龍宮神社の拝殿内にある『臨時救護室』は客を迎えていた。
客は唯一のベッドに寝かされている神楽坂明日菜。完全に意識を失って気を失っている。
「気を失っているだけね。怪我をしているわけじゃないから安静にしていればその内に目を覚ますでしょう」
この部屋にいる二人目の人物、白衣を羽織って眼鏡をかけたまだ二十代半ば程の若い女性保険医が診察結果を伝える。
この武道会が開催されるに当たって学祭実行委員会から派遣されて『臨時救護室』に常駐している、麻帆良女子中等部の保険医で気さくな人柄で生徒からの信頼も大きい。
女子中等部校内のスクールカウンセラーも兼ねていて、学校生活に馴染めなかった者や問題を抱えた生徒達の多くが彼女に救われてきた。
「良かったぁ。最後なんか様子がおかしかったから心配してたんです」
女性保険医の診察にベッドから出された明日菜の手を握り、安堵の溜息を漏らしたのは部屋にいる三人目の人物。明日菜を心配して『臨時救護室』に駈け込んで来た近衛木乃香である。
試合終盤の明らかに様子のおかしかったことに、攻撃を受けたわけでもないのに眠っていることに、このまま目覚めないような恐怖を覚えていた。
二年と少し前、中学生になって麻帆良に来た木乃香はやはり不安だった。環境が関西から関東に変わり、料理の味付けから違うので同じ国でも価値観が微妙に違う。久方ぶりに会った刹那が素っ気ない態度を取ってきたのも重なって不安が強かった。
上手くやっていける自信を早々に失くした木乃香を救ったのが女子寮の同室になった神楽坂明日菜だった。
木乃香と違って麻帆良でずっと過ごしていた明日菜を通して多くの縁が繋がり、彼女の天真爛漫さに勇気づけられて自分からも足を踏み出せた。二年少しを共に過ごした明日菜を親友と呼ぶことに違和感はなくなっていた。刹那と仲直り出来た今でも明日菜が親友であることに変わりない。
「良かったです」
木乃香に同意するように頷いたのは部屋にいる四人目の人物。木乃香の肩に手を置いていた、明日菜と対戦した桜咲刹那その人である。
明日菜の異変を誰よりも間近で感じていただけに安堵もまた一入であった。重い肩の荷を下ろしたように深い息を吐いた。
剣術の師と弟子、守る人を同一とする仲間、色々な側面を持っていても短い期間ながらも濃厚な時間を過ごしてきた、木乃香と同じように恥ずかしながらも親友と呼べる友の安全が保障されて喜ばないはずがない。
「悪かったよ、迷惑かけて」
部屋にいる五人目は、当然ながら明日菜をここまで連れて来たアスカ・スプリングフィールド。
明日菜を心配していたという意味では、行動で誰よりも気持ちを示した。
暴走した明日菜をその身を張って止め、服を掴まれたまま気を失ってしまって離れなかったので、お姫様抱っこで『臨時救護室』まで運んだ張本人である。
診察の為に胸元の衣類を開けることもあったので衝立の向こうに一人で待機していたアスカは、長く長く深い深い息を吐いた。
「明日菜が目覚めるまで付いててええですか?」
「いいわよ。それじゃ私は他の試合の様子を見に行くからお願いね」
明日菜の手を握っている木乃香の言葉に保険医はあっさりと頷く。
ベッドで寝ている明日菜は怪我をしているわけでもないので、悪い言い方だが放っておいても問題はない。が、気絶した原因が判然としないので様子を見る必要がある。それも木乃香がいてくれるなら問題があった場合だけ報告してもらえばいいので保険医が傍に付いている必要はない。
格闘大会なので試合中に怪我をしてしまうことはままあることで、この大会で常駐している保険医は彼女唯一人。もし選手が試合中に怪我した時、怪我をする瞬間を見ていれば、『臨時救護室』に来てから話を聞いて治療する手間や苦労が大分変わる。
「選手控え席の近くにいるから何かあったら呼んで頂戴」
「はい」
保険医は木乃香の返事に頷き、『臨時救護室』の襖を開けて出て行った。
襖を閉めた音が残響として部屋に響き、眠っている明日菜は当然として木乃香も刹那もアスカも口を開かない。
二人と独りの間には一か月前から出来てしまった壁がある。アスカからも、少女達からも、やはり思うところがあるのだ。暫しの間、部屋を沈黙が支配する。
最初に静寂を破ったのは眠る明日菜の顔を見下ろしていた顔を上げて木乃香だった。
「明日菜、どうしたんやろう」
木乃香の疑問は当然だった。保険医は試合で動きや観客達からのプレッシャーによる疲労による気絶と診断したが、どう考えても気絶前の暴走は異常だった。
二年以上を共に過ごした木乃香ですら見たことのない狂騒。この短期間に刹那にも迫ろうかという実力の上昇と技法は不審を抱かせるに十分だった。
「あのクウネル・サンダース選手が何かをしたことは間違いないです。でも、なにをしたかまでは私にも皆目見当がつきません」
見上げる木乃香の視線に刹那は緩々と首を横に振った。
その疑問に対する答えを知っていそうな、または明日菜をこうさせてしまったかもしれない人物に心当たりがあった。クウネル・サンダースと偽名臭過ぎる名前だが、いくつもヒントを散りばめていたので正体におおよその予想はつく。
「エヴァンジェリンさんがアスカさん達の父親の友人の一人と言っていました。つまりはお嬢様の父君詠春様のご友人ということになります」
「お父様の友達なら変なことをしたと思いたくないなぁ」
木乃香としては父の友人を証拠もなしに無闇に疑いたくはない。信頼は出来るはずだと思いたかった。
いっそのことエヴァンジェリンが間違っていて、その友人に扮している偽物っていう方が、この摩訶不思議な出来事を起こした原因であるとモヤモヤした感情の捌け口にも出来たものを。
「奴の名はアルビレオ・イマ。間違いなく詠春のおっさんと同じ紅き翼に所属していた一人だ。性格が悪いとしても英雄の一角だよ」
衝立の向こうから降ってくる声に、顔を見合わせていた木乃香と刹那は揃って僅かに肩を落とした。
どうしてアスカがクウネル・サンダースの本名を知っているのかは定かではない。理由はどうであっても、正体が保障されてしまっては感情の行き先がなくなってしまった。
蟠って沈殿していく空気の重さを振り払うように、襖を突き破るような歓声が外から聞こえて来る。
「どっちが勝ったんやろう」
「タカミチだろ。相手は気を使えるみたいだが、タカミチが負けるとは思えねぇ」
木乃香の疑問にすらなってない言葉に、答えたのは珍しく刹那ではなくアスカであった。
