと見たいと願っていた顔だった。

 何かが音を立てて瓦解していくかのようだった。他ならないアスカ自身の中で始まったその崩壊によって、堰き止められるもののないまま次から次へと感情の波が押し寄せて来る。

 その瞬間、アスカの脳裏を過る失われた人達。

 

「…………駄目だ!」

 

 命を賭けてアスカ達を守ろうとしてくれた人達と同じにさせてはいけないと、せめてものを虚勢を張る。

 

「出来ない。俺には認められない!」

 

 アスカにとって、己の弱さは罪だ。守りたい者に守られるなど、決して許容できるはずがない。そんな惰弱をこそ、アスカは最も嫌う。

 

「護られるだけの俺に、弱い俺に、価値なんてない!!」

 

 神楽坂明日菜は敵だ。例えその行動理由がアスカ自身の幸福を願ったとしても、彼女はアスカが進むべき闘争の道を阻害してしまう。だからこそ、冷酷に徹する。世界の全てを、それこそ守るべき者を敵に回してでも、その守るべきを者を闇から遠ざかると決意したのだから。

 

「もう、終わらせる。こんな茶番を。今度こそ、手加減は抜きだ!」

 

 アスカの全身から魔力が爆発する。今までの比ではない。凝縮し、圧縮し、精錬された魔力は渦を為してアスカに纏わりつく。言った通り、明日菜が全身で感じる威圧感も圧迫感もさっきまでとは段違いに跳ね上がっている。

 しかし、構えられた木刀の切っ先はアスカ自身の迷いを示すように小刻みに揺れていた。

 

「終わらせない。終わらせてやるもんですか!!」

 

 迎え撃つように、明日菜の咸卦の力が増す。

 一転して会場を静寂が支配し、緊張感が高まる。音を立てれば切っ掛けとなって試合が終わってしまうような錯覚さえ覚えるほど、二人の間に張り巡らされた緊張の糸は伸びきっている。

 切っ掛けはなくとも両者が飛び出すその少し前に、望まれない乱入者が明日菜の耳に届く。

 

《さて、殆ど助言をしていないような気がしますが、そろそろ決着でしょう。お助けしますよ》

《いりません》

 

 悠々と念話をしてきたアルビレオに、力を高めていた明日菜はバッサリと切り捨てた。

 

《何故です?》

 

 続けてのアルビレオの問いに明日菜の返答は決まっていた。

 

《この戦いは誰かの力を借りちゃ駄目なんです。私だけの力でやらなきゃ意味がない》

 

 次の一撃は、アスカが真っ向から向かってきてくれる。明日菜はそれに報いたいし、ここに他人の手を入れたくないというのが素直な本心なのだ。

 

《ふむ……なるほど。しかし……それでは勝てない。いいのですか、負けてしまっても》

 

 む、と返す言葉がなくて詰まった。アスカが優しく、そして自分に甘いことはよく理解していた。その好意に甘えていた面もあるし、利用していた面もある。そういう身内に弱い甘さを好ましくも思う。

 しかし、勝負とは本来は非情なもの。感情とは相容れず、ようやく本気になっているアスカを相手にしてこのまま試合を続ければ負けるのは多分自分だろうという直感があった。

 

《それでも勝つんです。でないと、こうした意味がありません》

 

 だからこそ勝利することに意味があるのだと明日菜は言いたかった。上手く言葉で伝えられない語彙の少なさが歯痒いが、これもまた自分だと受け入れる。こういう自分を変えるために、自分の力でアスカに届けば良い方向に変わったと思えるはずだから、アルビレオの手は借りれない。

 

《では言い方を変えましょう》

 

 明日菜の想いとは裏腹に、語彙の豊富や話術の巧みさではアルビレオの方が遥かに上だった。彼女の悩みも苦しみも、彼にとっては瑣末に過ぎないのだから利用し尽くすのみ。

 

《一人で何もかもをやろうとする今のアスカ君を、このまま進ませたら待っているのは破滅だけです。このままではガトウのように、あの子をも失うことになりますよ》

 

 穏やかに重ねられた声に、内奥の圧がまた一段と高まるのが分かった。

 

(失う……?) 

