魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第54話 学園攻防戦

 

 アスカがその場所を認識した時、すべては闇に包まれていた。どのような光も、どのような救いも届かないほど、深く、深く沈みきっている。一条の光も差し込まない、漆黒が充満した檻だ。

 感覚が希薄で、自分が立っているのか、横になっているのか分からない。目を塞ぎ、耳を閉じ、あらゆる感覚を遮断しているような孤独。

 こうなる前に感じていたのは浮遊感だった、その正体が何かは分かっている、墜落したのだ。だけど、その前後がはっきりとしない。分かっているのは例えようのない喪失感と、ただ哀しいと感じる心だけだった。

 

(――――きっと、罰だ)

 

 何の脈絡もなく、ふっとそんな考えが浮かんだ。

 元々失うものなど何もないはずなのに、失ったと感じるのは錯覚なのか。それとも普段は目を逸らし忘れていた欠落に気付いたからか。必要な何かが欠けているのだとしても、それはおそらく自分の所為だった。理由は分からないが何故かそう思った。

 胸に空いた隙間に風が吹き込んで痛むなら、石でも詰めておけばいい。これまでもそうしてきたし、これからもそうする。他の方法をアスカは知らない。

 

「くっそ! なんだよここは」

 

 アスカはそうして憤然やるせない思いを吐き出す。

 暗い空間であった。ただし、物質的な暗さではない。真っ暗なのに見下ろした自分の手がハッキリと見える。まるで暗いという概念が空間を満たしているような異質さ。

 夜の墓場のような不気味さを醸し出し、欠けた月のような物哀しさを感じる不思議な空間。そんなどうしようもない暗さ、一人でいれば精神まで浸食されてしまいそうな、ベッタリとした闇が肉体に絡みつく。

 

「ここは君の中だ」

「――――!?」

 

 吐き出した言葉に返答があったが、その返答を聞いただけで体中の産毛が残らずそそりだった。

 闇は全てを隠している。音はない、匂いもない、ただ気配だけがそこにある。

 どうしようもなく圧倒的な、傍にいるだけで打ちひしがれてしまいそうな巨大な気配だけが突如として闇の中に現れた。手を伸ばせば届くほど近くにも、百年歩いても会えないほど遠くにも感じる。そんな気配であった。

 恐ろしく、忌まわしい、巨大な気配。直ぐ傍まで、いや急速にその気配が膨れ上がる。

 視線の先、黒色の衣服に身を包む華奢な体躯の少年である。よく見ると体の至る所に継ぎ接ぎがあり、そこだけを注視したならハリボテと勘違いしても不思議ではない。だが少年の体は崩れもせず、整然と存在し続けた。

 ゆっくりと閉じられていた瞼が開いていく。白目まで生き血でそのまま染め上げたような真紅の目。その瞳はどうしようもなく紅い。紅玉の如く赤く美しい、人間の色素では決してありえないはずの真紅の瞳であった。その目には隠しきれない残酷性と冷酷性が溢れ出ていた。

 目の前にアスカがいるのに、その目にはアスカの姿など映っていない。目の奥に宿るのは、抑えきれないほどの狂気と憎悪のギラギラとした輝き。人類全てを焼き尽くさんばかりの狂気。人類全てを敵に回しているかのような憎悪。二つの炎が混ざり合った凶悪な輝きが、その鋭い眼からは発せられているのだった。

 感情自体が存在しないのか、表情に変化がない。瞬きすらしない少年の姿は、風景に溶け込むオブジェにすら見えてくる。だが少年は確かに存在していた。死臭を漂わせ、絶対的な存在としてここに。

 アスカの体は小刻みに震えていた。少年が放つ昏い気配に戦慄しているのではない。自然に体が反応しているのだ。理由は分からない。皮膚が粟立ち、その場から逃げ出したい衝動に駆られるが、何故か出来なかった。目の前の相手から逃げることは出来ないと本能的に知っていた。

 

「誰だ?」

 

 思わず後退る。同時に肉体に存在しない部位が突然出来たような異物感を感じて問い詰める気持ちで訊いた。心の中で叫んだはずなのに声となって口からは飛び出していた。

 

「誰なんだ、お前は!」

 

 本能的な恐れ。人間の姿をしていながら、人間を喪失した者に対する、自然の反応。

 問いは鋭く、次第に悲鳴に近い形になって空を切った。その叫びに名無しが笑った。アスカの必死さを皮肉るように口を捻じ曲げた嘲笑かのような笑み。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拳と拳が、脚と脚が、全身と全身が、魔力と気を迸らせてぶつかり合う二人――――アスカ・スプリングフィールドと犬上小太郎。二人がその身を激突させる度に、衝撃の余波が足元の地面を壊し砕く。地を割り、捲くれ上がった瓦礫を吹き飛ばし、空気を灼熱の色に染め上げて二人が鬩ぎ合う。

 空中でぶつかった二人は真下へ降下を開始。しかし二人にとって、重力落下は脅威ではない。頭を下にして天地が逆のままの至近距離で攻撃をぶつけ合う。

 足場のない空中戦。それも浮遊術や狗神を使わない自由落下に任せた中では真っ当に自分の体重を乗せた攻撃は繰り出せない。そこでアスカと小太郎は、相手の攻撃を受け止めたエネルギーを逆に利用して体を回転させ、様々な角度から更に強烈な一撃を返していく。

 足場なき状況を最大限に利用した応酬が永遠に続くはずがない。地面は確実に近づいている。そして着地の瞬間こそが、拮抗した状況を崩す大きな切っ掛けとなる。

 地面まで残りが三メートルを切った。アスカの拳を受けた腕を引いて独楽のように回った小太郎が肘打ちを繰り出す。

 地面まで残りが二メートルを切った。肘打ちにハイタッチをするように手を差し出したアスカが、やってきた肘を優しく掴んで天地を逆にして正常に戻しつつ後足で小太郎の頭を刈り取ろうとする。

 地面まで残りが一メートルを切った。頭を刈り取るかの一撃に小太郎は自分からぶつかりに行き、アスカに遅れて天地を正常に戻した。

 二人の足が地面へと接触する。

 

「「ッ!!」」

 

 着地と同時に前へ踏み込んで放った渾身の一撃によって、拳がぶつかり合ったとは思えぬ轟音が炸裂した。アスカと小太郎の体がそれぞれ爆心地から二十メートルほど後ろへ跳ね飛ばされて、着地地点からプラスして五メートルほど地面を削り取ってようやく止まる。

 しかし、小太郎がバランスを崩したのとは違って、アスカは短距離走のスタート直前のように体重を前に傾けた状態で静止し、小太郎が体勢を立て直すのを悠々と見ていた。

 

「これが力の違いだってそう言いたいんか!」  

 

 アスカの余裕に満ちた態度が小太郎の気持ちを掻き立てる。恥辱に塗れさせながら絞り出すように喚くが、その間にアスカは次の手を完成させている。

 侮られたと、怒りが体の奥で爆発して狗神を纏うよりも早くアスカの右腕に白色の雷華が絡みつくように迸る。

 

「雷の暴風!?」

 

 腕から手の平に向かって収束した雷華を投擲するように、アスカが光輝に猛る右手を振るった。小太郎の推測通りの雷を纏う極小の台風は空気を切り裂き、雷鳴を轟かせながら小太郎を追う。

 雷の暴風に気づいた小太郎が、集めていた狗神を利用して前に傾けていた体重を後ろに戻して身体を後転させるのと同時に、背後にあった巨大な岩の頭頂から跳躍した神楽坂明日菜が射線上に割り込んで来る。

 

「させないっ!」

 

 小太郎を背後に庇った明日菜が借り物のバスターソードを振り回して、強大な雷の暴風に真っ向から立ち向かい、頂点から真下へと切り裂く。

 魔法無効化能力によって切り裂かれた雷の暴風は、その威力を弱めることなく明日菜を中心として二方向に別れ、辺りに転がっている岩を粉微塵に粉砕する。二方向に突き進む雷の暴風が威力を大幅に減じながら、やがて拡散する。

 

「おおっ!」

 

 巻き上がった爆風が砂塵を巻き上げる中、明日菜を飛び越えた小太郎が凄まじい勢いで真っ向から突っ込んだ。応じるようにアスカも一直線に突き進む。

 小太郎の方が先に動いたのに両者の中間地点で衝撃波が飛び散り、瓦礫を撒き散らせながらその間にも二人は高速で動く。

 今度も腕を伸ばせば相手に届く近距離での近接近。二人ほどの近接能力のない明日菜では援護のしようがなく、傍観するしかない。

 

