魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第62話 ターニングポイント

 

 

 

 

 

 

 

 メルディアナの町外れにある閑静な場所に、花に溢れた墓地がある。墓地には特別な囲いや飾りなどはなく、ひどく質素な十字架の形をした墓碑が幾つも立っているだけで他には何もない。周辺は雑草だらけなのに、内部には不思議と雑草がない。変わりに色取り取りの花に囲まれて十字架が立っている。

 ここには六年前に亡くなった村人達やスタンも眠っている。六年前の襲撃の際に村近くにあった墓地も荒ら果て、この場所に移転していた。

 霧の都のある国に相応しく、早朝の外は白い霧に滲んでいた。朝日の破片が頂上から零れていた。淡い靄に黄金の光が反射して虹の粒を放縦に撒き散らす。アスカ・スプリングフィールドは朝露で微かに湿った芝生を踏み、並ぶよう立つ幾つもの墓碑の前に立つ。

 

「みんなが掃除してくれたのかな」

「だろうな、死者を悼むのはみんな同じだ」

 

 隣に立つネギ・スプリングフィールドの静かな声に答えつつ、アスカは日本に渡る前にネギ・アーニャ・ネカネの三人で雑草抜きをしたことを思い出していた。メルディアナの人達は自分達の身内の墓だけではなく、アスカ達の村の住人の墓にも花を手向けるのと同時に掃除してくれたのだろう。

 

『イギリスには日本のように遺骨を残す習慣がないはずです。遺灰は公園墓地や故人の思い出の地や自宅の庭に撒いて、愛する人が亡くなった後もその人の眠る地で花を咲かせ、木を育てる。そして故人に話し掛けるように植物たちに話し掛け、思いを馳せるのだと』

 

 スタンの葬式の時に綾瀬夕映が言っていたことを追想する。

 

「ごめん、皆。あまり帰って来れなくて」

 

 あの日に死んだ村人達の墓の前に立ち、アスカは言いながら目の前にある墓石にそっと片手を伸ばし、表面をゆっくりと摩った。六年の間、風雨に晒された墓石はすっかり角が丸くなってしまっている。

 

「タオルを」

「うん」

 

 二人で持ってきた水とタオルで墓碑を洗い、最後に花を供える。それをあの日に亡くなった村の住人分繰り返す。

 全てを終え、最後にスタンの墓に花を添えて立ち上がる。すると、雲の隙間から太陽光が墓地を照らす。

 ぎらつく陽光、咽るような草いきれ、六年前から何も変わらず全てが懐かしい。アスカとネギは、ただ静かに幾つもの墓を見つめていた。ここは日本ではないので線香は上げない。手も合わせない。ずっと静かに墓石を見つめるのみ。

 町で何かを焼いているのか、白い煙が上がっている。仄かに白く、そして蒼い煙が細く長い筋となって少しずつ左右へ広がり無限に高い空へ向かって心地良さ気に伸びていった。

 

「……………」

 

 アスカは墓石を見つめたまま微動だにしない。スタンとその妻の名が刻まれた墓碑の前で静かに佇んでいた。

 陽光と風を受けて、どれくらいそうしていたろうか。目の前にあるものがあまりにも大切で、大切だったからこそ迂闊に触れることが出来ないようだった。

 

「久しぶり」

 

 自問自答を重ねて、ようやく皆の墓に向かって言葉を紡ぐ。何を言うべきか悩んだが、他に言いようがなかった。墓は応えない。当然だ。アスカは構わず、熱に浮かされたように話し続けた。

 

「俺さ、十三歳になったんだ。ちょっと裏技を使って……」

 

 後は思いついたように言葉を口にするだけ。自分が潜り抜けてきた、長い長い戦いを報告するかのように。スタン以外はもう記憶の奥底にも少ししか残っていない彼らに向けて、あの日を生かされた命としてその後を伝えるのは義務であると思えた。

 魔法学校時代から、麻帆良に渡っての楽しい日々、京都での出来事、エヴァンジェリンとの出会いから戦いに向けて、ハワイでの始めての命のやり取りをしたこと、あの日にいたヘルマンが襲ってきたこと、別荘で二年を過ごした事、麻帆良祭でのハチャメチャ振り…………時にネギに変わりながらも、伝えることは山程あった。

 

「みんなを石化から解きました。あなた達もよくやったって褒めてくれるかな」

 

 ネギの口から掠れた声がその唇から漏れる。

 

「俺達はこれから魔法世界に渡る。自分達のルーツってやつを探してくるよ。戻って来たらまた報告しに来る」

 

 アスカが言い終えて、最後に黙祷を捧げるように目を閉じた二人は墓前に向けて右手を持ち上げた。

 

「行って来ます」

 

 長い長い死者との語りの果てに、アスカはやっと決意を固めた。これで別れは済んだ。小さく呟くとネギを促して踵を返した。

 

――――行ってらっしゃい

 

 歩き出そうとしたアスカの耳にそんな声が聞こえた。振り返っても、向こう側から頬を撫でていく穏やかな風が流れていくだけで当然ながら誰もいない。空耳にしてははっきりと聞こえた様な気がした。

 

「どうかした?」

「いや、なんでもない」

 

 足を止めたアスカに気づいたネギが問いかけて来るが、アスカは我知らずに浮かべていた笑みを自覚して首を横に振って歩き出した。

 どうして笑っているのか理解できないらしいネギの頭を近づきざまに掴んでグリグリと掻き回す。

 

「わ、わ、なにすんのさ!」

「ちょうど良いところにあったから遊んでやってんのさ」

 

 ネギが文句を言うが、長身になったアスカにとってネギの頭の位置は丁度、手の高さに合うのでちょっかいをかけやすい。遊ばれたネギにとっては堪らず、馬鹿力を振り切って乱れた髪の毛を整え直す。

 エヴァンジェリンお手製の肩や縁に血のような赤いラインの入った黒いシャツを着たアスカの姿は、ネギの目にはまるで知らない人のように映った。逞しくなったと思う。けれどそれは悲しいことだった。

 人の成長は月日の長さでは計れない。無為に時を刻むだけでの者もいれば、僅かな間にそれこそ十年分の修練を積む者もいる。身長が伸びていることは素直に羨ましいと思うが、その分だけ年を食った。同い年だった双子はきっと自分よりも早く死ぬのだろうなと思うと鼻の奥がつんときて、悟られないように軽口を叩くことにする。

 

「アスカばっか、身長伸びちゃってさ」

「これも年の功だ。お兄ちゃんと呼んでもいいぞ?」

「絶対に嫌だ」

 

 ははは、と笑いながらアスカはこれで良いのだと思った。墓地という場所で些か感傷的になってしまったが、馬鹿をやっている方が自分達らしいと彼らに見せることが出来る。

 墓地を抜けてまだ朝の霧も晴れない町を思い出話を交えながら進み続ける。

 町を抜けて高畑と始めて出会った場所まで来ると、何人かがそこに立っていることに気づいた。

 

「叔父さん、叔母さん……」

「お姉ちゃんにお爺ちゃんまで」

 

 スプリングフィールド夫妻とネカネにメルディアナ魔法学校校長の四人が霧に包まれるようにしてアスカとネギを待っていた。

 

「…………本当に行くのね?」

 

 叔母は歩み寄って来たアスカとネギの姿を悲し気に見つめた。

 何度見ても六年前の幼い少年達のイメージが強すぎて、現在の二人のギャップもあって別人のように感じながらも、努めて表に出さない。

 

「決めていたことだからさ。行くよ、魔法世界に」

 

 アスカにもそのことは感じ取れていたから静かに自らの決意を告げた。もう、彼は叔母に甘えるだけの小さな子供ではないから、一人の大人として言葉を返した。

 まだ六年の空白を埋めることも出来ず、少年達の出生の秘密を知る叔母はなんとか止めようと、こちらも六年前よりも成長して若い頃の自分に似て美しくなったネカネに説得してもらおうと彼女を見る。

 

「私は止めないわ」

 

 だが、その希望も虚しく、ネカネは首を横に振った。

 

「だって、二人ともは頑張っちゃってるんですもの」

 

 困ったようにキュッと眉を内側に寄せて、ネカネは笑ったのだ。

 

「苦しそうで、大変そうで、今にも倒れてしまいそうなのに、それでも必死に戦おうとしている二人を止めることなんて、私には出来ない」

「……………」

 

 娘の言葉を近くで聞いた叔父は静かに瞑目して過去を追想する。

 

「ナギと同じだな。お前達は私達の言うことなど聞こうとしない」

 

 責めたいわけではないが、叔父が愚痴の一つを言うことぐらいは認められるだろうと心の赴くままに言葉を発すると、少年達は気まずそうに視線をずらした。

 はっきりとは言えないけど、確実な変化。この六年の間の変化は叔父らには分からないことでも、悪戯をした後に身の置きどころを失くした時と同じくこの二人の姿は何も変わっていない。

 

「すまない。私達の弱さがお前達を傷つけた」

 

 共にいてやれなかった六年にも及ぶ別離。火のような悔恨を込め、二人に向けて深々と頭を下げながら呟く。

 

「叔父さん……」

 

 ネギは頭を下げる叔父から目を逸らすように足元を見つめたまま、短く言った。

 

「気にする必要もない。もう終わったことだよ」

 

 先に顔を上げたアスカが言った。

 小さな溜息の後、メルディアナ校長は薄く微笑んで首を振った。この中で失われた六年を誰よりも知っている彼だからこそ、二人を止めることは出来ないと分かってしまったのだ。

 

「儂らも二人を引き止めるのは止そう。お前達も男だ。自分がどこまでやれるか、試すのもいいだろう。ただし、決して無理をしてはならぬぞ。危険だと思ったら逃げることも一つの勇気じゃ」

 

 男には、そういう時期がある。自分の力と周囲の世界とが未知であることを許せず、限界などないと信じたい気持ちは誰の中にもあるのだ。そうやって沸き立つ気持ちを静める術は二つしかない。諦めるか、立ち向かうかだ。

 男は誰もが皆、その選択を突きつけられる。二人が挑み、立ち向かう男であることがメルディアナ校長には嬉しかった。

 

「怪我をしたからといって、あまり治癒魔法に頼り過ぎてはならんぞ。短時間に連続すれば効果も落ちるし、後遺症も残る。無理は禁物じゃ」

 

 祖父として釘を刺すことは忘れていなかった。

 彼の孫は、何者にも変えられない強い意志を身の裡に宿していた。アスカの胸の裡に生まれた熱。その熱に浮かされるように、アスカはブルリと背筋を震わせた。今皆に支えられて、更に温度を上げている。ゴオゴオと見えない炎になって胸を焦がしている。だから、この時は最も相応しい動作で校長に答えた。

 

「俺は誰にも負けねぇさ」

 

 嘗てのナギのように自信満々に言うアスカに、叔父は長年の肩の荷が下りたような気持ちで口を開く。

 群れから離れ、自由な風と共に行こうとする鳥には、その為の覚悟とて必要になるのだろう。自分の指針は自分の考えで示さねばならない。屈託なく笑いながら、その双眸は熱いほどの意志を宿して青々と燃えている。そこに大人達は悠然たる大空を思う。

 

「お前達も人の道を外すような生き方だけはしないと確信している。もう大人なのだから生き方を強制などしない。最も大切な時にいてやれなかった私達には資格もない。例え他人から後ろ指を指されようともお前が信じた道を行くならとことんやれ。それがスプリングフィールドの血だ。中途半端で帰ってきたら、それこそぶん殴ってやるからな」

「叔父さん」

 

 ネギはグッと込み上げて来るものを感じた。

 

「私が言うことは一つだけよ。なんでもいい、無事に帰って来て」

「ああ、約束するよ」

 

 叔母の願いにアスカはニヤリと笑うと親指を立てて見せた。

 二人の静かな眼差しを見つめて、叔父と叔母は衝きのめされていた。確かに、この少年達は、あのナギの子だ。ナギの心は、生命は、ここにこうして受け継がれ、鮮やかに息づいていたのだ。

 

「じゃ、行ってくる」

 

 アスカが、ちょっとそこまで出かけて来るみたいに軽い調子でネカネ達に背を向けた。ネギも名残惜し気に続く。

 

「アス……」

 

 ネカネは言いかけた言葉を口の中で呑み込んだ。引き止めても駄目だろう、と内心で分かっていたからだ。

 幼年期はとっくの昔に終わりを告げていたのだ。ネカネにとっても、アスカにとっても、誰にとっても。少年達は大人になる階段を昇り始めた。

 

「行ってらっしゃい」

 

 そう言ってネカネは、去って行く二人が見えなくなるまで祈るように見送り続けた。

 涙を流して見送る娘の後ろから未だに不安げな妻の肩を抱いた叔父は、「本当に大丈夫でしょうか」と父である校長へと尋ねた。

 

「あの子達は戦士じゃ。乱暴者という意味ではなくてな。困っている人を助け、悪い奴を懲らしめ、皆に頼りにされる男になってしまった。代償として、闇に隠れて牙を研ぐ者がいる限りは。向かい風に両足を踏ん張り、炎の中に身を投げ込み、濁流の源まで前のめりに突き進んでいく。あれはそういう子達じゃ。そういう目をしている。そういう運命を背負ってしまった」

 

 叔父は黙って聞いていたが、校長が言葉を切ると、ふっと息をついて静かに言った。

 

「人相見をするとは知りませんでしたよ、お父さん」

「よしてくれ」

 

 校長は片手を振って、息子の皮肉に寂しげに笑った。

 

「魔法学校の校長なんてやっていると、色んな人間を見る。色んな人生を見る。すると、色々と分かるようになってしまうものじゃ」

 

 叔父はもう姿が見えなくなった甥達を思う。彼の隣で校長は苦しみを堪えているような表情の奥で、何かをしきりに考えている様子だった。

 

「アスカ、ネギよ。決して生き急ぐでないぞ」

 