刹那はあの時に見た高畑の目が忘れられない。やる気を漲らせているのではない。ただ一つのことに目が行って、他のことは何も目に入っていないような高畑の目に共感を得てしまった刹那の背筋に鳥肌が立つ。
自分はもうあの頃には戻れない、と隣にいる木乃香の熱と近くにいる明日菜の存在が引き止める。
(…………私は、弱くなっている)
戦士としての桜咲刹那が総合的な意味での自己評価を冷徹に下す。
実力的なものでいえば確実に上昇している。年月によるものや、明日菜に教え、エヴァンジェリンの従者チャチャゼロとの修行で強くなっていると言える。だが、一つの戦士として見たら完成度は間違いなく落ちている。
大切な者が増えたから、大切な時間があったから、刹那は甘く弱くなってしまった。一年前までに持っていた刀のような抜き身の殺気は、木乃香と仲直りして明日菜という親友を持った今ではもう放てない。
人として充足されるほど、戦士としての心が弱くなっていく。甘さである。弱さである。どうしようもなく桜咲刹那は弱くなってしまった。
この大会に出場するかどうかの是非はともかく、一年前の抜き身の強さを持っていた刹那なら或いは月詠にも、ヘルマンが襲ってきた時にも不覚を取らなかっただろう。
(ああ、私は……)
人としての自分と、戦士としての自分を両立することが出来ないのではないかと嘆かずにはいられない。
「せっちゃん!」
「あ、はい!」
自分の殻に閉じこもりかけていた刹那を呼び戻したのは木乃香の声だった。
強い声に驚いて返事をして内側に向けた意識を外に向けると、椅子に座っていたはずの木乃香が目の前に立っていて、衝立の向こうにいたはずのアスカがベッドの直ぐ近くにいた。
木乃香は頬を膨らませて怒りの感情を露わにし、アスカは呆れたように少し笑っていた。
「もう、何度も呼んでんのに返事どころか反応もしてくれへんなんて、せっちゃんはうちが嫌いなんや」
「い、いえそんなことはありません。ちょっと考え事をしていて」
プンプン、と擬音がつきそうなぐらいに怒りを露わにしている木乃香に、上司に叱られている部下に誠心誠意の気持ちを込めて頭を下げながら謝る刹那に、そんな二人を一歩下がった位置から楽しそうに眺めるアスカがいた。
「じゃあ、うちのこと好きって言って」
「え、え~!?」
爆弾発言を求める木乃香に、飛び上がった刹那は目をあちこちにやって挙動不審になった。
頭の中ではどうやってこの事態を回避するか高速で回転しているが、元よりバカレンジャー予備員に数えられている刹那。典型的な戦闘員である刹那が歴史に名を残す名軍師のように一発逆転の策を簡単に思いつくはずがない。
「やっぱり嫌いなん?」
胸の前で拳を重ね合わせてウルウルと瞳を潤ませる木乃香に、刹那の心に盛大に極大の針が何本も突き刺さる。
良心が痛んで、ウッと胸を押えてよろめいた刹那に取れる選択肢は限られていた。
「す、好きです……」
ボソリと触れるほどの間近でなければ聞こえない声で答える。
「うちもせっちゃんのことが好きや!」
「お嬢様……!?」
「ちゃうちゃう、このちゃんやろ」
ちゃんと聞き逃さなかった木乃香が刹那に向かってダイブする。ジャンプして飛び込んできた木乃香を危なかしく受け止めた刹那に、呼び方が違うと人差し指を彼女の鼻先につけた木乃香が凄む。
やがて観念した刹那が頬を真っ赤に染めて「このちゃん」と呼ぶのを聞いた木乃香が更にハッスルするのを見届けたアスカ。小動物的に盛大に可愛がられている刹那を横目に、これだけの騒ぎに関わらずベッドで眠り続けている明日菜を見下ろす。
「俺は、此処にいてもいいのか?」
明日菜から問いの返事は返ってこない。だけど、寝ている明日菜はアスカに此処にいてほしいのだと、思い込みだとしても言っているような気がした。
『Aブロックが終了し、Bブロック第一試合も終わりました! 続きまして今大会屈指の好カード。Bブロック第二試合を行いたいと思います』
本選に出場している選手の殆どが舞台に上っている。まだ舞台に上っていない選手はただ二人。舞台へと向かう道を挟んで拝殿から見て左側に二人はいた。観客達の視線はその一人に集中していた。
「次は私達の番アルネ」
「ああ」
次の試合は古菲と龍宮真名の試合である。
呼ばれる前に動き出した二人は舞台に向かって並んで歩く。真名が少し観客の騒がしさに閉口している様子ではあったが、二人とも試合に対して余計なプレッシャーは負っていないように見えた。
古菲は拳法服のスリットがちょっと開き過ぎじゃないかと思うぐらいの恰好で、下半身だけ少し露出気味に思える。
明らかに古菲と同じ歳には見えない長身の真名は、彼女とは反対に極端に露出が少ない。上半身を覆う飾り気の無いコートを着て長ズボンを履いているので露出しているのは手と顔部分だけだ。
「古」
腰に右手を当てながら歩く古菲に、楓が話しかけた。
「――――先に行っているぞ、古」
「うい」
空気を読んだ真名が先に行き、袖の中に重ね合わせるように両手を入れた古菲が答える。
「真名とは拙者が戦りたかったでござるが――――勝てるでござるか?」
「うむ、無理ネ」
先に行った真名を見送ってから聞いてくる楓の問いにはっきりと言い切る古菲。
「真名は銃使い。試合では銃は使えないでござるよ?」
このような大会で真名がルールの都合上で銃を使えないならば、勝機はあるのではないかと楓は問いかける。
「真名は本物の戦場を潜り抜けているアル。実戦経験に大きな差があるし、その程度のことはハンデにならないと思うアル」
「確かにどう転んでも真名の勝ちでござろうな」
「ハッキリと言うアルな」
達観したような古菲の意見に楓も同調する。苦笑いを浮かべた古菲もその同調を否定しなかった。
「この一ヶ月で信じられないぐらい腕を上げているのは、発している空気で分かるアル。どんな奇跡が起こっても百戦やって九十九回は負けるアル」
一般の観客からしてみればウルティマホラの優勝者である古菲の方が上という見方が大勢を締めているが、当人でさえ断言したように実力差は隔絶している。得意としている武器を持っている持っていないで変わる実力差ではないのだ。
「分かってるアル。巷で武道四天王と呼ばれていても私が一番弱いことは」
麻帆良に来てから師の教えも受けずに、我流で他にも手を出している。気も認識したが扱えているとはいえない。どちらも中途半端な状態にいる自分を古菲は誰よりも正しく評価していた。
「…………」
これには楓も何も言えなかった。事実だったからだ。
もし武道四天王で戦ったら、古菲は他の三人に絶対に勝てない。三人とも何からの形で裏の世界に関わっていて、古菲が無意識にしか使えない力を使いこなしているに過ぎないからだ。