 

 その言葉が脳裏に響いた瞬間、まるで触れること自体が禁忌であるかのように体は震え始め、心に亀裂が生じていくのが判った。

 一年前までは厳重な鍵が二重三重にかけられていた扉は、アスカ達との出会って魔法を知り、関わりを深めていくと共に緩められていった。そしてブラックワードとでも言うべきアルビレオの言霊が契機となって、彼が狙った通りに奇怪な音と共に厳重に閉ざされていた記憶の扉が、轟音と共にこじ開けられていく。

 それはやがて幾重にも重なり合い、轟音となって明日菜を責め立てていく。

 アスナの記憶――。心の深部に封じ込められていた情報が、色鮮やかな映像として眼前に映し出される。それはセピア色に染まることなく、息遣いすら感じられるほどの生々しさで明日菜に迫ってきた。

 

「あああああああああああああっ!」

 

 強制的に脳へと焼き付けられた映像が、神楽坂明日菜には存在しない更なる過去へと誘っていく。

 

『やだ……ダメ、ガトーさん! いなくなっちゃやだ……!!』

 

 これ以上、誰かがいなくなることに耐えられない。そんな、切ない叫びを上げた記憶は明日菜の中に存在しない。

 米神が脈打つように痛み始める。

 心の中に発生した何かは急激に膨らみ続けていた。それはあらゆる方向に触手を伸ばし、明日菜の心を縛り上げていく。

 異常なほど速まる鼓動。加速度的に速まる心拍数。走ってもいないのに息が上がり始めた。血液自体が加熱しているかのように体が火照っていく。いや、そのような生易しいレベルではない。触れたら火傷しそうなほどに熱くなっている。

 

「違う……!!」

 

 しかし、明日菜はアスナを否定する。

 

「!?」

 

 エヴァンジェリンの隣でアルビレオが初めて焦りを滲ませた。場を引っ掻き回すピエロの如く振るまっていた彼が見せた焦りは、それほどに予想外で想定を超える事態を示していた。

 

「この想いは私のものじゃない!!」

 

 明日菜の意志に従って記憶の扉が強制的に閉じる。

 網の目のように広がる情報の奔流を押し留めるべく、同時に明日菜の中に広がっていた記憶が存在を許されずに、甲高い音を響かせながら派手に砕け散っていく。甲高い音を立てながら速やかに全体へと波及し、崩落し始めた。版図を広げていたアスナの世界が瓦解していく。

 そして世界は一変した。

 

「……明日菜?」

 

 突如として叫んだ明日菜に、様子のおかしさにアスカは思わず名を呼んだ。

 彼女の両眼には意志の煌めきが見い出せない。まるで人形のように一切の感情がないように見えた。

 

「……やだ」

 

 人形のようになった明日菜がボソッと何かを呟く。

 一度は広がった情報の奔流が頭の中から消えた影響で、一過性のものではあるが今の明日菜は自分の意志を失っていた。

 今の彼女にあるのは記憶が霞と消えようとも心に鮮烈に刻まれた、大切な人がいなくなる恐怖。恐怖という一色の感情に埋め尽くされた心は、自分が何を言っているのかも理解はしていない。

 

「いなくなっちゃ、やだ」

 

 幼子のように舌足らずで言った明日菜が顔を上げると、いきなりまるで氷が溶けたように目元にじわりと涙が浮かんだ。

 

「え……」

 

 それは言葉を放ったアスカが驚く程に、目元に浮かんだ涙がみるみる巨大になって頬を伝って流れ落ちていく。

 その瞬間、寸刻前までとは比べ物にならないほどの強烈な咸卦のオーラが明日菜を覆う。

 風の唸りにも禍々しい音を響かせるほど咸卦のオーラが鋭さを増し、普通の人間にも見えるほどの高密度のオーラが放出されていた。バケツを引っ繰り返したようにオーラが大きさを広げている。制御・圧縮しようとして果たせず、まるで空気が耐えられずに鳴いているかのようだった。

 

「助けて……」

「明日菜!」

 

