これはどこかで交わされた密やかな会話だった。
メガロメセブリア連合の盟主メセンブリーナのどこかにある飾り気のない無機質な部屋。そこは薄暗い部屋であった。照明はつけられているが、広い室内の至る所に設置された電灯は全て間接照明となっており、室内に不可思議な光と影の世界を作り出していた。
広さは十分にある。大型の体育館並みの広さだ。だが四方を囲む壁には窓がない。部屋の中の調度品も極端に少なく時計の類も一切ない。よってこの部屋にいる限り、今が何時なのか、朝なのか夜なのかさえ判別できない。
広い部屋の中央には、巨大な円卓が備え付けられていた。直径は五メートルはあるだろう。この部屋の中で最も目立つ最大の調度品である。
円卓を中心として階段状に席が配置されており、合計六層に渡って広がっている。中心に近い席は全席埋まっているが、六層に広がる外側には空白の席が目立つ。
出席者の年齢は様々だが、多くが男性で、ことに亜人は混じっていない。
この部屋にいるのは現在のメガロメンブリア連合の中核を成す者達。世界の秘密を共有する者達が放つ空気はどこか隠微で負の雰囲気を感じさせる。
居並ぶ出席者は誰もが相応に威厳のある表情をしている。さながら威厳の見本市といったところだ。そのくせ、誰も喋らずに小刻みに貧乏ゆすりをしている誰かの足音だけが室内に響いているのだから不気味なことこの上ない。
部屋の中心に渦を巻く白い紫煙が視界を曇らせるほどに揺蕩い、脂臭い空気が充満していた。
大分裂戦争の戦中戦後を生き抜いたベテランが多い分、取り分け煙草の喫煙率が高い。生存競争をしていた極限状態においてストレスを軽減するのに、世間一般的に公的に認められた煙草等の嗜好品は慰めだった。
このような一般に公開されない会議中に各々が燻らせる紫煙が揺蕩うのは常だったが、それにしても今日は酷い。灯りが少ないにしても霧が掛かったように視界が悪い。
「時間だ」
席に着いた一人が眼前に漂う煙を煩わしげに払い、今の状況を確認するように低い声で呟くと貧乏ゆすりの足音がピタリと止まった。
「これ以上、待つのは無意味だ。始めよう」
「異議なし」
円卓に近い席にいる者が机に手を翳し、開始を宣言した影の一つが音もなくせり上がってきたタッチパネルに触れた。
すろと円卓の上空にディスプレイが投射され、一人の少年の顔写真が表示される。更に天井から吊り下げられた多面スクリーンが円卓の中心に降りて来て、この会議の集点ともいうべき映像が流される。
『世界各所で同時多発的に起こったゲートポート魔力暴走事件の続報です。各ゲートポートでは依然、魔力の流出が続き復旧の目途は立たず、旅行者の足にも――』
『幸いにも死傷者はいませんが事故に巻き込まれた負傷者の数は三十人を超え――』
『依然、犯行声明もなく全てが謎に包まれております。一日経った現在でも各捜査機関より事件の詳細は明かされず、現在も捜査中との――』
天井から吊り下げられた多面スクリーンに目を向ける。幾つも並ぶ画面は、どれも事件の惨劇を伝えている。共通しているのは、ニュース原稿を呼ぶアナウンサーの背後に映された映像にゲートポート爆破が流されていることだけである。
「忌まわしい事態だ。此度の一件は一体どれだけの損害になるか。金が湯水のように飛んでいくよ」
巻き込まれた被害者たちを慮ることなどいない。影の頭の中にあるのは金のことだけだった。人は弱く、残酷な生き物だ。目の前での生死には心を動かされても、数字の上だけ、文字の上だけで考える生死には大して感情を動かされない。誰もが自分の損得だけしか考えていない。人の生き死にを、数字程度にしか考えていないのだ。
「全くだ。誰の仕業か。どうせなら我が国以外だけが被害にあえばいいものを」
誰かの言葉に、他の者も賛同を示す。この一連の会話が意味するもの、声の主は部屋の暗さに紛れて見えない。
「しかし、この事態は良くないのではないか? 襲撃者は少数と聞くぞ」
そんな不穏な空気に満ちた話し合いではあるが、それはこの会議の意味を考えれば仕方ないだろう。どろりとした湿っぽい空気が肌に纏わりつく。
「犯人グループの手口の素早さも見事の一言に尽きますわ。犯行声明もなく、証拠も残さない。これほどの行動を起こした目的が分からないのはよろしくありません。今後どのような行動を取るのか予測できないのは面白くありませんわね」
数少ない女性と思える高い声が間に入り、声の主がタバコを灰皿に押し付けた。
「戦後に仕事に炙れた軍人崩れの、社会の役に立たん屑で形成された右翼の弱虫どもの仕業とは思えん。また鎮圧に軍を向けねばならんな」
「奴らは確か、ノアキスに集まっているのだったか」
またフワリと煙草の煙が発言者の口から吐き出される。
「なにかが起こってからでは遅いのだ。これほどの手練れ、早急に戦闘部隊の編成を行って討伐すべきだ」
「軍はノアキスに出すことになる。戦闘部隊は貴公の派閥から人員を出すがいい」
ディスプレイの光が姿を照らす、円卓に近い席に大きな樽に手足をつけてローブを着せいたとしか形容の出来ない風貌の老人が軋るような声で言った。つるりとした丸い禿げ頭で意地の悪い眼光が煌めいている。
これでも旧世界から移住する前である大昔の貴族の血統を今でも誇り、古臭い慣習や因習を守る古臭い老人だった。
「バカな、なぜ我々が出さねばならん。貴様が出すべきであろう」
苦い声で先の老人の言葉を苦い言葉で否定しようとしている。こちらも円卓に近い席に座る大柄な老人だ。見事なまでに白く色の抜けた髪に、顔中に刻まれた深い皺。やはりこちらもローブを纏っている。そしてそのゆったりとしたローブの上からでも鍛えられた筋肉の盛り上がりが見て取れる。
