魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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「第32話 アスカの休日」の中間辺りをチラ~とお読みください。


第44話 憧れの行方

 

 麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校2年高音・D・グッドマンは、普通の人とは少し変わっている。

 まず第一に魔法使いの家系に生まれ、彼女自身もまた魔の道を歩んでいること。始祖代々から継いだ魔法使いならば誰もが生まれ持った宿業を彼女もまた引き継いでいた。

 魔法使いの一族に生まれた者が魔法使いになるのは定められた運命とも言える。勿論、他の道を志す者もいるので絶対ではない。が、生まれた時から魔法に囲まれた生活をしていた者が一切関係のない生活を送れるかといえば否である。往々にしてなんらかの関わりを持つ場合は多い。そういう意味において、高音・D・グッドマンは魔法使いの家系に生まれた者としては普通であったとも言える。

 

 高音はアメリカに居を構えるメルディアナと同じような町に生まれ、他の者となに変わることなく魔法に関わって育った。彼女が少し周りと変わった面があるとしたら正義感が非常に強い子供だったということだ。

 物心ついた当時は日本のアニメが海外展開されていた頃で、特に彼女のお気に入りだったのはセーラー服を着た愛と正義の美少女戦士が悪者を倒していく物語だった。

 高音はこのアニメに熱狂したと言ってもいいだろう。放送時間になればなにがあろうともテレビの前にスタンバイして、目を輝かせて今か今かと待っている娘の姿を両親は苦笑して見ていたものである。

 これで変な影響もあれば止めもしただろうが、アニメの影響もあってか親の手伝いを欠かさず、困っている人がいれば直ぐに助けようとするようになった娘の一種の教典とも言っていいアニメを見るなとはとても言えない。娘がアニメの主人公のように正義の味方になると言っているのを微笑ましそうに苦笑いを浮かべるぐらいだ。

 

 このアニメが放送終了して直ぐにグッドマン一家は魔法世界に移り住んだ。住むことになったのはメセンブリーナ連合の盟主メガロメセンブリア。現地の魔法学校に入学した高音は遂に理想を形にする術を見出した。

 立派な魔法使い(マギステル・マギ)、世のため、人のために陰ながらその力を使う、魔法世界でも最も尊敬される仕事の一つ。

 最近では大戦の英雄にして千の呪文の男の異名を持つナギ・スプリングフィールドがいる。

 無私の心で世のため人のために魔法を使う理想に燃えて、立派な魔法使いを本気で目指した。

 性格的に思い込みが激しい面があったにせよ、彼女の熱意は他の誰をも勝っていた。

 資質にも優れ、誰よりも努力を重ねたのは間違いない。クラス一、学年一位となるのに時間はかからず、飛び級の話が出るのにも長い時間は必要なかった。

 思えばこの時が彼女の人生の絶頂期であったのかもしれない。ただ前を向いて進み続けていれば良く、努力すればするだけ必ず結果がついてきた。だが、破綻の時はいきなり訪れた。

 

 切っ掛けは初級魔法の課程を終えて次のステップに入ろうとしていた時だった。

 何度も唱和して暗記した各種属性の精霊魔法を行使しようとした。優等生で学年トップだった彼女の失敗を誰もが疑わず、高音自身もまた絶対の自信を持っていた。なのに、どれだけ魔力を込めても、どれだけ回数を重ねようとも「地」「水」「火」「風」の四大元素は少しも反応してくれなかった。

 何度もチャレンジしては失敗を繰り返して涙さえ浮かべる高音に誰も何も言えず、苦虫を盛大に噛み潰した顔の先生が止めるまで悲痛な光景は繰り広げられた。

 後になって分かったのは、高音の適性は「影」のみ。四大元素に対する適正は欠片程度しかなく、他もまたドングリの背比べでしかなかった。

 精霊の適正は遺伝することが多い。親子であればこれがより顕著で全く同じというのも珍しくない。高音の両親は「風」や「雷」と割とポピュラーな属性だったので全然気づかなかったのだ。

 物事には常に例外は存在する。が、彼女のケースでは父方の祖父が「影」の適性を持っていたことから、個体の持つ遺伝形質が親の世代では発現せずにそれ以上前の世代から世代を飛ばして発言する隔世遺伝と考えられた。

 高音・D・グッドマンの人生で始めての挫折である。

 

 「影」という属性は高音が理想として求めた属性には程遠い。

 正義の味方ではなく敵対する悪役が持っているような属性だと彼女が考えたのは、理想を正しく在るものだと規定し過ぎた子供特有の潔癖さ故のことだった。正義の味方に憧れた少女が使える魔法が、敵役に似合う属性だったというのは皮肉が効いている。

 理想を絶対のモノとして規定し過ぎたから、その理想に絶対に成れないと知った絶望は余人には決して分かるまい。子供の絶望だと笑うことなかれ、当時の彼女にとっては自身の根本を揺るがす出来事だったのだ。

 誰も彼女を責めたりはしていない。親も級友も先生も高音のことを考えて「影」の属性でもやっていけると説得した。だが、彼らは高音のことを真に理解はしていなかった。或いはこれでどの精霊にも適性がなかったのなら見切りをつけて、自分の持つ能力を高めようと思ったかもしれない。高音・D・グッドマンが真に絶望したのは、どう足掻いても理想には決して届かないのだと知ってしまったことなのだから。

 

 どれだけ絶望しても、姉御肌で真面目が板についている高音が何時までも周りを心配させることを良しとはしない。

 心配を掛けない為に表面上だけでも平静を装うようになったのは、彼女なりの生きていく為の処世術である。やがてはそれが常態化して何時しか自分ですら絶望したことを忘れてしまう時間が経過した頃には、彼女も現実を知る年齢になっていた。

 幼き頃にテレビの向こうにいるヒーローに憧れた子供も、年を経るごとに世界が正義と悪だけで成り立つ単純なものではなことを知ってしまう。社会と現実を知ることこそが大人になるのだというなら、正義の味方が幻想であると知るのもまた大人になるということなのだろうか。

 この世に本当の意味での正義の味方はおらず、英雄もまたその時の人達が作り出した一種のプロパガンダであることに気づいてしまった。勿論、紅き翼が魔法世界を救ったことやナギの功績が消えるわけではないと分かっても夢に失望を覚えずにはいられなかった。

 子供は何時までも子供のままではいられない。高音が年に似合わず聡明であったこともあって、理想と現実のギャップを前にして何時か憧れた正義の味方の夢を口にしなくなっていった。

 夢の残滓をかき集めるように、せめて正しく在ろうと真っ直ぐに生きて、魔法使いとして一流になろうと「影」の属性を極めようとした。その甲斐もあってまた親の仕事の都合で旧世界に戻る時には嘗ての姿を取り戻していた。ただ正義の心だけは置き去りにして。

 

 地元のジョンソン魔法学校に転入した高音はトップの成績で卒業して、魔法学校の卒業課題で日本の麻帆良学園都市に行くことになった。

 まだ学生の年頃である高音は麻帆良の女子校に入ることになった。そして順風満帆な学生ライフをすることになる。そのことになにか不満があるわけじゃない。ただ心の奥底でなにかが絶えず燻り続けていることを自覚する日々。

 

 そんな日々に変化が訪れたのは数年後の、担当の魔法先生ガンドルフィーニ教諭から後輩の紹介があってからだった。

 なんでも魔法学校を卒業したてで、高音が卒業したジョンソン魔法学校に留学して魔法演習でオールAを取った秀才。なんの冗談かと思った。聞けば若年ながらも無詠唱呪文も使いこなす多芸ぶりで、一芸特化型の高音は雲泥の差。

 彼女―――――佐倉愛衣―――――と実際に会ってみれば、大人しく控えめな性格で生真面目で堅いと称される高音を慕ってくれる良い子だが嫉妬しなかったといえば嘘になる。炎系の魔法を得意とする彼女ならば高音が夢見れなくなった正義の味方にもなれるのではないかと思った。

 刺激された心の奥の火種は燻り続けている。夢を諦めきれず理想を捨てきれず、中途半端な道を中途半端な想いで歩み続ける。

 

 決定的な転機が訪れたのは、まだ冬の気配が残る寒い日だった。

 休みの日であったが、学校に用事があってウルスラ女子高等学校の黒い制服に身を包んで歩いていた高音の近くで、街中で中学生らしき少女数人が男達に絡まれているのを見かけたのだ。

 高音は持ち前の正義心から助けようとした正にその時だった。高音よりも早くその少年が現れたのは。

 少年は瞬く間に男達を打ち倒して事態を収めて見せた。高音の目から見ても見事としか言いようがない鮮やかな行動で。高音が理想とする正義の味方の肖像そのままに。

 どうやって寮の自室に帰ったのか覚えていない。ただ心の奥に押し留めていたなにかが疼いたのは事実である。

 その夜、中々帰って来ないルームメイトに不安を覚えていたら、また驚愕の事実を知ることになった。

 そして高音は確信したのだ。

 いたのだ、この世に。正義の味方は確かにいたのだ。無私の心で人を救い、悪と戦うヒーロー。高音が夢見て存在しないと絶望した正義の味方は確かに存在していた。

 理想の名はアスカ・スプリングフィールド。高音が諦めた正義の味方を体現する者。燻り続けた心の奥で大きな火が灯った。

 理想を体現する者の存在を確信した時、高音・D・グッドマンがどれほどの歓喜にあったか。小さな子供が、テレビの向こうにいると思っていたヒーローが現実に目の前にいるような心境であった。

 

 

 

 その後も頻繁に届くあの時の少年―――――ーアスカ・スプリングフィールド―――――の噂を耳にし続けた。外に出た時には姿が見えないか探しもした。

 愛衣からアスカの話も聞いた。彼女は数年前にアスカと面識があり、戦ったことすらあるというのだ。その時の話を彼女に何度もしてもらった。

 知り合いの夏目萌―――――通称ナツメグ――――に協力してもらって、関東魔法協会のデータベースにアクセスして隠されていた情報を覗き見までした。

 所属している組織であろうとも隠されていた情報を勝手にアクセスするのは、見習いの身分に過ぎない高音が行って許される行為ではない。バレたら下手すれば修行中止、強制送還に投獄の可能性もある。それでも意味があったのだと高音は笑う。勿論、協力したナツメグには取り返しのつかないことをさせてしまって申し訳ないと思っている。もし、バレた時はあらゆる手段を使って自分だけが罪を被るようにしておいた。彼女自身に借りた大きな借りも何時か返さなければならない。だが、今はこの歓喜に浸っていたい。

