魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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遅まきながら、あけましておめでとうございます。
本話より第六章 継承編です。
本年こそ、完結目指して頑張っていきますぞ!





第六章 継承編
第69話 オスティアへ


 

 

 

 

 

 薄暗い部屋で宮崎のどかは椅子に座って、ベットに横になっているネギ・スプリングフィールドを見ていた。

 ネギがこの部屋に運び込まれて一時間か、二時間か。

 夕方に運び込まれ、治療を終えて面会が許されたのが夜。唯一ある窓から薄らと光が入って来るということは朝になったのか。

 眠気を感じることなく膝の上に置いた手を見下ろしていると、ネギが呻きながら身動きをした。

 

「ん、んん……」

 

 まさかこのまま目覚めないのではないかと危惧していたのどかは、ほっと安堵の息をついてネギに視線を移す。

 瞼を開け、意識を取り戻したネギが最初に視界に入れたのは白い光を落とす魔法灯だった。

 仄かな消毒液の臭いから医療関係の部屋にいるらしいと思いついた頭が緩々と動き出し、ネギは仰向けになったまま目を動かした。

 棚に収められた色んな薬品類と、木製の机は診療机を兼ねているのかカルテと思しき書類が積み重ねられている。

 まだ神経が巡りきらない頭で、服が見覚えのないものであることに気づいた。

 寝起きの所為か頭がはっきりしておらず、事態がよく把握できていない。

 身体は動かなかった。意志が伝わっても動かすだけの力が残っていないというと丁度そんな感じだった。なにもかもが夢現で、遠い世界のように思える。

 

「ネギ先生」

 

 と、声が掛かった。何故だか安心する、心に届く優しい声。

 横に視線を向けると、そこには椅子から身を乗り出したのどかが顔を泣きそうに歪めて立っていた。

 

「良かった……」

 

 のどかは心の底から安堵しているようだった。

 寝起きで状況が理解できないネギには、どうしてのどかが安堵しているのか、自分がこのような場所でベットに横になっているのかが分からない。

 全てが他人事のように感じられる中でのどかの円らな瞳が潤み、殆ど涙ぐんでいる。ぐす、と洟を啜った。ネギは知らないのだ。彼女の苦悩を何もかも。

 

「お願いです。もう、止めて下さい」

「ここは?」

 

 必死に訴えかけるのどかの声を遮るように、驚くほどしわがれた声を喉から出してネギが言葉を紡ぐ。

 

「医務室です」

 

 と、のどかが喉の奥に言葉が詰ったように言い淀んで口を開く。

 

「僕は、なんで……」

「覚えてないんですか?」

 

 のどかが心配そうに問いかけて来る。その言葉でやっとネギは自分がベッドに寝ていることに気づいた。

 まだ記憶が混濁している。横たわったまま、グラグラと定まらない視界を、こめかみに手を当てて固定する。奥歯を噛み締めて、無理矢理に意識を賦活させた。

 

「無理しないで下さい。繋がりましたけど、腕を斬られたんですから」

 

 案じる声音に胸が痛む。本当に心配してくれていたのだと誰でも分かる。

 心配してくれることは嬉しくもあり、同時に悔しくもある。

 もしも、ここにいるのがアスカならば彼女はどう思うのだろうかと答えの出ない煩悶を覚えていると、部屋のドアを開けて白衣を着た中年の亜人の男が入って来た。旧世界で言うならば中東系の浅黒い肌と、エルフのような尖った耳に小さな丸眼鏡をして、全身でやる気のなさを表現している医者だった。

 

「やっと目覚めたか」

 

 二人の間に漂う微妙な空気を気にすることなく尋ねた。

 片手に抱えていた荷物を診察室にある机に置くと、のどかを邪魔そうに見て横に除けさせてネギの横に立つ。

 

「さて、調子はどうだ?」

 

 大丈夫、と言おうとしたネギだったが、ちょっとした身動きをした途端に、全身にミシミシと痛みが走った。

 身体を起こせず痛みに呻くネギに向かって無遠慮に伸びてきた男の手。

 頭を押さえつけられたネギは、いきなり目に当てられたペンライトの眩しさに顔を顰めた。

 ジロジロと遠慮もなく見られ、男が手を離すのを待ってから、ベッドに横たえられていた体をゆっくりと起こした。

 

「意識混濁はなし。痛みもしっかりとあるようだな」

 

 白衣の男はネギから離れてカルテに何事か書き込みつつ、振り返りもせずに言った。

 

「断ち切られた腕は動くかね。神経結合は旨くいったと思っているが」

 