 止まらない。否、止まると言う選択肢そのものが存在していないのだ。明日菜の目元に溜まっていた雫が筋の涙となって流れ落ちる。

 今までを遥かに上回る移動速度でデッキブラシを大上段に構え、残像を残して疾走する。その踏み込みは猛牛の如く、剣の重さを最大限に活かして振り落すエネルギーそのものを前進のベクトルへと組み替える体重移動。

 明日菜は大地を横切る稲妻と化す。

 剣とは腕だけで振るうのではない。足から腰、腰から腕と、筋肉の力を十全に引き出し、更には剣自体の重量を最大限に生かして、そのベクトル量を持って立ち塞がる者を叩き潰す。アスカがハッと接近に気付いた時にはもう目の前に大剣が迫っていた。

 咄嗟に反応できたのは正に奇跡。意志よりも精神よりも強くこの状況に対応したのは、強靭なアスカの体だった。理性を本能が凌駕し、生存に向けて本人の意志を無視して動く。

 ガキィ、とこの世にあるどんな音にも該当しない異音がアスカの耳に届く。手に持つ木刀が目の前に掲げられ、動いた身体が明日菜の攻撃を防いだと認識した時には真っ二つに切り裂かれて上半分が目の前を飛ぶのを見た。

 

「私を助けてよ!」

 

 音よりも速くデッキブラシが降り戻る。少女特有の、バネの強さを活かした――――真下に振り下ろされてから鋭角に急転して振り上げられた刃が信じがたい角度を描いて再び放たれる。魔力で強化された獲物を真っ二つにした驚愕に浸る暇もない。もはや手業を使う間もなく、無様に後退する。

 目の前をデッキブラシの先が通過していくのを見て心臓が止まる瞬間を確かに実感した。

 追撃に明日菜が迫る。

 明日菜は右手でデッキブラシを掲げ、左手は刀身に添えるように置かれていた。

 アスカは何故か明日菜の顔を凝視したまま、動こうとしなかった。

 

「明日菜!?」

「明日菜さん!?」

「いけません!?」

「くっ……間に合え!?」

 

 試合を観戦していた木乃香と刹那が名を叫ぶ。

 アルビレオがらしくもなく焦りの声を上げながら腕を構えた。明日菜の異変を会場中の誰よりも気にかけていた高畑もポケットに手に入れた何時ものスタイルから力尽くで止めようとする。魔力の殆どを封印されているエヴァンジェリンは成す術もなく死神に魅入られた少女の名を呼んだ。

 誰もが間に合わないスピードで、明日菜のデッキブラシがアスカに向けて叩き潰さんと迫る。

 木乃香と刹那が動けず、アルビレオと高畑の助けは間に合わず、エヴァンジェリンが無力を噛み締め、アスカが叩き潰されるだけの未来。訪れる結末は変えようがなく、どんな奇跡が起きたとしても死は避けられない数秒先。

 アスカの力を信頼し、明日菜の状態に困惑し、状況についていけなかったことなど言い訳にもならない。明日菜が異変を起こした時に介入すべきだった怠慢を、未来ある二人の命をもって思い知らされるしかないのか。

 

「あ」

 

 咄嗟に目を閉じてしまった木乃香だったが、何時まで立っても覚悟していた音はなかった。

 それとも、自分の耳は現実を忌避して音を拒絶してしまったのかと疑った。

 反射的に閉じていた瞼が開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。

 

「え?」

 

 決着はついていた。ただし、想像していたのとは全く反対の光景でだ。

 振り下ろされたデッキブラシをその手に掴み、持っていた木刀の下半分を明日菜の喉元に突きつけているアスカの姿。

 

「ふぅ」

 

 その光景を見たアルビレオは静かに上げていた手を下ろし、高畑は時が止まったように固まっていた。木乃香は二人が無事だったことに安心して口元に当てていた両手を震わせて涙を浮かべ、刹那とエヴァンジェリンは深い安堵の息を漏らした。

 あわやというところで大惨事が起こりかかった会場は静まり返っていた。

 時が緩やかになったかのような錯覚を覚える空間を破るように、無言で立ち尽くしていた明日菜が体勢を崩す。手に持つデッキブラシを手から取り落とし、前のめりに倒れていく。

 

「おっと」

 

