魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第68話 都市を紅に染めて

 

 シェリー・■■■■■は変わった子供だった。別に人相や性格が人と違うわけではない。寧ろ何時も人形を抱いて笑っている姿は愛らしいとすら言える。では、何故変わった子供だったのかというと生まれる瞬間にまで遡らなければならない。

 シェリーは生まれたのと同時に母親を失っている。

 母親は出産時に原因不明の爆発が起こって入院していた病院諸共に多くの者達と焼け死に、シェリーだけが何故か傷一つなく生きていたのだ。

 後に爆発は精霊が暴走した所為と判明したが、そのような事例は今まで確認されておらず、原因不明として事件は収束することになる。ただ一人、シェリーを例外として。

 それほど大きくはなかった町ではシェリーは厄災の子と呼ばれるようになっていた。

 百人近い死者を出した病院爆発でただ一人の生存者であること、そして彼女が癇癪を起した時に発生する異常現象を知った誰かがシェリーを厄災の子と呼び出した。

 この時からシェリーの不幸は始まった。

 

『この化け物め!』

 

 シェリーの一番古い記憶は父に罵倒されるところから始まる。

 妻を失い、生まれた娘は百人近い者達を殺したかもしれないと疑いをかけられて町を追い出され、精神を病んでしまった父は娘を罵倒するようになった。

 父は心底から娘を恐れていたのである。

 最愛の妻を失って、せめて娘を一人前に育てようとしたのに、赤ん坊の頃から泣く度に不思議な現象が起こってこちらを傷つけてくる娘。

 現状に耐え切れずに娘を殴ろうとすれば、突如として現れた精霊が自らを打ち据える。家から遠く離れた地へ捨てても、どうやってから戻ってきてしまう。職も住むところも失い、それでも生きなければならないとなれば最早狂うしかない。

 

『出ていけ!』

 

 曲って、狂い、侵された父は、少なくとも行き過ぎない言葉の暴力であれば異常現象は発動しないと分かっていたので娘を自分から出ていくように仕向けた。

 散々の罵倒を受けてもシェリーが家から離れなかったのは彼女なりに父を愛していたからだが、狂って追い詰められた彼には伝わらなかった。

 

『化け物!』

 

 英雄でも何でもないただの人である父親の精神は、心に鑢をかけられるような日々に遂に限界を迎えた。

 このまま娘と暮らし続けるよりも異常現象に合ってでも現状の打破を求めたのだ、その先がどうなるかを理解せずに。

 

『出ていけ、化け物!』

 

 半ば精神が壊れた父は木の棒を持って振り回しながら娘を威嚇した。

 場所は掘っ立て小屋のようなボロい家の外。家を背にした父は締まりのなくなった口から涎を垂らしながら目からは正気の光が失われている。

 当の娘は父の異変に気付いていながらもボロボロの人形を抱えたまま立ち竦んでいた。

 シェリーには理解が出来なかった。父が自分を嫌い、憎み、疎んでいることは分かっていたが同時に自分を愛していると疑っていなかった。何故ならば彼女には世界の祝福があったからだ。

 

『――――』

 

 シェリーには常人とは違うモノが見えていた、精霊と呼ばれるモノ達が。

 普通の者達には見えず、よほど卓越した魔法使いやチャンネルの合う眼の持ち主でなければ、精霊が纏わる魔法を使いもしなければ普段から見えることはない。大してシェリーは前提とした全てに当て嵌まらない。

 上位精霊ならばともかくとして、魔法使いが魔力を代償として使役する精霊の個我は薄い。とはいえ、人によって得手不得手があるように、精霊に対する感応力にも差がある。

 「地」「水」「火」「風」の四大元素から「雷」「光」「闇」「氷」「石」「影」「重力」等の様々な精霊がいて、どんな人間でも強弱はあって必ず何かしらの適正がある。逆に言えば、全ての属性に適性があることは理論上有り得ないのだ。

 その理論上有り得ないことを覆しているのがシェリーである。ただそこにいるだけで精霊を惹きつける人間。誰よりも精霊に近く、シェリーならば魔法使いのように魔力を糧とすることもなく魔法を使うことすらも可能だろう。

 問題はその年齢・精神性に対して適性があり過ぎたことだった。

 

『さっさと出て行けと――』

 

 父親が最後の一歩を詰めて振り上げた棒を本当に叩きつけるつもりで振り上げたのを見た時、始めてシェリーは身の危険を感じた。

 木の棒が振り下ろされる正にその瞬間、生存本能が爆発して精霊感応と呼応してルイン・イシュクルを呼び出して、理性を奪って生命を脅かす根源を排除する。

 

『え?』

 

 視界を圧するほどの閃光が奔り、同時に頬に付着した液体にシェリーは理解できないと声を漏らした。

 生存本能が端を発して高まった精霊感応力で自分が呼び出した上位雷精の理性を奪っていることも、理性を奪われたルイン・イシュクルが主を脅かす危険を排除することも、その能力に反してただの幼き子供に何もわかるはずがない。

 

『お、父さん?』

 

 この後に起こるこの一帯を焦土へと変える破滅が起こっても、結局はシェリーは自らの能力を知ることはない。

 彼女にそれを教えられる者は誰もおらず、また正しく導く者もいない。世が世ならば人類史に名を遺す逸材に成れたかもしれないのに、生誕の時から恵まれなかった彼女の運命は加速し続けるばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『上位雷精ルイン・イシュクル。こいつに出会ったら直ぐに逃げろ。いくら今のお前が強くなったとはいえ、まだ敵う相手ではない』

 

 エヴァンジェリンに言われたその言葉を決してアスカは忘れていたわけではなかった。

 アスカは決して一瞬たりとも警戒を緩めたりはしなかった。当然である。黒くなり理性を失った様子であろうともルイン・イシュクルは、数いる魔物の中でも最強クラスの誉れ高い上位雷精。

 油断する要素は欠片もなかった。中空にいるアスカの周囲に遮蔽物はなく、見落とす要素はどこにもない。

 だが、そこにいた。気づけばそこに、アスカの直ぐ目の前に人影があった。

 音もなく湧いた、としか表現できなかった。ただ、気づけば目の前にルイン・イシュクルは存在していた。

 雷光の速さで詰められた間合い、雷撃の強さで叩き込んだ拳。腹部を打ち据えた拳に、アスカは見事に吹き飛ばされる。直ぐに受身を取ったアスカは、それでも十数メートル以上も地面に火花を散らしたところでようやく停止した。

 ガクリと片膝をついたアスカは、そもなぜ自分が吹き飛ばされ、ダメージを受けているのかを理解していない風に。

 

「は……?」

 

 残響音の中、口から零れ出たのは疑念の呻き。前方を睨んでいたその眼光は、打たれた己の腹へと落ち、一瞬前まで自分がいたはずの場所を見遣って、最後に右拳を振り抜いた姿勢で帯電するルイン・イシュクルを見てから、ようやく自分に起きたことを理解した。

 

「雷速移動か」

 

 文献で読んだ通りの移動方法に戦慄していると、ルイン・イシュクルはゆっくりとアスカを見下ろす。

 お互いの距離は十数メートル前後。

 アスカは全神経を集中して、ルイン・イシュクルの指先の動きまで捉えていた。ルイン・イシュクルの雷速に反応して下手な一手は打たずに最適のタイミングを把握して突撃しようとしているのだ。

 またもや唐突に、残像すら残さずにルイン・イシュクルはアスカの目の前から消えた直後、ガクンと視界が大きく傾いた。

 

「……、あ?」

 

 右肩の辺りに衝撃を受ける。痛みが走る。首を振ると、尾を引く残像のように視界全体が大きく崩れた。視界の先に空が見えてようやくアスカは自分が攻撃を受けたことに気づかされた。

 

(は、速い) 

 

 何らかの攻撃をされたのは間違いない。しかし、そもそも何をされたのかが理解できない。一体どのタイミングで攻撃が来たのかすら把握できなかった。

 

「ッ!?」

 

 音は聞こえなかった。相手を見失って視線を宙に彷徨わせたアスカは、避けろ、と頭が悲鳴を上げるよりも何倍も早く、残像すら残さない雷速で接近したルイン・イシュクルによって自身の視覚が急激に横に流れるのを辛うじて捉えた。まだ息も吸えない。

 アスカが息を呑む前に、既にルイン・イシュクルはアスカの真横へと飛び込んでいた。消えた。アスカの目にすらそう判断するしかないほどの速度で潜り込んだルイン・イシュクルは、不意にアスカの鼻先に出現して頬を横から殴るように肘を放つ。

 凄まじい威力だった。アスカはきりきりと身体を回転させながら、近くの建物の壁に向かって吹き飛ばされた。途中、何度か弾んだ拍子に砕けた床が破片を撒き散らし、激突した壁が爆発したように吹っ飛ぶ。

 アスカが一軒の店か家の中を壁から壁へとぶち抜いて別の通りへと出たと同時に響き渡った雷鳴。大気を振るわせたそれはアスカの鳩尾を突き上げた雷拳の一撃。前のめりに崩れ落ちそうになりながら、アスカは濁った呻きを漏らす。

 

「グギャ!」

 

 続く攻撃は苛烈に激しく。腹に打ち込んだ右の拳を引きざま、左の拳を脇腹に叩き込む。次は右を、顔面を、ガードしようとした右腕を、蹴り返そうとした左足を、ルイン・イシュクルは雷光を纏ったままで一撃ずつ、深く、確実に、抗おうとする全ての動作を叩き潰していく。

 

「ぐくっ!?」

 

 堪らずに後ずさったアスカ。だが、間合いが開けば開いた分だけ踏み込んで、より重い一撃を加えるルイン・イシュクル。逃れることも、防ぐことも赦さぬと、雷拳の連撃は、速く、深く、苛烈に、アスカを飲み込んで轟雷を響かせる。

 

「行け!」

 

 轟雷によって生まれた噴煙を突き破って、アスカが飛び出してくる。一人、二人…………ざっと数えて十人以上のアスカたちが、ルイン・イシュクルに向かって襲い掛かった。

 ルイン・イシュクルは、分身達をものともせず、姿が消えたと思ったら、次々とアスカたちを打ち破っていく。打ち破られた分身から生まれた煙が煙幕のようにルイン・イシュクルの周囲を取り巻き始める。

 その煙を突き破り、分身の背を蹴って本物のアスカが宙を飛ぶ。きりきりと身体を捻り、片手に持った黒棒でルイン・イシュクルの背後から斬りつけた。

 

「やったか!」

 

 狙いはあやまたず、黒棒はルイン・イシュクルの背中を切り裂いた……………はずだった。今さっきまでそこにいた筈のルイン・イシュクルの姿がなく、黒棒は目標を失って空振った。

 剣を振るった直後のアスカの横に消えたルイン・イシュクルが現われ、掬い上げるような腹部に打撃を受けた。アスカは躱すことも出来ず、それをまともに腹部に受け、姿勢を崩したまま地面の上に転がった。

 

「魔法の――」

 

 アスカは苦痛に顔を歪めながらも、魔法の射手を放とうとするも、文字通り雷光石化の速度で肉薄したルイン・イシュクルは、アスカの手首を掴んで容易く持ち上げ、ぐるぐると頭上で振りました。そうして、地面に向かって叩きつける。

 

「ぐわっ!」

 

 全身を叩きつけられる前に足で着地すると鳩尾を強かに蹴りつけられた。激痛に思わず反射的に腹部を押さえ、膝を折ったアスカの顔面にルイン・イシュクルの拳が叩き込まれる。

 大気が震え、ばちばちと帯電させる。直後、ルイン・イシュクルは雷と化して亜高速で飛翔して拳を振り放った。空気を引き裂く雷鳴は、踏み込みと打撃と衝撃と、全てを刹那に重ねて鳴り響く。

 

「グギャ!」

 

 ルイン・イシュクルが叫んだ直後の攻撃は、全く把握できなかった。

 左の前腕に感じ取った先行放電(ストリーマー)に肘のカウンターを合わせたはず。避けようがなく当たるはずの一撃は空を切り、気付いた時にはもう、アスカの体は宙を舞っていたのである。直後に襲い掛かる衝撃と痛み。

 

(飛んでいる!?)