 診療机の椅子に腰かけた医者の言葉に、実際に右手の指を折り曲げて「動きます。少し痛みますけど」とネギは少しは出せるようになった声で答えた。

 

「生きとる証拠だ。我慢しろ。数日すれば収まる」

 

 素っ気ない言葉が返って来た。ぞんざいな口調は、傍目に見えるやる気のなさではなくこうした状況に慣れているものと聞こえた。

 カルテを書いている医者の背中を困った様子で見つめるしかないネギは、診察の間に部屋を出てのどかが室内に戻ってくるのが見えてそちらに視線を移す。

 

「水、飲みますか?」

「もらいます」

 

 のどかがコップを手にこちらに来る。声が掠れているのは口が渇き切っていて、中で揺れる水の動きを見て喉の渇きを覚えた。

 水差しを受け取ったネギは、殆ど一息でそれを飲み干した。

 乾き切って罅割れた大地に命が注ぎ込まれたかのように、ネギの体に水分が染み込んで生気が戻ってくる。

 同時に今まで鈍っていた脳も活発に活動を始めて記憶が蘇って来た。

 思い出した記憶にドクンと心臓が跳ね、こめかみの辺りに疼痛が走った。左手をやると、包帯のごわっとした感触が指先に伝わり、右手も動かそうとして強い痛みと痺れを感じて、ネギはようやく自分がこうなった経緯を思い出した。

 

「僕は、負けたんですね」

 

 ネギは半ば放心した目を空になったコップに注いだ。ひどい悪夢を見たような記憶はあるが、それも既に曖昧な印象になっている。

 

「ネギ先生…」

 

 気配を察してのどかがなにかを言おうとしたのを遮るようにネギは俯いた。その先には中身を失ったコップがある。

 ネギの胸のどこかに、空虚な穴が開いた。それがひどく深かったから、何もかも打ち捨ててしまえば楽になれるだろうかと思った。 

 

「動けるんならさっさと出て行け。また明日、来るように」

 

 医者は言いたいことだけを言うと、ひらひらと動かした手で向けられた二人分の視線を追い払うとまた机に向き直ってしまった。

 揃って白衣の背中を注視した後、ネギとのどかはどちらからともなく顔を合わせた。

 

「歩けますか、ネギ先生」

「なんとか」

 

 魔力を体に回せば歩くぐらいならできるだろうと思って立ち上がったネギはのどかと共に医務室を出て廊下を歩く。

 まだ外は薄暗く、朝焼けに照らされた街が廊下の窓から見れた。

 暖かい土地柄ではあるが流石に朝は少し冷える。身を包むのが世界は変わっても似たような医療用の貫頭衣一枚というのは頼りなく、正直に言えばあまり出歩きたい服装ではない。

 

「僕が着ていた服はどこに?」

 

 直ぐ傍を歩くのどかに問いかけると、ネギの鼻に甘い匂いがした。

 頭のぼうっとするような優しい香りが鼻に届く。ずっとこうしていると、その香りと優しい気持ちに溶けそうになる。

 

「血で汚れていたので」

「そうですか」

 

 血の汚れは中々落ちない。少しならばともかく、腹を貫かれ他にも大小様々な傷を負って服には血が付いていたことだろう。洗って血を落とすよりは捨ててしまった方が手っ取り早いとネギも理解した。

 とはいえ、貫頭衣一枚で辺りをうろつくのは流石にネギも羞恥心を覚える。

 

「新しい服を用意しておけばよかったですね。すみません、気が付かなくて」

「いえ、そんな」

「直ぐに取って来るので、そこのベンチにでも座って待ってて下さい」

 

 廊下から展望台テラスに出ると、朝風に身を震わせたネギの表情から困っていることを読み取ったのどかは到らなかったと頭を深く下げ、止める間もなく走っていなくなってしまった。

 ネギとのどかが寝泊まりしている部屋はここからそう遠くない。のどかの気持ちは有難いので言われた通り、展望台テラスの椅子の方へと向かって歩く。

 しかし、ネギは椅子に座ることはなく通り過ぎて、まだ目覚めには早いグラニクスの街を見下ろして、このような目覚めをすることになった理由を想起する。

 

「負けた、また」

 

 敗北である。野良試合を挑まれ、右腕を斬り落とされ腹を貫かれて完膚なきまでに圧倒された。有効打も与えたが誰が見ても自分の敗北であるとネギは認めざるをえない。

 決して強いと己惚れていたわけではない。なのに、この様はなんだと自分を嘲笑いたかった。

 

