魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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二ヶ月ぶりの更新で、あまり納得いかない出来上がりですが







第67話 怒りの日

 

 

 

 

 

 ブラットの世界が壊れたのは何時だっただろう。優しい光に満ちた幸福な日々が虚飾だと思い知らされたのは何時の事だっただろう。

 

(…………赤い)

 

 世界が赤い。ブラットの世界が赤く染まっている。夕暮れに似ていたが、到底そんなものではない。

 ブラットの目の前で赤く巨大な炎が膨れ上がり、まるで世界の終わりのように轟々と燃えていた。

 美しかった草原が、賑やかだった道が、自分が住んでいた家が見る影もなく焼け爛れ、跡形もなくこの世から消え去っていく。

 

(俺の世界が燃えている)

 

 ブラットは忘れられない光景を思い出す。

 こんな夢の中でも、未だにあの世界は燃えている。最前まであったはずの人の叫びも呻きも、もう耳に届かない。ひょっとしたら知り合いだったかもしれないものが禍々しく黒ずんで、ブラットが生まれて育った世界と共に燃え尽きる。

 ブラットにとって夢とは、無駄な感情を削り、無機質な情報へと変えて記憶庫に放り込む作業に過ぎなかった。だけど、夢は打ち捨ててしまった記憶に、唯一出会える場所でもあった。同時に何度も惨劇を思い起こさせる地獄のような時間でもある。

 

『いいかい、ブラット。夢について色々な仮説があるけど、記憶の整理の為というのは大体共通している。逆説的に言えば、人の記憶は夢まで使って整理しないといけないわけだ、分かるね』

 

 人が夢を見るのは起きている間に記憶を整理するためだと言われている、と学者で物知りの父は、子供の頃に悪夢に怯えた息子を前に何時も通りの世の中を斜に構えたような顔をしていた。

 その父もまた煉獄の炎に焼かれて無惨に死んだ。

 

『リアラ! 親父! お袋! みんな!』

 

 ずっと一緒に育ってきた幼馴染も、自分を育ててくれた両親も、生まれた頃から良く知る隣人も、家族とそう変わらない繋がりを持つ村人達も、誰もが等しく煉獄の中に没した。

 

『俺は、俺はこんな結末を迎える為に戦ったわけじゃない! なのに、何故、何故なんだ!』

 

 成人を迎えたばかりのブラットがメセンブリーナ連合の軍人となったのは村を護る為だ。

 ヘラス帝国とメセンブリーナ連合の境目に位置するブラットが生まれ育った村は何時戦禍に襲われてもおかしくない。大戦末期まで戦場に晒されなかったのは寧ろ奇跡に近い。

 戦争のご時世では転居するにはリスクが大きすぎて、しかしその場に留まるのも危険が伴う。だからこそ、ブラットは戦争が早期終結することを願って軍に志願したわけである。幼馴染にも、隣人にも、村人皆にも止められたがブラットの決意は固かった。

 それでも最後にはなけなしの金を集めて買ってくれた魔剣を選別として贈られた。今もその魔剣をブラットは今も愛用している。

 にも関わらず、この結末は何だ。

 村が戦禍に襲われたと聞いて、与えられた任務放棄してまで駆けつけてみればヘラス帝国側の奇襲によって既に滅んでいた。

 焼き討ちに遭い、生存者がいないと誰でも分かる。

 

『亜人が……!』

 

 任務放棄の罪で除隊は免れたが、最前線に配置されたブラットは戦い続ける。亜人を憎み続けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノアキスの外れにある空き倉庫には熱気が籠っていた。そこに集まった百を超える男達が発する熱が室内に滞留して、まるで気温が上がっているかのような錯覚さえ覚える。

 

「シスハーンの姿が見えんな」

 

 樽に腰かけて片膝を抱えていたブラットが部屋に篭る熱意に気付いた様子も見せずに言葉を漏らした。

 誰かに問いかけるというより思ったことをただ口にしただけのような言葉は、本来ならば誰に聞かれることもなく虚空へと消えていくだけだったが聞いていた者がいた。

 

「昔馴染みに会いに行くと言っていました」

 

 脇に控えて耳ざとくブラットの言葉を聞いていたキンブリーは答えた後に僅かに顔を顰めた。

 

「選手団を味方に引き込めるかもと言う話でしたが、我らの作戦が漏れる可能性もあります。念のために作戦を早めますか?」

「必要ない。今の段階ならば多少情報が洩れても都市側の対処は間に合わん」

 

 キンブリーの心配を一刀に切り捨てたブラットは室内を見渡し、各々に身に着けている鎧の着心地や武器の感覚を確かめている者達に目を向ける。

 

「魔術具の準備はどうか?」

 

 金があるわけではない面々なので統一性のない一式を身に着けた者達の熱気に満ちた空気を肌で感じ取ったブラットが聞くと、キンブリーはニヤリと笑い「抜かりなく、都市各部に配置しています」と返す。

 

「連絡員に通達すれば今すぐにでも始められます」

「そう焦るな」

 

 逸るキンブリーを視線と言葉を抑え、血気に逸る者達を見据えたブラットの目は不気味なほどに静かだった。

 

「一時の感情に押し流されて冷静な判断が出来なくなって作戦が失敗しては何の意味もない」

 

 ブラットがわざわざ言うまでもなく元軍人や元奴隷剣闘士が多く、冷静さを失った者達の末路を知っている者達ばかりだ。現役の賞金稼ぎも多くいる面々には普段ならば必要のない言葉ではあったが、彼らにとっての夢が成就しようとしている時に興奮してしまうのは避けられない。

 

「各自時間が来るまで英気を養え」

 

 興奮に水を差すようなブラットの言葉にも二十代以下の若者がいない集団は自分の分を弁えているので静かに時間を待とうと、武器の手入れを始めた者や精神統一している者など、方法はともかく時間まで英気を養おうとしている。

 彼らを見渡したブラットが樽から立ち上がり、傍らに立てかけてあった魔剣を持ってどこかへと行こうとする。

 

「ボス、どちらへ?」

「トイレだ」

 

 気になったキンブリーの問いに返って来たのは、作戦前にすることとしては真っ当なことだった。とはいえ、止めたことに対してそれ以上のことは言えず、ただ「そうですか」となんとも言えない表情でブラットを見送る。

 

「私も自分の準備をしておくか。ドドロケ、なにかあったら直ぐに連絡してくれ」

「分かりました!」

 

 頭が良くなくて抜けているところはあるが仲間内での評判は悪くない下っ端のドドロケに頼み、キンブリーは特に急いだ様子を見せることなく室内から出ていく。

 一度室内を出てどこかに向かう途中で道を外れ、辺りに誰もいないのを入念に確認して先程までいた倉庫から少し離れた狭い路地に入る。

 路地に入ったキンブリーは一分ほど待って誰も現れることがないのを確認して、懐から通信用の魔術具を取り出す。

 

「こちら、ミスター・ブラウン。作戦は予定通りに行われる。繰り返す。作戦は予定通りに行われる」

 

 魔力を込めて起動させた魔術具を口元に近づけ、小さな声で必要なことを告げると耳に当てる。

 耳に当てた魔術具は当初は何の反応も示さなかったが、少しずつノイズ音のような音が漏れて来る。

 

『…………了解。情報提供、感謝する』

 

 ザーザー、と多少のノイズ音の合間に低い男の声が魔術具より発され、発信源を特定されない為に直ぐに切れる。

 しっかりと通信が繋がっていることを確認して、キンブリーは持っていた魔術具を地面に落とし、振り上げた踵で踏み潰す。そしてもう一つ同じ魔術具を取り出して同じような内容を繰り返す。

 

「くくっ、今回のことで両軍にチクるだけでボロ儲けだ。暫くは遊んで暮らせるな」

 

 二つの魔術具を踏み潰して路地の端に蹴飛ばしたキンブリーは大した労力もなく得られる金に唇の端を上げてニヤリと笑い、今も作戦の時間を待っている仲間たちがいる倉庫の方向へと目をやる。

 

「悪いな、みんな。俺は一抜けさせてもらうぜ」

 

 世の中は所詮利用されるするか、だと暗に言葉に込めつつ、作戦が成功しようが失敗しようが死んでいたのだろうから利用されてくれと嘲笑う。

 