 

 何時の間にかアスカは空中に浮かんでいた。当然、そのままでは落下して地面に叩きつけられるので体勢を整えようとして再度の衝撃と共に吹き飛ばされる。

 今何をされたと驚愕と共にそれを成したルイン・イシュクルをを探すも見つからない。見えない。捉えることが出来ない。

 加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃、加速、衝撃―――――。

 攻撃を受けるという認識が間に合わなければ防御など………間に合うはずがない。

 忽ち、アスカの身体は雷を伴った打撃に覆われた。身体中から迸る打撃によって生まれた煙が霧の如く、アスカを隠したのである。

 力が抜けた。

 糸の切れた人形(マリオネット)のように、身体が崩れ折ちて地面へと堕ちた。膝だけでなく、腕からも肩からも、あらゆる関節から力が抜けていった。突き抜けた衝撃波によって、アスカの意思が肉体へ伝わらなくなっているのであった。

 

「……ぅ、かはぁ……」

 

 掠れた息が、漏れる。

 ありったけの力を膝に込める。しかし、脳を揺らされたのか込めた先からすり抜けていく。

 速度は神域。その動き、まさに閃電。

 見えない。かつて戦った誰よりも速く、早い。こんな相手と普通に渡り合えるはずがない。何の弱点もなく、発動に際するデメリットもない。己は敵よりも圧倒的に速い。だから、スピードに任せて攻撃し、防御する。雷速によって、常に敵よりも早く行動を開始する。攻撃を受けても雷速で回避し、絶対に被弾しない。速さという利点を活かした単純にして絶対的な戦術だった。

 

「グギャギャ!」

 

 更に雷槍を構えての炸裂砲弾。回避不可避、防御不能の致命の一撃が来ると勘で察知したアスカは己の裡の力を解放した。

 

「はぁあああああああああああああ――――――!!」

 

 アスカは咆哮と共に全身から血流の如き魔力を溢れさせ、周囲を爆圧で吹き飛ばす。空間そのものを砕くかのように激しく、突撃しようとしていたルイン・イシュクルの身体を後方へと押し返した。

 

「…………ハッ、なんだよそりゃ………雷そのものだなんて何の反則だそれ………」

 

 アスカはここにきてようやく、ルイン・イシュクルが最強と言われる所以を実感した。

 ぼやきは失笑のように、それでもアスカは戦意を緩めない。不屈の敵意だけを眼光に宿して睨み上げる。ルイン・イシュクルはその眼光を真っ向から受け止めて、構えた雷槍に一際力を込めた。

 互いを隔てる距離は目測で約十メートルと少し。二人ほどの実力者なら一足跳びで潰せる間合いである。だからこそ、まずはその先手を譲らぬために、ルイン・イシュクルは無詠唱で

白い雷を放った。アスカが魔法の射手を放つよりも遥かに早い。

 

「速過ぎる!?」

 

 文献に記されていた通り、ルイン・イシュクルは風系雷系の魔法を呪文なしに使い放題なのだと、何の予備動作もなしに白い雷を放つ生成スピードに驚愕しつつ飛翔して躱す。

 地を蹴っての跳躍ではなく文字通りの飛翔であったが、全身を雷光に変じての亜光速移動であるルイン・イシュクルの前ではコマ送りと何も変わらない。飛び立った直後に着弾して発生した土煙の向こうから稲妻となって飛来したルイン・イシュクルは、アスカの懐深くに踏み込んだ姿勢での体当たりを敢行する。

 

「ぐっ」

 

 雷鳴と轟音を響かせて後方へと弾かれるアスカ。そのまま何かの建物の壁に突き刺さり、瓦礫に埋もれながらも、アスカは咳き込んで理解する。

 

(なるほど、確かに自身を雷に変えている。まるで元素変換(マグナス・オブス)だな)

 

 本物の雷に打たれたように服のあちこちが焦げて重度の火傷を負った己の腕を見下ろして笑う。通電の具合が良かったのか、はたまた咄嗟の防御が間に合ったのか、広い範囲ではあるものの表面的な火傷だけですんでいる。

 防御魔法を突破され、咄嗟の反応で障壁が間に合って致命傷を避けたものの、体当たりされただけでこの有様だ。流石は上位雷精というべきか。雷速とは恐れいった、と火傷を負った身を治療しながら賞賛する。

 本物の雷と同じく先行放電に、意思よりも先に身体が動かなければ、すでに勝負は決していただろう。

 単純なぶつかり合いになれば、アスカの方が不利である。手数と間合いが違いすぎるのでアスカが一撃放つところを、向こうは十発は放てるのだからどちらが有利か良く分かるというものだ。

 しかし、とアスカは瓦礫に圧し掛かられながら考える。

 

(今の一撃から、一気に畳み込まなかったのが命取りだ)

 

 アスカはその場に片膝をつくと、静かに両の目を閉じて無言不動で神経を研ぎ澄ます。

 自らを雷と化しての動きは、限りなく光速に迫る速度。まともに追おうとしても捉えきれるものではないだろう。だが、あくまで雷速といっても常時その状態ではない。攻撃を受けた感じでは必ずその瞬間には実体化している。狙うとしたらそこしかない。

 崩れる瓦礫と土煙に遮られた視界。おそらくは、こちらを視認すると同時にルイン・イシュクルは再度雷光化して一気に倒しに来るだろう。でなければ、アスカの攻撃に先手を譲ってしまうからだ。そして先手を取ればもう、互いに攻め手を緩めはしない。つまり、アスカもルイン・イシュクルも、先に相手を補足した方が勝つ。

 アスカは戦闘用に研ぎ澄ました感覚をさらに鋭く尖らせる。それは五感全てではない。聴覚と視覚――――敵を聴き取る感覚と姿を見る感覚だけを集中する。

 僅かな空気の流れも聴き取るため、一mmの動きを見逃さないために、それ以外の感覚をハッキリと閉ざして、思考すら停止させて、その神経全てを、二つの感覚へと収束する。

 常人からすれば、いや達人からしても異常ともいえる領域に二つの感覚を高めていく

 亜高速の動きなど負えるわけが無い。亜高速で現れた敵を迎え撃つことも同じく。何時どこで現れるのか分からぬ以上、まともに索敵していては、アスカはどうしても一歩も二歩も遅れる。

 雷光を見てからでは間に合わない、雷鳴を聞いてからではなお遅い。

 敵は光ではない。ましてや雷ではない。雷電のように動けるだけのただの精霊だ。

 試合で闘ったシュナイゼ・マクスウェルとの対戦で精霊の気配の探知の仕方を理解している。しかも理性を失っている様子から気配はダダ漏れ。雷速で動こうともその意念からは狙いが読み取れる。

 心の波を消し、静かな湖面の様にする。波のない水は鏡に似ており、周りも自分も、そしてルイン・イシュクルすらも底に映し出す。全ての音が遠ざかり、周りの全てが静寂に包まれたかのような錯覚を覚える。

 自分を一滴の雫にすると湖面に堕ちた雫は波紋を生み、均等に周囲に広がって行く。本当の集中は一点に絞るものではない。波紋の様に、意識を一点から周りに広げて行くものだ。

 感覚と思考がクリアになり、先程とは違い周りの状況が感じ取れる。周囲には、崩れた瓦礫の音が、己の呼吸が、鼓動が、様々な雑音が入り乱れがなり立てる中で、それらの全てを、まるで俯瞰でもしているかのような感覚で頭の中へ浸透する。

 だが、それでも相手は雷速である。感知能力を高めただけでは届かない。ならば、自分も物理的な速度を速めるしかない。

 

「くっ……」

 

 学園祭で超との戦いでも使った、魔力で雷を操作して全身の電気信号を操作して体感時間と反射速度を加速させる。

 後で必ずリバウンドが体を襲うが、雷速とまではいなくても先鋭化した感知能力と合わせれば雷化に対応できると考え、アスカが着々と迎撃の準備を整えていたとき、土煙が晴れてルイン・イシュクルはアスカの無事な姿を見てまた雷光を纏う。

 既に準備を整え終えたアスカの耳に轟いたのは微かな雷鳴、目にしたのは稲光。思考よりも早く自然にアスカの身体は動いた。

 鼓膜を打ち、大気を振るわせるほどの轟音は、ルイン・イシュクルとアスカの左右の雷拳を打ち合わせて生じさせた衝撃波の音。

 

「……ッ!?」

 

 音と音が衝突したことによる衝撃波が、周囲の瓦礫を蹴散らして爆散する。視界が晴れた瞬間、立て続けに鳴り響いた雷鳴と、走った閃光。

 自らの雷拳が、迎え撃たれ防がれた事を悟った時、ルイン・イシュクルの眼前にはもう、アスカは動いていた。同じように雷を纏う手が掴みあい、拮抗すると思った瞬間には既にルイン・イシュクルの姿は掴み合っている手の中から消えている。神経を集中する。

 顎の先に、微弱な電流が這うようなチリチリとした感覚があった刹那、上体を仰け反らせる。すると、その場所を拳を突き上げたルイン・イシュクルの身体が下から上へと通り過ぎていく。

 ここだ、と最速で放てる無詠唱の魔法の射手・雷の一矢を放とうとした。

 

「なっ!?」

 