「ボスポラスのカゲタロウ…………あの人のように父さんに恨みを持っているかもしれない人達がこれからも来るかもしれない。どうして僕はこんなにも弱いんだ」

 

 ドルゴネスの命令で闘技場では父の名のナギ・スプリングフィールドの名を名乗らされていた。父に恨みがあるとやってきた熟練の影遣いの魔法使いのことを思い出し、血が出るかもしれないほどに強く拳を握り締める。

 のどかはネギが自分を護る為に奴隷に落とされ、拳闘士となって戦うことを強制されていると知っている。

 ネギは戦いを専門としている魔法使いではないが、よほどのことがない限り敵の術中に落ちる技量にはない。事実、ドルゴネスに捕まった時も逃げようと思えば逃げることは出来た、一人ならば。

 治療を終えた後に暗い表情のネギが奴隷の首輪をつけているのを見て察することが出来ないほど、のどかも愚かではない。

 そのことに気付いてしまったあの日から責任を感じたのどかはネギに対して下手に出過ぎている。少しでもネギの負担にならないように努め、精一杯の手伝いをしようとしている。見方を変えれば卑屈になり、そうすることで依存しているとも取れる。

 

「こんなんじゃ、のどかさんを守れない」

 

 ネギだって大差はない。寧ろのどかの優しさに甘えることで精神の安定を保っている。要は共依存の関係にあり、そのことを指摘して改善しようとしてくれる人と出会えずにいる。

 

「アスカはあんなにも強くなってるのに」

 

 脳裏を過るのはニュース映像に映る双子の弟の姿だ。

 ノアキスという中立交易都市での事件を収め、一部では英雄扱いされているアスカのことを耳にしない日はない。

 自分と同じくスプリングフィールドを名乗り、こっちは父と同じ名を、あちらは本当の名を惜しげもなく披露している。

 ゲートポートの折に失くしてしまった杖もアスカが拾っていたらしい。それが父の子の証明になっている。

 自分は偽物なのに、あっちは真作である。

 

「くそっ、なんなんだよ。僕は本当に、今まで何をやってきたんだ」

 

 やり場のない怒りが胸を突き上げ、張り裂ける痛みを全身に伝えた。

 頭蓋の裏側を圧迫する。割れそうな頭を押さえたネギは、痙攣する頭皮に食い込んだ指を引きはがし、髪の数本が絡みついた手の平を見つめる。

 アスカが自分よりも強い力を手に入れているであろうことは自明の理だった。石化解除の為に研究を重視していたネギでは戦っても十中八句勝利はない。

 どうやってそんな力を身に着けたのか。どうしたらカゲタロウに勝てるのか。アスカのようなどのような敵の圧迫を押し返す強靭な精神力、強い心を手に入れろとでもいうのか。或いは自分も強さだけを求めれば別の展開があったのか。

 取り返しがつかない、もう元には戻れない血の流れに搦め取られ、ネギの魂は漫然と宙を漂っている。

 

「僕は――」

 

 少年が呻く。

 前を見つめたまま、ネギの顎先をつうと赤いものが滴った。血である。強く噛んだ唇が出血して、ネギの肌に一条流れているのだった。

 苛立ちでおかしくなりそうだった。ただそれしか出来ないというように、呻きは風に散っていく。無力さを受け止めることも、惨めさを噛み締めることも碌に叶わず、ただ膝を折るしかなかった。

 

「カモ君……」

 

 我知らず呟いた今はもうどこにもいない親友の名前に、ぶり返した傷を抉ってしまい胸が痛い。

 張り裂けてしまいそうなほどに、親友に会いたくてたまらなかった。しかし、会ってどうするのか。こうして無様を晒している自分が、どんな顔をして会えるのか。そしてどこの誰とも知れぬ敵に敗北した自分が、今更いったい何を出来るというのか。

 何も出来なかった。出来るはずのことも、するべきはずのこともしなかった。

 

「力さえ、あれば」

 

 ふと、零れた言葉がネギの心を物語っていた。

 

「…………力が、あれば?」

 

 問いかけは自分自身の心に染み込んだ。

 

「そうだ、アスカよりも力があれば」

 

 別にアスカが悪いわけではないことは分かっている。だけど、割り切れない面がある。アスカが魔法世界に来るという選択を取らなければ、自分達はこんな奴隷の身分に甘んじなくてもよかった。それも確かなので、筋違いだとか逆恨みだとかそんな言葉で飲み込むことが出来ない。

 

「堅いな」

 