 霧に阻まれてもう声も届かず、姿が見えなくても襲い掛かって来る不安に苛まれた校長はそう言わずにはいられなかった。

 当然、忠告ともいえる校長の言葉は二人に届いていなかった。二人は見送りに来ていた最後の一人に会っていたから。

 

「行くのね?」

 

 アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ――――幼き頃より道を同じくして共に進んできた少女は二人と共に歩くことはなく、その前で立ち止まっていた。

 

「最初から決めていたことだからな」

「行くよ、魔法世界に。父さんと母さんを探しに」

 

 必然の別れを前にして、二人の目にも悲しみの光が浮かんでいた。

 

「私は、魔法世界に行かない」

 

 念願の両親を取り戻したアーニャはメルディアナに留まり、石化から解放された村人達と共に村の再建に励むことになる。始めから望んでいた通りに、でもここまで早い別れになるとは思っていなかった少女は改めてその胸中を少年達にぶつけた。

 

「私がいなくても大丈夫なの? ネギはボケだし、アスカはバカだし。脳筋ばっかりのパーティでさ」

 

 甘えていた、と言われればそうなのかもしれない。アーニャの旅路は一人では挫けてしまうほどにゴールは遠く、道のりを踏破できるだけの能力も才能もなかったから二人に随分と助けられた。

 儀式を作り上げたネギ、西洋魔術と東洋呪術の専門家であるエヴァンジェリンと天ヶ崎千草の協力、ヘルマンを倒したアスカの激闘とここに辿り着くまでの必要な素質。石化解呪におけるアーニャが果たした役割は本当に微々たるものでしかない。

 もう三人だけで始めた旅ではなく、出会った人々も巻き込んでアーニャの旅は終わりを迎えてしまった。アーニャはゴールに到達して燃え尽きてしまったのだ。それでも燃え尽きても燻るものはある。

 

「なんとかやるよ。アーニャは待っててくれればいいよ」

「自分達のことは自分達でなんとかするさ。アーニャは思う存分おじさんとおばさんに甘えればいい」

「あ、甘えないわよ!」

「あはは」

 

 図星を突かれて赤くなっているアーニャを見て、ネギが笑う。ただ一言、言って欲しい言葉を二人は決して口にしない。そうしたらアーニャを縛ってしまうと分かっているから。

 

「じゃあな、おじさん達によろしく言っておいてくれ」

 

 時間が迫っている。アスカは別れを惜しいと思いながら、決してアーニャが望んでいる言葉を口にしないと決意して足を進める。

 

「帰って来たら村が出来上がってるのを楽しみにしてるから」

 

 ネギも後に続き、下を向いて震えているアーニャに言葉をかけて横を抜き去っていく。

 二人が自分を追い越して行ってしまうことなど当たり前のことで、アーニャは決して望んでいる言葉を言おうとしない二人に向かって振り返った。

 

「バカ! バカ! バカ! 恰好つけちゃってさ!」

 

 地団太を踏んで幼馴染二人を罵倒したアーニャは浮かんでくる涙を止めようとせずに更に言い募る。

 

「言えばいいじゃない、一緒に付いて来てほしいって! なんでそんな簡単なことも言えないのよ!」

 

 聞こえているはずなのに霧の向こうへと消えていく少年達は決して振り返ろうとしない。それを良いことに言いたいことを言ってしまおうと罵倒しまくる。

 

「アンタ達のことなんて昔っから大嫌いだったんだから!!」

 

 アスカは戦闘馬鹿で、ネギは勉強馬鹿だと散々言い募りながらもアーニャの心の中にあったのは例えようもないほどに大きな喪失感だった。

 二人は幼馴染で、同じ道を歩んだ仲間で、ずっと一緒に暮らしてきた家族だ。石化されていた両親よりも一緒にいた時間は長く、二人と一番共に過ごした時間が長いのは自分だと自信を持って言える。

 良いところも悪いところも、成功も失敗も、敗北も勝利も、日常も非日常も、艱難辛苦を乗り越えて辿り着いた旅路の果てはこうやって別れるのだと分かっていた。

 それでもその時になってしまうと途端に離れることが惜しくなってしまう。辛いことも多かったが、同時に楽しかったことも多く、別れ難い。能力へのコンプレックスと無力感を抱えながら、両親のこととアーニャにも意地があったから自分から共に行くと言えなかった。二人が言ってくれれば一緒に行けたのに。

 

「バカァアアアアアアアア――――ッッッッ!!!!」

 

 大声で叫んでも少年達は戻ってくるどころか、振り返ることすらなく霧の向こうへと消えていく。

 叫び通しで乱れた息を整えながら浮かんできた涙をゴシゴシと乱暴に服の裾で拭ったアーニャは、今はもう誰も見えなくなった霧を見て「馬鹿……」と静かに呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日もこの地、ウェールズの空は晴れていた。浮かぶ雲は水面に揺蕩う花弁のような、薄く、小さなものばかりで、真夏の太陽は何に遮られることなく地上を、一面、緑の草原を熱く色鮮やかに照らしている。

 地平線の彼方まで続き、熱気を含んだ風に揺れる風景は波を連想させ、その様はさながら緑色の海のよう。

 広い草原のあちこちには人よりも大きな石が立っており、海と見間違う者は決していない。見る者が見ればストーンヘンジと分かる場所に五十人を超えるか超えないかぐらいの人の姿があった。

 これから魔法世界に行く者達がストーンヘンジらしきものがある少し開けた場所に集まっているのだ。

 近くを小川が流れ、地面は雑草によって緑の絨毯となっている。暖かな陽射しは草の一本一本を際立たせ、風にそよぐ緑の波は心地良い自然のベッドを連想させる。風は穏やかで、やや陽射しは強いが透き通るような青空は、見る者の目を吸い寄せ、心に一瞬の空白を作り出してしまうほどに、深く、清く、美しかった。

 風が流れ、草木のざわめく音が聞こえる。暖かな陽射しとは裏腹に、ここには冷えた空気が流れていた。離れた場所には小鳥の囀りが聞こえ、太陽の光が柔らかく辺りを照らし出していた。

 

「ドネットさん、出発まで後どれぐらいありますか?」

 

 空気の清浄さに深呼吸をしたネギが此処に案内してくれたドネットに訊ねる。

 

「そうね、一時間ってとこかしら」

 

 腕時計を見て時間を確かめたドネットの発言に、予定よりも早く着いたのだなと考えているネギの横にバスケットを持ったのどかがやってきた。

 

「お二人とも朝ご飯食べてないですよね。茶々丸さんと木乃香さんと夕映と私でサンドイッチを作ったんですけど、食べませんか?」

 

 墓参りをしてから合流することになっていたスプリングフィールド兄弟に朝ご飯を食べている時間が無かったので朝食を抜いていた。気を利かしたのどかが図書館島探検部三人で早起きして作ってくれたサンドイッチが入ったバスケットを開く。

 

「え? あ、ありがとうございます。お腹が減っていたので助かります」

「茶々丸さんが夜の間に下拵えをしてくれたので多めに作ってありますから、皆さんもよかったらどうぞ」

 

 芳醇な香りに空腹を刺激されたネギがお礼を言い、のどかが勧めている横で座って食べられるように木乃香と刹那が床にビニールシートを敷いている。

 

「よかったの? アーニャちゃんを置いて来て」

 

 ビニールシートには座らず、近くにあった手頃な石に腰かけて茶々丸が持って来てくれたサンドイッチを抓んでいるアスカに明日菜が躊躇いを含んだ様子で話しかけていた。

 

「ようやく両親が戻って来たんだぞ。いいに決まってるさ」

「でも……」

「今生の別れってわけじゃない。一ヶ月して戻って来たら嫌でも顔を合わせるんだから大したことじゃあない」

 

 そう言うアスカが少し無理をしているようで心配だった明日菜だったが、たかだか一ヶ月の魔法世界の旅行に必ずしもアーニャが同行しなければならない必要性を上手く説明できなくて口をまごつかせた。

 

「気にしてくれて、ありがとな。でも、大丈夫だ。俺も、ネギも、アーニャもな」

 

 ゴクリと口に中にあったサンドイッチを呑み込んだアスカが笑いながら言われたら明日菜にはもう何も言えない。

 

「このゲートって頻繁に開くのですか?」

 

 知識欲に駆られた綾瀬夕映がドネットに質問している声が耳に入って、明日菜もそちらに耳を傾けた。

 

「いいえ、良くても一週間。調子が悪ければ一ヵ月に一度しか開かないわ」

「ほえ~、それやったら交流が無くなるのもしょうがないんかな」

「確かに鎖国って感じだな」

 

 与えられた情報をメモしている夕映の横で、エヴァンジェリンの講義で聞いたことを思い出して納得する木乃香と、日本の歴史に出て来たような状態にあるものかと千雨もサンドイッチを齧りながら同意するように頷く。

 

「けど楽しみやな、魔法の国かあ」

 

 関西にいたら一生行くことのなかったであろう地に足を踏み入れ、多くの強敵と戦うことを楽しみとしている小太郎は期待に胸を膨らませている。

 やがて朝食を摂り終えた一同は、ゲートが開く時間になるのを今か今かと待ち続けた。そしてドネットがスッと立ち上がる。

 

「もう直ぐ時間よ。行きましょうか」

 

 広げていたビニールシートを片付け、ドネットの先導に従ってゲートへと向かう。ふと途中でアスカが空を見上げると抜けるような青空が広がっていた。漂う白雲は空の青さを際立たせ、燦々と降り注がれる光は緑の大地に生命力を与えている。

 柔らかな陽射しだった。ざっざっ、と草を踏み分け、小高い丘を昇っていく。鮮やかな緑が眩しく、草木の匂いが鼻先を擽った。チチチと小鳥の囀りが耳に心地よい。

 ゲートに近づくと、既に先客が集団となってその時を待ち受けていた。

 

「この第一サークルの中に集まっていてね。あと数分でゲートが開くから」

 

 巨大な魔力を収束させるパワースポットの上に立ち、巨石によって描かれた陣により、魔法世界と旧世界を繋げる世界に数少ない一つに留まり、時間が来るのを待つ。

 この地は野晒しではあるが、その辺の空港の警備やチェックよりも厳重になっている。この地に入れる者がいたとしたら、エヴァンジェリンのような世界最強クラスの魔法使いか、或いは人外の領域に足を踏み入れている者しかない。ここにいる者達も各々が感知の術式や術法を張り巡らしているので、まさしく下手人が入ることはありえない。しかもこの場には優れた魔法使いであるネギと異常なまでの感知能力を持つアスカもいる。

 

「変な奴はいなさそうだな」

 

 ゴクリと唾を呑み込んで待っている一同の中で探知に何も引っ掛からないことに安堵したアスカが肩から力を抜く。

 

「茶々丸、なんか引っかかるか?」

「いえ、レーダーには反応ありません」

 

 アスカが茶々丸に聞いているとゲートが開く時刻になり、どこからかカラーンカラーンと鐘の音が鳴り響く。

 同時にアスカ達の足元から魔法陣が微光を放ちだした。それらは乱反射して複雑に宙で絡み合い、やがて全体に覆いかぶさるように半円形の光のドームを構築する。

 

(髪が逆立ちそうな変な気分だ)

 

 敏感すぎるアスカの感覚には静電気が全身に纏わりついて包み込んでくるようなのを感じた。

 と、瞬きする間もなく、視界が歪み、天地が逆転し、床の魔法陣が噴出した焼きつくような光芒に全てが白色化した、次の瞬間、世界が、ぱっと解けた。極上のシュールがどんなに小さく小さく畳まれていても、軽く一振りするだけで皺一つなく広がるように。そして、何時しか足がまた硬い地面を踏みしめているのが分かった。

 

「あれ?」

「もう着いたんですか?」

「ええ、到着よ――――ようこそ、魔法世界へ」

 

 夕映や千雨が困惑している様を、校長の用事等でよく魔法世界に渡るドネットは含み笑いをしながら疑問を肯定する。

 世界を超える感覚は、夢に落ちる時のそれに似ている。ふっと気が遠くなったと思ったら、何時の間にか世界が切り替わっていて、視界の全てが絵本のページを捲るみたいに激変しているのだ。

 

「大丈夫ですか、みなさん」

 

 ガイノイド故に違和感を覚えなかったらしい茶々丸が全員の容態を確認していく。その中でゆっくりと落ち着いてゆく景色を、ネギ達は見分けた。

 

「本当に別の世界なんやね」

 

 木乃香の眼から、焼き付けられた強烈な光線の緑がかった残像が除かれると、そこには、別世界が広がっていた。

 先程までいた岩以外何もなかった開放的な空間ではなく、どこかの巨大な建物の内部にいるらしく四方が壁に囲まれている。足元は草原ではなくストーンヘンジのような物を設置している円形の台座で、もしも下を覗こうとすれば千雨などはあまりの高さに目が眩んだことだろう。

 木乃香達がいる円形の台座から橋のような通路が四方八方に伸びていて、五芒星が描かれた別の円形の台座に繋がっていた。その地球の建築とは明らかに異なる建築様式に、魔法世界を初めて見た少女達の口から感嘆の溜息が零れ落ちた。

 

「ここ、ドコや?」

「魔法世界側のゲートだと思われます。場所が変わっていますから」

「正確にはゲートポートいう名前の施設よ。空港みたいなイメージで捉えてくれれば良いわ」

「へぇ」

 

 さっきと全然違う近代的な場所に立っていることに気づいた木乃香が辺りを見渡し、転移したのだと感じ取った刹那がもう魔法世界に来たのだと告げる。

 ドネットが付けたしてくれた説明に木乃香は感心したような声を上げる。

 

「酔いそうな感覚だったな」

「なんや、アスカ。あの程度で弱っとんのか」

「ほざくなよ、小太郎。ちょっと変な感じがしただけだ」

 