「なんらかの手を打たねば次の選挙に響くではないか」
「それこそ馬鹿な話だ。大体だな、何時も貴様たちは……」
「ふん、言わせてもらうがな。貴様達こそ……」
軍人上がりと貴族上がり、魔法世界移住時から犬猿の仲の家系の二人は今日も意見が合わない。この二人はこのように昔から仲が悪く、なにかと対立している。
会議は何時もの如く混沌としてきた。部屋に集う人物は、口々に自分の意見を言う。それは互いを牽制し合うようであり、隙あらば寝首をかこうと牙を隠した獣同士の威嚇のようでもある。
思惑が交錯し、欲と計算が渦巻くこの場にいるのは古くからの権力者が多い。権力の座にしがみ付き、離れられない亡者達。
「見苦しいぞ、静まれ」
一際低い声が騒がしくなりかけた場を制した。円卓中の視線がたった一人の男に集中する。
見るからに厳格で有能そうな、隙のない雰囲気の男性である。メガロメセンブリア連合元老院で重鎮とされている議員である。尖った顎に髭を生やした厳しい顔つきの髪に白髪が混じり始めた60歳ぐらいの初老の男の名はラゲイマ・タナンティ。眼光が鋭く、スーツを着てネクタイもキチリと締めているものだから正面で対峙すると苦痛に感じそうな男だった。
気難しそうな眉間には厳しい皺が出来ていた。あまりにも長い間そうしていて、皺が男の顔に根付いてしまったようだった。
「今は不毛な議論はいい。我々は己に課された職務を果たすべきだ」
画面から一度も目を逸らすことなく、机の上で肘を立てて組んでいたラゲイマが呟いた。冷静な機械のような声で無機質な口調で命じる。たったそれだけで室内に満ちていた喧騒がピタリと止まった。
白髪が混じり始めた眉の下に鋭い眼光を閃かせるラゲイマは、齢六十を過ぎて未だ肉体の衰えを感じさせない。身に染みついた権力の臭いを隠しもひけらかしもせず、羨望も中傷も存在の重みで捻じ伏せる剛直な在り方は人を威圧せずにはいられない。
部屋にいる者達は、須らくラゲイマの言葉に居住まいを正した。
「災厄の王女の息子か。この事態は面白くないな」
影の一つが悲壮感を漂わせて徐に呟く。
「二十年前の亡霊が今更何のようだというのだ」
まるで過去の亡霊が彷徨い出てきたかのような錯覚に誰もが心中で
だが、それまでだ。亡霊が彷徨い出たのではなく、実体を持った生物として生きている人間が魔法世界に来てしまった事実は変えられない。
魔法世界、特にメガロメセンブリア元老院にとって、生きた爆弾にも等しい者に対する具体的な対策となれば、途端に誰も彼もが目を合わさず、口を開こうともしない。
議題の少年に纏わる政治的価値の高さが駆け引きを誘発して、先手を打って利用される愚を犯さない為に沈黙の時間が続く。
皆の様子を見たラゲイマの表情にはピクリとも反応はなかったが、その内心は嵐よりも荒れ狂っていた。
(これも過去の負債か)
ラゲイマは、つまらない感情に否と反論を浮かべる。
時は動き続けてきた。一度として速度を変えず、一度として止まることなく、一度として遡ることはなく。過去と現在と未来。その三者を交わらせることのないまま、時間は進んできた。三者は決して出会わない。三者の邂逅があるとするならば、時の速度が変わり、時が静止し、時が逆行するその時に他ならない。
それこそ、世界が終わるその瞬間というころになるのだろう。彼は、周りが気づかぬほど僅かに顔を上げて自嘲した。こんな考えが思い浮かぶほどに彼の少年の情報は衝撃的だった。
(女王よ、貴女は王に即位するには早すぎた)
社会的な組織の中で、出世する全てが、それに準じた能力があるのなら問題はないのだが現実はそうはいかない。コネだけで出世する人もいれば、偶然、運が働いて出世した人もいる。これが世の中であり、人生の面白さに繫がるのだが、能力以上の職責についている人々は、能力のある人に対して、本能的な自衛行動をとるのが通例である。その部分での才能発揮は、驚嘆するくらい巧妙で精力的で狡猾である。
それが人の賢しさなのだが、それで歴史の大半が動いてきたのだから、それはそれで良いと言える。
生きていく上で、人は効率とか理想だけでは生きていけないのである。ダラけ、怠け、遊ばなければならない。寧ろ、遊び心に支えられて現れたものが文明かもしれないのだ。
(人の上に立つには高潔すぎたのだ。せめて政治の汚さをお父上から学ぶべきだった)
そうなる前に父王を追い落とし、即位しなければならなかったのは不幸といえる。その即位劇も、その後の流れまで仕組まれていたかもしれないとしてもだ。
(貴女が言うことは正しすぎる。正しさだけでは全ての人々は付いていかんし、世界は回らん)
そう分かっているから、凡人は理想を口にこそすれ、それを実行しようとしない。もっと言えば、自分の怠惰を見破られないようにするために、森の中で埋もれる木のように同じような者達の中で群れる。この部分に関して特異な才能を発揮するのは、凡俗であっても優れて尊い。悪ではない。正義でもないが。
(後何年もしてから王に即位していれば、父以上に優れた歴史に名を残す王にも成れたろうに。出る杭は打たれるのだよ)
集団の中に入ってきた異分子を恫喝し、数と社会的優位によって叩きのめすことで自らの優越感を確保しようとするのは、小は虫の群れから人間に至るまで変わらない。
際立った結果に対して、世間はその能力が何故現れたのかを納得するために、色々な概念を付け加えて論評するものである。その最も良い例が『天才』であろうが、一般的に『天才』は『特殊な人達』と烙印を押される。人々は尊敬もするが、社会的生活の領域では同時に警戒もされる。