「――――」

 

 お互いに全力の攻撃をお互いに弾き躱し避けていた。手を伸ばせば相手に届くような距離では足での攻撃は体勢を崩しかねないので、攻撃オプションは上半身部分に限られる。

 移動をし続けながら決して目の前の相手から目を離さない。

 

「――――」

 

 攻撃の最中、上だけに意識を配っているように見られたアスカが移動を続ける小太郎の足を踏みつけようと伸ばす。

 普通なら意識の埒外にある足への攻撃。しかし、足を踏み潰されるその一瞬前に全てお見通しだと言わんばかりに、見もせずに小太郎は足を一歩下げた。

 お返しだという左の突きを放つ。が、伸ばしかけた腕の肘部分を内側から右腕で掴まれて止めさせられる。そしてそのまま掴んだ腕を基点として回り、小太郎の横へと移動する。小太郎の攻撃を回避したと思われたアスカが流れるような歩法と共に遠心力を付加させた左肘を振るう。

 視界の外から来る肘を背筋に走った極大の悪寒で感知した小太郎は咄嗟に身を屈めた。アスカの肘が髪を切り裂いて通過するのを小太郎は確かに感じ取った。だが、目の前に迫る肘だけでなく右の拳が伸ばさせるのを見て暢気に構えている余裕はなかった。

 なんとか目の前で腕をクロスさせて防御できたが、十メートル近くも地面を削りながら吹き飛ばされる。技量の違いに慄然とし、歯を食い縛った小太郎は、近接能力においてアスカが自分よりも二歩も三歩も上回っていることを認めなければならなかった。

 

「舐めるなやっ!」

 

 突き上げる憤懣が狗神になって吹き出し、疾走してアスカを掠める。避けられても反転した狗神がアスカに向けて跳ぶ。

 跳躍したアスカを追って宙を飛んだ狗神に向けて魔法の射手が放たれ、全ての狗神が倒されても尚、止まない。雨霰と上空から降り注ぐ魔法の射手を、慌てて距離を取って下がりながら明日菜の援護の手を借りて全弾をやり過ごした小太郎の視線の先でアスカが悠々と着地する。

 

「余裕出しくさりおって……っ」

 

 余裕を見せつけるように悠然と立つアスカの姿に見下されていると小太郎に感じさせた。

 不甲斐ない自分を許すことが出来ない。それは少年の潔癖さであっても、愚かしさではない。愚直なまでに率直で早熟な少年なのだ。

 

「手加減してるって言うんか!? お前はどこまで俺を虚仮にしたら気が済むんや!」

 

 小太郎が雄叫びを轟かせて飛び出した直後、曲がりなりにも保っていた均衡が崩れた――――アスカへと。

 互角だった攻撃のやり取りが一方的に打ち込まれていく。拳打の雨が小太郎を打ち据える。

 

「く……!」

 

 小太郎は両腕でガードを固めて拳の雨が止むのを待った。しかし、雨は止むどころか激しさを増して豪雨になり、更には嵐となった。回転を重視しているからか一発一発は重くないが、単発では脅威にならなくとも、纏められれば効いてしまう。

 遂にガードを突き破られてしまい、数十発の拳打にその身を打ち抜かれて大きくよろめいた。

 これはいけないと、明日菜がすかさず救援に入る。

 

「させ――がっ!?」

 

 放たれたバスターソードはあっさりと避けられ、振るわれた蹴りが明日菜の鳩尾に突き刺さり、蹴散らされて胃液を撒き散らしながら近くの岩に叩きつけられる。

 明日菜の行方を気にした風もなく、ダメージによろめいている小太郎に向けてアスカが拳打の雨を降らせる。更なる一息の間に放たれた数十発もの拳が、小太郎の米神を、顎を、頚動脈を、鳩尾を、肝臓を――――人体の急所を的確に捉えた。

 

「が……ごあっ――」

 

 自分のものとは思えない苦鳴。小太郎は膝から崩れたが倒れなかった。踏ん張り、追い討ちをかけようと拳を振りかぶったアスカに拳で応じる。

 アスカは小太郎の拳をダンサーのような軽やかなステップで横に回って避ける。

 

「じゃっ!」

 

 アスカの口から気合が漏れる。小太郎の顔を抉り取らんばかりの勢いで肘が放たれる。肘は人体の中でも強力な部位である。人の部位の中でも極端に固く尖った肘は、有効に使うことで鋭利な刃物と化す。しかも体幹から近い。それ故に繰り出す時の軸がぶれにくいという利点もある。ただ、あまりにも短い射程であるため、取り回しが難しいうえに、超近距離での攻防しか使えない短所もあった。

 侍であれば、拳が刀であれば肘は小刀といったところである。使い所を見極めれば凄まじい破壊力を示す。もちろん、回避と連動させて接近距離で放ったアスカの肘打ちは絶妙である。神がかり的な反応して顔を僅かに後ろに下げた小太郎の鼻の上を刃物を振り抜いたかの如く切り裂いた。

 アスカは止まらない。肘が通り過ぎたことに安堵して下げた顔を元に戻した小太郎の下から掬い上げるような拳の一閃で顎をかち上げ仰け反らせ、がら空きになった鳩尾に掌打を叩き込む。小太郎の身体がくの字に折れる。

 アスカが右の下段蹴りを放って、打撃音が響いて小太郎の体が宙に浮く。アスカは右腕を伸ばして浮いた小太郎の右足を掴み、そのまま投げる。

 

「!」

 

 相手の足を掴んで、それを一本背負いの要領で投げる。

 腕を伸ばして地面に手を突き、頭を前に傾けてそのまま前回り受け身で地面を転がる。頭から地面に叩きつけられるのだけは、小太郎も何とか回避した。

 大の字に倒れたまま、小太郎は追撃もせずに悠々と立っているアスカを見た。

 

「ぬっ……ぐ……くぅぅぅ」

 

 肘で鼻の上を切り裂かれて顔の真ん中に横一文字の傷を付けられた小太郎は、全身に感じるズキズキとした痛みを堪えて立ち上がる。

 小太郎が立ち上がって構えを取る前にアスカが動いた。真っ直ぐに肉薄し、拳を繰り出してくる。避けずに、小太郎も拳で応じた。

 

「ぐあっ」

 

 互いの拳が互いの顔面を捉える――――かに見えたが効いていたのはアスカの拳だけだった。

 打った感触は実に奇妙だった。一瞬、分厚いゴムを叩いたような柔らかさと弾力を感じた。アスカの身体は打たれた方を引いて捻っただけで小揺るぎもせず、小太郎の手には殴ったという感触が薄い。

 武道において「守」こそが武の本質であり、真髄である。より上位者ともなれば、「守」の技術が秀でた方が勝つ。こと、武術の腕において小太郎はアスカに遠く及ばなかった。小太郎の放った攻撃は受け止められ、顔にぶち当たった一撃に身体ごと吹っ飛ばされた。

 何度か転がって勢い良く立ち上がって振り返ると、今度もまたアスカは悠然と立っていた。

 

「くそっ!」

 

 彼我の実力差は始めから分かっていたことだが、追撃をかけてこないアスカの様子が舐められている感じて地面を蹴った。

 同時にアスカも動いている。再び小太郎の拳とアスカの拳が交錯し、先程の焼き直しのように小太郎の身体が宙を舞った。続けざま、アスカは小太郎の顎を拳で突き上げて仰け反らせると、渾身の回し蹴りを顔面目掛けて繰り出した。

 直撃すれば頭部を木っ端微塵になる威力を秘めた蹴りを左腕を盾とすることで防ぐ。反撃の拳を出せば、瞬時に五倍の攻撃が帰ってきた。鉄よりも固い拳を頭に打ち込まれたことでぐらつき、鳩尾を蹴りぬかれて弾き飛ばされた。

 一瞬とはいえ意識を吹き飛ばされ、着地した時には目の前にいたはずのアスカの姿を見失っていた。

 

「……ッ!? アスカは!」

「危ない!」

 

 不意に近くから声が聞こえたと思った時には、既に風圧があった。そちらを振り向く前に間に合わずに一撃が入る隙があった。

 またもや小太郎を守る為に投げられた明日菜のバスターソードが放たれた重たい一撃を受け止めた音が響くも、バスターソードごと小太郎の体は水平に何メートルも吹き飛ばされていた。バスターソードごと吹き飛ばされたのだ。

