魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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キャラ崩壊あり。


第7話 関西呪術協会

 

 和風情緒溢れる石畳の道は関西呪術協会総本山へ続く道であり、何も知らない一般人の通る道ではない。それにも関わらず歩いている者達がいるとすれば必然的に関係者となる。その道を歩く男女の一団がいた。麻帆良からやって来たメンバーである。

 犬上小太郎との激闘によって負傷を負ったアスカ・スプリングフィールドの疲労と怪我は、未だ見習い魔法使いのレベルを超えない治癒魔法しか使えないネギやアーニャでは癒し切れない。なのに、進んでいるのは背負って歩いてもらっているからだ。

 

「歩けないなんて情けねぇよ、俺」

 

 小さな子供のように神楽坂明日菜に背負われたアスカは、微かに揺れる振動にすら痛みで顔を顰めても強気な姿勢を尚も崩さなかった。

 

「いいから、怪我人は大人しくしてなさい」

「うぇい」

「よろしい」

 

 妙に機嫌の良い明日菜は終始笑顔のままで背負ったアスカを揺らさないように歩く。

 

「ふふん。女に諌められるなんて情けないのう、アスカ」

「同じ状態のテメェが舐めた口きいてんじゃねぇよ、ま・け・い・ぬ君」

 

 明日菜に背負われたアスカのように、刹那に背負ってもらっている小太郎。明日菜と刹那は隣同士を歩いていたので、必然的に両者の背に背負われている二人の距離も近い。売り言葉に買い言葉で、小太郎は眉間にぶっとい青筋を立てた。

 

「なんやとオラぁ!」

「やんのかコラぁ!」

 

 口を合せれば噛み合うような二人は、怪我で碌に歩けもしないのに目の前の相手に喧嘩を売ることは忘れなかった。

 

「うるさいわねぇ。黙ってられないのかしら」

 

 先を歩く幼少組二人の耳にまで響く後ろからの言い合いに、アーニャが顔を顰める。

 

「はは、元気なことはいいことじゃないか」

「それはもう少し平気そうな顔をしてから言いなさい、ネギ。顔が盛大に引き攣ってるわよ」

「え、嘘」

「嘘よ。なに、もしかしてアスカが取られたと思って妬いてんの?」

「そそそそそそんなことないじゃあーりませんじゃあーりませんか」

「何語よ、それ」

 

 刹那と明日菜を二人に取られて実はちょっと嫉妬していたりした木乃香が二人の会話に癒されていたりいなかったり。

 ゴチン、と何か重い物が二つぐらい落ちた音が聞こえたが振り返らなかった。

 

「耳元で喚かないで下さい」

「次やったら落とすわよ」

「落してから言うなよ。俺ら怪我人だぞ」

「自業自得です」

「鬼や、姉ちゃん達鬼や」

 

 近くででがなり立てられた耳を抑えながら言う刹那と明日菜に、石畳に落されて痛みやらなんやらで悶えていたアスカの横で小太郎が「これやから関東もんは…………女はみんな鬼やったな」と悟りを開いたような顔で言い直していた。

 静かになった暴君達を改めて明日菜達は背負い直す。

 

「言い換えるわ。次もやったら落とすわよ」

「おいおい、言い換えればいいてもんじゃないだろ」

「シャラップ」

 

 ポツリと言った明日菜の言葉を暴君達は聞き逃さなかった。抗弁しても下手な英単語で切った明日菜に聞く気はなかったが。

 

「お前も苦労してるんやな」

 

 名前も知らないが背負っている女達がアスカ関連であることは知っている小太郎は、こんな女達に囲まれた日常を送っているアスカに同情の視線を送った。

 

「この女所帯での肩身の狭さがお前にも分かるか」

「分かる分かるで。うちでも姉ちゃんの権力が大きいし発言権も巨大すぎて、俺は犬小屋で暮らしているような気分や」

「犬小屋って……ぷっ」

「笑ったな! 今、笑ったな!」

 

 同士であることを理解しあったところで、いきなり苦労同盟は決裂した。今も小太郎の頭の上にある犬耳を見て、アスカは我慢しようとも出来ずに噴き出した。咄嗟にアスカは口元を抑えたが小太郎は見逃さない。

 

「や、だって犬小屋って……ぷくくく、ピッタリだとか決して思ってないから」

「なら、そのニヤケ面止めぇ!」

 

 喧嘩友達という単語がピッタリと似合う二人に明日菜は特大の爆弾を準備した。

 

「落すわよ」

「「はい、黙ります」」

 

 明日菜の一言で今度こそ石像のように黙ることを決意した暴君達は、揃って言いながら女の背中に丸まった。もう一度、石畳に落ちて痛みに悶えたくはなかったのだ。この瞬間から二人は長いものには巻かれる主義となって暴君を引退したのだった。口論ばかりで仲が悪そうに見えても、その実は二人とも気が合ってしょうがないのかもしれない。

 

「全くもう」

 

 と、困ったように言いながらも明日菜の表情は笑っていた。年相応に怒って笑って話すアスカに物凄く親近感が湧いたなんて口が裂けても言わなかったが、その表情がなによりも雄弁に隣にいる刹那に伝えているのだと気づかない辺りが明日菜らしい。

 

「あ! 見えて来たわよ。あれが入り口じゃないの?」

 

 森の中に開かれた石畳の道を抜けると、見えてきたのは歴史と人の想念の積み重なりがあり、宮殿の門のような煌びやかさはないが、重厚さと荘厳さを十二分に持つ木造建ての和風の門。門だけでも城や大きな神社のような、かなり大掛かりな造りのものだ。その奥に見える範囲でも何棟もの建物が建ち並び、大きな鳥居まである。構造から見てまだ見えない奥の方もかなり広そうだ。

 

「うわー、何か雰囲気がある」

 

 アーニャが指差した門を見て、歴史マニアの琴線に触れたネギが感動の声を上げた。

 もっとよく近くで見ようと、我知らずにネギの足は進んでいた。

 

「ああー!! ちょっと待ちなさい……!! 目的地の前で待ち伏せが定石ってもんでしょうが! 警戒しなさいよ!」

 

 アーニャは不用心なネギを守る為に拳を握って慌てて後を追う。木乃香が先行した二人を追って走って、当のネギは門の直前で立ち止まったために止まることが出来ずに向こう側まで躍り出てしまった。

 

「なんで一人だけ立ち止まってんのよ!?」

 

 門の向こう側にはアーニャの想像を良い面で反した展開が待ち構えていた。

 

「「「「「「「「「「お帰りなさいませ木乃香お嬢様―ッ」」」」」」」」」

 

 門の内側はまさに別世界だった。既に京都付近でも散ってしまった桜がそよ風に吹かれ舞い踊り、石畳は綺麗に整えられ、正面には朱色の鳥居。その先には神社の拝殿を思わせる建造物。その全てに手入れが施されていて、外と内の格差がとても広い。そして両側に並んだ十人前後の巫女服を着た女性達が、ポカンとしているアーニャの後ろからやってきた木乃香に向かって深々と頭を下げていた。

 

「うわぁ、やっぱり古いと肌触りからして違う」

 

 ネギはまだ門の外で巫女ではなく門の方に見惚れている。

 

「へ?」

 

 ずらっと両脇に並んだ巫女装束の女性達に想像していたのとはまるで違った盛大な歓迎に、心の準備が出来ていなかったアーニャは目が点になった。よくよく考えれば予想通りなのだが、アスカが小太郎と戦ったことが思ったよりも引き摺っているのか直ぐには目の前の光景を受け止め切れなかった。

 

「みんな~、ただいまぁ」

 

 巫女達に頭を下げられている木乃香は気後れすることなく笑顔で受け止めている。彼女にとってこれが割と当たり前の光景なのだろう。

 

「うっひゃ~~~、コレみんな木乃香のお屋敷の人なんか。家広いな」

「委員長さん並のお嬢様だったんですね」

 

 通路を抜けて本堂へと入るその道すがらに並ぶ巫女達。余りにも豪勢な展開にスプリングフィールド兄弟は驚いていた。春休み直後に訪れた委員長こと雪広あやかの家で多少は大きな家には慣れているとはいえ、和風の屋敷はまた別の凄みがあった。

 

「へ~、ここが木乃香の実家か」

 

 明日菜は予め説明を受けていたので驚くことはなかったが、興味深そうに周りを見回す。見る者が見れば東洋的な思想に基づいて厳密に計算され尽くした聖域といった感のある敷地であると気付くが、そんな知識のない明日菜に分かる筈もない。

 

「明日菜………ウチの実家おっきくてひいた?」

 

 そんな辺りを見渡す明日菜に、木乃香は気を悪くしたんじゃないかと心配して恐る恐る尋ねる。いかに郊外とはいえ、京都にこれ程広大な屋敷を持つなど金だけ有れば出来る様な事ではない。

 

「ううんっ、ちょっとビックリしたけどね」

 

 確かに少しは驚いたもののあやかの家で慣れている、と多少は面食らったものの明日菜は笑って答える。

 

「良かったぁ」

 

 心底安心したように笑って瞳の端に涙すら浮かべた木乃香に、刹那はそっと寄り添って手を握った。家の事情で刹那が距離を取るという行為に及んで、ちょっとショックだった木乃香は、中学からずっと一緒だった明日菜まで距離を取るのではないかと気になっていたのだ。今は刹那とも昔の関係に近づけても、家の事を知ったら離れるのではないかという恐怖があったが、明日菜の言葉と自分から触れてくれた刹那に木乃香も安心したように笑みを見せた。

 

「金がありそうな家やな」

「アンタ、色々と台無しよ」

 

 折角、良い話で終わりそうなところで俗物的な感想を正直に口に出した小太郎に、ようやく復活したアーニャは突っ込まずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカ達の治療を先に行い、使用人に本殿らしき建物の中へと案内されるままに入っていくと、辿り着いたのは数十メートル四方はある大広間。大広間には屋敷の中であろうと気にする事もなく、桜の花びらが宙を舞っており、微かに香木の香が漂う。天井は格天井で奥には御簾が掛けられている。側面にいる者達が奏でる和楽器の音色が流れ、風流の中に厳格な雰囲気を作り出す。

 大広間にも十数人の巫女がいて正座で待機する者が座り構え、正面の祭壇の脇には矢筒と和弓を携えた者が立ち構えており、まるで時代劇のワンシーンを思い出させるような雰囲気である。側面では琴・小太鼓・篳篥などを演奏して、大広間の造りや巫女姿の女性達や楽器のせいでネギ達は平安時代にタイムスリップしたように感じられた。

 大広間の中央には七枚の座布団が置かれている。前に四つ、後ろに三つが敷かれていた。前列に左からアスカ、ネギ、アーニャ、木乃香。後列に左から小太郎、明日菜、刹那。

 

「なんでお前までいんだよ」

「知らんがな。流れに任せたら座っとってん」

 

 治癒を受けて見た目の傷は全開しているアスカと、何故か同席している小太郎も一緒に座布団の上に座って、段から降りてくるだろう西の長を待っていた。

 

「部外者じゃん。ていうか反逆者だろ」

「ちゃうわい。俺はそう…………戦士や!」

「良いのが思いつかなくて適当に言っただけだろ」

「うん」

 

 周りの巫女達が笑ったので顔を紅く染めて身を縮めた小太郎だった。

 まもなく、正面の祭壇の御簾のかかった階段から誰かが降りてきた。ゆっくりと、一段一段足を踏みしめるたびに木がきしむ音が聞こえる。西の長その人だろう。

 