 更なる事件は直ぐに起きた。ひどく雨風が強い日だった。都市内に上級悪魔が侵入し、女子中の生徒達数人を拉致したのだ。

 結果として手下の魔物や上級悪魔は討伐された。被害も建物や土地が軒並み更地になって暫くは人が立ち入れる状況ではなくなったが、人的被害は一人を除いて皆無と言っていい。

 手下の悪魔を、上級悪魔を、侵入した敵の全てを倒したのはアスカ・スプリングフィールドであると風の噂で聞いた。高音自身も結界が停止して桁外れの魔力が奔流となって沸き立つのを感じ取った。あまりにも禍々しい魔力を相手にどうやっても勝てないと、あのような狂気が形となった存在に勝てる者はいないと思った。だが、その悪魔をアスカは倒した。

 高音の理想は、求めていた正義の味方は悪魔という悪を倒した。高音・D・グッドマンの理想が本物になったのだ。

 学園祭前に実際に会って、年下の少年に「あなたに憧れています」とは面と向かって言えず、かといって興奮を抑えきることも出来ずに別の人物を槍玉に上げることで誤魔化した。我を忘れて顰蹙を買っていないかが心配だった。

 そして今日、高音は理想の体現者であり、正義の味方であるアスカと相対する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回戦全八試合が全て終了して、審判兼司会も務める和美が一人で舞台に立つ。

 

『一回戦の試合が全て終了しました。試合結果を特別スクリーンでご覧頂きましょう!!』

 

 選手控え席近くにいる和美が殆どの観客には見えないが腕を振るうと、動作に合わせるように修復中の舞台上空十数メートルに半透明の映像が突如として浮かび上がった。どの場所からも良く見えるように舞台を中心にして四つの画面が浮かんでいる。

 和美が言うように大会側が用意した特別スクリーンで試合結果が投影されていた。

 浮かび上がっているのは武道大会のトーナメント表で、一回戦で敗北した選手には分かりやすく顔写真に「×」文字が刻まれていて、勝ち残った選手が次のコマへと進めていた。

 龍宮真名と古菲、エヴァンジェリンと刹那の欄は両者ノックダウンなのでどちらも次のコマへ進めていない。

 

『二回戦は二十分の休憩を挟んで開始します! 尚、二回戦からはお客様も増えて混雑が予想されます! 臨時観客席もご用意させて頂きますが、なるべく詰めて……』

 

 空中に何の媒体も映像を投射しているので、現代の技術から考えても革新的する技術に驚きには慣れている麻帆良住人達も驚愕している。工学部の新技術科と叫ぶ声があちこちで聞こえた。

 

『では休憩の間、一回戦のハイライトをダイジェストでお楽しみ下さい』

「え……」

 

 絡繰茶々丸や豪徳寺薫のいる実況解説席にかなり近い場所にいたネギ・スプリングフィールドはトイレから帰ってきたところで、空中投影されている特別スクリーンに双子の弟であるアスカ・スプリングフィールドの姿が映って唖然とした声を上げた。

 その横ではネギを中心として右側に宮崎のどか、解説席側の左側に長谷川千雨が立っていた。

 

「あれって大丈夫なんですか?」

「ま、不味いんじゃないでしょうか。撮影禁止のハズなのに……」

 

 隣ののどかが聞いてくるのを、ネギはアスカと明日菜が戦っているシーンが流れている特別スクリーンを見上げながら冷や汗を流しながら答える。

 休憩の二十分の間に一回戦八試合を全て放送しないといけないので、編集でもされたのか戦っていない場面はカットされているようで、ずっと見ていたネギらからしたらシーンが飛び飛びになっているのが良く分かった。

 

「大会側が撮るのはOKってことなんでしょうか」

「う~ん、よく考えれば記録機器が使用できなくなるとは言ってましたけど、撮影禁止とは言っていないので抜け道があったということかと……」

「あ、成程。そうでしたね」

 

 事前説明では「この龍宮神社では完全な電子的措置により、携帯カメラを含む一切の記録措置は使用できなくなる」とあった。ネギが腕を組んで記憶を思い返して言ったように、やれるならやってみろ的な感じであったが撮影を禁止するとは一言も言っていない。

 

「ネギ先生、そのことなんだけ…………なんですけど、ネットにも同じ映像が上がってますよ」

 

 二人と違って上ではなく下を見ていた千雨が観客席の欄干に乗せて広げていたノートパソコンを指差した。

 

「え!? ああっ!? ホントだ!!」

 

 ノートパソコンの画面では、今まさに犬上小太郎が佐倉愛衣の懐に踏み込んで、振り上げた腕の風圧だけで場外に飛ばしているところだった。

 この時は、角度的に吹き飛ばされる愛衣のスカートの中がばっちり見える角度だったので女の勘を働かせたのどかに目隠しをされたので見ていなかったのだ。

 

「あの千雨さん、この映像は?」 

「い、痛っ! のどかさん、痛いです!」

 

 熱心に食い入るように見入っているネギにノートパソコン前を明け渡した千雨に聞きながら、この後の展開が分かっているのどかはこれまた躊躇なくネギの頬を遠慮なく引っ張りながら問う。

 頬を引っ張られた痛みで愛衣が吹き飛ばされる映像を見れなかったネギは、頬をスリスリと擦りながら涙目だった。ネギの肩の上でオコジョ妖精のアルベール・カモミールが「彼女の前で別の女のパンツを食い入るように見ようとするのは不味いぜ兄貴」と彼にだけ聞こえる声で囁いて慌てさせていた。

 映像ではどうやっても見れない様になっているが気分の問題らしい。

 

「つい三十分くらい前から出回り始めてんだよ。基本的にあの映像と同じものだから大会側から流出したものじゃないのか?」

 

 抓られた頬をまだ赤くして頭を下げている少年教師を意識に端に置いて、心の中でもう尻に敷かれているネギに合唱しながら彼氏がいない自分に若干ヘコみながら答えつつ、ノートパソコンに視線を落とした。

 舞台空中の特別スクリーンも全く同じ映像が流れている。

 

(正直、凄すぎてこの大会を信じられないんだよな。常識的に考えて在り得ないことばかりだし)

 

 千雨がそのようなことを思うのも無理はない。

 マジックのように巨大人形が現れて大男を殴り飛ばしたり、人の目には映らない速度で動き回ったり、五百円玉で舞台に穴を空けて観客席の天井近くまで水飛沫を上げたり、と上げたら枚挙に暇がない。

 

(アスカもそうだし、神楽坂や古菲、龍宮や桜咲とかもイカサマに加担するような奴じゃねーよな)

 

 アスカの本当に人かと思うような桁外れの強さは実際にこの目で見ているので疑うべくもない。そのアスカを追い詰めたような明日菜も人を騙して喜ぶような性格では決してない。

 思考を走らせながら絶対に横は見ない。惨めになるだけだから。

 

「僕はのどかさんを愛しています! 他の人なんか目に……」

 

 中々許してくれないのどかに、ネギが恥を知らないかのように様々な美辞麗句を並び立てて機嫌を取ろうとしているのを、完全に意識の外に追いやっていた。

 

《流石は外国の方ですね。言うことに全く照れがありません》

「ほっとけ。こういうのは関わらない方が良い」

 

 どこかに行っていたさよが戻って来て開口一番、感心したように言っているのを諌める。

 のどかも褒められて悪い気はしないようで、それどころか徐々に周りに注目され出してきて困っているようだった。この周囲は特別スクリーンよりも幼い恋模様に大注目だ。

 

「どこの香港武侠映画の予告編だよ。画像上がりまくってんじゃねーか」

《あ、高音さんが田中さんを殴り飛ばしているところですね》

「ああ。なんだつうんだ、あの巨大人形」

 

 特に注目されているのが高音だ。田中さんを殴り飛ばす時に彼女の背後に突如出現した黒衣の巨大人形に特に評判が集まっていた。

 

「裸のシーンが流れていないのは幸いか。あんなのが放送されたら自殺もんだぞ。少なくとも私だったら自殺する」

《超さんもそこら辺は分かってますよ、きっと》

 

 田中さんのビームによって高音の服が消された時のシーンは全てカットされている。

 編集した者もそのまま流したら真面目に自殺者が出たかも知れないので、人気取りに走って流さなかった良心はあるようだ。掲示板で画像はないかと探している者が多そうだが同じ女性としてはホッとしている面だ。

 

「スタンド使いに、腕からビーム、魔法か」

 

 パソコンの掲示板に書き込まれた、益体も無い文の数々を読み上げる。先ほどまでの試合の動画がアップされた事を含め、麻帆良武道会に関する掲示板が次々に更新されているのを見るともなしに見る。

 

(しかし、やけに魔法って単語が目につくな)

 

 桃色空間を逃れるように、いくつもの掲示板を見ると「魔法」という言葉が一度は登場していることに千雨は気がついた。

 隣からやってくる桃色空間の甘酸っぱい空気にに耐えられなくてネットで調べてみれば、出るわ出るわ「魔法」という単語の山。

 

(魔法か。こうしてみるとこの学園もこの大会に負けず劣らず、おかしいところだらけだ)

《なにがおかしいんですか?》

幽霊(お前)とか、色々だよ」

 

 麻帆良学園都市には都市伝説が多い。2-Aの幽霊(本物が背後に憑いている)とか、図書館島の地下には馬鹿でかい怪物がいるとか、中でも根強い人気なのが学園内で危険に陥るとどこからともなく「魔法少女」や「魔法親父」が現れて助けてくれるというのもある。

 一つが真実だっただけに他のも絶対にないと言えないところが常識人を標榜している千雨には痛いところだった。他にも突いてみれば科学力だとか運動能力だとか桁外れすぎている。

 

(魔法ってのもあながち嘘じゃ…………なわけないか)

 

 「気」ぐらいならありえそうな気もしたけど流石に魔法はないと自分の結論にケチをつける。

 

(でも、ネットの動きはおかしい。誰かが魔法ってのをわざと流行らせたいように見える)

 

 掲示板を時系列順に追ってみると魔法関連の話がこの一週間位から急に出始めていることに気がついた。

 自然発生しているように見えるがどことなく人為的な作為を感じる。一見不自然さは感じなくても何処か意図的な物をあるように思えた。

 

(げっ、CG加工派と魔法否定派が出来てやがる)

 

 掲示板を見ていると遂に肯定派と否定派で派閥まで生まれてしまっていた。これからもとんでも試合が続けば論争がよりオーバーヒートしていくだろう。

 既に一回戦だけでも材料は十分なので相手の出方を見るように、ちょこちょこと互いを突き始めている。

 一観戦者に過ぎない千雨だが大会に出場している選手の半分ぐらいは繋がりがある。出場者の中に同級生やら先生がいるのだから仕方がない。

 脳裏に次に試合をする金髪少年の顔を思い浮かべる。人助けをしたり、悪を成敗したりするので麻帆良の正義の味方とも呼ばれている少年が実はあまり注目されることが好きではないことを、何時だったか聞いたことがあった。