 揶揄ってきた小太郎に皮肉を返しながらアスカは深呼吸をして肺の空気を入れ替える。

 未だ五感が馴染めていない。その事実もあって、彼は慎重になっていた。ゆっくりと――――力を込めて、指の形を歪めていく。数秒を要して拳を作り、彼はまた、それを、さらに倍する時間をかけて開いていった。指は動く。その感触にすら新鮮さを覚える。

 

「転移とは便利なものでござるな」

「国と麻帆良にも繋いでもらると助かるアル」

 

 便利さに故郷が遠い古菲はゲートがあると帰郷が楽でいいのにと不満を漏らし、楓が慰めるようにその肩をポンと軽く叩く。

 田舎育ちが都会に来た直後のように落ち着きのない仕草で周囲を見回す一同に、クスリと笑ったドネットがある方角を指差した。

 

「あそこを上がれば入国手続きを始める前に街を眺められるわよ」

「うちらで手続きしとくから、みんなは見てきてくれたらええで」

 

 ドネットが展望テラスを指差すと興味があった者達が次々と見に行く。行かなかったのは、近衛名義ゲートポートの登録申請をしたので入国審査に赴かなければならない木乃香と付き添いの刹那、ネギに茶々丸ぐらい。

 残りの面々が展望テラスに到着するとそこにはメセンブリーナ連合の盟主メガロメセンブリアの光景が映る。それは圧巻の光景だった。のどか達が足を踏み入れたのは、科学と魔法が入り混じって一体となった空間。

 

「うわぁ」

「すっごーい」

 

 と、のどかが感嘆の声を上げて、夕映が目を輝かせた。窓際に詰め寄った古菲も、目の前に広がる景色に感嘆して吐息交じりに漏らした。

 

「これは凄いな……」

 

 壮観な光景を眼にして、小太郎が呆然と呟いたのを楓も聞いていた。しかし、誰もが同じ気持ちで彼を馬鹿にする気にはなれない。圧倒的な光景に奪われれば、自然と言葉は無くなって。後にはただ、感嘆だけが残される。

 そんな幻想の世界を、これまた奇妙な船が行く。広く張り出した翼、造波抵抗を完全に無視した全体の形状。そして何よりも奇妙だったのは、その船が空中を音も立てずに進んでいる点だろう。

 

「どうだ、魔法世界は」

 

 陶酔しながら見知らぬ世界に見入る彼女らの背後で落ち着いた声がした。聞くなり、少女らは振り返った。そこにいたのは悪戯が成功したかのように笑うアスカと、その横で苦笑する明日菜の姿。

 そこでようやく自分達が小さな子供のようにはしゃいでいることに気づき、顔を赤くしたりそっぽを向いたりする。

 その中で千雨は鼻を鳴らして、「現実と変わんねぇな」とつまんなさ気に言い切った。

 

「この街並を見りゃ分かる。ここにゃ、夢もメルヘンもねぇな。多分、現実と同じ厄介でメンドイ世界が広がってるだけだぜ」

 

 千雨にとっては魔法の世界と呼ばれるに相応しい光景であっても、実際にそこに暮らしている人にとっては他人がどれだけファンタジーに見えても現実と何も変わらない世界が広がっているのだと斜に構えた物の見方で悟っている。

 まだ幾分か離れているにも関わらず、圧巻されるような街の光景なのは間違いない。元の世界にはない、空には幾つもの鯨や鯱といった海の生物をモチーフにした飛行船が飛び交い、桁外れな光景に言葉を失っていたのは事実であるが、物理法則を簡単に無視するアスカが身近にいたことで耐性がついていた。現実的な観点で考えれば物語のような皆がメルヘンで仲良しな世界などありえないと知っている。

 

「二十年前に戦争があったぐらいだからな」

 

 千雨の言に同意しながらアスカの視線はメガロメセンブリアの街並ではなく、展望テラスの中央に鎮座している一つの石像に向けられていた。気になった明日菜が隣に並んで一緒に見上げる。

 

「これは?」

「…………この魔法世界最古の王家だったオスティアの初代女王アマテルとその騎士らしいぜ。仮契約(パクティオー)制度の元になったって言われてる二人だ」

 

 明日菜の問いに、一瞬の逡巡と思考を覗かせて答えたアスカの声音にはそれだけではない感情の色が読み取れた。

 

「へぇ……」

 

 明日菜も不思議な既視感を覚えて二人で並んで石像を見上げる。

 

「そう考えると明日菜の姉ちゃんとアスカって逆やな」

 

 斜め横で同じように石像を見上げた小太郎は二人を見て含み笑いを漏らす。

 

「逆?」

 

 分からなかったらしく、一緒に首を傾ける動作までシンクロしてる二人に他の面々も笑いを堪えている。

 

「女騎士と男魔法使いって話じゃねぇのか。二人は仮契約ってやつをしてるんだろ」

 

 明日菜の疑問に答えたのは、呆れた様子の千雨が突っ込む。

 

「ああ、そういうことね」

「気付けよ、それぐらい」

 

 と言われても、案外そういうことに気づかないのは本人達の方が多い。言われてようやく納得した明日菜に対して本性を隠す必要もない千雨が呆れ気味に呟く。

 

「これから街に出るのでござるから、見るのもこれまでとして向こうから呼びに来る前に戻らぬでござるか?」

「そうやな。嫌でも何度も見ることになるんやし、行こうや」

 

 楓が提案し、小太郎が同調して真っ先に動き出したことで街の観覧もここまでとして入国審査に向かう雰囲気が出来た。

 のどやかや夕映は些か名残惜し気であるが、小太郎の言う通りこれから何度も見るのだと自分を納得させて後に続く。千雨も後に続こうとして、ふとまだアスカが像の前に立っていることに気が付いた。

 

「オスティア、か」

 

 アスカがそんなことを呟いていたのが妙に千雨の耳に残った。

 

「アスカ?」

「ん、今行く」

 

 千雨が声をかけると、アスカは頭を掻きながら振り返って展望テラスの入り口に向かってくる。その姿にどこもおかしな気配はなく、千雨もアスカがアーニャなしで魔法世界に来て少しはナーバスになっているのだろうと気にしないことにした。

 アスカの隣を歩きたいらしい明日菜が先で待っていて、なんとなく三人でネギ達がいる入国審査局へと向かう。

 

「そういや、ここを出たらどこに行くんだ?」

 

 聞いた覚えはあるのだが、知らない地名が出て来たこともあってよく把握できていなかった千雨がアスカに聞いた。

 

「まずは夕映をアリアドネ―に送っていくことになってる」

 

 夕映の希望である一ヶ月だけの体験留学の為、最初にアリアドネ―に送り届けることになっていた。しかも、先方からはアスカとネギが一緒でなければ留学は認めないと言われているので、先にアリアドネ―に向かってから別の場所を回ることになっている。

 

「夏休みまで勉強したいなんてアイツの考えることはよく分からん」

「体験留学だっけ? 夕映ちゃんもよくやるわよね」

 

 エヴァンジェリンに仕込まれたが基本的には勉強が嫌いなアスカと、同感な思いの明日菜は夕映の考えていることが理解できないらしい。

 

「その後は?」

 

 千雨としても勉強が好きな方ではないが、知りたい・何かをしたいという欲求には理解があるので二人には同調せずに先を促す。

 

「先方の希望で一週間ぐらいは滞在することになってるらしい。アリアドネ―は学術都市って呼ばれてぐらいだからネギも興味があるらしいし、俺も少し興味あるしな」

「勉強には興味ないんじゃないのか?」

「ないぞ。ただ、十年前から始まったっていうナギ・スプリングフィールド杯の優勝者と手合せしてくれる言われたら断れないだろ」

 

 また知らない単語、というかアスカは理解できているが千雨には分からないことが出て来た。

 

「ナギ・スプリングフィールド杯って何? 始めて聞いたけど」

 

 明日菜も知らないらしく、眼鏡の奥で眉間に皺を寄せていた千雨の代わりに聞いてくれた。

 

「十年前に行われた拳闘大会…………平たく言えば個人のステゴロ世界一を決めようって大会で、前年度優勝者のガトー・ラリカルがアリアドネ―にいるんだよ。十年ごとに開かれてる大会で今年も開催されてるらしいんだが流石に出れねぇよな」

 

 二人と違って魔法世界に情報網――――正確に言えば魔法世界に繋がっている情報媒体『まほネット』と情報通であるアルベール・カモミールから仕入れているのである。

 

「アンタ達、上手いこと担がれてない?」

「二人の性格を知っている誰かが引き止めようとしている気がするぞ」

 

 ネギとアスカの性格を知っていれば簡単に餌として撒くことは可能だろう。強さを求めるアスカに十年前とはいえ世界一の相手と模擬戦を、夕映に負けない知識欲があるネギには知識で釣ろうとしている辺り、二人の性格を熟知している誰かの手を感じた。

 

「仕方ねぇさ。俺達は殆ど知られてねぇけど英雄である親父の息子なんだ。木乃香もそうだしな。向こうからしたら繋がりを作っておきたいんだろ」

 

 不安になった二人がアスカを当の本人はあっけらかんとした様子で肩を竦めていた。

 

「向こうのトップも戦争経験者で俺達の両親についても知ってるらしい。一週間の滞在になるけど、メリットも多い。妥協するところは妥協しないとな」

 

 世界間渡航をして魔法世界に慣れるまでは同じ場所にいた方が良いし、学ぼうとする意志と意欲があるなら人種・種族を問わずに受け入れるアリアドネ―ならば、違う種に対する差別も少ないはず。

 仲間内では殆ど見たことがない亜人種に対する慣れも必要で、相手が友好的で出した条件がよほど不快でなければ受け入れた方がメリットも多い。

 

「意外……」

「ああ、アスカがそこまで考えてるなんてな」

「おいおい、お前らは俺をどう見てんだよ」

 

 目を丸くしている明日菜や感心している様子の千雨に肩透かしを食らうアスカが呆れて問うと、二人は一度顔を見合わせた。

 

「戦闘バカ」

「女の敵」

「常識知らず」

 

 歩くフラグ製造機……etcなどと次々と二人が普段からどう思っているのかが出て来て、アスカは不貞腐れたように歩く速さを上げた。慌てて二人が後を追う。

 

「ゴメンって」

「悪かった」

「もういい」

 

 ああだこうだ、と言っている間に入国審査局に辿り着いた三人は、先に行っていた小太郎達を探すとカウンターのところで木乃香達が手続きをしているのが見えた。他にも手続きをしている人がいるらしく入り口の横で小太郎達がいたので、そこに一緒に待つことにする。

 

「あれ、ドネットさんは?」

 

 メルディアナから案内してくれたドネット・マクギネスの姿が見当たらず、明日菜はネギ達から離れてやってくる茶々丸に問いかける。

 

「入国審査の最中です」

「え、ここでしてるんじゃないの?」

「旧世界から魔法世界への渡航の際には別途、手続きなどが必要とのことで別室に」

 

 ふーん、と明日菜が納得をしている間にカウンターで何やら書類などにサインをしているらしい木乃香達の方が大詰めを迎えているようだった。

 

「では、近衛木乃香様。杖、刀剣等武器類はすべてこの封印箱の中にあります」

 

 審査は順調に終わったようで、ネギの杖やアスカの黒棒、刹那の夕凪から楓の武装、各自の仮契約カードを渡航前に入れておくように指示されていた箱がカウンターに置かれた。

 

「強力な封印でゲートポートを出ませんと開錠出来ませんのでご了承ください」

「はいな。こんな小さな箱の中に全部入ってるんやなぁ」

 

 木乃香が荷物の受け取りにサインをしながらカウンターに置かれた箱をしげしげと眺める。

 

「空間拡張の魔法がかけてあるんですよ。だから僕達の荷物ぐらいならば全部入ります」

 

 ネギがカウンターから箱を手に取って、こういう封印系や空間系の魔法を殆ど習得していないので物珍し気に目をダルマのようにしながら裏返したりして封印具合を確認する。

 

「メガロメセンブリアでは武器類の形態に許可証が必要になりますので、手続きをお忘れなく…………あの、失礼ですが近衛様。握手をお願いできますか?」

「え?」

 

 事務的に話していた審査局担当官の女性からいきなりそんな申し出があって、木乃香は目を白黒として驚いている様子だった。担当官の発言に刹那がピクリと反応する。

 

「お父様のサムライマスターのファンなもので」

 

 握手を求められる理由が分からなくて木乃香が近くにいた刹那に助けを求めると、担当官の女性は剣呑となろうとした刹那に慌てて手を振ってそう言った。

 

「そうなら」

「ありがとうございます」

 

 困惑した様子の木乃香が相手に害意がないと判断して握手に応じる。担当官の女性は業務中にいいのかと思うぐらいに満面の笑みになって握手していると、その近くでは他の担当官たちが少し羨ましそうに見えていた。

 

「これも有名税か」

 

 次々と握手を求められている木乃香の姿に日常との違いを感じた千雨は先程のアスカの言に納得を覚えていた。庶民レベルでこうなのだから権力者ともなればどのような対応をとるのかが一中学生の千雨に想像がつき、ふと隣に立つアスカの姿に疑問を覚えた。

 

「なあ、近衛だけじゃなくてアスカとネギ先生も立場は同じなんだろ。なんでお前らは握手を求められないんだ?」

 

 しかも、聞いた話ではアスカとネギの父親の方が木乃香の父親よりも人気がデカいと聞いていたので千雨の疑問も当然と言えた。

 

「俺らの両親は戸籍上では叔父さんと叔母さんになってるからな。血縁ていっても甥じゃあ、他人みたいなもんなんだろ」

「ということは、ネカネさんが本当のお姉さんってことになってるの?」

「戸籍上はな。詳しい話はまた今度だ」

 

 話が話だけに小さな声のアスカから告げられた内容は十分に明日菜と千雨の度肝を抜くに相応しい内容だった。このような衆人環視の中で出来る話ではないのだろうと納得して手続きが終わるのを待つ。