「災厄の女王アリカ・アナルキア・エンテオフュシア」が生贄とされたのは、権力に取り憑かれたくだらぬ政治家達の常套的な思考であった。
「各議員方の懸念は理解できる」
若いという以上にまだまだ幼い顔をスクリーン上に眺め、考え事をする時の癖となっている尖った顎を擦っていたラゲイマは、不意に発っせられた笑みが込められた声に珍しく虚をつかれた。
「ですが、心配なされることはない。私に任せて戴ければ最善の手を打ちましょう」
虚空に投射された少年の顔を見つめ、弛み切った頬肉を震わせて笑っている中年太りの男がお世辞にも格好のよくない体躯をつまらなそうに突き出しつつ言ったことで、ラゲイマの思考は途切れた。
「手、とは何かと聞いても良いかな、ダールスト議員」
別の議員が問いかけるのを聞いたラゲイマは、視線をダールストと呼ばれた背が低く五十代前半でありながら頭が禿げ上がった小太りの男に向けた。
ディスプレイの灯りに照らされて、名前を呼ばれたダールストの醜悪な影が揺れて蠢く。
病人のように肌が青黒く、肉は張りを失い、頬も、顎も、腹も、全てが弛み切っている。放蕩の報いであることは一目瞭然だ。食べるにせよ、飲むにせよ、節度を弁えず、ひたすら貪欲に貪り続けてきた結果であった。
「ええ、勿論ですとも」
最初に顔を合わせて以来、折につけて湿った敵意をぶつけてくるゴッコモド・ダールスト上院議員の目は、この時も憎悪に近い色を宿してラゲイマの全身に絡みついてきた。
「災厄の遺産が世に出てくるのは好ましくない。それは皆さんも一致した意見のはずだ。そこはよろしいかな?」
ダールストはラゲイマの質問をはぐらかすように周囲にいる全員に短く訊き返した。
暗がりの中でも周りの状況ぐらいは把握できる。自分の確認に誰も否定の意を示さなかったのを見て取って、火の点いていない葉巻を指でユラユラと揺すった。
規則化されていない会議であっても一定のルールはある。煙草は認められていも、臭いがキツイ葉巻は自重するような雰囲気が濃い。安っぽい煙草よりも葉巻派のダールストとしては何時か変えたいルールであった。
「であれば、彼らの存在はこの世から消えてもらわなければなりますまい」
ネットリとした低い声で続けた。傲慢な言い様に顔を顰めたのはラゲイマただ一人だけ。しかし、ラゲイマが顔を顰めたのはダールストの言い様ではない。少し離れたラゲイマの席にまで葉巻の強烈な匂いが漂ってきたからだ。
ヘビースモーカーとして有名なダールストは寝ている時ですら葉巻を持っていると噂されている。葉巻が嫌いことで有名なラゲイマには絶対に趣味が相容れない人間だった。
趣味だけではない。極々普通の一般家庭から並々ならぬ努力と執念を重ねて伸し上がってきたラゲイマと、上流家庭に生まれて元老院議員の重役に就いていた親のお蔭で議員となったダールストとは、価値観も考え方も何もかもが合わないと誰もが常日頃から思っていた。
ダールストが実力で議員の座を獲得したかについては、疑問の余地が多くある。彼は生まれ持った血筋・財力・悪知恵を駆使して今の地位を保っているに過ぎない。それが悪いとは言わない。組織が存在する時、どんな方法を使ってでも椅子―――――出来るだけ高い場所にある椅子にしがみつきたい者が一定数存在することは誰もが経験的に把握している。
今の立場に実力でなったラゲイマと、豊富な資金力と親のコネでなったダールスト。
同じ時期に議員になった二人だが、当時のラゲイマはダールストを危険視どころか眼中にすらなかった。議員として、政治家としての能力が違いすぎたからだ。
ラゲイマが危険視していたのは父である前議員の方で、長い苦渋を呑んできたが六年前に現議員が失敗を起こしてからは流れが変わった。
ダールスト議員の失敗の責任を取る形で父である前議員の失職を契機として、たった二年でラゲイマによってダールストの派閥は切り崩され、もはや風前の灯となっていた。そのままいけば、派閥を呑み込むのに十年もいらなかっただろう。だが、そうはならなかった。
危惧したダールストらの派閥が前ダールスト議員が多大な人気を利用すれども重用はしていなかった新鋭のクルト・ゲーデルが幹部に抜擢されてから状況は変わった。
落ち目になって続々と派閥から離れていった議員達の中で彼はダールストに取り込み、彼の豊富な政治基盤と資金力を動かして盛り返しを図った。
元紅き翼という異色の経歴を持つ彼は戦士としてだけではなく、政治家としても非凡な才能を発揮した。市民の間に根強いビックネームを活かして後援者を得て政治の道を目指してからは瞬く間に出世を重ね、ダールストの懐刀になってからは彼を裏から操るフィクサーとなって、一派の政治基盤と資金力を操りラゲイマも無視することが出来なくなりつつある。
ラゲイマとしてはダールストにさほどの脅威は抱いていない。豊富な政治基盤と資金力には一目置いているものの、言うなればそれだけと言ってもいい。危険なのは、今では三十代の若さで戦略的に大きな意味を持つオスティアの総督にまで登りつめたクルト・ゲーデルただ一人。
「責任の擦り付けし合っても時間の無駄。来てしまったものは仕方がありません。ならば、そこからどうするかを考えるべきです」
この歳の男にしては、彼は好きに生きすぎている。連合駐留軍を使って部族対立を煽り、資源の搾取に亜人売買にまで手を染めているとの黒い噂もある。
普段から亜人を人と思わない発言をするだけならばまだしも、彼は同じ人ですら平気で見下す。