故に古菲は最弱なのである。世界が広がってしまったからこその弱さ。
対する真名の戦闘力は本物の戦場を潜り抜けてきた本物。
この一ヶ月で更なる修羅場を超えたきた彼女の力は、刹那や楓を凌駕する位置にいる。今、四人で殺し合いをすれば、最後に立っているのは間違いなく彼女だろう。
衆目の中で、真正面からの試合だからこそ勝率はまだ残っているという程度。どんな奇策を用いたとしても、このような場所ではたかが知れていて十分に対応できるだけの経験と技術を真名は持っている。
「けど、私は嬉しいアルよ。この学園に来るまでは、私は本気で戦える相手がいなかったアルね」
大人と子供以上の力の差があるからこそ、古菲は挑戦者のつもりで戦うことが出来る。その時の古菲が浮かべていたのは正に求道者の顔だった。
「対戦相手が真名で良かったアル。真名と戦えば私の答えが解るはずアルね」
「答えとは?」
楓の問いに古菲は黙して語らず、帯を舞わせて颯爽と真名を追って舞台へと向かった。
『お待たせしました!! お聞き下さい、この歓声!!』
古菲が舞台に上がると、マイクを通した和美の声が広がらないほどの次の試合を待ち望む観客達の歓声が広がる。和美も観客に負けじと声を振り絞る。
『本日の大本命、前年度ウルティマホラチャンピオン!! 古菲選手!!』
両の拳をしっかりと握り、だが全身に力を込め過ぎないように注意しながら舞台で真名と相対する古菲の名が呼ばれる。同時に古菲を慕う無類の男達が歓声を上げて名を呼ぶ。
『そして対するは、ここ龍宮神社の一人娘!! 龍宮真名選手!!』
ロングコートを羽織った真名のどこにも緊張の色は見られない。これだけの観衆に囲まれて目の前の相手よりも期待されていなくても、緩やかに笑みすらも浮かべて立っている。
お互いに同級生という見知った相手だから余計な気負いもなく、ある意味で適度にリラックスしていた。
「…………いいのか? ここで私に負ければお前のファン達がガッカリするぞ」
観客席を一通り見回した真名が忠告のように、古菲にだけ聞こえるように静かに呟く。
状況的に観客達から一斉に湧き上がる古菲コールから見て、真名が悪役なのは間違いない。サッカーを例に挙げると、ホームとアウェイで試合をしたら圧倒的にホームの方が勝率が高い。
アウェイに乗り込んだスポーツ選手のような居心地の悪い環境でありながら、尚も不敵に嘯ける神経こそが驚嘆に値する。
「名声にこだわりは無いアル。それよりも真名、手加減などするでナイヨ?」
「無論だ。元より戦闘における私の選択肢に、手加減等という物は無い」
古菲が中国武術独特の構えを取り、真名が足を開いて僅かに腰を落とす。
『それでは一回戦第八試合、Fight!』
二人が互いに構えを取った所で和美が叫んで、遂にこの大会の中で最も注目を集める大本命の試合が始まる――――と同時に、パンッという風船が破裂したような音と共にいきなり古菲の頭部が後方に反り返った。
拳銃で撃たれてように後ろに倒れて、小さな体が棒切れのように舞台を転がっていく。意識を失ったように手足を力なく垂らせて押された勢いのまま五メールを無様に転がって、舞台の端ギリギリでようやく仰向けで止まった。
一方の真名は西部劇で銃を早打ちしたように体勢でいたが、日本の武道および芸道において用いられる残心を解いて腕をダラリと下ろした。
『あ……』
後少しで舞台から落ちるというところで止まった古菲を目前で見送っていた和美が、あまりにも予想外な展開に思わず審判にあるまじき声をマイク越しに会場に響かせてしまう。
和美の声が大きく響くほど、歓声を上げていた場内は一瞬にして静まり返って物音一つも消えたようだった。
『こ……ここ、これは一体――ッ!? 開始早々、突然、古菲選手が吹き飛んで……!?』
わっ、と湧き上がった観客達のどよめきのような声に後押しされるように、眼の前の惨状に驚きながらも和美は見事なプロ根性を発揮して実況する。
実況を続ける和美の直ぐ近くに澄んだ音を立てて何かが落ちた。
『こ、これは五百円玉!?』
一度舞台に落ちて跳ね上がってコインのような形の物の正体を見下ろした和美の声が会場中に響き渡る。
『――――今のは羅漢銭ですね』
『羅漢銭とは何でしょうか、解説の豪徳寺さん』
続いて響き渡った和美ではない声が二つ響き、観客達の視線が発生源を探して彷徨う。
発生源の近くから集まって徐々に会場中の視線を集中したのは、観客席と銘打たれたプレートが置かれた机とマイクが置かれている場所。本選に出場していて高畑に瞬殺された時代遅れのリーゼントとヤンキーファッションも記憶に新しい豪徳寺薫と、絡繰茶々丸である。
試合に負けた豪徳寺に、各試合で仲間達に見事な解説していたのに目を付けて、大会運営委員をしている茶々丸がスカウトしてきたのだ。
『中国の暗器の一種で、平たくいえば銭形平次の銭投げです。どこにでもあるただのコインを投げるだけの技ですが、達人は一息に五打撃撃つそうですから侮れません。しかも、今のは頭部直撃じゃないでしょうか? 危険ですね――』
頬にガーゼを張った薫が生き生きと、どこで仕入れてきたのか物知り知識を初めてとは思えない饒舌さで嬉々として解説する。
『成程。以上、解説者席でした』
クールな茶々丸と熱血の豪徳寺の組み合わせは良かったようで、観客への浸透具合は上々だった。何故か場所的に茶々丸の真横にいた千雨が疑問符を盛大に浮かべ、ネギらが感心した顔を浮かべていた。
豪徳寺の解説でようやく観客達にも真名が西部劇で銃を早打ちをしたような姿勢でいるのか、古菲がどうやって斃されたのかが解った。観客達には古菲がどうやって攻撃されたのか分かっていなかったのだ。
『は、ハイ! し、しかしこれは……』
八百長など以ての外なのでわざと負けられたらそれはそれで困るが、司会兼審判をしていて大会側の人間である和美としては古菲が圧倒される展開は望んでいなかった。
こうなってしまったのだから古菲を瞬殺してしまった真名のあまりの強さに舌を巻くしかない。
「起きろ、古。自ら後ろに跳んで衝撃を緩和したのは見えている。ダメージはないんだろ」
トトカルチョ人気No1の古菲からアッサリとダウンを奪って、賭けていた食券が飛んだ者達のブーイングが飛んでも真名に気にした様子はない。何故ならまだ勝負はついていないから。
「…………いや、痛かたアルよ。ホントに容赦ないアルネ。流石真名」