 ほどなくして全ての手続きを終えた木乃香達がアスカ達のところへとやってくる。

 

「終わったで」

 

 旧家で家柄が良い木乃香はお嬢様扱いには慣れてはいても、まさか握手を求められることなど今までなかったので変わった対応した分だけ少し疲れているようだった。

 

「ご苦労様」

「本当に驚いたわ。今まであんましお父様が有名人っていうこと分からんかったけど、みんなに慕われるぐらい活躍したんやな」

 

 常のポワポワと雰囲気を崩すほどに担当官の女性達の握手合戦の影響が響いているらしい。ねぎらう明日菜に凭れかかるなど、彼女にしては珍しい甘える仕草を見せる。

 入り口に十人近くもタムロしていると邪魔になるので、ゲートポートへと戻りながら話をする。

 

「直ぐにアリアドネ―行きってあったのか?」

 

 これは次のゲートポートが開く時間を木乃香に聞くのは無理だと判断したアスカは、丁度近くに来たネギに訊ねた。

 

「第三ゲートに一時間後だって。ちょっと時間が空いちゃうね」

 

 空間拡張がかかっていても重量までは減るわけではない。物が多いだけに重そうに抱えているネギから片手で封印箱を抜き取ったアスカは微妙な時間に、「確かに」と頷いた。

 指の上で封印箱をクルクルとボールのように回しながら、メガロメセンブリアに繰り出すには短すぎる時間をどうしようかと考えていると、明日菜が封印箱を変わりに持とうとして手を伸ばす。

 

「明日菜さんが持つと封印処置が外れませんか?」

「どうでしょう?」

 

 明日菜が手を伸ばしたことに気づいた刹那が魔法無効化能力で封印処置が外れないかと考えたが、はたしてそこまで適応されるのかとネギにも分からない様子だった。そこまで言われたら明日菜も責任が持てなくて伸ばしかけていた手を戻す。

 封印箱を指の上でボールのように回していたアスカは、小太郎に回転したまま封印箱を投げると彼もアスカと同じようにボールのように回し続ける。

 

「時間前に集まることにして後は自由行動にでもするか」

 

 決まった時間にしかゲートポートは動かず、転移に乗り遅れたからといって引き返すことも出来ない。集まる時間を決めて一時解散にすることをアスカが提案する。

 

「そうしよっか。じゃあ、十五分前集合で――」

 

 ゲートポートの入り口を潜りながら、トイレ休憩とでも思うことにして一時解散をネギが宣言し掛けたところで後ろから思いっ切り突き飛ばされた。

 突き飛ばしにネギはバランスを崩しながらも、入り口に繋がっている階段の下に着地する。

 

「アスカ、何を……」

「敵やと!?」

 

 突き飛ばしたアスカに文句を言おうとしたところで、小太郎の一喝するかの如き鋭い声が耳に入って瞬時に意識が変わる。

 膝をつきながらネギが顔を上げると、のどか・千雨・夕映・木乃香をそれぞれ抱えた古菲・茶々丸・楓・刹那がゲートポート入り口から一斉に飛び出してくるところだった。直後に封印箱を持った小太郎と明日菜が続いて、最後にアスカが飛び出して来た。

 

「僕達に気付くとは、どうやらあの時よりも随分と腕を上げたようだね、アスカ・スプリングフィールド」

 

 誰だ、とネギが誰何するよりも早く背筋に感じた寒気がその声と同時に訪れ、声の主から放たれた石の槍が襲う。

 瞬動で移動したアスカがネギの目の前に迫っていた石の槍を砕き、その身体を掴んで入り口から離れる。

 

「ボサっとするな、ネギ」

「ご、ゴメン」

 

 瞬く間に展開が変わって意識が追いついていないネギはアスカが険しい顔つきでゲートポートの入り口を睨み付けていることに気づき、倣って顔を向けると光の加減で姿は見えないがそこに誰かがいるのは感じられた。

 

「ハワイ以来か、久し振りと言った方がいいのかな」

 

 カツカツ、と足音を鳴らして現れたのはアスカ達と同じような白いローブを纏った少年。

 

「フェイト・アーウェルンクス」

 

 アスカが忌々し気に少年の名前を呼ぶと、フェイトはローブを取り外して捨てた。

 フェイトとアスカが顔を合わせるのは、これが三度目のことになる。二人が視線を交し合ったのは、実質ほんの二、三秒であろうか。かねてからの計画の実行する者と、その計画に偶々巻き込まれただけの者。運命に翻弄されるように三度出会った二人。

 誰も何も言わない、言えない。誰も動かない、動けない。揺るがずに、たじろがずに。

 この騒ぎは当然、ゲートポートにいる全員に直ぐに知れることになり、急いだ様子の警備兵が現れて物々しくなった空気に更に事態が急変する。

 

「お、おい! 君達、なにを騒いで……」

 

 一番近くにいて駆けつけるのが早かった一人の警備兵がアスカとフェイトの間に立つようにして割って入りかけたところで、「雷光剣」と小さな声が聞こえてフェイトの後ろから飛来した雷撃が直撃した。

 雷撃が直撃した警備兵が悲鳴を上げて倒れるよりも早く、フェイトの後ろから飛び出した二つの影が上空に舞い上がり、幾つもの雷撃と影が降り降りる。

 

「ちぃっ!」

 

 アスカとネギが先頭に立って魔力で障壁を張り、小太郎達も気で補助する。

 雷撃と影を警戒していたパーティーは完璧に防御するが、不意打ちに対応が遅れた警備兵達に次々と直撃して、空を飛んでいた者は落ち、全員が等しく地に伏したまま動かなくなった。他に動く者がいないことを確認して、雷撃と影を放った二人がフェイトの近くへと降りる。

 立っているのはアスカ達とフェイト達だけで、警備兵も一様に優れた魔法使いなので死にはしていないが深い傷を負って気を失っており、直ぐに動ける状態ではない。

 フェイトの近くにゴスロリを纏って立つ一人、二刀流剣士に刹那は会ったことがある。それどころかハワイでフェイトと行動を共にしていて刹那を剣を交わした剣士だ。

 

「月詠……!?」

「どうもです、センパイ」

 

 軽く挨拶をする月詠を、近くに立つ黒いローブを身に纏いフードと仮面で顔を隠す人物がジロリと見るが何も言わなかった。

 アスカは少なくとも敵はこの三人と感じる気配から判断して、敵の首魁らしいフェイトを見る。

 

「おいおい、俺達を狙ったにしては随分と過激じゃねぇか」

 

 微かに聞こえる警備兵の呼吸音からあまり時間をかけるのは得策ではないとアスカの頭の中で、この状況に対する打開策が構築されていく。

 

「それは誤解だ。君達に会ったのは全くの偶然に過ぎない。何時かは、とは思っていたけど、まさか君らがここにいるとは考えもしなかったよ。君達の手配した者は随分と安全と情報管理に気を配っているみたいだね。僕ですら、ここに来るまで君達が来ているとは知らなかったんだ。僕達の目的は、このゲートポート。本当に、君達は今回は無関係だ」

 

 相変わらずの人形染みた無表情でフェイトはアスカの言を否定する。

 

「全ては不慮の遭遇ってか」

「不幸な事故だよ、君達が巻き込まれたのは。今日が旧世界とゲートが繋がるからこそ襲撃の日に選んだのに、まさか君達がいるとは思いもしていなかった。見逃せるならそれでも良かったんだけど、こちらにも都合があってね。念の為に言っておくけど、外部からの応援は望めないよ。仲間が結界を張って外部と隔絶したからね」

 

 皮肉を飛ばすアスカにフェイトは否定しなかった。彼にも運命が齎したこの皮肉を嘲笑っていたのかもしれない。

 

「駄目だ、外ともドネットさんとも連絡がつかない。かなり強力な結界が張られてる。発動媒体がないと無理に通すのは不可能だ」

 

 アスカの背に隠れるようにして念話を行っていたネギが悔しそうに言った。

 救援が来てフェイト達が直ぐに逃げる可能性はこれで消えた。外でも直ぐに中と連絡がつかないことに気づくだろうが、結界を破壊しなければならないとなれば相応の時間が必要になる。

 

「お前達は皆と一緒に警備兵を連れて逃げろ。俺が時間を稼ぐ」

 

 聞き逃してしまいそうな小声で告げられたアスカの作戦に、ネギは否と言いかけて自分の手には杖もえヴァンジェリンから譲り渡された魔法発動媒体も何もないことに気づく。

 魔法発動媒体が無くても中位以下の魔法ならばネギもアスカと同じく放つことは出来るが、魔法使いらしい魔法使いであるネギと違ってアスカの方が戦力低下は低い。例え発動媒体が無くてもこの中で単体最高戦力は間違いなくアスカだ。外から結界を破って救援が入るまでに敵の足止めをするとしたらアスカがするしかない。気を主体とする小太郎と古菲は特に武器も無く戦力の低下はないが、戦えない者や警備兵を逃がそうと思えば護衛がいる。

 倒れている警備兵と仲間内での現在の戦力分布を考えればアスカが足止めをし、残りが撤退するのが最適。

 

「ハワイでの借りをまとめて返させてもらうぜ!」

「君には無理だと思うけど?」

 

 相変わらず無表情で告げるフェイトに対し、アスカは反対に大袈裟とも思えるほどに感情的に吠えている。

 もう作戦は始まっている。ネギは後に引くことを許されなかった。

 

「「…………」」

 

 アスカとフェイトは、相手の真意を探り合うような目つきから、次第に余計な感情や打算が削ぎ落とされていく。視線によって繋がった相手は自分と同類―――――晴らしようのない情動に取り憑かれて選択肢を狭められた手合いだと分かってしまう。より純粋に、複雑に絡み合った因果が、たった一つの繋がりへと収束されていく。

 互いに感じている不快感は消えず、高まる闘気が物理に作用して二人の間の通路に地面に亀裂が入り、小さな石礫がパンッと音を立てて弾け飛ぶ。

 

「行くぜ!」

「来なよ」

 

 心中に蟠る憤りを晴らすように、二人は全く同時に縮地で前に出た。同時にネギに指示された小太郎達も動く。

 小太郎と楓が分身して一部は警備兵を回収し、一部はローブの人物と月詠に強襲を仕掛け、本体は殿を務める。ゲートポートの出口はフェイトらに抑えられているから展望テラスに行くしかない。

 血気に逸ることが必ずしも良いとは限らない。寧ろ、戦いの場において冷静さを欠くというということは死への近道である。だが、二人は血気に逸っていても冷静さを失ってはいなかった。

 足裏に力を集め、武術の技術も駆使して彼我の距離を一瞬でゼロにして、目の前にいる敵に拳を振るう。

 

「「!」」

 

 放った渾身の攻撃の威力は全くの互角、激突によって生じた衝撃波によって弾き飛ばされる。

 すぐさまアスカは体勢を整えながら空中で瞬動――――虚空瞬動を行って一気に彼我の距離を詰め、繰り出したのは左右の拳のラッシュと蹴りを交えたコンピネーション。

 

「む……」

 

 成す術もなく全段命中したと思われたフェイトの体が水となって弾ける。

 

(幻影!)

 

 アスカは即座に右のバックハンドで裏拳を繰り出し、背後に出現したフェイトに向けて放つ。しかしこれは掲げられた腕によって防がれた。

 それはこちらも予測済み。そのまま身体を右下へ巻き込むように捻り、振り下ろす軌道で左蹴りを放つ。だが、アスカの蹴りは虚空を凪いだだけで終わった。見れば背後にいたはずのフェイトの姿が数メートル先にある。最初の一撃を受けた後にバックステップを入れていたのだ。

 

「逃がすかっ!」

 

 アスカは再び前へ出て、フェイトを追いかける。

 左右にフェイントをかけつつじわじわと近づき、ある一瞬で一気に間合いを詰めて鋭く左を打ち込んだ。払われたが、その時には左足を振り上げて頭を狙っていた。

 視界の死角から突如として現れた左足をフェイトは危なげなく受けたがアスカの右拳が腹部目掛けて飛んでいた。それも腕で受けられた。頭と腹を狙っての二連撃。フェイトは身を逸らして躱し、アスカの拳を掴もうとした。

 相手の意識が上半身に引きつけられたところを狙って、アスカは受けられた左足を叩きつけるようにしてフェイトの膝を斜め上から蹴りつけた。

 

「ぬぅ――っ」

 

 膝を蹴りつけられたフェイトの口から唸り声が漏れ、彼は崩れた――――――と思ったがそれは見せかけに過ぎなかった。苦し紛れに手を付いた思わせて倒立して、そのまま全体重を乗せた浴びせ蹴りが襲ってきた。

 

「見え見えの下手な演技だ」

 

 アスカも蹴りつけたにも関わらず薄い手応えから一連の動作がフェイクであると見抜いていた。浴びせ蹴りをバックステップで避け、足が眼前を通過した直後に踏み込んで体重を乗せた拳を放つ。

 倒立前転をしている形になるフェイトは危なげなく両手で受け止めたが、まだ体が空中にあって踏ん張りが利かず拳の勢いに押されて激しく退かされる。  

 

「人の所為にされては困るな。君の攻撃が温すぎる所為だよ」

 

 鳥が木の枝に降り立つように軽やかに階段の中段に着地したフェイトはダメージを負った様子も無く応えた。

 

「ほざいてろ!」

 

 突き出した拳を戻しもせず、踏み込んでいた足を軸にして神速の速度で踏み込んでいた。

 フェイトは膝でカウンターを取ろうとしたが躱された。飛んできたアスカの裏拳を裏拳で受け、逆側から手刀が飛んだが膝を落したことで服を斬り裂くに留まった。

 肩の上にある手を掴んで逃げなくして、極間近にある足を踏みつけようとしたがアスカは避けるどころか更に踏み込んできた。フェイトからすれば掴んだ腕はそのままなのに肘が抉りこんでくるような錯覚を覚えたことだろう。