「この腐ったれた世の中で一都市で革命を起こしたって大国には敵わねぇんだ。精々、俺の為に死んでくれや」

 

 作戦開始までにはまだ時間はあるが、巻き込まれては叶わないと都市を出ようと足を踏み出したその瞬間だった。

 

「随分と面白いことをやっているな、キンブリー」

「っ!?」

 

 聞こえて来た声にキンブリーは心臓に釘が撃ち込まれたような衝撃を感じて、踏み出しかけた足を硬直させる。

 壊れた機械のように声が聞こえて来た方を振り返れば、そこにいたのは路地の壁に背中を預けたブラットの姿がある。その眼はとても冷たく、曲りなりにも仲間に向けるようなものではない。

 

「ぼ、ボス? いきなり何を――」

「下手な芝居は止めろ。お前が作戦を帝国と連合に漏らしていたのは既に知っている」

 

 魔術具は既に破壊してゴミと化している。後はこの場を誤魔化して離れればどうにでもなるというキンブリーの予測は一刀両断出された。

 

「何故、という顔をしているな」

 

 ブラットは表情一つ揺るがすことなく、キンブリーの百面相を見ながら壁から背を離す。

 

「最近になっての物資の流通のしやすさ。資金の調達、計画の進捗具合と何もかもが上手く行き過ぎている。アイツらはこれが天命だと考えているが、そんな都合の良いことが俺たちに起きるはずがない」

 

 ブラットは自分達を落伍者、持っていない者の集まりであると知っている。でなければ、こんなところに集まるはずがないのだから。

 副リーダーとして実務を担ってきたのはキンブリーであったから、真っ先に自分が疑われるのだと気づいていないところが本職の軍人に劣るのだと証明している。

 

「分かっていながら何故俺を泳がしていた!?」

「その方が作戦が成功すると判断したまでだ。どうせ両軍と動くのは分かりきっていたこと。戦うのが早いか遅いかの違いでしかない」

 

 身内にスパイがいようと利用価値があったから泳がしていたのだと告げられ、ブラットの言葉の真の意味を汲み取ってキンブリーは顔色を変えた。

 

「やはり最初から勝つ気などなかったというわけか!? その目的は――」

「戦争を再開させる」

 

 逃げ場を探して視線をウロウロと彷徨わせているキンブリーを決して逃がさぬと表明するかのように、鞘から真っ赤な刀身の魔剣を抜き放って通路を塞ぐ。

 

「この都市は大国の狭間にある中立地帯。我らがこの都市内で収まらない程に亜人を追い詰めれば帝国も動かざるをえない。帝国が動けば連合も動く。両軍が激突すれば燻っていた火種に一気に火が付き、中途半端だった終わりに明確なケリをつけるだろう」

 

 ブゥゥゥゥゥン、と蠅の羽音のような不気味な音を立てて血のように赤い刀身が微細に震える。まるで魔剣が獲物を求めているかのようでキンブリーには恐ろしくて仕方ない。

 

「両国がこの地で戦争を再開すれば革命を起こした我らは確実に死ぬ。ただ戦争を再開するための布石になれと?」

「そうだ」

「やはり破滅主義者か!?」

「違う。いや、違わないか」

 

 対抗するように自前の剣を取り出したキンブリーを視界に収め、ふと苦笑を漏らしたブラットは羽音を鳴らす魔剣を見下ろす。

 

「我らは死すべき時に死ねなかった死人だ。倦み疲れた生よりも意味ある死を望む」

 

 彼らの大半は元軍人や戦争によって帰るべき場所と人を失った者達の集まりだ。手に職も持っていない彼らが戦後の一番酷い時代を生き抜くには血生臭い方法しかなく、そんなことを続けていればどこに行っても爪弾きにされる。そうやって爪弾きにされれば更に悪い手段しか取れなくなる悪循環が続き今に至る。

 

「戦争に決着を。我らの生に、死した者達に意味を」

 

 それが彼ら集団のスローガンと呼ぶべきものだった。

 

「自ら死にに行くなど狂ってる!? 貴様らは狂ってるぞ!!」

 

 キンブリーにとっては建前としか思っていなかったそれを何も疑わずに諳んじるブラットに、生き汚く今までを過ごしてきた自分と彼らは根本的な考えが違うのだと今更に思い至って手に持つ剣先が恐れを現すようにブレる。

  

「眠れ、キンブリー」

 

 ブラットは瞬動で距離を詰め、突き出して来たキンブリーの剣を魔剣で真っ二つに切り払う。

 

「くっ、がっ!?」

 

 逃げようとするキンブリーの顔面を掴み、力任せに後頭部を壁に打ち付ける。

 キンブリーは苦悶の声を漏らし、意識を失った体から力が抜けてブラットが顔面から手を離すとそのまま地面へと倒れ込んだ。

 トドメを刺すことなく魔剣を腰に下げている鞘に直すと、後頭部を打って気絶しているキンブリーを見下ろす。

 

「貴様の働きには感謝している。裏切りがあった故、報いてはやれんが運が良ければ生き延びることも出来よう」

 

 ここで殺すのは簡単だが、裏切りをただ見逃すことも出来ない。

 帝国と連合の戦争に巻き込まれる前に起きて逃げれるか。その頃にはもう死んでいるであろう自分の関与する問題ではないと、もう直ぐ落ちる太陽を見上げたブラットは不確定要素を想起する。

 

「確かアスカとかいったか」

 

 瞬く間に都市代表選手になった一度だけ対峙した若者のことを思い出し、止められるものならば止めてみろと内心で吐き捨てた。

 

「作戦が両軍に漏れているのならば作戦開始を早めねばならんな」

 

 両国が動く前に作戦を終わらせなければならず、即時の作戦発動を告げる為に気絶しているキンブリーを放置して足早にアジトに戻るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さあ、西方より拳闘会に現れた新鋭、アスカ選手の登場です!』

 

 呼ばれたのでアスカ・スプリングフィールドは選手入り口の手前で首をコキリと鳴らして歩みを進める。

 入り口を通ると広大な空間が広がっていて闘技場がアスカを迎え入れた。

 五万人を収容できるという観客席に囲まれた百メートル四方のバトルフィールドの中央では、審判がアスカの登場を待ち構えていた。

 褐色の肌、頭部に2本の角、背中にコウモリの様な翼を持つ魔族のメガネっ娘であり、首には奴隷の首輪をしている審判が厳かに、拡声魔法が付与されたマイクに口を近づけて告げた。

 

『続いて東方より、精霊獣の一門であるマクスウェルの次期党首と名高きシュナイゼ選手の登場です!』

 

 アスカが入場したのとは真反対の登場口からシュナイゼ・マクスウェルが現れると同時に闘技場が女性陣の歓喜の声に埋め尽くされる。

 波打つ日の光によって黄金に輝く長い金髪を後ろに撫でつけ、切れるような鋭い美貌と鮮やかに輝く蒼穹の如く蒼い瞳。肌はミルクのように滑らかで、高貴さを感じさせる整った顔立ちは御伽噺から抜け出てきたようであり、しなやかな立ち居ふるまいと背後に大輪の薔薇のような華やかさを感じさせる雰囲気から王子と呼ぶに相応しい。少々才気が顔に出過ぎているようだ。自分の才に自信がありすぎ、他人を自然に下に置いている。そんな顔をしている。

 沢山の群集の中にいても、ぱっと人目を引く存在だ。しかし、引き締まった体つきも、発する雰囲気も柔らかさを拒絶して猛々しい。

 

「ふん、貴様が期待の新鋭とやらか」

 

 声が響く。古い楽器のように、重く脳に響く声音だった。

 黄金。それは黄金の人物であった。髪の毛も瞳も、着ている服も黄金色で、華美なその服装が嫌味もなく似合っている。

 

「らしいな」

 

 他人の評価を大して気にしないアスカは、十メートルほどの距離を取って対峙するシュナイゼに話しかけられても淡泊な返事しか返さない。 

 金髪の男は端整ともいえる顔立ちだが、戦いの場にあってもどこか飄々とした雰囲気を漂わせ、口元は不敵に曲げられて眼だけが野生の獣を思わせる猛々しさを宿していた。この戦いも戯れの一つという風に見下ろす涼やかな目は、人を見下しなれた傲慢させ漂わせている。