長年の不摂生で顔も体も、心すらも醜悪に浮腫ませた典型。あらゆる葛藤を受け流し、己にのみ忠実であろうとする生き方がラゲイマには我慢ならない。関係ない赤の他人ならば無視できるのに、立場が近いので接する機会も多いので嫌でも視界に入る。
六年以上前のダールストは、父親の影に隠れていたが今と同じく卑屈で高慢さを隠しもしないが、少なくとも老獪と言えるほどの巧みさは持ち合わせていなかった。我慢というものをせず、己が欲望に忠実なダールストは自ら学ぶことはない。それこそ、誰かが教えでもしない限り。
「まどろっこしいな。早く本筋に入りたまえ」
「答えは急ぎ過ぎないことです。旧世界の諺にもあるでしょう。急がば回れと」
鉛直な言い回しを続けられて痺れを切らした老齢の議員に、ゾッとするような冷たい醒めた口調でダールストは告げた。そして彼は垂れた頬を持ち上げて歪に微笑み、嫌味な笑顔を作る。気の利いた冗談を言っているつもりなのかもしれないが、さっぱり笑えなかった。
「やることは大戦期の後と同じです。彼の紅き翼と同じように大衆には知らせずに指名手配することですよ。生死問わずのね」
究極の権力は、人を殺すと知っている男の目と声だった。ダールストの提案に会議場が騒然とした騒めきに包まれる。
戦後、全ての責任を押し付けられて死刑宣告が下されたアリカ・アナルキア・エンテオフュシアを助け出したことで、紅き翼は高額の賞金が懸けられ、殺人・強盗・誘拐といった犯罪を組織ぐるみで行う公認されていない闇ギルド達に付け狙われていた。
流石に十年、二十年も経ってからは英雄の名に相応しい実力を前にして多くの闇ギルド達も尻込みしてしまったが、存在自体が深度Aクラスであった英雄の息子であることを知らなければ高額の賞金を懸ければ喜び勇んで襲うだろう。
「指名手配の理由は今回のゲートポートの主犯にでもすればいいでしょう。幸いにも犯人グループが映った詳細な映像は残っていない。これを利用しない手はない」
映像はノイズ混じりが殆どで大まかな姿しか分からない。ならばいっそ開き直って、渡航時の証明写真を使って偽の証拠を作り上げてしまえば災厄の遺児を始末する大義名分が出来るのだとダールストは言っていた。
「彼の存在は英雄と同じく、いるだけで害悪。都合の悪い者はいない方が良い。皆、同じ考えのはずです」
民衆に絶大な人気があり、ある意味で政府や軍より影響力のある「厄介な英雄」よりは、「死んで無言となった永遠の英雄」を奉じる方が都合が良い。十五年前にナギが行方不明になった時も陰謀説が囁かれたが、そういうものはナギの人気を証明する事柄の一つでしかない。
「消えてしまった方が都合が良いのですから、先の英雄と同じ方法を使っても問題ありますまい」
豪放というのではなく、世間にまともに向き合う価値はないと割り切り、人は全て路傍の石と決め込んでいる節が見受けられる。全部の人を人と思っていては政治家は務まらないが、この男の開き直りようは度を越している。世界の中心が自分だと信じる人間だけが持つ、不可解なほどの前向きさだった。
「それでは貴殿は冤罪を作ろうというのか」
「情報操作と言って欲しいものですな」
言葉を変えようが意味は同じだ。無実の者に生まれが気に入らないから始末する為にやってもいない罪を着せてしまえという理屈。
ノイズ混じりの映像の中では明らかに災厄の遺児は襲われているように見える。見方を変えればゲートポートを守ろうとしているというのに、こちらの都合が悪いから冤罪を作り上げて殺してしまえなど人道に反している。ラゲイマが最も嫌う考え方だ。
部屋の空気が冤罪を作り上げることに賛成の方針に傾いていくのを黙って見守っていたラゲイマの一言が切り裂く。
「ダールスト議員、それは本当に君の意見かね?」
なにもかも見通す目と一緒に鋭い声が向けられる。
ラゲイマの鋭い目を向けられ、根が小心者であるダールストは思わずビクリと肩を震わせて生唾を飲み下した。ぐっと詰まったダールストの顔が潰れた肉団子のようになる。
「……………勿論ですとも。他に誰がいますかな」
「なに、何時ものように君の知恵者の入れ知恵かとも思ったのだが違ったのなら謝ろう。すまなかった」
本質を突いたラゲイマの問いに、僅かに覗かせた動揺を押し隠して注がれる冷たい視線を受け止めたダールストが硬い声で続けた。隠しても滲み出す振り幅の激しさも、未だ残る未熟さの証明というところか。もはや表情にそよ風一つ立たない我が身の枯れように辟易としながら、ラゲイマは嫌味を返した。
「これは…………また露骨な仰りようですな」
一定の温度を保っていた表皮に亀裂が入り、ダールストの目にそれと分かるほどの怒気が走る。表皮を取り繕ったダールストは弛み切った頬を強張らせてヒクヒクと動かし、どうにか苦笑を浮かべた目が先に逸らされる。
一呼吸を置いて再び戻された目線は既に平静に戻っていた。
「私の意見に決まっていますとも。天地神明に限って誓いましょう」
それでも返すダールストの声には、なんの躊躇もなかった。
圧倒的な権力を持ち、それを振るうことに微かな違和感すら持ち合わせていなかった。父親世代の苦汁に胡坐を掻き、ゲーム感覚で世界を動かそうとする傍若無人ぶりは頭でっかちのぼんぼんの所業以外のなにものでもない。
若造に上手く動かされていると分かっていても、目の前のラゲイマに負けることに比べれば我慢できることだった。
(貴様に勝つ為ならば手段を選ばない)
同時期に議員になったが、出会った当初から気に入らなかった。