 しかし、フェイトはこれすらも予測していたのか手を掴んでいない方の手で肘を受け止めた。 

 

「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 フェイトが押しのけようと踏ん張るよりも早く、アスカは更に腕に魔力を流し込んで全身から白色の輝きを迸らせた。腕全体の筋肉が服の上からでも盛り上がるのが逃げながら見ていた明日菜達からでも分かった。

 

「ぬぅ、む!?」

 

 アスカのパワーに押され、フェイトの体が浮いた。パワーに対抗することに意識を割いて、掴んでいた手から力が僅かに抜けた。その瞬間、

 

「だらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 拘束されていた手から力が僅かに抜けたのを察したアスカが腕を引っこ抜いた。そのまま振りかぶり、思いっきりフェイトの顔面に叩きつけた。

 爆発音かとも思える衝撃音。ゲートポートの全ての音が一瞬掻き消えるほどの音だった。それだけの衝撃がフェイトの細身の顔面に叩き込まれたのだ。フェイトが立っていた階段が一瞬で粉々になり、弾丸のような勢いで壁に激突し、弾き飛ばされて大音響と共にゲートを支えている足場の柱の一つに叩きつけられた。

 

「うらぁ!」

 

 即座に後を追ったアスカが繰り出した右の拳が空を穿った。避けられたのだ。しかし、その拳を引くよりも先に、ぐっと手首を掴まれる。

 

「やってくれたね」

 

 無機質な目とぶつかり合い、振り払う間もなく、アスカは思い切り投げられた。しかし、フェイトの投げは、アスカを地面に叩きつけるものではなかった。その身を遠くへ投げ飛ばす、文字通りの投げだ。

 投げ飛ばしたフェイトの右腕の周囲に三本の岩の塊がキュ、キュ、キュ、と音を立てて生み出されてゆく。岩の塊は瞬く間に体積を増して先が尖っていく。放たれるのは、鋭利な石柱で対象を攻撃する石の槍という上位古代魔法と、魔法障壁を破壊する遅延魔法を同時に発動した複合魔法。

 

「これを受けれるかな」

 

 フェイトが今まさに放った石の槍は、アスカが展開している魔法障壁を容易く打ち破るだろう。

 

「ぐっ……――このっ!」

 

 直感で石の槍を察知したアスカが空中で身体を捻って三本の隙間に潜り込ませ、避けきれない一本を右腕で叩き落す。

 そこへフェイトが襲来する。石の槍を無茶な体勢で避けたこと、右腕で一本を叩き落したことで攻撃を回避する余裕がない。駆け抜けるようにしてフェイトが隙だらけのアスカに向けて右の拳を放つ。それは肩から水平の軌道で発射する最速の一撃。対するアスカは防御を捨てたのか、迎え撃つように蹴りを放って、

 

「「――――っ!」」

 

 互いの拳と蹴りが、刹那の内に交錯する。

 

「がは――っ」

「く――っ」

 

 腹に拳が喰い込んだアスカは肺の酸素を吐き出し、脇腹を蹴られたフェイトが衝撃で苦痛の呻きを漏らす。

 

「…………っ」

 

 展望テラスに逃げ込んだ明日菜の身体を揺らすものがあった。それは大気を振るわせる重低音。明日菜の視線の先で繰り広げられている戦闘――――その激突で生じる衝撃の余波だ。

 身じろぎさせた明日菜が展望テラスの入り口が顔を覗かせた時には、肉と肉が激突する音がゲートポート全体に響き渡り、ぶつかり合う力の衝撃波が人工の雷鳴を轟かせていて思わず両手で顔を庇った。

 大地を踏みしめる脚に力を込め、明日菜はゲートポート内部の空間を見つめ続ける。

 闘っているのはアスカと、そしてフェイトの二人だ。戦闘が始まって一分ちょっと。アスカとフェイトの攻防は止まることなく続いていた。

 

「完全に互角ね……」

 

 明日菜は驚きながらも、その事実に驚きを得る。ハワイでは圧倒された実力差をたった数ヶ月で埋め、両者の強さは伯仲しているように見える。

 まるで磁力で引き寄せられるかのように、何度となく衝突し合っている。際限などないように、無限に続くかのように、両者は空中で火花を散らす。

 明日菜だけに留まらず、この場でアスカの実力を知る者ならば当然の驚きであった。高位悪魔ヘルマン、麻帆良祭の武道会では高畑、ナギ(アルビレオのアーティファクトであったが)、機竜と強豪達を倒してきたアスカの動きにフェイトは完全に対応していた。

 明日菜の眼から見て、アスカが手を抜いているとは思えない。

 アスカが繰り出している拳撃と蹴撃は、そのどれもが一撃必殺クラスだった。もし明日菜があれを喰らえば、間違いなく一撃で意識が飛んでしまうような攻撃。そんな攻撃を繰り出すアスカに対し、フェイトは真っ向から渡り合っていた。腕や脚を使ってアスカの攻撃を防御し、あるものは回避しながら自らも拳と蹴りを繰り出してゆく。

 反対に目にも留まらぬフェイトの拳撃と蹴撃を混ぜた連撃を放ってもアスカは対応していた。体捌きと自らの両手での受け流しを交えつつ、攻撃を防いで時には避ける。避けるというよりも、思うがままに空を飛んでいたら偶々射線から外れていたというように、風に舞う綿毛にも似て機動。

 確かにフェイトは修学旅行で数合のみは渡り合って明日菜では太刀打ちできない実力の高さを実感させられたが、ここまでの実力を持っているとは思ってもいなかった。

 

「まだ早くなるアルか……」

 

 アスカ達の動くスピードが、更に一段上がるのを見て、古菲が短く驚きの声を漏らしたのを聞いた。

 まるで幻想の光景だった。感謝のしようもないほどありがたいはずなのに、自分達などいなくても事態は動き続けるのだと、取り残された気分になった。

 

「ぬ、マズいでござるぞ」

 

 同じように見ていた楓が二人の戦いに乱入する者の姿を視界に捉えていた。

 

「はぁぁぁ!」 

「デュナミス!?」

 

 アスカの背後からフェイトの仲間のローブの人物――――デュナミスが分身を掃討して気合を込めた拳撃を打ち込んでくる。

 フェイトと接近して近距離で攻防を結んでいたアスカの死角である背後からの攻撃。背中に眼のない人間では接近に気づこうとも普通なら避けようもない拳撃だ。だが、軌道上にいたはずのアスカが次の瞬間には消えていた。

 

「なっ!?」

 

 一瞬にしてデュナミスの視界からアスカが消え去った。ありえないことだ。よしんば、背後からの攻撃に気づいていたとしても回避行動への予備動作は一切なかった。

 

「右だ!」

 

 フェイトの叫びでデュナミスは右に視線を向けて初めて蹴りの動作に入っているアスカを見つけた。

 拳を突き出した姿勢のデュナミスは、攻撃を放った体勢であったため回避に移ることが出来なかった。デュナミスは瞬時に回避を諦めると、急所にだけは貰わないように意識を集中して腕を体の横で固めて防御する。

 

「うふふふふふ!」

 

 蹴り飛ばされて勢いよくフェイトがいる方向へと飛んでいくデュナミスと入れ替わるように、次なる乱入者である月詠がアスカへと飛び掛って行く。狙いは蹴り抜いて伸びきった右脚。

 攻撃を放った直後が最も隙を生みやすい。戦う者として論理ではなく直感で理解している月詠はデュナミスの危機を救えたにも関わらず、あまつさえ見捨ててこの絶好の機を求めた。

 月詠にとってフェイトもデュナミスも仲間であって同士ではない。そしてその仲間というカテゴリーも月詠の中では一般とは大分異なる。彼女の中で世界は斬れるか斬れないか、ただそれだけしかない。フェイトらに協力しているのも、その方がより斬れると判断したためだ。斬るためであれば仲間といえど容赦はしない。血に狂った剣鬼の面目躍如か。

 

「あはははは!」

 

 如何に身体強化を施して強靭であろうとも生身で気を通した刃を受けれる者など、広い世界を探しても片手の指にも足りなかろう。当の斬撃を受けるアスカは該当する人間ではない。

 蹴りを放った直後、コンマ数秒にも満たない間での月詠の強力な斬撃には回避も防御も不可能。なのに、アスカは反応して見せた。

 蹴り足の足裏に魔力が集中。見る者が見れば虚空瞬動の前兆であると知れたろう。外から脚を持って振り回したかのようアスカの体が回転する。これで月詠が胴体を狙っていれば別であろうが、足が独楽のように回転して振り下ろされた太刀が目標を失って空振りする。

 回転したアスカは軸足はそのままに一回転して太刀を振り下ろし為に下がった顔面を蹴ろうとする。咄嗟に月詠は持っていた小太刀の峰の部分で受けた。防御というには咄嗟に反応した行動に過ぎず、踏み止まれるだけの足の力を持っていなかった。

 

「君は……っ!?」

 

 バランスを崩した月詠を跨ぐようにしてフェイトが飛び上がりながら憎々しげに吐き捨てた。その視界はアスカのみが占めている。アスカに仲間二人が加勢した事実が彼らしくもなく頭に血を上らせていた。既に彼の脳裏からはネギや少女達のことは残っていなかった。

 些か冷静さを失っているフェイトの視界の中でアスカが空中でバックステップすると、いきなり背後から衝撃が走った。

 

「ぐっ……」

 

 体勢を取り戻した月詠が瞬動をしてフェイトの背中を蹴り飛ばして二人を激突させてゲートを支える柱の一つに叩きつける。激突の衝撃で柱が砕け落ちて、対角線上に位置する柱の一つにめり込んだ。巻き込まれてもアスカを倒すために仕方なかったのだと言わんばかりの躊躇のなさ。

 追って移動している月詠は崩れ落ちていく瓦礫の一つを蹴ってフェイト共々アスカに向けて太刀を振り下ろした。

 

「月詠っ!? 所詮は狂人か!」

 

 ところがその一撃は味方であるはずのフェイトが石の盾を出現させることで防いだ。彼も存在するのすら許せぬアスカを排除するためとはいえ、利用されて纏めて殺されては適わない。

 

「ぐぅっ」

 

 月詠が全力であろうとも防御に優れたフェイトの防御は突破できない。決戦奥義ならば別だが、ただの気を込めた程度の斬撃では石を僅かに削るのみ。

 

「仲間割れとは結構なことだ」

 

 フェイトが防御に移ればアスカの手が空く。しかも攻撃は敵であるフェイトが防いでくれるので助かることこの上ない。

 意識が背後にいっているフェイトの腹部にゼロ距離崩拳を全力で叩き込む。この一撃を放つまでの一連の動作は月詠がフェイトの石の盾に一撃を当てた瞬間には完了しており、即ち瞬きほどの時間でもアスカから意識を離したフェイトに防ぐことは不可能である。

 

「ぐあ」

 

 目から火花が散ったような痛みに、口から胃液を吐いて呻くフェイト。バランスを崩し、前のめりに倒れそうになったが、ぐっと足に力を込めて押し止まる。アスカの攻撃はフェイトだけに留まらない。気を抜けば月詠に自分だけが両断される羽目になる。

 その間にアスカは崩拳に魔法の射手を纏わせ、またゼロ距離からの全力痛打を放つ。

 衝撃がフェイトの腹部を突破してその身体を弾き飛ばし、石の盾を突破しようとしていた月詠を巻き込む。

 

「っ?!」

 

 攻撃を放った直後で硬直した僅かに生じた隙を逃すことなく、避けようのないタイミングと距離でフェイトの体がぶつかった月詠は衝撃で次への行動が遅延する。そこへ、抜け出したアスカがいっそ惚れ惚れするほどに体重が乗った一撃が避けようのないタイミングで月詠に迫る。

  

「お」

 

 この一撃に対して反応して見せた月詠はまさに驚嘆に値する。

 凡百の剣士であれば成す術もなく、それどころかなにが起きたかすら分からぬまま気絶していただろう。随一の剣士であっても、攻撃を察知できても反応するまでには至らなかっただろう。ならば、この一撃を不完全とはいえ、防いだ彼女はなんと呼ぶべきか。

 天才では足りない。ありうるとしたら鬼才。人間離れした才能ではなく鬼の如き直感。

 本人が意図した動作ではなかろう。フェイトに放っていた太刀とは反対の手に持っていた小太刀が僅かに上がって刀身を寝かせ、アスカの拳を見事に受け止めた。

 しかし、どうにか受け止めるだけで精一杯だった。受け止めただけで賞賛に値する一撃だったのだ。重すぎる強烈な一撃に瞬く間にバランスを崩されてフェイト共々吹き飛ばされてしまった。

 

「百の影槍!」

 

 追撃をかけようとしたアスカを阻む、一度は離脱したデュナミスから放たれた百にも及ぶ影の槍。

 無理に追撃をかけなければ被害はない。アスカは空中に滞留し、デュナミスと吹き飛んだ月詠とフェイトを視界に収める。 

 

「……まだかっ!」

 

 三人とも強いが如何せん連携がなっていない。三人がもし連携して攻撃してきたら、アスカでもここまで完全に攻撃を避けることは出来ないだろう。その事実に気づく前にこの状況を打開したいが闘うアスカにその術はない。

 時間稼ぎをするしかないアスカに向けて、フェイトを振り払って月詠が身を翻して虚空瞬動で近づきざまに近距離で大出力の神鳴流奥義雷鳴剣を放った。

 込められた気に危険を感じたアスカは身を翻しながら最大展開した障壁で受けたが、雷鳴剣の射程距離から離れたにも関わらず吹き飛ばされた。月詠がめり込んでいた壁とは対角線上の壁に叩き付けられた。

 

「やってくれたな!」

 

 脅威的な反応を見せて身体を捻って壁に足から着地しながら叫ぶ。

 行動予測よりも早く肉体が反射する。肉体と精神を苛め抜き、耐え抜いた人間だけに宿る超速の反射。それでもアスカは戦いが長引けば自らに勝利がないことを自覚した。

 

「ゲート内の様子は全くわからないのですか!?」

 

 ゲートポート管制室で状況に巻き込まれたドネットが対処しきれていない管制官達に向けて叫ぶ。

 

「重力波・電磁波・魔法力・精霊力等全て遮断されています、こんな強力な結界聞いたこともありませんッ!!」

「結界破砕機は!?」

「到着まで15分はかかりますっ!」

 

 異変から直ぐに対応を行っている管制官達も不断の努力を続けているが、機械類は『ACCESS ERROR』を叩き出すばかりで未知の結界に閉じられたゲート内の様子は全く分からない。テロなどで結界に封じ込められることは想定されているので結界破砕機はあるが、その到着までは十五分もかかるとのことで、八方塞がりに陥っている状況にドネットは思わず口を抑える。

 

(こうも簡単に侵入を許すなんて……まさか魔法世界側に糸を引く者が!?)