 

「この私と口を利けるのだ。もっと豚のように鳴いて喜んで見せろ」

 

 傲岸不遜に言いながら、シュナイゼは重々しく両眼を閉じた。どこか芝居染みた仕草が、この男に限っては大袈裟にはならない。

 

「さっさと戦ろうぜ」

 

 こういう手合いは話しているだけで疲れるので早々に切り上げるに限るのだが、何故か話したがるのだ。

 アスカの言葉にシュナイゼが、もう一度ゆっくりと瞼を開いた時、纏う空気に変化が生じた。

 

「ふん、所詮は市政の子供か。愚民には分からぬだろうが物事には順序がある。今はこの私が訓示を垂れているのだ。首を垂れて拝聴するがいい」

 

 絶対的な王の勧告。否定も曖昧な肯定も許さない、人に命令することに慣れた者の威厳。

 その様子も、王者を思わせた。それも王権神授時代、神より権威を与えられた尊き者。この男は生まれながらの王であった。他人を従え、屈伏させ、効率的な運用することを重視する生物だった。

 伝統と歴史を重ね、宝石の如き結晶とせしめた貴族という名の血統。整えられた美髪から鋭い碧眼、立ち振る舞いに至るまで、この男自体が一つの象徴とも見えた。元より貴族とはそういうものではなかったか。

 

「別に聞きたくもないんだが」

「黙って聞け」

 

 落ち着いた声には、しかし苛烈な怒りが籠っていた。それは、支配者としての怒りであろう。自らの領域を汚した者への王としての正当な激怒。故にシュナイゼの纏う空気は殺気に似て奔騰する。

 

(長くなりそうだな……)

 

 ペラペラとシュナイゼが喋っているのを右から左へと聞き流しながら、シュナイゼのマクスウェル一族が使うという精霊獣について考える。

 精霊獣は一群の精霊を仮想人格に統御させることで一個の生物と見立てて、それを使い魔として使役する、精霊魔法と儀式魔法の融合によって生まれた『魔法武器』である。精霊獣、精霊式など呼び名は多々あるが、昔は割りとポピュラーだったのに最近では滅多に聞かなくなっている。ここ二十年で急速に廃れていったからだ。

 二十年前から急速に廃れていった理由は――――『紅き翼』、特にナギ・スプリングフィールドの所為であったりする。

 二十年前の大戦で、帝国・連合のどちらにも属さなかったマクスウェル一族は積極的に参加していなかった。

 間違いなく一流の力を持っていた彼らは、両陣営から協力を求められるも自らの力を利用されることを嫌い、専守防衛に努めていた。一族間でも意見の食い違いはあったものの、最終的に戦争への参加の意思を固めた頃には既に終戦を迎えていた。

 だが、問題はここから。彼らの落日が始まった。

 世界を救った『紅き翼』そのリーダーであるナギ・スプリングフィールドは『千の呪文の男(サウザンドマスター)』と呼ばれている。戦士としては間違いなく超一流であるが、実体は魔法学校中退の劣等生で覚えている魔法も6つと少ない為、アンチョコの存在やメモが必須であることはあまり知られていない。

 世間はナギを千もの魔法を使いこなした男として見なし、まるで万能な人間かのように見たのは仕方のないことであろう。

 戦争に参加しなかったこともマイナスイメージが定着した一因でもあるが、短期間とはいえ、認識が魔法世界中に広まってしまったため、急速に廃れていったのだ。

 

「歴史も伝統もない小僧に見せてやろう! 我が精霊獣の強さをその身を以って知れ!」

 

 アスカがエヴァンジェリンの授業を思い出している間に長い高説を終えたシュナイゼの高らかな宣言と同時に、彼の前に蝋燭ほどの小さな光が灯った。今にも消えそうな光は消えるどころか数倍に勢いを増して、やがて降り落ちて地面へと染み込んで次第に人の形を取り始めた。

 

「出でよ、土の精霊獣ノーム!」

 

 光が染み込んだ何の変哲もなかったはずの地面が、沸騰した水のようにぼこぼこと動きを見せている。徐々に盛り上がり、球体のものが地面からせり出した。と、そこから唐突に動きを見せ、吐き出されるように巨大化し―――――土の人形となる。

 現れた土人形はその場にしゃがみ込むと、こちらへ跳躍する体勢を見せる。

 人間よりも頭二つ分は大きい土人形を見上げ、感心した様子を見せたアスカも戦う体勢を整える。

 

開始(インキビテ)!!』

「さあ行くぞ、下郎。我が一族の総力を結集した精霊獣の力に慄くがいい!」

 

 両者が戦闘準備を終えたことを確認した審判が試合開始を宣言したのと同時に、シュナイゼの叫びと共に土人形が跳躍するのを見届けてアスカがその場から飛び退く。

 ズシン、と土人形が地面に着地した衝撃が闘技場に響き渡り、巻き起こった土煙が両者の影を覆い隠す。百キロ以上はありそうな質量はそれだけで凶器と成り得る。

 土煙の中でノームが地面に着いていた手を上げると、ボコリと辺りの土を削り取ったかのように穴が開いていて手には巨大な爪が形成されていた。ノームは巨大な爪がついた右腕を前に突き出して、アスカを捕らえようと爪を開く。

 不意に、その腕が音を立てような勢いで伸びてきた。

 

「行け、イフリート!」

 

 咄嗟に身を低くしてノームが伸ばした爪付きの腕を躱したアスカは、ほぼ同時に更に別の火の精霊獣――――筋骨隆々な大男の風体のイフリートを顕現させていたシュナイゼの命令を耳にしていた。

 炎によってその身を形成したイフリートが傍らで肌に火がつきそうなほどの熱を火の粉と共に発しているが、何らかの処置がされているのか隣に立つシュナイゼは平然としていた。イフリートが腕を上げて掌をこちらに向けている。

 イフリートの掌の先にぼんやりと鈍く光が灯り、見る間に明るさを増していく。

 

「くっ」

 

 本能的に危険を察知し、屈んでいる状態から飛び上がって空中に逃れるアスカの下を、イフリートの手から放たれた火炎が舐めるように通り過ぎていった。

 

(中々のコンビネーションだ。油断し過ぎるとヤラれるな)

 

 チリチリと皮膚の焦げるような感触にシュナイゼの大言も妄言というわけではないと認め、アスカは攻撃を仕掛けてきた相手を見下ろした。

 

「愚か者を八つ裂きにせよ、シルフ!」

「ガァアアアアアアアアアア!!」

 

 素早く腕を引き戻したノームは素早く身を起こし、次いで呼び出された妖精のような風体の風の精霊獣シルフが口を開いて叫び声を上げ、風によって作られた見えない弾丸をアスカに向けて射出した。

 その数は気配で感じる限りは直ぐに数えられないほど無尽。アスカを覆い隠すほどに風の弾丸が埋め尽くされる。

 

「――シッ!」

 

 逃げ場がないことにアスカは一切焦ることなく、直撃コースにある物のみを狙って白い雷を放って打ち払い、霧散させていく。

 大半の風の弾丸はその場を動かなかったアスカの遥か後方に着弾して爆音を発生させ、迎撃されたものは驚くほど呆気なく打ち消された。だが、その直後、「行け、ウンディーネ!」と叫ぶシュナイゼの叫びが響き渡り、呼び出された女性体の水の精霊獣ウンディーネがアスカに迫る。

 陸上選手のように俊敏な動きでその手に水で出来た槍を握って突進する。

 

「四大属性の精霊獣を同時召喚か」

 

 風の弾丸を迎撃しながらもシュナイゼから意識を離さなかったのでウンディーネの攻撃も奇襲には成り得ない。アスカは跳んだ。一直線に放たれた水の槍を余裕を持って回避する。

 軽く跳んだかのように見えて驚くべき脚力でもって五メートルほどの高さまで跳躍し、そこから虚空を蹴って一気に急降下に転じた。

 

「はっ!」

 