 瞬間、聞き覚えのない太い声が鼓膜を震わせ、余人の存在を察知できていなかった体を硬直させる。

 振り返ると、のっそりと後ろに立ち熊みたいな影の上に立つ岩の頭が揺れていた。

 二メートルを超える巨体だったが、肩や脇に盛り上がっていてその実数以上に大きく見える。

 まるで人のカタチに岩を積んだようだった。それも高山の上流で剥き出しになっているような、ゴツゴツとしたまるで磨かれていない岩だ。何かの間違いで人のカタチを持った岩が、これまた何かの間違いで喋っているかのような、そんな感じが男にはあった。

 プロレスラー顔負けの鋼を折りたたんだような上腕、太腿は更にその五倍増しはありそうだ。筋肉が今にも破れてしまいそうなほど、ミチミチと張りつめていた。胸元に盛り上がった筋肉なと、小さな子供なら雨が降っても雨宿りが出来てしまいそうだった。

 体格に合わせて首も異様に太い。ゴツゴツとした大木の幹のような首だ。上にはズングリとした小岩みたいな顔が載っている。だから、それが岩ではなく巨大な人だと知った時、ネギは驚いた。

 

「心がカチコチに強張りきっている。折角の良いセンスを持っているのに宝の持ち腐れだ」

 

 その声さえも、空の彼方から落ちて来る。男はガリガリと二メートルを超える高さの頭を掻いた。

 

「貴方は?」

 

 声の相手を予測したネギは一つの覚悟の息を吸い込んでから口を開いて問いながらも、相手の容貌を見れば見当がついた。

 

「ああ、悪い悪い。最近は会う奴全員がこっちのことを知ってるもんだからその前提で勝手に話してたな」

 

 癖のある長い蓬髪が風に靡く。おどけた雰囲気の風貌なのに、その瞳だけが異様にギラギラとした光を宿していた。

 

「ジャック・ラカン。お前ほどじゃないが、まあ有名人でもある」

「父さんと同じ紅き翼の……」

 

 ジャック・ラカン――――紅き翼において、ナギ・スプリングフィールドと並んで最強の名を欲しいままにする傭兵剣士。

 

「ドルゴネスの野郎に呼ばれて来てみればナギの野郎の息子がいるときてる。もう一人いるみてぇだが、こっちは顔が本当にあの野郎とそっくりだな」

 

 ラカンは捉えどころのない笑みを浮かべ、奇妙に絡みつく視線を投げて寄越す顔にネギは拳を握り締める力を強くした。

 

「紅き翼は詠春さんとタカミチ以外は行方不明って聞いています。そんなあなたが僕に何の用ですか?」

 

 挑発的な物言いにラカンはニヤリと笑い、ネギを見定めるように目を僅かに細めた。

 

「近くに来たから戦友の息子を一目見に来ただけだ」

「嘘ですね。さっき、あなたはドルゴネスさんに呼ばれたと言いました。あの人は無駄なことをしません。僕のことに関して何か頼まれたんじゃないですか」

 

 疑問ではなく断定。

 行方不明とされていたというのならば何年も人里に現れていないか、人目を避けたことになる。そんな人物がわざわざ人里に現れ、ドルゴネスの呼ばれたと言ってネギの前に現れたのならば大体の察しがつく。

 

「へぇ、どうやらナギの奴とは違って馬鹿じゃないらしい。母親の血か」

 

 口の中だけで呟いたラカンは心持ち見直した目でネギを見下ろすと、ネギの胴体ほどはありそうな腕を組んだ。

 

「察しの通り、お前を強くしろと頼まれた。カゲタロウとか言うやつに野良試合で敗けたんだろ」

「ええ、敗けましたよ。だっただらどうだって言うんです」

(やっこ)さんは不安になってお前を強くしろと泣きついて来やがったんだ。で、俺様が来てやった訳よ」

「必要ありません。あなたの手を指導を受けなくても僕は本選には行きます」

 

 図星を刺された胸がキリキリと痛み、相手にするなと訴える理性を忘れさせた。思わず言い返したネギの動揺した視線をジャック・ラカンは逃さない。

 

「嘘だな。じゃなきゃ、さっきみたいな弱音を吐いたりしない。不安なんだろう、自分が強くはないと思い知らされて」

 

 聞かれていたと分かる言葉にネギの頬が羞恥で紅く染まる。

 

「気に入らないんだよ。男が女々しく一人でぶつぶつとしてるなんて情けねぇ」

 