 

 ドネットが焦っているように展望テラスに逃げ込んだ明日菜達もまた焦っていた。

 

「まだ、外と連絡がつかないの!?」

「…………くぅ、駄目です。最低でも杖がないことには」

 

 そう言ってネギが見たのは小太郎に渡された古菲の持っている封印箱。この中には各自の武器から仮契約カード、更にはネギの魔法発動媒体である父から譲り受けた杖もある。ただでさえ、このような結界を通して念話するのは骨が折れるのに杖がないと無理だ。

 

「…………ふう、治療終わりや」

「意識は戻っていませんが警備兵達は大丈夫です」

 

 テラスの窓際に並べられた警備兵達の治療を終えた木乃香が汗を滲ませていた。未だ練達していない木乃香は魔法発動媒体無しでの治癒は余程堪えた様子で万が一を考えて護衛をしていた刹那が彼女を労わる。

 展望テラスの窓から機械で魔法的な事象を解析するために備え付けられている目を通した茶々丸の視界には、この施設全体を覆うように展開されている巨大な結界が見えていた。

 

「張られているのは複合隔離結界と推定されます。これだけの強度と規模の結界を破壊するには結界破砕機が必要になりますが明日菜の魔法無効化能'97ヘであれば破れる可能'90ォが高いです」

「明日菜の魔法無効化能力…………そうです、明日菜さんならば封印箱の処置を破れるのでは!」

「そっか、古ちゃんそれ投げて!」

「分かったアル」

 

 夕映が少々荒っぽい手段になるが現状の解決法を見つけ、明日菜はさっきまでアスカ達との会話から自分が出来ることを見い出し、古菲も直ぐにその意を理解して明日菜に向かって投げつける。

 頑丈そうな箱なので咸卦法を発動して自身最大のパワーで封印箱に拳を叩きつけた。

 

「でいやぁっ!」

 

 拳が叩き込まれた封印箱は明日菜の力によって魔法世界の中でも強固に分類される封印術が無効化され、咸卦法による全力パワーをぶつけられたことであっさりと箱が砕けて中に収められていた物が四散する。 明日菜は四散した物の中から自分の望む物―'81\'81\'81\'83Aスカとの仮契約カードを掴み取った。

 

来たれ(アデアット)!」

 

 アーティファクトを呼び出すと、閃光と共に手の中で現れたズシリと沈む大剣を握る。その間にもネギは杖を、刹那は夕凪を、楓は武器を、その他は仮契約カードや必要な物を次々と手にする。

 

「僕が展望テラスの窓を壊すので、明日菜さんは張られている結界を壊して下さい。外と連絡を取り――」

「アスカ!?」

 

 ネギが次の行動を告げかけているところで、入り口から戦いを見ている小太郎の声が切迫している状況を伝える。

 反射的に全員が気を取られ、明日菜達が確認しに向かうと事態がもう取り返しのつかない領域に足を踏み込んでいることに遅れて気づいた。

 

 

 

 

 

 戦いに溺れている月詠や、普段と違って目の前の相手に没頭しているフェイトの二人と違ってデュナミスには外界に気を配れる冷静さがあった。

 想定していた作戦時間のリミットが近づいている。ゲートポートの職員は優秀である。幾ら施設内部にいる協力員の手引きで強力な隔離結界を展開していても結界破砕機を使われれば何時までも持つものではない。シビアに考えて十分、長くとも二十分が限界と見ている。既に結界を展開してから五分以上が経過している。それは彼らのグループにとって時間切れが迫っていること意味していた。

 目の前には尚も忌まわしき英雄と女王の落とし子が敵として立ち塞がっている。

 月詠が気が込められて紫電を漏らす双剣を煌めかせて迫るが躱され、着地した瞬間を狙ってフェイトも振り下ろしの蹴りを放つ。が、二段構えの攻撃にもアスカは機敏に反応する。

 フェイトの振り下ろしの蹴りを掲げた腕で受けたと思われた瞬間、力を抜いて受け流す。身体を流して蹴りの軌道から逃れて飛び上がるように膝を繰り出した。

 伸び上がってきたアスカの膝を腕をクロスして受けたフェイトは近づく気配に留まるよりも離れた方が得策と判断して、力に逆らわずに敢えて吹き飛んだ。その間隙を埋めるように上空から月詠が左手の太刀を振り下ろして斬空閃を放とうしていた。留まっていればフェイト諸共に斬るつもりで。

 そのことを知っているアスカは既に月詠への対処を終えている。

 

「ぐっ、小癪な!」

 

 今まさに斬空閃を放とうとした月詠だが自らに迫る白い雷が放たれているのを見て、技を中止して迎撃せざるをえなかった。アスカがフェイトに膝蹴りを食らわせる前に牽制の為に先に放っていた一撃である。先程から攻撃に関わっていないデュナミスには見えていた。

 

《テルティウム、もう時間がないのだぞ》

《分かっている。アスカを倒してしまえばいいのだろ。時間はかけない。君も攻撃に参加しろ》 

 

 念話に返って来た返信は時間切れを理解していたのは良かったが、苛立ちも露にしていてデュナミスの期待していたものではなかった。

 アスカと接近して斬り結んでいた月詠の死角から残りの二人で踊りかかる。何時の間にか月詠の相手をしていたアスカの背後にフェイトとデュナミスが回っていた。

 

「ちっ……!」

 

 アスカにとって、この囲まれた状況は面白くない。飛び上がって魔力を込めた拳で鍔迫り合いをしていた月詠を倒立するような姿勢で真上に達した瞬間、体を曲げて虚空瞬動と腕の力で月詠をフェイト達の方に押しやる。

 背後から囲もうとしていた二人はつんのめるような姿勢の月詠を受け止めることはせずに左右に散開する。その二人を狙ってアスカは両手に作り出した二本の雷の槍を放った。

 直進する雷の槍をフェイトは躱し、デュナミスは影の槍で撃ち落した。

 アスカに向かいながら二人の姿が同一線上に重なる。

 フェイトが突っ込むと見せて飛び上がり、その背後に身を隠していたデュナミスが影を凝縮した体長五メートルはないとありえない極太の拳を放ち、あわやというところでアスカが横っ飛びに避ける。が、その動きさえも予測されていた。飛び上がったフェイトが上空から一対の黒耀剣を煌めかせて舞い降りる。

 右腕の動きに呼応して振り下ろされた一刀の黒耀剣が、辛うじて飛び離れたアスカを霞めて地面を断ち切った。

 

《目的を果たせ、テルティウム》

《分かってる!》

《目標はゲートボートの破壊であって英雄の息子の排除ではないのだぞ》

《分かっていると言っただろう!》

 

 念話で叫んで、フェイトは半分に割れた台座が崩れ落ちていくので離れてようとしているアスカに滞空させていた幾本の石の槍で狙う。だが敵はその散撃さえも跳躍で躱され、直撃弾だけを腕で巧みに軌道を変えられていく。

 フェイトは石の槍を放つだけでなく一気に距離を詰め、アスカの懐に飛び入った。

 

「魔法の射手・雷の一矢」

 

 アスカは石の槍の軌道を変えながらもフェイトの接近を予期していたのか、魔法の射手を放ったが、その前に顔面を拳が捉えていた。体重を乗せた一撃がアスカを大きく背後へ吹っ飛ばす。

 本来ならば吹っ飛ぶアスカにデュナミスが攻撃を加えるはずだったが自らに飛来する魔法の射手を弾き飛ばして遅れている。

 

「ちっ、今のはデュナミスを狙ったものか」

 

 先の魔法の射手の狙いはフェイトではなく追撃を狙っていたデュナミスを足止めするために放たれたもの。月詠がデュナミスよりも一歩早く出ているが既に体勢の崩れを整えている。しかも、アスカは背後へ吹っ飛ばされながら雷の槍を作り上げている。

 右足を大きく振り上げて斬りかかって来る月詠を見据えた。

 デュナミスの斜め前にいた月詠は背筋に走る悪寒に反応して咄嗟に双刀を身体の前で構えた。

 

「ぐっ」

 

 一瞬で三倍に巨大化した雷の槍が高速で飛来したのを双刀で受け止める。が、直後に雷の槍が爆発して前進が止められる。

 斜め前にいた月詠の進みが止められたことで前進を続けたデュナミスが前へ出て、アスカと相対する。

 

「「――――――っ!」」

 

 互いの第一手の雷の槍と影の槍が身体を掠め、そのままゲートポートの壁に激突して穿つ。デュナミスは次々と放たれる雷の槍を回避しながら自らも影の槍を幾つも放つが、やはり同様に回避運動に入っている敵を捉えられない。

 遭遇戦になってしまった現状に、どうしようもなくデュナミスは苛立つ。ゲートポート襲撃は電光石火の電撃戦でなくてはならなかった。如何に自分達の個人戦力が強大といえど少数勢力には違いない。今の段階で魔法世界側に目論見を察知されるわけにはいかない。

 ゲートポートの壁に沿って上昇しながら攻撃を交わし合っていた二人は、反対方向から回り込んで上を抑えたフェイトを見たアスカが壁を蹴って自ら落下したことで追い立てられるように急降下する。

 背中を見せながら落ちてくるアスカを、フェイトの行動を見ていた月詠がゲートポートの台座で双刀に気を充填して待ち構えていた。

 

「二刀連撃斬鉄閃!」

 

 月詠の双刀から気が螺旋状に絡み、振り下ろした刀身から放たれた。

 見事な連携だったがアスカは寸でのところで射線上を外れた。まるで後ろに目がついているかのようだ。アスカの超人的な反射神経がなければ不可能なことだった。だが、それも何時までも続けられるモノではない。確実にフェイト達の攻撃は鋭さを増しており、周りを気にしない月詠を主軸として連携し始めたことで詰め将棋のように最後の時が迫っていた。

 

「くっ!?」

 

 回避先に先回りしたデュナミスの体重を完全に乗せた剛腕に殴り飛ばされ、眼下の台座の上へと仰向けに叩きつけられ、長い溝を刻んでストーンに背中を凭れかかるようにしてようやくアスカの体が止まった。

 無防備に身体を晒すアスカに向け、フェイトが右手に幾本もの黒耀剣を掲げながら勝ち誇って舞い降りる。

 

「これで終わりだよ」

 

 口から血を漏らすアスカの不時着が後押しになったのか、ストーンに凭れているアスカに向けて左腕を振って十数本の黒耀剣を放った。

 

「はがっ」

 

 だが、アスカは驚くべき反射神経で真っ直ぐに向かってきた黒耀剣を両足と手で受け止め、歯で噛んで止めるという離れ業を為して見せた。が、同時に横から月詠の二刀が迫っている。

 内から外へ向けて右手で振るわれる太刀を持っていた黒耀剣で弾き、小太刀は自分から横に倒れたアスカの頭上ギリギリを薙ぎ払ってストーンに大きな亀裂を作りながら髪の毛を何本か切り裂いた。

 両手足を付いてなんとか間合いを取ろうとしたアスカだったが、月詠が右手の太刀、左手の小太刀に続いて左足を振るう。その足がアスカの顎を蹴り飛ばして、凄まじい衝撃によって意識を飛ばす。

 

「くそが!」

 

 一瞬とはいえ、攻防の最中に自失した自分を罵倒しつつ蹴り飛ばされた体勢を制御しようとする。

 

「背中が丸見えだよ!」

「がぐっ」

 

 間髪を入れずに、背中にフェイトが飛び蹴りで襲いかかってきた。攻防の最中に背中を見せるなど愚の骨頂。蹴り飛ばされて吹き飛んだところに今まで二人を前面に立たせて積極的に攻撃をしなかったデュナミスが放った拳撃を受けたところで体勢を崩した。

 

「これで終わりだ」

 

 フェイトは微かにこれで終わりとなることに表情を変えて、その斜め後ろで空中にいる月詠も二人ともアスカにトドメを刺す気だ。

 

 

 

 

 

 この瞬間に展望テラスから飛び出したネギ達。目にしたのはデュナミスの追い討ちによって空中からネギ達の近くの台座に叩き付けられたアスカに、大技を放つつもりなのか太刀から紫電を纏わりつかせた月詠が大きく振りかぶって大技を放とうとしていたところだった。

 

「止めろっ!」

 

 そこにネギ達が疾風のように割り込んだ。彼ら以外の第三者の介入を全く想定していなかった月詠は、白翼を曝した刹那の急加速からの体当たりをまともに食らって横に大きく吹っ飛ばされる。

 

「狗神!!」

 

 目的を遂げる為に、この機会に確実にアスカを仕留めるために突進してきたデュナミスに、小太郎が狗神を放つ。数匹の狗神は空中を唸りを上げながら疾走して突進して、展開された影の盾に突き刺さる。更に楓が巨大手裏剣を放ってデュナミスの行動を封殺する。