 アスカは長い足を抱え込むようにして身を丸めて、クルクルと駒のように回ってアクロバティックに身体を回転させた。

 虚空瞬動に重力に凄まじい回転力をも乗せて繰り出された踵落としの一撃は、けれどもシュナイゼの脳天を割るどころか、ノームが巨体に似合わぬ素早さで移動してその土塊の腕で主を護る。

 

「!?」

 

 ノームの鈍重な見た目に反した予想よりも素早い動きにアスカが驚いた隙を見逃さず、すかさず残る三体の精霊獣がアスカに攻撃を仕掛ける。間一髪、アスカはもう片方の足でノームの腕を蹴ってシュナイゼから距離を取り、僅かにバランスを崩しながらもなんとか着地を決めていた。

 

「流石に代表になっただけはあるか。ふっ、少しは持ってもらわねばつまらん」

 

 余裕か、慢心か、シュナイゼから追撃はなかった。反対に精霊獣達はアスカの一挙手一投足を見逃さぬように目を離さない。

 

「我が精霊獣は完璧。地に伏し、無様に許しを乞うなら先程の無礼も許そう。無駄な抵抗は諦めて、負けを認める気になったか?」

「はっ、まさか」

 

 微笑とは間逆の尊大な言葉に、アスカは鼻で笑って答える。

 厄介な精霊獣は放っておいて術者本人を叩くのが先決かと思うも、そういう場合を想定して先程のように防御を固めて来るだろう。ちらりとシュナイゼの様子を窺い見ると、その容姿に違わぬ優雅な微笑を浮かべて言った。

 

「ふん、所詮は力の差を知ることもできない愚物では仕方あるまい。実力の違いを思い知るがいい。奴を殲滅せよ、我が下僕どもよ!」

 

 折角の慈悲を無碍にする回答に不快気に眉を顰めたシュナイゼの無言の命を受け、精霊獣達がいきり立つ。

 シュナイゼの叫び声に反応するように、まずはシルフが叫び、それに呼応してか他の精霊獣達も同じように叫び声を上げて、それぞれの属性の弾丸を発射するのが見えた。

 射出された弾丸は遠隔操作が出来るのか、不規則な軌道を描きながらアスカを狙って襲い掛かる。

 予測のつかない方向から襲いかかる攻撃にアスカも躱すのがやっとだった。

 

「ちっ」

 

 アスカは次々と飛来する弾丸を躱し、時には弾くことに集中する。

 四大属性の弾丸は全く想像もつかない動きで、全ての方向から飛んで来た。しかも、一度躱しても再び方向を変え、アスカに向かってくるのである。まるで、糸かなにかで操られているようだった。

 

「魔法の射手以上の誘導性…………面倒だな」

 

 目の前を通過した風の弾丸を仰け反って躱し、背後から向かってきた水の弾丸には身を捻って宙を舞い、足元を通り抜けた他の属性と違って唯一実体を持っている地の弾丸を蹴ってアスカは大きく飛び上がった。

 十数メートル後方に飛んで包囲網から脱出して着地して、ようやく一息つく。

 距離が出来たことで僅かに余裕が出来たアスカは、戦力の分析を始めた。その間にも四体の精霊獣が真っ直ぐにアスカに向かって飛び上がってきた。敵の戦力を分析しながら、複雑に飛び、動き回って追跡を躱し続ける。

 逃げ回りながらアスカの背後から見て正面のイフリートが先程と同じように大きな掌を開き、無造作に火球を放った。

 

(単純な火力では火の精霊獣がトップ。だが、火力に対して速度はそれほどでもない)

 

 被弾直前に躱した火球が先程までアスカのいた場所に命中し、大きな爆発が起きる。目も眩むような閃光が辺りを包んだ。

 爆炎によって出来た目晦ましを利用して魔法の射手を一矢放つ。続いて背後に回った敵によって結果を見届けることはなかったが、イフリートのいた方向から悲鳴のような叫びが聞こえて気配が一つ消えた。

 そして、背後に回った敵―――ノームが右腕に巨大なハンマーの形をした岩石を構えている。

 

(土の精霊獣は実体が分だけ攻撃が重く、攻撃を弾くのも大変。逆に実体がある分だけ自由度がないのがネックか)

 

 唸りを上げて土のハンマーが叩きつけられる瞬間、アスカはさっきイフリートが放った火炎の爆発によってこちらに飛んできた大き目の瓦礫を避けながら手を添えて投げる。

 速度を速められた瓦礫は、アスカにハンマーが叩きつけられるよりも早くノームの中心を貫いた。

 コアを撃ち抜いたのか、ノームはそのまま後方に倒れて動かなくなった。

 

「来い、黒棒」

 

 アスカはノームの様子を見届けることなく黒棒を呼び出し、追いかけてくる残りの二体に向けて飛び出していく。

 向かってくるアスカに、ウンディーネが水で出来た巨大な爪を振りかざし、襲い掛かった。

 

(水の精霊獣は実体とそうでないもののメリットを程よく持っている。逆に言えば長所と言えるものもなく、中途半端とも言える)

 

 鋭利な爪を躱して通りざま、アスカは握った黒棒に魔力を流して紫電を纏わせ、刀身から放射される雷の力で切れ味を増した刃でウンディーネを真一文字に薙ぎ払う。

 プツン、という実体特有の肉を切った手応えとは別の感触があった。一瞬、ちらちらと光を放ちながら、ウンディーネは空中に溶けるように消えていった。そこへ、唯一残ったシルフが翼を強く羽ばたかせて周りの物を容易く切り裂くカマイタチを発生させた。

 

(風の精霊獣は火の精霊獣の対極で速度は最速。その反面、攻撃は軽い)

 

 アスカの反応は素早かった。カマイタチを真っ向から叩き伏せながら最短の距離を駆ける。接近するアスカに気づいてシルフは避けようとするも、頭から唐竹割りをして真っ二つに切り裂く。

 

「!?」

 

 それを待っていたかのように、頭上から何か(・・)が高速で接近した。頭上への警戒を怠っていたアスカは、その一撃をもろに食らって頭に食らう。

 

「あだっ」

 

 アスカは凄まじい勢いで頭部が衝撃に揺らされながらも、その場から飛び退いて数メートル離れた地面に着地する。

 頭を直撃した土の塊にクラクラとする頭を押さえつつ、辺りを見渡せば体の中心を貫かれたはずのノームが何かを投げた後のような姿勢をしている。直後、アスカの背後から復活したイフリートが襲い掛かる。

 

「マクスウェルの精霊獣は作り物。何度でも作り直せるってことか」

 

 振り向くことなく魔力を込めた裏拳でイフリートの胴体を文字通り刳り貫いた。その刳り貫いた空間から勝利を疑っていないシュナイゼの薄ら笑いが見えたが、皮肉にもその余裕がマクスウェルの一族が使う精霊獣がどういう存在(・・・・・・)であるかをアスカに教えていた。

 事実、アスカが次の一手を準備している間にもイフリートの刳り貫かれた部分が急速に修復していっている。

 

「白い雷」

 

 修復しかけているイフリートに白い雷を放って消滅させている間に起こった気配の変化は急速なものだった。アスカの身体を鋭い風が舐め、その身体を地面から引き剥がそうとする。

 目に見えない気流は闘技場の砂を巻き込み、高速で動く壁と化した。竜巻状に荒れ狂うその流れが可視のものとなる。

 

「くっ……!」

 

 吹き飛ばされまいと膝を落として踏ん張り、頭を下げながらも口の中で詠唱を唱える。

 

「魔法の射手・雷の矢」

 

 ボールを投げるように振り下ろした手から幾つ本もの雷の魔法の矢が飛び、抉られた風砂の猛威が瞬間的に消失する。それを数度繰り返しながらも、どちらも譲らない。が、少しずつアスカは上体を起こされ、風の勢いを増していく。

 今暫くは続くと思われた均衡は突然崩れた。アスカが吹き飛ばされたと観客には見えたが、吹き飛ばされたのではなく、自ら飛んだのだ。後方に大きく跳躍すると遠く離れた地面に無音で着地した。

 

「!?」

 

 なんの前兆もなかった。土が盛り上がることも、割れることもなにもない。あると分からない地面の隙間から、ノームの力を利用したウンディーネによる刃物のように鋭い水の一撃が先程までアスカがいた場所に伸びていた。