自らの力で成った者と父の力で成った者という違い、能力、人間性、あらゆる点でダールストはラゲイマに及ばないのに、誰からも恐れられている父に唯一反抗を続けていた姿を見続けきた。
劣等感を刺激され、コンプレックスを抱き、今まで他人を羨んだことも執着したことも無いダールストが敵視し続ける相手。
六年前の自らの失策で父が議員を辞職せざるをえなかった理由すらラゲイマの所為にして、しまいには派閥を切り崩されて風前の灯となるところまで追い詰められた。クルトの存在がなければ、もしかしたらダールストは今頃議員を追われていかもしれない。
(ラゲイマに負けるぐらいなら若造の靴を舐めても構わん)
ダールストは憎悪と剥き出しの劣等感に溢れていた。欠片も親愛も愛情も感じられない。それほどにダールストの心は歪んでしまっている。
六年前のウェールズ襲撃事件で勢力を削り切られ、身近な者にすら裏切られたダールストにはクルト・ゲーデルの助けは地獄の仏だった。徹底的に思い知らされた政治家としての格に、ダールストの中にはラゲイマのへの憎悪に染まり切っていた。クルトに言いように扱われていようと、ラゲイマに負けるよりは遥かにマシと思うようになっていた。
「我らには災厄の遺児に関わっている暇はない。我らは生きる為に為さねばならないことがあるがあるからだ」
二人が互いをを良く思っていないのは周知の事実である。二人の様子を他の者達は興味深そうに眺めていた。事態がどう転ぶか、みな静観するつもりなのだ。
「我らメガロメセンブリア、純血の人間を生かすための箱舟『ノア計画』。魔法世界が消えてなくなり、火星に放り出されようとも人類の英知を結集した巨大船ノアが我らを生かす。ノア計画にこそ心血を注ぐべきだ」
百年前から計画されて来た箱舟の建造の前には全てが些事であると辺りを憚らずに断言しながら、後ろから人形師によって操作される操り人形のようだと揶揄されても構わないと内心で吐露する。ただ一つ、ラゲイマにさえ負けなければ。
「帝国の移民計画は旧世界での実験の域にまで達しているが、この世界の真実を知れば混乱は必死。自らが幻想だと知らされて纏まるものではない」
ヘラス帝国の実情を嘲笑いつつ、表情を改めたダールストはギラギラとした目でラゲイマを見る。
「前置きが長くなったが、災厄の遺児への生死を問わずの指名手配を提案する。否定される場合は対案を披露して頂きたい」
「…………」
ラゲイマとしても災厄の遺児に対して何らかの対策は取らなければならないと考えているが、その具体案どころか骨子すら掴めていない。対案がないに等しい状況では沈黙を選ぶしかない。
その沈黙を心地良い讃美歌のように見届けたダールストが勝利を確信したかのように円卓を見渡した。
「沈黙は肯定の証、と判断してよろしいのかな」
広間がざわざわと影達の声で埋まった。しかし、強く反発する声も上がらなかった。
「――――では、採決をします」
ダールストは勝ち誇った顔をラゲイマに向け、傲岸不遜に円卓へ促した。
そこで、一拍置いた。言葉の意味が、室内の全員に浸透するのを待ち、自分が盤面の主導権を握っていることを証明するかのように議長でもないのに議決を取る。
「私の案に反対の方は挙手を」
もう一度の沈黙の中で手は一つも上がらなかった。
「採択は為された」
鶏のように垂れ下った頬の肉を震わせ、ダールストはしゃがれた声を上げて勝ち誇る。
勝ち誇るダールストを無視して、ラゲイマはスクリーンの中の少年に視線を戻し、傍目には分からぬほど眩しそうに目を細めた。
二十前にも感じた、ありえぬ光景を幻視した。嵐である。魔法世界に波乱を巻き起こす、猛烈な嵐を感じ取ったのだ。根こそぎに、力尽くに、何もかもを変えずにはいられない烈風を幻視したのである。
確かな時代が大きく揺れ動き特有の胸騒ぎのようなものをラゲイマは感じていた。
会議場を盗聴するクルト・ゲーデルは自らの目論見通りに展開が進んだことにほくそ笑んでいた。
会議が終了して盗聴する必要性を感じなくなって、盗聴器に繋がっているマイクを外して控えていた少年執事に渡したクルトは深々と椅子に凭れかかり、腹の上で手を組んだ。
「流石はダールスト議員。政治家としては無能なれど演技だけは超一流ですね。政治家になどならずに役者にでも成ればいいものを」
「あの見た目では役はないかと。それこそサスペンスドラマで真っ先に殺される放蕩息子の役ぐらいではないでしょうか」
「ふふ、全く以てその通りです。そしてそのような役は絶対に嫌だと言うでしょうね」
クツクツと名目上は上役であるダールスト議員を扱き下ろしながら、彼の頭にあるのは先の会議で唯一クルトの目的を見抜いていた議員にある。
ラゲイマ・タナンティ。クルトが所属するダールスト派と対立する派閥のトップである彼は質実剛健、実直を形にしたような男で何から何までダールストと正反対であるが故に決して分かり合えない間柄。
有能ではあるが扱い難い男と無能ではあるが扱いやすい男と、どこまでも対照的だ。辿って来た経歴が経歴だけに仕方ない面もある。
「ラゲイマ議員に私の動きを察せられたのはマイナスだが、愚物は愚物なりに良く動いてくれただけで良しとしましょう」
ダールストの腹心という表皮の裏で、常に精緻な計算を働かせている複雑さがこの男にはある。
クルトの、武人とも、知識人ともつかない、もしくはその両方を兼ね備えた知性的な野生を宿らせたともいうべき顔が嘲笑の笑みで埋まる。
「能力はマイナスでもプライドだけは一流だから、こちらの望み通りに踊ってくれましたが、そろそろ切り時でもあるか」