「お待たせ致しました」

 

 顔を表した男は皆を目にすると、柔らかく微笑む。

 

「ようこそ、明日菜君。木乃香のクラスメイトの皆さん、そして先生方」

 

 その人物は、四十過ぎの神社の神主のような格好をした男性であった。眼鏡の下からは柔和な色を湛えた瞳が覗いており、その温和な人となりを良く表している。お世辞にも美形とはいえず、長身なのと心労によるものか顔色が悪いので誰もが「ひょろ長い」と言った印象を受け、心なしか実年齢よりも老けて見えている。

 近衛詠春。二十年前の魔法世界での大戦を終結に導いた紅き翼の一員で旧姓、青山詠春。剣技では右に並ぶ者はいないとまで言われたサムライマスターの異名を持つ神鳴流剣士である。彼こそが関西呪術協会の長でもあり、木乃香の父である近衛詠春その人だ。多少、不健康そうな印象を受ける痩せた表情でありながら、一組織の頂点に立つ人物だけがもつことのできる鋭くも柔和な雰囲気によって、人に決して悪い印象だけは与えることはない。

 普通の人は細面に眼鏡をかけ、服装以外は特に目立ったところもない優しそうな中年男性だと思うだろう。

 

「やっべぇ、見た瞬間に鳥肌立った」

「強いわ、あのおっさん。あれで全盛期より衰えとるとか洒落にならんで」

 

 近衛詠春を見たアスカと小太郎は上げかけた腰をゆっくりと下ろす。戦人の雰囲気で立ち振る舞いに一切の隙が見当たらない。詠春の身のこなしや風格から佳境な戦線を乗り越えてきた人物なのだと分からされる。長と成った今は政治的部分に重さを置かなければならなくなった影響で色褪せてしまっても、未熟な二人には足下すら見えない遥かな高みにいる。それほどの戦士を前にして二人は身震いを隠せなかった。しかし、その身振るいは決して恐れからではない。

 

「…………()りてぇ」

「さっき戦ったばかりじゃないか。今は止めてよ。やるなら後で」

「分かってるって」

 

 ネギが諌めなければならないほど、アスカは心の底から嘗て父と同じ場所に立っていた目の前の男に挑戦したくて堪らなかった。

 

「遺伝子って不思議よね」

「確かに」

 

 何故あの祖父である学園長や父である詠春から、木乃香のような可愛い子が生まれるとは世の中摩訶不思議である。余程、母親の遺伝を引き継いでいるのだろうと考え、明日菜とアーニャは勝手に頷いた。

 

「お父様~♪ お久しぶりや~!!」

「ははは、これこれ木乃香」

 

 木乃香は久しぶりの親子の再会に感極まったらしく、微かに涙も滲ませて嬉しそうに詠春に思い切り飛びついて抱きつく。詠春も皆の前という事もあって少々苦笑い気味だが、久方振りに会う愛娘を優しく抱きとめた。

 そんな中、明日菜はストライクゾーンど真ん中の渋い中年の筈なのに、前のような激しい衝動が湧き上がってこない自分に頭を捻っていた。昂ぶりはするが通常の思考を妨げるほどのものではない。

 

「?????」

 

 明日菜の頭の中を疑問符が蝶のように幾つも乱舞していた。

 

「あの…………長」

 

 木乃香と詠春の感動の対面を見ていたアーニャは再会の抱擁が終わったのを見計らい、失礼と思いながらも親子の会話の間に口を挟む。

 

「申し訳ありませんでした! お嬢さんに魔法をバラしてしまったのは私です!」

「僕もです。大変申し訳ありませんでした!」

 

 二人に歩み寄って膝をつき、両手を床について勢いよく頭を下げた。今回の件に関わっているネギも、アーニャに倣うように歩み寄って土下座を行う。

 怒られ、処罰を受けても当然と頭を上げられない二人に歩み寄った詠春が手を伸ばして肩を掴んだ。

 

「いいのですよ。顔を上げて下さい」

 

 それでも慚愧の念に駆られて顔を上げられない二人に詠春は優しく微笑んだ。

 

「木乃香には普通の女の子として生活してもらいたいと秘密にしてきましたが、いずれにせよこうなる日は来たのかもしれません。今回の一件で刹那君とも仲直りしたようですし、二人が気にすることはありません」

「そうや、二人のお蔭でうちはせっちゃんと昔みたいに戻れたんやもん。そんなに気にされたら逆にこっちが悪いわぁ。ほら、顔を上げてぇな」

「木乃香……」

「木乃香さん……」

「ありがとう、うちに魔法を教えてくれて。二人のお蔭や」

 

 顔を上げた二人に木乃香は優しく微笑んだ。太陽のような笑顔とはまた違う。野原に咲く一輪の花のような向けられた者を自然と笑顔にする優しい表情だった。

 

「なんやえらい場違いな感じや」

「俺も」

「私も」

 

 感動して涙ぐんでいる刹那や前にいる四人の感動の渦から取り残された小太郎・アスカ・明日菜は、場違い感に身を小さくするのであった。

 

「少し早いですが夕食を用意させてもらっています。折角のご客人です。盛大に歓迎致しますよ」

「「メシ!?」」

「アンタ達、実は仲良いでしょ」

 

 詠春の提案に、明日菜は同時に腹を鳴らして声を揃えて喜色満面になった元暴君達に突っ込むのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋を移して宴会場。今度は畳敷きの広間で、やはり広い。関西呪術協会の長である詠春の催した歓迎の宴は、それはそれは盛大なものだった。

 宴会場として設置された場には大きな机が並べられ、大量の高価な色とりどりの山海の美味、珍味の料理が所狭しと机に置かれていた。それらは全て食欲をそそるいい匂いをしており、戦って空腹だった少年二人と悩みから解放された少年少女のテンションは高く、巫女さん達も一緒になってのドンチャン騒ぎだ。

 

「どや、俺の舞は!」

「なってねぇ! この俺のダンスを見習え!」

 

 小太郎は日の丸の描かれた扇子を持った巫女達と楽しげに舞い踊り、何時の間にか侍女達の奏でる楽器達は厳粛な囃子から明るいテンポの戯曲に取って代わっているのにノッてアスカのダンスが繰り広げられる。

 ちゃんと皿がある机からは離れて踊っている二人だが目の前でやられたアーニャには堪ったものではない。

 

「食事の席で埃を立てるんじゃないわよ!」

 

 伊勢海老を美味しく味わっていたアーニャは、尻尾を口の端から出しながらフライングラリアットで二人の首を纏めて刈り取った。

 

「アーニャだって埃立ててるじゃないか!」

「私はアンタ達を止める為に仕方なくやってんのよ!」

「負けんで!」

「「なにすんだコラ!」」

 

 フライングラリアットを挑戦と受け取った小太郎がアーニャに躍りかかり、巻き込まれたアスカも合わせて三人が畳の上でプロレスをし始めた。そんな中で、両脇を巫女さんに固められてお酌されているネギは身動きがとれないでいた。

 

「ささ、先生。グィッとどうぞ」

「え? え?」

「良い呑みっぷりです。お注ぎします」

「は、はぁ」

 

 こんな状況の経験などないネギは、初めての宴会で上司に酒を勧められて断ることができない新入社員のように、促されるたびに一気飲みをして器を空けては注ぎ込まれるという無限ループに突入してどんどん飲まされていた。このペースで行けばネギが潰されるのは時間の問題だろう。

 

「ねえ、木乃香。これってお酒じゃないの?」

「らいじょーぶ」

 

 宴会が酣になってくると巫女達が飲んでいるのか漂い始めたアルコール臭によって、明日菜は自分が飲んでいる飲み物もお酒のような気がして木乃香に問いかける。

 明日菜は真面目とは言い切れなくても、真っ直ぐな性格なので宴会だからと言って中学生の身で自分から飲酒しようとは思わない。視線の先でプロレスごっこをする三人の顔が顔を真っ赤になっていて、巫女達に呑まされているネギは酔っぱらっているように見えるし、木乃香の返答も呂律が回っていない。

 

「お酒とちゃうよ~♪」

「すみません。お水と交換で」

 

 明らかに怪しいので明日菜は二人のコップを取り上げて、丁度配膳を行なっていた巫女さんに別の飲み物との交換を頼んだ。そこに宴を中座して部屋を出ていた刹那が戻ってきた。

 

「刹那君」

「こ、これは長! 私のような者にお声を!!」

 

 部屋に戻ってきても騒ぎの輪の中に入らず、これからのことで考える事が多すぎて浮かない顔をしていた刹那の下に、詠春が近づいて刹那に声をかけた。

 長に声を掛けられ、考え事をしていて反応が遅れた刹那は慌てて片膝をついて頭を下げる。

 

「ハハ、そうかしこまらずにいてください。昔からそうですね君は………この二年間、木乃香の護衛をありがとうございます。私の個人的な頼みに応え、よく頑張ってくれました。苦労をかけましたね」

 

 声を掛けられて慌てて畏まる刹那を、詠春はやんわりとそれを止める。責任感の強く真面目な刹那が気負い過ぎないようにする意味も込め、長は自分の責任を確認する。

 詠春は刹那が出自をコンプレックスとしてしまい、麻帆良に行く頃には周りと壁を作っていた事を思い返す。

 木乃香の安全を守るためとはいえ、魔法使いの拠点である麻帆良に行くなど良い顔をする者などそうは居ない。それを刹那は裏切り者扱いされると分かっていながら受け、木乃香に知られること無く勤めてくれた。

 詠春は一人の娘の父としてはもっと助けたかったが、西の長としての立場がそれを許さない。応援を送る事も出来ない中、刹那は本当に良くやってくれたと思っている。麻帆良に護衛として向かっていった時には木乃香と触れることで、刹那のその壁を溶かせればと思うもそれは叶わなかったが、最近は木乃香との旧交が再び温められて来たと聞いていた。それ以外にも以前に比べて大分、壁が感じられなくなっている。

 

「ハッ………このちゃん………いえ、お嬢様の護衛は元より私の望みなれば…………勿体無いお言葉です。しかし、申し訳ありません。結局、お嬢様に『こちら側』のことを………」

 

 長にそう言われるが、だからといって刹那は姿勢を崩す訳にはいかず、一転して表情を曇らせた。結果として失敗だったと思っている刹那は項垂れて頭を下げている。彼女としては木乃香を完全な平穏に置きたかったが、自分の過失ではないと言っても責任を感じてしまうのは責任感の強い刹那だからだろう。

 

「構わないと言いました。気が利くのは君の良いところではありますが、気に病み過ぎるのが悪いところでもあります」

 

 幼い頃から知る、良くも悪くも刀の様に真っ直ぐな刹那に詠春は笑いかけた。

 ようやく顔を上げた刹那から視線を移して明日菜に介抱されている木乃香を見た。

 

「これからも木乃香のことをよろしく頼みます。それがあの子の願いでもありますから」

「はっ、私の身命に賭して必ず」

 

 そこまで大袈裟に考えなくとも良いと詠春は思いもしたが、決意の深い刹那の覚悟に水を差すこともないと考えて口に出すことはなかった。

 次にどちらかが口を開く前に、二人の間に闖入者が紛れ込んできた。

 

「長~、勝負だぁ」

「俺も混ぜろぉ」

「おやおや」

 

 フラフラと千鳥足で向かってくる少年二人に詠春は苦笑を浮かべた。

 料理に含まれている酒分や場の雰囲気で酔っ払っている少年達が振り上げる拳を簡単に受け止めて、人生を全力で楽しんでいる二人に目を細めた。

 