 

(助けた見返りじゃなくて、助けること自体を目的してるんだよなアイツ)

 

 人が呼吸をすることが当たり前なように、アスカも人助けを呼吸するように当たり前に行う。

 変わっている奴だとも思うし、ああも無私にもなれないと思うが助けられたことがあるのもまた事実。

 

(また変なことに足を突っ込む前に火消ししておいてやるか。やれやれ何で私がこんなこと……)

 

 特に大会に出場している面々は論争のネタに巻き込まれやすいので、後日に何らかの問題に関わる可能性がある。

 アスカのことを考える。少しでも苦労を背負わないように、ノートパソコンを引き寄せてキーボードをカタカタと慣れた仕草で叩く。

 

《うわー、今にもキスしそうですよ千雨さん》

 

 断じて隣で桃色空間を形成していた二人が、遂には抱きしめ合って薔薇色空間に突入しているのを感じ取って現実逃避しているわけではない。砂糖を盛大に口から雪崩のように吐かないためでは決してない。ネギの肩に乗っていたオコジョが目の前で欄干で、ラブラブな二人を見て「やれやれ、これだから若造は」と親父臭い仕草を見せて煙草を吸っている姿も断じて見ていない。

 

「…………――――?」

 

 隣で一心不乱にのめり込むようにキーボードを連打する千雨を、傍らの解説席にいる茶々丸が興味深げに見ていたことに彼女は気付いていなかった。千雨を通り越して向こうを見る時には、疑問符を盛大に浮かべて首を捻っていることも彼女は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千雨が隣に広がる桃色空間の砂糖を吐きたくなっている頃、世界樹前広場に複数の魔法先生の姿があった。彼らはここの警備をこの時間に担当している者達であるが、傍目には教師連中が集まって休憩をしているようにしか見えなかった。

 情報部が優秀なこともあって侵入者がいれば直ぐに連絡が入ることになっている。連絡があれば直ぐに対応するように心構えしているので、半休憩のようなものだった。油断はしていないが緊張もしていない理想的な状態にいた。

 

「こりゃグッドマン君やりすぎじゃないか、ガンドルフィーニ君。これいいのかねぇ?」

 

 ふくよかな体型の、思わず触りたくなるほどの柔らかそうな頬をした弐集院光は、カフェのオープンテラスのように誂えられているテーブルに置いているノートパソコンを操作しながら近くにいた同僚に問いかけた。

 

「何です、弐集院さん? 仕事して下さいよ」

 

 真面目なガンドルフィーニは言いつつも、担当している魔法生徒の名前が出たので後ろから覗き込むようにノートパソコンを見た。そして高音の黒衣の夜想曲が展開されて田中さんを殴り飛ばしている画面を見て、ピシリと彫像のように固まった。

 場所は少しだけ移動して、より世界樹に広い踊り場にいた中等部の若い男性教員である瀬流彦が弐集院と同じようにノートパソコンを触っていた。

 

「凄いな、アスカ君。神楽坂さんも。僕じゃ、勝てないなぁ」

 

 戦闘系魔法使いではない瀬流彦は、女子中等部の教師なので見知っている者同士の試合が自分の及ぶ領域ではないことに苦笑していた。

 

「やっぱそういうことは実際にやらないと分からないよ。今度試してみるかい?」

 

 3-Aの明石裕奈の父親で麻帆良大学で教授を務めている明石教授が横から見ていて、楽しげに笑いながら瀬流彦に提案した。

 

「勘弁して下さいよ。コテンパンにされちゃいますって」

「物は経験だよ」

 

 この場の責任者でありながら若い瀬流彦に付き合うノリを持つ明石教授は、年頃の娘を持つ父親とは思えないほど若々しい。娘である祐奈が中学生になっても父親と結婚すると言っているのはここら辺の感性の若さが原因なのかもしれない。

 

「教授も瀬流彦先生も、ふざけないでください」

 

 大学生気分が抜け切らない瀬流彦とそんな彼に付き合うノリの良さを見せる明石教授に、少し呆れて諌めるような声が二人の背後からかけられた。

 

「これ大丈夫かな、刀子さん」

 

 誰がいるのかは振り返らずとも声で分かるので、明石教授はふざけているところを娘に叱られたのから話を逸らすように、画面に映る高音の黒衣の夜想曲やその他諸々を纏めて問いかけた。

 

「大会自体は学園長からの許可が出てますし、この程度の画像流出に問題はないかと」

 

 そう言う女性教師葛葉刀子の手にもモバイルパソコンがあった。

 

「しかし、その大会主催者が超鈴音らしいからね」

 

 学園祭前日の行動から超はマークされていた。そんな彼女が不審な行動と魔法的に怪しい大会を開いているのだから注意が向けられて当然。情報部から魔法バレの可能性がアリと進言されて彼らもまたネットを見張っていた。

 

「そうですね」

 

 危険というほどではないがネットで不自然に魔法という単語が多いのが気になって、刀子が明石教授に返した返事は少しつっけんどんになっていた。

 ようやく一般人の彼氏を捕まえて上手くいっているのに、こういうお祭りの時に仕事をしなければならない憂鬱があるわけではない、きっと。

 

「よし、一応学園長に連絡しておこう。高畑君が偵察に出ているはずだが定期連絡は?」

「三十分前に龍宮真名と超鈴音の接触を確認し追跡。龍宮神社の高灯篭から地下の下水道に通じる直接通路を発見。動向を探る為に潜ると報告がありました。その後は何も」

 

 次の定期連絡は三十分後。それまでに高畑が何らかの情報を掴めれば良し。そうでなければ増援も必要かと明石教授は頭の中で算段をつけた。

 

「あまり娘の同級生は疑いたくないんだけど、そういうわけにもいかないか。こちらからも偵察の増援を出しておこう。何事もないことを祈るけど」

 

 麻帆良学園都市の情報部も兼ねている男は笑顔のまま、娘が哀しむ未来が来ないことを祈って次の手を打つ。

 

 

 

 

 

 今度は場所は大きく変わり、とある建物の屋上カフェテラスにいたシスター・シャークティは明石教授からの連絡を受けていた。

 

「格闘大会の偵察ですか? 世界樹のパトロールは…………。はい……はい……了解しました」

 

 修道服を着た褐色の肌に銀髪を覗かせたシャークティは、服装には似合わない携帯電話を切ってポケットに直す。

 

「二人とも、今から麻帆良武道会に向かいます」

 

 シャークティが話しかけたのは、まだ二十代中盤と見られる彼女よりも一回りは若い少女のシスター達だった。

 一人は十五歳ぐらいのアジア系の風貌をした少女。もう一人はシャークティに似た肌色の小学生中高年ぐらいの半眼の少女。

 

「パトロールの方はいいんですか?」

 

 十五歳ぐらいのシスターがシャークティに話しかけた言葉遣いは、シスターとしては少し乱雑であった。

 

「交替が来るそうです」

「わ、やた♪」

「あなた達、未熟で使い物なってなかったからホッとしました」

 

 剽軽な態度にもシャークティは慣れているのか、気にした様子もなく容赦なく若いシスターを落とす。

 

「相変わらず厳しいですね、シスター・シャークティ」

 

 自分の胸元程度しかない幼いシスターを何故か肩車しながら、こうやってシャークティに厳しく接せられるのにも慣れているのか「トホホ」と世知辛く零したシスターを合わせた三人が麻帆良武道会の会場へと向かって行くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『皆様、大変お待たせいたしました! 只今より二回戦第一試合に移らせていただきます!』

 

 二十分のインターバルを終えて和美のアナウンスが会場中に鳴り響く。観客達が待ちに待った二回戦が遂に開始されようとしていた。一回戦のダイジェストを見て、彼らは次の試合を今か今かと待ち侘びていた。

 和美の声に龍宮神社に集まった観衆達が大きな歓声を上げる。白熱した試合や様々ハプニング続出だった一回戦に続き、これから行われる二回戦に早くも期待を膨らませていた。

 

『登場しましたアスカ選手の予選会での披露した実力に偽りなし! 果たしてこの大会でなにを見せるのか!』

 

 空の上から紙吹雪が舞い降りてくるのを目を細めて見上げているのは、舞台に昇って左右に別れた一人――――和美が紹介しているアスカ・スプリングフィールドである。

 

『対するは聖ウルスラ女子高等学校二年高音・D・グッドマン選手!! 予選会、一回戦では別の意味で話題を攫っていました! 予選会ではアスカ選手が避けたことによって恥ずかしい姿を衆目に曝してしまいました! その復讐が出来るのでしょうか!』

 

 選手紹介によって忘れていた羞恥がぶり返してきたのか、顔を俯けて全身の殆どを覆う黒いローブから僅かに見える手を震わせるているのは、舞台の上でアスカと正対する高音・D・グッドマンである。

 

「……く、……ぅ……」

 

 昨夜の予選会終盤の記憶を思い出した男達の鼻の下を伸ばした助平な視線が全身に突き刺さるのを感じていた。突き刺さるような視線によって着ている真っ黒のローブが存在せず、服を何も着ていないかのような錯覚に陥り、口の中で押し込めた声が漏れた。

 女は男の色情に満ちた視線に敏感なのである。特に見目も麗しくスタイルの良い高音は男性からそのような視線を向けられることが多い。慣れているといったら変な話になるが普段は受け流せる寛容さを持っていた。一々気にしていたら身が持たないからだ。

 しかし、ものには必ず限度がある。人の精神はなんでもかんでも受け流せるほど完璧ではないし、思春期の高音の心には耐えられる上限がハッキリと明記されている。

 この場合において耐えられる者がいるなら変わってほしいと、高音は心底そう思った。どこの世界に年頃の乙女が上半身裸を衆目に曝して平気でいられるのか。高音は海外であるようなビーチでブラを外して胸を晒したまま日光浴が出来るような性格をしていないのだ。

 羞恥やらなにやらで高音の頭の中は湯だった蛸のように思考が纏まらない。周囲全方向から体に突き刺さる好色な視線に全身が震える。

 他校の男子から告白されたこともあるが、よく知らない相手で容姿に惹かれたとしか思えないので断ってきた。結婚まで操を守らなければならない、と前時代的なことを言うつもりはないが高音も年頃の乙女である。願わくは素敵な人と出会って添い遂げられたらいいな、と「白馬の王子様」的な欲求は少なからずある。本気で異性を好きになったことのない者の夢物語であるが夢を見るは自由である。