 アスカは一歩前に踏み込んで倒れ込む明日菜を受け止めた。

 抱きしめられた明日菜は、縋りつくようにアスカの背に手を回す。

 

「いなくなっちゃ嫌なの」

 

 自分が何を言っているかも、何を求めているかも分かっていない。ただ衝動に駆られた言葉が口から溢れ出していた。

 

「傍にいて」

「……ッ」

 

 背中の部分の衣類を強く掴みながら涙交じりの明日菜の懇願に、息を止めたように詰まったアスカは胸元にある彼女の頭を撫でながら穏やかに笑って答える。

 

「俺は此処にいる。明日菜は一人じゃない。俺が一緒にいるから」

 

 迷子の子供が長い時間をかけた果てにようやく見つけた親に縋りつくように求めて来る明日菜を宥めるアスカの顔は、一歩間違えれば死んでもおかしくなかったというのにひどく穏やかだった。

 この腕の中にある温もりが確かな実感をアスカに与える。

 意識を失ったらしく、全身から力が抜けていく明日菜の体を支えながらアスカは天を見上げた。空には太陽が燦々と輝き、雲は少ない。

 

「畜生、泣くなんて卑怯だろ」

 

 誰に言うでもなく噛み締めるように重く呟かれた言葉を聞いた者は誰もいない。舞台外にいる者達には声が小さすぎて聞こえない。アスカの胸の中にいる明日菜は意識を失っていて聞こえていない。

 アスカが呟いたその言葉にどれだけの想いが込められているのか、彼女達は知らない。アスカも知ってほしいとは思わないだろう。想いは語った本人の心の底にあるだけでいいのだから。

 色々なことがありすぎたがここでようやく和美も我に返った。審判として話を進めなければならない。

 

『えーと、何時の間にやら勝敗がついたようです。試合はアスカ選手の勝利です!!』

「試合はな。それ以外は明日菜の勝利だ」

 

 勝利の鍵は女の涙だと、楽しげにエヴァンジェリンは笑った。

 

 

 

 

 

 気を失った様子でお姫様抱っこで抱えられた明日菜がアスカに運ばれていく。選手控え席の脇を通っていく二人の様子を見ていられないと顔を背けた高畑を横目に見たアルビレオは静かに安堵の息を吐いた。

 

「先程の焦りようを見ると、全てが貴様の計算通りとはいかなかったようだな」

 

 アルビレオの様子に逸早く気がついたエヴァンジェリンが揶揄するように突っ込んだ。

 ナギや紅き翼の面々よりももっと前に二人は出会っていた。遥かな昔に出会った時からアルビレオはこんな性格で、特にナギへの好意を知られてからはエヴァンジェリンは何時も弄られてきた。意趣返しというわけではないが、この事態を引き起こした大元がアルビレオにあるので優しくする必要は感じていない。

 

「危うく計算違いという一言で片づけられる範囲を超えるところでしたよ」

 

 名実共に策士であるアルビレオにとっての誤算は、今の明日菜の状態を計り損ねたことにある。アスカとの絆が切れかけているところに、大切な人がいなくなる恐怖は実感がありすぎた。既に表面化した感情を逆撫でした結果が暴走なのだから笑えない。

 危うく明日菜に本来なら必要もない罪を負わせたかもしれないと思うと、さしものアルビレオも背筋にゾッとしたものが走る。草葉の陰からガトウに恨み言を言われそうな予感が走ったからだ。

 

「思春期の女の心を貴様のような男が計れるものか」

「これは耳が痛い」

 

 アルビレオは何も言い返さず大人しく意見を拝聴した。

 

「女の涙に勝てる男などいない、ということは分かっていたつもりだったのですが。いやはや、現実は想像の斜め上をいくものですね」

「だろう」

 

 六百歳のエヴァンジェリンが語るには少しおかしいところもあるが、彼女の現在の身分は明日菜達と同じ中学三年生の女の子。どのような言葉を取り繕ったところで今はアルビレオが言い負かされるのは目に見えている。

 

「ですが、多少の計算違いはありましたが結果は想像していた以上です」

「あのような暴走がか?」

 