「逃げるなぁ、小太郎ぉ」

「離せぇ、暴力女ぁ」

「誰が暴力女よぉ」

 

 アーニャに絡まれた小太郎が二人一緒に畳に倒れ込んだ。そのまま二人でゴロゴロ、ゴロゴロと畳の上を転がる。本人達としては戦っているつもりらしい。

 

「勝負勝負ぅ」

「ええ、後でしますよ」

 

 駄々っ子のように袴を引っ張って来るアスカの頭を、詠春は自然と撫でた。最早勝負を挑んでいるというよりじゃれついてくるに等しいアスカと接していると、木乃香が幼い頃に死別した妻との間に息子が出来ていればこんな感情を抱いただろうかと少しばかりの感傷を抱いた。

 女の子として生まれてきた木乃香が悪いわけではない。むしろばっち来いの気持ちなので文句の欠片も無い。しかし、男親としては息子と一緒に遊んで、叶うならば自身の剣を伝えたいという思いがある。今となっては永遠に叶わない願いではあるが、腐れ縁の友人の息子が甘えるようにしがみついてくる様は詠春の父性を刺激した。

 詠春は衝動に駆られてアスカを抱き上げた。

 

「んにゃう?」

 

 昼寝していた猫が突然飼い主に抱き上げられたような素っ頓狂な声を上げたアスカは、抱き上げられても嫌がってはいなかった。それどころか楽しそうに笑っていた。酔っていて正しい状況判断が出来ないのかもしれないが、迂闊な行動をしたと思った詠春の前で満面の笑みを見せられたら魅せられてしまう。

 小太郎との戦いを遠見で見ていたが実力も申し分ない。眼の前の子がナギのように人を惹きつけずにはいられない魂の持ち主であると、詠春は嘗ての経験とこの二十年で得た老獪さで行動に出る。

 

「アスカ君、木乃香と結婚して婿に来ませんか。いえ、来なさい」

「お父様!? いきなりアスカ君を抱き上げて何言うてんの!」

 

 ガタン、と実は注目されていた詠春から発せられた聞き捨てならない台詞に、木乃香が酔いではない理由で顔を真っ赤にして立ち上がった。

 

「確かにアスカ君は大きくなったらカッコよくなりそうやけど、うちはまだ十四でアスカはまだ十歳にもなってないのに将来のパートナー決めるなんて早すぎやで」

「有望株には早めに手を出しておくものですよ、木乃香」

「ほ、本気や…………趣味で見合いを勧めて来るお爺ちゃんとは違う本気の目や」

 

 極間近というか隣から漂ってくる冷気に震撼しながら勇気を振り絞った木乃香は、お見合いを勧めて来るのが半ば趣味と本気と書いてマジと読めそうなぐらいな目をした父に続く言葉を奪われた。

 

「木乃香?」

「ひぃっ、そのハイライトのなくなった目は止めてぇな明日菜!? せっちゃん! せっちゃ――――んっ!!」

 

 ピシリと持っているグラスに罅を入れた明日菜のオッドアイから光が消えて腐臭すら漂ってきそうな雰囲気に、木乃香は腰を抜かしながらも親友に助けを求めた。

 

「ごめん、このちゃん。うちには助けられそうにない」

 

 今の明日菜に関わることは死を意味すると感じ取った刹那は、助けを求めて来る木乃香を泣く泣く見捨てて周りを見た。酔い潰れかけているネギは巫女達に完全に玩具にされている。アーニャと小太郎はニャーニャーワンワンと猫化犬化して畳を転げまくっている。動けるのは自分だけだと色々と諦めた刹那が詠春を諌めなければならなかった。

 

「長、本気なのですか?」

「娘もいいのですが息子も欲しいと思っていたのです。妻を亡くして叶うことはないと諦めていたのですが、ならば気に入った子を婿にすれば義息子が出来ると今気づきました。アスカ君、うちに婿に来ませんか?」

「にゅこてつおいか?」

 

 婿って強いか、と言いたかったようである。アスカは婿の意味を分かっていないようだ。

 

「強くなれますよ。婿になれば私が神鳴流の全てを教えます」

「長っ!?」

 

 正気かと疑った刹那の目から見ても詠春の目は本気だった。当のアスカは眠いのか目をしょぼつかせ、もはや呂律すら怪しくなっていたので酔いが早く回りやすい体質なのかもしれない。

 

「どうですか?」

 

 九割九分九厘ぐらい本気な詠春の問いかけに返って来ること言葉はなかった。小太郎との戦いの疲労もあったのだろう。詠春の腕の中で規則正しい寝息を漏らしてアスカは瞼を閉じていた。

 

「おや、寝てしまいましたか。君、私の部屋に彼の布団を」

 

 近くにいた巫女に言いつけ、詠春は脇を抱えて持ち上げていたアスカの体を腕の中に抱え直した。元より親バカの気があった詠春の琴線に触れたらしいアスカを、既に息子扱いして自身の寝所に寝かせる気満々だった。

 腕の中で寝ているアスカが胸元を掴んだので、傍から見ても分かるほどに詠春は顔をだらしなく緩める。

 

「この状況、一体どうすれば……」

 

 周りの混沌具合に刹那はどうしようも出来なかった。明日菜に詰め寄られている木乃香、アスカと同じように眠り出したアーニャを煩わしげに払いのけて起き上がった小太郎、数人の巫女に人形宜しく次々と抱き抱えられているネギ、眠ってしまったアスカを自身の部屋に連れて行こうとする詠春。

 諦めの境地に達した刹那を救ったのは外部の人間だった。今まさに詠春が開けようとした障子が外から開けられた。

 

「なにしてはりますの、長」

 

 障子を開けたのは黒髪長身の袴を着た女性だった。着物を着ていれば外国人が思い描く古き日本女性を体現しているが今は袴姿だった。

 袴姿の女性は目の前でアスカを抱き抱えたまま固まっている詠春を呆れた視線で見ている。

 

「いや、これは」

「鶴子様!?」

 

 目を盛大に泳がせて言い訳を口にしようとした詠春の言葉に被せるように、現れた女性のことを良く知っていた刹那が仰天しながら名前を呼んだ。

 女性は、聞こえた声に目の前の詠春から刹那に視線を移して少し驚いたように目を瞬かせる。

 

「覚えのある気配を感じるなぁ思うたら刹那やないか。元気にしとったか」

 

 女性――――神鳴流の宗家である青山の娘である青山鶴子の問いに刹那は喜色を露わに頷いた。

 

「は、はい。ですが、どうして鶴子様が本山に? ご結婚されて現役から退いたはずでは」

 

 将来を嘱望されながらも何年も前に突如として結婚して現役を退いたことは刹那も良く知っている。鶴子の結婚式には一時的な弟子であった刹那も参加させてもらったのだ。分からぬはずがない。家庭に入ってからは本山にまで足を運ばなかった鶴子がやってきた。そこにはなにか理由があるはずと刹那は考えた。

 

「もしや、なにか」

「あったちゅうたら、あったんやけど今回のは別件や。気にせんでええ」

 

 気を揉んだ刹那の前で、厳しさと優しさの両方を備えた目で見て来る鶴子の言葉に安心した。現役を引退しても現在の神鳴流最強の看板を背負っている鶴子が動かなければならないほど事態など、想像するだけでも刹那の心胆を寒からしめる。

 

「関東から来た一行ってお嬢様と刹那達のことやったんやな」

「はい、そうですが……」

 

 何かを確かめるように頷いた鶴子の障子で隠れている右手側が何故か騒がしくなった。良く見れば外からの光で障子が透けて、鶴子の手の先に人の影が映っている。人影は逃げようとでもするように暴れてるが、恐らく手の位置的に首元を掴まれているのだろう果たせていなかった。掴んでいるのは神鳴流最強の戦士。片手だけで大半の相手を抑え込める化け物なのだ。

 

「来るまでに何回か妨害受けたそうやないか」

「ええ、殆どはただの悪戯だったのですが、本山への入り口で無間方処の咒法に嵌められた時は少し焦りました」

「ほほぅ」

 

 ギクギク、といった擬音が聞こえそうなぐらい障子の影に映った人影が固まった。

 人影の反応で刹那も鶴子が何を言いたいのか、大体の察しがついた。刹那が半分だけ開いている障子を開けきると、想像した通りの光景が広がっていた。

 

「――――どういうことや、千草」

 

 剣鬼と時に噂される鶴子の視線に晒されて、千草と呼ばれた女性――――天ヶ崎千草は力の限り首を横に振った。

 

「うちにはなんのことか分かりませんなぁ。鶴子姉さんも引退して目が曇ったんとちゃうか」

 

 目元を大きく覆う丸眼鏡をかけて流れるような黒髪を首の後ろで纏め、バニーガールのように胸元から背中まで露出して着崩した着物を纏った千草は目を盛大に泳がせながらもしらばっくれた。

 

「ここまできて、まだしらばっくれる気かいな」

「しらばっくれるもなにも、なんのことやらさっぱり。心当たりの欠片もありやしませんわ」

 

 後衛の陰陽師である千草は、圧倒的な威圧感で詰問してくる鶴子に負けじと腹に力を入れて答えた。

 

「認める気はないっちゅうことか」

「知らんことを認めるもなにもありませんわ。うちには人に秘するものはなにもありやしません」

 

 刹那の目には、千草が目を盛大に泳がせて冷や汗をダラダラと垂らして全身を震わせているので強がりが見え見えだった。だが、それでも鶴子の威圧感を前にして嘘を貫き通そうとしている千草の勇気に尊敬すら覚えた。

 鶴子の弟子である刹那は何度か彼女を怒らせたことがある。普通の人が抱くような怒りであっても鶴子の場合は威圧感が半端ではないのだ。怒らせて恐怖で失禁したことすらある刹那の魂には、鶴子に反抗の意志すら湧き上がらない絶対服従が刻み付けられている。

 嘘を貫き通そうとしている千草の行為は墓場に自分から喜んで突っ込んで行くようなものだったが、だからこそ自分には出来ないことをやってのけている人に尊敬の念を覚えずにはいられなかった。

 

「あ、千草姉ちゃん。さっき俺がバラしてもうたから隠そうとしたって無駄やで」

「小太郎ぉおおおおおおおおお!!」

 

 酔いが回るのが早ければ、抜けるのも早いのか。周りの少年少女達が潰れていく中で、小太郎は一人で皿の上の掃除を行なっていた。蟹の足を折って身を取り出していた身内(小太郎)の裏切りに千草は絶叫する。

 

「なんでやねん! 普通はそこは身内を庇うもんやろ!」

「くそっ、取れへんな。せやかて、遠見の術で全部見てた言われたら庇えるもんも庇えへんやん。お、ええのがあった」

 

 上手く身を取り出せずに悪戦苦闘していた小太郎は、蟹フォークが置いてあるのを見つけて手を伸ばした。

 身内の危機よりも食い気を優先する小太郎にカッとなって、理不尽にも鉄拳制裁を加えようとした千草を止めたのは後ろから肩を掴んだ鶴子の手だった。

 

「アンタが魔法使いへの嫌がらせの為に色々と動いてたのも、その子を利用してアリバイ工作をしようとしてたのを全部知ってるんやで。よう、こんな小狡い手を考えつくもんや」

「ひっ、ひ……ひっ……肩が、肩が砕けるぅ!?」

「大丈夫や。人間の骨はこの程度で砕けるほど柔やあらへん」

 

