魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第48話 決勝戦

 

 まずは伸脚。浅く浅く、深く深く。次にアキレス腱を伸ばし、手首と足首を回す。続けて腰を左右に捻る。

 数分前から始めているので身体は十分温まっていたが、アスカは入念に試合前の準備運動を行っていた。じっとしていられなかった。興奮が半ば勝手に身体を動かす。

 身体が温まってくれば構え、ゆっくりと拳を突き出す。

 床を踏み鳴らす心地良い音を感じながら歩法を確かめ、体幹と重心の移動を何度も試す。

 心静かに――――昂ぶり続ける闘争心を抑えつけるように無心を心掛けつつ、使い慣れた基本の型をひたすらに繰り返す。意固地に、愚直に、それしか知らないというように繰り返し続ける。

 

「……はっ!」

 

 肘打ちに鋭く空を切らせ、呼気と共に拳で宙を突いた。次第に思考がクリアになり、今の自分を悩ませる全ての事象さえも頭の中から消えていく。

 不思議なほど体が良く動いてくれる。まるで生まれ変わったかのように全身が軽い。

 どれだけの時間そうしていたか―――――不意に、ピリリリとという電子音が聞こえてきて、アスカは動きを止めた。

 全身から湯気が出そうなほど熱気を迸らせながら伸ばしていた腕を引き戻す。鳴り止まない電子音を聞き流して、落としていた腰を上げながら一度閉じた瞼をそのままに、長く静かに息を吐き出しながらゆっくりと開けた。

 ズボンのポケットに左手を伸ばす。電子音を鳴らしているのは、ポケットに仕舞われていた携帯電話だ。取り出して時間を設定して鳴らしていたアラームを切る。

 深く息をつき、額の汗を拭う。

 

「うしっ、ウォーミングアップも充分だろ」

 

 落ち着いてきた呼吸を確かめて、胸の前で柏手を打つように両掌を打ち合わせて音を立てた。 

 呼吸とは裏腹に胸の奥で鳴り続けている脈動は収まるところを知らないように高まっていく。奇妙な感覚がアスカの全身を支配していた。

 心がざわめく。戦うべき時が来たと理屈抜きで分かり、体に力が満ちる。全身が熱くなって手足や指先、毛細血管の一つ一つにまで力と熱さは宿り、戦闘態勢が整ったことを教えてくれた。

 この緊張は一体何なのだろう。予感というものがあるのなら、もっと明確な形で欲しいものだと思う。ただの気分の高揚、不安感を抑えようとする筋肉の張った気分というのは、何の役にも立たないはずなのだ。

 

「入るぞ」

 

 と、耳に心地よく響く鈴やかなと声と共に室内にいるアスカの了承もなしに襖がスパーンと音がしそうなほど強く開けられた。

 

「エヴァ」

 

 アスカが開けられた襖の方を見れば、そこに立っているのは長い金髪を垂らした西洋のビスクドール染みた容姿の少女――――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルその人。

 芸術家が本能を刺激されること間違いなしの立ち姿であったが室内に入るなり眉を顰めていては折角の美貌も台無しだった。

 

「準備運動にしては急ぎ過ぎではないか。室内が汗臭いぞ」

 

 人の形をしていても吸血鬼と人間は基本性能が違う。当然ながらそこには五感も含まれていた。学祭期間中であれば世界樹に満ちる魔力によって封印効果を超えて回復してくる。となれば五感もまた人間の域を超えて来る。下手に優れ過ぎる五感も元が普通の人間であったエヴァンジェリンには害にしかならない。嗅覚に優れた犬に及ぶものでもなし、普通の人より少し鼻が利くだけの状態であってもだ。

 

「そうか?」

「私ぐらいでなければ気づかないだろうが微かに匂っている」

 

 アスカは汗を吸った服を鼻にまで持って言って掻くが汗臭いとは思わない。得てして本人の臭いは分からないものであるが、同じように五感に優れている明日菜以外であれば気づきもしないレベルである。

 言いながらも喚起するために襖を開けっ放しで室内に入って来るのを見ると、アスカとしては綺麗好きではなくても少し気になってしまう。

 一度は水に落ちたといっても武道会で三試合して、動いた分だけの汗を掻いている。風呂に入れるような状況ではなかったので如何ともし難いことなのだが、だからといってどうにかなるものでもない。

 

「ふん、気合は十分といったところか。だが、逆に力が入り過ぎているぞ。もっと力を抜け」

 

 突っ込んでほしいやら放っておいてほしいやら奇妙な心境になっていて、どうしたらいいのかと困った顔を浮かべているアスカに、全身をジロジロと見たエヴァンジェリンは我関せず話し出した。

 

「自覚はしてる。緊張しているのか、俺は」

 

 拳を握ったり開いたりする動作には若干の鈍さがあった。動きの鈍さは怪我ではない。全身を支配している奇妙な感覚を改めて他人から指摘されれば緊張していると分かった。

 

「そんな様ではアルには勝てんぞ?」

「ハッキリ言うなぁ」

 

 歯に衣を着せずに外連味のないズバリとした言い方は、柄にもなく緊張を覚えていたアスカから肩の力を抜かせて僅かながらも苦笑を浮かばせた。

 

「なんのようだ? 試合前の選手を激励する柄でもないだろ」

「悪いか、私が激励に来て」

 

 女王気質なエヴァンジェリンは人を応援するよりも下々の足掻きを高みから見下ろして悦に入るものだと思っていたので、予想外の返答にアスカは虚を突かれて目を丸くした。

 

「何を意外そうな面をしている。私が激励に来たのがそんなに珍しいか」

「珍しいというか、人を応援するなんて殊勝な奴じゃないだろ。逆に緊張をしているところを笑いにくる性質だろうに」

「む」

 

 気質を把握されていることを怒るべきか、指摘したアスカを非難するべきか、一瞬だけ顔を歪めたエヴァンジェリンは迷うように視線を揺らめかせた。しかし、深くは気にしないことにしたようで直ぐにアスカに視線を戻した。

 

「決勝戦の相手が相手だから喝を入れに来てやったんだ。この私がわざわざ直々に来てやったんだからもっと有難そうにしろ」

 

 親切の押し売りに来たエヴァンジェリンに、素直じゃないなと微笑ましさを感じたが表情には出さなかった。甘さといった弱い面を突かれるとムキになると知っていたからだ。

 下手な藪を突いて蛇を出さない利口さぐらいはアスカも持っていた。

 

「なんだその顔は。言いたいことがあるなら言ったらどうだ」

「別に何も」

 

 懐疑的なエヴァンジェリンの視線は読心術もかくやと思うほどの鋭さで見通していたが、面倒事は御免だとポーカーフェイスをしているアスカの面の皮を貫けはしなかった。

 針もかくやの鋭さで顔を睨み付けたエヴァンジェリンだったが、不毛な追及をしても仕方ないとばかりにアスカの目の前で大袈裟に息を吐いた。当然、目の前でそんなあからさまな態度を取られればアスカだってムカつきもする。

 しかし、そのイラつきを向けられることをエヴァンジェリンが目論んでいることは明白だった。半年程度しか日本に滞在していないアスカが十五年も日本にいるエヴァンジェリンに語彙で勝てるはずがない。本格的な口論になれば勝てる見込みはないので気持ちを抑え込んで沈黙を貫き通した。

 

「ふん、まあいい」

 

 唇の端をヒクヒクと震わせながらもアスカが吊られて来ないと分かると、エヴァンジェリンは気に入らぬと鼻息を一息だけ荒くしたがそれ以上は感情を表に出さなかった。

 気安げなエヴァンジェリンの態度に、変われば変わるものだなと今日二度目の感慨を抱く。

 

「決勝戦、油断だけはするなよ」

 

 ポツリと静かに呟かれた一言に緩んでいた緊張感を取り戻した。

 