 動く視界の中で明日菜が何かを叫んでいるのを見ながら小太郎は全身を襲うダメージをどうにか耐え、着地体勢を取ろうとした。

 

「小太郎君、前!」

 

 その言葉が小太郎の耳に届く前に、息も継がずにアスカが跳躍している。

 全身で大気を切り裂いて瞬く間に宙を舞っている小太郎の頭をがっちりと両手で押さえた。自分の跳躍と落下の勢いを加算させて額に頭突きを、鳩尾に膝蹴りを、後頭部と背中に拳を打ち込んで地面に叩き落す。

 とんでもない強さだ。単純に力が強いとか、動きが速いとか、そんなものが問題ではなく、理不尽なほど圧倒的に強い。

 

「がぁあああああああああ!!」

 

 痛みに叫びながら、小太郎は時間稼ぎすら出来ないかもしれないと認めなければならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドン、と破裂音を残して、『田中』さんら機械群はバラバラに吹っ飛んだ。

 

「ここから先へ行かせないよ」

 

 最優先防衛地点でもある世界樹広場前をたった一人で任された高畑は呟きつつ、ポケットに手を入れる。

 ごおっ、と高畑の体から咸卦のオーラが立ち昇って実体があるかのようにうねった。竜巻のように、稲妻のように、なにもかもを海へと浚って行く大波のように渦巻く。

 高畑の下へと現れる巨大な人型――――学園深部に石化封印されていた6体の無名の鬼神を超鈴音が制御用の科学装置を付けて復活させ、強制認識魔法の魔法陣生成のための魔力増幅装置として用いた物。

 

「鬼神か。頭に付けている機械で制御しているのか」

 

 機械仕掛けの鬼神を見上げながら呟く。その背丈は二十メートルといったところか。これだけの巨体ともなれば、生半可な技ではびくともしないだろう。

 

「今の僕は誰にも負ける気がしない」

 

 小さな呟きの直後、轟音と共に鬼神の腹が炸裂した。

 何tあるかも分からない巨体が苦もなく浮き上がるが、この中継を見ていた人は何がどうなっているのか皆目見当もつかない。高畑はただ、掬い上げるような軌道を描く居合い拳を放っただけで、なんら特別なことはしていない。

 

「ガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ直伝、七条大槍無音拳」

 

 閃光が奔った。閃光は瞬く間に鬼神の上半身をあっという間に呑み込み、麻帆良の空の彼方へと消えていく。

 上半身を失った鬼神は崩れ落ちた。

 崩れ落ちた鬼神を乗り越えて、向かってくるロボット群を前にしても高畑には動揺の欠片もない。

 

「僕を超えていきたいなら、この百倍は持ってくるといい。それでも超えさせはしないけどね」

 

 直後、まるで人形みたいに機械たちが弾け飛ぶ。漫画かなにかと思えない光景だった。

 あまりにも圧倒的な沫ヘ。天災とも紛うばかりの、天災そのものとされかねない絶対的な破壊。竜巻や地震にも似た、目の前の全てを叩き潰し、押し潰し、引き裂かずにはおかぬ破壊の権化だった。

 世界樹広場前を颶風が駆け抜ける。

 

「背後に守るべき人達、前には倒すべき敵。これで燃えなければ、彼らを目指した意味がない」

 

 善良なる者がいれば、この世には悪人もいる。そして、それぞれが感情や利害に揺れながらぶつかり合う。己の信念、信義に従う――――それ以外の何にも従わなくてもいい。それは自由であると同時に、とてつもなく重圧を伴う責任だ。

 自分達は正しいことをしていると思って、これまで懸命に闘ってきたが高畑の中には一抹の不安を抱えていた。自分は間違えていたのだろうか。これまで正しいと信じていたことは全て、何も分かっていない自分の綺麗事に過ぎなかったのかと。

 超の願いは正しく清い。だが政治は願いだけでは動かない。正義を貫くには力が必要である。施政者が彼女のような者なら、この世に戦争など起こらないだろうに。

 そんなことを今更悔やんでも何にもならない。諦めて特攻し、華々しく散る気はない。最初から諦めていたら万が一の奇跡など起こらないからだ。そもそも、彼は昔から往生際が悪かった。

 

「さあ、来い。ここから先は一歩も進ませないぞ」

 

 ともすれば、今の酷薄そうに見える高畑の横顔に、憧れた彼らと同じ太々しい笑みが浮かぶ。

 高畑を前にして、なんとか破壊を免れたロボット達も呆気なく次々と破壊されていく。他と違って、この世界樹広場前だけは守る者の圧倒的優勢で戦況が推移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拡大鏡の狭い視野の中、馴染み深い麻帆良の風景から、ゆっくりと意味は消失してゆく。銃を構え、狙いを定め、引き金を引く。その単純な作業を精密に行うことが、真名は紙に描かれた緻密な迷路を落ち着いてなぞってゆく作業に似ていると思う。

 物言わぬ鉄の機械装置に寄り添って、その正確さに生身の体を着地させてゆく。

 

「…………………」

 

 息を深く吸った。本当に正確に撃つためには、呼吸どころか、血液の流れさえ気を使わないといけない。

 サイトへ目を寄せて、針先のような穴を通して標的を見据える。

 標的の一人である葛葉刀子が多脚砲台を切り裂いているのが見えた。深々と複合装甲版を切り裂き、円盤の半ばまで達する。対戦車ライフルにも耐えうるはずの複合装甲は、ほれぼれするほど見事に断たれていた。裂け目の内側で火花が散り、血のようにぎらつくオイルを吐いた。

 単体戦闘力で学園でトップクラスにいる神鳴流の遣い手を排除する為に、肩の力を抜いた。五百メートルなら殆ど準備なしで命中させる自信があるのだ。それは同じような射撃を幾度となく成功させた経験に裏打ちされた揺るぎのないものだ。

 葛葉刀子が次の標的である田中さんを見据え、真名が惚れ惚れとするような豪快さで3体を一気に胴体で輪切りにする。その一刀を放った瞬間に、あるべき位置へ吸い込まれるように引き金を引いた。

 

「葛葉!」

 

 サイトの向こうで異変に気づいたのだろう、風で増強された神多羅木の声が刀子の名を叫ぶが既に遅い。

 一瞬の技後硬直に陥っていた刀子が神多羅木の声に反応しようとしたが、途中でギクリと動きを止めた。刀子のスーツが判子を押したように僅かに窪んでいた。衣服の上の点は、そのまま音も無く刀子の肩から全身に広がって、彼女を瞬く間に呑み込んだ。

 

「狙撃!? 葛葉!!」

 

 転移反応と共に刀子を覆った球体が消えた直後にその姿がどこにもないことに、神多羅木は一瞬の動揺を掻き消して彼女を安否を頭の外へと追い出した。風の遣い手である神多羅木には遠距離からの攻撃が狙撃によるものと分かり、自らが刀子の二の舞を踏むことを避けて行動しなけれならない。 

 

「狙撃だ! 物陰に避難するんだ」

 

 周りの仲間に告げて自身も直ぐに建物の影に隠れて周囲を見回す。周囲は同じくらい高さの建物が多い。尖塔があっても、そこからライフルを構えた人間は見えないし、発射した兆候は見受けられなかった。

 

「!?」

 

 近くの尖塔の屋根で何かが光った。それだけで神多羅木は隠れたはずの魔法先生や魔法生徒が狙撃されたのかを悟る。

 

(――――跳弾か!? 何という技術!!) 

 

 尖塔の位置からは到底不可狽ネはずの、ありえない角度からの銃弾の行方を感じ取った神多羅木が戦慄する。

 このままでは自分も危ういと考えた神多羅木は早急に狙撃手を排除すべく行動を開始する。

 

「…………………」

 

 一方の真名の口からチッと音が漏れた。唇の間から漏れた音は舌打ちではなく、奥歯の擦れた音だった。

 

「風で作ったデコイ…………神多羅木教諭か」

 

 麻帆良の空に出現した数多の人影。それは風の扱いに長けた神多羅木が作り上げた偽りの人影であった。これでは射線が妨害され、邪魔されて標的が見えない。

 真名は慌てることなく深呼吸するように息を深く吸った。本当に正確に撃つためには、呼吸どころか、血液の流れさえ気を使わないといけない。狙撃銃を固定する筋肉の揺れ、指先の澱み、全てが射撃に影響されてしまう。

 サイトへ目を寄せて、針先のような穴を通して標的を見据える。

 肩の力を抜いて瞬きを止める。呼吸を整えて、心臓から指先への血の流れさえ、コントロールする。

 神経繊維は肉体の内にありながら、外気との接触を敏感に訴えてきたが、肝心の敵の位置だけは察知出来なかった。大気の流れと鼓動とが一致しない不快感が、項を撫でるように神経を突く。

 動くことは止めた。踏み止まった姿勢のままで、構えた狙撃銃を構え直し、トリガーガードの外に置いていた指を引き金にかける。

 

(本体はどこだ?)