 ミッション系の女子校に通っていることもあって「貞淑であれ」との教えが高音の混乱を助長する。

 

『それでは麻帆良武道会二回戦第一試合! アスカ・スプリングフィールド選手VS高音・D・グッドマン選手の試合を始めます!』

 

 司会をする和美の言葉と共にアスカが右足を後ろに引いて左半身を前に出して、膝を僅かに曲げて腰を落とす。左腕を上げずに下ろした状態の変わった構えを取った。

 高音に動きはない。構えを取るどころか羽織っているローブすらも脱がずに微動だにしない。顔を俯けたまま、ローブを握る手を血管が握るほど強く握りしめていたのでアスカは不審を覚えて眉を寄せた。

 

「ん?」

 

 高音の異様さに気づかなかった。観衆は言うに及ばず、これほどの一大イベントを指揮する和美ですら気づくのは難しい。

 異常を感じ取ってもアスカには高音の変化の原因は分からない。元より接したことは少なく、交わした会話もまた少ない。なんとなく周りから高音に向けられる好色の視線が原因だとは察するが、それがどれだけのダメージと混乱を与えるのかは男であるアスカが100%察することは難しい。

 これで目を見れば状態が察することが出来たかも知れないが、顔を俯けてのでは確認しようもない。試合の開始を待ってもらうべきか、と逡巡がアスカを支配する。

 

『それでは、二回戦第一試合…………Fight!!』

 

 ハッキリとした異変があるわけではなかったので決心がつかず、迷っている間に試合の開始が宣言されてしまった。

 高らかに響く和美の声に戦えば分かるかと懸念を後回しにすることにした。解きかけてきた拳をまた握り、対戦相手の高音を見据える。

 アスカは高音の様子がおかしいので先に動くつもりはなかった。暫しの間、二人は動かずに対峙し続ける。十秒、二十秒と二人が動かないことに審判の和美が動くべきかと迷いを覗かせたその時だった。

 

「ウルスラの脱げ女」

 

 観客席からポツリと誰かが間隙を縫うようにそんなことを言った。不思議と響き渡るその声の主がいる方向に顔を向けたアスカだが、観衆の中に埋もれた特定の誰かを発見することは出来なかった。

 

「…………ふふ」

 

 誰かが言った「ウルスラの脱げ女」が誰の事を指しているのかを的確に理解した高音の、平静を保っていた堪忍袋の緒が音を立てて盛大にブチ切れた。堪忍袋の緒が切れて頭に血が上った瞬間、高音は全ての懊悩から解き放たれた。

 

「お?」

 

 俯いて半ば体を掻き抱くようにしていた高音の体が不自然に振動しているのを見て、どうしたのかと声に出してしまった。

 高音から聞こえた声が笑っているように感じて、壮絶な嫌な予感が背筋を走る。アスカのこういう嫌な予感は外れた試しがない。

 騒動に発展しそうな気配がビンビンと体に降りかかってくるのを察したが、原因が分からないことにはどうしようもできない。

 

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっっ!!」

 

 高音は俯けていた顔を上げて羽織っていたローブを脱ぎ放ち、その下に着ていたビスチェのような衣装と丈が短めのフレアスカートを白日の下に曝しながら笑った。ゲームのラストに出て来るラスボスの如き大きな、後にまで響く哄笑を上げ続ける。

 ビスチェとは本来、女性用下着の一種なのだがローブの下に着ていたことからデザインが似ているだけなのだろう。長い金髪の髪に透き通るような白い肌をした高音には非常に似合っているのだが、大胆に開いた胸元と黒という色が予選会で見せた姿と相俟って錯覚を生む。

 

「まさか早々にあなたに当たるとは思いませんでしたが、本気でお相手させて頂きます!」

 

 哄笑を収めた高音は、どこかイッてしまった目をしたまま、ビシッと音の出そうな勢いで対面にいるアスカを指差して宣言した。

 

「ええ、恨みなんてありません! 裸に剥かれた恨みなんてありませんったらありませんから!」

 

 正気を失くしているように見える高音の宣言に、ローブを脱いで戦闘衣装を披露した観衆(男達)の歓声を聞いて、アスカは大よその事情に予想がついてしまう自分が嫌だった。

 

「俺じゃなくて、あの田中さんの所為じゃないか」

「いえ、あなたの所為です!!」

 

 言い募る高音に反論は意味を為さない。

 死んだ目をしながら偏見を失くして着ている服を見れば、スカートが膝丈のドレスと言っていい恰好だった。だが、見るものが見れば、あれはただのドレスではないことが分かる。

 

「これも運命の導き。この影使い高音・D・グッドマンの近接戦闘最強奥義をお見せしましょう!!」

 

 死んだ目をしたアスカが現状に帰って来て、疑問符が脳裏に飛び交っているような顔をする。

 生憎と地水火風の四大元素やポピュラーな雷などの魔法なら知っているが、「影」の属性は担い手が少ないのでエヴァンジェリンから詳しくは教わっていない。

 基本的なことなら分かるのだが、高音の言う「近接戦闘最強奥義」については皆目見当もつかない。実は明日菜との試合に気を取られていて、高音の一回戦を見ていなかったアスカである。

 

「来るか……!」

 

 最強奥義と言うからには凄いものなのだろうと考え、なにが来るか予想がつかない。なにが来ても反応できるように体から力を抜いて動けるようにスタンパイしておく。

 

「黒衣の夜想曲!!」

 

 叫びと共に高音の足元にある影から黒が溢れ出す。

 最初は不定形だった黒は一瞬にして高音の身長を超える高さに膨れ上がって人の形をとった。人の形を取るのに要した時間はほんの一瞬、出現した白い仮面を付けた大きな人型はまるで高音を懐で守るかのように背後から両腕を彼女の身体に回して佇んでいる。

 白の仮面に、黒い紋様。首元から幾つもの帯に分かれる頭巾に十字架の紋様が描かれており、背面に浮かぶ黒い鞭のようなものが重力に逆らって揺蕩っている。

 その姿は学園祭前日に超を追いかけていたという時に見た使い魔に酷似していた。衣装の精密さ、背面から出ている鞭のようなもの、体の大きさなどといった違うはあるものの、高音があの日の使い魔の術者であることは疑いようもない。

 

『おおっと!! 一回戦に続いてまた凄いのが出た――っ!!』

 

 興奮した和美のアナウンスに、突如どこからともなく現れた高音本人より一回り大きい人形の異様さに観客席からも喚声が上がる。

 周りの盛り上がりように比べて、アスカは馬鹿になったように目を点にして口をあんぐりと開けていた。戦う構えを取っているので表情と合っていないから傍から見れば笑える。

 

(…………善玉かもしれないが、きっと直情バカだ)

 

 握っていた拳を何時の間にか解いているにのも気づかぬまま、出現した巨大使い魔を見上げたアスカは心の底から思った。というより思い知った。この真っ黒なお馬鹿さんは、頭の中がこんがらがって周囲の目のことなんて殆どぶっ飛んでいることを。

 秘匿とか秘匿とか秘匿とか秘匿とか秘匿とかを滾々と言い聞かせたい気分だったが、この状況に陥った遠因が自分の行動にあると思うと対応に困ってしまった。

 奇しくも高音とは別の意味で頭の中を湯だった蛸のようになってしまっては良い解決策は思いつかない。現状に対処するのは自分だけでは無理だと結論付けるのに時間はかからなかった。

 こういう時は当事者の身内の方が解決策が思い浮かびやすい。そうと決まれば選手控え席の方を見た。

 大多数の参加者――――この場合は魔法を知っている者達――――が、アスカほどではないが馬鹿面を晒している中で、高音に初めて会った時に一緒にいた佐倉愛衣に助けを求めた。

 愛衣はわたわたとした様子であっちを見てこっちを見て、アスカに助けを求められているのが自分と分かると念話を返してくれた。

 

『スミマセン! お姉様とってもいい人なんですけど、一度コレと決めると一直線の真っ直ぐな人なので私では止めようがないです』

 

 念話で届いた言い淀む愛衣のメッセージは致命的なまでに止めを刺してくれた。つまり、愛衣は自分では止めようがないとハッキリと言っているのだ。

 

「俺にどうしろと?」

 

 高音と彼女に背後に付き従う自分よりも優に二回り以上は大きい巨大使い魔を見上げて、ただ呆然と声を垂れ流す。解答を期待しているのに答える者はいない。現実は非情である。

 この衆人環視の中では試合をしている当人達しか関われない。選手控え室の誰もが手を出せない状況では解決をアスカに一任するのは当然と言える。

 そもそも全員が予選会での二人の因縁を知っているので関わり合いになりたくなかった。男と女の痴情の縺れに他人は関わらない方がいいというのが通説なのである。大分意味が違うが。

 

「如何ですか? これが私の持つ最強の力です」

 

 さながら守護霊のように佇む巨大使い魔を背後に従え、呟きながら両手を広げる。その動きと連動しているのか、背後の影が一抱えはありそうな太い腕を同じ動きで広げる。

 

「絶対の防御力と攻撃を同時に得る攻防一体の魔法である黒衣の夜想曲、あなたに倒せますか?」

 

 完全に興奮状態にある高音を見ずに、背後の使い魔を見上げながら顔に当たる部分に浮かぶ白い仮面だけが唯一違う色をしているのは何故かとアスカは現実逃避気味に考えていた。

 

「わはははははは、スゲーっ」

「こりゃ流石に仕掛けあんだろ」

 

 どうあれ巨大人形が始まってから一分以上経っても大会側からはなんの音沙汰がなく、試合を止める様子がないことから観客達は一部の気持ちなどお構いもなく面白い見世物が始まったと大盛り上がりだった。

 

「はぁ……」

 

 周囲を見渡したアスカは自分に味方がいないのを悟って、長い溜息を吐きながらがっくりと肩を落とした。世知辛い世間の風に煽られるサラリーマンの哀愁漂う背中に似ていた。

 

「では、全身全霊をかけて行かせて貰います!」

 

 黒の巨人を背に従えた高音が高らかに宣言したのと同時に、ゆらゆらと無重力に揺られるように揺蕩っていたベルトのようのな物が意志を持つ。

 ハッと顔を上げたアスカに向けて、二十は超えようかという槍と化して伸びた。

 高音の思い通りに動く槍は空気の壁を破るような音を伴って縦横無尽に駆け巡る。その槍の軌道は曲線や直線を描きながらも最終目的地点であるアスカへ向けられていた。

 アスカの身体が地を蹴って後ろに反り返る。そのまま空中でクルリと周り、頭から地面に落ちる。地面に落ちる前に手をついて、腕の力で飛び上がった。

 地面に手を付いた時に、さっきまでいた場所に無数の影の槍が突き刺さっているのを見ながら、後方倒立回転して高音の放った縦横無尽に突き進む槍の間合いから逃れる。

 