「最初から油断なんてしない」

「気持ちの上では、だろう」

 

 油断はしていない。油断できる相手ではないとアスカは知っている。だがそこまでだとエヴァンジェリンは指摘する。

 

「武道大会のルールに乗っ取った全力。衆人環視の中で行われる試合の中で出来ることは限られるが、今回ばかりはそうも言ってられん。魔法がバレようとも構わん。ルールに引っかかろうが詠唱を使え」

 

 長くなったので一度そこで言葉を切り、次の言葉を紡ぐために息を吸い込む。

 

「本気の本気、今のお前では持てる力の全てを振り絞らん限り、アルに指一本触れることは出来まい。試合にすらならんだろう。こんな簡単なことに気づかんとは言わせんぞ」

「判ってるさ。でもさ、魔法がバレたらオコジョだぞ」

「それが油断だと私は言っているんだ。わざわざこのような大会に出てまで行う奴の目的が分からん。多少のリスクは負ってしかるべきだ」

「…………やるだけはやってみるさ」

「忠告はしたからな」

 

 と、エヴァンジェリンが言った直後、襖が外から開かれた。

 

「甘く見ない方がいいでござるよ」

 

 開けられている襖の向こうから長身の少女が立っていた。

 声をかける前に存在に気づいてそちらの方向を見た二人の挙動に、少女は苦笑いにも似た表情を浮かべた。

 

「長瀬楓か」

 

 痛々しく頬にガーゼを張り、バーテンダーのような服装もあちこちが破れたり汚れたり、袖の一部分には血すらも滲んでいた。

 

「随分とこっぴどくやられたようだな」

「いやー、想像を遥かに超えて圧倒的でござった。頂きは遥か遠く、まだまだ手は届かないでござる」

 

 歩み寄って来る楓の姿を見遣ったエヴァンジェリンの皮肉染みた言い方にも、普段からののほほんとした顔を崩さずに流した。

 

「怪我はどうだ?」

 

 黙っていたアスカが押し込めていた何かを開放するように問いかけた。

 楓はアスカを見て底知れぬ感情を湛えた瞳を見て一度は開きかけた口を閉じ、言葉を選ぶように間を開けた。

 

「掠り傷……とは流石に言わないかもしれないが、動きには問題のない軽症レベルでござる。そう心配なさるな」

「心配なんてしてねぇよ。木乃香に治してもらったらどうだ? 会場のどこかにいるだろ」

「そうでござるか。また、おいおい頼むでござる」

 

 楓はそこで本題に入ろうと一度咳払いをした。

 

「拙者が来た用件でござるが、実際に戦った者として助言をと。迷惑ならば退散するでござるが」

「助かる。聞かせてくれ」

「ふん、負けた奴の話を聞いてどうする」

 

 横から入ってきた可憐な声にアスカは声の発信源の方を向いた。あまり頼りにされないことに拗ねているエヴァンジェリンがいた。

 

「そういう言い方はないだろ」

「ふん、事実だろうが」

「エヴァ、それは一回戦を勝てなかった奴の台詞じゃないって分かってるか?」

「!? あれは刹那が自爆したからであって、私は花を持たせてやろうと――」

「結果は同じだろ」

 

 微妙な女心のエヴァンジェリン。だがアスカに繊細な女心が分かるはずがない。

 目の前で言い合いを始めてしまった二人の姿は笑いを誘った。流石にここで楓が茶々を入れると話が拗れそうなので、笑うのは内心だけでに留めておいた。

 亀の甲より年の甲。先に平静に戻ったのはエヴァンジェリンの方だった、

 

「時間はそうない。長瀬楓、話を進めろ」

「…………自分が茶々を入れたくせに」

「あ?」

 

 ピキリとエヴァンジェリンの眉間に青筋が浮かんだ。

 エヴァンジェリンの表情は阿修羅の如く、対するアスカも悪鬼の如く。二人が間近で睨み合う。

 

(仲良きことは良きかな、でござる)

 

 仲良きことは美しきかな、をオマージュしつつも、先にエヴァンジェリンが言ったように決勝戦までそう時間がないのは確か。漫才のような二人のやり取りを見ることは楽しいが少ない時間が鑑賞を許してくれない。

 

「どうどう、時間がないのだからそこまでにするでござる」

 

 チクチクと相手の嫌がる部分を的確に突き合う醜い言い争いを続けている二人の間に身体で割って入る。

 右手を伸ばして割って入って来た楓の身体は、アスカに背中側を向け、身体の内側はエヴァンジェリンに向けられた。そこに意図はなく、純粋な行動の結果といえる。

 

(ぬ、この我儘ボディめが……!? 当てつけか、もう成長しない私に対する当てつけなのか!)

 

 奇しくもベストの前を止めているボタンの上半分が準決勝の戦いによって破損か紛失している。よってベストの前は半分開いている状態で、時間が空いたとはいえ、着ているYシャツはまだ乾ききっていない。つまりは中に着ているものがうっすらと透けて見えてしまっているのだ。

 触れるほどの近さでなければ透けては見えない。しかし、今のエヴァンジェリンと楓の距離は触れるとまではいかなくても手を伸ばせば触れてオツリが出る。

 片手を出して身を乗り出していることもあってYシャツも胸元が張っている。身長の差もあってエヴァンジェリンからは開いたベストの部分から楓の胸元がバッチリと見えていた。

 平地から雲を突き破るほどの高い山まで、幅広いレパートリーを数えている3-Aの中でも間違いなくトップ3に入る巨乳の持ち主。サラシで巻かれて窮屈そうにしている肉の塊は、十歳の時に吸血鬼になって成長が止まっているエヴァンジェリンには絶対に手に入らないものだ。

 

(私にもアレぐらいの胸があれば、ナギもこいつも振り向いてくれるんだろうか?)

 

 今更、吸血鬼になってしまったことを後悔はしない。こんな姿にした男には相応しい報いを与え、生きる為に築き上げた屍山血河を思えば赦しを得ることすら望むまい。それでも時折に思うのだ。

 

(吸血鬼に成るのが十年遅ければ幻影の姿が手配書に載ることもなかったろうに)

 

 子供の姿は何かと不自由が大きい。幻影で大人の姿を好んで使っていたこともあって、六百万ドルの高額賞金を賭けられた手配書に載っているのは本当の姿ではない。良くも悪くも人としての面を残しているので時として欲が湧き上がってくる。つまり、自分の胸がなだらかな平野しかないことを悔やむのだ。

 

「羨ましくなんてないからな!」

「?」

 

 持つ者に持たざる者の気持ちなど分かるはずもない。持たざる者の僻みを理解できない楓は首を横に傾けた。

 

「いい加減に話を進めないか?」

 

 男にはてんで縁のない話題なので蚊帳の外に置かれていたアスカが口を挟んだ。

 

「そうでござるな」

「ちっ」

 

 返って来た反応は当然の如く真反対。どちらがどちらであるかは察するべき。

 当然の如く、話を進めるのは顔を盛大にそっぽ向いているエヴァンジェリンではなく楓。

 

「決勝戦の相手、クウネル殿ついてでござるが」

 

 そこで少し間を開けた。

 

「あの身体、本体ではござらんぞ」

「だろうな」

 

 楓に言われるまでもなくアスカも気付いていた。

 

「ダメージは完全無効、なのに向こうからの攻撃は自由自在と反則的な無敵具合。当人も認めたことから分身体だか幻影だかを一瞬で消し去る力が必要になるでござる」

 

 体を一瞬で消し去ってしまうほどの技を放てば、周りにはアルビレオが殺されたと見えるからそんな技は使えない。そもそもそれだけの間をアルビレオは易々と与えてはくれない。

 

「本体は3~4㎞ほど離れていると言っていた故、どこまで信じれるかは怪しいが嘘ではないと感じたでござる。本人の言を信じれば無敵状態は学園内、及び世界樹の魔力が学内に満ちる三日間しか使えないと」