 ギシギシ、と万力のような力で掴まれた肩の骨が軋む音を立てる。人間の壊し方を良く知っている鶴子は、折れないギリギリの力で千草の肩を握り締める。やられる千草には堪ってものではなく、痛みに悶えようとするがそれすらも掴まれた手に抑え込まれていた。

 

「あ、あのー、出来ればその辺で」

 

 と、千草に助け舟を出したのは木乃香を気絶に追い込んだ明日菜であった。人が壊れる限界ギリギリで説教する鶴子の恐怖を知っている刹那は勇者を見るように明日菜を見た。

 

「ええんか? あんさんも被害にあったらしいやん。どうせやったら一発殴っとく?」

「いえ、結構です。大した被害でもなかったので」

 

 掴んだままの肩はそのままに、もう片方の手で千草の頭を固定して殴りやすいにした鶴子のバイオレンスな提案を明日菜は丁寧に謝辞した。

 成人の女性が本気の涙目でいるのを見れば殴る気があったとしても失せる。迷惑はしたが悪い事ばかりではなかったのは確かなので、僅かにあった小さな憤りもこの状況を見れば窄んで許してやろうと寛大な気持ちになっていた。

 

「この心の広いお人に感謝しときや」

 

 微妙に表情を変化させる明日菜の様子になにかを感じ取ったのか、鶴子は千草をポイッと捨てながら言い捨てた。

 

「うう、おおきに。あんさんはうちの命の恩人や」

「そんな大袈裟な」

 

 あんまりな扱いの中で差し伸べられた手を両手でしっかりと握った千草の涙ながらの感謝に、己が為したことを神鳴流剣士が知れば畏怖の目を向けてくることに明日菜は気付かなかった。それほどに鶴子の怒りを収めたことは凄い事なのだと刹那は良く知っている。

 何時の間にかアスカを連れていなくなっていた詠春がホクホク顔で戻って来たのを見て、再び神鳴流剣士に別の意味で恐れられる剣鬼の顔になった鶴子からそっと視線を逸らして溜息を吐いた刹那だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 子供達が眠りについて暫く経った時刻。関西呪術協会の重役は本山にある屋敷の奥まった一室に集まっていた。

 

「…………遅い」

 

 年配の男性が多い中で袴姿の女性が感情を感じさせない声で呟いた。女性――――青山鶴子の呟きに何十年も関西呪術協会の一員として過ごし、幹部として辣腕を振るってきた男達が揃って体を恐怖で震わせた。

 部屋の両脇に一列に並んだ中で、部屋の奥側の列の最後尾に坐した鶴子に大の男達が怯えていた。特に隣に座っている頭頂部が薄くなっている五十代ぐらいの幹部など、鶴子から放たれる威圧感に脂汗すら垂らしている。隣に座っている幹部の頭皮に順調にダメージを与えていることなど露とも知らない鶴子は、室内にいるただ一人の例外を見た。

 

「なあ、千草。長はなんでこんなに遅いんや?」

 

 幹部連中に囲まれて委縮して身を縮めていた天ヶ崎千草は、よりにもよって室内の存在感を一人で独占する鶴子に話しかけられれば黙っていることは出来ない。若手のホープなんて言われていても所詮は下っ端の身。世知辛い身分に千草は心の中で涙した。

 

「さあ、この会合のことを知らないとかでは」

「んな訳あるかいな。全員を集めたのは長本人やで」

「うちに言われましても」

 

 鶴子に連行された立場にある千草に自由行動など許されてはいなかったし、詠春と話したことなど今まで片手の数で数える程度しかない彼女に長の行動など分かるはずもない。その話した内容にしても長と一組織員としてなので、鶴子に問われたところで千草に答えられるわけがなかった。

 このまま鶴子の威圧感が増していけば隣にいる幹部の髪の毛が全滅するかと思われたが、廊下の向こうからトントンと規則正しい足音が聞こえて来たことで幹部の殆どがホッとした顔をした。千草も同じ気持ちだったので、詠春が到着すれば威圧感もマシになるだろうと肩から力を抜く。

 廊下を歩く人物は部屋の前で立ち止まり、室内にいる鶴子以外の全員の希望の目と共に障子を開いた。

 

「いや~、みなさん。すみません、お待たせしました」

 

 障子を開けたのは長である近衛詠春その人であった。問題はない。なにも問題はないはずだったが、自分で召集した幹部会に遅れたにも関わらず、緊張感の欠片も無い緩み切った表情をしていた。

 

「長、自分で呼び出しておいて遅刻ですか」

 

 鶴子から発せられる威圧感が更に増した。もはや物理的な圧力すら感じさせる威圧感は、流石は剣鬼と噂されるだけあると部外者ならば頷けるが、それだけの威圧感に身近に晒されている幹部達には堪ったものではない。特に隣にいる髪の薄い幹部は引き攣った顔して、その頭部から風も吹いていないのに失ってはいけないものが飛んでいく。同じように引き攣りながらも大半が男の集団は大切な物(髪の毛)を失っていく幹部に心の内で手を合わせた。

 

「子供の笑顔は天使とは良く言ったものですね。存分に堪能させて頂きました。やはりアスカ君には木乃香の婿になってもらわなければ」

 

 正に至福の時を堪能してきたかのように上気させた詠春は、鶴子の威圧感など毛ほども感じていなさそうだった。鶴子の方が実力は上と見られていたが実は詠春の方が上回っていたかといえばそうでもないだろう。ただ単純に親バカの範囲を広げただけの詠春は鶴子の威圧感を受け流しているのだ。

 

「お、長…………で、出来れば幹部を招集した理由を、教えて頂きたいのですが。主に私達の為に」

 

 鶴子から一番遠い席にいて最も被害が薄い最年長の幹部が詠春に話しかけた。

 

「む、それもそうですね。さっさと雑事を終わらせて寝顔の鑑賞に戻らなくては」

 

 長の次に権力を持っている幹部に言われて、仕事モードに気持ちを切り替えた詠春は自身の席へと向かった。

 最高権力者である詠春の席は当然ながら上座である。部屋の両脇に一列ずつ並んで座っている幹部達の上座側の真ん中の席に座った詠春は、向かい合うように座っている千草の顔を自然と見た。

 次いで視線を集まった幹部達に向け、鶴子の威圧感によってバーコードぐらいはあった頭頂部の髪の毛が数えられる程度になっていることに首を捻って、また千草に顔を向けた。

 

「まずは急な呼び出しにも関わらず、集まってもらった皆さんには感謝を」

 

 胡坐を掻いて座布団に座っている膝の上で両の手の平を組み合わせた詠春は、先程の緩んだ表情などなかったかのように薄く笑った。

 

「こんな時間です。さっさと本題に入りましょう。今回、集まってもらったのは他でもありません。既に予想されている方もいると思いますが、天ヶ崎千草の処遇について。詳細は鶴子君の方から」

 

 ゆっくりと話しながら詠春は幹部全員の顔を見て、最後に真意を感じさせない表情で真正面にいる千草に視線を止めた。続きは事情を良く知る鶴子に任された。

 

「木乃香お嬢様を連れた魔法使いを含む一行に対する複数の妨害工作が見られています。新幹線内での式神発動、京都地主神社で工作、本山入口通路での呪法の設置。いずれも被害は軽微ですが、主導・及び実行犯がそこにいる天ヶ崎千草です」

「なんと……」

 

 鶴子の報告に幹部の一人が信じられんとばかりに目を剥いて千草を見た。

 

「天ヶ崎千草。貴様は一連の行為を自分がしたと認めるのか?」

「…………認めます」

 

 雲の上のような存在である幹部連中に囲まれて生きた心地がしない千草は、証拠を鶴子に握られて身内(小太郎)にすら裏切られているので幹部の詰問に大人しく犯行を認めた。

 

「理由は? やっているのは子供の悪戯レベル。こんなことをした理由はなんだ?」

 

 出来る限り身を縮めて台風一過をやり過ごそうとしている千草に対する詰問は止まらない。

 

「魔法使いに対する嫌がらせです。奴らのテリトリーは東です。西に来て大きな顔をされるのは我慢なりません」

「気持ちは分からなくとも…………ゴホン、だからといってこんなことをする理由にはならん。これでは我ら関西呪術協会のいい面汚しだ」

 

 魔法使い嫌いの急先鋒である幹部の一人が千草に同調しかけたが、失言をしていることに気づいて咳払いをして逆に糾弾する。自身の失言を、千草を糾弾することで掻き消そうとしたのだ。

 そんな幹部を冷やりとした視線で見つめた詠春は、正座をして膝の上に置いた拳を強く握っている千草にやはり感情の読めない目を向けた。

 

「幸いにも相手方は今回のことを気にはしておられません。ですが、やはりこちらも示しはつけなければならないでしょう」

「ええ、確かに」

「関西呪術協会として罰を与えることで、関東からの批判を躱そうというわけですか」

 

 組み合わせた両手の平の上で親指を組み替えた詠春は今までと違う凄みのある笑みを浮かべた。

 

「それだけではありません。今回の魔法使いも伴った木乃香達の受け入れは組織として決定したことです。その決定に反して動いた彼女の行動は決して許されて良いものではありません」

 

 優しげな目元はそのままに、痩せこけた中年男の風情の欠片など存在しない風格を醸し出す詠春に幹部の誰もが呑まれた。

 周囲の輪を重んじる詠春の厳しすぎる判断に、下の方にまで噂が轟いていた人情派の長らしからぬ断定を受けた千草は生きた心地がしなかった。

 

「どのような処罰がいいですかな」

「被害の程度でいえば謹慎が適当かと」

「いや、周囲に与えた影響を考慮すれば協会からの除名も已む無しでは」

「下手をすれば両組織の戦争の発端になったのかもしれんのだぞ。除名では足りん」

「では、除名の後に国外追放ならば」

 

 与えられる処罰がどんどん重くなっていくことに、目の前で話し合いが為されている千草の顔色が加速度的に悪化していく。思わず助けを求められる立場ではないのに、旧知の間柄である鶴子へと懇願の視線を送った。

 視線を向けられた鶴子は気付きながらも黙殺し、見捨てられたと思った千草は泣きそうな顔で己が拳を見下ろした。

 

「それまで」

 

 パンパン、と詠春は手を叩いて広大になり過ぎた処罰を論じている幹部達を黙らせた。

 

「一連の騒ぎは我が娘の帰省に伴うもの。彼女の処罰は私に決めさせて頂きたいのですが、いかがでしょうか?」

 

 幹部達は詠春の伺いに顔を見合わせ、一瞬の内に視線の中に込められた各々の思惑や各派閥のあれやこれやが交錯した。最終的には長である詠春の意見を受け入れ、全員が頷きを返したがこういう面倒事が嫌いな鶴子は目を瞑って黙したままだった。

 

「皆さんの賛成も得られたことですし…………では、天ヶ崎千草に処分を言い渡す」

 

 気の良い中年男性と長としての風格を醸し出すという矛盾を同居させた詠春に、千草は閻魔大王に天国か地獄かの判決を下される死者のような気分で頭を垂れた。

 

「処分の前に一つだけ。君は最近、教員免許を取得したと聞きましたが相違ありませんか?」

「え、あ、はい。高校生の時に預かった子が人間と妖怪のハーフでして、耳を隠せへんので普通の学校に通えませんのです。せめて家で勉強を見てやろう思いまして大学を教育学部にしてそのまま」

 