和美のカウントが「9」を数えたところで、死んだように舞台の上に寝転がっていた古菲が動いた。ブレイクダンスのように足を振り回して、後頭部の後ろに手をついてヘッドスプリングで飛び上がるように起き上がった。
「下手な芝居をするな。周りが面倒だ」
「芝居ではなく、本当に意識が飛んだアル。起きなかったのはちょっと気絶していたからアル。気が付いたのは本当にさっきヨ」
危なげなく起き上がった古菲の額には赤々と五百円玉の跡がクッキリと残っていた。眉間の間に綺麗に残った跡と先程の風船が割れたような衝突音を合わせて考えれば、自ら後ろに跳んで衝撃を緩和したといっても限度がある。十秒以上経っても痛みが引かないことが威力を証明していた。
ギリギリの9カウントまで起きなかったのは、短くとも回復に費やす時間を稼ぎたかったのか。
「これからは周りの遠慮はせんから下がっておいた方が良いぞ、朝倉。そこは私の射程範囲内だ。流れ弾が飛んでいっても責任は取れんぞ」
「ん、了解」
起き上がった古菲に飛ぶ歓声の中で、彼女がしっかりと立っているのを見て満足そうに微笑した真名が忠告とも取れる発言を舞台脇にいる和美に向ける。和美も出場している同級生達が桁外れなのは実感しているので、大人しく言葉に従った。
あまり真名とは交流が深いわけではないが冗談を言っている時とそうでない時の表情の違いぐらいは分かる。今は真面目に言っている時の顔だ。
巻き込まれては叶わない。言葉に従って舞台から下がって選手控え席まで下がる。
「さあ、来るアル」
「遠慮なく行かせてもらおう。耐えて見せろよ、古。直ぐに終わってはつまらんからな」
戦意も高らかな古菲の言葉に応えたのは、完全に上から見下ろす真名の返答だった。
「上等!!」
実力差からいって見下されて当然。古菲は声を大きく上げることで少しでも戦力差を埋めようとした。
古菲が膝を曲げて踏み込もうとした途端、左手で右腕の肘の内側を軽く叩くと何かで止めてあったのか服の袖から束になっている五百円玉硬化が現れた。
人差し指と親指以外の三指で硬貨の束を受け止め、親指と人差し指で弾いて手の平に垂直に立たせる。神速の速さで硬貨を一枚弾くまでに要した時間は瞬きにも満たない。
魔力で強化された指で弾かれた真名の羅漢銭の速さは、その道の達人に迫る速度で古菲に飛ぶ。
「!」
この第二射目を避けられたのは実力ではない。ただの幸運であると、後に古菲は語る。
「良く避けた」
と、賞賛されたが事実は違う。
踏み込みかけた膝が一射目のダメージによって、折れた為に上体が前に傾いたお蔭で避けれた。本人が思っているよりも額を強打されたダメージは重く、脳を揺らされた影響で足が踏み込みに対して踏ん張りが思うほど効かなかったのだ。
真名の予想よりも深く沈みこんだ古菲の顔の上、眉間があった位置を羅漢銭が飛んで行く。
下がった視界に映るのは舞台の床のみ。背後の池に五百円玉が落ちたとは思えぬ、観客席の天井を超えかねない水飛沫を上げたことなど気にする暇もない。
「次、行くぞ」
背筋に走る悪寒が体を自動的に動かしていた。
「はっ!」
踏み込んでいる足に意識を割きながら半身になっている状態で、後ろ脚を背後に動かす。真名に背中を向ける状況になるが仕方ない。先ほどまで半身があった位置を何かが通過したのを風切音で察した理性が本能を褒め称える。
「ほら、背中が丸見えだぞ」
背後にいる真名から声が飛ぶ。
一発指を弾いた音と共に飛来する硬貨の数を古菲は五と勘で予想した。確たる保障はない。真名は古菲がどれだけ回避できるかを試すのではないかと考えたので、一発や二発ではないと思っただけだ。五という数は当てずっぽうである。
「なんの!」
左の足首を正確に狙った一発を僅かに上げて回避。寸瞬だけ遅れて体の体幹である腰に迫る一発を捻って避ける。後ろの飾り布が跳ね上がったところを貫いて穴が開いた。
左足を上げて腰を捻ったので右半身を真名に向けた古菲は横目に残り三発の硬貨を見た。
頭部を狙う一発を前に傾けて躱し、残っていた軸足を刈るように向かってきた一発を避ける為に右足で跳躍する。左手一本を舞台に付いてハンドスプリングで飛び上がる。空中に飛んでしまった古菲の回避はここまでで限界だった。
「ぐっ」
ドンと宙にある古菲の身体が跳ねる。咄嗟に右手を固めて脇腹を固めたが吹き飛ばされる。舞台を滑って着地した古菲は片膝を付いていた。
「五個が限界か」
こちらこそが本当の王者のように開始位置から一歩も動かず、膝をついた古菲を見下ろす真名。
「では、次は十個行くぞ」
さっきの倍を撃つ宣言をした真名に偽りはなかろう。古菲の頬に冷や汗が流れていく。
空中で移動する方法のない古菲が下手な逃げ方をすれば追い詰められるのは必定。出来るだけ足を付けて移動するしか回避は残されていない。そして真名が本当に宣言通りに十個だけしか撃たないという保証もない。
既に五個で限界。良くてプラス一、二個と完全回避を目指した場合の被弾確率を脳裏に浮かべた。
「――――そら、行くぞ」
真名にしては珍しく攻撃の宣言をしてから、マシンガンのように硬貨を連射で弾いて撃ち放った。
何発か掠めようとも構わない。完全な回避を諦め、まともに真正面から受けぬように体の位置を考えながらダメージ軽減に努める。しゃがみや翻身、回転を織り交ぜた動きで避け続ける。
木製の床に穴を穿ち、盛大に池に水柱を立てる音が会場中に響く。
『す、凄まじい攻撃!! 羅漢銭の連打はまるでマシンガンのようだ―――っ!!』
選手控え席に避難した和美が真名の攻撃をマシンガンに例えているが、正に云い得て妙である。十発が舞台と池を穿つ音はマシンガンを撃ったように連続していた。
「次は二十で行くか」
また真名は左手で右手の袖を叩く。すると五百円硬貨が束になって落ちて来る。
弾を装填して、撃鉄を起こす。この間に距離は詰められない。
古菲の動きは避ける方向行動全てを見事というまでに予測されて狙い撃ちされ、丁度弾丸が尽きる頃には体勢が崩れ切っている。この間に崩れた体勢を整えるだけで精一杯。
そして再び始まる圧倒的なゼロサムゲーム。
『超人的な連射!! し、しかし避ける避ける古菲選手!! 辛くも弾丸の雨を避け続ける!!』
和美のアナウンスは古菲の耳には入っていない。真名の超人的とすら安すぎる表現の速射を避けるだけで手一杯だった。
頬を掠め、四肢に幾つも被弾して複数個所が痺れていた。既に戦況は古菲の劣勢どころか王手の段階に突入している。
このままでは被弾箇所が増えて動けなくなるのは目に見えている。