 放とうとした雷の矢が、正確には雷の精霊が反応せずに不発に終わる。

 有り得てはいけない現象にアスカの思考が硬直した隙をルイン・イシュクルは見逃さない。

 最初に音が聞こえた。直後、花火工場が爆発するような直撃音が響き渡った。これまでの弾丸が豆鉄砲に見えるほどの破壊力だった。つい先程までアスカのいた所が、無詠唱で放たれた雷の斧によって地面ごと綺麗に吹き飛ばされた。

 

「…………うぅっ」

 

 砲弾が着弾したような衝撃の後に、自分が何を言ったのか分からず、アスカの体が勢いそのままに壁へと叩き付けられた。

 強すぎる勢いに反発して壁から弾き飛ばされるように跳ね飛ばされ、更に地面へ叩き付けられた。そのまま勢いでゴロゴロと地面の上を何メートルも転がる。手足を乱暴に投げ出してうつ伏せに倒れるその姿は、なんだか壊れた人形を連想させた。

 うつ伏せになったまま動かないアスカの衣服の所々から、線香のように薄い煙がゆったりと漂っていた。長時間テレビゲームをやっていると、ゲーム機本体が熱を持つように。

 雷そのものが直撃した少年の体のあちこちに軽度の火傷を刻み付けていた。目を剥き、口の端から血とも涎ともつかないものが垂れるのを止めることもできない。身体を駆け抜けた雷の衝撃に指先一つ動かせなかった。

 

「雷精、を……奪う、とか……反則……だろ」

 

 先程の魔法の射手が発動しなかったのはルイン・イシュクルか、それ以外によって雷精を集める前に奪われたのだと理解していた。

 

「うぅ」

 

 アスカは倒れたまま、ゆっくりと目を開けた。高圧電流を浴びて意識を失っていた時間は、恐らく短い。時間にすれば精々五秒か十秒程度のものだろう。

 だが、投げ出された手足の先が異様に冷たかった。正常な血の巡りが阻害されているのだ。感電の衝撃で心臓の鼓動が不規則になっているかもしれないし、最悪、気を失っている間に一度か二度、心臓が止まっていたのかもしれない。

 

「精霊系統の魔法が使えないなんて、無茶不利じゃねぇか」

 

 まるで飽きて部屋の隅へ投げられた人形のような自分の手足を他人事のように感じながらも、雷系風系の魔法が丸ごと封じられてしまったことによる影響の大きさの方が大事だった。

 

「……、っ」

 

 試しに指先に力を加えると、人差し指はゆっくりと、死にかけの昆虫みたいに動いてくれた。瞼を動かして瞬きをすることも出来た。ひどく浅いものだった唇の隙間からは空気が吸い込まれ、吐き出されていくし、投げ出された体の中で僅かに心臓の鼓動が聞こえていた。

 体はまだ動いてくれる。それなら、まだ闘う事が出来る。

 歯を食い縛って芋虫のように震える指を動かす。ゆっくり、ゆっくりと五本の指を地面の凹凸に引っ掛け、バーベルでも持ち上げるように渾身の力を振り絞って、ようやく地面から自分の体を起こした。

 片膝をつくだけで、寿命が五年は縮むかと思うほどの疲労。

 片膝をついた状態から更に立ち上がろうと、両足に力を込める。震える膝に全力を注ぎ込み、がちがちに震えたまま立ち上がろうとする。

 今にも崩れ落ちそうな体を動かし、ゆっくり、ゆっくりと上体を起こしていく。

 

「それでもやるしかねぇか」

 

 時間をかけて立ち上がり、一歩ずつ距離を詰めて来るルイン・イシュクルを睨み付ける。

 攻撃系の魔法のほぼ全てを封じられても今ある手札で対抗するしかアスカに打てる手はない。

 

「はっ……!」

 

 佇むルイン・イシュクルに向けて、瓦礫を蹴ってアスカが迫る。無造作でありながら絶大なる踏み込みによって成された一歩は如何なる強者であろうとも容易には躱せまい。しかし、常時雷化出来るルイン・イシュクルに取っては、これを避けるのは児戯にも等しい。

 雷化中は思考加速・身体機動加速の特典つき。この状態にあるルイン・イシュクルの周囲を流れる時間は恐ろしく遅い。映像をスロー再生するようどころか、殆ど静止しているといっていい。

 ルイン・イシュクルにとっては、相手が神域の踏み込みで迫ろうとも亀の歩みに等しかった。壮絶なるアスカの武芸ですら簡単に見切れる。

 徐々に近づいてくる。拳がルイン・イシュクルの顔に触れるまで、後五cm、一cm、二十mm、五mm、一mm……………ここでようやくルイン・イシュクルは回避行動に移った。

 雷の速さでサイドステップする。

 すると、ルイン・イシュクルの体は、本来の状態ならば近くも出来ずに殴られるだけの一撃をすり抜けた。傍目には、当たったはずの攻撃がルイン・イシュクルをすり抜けたように見えただろう。或いは、ルイン・イシュクルが数十cmだけ瞬間移動したかのように。

 雷の速度という神速の世界にいるルイン・イシュクルが感じている状態。如何なる力も、技も、戦術も、全てが意味を失う絶対的な速さ。

 未だダメージが抜けきらない中で、あまりにも理不尽な速度差にアスカが対応策を考えていると、視界に別の敵の姿が見えた。

 

「おい、反則だろっ!?」

 

 気配から地・火・水と思しき上位精霊達がルイン・イシュクルと同様に黒化して、アスカに向かってやって来るのを見て叫ばずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカを襲っているルイン・イシュクルを召喚したのがシェリーであることは一目瞭然であったから、長谷川千雨と絡繰茶々丸も坐して見ていただけではなかった。

 

「この砂嵐は何なんだ!?」

 

 少し離れたところで稲光が何度も瞬き、激しい衝突音のような爆音が轟く中でシェリーに近づこうとした千雨達を遮ったのは突如として発生した砂嵐である。

 シェリーを中心として発生した竜巻が地面の砂を巻き上げ、人の肉体などミキサーのように削り取って余りある砂嵐を前にして千雨が叫ぶ横で茶々丸は現状を把握しようとしていた。

 

「精霊反応増大中。千雨さん、この場は危険です。離れて下さい」

 

 センサーが示す数値の上昇率からこの場に留まることは危険と判断し、何の力も持たない千雨に避難を促す。

 

「なんでだよ! あそこにシェリーがいるんだろ」

 

 千雨は抱えていて貰わなければ嵐の勢いに吹っ飛ばされていることを理解出来ていないのか叫ぶ。

 茶々丸は不利な戦いを強いられているアスカがいる方向を見て、この場よりも激しい精霊反応に眉を顰めた。

 

「先程の霧はともかくとして、この砂嵐と先程の上位精霊はシェリーが引き起こしています。彼女に危険はありませんよ」

 

 砂嵐とアスカと戦い始めた上位精霊達の出現によって、この一帯の霧はポッカリと穴が開くように視界が晴れている。

 茶々丸はセンサーの感知機能から状況を理解しており、今現在のこの都市で一番安全なのがシェリーであると理解している。

 

「なら、尚更止めなくちゃいけないだろ」

「どう止めるというのです?」

 

 茶々丸にハッキリと言われ、風で煽られる髪を右手で抑えていた千雨は言葉を失った。

 アスカと違って特別な力を何一つ持たない千雨には砂嵐を止めることも、上位精霊をどうこうすることも出来るはずがない。

 かといって機械ならではの分析をする茶々丸に出来ることも多くはない。

 砂嵐を前にして茶々丸の装備で突破できる物は限られる。仮に突破できても威力が強すぎてシェリーの安全は保証できない。この都市の中で、砂嵐を突破してシェリーの安全を保障できる絶妙な力加減が可能なのは上位精霊と戦っているアスカだけだ。

 

「それでも止めなくちゃなんねぇだろ! シェリー!」

 

 この問題の中心にいるシェリーが平静を取り戻し、安全だと認識出来なければ騒動は収まらない。

 何も出来ることがないと分かっていても、一縷の望みを賭けて砂嵐の中にいるシェリーに呼びかける。

 

「砂嵐が動く?」

 

 無駄な行為と思われた千雨の声かけが状況を動かした。

 声かけから逃れるように砂嵐が急遽として動き出したのだ。それも千雨の声から逃げるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クーデターを敢行しようしていたブラット一行もまたシェリーに端を発した騒動に巻き込まれていた。

 

「くっ」

 

 先頭を走るブラットの視界の稲光が支配し、眼が眩みながらも走り続けるが直後に起こる激震に足を取られかける。

 ブラットは足を止めることはなかったが、周りの者はそうはいかない。足を止めて踏ん張る者、中には転んでしまう者も多く、ブラット一人だけで進んでも意味はないので足が止まる。

 足を止めて稲光と激震の原因を見上げたブラットは再び走る閃光を遮るように目を手で覆った。

 途端、空一面からシャワーのように雷撃が降り注いだ。そこかしこで小さな火の手が上がり、街の中心を少し外れたところで巻き上がっている砂嵐の強力な風に吹き消される。

 

「英雄がいるのならば対する敵もまたいると考えていたが、相対するのは我々ではなかったということか」

 

 物語の中で英雄には必ず相対すべき敵がいる。悪政を敷いているわけでもない都市に我欲で行うクーデターなど悪でしかないと考え、英雄級の力を持ったアスカが現れたのは自分達の計画を阻むために運命が用意した駒と考えていたのだが、この状況を見る限りでは違ったらしい。

 

「あの調子では英雄は我らの計画に口を出すことは出来まい」

 

 英雄とその敵との戦いは苛烈を極めている。

 建物を超える土の巨像がむっくりと起き上がり、地面に向かって振り下ろすが不思議なことに大地が揺れることはない。振り下ろされた拳は地面に落ちる前に粉砕され、跳び上がった小人が膝を蹴って胴体中央に辿り着くと巨体がザンバラに切り捨てられる。

 崩れ落ちていく土石の欠片を縫うように風の刃が裂き荒れるが、英雄は切り裂かれて爆発的に飛び散る土砂を頭から浴びながら激しく辺りを飛び回り、相手に的を絞らせない動きを徹底していた。

 攻撃は尚も続いている。空中に突如として発生した焔は真一文字に切り裂かれ、触手のような水の鞭を回避し、降りしきる雷撃の雨を持てる力全てを振り絞って必死で逃げ回っている。

 

「進むぞ。あの事態は我々には届かん」

 

 恐れを抱いている仲間を喝破し、先導して足を進める。

 英雄が計画を阻むにしても、これほどの騒動に発展しては都市内だけで収めるのは難しい。

 殆ど魔法が使えず、気の遣い手であるブラットにも感じられるほどの精霊の異常だ。この事態を両軍が見逃すはずがない。どういう結末を迎えてもキンブリーの暗躍で都市外に展開している帝国と連合の軍が都市に流れ込んで来るだろう。

 どう転んでもブラットの目的は達成されるが、この場で足を止める理由もまたない。

 

「…………さあ、裁きの時だ」

 

