魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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ウェールズ帰郷編と合わせるか迷いましたが、ちょうど切りの良い分量になったので


第60話 風雲急を告げる

 それは遠い日の思い出。もはや忘却の彼方へ追いやってしまった出来事。お伽噺のように、あの頃の記憶を思い出せる。

 出演者はたった二人。初老の老人と、なんの血縁もないまだ幼い年齢の少年。他人から見ればどこにもである当たり前の日常の記憶。もう取り戻すことは出来ない遠い日々を追想する。

 

『アスカよ、ネギと共に飛び級が決まったそうではないか』

『へへ、それほどでも』

 

 見えるのは数年前の情景、聞こえるのは数年前の音声。当然ながら、それは実際に見えているわけでも、聞こえているわけでもない。それは追憶であり、なれば、記憶の底に、心の奥に、澱のように降り積もった過去の残滓を再生しているだけである。

 この思い出は魔法学校に入学して一年と少しが経過し、寮の管理人であるスタンと何かの拍子に一緒に帰ることになった時のものだ。

 

『馬鹿者、成績というよりもネギとアーニャとセットにしておいた方が良いと判断された面が大きい。あまり驕るものでもないぞ』

『ちぇっ、分かってるよ。偶には褒めてくれたっていいじゃん』

『褒めてほしければ、もう少し普段の態度をじゃな……』

 

 記憶は風化し、改竄されて捻じ曲がるもの。今こうして思い出している記憶も同じく、そもそも、過去の自分を第三者のように眺めている時点で、空想に補完されたものであるのは違いない。それでも、或いはそれだからこそ、その過去の記憶は鮮明に克明にアスカの心に響く。

 

『なあ、爺さん。正しい怒りってのがなんなのか、最近になってなんとなく分かったような気がする』

 

 学校から寮までの短い道のり。夕陽に照らされたアスカは唐突にそんなことを言い出した。 

 

『この世界には理不尽が溢れていて、今この時も誰かが泣かされている。俺はその理不尽を払うためにこの力を使いたい』

 

 アスカが力を求める源泉は故郷が滅んだ時に何も出来ず、救われることしか出来なかった無力感から来ている。だけど、この時にアスカの裡に生まれた思いは、正しき輝きに満ちた理想だった。何時の世でも幼い者の儚い誓いが最も美しく強い。何故なら、彼らは信じるという他に何一つ戦う術を持たないのだから。

 今考えると、何と青臭く子供染みた答えだろうかと昔の自分を殴りたくなるほど恥ずかしい。弱気を守り、強きを挫く。そんな者に成れるのならば、それは確かに素晴らしいことだと、当時は馬鹿みたいにそう思ったのだ。

 

『理不尽に拳を向けたところで何の解決にもならんぞ。理不尽に対する理不尽は破壊しか生まん』

 

 夕暮れを背負ったスタンは問いに対して、とても悲しそうに笑っていた。

 焼けた鉛色の色彩の中、周囲に落ちる影は濃く暗く、佇むその男の姿も暗く陰って、顔つきはおろか服装すらも定かには窺えない。だから、普通なら彼が本当に笑っていたのかなど分かるはずもなかった。なのに、きっと悲しそうに笑っているのだろうなと、そんな気がした。

 

『理不尽にも種類があるってのも分かってる。俺は悪を倒すだけの掃除屋になりたいんじゃない。だってみんなが笑ってる方がいいだろ。だから俺は誰かが泣かなきゃいけない理不尽を、人に理不尽を強いらせる理不尽を砕くためにこの拳を振るう』

『そうか……』

 

 アスカの答えにスタンは、何かを嘲るように、何かを蔑むように、何かを追い求めるようように、何かを思い出すように、飄々と乾いた笑みを浮かべているのだろうと、確信のようにそう感じていた。何故なのかは判らない。だが、その感覚が正しかったことは今になって分かる。

 このアスカの願いはナギの跡を継いで英雄になると表明しているに等しかったのだと、現実の厳しさを知った今ならば理解できる。きっとスタンはアスカがナギのような英雄にはなってほしくないと考えていたのだろう。それでもスタンは父親のようになろうとしている子の願いと思いを頭から否定は出来なかったのだと齢を重ねて分かったような気がする。

 

『嘗てナギも似たようなことを言っておったよ。あれはもう二十年以上も前になるのか』

 

 スタンは小さく肩を竦めて瞳を意味ありげに細め、どこか嘆くように囁くように静やかに話し始めた。

 

『当時は魔法世界で南と北の大国の緊張が高まり、大分烈戦争が始まった頃だった。ナギはまだ学生であったが義憤に駆られて学校を辞めて飛び出して行きおった』

 

 勉強が嫌いというのもあったがな、とゆっくりと含み笑うように告げられた声音は悔恨を含んで掠れて乾き果てていた。

 

『紅き翼なんてグループを作って英雄なんて呼ばれるようになっても、なんにも変わっておらんかったよあのバカは』

 

 世間では正義の味方、理不尽な災厄から、理不尽な悪意から、みんなを守る絶対的な存在と呼ばれるナギでもスタンにかかればあのバカ呼ばわり出来てしまう。スタンの中では英雄としてのナギよりも、勉強から逃げてばかりいる悪ガキとしての姿が強く印象に残っているのだろう。

 

『美人のカミさんを捕まえて、お前達という子宝にも恵まれてこれからだとというのに……』

 

 どこかうわ言のように、あるいは懐かしい過去の想い出を語るように、スタンは静かに言葉を紡ぎ続ける。まるで溢れた涙が零れ出すことを厭うような行為。微笑みはより穏やかに、しかして、そこに透ける悲哀もまた強く。

 十年前のあの日から姿を見せぬナギを恨むように、その言葉だけはアスカの耳に届くことなく虚空へと消えていく。スタンは天を仰ぎ見るように、深い溜息を一度。

 

『年を取ると愚痴臭くていかんな。すまん、忘れてくれ』

 

 スタンが夕陽に紛れて消えてしまいそうで、アスカは彼の袖を握って安心させるように笑った。

 

『大丈夫だって爺さん、俺にはネギとアーニャがいるんだ。父さんみたいにいなくなることはないさ』

『…………はは、そうじゃったな。アスカには二人がいるものな』

 

 当たり前のように言うアスカに、神父は嬉しそうに笑う。擦り切れた記憶にぼかされた記憶にぼかされたスタンの顔は泣いているように見えた。

 泣いた後のように瞳を紅くした神父が穏やかに微笑して、アスカの金髪の頭を穏やかに撫でた。

 慣れた感触に笑みを浮かべながらアスカは鼻も高く言い募る。

 

『ネギ達と村の皆の石化も解くって誓い合ったんだ。石化を解いて、父さんと母さんも見つけて、村を作り直して一緒に住む。それが俺の目標なんだ』

 

 当時には大きく感じた温かい掌で髪を撫でてくるスタンに、アスカが自信満々の目標を口にする。

 

『良い目標じゃ。だが無理はするなよ』

『爺さんこそ、もう若くないんだから体に気をつけろよ』

『ほざけ、若造。まだそこまで年じゃないわい』

 

 この時のアスカは知らなかったが、既に大分高齢であったスタンの体――――心臓の状態はあまり良くなく、寮の管理人という立場も本来ならば無理な状況であったことを。彼が無理を押して傍にいなければならないほどアスカ達は危うかった。持病があったから万全とまではいかないまでも、アスカ達が自力で立ち直れたのも彼が最後のストッパーになっていたから。