実力差を考えれば、ここまではよく戦えていると賞賛されるものではあるが回避ばかりでは実力差を覆せる戦い方ではない。負けを引き伸ばしているだけで、避けてばかりいてはじり貧。
長期戦になれば負けるのは間違いなく自分。
武闘家である自分ならば銃使いで中・遠距離を専門としている真名に近づけば勝てる。そのはずなのに、
(…………駄目アル)
一定距離より真名に近づけない。まるで、真名の周りに分厚い壁が立ちはだかっているようだ。それより先に踏み込めば、たちまちの内に撃ち倒される未来がはっきりと確信できた。
勝つためには、真名の予測を超える奇襲が必要だ。或いはそれに近い機転か、この戦闘の間に劇的なレベルの成長が見込めなければ勝てない。
「ままアルよ!」
真名が隙を出すことはありえない。少なくとも古菲が倒れるより先になることはないだろう。歓声が上がる中で、奇策を思いつけなかった古菲は遂に賭けに出た。
回避動作の中で右足だけで肩立ちし、左手を横に広げて右手を頭の上まで上げる。心臓がある左胸を剥き出しにして直ぐには動けない無防備な姿を態と作る。
「む」
その行動は間違いなく真名の予測を超えたものだった。連射を続けていた真名の羅漢銭の発射が寸瞬だけ止まった。
この試合の中で生まれた真名の隙。隙とも言えない間隙を縫うように、上げた手と足を振り下ろして、反動をつけると同時に地を蹴りつけて前へと跳ぶ。八極拳の歩法の一つである活歩で、一瞬にして数mはあった真名の懐に飛び込む。飛びこみ様、肘を当てようと右腕を動かす。
懐に飛びこまれたというのに古菲の動きを冷静を通り越して冷徹に見下ろしていた真名は、右足を下げて半身になって簡単に避けた。
「お」
これだけの好機はこの試合中にはもう訪れない。古菲はこの肘打ちを避けられることを予測して軸足を後ろに残していた。羅漢銭の銃身を務めている右手を左手でしっかりと掴み、踏み込んだ右足で真名の左足を動かせぬように拘束。半身を密着させた。
(いけるアルか?)
羅漢銭を撃てる右腕を捕まえた。動けないように足も入っている。これだけの近距離ならば中国武術を身に着けた自分が勝つ。
接触状態からでも放てる打撃法が中国武術には幾つもある。この超近距離ならば武道四天王の誰にも負けない自負が古菲にあった。
「!?」
そしてその自身は目前に突如として現れた真名の左手。そこに今まさに放たれようと構えられた五百円玉が粉々に打ち砕く。
「気を抜いたな。誰が右手だけでしか撃てないと言った?」
接近して斃されるような銃使いは二流。この程度で斃されるようなら真名は始めからこの場所に立っていない。
古菲と真名に一対一での対戦経験は無い。それどころか本気で戦ったところすら見たことがない。
卓越した戦闘経験、強化された身体能力、磨き抜かれた技術、古菲は真名に全ての点において劣っていた。だからこそ、勝機があったとしたら密着した正にその瞬間。決定打を放たずに自らの技術に自信を持ってしまった為に驕った。こうなるは必然。
「私に苦手な距離はない」
背中側から回して古菲の顔の前に掲げられた真名の左手から放たれた、真下からの羅漢銭に顎を撃ち抜かれて体を宙に持ち上げた。
「ああっ、近づいてもダメかっ!」
観客の声が、顎を撃ち抜かれて半分意識の飛んだ古菲の内心も表していたのだろう。受け身も取れずに空中数メートルから背中を舞台に打ち付けた痛みで意識がハッキリしたのは良かったかどうか。
「立て直す隙はやらないぞ」
言葉通りの隙の無さで倒れた古菲に二歩だけ歩み寄り、追撃の構えを取る真名。
「!!」
立て直す隙を与えない真名から放たれた弾丸は古菲の左肩と左胸を正確に射抜く。肩が外れたような痛みと瞬間的に動きをおかしくした心臓に意識が割かれるものの、武術家としての古菲の本能が立ち上がることを体に強制した。
「くっ」
しかし、立ち上がろうとも先程の顎を痛打した一撃と、近距離で左肩と左胸を撃たれた痛みで足元が崩れる。そこへ狙いすました眉間への一打が古菲の意識を刈り取る。
「がっ……」
意識は、今までの撃つスピードを超える瞬間で十打を超える烈射によって胸や肩や足など全身に走る痛みが呼び戻した。今までは手加減したというほどの連射と近づいてきたことによる威力の増加によって、古菲の拳法服が幾つもの被弾箇所が破れる。
「いやあっ!?」「ああ、ひでぇ!」
倒れたまま動くことの出来ない古菲に、執拗な追い打ちをした真名に、会場のあちこちから悲鳴や非難の声が上がった。
一度、二度と大きく弾んで舞台の上を転がる古菲は舞台中央から端までの数メートルを転がって、ようやくその動きが止まった。だがしかし、古菲は仰向けになったまま、今度こそ即座に起き上がることが出来なかった。
最早ここまでかと思われた。或いは、実際戦っている本人もここまでだと思っていたのかもしれない。その顔には明らかな諦めが浮かんでいたし、ダメージも大きい。
(やっぱり真名は強いアルネ。実力の差は歴然アル……)
圧倒的な力の差に打ちのめされて、古菲は立ち上がる意志を保つことが出来なかった。
(手加減してこれアルか。まぁ仕方ないネ……)
もし真名が最初から本気で古菲を斃しに来ていたら、もっとあっさりと戦闘不能状態に陥っていたはずだ。もっとも今もまだ動けるとはいえ、こんな遅々とした動きでは同じことかもしれないが。
真名も似たようなことを思っているのだろう。彼女はその場から攻撃を仕掛けるでもなく、羅漢箋を撃つのでもなく、悠然とした足取りで古菲に歩み寄る。
体が動かない。どれだけ力を込めてみても体は反応せず、体を起こすどころか、腕を立てることすら出来なかった。まるで打ち捨てられた人形のよう、と全身を蝕む諦観と肌に触れる冷たくざらついた舞台の感触のみを認識して、古菲は天を仰いだまま、ただ止めを刺される時を待つしかなかった。
ゆっくりと足音が近づいて来る。己の荒々しい呼吸音の中にその足音を聞きながら、古菲はその足音の主を見ようとして全身に力を込めて体を起こそうとする。
ただそれだけの動作を為すのに永遠の時間を要したようで、その時にはもう真名は目の前に立っていた。
「――――なあ、古」
そんな声が耳朶に触れた。その声は闘気の色さえ見えない、硝子の如く透明な声。いっそ優しげとも思える真名の声が降りかかる。
「お前にこちら側は似合わないよ。元の道に戻れ。魔法なんて知らない世界に」
顔を上げて、ようやく真名の表情を見た。声と同時に真名の表情はどうしようもなく優しかった。
「どうしてこちら側に関わり続けているのかは知らない。でも、お前なりに考えることがあったんだろ」