 誰に対するものかとは口にせず、領主の館を目にしたブラットは腰に吊るしている鞘に納められた血のように朱い魔剣の柄を強く握るのだった。

 一方、この事態に対する解決を図る為に館の前で警備部隊からの報告を聞き、各自に指示を出していた領主にもブラット達の姿が見えた。

 

「このような変事に武装した一団が向かって来るとすれば敵でしかあるまい。総員第警戒態勢を取れ!」

 

 都市を覆うほどの霧は魔法具に発生させられたもの。その後に起こる縦横無尽に走る雷や勇壮なる土の巨人、水の狂乱、焔の脅威とはまた別の思惑が重なっているとしか考えられない。

 まだ年若い領主はそこまで思考を巡らし、指示を出していた警備部隊を前面に展開させる。

 展開された舞台を見たブラット達一行が領主の館まで五十メートルの距離のところで足を止める。

 魔法や気の遣い手が跋扈する魔法世界において、五十メートルの距離は決して遠くはなく遣い手によっては一歩で走破出来てしまう。

 両軍の間合いの最も中心に立つブラットを睨む領主の目付きは鋭い。

 

「街を荒らす無頼者が群れを成して何の用だ」

「知れたこと。見れば分かろう」

 

 都市の最高権力者の領主の問い質しに対して、クーデターを起こしている集団のリーダーのブラットが不遜に答える。

 

「あの異変も貴様らの差し金か?」

 

 領主が指し示す異変とは都市上空を雷光が跳ね回り、突風が吹き荒れ、地鳴りと共に当たりの地面を割って、水が激しく噴き出し、黒炎が奔っているのがブラット達の手の者の所為かということ。

 

「知らん。どうせ英雄が彼奴に相応しい敵と相対してるのだろうよ」

 

 これでどちらにとっても最大の戦闘能力の持ち主がこの一件に直ぐに関わることが出来ないことを示している。

 

「邪魔者は入らない。貴様の首をもらい受け、我が望みは叶えられよう」

 

 何時でも魔剣を抜き払えるように柄に片手を添えながら、相手を嘲笑する意図を以て下衆な笑みを浮かべて宣言する。

 不遜な言い様に領主は眉をピクリと動かしたが、気位の高い男は激昂するどころか怒り一つ見せることなく鼻を鳴らす。

 

「何の望みか知らぬが、数は私達の方が上だぞ」

「装備の質は良くなさそうだがな」

 

 む、と領主が自身の前を固める警備部隊の面々と相対するブラット一行を見遣って渋面を作る。

 警備部隊の質が悪いというわけではない。

 警備部隊はあくまで都市内の揉め事を解決するための部隊である。彼らはあくまで都市の治安を守る者であって戦うものではなく、言葉にするならば調停する者である。揉め事を収めるのに相手を殺してしまう装備を身に着けるはずがない。

 戦争をする装備を整えてきたブラット達に比べれば装備の質が劣るのは仕方がない。殺し合いを望むブラット達と装備の目的が違うのだ。

 

「我が警備部隊は精鋭。無頼者如きに負けん」

 

 と言いつつも分が悪いのは自分達の方であると領主も認めざるをえない。

 数は多いが装備の質で劣るのは大きく、更にはブラット一行は誰も彼もが目をギラつかせており文字通りの死に物狂いで戦うだろう。死兵とそうでない者達が戦うには状況があまり良くない。

 魔法具の除去に向かっている拳闘団が戻ってくれば戦況はひっくり返るが、もう少し時間がかかるだろう。

 

「本当に精鋭か、試してみるがいい。代価は貴様の首を以て払ってもらうが」

 

 自分が勝つと確信している言い方で余裕を示しながら鞘から魔剣を抜き放つ。

 鞘という拘束具から解放された紅の魔剣は、まるで主が血を望んでいるのを反映するかのように朱く輝き、不吉を届けるかの如く羽虫の羽音のような不気味な音を発しながら振動する。

 

「最終通告だ。武装を解除し、投降しろ」

「断る」

 

 互いに歩み寄ることは決してない。あまりに多くの人が良きものを目指し、意志や立場の食い違い、そして挫折の中であべこべに地獄を現出する。

 両軍の激突は不可避。地獄を止めるのは何時だって英雄なのだと人々は直ぐに思い知る。

 

「亜人は死ね」

 

 ブラットの宣言と共に両軍が進軍を始めようと足を上げたその時だった。

 

「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」

 

 両軍の中央の前で、頭上で目も眩む雷光が襲い掛かる。

 誰もが目の前の相手に注視していた他に注意力が向かっていなかった中、近づいていた強大な力を感じ取って足を竦めて動けなかったことが彼らの命を救うことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都市上空を黒雷が黒水が、黒火が黒土が、そしてその中心で四つの黒の中で一つの白い光が孤軍奮闘するように瞬いていた。

 激突音が炸裂し、アスカはルイン・イシュクルと拳を交えた。その簡単な事実を確認する方が遅れるほどの速度だった。一秒で百を越え、一秒で千を越えた攻防が繰り広げられる。

 アスカとルイン・イシュクルの周囲に小規模の星空が舞う。

 しかし結果は一目瞭然。

 上位精霊四体を同時に相手にするアスカの口からは断続的に血が零れる。体の見えない所に重大なダメージがあるのは明白だった。

 拳を振るう速度はまだ目に見えて遅くなってはいないが、相手は文字通りの雷速。何時かは追いつけなくなってルイン・イシュクルの致命的な一撃を受ける絶望的な未来が脳裏をちらついた。

 

「がっ……」

 

 一瞬でアスカを抜き去ったルイン・イシュクルの脚が背中へと突き刺さる。更に強引に振り向かされたところで膝蹴りが加えられた。

 追撃を瞬時に横に飛んで逃げたアスカのさっきまでいた場所に雷撃がうねりくねる蛇のように舐めてて行った。

 続けて放たれた神速の手刀をアスカは無我の境地で避けて黒棒をルイン・イシュクルの左肩に突き刺し、そのまま体を斜めに切り裂いた。が、肉体を切り裂いたにしては手応えが浅すぎる。

 

「雷化だろうが!」

 

 真っ二つになったルイン・イシュクルに向けて手を掌底の形にして空気を叩く。

 

「グギャ!?」

 

 空気を叩いた魔力が込められた掌底から伝播した衝撃波が雷化しているルイン・イシュクルを襲い、細かい粒子へと粉砕する。

 殺すにまで至るには威力が足りなかったが追撃をかければいい。アスカがもう一撃を放つために力を溜めた瞬間に身体が攫われた。

 

「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ルイン・イシュクルを一時退けたアスカは最後っ屁で操作された桁外れの上昇気流が巻き込まれて更に上空へと吹き飛ばされていた。

 風で身動きが取れない中で上昇気流に乗るように黒炎弾が撃ち込まれ、直撃コースにあるものだけを黒棒で打ち払っていると土の巨人が体当たりを仕掛けて来る。

 

「!?」

 

 避けるとか、弾けるレベルではなく、防御するも純粋な物量による衝撃を凄まじかった。その衝撃で刹那の間、アスカの意識はあらぬ世界へと飛んでいく。

 そこに追い討ちで黒炎弾が次々に突き刺さり、重い衝撃が立て続けに全身を襲い、突き抜けてゆく。攻撃が一撃入る度に肉体を撃つ音が耳朶に響き、四肢から力が失われてゆく。

 

「あああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 

 己を鼓舞するためか、唇の端から血を垂れ流しながら傷ついた呼吸器官を押してまで雄叫びを上げるアスカ。同時に放たれた剣閃が土の上位精霊を弾き、そこから空間が破裂する音の連続が、一瞬で空気を爆発させた。

 腹を抉って来た水剣を、体を捻って威力に押されることなく利用して肘を水の上位精霊の後頭部に叩き込む。

 

「がああああああ…………ああああっっ!」

 

 水の上位精霊を巻き込むように放たれた黒炎を何とか潜り抜けたところで、不可視の風の弾丸が容赦なく四肢や腹部に着弾して口から血霧を吐く。

 体勢を立て直す暇もなく、体を再生させた土の巨人が拳を振り上げるのがアスカに目に映った。

 

「おおっ!」

 

 身の丈を遥かに超える巨大な拳が、まるで天よりの裁きと思える勢いで振り下ろされるのを見据えて全身から魔力を漲らせる。アスカの身体から爆発的に溢れ出た魔力が、不可視の渦を起こして景色を歪めていく。

 強大過ぎる魔力が込められた拳が打ち下ろされた拳を打ち砕くが、土の巨人の拳の威力が強すぎて「ぐぅ!?」と自らの拳に走る衝撃に喉の奥で呻きを漏らした。

 

「ごっ、ふ!?」

 

 安堵などまだ早いとばかりに振り落ちる土塊の合間を閃光が奔り、完全な復活を果たして雷光と化したルイン・イシュクルが突き出した雷槍で障壁を軽々と突き破ってアスカを捉えた。

 位置的に鳩尾を貫いているはずの雷槍はその前に掲げられたアスカの手に阻まれ、ルイン・イシュクルが押し込もうとするも強大な魔力に支えられた防御を超えることが出来ない。

 

「な、に……!?」

 

 全身から魔力を発してルイン・イシュクルを追い払おうとしたアスカの眼に信じられないものが映った。

 水と火の上位精霊が水剣と炎斧を手に向かって来る。

 確実に追い払おうとしていたところでルイン・イシュクルは今も雷槍を推し進めようとしており、二体の上位精霊に即応できるほどの余裕はない。精々出来たのは衝撃に備えることだけで、水剣と炎斧を受け止めても堪えることはできなかった。

 

「――――っ」

 

 雷槍が雷を発し、エネルギーが充填された途端、一度は静まっていた大気が再び嘶いた。

 口からどんな言葉が迸ったかも分からぬまま、上空から地上へと引き落とされる。

 土の巨人の拳と相打って痺れている腕を動かして炎斧を防いだものの、血が噴き出す端から焼かれて気化する。肩に刺さった水剣から肉体に侵入した水の方が血よりも炎斧に焼かれて気化するのが多かったのは少ない幸運か。

 

「ぉ……ごぁ、っ……」

 

 三体の突進によって堪えることも出来ず、地上に叩き落とされたアスカは地面にクレーターを作りながらその底で呻く。

 尚も押し込んで来る三体の上位精霊に抗っていると、血に塗れた視界の中で何度破壊されても再生する土の巨人がその巨体を落とし込んで来る。

 

「ぉぉおおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

 雄叫びと共に発露する魔力に指向性を持たせ、三体の上位精霊ごとこちらに向かって倒れ込んで来る土の巨人を弾き飛ばす。

 抑える者がいなくなり全身を走る痛みに苦悶しながら体を起こすと、土の巨人が見覚えのある館に塀を破壊しながら倒れ込んでいくところだった。

 ズシン、と大きな音を立てながら地震が起きたような振動を地面越しに感じながら、追撃を警戒して辺りを見渡したアスカは「領主の館、か?」と頭部から頬を伝って血が流れ落ちるのを感じながら呟いた。