「となると、ここまで世界樹の恩恵を受けるとしたら居場所は地下か」

「地下のドラゴンは門番なのだと奴自身が言っていたから、その可能性は高いだろう。十五年も私に気づかせないとしたら地下に籠るしかない」

 

 図書館島に広大な地下空間があることを考えれば、麻帆良学園都市全体に広がっている可能性もある。

 

「それを込みにしても強かったでござる。世界は本当に広い。真に最強と呼ばれる者は凄まじいござるな。手も足も出なかった」

 

 悔しさを微塵も覗かせず、拙者もまだまだ修行が必要でござるなと高峰を仰ぎ見る登山者のような面持ちをしていた。

 目指すべき一つの到達点を見つけたとばかりに顔を輝かせる楓がアスカへと視線を向ける。

 

「決勝で会おう、とそう言っていたでござる」

 

 楓の伝言を通してアルビレオの不敵な笑みが脳裏に過って来て、アスカの戦意に薪がくべられたように猛る。どうにも人の心を煽ることが特異な男なのだ、アルビレオ・イマは。

 

「奴はそういう奴だ。変なところで形に拘ろうとする」

 

 古い知り合いであるエヴァンジェリンには、自分のルールに従って行動するアルビレオの悪癖を良く理解していた。十五年前に再会してから何度からかわれてきたことか。

 

「人格的に腐っていても英雄の一角だった男だ。犬に手痛い一撃を食らったことで緩みがとれたんだろ」

「エヴァ殿の仰るようにクウネル殿に油断はござらん。下手な気持ちで挑むのは自殺行為」

 

 二人ともアスカのことを思えばこそ忠言してくれていることは分かっている。

 

「程々に行くさ」

 

 言葉とは裏腹にアスカは獰猛な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大量の紙吹雪が空を舞い、本物の雪のように降り注ぐのを見てアスカは僅かに顔を顰めた。傍目には綺麗かもしれないが紙吹雪が目の前を何枚も過って視界を塞ぐし、頭や肩の上に乗って邪魔なことこの上ない。

 会場の盛り上がりも凄まじく、小太郎が絶対的強者に一矢報いて男気を見せたことで、まるで地鳴りの如く広がり続ける歓声の声は耳を弄するほど。特に格闘系の男達が意地を貫いた小太郎に感化されて歓声の大きさだけなら今日一番の盛り上がりになっていた。

 開催されているのは武道大会なので、やはり格闘好きの男達の観客率の方が多い。出場者に女子中学生が多くて想像していたような血沸き肉躍るような戦いには成り難い。盛り上がる試合は幾つもあったが女の子や子供が傷ついている試合を心の底から楽しむことはしにくい。その中で小太郎が見せた男気に魅せられた男達は多かった。

 

『さあ、遂に伝説の格闘大会「まほら武道大会」決勝戦です!!』

 

 祭りは何時だって終わりに近づくほどに盛り上がりを増していく。このような武道大会は決勝に残った者が強いのが通説なのだから当然の流れだろう。組み合わせ次第で強者同士がぶつかって早々に敗れる可能性があると分かっていてもだ。

 

『お聞き下さい、この大歓声! 大変な盛り上がりです!! この決勝までの数々の試合、そのどれもが珠玉の名勝負!! テレビなどでは決して見ることの出来ない真の達人の闘いでした!!』

 

 アスカは拝殿から舞台へと続く道を一人で歩きながら、始めて舞台上空に浮かぶ特別スクリーンの気づいた。

 誰も驚いていないことから何回も流されたものであることは推測に固くなく、舞台を中心にして四方に向けて浮かび上がって見やすいように角度にも気を使っていること考えれば、大会開始前から放映がされることは決まっていたのだと分かる。

 耳を澄ませば肯定したり否定したり、大会側の演出を疑っている声など様々。

 

「考えるのは後だ」

 

 自然と道を開ける観客達の間を、無人の野を進むが如く歩み続ける。何もかも脳を肉体を使う全てを後に回す。アスカ・スプリングフィールドが全霊を賭けても勝てぬ相手に挑むために。

 

『学園最強の名を手に入れるのはクウネル選手か、アスカ選手か!』

 

 よく通る和美のマイクパフォーマンスで盛り上がる会場の中、観客席を抜けて両脇にある選手席の中央に到達する。

 殆どの選手が敗退してからは観客席に移っている中で、楓・古菲・明日菜・刹那にエヴァンジェリンと何故かいる木乃香。

 

「頑張れ、アスカ!」

 

 選手席から舞台までの道のりを半分踏破したところで背中にかけられる声があった。この大歓声の中でも届く声である。鼓膜に届いた時点で誰の声かは分かっている。

 後ろを振り返りたい衝動を抑え、明日菜の声援に右腕を上げて答える。視線はただ一つ。既に舞台の上で待ち構えるクウネル・サンダースこと、本名アルビレオ・イマの下へ。

 

『悠然と足を進めるのは数多くの激闘を制した…………アスカ・スプリングフィールド!!!!』

 

 舞台への昇降段に足をかけたところで降り注ぐ大歓声すら、今のアスカには重荷にはならなかった。

 理由は当人にも分からない。明日菜の応援を受けてから不思議と体が軽く感じられ、戦意は鰻上りに上昇している。軽く拳を握って好調子を確かめながら舞台へと登った。

 

『対するは、大豪院ポチ選手、武道四天王である長瀬楓選手、犬上小太郎選手を倒して、決勝戦にも関わらず口元には余裕の笑みを浮かべているクウネル・サンダース選手!! 確かにここに至るまで傷らしい傷も負っていないようだ! 被っているフードすら脱げたことの無いその素顔は未だ不明! 流派も全く不明!! まさに正体不明、謎の無敵魔人だ!!』

 

 全身を覆うローブとフードを目深に被っているが負傷も疲労すらも感じさせないその姿は、和美の言うように正体不明の魔人に他ならない。

 アスカは舞台中央に向かって歩きながら、試合開始が近づくに連れて不思議と落ち着きを増していく心臓の鼓動を確かめ、アルビレオに正対する位置で立ち止まる。

 選手二人が開始位置に着いたことを入念に目を凝らして確かめ、会場のボルテージが最高潮になりつつ爆発させない間を推し量って、舞台脇にいる和美は我知らずマイクを奮わす右手を左手を使って押さえつける。

 自分が落ち着く間と会場が盛り上がる間を合わせて、深く息を吸って、

 

『それでは、決勝戦――――』

 

 声を震わせないように気をつけて言いながら、視界の先でアスカが半身になって構えるのが見えた。

 

『Fight!!』

 

 決勝戦の火蓋を切って落とした。

 

「「………………」」

 

 しかし、会場と和美の予想を裏切って開かれたはずの戦端は動かなかった。まずは相手の出方を見ると考えたアスカとは違って、なにを考えているかも分からないアルビレオは微動だにしない。

 緊張が高まり続ける会場の空気を察したようにアルビレオは、フッと微かに笑った。

 

「よくぞ決勝まで辿り着けました、アスカ君。褒めて差し上げましょう」

 

 なんてことのない世間話のように話し出したアルビレオと違って、アスカは一ミリも油断しないとばかりに構えを崩さない。相対しているのはエヴァンジェリンとはまた違った伝説の一角、魔法史の歴史にもその名を輝かせる英雄なのだ。侮りなど許されず、油断など端からありえない。

 

「長瀬楓さん犬上小太郎君といい、貴方達はとてもいい。何時も子供達が健やかに育っていくのは気持ちのいいものです。十年間もこの場で食っちゃ寝していた甲斐もあったというものですよ」

 