 

 敵の姿が視界内に埋め尽くされている。気配がそこら中に氾濫して区別がつかない。何時でも動けるように膝から力を抜いて視界内を見回す。敵の動きを目で追うなんて素人のようなことをしなければならなかった。

 隠れる場所は幾らでもある。学園都市内には隠れられる場所というのが確実にある。建物の影、木の幹の裏と隠れ場所なら地形を選ばない。

 木を隠すなら森の中というが、この敵は多数の自分を作り出してその中に隠れてしまった。

 見回せば、そこら中に神多羅木、神多羅木、神多羅木、神多羅木、神多羅木……………。あまりにも多すぎて、どれが本物なのか見当もつかない。

 

「!?」

 

 狙撃銃のスコープで本体の居場所を探していた刹那、普段なら見逃すような空気が流れていくのを背後に感じた。

 反応しようとした直後、背中から衝撃が走った。同時に左手にも衝撃と発砲音――――背中からの衝撃で引き金にかけていた指がトリガーを引いたのだ。

 弾丸はあらぬ方向へと飛び、少し先の建物の屋根に着弾。暴発に近い形だったが人に当たることがなかったのは幸いだった。

 真名は狙撃位置にしていた建物の屋根から落ちるのを承知の上で、黒のコートを目晦ましに前方に身を投げ出した。屋根を転がり落ちながら背後に視線を向ける。予想通り、神多羅木は自分の背後にいた。

 まさか自分から落ちるとは考えていなかったのか、神多羅木は先程まで真名がいた場所から動いていない。

 彼我の距離は既に数メートルは離れている。これだけの距離が空けば、ありったけの強制時間跳躍弾(B.C.T.L.)を撃ち込むことが出来る。

 二十二年に一度、数時間しか使えない期間限定品だが超鈴音曰く「最強の銃弾」である強制時間跳躍弾(B.C.T.L.)。魔法障壁も剣での防御も無駄。大きく回避するか遠距離で打ち落とす他ない。一度、この銃弾を喰らったが最後、エヴァンジェリンですら脱出は不可狽ニいう超鈴音の「最強の銃弾」に偽りなし。

 ありったけの強制時間跳躍弾(B.C.T.L.)を逃げ場を失くすほど周辺にばら撒けば、いかな神多羅木と謂えど回避は不可能。

 着地行動を放棄することになるが見届けた後でも余裕がある。ボルトアクションで連発の効かない狙撃銃は転げ落ちた時には既に手元から離れており、意志よりも早く反応した肉体が、コートの内側に入れていた強制時間跳躍弾(B.C.T.L.)を装填している『FN P90』を右手に掴んでいた。左手は腰の裏のベルトに入れていたデザートイーグルを掴んでいる。

 神多羅木がこちらに飛び出そうとするのを目にして、助けようとしてくれるのかと考えが頭を過ぎったが、指は躊躇なく引き金を引き絞った。

 投げ捨てた狙撃銃や屋根に当てて銃弾を跳弾させる。先程までテリトリーにしていた屋根部分の全てが覆い隠されるほどの転移場が展開され、足を踏み出した姿勢で神多羅木が成す術もなく飲み込まれていく。

 転移場が収束して神多羅木が消えるのを目にして、真っ逆さまの状態から体勢を整えて足を下した時に空中に魔法陣を展開して着地して、ゆっくりと地面に降りる。

 

「上手くいったか」

 

 学園上位に位置する相手を排除して手に持つ銃を下げて、手の甲で浮かんだ滝のような汗を拭う。

 

「真名」

 

 そこへかけられる声。

 真名がギクリと身を震わせて振り返ると、少し離れた場所に人が立っていた――――長瀬楓が。

 

「楓か。何の用だ、と聞くのも変な話か」

 

 手に持つ銃をいつでも構えられるようにして、楓がこの場所にいる真意を問うこともなく戦闘態勢を整える。

 

「真名を止めに来たでござる」

 

 反対に楓は体から力を抜いているかのようで、その言葉と相まって真名に不審を芽生えさせた。

 

「超を、ではないのか?」

「拙者は馬鹿でござるから、超が何をしたいのかよく分かっていないでござる。今、拙者がここにいるのは真名を止める為で間違いないでござるよ」

 

 何故、と問うことは開かれた楓の眼が雄弁に物語っていた。

 言葉を聞いてはいけない気がして、真名は手に持っていたデザートイーグルの銃口を楓に向ける。

 

「甲賀中忍としてではなく、3年A組出席番号20長瀬楓として、お主を止めるでござるよ、真名!」

 

 宣言をした楓は立てた指先を十字に交差させ、独特の印を結びながら、低く、ひどく落ち着いた声で術の名前を呼び上げた。

 

「――――分身の術」

 

 ぼ、ぼ、ぼんと空気が弾ける音と共に、楓の周囲に無数の煙が現われて晴れると楓が増えていた。それも一人や二人などという数ではなく、十から二十に及ぶ楓を前に如何な真名もジリジリと距離を取ろうとする。

 この距離はマズい。真名も接近戦は苦手ではないが、ここは楓の距離だ。

 分身の術は、気を実体化させた術である。密度が薄ければ使い手が何人にも増えたように見えても、それはあくまでそう見えるだけでのことで、実体は本物しかないということもある。楓の場合ならば、本物と遜色ない実体を持つ分身を作り出し、使い手の意のままに操ることが出来るだろう。

 それは並みの使い手では習得することも難しい、高等忍術に属する技であった。

 

「行くでござる!」

『応!』

 

 本体の掛け声に、何盾烽フ楓が一斉にそう声を発する光景は壮観でさえあった。凄まじい大群と化した楓達が気弾で右手を光らせて、一斉に真名へと襲い掛かる。

 

「真名――!」

「楓――!」

 

 一斉に走り出す楓と相対する真名が銃を発射する。

 二人の戦いはこうして始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市の地下にその部屋はあった。おおよそ教室ほどの広さで、その奥にはスクリーンと多くのコンピュータが設置されている。

 都市ネットワークを流通しているデータは全てこの場所に集約され、メインサーバーは一ナノ秒たりとも休むことなく麻帆良を監視し続けている。故にこのコントロールルームを指して誰が言ったか『麻帆良の砦』。

 一室にある最も大きいスクリーンには現況が流され、突如として出現した機械軍団の動きや、その結果を抽出したシュミレーションが複数ルート提示されている。可能性の高いものほど色が濃く、低いものは薄くなっているのも電子精霊による電子プログラムによるものだった。別のスクリーンには、激しい爆音を立てて麻帆良の街並みを蹂躙していく機械軍団の姿が映されている。

 

「学園警備システムのハッキングが止まりません!」

「サブシステムダウン!」

「防壁を展開してっ!」

「防壁展開…………突破されました!!」

 

 学園の警備システムを動かしているメインコンピュータが、何者かからのハッキングを受けていた。状況的に考えて、超一味からのハッキング攻撃であることが推測されたが、問題はその速度にある。

 厳重に守られているはずのメインコンピュータにハッキングし、防衛システム中枢へのアクセスコードを人間技と思えぬ速さで解析して、遂には学園結界が停止。その結果、地上では麻帆良の地に封印されていた鬼神を利用した巨大ロボが出現して、圧倒的な力で防衛拠点を奪おうと歩みを進めている。

 コントロールルームではシステムを奪還しようと学園側も決死の反抗を試みるも、電子世界上での敗北は濃厚の状況に半狂乱の叫びが木霊していた。コンソールを殴りつけ音さえ聞こえて来る。オペレータ達の必死の努力も、ただ空回りするばかりだ。

 

(…………ほんの数時間前なのに)

 