 関係ないと思われることを聞いてくる詠春に内心で大いに首を捻った千草は正直に答えた。

 除名や国外追放になれば小太郎をどうしようかと遅まきながらに気が付いた。

 

「狗族の少年のことですね。良い心掛けです」

「いえ、そんな。うちはどんな処罰でも甘んじて受けます。ですが、小太郎はうちが強制的に引き込んだんです。どうか平にご容赦を」

 

 自分がしたことの不始末ならば自分で償うのが道理である。小太郎は千草が引き込んだようなものだ。強制的か望んでかは実際のところ違うのだが、まだ年若く将来のある小太郎の安否は守らねばならなかった。

 今更そんなことを思うのは筋違いなのかもしれないが、憎たらしいところがあっても両親を亡くしてから孤独だった千草のただ一人の家族を守らねばならなかった。千草は今ようやく自分が仕出かした事の、事の大きさを実感したのであった。

 

「小太郎君には貴女と同じ罰を受けてもらいます」

「そんな! どうかどうかご勘弁を」

「なりません」

 

 縋りつくような必死さを見せる千草の懇願を、しかし詠春は一辺の甘さすらも垣間見せることなく無表情のままに切り捨てる。穏やかな笑みがトレードマークとでもいうべき長の、今までとは真反対の非情な一面に幹部達は恐ろしげに見ていることしか出来なかった。ただ一人、瞼を閉じて黙した青山鶴子を除いて。

 

「改めて処分を言い渡す。天ヶ崎千草、犬上小太郎の両名を関東魔法協会麻帆良学園都市に留学とする」

「は?」

「既に先方とも話がついています。新学期からとのことです。それと木乃香に陰陽師として色々と教えてあげて下さい。頑張って下さい、天ヶ崎先生(・・)

 

 二重の意味で先生(・・)と呼ばれた千草は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、頭の中から一時的に小太郎のことが消えた。

 予想外も予想外過ぎる処罰に、幹部達ですら同じような顔をしていた。ブチ壊れた部屋の緊張感を潜り抜けるように、立ち上がった詠春が歩み寄って千草の前までやってきた片膝をついた。

 

「木乃香とアスカ君の仲を深めさせるには刹那君では少々心許ない。彼女では木乃香に逆らえませんからね。留学生としてくれぐれも、本当にくれぐれもよろしくお願いしますよ」

 

 本音と建前が逆になっている詠春に肩を掴まれた千草は色々なことを諦めた。

 

 

 

 

 

 心神耗弱状態に陥った千草を、呼んだ巫女達に連れて行かせて介抱を任せた詠春は幹部を招集した本当の議題に集中した。

 

「国外に逃亡した形跡があり、ですか」

「はい、『ひな』を持って」

 

 鶴子が本山を訪れた本当の理由である、とある調査報告に幹部の誰もが沈鬱に俯いた。そして幹部の一人が顔を上げ、鋭い視線で鶴子を睨んだ。

 

「由々しき事態であるぞ。神鳴流全剣士を絶滅の際にまで追いやられたという逸話を持っている妖刀『ひな』が持ち出されるなど。しかも、それを為したのは神鳴流の技を使う剣士というではないか。もし猛威を振るわれればどれほどの被害が出るか想像も出来ん」

 

 幹部は恐ろしき災厄を招いてしまったかのように鶴子を糾弾する。

 

「『ひな』の管理は神鳴流が行っていたはず。管理体制はどうなっているのだ」

「お言葉ですが、件のひなは研修用として関西呪術協会へ預けられていた時に奪われとります。管理体制の是非を問うならば神鳴流だけではないんでは?」

 

 糾弾に冷静に返した鶴子に別の幹部が激昂した。

 

「貴様! 言うにことかいて、こちらの不備であると言うのか!」

「そこまでは言うとりません。ですが、神鳴流に責任の全てを押し付けるんはおかしいのではないかと言いたいだけです」

 

 鶴子と幹部連中の舌戦に詠春は黙したまま何も言わなかったが、穏やかながらも強い口調で言い切った鶴子の言葉の直後に口を開いた。

 

「ひなの警備を行っていた神鳴流剣士二名を殺害、陰陽師一人が重傷。下手人は相当な手練れです。名前は…………月詠と言いましたか」

 

 渡された資料に張られている写真に写る木乃香とそう年が変わらない幼い子供が為した凶行に、詠春は眼鏡の奥の目を細めた。

 

「重傷を負った陰陽師は?」

「命は取り留めました。ですが、陰陽師として復帰することは不可能だと治癒術士より報告が上がっています」

「そうですか……」

 

 死者達に冥福を祈り、陰陽師の今後も考えねばならないと考えた詠春は、必ず下手人を捕まえると心に決めて深く黙祷していた。

 資料を作成したこの中では若い方の幹部は眼鏡をクイッと上げて報告を行う。

 

「下手人に親や親類係累はなし。天涯孤独の身です。分かっているのは、新興の時坂家に召使えられていたことだけです。また、その扱いは褒められたものではなかったようだとも」

「またあの時坂か」

「当代になってから大人しくなったもののの、能力も功績も評価するが家を興した先代の頃から黒い噂が多すぎる」

 

 この場にはいない、まだ年若い当代の時坂家当主の顔を思い浮かべた何人かの幹部達が顔を顰めた。

 

「報告では、住んでいる住居が神鳴流の鍛錬所が近く良く見学に訪れていたと。下手人の境遇を噂で知っていた師範が彼女を不憫に思って許可したようです」

 

 過去に神鳴流とコンビを組んで実戦に出ていた幹部の一人が状況のおかしさに気が付いた。

 師範が許可したのはあくまで見学までだと報告書にも記載されている。それは他の門下生からの証言でも明らか。にも関わらず、月詠は神鳴流を使ったのだという。

 

「まさか見取り稽古で技を覚えたというのか」

「俄かに信じ難いことですが、それ以外には考えられません」

 

 見取り稽古とは、直接教わるのではなく相手の技や呼吸やタイミング、動きなどなどを見て盗むことである。稽古の一つとしてどこにでもある変わったものではないが、正規の訓練を一度も受けずに技を盗んだ子供に誰もが震撼していた。

 

「だが、『ひな』の持ち運びは師範クラスが行う規定になっているはず。見取り稽古で覚えただけの俄かに殺されるはずが」

「殺害された神鳴流剣士二名はその鍛錬所の師範と師範代です。陰陽師の話によれば顔見知りであることを利用して近づいてきたところで真っ先に師範が殺され、予想外の事態に動揺した二人の隙を突いて凶行に及んだのとことです」

 

 顔見知りを利用しての犯行だとしても、見取り稽古で学んだだけの未熟者に殺されるほど神鳴流の師範は弱くない。誰もが同じ思いで次の報告を聞く。

 

「それとですが、もう一つ。陰陽師の話によれば下手人は弐の太刀を使ったとも」

「馬鹿な! 弐の太刀は宗家である青山家の人間か、宗家ゆかりの者にしか伝承されない決まりがあるはず」

 

 弐の太刀とは、敵との間に障害物があっても障害物を傷つけずに敵だけを攻撃することができる技。どのような障壁も鎧も突破する強力な技である。あまりにも強力故に限られた人間しか伝えられない技を、正規の訓練を受けていない下手人が使ったのだとすれば背後には神鳴流の影があると想像した幹部も多かった。

 

「あの鍛錬所は宗家の人間も出入りしとります。見て覚えたんでしょう。行為はともかく凄まじい剣才の持ち主です。単純な剣の才だけなれば、並ぶ者はいまへんかもしれませんな」

「鶴子君にも、ですか?」

「かも、しれまへんな。後々の禍根に至る前に引退したうちがしゃしゃり出てまで仕留めたかったんですが叶いませんでした」

 

 歴代の神鳴流においても一、二を争う鶴子をも上回るやもしれない才能の持ち主。それほどの才の持ち主が、ただの剣士に神鳴流を滅ぼすほどの力を与えた『ひな』を持ち出した。奇襲とはいえ師範と師範代を殺した恐るべき実力を秘めている月詠が『ひな』を持ち出したことで、現役を引退したはずの鶴子が動かなければならなければならなかった。だが、動くのが遅すぎたのか後一歩というところで国外逃亡を許し、月詠の行方はようとしれない。

 

「一体、何を思って行動しているのか、この少年(・・)は」

 

 闇が深まっていく部屋の中で、月詠の写真を見下ろして詠春はひっそりと口の中で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネギが目を覚ました時―――――そこは見知らぬ部屋だった。洋風独特の無機質な天井ではなく、木目調の飾り板が張られた暖かな天井であったからだ。

 静寂の中、居間の壁時計の秒針が動く硬質な音が響く。不規則な木目の並んだ天井に、和風建築特有の木の匂い、畳の上に敷かれた布団――――さして広くもない部屋にある調度品は全て和風な趣をしていた。

 

「ここは?」

 

 ぼやけた視界を拭いながら、目覚め切っていない頭で半身を起こして辺りを見回す。間違ってもウェールズにある自分の家ではない。かといって女子寮の明日菜達の部屋でもない。

 現在地を把握できずに呟き、自分は何でこんな所にいるのだろうと記憶を模索すると昨夜のことを思い出した。障子越しに見える日の光から考えて既に昨日の出来事だ。ネギには寝かされていた部屋に見覚えがないので、あのまま酔い潰れてしまって誰かが此処にまで運んでくれたのだろう。

 

「後でお礼言わなきゃ」

 

 寝過ぎによる脳の奥辺りに鈍痛を覚えながら、寝癖であちこちが跳ねている髪の毛を直しつつ起き出した。

 ネギが寝ていた部屋には他にも布団が二つあった。子供用のサイズの布団から考えてアスカとアーニャか、それとも小太郎用か。その二つともが綺麗に畳まれ、触った感じでは熱が冷めきっていて、少なくとも布団の主は十分以上前に起き出している可能性が高い。

 

「みんなどこにいるんだろ」

 

 人を探そうと至って障子を開け、屋敷の廊下を歩き出した。まだ朝も早いということは、アスカや高畑としたキャンプで太陽の昇り位置で時間を把握する術を知っていたネギには分かった。本山内部には巫女さん達に案内してもらったので現在地もどこへ向かえば人に会えるかも分からない。急ぐことでもないので、桜が咲き誇る庭園を眺めながらのんびりと廊下を歩く。

 当てもなく歩いていると廊下の先から複数の人の足音が聞こえて来た。音の発生源である曲がり角から真っ先に姿を現したのは関西呪術協会の長である近衛詠春その人であった。

 

「長さん」

「ネギ君、起きていたのかね? ちょうど良かった。今、起こしに行こうと思っていたところだよ」

 

 木刀を片手に持った詠春は、昨日の初対面時とは打って変わって爽やかな笑みを浮かべていた。

 

「やっと起きたの。相変わらず寝坊助ね」

「仕方ないわよ。あんな状態だったんだもの」

 

 詠春の後ろから姿を見せたアーニャと明日菜が寝癖で針山になっているネギの頭を笑ったり呆れたりしていた。

 三人の後ろからもガヤガヤと人の気配が複数。

 

「刹那、お嬢様の護衛にかまけて腕が上がったとらんで」

「申し訳ありません」

「まあまあ、勘弁したってや鶴子さん」

 

 詠春と同じように木刀を持った鶴子に注意を受けて身を縮込ませている刹那は何故かボロボロだった。寝起きで頭が回っていないネギが首を捻っていると、木乃香が刹那のフォローをしていた。そして、最後尾に肩を貸し合ったこれまたボロボロな少年二人が現れた。