 本当に嬉しそうに裾から出した手で口元を覆い隠しながら上品に笑う。この場合はマナーとかではなく、あまりにも嬉しすぎて綻んでしまう口元を見られないようにしているのだろう。

 

「そんなことはどうでもいい」

 

 アルビレオの気持ちなどアスカに心底どうでもいい。求めるのはたった一つ。

 

「アンタのところまで辿り着いた。約束を果たせ」

「分かっていますとも」

 

 頑迷だと思考の隅で思案しながら、眼光も鋭く約束の履行を迫るアスカから目を逸らしたアルビレオは、会場全体を見渡すように首を巡らせた。

 観客の中にネギ、選手控え席にいる明日菜の姿を確認して、視線をアスカに戻す。

 

「学祭が終わったら茶会を開く予定です。詳しい話はその時にしましょう。ああ、すっぽかしはしませんよ。私の居場所は学園長が知っていますから、私が教えたと言えば案内してくれます」

 

 胡散臭い筆頭の男が約束を守るとは到底思えず、そんな内心が表に出たのかアルビレオが慌てた様子もなく訂正に回る。

 

「逃げるなよ」

 

 ここに辿り着くまでの苦労を思えば一言でも言いたくなる。

 

「神や名誉ではなく、私の全てを賭けて誓いましょう。疑わしいなら契約を交わしても構いません」

「いや、必要ない」

 

 苦労から一言だけ言いたかっただけで疑いはしていないアスカである。この武道大会にしても参加前よりも明らかに実力が増しているのも分かる。色々と考えなければいけないこともあることが分かった。参加したことの他にも確かな意味があったのだ。

 

「ですが、約束の件はどうせなら私を斃してからにして下さい。その方が楽しいでしょう?」

「お前な……」

「そろそろ観客も焦れてきていることでしょうし、始めましょうか」

「ああ、もう!」

 

 アルビレオが言った瞬間に、アスカは弾かれたように動いていた。床を蹴ったその動きは、一歩目からトップスピード。アスカの身体が、そのまま鋭い矢と化した。

 疾風よりも速く、稲妻の如く、瞬く間に距離を詰め、アルビレオの死角に滑り込む。グルリと滑り込んだ身体が、ここまでのベクトルを上乗せして、男の鳩尾へ拳を叩き込む。拳が胴体に到達する―――――その寸前で、

 

「おや、危ない」

 

 するりと、アスカの拳をアルビレオの手の平が包み込んだのだ。それしか感じられなかった。

 たったそれだけで、アスカの拳は逸らされ、アルビレオはアスカの右脇へと回り込んで背後へと流れていく。斜め後ろから背後に逸れて視界から完全に消える前にアスカの体は動いていた。

 視界の端から消えていくアルビレオを追うように振り返りながらの裏拳。

 

「選択は間違っていません。ですが、体勢が良くない所為で体重が乗っていない。うん、プラスマイナス0ですね」

 

 これまた優しく軌道を逸らされ、ローブを掠めただけで虚空を切った。アスカの手には羽毛に触れた感触すらない。

 

「戦い慣れているのは高評価です。悪くないのでプラス一点です」

「ふざ、けるな! 勝手に評価をつけるなど!」

 

 余裕を見せつけるように体重を感じさせない動きで距離を開けるアルビレオに、一足で間合いを詰めたアスカの両手が颶風に霞んだ。

 正拳、掌打、手刀――――いずれも一般人には影すらも映らぬ迅雷の速度。その全てが身動きを取らなかったアルビレオによって簡単にいなされた。速さではない。体に触れるほど接近したのに不思議な力場で逸らされているような感覚。

 

(これはまさか……)

 

 アルビレオの情報は他の紅き翼メンバーと比べると不思議なほど少ない。分かっているのは優れた魔法使いであるということだけ。

 少ない情報量からどう攻めるか―――――などと悠長に考え込んでいる暇はなかった。途端にドンと重い物が叩きつけられるような音と共に、突如大量の荷物を乗っけられたようにアスカの腰が落ちた。

 目には見えない力が全身を軋ませる。

 

「これが、重力か」

「如何にも」

 

 不可視の力の正体は楓やエヴァンジェリンから聞いていたので直ぐに気がついた。アルビレオの魔法によってアスカの周囲の重力だけが通常の数倍に増幅されたのだ。 

 重力による魔法攻撃は非常に厄介だ。まず、使い手の存在が稀有であることから対策が取りづらい。また、重力という性質は攻撃にも防御にも優れている。

 火・風・土・水といった元素系魔法とは異なり、空間や重力を操る物理系魔法は、空間認識能力や物理法則の掌握など、術者自身に対する負担が大きく、シビアな意識の集中が求められる。

 強大な重力を受けるだけで体はぺしゃんこになってしまうし、軽いものでも動きが鈍くなってしまうことは免れることができない。動きが鈍くなった所に他の強大な魔法を放つでもいいし、そのまま負荷を強めるでもいい。まさしく、攻防一体ということができる。

 当たらない限りダメージが皆無であったり、周囲や自分を巻き込まないために広範囲に攻撃を仕掛けにくいというのがせめてもの救いだけれども。

 

「ぐ……っ!」

 

 気を抜けば、何十本もの見えない重力の手に、全身を押さえつけられて銃を奪われた銀行強盗みたいに床に叩きつけられるだろう。歯を食い縛って堪えながらアスカは前に踏み出した。

 三歩歩いたところでアスカはつんのめった。どうやら重力場はアスカを中心とした半径一メートル半ほどの範囲内だけだったようだ。

 詰まっていた息を吐きつつ顔を上げたアスカは、そこに自分を見下ろす二つの瞳を見た。直ぐ目の前にアルビレオがいた。

 

「……だっ!」

 

 咄嗟にアスカは伸び上がりざまに右の拳を放った。考えるよりも先に身体が動いていた。しかしその拳は、アルビレオまで後数センチというところで受け止められてしまった。

 ミシッとアルビレオの手に力が込められ、拳が軋みを上げる。

 

(拳が砕かれる……!?)

 

 思って回避するために逆に踏み込もうと瞬間、再び凄まじい重力が襲い掛かってきた。

 

「がッ――っ!?」

 

 突然、前にいるはずのアルビレオの攻撃によって斜め後ろから吹っ飛ばされた。予想だにしない方向から衝撃を受けた肺から酸素が抜け、床を踏みしめるはずの足が宙を掻き、バランスを崩したアスカはたまらず斜め前へと倒れ込む。

 それでもアスカは攻撃の意思を解いていなかった。前方に吹っ飛ばされた―――――それはアスカの体勢を崩したと同時に、攻撃の間合いに入ったという事。

 奥歯を噛んで激痛に耐えながら、アスカは床に顔がつきそうな状態で右手をつき、倒れこんだ勢いを殺さずに逆に自分から飛んだ。

 片手をついての前転跳び宙返り。吹っ飛ばされた勢いに自分の力を加えた斜めからの踵落とし。 

 本気で右半身と左半身を蹴り裂くつもりで放った一撃は、当たるかと思われたが空を凪いだ。直前で一歩下がったアルビレオによって躱されたのだ。更に駄目押しだと言わんばかりに顎に衝撃。置き土産に残した腕が一閃し、アスカの顎を跳ね上げたのだ。

 脳を揺らされた。失いかけた意識の中、宙を上へ飛ばされながらアスカは奥歯を強く噛み締め、力を入れすぎて歯を砕いた痛みでそのまま強引に意識を引き戻す。

 肉体の自由を取り戻し、しかし、全ての行動が遅すぎる。

 

「―――――まだですよ。判断が遅すぎです。マイナス二点しておきましょうか」

 

 アルビレオの短い言葉と同時に、右方向から胴へとブローの一撃。そのダメージを受けて、ミシリと自らの肋骨が軋んだ音を聞いた。

 

「く……っ」

 

 耐えた。アスカはその一撃を耐え切って身体を捻り、床に水平に着地。そのまま四肢をついた状態から再びアルビレオへ踊りかかる。フットワークや体捌き、細かな瞬動を繰り返してアルビレオ・イマの繰り出してくる重力球を避けながら接近する。

 

「ふふ、良く避ける。一点プラスです」

「余裕を見せつけて!」

 

 激昂した一撃が紙一重で空を切る。この場合、紙一重というのは決して惜しかったという意味ではない。それだけの余裕をもって見切られてしまっているのだ。分からぬアスカではない。

 

「たぁあああああ!」

 

 問答無用の突進攻撃。宙を歩くように距離を開けた刹那の間に肉薄したアスカは、ほんの一瞬、その姿を颶風へと変えた。直後、アルビレオの腹部に三度の衝撃を叩き込む。

 一息で三発の拳を繰り出すアスカ。

 

(これで――――ちっ!?)