「ならば、こっちもそれに応えるのみ…………魔法は止めとこう」

 

 瞬時にその場を飛び退いて影の槍を避けたアスカは、流転する視界の中で一瞬で意識を戦闘モードに切り替えた。が、高音が与えたショックは大きく、魔法どころか魔力や気も控えようと少し極端な方向に振りきれていた。

 跳躍の衝撃を着地した右足の膝を曲げて殺しながら、曲げたゴムが勢いよく反発するように床を蹴って前方に跳躍する。一踏みで五歩を渡る箭疾歩。

 気や魔法を使わずに魔法使いを倒すのは容易ではない。ならば初撃で勝負を決める。影の使い魔がいるのならば容赦なく渾身の震脚すら決める覚悟であった。

 狙うは八大招・立地通天炮。身体強化を使わなくても絶大な破壊力を持った技。顎下から突き上げる一撃は、アスカの動きを捉え切れていない高音の意識を間違いなく刈り取るだろう。

 影の槍を避けつつ神速で一瞬で近づいて距離を詰めて、影の使い魔の懐に潜り込んで高音の顎下から突き上げる八大招・立地通天炮。だが、影の使い魔の腕がアスカの拳を阻むように受け止めた。

 

「ふ…………ふふふふふ、この最強モードに打撃は通用しませんよ」  

 

 この光景を見れば高音の言うように徒手空拳での攻撃は無駄でしかないと誰もが同じ事を思う。そう言った高音の眼の前で、不意にアスカの足元が陥没する。震脚を以って勁が足から螺旋を描いて接している拳先へと収束して―――――

 

「はぁっ……!」

 

 拮抗は一瞬だった。その先にあったのは破砕。まるでガラスが砕けたかのような音を立てて、高音を守るように回していた影の使い魔の腕がアスカの拳の接触地点を中心に霧散した。刹那、魔法使い達は信じ難いその光景を目の当たりにして目を見開く。

 アスカは何も特別なことをしていない。魔力等による超上の力を一切使わずに生身の力だけで成したのだ。

 そして、アスカの腕が高音に迫る。勢いそのままに高音の顎へ直撃―――――しなかった。高音が反射的に展開した防御障壁に阻まれ、アスカの拳は勢いを無くしていた。

 アスカの表情に苦渋が滲む。超常の力なしで影の使い魔と術者本人の防御を突破するには威力が足りない証拠だった。今のが千載一遇のチャンスだったのに、警戒された現状ではこれ以上の威力を放つのは不可能だ。

 

「このっ……!」

 

 攻撃が止まった隙に影の使い魔の腕を再構成し、間近にいるアスカに向けて振るう。バックステップして下がったアスカに向けて無数の影の槍を幾つも放つ。

 

「ふっ」

 

 アスカは黒衣の夜想曲から放たれる無数の影をスクリューのよう倒立背転を繰り返して躱す。

 背後に気配。咄嗟に空中で顔だけ背後を振り返る。眼前に一本の影の槍が迫っていた。

 避けられない―――――直撃コース。アスカは咄嗟に身を翻しながら振るった足を一閃。右足で影の槍を迎撃した。衝突。ドンという重い音と共に直撃軌道を変えることに成功した。

 そしてアスカは、自分の失態に気がついた。迎撃している間に、着地地点に幾つもの影の槍が待ち構えていた。絶対と誇っていた防御が突破されて遠慮の呵責もなくなったのか、攻撃に容赦がない。

 最初から一貫して穂先は潰していて槍というより鈍器に近い形状になっているが、この場合は落下の重力に全体重を合わせて落ちれば当たり所が悪ければ骨折する可能性もある。

 

「っ、……このっ!」

 

 アスカは真剣に命の危険を感じて床に墜落しながら、影の槍を迎撃した蹴りの勢いを利用して、身体を横に回転。それで何本かの軌道から外れることが出来たが、剣山の如く群れている現状では端っこに近くなったといっても数本外れたところで意味はない。

 もう直ぐ貫かれるというところで左手を伸ばし、剣山の槍の端を自ら殴打した。打撃の反発力によって身体を流す。アスカはギリギリの所で槍の剣山を回避して舞台を転がり、片膝を着きながら起き上がった。

 

「魔力を使わずに私に勝つおつもりですか!」

「いや、なんか使ったら駄目的な空気があってだな」

 

 高音も魔法使い。片膝をつくアスカが今に至るまで魔力で身体強化すら施していないのは容易に察知出来た。

 使う必要すらもないと侮られていると感じた高音は、人の話も聞かずに激昂と同時に、それでこそと高揚もして、背後に立つ巨大使い魔と共に大きく跳躍した。

 そして落下スピードを利用して抜き手を繰り出すと、背後にいる巨大使い魔もそっくりそのまま同じ動作を繰り出す。

 

「好き勝手なことを……!」

「人の話を聞けよ、おい。つか、秘匿はどこに行った。これで俺まで魔力使ったら、バレた時に巻き添えにならないよな」

 

 高音が周りの目を気にせずに魔法を使うから少しでも奇異に映らぬように自嘲しているというのに、完全に頭に血が上っている高音が恨めしい。そもそも侮りなどとんでもない。

 

「この相手に魔力無しは、ちとキツいぞ」

 

 数合の立ち合いで高音が既に見習い魔法使いの戦闘力を遥かに超える領域に到達していることを感じ取っていたアスカは、苦虫を盛大に噛み潰した顔で今度は小さな動作でステップ重ねて飛び退る。

 アスカがつい先ほどまで立っていた場所に、巨大使い魔の貫き手が突き刺さる。

 

「くっ」

 

 巨大使い魔の貫き手によって破砕された舞台の破片の一つが目前に飛び込んできて、視界を遮る破片を咄嗟の反応で右腕が動いて払いのけた。

 

「そこっ!」

 

 破片の除去に意識が若干ずれた隙を見ぬいた高音が叫びと共に突き出した右手に沿うようにして、合計八本の影の槍がカタバルトから射ち放たれたロケットの如く走る。

 右腕を外側に向けているのでアスカの半身が開いている。六本の影の槍が高音の右手に沿って、全てがアスカの左側から小さく婉曲を描くように伸びる。先の破片を払った右手では反応して戻すのに時間がかかる。しかも残った二本がアスカから見て右側へと避けられないように回避方向へと先回りしていた。左側から来る六本の槍は小さく婉曲を描いているので、そちらへ回避しても真っ直ぐに直進させて追いかけて来るだろう。

 回避不可能と見たアスカは驚くべき行動に出た。自ら左方向の影の槍へと向かって行ったのだ。直後、鉄砲が連続で放たれたような断続的な撃音が鳴り響く。

 メキッという異音と共に、アスカの身体が断絶的に震えた。

 

「がっ! ……っあは……」

 

 苦悶に呻くアスカの口から胃液が零れ出る。が、攻撃を当てた高音の方が驚いた顔をしていた。

 

「自分から当たりに行くなんて?!」

 

 アスカは自分から六本の影の槍に当たりに行ったのだ。自殺行為のような行動に高音の頭が一瞬だけ止まる。

 あの場合は回避が難しく、如何にダメージを少なくするかに人は注目する。しかし、アスカは常人の考えよりも一歩進んだ答えへと行き着いていた。右腕を外に開けたことで、体前面ががら空き。そこが狙われているならばと、右腕を戻すのではなく更に振り切る。右足を下げて左足だけで前に進む。つまり、左半身を前に出したので高音は自分から当たりに行ったように見えたのだ。

 実際には攻撃を受ける面積を減らしているので危険性を減らしている。左腕で影の槍を弾けば運が良ければダメージ0で切り抜けられる。

 だが、流石に全てが上手くいくはずもない。想定していたよりも完全な左半身にはなれず、斜め方向になってしまったので体面積が増えて防御を完全には出来なかった。食い込んでいる腹と右肩、更に影の槍を弾いた左腕は痛みでこの試合中は使えそうもない。

 

「これで……!」

 

 胃液に満ちた口内で歯を噛み締め、折れそうになった膝を叱咤して一足の間合いにいる高音へと肉薄した。

 高音は魔法使いであって戦士ではない。勝つために、敵を斃すために、行動するアスカを理解できるはずもなかった。目の前で自分が人を傷つけたことで皮肉にも高音の頭に上っていた血が下がった。

 上昇から下降による一瞬の混乱、冷静になったが故の思考の停止が高音を襲う。アスカがその隙を見逃すはずもない。

 後ろの右足で軽く踏み切って中途半端だった状態から完全に半身になり、食い込んでいた右肩と腹の槍をずらして外した。続いて左足で大きく踏み込み、高音までの距離を一足で詰めた。

 開いていた体が今度は右半身になり、肘関節を折り曲げた状態の肘を胸の前から地面と水平に大きく回して先端を突き刺した。八極拳の外門頂肘。

 

「……!?」

 

 高音はやられたと思った。先の一撃は使い魔の防御を突破した。

 今は意識が停止していて、先の一撃と同等の威力を持っているなら突破されると考えた。

 が、体に痛みはない。条件反射的に閉じていた瞼を開けば、使い魔の腕すらも突破できていないのが見えた。アスカの肘は黒衣の夜想曲のマントに受け止められていた。

 舌打ちをしたアスカへ、これだけの近距離では使い魔の攻撃は出来ないので自ら影を纏った拳を振り上げた

 数合の立ち合いで近接戦闘能力で劣っていると自覚した高音の下手な一撃が当たるはずもない。全力で後退したアスカに、更に追撃だといわんばかりに降り注いだ槍の攻撃を避ける、避ける、避ける。

 

『これまた凄まじい攻防! 少年拳士VS謎の巨大人形なんて何のモンスター映画だ――――っ!!』

 

 興奮した和美のアナウンスが鳴り響き、同意するように観客席から大きな歓声が沸く。

 

(先の攻撃が思ったよりも効いたようですが流石は私が憧れた正義の味方、上級悪魔を倒したその実力に偽りはないということですか!)