 アスカはなにかを放とうと左腕を突き出した―――――が、その時には地面から飛び出してきたウンディーネは地中深くに姿を隠している。

 次撃は、定石通りに背後からだった。見もせずにそれを避け、アスカは後ろ蹴りで使い慣れた雷の斧を纏いながら放つ。

 

「雷の斧!」

 

 足の裏で雷の斧を放つという離れ業を成し遂げ、地面から突き出したウンディーネとノームを巻き込んで木っ端微塵に吹き飛ばすのを確認してから、アスカは油断なく辺りを見渡す。

 数メートル先の空中から火球を放とうとしてイフリートに先んじて一撃を見舞おうとするも、標的にしていたイフリートの姿が、瞬時に消える。放ちかけていた白い雷を中断して、練っていた魔力を戻しながら、アスカは手に持つ黒棒を握り直す。

 

(地中に消えた? ……いや、違う)

 

 先程ウンディーネとノームを吹き飛ばしたのを思い出し、その選択肢を除外して精霊獣特有の気配が近くにあることから種を見破ろうと、黒棒を持つのとは逆の手に魔法の射手を放って変化を見破らないように目を凝らす。

 魔法の射手は敵がいたはずの場所を通り過ぎるも、敵が消えたと思っていた空間の一点が揺らぎ、まるで絵が歪むように、透明のなにかが突き進んでくるのが見えた。

 

(成程、シルフによる透明化か)

 

 シルフとイフリートによる光の屈折と熱の遮断なのだろう――――完全な透明化ではない。野外で遠目でなければ、直ぐに見分けがつくだろう。

 光を透過させようと目立つイフリートを完全に隠すことは難しい。近づくにつれてはっきりと知覚できるようになっている。

 カウンターで拳を打ち込もうとした瞬間、衝撃が身体を襲った。

 

「―――――っ?」

 

 正面のイフリートが突然退き、背中にまるで岩をぶつけられたような痛みが走った。更にアスカを覆い込むように周囲の土が呑み込んだ。

 

「しゃらくさい……っ!」

 

 アスカがそう一喝すると、身体を沈める。右手を地面につけると同時に強大な魔力を叩き込んで土を吹き飛ばす。

 吹き飛ばされるはずだったアスカを呑み込みかけていた土のかまくらは突如として火柱に包まれた。イフリートの攻撃だ。

 土で覆われているとはいえ、中は間違いなく灼熱地獄。だが、激しく燃え盛る火柱を前に精霊獣の攻撃はまだ終わらない。

 そこに風でコーディングされた無数の水の刃が全方向からアスカに向けて飛来する。ウンディーネが生み出した水をシルフの風が覆うようにコーディングされており、火柱の中だろうと突破して切り裂くだろう。

 

「な、に……っ!」

 

 攻撃が着弾して大きな爆発が起こり、爆風から顔を庇った腕を避けたシュナイゼは呻き声を上げた。

 必勝を確信したシュナイゼが見た物は有り得ぬものだった。土――――いや、火柱が消え去った後に右手を腰に当てたアスカが余裕の様子で立っていたのだから。

 アスカは大したことをしたわけではない。ただ、その有り余るほどの魔力を障壁に回して防御した。ただそれだけで精霊獣の猛攻を防ぎ得る防御力を有する。

 

「なんという障壁、なんという魔力だ……!」

 

 防御を固められれば四大精霊獣の一斉攻撃でも障壁を越えられない。純粋なスペックの差をシュナイゼは認めなければならない。

 本選ならまだしも今は地方の予選に過ぎない。知名度のない相手に押されるなどありえないと思うシュナイゼの考えは単なる自惚れではない。

 栄華を誇った名声が地に落ちた一族といえど、実力まで落ちたわけではない。一芸に特化した能力の平均値は他のどの家よりも秀でている自信は決して驕りではない。

 一族の中であっても秀でた才を持ち、驕れることなく一族の汚名を勇名に変えるべき努力してきた質も量も余人の及ぶべきもなかった。一族史上最高の精霊獣使いの名に偽りはない。実戦でも一度として敗北はなかった。

 惜しむらくはシュナイゼの完成度に失うことを惜しんだ一族の者達が実戦の相手を格下にばかり調整してしまったことにある。自らよりも弱い相手としか戦わず、勝った経験のないシュナイゼは格上との戦いに慣れていない。勝ち続けたことで自らを最強と勘違いして他者の力量を計れない愚か者となってしまった。

 だが、ここまで大瀑布の如き魔力を感じ取れば嫌でも認識せざるをえない。自分は井の中の蛙であったのだと。

 

「悪いがゴリ押しで行かせてもらうぜ」

 

 言いつつアスカの背後に無数の魔法の射手が浮かび上がる。その魔法の射手に込められた魔力は、一つ一つが普通の魔法使いが全魔力を込めてようやく作れるかというレベルのものだった。

 今まで戦い、一矢辺り一般魔法使い並の魔力が込められた魔法の射手を数十も作りアスカに大した疲労も見せない姿に、傲慢な性質なシュナイゼであっても実力差に気付かざるをえない。

 

「行け!」

 

 震撼しているシュナイゼに向けてアスカが閉じていた手を開いて号令を発するのと同時に、一際強く瞬いた魔法の射手が解き放たれた。

 精霊獣達は主に向けて放たれた魔法の射手を阻まんと間に立ち塞がったが、各自に防御策を張り巡らせたにも関わらず次々と消し飛ばされていく。そしてアスカもまた瞬動術でシュナイゼへと肉薄する。

 

「――くっ!?」

 

 とっさにシュナイゼは、シルフを再召喚して小型の竜巻を生み出して地面に叩きつけた。それは衝撃となり、地面の土砂を巻き上げる。次いで再召喚したノームがアスカの視界を遮る土の波を作り出す。

 

「邪魔だ!」

 

 しかしこれは、あっさりとアスカが繰り出した手刀によって壟断される。だがその時には、シュナイゼは後方へ飛びアスカの間合いから大きく離れていた。

 更に巻き上げられた土砂によって周囲が土煙に包まれていて、シュナイゼはそれを好機と判断。急いでいた為に不完全で力を使い果たし消滅したシルフだけではなく、残りの元素の精霊獣も再召喚するべく集中する。

 差し当たって最も相性の良いシルフの再召喚が終わった所で、周囲の大気の動きを察知したシルフが動き、口を大きく空けて空気の圧縮弾を連続で放つ。

 空気の圧縮弾が砂煙に丸い穴を穿ったのを見たシュナイゼは一瞬歓喜の笑みを浮かべたが、土煙が晴れた場所にアスカがいないことに愕然とする。

 

「―――いないっ?」

「こっちだっ!」

 

 そんな―――と思ったのと同時、右の土煙を突き破ってアスカが叫びながら飛び出してきた。

 既に腕を振りかぶった攻撃の態勢。シルフは空気弾を放った直後で動けない。他の精霊獣を生み出す時間的余裕はない。防御は間に合わない。

 障壁を展開することすら出来ず、雷光の如く円弧を描いたアスカの左拳が振り返りかけたシュナイゼの頬に叩き込まれた。まるでシュナイゼの目の前で爆弾が爆発したかのように体が後ろに跳んだ。

 

「ぐはぁ……っ!」

 

 シュナイゼは容赦の無い一撃を食らって掠れた声を漏らして沈んだ。

 

『強烈な一撃が決まった! おおっと、シュナイゼ選手立ち上がれません!』

 

 巻き込まれないように距離を取っていた悪魔っ娘審判が恐る恐る近寄って来て、殴られたことで立ち上がれないシュナイゼの状態をチェックする。

 シュナイゼも精霊獣使いとして自らの技量だけでなく体も鍛えていたが戦った相手が悪すぎたというしかない。体がピクピクと動くだけで確たるとした動きに繋がらず、その視線すらも定まっていないので頬を殴られた衝撃が脳にまで達していることは想像に難くない。

 

『カウントを開始します』

 

 意識は失っていないのでカウントが取られる。十を数えるまでに立ち上がらなければシュナイゼの敗北が決定する。

 

「待て、カウントは必要ない。俺の……負けだ」

 