切っ掛けは大したことじゃなかった。
友人の後をついていったら巻き込まれて、そのままあれよあれよいうままに輪の外に弾き飛ばされただけ。関わる必然なんて、きっとない。
「ここらが引き時だ。何時までも引き摺り続けてもいいことなんてないぞ」
そうだ。あの悪魔の名はヘルマンといったか。ヘルマンとアスカの戦いを見て自分は恐怖を抱いた。
たかだが数ヶ月で自分を超えていったアスカが、ああも惨たらしく卑しく堕ちる。武が、そして人間が暴力の持つ力に屈する現実を。
「……ぁ」
ずれた視界に、選手控え席にやってきた金髪の少年の姿が見えた。口から空気が零れるような声が漏れる。
「…………小さい頃から私は誰にも負けなかったアル」
思うように動かないけれど、それでもまだ動けるのは思うところがあるからだ。
膝を立てて手を着いて伸ばしていく。時間はかかっても構わない。まだ言葉も気持ちも定まっていないから。
「家は大きくはないけど地元ではそれなりの武門の家に生まれて、武術を当然のように習ってきたから強いのは当たり前だったアルよ」
小さな女の子がヌイグルミを愛でるように、幼い古菲は拳の握り方を覚えた。
「同年代では敵なし。少し上の世代にも負けなかった私は天狗になっていたネ」
子供が子供ながらの遊びに興じていく中で武術の鍛錬を笑顔でやっていたのだ。女の子らしい趣味を持たないから、きっと周りからは奇妙な子供に見えたことだろう。
「師父に世界を見て来いと言われて喜んだアル。ようやくこの退屈な場所から旅立てると思って」
徐々に膝が床から離れて伸びていく。
「そしてここで、目指す目標にも出会えたヨ」
アスカがバケモノだとかどうだとかは、もうどうでもいい。彼もまた強者。今はそれだけでいい。
「表も裏も関係ないアル。私は強者と戦えるならそれでいいネ」
古菲は身体を起こしてギュッと手の平を握って拳を握る。握った自らの拳を見下ろした。ちっぽけな手だ。アスカよりも大きいくせにあれだけの力がないちっぽけな手だ。
この拳に意味などない。意味を付けてはならない。意味を付けてしまったら戦いが穢れてしまう。
何を理屈を付けて考えようとしていたのか。細かい理屈など頭の良いものが考えればいい。古菲に出来るのは戦うことだけだ。
「我只要和強者闘」
我が望むはただ強者との戦いのみ、と幼い頃から口癖にまでなっていた言葉を久しぶりに中国語で言った瞬間、古菲の中で蟠っていた何かが消え去った。
「私は胸を躍らせる戦いに恋しているネ。そこに強者がいるなら突き進むだけアル」
古菲はここに強者と戦うことに存在理由を見出した。
「…………そうやって突き進めば何時かきっとお前は死ぬぞ」
こういうタイプは長生きせずに、戦いの果てに死ぬと相場が決まっている。
表と裏、どちらにも強者を求めて突き進むその生き方はきっと長生きしないと、幾つもの戦争や修羅場を超えてきた経験が、その道の帰結を悟らせた。
「心配してくれる気持ちは有難いアルが、戦って死ねるなら本望ネ」
武術家がそう在りたいと望む挟持に古菲はこの若さで辿り着いてしまった。
これから生きる人生の殆どは武術に捧げられることになるだろう。もし、このまま止まることなく突き進めば女としての幸せも、下手したら人としての幸せを投げ出すかもしれない。
もうそうなったら人ではない。存在理由に己を食い潰された残骸だ。人ではなく戦いを求めるだけの異常者が誕生する。
「でも、出来るなら子供を産んで武術を教えてみたいアル」
天を仰いだ真名の懊悩など心配するだけ無駄だと見下ろした古菲は天真爛漫に笑っていた。
「そうか」
心配するだけ無駄だったと思わせる笑みを浮かべる古菲に、安心したように真名は笑った、
武術に囚われるのではなく、武術という枠組みの中で人の繋がりを得て楽しさを見出している。古菲は真名が戦場で散々出会ってきた精神異常者たちとは違ったということか。
龍宮真名は古菲という少女の本質を読み切れていなかった。だからこそ、かように人の人生は楽しさに満ちている。
「お前を心配するだけ無駄だったな」
「言ってくれるアル」
そうやって二人で、ここが武闘大会の会場の闘技場の上で、試合中であるということも忘れたように笑い合う。
古菲なら大丈夫だと思えた。きっと道を突き進んでも、こうやって天真爛漫な笑みで麻帆良と同じように仲間を作って誰かが助けてくれるだろう。だから、これから続けるのは真名から送れる最後の選別。
「こちらに関わると色々と困ることもあるだろうが……」
「細かいことは関係ないアル。強者であれば闘う。それだけアル」
届かないと分かっていながらも理解を得られないことに真名は深い溜息を吐いた。古菲は放っておいても大丈夫そうだが、今度は猪突進娘になったのではないかと呆れたくなる。
「試合を続けるアル、真名」
「私が勝ったらお前には後で説教だからな」
「なら、私が負けなかったら説教はなしアル」
言葉の上げ足を取ってくる古菲の猪突進娘になったかと思えばこのやり用。都合の良い時だけ頭が回るようだ。
「絶対に負かしてやる」
らしくもなく感傷的になっていたところなので我慢が効かず、額に青筋を浮かべながら言って真名は右手から羅漢銭を十発を連続して撃ち出した。
「私は負けないアル!」
遠慮も呵責もない近距離からの全力発射に、古菲が叫びながら腰の後ろに手を伸ばし、付けられていた飾り布を力の限りに振り回す。
古菲に迫っていた全ての弾丸が、飾り布に弾かれたように四方八方に飛んで行く。
「何?」
これだけの近距離からの攻撃を弾かれたことに、僅かながらも瞠目した真名が大きく一歩後退して距離を開ける。その間にも額から血を流す古菲は慣れた手付きで飾り布を動かして、まるで棒のように突き出した。
「!!」
布が左手に巻き付き、鎖鎌のように張り付いたのを見た真名の顔にハッキリとした動揺が走った。
「尻尾はただの飾りじゃなくて布槍術のか。やるじゃないか」
「ふふ、これ以上はみんなに情けない姿は見せられないアルヨ」
中国武術において武器は手の延長と考える。例えば槍などの長い棒状の武器である棍を打ち込む場合は拳による突きと同じ技術を使う。刀剣で斬る場合も手刀と同様だ。つまり徒手による格闘の技術がそのまま武器の扱いにも応用されるわけだ。
徒手も武器も同様に扱う中国武術では、武器を持ったまま拳や蹴りによる打撃の併用も自然に出来る。これが日本だと剣で戦う時は剣術を用い、素手で戦う時は無手術を使う、といったように全く別の技術を使い分けることになる。
(とはいえ、手足がもう動かない。次の一打で最後アル!!)