 いざとなれば入り口を塞げる神珍鉄自在棍を持つ古菲と茶々丸が戦えない者を守る為に残り、明日菜はアスカの下へと駆け寄る。そしてネギは――――――――無謀にも全身に魔力を滾らせてフェイトに突撃していった。肩に乗っていたカモが止める暇もなかった。

 常のネギならば明日菜と同じくアスカの下へと駆け寄り、フェイトを遠ざけることを優先しただろう。

 突撃をした理由は幾つもある。

 性格的なものもあるが、ネギは普段どう見えようとも家族愛の強い人間であり、半身であるアスカをとても大切に思っている。そのアスカが今にも殺される現場を見て、一瞬我を忘れてしまったのだ。

 もしもエヴァンジェリンがこの場にいたならば怒髪天を期すほどの判断ミス。だが、彼女は今この場にいない。ネギの行動を止める者は誰もいなかった。

 

「余計な邪魔を――」

 

 この時点のフェイトにとってネギは路傍の石ころ程度の存在に過ぎなかった。

 ネギの行動によって、アスカが瀕死の状況から脱してしまった。自らの手でアスカを始末したかったのを曲げてまでチームプレーに徹して確実に仕留めようとしたのに、路傍の石ころ程度の存在のネギに邪魔されたことが何よりもフェイトの神経に障った。

 

「するな――っ!!」

 

 まるで五月蠅い蠅を蠅を追い払うように、フェイトの腕の周囲に元は確実にアスカを殺すために準備していた十本の石の槍が生まれて振るわれる動きと共に放たれた。

 

「ラ・ステル・マ・スキル・マギステル 地を穿つ一陣の風 我が手に宿りて敵を撃て 風の鉄槌!」

 

 アスカの視界の中でフェイトに無謀にも突撃して怒り買い、ネギが詠唱して中位魔法をほぼ同時に放つ。石の槍と風の鉄槌が真っ向からぶつかり、十分に準備をしていた石の槍が半分近く――――五本が風の塊を突破する。

 

「!?」

 

 自ら突進しているネギにこれを避ける術はない。背を撫でる死の予感に一瞬で頭に上っていた血が下がって興奮が冷め、自らの判断ミスを悟るが既に何もかもが遅い。障壁突破の効果が付与された石の槍は障壁を張ろうが確実に貫き、回避する術を持たないネギを貫くだろう。

 この二人の行動を見ていた明日菜はにはそれが分かった、そしてアスカにも。

 

「逃げろぉっ!」

 

 この時のアスカの行動に論理的な思考や理由はなかった。自分と同等クラスのフェイトや、それに劣るといっても一線級のデュナミスと月詠の三人を同時に相手していて周りに眼を向ける余裕も皆無だった。

 単純な強さの論理を説くならば、ネギを庇えばどんなに状況が上手く働いたとしてもアスカの戦線離脱は免れない。残るのはフェイトら敵と比べれば二段も三段も劣る者達だけ。或いはゲートポートが外部と完全に隔離さえしていなければ彼女達の力なら逃げるぐらいは出来たかもしれない。不幸なのは戦いのハードルが高すぎたことだけ。目撃者を残すことを良しとしない彼らは彼女達を舞台からの退場させるだろう。

 この場合においてアスカが取るべき最も最善な行動とは、危機に晒されているネギを見捨てることだった。それでも自らの行動による影響を理解しながらも「守らなければ」と思ったのは同じ母親の胎から生まれた同士故か。

 ネギがアスカを助けようとしたように、アスカもネギを助ける為に動く。酷く単純で当たり前の事実が繰り返された。理由を挙げるならば自然に体が動いた、これに尽きる。

 明日菜を置き去りにして縮地でネギの下へと一瞬で駆け寄り、そのネギに自らの体をぶつけた。

 

「え?」

 

 ネギの視界を誰か横切ってぶつかった。視界を遮ったのが誰かの背中で、それがアスカのものであると気づくのに時間がかかった。何故ならば眼の前の背中から血が、鮮血が吹き上がり、ネギの顔を紅く彩ったから。誰かに押されるようにフェイトの斜め後ろにへと流れて、二人して地面に転がる。

 直ぐに起き上がったネギに傷はない。

 台座に力無く転がっているアスカを見たネギの眼には、双子との弟の体を突き破った三本の石の槍が見えた。

 アスカは後先を考えずに飛び出して二本の石の槍を砕いたものの、後の三本を砕くには至らず、その身を盾とすることでネギを守ったのだ。あの時、石の槍が皮を破り、肉を穿ち、そして骨までもを砕いたのをネギは感じた。

 苦痛の声すら上げることも出来ないまま、成す術もなく倒れているアスカを呆然と見続けることしか出来ない。横たわる体から地面に広がる生温かなものが、顔に付着したものが自分の双子の弟の血だということに現実感を感じられない。

 

「アスカ!?」

 

 ネギは急いで手をついて起き上がろうとしたが、台座についた右手が何か滑る物に触れた。

 台座についた手を持ち上げると真っ赤に染まっていた。地面を見る。地面も、ドロリとした赤黒い液体に真っ赤に染まっていた。それは横向けになったアスカの背中と、地面の間から流れ出していた。こんなに沢山流れて良い様な物ではないはずだった。致命的な量の出血。尚も血が滾々と流れ出していく。

 

「貴様はここで死ね!!」

 

 放っておけばアスカが死ぬであろうことは、フェイトの放った一撃を見ていたデュナミスには分かっていた。

 フェイトの過剰なほどのアスカへの異常な執着の強さ。出生と底知れぬ強さを持つアスカが後々の禍根となると判断し、ここで殺せる時に確実に殺す決断をさせた。同じようにネギもまた、今はともかく将来の不確定要素になると纏めて始末することに決めた。

 小太郎と楓の猛攻に晒されながらも、自らの手を切り離し空間を歪ませてロケットのように飛ばした。飛んだ手がアスカに駆け寄っているネギの背後から二人に突き刺さるように空間の歪みに消える。

 

(空間に亀裂!!?)

 

 背後から空間を歪ませたデュナミスの攻撃に逸早く気づいたのはネギの肩に乗っていたカモだった。

 最も二人の近くにいたからこそ気づき、そして今のネギには避けられないと悟った。アスカの異変に明日菜が駆け寄ろうとしているが、空間の亀裂に気づいている様子はなく何よりも間に合わない。また自分ではどうやってもこの致命の一撃を防ぐことも出来ないとカモは同時に気づいた。

 

(すまねぇ、妹よ)

 

 この後の結末を覚悟したカモの脳裏に、今までの歩んできた過去が走馬灯のように流れ出す。

 両親を早くに亡くして貧乏暮らしだったが妹と一緒だったから寂しくなんてなかった。妹は絶対に守ると両親が死ぬ前に誓った。六年前にウェールズの山中で大人が張った罠に引っかかり、ネギに助けられて自らが一生にかけるに値する主であると誓ったあの日の願いと誓いが衝突する。

 

(これが俺っちの選んだ道だ。親父もお袋も褒めてくれるよな)

 

 デュナミスが狙ったのはネギとアスカだ。小さな体のカモは標的にすら入っていない。カモだけならば致命の一撃から逃げることが出来る。だが、カモは逃げようとはしなかった。

 いま、カモは両親とした約束を破ろうとしていた。だけど、大事な主が死ぬのを黙って見ている息子を知ったら怒るだろう。息子の選択を褒めてくれるだろうか。

 

(妹よ、兄ちゃんがいなくても達者で暮らせよ)

 

 最後に遠い故郷にいる妹に言葉を送って、命を代償として大事な主を守るために決心を固めた。

 

「危ねぇ、兄貴!」

 

 全身からスプリングフィールド兄弟に比べれば遥かに小さな魔力を迸らせて、ネギの肩から飛び出して自らが盾になるように空間の亀裂の先に身を躍らせる。

 全ての魔力を振り絞っても、まだ足りない。カモ一人の魔力ではデュナミスの攻撃を防ぎきれない。ならば、足りないなら今ある全てを差し出すだけ。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」

 

 死を覚悟した生き物の底力。如何なる奇蹟か、カモは自らの生命力の全てを魔力に還元して防御壁と成した。そして―――――――――呆気なく絶命した。影で構成された槍がその体を貫くのとどちらが早かったであろうか。

 虚空から唐突に放たれた貫くことを主眼とした一本の影の槍が、ネギを庇ったカモの胴体を正確に貫いて刺さっていた。しかし、そこでデュナミスの攻撃は止まっている。自らの勝利を確信したカモの顔は満足そうに微笑んでいた。

 

「カ、モ君?」

 

 何かが何かを貫く音に振り返ったネギが見たものは大切な親友だったカモの姿だった。その胴体を貫くように影の槍が通っている。どう見ても死んでいた。

 

「なにっ!?」

「お前!」

「お主は!!」

 

 予想外の存在に必勝の攻撃を防がれて驚愕しているデュナミスに、自分達が戦っている敵が何をしているかを察した小太郎と楓が激昂して猛攻を仕掛ける。

 二人の猛攻によってネギに意識を避けなくなったことで、音も無くカモの胴体に突き立った影の槍が粉々に砕けた。まるで岩に叩きつけられた氷細工のように、小さな無数の破片へと砕けて、そしてそのまま空気に溶けるように消えてしまった。後には胴体に穿たれたままの、深い傷跡だけが残された。

 ネギは死んだとされている父にも六年前に一度会っている。だからこそ、死とはなにかを聡明な頭脳が理解しようとも、特に悩んだりすることはなかった。だが、眼の前の物言わぬ友の死骸は死というものをネギに強く実感させた、スタンの時以上に。

 眠るように息を引き取っているように見えたスタンとは違う、無惨にも殺されたとその腹部に開いた大きな穴が物語っている。

 違うのだ。死ぬということは、動かなくなるということだった。動かない、動けない、もう二度と動くことはない。温もりが失せていき、身体が冷たくなるということだった。二度と遊んだり、言葉を交わしたり、触れ合うことは出来なくなってしまうのだ。

 

「カモ、君?」

 

 ネギ・スプリングフィールドは揺れ動き続ける視界の中で、嘗てはアルベール・カモミールだったモノに手を伸ばした。

 触れたカモの体は急速に温もりを失いつつあった。身体のど真ん中を貫かれ、医療の知識がなくても致命傷と分かる傷と血が流れていくのが見える。生きていられるはずもない。呼吸は当の昔に止まっており、心の臓は活動を停止していた。アルベール・カモミールは死んだのだ。

 

「う……うげぇ……」

 

 心が受け入れられなくても肉体は反応した。喉の奥から逆流してきた物を吐き、悶えようとするかのように全身が痙攣して頼りなく震える。

 

「え、え…………。ア、アスカ。そんな…………」

 

 後を追ってきた明日菜は、倒れ伏してピクリとも動かないアスカを見て瞳が信じられないものを見たように見開かれていく。

 

「いやあぁぁぁぁぁっ! アスカ!」

「呆気ない幕切れだったね」

 

 絶叫する少女の向こうから悠然と現れたフェイトがトドメの一撃を放たんと倒れて動かないアスカに向けて拳を振り上げていた。空気を切り裂く拳が振り下ろされる。

 アスカに縋っていた明日菜では如何なる回避も防御も間に合わない。その光景を見上げ、自分達は死ぬのだと思った。その刹那、完全に生き残ることを諦めた。だが、虫けらのように明日菜達が叩き潰される寸前、影が割って入った。

 

「伸びレ、神珍鉄自在棍!」

「ぬぅぉっ!?」

 

 死が訪れる正にその瞬間に古菲のアーティファクトである神珍鉄自在棍が横からフェイトを弾き飛ばした。明日菜には最初何が起こったか理解できなかった。夢の中にいるように、ぼんやりと考えた。

 

「明日菜!」

 

 生きることを諦めていた明日菜を叱咤すような、聞き慣れた澄んだ声を発した。

 空を飛ぶ茶々丸に抱えられながら声を発した木乃香がアーティファクトの衣装である狩衣を纏った状態で、チラリと戦っている刹那へと視線を移す。

 

「これ以上、好き勝手――――――」

 

 木乃香の視線の先で神珍鉄自在棍から退避したフェイトに向けて刹那の夕凪が白く長い弧を描く。が、フェイトは機敏に反応して大太刀の一閃をかわし、飛び退いている。迎え撃つように飛び掛ってきた月詠の両刀を咄嗟の反応を見せて受け止めて叫んだ。

 

「――――――させるものかぁぁっ!」

 

 叫びに呼応するように輝きを増す夕凪と月詠の二刀が交錯し、両者は激しく身体を衝突させる。月詠は刹那の気迫に押されたかのように下がって空中に逃れた。刹那はそれを追って翼を広げて飛ぶ。

 

「四つ身分身!」

「狗族獣化!」

 

 楓が四人の分身を駆使してフェイトに躍りかかり、獣化した小太郎が全霊をかけてデュナミスを抑え込む。誰もが戦っていた。

 

「明日菜さん、どいて下さい!」

 

 緊急事態と、放心している明日菜を押し退けた茶々丸は息を呑んだ。

 一瞥しただけで分かるほどの、どうしようもないほどの流血だった。右足太腿と腹と左肩を貫いた石の槍によって負っている傷は、まだ生きているのが不思議と思えるほどだった。こうしている間にも、アスカの顔からどんどん血の気が引いていった。げぼっという異音。気管に血が入り、呼吸困難を来しているのが、その音で分かった。

 

「うちが治す」

 

 木乃香のアーティファクトは三分以内に受けた即死以外のありとあらゆる怪我を完治させる効果がある。治癒に際して被治療者には苦痛を伴うが、はたしてアスカは持つのか。

 

「今は治すだけや」

 

 治せるのは木乃香だけだ。自分の肩にアスカの命が乗っている錯覚を覚え、木乃香は喉から湧き上がる苦汁を飲み下す。しかし、飲み下したはずの苦汁は、直ぐに倍になって湧き上がった。