 十を数えるまでに立ち上がれないことはシュナイゼ自身が一番分かっていた。カウントを取ろうとしていた悪魔っ娘審判に自らの敗北を宣言する。

 シュナイゼの試合を今まで審判してきたことで彼の傲慢さを良く知っていた悪魔っ娘審判は目を丸くしたものの、片手を上げて『シュナイゼ選手、戦闘続行不能によりアスカ選手の勝利です!』と宣言する。

 わぁっ、と悪魔っ娘審判の宣言に湧き上がった観客の歓声は二分していた、シュナイゼの敗北を嘆く一部の女性陣とそれ以外の者達に。

 

「これが敗北か」

 

 勝者であるアスカが先に闘技場から姿を消しても、ようやく起き上がれたばかりのシュナイゼは立ち上がることが出来なかった。悪魔っ娘審判が担架がいるかと問いかけたが断ってまで動かなかったのは、始めて味わう敗北感に打ちひしがれていたからだ。 

 普段のシュナイゼならば地に塗れた衣服は即座に脱ぎ捨てて新しい衣服に着替えようとするだろう。なのに、着替えるどころか無様な姿を見られようとも動くことが出来ないのは、それほどに生まれて初めて彼が味わう敗北は重く苦かったから。

 幼少の頃から余人を卓越していて常に勝ち続けることが彼の人生だった。それ故に敗者の立場に立った時、どう行動したらいいのか分からなくなる。

 

「…………まだだ」

 

 心は一度芯からポッキリと折られた。それでもシュナイゼは己の裡からメラメラと燃え上がる物を感じた。

 

「まだ私は強くなれる。この程度で立ち止まってなるものか」

 

 以前の彼ならば絶対にしない拳を地面に叩きつけるという行為を行い、フラツキながらも立ち上がる。遺憾ながらも超えるべき目標も見つけたのだ。こうやって蹲っている暇はないと、

世界の広さを知ったのだから武者修行でもして心身を鍛え直さなければならない。

 そうと決まれば話は早いとシュナイゼは戦う前よりもやる気に満ちた目で闘技場を出ていくのであった。膝がぐらついていたのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先の闘技場から選手入り口を通って外に出ようとしていたアスカは、拳を握ったり開いたりしながら先程の戦いを思い出していた。

 

「強かったな、アイツ」

 

 勝敗はついたものの、シュナイゼ・マクスウェルの実力は既に一線級であった。アスカが見る限りではまだまだ伸びしろは大きい。現状でもAAクラスの強さを持つが死ぬほど十年も鍛錬すれば紅き翼クラスにまで辿り着けるかもしれない。

 

「俺ももっと強くならないと…………魔力頼みでの戦い方も改めた方が良いか」

 

 アスカの持ち味は高いスペックと異常なほどの勘である。今まで戦ってきた相手の中でも純粋なスペックでアスカを上回る程は数えるほどしかおらず、シュナイゼを相手にした時のように大抵の相手に魔力頼みで押し切ることが出来てしまう。これでは戦い方が単調になって成長が望めなくなってしまう。

 アスカが今後の方針を考えていると通路の端が見えていた。

 闘技場の外に出たら併設されている飯所にでも行って千雨達に顔を見せようかと考えていると、通路の外から話し声が聞こえて来た。

 

「トサカ、お前だって同じことを思ってるはずだろ! この世界は間違ってるって!」

 

 どこかで聞いた覚えはあるのだが誰だったか思い出せない声が拳闘団に所属しているトサカに思いの丈をぶつけているような叫びが聞こえ、咄嗟にアスカは身を隠すように壁に背中を預けて気配を消した。

 

「俺はお前ほど世界に絶望しちゃいねぇよ、シスハーン」

 

 トサカが相手を、シスハーンの名前を出したが、やはりアスカには覚えがない。覚えがあるような気がするが、名前を聞いても思い出せない時点で重要な相手ではないのだろう。

 

「俺達が理不尽に住むところを奪われたことを忘れちまったのかよ」

「忘れちゃいねぇ。忘れちゃいねぇが、お前らのやることには賛同できぇね。それだけだ」

 

 溜息の音が聞こえる。恐らく話の流れから察するにトサカが吐いたものか。

 

「そりゃ、昔は勝手にオスティアを占領してるメガロとかを恨んだりはしたけどよ。生きるのに必死でそれどころじゃなかったんだ。憎しみはある。恨みもある。でもよ、世界を疎み続けるには捨てられんぇもんが多すぎる」

 

 憎むのも自分が生きていればこそだ。日々の糧を得て、住む場所を確保する。衣食住がなければ生きることすら出来ないのだから憎むのはどうしたって二の次になる。そしてそうやって後回しにし続けて時間が経ってしまえば当時の激情は既に遠い。

 二十年も同じ感情を抱き続けるには長過ぎて、やがて倦み疲れていく当時の遠くなった激情よりも今の生活が大切になってしまった。もう子供の頃のように想いに自分の全てを託せるほど若くもないのだ。

 

「奴隷になった俺をバルガスの兄貴とママが解放してくれた。俺は拳闘以外は他に能がねぇ駄目野郎だけどよ。二人を裏切るような屑に成り下がる気はねぇ」

 

 帰んな、と言外に滲ませるトサカにやがてシスハーンも諦めたのか、肩落としたような気配を感じ取ったアスカは眉をピクリと上げる。

 

「…………そうか」

 

 先程までの激情を滲ませたシスハーンが簡単に引き下がるとは思えなかったので、万が一の場合は飛び出してトサカを助ける気でいたのだが寂し気に呟きながら呆気なくシスハーンは引き下がったようだった。

 

「同じ孤児でもお前にはバルガスさんもクママさんもいたんだったな」

 

 ボソリと呟かれたその言い方は自分にはバルガスやクママのような大切と思える者がいないのだと物語っていた。

 

「昔の好としての忠告しといてやる」

 

 踵を返したらしく、ジャリッと足元の砂を踏みしめる音が聞こえた。

 

「今夜計画は実行される。死にたくなかったら都市を出ることだな」

 

 シスハーンはそれだけを言い捨てて立ち去ったらしく、足音と気配が遠ざかっていくことから戻ってくるようなこともないようだ。

 気配を消して壁に溶け込んでいたアスカは数秒悩んだものの、良く考えれば空気を読んで遠慮するよりも聞いていない振りをした方が無難であると判断して足を踏み出す。

 

「お? よう、トサカ。こんなところでなにやってんだ」

 

 入り口の脇にある階段に座っているのに今気づいたかのように腕を上げて話しかけると、トサカは物凄く胡散臭い者を見たかのようにアスカを見上げる。

 

「テメェ、その様子だとさっきの話を聞いてやがったな」

「な、なんのことだ?」

「どもってるぞ。顔にも出てるし」

 

 マジか、と言って顔を触ってからトサカがほら見ろとばかりの表情をしたので、誘導尋問に引っ掛かったのだと分かり両手を上げて降参を示す。

 

「試合終わったのに出口で話をしてるお前達が悪い」

 

 降参しても自分に全ての非があるわけでもないと逆に開き直ったりしていたが。

 

「そりゃぁ悪かったな。勝者様を出迎えてやろうと思ったんだけど、まさか昔馴染みと会うとは思いもしなかったんだよ」

 

 そう言われるとアスカも強い立場ではいられない。かといって興味本位な面もあったが話を聞いてしまったこと自体は不可抗力な面も多分にあったので。口の中でモゴモゴと言葉にならない言葉を漏らして肩から力を抜く。

 

「さっきの奴、昔馴染って言ってたが」

 

 入り口横で座り込んでいるトサカの隣に立ち、闘技場の外の通路を行き交う人々を眺めながらアスカが問いかけるとトサカが片眉を上げた。

 

「話が聞こえたからさ」

 

 言い訳のようなだな、と言いながらも自分で感じていた。

 

「…………古い話さ」

 

 暫し視線を通路を行き交う人々に向けながら、重く口を開いたトサカは吐き捨てるように言った。

 

「二十年前の大戦のことは知ってるか?」

「一応は」

 

 アスカの返答にトサカは唇を歪めた。

 

「俺も全部分かるとは言わねぇ。当時の俺も只のクソガキだったからよ。アイツはその頃の友達(ダチ)さ」 

 