 

『人は一人では生きていけない。時に自分が世界の中でたった一人で孤立していると感じることもあるかもしれない。でも、そういう時は落ち着いて、仲間に頼ればいい。人は知らずの内に誰かに支えられて、そうやって生きている』

 

 最後に言った言葉は今でも胸に染みついている。

 

『自分が何をしているのか、何をしたいのか。後悔しないように常に心に留めておきない』

 

 アスカの記憶もそこで途切れる。それだけの記憶だった。なんてことはない。特別な事件だったわけでもない有り触れた日常の記憶。今まで一度たりとも見なかったこの時の情景をアスカを夢としてみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァンジェリンの別荘内で目立つ雲を突き破るように立つ白亜の城――――レーベンスシュルト城。巨大な滝の一角に作られたような城の城下とでもいうべき、湖岸に大きな爆発が起こり、巨大な水柱が立ち昇る。

 

「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル 雷の精霊199柱 魔法の射手 連弾・雷の199矢」

 

 次いでアスカの詠唱と共に湖岸に閃光が奔った。閃光は更に幾つもの水柱を上げ、中には水柱を駆け抜けて蒸発させていく。蒸発して発生した水蒸気が滞留してまるで霧のような状態になり、湖岸の視界がほぼゼロに近くなった。

 まだ幾つも上がっている水柱の周囲で幾人もの影が動く。水面を蹴って走る者、水上を超常の力で疾走する者、理由はそれぞれにして何人もの人が動き回っているのは間違いない。視界を遮られることを嫌って範囲外に撤退した者、前に踏み込んだ者、防御を固めた者と対応は千差万別であったが、この時に限っては判断が遅れた古菲が狙われた。

 水蒸気の霧を突破したアスカによって、古菲は気がついたときには左肘打ちを鳩尾に食らっていた。

 

「あぐッ!?」

 

 霧に囚われていたとはいえ、この左肘打ちを古菲の目は捉えられなかった。打たれた腹に痛みに走った時には宙を舞っていて、自分が錐もみしながらしながら飛んで行くのを自覚しながらも遠ざかっていく意識では着地すらままならない。

 水面に叩きつけられ、五度ほど跳ねてから水柱が盛大に上がり古菲は意識を失ったのかグッタリとして波に遊ばれている。

 古菲が弾き飛ばされた直後、まだ視界が晴れない中で切り裂くように大気が轟と唸るほどの剣速で大剣を振るう明日菜が現れる。彼女は視界が塞がれた瞬間に前を踏み込んだ者、恐れを知らぬ狂戦士の如く猪突猛進する。

 

「たぁ――!」

 

 気合も十分に振り下ろされるハマノツルギよりも早く、古菲への攻撃から一瞬たりとも遅滞なく始めから明日菜の到来を予想していたかのようにアスカが動く。体を捻ってハマノツルギを迎撃すべく、流れるような動きで咸卦の力で強化された拳を放った。

 固めた拳がハマノツルギと接触し、霧が両者が衝突した衝撃によって四方八方に四散した。

 

「おお―――」

 

 咸卦法の莫大なエネルギーが込められたハマノツルギを同じ咸卦のエネルギーで真っ向から押し返し、更に体重を乗せる拳を振り切って明日菜を遥か彼方へと弾き飛ばした。

 遠ざかっていく姿を見送ることなく、アスカは周辺に気配を感じ取って顔を巡らせる。範囲外から高速で迫っていた長瀬楓が自身の接近に気づかれたと分かると四体の分身を作ると、散開して五方向から中心にいるアスカに向けて一気に加速する。

 

「分身、楓か」

 

 タイミングを合わせた前後左右からの同時攻撃。アスカは囲まれても慌てることはせず、冷静に自らの状況を分析してその場から動くことなく短い髪の毛からパシッと紫電を走らせて、水面に接している足裏の力を爆発させて全身が覆い隠されるほどの巨大な水柱を上げた。

 水で攻撃位置を狭めようとしているのだと考えた楓は構わずに突進する。

 

「ちっと、足りねぇな」

 

 接触まで2秒、アスカは動かない。まだ隆起している水のヴェールを突破し、一撃を与える為に本体の楓と数多の分身が全く同時に腕を振りかぶって拳に気を集中する。

 接触まで1秒、アスカは動かない。水のヴェールを突破した。なのに動かないアスカに楓が不審に気づいても、もう攻撃を止められるタイミングではなくなった。

 接触まで0.5秒、アスカはやはり動かない。もう少しで手が届く。例えどんな超常の化け物であっても回避できる状況ではなかった。にもかかわらず、アスカはニヤリと笑って言った。

 

「バン」

 

 瞬間、アスカが爆発した。比喩ではなく、全身に紫電を纏わせたアスカの肉体が内側から破裂して爆発したのだ。肉体の爆発によって周囲に高電力の電気ショックが撒き散らされて、攻撃が当たる寸前だった楓には避けようがなく諸に直撃した。

 

「ぐわっ!?」

 

 四方八方に散る爆電によって分身は消え去り、本体の楓も感電してその動きを止める。

 

「白い雷」

「!?」

 

 水面より出た手から一条の雷が奔って、感電して動きを止めた楓は避けることも出来ずに命中する。悲鳴すら上げることなく水に落ちて沈んでいき、変わりに水の中から本体のアスカが姿を現す、

 

「忍法・雷分身ってな」

 

 分身の応用で内部に雷の精霊を詰め込んだアスカの力作。先程水面を踏み抜いて水柱を上げた際に作った分身と入れ替わり、ずっと本体は水の中に隠れて水中から爆発のタイミングを操作していたのだ。

 種明かしをされても全身の痺れで満足に動くことが出来ない楓は悔し気に唸ることしか出来ない。

 

「次は刹那、お前か」

 

 微かに降り残っていた水滴に濡れながらアスカは一連の攻撃に加わらず、白翼で空を飛ぶ刹那に向けて言うと彼女は顔を強張らせた。

 

「あの三人を一瞬で倒しますか。また腕を上げましたね、アスカさん」

「刹那も鶴子に扱かれたんだろ。俺も切り札を使うからよ、失望させてくれるな」

 

 ゴクリ、と生唾を呑んだ刹那の視線の先で、アスカが虚空に手を掲げた。

 

「来い、黒棒」

 

 アスカの肩の上辺りに小さな魔法陣が浮かび上がり、そこから一本の刀が現れる。刀身から柄まで全てが黒一色の特徴のあり過ぎる刀は学園祭で超鈴音が振るっていた魔導機マジック・デバイスその物のように見えた。

 

「それは!?」

「余所見をしてていいのか?」

 

 魔法陣から現れた刀に見覚えがあって驚愕したが刹那は決して目を離していない。瞬きをした瞬間にアスカの姿が視線の先からいなくなっていた。

 浮遊術と虚空瞬動を併用した超速の移動術。武道大会で見た時よりも格段に早くなっているが、全く見えなかったわけではない。動揺を瞬時に収め、背後から聞こえて来た声に合わせるように反射で夕凪を振るうとガギンと固い金属音がした。

 

「お、これに合わせられるか。前より反応速度が速くなってるな」

「ぬぅうう」

 

 振り下ろされた黒刀に辛うじて間に合った夕凪が鍔ぜり合いをするが、力の差は圧倒的でこのままでは押し込められるので、「せいっ」と前蹴りを放ったが簡単に膝で防御されてしまった。が、刹那の目論み通り夕凪を振れるだけの距離が開く。