 言い返そうとしたネギがきつい視線で睨んで来るのを、予想通りと内心でほくそ笑んでラカンは語気を強めた。

 ナギの息子に興味はあるが一から十まで面倒を見る気は無い、それこそよほどの理由がなければ。

 

(出資者の依頼は断れねぇ)

 

 ナギ・スプリングフィールド杯の発起人はジャック・ラカンである。そしてドルゴネスはナギ杯の大口の出資者で、ネギが本選に出れなければ出資を取り止めると言われれば逆らえない。

 

「二週間だ。二週間で敗けたっていう野郎に勝てるぐらい俺が強くしてやる」

「それがドルゴネスさんの頼みですか」

「ああ」

 

 お前は弱いのだと突きつけられるに等しい肯定によって、押し殺してきた感情に組み伏せられ、大声で泣き出したいような衝動に衝き上げられた。

 目の前のラカンも、アスカも、みんなが強くに見える。出口のない憤懣を溜め込み、独り悶々とする自分が救いようもなく惨めに見える。その羞恥と怒りが爆発し、一秒前には考えもしなかった言葉が発作的に口をついて出かけた直後。

 

「分かりました。強くなれるならなんでもいいです」

 

 束の間顔を伏せ、ぽつりと呟かれたのは別の言葉だった。

 その目に一抹の感情がよぎり、再び上げた目は感情を消し去った強かな戦士のものだった。

 

「ほぅ、良い顔をするようになったじゃないか。アスカってのもお前と同じなのかね」

「――――――」

 

 ラカンの口から何の気なしに放たれたアスカの名前を聞いた瞬間、ネギはひくっと喉を鳴らして息を呑んだのを隠す。

 

「しかし、二週間で強くなるってのはマトモな方法じゃ大した進歩はねぇ」

「…………マトモな方法でなければあるということですか?」

「パッと思いつく限りのだと世間では禁呪扱いされてる」

 

 禁呪、と言われてネギが脳裏で思い描いたのはエヴァンジェリンの存在だった。

 学園祭の折にアスカが闇落ちした原因そのものであるソレ(・・)に向いているのは自分だと散々言われたので記憶に残っていた。

 

「もしかして、闇の魔法(マギア・エレベア)ですか?」

「知ってたのか」

 

 褐色の大男は会って始めて驚いたように目を丸くする。

 

「マスター、エヴァンジェリンさんが使っているのを見たことがありますから」

 

 マスターではラカンには伝わらないだろうと名前を出し、修学旅行で行ったハワイの地でエヴァンジェリンがカネ神相手に闇の魔法を使うところを見ていることを伝える。

 

「あのロリババアをマスターなんてつうことは、アイツの弟子か。あんなドSに師事するなんざ、勇気のある奴だ。少し見直したぞ」

「ア、アハハハハハ……」

 

 ラカンの酷い言い様に納得はしても同意すると後が怖いので苦笑して誤魔化す。

 

「話が早いのは助かる。で、どうすんだ? 分かってるだろうが、闇の魔法は禁呪指定されていることから分かるように術者にかなりの負担がいく。その分のリターンはあるが、習得するのにも命懸けで失敗すれば死ぬし、最低でも魔法は使えなくなる」

「やります」

 

 ネギは迷いなく即答し、自分の右手を見下ろした。

 朝焼け下で自分の右手はハッキリと見えている。しかし、この手で守るべきだった大切な友人の手は失われてしまった。

 友を失って戦う理由を見い出せずにいる。何故闘わなければいけないのか、未だ分からずにいる。そればかりか、その理由を知るための心の準備すら整っていない。

 

(………これからだ)

 

 ネギは拳を強く握った。

 

(力さえあれば、誰も失わなくてもすむんだ。僕は、強くなる)

 

 ようやくネギの中でなにかが始まろうとしている。それがどうしようもなく間違った選択だとしても、ネギの運命は加速し続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メセンブリーナ連合の領域にあるノクティス・ラビリンスから南西に五十㎞ほど離れた場所にラクンドリア鍾乳洞と呼ばれる場所がある。

 ラクンドリア鍾乳洞が付近にはドラゴン種がうようよしており、遥かな古代にはここでドラゴンと人とが共存していたと伝えられているのだという。その言い伝えも今となっては伝承として語り継がれるほどの過去の話。ドラゴンと共存していた人など最早おらず、現在は様々なドラゴンが生息する地帯として有名になっている。