 

「お前はアスカ、か?」

 

 雑多な気配が周囲に多く、その気配の持ち主たちがアスカを中心として向かい合っていることに疑問を感じていると、片方の集団の後方で数人に土の巨人が倒れた塀から遠ざけられている領主がいた。

 

「領……」

 

 主、と続けようとしたアスカだったが、それよりも早く腕が動いて黒棒を虚空から呼び出して掴み、ほぼ同時に打ち込まれた雷槍・水剣・炎斧を三閃して弾き飛ばす。

 

「死にたくなければ下がれ!」

 

 他人のことを気にして戦える相手達ではない。

 言い捨てて彼らのことを意識の外へと追いやったアスカは再び四体の上位精霊との戦いに戻った。

 

 

 

 

 

 嵐のような攻撃が吹き荒れる中で両軍の士気は壊滅的と言っても良かった。

 

「な、なんだというのだ……」、

 

 警備隊に守られる領主の言葉がその場にいる全ての者達の気持ちを代弁していた。

 状況が理解できない。人と人の戦いのはずが、何故神話や英雄譚に描かれているような戦いに立ち合っているのかと。

 一人と四体の黒化精霊の戦いは彼らにとってすれば神話の戦いと大差ない。誰一人をとってもこの場にいる全員を纏めて殺すことが出来る実力者たちだ。強大過ぎる力に怯え、足が竦んで逃げ出すことすらも出来ない。

 

「全員武器を構えろ!」

 

 例え自分達が英雄譚や神話の端役に過ぎなくとも、血の通った人として為すべきことを成すだけだとブラットは自ら進んで魔剣に気を込める。

 前大戦を生き抜いたブラットは英雄というものをその眼で見ていた。

 魔法世界の闘争において、戦術の基本は最強の魔法使いが陣頭で敵を蹴散らし、それを他の者が脇から支えることだ。高位魔法使い達の戦闘の駆け引きなど、そもそも低位の魔法使いには分からないのだ。

 だから、闘争を決着するのは個人の武勇だ。魔法史の最初期から、この方向性は変わっていない。

 もはやここに正義は無かった。あったのはただ力と敗北を許されないエゴと、狂気だけだ。この通路で何人が血泥に沈もうと、巨大で救いのない絵の一部でしかなかった。

 何かを手に入れる為の賭け札に使う命は、勝負が決まるまでは軽い。

 先頭に立つリーダーのブラットの叫びに、クーデター一行が我を取り戻したように目にギラついた熱気を宿し、各々が持つ武器を構え直す。

 

「進め! 亜人を殺し尽くせ!」

 

 叫ぶブラットの瞳のおぞましさ。色も普通なのに、形も普通なのに、二度と見たくないと思わせる異常をその瞳は抱えていた。こんな瞳を、人が出来るはずがない。そして、だからこそ人でもあった。あらゆる感情を凝縮したかのように、ブラットは亜人を睥睨して扇動する。

 警備部隊はまだ衝撃から抜け切れていない。再び走りだそうとするクーデターと戦いになれば一方的なものとなるだろう。

 

「シェリー!」

 

 またもや乱入者がなければ、だが。

 勢いを減じている砂嵐が走り始めたブラット一行の邪魔をするように進路上に現れた。

 まさか千雨と茶々丸から逃げるように離れたシェリーを中心に据えた砂嵐が追われるままに逃げ回った果てに進路上に割り込んだなどと、目の前に相手を屠ることに執心していたブラットが気づくはずもなく。

 

「邪魔を――」

 

 元軍人であり、この二十年間を傭兵として各地を渡り歩いたブラットにとってすれば、気を込めた剣閃を飛ばすことはそれほど難しいものでもない。

 この時もただ邪魔をする砂嵐を切り払うために、魔剣に気を込めて振り被った。

 

「――するなぁっ!!」

 

 目的に執心し過ぎて視野狭窄に陥っていたブラットは目の前に現れた砂嵐の意味を理解することもなく、振り被っていた十分に気が込められた魔剣を振り下ろす。

 振り下ろした剣閃に沿うように虚空を飛んだ気の刃は徐々に大きさを増し、充填された気の量と魔剣の能力、ブラットの技術もあって砂嵐は真っ二つに切り裂かれた――――中にいるシェリーに届くほどに。

 

「――――子供?」

 

 砂嵐の一番近くにいたからこそ、ブラットは目にしたものが信じらず一瞬目を疑った。

 子供――――シェリーはその強すぎる感応力によって精霊に守られながら移動していた。

 精霊達に明確な個我はなく、故に人の価値観とは違う方法でシェリーを護ろうとする。少しでもシェリーの肉体と精神を危険から遠ざけようとする。即ち、外敵の排除と防衛をしながらの移動である。

 シェリーが暴走した原因は街を覆う霧による周囲の不安感に心が苛まれていたところに、あまりの精霊の感応力に身体が反応したアスカの敵意に過剰反応してしまったことによるもの。

 不幸だったのは、その強すぎる感応力に上位の精霊の個我を侵してしまうことと、アスカが強すぎたことで外敵の排除が直ぐに終わらなかったことだった。

 精霊に守られて来たシェリーは今までの自分の状況を理解していなかった。

 そんなところに自分を護ろうとしている精霊達の行動を理解できずパニックに陥って今までにないストレスを抱えていたところに、千雨に呼びかけられた時に彼女達を危険に晒してはいけないという思考を読み取った精霊達が彼女を砂嵐ごと動かす。

 その先にクーデター一行と領主の警備部隊がいることすらも知らずに。全てが不幸な巡り合わせだったのだ。

 

「え?」

 

 そしてシェリーは、自分を護っていた精霊から一時的に切り離された。

 周りは地面にはクレーターが出来、砂嵐の余波で周囲は酷いものだ。上空ではアスカと黒化上位精霊が戦っていて、クーデター一行は全員が例外なく殺気立っている。警備部隊もクーデター一行を止める為に決死の覚悟を定めていて。

 全ての悪感情がシェリーを中心として渦巻いていた。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!」

 

 悪意、殺気、闘気、となんでもいい。正の感情ではない雑多な感情を叩きつけられ、高い感応力とは裏腹に感受性豊かで幼く脆弱すぎる心は呆気なく許容量を超えた。

 叫ぶシェリーの全身から光が吹き荒れた。

 その光からは魔力や気は感じられず、あまりにも清浄過ぎて神々しかった。

 死線を潜ろうとしていたクーデター一行も警備部隊も、走って来た千雨と茶々丸も、ブラットも領主も、戦っていた黒化精霊達が突如として消え去って困惑したアスカも、誰もが例外もなくその光に見入る。

 

『――――』

 

 光は空を貫いて、どこまでも果て無く伸びていき、その先を見通すことすら出来ない。

 一秒か十秒か、はたまた一分か十分か。

 時間の流れすら歪めたかのような光が唐突に消え去ると空が割れ、虚空に複雑な紋様が浮かび上がって雲間から斜光が差し込んだ。

 斜光は沈み行く太陽の光では決してない。

 

――――『ナニか』が現れた

 

 誰も眼を逸らしたりはしていない。気が付いた時には実体なき『ナニか』が湧いたとしか表現できなかった。

 ひどく朧で、黄色い影だ。まるで砂漠に舞う黄砂の如き薄影であった。人影というには輪郭が曖昧すぎる、何者とも知れぬ形。人というには形を成しておらず、その存在の大きさは都市にいる全ての者が見上げたまま動けずに呑み込まれている。 

 皆と同じように呑み込まれながらも辛うじて思考の一部が動いていたアスカは、『ナニか』が現れた後からグンと増した精霊達に溺れていた。

 

(何だ?)

 

 世界の法則すらも切り替わってしまったような息苦しさを覚えながらも、思考はこの状況を理解する為の答えを求めて過去の記憶を回想する。

 一瞬の間で過ぎ去っていくフラッシュバックする記憶の中でこの状況に対する答えが見えた。

 

「せい、れい、おう」

 

 口に出して有り得ないとアスカは自らの答えを否定した。

 精霊王――――文字通り精霊達の王であり、全ての精霊を統べる存在である。こことは違う次元の世界である精霊界に存在すると推測されているが、無論、確認した者は誰一人としていない。

 魔法世界史二千八百年の時の中で、上位精霊の存在を数例確認されるも、その最上位存在である王を見た者はいない。百年間で上位精霊のルイン・イシュクルの目撃例が片手の指で足りる。噂されているだけで実在すらも疑われていた存在こそが精霊王だ。

 世の全ての事象は地・水・火・風の四大によって成り立つもの。その全てを自在に操れるなら、できないことの方が少ないだろう。あくまでも伝説、というか御伽噺のレベルの話だが、世界は精霊王が創造したものだ、という説もあった。

 上位世界にある王を、直接この世界に降臨させる。それは離れ業を超えた奇跡の領分である。

 伝説上、そうした者は超越存在を呼び出した者は存在している。七十二の魔王を支配したソロモン然り、ユダヤの民を率いてヤハウェと契約したモーセ然り。精霊王を呼び出したシェリーの才覚は、神話上の彼らに何らのなんら劣るどころか、人類史に名を刻んで余りある。

 

『――――――』

 

 精霊王が人に理解できない言葉で何かを言った。音なのか、声なのか、言葉なのか、それすらも判然としない。

 都市にいる誰もがその姿を捉えながら理解が及ばない。都市にいる全てモノが思考を剥奪されている中で、精霊王の眼前に光が浮かび上がった。

 光は空間さえ歪ませながら、一筋の光の線となって精霊王の眼前に収束していく。光が収束していくと共に大地がまるで怯えるように戦慄いた。

 

「神罰だ……」

 

 誰かが呟いたのをアスカの聴覚は捉えた。

 争う全ての者達に粛正するために現れた超常の存在が鉄槌を下すのだと、アスカもまた疑いようもなく納得した。

 超常の存在は人の理解の埒外にあるのだと思い知らされている。神罰の光はこの都市どころか良くて大陸を吹き飛ばし、悪ければ魔法世界そのものを灰燼と帰すだろう。あの光にはそれだけの力があり、抵抗は無駄でしかない。

 

「……違う」

 

 ならば、アスカの裡から溢れ出るこの気持ちは何だというのか。

 

「違う」

 

 力を高める、気を魔力を。体にある全ての力が限界を遥かに超えて高まり、その状態で咸卦・太陽道を発動させて過去最大級に力が高まる。

 これほどの力は魔法世界・旧世界を合わせても疑いようもないほどに強大だと断言出来るほどの力すらも、精霊王の掲げた光の前には塵芥に過ぎないのだと理解しながらもアスカは飛んだ。