 

「アスカ」

「ん? よう、ネギ」

 

 この中で一番ボロボロな有様をしているアスカは、ネギには理解できない事柄ながらも非常に満足そうであった。ニコニコと笑っている姿はボロボロな風体と相まって異様にも映るが、魔法学校時代から高畑と会う度に似たような状況になっていたので今更驚くこともない。

 

「皆さん、揃ってどうかしたんですか?」

 

 このメンバーがいる理由が解らずにネギは首を傾げた。改めて記憶を模索してみるが該当する用件はない。というか、成人女性に見覚えのなかったネギにはもっと分からなかった。

 ネギの問いに足を止めた詠春が道の脇に体を開きながら後ろを振り返って苦笑した。

 

「アスカ君からの申し出で試合をしていてね。今はその帰りだよ」

「ああ、あの」

 

 ようやく回り出した頭の中が詠春が言った意味を理解して、ネギは頷きと共に得心した。

 学期末に学年クラス最下位を回避するご褒美としてアスカに提示された条件。それが詠春との試合であった。大方、早くに就寝して目覚めたアスカが詠春に戦いを挑んだのだろうことは、生まれてからずっと傍にいるネギには容易に想像がついた。

 

「すみません。うちの愚弟がこんな朝早くからご迷惑をおかけしまして」

「ネギ、それは私も言ったわ」

 

 ここは謝るべきところだと今までの経験から深く頭を下げて謝辞を表明したが、アーニャに先を越されていたようだ。

 

「いえいえ、こちらとしても有意義な時間を過ごさせてもらいました」

 

 アスカに負けず劣らずの満面の笑みを見せる詠春は謝罪は良いと顔の前で手を振った。その詠春を恨めしげに見るのはアスカに肩を借りる小太郎だった。

 

「このおっさん洒落にならんで。アスカはともかく俺には容赦ナシや。差別や差別」

「小太郎の扱いは悪かったものね」

「差別ではありません。これは区別です。強くするために厳しくと天ヶ崎君から頼まれましたから手加減なんて出来ません」

「まったくお父様は」

 

 このメンバーの中でもかなりボロボロな小太郎を哀れに思ってか、明日菜が同意する一方でアーニャが横から治癒魔法をかける。後ろでどこからか取り出したハンマーで父を殴打する木乃香がいた。

 治癒魔法で一人で立てるようになった小太郎から離れたアスカが鼻息も荒くネギに近くやって来た。その手には詠春や鶴子、刹那と同じく木刀が握られていた。

 

「やっぱ親父と同じ場所に立ってた詠春は強かったぞ」

「そんなに?」

「昨日枷を外してからかけ直してないから全力で行ったのに一発も当てられなかったんだぞ。マジで強ぇ」

 

 そういえばと昨日のことを思い出して、取りあえず封印をかけておこうと杖で呪文を唱えながら話を聞いたネギは改めて父がいる場所の果てしなさを知ったようような気分だった。

 誰よりも身近でアスカを見てきたネギは、双子の弟の底すら見えない戦闘センスを知っている。正に戦うために生まれてきたようなアスカが全力で挑んで歯も立たない詠春の強さと、同じ場所にいる父の背中の遠さを改めて自覚する。

 

「そんなことはありませんよ。アスカ君なら厳しい修練と多くの実戦を経験すれば十年、早ければ五年もすれば私など追い越すでしょう。私が保証します」

「うちもそう思うわ。単純な才能ならこの中でも段違いのようやしな」

 

 アスカを絶賛する詠春と鶴子に、アーニャと刹那が目を剥き、明日菜と木乃香はよく解っていないような顔だった。

 褒められて鼻高々といったアスカに小太郎が噛みついた。

 

「負けんで」

「へん、負け犬君はほざていな」

「言ったな。ここで再戦や!」

「止めなさいってば」

 

 狭い廊下で何人もいる関わらず、やる気満々になっている二人に明日菜が拳骨を下ろした。出遅れた形になったアーニャが振り上げた拳のやりどころを失っていた。

 

「……………」

 

 アスカならばそう遠くない何時かに父の背中に届き得ると明言されたようで、起こされることなく寝かされていたネギは仲間外れになったような気分で面白くなった。

 我知らずに仏頂面になっていたネギに何かを感じとったのか、明日菜に叩かれた頭を抑えていたアスカが良いことを思いついたように木刀を肩に担いだ。

 

「俺ってば詠春に剣も教えて貰ったぞ。どうだ、羨ましいだろ」

「羨ましくない」

「教えて貰ったって剣の握り方とか振り方とか基本的なことだけじゃない」

 

 自慢げに借りたらしい木刀を見せびらかしてくるアスカに不機嫌になったネギが言うと、アーニャがフォローを入れるように言った。

 

「鶴子と刹那が使うのを見てたから技も使えるもんね」

「馬鹿ね。見ただけで使えるわけないじゃない」

「言ったな、見てろよ。確かこんな感じで」

 

 得意げな顔だったアスカは見栄を張りたいのか、アーニャの言葉に庭園側に向き直って木刀を振りかぶった。

 

「神鳴流――――」

 

 アスカが振りかぶった木刀に気の輝きが灯っていることに気づいたのは詠春と鶴子の二人だけだった。

 

「斬空閃!!」

 

 振るわれた木刀の軌跡に沿うように気の斬撃が飛んだ。アスカの気合に比例すように極太で巨大な気の斬撃は、上段から振り下ろされたこともあって縦一文字に直進していく。

 真っ先に被害にあったのは華麗な花を咲かす一つの桜の木だった。桜の木を包丁で豆腐を切るように切り裂き、障害物などないかのように直進する気の斬撃は次々と気を切り裂き、やがてはアスカの正面に見えていた屋敷を捉える。

 前に進むたびに巨大になっていく気の斬撃は、この時には既に屋敷の屋根付近にまで到達していた。各屋敷に防御結界でも仕込まれているのか、屋敷に触れる前に一瞬の停滞を引き起こしたが鏡が割れるような音と共に、先程の切り裂かれた桜の木のように気の斬撃が通過して行った。

 その先にはまた別の屋敷があって、一つが二つ、二つが三つ、三つが四つと、途中で悲鳴と怒号とを巻き上げながら、やがて気の斬撃はアスカ達の視界の及ばないところにまで達して消失する。

 

「……………」

 

 自分で成したことながら本当に技が出るとは及びもしていなかったアスカは、固まってしまった周りの空気と巻き込まれたらしい辺りから聞こえる怒号にバケツ一杯に溜められるのではないかと思うほどの冷や汗を流した。

 木刀を振り下ろした姿勢から振り返って、あんぐりと口を開けた一同を見たアスカは混乱の極致にありながら口を開いた。

 

「どうだ!」

「どうだ、じゃないわよ! この救いようのないド級のボケアスカが!!」

「あべしっ!?」

 

 アホなことをしてアホなことを叫んだアスカに向かって、炎を纏ったアーニャが殴り掛かった。

 アーニャにタコ殴りにされるアスカを見て、何故かさっきのことは許せそうになったネギは被害に顔を青から白へと顔色を変じている詠春に向け、ジャンプして膝と両手と頭を廊下につけながら愚弟が仕出かしたことを詫びる為に土下座を敢行したのだった。

 兄とは、弟の不始末を詫びねばならない辛い立場にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ、タバコあかん」

 

 洋装に着替えた詠春が待ち合わせ場所である関西呪術協会の入り口でタバコを吸おうとすると、木乃香が駆け寄ってタバコを取り上げようとする。木乃香がタバコを嫌いというよりも、詠春の身体を思ってである。

 

「木乃香、今だけは、この一本だけは吸わせて下さい。現実を忘れる為に」

 

 何時もなら吸いたいなら避ければいいのでタバコをあっさり手放すと詠春だったが今回だけはそれを固辞した。立場から来るストレスで時々吸って癖になっていたが、木乃香が傍にいてくれる方が彼には良く効くもアスカが仕出かしたことの後始末を思い出すだけで胃がキリキリと痛むのを和らげるには煙草に逃げるしかない。

 

「しゃあないな。今回だけやで」

 

 アスカが放った斬空閃によって奇跡的に怪我人や死傷者は出なかったが、器物が損壊されたり結界呪具が壊れたりと損害は大きい。なんとかアスカに責任が回らないように朝っぱらから動き回っていた父の気持ちを慮って、今吸っている一本だけはと木乃香も許した。

 時刻は既に夕方。空は傾き始めていた。朝から動き続けた詠春は、それだけ頑張ったのである。

 煙草を吸いきった詠春は携帯灰皿に吸殻を捨てた。

 

「行きましょう。案内します」

「本当に父さんの別荘があるんですか?」

「ええ、この奥にあります」

 

 ナギの別荘がここ京都にあり、詠春が管理を任されていたと聞かされたネギは行きたいと珍しく駄々を捏ねた。朝の一件でかなり忙しい立場にあった詠春は、この時間を作る為に物凄く頑張ったことは言うまでもない。

 総本山から現地までは少し歩くので、ネギと詠春が先頭でその後は数人ずつの纏まりになって話をしながら一行は進んでいく。この中に小太郎はいない。別件で朝の時点で千草に連れて行かれている。

 別荘に向かう道すがらネギは詠春の横に並ぶと、気になっていた事を質問した。

 

「長さん、今回のことは……」

「大丈夫です。私達の管理不行届が原因と皆も解ってくれましたから君達に苦情がいくことはありません。年若い魔法使いの少年が見様見真似で神鳴流の技を使ったと知って、皆も納得してくれましたから」

 

 言い難そうに切り出してくるネギに詠春は疲れた笑みを見せながらも、安心させるように伝えた。この一件の裏で、ある妖刀を奪った下手人のとあることに対する信憑性が増したとして色々とあったことは詠春も伝えなかった。伝える必要もない。

 

「当のアスカ君が深く反省してますから、誰も責めはしません」

 

 この不始末を仕出かしたアスカはアーニャによって焼き達磨状態にされて謝罪行脚をしたことは記憶に新しい。今も最後尾で、「私は救いようのないド級のボケアスカです」とプラカードを持たされている。

 

「ほら、あの三階建ての狭い建物がそうですよ。十年の間に草木が茂ってしまいましたが、中は綺麗なものです」

 

 目的地に到着したので立ち止まり、詠春は右手の草木が茂り白い壁がほとんど見えなくなった天文台付きの家を示した。その建物は、敷地面積そのものは小さいが三階建てほどの高さがあり、外観はコンクリートそのままで、所々に窓があるようだが、十年の年月で自由に生い茂る草木によって隠されてしまっている。その所為で何処か隠れ家じみた様相を呈している。

 建物そのものは、コンクリートむき出しの武骨な外観の三階建ての建物だったが、屋根の一部分には金属製の半球が被さっており、本格的な天文台があるのが特徴的だった。個人の建物であれほどの設備をつけるとはかなりの趣味のようだ。下からはよく見えないが開閉可能らしく、星でも見ていたのだろうか。

 一言で言うなら天文台が備え付けられている洋風建築の一軒家。それが魔法界の英雄ナギ・スプリングフィールドの別荘だった。様々な理由で、彼らはこの家の内部に思いを馳せる。

 

「京都だからもっと和風かと思った」

 