 古菲と長瀬楓の二人の姿が広大なラクンドリア鍾乳洞の中にあった。

 岩陰にこびり付く光苔がと藍色の鉱石が淡く輝き、光の届かぬ闇の中であっても視界が閉ざされることはない。 

 そして辿り着いた鍾乳洞の一番奥まった一角。そこには、巨大な、本当に巨大なドラゴンが蹲っていた。ここだけ目の前のドラゴンが直接出入りしているため天井がなく、遥か頭上に空が見えていた。

 ドラゴンは眠っているのか、動かない。

 恐竜のような巨躯の持ち主で、荘厳な美しさすら備えていた。全身を丁寧に磨き抜かれたように光る鱗は、見る方向によって青色もしくは黄緑に見えるアイオライトの石のように。

 頭の頭頂から背中にかけて、炎の塊のような太い角がビッシリと生えている。

 盛り上がった胸筋、逞しい上腕筋や大腿筋、体全体をすっぽり包んでしまえるのではないかと思えるほどの巨大な翼は退化した飾りではなく、一目で実用的なものだと分かるほど雄々しかった。寝ながらでも引っ切り無しに地面を打ちつける長々とした尾。岩でも切り裂けそうな鉤爪は、その蓄えられた破壊力を十分以上に誇示している。

 装甲の如く分厚い表皮に覆われた頭部は、ぞろりと鼻先が長く伸び、僅かに開いた口の間からは、ギラギラと輝く鋭い牙が垣間見えている。

 

「大きいアル……」

「そうでござるな……」

 

 思わず声を漏らした古菲の気持ちは楓も一緒だった。

 ヘラス帝国の帝都守護聖獣の一体、全長100mを超える龍樹に比べれば遥かに小さい。それでも全長が50m近くの巨体となれば、威圧感に変わりはない。

 

「これがラクンドリアの魔龍」

 

 畏怖を込めて、そう呼ばれる足る存在であると楓は素直に感心していた横で古菲がこの一角の至る所に真っ黒な物体がいくつも転がっているのが見て取った。

 

「なにアルか、この黒いのは?」

「人、でござろう。ドラゴンの業火に焼かれた者達の末路。いやいや、こうはなりたくないでござるな」

 

 火傷を負っている程度の話ではない。まさに消し炭になっていた。 

 そんな彼らのやり取りの所為か、ドラゴンの尾がピクリと動いた。

 

「ん?」

 

 と、楓が最初に異変に気付いた。

 

「動いたでござるぞ!」

 

 古菲も、すわとばかりにドラゴンへ向き直る。

 ラクンドリアの魔龍が、ゆっくりと瞼を開いて紅い目が詳らかになる。そしてのっそりと畳んでいた足で地面を踏みしめて起き上がる。四本足で立つと、更に巨大に感じられた。

 ダン、と一歩足を踏み下ろしただけで地響きがする。眠気を振り払うようにブルブルと身震いをしたドラゴンは、眼下にいる楓達を順に眺める。爛々と燃える紅い瞳が遥か高みから二人を睥睨していた。

 内に秘めたエネルギーが、存在としての格が、あまりにも桁違いだった。

 二人の数十倍近い体高、堅そうな龍鱗、地獄のような紅い瞳――――そのどれもが魔性の威厳に満ちて、相対するだけで魂を拉がれそうだった。 

 

「グルルルル――ッ」

 

 自らの眠りを妨げたのが彼女らであると理解したのだろう、ドラゴンがギロリと睨め付けて低い腹に響くような叫びを発したのである。

 

「ウワッチッ」

 

 と、肌を燃やされそうな熱風に思わず古菲が仰け反った。

 鼻を鳴らしただけで突風ほども勢いがあった。ゴオッ、と熱い吐息が吐かれた余波だけで二人の髪は一斉に逆立った。もう少し熱ければ、発火するんじゃないかというぐらいの温度だった。最早、叫び声は一種の凶器である。

 ダン、ダン、と足を踏み鳴らした。壁が崩れるのでは、と二人が心配したほどだった。

 

「―――――ッ」

 

 ドラゴンが、畳まれていた背中の翼を広げて、バサリと一度羽ばたかせた。それだけで猛烈な風が楓達を襲い、立っているのがやっとというほどだった。

 その風に気を取られていると、牛を丸のみ出来そうな大口を開ける。鋭く尖ったが白い小石を敷き詰めたように整然と並んでいた。

 

「来るアル!」

 

 古菲が硬い声で警告を発した。

 二人は、パッと間反対に散開し、両方が攻撃のターゲットにならないようにドラゴンを挟むように陣取った。五十m強のドラゴンが自由に動き回れるほど広いこの空間ならば、それも可能だ。