 

 続けざまに攻撃しようとしたアスカだったが、強烈な悪寒が少年を引き留めた。

 咄嗟に虚空瞬動で空を蹴り、出鱈目に飛び跳ねながら間合いを広げていく。

 

「……ふっ」

 

 アルビレオは上げた右手を手刀の形にした状態で上げた姿勢で、よくぞ見破ったとばかりに小さく笑った。

 微動だにしていない。まるでさっきの攻撃が何一つ効いていないかのように。

 

(簡単に行き過ぎているような………ええぃ、考えるのは後だ)

 

 アルビレオがアスカの狙いを読んでいるように、アスカもまたアルビレオの狙いを読んでいる。条件は同じだが、その割には上手く行き過ぎているような気がした。だが、下手に考え事をすれば直ぐに被弾することは分かりきっていた。考えることを後回しにして回避に専念する。

 そして攻撃の間合いに届く直前――――アスカは直感で正面に向かって拳を叩き込んで、目の前の空間を殴り飛ばした。

 アスカの手に確かな手応えが変えるのと同時に、ギンという甲高い金属音のようなものを立てて何かが弾ける。

 すると、奇怪な現象が起きた。突然、鋼鉄を打ったような轟音が響いた。まるで撓んでいた空間そのものを、拳を使って平らに叩き直すように、光の進行を歪めていた見えざる何かを、この場所から殴って打ち飛ばすように。

 

「おおっ!?」

 

 それを見たアルビレオが、珍しいものを見たように驚いた仕草をして眼を僅かに見開いた。 

 行ける、とアスカは判断する。

 何となくだが重力場が発生する時に事前に発生する空間の歪みみたいなものを感じ取って勘で拳を放って見たが、意外と何とかなった。空間の歪みを察知するという行為は、視覚に頼らずに気配を掴まなければならないため神経を使うが、やってやれないことはない。

 

(ここで畳みかける!)

 

 空間系の魔法は、冷静な状況の把握と計算が必要不可欠だ。本来ならば吹っ飛ばされる筈のアスカに、そのまま向かって来られれば計算は狂い、次の魔法の発動にタイムラグが生じる。

 

「驚きました。まさか重力を殴り飛ばすとは。先のも合わせて三点プラスです」

 

 のんびりした口調と表情で言いながらもその内面には確実に焦りが生じているはず。既にアスカとアルビレオとの距離は、充分に縮まっていた。こちらの間合いだ。この距離とタイミングなら、全力で拳を放てば例え正面から攻撃を食らっても後ろへ吹っ飛ぶ前にこちらも攻撃も届く。

 

「おらぁああああああ!!」

 

 雄たけびを上げつつ、放つのは不可避の渾身の一撃。

 拳に紫電をまとい、床を大きく踏み抜いて振り抜いた。全力で放てば数百メートルの巨岩も容易く粉砕する自信がある拳には魔法の射手が乗せられ、これから行うのはナギが得意とした魔法コンビネーションの亜種。

 

「っ!?」

「これも貰っとけ!!」

 

 打ち抜いた拳打で体が浮かび上がったアルビレオに向けて、もう一歩踏み込んで引いていた反対の腕に雷の投擲を乗せてぶち込んだ。

 先の魔法の射手が込められた拳で魔法障壁を破壊した。大会のルールに乗っ取って、雷の斧の代わりに無詠唱で放てる雷の投擲で代用したコンビネーション。

 

「ほう、ナギが得意とした連携に似ていますね」

 

 しかし、直撃するかと思われた雷の投擲はアルビレオによって受け止められていた。まるで手応えを感じない。ともすれば触れているとすら思えないほどに綿に包まれたような感触だった。

 

「最後が雷の斧だったら私も危なかった。ですが折角の勝機を逸したので、辛いですが減点五点としときましょうか」

「まだまだっ!」

 

 侮られたと感じたアスカの体が回転しながら左足が跳ねた。ほれぼれするほどの鮮やかな孤を描き、上げた腕の下にある脇腹に後ろ回し蹴りがめり込む――――はずだった。

 アスカが息を止める。雷の投擲を離したアルビレオは、その脚の上に乗っていたのである。先程の拳と同じく乗っている感触させなかった。小鳥に乗られた方がまだ重いというぐらいに軽々とアルビレオはそこにいた。

 

「アンタは何時もそうやって人をおちょくろうとする!」

「おっちょくってなどいません。これが素なだけです」

「なおさら悪いわ!」

 

 覗く口元が嘲笑っていると感じたアスカは、左足を上に撥ね上げてアルビレオを空中に浮かせて軸足の右足で飛んだ。空中で身を捻りながら右足で蹴りを放つ。

 だが、手応えがない。避けられたことを理解し、着地して顔を上げたアスカは見る。手を伸ばせば触れられるほどの距離で眼の前にいた筈のアルビレオが、一瞬にして自分から見て前方――――攻撃の遥か間合いの外へ移動しているのを。

 その原因を直ぐに分かった。アルビレオを包むように感じる空間の歪み。つまり、己に重力を後方へ行くようにかけて移動したのだ。アスカは戦慄した。何故ならばさっきまで事前に感じ取れた空間の歪みが察知できなかったから。

 

「さっきまで手加減したってわけか」

 

 自分は何という思い違いをしていたのか。大戦の英雄『紅き翼』の一人アルビレオ・イマ。その実力は間違いなく世界最高位であり、例えアスカが本気で戦おうとも勝てるどうか怪しいレベルの相手。察知できていたのではない。察知出来る領域までレベルを落としていたのだ。

 

(なんて、惰弱、気の緩み、油断。ちょっと感じ取れただけで浮かれたか、アスカ・スプリングフィールド!!)

 

 己を過大評価して相手を過小評価するなど戦うものとして最もしてはいけないこと。それもよりにもよって勝てるかどうかも怪しい相手に最もしてはいけないことをしたのだ。これはきっとその報い。

 

「甘い。警戒を緩めましたね」

 

 それを悟った瞬間、耳に届いた声と同時にアスカは再び宙へと吹っ飛ばされていた。

 真下から鳩尾に衝撃を受け、口から唾が飛ばしながら苦痛に顔を歪める。胃の中の物を戻さなかっただけで賞賛できるアスカに非情な宣告が下る。

 

「次、行きます」

(…………背後かッ?)