 

「違う!」

 

 同時に神罰の光が地上に向けて発射される。

 全ての力を掲げた右腕に抱え、自ら破滅の光へと向かっていく。光に自分から向かっていくアスカの時間は刹那の間に切り刻まれ、永遠とも思える中で今までの人生が走馬灯の如く脳裏を過って行った。

 

「俺は――」

 

 その先に何を叫んだかは定かではなく、アスカの視界を光が埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 都市に光が氾濫した。目を圧し、耳を塞がせ、跪いてその時を待つ。

 絶対の神罰は正しく執行され、いと小さき人の身は世界と共に消え去ることが規定事項だと疑いようも信じている。誰もが神罰だと死を受け入れ、光と共に消え行くのだと認識していたが、何時まで経っても不自由な肉体の頸木からは解き放たれないことに疑問を抱く。

 やがて光が薄れ、誰もが閉じていた瞼を開いた時、そこに自らの手を見い出しても自分の生を受け入れることが直ぐには出来なかった。

 

「生きている、のか?」

 

 数千から数万の人々が隣近所にいる者に同じタイミングで異句同音にて尋ねるほどに自身の生存が信じられない。空にいた精霊王は消えていなくなり、神罰の代行者がいなくとも喜ぶことはできない。

 事件の中心地となった領主の館近郊では地面を揺らした衝撃に倒れた者、倒れた物が多かった。

 なによりも爆心地とでも言うべきその場にいた者達は誰もが立っていられず、中心に近いものほど空より振り落ちた何かが地上に衝突した衝撃によって吹き飛ばされていた。クーデター一行も、警備部隊も、千雨や茶々丸も、誰もが例外なく衝撃波に吹き飛ばされ、より中心にいた者ほど被害は大きい。

 中でも領主は吹き飛ばされた際に頭を打ったのか、血を流して倒れたまま動かない。

 

「くっ、アスカ……」

 

 茶々丸に庇われたお蔭で数少ない無傷の千雨が、チカチカとする視界で痛む頭と全身を押して、あの時に微かに見えた光に向かって飛翔したアスカのことを思い出し、彼の名を呼んだ。その声すら響くほどに領主の館前の空間は静寂に満ちていた。

 内臓の電子機器の幾つかがショート、もしくはフリーズしている茶々丸は頭を押さえている千雨を抱えながらアスカの反応を探す。

 

「生体反応をキャッチ。千雨さん、クレーターの底にいます」

 

 十倍深くなっているクレーターの底で反応をキャッチした茶々丸の言葉を聞き、光が溢れるまではここまで広くなかったクレーターの端から底を覗き込んで絶句した。

 

「あ、アスカ」

 

 この大クレーターの底に埋まるようにアスカはいた。

 生きてはいるのだろう。だが、動きがない。十メートル以上の距離があるので班別はしづらいがい、傷がないところを探すのが難しいほどに傷だらけのように見えた。

 全ての力を絞り尽くして神罰の光に抵抗したのだと察して千雨は鼻を啜った。

 

「っ!? シェリーは?」

 

 遅まきながら少女のことを思い出し、首を巡らせると少し離れたところで茶々丸が身を屈めていた。

 

「シェリーは、生きているのか?」 

 

 一度は飛ばした意識を取り戻した者も多く、吹き飛ばされた時に負った傷で呻く声があちこち聞こえるこの戦地の跡を作り出した張本人ともいえるシェリーのことを問う口は重い。

 

「…………生きてはいます」

 

 シェリーの容態を確認した茶々丸は千雨に振り返ることもなく答えた。

 それを聞いた千雨は安堵の息を漏らし、恐る恐るクレーターの端に足をかけて降りていく。その間もアスカは動かない。

 まだ痛む頭と全身に難儀しながらクレーターの底にいるアスカの下へと辿り着くと、「……ぅ」とアスカが微かに呻き声を漏らした。

 アスカが生きていることに安堵し、ホッと息をつくと肩から力を抜く。

 

「これでもう終わりなんだよな?」

 

 これほどに傷だらけのアスカに触れていいものかと迷った千雨は、最初から最後まで自分の及ぶところにない事態がこれで収束したのだと思いたくてそう呟いていた。

 

「まだだ……!」

 

 事態はなにも終わってはおらず、クレーターの外で魔剣と同じ紅い血を頭から流しながら立ち上がったブラットが叫ぶ。

 

「亜人死すべし。貴様らは生きていてはならん存在だ!」

「なんなんだよお前は!」

 

 誰も動けぬ中で狂気の眼差しのブラットに、警備部隊の内の一人が倒れた際に打ったらしい肩を抑えながら嫌悪も露わに叫ぶ。

「今時差別主義者なんて流行らないぞ! 戦争はとっくの昔に終わってるんだぞ!」

 

 二十前後の亜人の青年の叫びにブラットの表情が変わる、狂相とでもいうべきものに。

 

「戦争はもう終わっていると言ったな。ふざけるな、俺達の戦争はまだ終わっちゃいない!」

 

 ヘラス帝国とメセンブリーナ連合は、古くから様々な確執を持っていた。 南は元々この世界に住んでいた亜人種が多かったことに対し、 北は人間世界から移住して来た人間種が多かったことが起因している。20年前、完全なる世界はそれを利用して、 両陣営の中枢にまで潜り込んで裏から操り、大分烈戦争を起こさせた。

 不安と混乱を煽り、怒りと憎しみを熟成させて戦火を拡大した。 

 

「国を、みんなを護る為に戦争で戦ったのに勝者も敗者もいない。残ったのは亜人にやられた故郷と大切な者達の亡骸だけだった俺達の気持ちが分かるか?」

 

 悪いのは裏から操った完全なる世界。

 悪いのは戦えと囁いた完全なる世界。

 悪いのは、全て完全なる世界だと誰もが言った。

 

「なにが完全なる世界が全て悪かっただ。扇動されようと戦いを選んだのは俺達自身だ」

 

 憎しみが憎しみを呼び、負の連鎖が続いて憎悪が更なる憎悪を呼ぶ。

 それでも彼らが戦ったのは誰かを何かを護る為だった。なのに、全て悪いのは完全なる世界と言われては、自分達は何の為に戦ったのだ。戦って死んでいった者達に意味はあるのかと、ブラットは叫ぶ。

 

「答えろ! 俺達の戦いは正しかったのか! 死んだ者達に意味はあったのか!」

 

 共に戦った者は還らず、護るべき者を失い、帰るべき場所を焼き払われたブラットが求めるものは何もない。

 

「決着を」

 

 クレーターの底で途切れそうな意識の端でその声を聴いていたアスカ。心身を凍られるほどに冷たいのに、自分も周囲も焼き尽くすほどに激しい炎の塊、これが憎悪かと得心する。

 

「あの戦争に今度こそ決着を」

 

 亡霊、という言葉がアスカの脳裏を過った。

 死すべき時に死ねず、無様に生き残るよりも、亡霊は意味のある死を寄越せとがなり立てている。

 薄らと開いた瞼に紅い光が目を貫いた。

 それは沈み行く太陽の赤さか、ブラットの魔剣が放つ紅い光か。

 もう、どうなってもいいとアスカは諦めた。こいつらと話しても無駄だ。この悪意と敵意を終わらせるためなら例え体が引き裂かれようとも構わない。

 ギシギシ、と限界をとうに超えている身体が悲鳴を上げているのを無視しして、大戦に関わりのある自分が幕を引かねばならないと責任感に駆られてアスカは痛みを押して立ち上がった。

 

「あ、アスカ……なにを」

 

 千雨が聞いてくるが、なにをするかなど決まっている。

 亡霊に話しは通用しないのだ。彼らに聞くつもりはなく、理解する気もないのだと認識して、痛む体を押して歩き始めたその背中は引き止められた。

 

「やめ…………て……アスカ」

 

 苦痛の底から絞り出された声が、矢になって胸の奥にある心を貫いた。無意識に足を震わせ、アスカは我に返った顔を上げた。

 狂気に引き寄せられて引き込まれかけていたアスカを引き戻した千雨が、アスカの前に立ってクレーターの端に立つブラットを見上げた。

 

「アンタ、なにか色々言ってるけどさ。ようは今の状況が我慢できないって駄々をこねてるだけだろ」

「なに?」

「いい大人が、情けねぇ」

 

 千雨の挑発に魔剣を握るブラットがギロリと見下ろした。

 

「大戦を知らぬ子供が賢し気な口を利くな」

 

 ブラットの言い様に千雨はフンと鼻を鳴らした。

 

「さっきから大戦大戦と馬鹿みたいに繰り返して。大戦を知ってりゃ、大人かよ。下らねぇ」

 

 腕を振るって辺りを指し示し、クレーターの周りで今も呻いている者達を見遣った千雨は叫んだ。

 

「戦争だとかなんだとか私には分かんないよ。でも、こんなのが正しいはずがないだろ!」

 

 大人の世界はお互いの利益が絡んだ巨大な歯車に組み込まれている。それは思惑のバランスで黒いものは白くなるということで、その中でどう人間でいられるかは一つの戦いだ。だから、そこにまだ加わっていない子供の目だけが時に真実を映す。

 叫ぶ千雨のなんと凛々しく、気高い姿か。

 崇高な宗教画の内側に、自分までも取り込まれた気分で千雨の背中を見るアスカは笑いだしたい気分だった。

 

「誰かが傷つくのは沢山だ!」

 

 千雨は凡夫だ。聖者でも英雄でもない。平凡に生きて、当たり前に怒り、普通に悲しむ。そういう人間の声は、アスカのそれより、恐らく狂気に堕ちた者の心に響く。

 

「戦争がしたきゃ、一人で勝手にしてろよ! 自分を大人だって言うんなら平和に暮らしている人に迷惑かけてんじゃねぇよ!」

 

 捨てきることも純粋になることも出来ない煩悩塗れの凡夫だからこそ、当たり前の叫びは正しかった。

 そして正しさでは止まらない者もまたいるのだ。

 

「確かにそうだ」

 

 クレーターへと下り、歩を進めながら平坦な声で言ったブラットの顔に安らかさはない。表情は苦悶で歪められ、その声は弱々しい。

 

「だが、もはや止まれんのだ!」

 

 正しさだけでは救われず、生ける死者を止めることは今を生きる生者には出来ない。

 立ち塞がるのならば誰であろうと斬ると眼差しに乗せ、視線を向けられた千雨はゴクリと唾を呑み込んで「止めてやる!」と叫んで腕を広げた。

 

「やめ……」

 

 千雨を止めようとしたアスカはダメージが大きすぎて進みかけた膝から崩れ落ちる。

 

「やってみろよ、この腰抜け野郎」

「よく言った」

 