 ドラゴンは、まずは楓に標的を定めたのか首を彼女に向かって突き出すと口から大量の炎を吐き出した。

 楓は瞬動で移動して炎をやり過ごす。

 離れても炎の余波が身を炙る。まともに浴びれば防御障壁があったとしても人一人などあっという間に消し炭同然にしてしまうことは間違いない。そうなっては、今までここにやってきた者達の二の舞だ。

 

「それだけは御免でござる」

 

 あれだけのドラゴンブレスに対して魔法使いのような確たる防御手段を持たない二人では正面に立つのは無謀。回避し続けるしかない。

 

「分身の術!」

 

 楓が幾重もの影分身で生み出し、四方八方に動き回らせてドラゴンが分身に気を取られている隙に、古菲が駆け寄ると、爪や翼を掻い潜って背中へと飛び乗った。

 

「ぬぉぉ………………りゃぁっ!」

 

 拳に気を思いきり込めた一撃を、ドラゴンの背に向けて放つ。

 続けて、二撃、三撃。古菲がいま放てる全力を込めて攻撃を、休まずに幾度も続ける。

 だが、ドラゴンは平然としていた。

 ドラゴンの固い皮膚は年を経るとどんどん固くなる。古菲の全力でも突破できないほどに堅く硬い。

 

「グゥルルルルルアアアアアアアアアアア――――ッ!」

 

 小蠅に纏わりつかれたように苛立つように首をもたげ、ドラゴンが咆哮を上げる。

 そこへまるでタイミングを合わせたかのように、楓が懐に飛び込んだ。

 16の影分身を集結させて、楓忍法朧十字を放とうとしていた。全ての分身が持つクナイが気を纏って青白い光を纏う。そして気合の声を発して一斉に瞬動に入る。

 

「はぁああああああああああああああ―――――――――――――――――っ!」

 

 16の分身がとてつもないスピードでクナイを叩き込んでゆく。彼女らがクナイを叩き込んでいく度に、ドラゴンの腹がのたうつ。

 手応えはあった。堅牢な鱗を突破し、ドラゴンの身体を傷をつける。

 が、巨体に対して負った傷は人間が指先に針を刺されたようなもので致命傷には程遠く、ドラゴンの逆鱗を刺激するのに十分な威力だけはあった。

 

「グゥウウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

「ぬぅ!?」

 

 楓が熱気の渦巻く洞窟の中を大きく飛び上がった。

 赤熱する溶岩が煮え滾る広大な洞窟の奥にいる歪な巨木のような暗い影が、楓を追うように恐ろしくゆっくりと左右に首をくねらせている。

 

「グルゥア!」

 

 と、ドラゴンがのっそりとしたその動きからは想像もつかない速度で開いた顎から再びの火炎弾を吐き出した、気配を決して近づこうとしていた古菲に向けて。

 古菲は真っ直ぐに向かってくる火炎弾を見て、ドラゴンに向かっていた慣性を地面を蹴って方向を変えて辛うじて躱す。

 火炎弾は古菲の脇を通り抜け、その向こうにあった巨大な岩の塊を容易く焼き尽くした。

 

「ひょえーっ、あ、危なかったアル……」

 

 肩越しに溶岩と化した岩の塊を振り返っている古菲を見下ろして、天井に足を着けて着地した楓は指先で印を作った。

 

「分身の術!」

 

 途端に天井に幾つかの煙を弾けさせながら、楓の周囲に十数人の分身達が再度出現した。

 術を発動した時に発生した煙と頭上に増えた気配に反応したドラゴンが首を擡げ、今まで折りたたんでいた翼を広げた。そして全長を超えて二倍もあろうかという翼を幾度も羽ばたかせた。

 これだけの巨体よりも大きい翼を羽ばたかせただけで洞窟内の空気が大きく乱れる。特に天井近くの空気は、まるで大嵐のように凶器と代わる。

 凄まじい豪風が楓と分身達に襲い掛かる。

 分身達の幾つかが豪風に飛ばされて壁に叩きつけられ、煙を撒き散らしながら消滅した。辛うじて地に降りて豪風の脅威から逃れた本体は、バランスを崩して地面に叩きつけられた。

 

「楓!?」

 

 台風を遥かに超える烈風に立っていられず地に伏せて耐えていた古菲が名を呼ぶ。擦り傷だらけの楓は彼女の声に反応して顔をキッと上げ、大きすぎる翼を羽ばたかせて豪風を生み出し続けるドラゴンを睨み付けると、素早く姿勢を立て直して分身の生き残り達と共に、向かい側から来る風に逆らって飛び出した。