これまで一方的に攻撃を受けてきた古菲の身体は立っているだけでも限界だった。無理しても一撃を放つのが精々。勝利の為にこの一打に命を預ける覚悟をする。
『捕らえた古菲選手!! 遂に強者龍宮選手を捕られた!!』
和美のアナウンスが響き渡って観客の歓声が沸く僅かな隙間を縫うように真名が動く。羅漢銭で左手を拘束している布を途中で打ち抜き、三発を連続して当てて破く。
(何の……!)
観客のどよめきが広がっていく間に古菲は動いていた。大袈裟とも思えるほど飾り布を回して速度をつけてから振り回す。布の槍と化した飾り布が変幻自在の軌道を描いて真名を襲い、避けた真名が羅漢銭を撃ち返す。
リーチにおいては真名が動かない限り互角。手数においても今のところ互角で激しい攻防が繰り広げられる。
布に剣や槍ほどの攻撃力はない。普通のタオルでも振り回して人体に当たれば痛い。古菲ほどの武術家が振るった布は、それだけで人を倒しうる力がある。が、それは普通の人にであって、真名相手には致命にはなりえない。一発二発が当たろうともびくともしないだろう。
それでも真名が避けるのは、一度受けてしまえば先程のように拘束されてしまう可能性があるからだ。
流れる激流の流れを逆らわずに利用するように、緩やかな動きで避け続ける真名が狙い澄ました一撃を放った。
「!」
ゴキン、と明らかに骨が折れた音と共に一発の羅漢銭が古菲の左腕を強烈に撃ち抜いた。骨に何らかの影響が出たと解る音に観客達の悲鳴が木霊する。
飾り布を両手で扱っていた古菲の攻撃のバリエーションがこれで極端に減るのは自明の理。古菲の敗北がカウントダウンされたかに見えた。
真名ですら攻撃が鈍ると考えた刹那、古菲は自らの左手が完全に折れたことを走る激痛で理解しながらも笑って見せ、腕を振って布を走らせた。腕を代償にしたかのように真名の左腕に巻き付く。
(上手い!)
真名は怪我を寸瞬も気にせずに回避行動を読み切って巻きつけた古菲の手腕に思わず賞賛する。
「!」
だからこそ、古菲の足が殆ど死んでいて足が自分から突撃するには頼りないことを予測していながらも、片手一本で身体ごと引き寄せられたのに対応しきれなかった。
いくら古菲が布を手放したといっても観客が多い中で空を自由に動くわけにはいかない。真名に出来たのは古菲が何をしようとも全力で叩き潰すことだけだった。
ここで体勢を崩さる方が不味いと考えて自分から飛んだ瞬間、真名は羅漢銭の弾を手に収まるだけ充填する。対する古菲は折れた左腕にも力を入れて拳を握り、硬気功で肉体を強化した。
「「!!」」
どちらの攻撃も避けようのない零距離で最後の一撃を撃ち合った。とてつもない衝撃音の後に真名が放った五百円硬貨が音を立てて、穴あきだらけの舞台に幾つも落ちる。
羅漢銭を放った右腕からはあまりの高速指弾に煙が出ていた。
「!」
最初に動いたのは古菲だった。
口から溜まっていた息を吐き、ズルズルと膝を付いて舞台の上に崩れ落ちた。真名の零距離で羅漢銭を一斉一点集中攻撃を受けようとも耐えられはしなかった。
辛うじて膝立ちで耐えているが真名に左手を押し当てているから倒れていないに過ぎない。
古菲が敗れたと会場にいる者全員がそう思った、重苦しい空気と沈黙。それを打ち破ったのは跪く古菲の前に立つ真名だった。
「成程、浸透勁と言う奴か。本当にやるじゃないか、古。見直したぞ」
「いやぁ……まだまだアルよ」
バンッと音を立てて真名の服の背中部分が来ていたコートも一緒に弾け飛ぶ。
硬気功で耐えての浸透勁のカウンター。ダメージのなかった真名を倒すには一撃で倒せる技でなければなかった。思いついたのが、内部浸透系の技である浸透勁だった。
目論見通りにダメージに耐え切れず、真名がゆっくりと倒れる。
「負かせらなかったか」
「やっぱり勝てなかったアルか」
支えを失った古菲も舞台に崩れ落ちる。まるで二人で拳を打ち合ってそのまま倒れ合ったような体勢だ。
確かに古菲の目論見通りに行った。折れた左腕を無理矢理に動かして顔面を守りながらの一撃。万が一でも顔を狙われて脳を揺らされれば立っていられない。全弾を受けてダメージは硬気功でも受け切れるものではなかった。
『ダウン!! 両選手、ダブルダウンです!!カウントを取ります!! 1……2……』
両者が倒れて選手控え席から舞台に戻りながら慌てて和美がカウントを取り始める。
「次は負けないアル」
「は、抜かせ」
位置的に相手の顔を見ることは出来ない。だが、視線を交わさずとも互いに不敵な笑みを浮かべていることは分かった。
『……9……10!! 立ち上がれません!! 両選手ダブルノックダウンで白熱の試合は引き分けです!!』
途端に最高に盛り上がる試合を見せてもらった観客達から沸き起こったのは歓声だった。
蓄積したダメージで意識が薄れていく古菲が最後に見たのは、隣で立ち上がる逆光で影になった真名の姿だった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
龍宮神社の東門方向にある高灯篭に武道会の本部はあった。
高灯篭の一室は、神社の内部としては相応しくないコンピューターやらの最新機器に埋め尽くされていた。電気が消された一室には正面モニターとパソコンのモニターの灯りだけが煌々と照らされている。
「うむ、中々に良い盛り上がりネ」