 

「斬岩――」

「遅ぇ」

「がぎっ」

 

 岩をも真っ二つにするその一撃が放たれるよりも早く距離を詰めたアスカが夕凪を片手で掴み、技の出っ掛かりの初動を潰された。刹那の行動は全てアスカに読まれている。しかも、夕凪を掴むと共に刹那の腹に膝を叩き込んでいた。

 刹那が口の中の息を漏らしたのは膝蹴りの直接的な痛みだけではななく感電したかのように極端な反応を見せたのは、膝蹴りに魔法の射手を込められていたからで雷特性の痺れが襲っていたためである。

 次いで前蹴りが放たれて追撃を受けた時には全身に痺れが走っており、一時的にほぼ無力化されている。アスカはトドメを指すべく黒棒の先を蹴り飛ばされた刹那に向けて中位古代語魔法へのコンビネーションへの準備を終えていた。

 

「食らっとけ、解放・雷の斧」

 

 遅延呪文によって事前にストックしておいた雷の斧を放つ。

 拳に込めるよりも劣る魔法の射手込めの膝蹴りのスタン効果であっても、詠唱要らずの遅延呪文によって回復よりも早くコンビネーションが成立してしまえば回避も防御も難しい。事実、刹那の回復よりも早く雷の斧が彼女を襲いかけたが、「えいっ!」と先ほど弾き飛ばされ明日菜が戻って来てハマノツルギで打ち払う。

 

「刹那さん!」

「仲間の心配をして敵から目を離す馬鹿がいるか!」

 

 刹那の心配をする明日菜を注意するように言いながら躍りかかるアスカ。

 キン、キン、キンと金属音が連続する。得物が小振りなのを利用して怒涛の如く連撃を加えて来るアスカに対して取り回しの難しい大剣を扱う明日菜はここ一番で一撃必殺を狙うしかない。

 自分の身長よりも長く、また身体を隠せるほどの幅のある大剣を、まるで風車を回すかのように軽々と振り回すが中々ここ一番が来ない。 キン、キン、キンがあまりの連撃にキキキンと音が連続するように響き、咸卦法を使って莫大なパワーを持つ明日菜の腕が衝撃に痺れていく。

 パワー負けをしていて攻撃すら出来ないではジリ貧。それでも明日菜はその時を待つ。

 

「このぉ!」

 

 やがて息継ぎをするようにアスカが身を引いたのをチャンスと見て一気に突っ込む。大質量の大剣の重量を活かして大木を切り落とすように振るった。

 

「わざとだよ、これぐらい気付け」

 

 振るわれたハマノツルギを肘と膝を使って白羽取りの要領で受け止め、アスカは黒棒の先を明日菜に向けて柄にある銃のトリガーのような物を引き絞った。

 

「雷の暴風」

「きゃっ!?」

「明日菜さん!?」

 

 相応に手加減された黒棒から放たれた雷の暴風が避けることも出来ずに明日菜を直撃し、彼女に助太刀せんと向かっていた刹那を巻き込んで直進して水面に着弾した。

 アスカのいる場所まで水柱が立ち、そこから小太郎が突如として現れた。

 

「油断し過ぎやぞ!」

「してねぇし。お前こそ他の奴がやられるまで待ってんじゃねぇよ」

 

 明日菜と刹那を戦闘不能にして気を抜いているように見えたアスカに向かって水柱から突如として現れた小太郎が分身して四方八方から一斉に襲い掛かった。

 まずは先に進む分身二体が下から滑り込むような動きで接近してくる。言い返しつつアスカは焦ることなく潜り込みようにして向かってくる二体の小太郎の頭を軽くトンと押して、飛び上がることによって躱した。

 

「「ここや!!」」

 

 頭を押された二体はバランスを崩して行き過ぎてしまうものの、残りの二体が前方宙上がりをしたアスカの両横から挟み込むように回転している隙を狙って迫る。天地が逆さまのアスカは冷静に周囲の状況を図り、未だ空中にいながら体操選手のように身を回転させて、足を広げて両足でそれぞれを蹴り付けた。

 

「「ぐわっ!!」」

 

 二体の分身が霞と消えるが、アスカも流石に体勢が崩れてしまって次への行動が遅れる。

 

「「はァ!」」

 

 そこに先程踏み台にされた二体が背後から片手に狗神を纏って迫る。しかし、それすらも後ろに眼があるかのように反応し、後ろに手を伸ばして掴み取ってしまう。更に頭を下げ、肘を搗ち上げることで分身の顎を跳ね上げる。

 

「「くっ!」」

 

 そして顔が天を仰いだところで振り返り、「はっ!」という気合の入った声と共に振るわれた掌底に、大きく弾き飛ばされていた。飛び散った分身は次々と消滅し、たった一人残った本体の小太郎は分身と別行動を取って直上から仕掛けていた。

 が、その目の前に迫る黒い物体。咄嗟に拳を固めて、それを払いのける。横に弾いたそれを片目だけの視線で追うと、何時の間に投げていたのか黒棒であった。

 

(何時の間に投げたんや)

 

 跳ね除けた服の腕の部分が、薄く切り裂かれる。黒棒は偶然そこに投げられたのではなく、攻撃の意図を読んで本体の小太郎に向けて投げつけられたものに疑いなかった。裂傷の痛みに舌打ちしながら、攻撃を取り止めて飛び上がる。

 

「おいおい、今のは追撃するところだろ」

 

 距離を取った小太郎に言いながら崩れていた体勢を整えたアスカは弾き飛ばされた黒棒を物体呼び寄せアポーツの魔法で取り寄せる。

 アスカが言うように追撃するべきかどうかは小太郎にも判断がつかず、狗神を呼び出して「行け」と叫んで先行させる。

 

「ふっ」

 

 高速で迫る狗神をアスカは焦ることなく左足で超高速の上段回し蹴りを放って消滅させる。ほぼ寸瞬違いで追従していた小太郎がそこへ強襲をかけるが。

 

「ガッ!?」

 

 アスカは上段蹴りの回転力を活かしたまま右足で下段回し蹴りを放つ。二撃目の蹴りは狗神を消滅させた時の数倍は早い。わざと小太郎に蹴りのスピードを誤認させて隙を生み出させたのだ。

 小太郎は蹴りで吹き飛ばされつつ、体勢を整えながら次の一手を模索する。積み重ねた戦闘経験が一つの解を導き出す。

 空中を滑空する自身を追ってくるアスカを視界に置いて、手に留めていた狗神を両手を叩き合せて握り潰した。握り潰された狗神は右拳に纏わりついて、オオンと先に潰された恨みを晴らさんとばかりに雄叫びを上げた。

 それを見てとったアスカは、まるで槍投げの槍のように黒棒を持つと、「雷の槍」と呟いた。すると、黒棒が雷を纏って槍の形を形成し、瞬く間にアスカの身長を超える巨大な雷槍へと成長する。

 

「避けろよ」

 

 そう呟かれて放たれた巨大な雷の槍の威力は小太郎の防御力では防ぎ切れない。

 

「やべっ」

 

 小太郎はアスカが近接で仕留めに来ると予想したが、予想に反して遠距離魔法で決めにきたと判断して少しばかり焦る。巨大な雷槍が受けて受け切れるものではないと判断して、放たれた瞬間に急いで虚空瞬動で射線上から退避する。馬鹿デカいがその分、回避は容易と考えた為だ。当然、アスカがそのことを考えないはずがない。

 

「残念、これは質より量だぜ」

 