 数の差は大きく、奮戦はしているものの一秒ごとに崩壊していく景色に夏目萌はスクリーンを見上げて唇を噛む。

 

「ロボット兵器群3000体を超えて、更に増援が出現!」

「麻帆良湖湖岸と世界樹広場前以外の防衛地点より救援要請多数! このままでは持ちません!」

「鬼神級が出現! 1、2、3…………6体も!? あ、高畑先生によって1体消滅しました」

 

 たった数時間前まで賑やかだった麻帆良祭が、無残に踏み躙られていく。

 一年に一度の麻帆良祭を最高に楽しもうと誰もがあんな笑っていたのに、楽しませようとあんなにも張り切っていたのに。

 まるで地獄だ。単にこの場所が悲惨というのではなく、祭りの裏に隠された本当の意味で人々の――――生徒達の想いが崩壊していくからこその地獄。

 

(どうして、こんなに……)

 

 少し前まで誰もが麻帆良祭を楽しんでいたのにと、萌は思う。

 ごく当たり前に祭りを満喫していて、恐らくは誰もがそうであったろうに。たった一日と少しの時間の流れのなんと残酷なことか。

 

「出来の悪いB級映画みたいだな。くそっ」

 

 くしゃくしゃと頭を掻いて、萌の隣に座る魔法生徒が呟いた。

 

「いけない」

 

 頭を振って、意識を現実へと復帰させる。今は一刻一秒が惜しい。思い煩っている暇など存在しなかった。

 全体に指示を出さなければならない明石教授は、夏目萌のように学祭に思いを馳せることすら許されない。

 

「予備戦力を投入し救援要請地に援護へ向かわせて! 鬼神の封印を優先するように現場に指示を! 防衛を任された者は持ち場を動かず、遊撃の者に鬼神の封印を任せるように通達!」

 

 矢継ぎ早に指示を出しつつ、それぞれの行動が成功と失敗した場合の両方のパターンを模索していく。

 祭りだからといって浮かれていたわけではない。むしろ安全を期して監視の目は倍も増やしていたほどだった。

 これほどの逆境に立たされている以上、今の指示も見抜かれている可能性が高かった。見えないチェス盤の向こうに座っている相手を、明石教授は想像する。

 

(まさか超君、君がこれほどの策を用意しているとはね。ますます惜しいよ)

 

 嫌な汗が米神の辺りを伝って流れ落ちていく。

 明石教授が見上げたモニターに、超が用意した数多のロボット軍団が映っている。

 最も多いのは武道大会に参加した男性型ロボットの『田中さん』だが、こちらは対処さえ間違えなければ動き自体は単調なので対処がしやすい。

 二番目に多いのは、円盤から六本の足を生やした、どこか蛸に似たフォルムの機体。円盤の底からは、黒光りする銃身も覗いていた。田中さん数体を載せて走れる巨体と機動性と、田中さんと連動した攻撃は驚異の一言である。よほど装甲が分厚いのか防御力が並外れていて、魔法生徒の魔法の射手の一つや二つが直撃してもビクともしていない。

 今もモニターの映像の中で、ギキキキと音を立てて銃身が動いている。銃口の先には魔法生徒がいて、放たれた弾丸に当たって何らかの力場が発生している。

 

「転移反応を確認!」

「どこに転送された?」

「不明です。痕跡を辿れません!」

 

 田中さんが放つ銃弾もそうだが、多脚砲台に撃たれた魔法生徒は障壁の上からにも関わらず、どこかに強制転移させられ、司令部ですらその行き先が辿れない。

 

「馬鹿な。銃弾に魔法を込めて着弾した者を強制的に跳ばしても精々三㎞程度が限度のはず。痕跡を辿れないはずはないが……」

 

 自らの常識を以て返された返答のありえなさを否定したくなるが、目の前に表示されているエラーは消えてくれない。

 

「報告! 狙撃により葛葉、神多羅木他数名の魔法先生が強制転移させられた模様!」

 

 悲鳴のような報告が次々に上がって来る。

 明石教授は手元にデータを呼び出し、強制転移させられた面々が学園でもトップクラスの戦闘力を持つ者だと分かり、対策を練られる前に強襲されたのだと推測する。

 

「魔法ではなく、科学の産物か…………各員に通達! 敵の銃弾に触れてはいけません。障壁でも防げないようですから回避を優先するように。受けざるをえない場合は、対物対魔だけではなく特殊属性障壁の準備を促して下さい」

「広域念話妨害を確認! 念話が邪魔されています!」

 

 パスを繋げている全員に届ける広域念話を邪魔するジャマーが散布されたことに明石教授は眉を顰める。

 

「携帯電話は?」

「そちらも同じです。学園内の通信網の全てが遮断されました……」

 

 夏目萌からの報告は現場への指示すらも遅れなくなったことと情報が共有できなくなったことを意味していた。

 

「都市上空に超鈴音の立体映像が出現! メインモニターに回します!」

 

 高校生の魔法生徒の声と共にメインモニターの映像が切り替わる。

 

『ふははははははは! 苦戦しているようだネ、学園防衛魔法騎士団の諸君!』

 

 切り替わったメインモニターに不敵に笑う超鈴音が映る。背後が透けていることと、近くを飛んでいる飛行船との大きさの比較から本人そのものではなく立体映像であることが分かる。

 

『私が、この火星ロボ軍団の首領にして、悪のラスボス、超鈴音ネ。目的は旧態依然とした体制を打倒し、麻帆良学園都市を占領する。そして世界樹の力を以て魔法を公開することヨ』

 

 突如出現した超鈴音の映像は学園都市上空に映し出されている分、都市のどこからでも見えることだろう。イベント仕掛けにして意表を突いたはずなのに余裕を崩さないその姿に明石教授ならずとも歯噛みしたくなる。

 

『交渉による平和的な手段での解決は決裂した為、暴力という野蛮な手段に出たことは不徳の極ミ。故にこのような物を用意したネ』

 

 言って立体映像の超が銃弾らしき物を掲げる。

 

強制時間跳躍弾(B.C.T.L.)――――その効果はなんと三時間先に転送する。当たたらどんな強者であろうとも回避不可能の弾丸ネ。決して他者を傷つけることのないこの弾丸を、我が兵団は装備していル。既に数多のユニットを我が部下がこの弾丸で未来に送ているネ。残る戦力で我が火星ロボ軍団の侵攻を止めることが出来るカナ?』

 

 それは三時間もあれば、学園を征服することも可能だと言っているのか。真意はともかく、超の持つ戦力はそれを可能とするまでに大きい。

 

『魔法騎士団の諸君の健闘を祈らせてもらおう…………』

 

 不敵な笑みだけを残して、身を翻した超に重なるように文字が浮かび上がってくる。やがてはっきりと映ったその文字は『提供:超包子、麻帆良大工学部、麻帆良学園』と書かされていた。

 直後、超が振り返る――――何故かその手に肉まんを持って。

 

『今回のロボ軍団は全て麻帆良工学部と超包子の提供ヨ。「世界全てに肉まんを」超包子をよろしくネ』

 

 不敵な笑みから百八十度変わって営業スマイルに変わった超が自分の店の宣伝をして、今度こそ映像は消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恒常的に輝く文明の光に当てられ、徐々に沈んでいく太陽を特等席で眺められる夕闇の空でも淡く光る飛行船。飛行船の屋根の上に描かれた魔法陣の上で葉加瀬聡美が呪文を唱えていた。その傍には超もいる。

 

「世界はアイオーンの内を行き、時は世界の内を巡り、世界は時の内に生ず」

 

 葉加瀬はきちんとした格好をすれば、それなりに見れた容姿だろうに、化粧の一つもしていない。そんな彼女の服装も世界を変える一大事にも関わらず簡素なもので、ローブを纏ってこれも洒落っ気のない黒縁眼鏡をかけている。総じて野暮ったい印象を周囲に与える。

 

「地球上12箇所の聖地及び月との同期完了です。後は六か所の占拠を待つのみ。いよいよですね……」

 

 葉加瀬は轟々と風が強く吹き荒れるこの場所で、絶えず周囲を警戒していた超の横顔を眺めながら、おずおずと口を開く。

 

「よし。葉加瀬は儀式の最終段階、最後の呪文詠唱に入るネ」

「仕上げの呪文は11分6秒です。大丈夫でしょうか?」

「大丈夫ヨ。初めてクレ」

「………でも、本当にいいんですか、超さん? この計画を完遂して」

 