 明日菜は京都にある隠れ家と言うことで、和風の屋敷をイメージしていたのだが、意外にもそこに建っていたのは、鉄筋コンクリート製の建造物であった。

 アーニャは中がキレイだと言う割には外の草木を放置しすぎではないかと首を傾げ、天文台なんて目立つものがあることに更に首を傾げる。天文台なんて本格的な施設を個人で所有しているのだから天文学に興味があるのかと、スタンから聞いていた事前の情報と合わない人物像と比較して重ねて疑問符を抱く。

 

「どうぞ、皆さん」

 

 詠春はポケットから鍵をとりだし、鍵穴に差し込んで玄関の鍵を開ける。扉を開けて彼らを招きいれた。

 詠春に促されてきょろきょろと、辺りを見渡しながら高鳴る興奮を抑えきれないネギを先頭に奥にある入口へと向かっていく。ネギを先頭にぞろぞろと中に入り、ドアを支えていた詠春は最後になった。

 

「わ―――」

 

 中に入っていくと其処は最後に主が去った時の姿のままで、皆が興味深げに見てネギの歓声が高い天井に吸い込まれていった。

 京都にありながら西洋風だった建物はモダンな内装が際立ち、中に入れば整頓されており中々に良いセンスをしていると伺える。間取りそのものは詠春が言ったように内部は綺麗なままで狭い三階建てだった。

 一階から三階までの中心に吹き抜けがある構造で、個室や区切られた部屋はほとんど存在しなかった。窓から入る光が明るく柔らかい雰囲気を演出しており、明かりをつけなくても十分明るい。吹き抜けになっているエリアの一面の壁には、天井まで届く巨大な本棚が据え付けられている。本棚の両側を挟む様に二階と三階が作られているが、各階層の天井は結構高い。

 不自然なほどに壁の少ない家は、空を飛べないと利用し難い造りになっており、魔法使いの隠れ家だったと納得させるものがある。梯子はあるが下から数段分にしか届かない。梯子が届かない場所にまで本が置いてあるのは、恐らく本棚の裏側にある階段側からも取れる様になっているからだろう。それならそっち側からも取れる様にしておくべきであろうがそこまで手が回らなかったのか。

 大量の本に囲まれたそこはまさに本好きにとってはこんな所に住みたいと思わせる佇まいだ。

 

「彼が最後に訪れた時のままにしてあります」

「ここに……昔、父さんが……」

 

 詠春の言葉に感動したように言葉を漏らすネギ。彼の持つサウザンドマスターの痕跡は、六年前の僅かな記憶と杖、その他はスタンから伝え聞いた話位。しかし、ココには確かにナギ・スプリングフィールドの過ごした月日が残っていた。

 目を輝かせて父が住んでいた家を見て回ったり、少しでも父の事を知るために、願わくば彼の足跡の手掛かりを得る為に本を調べたりしている。貯蔵された魔術書の量、それだけでネギは自分の父親の功績を感じているようだった。

 明日菜達もたくさんある本を興味深げに見て回っているし、アスカはナギが使っていたであろう家具などを手にとって見ている。アーニャは棚を見上げたまま、立ち位置を奥にずらしていく。

 

「英語にラテン語、こっちはギリシア語かしら」

 

 ざっとタイトルを眺めていくと様々な言語で書かれた魔法書がずらりと並べられていた。適当に手に取った本には難解な魔法理論や、アーニャが未だ踏み入れた事の無い魔法世界についての記述が書かれている。

 家具を触るのに飽きたらしいアスカがアーニャの真似をするように隣に並んで視線を動かす。

 

「変ね。聞いた話と人物像が合わない」

「何がだ?」

「アンタ達のお父さんって魔法学校中退で勉強嫌いだって話じゃない。スタンお爺ちゃんや高畑先生も進んで勉強するタイプじゃないってネギを見て良く言ってたのに、こんなに本が一杯あるなんておかしいと思わない?」

「俺と同じで本に囲まれたら眠たくなるらしいから、確かにアーニャの言う通りだ」

 

 アーニャの視線の先を追ったアスカに答えながら、事前に把握した人物像からはとても勉強をする人間には思えずに首を捻った。天文台の事といい、まるで何か目的(・・・・)があるかのような感じがアーニャは見受けられた。

 

「何かがあったんだろ。節を曲げてまでも成し遂げなきゃならない何かが」

 

 世界最強と呼ばれた男が世間的に死んだことになっているということは、それだけの何かがあったということ。ネギもアスカもそこに気づいているからこそ、自身の力を高めようとしている。

 

「どうですか、ネギ君?」

「見たいものや調べたいものがたくさんあって、時間がないのが残念です」

 

 三階の一室で資料を見ていたネギの所に詠春が登ってきて尋ねる。いろいろと探してみるが、如何せん本の量が多く、滞在期間中に調べ尽くすには時間が足りない。

 

「ハハ、またいつでも来ていいですよ。カギをお渡ししますので」

「あの……長さん……父さんのこと聞いていいですか」

 

 少し微笑んでここの資料について軽く話した後に本以上に知りたい事、ナギのことを教えてほしいと詠春に頼む。

 

「…………ふむ、そうですね。みんなこっちへ…………アスカ君と明日菜君も。あなた達にも色々話しておいた方がいいでしょう」

 

 ネギからの言葉も半ば予想していたため大した反応も見せず、詠春は顎に手を当てどの辺りからどの辺りまでを話すかを考える。

 少し考えて下にいる者達にも声を掛けた。

 声に応えてアスカ達二人と、明日菜達三人が何かと三階に上ってくる。

 

「この写真は?」

 

 面子が揃った所で詠春が指し示したデスク前のアクリル製のスタンドに収められていた一枚の写真を見て、アスカが疑問の声を上げる。

 

「サウザンドマスターの戦友たち…………黒い服が私です」

「戦友?」

「ええ、二十年前の写真です」 

 

 みんなが写真に目を移すと、写っているのはネギと同じ赤毛の少年―――――ナギ・スプリングフィールドを中央に六人の男が写っていた。

 今、皆の傍にいる近衛詠春、旧姓青山詠春の若かりし頃の姿もある。他にもタバコくわえたスーツ姿のガトウ・カグラ・ヴァンデンバーグ。褐色の肌で巨大な剣を持っているジャック・ラカン。ローブ姿の男性とも女性ともとれるアルビレオ・イマ。ナギに頭に手を置かれている十歳ぐらいの子供、ゼクト。

 

「私の隣に居るのが十五歳のナギ。サウザンドマスターです」

「……父さん」

「……親父か」

 

 写真の中心にいるナギは幼さが残っているにも関らず、このメンバーの中心的存在だと分かる。顔がそっくりなネギに比べるとナギのほうは野性味が入っている。ネギが優等性タイプだとすると、こちらは人に憎まれない悪ガキタイプといった感じだろうか。

 ネギの見た目とアスカの中身を合せればナギになるのかもしれない、と詠春はふと思った。

 

「わひゃー。これ父様っ! わかーい♪」

 

 木乃香が覗き込んだのに続いて、他のメンバーもその写真に群がっていく。

 

「え……」

 

 木乃香達と一緒に写真を見ていた明日菜が不自然に動きを止めた。そしてまるで夢でも見ているかのように目がぼんやりとなる。

 

「明日菜さん? どうかしました?」

 

 刹那は他の者ほど熱心に写真を見ていなかったので明日菜の様子がおかしい事に気付き、気になって思わず声をかける

 

「え? ううん、何も」

 

 写真の中の人物を見た明日菜の頭の中に何かが浮かびかけたが、刹那に声を掛けられて霧散する。夢から覚めたような気持ちになって焦りが生まれた。何でもないと答えるが何かが明日菜の頭に引っかかり、その後も不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「私はかつての大戦で、まだ少年だったナギと共に戦った戦友でした………」

 

 一段落ついたところで、詠春の話が始まった。語りが始まると皆は自然と口を閉じる。その話によるとナギがサウザンドマスターと呼ばれるようになった英雄の話。そこで成した数々の活躍により彼は英雄、サウザンドマスターと呼ばれることになったという。

 その後も詠春の話は続くが締めは残念な事に兄弟の望んだものではなかった。

 

「しかし………彼は十年前、突然、姿を消す……………彼の最後の足取り、彼がどうなったかを知る者はいません。ただし公式の記録では1993年死亡。それ以上の事は私にも……すいません二人とも」

 

 詠春は申し訳なさそうにそう言って一息つき、情報を求めてきたネギとアスカの方へ向いて申し訳なさそうな表情で詫びる。

 

「い、いえ、そんな………ありがとうございます、長さん」

 

 詠春の謝罪にネギはお礼を言い、手摺を掴み改めて部屋を見渡す。ネギの顔は曇らない。その後に彼は父に会っているのだから。

 詠春に礼を言うとネギはアスカと並んで手すりに凭れる。

 

「結局、手掛かりなしか」

「ううん。そんなことないよ父さんの部屋を見れただけでも来た甲斐があった」

「違いねぇ」

 

 そして兄弟たちは顔を見合わせて笑い合った。

 吹き抜けになった空間を眺める。壁の一面を占める本棚。父の情報はなかったからアスカとネギは少し残念そうな色を浮かべているもののそこに絶望はなかった。残念と思ってはいるけど諦めてはいない。

 もしかしたらこの場所に父が嘗ていたのだと思えば、今後のやる気が見えて来る。

 

「やることは何も変わらない。強くなって親父を探し出す」

 

 アスカは言ってネギに拳を突き出した。

 ネギも拳を握って突き出し、軽くコンと当てた。

 

「強くなろう」

「ああ」

 

 ネギの意気込みにアスカも頷く。

 兄弟だけのやる気のサインの合図を交わす二人を、アーニャは寂しげに見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二泊三日の滞在を終え、詠春や鶴子ら(三日目に訪れた鶴子の妹である素子)に見送られて京都駅から新幹線に乗った一行は、乗り込んで十分もしない内に寝息が聞こえ出した。それから数十分たった今では旅の疲れが出て麻帆良組が眠りにつき、行きのような騒がしさは無い。

 

「やれやれ、三人とも寝ちゃったか」

 

 行きと同じく三人席を回転させて窓側に座ったアーニャは、前に座る明日菜・木乃香・刹那の三人が中央の木乃香に凭れかかるようにして寝たのを見て笑った。

 

「ほんと、アスカの所為で大変な旅行になっちゃったわ」

 

 寝ている三人を起こさないように気を利かせて声を顰めながらも隣に座るアスカを咎めるという器用なことをする。

 

「仕方ねぇだろ。俺だってまさか出来るとは思わなかった」

「流石はバグ」

「なんだ、バグって?」

「千雨さんに教えて貰ったんだ。アスカみたいなのをそう言うんだって。意味は教えてくれなかったけど」

「どうせ碌な事じゃないでしょ」

 

 意味も分からずに千雨から聞いたネギはアスカと顔を見合わせて首を捻った。

 コンピュータ関係の言葉らしいが、こういうのはウェールズで刑に服しているもう一人の仲間が詳しいのでアーニャにも分からない。分かるとすれば、コスプレ癖とネットアイドルであることを知られてから周りの目が無い時に限定して遠慮のない千雨の悪口だということだけだ。

 

「そういえば、なにか長に貰ってなかった?」

「ああ、あれか」

 

 駅で詠春からネギに手渡されていたのを思い出したアーニャが言うと、アスカが網棚に乗せてある荷物を見る。

 

「長さんが父さんの手掛かりだってくれたんだ」

「なんなんだろうな」

 

 早く中身を見てみたいという欲を隠そうとしないアスカに笑ったネギは、小さく欠伸を漏らした。つられる様にアスカも大きく口を開けて欠伸を掻く。昨夜はアスカだけでなくネギも参加して夜遅くまで詠春の自室でナギとの思い出話を聞いていたので寝るのが遅かった。