大義の見えない俗物は小さなことに拘り過ぎて、自分を、そして周囲を滅ぼす。自分は違う。より大きな何かが見えている。最もダールストにどれだけ罵詈雑言を突きつけられたところでクルトは動じない。今更、その程度のことで罪悪感を覚えられるほど幸せな人生を経てきてもいない。
(…………上手くなってしまったものですね)
少しだけ、過去の自分と今の自分の違いに胸の裡で自嘲する。
紅き翼と袂を別って以降、自分が上手くなったのはこういう負の側面ばかりだ。他人を騙したり唆したりする行為ばかり熟達するのは、嘗て高畑と同じように英雄に憧れた身としては堪える時がある。
だけど、淡い思いを抱いていた人の処刑が実行され、救われても名誉を回復できない現実をまざまざと思い知らされた時、求めたのは権力の力。こういう自分に成りたかったのも、本当なのだ。
傲慢であろうが、残酷であろうが、クルト・ゲーデルはそういう力が欲しかった。そして見事に手に入れた。代償として、忌み嫌っていた者達と同類に成ることで。
「タカミチ、お前は何時まで経っても子供のままだ。夢見がちで、夢想家のまま」
彼の顔は幾つもの苦痛を今まさに背負っている人間特有のものになっていた。
クルトは気付いてしまった。悪人を成敗する正義の味方の秩序で、数億人の生活を守る国家は運営できない。古い体制から解放すれば人が良いものになるという考えこそ、若者が大人になる時に卒業すべき夢物語だった。
英雄に世界は救えても、世界を続けていくことは出来ない。世界を続けていくのは英雄のような超人ではなく、ただのどこにでもいる多数の人を操る者なのだから。
「しかしアリカ様のお子とは――」
スクリーン越しに見た母親譲りの蒼い瞳の輝きが目の奥に焼き付いている。
ずっと保留にしてきた人生のシコリが、今になって目の前に現れる。ほんの一瞬だけ、クルトは複雑な表情をした。
「え……?」
或いは近くにいた少年執事しか気づかなかったかもしれない。複雑な、としか言いようのない顔だった。
喜びだとか怒りだとか悲しみだとか憎しみだとか比較的分かりやすい感情も、それ以外の感情も混じっているようだった。色々な感情の絡み合った結果として氷山の一角だけが漏出した――――そういう風だった。
とてつもなく深くて広い、洞穴の入り口を垣間見たようだった。次の刹那には、クルトは厳しい面持ちを取り戻していた。
「クルト様、失礼ながら申し上げてもよろしいでしょうか?」
少年執事は主であるクルトの不評を買うことを承知の上で聞かねばならないことがあった。
「なんでしょう?」
「ダールスト議員のことです。利用価値があったにせよ、あれほどの害悪を今まで生かしておいた理由が分かりません」
戦禍の後に拾われてクルトに仕えるようになったのはここ数年の話で、少年執事には彼がどうしてダールストを上に置いたままにしている理由が皆目見当もつかなかった。
一目会っただけで分かる醜悪なまでの人間性は、言ってはなんだが生かしているだけで他人を傷つけるとすら思えて、利用価値があるにしても下手をすれば足を引っ張りかねない存在なのだ。
クルトの能力ならば早々に廃して自分が上に立つことも可能だったのではないかと少年執事は思っている。
「君が私に仕えてくれるようになったのはこの数年のことでしたね。であれば、知らないのも無理はない」
「知らない、ですか?」
少しの苦笑を滲ませて、椅子に座り直したクルトは少年執事に向き直る。
「ダールスト議員の父親、前議員のことです」
「噂には聞いたことがあります。現議員と違って優秀な人だったと」
「優秀、という括りではありませんしたよ」
政治家としてクルトが見本として参考にしたほどの男である前ダールスト議員のことを思い出したクルトの顔に苦いものが浮かぶ。
「メセンブリーナ連合の首都メガロメセンブリアの選挙基盤を移住以来支配し続けている一族。その中でも最高傑作と謳われ、己が能力と豊富な資金力を背景にして数十年に渡って元老院を支配した傑物ですよ。決して英雄と呼べる男ではありませんが、それほどの能力があったことは事実です」
ナギを武の英雄とするならば知の怪物とでも呼ぶべきほどの男、と告げると少年執事は目を見開いて驚いている。
「政敵を陥れ、時には利用し、破滅させていました。当時の議会は表側はともかく、裏では前議員の独裁状態でした。大戦当時も完全なる世界と通じて随分と私服を肥やしたと噂されていますが一切の証拠を残していません。現議員以上に悪い噂が尽きないほど他の悪事諸々もね。当時の№2である執政官ですらボロを出したにも関わらずです。その癖して、表側では軍需企業から戦争特需を享受する議員や役人を告発し、自らは正義の人であるかのように宣伝していました」
「そうなのですか……」
息子の姿から父親の姿をイメージを抱くことが出来ず、少年執事はまるで物語の登場人物の話を聞いているような顔をしている。
現ダールスト議員は父親の悪い面を存分に受け継いようだが、前議員はそれらを全く他人に悟らせることもなく、巨大な国家の裏側を牛耳っていたに等しい権力を手に入れていた。
「タナンティ議員が認めるとは思いませんが」
大戦時には既に議員だった、良くも悪くも実直なラゲイマ・タナンティはそのようなやり方を好む人間には見えなかった。
「辛うじて対抗は出来ていましたが、僅かな反抗のみです。あのような人ですから反りが合わなったのでしょうね。不祥事もなかったから陥れることも出来ず、利用することも出来ない眼の上のタンコブであったことは事実でしょう」
質実剛健・実直を絵に書いたようなラゲイマでもそこまで追い込まれるのかと少年執事は心の中で驚く。