 立場上は超の味方だが、計画の遂行には若干の戸惑いのある葉加瀬。が、超は「ああ」と頷くと、振り返って斜め上を見上げた。

 

「もう来たのカ」

 

 飛行船の上から麻帆良学園都市を見下ろしながら、ネギから視線を切った超は呟き、そっと深い息を吐いた。まるで自分の身体中の空気を全部入れ替えてしまおうとするような、深呼吸みたいな溜息だった。

 ずっと窓も扉も閉めきっていて当たり前に腐りかけていた空気を一気に解き放ってしまったような気分だった。津波か何かに色んなものを根こそぎ攫われてしまった気分であった。

 

「超さん、僕は貴女を止めに来ました」

 

 飛行船の、葉加瀬を三角形の頂点としている位置に静かに降り立ったネギは決意も強く言い放った。風が強く吹き荒れる中でも不思議と通るその声を聞いた超がニヤリと笑う。

 笑う超の姿に葉加瀬は違和感を覚えた。悪い意味ではない。外見に変化があるわけではなかったが、雰囲気は確実に変わっていた。

 

「思たよりここまでに早かたかナ。それとも遅かたカ」

 

 長かった楽しい祭りが遂に終わってしまうかのように、声は寂しげだった。

 

「どちらにしても強制認識魔法の発動まで後僅カ」

 

 自分をなんら卑下することなく、威風堂々とその場に立つ姿は今までどこかあやふやだった自分という存在を確固としたものとして把握していて、それに一欠片の不満も不安も覚えていない完璧な立ち姿だった。

 もはや彼女は取り繕おうとしていない。ぶっきらぼうな口調も、荒々しい目つきも、以前とはまるで違っている。肩肘を張って、常にどこかしら緊張感を漂わせていた力みが抜けて、今の方が自然体に見えた。

 

「ネギ先生、君に世界を背負えるカ?」

 

 あたかもそれは不浄な世界にたった一つ残った教会の抗いの鐘のように、少女は世界へ戦いを挑もうとしている少年に宣戦布告を叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名無しの全身からアスカに向かって、殺意の風が吹き付ける。

 

「行くぞ!」

 

 先に仕掛けたのは名無し。アスカ並の武術の腕と身体能力を以って視界から消えうせた。速度ではない。瞬きをした一瞬の隙を突いてのほ歩法による移動。

 微かな音さえ立てない。霊妙とさえ言える歩法。己の体重・筋力・運動エネルギーを完全に掌握し切って初めて可能な技。視界の死角である背後に一瞬で回り込まれ、迫って来ていることを悟ったアスカは抉り込むように放たれた拳を、振り向く動作を自らを独楽のように見立てながら回転して受け流した。

 一瞬遅れて耳を狙ってきた先程とは反対の手の指先は首を反らして躱す。体勢を崩していれば、続けて放たれた蹴りに足首を払われ、転倒していただろう。が、アスカは留まることなく足の裏でそれを受け止め、逆に蹴り押した。

 敵の動きが僅かに澱むのを、気配というよりは直感で察する。

 

「ふっ!」

 

 即座に反撃に転じた。一瞬で体を震わせ、地面を蹴る。その反動を拳に乗せて、真っ直ぐに敵の体の中央へと注ぎ込み――――空を切った。いると予測していた場所に名無しの姿はなかった。

 名無しはアスカの読みよりも更に一歩も二歩も上に行く。今までの動作は全て囮で、何手目で読み違えたかという思考は戦闘の最中では回らない。恐らく足首を払おうするのを迎撃したところで読み違えた。いや、正確には攻撃を防がれたことで組み立て方を変更したのだろう。動きが澱んだのはその布石。気配を頼りに動いてしまう習性を逆に利用され、まんまとフェイントに引っ掛かってしまった。

 名無しは既に後方に飛び退き、じっとこちらを見据えている。

 アスカは体勢を直しながら、相手と同じようには見つめ返せずにいた。名無しの、遠慮のない、脳の内側まで覗いてくるような瞳が何故か恐ろしく感じて直視できない。

 

「白き雷!」

 

 どうして自分は直視できないのだろうかと考え事をしている間に名無しが再び動き出す。無詠唱で白き雷を放ち、避けたところに瞬動で相手をねじ伏せるかのように真正面から突っ込んで来る。

 大きな動作で腕ごと叩きつけて来るような、そんな拳が来る。

 

「雷の投擲を放つつもりなんだろう!」

 

 受けようとすれば、即座に遅延呪文を発動させて放たれた雷の投擲が抉りに来ると名無しの腕に走った紫電から読み切ったアスカは、素であっても剛とも言える拳の攻撃を余裕を以て躱した。

 

(何故、雷の投擲だと思った?)

 

 その疑問が脳裏を掠めるも、瞬く間に放たれた凄まじい連打に流れるように繋げられた上段蹴りに反応が少しだけ遅れた。

 名無しの攻撃は流れるように続いて止まらない。上段蹴りを避けるために仰け反っていた顔を戻そうとする。

 勢いよく足を踏み込んで身を深く沈めた名無しは拳をボクシングで言うアッパーのように逆向きにした。足の裏から腰、腰から肩へと大地から湧き上がってくる力を伝え吸い上げる。発射台から放たれたロケットのように突きが撃たれた。八極拳の八大招式・立地通天炮である。雷の一矢が込められ、変形の弱・雷華豪殺拳をとも呼ぶべき一撃をアスカに向けて一気に放つ。

 乾いた音を発て、アスカの身体が宙を浮く。

 

「浅いっ」

 

 顎から脳にまで衝撃を透過する一撃だったが名無しは浅いと断じた。事実、数メートルを滑空したアスカは足から着地した。流石にダメージはあって膝を落としかけたが堪えている。

 アスカが口の端に浮かんだ血を拭って、獣の如く鈍く輝く瞳を滾らせている。

 

「今度はこっちからだ」

 

 アスカは間近で見れば傷が多い自らの拳を固く握り、構えの状態から僅か一歩で敵へと近づく中国拳法の八極拳の歩法である箭疾歩と瞬動を組み合わせた縮地で瞬く間に名無しの懐へと潜り込んだ。

 

「甘い」

 

 恐るべき速さだろうが他の相手ならいざ知らず、名無しと闘う時には武器足りえない。

 まるで始めから分かっていたかのように雷を纏った拳が簡単に弾かれ、逆に懐に入り込まれる。殆ど密着状態で拳が胴体に付けられた。ゾクリとアスカの背筋に鳥肌が立つ。この密着状態からの攻撃方法は限られる。そしてこれだけの超近距離での攻撃方法は幾らでもあった。

 

「ぜわっ」

 

 悪寒に急き立てられて、先の一撃を弾かれていない方の手で密着する腕を先程弾かれた腕の方向へと払いのける。最初に拳が弾かれた勢いに逆らわず、更に払いのけた腕の運動エネルギーを相乗して体をその場で回転させながら宙返り。斜め前に前方宙返りをしながらの浴びせ踵落とし。

 視界の死角から突如現れた足を名無しは見もせずに受け止めた。最初にアスカの拳を弾いた手で踵を掌で受け止め、払いのけられた手をボクシングで言うアッパーカットのように握って突き上げた。

 股の間から伸びて来る顎を狙った左の突きがアッパーカットが迫る。これもまたアスカは、それを左手で受けた。受けると同時に、左手を掴もうとした。名無しは素早く左手を戻し、間を置かずに右の崩拳を放った。

 迫る崩拳を焦らずに胸の前で重ねた両腕で防御。

 

「はぁっ!」

「ぐ……ぅあっ」

 

 震脚と共に雷の魔法の射手が込められて放たれた崩拳は空中で受け切るには無理があった。成す術もなく吹き飛ばされる。その威力は凄まじく、数十メートルも飛ばされる。アスカは空中を四肢を伸ばして体面積を広げ、空気抵抗を増やした。結果、吹き飛ぶスピードに空気抵抗がプラスされた。

 どれだけ早いプロ野球の投手でも投げた球は傍目には分からぬほど山なりになる。重力という自然現象に従って、放物線を描く軌道になるのは当然の摂理。アスカの体はやがて諸々の現象に捕まって地上へと降りて、着地後に直ぐに名無しに向けて跳んだ。

 

「これで――」

「父親のコンビネーションか。猿真似だ」

 