 エヴァンジェリンとしてはアルビレオが何を考えているのかが読み切れない。そもそも彼と高畑、この場合は紅き翼の面々が共有している情報を彼女が知らないからこそそう思うのだろう。肝心要の情報を知らないからこそ踊らされる。

 

「いえ、この結果にですよ」

 

 微笑は変わらず、アルビレオは歌うように続ける。

 

「彼は姫君の寵愛を受け、応えた。ふふ、ようやくスタートラインに立ったに過ぎない、まだまだ資格以前の問題ですが嬉しい誤算というやつです」 

 

 ふふふ、と何時もよりも三割増しの笑みで、人の心の襞へ直接訴えかけるかにも思える繊細で柔らかな、何かの魔術書でも読み上げるかの如くアルビレオの声が響く。

 失敗を悔やむのではなく、その中から得を見つけて次へと繋げる。失敗ばかりに拘っていては先に勧めない。策士としては必須のスキル。流石は紅き翼の参謀として世界を相手にしたこともあるだけあって、当然のように身に着けている。

 だが、エヴァンジェリンにとってアルビレオの思惑などどうでもいい。望みは唯一つ。ついでに興味本位を付け足して二つ。

 

「それより情報は?」

「まぁ、積もる話もありますから学祭後にでも」

「ふざけるな!」

 

 自分で分かるぐらいにソワソワしながら聞きたかったことを問えば、返ってきたのははぐらかすような返答。これ以上は煙に捲かれた堪らないと激昂する。

 アルビレオとしては色々と込み入った話もあるので、このような衆人環視の中で話すのは避けたいところだったのが彼女はそうもいかないらしい。

 

「やれやれ十五年も待ったのですから二、三日くらい待てないのですか? どれだけナギのことが好きなのですか」

「う、うるさいっ……」

 

 こうして改めて他人からナギへの好意を指摘されると恥ずかしいものがあったエヴァンジェリンの勢いが目に見えて下がった。

 

「それでは今は簡単に結論だけを申し上げましょう」

 

 ナギの行方には高畑も興味が湧いたのか、顔を向けたのがエヴァンジェリンの視界に映ったが今はどうでもいい。十五年も追い求めている男の情報に比べれば今は他の全てが瑣末に思える。

 

「――――ナギは今も生きています。それは私が保証しましょう。しかしエヴァンジェリン、あなたが求めている彼と再び会える日は来ないでしょう」

 

 浮かべていた微笑を完全に消し去り、先程の暴走していた明日菜ですら目に感情が宿っていたのに、今のアルビレオは全てが人形染みた空虚に満ちていた。

 嘘ではない、とエヴァンジェリンの直感が告げている。アルビレオは真顔で平気で嘘をつくが、本当のことを言っている時とそうでない時の区別はつく。今は嘘をついていない時だ。

 

「ネギ君は正しかった訳だ……」

 

 高畑がポツリと呟く。六年前にネギから直接ナギに助けられたという話を聞いた高畑は、彼がナギの杖を持っていようともどこか信じられない面があったのだろう。

 

「…………ふん、お前のくだらん予言など、どうでもいい」

 

 意味深なことを言っているがナギに最も近い位置にいたアルビレオが生存を保証したのだ。生きていることが分かれば、エヴァンジェリンは不死者。ナギが生きているのなら何時か必ずどこかで会える。不死者の特権を活かせば、年寄りになるまでに探し当てたらいい。

 

「では、これ以上の話はまた学祭後に、明日菜さんのことも。お茶を用意してお待ちしていますよ」

「ん? 貴様、いまどこに?」

 

 高畑に向かって「ずっとこの下で休養してきて身動きが取れなかった」と言っていたので麻帆良にいたことは分かるが具体的な場所は一言も言っていない。下と言っているだから地下か何かと予測する。

 

「アスカ君達が知っていますよ。入り口まで来ましたからね」

「もしかして地下の竜は貴様のか」 

「ええ、門番をしてくれているファフニール君です」

 

 中世ドイツの英雄叙事詩「ニーベルングの歌」に登場する宝物を守護するドラゴンの名を付けていることに、エヴァンジェリンは呆れと共に突っ込みを入れる気力を失った。

 