 嘗ての自分を思い出すような遠い目をするトサカの視線を追ったアスカに見えたものは、通路を行き交う種族すら違う人々だけだ。

 旧世界出身のアスカには種族すら違う面々が目の前を行き交っている光景は未だ慣れぬものがあるが、いずれはこの光景にも違和感を抱かぬようになっていくのだろう。

 

「オスティアがどうとかも聞こえたが」

 

 アスカにとって重要な土地の名前であったから聞かずにはいられなかった。

 

「そんなところから聞いていやがったのかよ…………ああ、いたよ。オスティアが落ちるあの日までな」

「…………そうなのか」

「別に同情してほしくて言ったわけじゃねぇよ」

 

 同情ではなく、自分を生んだ母が関わっている地だけに気にしたのだが見方を変えればそう受け取られても仕方ないとトサカの勘違いを正すことはせず、通行人を眺めるトサカの横顔を見下ろす。

 

「俺は幸福な方だったと思うぜ。少なくとも食うに困ることはあっても、こうやって五体満足で今も生きている。何よりも一人じゃなかったからな」

 

 勘違いに気付くこともなくトサカの独白が続く。

 アスカのマネージャー的な地位の彼とは普段から話すことは多いが、これほどまでに過去に突っ込んだ私的な会話はしてこなかった。それほどまでには深い仲でもなく、時間もなかったのだが昔の知人に会ったことで口が緩んだのか。

 

「あの時代では誰かが何かを失っていた。俺の場合は両親だったわけだが、戦争をやってたんだ。孤児なんて珍しくもない。スラム街には腐るほどいたから仲間は多かった。本当に酷かったのは戦争が終わった後だ」

 

 一つのことに熱中した後に、ふと冷静になってみると犠牲にしてきたものがどうしても目についてしまう。戦争をしている時には気にならなかったそれが大きな意味を持って来る。

 

「戦禍で住むところを失った難民が溢れてたし、仕事が無くなって、物価も上がって物も買えねぇ。生きるためには奴隷に落ちるしかなかった奴も山程いた。誰もが自分のことで手一杯だった中で他人のことを慮れる余裕のある奴は金持ちぐれぇだよ。オスティアが落ちて、孤児で住む場所を失った俺達も奴隷にならざるをえなかった」

 

 自分達もそうであったのだと言ったトサカにアスカも想像がついていたので続きを聞く。

 

「バルガスの兄貴とママが拳闘士として金を稼いで俺を奴隷から解放してくれた。その恩を返すために自由拳闘士になって金を稼いでいたわけなんだが、俺が当時奴隷拳闘士だったシスハーンと会ったのはその中の試合でだ。その試合は俺が勝ったんだが、まあ話をしたらウマが合ってな」

 

 拳闘士であれば自由拳闘士であろうと奴隷拳闘士であろうと試合は行われる。その中で出会い、仲が良くなったのは年と境遇が近かったからだというトサカの話に、自分にとっての小太郎のようなものかと一人で納得することにしたアスカは昼過ぎになってから陽射しを落として来た太陽を見上げた。

 

「俺が兄貴とママを解放できたのが三年前、心機一転だってこの街に来たのは正解だったな。問題はあるが順調にやれてるからな。シスハーンが解放奴隷になったのは五年前。それ以来、会っちゃぁいなかったが、随分と苦労したらしい」

 

 戦争が終わっても問題がなくなったわけではない。寧ろ戦争という大きな問題に片が付いてしまったが為に他の問題に目を向けざるをえなくなった。

 戦争が終わった後は大抵の国の経済・社会が混乱を来たす。

 世界の終末すら見えた戦争の後で経済と社会が順調なはずもなく、多くの軍人が職を失い、あちこちが焼け野原で住む場所もない。難民も多く誰もが困窮していた中で、はたしてどれだけの人が真っ当な生活を送れたのか。一般の人ですら辛酸を舐めたというのならば奴隷がどうだったのかと言えば地獄と言うしかない。

 

「それであのシスハーンって奴は世界を恨んで、この街で何かをしようってのか」

 

 この街に来た時に聞いた話と先程の話を合わせて類推するに平和的な行動ではないと馬鹿でも分かる。

 

「よろしくねぇことは間違いない」

「止めなかったのか?」

「どうやって止めろっつうんだ。俺もアイツらの気持ちはよく分かる。今の世界を変えたいって気持ちもな」

「でも、アイツと一緒に行かなかったじゃないか」

「気持ちが分かっても今の生活がある。もう博打に出れるほど若くはねぇんだよ」

 

 二十代後半の年齢にしては枯れた台詞ではあるが、今の生活を守るというよりバルガスとクママチーフに迷惑をかけることを嫌ったのではないかとアスカは内心で推測する。

 

「世を恨んでいる奴ってのは探せば多くいるもんさ。そんな奴らがこの街に集まって今夜に何かをしようって計画があるらしい。俺も詳しいことまでは分からねぇが」

 

 今夜に行動を移すとは随分と急な計画だとは思いつつも、当日までトサカを仲間に引き込もうとするシスハーンの行動の無謀さに頭が痛くなりそうだった。

 

「止めなきゃなんねぇんな。世界を恨む奴が何か実行しようとしている時は大抵が血生臭くなる」

 

 荒くれ者達が多そうな連中が起こす行動といえば大抵が力押しに終始する。経験則というよりエヴァンジェリンから聞いた昔話から得た教訓でシスハーン達の行動の結末を薄らと予測したアスカが眉を顰めた。

 

「俺は団長の兄貴に伝えて領主に話しを通してくる」

 

 都市代表になったのはアスカではあるが、選手団の団長はバルガスである。元はトサカだったのだが代表選手が変わった際にスライドした形になる。

 選手団は領主直属なので団長にはホットラインが用意されていることは前団長であったトサカも良く知っているので、バルガスに伝えれば領主に伝わり、ひとまずはトサカは自分の役割を果たしたといえるだろう。

 

「俺は茶々丸や千雨を逃がさねぇとな」

「ママにも伝えてくれよ」

 

 二人の意志はシスハーン達を止めることで一致しているが、血生臭いことになるのならば身近な者を危険から遠ざけておきたいと気持ちも同じだ。

 

「ああ」

 

 そして二人は別れる。

 トサカは闘技場に戻り、アスカは外へと出る。

 走って闘技場に併設されている飯所に向かう途中で見上げた空は赤々と、この日を限りに明日からは永遠に夜になるとでも覚悟しているかのように、残照を一杯に集めて燃えて激しく、そしてこれ以上もないほどに染み入る優しさで世界を照らしている。

 

 

 

 

 

 アスカが闘技場を出て走り始めて直ぐ都市を少しずつ霧が漂い始めた。

 瞬く間に霧は濃霧となり、夕暮れ時には決して有り得ぬ現象にアスカは眉を顰める。

 

「何かの魔術具の効果か?」

 

 自然に発生した現象ではないとするのならば誰かの魔法か、それとも魔術具で霧を発生させていると考えるのが自然だ。都市を覆い尽くすほどの霧を魔法を行使したとするならば、アスカの感覚に少しは引っ掛かるはず。となれば、どこかに設置した複数の魔術具を同時に起動させたと考える。

 

「くそっ、こんなことなら念話で連絡を取るんだった」

 

 飯所には直ぐに着いたものの、どうやら入れ違いになったようで闘技場に向かったと聞いて引き返す羽目になってしまった。そして闘技場に戻ってみれば、これ以上の入れ違いを防ぐ為に先に寝床に向かったというのだから念話を事前に使っていればと後悔していた。

 

「念話は誰にも通じないし、人の気配が掴めねぇ。この霧の所為か?」

 

 後悔先に立たず。どうやらこの霧には念話阻害の効果もあるようで、アスカの超感覚も周囲の気配を探ることが出来ない。

 どこから人が飛び出してくるか読めず、下手に走る速度を上げることも出来ず、迂闊に空を飛ぶことも出来ない。事実、建物といった障害物のない空を移動しようと考えた者達が空中で衝突して落ちてきている。

 ここは地道に周りを気にしながら地を進む方が適作と判断し、寝床の近くに辿り着いたところで前方から三人の足音が聞こえて来た。

 