「前議員の手腕が表で分かり易く発揮されたのはアリカ女王の一件でしょうね」
ギシリとクルトの組まれた手が強く握られ過ぎて音が鳴った。
「戦後、不毛な戦争に疲れ果てていた民衆は全ての不満と憎しみを押し付けられる生贄を探していた。早々に見つけなければ不満を溜め込んだ民衆は国に牙を剥く。前議員は各国に根回しをして、民衆に逸早く都合の良い立場にいたアリカ女王を示した、全ての原因だと」
感情を抑えるように目を瞑ったクルトは、それでも抑えきれないかのように気の残滓を全身から発しながら口を開き続ける。
「父王を殺し、自らの国を滅ぼし、各国へ難民の受け入れを承諾させて社会不安を増大させ、死の首輪法の俗称で名高い国際的な奴隷公認法を通したことなどでも彼女は既に非難を浴びていた。生贄にするのは実に都合が良かったでしょう」
そして、フッと全身から力を抜いて椅子に深く凭れたクルトは天井を見上げた。その眼は天井ではなく、別の物を見ている。過去か、それとも在りし日の自分か。
「前議員は大戦の末期には既に戦後の為に動いていました。オスティアの決戦時に連合の正規軍の説得が間に合わなかったのは、完全なる世界が敗北した時に備えて残党を狩る為に温存していたとも噂されています。いざ、遅れて駆けつけてもオスティアを自分の制御下に置くためにアリカ女王に世界を救う為に自らの国を滅ぼさせた」
罠と知りながらも世界を救う為に自らの国を滅ぼさざるをえなかったアリカ女王の唇を噛み切るほどの忸怩たる思いを抱いた表情を間近で見ていたクルトだからこそ、前議員の悪辣なまでの策を認めざるをえない。
前議員が敷いたレールの上を走るかのように、罠に嵌らざるをえなかったアリカ女王は民衆の不満を押し付けられて災厄の女王と呼ばれるようになった。本当に世界を救ったのは彼女なのに。
「生贄を押し付けられたアリカ様の処刑が決まり、災厄の女王と呼ばれる彼女の味方を名乗り出る者は一人もいなくなってしまった――」
世界を救う為に自らの国を亡ぼす決断までしたアリカが連合再辺境のケルベラス無限監獄に二年も投獄された当時の自分の激情を思い出したクルトの眼には何も映っていない。
「幸いにもアリカ様はナギによって救われましたが、彼らでは名誉とメガロメセンブリア元老院の虚偽と不正が正されることはなかった。所詮は武の英雄でしかない彼らに出来ない事だ」
「だから、クルト様は政治家になられたのですか?」
「それだけが理由ではありませんがね」
アリカの名誉を回復する為には周到な組織の力に追われるだけだった紅き翼に限界を感じたことは事実だが、年を経るにつれて完全なる世界の目的に疑問を持ったことも理由の一つではある。
紅き翼と袂と別ち、メガロメセンブリアに渡って後援者を得て政治家の道を選んだのはそれだけの力があると見込んだからだ。
「政治家になるのにも元紅き翼というバックボーンは大いに役に立ってくれました。大変だったのはなった後です。前議員が自分の派閥に私を引き込んだのです」
紅き翼の名前は大きく、議員になることは難しくなかった。期待の新鋭として議員となったクルトを前議員は自身の派閥に引き込み、飼い殺しにされた。自分でも要領が良く、器用な自覚があったクルトは議員になってもそれなりにやっていける自信があったが、知の怪物の前では生まれたての雛でしかなかった。
「利用されども信頼はされず。大々的に表には出ていましたが大した権限は与えられず、飼い殺しに近い状況でしたよ」
外様のままで大した権限は与えられず、アリカの有罪を決定づけた不正の証拠を見つけることがどうしても出来なかった。しかもクルトの目的を理解された上で泳がされていると分かってしまう。下手に探り過ぎれば消されるのは自分で、文字通りの格が違ったのだ。
だから、学ぶことにしたのだ。見方を変えれば前議員はそれほどに政治家として優れているという証拠であり、前議員のやり方を真似することが自身のスキルアップに繋がるのだと、必ず寝首を掻いてやると心に誓って牙を研ぎ続けた。
「様々なやり口を見て来ましたよ。決して自分は手を汚さず、他人を利用して人を陥れる。十年前には、余所から派遣されて来たエージェントが自分を探っていると知れば、偽りの情報で戦地に誘導して死ぬように仕向けていたこともありましたね」
決して学んで喜ぶ類いのものではなかったが、人を動かす・利用することにこれほどに長けた者はいなかったとクルトは語る。
「ことが起こったのは六年前、旧世界のウェールズにある隠し里を襲った悪魔。普通ならばはぐれ悪魔に襲われた運の悪い事件で終わるはずでしたが、二つの要素が意味を変えた」
「
「正確には、狙われたのは
「アリカ女王の子供だから、ですね」
ナギが生まれた村は彼を慕って住み着いた者が多く、集まれば軍隊の一個大隊にも劣らぬと噂されていたほど。そのことを知っていて、悪魔を大量召喚できる組織力があるとなれば候補は限られてくる。
そしてアリカ女王の子供がいたからこそ狙われていたとなれば、アリカ女王を生贄に仕立てたメガロメセンブリア元老院こそが犯人である。
「腑に落ちませんか?」
「今までの前議員のやり方にしては杜撰な気がします。何も悪魔など召喚しなくても暗殺者でも雇った方が確実です」
用意周到な前議員のやり方にしては力尽く過ぎて、しかも不確実性が高すぎる。村に一個大隊ほどの戦力があるならば目的の子供に逃げられる可能性も高く、現実として生きている。それならば、暗殺者でも雇って襲われる方が確実性が高い。