 瞬間、雷槍が分解されて数十に及ぶ雷の槍となって小太郎へと襲い掛かった。

 一気に広がった射線内から退避できないと判断した小太郎は防御よりも迎撃を選択する。

 

「狗神!」

 

 小太郎も易々と落とされはしない。体のあちこちから数十体に及ぶ狗神を呼び出して雷の槍を迎撃する。雷の槍も一つに纏まった物が分解された分だけ一つ一つの力はそこまで大きくはない。急場で呼び出した狗神でも対応可能だと考えた。

 数十の雷の槍と狗神が激突し、爆発と閃光が二人の間に広がる。

 小太郎の読み通り、数で劣る狗神であっても量を優先して質が低い雷の槍の山を迎撃できている。次のアスカの行動はより強力な遠距離魔法か、それとも近接を選んでくるか。迎撃を続けながら思考を続けていると。

 

「戦いの最中に考え事か、小太郎」

 

 小太郎はアスカから目を離してなどいなかったが爆発に意識を僅かに逸らした所為で、気付いたときには自身の右側から迫られていた。

 

「チィ!」

 

 アスカの下げている右手に魔法の射手が渦を巻いて集まってきているのを感じた。アスカの必殺技である雷華豪殺拳の前兆だと分かり、行動が遅れた自身では相殺することは出来ないと即時に判断した。

 耐えきることを選んだアスカは攻撃を受ける可能性の高い左頬に気の防御を集中する。

 

「オラァっ――ってな」

「なっ!?」

 

 アスカは直前で拳を止め、目の前から姿を消した。気配を察知した時にはアスカは小太郎の背後に回って、飛んできた未だ雷の槍の形を残している黒棒を掴み、刀身に雷光を集中させていた。

 

「神鳴流奥義、偽・雷光剣!」

「ガハァッ!?」

 

 残っていた雷の槍のエネルギーを再利用しての雷光剣は偽と名付けられたように本来の破壊力はない。それでも意識外だった無防備な背後からの強烈な一撃に背骨が折れそうなほどに逆くの字になって小太郎が水面へと落ちて行く。

 水柱を上げて落ちた小太郎を見下ろし、他の誰もが向かってこないことを確認してアスカは一つ息をつくと、水で濡れたシャツを気持ち悪げに襟元を引っ張った。

 

「着替え、あったっけ」

 

 五人を圧倒しながらもアスカの頭にまずあったのは服の心配だった。

 決着が着いたバトルフィールドに黒のワンピースをゆらゆらとはためかせながらエヴァンジェリンが下りて来る。

 

「勝負あったな」

 

 アスカの斜め上で、スタン効果やダメージが抜けてようやく動けるようになってきた敗者達を見下ろし、満足そうに頷いたエヴァンジェリンは手に持っていた物をアスカに向けて投げつける。

 何気なく物を受け取け止めたアスカはあまりの重さに「うおぅ!?」と変な声が漏れてへっぴり腰になる。直ぐに力を調整して腰を戻すが、手の中の物の重さは以前変わらない。

 

「なんだよコレ?」

「次の修行だ」

 

 アスカが問うとエヴァンジェリンは同じような物を更に3つ投げた。

 放物線を描いて飛んでくる物が先の物と同じ重さぐらいであろうことは予想に容易く、気持ちの準備が出来てれば慌てることもない。重さが重さだけに簡単にはいかないが、落とすことなく見事にキャッチする。

 投げられた物をしっかりと確認すると、身体強化をしているアスカの手にズシリと沈むのは世間一般にパワーアンクルと称される筋力トレーニング器具であった。

 

「アルビレオ謹製のそれらを四肢に巻いて各エリアを虚空瞬動で回って来い」

 

 顎で転送転移陣を示され、アスカは各エリアの様子を思い出して些かげんなりとする。

 合計すればトンに達しそうなパワーアンクルを付けて精密な制御が要求させる虚空瞬動だけで、極寒・極暑もあるエリアをマラソンしなければならないとなれば修行好きのアスカでも出来れば避けたいハードな内容だ。

 

「この重量で虚空瞬動マラソンってきつくね?」

「私は行けと言ったぞ」

 

 スパルタと定評があるエヴァンジェリンに言ったところで彼女が一度決めたことを覆すことはないないので、ギロリと睨まれたらアスカに出来ることはただ一つ。

 

「へいへい、仰せのままに」

「減らず口はいらん」

「アスカ、行きまーす」

 

 茶化すように言うと想像通りにお師匠様は口をへの字に曲げたが、それでも最後まで減らず口は閉じにパワーアンクルを付けたアスカは過酷な虚空瞬動マラソンへと旅立って行った。

 普通の人間で在れば支えきれぬ重みを負いながらも軽々とした拍子で去って行った弟子を見送り、水面に降りてプカプカと浮かぶ小太郎の頭を足蹴りする。

 

「起きろ、駄犬。何時までも寝たふりが通用すると思うな」

「…………五月蠅いわい、誰が駄犬やねん。寝たふりなんぞしとらんわ」

「駄犬が嫌なら負け犬と呼んでも構わんぞ」

 

 小太郎は足蹴りされた痛みに頭を押さえながら起き上がると、言い合いを続けるよりも沈黙を選んだ。言い返して来ない小太郎にふんと鼻を鳴らしたエヴァンジェリンがすうっと息を吸った。

 

「今の戦いの講評をするぞ、全員城に戻れ!」

 

 別荘の主であり支配者であるこの女帝の命令に逆らえる者など、この場に誰一人としているはずがない。

 かくして多少の痺れが残るのみで大した怪我がない敗者達はレーベンスシュルト城へと戻り、「治すえ」と張り切る木乃香が治療に回る。

 

「――――分かっていたことだが、貴様らには集団戦闘は向かん」

 

 意地で立っている小太郎以外は座り込んでいる面々を前にして、まず最初にそう言った。戦いには参加せず、のどかと千雨と共に観戦していたアーニャにもその理由はよく分かった。

 

「全員戦士タイプで指揮官がいないものね」

「指揮する人間がいないから分断して各個撃破。言葉にすれば単純だが、これでは五対一ではなく、一対一を連続したに過ぎん」

 

 言葉通り最初からこうなることは予想していたらしいエヴァンジェリンは全員の見渡して、予想外が起こらなさ過ぎてつまらんと表'8f薰ノ出して続ける。

 

「アスカも全員に一気にかかってこられれば、押し負ける可能性は十分にあった。だからこそ、貴様らを分断するために初手を取った。魔法の射手を放って水柱を上げさせたのも視界を奪う為と各人の行動を限定させる為だ。大半は分かっているようだが」

 

 アスカは開始と同時に咸卦・太陽道を発動させて圧倒的なパワー差を見せつけて先手を封じ、魔法の射手を湖面に叩き込んで幾つもの水柱を上げさせた。その理由を告げられると分かっていない顔しているのは明日菜のみ。

 説明する必要性を感じ、エヴァンジェリンも仕方なく口を開く。

 

「敵が複数いる場合の常套手段は敵のリーダーを先に倒すか、弱い奴を倒して人数を減らすかだ。お前達にリーダーはいない。となれば、まずは人数を減らすことを優先する。戦う場所は安定した地面ではなく水の上となれば、この中にいるだろう、まだ気の扱いが苦手な奴が」

「…………私アル」

「貴様が真っ先に狙われたのは、まだ水面では地上ほどに動けないと知られていたからだ。最も削りやすいと見なされ、事実簡単に落とされた」

 