 

 宣言と同時に空間の歪みを感じ取り、強引に身体を捻ると、背後へ向けて肘撃ち放つ。手応えと共に甲高い音が響き――――しかし、背中に衝撃を喰らう。

 

「――――ぐはぁッ! 二面攻撃!」

「誰も一方向からだけとは言ってませんからね。それに――」

 

 空中に在るアスカを襲う無数の衝撃。傲慢の対価をこれ以上ないほどに味わう。まだまだ己が甘かったのだと。

 

「――――二方向からだけとも言ってませんしね」

 

 言葉通り、上下左右、前方と後方のあらゆる方向から不可視の重力の集中攻撃が始まった。

 迎撃できるのは普通なら一方向、タイミングが良くても二方向が限界だ。残る四方向からの攻撃は、全て直撃を許してしまう。いや、斜め上や斜め下からも合わせれば何通りあるか。

 

「…………っ、~~~~っ!」

 

 想像通り、あらゆる方向から来る攻撃に反撃を中断し、迎撃よりも防御を優先して硬気功で身体を固めるも、アルビレオの攻撃は決して軽いものではない。空中をピンボールのように跳ね回り、あっという間にダメージは蓄積されてゆく。

 このままではやられるだけだと分かっていても防御に集中しなければ数撃で沈むのは己。こうしている間も足が地につくことはなく、身体はピンボールの如く軽々と何かに跳ね飛ばされて宙を舞う。

 今のアスカにこの状況を改善する方法は無く、言うならば完全なサンドバック状態。アルビレオが手を緩めることなく、攻撃は執拗に続けられた。

 そして。

 

「―――――」

 

 一切の慈悲も無く攻撃を続けていたアルビレオが唐突に攻撃の手を止めた。と同時に、宙で跳ねていたアスカが落下。そのまま床に激突する。

 

「意外と呆気なかったですね……………しかし、強情な所は一体どちらに似たのやら」

 

 ズタボロの様子で最早ピクリとも動かなくなったアスカを一瞥する。

 アルビレオは二回戦で高畑相手に居合い拳もどきを放っていたのは見ていたし、嵐の夜のヘルマンとの戦いだって覗き見ていた。

 その上でアスカにはもっと底があると判断したのだが、本気へのスイッチはまだまだ遠いようだ。一体父親と母親のどちらに似たのやら。……………母親の可能性が高いと思ったのは彼だけの秘密である。

 あれで生まれたての子供達に激LOVEで、大事な一戦を前にして可愛さを延々とアルビレオに語ってくれた父親に殺されたくはないから。

 

「そこまで強情だと逆に呆れますよ」

 

 懐かしき日々を懐古して口元に笑みを浮かべていたアルビレオは、虎視眈々と攻撃のチャンスを狙っていたアスカに上から重力場を落とす。

 

「ぬうっ!?」

 

 意識があることを悟られたアスカは起き上がり避けようとするも間に合わず、地面に膝をついて地面にモザイク状の亀裂を入れながら両腕を突っ張って上体を支えた。

 アスカはまさに猛禽に襲われるウサギだった。凄まじい轟音が空間を圧し、続いて衝撃波が舞台を轟めかして湖面を揺らめかせた。

 実際に何かが身体に圧し掛かってきたわけではない。だが、体感で三百キロはあろうかという加重だった。少しでも気を抜けば地面に突っ伏したまま動けなくなりそうだ。

 気持ちだけは迎え撃ちたいが、現実には指一本ですら動かすことが出来ない。体は鉛のような重さであり、床を突き抜けていきそうなほどだった。四肢に渾身の力を込めて動こうとしても体は今以上にピクリともしない。

 

「ご……、がっ……」

 

 まるで地球の重力が数倍に増したような重圧に襲われ、内臓を丸ごと絞られるような感覚にアスカは必死に吐き気を押し殺す。朦朧とする意識が、目の前に君臨するアルビレオをかろうじて捉える。

 

(落ち着け……慌てたところで何もならない)

 

 ギリギリ、と強力な電磁石に絞られたような状態に耐えて胸中で自身へと言い聞かせ、そしてこの状況を打破するための策を思案する。

 焦る感情を理性で制御できなければ勝てるものも勝てない。冷静さを欠いた状態で戦えるほど甘い相手ではない。

 

「ダメージを受けた小太郎君はこれで一度は沈んだんですが、いやはや我慢強い。一点プラスしてあげます」

 

 時間が経つごとに圧する重力は増し、四肢をついているクレーターを作っている舞台に走っている亀裂を深めていく。

 

「私が遊べるのもそう時間がありませんし、手っ取り早く底を見せてもらいましょうか」

 

 ほどなくアスカの全身の毛穴から傍目から分かるほど汗が噴き出した。歯を食い縛りながら顔を持ち上げ、視線を頭上に向ける。

 四つの重力球が宙に浮かんでいるのを感じ、その真ん中に白いフード付きのマントを目深に被ったクウネル・サンダース――――本当の名をアルビレオ・イマが立っていた。

 ひどく酷薄な笑みがアルビレオの唇に浮いていた。

 人にはありえない。しかし、人にしかありえないそういう微笑。その冒涜も欲望も人に近すぎて、だからこそおぞましい瞳であった。

 人の形をしているが、果たして生身の人間なのかどうか―――――そう疑いたくなるほどに生命の息吹が伝わってこない。

 

「うぉおおおおおおおおおおっっっ」

 

 それでも諦めずに魔力を振り絞って重力場から脱しようとする。生半可な力では振り解けない。ならば、世界でも有数の魔力を頼みにありったけを放出する。

 

「無駄です」

「うぐっ!?」

 

 抗うアスカに向けて四つの重力球が落とされ、体感する重力が十倍以上に跳ね上がる。

 頑丈なはずの舞台がアスカを中心としてへこみ、底が抜けないかと不安になるほど。不自然な鳴動が舞台を軋ませ、湖面に波紋を作り出す。

 あまりにも絶望的で勝機のない戦いと酷薄な笑みを浮かべたクウネルを前に、絶妙に身動きできないように調節された重力場から一ミリも動くことが出来ない状況を理解し、歯を噛み締めた。

 アルビレオ・イマには、未熟さも戦いを止める理由も戦いを楽しむという気持ちも無い。

 人と人の実力差ではない。まるでゲームのRPGでレベルが100以上違うキャラクターを相手にしているような、始めたばかりでラスボスが現れたような、それだけの力の差を感じる。単純に力の差がありすぎて戦いにならない。これでどう勝てと言うのだ。

 

「うぉあああああああああああああ!!!!」

 

 尚も魔力放出を止めない。間欠泉の如く噴き出す魔力は、普通の魔法使いならば瞬く間に枯渇に陥るほどの量。アスカの全身を縛っている重力場が、限界など知らぬとばかりに溢れ出る魔力に軋み、そして崩壊する。

 

「だらぁあああああああああああああ!!」

「なんと無茶を……」

 

 圧していた重力場を超える魔力が放出されて、あまりの無茶振りにアルビレオも驚きを禁じ得なかった様子だった。 世界でも有数の魔力量を誇るアスカだからこそ可能な脱出方法だった。

 莫大な魔力を垂れ流しにして重力場を内側から破壊したアスカが一直線にアルビレオに向かって飛翔する。

 向かってくるアスカに向かって、アルビレオは冷静に重力場を打ち出す。

 

「くっ……!? 重力場が弾かれる。魔力放出はその為の……」

 

 が、莫大な魔力を全開に放出することで周囲の空間を己の魔力で埋め尽くす。重力魔法も魔力を使った魔法であるからして、他者の魔力で埋め尽くされた空間に干渉することが出来なかった。

 アルビレオほどの技量ならば狙いが読めていれば干渉することも可能だったが、アスカの行動を破れかぶれだと判断した油断だった。

 アルビレオの反応から策が見抜かれたことを察したアスカは、放出していた魔力を足裏に集中して更に加速する。

 

「うらぁっ!!」

 

 一瞬で懐に潜り込んだアスカの拳がアルビレオの胴体を直撃する。

 確かな手応えに慢心することなく、弾き飛ばされたアルビレオの背後に先回りして身を捻りながら背中に回し蹴りを落として地上に叩き下ろす。

 

「これで決める」

 

 アルビレオが舞台に叩きつけられるよりも早く、体勢を直したアスカの背に無数の魔法の射手が浮かび上がる。

 十を超え、五十を数え、百に到達する頃にアルビレオが舞台に身を翻して着地した。

 