 ナギが得意としていた魔法の射手を込めた一撃からの雷の斧に繋げようとするも、最初の一撃を同威力で相殺されて失敗する。

 あっさりと最初から分かっていたかのように封じ込められたコンビネーションにアスカの動きが一瞬止まる。

 

「……っ!」

 

 そこへ名無しが激烈なる踏み込みと静かな気配と共に、手を伸ばせば届くほんの一歩手前まで真っ直ぐに踏み込むと同時に放つ一撃。辛うじて躱した首元を通過する衝撃に頬が切り裂かれて血が噴き出すのを感じる。頬の痛みは一瞬で、そこから広がりはしなかった。

 この機を活かして、元より完全に躱せるとは思っていなかったのでアスカは身体を更に捻って躱そうとして固まった。

 体が痺れて反応が遅れる。これは雷の魔法の射手が込められた一撃による痺れ。防御策を張っていなかったアスカの全身を僅かに痺れさせ、次への行動が遅れる。

 

「来れ、虚空の雷、薙ぎ払え。雷の斧!」

 

 後コンマ数秒でも避けるのが遅ければ決着はついていただろう。身近に迫った敗北へのカウントダウンに歯を食い縛って耐え、無理矢理に身体を捻り続けた。連動するように足も動かし、相手の横へと回り込んだことで名無しが放った雷の斧は当たらずに通りすぎていく。

 体を動かさず、浮遊術で一気に距離を取る。名無しは見ているだけで追って来ようとしなかった。

 空中から名無しを見下ろし、その不気味さに全身を震わせる。

 

「なんだ……」

 

 自分と全く同じ力、全く同じ技量を持つことなどありえない。しかも、アスカの考えを読み取ったように動くからこそ、こうも一方的にダメージを負わされる。

 

「なんなんだよ、お前は!」

「そうだ。その顔が見たかった」

 

 アスカの叫びに名無しはそう言って笑う。善悪を知らない子供が、与えられた玩具を壊すように楽しげに笑っていた。

 

「君が心の闇を切り離しさえしなければ僕が生み出されることはなかった。生まれてくるにしても、こんな惨めな在り方じゃなかったはずだ。僕には君を糾弾する権利がある。殺すべき理由がある」

 

 名無しが言いながら浮遊術で浮き上がり、アスカと同じ高さに上昇して、目線を合わせ指差して宣言する。

 殺意などという生温いものではない。殆ど物質的なまでに高められた憎悪は、グリグリと項を抉り抜き、脊髄をこじ開けて直接心臓までも掴み上げるようだ。

 

「過去を終わったことだと言う君に思い知らせてやる。過去の痛みを知れ!!」

 

 宣言して真っ向から突っ込んで来た。ありとあらゆる角度から、両手の拳、肘、掌底を取り混ぜて、手が四本にも八本にもあるかのように打ち込む。

 

「がっ」

 

 アスカは途中からそれらの攻撃を受けることも受け流すこともできなくなり、まともに喰らい続けた。急所だけは免れたがダメージが蓄積されていく。

 竜巻のように回転して瞬きの間に放たれた左右の蹴りを腕を上げて防御するも、名無しは鳥のように宙を舞って全体重を乗せた膝蹴りをアスカにお見舞いした。

 遂に吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられる。

 

「ぐっ」

 

 ダメージが大きくて直ぐに立ち上がることが出来ず、地面に倒れ込んだ。

 着地した名無しが、苦痛に呻くアスカを蛇蝎の如く睨みつけながら口を開く。

 

「全ての始まりは村が滅んだあの日」

 

 アスカは地面に手を付いて、時間をかけてヨロヨロと立ち上がったものの、その姿に力は感じられなかった。

 

「多くの人達が君達を守る為に犠牲になった。石化した人達はまだいい。彼らには救われる可能性がある。だけど、死んだ者には救いはない。死者は蘇らず、君が言ったように終わったことは覆せない」

 

 ゆっくりと歩み寄って過去を突きつける名無しにアスカの顔が歪む。

 

「狙われる理由があるのは英雄(ナギ)とその息子の君達だけ。そうだ、彼らは君達の所為で死んだ。君達の所為で襲われ、君達を守る為に犠牲になり、君達を生かすために死んだ。なのに、君は過去を終わったことにして逃げ出した。石化した者達を救うことを言い訳にして、向き合うことから逃げた。言って見ろ、一度でも彼らを顧みたことがあるか?」

 

 石化を解くことと、父の後を追うことばかりを考えて、真剣に失われた者達を考えていたのかと名無しに突きつけられるも答えられない。考えることすらしなかったからだ。

 

「君は言ったな、振り返ってどうすると、今を見ない人間の戯言だと」

 

 それは確かにアスカが超に向かって言ったことだった。

 

「これを見ても、はたして同じことことが言えるか?」

 

 直後、世界が切り替わる――――全てが真っ赤に埋め尽くされていた。

 赤い。空も、大地も、そこに存在するもの全てが赤い。空が赤く染まっていた。夕焼けの赤ではない、火が燃える紅い赤だった。落日の空は血のように赤い。見渡す限り辺り一面が赤黒い世界だ。血よりも濃い火の赤だった。

 全てを燃やす火は揺らめくことすらせず、風すらも殆ど吹いておらず、空に点在する雲すら微動だにしない。なにもかもが停滞している。

 雪化粧が施された地面には朽ち果てた屍が、石と化した嘗ては動いていた者達があちこちに点在していた。灰を含んで香る空気は、鼻孔に突きつけられる血の鉄はあの日と何も変わらない。生きて動く者が誰一人としていない、ここはまさにそんな世界だった。

 

「そうやって君はまた逃げる。目を逸らそうとする」

 

 名無しに言われてアスカは自分が視線を下げていることに気づき、愕然とした面持ちで嘗て滅んだ村を見なければならなかった。

 

「父を探す、石化を戻すというご題目で自分を誤魔化しても、過去に囚われていることに気づかず、逃げる為に未来へと進もうとしている。これを滑稽と言わずになんと言う!」

 

 アスカは動かなかった。否、動けなかった。頭に上っていた血が、一気に首から抜けていくような、ぞっとする感覚に身を震わせて、まるで周囲の重力が何倍にも膨れ上がったような威圧に視線が吸い込まれる。

 

「っ」

 

 名無しの顔を横目に見たアスカが思わずぎくりと息を飲み込む。

 

「誰かの為、斃さなければならないからと、どんな高尚な理由も全て自分自身を偽っているに過ぎない」

 

 浮かべているのは笑顔。形でいうなら間違いなく笑みと取れる。だが、これはそんな生易しいものじゃない。どこまでも透徹した、たった一つの感情だけを宿した純粋な笑み。名無しの口元に浮かぶのは笑みを見たアスカは言葉を失くす。

 憎悪と狂気、そして妄執――――煮え滾る悪意の渦巻く双眸が、笑顔を別種のものへと変質させていく。狂笑と呼ぶに相応しいものだった。

 それは、不純物を含まない純水が自然には存在し得ないように、真っ当な人間には決して浮かべることの出来ない笑顔だった。全ての光を失った人間が、闇に叩き落された人間が、それを成した者に出会った時、このような顔で嗤うのかもしれない。

 

「人を救う? はっ、笑わせるな。君は人を救いたいんじゃない。救われたいんだ、あの日に蹲ったままの自分を」

 

 声というほんの僅かな空気の震えが、なんとか立ち上ったアスカを内側から崩していく。赤の他人から好き勝手にぶつけられる言葉とは、全く意味の異なる突き刺さる言葉だった。

 滴り落ちる憎悪のもそのままに、名無しは告げる。

 

「どうして自分が助けられたのかと、一度でも思わなかったか? それは君がナギ・スプリングフィールドの息子だからだ。決してアスカ・スプリングフィールドを守る為じゃあない!」

「黙れ!」

 

 疾風のように繰り出されたアスカの攻撃は、鍛え上げた驚異的な見切りの技でほぼ同時に受け止められていた。キンキンキン、と甲高い金属音を響かせ、刹那の時間で幾度となくぶつかり合った。

 触れ合う肉体。名無しから伝わってくるのは憎しみ。アスカへの、周りへの、世界への強すぎる憎悪だった。だが、アスカには分からない。何故目の前の自分がここまで悪意をぶつけるのか。

 名無しが攻撃の度に問いかける。

 

「人を救うことで罪悪感から逃れ、父の背中を追うことで憎悪から目を逸らす。伽藍堂の自分を偽ることで日常を生きようとしたところで飢えは満たされない。君が戦いを好むのは生死のやり取りをすることで、この飢えを満たす為だ!」