 ぬぬ、と古菲は悔し気に唸る。古菲があの時、移動しなかったのは慣れない水面上での移動をするよりは留まって攻撃や防御の方がしやすいと判断した為である。弱者と見られ、狙われても仕方ないと古菲の戦術眼は認めざるをえない。

 

「次は性格的に考えて明日菜が来るとアスカは考えた」

「え、なんで? 事実、そうなったけど」

 

 性格的に何故次が自分なのだと明日菜は首を捻ったが、実際に攻撃したのは確かに彼女だった。

 

「気配探知が優れているわけでもないのに勘に冴えていて、例え見えていなくても突っ込む猪娘は貴様しかいないということだ。ああ見えて慎重なところがある忍者と石橋を叩いてから渡る性質の刹那ではこうはいかん」

 

 理由を説明されれば猪娘という不名誉な名称に不満はあれど、納得せざるをえない明日菜はぶすっとした面持ちで話しを聞く。

 

「まだ三人も残っている状態で一合以上やり合うのはまずい。下手に長引かせれば後ろを取られるからな。だからこそ、アスカは力任せに明日菜を弾き飛ばして一時戦いから遠ざけた。実際、そこの忍者は視界が晴れたら直ぐに行動を起こしただろ」

 

 うんうん、とその通りの結果になった明日菜は納得がいった心持ちで頷いた。

 

「アスカが何手もかけていれば別であろうが、全てを初手で決していては先に言ったように刹那は手を出さん。一手縛りの制約はあるが、忍者もそこには気づいたがアスカが先に行動を移すという先入観があったから簡単に罠に嵌った」

「全く以てその通りでござるが、せめて名前で呼んでほしいでござる……」

 

 忍者としか呼ばれない楓は白い雷の直撃を受けて若干煤切れた様子で物申すが女帝様は聞く様子もなく話し続ける。

 

「この時点でまだ10秒ほど。明日菜はようやく着地して戻って来ようとしているところ。格闘バカ二人はノックアウトしてるから後は刹那をゆっくりと料理すればいい」

 

 格闘バカ扱いされた楓と古菲は地味に傷つくも、あっさりとやられた身なので抗弁も出来ず、大人しく木乃香の治癒を受けるしかない。

 木乃香からの治療が終わった刹那が、それまで黙っていたが意を決して口を開いた。

 

「私も、もう少し出来るかと思ったのですが」

 

 アスカの実力が自分の遥か上に位置していることは分かっていたつもりだったが、これほどにも何も出来ずにやられるとまでは予想していなかったので肩を落として落胆する。

 

「尋常な立ち合いの上ならばそうであろうが、あれは流れの中での戦いだ。最初に隙を生ませ、そこを突いて攻撃を重ねることで圧倒する。これは本来、格下が格上にする闘い方ではあるが、格上がすると手に負えんだろ?」

「常に先手先手を取られて、後手に回らざるをえませんでした…………あの、アスカさんがもっていたあの得物は」

 

 戦いの主導権を完全に握られては、実力差以上に有利に運べる要素が欠片もない。戦い方が上手いというのはこういうことを言うのだなと実感しながら、刹那は主導権を握られたあの黒い刀について尋ねた。

 

「超の遺産と呼ぶべき物らしいぞ。なにかは貴様の考えている通りだ。葉加瀬曰く、アスカ専用に作られていたらしくてな、学園側から異常なしとして正式に譲渡された物だ」

「そうですか……」

「名前が黒棒ではネーミングセンスがなさ過ぎだがな」

 

 麻帆良祭の時に超がネギとの戦いで使った魔導機マジック・デバイスと同型の物に刹那は動揺を誘われ、主導権を与えてしまったに等しい。あれさえなければ、という思考は既に敗北を認めているに等しいので言うつもりはなかったが、今まで出しもしなかったのに刹那相手に使ったのはそれほど脅威と思われたのか。

 次いでエヴァンジェリンが見たのは明日菜。

 

「刹那へのトドメを防いだのは良いとして、敵から目を離してだけに留まらず、作られた隙に簡単に手を出すド阿呆はどこの誰だ?」

「はい、私です。面目有りません……」

「エヴァンジェリンさん、明日菜さんは私を心配して」

「それで貴様と同じように主導権を握られたら意味がないだろう。しかも貴様が救援に行けないのに立ち回られていることにも気づいておらんのだ。馬鹿者と言いたくもなる。そもそも貴様がもう少し持ち堪えていれば状況を改善出来ていたのだぞ。貴様こそ猛省しろ」

 

 罵倒されて小さくなっていく明日菜を心配した刹那だが、自分にもやり玉が回って来て鼻先を押されたように正座していた膝の上に置いていた拳を強く握る。

 ふと、何かに気づいた様子の明日菜が顔を上げた。

 

「ねえねえ、私って魔法無効化能力があるのよね?」

「なんだ、当たり前のことを聞いて来て」

「最後の雷の暴風が全然無効化されなかったから」

 

 明日菜としては魔法無効化能力が生命線なので気になる所なのだろう。雷の暴風を受けたのに無効化するどころか威力に押されて刹那も巻き込んでしまった。気にならないはずがない。何時かは気づくと分かっていたのでエヴァンジェリンは慌てない。

 

「麻帆良祭の時に貴様と合体して無効化に対して耐性が出来たのだろうよ。良かったな、天敵が出来て」

「天敵って……」

 

 今はまだ知る時ではないとこの理由で押し通すことにしているエヴァンジェリンは最後に小太郎を見る。

 

「各人に問題はあれど、一番の問題はそこの駄犬だな」

 

 少女らから視線を切って、一番ダメージが大きいのに意地を張って立ち続けている小太郎を見たエヴァンジェリンは聞かん坊を見るように溜息を吐いた。

 

「折角、多対一を目的とした戦闘訓練だというのに一対一に拘っただろ、貴様は」

「悪いか」

「当然だ。なんのための訓練だと思っている」

 

 小太郎が最後まで姿を現さなかったのは多勢で一人にかかるのを良しとせず、他の少女達が倒されるのを待ってから仕掛けたことを悪いことだとは思っていない。が、戦いの趨勢を小太郎の行動がある意味で決定づけたところがあるのもまた事実であると理解していた。

 

「意地の張るのも良いが、物事には時と場合がある。そのことは弁えておけ」

 

 小太郎の場合、普段は張っている意地をかなぐり捨てて勝利を目指した時の爆発力が強いことを知っているエヴァンジェリンはそれ以上は言わなかった。

 そこで今まで黙って講評を聞いていたアーニャが口を開く。

 

「私にはよく分かんないんだけど、結局はこの五人よりもアスカの方が強いわけ?」

 

 終わってみればアスカは一撃ももらうことなく、圧倒的優勢のまま全員を倒して勝利したのでアーニャの疑問は順当と言える。

 

「強いのは事実だが、今回はアスカの戦いが巧くなったことを褒めるべきだろう」

「確かに常に先手を取って主導権を握り続けて勝つなんて今までのアスカにはなかったものね」

 

 過去のアスカは目の前の戦いに没頭して勢いと流れ、持ち前の天才性と性能で押し切る場面が多かった。なにも考えていないわけではないが、多人数の強者と戦った場合に常に優位に運ぶような戦い方はしてこなかった。

 ここに来てそのような戦い方が出来るようになったということは、また強さのステージを一つ上げたということ。

 