「三人? そういや子供を拾ったって言ってたな」

 

 微かに感じる気配は千雨のものだ。となれば、重い足音が聞こえながらも気配を感じないのは茶々丸となる。すると千雨よりも小さな足音と妙な気配の持ち主は、アスカと別れてから出会ったという少女ではなかろうかと話を聞いていたので推測する。

 人、というには些か奇妙な気配に足を止めたアスカの眦が自然と厳しくなる。

 

「っ?!」

 

 そして霧を縫って現れた千雨、茶々丸に連れられたそれ(・・)を見た瞬間、全身に奔った悪寒にアスカは全力で飛び退いた。

 

「お、おい、アスカ……? いきなり会ったと思ったらどうしたんだよ」

 

 姿が見えたと思ったら霧の向こうへと跳び退ったアスカに困惑して、こちらも足を止めた千雨が目を丸くして問いかける。だが、アスカの眼は千雨を見ていない。ただ一心に茶々丸と手を繋いでいる子供を視ている。

 

「どうしたってのはこっちの台詞だ」

 

 アスカは拳を強く握ろうとして惑うように指先を震わせた。

 本当に何のことか分からない千雨は一歩足を勧めたところでアスカが同じように距離を取ったのを見て、流石に機嫌悪げに眉尻をクッと上げる。

 

「どうしたって……」

 

 と、言ったところで千雨はアスカの視線が自分と茶々丸を見てはおらず、視線が斜め下――――つまりはシェリーを視ているのだと気づいた。

 クママチーフの好意で買ってもらった真新しい衣類を纏い、整容をきちんと行ったシェリーは話していた浮浪児とは似ても似つかない。このような霧の中で恐らく神経過敏になっていたのに話と違う人物がいて驚いたのではないか、と千雨は考えた。

 

「なんでこんな小さな子にそんな剣呑な雰囲気出してんだよ、アスカ。らしくないぞ。この子はシャリーだよ。話はしてあっただろ」

「ああ、覚えてるさ。俺は、人間を拾ったと聞いた」

「じゃあ、なんでそんな剣呑な態度なんだよ」

 

 何を言っているのだ、と全く以て理解できなくて腰に手を当てた千雨の視線の先で、目を細めたアスカは緊張感を並々と湛えて眉間からタラリと汗を垂らして拳をハッキリと握る。

 

「俺には、それ(・・)が人間には見えない」

 

 アスカが言った瞬間、千雨の視界を稲光のような閃光が奔って「ぐぁっ!?」と呻き声が聞こえた。

 

「千雨さん!?」

 

 状況を理解するよりも早く後ろにいた、声からして恐らく茶々丸がぶつかってきた。

 背中から突き飛ばされるなどと想定もしておらず、ぶつかってきた威力が強すぎて手を付くよりも早くこのままでは顔から地面に突っ込むかというところで体が真横に流れる。

 千雨には見えないが、彼女を背中から体を抱えている茶々丸が背中側の服を突き破って出したブースターが火を吹いていたのである。

 

「あわわわわわわわわ?!」

 

 上下前後左右にどれだけ振り回されただろうか。

 目が回るよりも早く止まったのだからそれほど長い時間を飛び回っていたわけではないのだろう。どこかの建物の屋上端に茶々丸に抱えられたまま下りた千雨は、先程の稲光の閃光と振り回されたことで揺れた脳のダメージは容易くない。

 フラフラとする頭で遅い思考が追いつくよりも早くチカチカとする視界が異変を捉える。

 ガラッ、と音がして先程まで千雨がいた場所の対角線上の建物の壁からアスカが片手で壁の欠片をどかしながら起き上がっていて、もう片方の手には紫電を発する特殊な意匠の槍の穂先が握られていた。

 本来ならばアスカに注目するはずなのに千雨が視ていたのは別のモノ(・・)であった。

 

「な、なんだアレ(・・)は?」

 

 茶々丸にぶつかられて倒れ込むはずだった地面が割れて大きな地割れが発生しており、辺りには風が吹き荒んでいてこの一帯だけ霧が追いやられている。異変はそれだけではない。

 シェリーの前に、それまでただ吹き荒れるだけだった風が生命あるもののようにヌメヌメと集まっていき、雷光を纏いながらゆっくりととある形を形成していく。

 瓦礫をどけて立ち上がったアスカは、これ以上ないというほど表情を顰めて空中で形を形成していくソレを見つめた。

 すると、不定形と思われたソレから、ヌウッと腕と思しきものが生えた。その先端の手に当たる部分に、バチバチと激しく弾ける音を響かせながら雷光が集まってくる。途端、アスカの手から特殊な意匠の槍が消え去り、シェリーの前へと出現した。

 

「はっ!? 逃げろ!!」

 

 何かに気づいたように千雨達に向けてアスカが叫ぶ。途端、シェリーの前に出現した槍を握った腕が軽く振るわれると同時に雷光が大きさを増して激しく輝いた。

 その場で飛び上がったアスカに習って茶々丸は千雨を抱えたままその場から飛ぶ。直後、落雷の大音響と共に千雨達がいた建物が粉々に吹き飛んだ。だが、何かの攻撃はそれだけでは終わらなかった。

 飛び上がったアスカを追いかけて、大蛇のようにのたうつ雷光が奔る。

 

「二度も同じ手が効くか!」

 

 黒棒を呼び出して雷光を切り払うアスカ。が、手応えが薄かったのかアスカの表情に笑みはない。

 建物の屋上の上の空中で止まったアスカはシェリーを見下ろしたまま目を離さない。

 その視線の先で槍を握った腕から胴体が形成され、反対の手や足、そして顔が生み出されていく。紫電は更に激しさを増して、二本足で立つソレの存在を明らかにする。

 

「やれやれ、今回はまた随分と荒い召喚のようだ」

 

 より人型に近い形になったソレは言いながら背伸びをするように体を伸ばす。それだけで発せられる紫電が途中で何本にも枝分かれして、その先端全てに強烈な雷光を纏いつかせる。

 

「最悪だ、ルイン・イシュクルだなんて」

 

 あの姿はエヴァンジェリンの別荘にあった文献に載っていた上位雷精『ルイン・イシュクル』そのものだ。数いる魔物の中でも最強クラスと街中で遭遇するなどありえていいはずがない。

 人よりも物語に出てくるような悪魔のような顔のルイン・イシュクルを見つめ、アスカの口から漏れた声には絶望と称して疑いようのないものが込められていた。

 全身を形成したルイン・イシュクルは、アスカを見て苦笑のようなものを浮かべていた。

 

「相手が中々の遣い手のようでは長引きそうか…………さて、そこの災難な若者よ」

 

 見下ろすアスカを見遣って憐れむように声をかけた。

 

「これから起こることは拙者にはどうにも出来ぬこと故、予め謝っておこう。殺してしまい、済まぬとな」

「なに?」

「この少女は我ら精霊を狂わす…………ぬぅ、もう時間切れか」

 

 貴重な情報を得ようと耳を傾けたアスカの視線の先で、ルイン・イシュクルの表情が微かに強張り、その白雷で構成されたような体の胸の部分に墨汁を一滴垂らしたような黒い点が生まれていた。

 

「ぬぐぐぐぐ、戦うよりも逃げることを勧めるぞ。拙者から逃げられればだが」

 

 全身を染め上げるように広がる黒に苦し気な声を上げながらも意外に余裕のありそうな感じでアスカにアドバイスを送り、黒がルイン・イシュクルを全身を染め上げた。途端にルイン・イシュクルが発する気配が獰猛に変わった。

 

「ギャギャギャギャギャギャギャギャギャヤャャャャャャャ!!」

 

 完全に黒化したルイン・イシュクルが醜い叫び声を上げると、その全身が雷が発せられてそこかしこに着弾して爆発が起こった。

 

「止めろ――ッ!!」

 

 尚も雷を発して街を破壊しようとしている黒いルイン・イシュクルに向かって、先程の絶望を振り捨ててアスカが飛んだ。

 

 

 

 

 




黒化ルイン・イシュクルVSアスカの開幕です。

次回 『都市を紅に染めて』


この二ヶ月にしていたことを活動報告につらつらと





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