 

 さっきとは違って弾かずに小刻みに移動するアスカの動きに精彩が感じられない。攻撃の密度を落として様子を観察してみれば直ぐに分かった。右肩が上がっていないのと、左腕の動きが緩慢なのである。弾かないのではない、弾けないのだ。

 先の肘打ちもまた、肩を打たれたことによる負傷で威力が落ちたものと思われる。肩が上がらないのを見るに脱臼したか。

 先の使い魔の腕を粉砕した一撃は防御障壁がなければ負けていただろう。高音に敗北を予感させた。

 こちらにダメージはなく、向こうには戦闘続行不可能と言われても仕方のない負傷を負っている。状況は明らかに高音が有利と見える。だが、心理的な面では何度も敗北を予感をさせられているのは高音の方だ。

 それでも顔を引き締めている高音・D・グッドマンに油断は欠片もない。

 こちらの攻撃を躱す回避行動は、まるで舞踏のようであった。ほんの一歩ステップを踏むだけで影の槍も腕も虚空を切る。避けるというほどの鋭さでもなく、足の運びは寧ろゆったりとした優美なもの。なのに、当たらない。

 無造作にしか見えない足運びは、しかし溢れ出る影の槍をそれ以外にない角度とポイントで回避し続ける。

 

「これで!」

 

 高音の顔が顰められ、更に影の槍の数が増えた。

 だが、どれほどに増えてもアスカには当たらないのだ。まるで風にでも押されるような軽いステップで、ありとあらゆる攻撃を避けていく。

 

(これで魔力を一切使っていないとは……)

 

 また影の槍の一撃がアスカを掠め、接戦に観客席が沸く。今は騒音にしか聞こえない歓声を聞きながら高音は汗を垂らした。

 思考が読まれているとしか思えないほどの回避だった。動きを完全に見切られている。

 一瞬の内に舞台の端まで離脱したアスカを逃すまじと、影の槍を放ちながら追いかける高音。アスカは飛び掛かって来た巨大使い魔の手刀を避け、めり込んだ腕の服の袖を踏んで抜けないようしながら軸足にして回転しつつ上げた反対の足の蹴りつけた。

 使い魔でも関節は人と同じだったのかハイキックで蹴りつけられた肘部分で折れ曲がり、前方に倒れていく。当然使い魔に引き摺られるようにして高音もついていく。

 

「きゃっ」

「ふんっ!!」

 

 悲鳴を上げて宙を浮かぶ高音に向かって天頂に向かって、右足を下ろして反対に振り上げた左足が伸びる。しかし、それでどうにかなるほど黒衣の夜想曲は甘くは無い。

 巨大使い魔が残った腕で高音を包み込んで守る。蹴りに衣を突破する威力はなく守られた高音にダメージはない。そのままアスカの頭上を通り過ぎて無難に着地する。その時にはアスカも反対側に跳躍して距離を開けていた。

 アスカを見る高音の顔に歓喜が溢れる。魔力を使わず、両腕を使えないにも関わらず、諦めず、想像もしない手で攻めてくる。高音・D・グッドマンが憧れた姿そのままに、絶対的不利をものともしない戦士がそこにいた。

 

「それでこそ……」

 

 汗は試合と昂る興奮によって生み出されていた。見込みに間違いはないのだとハッキリと実感した感情がどうしようもなく昂る。

 どれだけ不利だろうと諦めることのない不屈の闘志で輝く眼が高音を見ている。全身が興奮で抑えようもなく震える。この時を待っていた。ずっと高音は、この時を待っていたのだ。

 

「それでこそ私の求めた正義の味方です!」

 

 高音が歓喜に爆ぜた瞬間、アスカの視界を倍増された影の槍が覆う黒界によって閉ざされた。

 一気に倍増した五十を超える影の槍がアスカに襲い掛かった。頭上と正面から来る影の槍の雲霞は世界全土が襲い掛かって来るに等しい。

 

「正義の味方?!」

 

 いきなりの単語に仰天しながらもアスカは経験から導き出される予測によって、影の槍の雲霞から回避する方法を探し出そうとしていた。

 アスカがいる場所は舞台の端っこ、回廊の合流地点を背後にして選手控え席を対面にいた。

 前から来る槍と、上から来る槍は、多少の前後はあっても最終的には重なって逃げ場を失くすようになっている。舞台の端っこいることもあって逃げ場はどこにもない。

 右肩は影の槍で脱臼したのか、ダラリとしたまま動かない。左腕は何度も弾いた所為でまだ感覚がない。逃げるとしたら左右のみ。当然、そこは考慮済みの高音は左右のどちらかに動けば前からのを操作するだろう。だから、アスカは動かなかった。動かないアスカを観客の誰もが諦めたと思った。

 もう少しで影の槍が当たるかというところでアスカが跳んだ――――後ろへ、舞台脇の欄干も蹴って更に外へ。

 

「ぐっ!」

 

 さっきまでアスカがいた場所に次々と突き刺さる影の槍の群れの合間を縫って、前から障害物がなく真っ直ぐ伸びてきた槍達が殴打する。このままでは湖面に落ちるかと思われたが、影の槍がアスカを弾き飛ばし、背後にあった灯篭まで飛ばした。

 最初から全てが計算ずくであったように後ろを見ることなく灯篭に足をつけたアスカが再び跳んだ。まさかの行動に唖然とした顔をして影の槍を戻している高音のいる舞台に、何事もなかったように着地する。

 着地したアスカは動かないはず右肩を軽々と動かして、様子を確かめるように上げ下げを繰り返す。

 

「どうして…………右手は動かないはずです。さっきまで動かなかったのにどうやって?」

 

 一連の行動は影の群れに阻まれて高音からは見えていなかった。力の入っていない具合から間違いなく脱臼したと思っていた高音は追撃も忘れて問いかけた。

 時折、痛みに顔を歪めて肩の様子を確認したアスカは高音へと顔を向けた。

 

「影の槍を利用させて脱臼を填めさえてもらった。ただ、それだけだ」

 

 自分から後ろへ飛んで水面に水平になって影の槍の一本に当たりをつけて、伸びてきたところで右手の平を殴打(つまり押させて)させて無理矢理に脱臼を填めたのだ。

 更に他の影の槍を蹴れば距離も開き、観客席もあるので無限に伸ばすわけにもいかず、精々が舞台を少し超える程度にしか伸ばすつもりのなかった。攻撃はダメージを与えず、脱臼を治しただけで終わったのだ。

 

 

 

 

 

 神楽坂明日菜は、選手控え席でアスカが追い込まれる度にハラハラドキドキしていた気持ちで見ていた。

 

「普通はあんな状況で脱臼を治せるわけないじゃない」

 

 並外れた聴力で離れた舞台にいる二人の会話を聞いて呆れていた。これだけの観客が発する騒めき音や歓声の中で、十メートル以上は離れた場所にいる会話を聞き届けている時点で並外れている。

 隣で聞いていた刹那は、それよりも自分に聞こえないアスカの声を聞き届けた明日菜の耳の良さに呆れていた。

 

「でも、なんでアスカがあんなに追い込まれてるの? もしかしてあの高音って人はそんなに強いの?」

「お姉さまは凄く強いですっ」

 

 明日菜は隣にいる刹那に聞いたつもりだったが、答えたのは高音と同じ黒いローブを纏っている佐倉愛衣が叫ぶように答えた。

 刹那は「――――流石に相手があんな派手なのを使っている時に、凄すぎる運動能力を見せたら異常に気付く」と答えかけていたのを止めて、明日菜を挟んで反対にいる愛衣に顔を向けた。

 控え室でしていたような頭まで被って顔を隠しはしていない。一度外れてしまったフード部分を首の後ろに下ろして本当に纏っているだけだった。露わになっている顔を憤りからか、紅くしていた。

 

「いくらお姉さまが憧れている正義の味方さんでも、本気モードに勝てるとは思えません」

「憧れている?」

「正義の味方?」

 

 なにやら気になる単語を次々と言い放つ愛衣に、明日菜と刹那は顔を見合わせて首を捻った。

 

 

 

 

 

 舞台上では影の槍を引っ込めた高音を中心にして、右腕が動くようになったアスカが円を描くように回っていた。

 状況は一度様子見の段階に入っていた。決定打を掴めない高音と、決定打がないアスカ。似ているようで違う二人の状況は拮抗していて、相手の様子を窺い続ける。

 

「防御はともかく攻撃動作は本体と同じ動作をみたいだな。確かに黒衣の夜想曲を近接戦闘最強奥義と称するだけはある」

 

 と、アスカが確かな賞賛を込めて言った。

 黒衣の夜想曲は自動防御能力と攻撃力と機動力の増幅を行っている。術者の能力にこれだけの能力が上乗せされるのだから近接戦闘最終奥義の名に相応しい。

 自動防御能力を除いて、使い魔は術者の思考や動きをなぞるように動く。言い返せば、術者の想像を超える行動や動きを超えることはない。つまり、黒衣の夜想曲は術者に応じて能力が上下する魔法であった。

 使いこなせれば一騎当千も夢はない。しかし、その道は遥かに険しく遠い。術者である高音の近接戦闘の動きは未熟であるが、そこはこれから改善していけばいい。高校二年生なら十分に改善の余地はある。

 現段階でも黒衣の夜想曲を発動時の高音・D・グッドマンの実力は魔法生徒の領域を超えて、戦闘に特化した魔法を扱う魔法先生に伍する。 

 

「あなたに褒めて戴けるとは、光栄の極みです」

 

 周りを回って隙を見せる時を待っているアスカだが、巨大使い魔を顕現させていても油断せずに背後を晒さない高音相手に焦れていた。正対する位置で止まって、会話で隙を生めないかと切り口を変えると意外にも乗ってくれた。

 

「初めて会った時もそうだったけど、一々大袈裟じゃないか?」

 

 正当な評価で褒めたとはいえ、今は武道会に出場していて対戦中である。本当に嬉しげに微笑む高音の様子は魔法を褒められたにしては大袈裟すぎる。初対面時での浮かれようといい、どうしてかと思ってしまう。

 初対面でいきなり握手を求められ、異様な喜びよう。憧れの芸能人に偶然会って舞い上がったかのように興奮していた。それと合わせて今回の喜びよう。二度目ともなればおかしいと感じた。

 

「大袈裟、ですか。ふふ、どうやら私は自分で思うよりも舞い上がっているみたいです」

 

 アスカの指摘に自覚がなかったのか、頬を僅かに朱に染めた高音は否定することなく認めた。その目はけして敵から離さず、何時でも攻撃が行えるようにベルトのように揺蕩っている影の槍も止まったままアスカの方へ向けられていた。

 

「貴方に会えたから…………憧れて止まない貴方に会えて会話を交わせたことが嬉しかったんです」

 