 朝は朝で鶴子の妹である素子がやってきて、強者に反応してバトルマニアの気が反省を超えて再燃したアスカに巻き込まれたネギも戦った。年下に負けるなとばかりに刹那も超人達のバトルに引き込まれていったのを、アーニャと明日菜は合唱して見送ったものである。

 

「いいわよ、アンタ達は寝てても。私は起きてるから」

「じゃあ、遠慮なく」

「ごめん、ぼくも限界」

 

 許しを得た二人はあっという間に寝入って、規則正しい寝息を立てた。

 みんなが寝てしまったので一人で起きとかなければならないアーニャは高速で流れて行く窓の外を眺めた。

 

「バカ……」

 

 さっさと寝た双子に悪態をつき、一言ではとても言えない感情をアーニャは抱いていた。

 

「私はアンタ達みたいに強くなれないのよ」

 

 その言葉はまるで、将来双子と別れる道を暗示しているようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハワイのとある町のストリートで一人の少女が泣きそうな顔で俯いていた。天然でウェーブの入った長い茶髪の髪の毛を垂らした少女は、顔を上げることも出来ない。原因は少女の目の前の人物にあった。

 

「ちょっとアンタ! この間の占い全然当たらなかったわよっ!」

 

 少し年がいった女性は怒鳴り、少女が座っている前に置かれている水晶が置かれた机をバンと強く叩いた。

 少女は人の怒りに敏感だった。怒りを向けられるだけで身が竦んで何も出来なくなる。以前ならば、少女の危機をどこからか感じ取ってかけつけてくれた男の子も、怒りを示す者に理論立てて反論してくれる男の子も、彼らと一緒に自分を救ってくれた少女はいない。今は一人で、孤独に奮えてることしか少女には出来なかった。

 

「なにか言ったらどうだい!」

 

 恐怖と情けなさで貝のように口を閉じている少女に、尚も女性の怒りは収まらない。少女はただ歯を食い縛って耐えることしか出来ない。

 

「ちっ、そんな的外れな占いしか出来ないならさっさと辞めちまいな!」

 

 何も言い返そうとしない少女に最後に吐き捨てて、女性は怒りを示すように足音も去って行く。

 女性の怒り具合を近くで見ていた少年二人が、慌てて道を譲るほどの様子だった。

 怒りを発していた女性がいなくなっても少女は目元に涙が流れないように歯を食い縛り続けた。

 

『卒業したんだからその直ぐに泣く癖も直しなさいよ』

 

 思い出すのは先に修行先に向かうためにウェールズを立たなければならないことが分かって、空港まで見送りに来てくれた親友の言葉だった。今の少女の心の支えは過去にしかなかった。

 

「やーい、嘘つき占い師」

「嘘つきはどっかに行っちゃえ」

 

 同年代ぐらいの少年達に馬鹿にされても、少女は泣かなかった。泣かないことだけが少女に残されたただ一つの意地だった。でも、意地を持っても辛いことに変わりはない。占い道具を片付けて逃げるようにストリートから去った。

 向かうのは居候先の魔法使いの屋敷。だが、そこに向かって歩いているはずの少女の足取りは軽快なものとはいかなかった。

 足取りも重く辿り着いた先にあったのは、ハワイには不釣り合いな洋風の豪奢な屋敷である。

 

「…………失礼します」

 

 何度も躊躇いを覚えながらも、二ヶ月以上経っても未だに慣れない屋敷の扉を開く。

 開いて真っ先に見えたのは、外観に似合った豪奢な内装だった。魔法使いの家系の生まれといっても一般家庭と生活レベルが変わらない少女にとっては、違和感どころか肌に合わない感じが甚だしい内装だった。

 

「……………」

 

 扉と称するのが相応しい玄関を開けたホールにはメイドの恰好をした女性が掃除を行なっていた。玄関から入って来たナナリーを見ると一瞬だけ手を止めたが、やがて興味を失ったかのように掃除の手を再開する。

 屋敷の主人が受け入れた見習い魔法使いに失望していることから、少女に対する風当たりは悪いどころかまるで存在しないかのように無視されていた。外では罵倒され、居候させてもらっている家ではいない者として扱われる。少女の心は限界だった。

 そんな少女に屋敷で話しかけるのはたった一人。その一人が階段の上に立っていた。

 

「あら、出来損ないの魔法使いじゃないの。今日もお早いお帰りね」

「…………お嬢様」

 

 階段の半ばで見下ろす同じく伸ばした茶髪にウェーブをかけたこの屋敷の娘に、同年代にも関わらず少女は畏まった。お嬢様に嫌味を言われているのは慣れている。

 

「相も変わらず暗い子。なんでこんな子が私と似ているのかしら」

 

 どうやらお嬢様は初対面時から少女のことが気に入らないらしく、ことあるごとに罵倒してくる。

 髪型や同年代なので体格が似るのは仕方ないが、顔立ちまでどこか似通ってしまうことで同族嫌悪にも似た感情を抱いているようだと少女は考えた。

 

「さっさとお国に帰ってほしいものだわ。あなたの陰気な顔を見ているとこっちまで気が滅入ってくる」

 

 この屋敷で唯一少女に話しかけてくる相手であるが、罵倒と無視のどちらが嫌かで比べるのはナンセンス。

 

「すみません。体調が優れないので失礼させてもらいます」

 

 少女は顔を伏せてお嬢様の顔を見ないようにしながら横を通り過ぎようとした。だが、階段の途中で立ち止まっているお嬢様は横を通り過ぎようとした少女の手を掴んだ。

 

「待ちなさいよ。このあたしが話しかけてあげているのにその態度はないんじゃないの」

「本当に体調が悪いんです。お願いですから手を離して下さい」

 

 頑として顔すら見せない拒絶に、お嬢様の目の奥の感情が揺れたが少女は気付かない。

 

「なら、日本から送られて来たっていうこのエアメールはいらないわね」

「え?」

 

 少女が顔を上げた先には、お嬢様が取り出した手紙があった。

 裏側になっているので宛名は見えないが送り主の名前は見えた。「アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ」「ネギ・スプリングフィールド」「アスカ・スプリングフィールド」と三人分の名前が書かれた奇妙な手紙は、少女がそれだけを心の支えにしていた大切な人達からの贈り物だった。

 

「一ヶ月も前に届いたこのエアメールを隠していたお父様から掠め取って来たのに、あんたはいらないのね」

 

 この屋敷の主がスプリングフィールド兄弟の受け入れを望んでいたことは、後になって目の前のこのお嬢様から知らされた。当初から少女への風当たりがきつかったのは目的の人物が来なかったことなのだと知ったのは、この地に来てから一ヶ月も後になってからだった。

 無理からぬ話だと、少女はお嬢様に言われてから強く思う。この十年で最高の成績で卒業したネギと成績最低ながらも抜群の戦闘センスのアスカ。この二人と比較してなんの特徴も無い自分が来て、屋敷の主人はさぞ落胆しただろうと申し訳なくすら感じていた。

 

「いります。下さいっ」

 

 少女の常にない強い語気に驚いたお嬢様は言われるがままにエアメールを差し出す。そして自分が少女の命令に従ってしまったことに耳を紅くして、顔を逸らした。

 

「ふん、確かに渡したから。うちの家名を穢すことだけはしないでよ」

 

 今までの言葉の裏を返せばお嬢様の言葉の意味も変わってくるのに、多方面から追い詰められている少女は気付かなかった。

 優雅に髪の毛を後ろに払って階段を降りて行くお嬢様の去り際の言葉に傷つきながら、少女は唯一の繋がりである手紙を持って与えられた二階の部屋を目指した。

 少女に与えられた部屋は二階の角部屋。本来ならば物置として使用されていた部屋を、急遽少女の部屋として改装された部屋である。自室の部屋のドアの前で、ここでもまた少女は重い溜息を漏らしてドアノブに手をかけた。

 ギィッと立てつけの悪い音と共に開いたドアの向こうから埃っぽい空気が漂ってきて少女は咽た。屋敷が綺麗に掃除されているだけに喉に来た。

 

「ゲホゲホ」

 

 開いた先の部屋は陰気だった。窓がなく換気していないのと、外の世界との関わりを極力失くしたい少女がドアを開けておくことはしないので空気も澱んでいて埃っぽい。 

 急造の電気スイッチを押してドアを閉めたが、天井から繋がっているランプの灯りは決して十分ではない。魔法で灯りを灯すぐらいならば少女でも出来るが、屋敷の主より使用を禁じられては従うしかない。

 

「アーニャからの手紙」

 

 何時もなら少女が足を伸ばして寝られて、脇に荷物を置くぐらいのスペースしか無い部屋に陰鬱な気分になるところだったが今日だけは違った。

 開けた形跡のあるエアメールから中の便箋を取り出した。薄暗い灯りでは読み難いが、読まないという選択肢はない。

 

『拝啓、ナナリー・ミルケイン様』

 

 少女――――ナナリーは、おしゃまな性格の親友アーニャに似合わない固い文言に顔を綻ばせた。改まって手紙を書くことに戸惑い、何度も何度も書き直した跡が僅かに残っている。ナナリーのことを思って頑張ってくれただけで嬉しかった。

 

『私達が日本に来て一日目が過ぎようとしている時にこの手紙を書いてます。そちらはハワイとのことですが、いかがお過ごしでしょうか』

 

 悪い事ばかりだが、こうやってアーニャと手紙を読むだけでハワイに来たなにもかもが些末なことのように思えた。今この時のこと限りだとしてもナナリーにはそれが全てだった。

 

『ボケ双子どもは相変わらずです。何時もの通りに騒動に巻き込まれ、私が火消しをしています。教師も大変で、早くも魔法学校時代が懐かしいです』

「私もあの頃に戻りたいよ」

 

 あの頃は宝石のように輝いていた、とナナリーは過去に思いを馳せた。懐かしいと書いているアーニャと戻りたいと願っているナナリーとでは想いが違うと分かっていても。

 

『過去を懐かしがるのはここまでにして、この手紙を書くことで未来に目を向けて行きたいと思います。ナナリーも同じ気持ちでいてくれた嬉しいかな』

 

 最後だけ言葉を崩したのはアーニャの茶目っ気か。過去に縋っているナナリーは同じ気持ちになることが出来ず、アーニャの手紙を読み続けた。

 

『そちらも大変だと思いますが、こちらも頑張っていきます。お互いに成長した姿でまた会えることを願って筆を置かせてもらいます。どうかお元気で』

 

 書いた主の性格を現す様に短い文章は、そこで終わっていた。豆電球の淡い灯りに照らされた下で何度も何度も手紙を読み返す。

 飽きるほどに、穴が開くかと思うほどに、何度も何度も読み返したナナリーは、やがて手紙を胸元に抱きしめた。

 

「アーニャ……」

 

 この手紙を読んだら頑張らざるをえない。

 せめて勇気が出るように手紙を胸に抱えることでナナリーは過去に縋り続けた。

 

「でも、辛いよ」

 

 未来に目を向けることが出来なくて、アーニャは昔から思い続けている少年の背中を思い浮かべた。何時だって危機をどこからか感じ取って駆けつけてくれた、ナナリーにとってのヒーロー。

 

「助けて、アスカ君…………」

 

 孤独に震える少女の傍に、太陽の輝きを持つヒーローはいなかった。

 




始動キー……。

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