 

 触れる度に記憶にない誰かの感情と記憶が想起される。

 幾つもの命が消えていった。誰も死にたくは無かった。殺したくは無かった。皆、理由があった。

 ある者はテロに愛する家族を奪われた者、騙され成功を棒に振った者、嫉妬から過ちを犯した大切な友を傷つけた者、国家に裏切られた者、貧しい土地での流行り病に親しい者を奪われた者。

 願いの形も数多あり、人の不幸も千差万別。

 

「英雄の息子である以外は無価値な子供だったから、せめて自らに価値をつけようと強くなって人を救おうとも、そんな偽善で何も為せるものか!」

 

 二人の動きはそこで止まったかに思われた。だが、そうではなかった。全く同時に全身から雷を迸らせる。アスカは、内心の驚きを隠せなかった。だが、驚きはしたが納得もした。やはり作戦まで同じ(・・・・・・)だと。

 アスカの方が驚きの分だけ次の行動への反応が僅かに遅れる。

 

「ぐっ!」

 

 息が掛かるほどに近くに名無しの顔があり、繰り出された蹴りをアスカは躱すことができなかった。そのまま数十メートルは吹き飛ばされ、四肢をついて地面を滑りながらようやく止まる。

 

「雷の精霊199柱。魔法の射手、連弾・雷の199矢!!」

 

 顔を上げると、名無しが放った雷の魔法の射手が迫って来ていた。四肢の先に魔力を爆発させて射程圏から回避する。

 さっきまでいた場所に次々と魔法の射手が着弾して、肉を殴打する鈍い音が聞こえたと同時にアスカの視界がブレた。魔法の射手を放った直後に回避方向に先回りしていた名無しが自分の頭を蹴飛ばしたのだと気づくまで、僅かなタイムラグが必要だった。

 大地の上に赤い血が幾つも散った。アスカの体の流れに沿って、ラインを引いていくかのようだった。    

 なんとか立ち上がるアスカを黙ってみていた名無しは、靴の爪先に着いた赤い液体を心底忌まわしいと言わんばかりに乱暴な仕草で地面に擦り付ける。

 

「甘ったるい妄想に浸って僕の言葉を否定したければすれば良い。だけど、既に僕の言ったことは証明されている。どんな小奇麗な言葉を並び立てても、君の優しさは自分を守るための鎧に過ぎない!」

 

 言いつつ一瞬で近づいたと思ったら、アスカが咄嗟に放った攻撃の腕へと自分の拳を容赦なく振り下ろす。伸びきった肘の骨がないもっとも弱い部分を打たれて、アスカは腕の骨を思い切り圧し折られた。

 

「――――がぁっ!!」

 

 絶叫し、体外へと吐き出した力を爆発させて一気に下がろうとするアスカ。しかし、読んでいた名無しはその足を掴んで地面へと叩きつけた。間近で轟いた花火の爆発音のような振動が周囲へと撒き散らされる。

 残った左腕で後頭部だけは守ったアスカだが肉体へのダメージは大きかった。

 咳き込むアスカへと名無しは更に拳を振り下ろす。

 

「どれだけ力という鎧を纏おうとも、蹲ったままの弱い心が隠せるものか!」

 

 名無しが拳を振り下ろす度に、肉が打たれ、骨が軋み、血が撒き散らされる音だけが続いた。

 避けようと思えば避けられたはずだった。しかし、アスカにはそれが出来ない。それをしようという心の動きが体の内側から湧いてこない。心の中で何かが折れかけていた。肉体のダメージだけではない。内側から侵食された闇に心の柱を侵食され、自分の中にあった大切なものがグズグズと崩れていく感覚を得ていた。どんなに辛いことがあってもこれだけは守ると誓った綺麗な願いが無くなっていく。

 いいや、違う。崩れるのではない。ゼロになってしまうのでもない。それ以下、短い生涯の中で最も闇に染まっていた頃に心が逆戻りしていくのが自分で分かる。

 

「君はここで朽ち果てろ。後は全て僕が上手くやってやる」

 

 一方的に殴るのに飽きたのか名無しが攻撃を止めて立ち上がった。

 

「俺は僕に斃されて死ぬんだ」

 

 名無しの傲慢な物言いに、今のアスカには言い返す力も動くことも出来なかった。

 辛うじて息を吸って吐いていたが、体のあちこちが裂けていた。折られた右腕は変な方向に曲がっていて、顔は元の形が分からぬほどに腫れ上がっている。

 そんな肉体の傷よりも先に人間を人間として動かすための力が失われてしまった。こんな世界で生きたくない。こんな世界から離れることが出来るなら、このまま死んでしまった方がマシなのかもしれない。歪だった心は耐え切れずに崩壊する。己が生み出した闇に食い殺されるのは明白だった。

 体はまるでいうことを聞かなかった。肉体が存在しないのかと思うほどに力が伝わる気配がない。だが不思議なことに五感だけは妙に冴え、神経を剥き出しにしているかのような鮮烈な感覚があった。

 痛みは感じない。身体からは完全に感覚が失われ、最早身動き一つ出来ない。

 

(……く……、そ……っ)

 

 自分が吐き出した言葉を嘘にしないためにも負けられない、負けるわけにはいかない。なのに、このまま負けてしまうのか。

 そう思った瞬間、急速に意識が遠のいていく。

 意識が夢と現の狭間を漂う。ユラユラと流れる雲のように、アスカの意識は当てどもなく彷徨っている。どこへ向かっているのかは皆目見当がつかない。ひたすら流されていく。

 薄れゆく意識の中で、必死に見失ってはいけないものを繋ぎ止めようとする。

 鉛でも仕込まれたかのような重い瞼を強引にこじ開ける。視界は不明瞭で、薄い被膜に包まれているかのように霞んでいる。加えて世界は不定形かつ不規則に歪んでいる。この世のものとは思えぬ摩訶不思議な光景はアスカを大いに混乱させた。

 

「……ぁぁっ」

 

 声帯が痙攣するかのように震え、叫びとも呻きとも取れる掠れた音が口から溢れ出す。

 

「あぁ……!」

 

 悪寒が背筋を這う。腕を起点にして体内から虫が湧いてくるかのようなおぞましい感覚に、アスカは思わず呻いた。何かを叫ぼうとして、出来ない。体内で炎が渦巻き、アスカ自身を焼いていく。息が荒くなり、動悸が収まらない。

 

(――――こ、こ!)

 

 定まらない意識の中で不用意に近づいてきた名無しへと向け、起死回生を図って体内で練り上げた魔力を左手に集中させた起死回生の一撃――――雷華豪殺拳。

 

「喰らいやがれ!」

 

 追撃をかける名無しの顔面目掛けて、伸びあがるように左の拳を全力で叩き込む。と、鋭い殴打音が響くも名無しはその場から少しも動くことは無かった。

 

「ぐ、は――が……っ」

 

 逆にアスカの鳩尾に、名無しの固めた拳がめり込んだ。その一撃は、まるで爆弾。アスカの体がくの字に折れ曲がる。衝撃が腹から背中へと抜けていった。

 

「これで終わりだ」

 

 ここを勝機と見たのか、名無しの動きが爆発的に加速した。崩れ落ちるアスカの体に連打を叩き込む。

 鳩尾への一撃が効いているアスカは、身動きはおろか声すら上げられず、一方的に攻撃を受けることしか出来ない。到底、防御を固めても全てを防ぐことはできず、針のような正確さで防御の隙を抜いた攻撃が通り、名無しの身体が断続的に震えた。

 

「……がっ……」

 

 耐え切れずにがくり膝を落としたアスカを前で名無しの姿が霞む。

 アスカに出来たのは苦し紛れに、そして死に物狂いで横に跳ぶことだけで、それは背後に現れた名無しの右蹴りが通過するのはほぼ同時だった。地面を転がり、膝を立てた状態で首筋に走る盛大な悪寒に、頭上で既に名無しが次なる動作に入っているのを察した。

 名無しは蹴りを放った姿勢から流れるような動作で跳び、アスカの頭上で紫電を撒き散らす手の平を開いた右手をこちらに向けていた。

 

「雷の暴風」

 

 閃光が全てを呑み込み、アスカの意識は欠片も残さずに消え去った。

 




割と戦況悪い学園側。

次回「君を想う」

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