 恋する乙女による愛の告白とも取れる言葉に、攻撃されたらあっさりと倒されてしまうのではないかと思うほどにピシリと、ジリジリと摺り足で間合いを詰めていたアスカの動きが止まった。あまりにも予想外の台詞に許容量を超えて固まってしまったようだ。

 

『試合中で突然の愛の告白が始まった~~~~っ?!!!!! 皆様、ワケが判らないかもしれませんが私はもっと分かりません!!』

「なにを言ってるんですか、お姉さま!?」

 

 舞台上の会話は観客席まで届かない。選手控え室にいて聞こえる明日菜が異常なのだ。二人の会話を魔法等を使わず聞き取れるのは舞台上にいる者と、舞台脇に待機している司会の和美のみ。

 衝撃的な言葉を聞いた和美の叫びに同調して観客席から今日一番の女性陣の黄色い歓声が沸き起こった。この大観衆の中でかました愛の告白に相棒の愛衣は目を突き破らんばかりに前に出し、驚きを露わにする。

 

『高音選手! なにがなんだか意味が分かりませんが、試合中ですから取りあえずアスカ選手のどこに惚れたかだけ教えて下さい!』

 

 舞台脇にいた和美はここは聞かねばならないと会場中の総意を代表して、舞台に昇って高音にマイクを向けた。明日菜の時は気を使って大人しくしていたのに、高音の時にはしゃしゃり出てくる気満々のようだ。

 マイクを向けられた高音は、なにを言われているのか分からないといった顔で向けられたマイクと和美の顔を順に見て、「どこに惚れた?」と聞かれたことを思い出して自分の思いが勘違いされていることに気づいた。

 

「ち、違います! 憧れているというのはそういう意味ではなくて……」

『それはどう考えても惚れた腫れたとしか聞こえませんが』

 

 顔をトマトよりも真っ赤にしてマイクに向かって言うも、和美の言いように会場中が頷いた。

 

「私が憧れていると言ったのは正義の味方としてです! 決して男女のそれではありません!」

 

 認めしようとしない高音に、会場中の視線、それも女性陣から非難が体にグサグサと突き刺さってくるような気がして、身の置き所がなくなって本音をぶちまけた。

 「正義の味方」という単語に会場中の全員が揃って首を捻った。男女の恋の話がいきなりとんでもない方向に走り始めれば首を捻りたくもなる。

 

「誰もが彼、アスカ・スプリングフィールドの活躍を知っているはずです。そして見たはずです。無心に人を助け、悪を挫く姿に正義の味方の姿を」

 

 今まで語る機会がなかったのか和美からマイクを奪い、マイクを持っていない手を広げながら良く響く声で語り始めた。

 

「理不尽な災厄から、理不尽な悪意から、みんなを守る絶対的な存在。弱気を守り、強きを挫く。彼の行動はまさに正義の味方そのもではありませんか」

「なぁ……」

 

 更に続けようとした高音を遮って、アスカは少し気まずげに口を挟んだ。

 

「今の俺と前の俺が同一人物だって分かる奴、いないと思うぞ」

「む……」

 

 何故止められたのか分からないといった顔をしている高音から、そっち関係の話になると察知した和美がマイクを取り返してそそくさと舞台脇に戻っていく。

 マイクを取り返されたことにも気づかず、高音は改めてアスカの姿をマジマジと見る。

 

「どうして大きくなっているのでしょう? 話では小学校高学年ぐらいだったはずでは?」

「そこからかよ!!」

 

 今更にその事実に思い至ったらしく首を捻り始めた高音に、普段はボケのアスカが突っ込んだ。

 アスカは疲れたように肩を落として頭が痛むのか、眉間を揉み解しながら口を開いた。

 

「取りあえず、俺は正義の味方なんかじゃないから。やりたいようにやってるだけだ」

「嘘です」

 

 感じたままに高音は心中を吐露した。

 

「へ?」

 

 まさか否定されるとは思っていなかったアスカは、口を開けてポカンとした。

 

「あなたは多くの人を救ってきました。それはこの麻帆良中の人が知っています」

 

 高音は畳みかけるべくアスカまでの距離を一歩進める。いっそ無防備に近づく高音を前にしてアスカは動かなかった。どうにも温度差が異なり過ぎて、頭がフリーズしているようだ。

 

「―――――私には親友がいます」

 

 暫くの沈黙の後、高音が突如として関係のない話を始めた。大きく、観客達にも聞こえるように響く声で。

 

「彼女はとても可愛らしい人で、恥ずかしながら世間知らずな私を何時も助けてくれました」

 

 黙するアスカを見る高音の目は真剣だ。彼女の真剣な目を見れば関係のない話をするとも思えない。アスカは話を聞くことにした。

 会場にいる者達も同じ意見なのか、先程までのざわめきが嘘に静まり返る。静まり返った会場に高音の声だけが響いた。

 

「でも、そんな彼女に不幸が起こりました。帰宅途中に男達に誘拐されたのです」

 

 その男達に嫌悪を感じているのか、怒りを滲ませた口調で話す高音に、ピクリと反応したアスカの体。果たして高音に反応したのか、話す内容に反応したのか本人にも分からなかった。

 

「男達は最低でした。彼女に口にも出せないことをしようとしていたのです」

 

 一度は怒りを吐き出そうと会話の合間に間を作って深呼吸をしたが、余計に怒りが増したのか嫌悪と怒りが交互に混じった口調になっていった。

 

「多くの男達に組み敷かれ、助けを求めて精一杯の抵抗をしましたが暴力を振るわれて彼女は遂に絶望しました。そして救いはないと諦めてしまったのです」

 

 その後の悲劇は言われなくても誰でも想像がつく。想像もしたくない悲劇が高音の親友を襲ったのだろう。誰もが沈鬱そうに顔を俯けた。

 

「でも、奇跡が起こりました。どこからともなく正義の味方が現れたのです」

 

 だけど、ここで始めて高音の声色が蕾だった花が綺麗な花弁を開くように劇的に変わる。怒りが喜びに、嫌悪が憧れに変わっていく。

 

「正義の味方は男達を軽々と薙ぎ払い、窮地に陥った彼女を救いました」

 

 世界を見渡せばどこにでもあるありふれた悲劇はヒーローの登場によって覆され、悪は正義の味方によって対峙された。どこにでもある三流物語の結末と同じ。違うのはこれが現実に起こったこと。 

 

「そして正義の味方は彼女に言いました。『もう大丈夫だ。安心していい。よく頑張ったな』と」

 

 高音の親友にとって正義の味方の言葉は、どれだけの救いになったか。きっと当の正義の味方にも分からないだろう。彼女にとっては絶望の中に現れた希望そのままで、物語に現れるヒーローそのままだったのだ。

 

「男達は正義の味方が呼んだ警察に捕まりました」

「それはまさか……」

 

 アスカには高音の言う「彼女」が誰か知っていた。そもそも事件の当事者の一人だった。

 

「彼女は言っていました。もしあの時の正義の味方さんに会えたらお礼が言いたいと」

 

 高音の視線が正義の味方がアスカであることを指し示していた。

 アスカが関わった事件。別荘の使用を禁止されて散策していた時に通りかかった際、異変を察知して誘拐されて今にもな少女を助けたことがあった。

 記憶を思い返せば被害者だった少女はウルスラ女学院の制服を着ていた。同じウルスラ女学院に通っている高音と知り合いだったとしても何の不思議もない。

 

「私には出来なかった。知れもしなかった」

「完全無欠に偶然だったんだが……」

「だけど、あなたはあそこにいて彼女を助けてくれた。私は安穏としていただけだったのに」

 

 アスカが間に合ったのは偏に偶然に過ぎない。偶々、あの場所を通って異変を察知しただけ。助けたのはアスカにとって何時もの行動である。

 偶然が重なったとしても、高音には親友を自分の手で救えなかった悔恨があった。でも、彼女にどうして事件の事を知れようか。親友が帰ってこなかったことに気づきはしても、恐らく核心に辿り着いた時には全てが手遅れになっていただろう。

 だから、どうしようもなく憧れた。自分には出来ないことをしてみせたヒーローに。憧れ続けた正義の味方は本当にいたのだという喜びと共に。

 

「私に出来なかったことをしたあなたが、親友を助けてくれたあなたは、あの時から私の憧れなんです。私の正義の味方なんです」 

「頑張って! 金髪のお兄ちゃん!」

 

 答える言葉を持たずに俯いたアスカの耳に、観客席から声変わりのしていない高いキーの子供の声が響く。

 声の方向へと顔を向ければ、少年少女――――ひったくり犯に突き飛ばされたところをアスカと小太郎に助けられたはる樹とゆきがいた。

 二人は腕を振り回して、顔を真っ赤にしてアスカの応援をしてくれている。

 

「頑張れよ、坊主!」「負けるなよ!」「頑張って!」「ファイト!」「大丈夫、勝てる!」

 

 次々と観客席からアスカに向けて声援が振り向けられる。

 

「なんだこの恥ずい空気は」

 

 周りの人達も便乗して会場を包むような応援の声が木霊する。アスカは突如として注目されて穴があったら入りたい気持ちだった。

 

「決着を着けましょう。この戦いを観客投票で決められるのは本望ではありません」

 

 試合が開始されてから十分を超えている。一試合の制限時間は十五分に設定されており、時間を超えれば観客による投票で決着が決められていた。

 

「早く終わらせよう。てか、逃げたい」

 

 高音は自らの言葉通り、ベルトにも見える影の槍群を背後に戻した。一撃で決着を着けるために全ての影の槍を使い魔の拳に収束させていく。反対にアスカはその場から一歩も動かず、構えすらも取らない。

 二人は同じ気持ちだった。どちらも決着を望んでいた。その道程が全く異なっているが。

 一撃で試合の決着が着くと認識し合った。睨みあって無言の時が数秒流れる。

 司会の和美が手元の腕時計を見て、試合時間が残り一分だと告げようとしたその瞬間、

 

「――――っ!?」

 

 高音の目が丸く見開かれた。

 瞼を下ろして上げる一瞬の瞬きの間、アスカから意識をずらした、いや、普通なら意識を外したなんて言わない。誰もがする生理現象。隙とも言えない瞬きをした一瞬の間にアスカが目の前―――――それこそ使い魔が自動反応しない絶妙な距離にまで近づいていたのだ。

 

「なっ――」

 