 受け身も取れずに地に倒れたアスカを見ることなく啖呵を切った千雨だけを見て、ブラットがニヤリと笑って魔剣を振り上げた。

 千雨は動かず、ブラットが魔剣を振り下ろすだけ血の雨が降るはずだった。

 

「待つのだ」

 

 茶々丸がクレーターに向けて武装を発射するよりも早く、今まさに振り下ろされようとした魔剣の動きを止めたのは老年の男性の声だった。

 誰もがその声の主、年齢と病気で息子に領主の座を譲って療養している前領主ロレンツォ・モーフィアスを見て声を失った。

 

――――瞬間、今まで恐怖から千雨の胸ポケットの中に籠っていたハクが顔を出して鳴いた

 

 直後、千雨の眼には現実とは違う光景が映り出した。

 

『リアラ! 親父! お袋! みんな!』

 

 紅蓮の燃える村の中を走り回る青年は幼馴染を、家族を、自分の知る者達を探しながら走り回る。

 

『俺は、俺はこんな結末を迎える為に戦ったわけじゃない! なのに、何故、何故なんだ!』

 

 そして誰も生きた者を見つけられず、見つけたのは焼け焦げた死体だけ。

 

『亜人が……!』

 

 誰かを憎まなければ生きていけなかったのだと、燃え落ちる村の中で血涙を流す姿はとても悲しかった。

 そして唐突に光景が変わる。

 

『もう、いいのかね』

『ええ』

 

 何もない野原で二人の男女が並んで立っている。

 一人は亜人の中年、もう一人は少女と女の境目に立つ女性。二人の距離は近く、親密さを物語っていた。

 

『貴方は言ってくれましたよね。この地をまた賑やかな笑みの絶えない場所にしてくれるって』

 

 千雨には、中年に振り返った女性の顔に見覚えはない。ただ、その腹部がふっくらとしていることから彼女は妊娠しているのだと千雨は気付いた。

 

『もう一度、約束する』

 

 妊娠している女性を労わりながらも鋭さを失わない眼光が、強い輝きを放って再びこちらを見据える。威圧するでもなく、ただそこに在り続ける瞳がそれと分からぬほどに揺れ、長い時を被膜越しに無二の光を投げかけた。

 

『人と亜人、そして生まれてくるこの子が何の憚りも暮らしていける地にするとも』

 

 どこか寂寥とした笑みに胸を突かれながらも、千雨は中年の亜人の顔から目を逸らさなかった。

 これまで生きてきた時間を、一秒も無駄にしなかったものだけが持ち得る高潔さがとても眩しい。

 

『手伝ってくれるかい、リアラ?』

『はい、あなた』

 

 男の問いに女性の顔に柔和な笑みが口元に拡がり、黄土色の瞳に親身な色が差す。

 

「頼む」

 

 そしてまた唐突に現実に引き戻され、まるで白昼夢を見たかのような感覚に千雨は頭を振った。

 

「亜人の命が欲しいというなら、この老いぼれの命を持って行くがいい。それで満足してくれ」

 

 聞こえて来た声に千雨が目をやると、骨に皮が張り付いていると思える顔に既視感が湧き上がった。

 

「な、なんだというのだ今のは……」

 

 と発したブラットの声にギョッと振り返った。

 千雨の視線の先で、頭に手を当てたブラットが息を荒らげ、苦悶の表情を浮かべていた。頭から血を流し、ただでさえ青白い肌から血の気が失せ、紙さながらに白くなってゆく。

 

「これ以上、リアラが眠る地で人が傷つくのを見たくない」

 

 前領主が喘鳴としか思えぬ声を上げる。

 その声からすればこの場で絶命してもおかしくないのに、皺に埋もれた目はとても優しい。

 

「リアラ」

 

 と前領主が発した名前を繰り返したブラットの声が風になって吹き過ぎ、千雨は胸の熱がドクンと脈打つのを感じた。

 ブラットの瞳が微かに揺れ、千雨と同じ理解に辿り着いたことを示すように悲哀の色が宿る。閉じた瞼がその瞳を隠すと、スッと弛緩した手から魔剣が抜け落ちる。

 

「リアラは生きていた。あの時に死んでなどいなかった」

 

 紅蓮に燃え落ちた村から逃げたブラットは亜人を憎むことで自らを現世に繋ぎ止めた。この地を死地と定めたのは、亜人の前領主が建てた都市を滅ぼし、嘗て住んでいた村の跡地でせめて死にたいと思ったからだ。

 本当にこの都市が村の生き残りであるリアラが望んだものなのだとしたらブラットには壊せない。

 ブラットの心に残る人間性、幸福だった過去の象徴である幼馴染の願いを前にして、復讐も悔恨も後悔も何もかも、全てに意味はなかったのだと思い知らされたブラットの心は簡単に折れた。

 

「俺の行為に意味などなかった」

 

 唇を噛み締めたブラットが、耐えられないという風に顔を背ける。

 胸の底で悲哀の錘が溶け、涙になってブラットの目から吹き零れた。誰もいない。誰も声をかけてくれない。やり直せるならものならやり直したい。時を巻き戻して、もう一度やり直したい。今度は間違えないからと叫んでも、それこそ意味がない。

 

「赦してやれよ、自分を」

 

 同じものを見て、同じものを聞いて、同じ理解に至った千雨にはそれだけしか言えず、二十年分の深い静寂が長い時を経たブラットの体に降り積もってゆく。

 それでもその言葉がブラットの眼からとめどなく涙を溢れさせ、零れる端から流れ落ちて丸い粒になって服を濡らす。己の無明を洗い流してブラットは声を押し殺して泣いた。

 

「なんなんだ?」

 

 どうやらブラットから行動を移す気が無くなったようだと感じ取ったアスカは状況の変遷についていけず、痛む体を起こすことも出来ずに座り込んだまま空を見上げた。

 夕方を迎えた空は朱く染まり、都市を紅に染めている。

 その温もりは赦しを与えるように、例外なく誰もをも赤く照らす。

 なにはともあれ、これで終わりだろうと後ろに倒れ込む。一休みするかとアスカが息を漏らして目を閉じようとしたその時だった。

 

「おわっ、なんじゃこりゃ!?」

 

 騒がしい気配と共に知った声が見事なクレーターに驚いている声が聞こえ、事態の変遷を届ける。

 

「トサカ、それよりも」

「おおっとそうだった、領主様は……」

 

 何かあったのかとアスカが「いてて」と体を起こすと、クレーターの端を走るトサカと後に続くバルガスの姿が見えた。

 

「何かあったのか?」

「さあな」

 

 近くに戻って来た千雨の後ろでブラットが立ち呆けているのを見て首を振る。アスカにもトサカ達が慌てている理由は分からない。

 

「領主様……って、前領主様!?」

「ちょっと肩貸してくれ」

 

 ああも騒いでいるとおちおち寝ても居られないと、一人で歩くのは辛く千雨に肩を借りながらクレーターを登る。

 

「なに、連合と帝国の軍が都市近くに展開しているだと? 本当なのか!?」

 

 クレーターを登り切ると、打った頭の治療を受けているが未だに意識が戻っていない領主の代わりに話しを聞いているらしい前領主がトサカに詰め寄っている姿が見えた。

 

「ほ、本当です。それで総督府に両軍から通信が入っていて、時間以内に領主より返信がなければ鎮圧を開始すると」

 

 領主が両軍に通信を入れることが出来なければ、連合と帝国の軍がノアキスに乗り込んでくると聞こえた警備部隊がざわついた。

 

「馬鹿な!? この地は自由交易都市。条約で中立、非戦闘地帯が設定されているのだぞ!」

「ノアキスにクーデターが起こるって情報が入っているらしくて……」

「ええい、こうなったら儂が」

 

 と、困惑した様子で報告するトサカに皺だらけの顔で前領主が言ったところで立ちくらみを起こしたように膝が折れた。

 

「いけません、お身体が」

「くっ、そんなことを言っている場合ではないのだぞ」

 

 前領主の傍で体を支えていた御付きの者が諌めるが止まらない。が、遅々として前領主の身体は動かず、苦し気に息を漏らす。

 

「トサカ」

 

 この事態は良くないと会話の端々から読み取ったアスカが声をかけると、千雨に肩を支えられながら立つ姿にトサカは驚いたように目を瞬かせる。

 

「お、おい、どうしちまったんだよアスカ。今にも死にそうじゃあねぇか」

 

 トサカにしてみれば、拳闘団の面々が総出になっても小さな傷をつけることすら出来ないアスカが少女の肩を借りねば立っていられない様子なのだ。驚くのも無理はない。

 

「それはどうでもいい。さっき言ってたのは本当なのか?」

「ん、ああ。アイツらは人の話なんか全然聞きやしねぇ。かといって頼みの領主は」

 

 未だ意識が戻らない様子の領主に目を向けたトサカの視線の後を追ったアスカは頭に鈍い痛みが走って顔を顰めた。ともすればブレーカーが落ちるように途切れそうな意識を繋ぎ止めながら解決策を考える。

 

「…………トサカ、ここに通信を繋げられるか?」

「やろうと思えば出来るが」

 

 トサカはアスカの真意を図りかねるように末尾を濁す。

 二人を見てアスカが何を言いたいのかを察した千雨が目を丸くして得心したように頷く。

 

「領主様が目覚めたら直ぐに出てもらえるし、悪くない案だと思う。ただ」

 

 千雨の理解を有難いと思い、懸念はあった。

 懸念そのものである直ぐに目覚めなさそうな領主に視線を映す。

 

「問題は直ぐに目覚めない場合だ」

「その場合は前領主様に託すしかないだろ。公の立場を持ってるのはあの人だけだからな」

 

 千雨とアスカの話から言いたことが分かったトサカは、本来ならば安静にしていなければならないはずの前領主でも彼らが退かなかった場合のことは敢えて考えなかった。

 決断を固めたトサカの行動は迅速だった。

 前領主に話しを通し、拳闘団団長の立場があるバルガスから総督府に連絡をつけて通信を回してもらうように頼み、動ける警備部隊とクーデター面々の区別なく怪我人の収容と治療を高圧的な言い方で不満を封殺して行わせる。

 この状況に置いて、よほどの者でなければ普段から人に指示を出すことに慣れている人間の指示に逆らうことはない。

 アスカと千雨が感心するほどにトサカの指示通りに皆が動き、館にいた者に取りに行かせた通信機を「いいですか?」と総督府からの通信を繋いで前領主に渡す。

 

「こちらノアキスの前領主ロレンツォ・モーフィアスだ。連合、帝国の軍は通信チャンネルを開いてもらいたい。繰り返す――」

 

 何度か同じ文面を繰り返していると、通信機からピピッと音が鳴って前領主の前に二つの立体画面が浮かび上がった。

 

『連合所属エルストロメリア艦長クラップ・ゴドリー大佐だ』

 