「こいつ等の中に指揮官タイプがいないのは分かりきっていたことだから、この結果は予想して然るべきことなのだが些か面白みもない。ネギは研究が大詰めというので参加できなかったがアーニャ、お前がこいつ等を指揮していれば結果はもう少し違ったかもしれんぞ」

「冗談、私じゃ戦闘の速さについていけないわよ」

 

 元からアスカ・ネギを動かして戦ってきたアーニャと、指揮官としての素質があるネギがこの戦いに参加していれば覆ったかもしれない戦いではあるが、アーニャとしては自分では能力が低すぎて付いていくことは出来ないと告げる。

 

「前線指揮官と全体の指揮はまた別なのだがな」

 

 アーニャは強さに対する劣等感を抱き過ぎている節があるとエヴァンジェリンは言いたいが、こういうのは自分で気づかなければ意味がない。

 

「とまれ、力と経験に大きな開きはあるが、これだけの人材は本国正騎士団にもおらん。盗賊やら魔獣の群れは優に及ばず、今のお前らならばハワイで戦った奴らに勝つのもそう難しくはないだろう。アスカがいるのだからナギクラスがゴロゴロといる紅き翼のような集団とでもやり合わぬ限り、今の貴様らに危険はない」

 

 のどからと一緒に観戦していたが、あまりの戦いのスケールの違いに呆然とするしかなかった千雨はエヴァンジェリンの言葉に少しホッとした。自称最強の吸血鬼らしいエヴァンジェリンがそこまで言うのならば、一緒に付いていく千雨としても安心できる材料だった。

 

「戦争もない今の時代にそのような本物が集団でいる必要もない。ふん、これではただの観光旅行になってしまうな」

 

 つまらなげに言ったエヴァンジェリンのこの言葉が、千雨にはどうにもフラグに思えて仕方なかった。

 

「なんの話してんだ?」

「早いな、アスカ。もう戻って来たのか」

「十分に疲れたっつうに」

 

 空の上から現れたアスカが重さを感じさせない身軽な所作で着地すると地面に座り込む。

 

「あ~、重て」

 

 地面に座り込んだままパワーアンクルを外して手を離すと、ズシリと重たげな音が響いて地面に罅が入った。アスカは軽げに落としているが、千雨は近くにいたので石畳の地面に罅が入るほどのパワーアンクルの重さに興味を持った。

 

「なあ、ちょっと持ってみていいか?」

「いいけど、無理だと思うぞ」

「舐めるなよって重っ!?」

 

 見た目が市販のパワーアンクルと大差ないのでアスカの言い方に少しカチンときた千雨がいざ持とうとするとピクリとも動かない。両手で持ちあげようとするが結果は同じ。流石にそれには少し癪に触って意地でも動かしてやろうとパワーアンクルを掴んだところでエヴァンジェリンが一言。

 

「一つ辺り、二百五十キロぐらいあるから指が下敷きになると抜けなくなるぞ」

「先に言えよ!」

 

 含み笑いながら言われて突っ込みを入れた千雨は慌ててパワーアンクルから手を離す。結局、一ミリも動かすことが出来ないままパワーアンクルはそこにある。

 ようやく木乃香からの治療を終えて全快した小太郎が気になってパワーアンクルに手を伸ばす。

 

「!? 随分と重いやんけ。これ四つ合わせたらどんだけあんねん」

 

 素の身体能力では動かすことも出来ず、身体強化をしてようやく持てたが尚もズシリと重いパワーアンクルを手にした小太郎がエヴァンジェリンに聞く。

 

「おおよそ一トンといったところだな」

「「「「「「「一トン!?」」」」」」」

 

 勿体ぶること事もなく4つの重さの合計を告げたエヴァンジェリンに七つの驚きの声が唱和する。特に小太郎はアスカがこれらを付けて、より力の制御が要求される虚空瞬動をしながら極寒・酷暑のエリアを踏破されているのを半ば意識を飛ばしながら聞いていたので驚きは大きい。

 

「力の差は開くばかりかいな……」

 

 最初に出会った頃はほぼ互角だったのに、ハワイ・ヘルマン・学園祭を通して実力に圧倒的なまでに差が開いた。

 小太郎も出会った頃よりも飛躍的に実力を伸ばしているが、アスカの伸び率の方が異常なほどに大きい。持って生まれた才能の差と言ってしまえば、単純な肉体的ポテンシャルで人間を上回る半妖の小太郎の方にだって同じことが言える。

 

「…………」

 

 小太郎が視線を向ければ、試しにとパワーアンクルを持つことに四苦八苦している少女達の脇で、胡坐を掻いて呼吸法を行うアスカを中心としてマナが渦を巻いているのが見えた。咸卦・太陽道で外の世界より濃い別荘の魔力を吸収して回復を図っているのだ。

 流石に体力までは咸卦・太陽道でも回復は出来ないが、小太郎が見ている前でアスカの力が時間の経過と共に回復していくのが感じ取れる。

 ただでさえ莫大な魔力量を持つアスカが咸卦法を習得したことで人間離れをしたエネルギー量を得ることに成功し、太陽道を使用することで使う端から回復していくので、よほど大魔法を連発しなければエネルギー切れになることはない理不尽な状態になる。

 

「俺だって」

 

 小太郎が魔法世界に行くのはアスカの手伝いだけではない。まだ見ぬ強敵と戦うことでスキルアップを図る意味合いもある。この壁を何時かは超えてみせると熱意を燃やすのだった。

 小太郎が一人決意に燃えていると、同じように実力を上げていくアスカに焦燥感を抱く者――――古菲は自分に足りない物を模索する。

 

「むむ、やはり私には決定打が足りない気がするアル」

「決定打って?」

 

 古菲の呟きを聞き咎めたのは五感に優れた明日菜。

 むんむんと唸る古菲は腕を組み、今はカード化している明日菜のハマノツルギや先の戦いでアスカが使った黒棒を思い出す。

 

「気の習得が及んでいないのは修練でどうにかするにしても、私にはみんなのような遠距離の攻撃方法がないアル。一対一で相手が手の届く範囲ならまだしも、魔法使いと戦って距離を開けられ続けるとなにも出来ないアル」

 

 武道大会で使った布槍術にしても遠距離を得意とする魔法使いに範囲外から攻撃を続けられたら成す術もない。楓と比べると古菲は機動力があるわけではないので、なんらかの中・遠距離用の攻撃方法が欲しいところである。

 

「足手纏いは嫌アル」

「古菲は私より強いじゃない。足手纏いなんて」

「明日菜には魔法無効化能力に咸卦法があるアル。近距離でしか攻撃方法がない私は護られる側になってしまうアル」

 

 アスカは主力、ネギは火力担当、明日菜は対魔法使いの切り札、小太郎は切り込み隊長、刹那はオールラウンダー、楓は陽動から囮までこなせる遊撃、木乃香には治癒と式神召喚、アーニャは指揮官、それぞれに何がしかの役割があるが、この中で古菲の役割だけが限定されてしまう。言ってしまえばいてもいなくてもどっちでも良いのだ。格闘家としては身一つでどうにかしたいが、足手纏いにしかならない現状は古菲としては我慢できない。

 

「なら、仮契約してみるか?」

 

 深刻そうな悩みを吐露しているので話を聞いていたエヴァンジェリンがふむと頷いてそんなことを口にした。

 

「俺っちをお呼びかい?」

「うわっ、カモさん!? 何時の間に……」

「ふっ、仮契約と聞けばどこにでも参上するぜい」

 