「行け!」

 

 制御しているのはアスカなので、わざわざ口に出す必要はないのだが気分である。百を超える魔法の射手が地上にいるアルビレオへと向けて射出される。

 地上から見上げれば雨の如く降り注ぐ魔法の射手が見えたことだろう。その全てが狙い過たず着弾する。

 爆竹を十倍に大きくして爆発させると似たような感じになるかもしれない大音響の音に、会場に誰もが耳を塞ぐ。

 

「やったか?」

 

 会場は葬式のように音の一つない静寂に満ちていた。誰かが呑み込んだ唾液の音すら大きく響くと錯覚しそうな静けさだった。天使の如く地上に下りたアスカは薄らと呟いたがそれはフラグである。

 舞台の一部を覆い隠していた煙が晴れると、そこには汚れ一つないローブを纏うアルビレオの姿があった。

 

「見事です。この体でなければ多少はダメージを負っていたことでしょう」

 

 歌うように口遊むアルビレオの足元は驚くほど綺麗だ。魔法障壁を展開し直し、別の障壁を上空に展開することで百を超える魔法の射手を防御したのだろうが、それでも完璧な防御は出来なかったようだ。舞台に三つの大きな穴が開いている。

 

「嫌みかよ。卑怯するぞ、その体」

 

 ダメージを受けた様子のないアルビレオにアスカは舌打ちをする。

 視界の先、対戦相手を冷静に見定める双眼。アルビレオはアスカの何かを推し量るように、間で揺れ動く不可視の天秤を見定めるかのように、長く長く黙りこくっていた。

 

「頑なにルールを守りますか。強情な事です。そんなところは本当に親譲りだと思いますよ」

 

 秘匿云々はぶっちしているが、大会の詠唱は禁止のルールを守っているアスカの愚直さが、懐かしくとも今は何故だか妙に虚しくてアルビレオは溜息を吐いた。

 アルビレオの瞳は、少年から離れない。けして、アスカから逸らそうとしない。

 猛禽類のような鋭い輝きを隠そうともしない瞳が、絶好の獲物を見定めたように食い入るようにこちらを見つめて来る。まるで自分の中心までも見透かされるような心持ちがして、アスカもアルビレオから視線を離せなかった。相手の底の底までも見通すような、奥の奥まで見極めるような、ひどく酷薄で冷ややかで恐ろしい瞳であった。

 

「意地を張るところは両親に似ていますね。あの二人も強情でした」

「俺が英雄に似ているだと?」

 

 咄嗟にアルビレオが紅き翼に所属していたことから、言っているのはナギのことだと勘違いしたアスカの口が勝手に動く。まだ判断能力の全てが戻っているわけではないのだ。

 

「英雄ですって? また面白い言葉が出てきました。よりにもよって二人の息子である貴方からそんな言葉が出るとは。ふふ、こんなにもおかしなことはありません」

 

 アスカの言動に、微かにアルビレオはフードを揺らしながら喉の奥で哂ったようだった。

 何か知ってはならぬことをその底に潜ませているような、禁断の行為を唆す悪魔のようなほの暗い気配をその声は備えていた。

 

「そんな言葉をあの二人が聞けば怒るか困るかしたでしょうね。いえ、本人達のいない場での仮定に意味はありませんか」

 

 フードの魔法使いの答えにアスカは沈思した。

 両親の事を情報としてか知らない身では答えるべき何物をも持っていないからだ。単に伝説された過去と、その伝説中の人物が触れて来た現実の差なのだろうか。

 

「ただ一つだけ、これだけは言わせて下さい」

 

 言い方も在り方も道化染みた中で、この時の言葉だけは真摯であろうとする気持ちが感じられた。

 

「ナギにしても決して英雄になりたかったわけではなないでしょう。戦っていたらそんな風に呼ばれていた、と以前に言っていましたから」

 

 ごく当たり前の、つい先日の天気でも話すみたいにアルビレオは話し続ける。

 

「今となっては全てが懐かしい。あの頃はどんな過酷な戦場でも珠玉の日々でした」

 

 アルビレオの声は、もはや取り戻せぬ遠い過去を忍ぶように舞台の床を這った。

 声が耳を通過して脳に達した瞬間、確かにアスカはアルビレオの背後に長い長い道があるように見えた。遥かな戦いの日々を、アルビレオの言葉は束の間だけ少年の脳裏にも去来させたのだった。

 

「そう、もはや取り戻せない過去が今はどうしようもなく懐かしい」

 

 悲哀も後悔も、遥かな過去から積み重なっている全てを押し込めようとしているようだった

 小さく、アルビレオは溜息を吐く。小さいけれど、耳にこびり付くような重い溜息だった。

 

「結局のところ、私達のやっていることは何もかも無駄なのかもしれません」

「……?」

 

 アスカが眉を顰める。

 

「なら、どうしてそこまでする?」

 

 アルビレオ達が何をやろうとしているかは分からない。それでも無駄だと分かっていることをしようとしていることが気になって静かに訊いた。

 

「私は、私達は勝てなかったのです」

 

 アスカの言葉に、アルビレオの表情が変わった。一瞬怒気を孕ませ、しかしその怒りを直ぐに鎮静化させたのである。

 一瞬、アルビレオが言った言葉の意味がアスカには分からなかった。万分の一秒にも満たぬ時間で頭は意味を理解したが、しかし心が納得するのを待たずに、アルビレオは更に続ける。

 

「大事な相手を護れなかった敗者として無様を曝しているのが私です。だから、二度は負けられません。だから、手段を選んでいられません。例えその手段が人の道から外れていようとも、例え望まれていなくても私は躊躇わない」

 

 その口振りには、冗談の欠片も感じ取れない。けして曲がることの無い、自然の摂理を告げる預言者の様だ。饒舌そのもので、その口振りと異様な出で立ちも相まって舞台の上が突如として狂騒劇の舞台に変じたようでもあった。

 

「大事な相手の子供を利用すると分かっていても、ね」

 

 言って、アスカを見下ろすアルビレオ。

 どこまでも嘘っぽくて安っぽい、まるで三文歌劇に登場する役者のような仕草。好き好んでやっているのではないと憂鬱そうにしている姿は演技には見えない。自ら敗残者と名乗っているだけあって手段を選んでもいられる状況でもないのか。

 

「…………時間です。もう五分が経ってしまいます」

 

 少し残念そうな声を出しながらアルビレオは瞳を細めた。

 

「五分間、持ち堪えたご褒美を差し上げましょう。そして、これで…………私も十年来の友との約束を果たす事ができます」

 

 来たれ(アデアット)、と懐から一枚のカードを取り出して小さな声で唱えた。

 

(仮契約カード!!)