「しかし貴様の目的は何だ?」

「目的、とは?」

「貴様ほどの奴がこんな大会にまで出場して、わざわざ表立って動く理由だ」

 

 アルビレオ・イマほどの男がこの大会に出場する理由を見つけられなかった。

 アルビレオなら出場しなくてもさっきのようにいくらでも暗躍できる。表に立つよりは裏で動く方が性に合っている男が表だって動いていることの不自然さを問わねばならなかった。

 

「その問いに対する答えは賭けの掛け金には含まれていませんが、折角会えた昔馴染みですから特別に一つだけ無料で教えて差し上げましょう」

「一々ムカつく言い方だな」

 

 何時の間にやら消していた薄ら笑いをまた浮かべていて、神経を逆撫ですような話し方に変わり方はない。エヴァンジェリンの額に青筋が浮かぶ。

 いい加減にアルビレオの相手をすることに我慢の緒が切れかけてきたエヴァンジェリンの脳裏に、再びの実力行使の四文字が浮かんでいた。

 

「貴女は本当に変わりませんね。ああハイハイ。そんなに睨まないで下さい」

 

 更にからかわれて堪忍袋の緒が切れかけている察知したアルビレオは、彼女の気持ちを解すように手を振る。

 本題に入ることを示すようにコホンと咳払いをして話し始めた。

 

「私がこの大会にわざわざ出場したのは十年前にナギとした、まだ見ぬ子供達に向けられた約束を果たす為です。ネギ君は駄目そうでしたのでアスカ君には強制的に出てもらいました。私としてはどちらでも良かったのですが、どちらかには出てもらわないと私が出場する意味がありませんから」

 

 アルビレオは一見害意のないにこやかさで言ったが、彼の性格を知るエヴァンジェリンと高畑は眉を顰めた。アスカを出場させるために碌な方法を使わなかったと簡単に推察できたからだ。

 

「ナギとの約束だと? もしや良からぬことを企んではいないだろうな」

 

 エヴァンジェリンが思慮深い面持ちでクウネルを睨み上げる。さっきまでとは様子が違う。六百年を生きた観察眼を向けて、アルビレオの言葉の裏を探ろうとしていた。

 

「神と名誉に誓いましょう。信用して下さって結構ですよ」

「詐欺師を信用できるか、ボケ」

 

 信用しにくい相変わらずの胡散臭い笑顔を向けるアルビレオをバッサリと切って捨てるエヴァンジェリン。

 

「手厳しい。他人の心配をするようになって優しくなったと思ったのですが」

「ぬっ」

 

 それでもやはり話術ではアルビレオの方が一歩も二歩も上手だった。切り返されて、言葉に詰まる。易々と腹の底を見せる相手ではないのでやりにくいことこの上ない。

 

「悪いようにはしません」

 

 そうは言っていても信じ難いのがアルビレオの胡散臭さにはある。エヴァンジェリンは信じられぬと言葉よりも分かりやすい疑わしげな表情を浮かべた。

 

「私は、ただ確かめたいだけなのですよ」

 

 十五年前にはなかったエヴァンジェリンの素直すぎる感情の発露に、過ぎた月日の流れと光の世界が変えた影響にアルビレオは頬を綻ばせずにはいられなかった。

 閉じ込められて鬱屈していようと、来ないナギを罪を犯さずに待ち続けて表の世界で生き続けたことは確かな意味を持つ。だからこそ、ナギの願いとエヴァンジェリンの望みを阻まずにはいられない己を呪う。

 

「――――アスカ君が我らの跡を継ぐに足る資格があるのかどうかを」

 

 観客の大きな歓声によって、続いたアルビレオの言葉は誰の耳にも届くことなく消えていった。

 これもまた誰にとって良きことだったのか、悪い事だったのか、きっと言ったアルビレオ本人にも、いるかどうかも分からない神様にだって分かりはしない。

 

「いま何と言った? おい、アル――」

 

 前からくる突風に目を閉じてしまったエヴァンジェリンが瞼を開けた時、アルビレオの姿は全てが夢幻の幻の如く霞となって消えていた。

 




最初は上から言って、下から言って、最後は泣き落とし。
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