 何時の間にそこにいたのか、肩の上に乗っていたアルベール・カモミールにのどかが驚く。当のカモはニヒルに笑いながら口に咥えた日の付いていない煙草の先をユラユラと揺らす。

 

「仮契約アルか?」

「ああ、仮契約をすれば何かと便利で運が良ければ貴様が望むアーティファクトを得られるかもしれん」

 

 仮契約をすれば従者への魔力供給は気を主体とする古菲には必要ないが、従者の召喚・念話・潜在能力の発現・衣装の登録・防御力アップだけに留まらず、本人の特性に合ったアーティファクトを召喚できる。

 エヴァンジェリンが言うように運が良ければ、仮契約によって古菲が望む遠距離攻撃が可能なアーティファクトが出るかもしれない。

 

「それならば拙者も頼めるかでござるか」

 

 そこへ今まで黙って話を聞いていた楓も嘴を突っ込んだ。

 

「楓もか?」

「おかしいでござるか? なにが起こるか分からない場所に行くのでござるから、拙者も憂いを残しておきたくないでござる」

 

 やれることをやっておきたいと言う楓に刹那は納得の表情を返す。刹那にも木乃香との仮契約のアーティファクト「建御雷」がある。魔力を溜めて放出するタイプのアーティファクトだから普段から使用することはないが、切り札としてあるのとないのとでは気持ちの持ちようが全然違う。

 二人から仮契約の申し出が出たのを確認したカモは髭を撫でつけながら思案する。

 

「そこの二人が仮契約をしたいってことでいいな。問題は誰とするかだ」

 

 仮契約カードの中にはアーティファクトが出るカードと出ないカードがあり、アーティファクトが出るカードをアーティファクトカードと呼ぶ。マスター側に強力な魔力・気が無い場合、仮契約自体は出来てもアーティファクトカードが出ない。その点、この場にいる魔法使い達ならばその基準をクリアしている。

 

「単純な魔力量と太陽道で回復力が尋常じゃねぇアスカの兄貴が第一候補なんだが」

 

 麻帆良に来てからも飛躍的に伸びている魔力量と会得した太陽道の回復力のお蔭で、魔法戦士として戦いながら従者に魔力供給をしても十分に余裕があるアスカが当然の如く第一候補に挙がった。

 当然、その流れを面白く思わない者もいてカモもそのことを承知している。

 

「…………」

「いや、明日菜の姉さん。分かってるから無言で俺っちを捕まえようとするのは止めてぴぎゃ!?」

「アスカは主力だぞ。万が一でもリスクになるような提案は師匠として認められんな」

 

 坐った目で無言のまま手を伸ばしてくる明日菜からのどかの反対の肩に逃げながら言ったカモの体を掴んだのはエヴァンジェリン。眼の端を若干引くつかせながらカモを引き寄せる。

 

「ぐぐ、二人とも気が主体だから魔力供給することもないだろうし、その心配はない…………こともないですね、はい!」

 

 言っている途中で掴まれている手の力が増して腹の身が口から溢れそうな錯覚に陥り、すぐさま自説を否定したカモ。緩まった手の中から抜けて地面に落ちてホッと息をつき、次の候補を探して首を巡らせる。

 

「ネギの兄貴は…………のどかの嬢ちゃんが可哀想だから除外するとして」

 

 エヴァンジェリンが二人と仮契約をするわけがないので最初から除外するとして、次に挙げたのは当然ながらネギの名前だったが恋人と言えるのどかが首を横に何度もぶんぶんと振るのを見ると流石に哀れに思えてしまう。

 ほぼ付き合っている恋人が必要だからと他の女とキスするのは乙女的に受け入れ難いのだろう。無理からぬことだとして、また次の候補を探すも残るは二人しかいない。

 

「後はアーニャの姉さんか、木乃香の姉さんしかいねぇな」

「私はパス、木乃香に任せるわ」

 

 カモが言うが早いか、アーニャはさっさとバトンを木乃香に渡す。

 木乃香の従者である刹那としては受け入れ難い部分があるのか、彼女の表情は少し気に入らなげなものに変わった。刹那的にはアーニャが主になるのが最も望ましい展開ではあるのだから。

 

「まあ、アーティファクトはマスター側に強力な魔力がある方が良いやつが出やすいから人選としては間違っちゃいねぇ。女同士だし、ノーカンにしとけばいいしな」

 

 事実、刹那の建御雷は木乃香の魔力量も相まってかなり強力な部類に入るアーティファクトである。二人が強力なアーティファクトを得ることが出来れば戦力の上としてはプラスに働くことになるのだから刹那が反対を口にする理由はない、ないのだが。

 

「気にし過ぎやて、せっちゃん」

「お嬢様……」

 

 木乃香に後ろから抱き締められ、優しい声をかけられると刹那としては肩に入っていた力が抜けてしまう。

 

「うちが一番大好きなんはせっちゃんやからな!」

 

 二人の身長はそう変わらないので耳元でそんなことを言われてしまったら、刹那は茹蛸のように真っ赤になって頷かないわけにはいかない。悲しくも嬉しい飼い慣らされた犬の如き習性で、主の言うことには絶対服従してしまうのだ。本当に哀れなことに当の犬は主の言うことに喜んで従ってしまうことだろう。

 

「百合かよ」

「何時ものことよ」

「…………なんとなく気が咎めるでござるが」

「微妙に複雑アル」

 

 二次元に造詣の深い千雨は女同士のカップルが現実に存在することに女子校に通っている身としては愕然とし、この光景を見慣れた明日菜などは放置に限ると顔に書いてあった。話の流れ的に木乃香と仮契約することになりそうな楓は糸目のまま頬を掻き、事の発端の古菲は二人の関係の出汁に使われたような気分に遠い目をする。

 

「仮契約パクティオー!!!」

 

 重いことにすると年頃の乙女として気になる部分も出てくるので、気持ち的に軽い感じで必要なキスを行って仮契約が無事に終了した。感触とか感想の話になると刹那が面倒なことになるので、ここはスルーしてアーティファクトを出すことにする。

 

「こうでござるか、来たれアデアット」

 

 まずは自分からと事前に聞いていたアーティファクトを呼び出す文言を呟く楓。すると、カードの代わりに楓の全身を覆い隠してあまりある少しボロい布がふわりと広がって現れる。

 

「こいつが楓姉さんのアーティファクト『天狗之隠蓑』だな。布を翳すことで敵の攻撃を吸収することができて、被れば完全な隠匿状態になって視覚・感覚のあらゆる方法における感知不可能な状態になるって代物だ。忍者の姉さんにはこれ以上ないアーティファクトだな」

「使いようによっては十分に強力なアーティファクトでござるな」

 

 ノートパソコンを開いてアーティファクト協会に登録されている説明書を読むカモの説明を聞いて、自分で選択できない中で十二分に納得のいくアーティファクトを得ることが出来た楓は満足そうな笑みを浮かべる。

 魔法使いと違って障壁がない楓には攻撃を吸収できて、忍者の本分である隠密機動を補佐するアーティファクトを得られたのは僥倖に過ぎる。

 

「次は私アル、来たれアデアット!」

 

 楓が強力なアーティファクトを引き当てたので自分もと高揚した様子でアーティファクトを呼び出す古菲の手に現れたのは一本の棒だった。

 

「ほほう、棍アルか。うぉ、重い!?」

「そいつの名は『神珍鉄自在棍』っていって、西遊記の孫悟空が使用する如意棒の複製で言葉とイメージで太さと長さを自在に変えることが可能らしいぜ」

 