 

 一瞬の光と共にアルビレオの周りに螺旋状に連なる何冊もの本が現れたのを見たアスカは、痛む体を押して一歩後ろに大きく距離を取った。

 パートナーとして契約した魔法使いの従者に与えられる特殊な力を秘めた魔法具であるアーティファクト。アルビレオのアーティファクトが如何なる効果を発動するものなのか警戒したためだ。

 

「私の趣味は他者の人生の収集でしてね」

 

 似合っているとは思うが嫌な趣味であることには変わりない。 

 

「このアーティファクト『イノチノシヘン』の能力は――」

 

 言いながら取り巻く本から一冊を手に取り、開いたページに同じように浮かんでいた栞を挟んで閉じ、栞を勢い良く引き抜く。瞬間、栞から強烈な光が迸る。煙まで吹き上がってアルビレオの全身を覆い尽くす。

 

『こ、これはクウネル選手、フードを脱いでいる? 素顔なのか!?』

 

 薄らと見える煙の向こうではフードを被っていないように見えた。

 

「近衛……いや、青山詠春か」

「ご名答。二十年前の婿入りする前の詠春です」

 

 煙が晴れたところに立つ人物は、二十代前半ぐらいの眼鏡をかけた青年。長身に合う鞘に入れられた野太刀を手にして立つ姿はアスカの記憶にあるものよりも若いものだった。

 選手席から聞き覚えのある驚いた声が幾つも聞こえた。その声すらも今のアスカには遠い世界のように感じた。

 

「特定人物の身体能力と外見的特徴の再生。これこそが『イノチノシヘン』の能力です」

 

 先と同じように周りを渦巻く本に次々と栞を刺して引き抜いていく度に姿が変わっていく。

 学園長に、高畑に、麻帆良にいるアスカと関わりのある者達に次々に。また面識のない巨体の男、小柄の少年、亜人の女へと変化は止まらない。

 

「しかし、この能力は自分より優れた人物の再生はわずか数分しか出来ず、あまり使える能力ではありません」

 

 次々に吹き上がる煙が舞台の上を覆い尽くし、まるで計ったように二人がいる場所のみが竜巻の中心のようにエアポケットを創り出してた。

 

「この魔法書、一冊一冊にそれぞれ一人分の半生が記されています。そして……」

 

 困惑を深めていくアスカを置き去りにするように、真名から楓の姿に変わるアルビレオ。変化が3-Aの生徒に入ってからはアスカの反応を楽しむようにどんどん親しい者になっていく。

 刹那から木乃香、木乃香から明日菜へと変わっていくのを見れば、アルビレオは趣味の悪い男だと思わざるをえない。

 

「我がアーティファクトのもう一つの能力は、この半生の書を作成した時点での特定人物の性格・記憶・感情、全てを含めての『全人格の完全再生』」

 

 何故アルビレオがわざわざ自分のアーティファクトの説明を、それも使い方次第では反則的ともいえる『イノチノシヘン』の能力を実演してみせたのかを理解する。

 この場で全人格の完全再生をするとしたら思い当たる人物は一人しかいない。

 

「もっとも再生時間は僅か十分間。魔法書も魔力を失ってただの人生碌になってしまうため、これまたあまり使えない能力です」

 

 アルビレオもまた、アスカの思考に気付いたのか、明日菜からネカネ、アーニャ、ネギへと変化しながら少年には似合わぬ笑みを浮かべる。

 

「使えるとすれば『動く遺言』として…………といったところでしょうか」

 

 遺言と聞いて、アスカはネギの記憶で見たナギの言葉を思い出した。

 六年前の村が滅んだ後に現れたナギはネギ達を救い、去り際に杖と水晶のアクセサリーを渡していった。「俺の形見だ」と。

 

(おかしい)

 

 記憶を改めて思い返してみて不自然さが際立つことに気がついた。

 

(六年前には確実に生きていた。あれだけの悪魔の集団を斃したんだ。それは間違いない)

 

 なのに、ナギは自らの杖を渡しながら形見と言った。これは矛盾している。まるで生きているのに死んでいるような……。例え生きていたとしても二度と会うことは出来ないと知っているということになる。

 目の前にアルビレオが使っているアーティファクトもナギと仮契約したことで得ていると仮定すれば、アスカの推測の可能性を後押しする。

 何らかの理由で契約者である魔法使いが死亡した場合、カードは失効し、色調・従者の称号・徳性・方位・星辰性の表記が失われる。失効したカードは念話を始めとした様々な能力を失い、アーティファクトも使えなくなる。裏を返せば魔法使いが意識不明になっても、異次元に飛ばされても魔法使いが死亡しない限りカードは失効しないわけで、カードが有効な間は生存している証拠ともなる。

 

「如何です? ココまではお分かり頂けましたか?」

「ああ、よく分かった。どんな形であっても親父は生きているってことがな」

 

 どんな理由があったにせよ、今ここにある現実こそが全てだとアスカは知っている。

 

『煙が晴れてきました。おやぁ? クウネル選手、またフードを被って……一体、どういうことだ!?』

 

 和美のアナウンス通り、アルビレオはネギから元の姿へと戻って、フードを目深に被った姿でアスカを睥睨する。

 

「―――――では、本題です。十年前に我が友の一人からある頼みを承りました。自分にもし何かあった時、生まれたばかりの息子達に何か言葉を残したいと」

 

 アスカは荒れ狂う感情に突き動かされるようにひたすらに拳を強く握りしめた。強く握り締めすぎて、拳は真っ赤になっていた。胸の鼓動だけが物凄い勢いで脈打っていく。

 

「心の準備はよろしいですか? 時間は十分。再生は一度限りです」

 

 渦を巻いていた本の束がなくなり、一冊だけがアルビレオの手に在る。その書には「NAGI SPRINGFIELD」と記してあった。

 

「さあ、アスカ君。あなたが相対するは嘗ての英雄です」

 

 書をフワリと浮かばせて、発動を示すように輝き始めた中でもアルビレオは変わらない。何時ものようにのんびりと微笑しているだけだ。しかし、その瞳だけが鋭い光を湛えていた。

 

「せめて、貴方が私達では進めなかった道を歩む者だと信じさせて下さい」

 

 重すぎる切なる願いと共に全てが輝きに染まる。

 

『ま、また光った――っ!?』

 

 アルビレオの全身を覆い尽くしても足りない光の柱が天を突き、あまりの光量に誰もが目を閉じずにはいられなかった。

 間近にいたアスカも例外ではなく、目の前に太陽が発生したかのように腕を咄嗟に掲げてしまう。

 視界が眩んだのは一瞬。三秒もあれば眩んだ視界も元に戻って来る。

 光と共に発生した煙が晴れる。晴れていく。閃光に咄嗟に掲げてしまった腕の隙間から隠されていた姿が白日の下に曝される。

 

「――――っ!」

 

 その姿を見た瞬間、アスカは全身が燃え上がるように熱くなり、下ろした拳を強く握った痛みを得ることで現実だと知る。

 急に鳥肌が立ち、吐き気が込み上げてきた。否、と叫んだ身体が身も世もなく震え出し、アスカは慌てて目を逸らした。この少年らしからぬ恐れに似た感情によるものだった。

 アスカは無意識に後退っていた。

 こんな偶然だけは絶対に在り得ない。在ってはいけない。幾らなんでも飛躍し過ぎだ。馬鹿馬鹿しくなる。アスカは自分で自分の想像を必死に否定しようとしたが、想像は中々消えてくれない。脆いはずの想像を僅かなりとも補強しているのは自らが打ち立てた推測だ。

 

「ナギィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっっ!!」

 

 会場中に響く、選手控え席からのエヴァンジェリンの声すらも耳には入って来ない。

 それほどに、どうしようもなく致命的な相手だった。

 それほどまでに、アスカ・スプリングフィールドには絶望的な相手だった。

 

「……ナギ、スプリングフィールド……」

 

 呆然と呟いたのであった。胸に渦巻く冷たい感情は重すぎて、声に上手く乗らない。そんな虚ろに響く呟きと共に、アスカの拳から力を入れ過ぎて爪が皮を突き破り、ポタポタと血が零れ落ちていた。

 吹雪のように内心を荒れ狂う冷たい感情とは裏腹に、アスカの呟きはただ喉を引き攣らせる静かな嗚咽に似ていた。

 喉を引き裂かんばかりに重く父の名を呟くアスカの声が、まるで泣いているかのように痛々しく龍宮神社に響く。

 それ以上は声が出なかった。驚きのあまり、ということではなく、その眼を見た瞬間に胸に押し抱えた熱が爆発し、飛び散った欠片が喉を塞いだのだった。

 

「よぉ、息子」 

 

 答えるように、ネギを成長させてアスカの性格を足したような赤髪の長身の男――――ナギ・スプリングフィールドはニヤリと男臭く笑った。

 ナギとアスカ、ここに十年の時を超えて父と子が対面を果たした。

 


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