パソコンのモニターの灯りに照らされて一人の少女が楽しげに呟く。彼女が見ているのは前に設置された巨大モニターに流されている試合の映像だった。
高灯篭内部には三人の人の姿があった。一人は先程呟きこの大会を開いた主催者である超鈴音その人。もう一人はパソコンに向き合ってキーボードを叩いている葉加瀬聡美。最後の一人は先程まで古菲と激闘を重ねた疲労を感じさせない龍宮真名である。
「調子はどうネ?」
「カメラ妨害用ナノマシン散布良好。ネットに捲いた種も上手く芽吹いているようですよ。ネット上の噂拡散震度及び進行速度全て異常なしです。流石超さんのプログラムです」
「よし、魔法近い側からの介入があるまでは現状維持ネ」
前のモニターとパソコンのモニターの光、真名が立っている壁際の窓の当たる戸が半分だけ開けられて外から入る太陽以外は光源がない。窓を全開にすればもう少し外の明るさも室内に入れられるが、武道大会を開催した本当の理由を考えれば出来るだけ隠密にしたくなる。
「となると残る問題は…………このフードの人ですね」
葉加瀬が手元のキーボードをカタカタと捜査して、前の巨大スクリーンにCブロック第一試合の出場選手であるクウネル・サンダースの姿が映し出した。
「出場者の一人クウネル・サンダース。所属は図書館島図書館司書とありますが」
「ウム、さっき臨時救護室の会話を盗聴したが、どうやらかのサウザンドマスターの仲間で間違いないようネ」
どうやら超らは会場中にカメラやマイクを隠しているようで、常にリアルタイムで監視していた。
「ええっ!? サウザンド……と言う事は!? …………アルビレオ・イマ……これですねー。ふーむ、魔法世界の資料にも詳しい事は載ってない……マズイですね。エヴァンジェリンさん級の能力者が出てきたとなると計画に支障が……」
「うむ。監視を怠る訳にはいかないし、危険な因子であることに変わりないが、私の勘では、この男の目的は我々の計画とは関係ない。おそらく大丈夫ネ」
クウネル・サンダースの正体に驚く葉加瀬。またキーボードを操作してデータを参照するも名前や紅き翼関連のデータしか表示されない。
紅き翼に所属していたのなら下手すればエヴァンジェリンクラスの魔法使いということになる。魔法界の資料にも正確な情報が残っていないことが余計に不安にさせる。
しかし超はそれほど慌てた様子はなかった。科学者としての勘か、人としての勘か、女としての勘か。己の勘を信じて楽観的に考えていた。
「超さん~、熱いです~」
超ほど楽観的になれなかった葉加瀬が額に汗をダラダラと流しながら振り返る。
「我慢、我慢ヨ、葉加瀬」
六月も下旬にもなれば季節も春から夏にぐんと気候が近くなってくる。今年の梅雨はあまり雨が降らなかったのでジメジメした感じは少ないが、数十台のパソコンを同時併用し続ければかなりの熱を持ってくる。
神社内部の高灯篭に換気扇やエアコンなんて洒落た物がついているはずもなく、唯一の空気の入れ替え口は真名がいる半分だけ開けられた戸のみ。
室内は真夏を超える気温と湿度で葉加瀬が白衣を脱いで、ちょっと年頃の乙女としてはどうかという状態になっていようと、何故か袖が長く顔と手だけしか出ていない漢服を着ている超は汗一つ掻いていなかった。
「もしかしてその中に何か仕込んでませんか?」
「何も仕込んでなんかいないネ。心頭滅却すれば火もまた涼し。修行が足らんヨ、葉加瀬クン」
疑わしい目で超を見た葉加瀬だが熱気で動くのも嫌になったのか、確かめるための行動も動かさなかった。
当の超が話を逸らすように壁際にいる真名に話しかけた所為で、熱やら何やらで突っ込んで行動する意欲を失ってしまったからだ。
「ありがとう、龍宮サン。上手く引き分けてくれたヨ。人気No1の優勝候補が一回戦で負けてしまてはアレだからネ。お蔭で会場は非常な盛り上がりヨ」
「…………」
アルビレオに負けず劣らずの貼り付けたような笑みを浮かべる超を、穴が開いたコートを脱いで一張羅の戦闘服を着替えた真名は彼女を見ながらも黙して語らず。
「これが報酬ネ」
そう言って超が懐から取り出した紙袋には相当の厚みがあった。仮に入っているのが福澤諭吉印のお札だとしたら0が六個つく金額になるのは想像に難くない。
「…………いや、それを受け取るのは今回だけは止めておく」
「ほう?」
言葉とは裏腹に少し未練がありそうな視線の熱を切る様に逸らした真名だが、彼女がこと仕事を完遂して報酬を受け取らない理由が分からなかった様子の超は不審げに顔を歪めた。
「今の試合はそれなりに本気だったよ。それを受け取るのは古に対する侮辱になってしまう」
武道大会のルールは銃使いである真名には大きな制限を課すものだ。
元より真名の本職はスナイパー。観衆の中で真正面から戦うなんてことはありえない。でも、そのルールの中でも古菲と真剣に向き合って戦ったのだ。戦っている最中は思惑や仕事のことも忘れていた。
武人を気取るつもりはないが、仕事を達成したからといって報酬を受け取ってしまっては、試合を穢したような気がして古菲に顔向けできなくなる。
「報酬は既に得ている。今回はそれだけでいい」
トン、と豊かな胸元を軽く拳で叩く。
胸に去来するのは久方ぶりに感じる高揚。奪うか奪われるかの戦いの中ですっかりと忘れていた感情こそが金に勝る何よりも報酬であると真名は思っていた。
「それを聞けば、きっと古も喜ぶネ」
貼り付けたような笑みが消え、納得したように笑った顔こそが超の本当の顔であると見ていた真名は思った。