 命を背負うという重みの本当の意味を木乃香は実感していた。

 

「こ、木乃香さん! カモ君を、カモ君を助けて下さい!!」

 

 おぼつかない歩みで木乃香の下へやってきたネギが懇願するが、カモはどんな人間が見ても生きていないと分かる状態だ。辛うじて生きているアスカとは事情が違う。

 

「うちには死んだ者は治せへんのや…………ごめん」

「え?」

 

 木乃香は残酷なことを言わなければならなかった。正直、アスカが瀬戸際なのだからネギに構っている暇はない。残酷な言い方だが、生きている者を優先しなければ死者が増えるだけだ。

 

「カモ君は、もう死んでる」

 

 死の宣告にネギの全身から力が抜けた。糸の切れた操り人形のように、身体が崩れ折れる。その姿を痛ましげに見遣り、直ぐに意識を切り替えてアスカに集中する。

 

「このまま治したら石の槍が癒着してまう。茶々丸さん、タイミングを見て抜けへんか?」

「やります。ですが、私一人では……」

「私も手伝う!」

「気張ってや、明日菜」

 

 アスカの体を貫く二本と一本の石の槍を持った茶々丸と明日菜が集中を高める木乃香を注視する。

 

「氣吹戸大祓、高天原爾神留坐、神漏伎神漏彌命以、皇神等前爾白久、苦患吾友乎、護惠比幸給閉止、藤原朝臣近衛木乃香能、生魂乎宇豆乃幣帛爾、備奉事乎諸聞食」

 

 木乃香は横向きになっているアスカの頭を膝の腕に抱き、決意を込めて祝詞を唱え始める。

 ぽうっ、とアスカの身体を温かい光が包み込む。

 

「今です!」

 

 治癒が始まる一瞬前に放たれた茶々丸の合図に明日菜も合わせて石の槍を引き抜く。途端に血が吹き出したがすぐさま治癒が始まったことで急速に組織が復元されていく。

 

「うぐぁぁぁぁっ!!!」

 

 全身が木乃香の魔力光である黄色の光に包まれ、アスカを優しく包み込んでいく。先ほどフェイトに穿たれた三つの穴が元々無かった、という状態に回帰するかのような反動によりアスカが呻き声を上げた。

 それでも、アスカの傷は無事完全に治った。苦痛で強張っていたアスカの頬が、徐々に安らかになっていき、魔力による熱がアスカの体に蓄積されていく。

 自然治癒ではなく、木乃香の魔力によるごり押しの完全治癒呪文は確かに強力だがその分副作用が大きい。普通なら全治何ヵ月も掛かる傷も一瞬で治癒してしまった為、アスカの体に掛かる負担は予想以上に大きい。

 

「ふぅ」

 

 それでもアスカの死は回避できたと、木乃香は過去最高の出来に疲れた笑みを浮かべたが、直ぐにその笑みが凍り付く。

 木乃香の視線の先には、座り込んで手の中でピクリとも動かないカモを抱えて放心しているネギの姿が映る。彼女に目を逸らすことは許されなかった。このまま治癒術士を目指すならば見なければならない。

 治療の優先度は間違っていないと自負しているが、それでも揺らぐ。診断は間違いではないか、カモも治せたのではないかと。

 

「ぐっ」

 

 木乃香の治癒で意識を取り戻したアスカが呻き声を漏らしながら木乃香の膝から頭を動かした。

 

「アスカ!」

「まだ、あかんて。さっきまで死にかけてたんやで!」

 

 アスカが意識を取り戻したことに喜色を浮かべる明日菜を抑え、木乃香は動こうとするのを抑えようとしたが腕を払いのけられる。

 

「前だけを見てろ! 死にたいのか!」

 

 死から救い出されたことに礼を言わなければならないとアスカも分かっているが、今は生きるか死ぬかの戦いの最中である。アスカがふらつく視線で敵を探せば、展望テラスから我慢出来ずに千雨やのどか達まで出てきているの見つけた。

 

「動、け……くっ」

 

 自分が動かなければならないと立ち上がったアスカだが、全身を燻る治癒の副作用である魔力の熱が滞留していて、膝だけでなく腕からも肩からも、あらゆる関節から力が抜けていった。先の血液の流出によって、アスカの意志が肉体へ伝わらなくなっているのだった。

 倒れ込むより先に明日菜が抱えてくれたが、その姿をデュナミスが見ていた。

 

「テルティウム!」

 

 残された時間と切迫した状況に直面したデュナミスがわざと小太郎に弾き飛ばされてアスカ達から遠ざかりながらフェイトの名を叫んだ。

 古菲の神珍鉄自在棍を楓の分身の相手をしていたフェイトはその叫びの意を読み取って、彼は自分からアスカから離れるように距離をとってデュナミスに追撃をかけている小太郎の邪魔をする。

 ゲートポートの中心、世界を繋ぐ楔たる要石の上空に到達したデュナミスのローブから出している右腕が膨れ上がる。

 

「虚空影爪、貫手一殺!」

 

 そして一瞬で消えてなくなったかのように見えるほどに伸びた腕が落雷の如く真下へと降り降りる。

 

「――え?」

 

 めきっと不吉な軋みが耳を打った。

 熱で意識が朦朧としているアスカは、どこから聞こえたのか、何が軋んだのかは分からないが、致命的であることははっきり分かる、そんな音。微かな、だが無視し難い振動が踏み締めた大地から伝わる。

めきめきと、べきばきと、軋みは絶えることなく続いていく。なにやら重々しい破砕音までが加わって―――――

 

「まさか両世界を繋ぐ楔を破壊したのか!?」

 

 首を巡らせたアスカは、ストーンヘンジらしきもの中央にある一際大きな石柱が真上から真っ二つに砕かれているのを見た。

 

「残念だけど僕達はもう目的を果たした」

 

 アスカがストーンヘンジに意識を反らせた時、三人が同じように意識を要意識に移した時に離脱したフェイトの身体は空中にあった。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタルヴァンゲイト おお 地の底に眠る死者の宮殿よ 我らの下に姿を現せ」

 

 詠唱を終えた直後、ゲートボート全体に轟音が響いた。振り返って仰ぎ見た誰もが目を剥いた。天井を突き破っててぬっと巨大な影が現れ、五本の石柱が轟音と共に落ちかかってきたのである。

 恐らくはフェイトの狙い澄ました結果として、天井からは凄まじい質量の落下を招いた。

 

「きゃあっ!?」

 

 アスカ達がいる台座に辿り着いていた千雨が悲鳴を上げる。隣で振動でのどかが転んだ。

 大きな天井の破片が次々とゲートの台座を貫いていく。直後、まるでビルが倒壊したかのような、周囲を震わせる身体の芯まで揺さぶる重低音と連続した轟音が鳴り響いた。

 真下から突き上げるような衝撃がその場にいた全員を襲った。地震を思わせる激しい振動。意識まで揺さぶるような、凄まじいほど縦に揺れる。横に揺れる。全てが回転するように眩み、誰もが平静を保つのに全身全霊を使わなければならなかった。

 

「じゃあね」

 

 フェイトは上げていた手を振り下ろし、無慈悲にも全ての石柱を真下に目掛けて放ったのであった。

 これだけの質量を破壊するのは状況が悪すぎた。完全治癒呪文を施されたばかりのアスカに抗する手段はなく、他の者達も突然の事態に対処が遅れた。

 

「大丈夫! 私が払うッ!!」

 

 明日菜がハマノツルギを構えて斬撃を放った。

 無極而太極斬と名付けられた明日菜だけの技は、接触した石柱を渦を巻いて消滅させる。だが、それでようやく一つ。石柱はあと五本もある。

 

「はぁあああああああああっっっ!!」

 

 打ち払う、切り払う、薙ぎ払う、そり上げる。一呼吸に四種の斬撃を放って、石柱は夢幻であったかのように全員の視界から消え去った。だが、石柱が破壊した天井の欠片までは明日菜の魔法を打ち消す斬撃でも消せない。

 更なる地響きと共に、いきなり頭上の天井から砕かれて支えが無くなった鉄骨落下してきたのである。しかもそれは、最初の墜落を皮切りに、天井から次々と雨の如く降り注いだ。 

 

「崩壊していく?」

 

 飛び退いた足元が幾度となく衝撃に揺れるのを感じて小太郎が呟いた。

 両世界を見回してもトップクラスにいるアスカとフェイト。二人に比べれば劣るものの、屈指の実力者であるデュナミスと月詠。広いとはいえ閉鎖されたゲートポートで四人が全力で激突したのだ。

 その後も小太郎達が周りの環境を考慮することも出来ずに戦った所為で被害が広がっていた。トドメに天井を突き破って落ちたフェイトの冥府の石柱が切っ掛けとなって、建物の根幹が崩れるレベルにまで到達していたのである。

 

「くっ、崩れる!」

 

 崩壊は収まる気配がない。引っ切り無しに天井の破片が落ちてくる。各自が防御壁を展開するか、落ちてくる破片を迎撃しているので問題はないが、重さ何トンもある岩が無数に降りかかっては身動きが取れなくなってしまう。

 濛々たる砂塵と瓦礫の乱舞に逃げる間もなく飲み込まれて視界が不明瞭になっていくのを感じ取る。このような状況に陥っては誰も戦ってはいられない。如何に超感覚があっても、膨大な瓦礫が阻む。

 

「ここまでですな」

 

 落ちて来る瓦礫を切り払った月詠は、戦っていた刹那から距離を開ける。間に瓦礫が落ちて来て刹那も追撃をしない。

 

「ちょっと浮気してしまいましたけど、次ぎ会う時は殺し合いましょセンパイ」

「月詠……!」

 

 更に大きく空中で距離を取る月詠よりも木乃香達を優先した刹那は強く歯を食いしばりながら落ちて来る瓦礫を縫うように木乃香の所へ向かう。

 

「なああ!!?」

 

 護る人間がいなくて不安になって展望テラスを飛び出した千雨は一番に頼りになるアスカの傍に近寄ろうとした時、彼女に向かって小粒とはいえ十分に人を殺傷してあまりある瓦礫が落ちて来た。

 避けようもないタイミングに目を閉じた瞬間、アスカが飛んで瓦礫を手で砕く。が、アスカは着地と同時にバランスを崩して膝をつく。

 

「く……!」

「お、おい! 無理すんな!」

 

 先程まで大怪我をしていたのだ。治癒されたとはいえ、失った血は戻らず、まだ魔力の熱が滞留していることもあって本来ならば立つことすらままならない身。激震を続ける中で立ち上がろうとするアスカを止めようと腕を掴んだ千雨。

 

「アスカっ! 危ないって! 早く逃げないと―――――」

 

 明日菜がアスカの手を必死の形相で引くが気付いた様子もなく、拳を握り締めてフェイトを睨む。

 

「アスカ・スプリングフィールド」

 

 空を覗かせている中空に浮かぶフェイトもアスカの姿を忌々しそうに見つめ、この場で決着をつけられぬことに血が滲むほど強く唇を噛みしめた。

 

「次に会った時が、決着の時だ」

 

 アスカをにらみ続けるフェイトの口から呪いの言葉が紡ぎ出された。

 直後、アスカ達の足下から光が溢れた。圧倒的な光量。明るすぎて全てが光に呑み込まれ、何も見ることが出来ない。あまりにも明るすぎる光は、一瞬でゲートポートにいる全ての視界を奪った。

 

「フェイトぉぉぉおおおおおおおおおおおおお――――――――っっっ!!」

 

 全てが閃光に包まれる中でアスカが溢れ出る激情をその名に託し、声も嗄れよとばかりに叫んだ直後、ゲートポートが完全に崩壊した。

 

 

 

 

 

 覆っていた粉塵が落ち着いた頃、ゲートポートの施設が瓦礫に埋め尽くされていた。後に残ったのは空々しく過ぎ去る風ばかりだった。

 ゲートポートと繋がっているとはいえ、頑丈な管制室にいたことで施設全体の倒壊に巻き込まれずに済んだドネットが瓦礫から抜け出した時には全てが終わっていた。

 

「ゲートポートが、まさかそんな……」

 

 周辺の損壊状況はドネットが愕然となってしまうほどで、同じように倒壊の被害を免れた者達が事態の鎮静化に動いていた。

 

「損害規模は!」

「完全に倒壊したホール以外の損害は軽微です。倒壊を免れた展望テラスで生存者を確認。救助部隊が向かっています」

「ホール近くは、要石が壊れたらしく魔力が暴走していて転移が無差別に発動して大変危険です! この場から退避して下さい!」

 

 漏れ聞こえてくる報告だけでも状況の深刻さが伝わって来て、アスカ達がゲートポートにいたことを知っているドネットの顔色が加速度的に青くなっていく。

 

「な、何てこと……アスカ君、ネギ君……」

 

 世界は静かで穏やかで、何かが動くのをじっと待つかのように息を潜めていた。

 

 

 

 

 




裏話

①スタン危篤の報により、あやかの自家用機でイギリスに向かったネギ達。緊急の移動だったので極秘裏にネギ達の後をついていく計画はおじゃんになり、渡航に実家の力を使って無理をした所為であやかはイギリスの地を踏めていない。結果、アキラ達が魔法世界に行くことはなかった。
なので、面子は「アスカ・ネギ・明日菜・木乃香・刹那・茶々丸・夕映・のどか・小太郎・楓・古菲・カモ」の11人と1匹。

②フェイト達は魔法世界側から襲撃をしている。世界間渡航はしていない。

③アスカはカモが死んだことに気づいていない

④ナギ・スプリングフィールド杯は戦後、十年に一度開催される拳闘大会。十年前に第一回が開催され、優勝者はアリアドネーの選手。次の大会は今年。




次回、『第63話 稀人来たりて』   





やっぱり原作キャラ死亡のタグは必要だろうか?

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