「子供達は結界の張った村から出ることはなく余所者が入ることは難しいという理由があったにせよ、杜撰なのは事実です。この一件に関して前議員は関与していないのですから」
「していないのですか?」
話の流れ的に前議員だと思った少年執事は驚きに目を僅かに見開く。
「この件の主犯は君も知る現議員の方ですよ。正確には前議員に反抗的な一派が唆したのです。いるのですよ、表向きは恭順した姿を見せながら内心では反抗的な者が」
陰謀や作為ばかりではなく、ちょっとした偶然や他人のポカまでもが盤面を大きく変えてしまう。最善だったカードは容易く悪手となり、最悪だったカードもまた容易く最善と変わる。幾つもの個人の利害や歴史、心情さえ加味して流れていく現実のゲーム。パワーゲームとは、そういうものなのだ。
今回もパワーゲームの結果として行われたことと言えなくもない。
「処刑されたはずのアリカ女王の遺児の存在が公表されれば彼の派閥が最も大きなダメージを受けますからね。そこを突かれ、利用されたのです」
「前議員ならば気づきそうなものですが」
「もう随分とお年を召されていましたから息子に後を譲ろうとしていたところで、現場から少しずつ手を引いていたところで気が付いたのは恐らく全てが終わった後です」
当時から議員であった現議員だが甘やかされて育ったと分かる容姿と性格で、本来ならば議員になれるようなレベルではなかった。父のお蔭でで議員に成れたような人間である。そんな彼にもアリカ女王の遺児の存在の危険さは理解できたから、別の議員から遺児の存在を聞かされて手を打とうとした。勇退しようとしていた父の晩節を穢すことになるとも知らずに。
「一派の目的は遺児の始末と前議員の影響力の排除。遺児の影響は言うに及ばず、前議員に勇退などされたら息子を通して何時までも議会を操ろうとした事でしょう。そのことが我慢ならない者達もいたのです」
嘗て感じていた恐怖や恐ろしさも少し縁遠くなれば忘れてしまうのが人の性。いなくなっても影響力を残されては堪らないと、息子を利用して廃しようとしたのだ。
彼らにとって幸運だったのは前議員が息子を見捨てることだったが彼も人の親だったのか、見捨てることなく助けてからラゲイマによって議員を辞職させられた。
「手段はともかく、影響力の排除という点では概ね成功したと言っていい」
実際にはその一派も責任を取らされ、前議員の影響力を排除したのはラゲイマではあるが、一々クルトもそこまでは言わなかった。
「タナンティ議員によって派閥を切り崩され、前議員の庇護を失って弱っているところを突け込むのは実に簡単でした。後は君も知っての通りです」
少年執事がクルトに拾われて仕えるようになったのも現議員の派閥の中枢に入り込んだ後のことなので、その後の経過のことは知っているつもりだった。
「では、アリカ女王を貶めた偽の証拠も見つけたのですね」
「随分と時間はかかりましたが、ようやくです」
ふう、とその苦労を思い出したのか、クルトが小さく溜息を漏らして肩から力を抜いた。今度の溜息には重い実感が籠っていた。長く、細く、急に百歳近い老人と化したかのような溜息だった。
再び顔を上げた時、クルトの目には鋭利ともいえる危険な刃を宿す光があった。
「彼の子が魔法世界に来たことは契機です。そろそろ下手な役者には退場してもらう時でしょう。これはある意味でチャンスです」
「チャンス、ですか?」
少年執事が問うとクルトの双眸が鋭く輝いていた。誰よりも繊細に人の機微を読み取り、それを含んだ上で剛直に振る舞う複雑さがクルトにはあった。
「年寄りどもは二十年前の大戦が懐かしく思えるなんて戯言をほざく」
自分の罪を噛み締めながら続ける。
「だが、私はそうは思わない。大戦は終わっていない。私の中ではずっと続いている。否、誰であってもそうでしょう。終わったと思っているのは政治家ばかり。もう一度嵐を起こす必要があります。その火種がやってきたのですから」
嘗て世界が見捨てた災厄の女王の遺児が何の目的で魔法世界にやってきたかは分からないが、確実に二十年の間に停滞していた空気を動かす存在になることは間違いない。時代がうねりを伴って動き出す予兆を敏感に感じ取ったクルトはその流れに乗るべく自らも一石を投じたのだ。
「アリカ様の子を利用するにしても、まずは見極めなければならない。優れた政治家の子が愚鈍であるように、英雄の子がまた英雄とは限らないのだから」
どこまでも真摯な、地獄のような執念に満ちた顔であった。その口元には、辛辣な真実を覗いてしまった者だけが持つ荒涼たる笑みが刻まれていた。
偉人の子が偉人ではないように、生まれや育ちで人はどのような人間にも成り得る。クルトが計画している中では遺児は重要な存在ではあるが、上に抱く価値のない存在でなければ意味がない。
状況が一気に動き出す中でラゲイマに気付かれぬ為に、そしてこの程度を乗り越えられないなら自分と共に来るのは不可能なのだと考えたところで、ここに辿り着くのに二十年もの時間を要したことに気付く。
「…………あれから二十年か。この時をどんなに…………」
それ以上は言葉にならなかった。震えぬ声が出せるようになるまでに、たっぷりと十秒はかかったが、少年執事の窺う目を見ずに立ち上がったクルトは言った。
「アスカ君、これは私からの試練です。乗り越えて私の下まで辿り着いて下さい」
振り返って背後にある窓から街を見遣ったクルトの瞳には、少年執事は気付いていないが微かな焦燥の色が浮かんでいた。
「そして私と共に世界を救うのです」
底なしの悪意も、絶望の底の希望も、全てが残酷なまでに繋がっていた。
元老院周りは独自設定ばかりです。