 映った立体画面が映しているのはブリッジよりも一段高いに場所にある艦長席と思われる席に座るはちきれんばかりの巨体だった。

 メガロメセンブリアの軍服に身を包んだ壮年の男――――クラップ・ゴドリーは、叩き上げの軍人であることを示すかのように制服の袖捲り上げて異様に太い二の腕といい、分厚い胸板といい、まさに実戦によって造られた特殊仕様の肉体の持ち主だった。

 

『帝国所属グラムヘイル。ナマンダル・オルダート中将だ』

 

 もう一つの立体映像には、大きな巨人だとしかその姿を表現する言葉がない。

 姿勢の良い長身に、よく鍛えられた固そうな筋肉。まるで鉄の塊が目前に立ちはだかっているような、異様なまでの威圧感。頭部の左右に伸びる角に鋭い両目と肉付きの薄い頬を持ち、口元と顎に鬚に蓄えて年月を経た鋼の色に染まっている。

 

「二人が連合の帝国の指揮官で相違ないか?」

『そうだぜ』

『如何にも』

 

 愚連隊のトップもかくやのクラップと中将という立場に相応しい厳格なナマンダルがそれぞれ返答を返す。

 二人の階級に差があるのは、亜人迫害主義者を重く見た帝国側が今回のことをそれだけ重要視していることに他ならない。下手な引き伸ばしや交渉は逆に悪手となると、都市創設時に連合と帝国とやり合った際に良く知っている前領主は敢えて拙速を選ぶ。

 

「用件だけを言おう。ノアキスに混乱はない。直ちに軍を退きたまえ」

 

 前領主の率直な要件に肘かけに肘をついているクラップと腕を組んでいたナマンダルが同時に眉をピクリと動かした。

 

『混乱はないって話だが、さっきの光はなんだっていうんだい?』

 

 先代とはいえ、元領主に対する口の利き方というか、軍人とはとても思えない口の乱暴な口調で問いかけるクラップの目付きは鋭い。

 

『クーデターが起こるってんで急いで来てみりゃ、光の所為でこっちのセンサーがイカレちまって今も煙を上げてるぜ。混乱がないなんて戯言はともて信用出来ねぇな』

『こちらにも同じ状況だ』

 

 厳めしい表情をそのまま人形に写したかのような鉄面皮のナマンダルが続く。

 

『クーデターの目的は亜人の排除と聞いている。帝国としては同胞の安全が確認できなければ軍を下げることは出来ん』

「儂の姿では確認にならんかね」

『足りんな。そもそも、先の光の説明がなければ納得のしようもないし、貴方が仮に前領主であっても権限がなければ我らの行動を止めることは出来ん』

 

 近くで見ているアスカからは前領主が表情を歪めたのが見えた。

 光の説明など誰も出来るはずがないからだ。仮に正直に伝えたとしても嘘をついていると思われるに違いない。それほどに精霊王の存在は眉唾物だから、あの瞬間にあの場にいた者でなければ誰も信用しようとはしないだろう。

 

「軍勢で介入する必要もなかろう。こちらも調査員ならば受け入れる用意がある」

『少数では調査員の安全を保証できん。部下を必要のない危険に晒す気は無い』

『そうだ、無駄なリスクを取る気はねえよ。つうか、いい加減にさっきの光の正体を言えよ』

「…………精霊王と言って、君らは信用するのかね?」

『良い病院を紹介してやろうか?』

『そんな眉唾な話を信じろと?』

 

 前領主が駄目元で真実を告げても正気を疑われている。

 公的な立場がある領主が説明しない限り、このままでは彼らは軍を退こうはしないだろう。

 自治権を持つこの都市のトップである領主が彼らが納得できる説明をし、安全が確認されなければ軍を下げることはせず、放っておけば彼らはノアキスに雪崩れ込んで来るだろう。

 アスカはいても立ってもいられず、通信に顔を出して割り込んだ。

 

「問題を起こした奴らのトップは武器を捨てた。奴らも戦意を失っている。それでも軍を退かない理由にはなれないってのか」

『なんだお前はぁ?』

 

 傷だらけの少年が割り込まれたクラップが不審げな顔を隠しもしないのは当然だ。

 

「当事者だ…………この街の問題は全部解決した。分からないことがあろうがアンタらが首を突っ込む理由はないはずだ」

『馬鹿が。俺達はあくまで混乱を収束させる為に来たに過ぎないんだぜ。何も確認せずに「へい、さようなら」なんて通用するはずがねぇだろ。筋違いも甚だしい』

『ノキアスの混乱の波がこちらに来ないとは限らない。我が軍は有事に備えているに過ぎない』

『つうわけだ。どこの誰かもしれねぇガキが大人の話に首を突っ込むんじゃねぇ』

 

 大人としての仕事をしているのだと二人は言い、ならば領主のような確たるとした身分と証明があれば彼らは納得するのかとアスカは考える。

 アスカは領主が未だ目覚めていないのを見て、両軍に顔が効きそうな者がいないか辺りを見渡した。

 

「………………」

 

 拳闘団・警備部隊・アスカ一行・クーデター一味、そして権限がないと言われた前領主を含めて、誰も両軍に効く公的権力を持っていない。

 ならば、とアスカは自身の切り札を切ることにした。

 

「俺は――」

 

 耳元で本当にいいのかと心の悪魔が囁いた。

 これをしてしまえば本当に後戻りは出来ない。一度口にした言葉は戻らず、下手をすれば旧世界に戻ることは出来なくなる。

 

「俺の名前は――」

 

 これだけ関わった以上は、途中で足を止めるわけにはいかない。この事態に陥った原因の一人として決して無傷ではいられない。

 

「アスカ・スプリングフィールド」

 

 虚空からこの世界に来た時に手にしてしまったネギの杖――――英雄である父が愛用していた杖を指し示しながら証明する。

 

「このノキアスに、もう混乱はない! それを――――ナギ・スプリングフィールド(千の魔法使い)の息子である俺が、アスカ・スプリングフィールドが保証する!!」

 

 発言の直後、通信相手だけではなく、この場にいる全てから音が消え去る。

 自分に視線が集まるのを自覚しながら通信相手の二人だけを見る。

 立体画面の向こうでは杖の固有反応が調査されていることだろう。

 ナギの杖は大戦時にも使われていたもので、大戦後にレプリカが大量に生産されて売られている。オリジナルはナギの強大な魔力の使用に耐えられる魔法発動媒体でレプリカとは全然違う。が、中にはオリジナルに似せて丈夫な物もあり、オリジナルを詐称して高値で売り買いもされていた影響で、防止の為にオリジナルの固有反応がデータベースに登録されていることをアスカは知らなかった。

 

『確かにサウザンドマスターの杖に相違ないようだが、息子がいるなんて聞いたことねぇぞ』

『…………』

 

 情報を確認して訝し気なクラップに比べてナマンダルが沈黙しているのは、深度Aクラスの情報を見れることが出来る立場にあるかの違いだ。

 

『どっちにしろ。乗り込めば全てが分かることだ』

 

 一度目を閉じたナマンダルが重い口を開いた時、アスカは賭けが失敗に終わったことを悟る。

 アリアドネ―のセラスからしてアスカらを取り込みたがっていたのだ。運が良ければ餌に食いついて領主が目を覚ますまでの時間を稼げればという目論見は露と消える。

 が、ここまで運命に翻弄され続けて来たノアキスに救いが空からやってきた。

 

『そこまでよ』

 

 通信相手の二人とは違う女の声が通信機から響く。

 

『彼の身元はアリアドネ―の総長である私が保証するわ。彼は紛れもなくサウザンドマスターの息子よ』

 

 視線の向こうで沈み行く太陽を遮るように影が現れ、瞬く間に船の形を現す。船を護るように並走する幾つもの影は武装した人だ。

 アスカだけでなく誰もが突然の展開にポカンと口を開けてみている中で、アリアドネ―の精鋭である戦乙女騎士団はノアキスの領域には入らず、護るように都市外部へと展開していく。

 

『信用できないというのなら調査員を派遣しなさい。但し、立ち合いとして我らアリアドネ―の戦乙女騎士団に同行させてもらうわ』

 

 強力な武装中立国の総長であるセラスの顔が立体画像に現れ、クラップとナマンダルの間に入ると共に宣言する。

 

『…………十五分後に調査員をノアキスに下ろす。当然、戦乙女騎士団が護衛をしてくれるのだろうな』

『ええ、無傷で帰してあげますわ』

 

 セラスが笑みを込めて返すとナマンダルの通信が切れた。

 

『連合はどうするのかしら?』

『ん、ああ、白けちまったな。時間は帝国に合わせる。後は頼むわぁ』

 

 次いでクラップの通信も切られた。

 取り合えず、調査員は来るが本格的な軍の進軍は止まったのだと理解だけはしたアスカに、唯一残った立体画面からセラスが笑みを浮かべる。

 

『始めまして、アスカ君。まさか君とこんな形で出会うとは思いもしなかったわ』

「俺もだ。でも、なんでここに?」

 

 そうアスカが言うと、画面の向こうでセラスが苦笑を浮かべる。

 

『ノアキスにクーデターが起こり、連合と帝国が動いているって匿名の通報があったのよ。戦争の再開なんて真っ平だから慌てて飛んで来てみれば、行方不明の君がいるのだもの。驚いたわよ』

 

 冷戦状態の連合と帝国が中立のはずのノアキスで問題を起こすとなれば、両軍に戦闘を躊躇させられる戦力を持つアリアドネ―の中で最高権力者である総長のセラスが出張ッてきたというわけだ。

 アスカもセラスに連絡を付けようと思えば出来たのに後回しにしていたのだから頭を上げれない。

 

『綾瀬さんだけしか発見できていなかったから、色々とあったようだけど無事で安心したわ』

「じゃあ、夕映はそっちにいるのか?」

『ええ、当初の予定通りに勉強を頑張っているわ』

 

 魔法世界に来た面子の中で完全な非戦闘員は宮崎のどかと綾瀬夕映の二人だが、のどかの場合はネギが一緒にいた。夕映だけはあの時に一人にしてしまったので心配していたのだが、運良く転移先がアリアドネ―であったようで一安心だ。

 

「そうか……」

 

 一安心して気が抜けると緊張が緩んで今まで保っていた糸が切れた。

 自分の声と共にアスカの意識は闇へと落ちて行った。

 

 

 

 

 

 気を失ったアスカに呼びかける少女の声を遠くに聞こえた男――――キンブリーはやれやれと肩に入っていた力を抜いてグルグルと回す。

 

「仮にも元仲間が死んじまったら俺でも気にするぜ。間に合うかどうかは微妙だったが保険の一つぐらいは打ってるっての、ってアイチチ」

 

 ブラットに壁に叩きつけらた時に打った後頭部に出来たタンコブを痛そうに擦りながら、キンブリーは紅に染まった都市の中に消えていくのだった。

 

 

 

 

 

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