 説明を聞いた古菲はズシリと手の中で存在を主張する神珍鉄自在棍をクルクルと回し、不思議と長年使い慣れた道具のように手に馴染むアーティファクトを使って見たくて仕方なかった。

 

「ちょっと試してみてもいいアルか?」

「いいが、こっちに向けるなよ」

 

 別荘の主であるエヴァンジェリンに請うと、古菲の目が止めても無駄だと判断してシッシッと煩わし気に手を振る。

 ぞんざいな扱いもなんのその。今の古菲は長年欲しかった玩具を与えられたに等しく、何の痛痒も感じずに嬉々としてテラスへと近寄ると、手の中の神珍鉄自在棍をクルリと回して構えた。

 

「伸びレ!」

 

 限界を知りたくてレーベンスシュルト城の上空に浮かぶ空を貫くイメージと共に発声すると、手の中の神珍鉄自在棍は古菲の望み通りに伸びる伸びる伸びる。イメージ通りではあるのだが、正直そこまで予測はしていなかった古菲の度肝を抜いた。

 

「おおう!? 戻るアル!」

 

 質量を増して伸びていく神珍鉄自在棍の自重をこのままでは支えきれなくなると悟り慌てて叫ぶ。元のサイズをイメージをして叫ぶと瞬く間に伸びていた神珍鉄自在棍が収縮する。

 あっという間に元のサイズに戻った神珍鉄自在棍をしげしげと見下ろし、その効果が本物であると自覚するとニンマリと笑みを浮かべた。

 

「二人とも良い物が出たみたいやね」

 

 彼女らと仮契約をした木乃香も従者となった二人が満足できるアーティファクトを得られることが出来たようで主としては嬉しい様子であった。

 

「木乃香には感謝感謝アル」

「借りとはいえ主従でござるな。頼むでござるよ、主君マスター」

「む、私もご主人様マスターって呼んだ方がいいアルか?」

「友達やん、そんな畏まらんでええよ。今まで通りにしてや」

 

 形を大事にする楓が畏まると古菲も倣って慣れない呼び方をしようとするが、友人に傅かれても嬉しくない木乃香が今まで通りにしてほしいと頼み込む。

 それならば、と納得して普段通りに戻る二人を見ていた千雨は、「仮契約、ねぇ」と彼女特有の皮肉気な言い方で目の前で行われた儀式を思い出しながら呟く。ふと気になって隣に立つのどかの顔を身長差の関係で見下ろした。

 

「そういや、本屋。アンタは仮契約ってやつはしないのか? ネギ先生がいるだろ」

 

 聞いている話では自分と同じく仮契約をしていないらしいのどかだが、確たる相手であるネギがいて非戦闘員なのだから手段はいくつあってもいいはずと、リアリスト故の視点から問いかけていた。

 

「興味がないわけではありませんけど、ネギ先生とは対等でいたいですから…………護られてはいますけど」

 

 足手纏いなのは自分も同じで、倣うならば自分も仮契約をした方が都合が良いのは事実。だが、のどかとしては主従という立場を間に入れるのはあまり好ましく思えなかった。仮契約が魔法世界では結婚相手を探す口実と聞いたからこそ、純粋でありたいと願う少女特有の潔癖さがそういう下世話な感情が混じる余地を作りたくはなかったのかもしれない。

 

「分からないでもないけどよ」

 

 千雨にものどかの言い分は理解できるところが多い。戦うなど論外を通り越してありえないし、生兵法は大怪我の元なので、それならばいっそ戦えないことを開き直ってしまうのも一つの手だ。

 仮契約カードの機能である従者の召喚・念話にも制限距離があり、逆にあることで過信することで油断するぐらいなら最初から無い方がいい。

 

「アスカさんはネギ先生とは違いますから、千雨さんは木乃香さんとの仮契約は一つの手段ではありますよ」

「まあ、な……って、ちょっと待て。どういう意味だ?」

 

 頷きかけたが言っている意味がよく分からず千雨が問いかけるも、のどかは薄く笑うのみで答えようとはしない。

 繊細なネギは外の声に振り回されやすいことを考えると、他の主がいる相手と付き合うのは魔法使い的に外聞が悪いだろうと考えて仮契約は出来ない。アスカはそこら辺、誰かに言われようと気にしないだろうとのどかは考えているので千雨にそう言ったのだ。

 

「ん?」

 

 追及の手を強めようとした千雨は回復中のアスカが微妙に動いた気がした視線を動かした。

 アスカの姿を視界の中心に留めると、当の本人は胸に手を当てて何やら思案気な様子で薄く開いた目を茫洋とさせていた。この様子に千雨に遅れて気づいた明日菜が「どうしたの?」と問いかける。

 

「いや、妙に動悸が激しくて」

 

 答えながらアスカは心臓がバクバクと音が聞こえるほど高鳴り、早まる血流に眩暈すら覚えていることに困惑した様子であった。

 

「病気とかじゃないと思うんだが……」

 

 動悸が早まるなど病気以外に考えられないと明日菜の思考を表情から読み取って否定したアスカだが、全身を支配する不安感にも似た焦燥に徐々に精神が浸食されていくのを感じていた。

 全身をやけに支配するこの不安感が、行動に移らねばならないと焦らせるこの気持ちがなんであるかが理解できない。ただ、予感がある。動かなければならない、行かなければならないと。そう直感が囃し立てているのに肝心な指針がない為に動くことが出来ない。

 皆がアスカに注目する中でエヴァンジェリンがふと顔を上げた。

 

「誰かが別荘に入ってきたぞ」

 

 別荘の主であるエヴァンジェリンには中に入って来た者を感知することが出来る機能が付いている。以前はともかく、改良して許可されていない者には入れないようにしているので侵入者の可能性はない。

 この場にいる者を除外すればここに入れる許可がある者は少ない。やがて、入って来たのは魔法使いらしく空を飛んで現れた。

 

「ネカネ姉さん?」

 

 急いでいる様子のネカネ・スプリングフィールドが箒に跨って飛んでくるのを、細目にしてその姿を認識したアーニャは首を捻った。

 ネカネは別荘を毛嫌い――――正確には一時間が一日になるのが―――している千草のように、よほどのことがなければ別荘に入って来ることはない。アスカと小太郎が二年間別荘に籠っていた時に時折様子を見に来た時ぐらいだ。

 そんな彼女があんな急いでいる様子でいるとなれば、かなりの要件があると推察した近くでアスカが立ち上がった。 

 やがてアスカ目がけて球のように飛んできたネカネが箒から転げ落ちるように着地するも、急ぎ過ぎてバランスを崩した。が、当然ながらアスカが支える。

 

「はぁはぁ、あ、アスカ」

 

 息を切らしているネカネを支えながら、アスカは自分を騒がさせる焦燥感の答えをネカネが持ってきた確信した。まるで正解だと告げるようにドクンと心臓が大きく跳ねる。

 

「ス、スタンさんが倒れて危篤状態って今連絡が」

 

 それを聞いた瞬間、アスカの頭の中から全てが消え去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この少し後に事情を聞いた朝倉和美は信じられぬ面持ちで呟いた。

 

「アスカ君がイギリスまで飛んでっちゃったって…………え、マジ?」

 

 単身生身でイギリスに向かって空を飛んで行ったと聞いた和美は、彼女の人生の中で初にして最後となる間抜け面を曝すのだった。

 

 




スタンの異変が分からなかった方は『第37話 世界樹の下で』の冒頭をお読みください。

次回は『旅の終わり』

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