 一瞬の接近に驚きながらも攻撃が届くか届かないか迷う距離に、攻撃を放つか退避行動に入るかで逡巡が混じる。

 神業的な速さで攻撃に移る決断を下したた高音だったが、アスカの行動に今度こそ度肝を抜いた。

 距離を一息に詰めるでもなく、まるで友人か家族の家に上がりこむような何気ない足取りで悠々と歩いてきたのだ。とても戦いの最中には見えない。

 決して素早い動きではなかった。むしろ緩やかにすら感じられる歩み。本当に極自然だった。なのに、何故か全く反応できなかった。認識と知覚の隙間に滑り込むような歩法は、不自然なほど自然すぎて警戒に足るだけの違和感を抱かせない。

 あまりに軽い歩みだった所為で、懐に潜りこまれたのに気づいても反応するのが一瞬遅れてしまった。

 無防備にくるりと反転して、アスカは背後にいる高音に体重を預けたのに反応ができない。腰を僅かに下げたアスカの背中―――――肩甲骨が棒立ちの高音の胸に触れる。

 操影術の近接戦闘最終奥義である黒衣の夜想曲。使い魔の懐の内で守られながら、使い魔の攻撃力、機動力で白兵戦を仕掛ける。相手の攻撃を自動的に防ぐため、同等の能力の持ち主であるならほぼ無敵と言っていいだろう。あらゆる物理攻撃、打撃のみならず魔法の射手のような魔法攻撃に対しても「黒衣の盾」により自動で防御する。

 ただこの魔法の自動防御は術者に損傷を与える攻撃にだけ反応するので、触れようとするだけなら使い魔に妨げられることはない。

 意識の隙間を縫って接近したといっても、外部からは普通に散歩するように歩いて近づいたようにしか見えないアスカ。

 闘気すらない歩みは使い魔に攻撃の意志を感じさせない。背後を見せて体重をかけてきても攻撃の動作は取らないので防御行動を取らなかった。高音はアスカの行動を感知できていないのだから回避行動は取れない。結果として使い魔はアスカが術者に触れようとも行動一つ起こさなかった。

 この一瞬の間こそがアスカの狙い。背中を向けて密着状態にある現状。手足を動かせば攻撃動作と取られないので攻撃接触点は背中のみ。背中で放てる攻撃が中国武術にはある。

 

「はっ――!」

 

 その瞬間、床を踏み抜くような震脚と共に、アスカが足首から膝、腰、肩と剄を練り上げ廻して背中から解き放つ。鉄山靠―――――それは一撃必殺、二の打ち要らずとも称される剛拳、八極拳の中でも最大級の破壊力を誇る打撃技である。

 

「――っ!」

 

 全く回避も防御も出来ず食らってしまう。影の衣装を纏って防御力を上げている高音の胴体が爆発した。爆発したと錯覚するほどの凄まじい衝撃に襲われた。

 

「あ……あ……」

 

 呼吸も思考もできず、その威力は高音の意識を一撃の下に消し飛ばしたかのようにブレーカーが落ちた。意識を失った高音の体はそのまま前にいるアスカへと寄りかかっていく。

 続いて、グラッと巨体を揺らめかせた使い魔の姿に、観客がどよめいた。

 

『き……決まった――――っ!?』

 

 間近で見ていた和美にはアスカの足下が陥没した直後に、高音が倒れ込むようにしてアスカに寄りかかったのでなんらかの攻撃が決まったのだと考えた。

 

『おおお!? 巨大人形が消えていきます!? 一体どんな仕掛けなのか!? 素晴らしい技でした!!』

 

 高音が生み出した黒衣の夜想曲の巨大使い魔が霞のように消えていく。

 高音の操影術は黒衣の夜想曲で巨大使い魔を作り出したり、複数の使い魔を生み出すだけではない。拳に纏わせる事でパンチの破壊力を高める事も可能であり、自分の身を守る盾にもなる。

 ここで問題なのは、一回戦で着ていた服が田中さんに吹き飛ばされてしまったことにある。替えの服など用意していなかった高音は影の鎧――――魔法で服を作り上げた――――を使ったのである。

 影の鎧は、装着すれば防御力三倍になる。見た目はただの服なので魔法バレの可能性もかなり低い。お肌にピッタリ装着すれば七倍になるのだからどうするかは決まっている。

 この試合で披露していたドレスのような服は影の鎧だったのだ。しかし、この影の鎧には重大な欠点が存在していた。そしてその欠点は影の鎧の能力を最大限発揮している時に限って致命的なものになる。

 

「ああっ! たたた大変! 今のお姉さまが気絶しちゃうと……!」

「どうしたの?」

 

 選手控え席にいた愛衣が何故か顔を真っ赤にして慌てているのを見て、耳の良い明日菜が咄嗟に不思議そうな顔をしながら反応した。選手の何人かも彼女に顔を向けた。

 

「あの着ているドレス(影の鎧)が脱げちゃうんです!」

「は?」

 

 愛衣の叫びを聞いた選手全員の顔がなにを言っているのか理解できずに束の間、埴輪になった。

 

「ふにゃ……?」

 

 アスカはふと、背中に当たる柔らかい感触をそのまま擬音を口に出した。

 これはなんだ、と寄りかかっている高音の方を首だけで振り向いて、予想以上に多い肌面積に、この試合二度目のピシリと彫像にように固まった。

 高音を見た和美や選手控え席にいる選手達、そして会場中の人間全てが凍りついたように時が止まった。

 

「う……」

 

 高音の意識は直ぐに戻った。アスカは着ている服にも何らかの魔法によって作られている物と考えて手加減はしなかったが、影の鎧の防御力は想定以上だったということだろう。

 惜しむらくは、このまま長時間意識を失っていた方が彼女にとっては幸せだったかもしれないということだろう。今の高音にとって、龍宮神社は地獄の最下層よりも最悪な場所なのだから。

 

「ア……アスカさん、私……負けたのですか?」

 

 意識を飛ばした反動で僅かに霞む視界で目の前に逞しいアスカの背中があるのが分かり、自分の身体が彼に寄りかかっているのが分かって答えが返ってくる前に敗北を自覚した。

 負けたことにショックは受けなかった。いっそ気味が悪いほどに心身ともに清々しい気持ちで負けを認められた。

 

「完敗です。今度、是非にでも私に……?」

 

 色々な意味で教えを賜りたいと考えた高音は、意識も完全に戻りかけてこの時になってようやく状況の異様に気がついた。

 会場が異様に盛り上がっていることや、試合前から開始にかけて集中していた色欲に満ちた視線を遥かに超える情欲にまで至っている視線、目の前で気絶しているかのようにピクリとも動かないアスカ、見下ろしている視界に映る肌色、清々しいを通り越して寒々しい感じる全身。

 

「え……?」

 

 視界に映るのは生まれたままの姿の自分の肢体を見下ろして現状に気づいた。見る見る内に顔が赤くなるのを自覚する。

 これこそが影の鎧の弱点。術者が意識を失うなど魔法の制御が困難な状態に陥ればなれば自然と消失してしまうのだ。素肌に着ていると気絶したら待っているのは今の高音のように素っ裸。

 肌に直接着込んだ場合、防御力が増すのは陽の下にあることで内側の影が濃くなるから。服の下に着ると影の中に着ることになって防御力が低下するのだ。下着を着ても効果は低下するので、全裸になって直接着込むしかない。

 高音は一回戦で田中さんとの試合で服を消失したので、影の鎧を肌の上に直接着込んでいた。そして短時間といっても気絶してしまったので消失してしまったのだ。後に残されていたのは全裸になってしまった肢体であった。

 

「ひゃ――」

 

 高音は反射的に悲鳴にならない声をあげて、己を裸体の前面だけでも隠そうと蹲ろうとする。

 肌に直接着込んだ影の鎧がその性質上、気絶したら消えてしまう危険性を当然高音も理解していた。だが、いざ危惧していた通りの展開になってみると羞恥心が全てを上回った。

 

「わ――っ」

 

 蹲ろうとすると密着したアスカもそれに引き摺られてしまう。しかも完全に自失していたところなので、あっさりと尻餅をついてしまう。そのスピードは蹲ろうとした高音よりも早い。

 結果として不可抗力でアスカの目の前には、薄い金色の茂みが広がっていた。どことは言うまい。

 背面は仕方ないにしても、前面はアスカがいたので防波堤代わりになって遮ってくれていた。アスカという防波堤がなくなって、高音の胸が衆目に曝される。

 ガラガラと何かが崩れていく音が聞こえた。自我とか自尊心とか世間体とか、そういった高音の持ち物が片っ端から崩壊していく音だった。

 

「…………きゃ」

 

 声の欠片が唇から零れた。

 

「きゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

 生涯最大の叫び声を上げて高音は慌てて自分も蹲りながらアスカを抱きしめる。さっさと影の鎧を展開し直せばいいのだが、羞恥心が高まり過ぎて考えには至っていないらしい。

 高音にとっては幸運にも、観客の男達には不運にも、あまりにも素早い動きと正面が選手控え席だったので胸を見た者はいなかったことにあった。選手の男連中は愛衣の情報からいち早く紳士的にも顔を背けていた。衆人環視の中で見てしまったらどのような変態の烙印を押されるか分からなかったためである。

 ローブのクウネル・サンダースは性別が分からないので除外、小太郎は千草の教育によって既に明後日の方向を見ていた。

 

「はうっ……」

 

 高音の髪の毛は長いので背面も意外と隠れている。横側は高音の腕やアスカの体で肝心の所は見えなかった。そもそも十五メートル+倍ぐらいの距離が観客席と空いているので詳細など全然見えない。

 でも、間近にいるアスカには色々な場所が見え放題だった。

 

「こんな衆人環視の中で裸に剥かれた見た責任…………私の裸をこれだけ見たんですから責任を取って下さい」

 

 果たしてどのような意味で責任を取れと言ったのかは高音当人しか分からない。

 言われた当人は、先に尻餅をついていて後になって上から下りてきた高音の胸が絶妙に頭に嵌り、その上から腕を回されて圧迫された。

 胸の合間に押し付けられて綺麗に鼻と口を塞がれ、試合での超人的な技量では考えられぬほど呆気なく窒息して気絶していた。状況に耐えられなくて自分から意識を断ったのかもしれないが、ただ一つだけ言えるのは気絶しているアスカの顔がどこか満ち足りて、やり遂げた男の顔であったことだった。

 高音がアスカの気絶に気づくのと、愛衣が高音が捨てたローブを拾って持って来るまで後数秒。「ウルスラの脱げ女」と不名誉な称号が完全に定着するまで後数分。

 




高音の来歴は独自設定です。

名前:高音・D・グッドマン
属性:うっかり、猪突猛進、空気読めない
仇名:ウルスラの脱げ女

名前:アスカ・スプリングフィールド
属性:空気を読めてしまう、モグラになりたい
仇名:女の敵
天敵:高音・D・グッドマン


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