 ドラゴンは前脚を振り回して分身諸共楓を薙ぎ払おうと執拗に迫る。少しでも爪が掠っただけで、肉を引き裂かれるのは目に見えている。

 ドラゴンは滅茶苦茶に前脚を振り回しているように見えて、的確に楓を狙ってくる。しかも巨体に似合わず素早い。どうしても楓は回避を強いられた。

 

「アデアット、伸びれ神珍鉄自在棍!」

 

 そこへ横合いからアーティファクトを取り出した古菲が西遊記に登場する孫悟空の如意金箍棒の複製で神珍鉄自在棍を急速に伸ばし、ドラゴンの横っ腹をド突く。

 完全な隙を突いた一撃だったが、ドラゴンはその部分の皮膚が熱して赤くはなったが鱗を打ち破ることは出来なかった。

 

「ぐぬッ」

 

 ドラゴンが吠えて翼を振るって、古菲を叩き落とした。

 古菲はなんとか受け身を取るが、ゴロゴロと地面を転がる。そこへドラゴンが炎を吐き出す。

 

「ぬわっ!?」

 

 古菲は咄嗟に真横に大きく跳んで、どうにか躱す。それでも腕の辺りに刺すような痛みが走った。

 腕に目をやると、手首から肘の辺りに火傷を負っていた。手に力を込めると痛みを感じるが、戦えないほどではない。なにより、利き腕でないことが幸いだった。

 

「伸びれ!」

 

 躱しながら時折、神珍鉄自在棍を伸ばした古菲の攻撃がドラゴンの体に当たっている。だが、決定打には遠く及ばなかった。

 ドラゴンは今度は僅かに開いた口先から無数の火球を吐き出した。

 広範囲に吐き出された火球は今までみたいに飛んで避けることが出来そうにない。瞬時にそう判断した楓は「アデアット!」と叫んでアーティファクトを取り出して、天狗之隠蓑を手にして古菲の前に立つ。

 

「楓!」

「大丈夫でござる!」

 

 古菲が案じるが楓には天狗之隠蓑がある。

 天狗之隠蓑には布を翳すことで敵の攻撃を吸収することが出来る。事実、ドラゴンの無数の天狗之隠蓑に吸収されてその向こうの楓にまで届いていない。

 

「なんとか凌いだでござるが」

「こちらの攻撃が殆ど効いていないのは反則アル」

 

 そんな会話を交わし、二人は同時に左右に瞬動で動く。

 楓達が有利な点と言えば、ドラゴンが棲み家である鍾乳洞を壊さないように手加減していることと、楓達が二人であること。

 常に互いの位置が対角線上に位置するようにしているので、流石のドラゴンも前後や左右にいる二人を同時に目を配ることは難しかった。

 ドラゴンは、時々羽ばたいては嵐のような風を起こし、楓達の動きを止める。

 しかし、飛び去ることはしなかった。それでは人間相手に逃げたことになってしまうからだ。

 この鍾乳洞という限られた場所が、闘いのコロシアムだった。

 背後から古菲の一撃が、前方で分身して攪乱していた楓を鬱陶しそうにしていたドラゴンの左腿へと見事に入る。固い鱗に遮られて一撃の下に突き崩すことは出来なかったが、衝撃は響いたようで伸ばしていた足が折れ曲がる。

 

「グルアアアアアアアアアアアア!!」

 

 ドラゴンが怒声を放つと、反転した。

 巨大な鞭と化した尾が、古菲の身体を弾き飛ばした。

 

「うぐっ」

「古――っ!」

 

 悲鳴のような叫びを上げる楓。

 だが、古菲は受け身を取り、直ぐに立ち上がった。彼女はドラゴンの尾による一撃を、根を立てることによって上手くガードしていた。

 楓がドラゴンの顔の高さまで飛ぶ。クルリと一回転してドラゴンの鼻面へと、全体重と気を込めた拳をお見舞いする。

 

「グ…………ググッ…………」

 

 ドラゴンの顔が苦悶に歪み、体全体がグラリと傾いだ。

 そこへ古菲が素早く潜り込んで止めを決めるつもりで、全力の棍の一撃を叩き込む。

 しかし古菲の一撃は、ドラゴンの腕によって阻まれてしまった。

 

「くっ」

 

 喉の奥で唸る。だが、その動作によってドラゴンはバランスを崩し、少しずつ少しずつ前に倒れた。

 前肢の膝が地面に付いた。続いて顎が落ちる。

 

「顎が地面に付いたアル」

 

 肩で息をしながら古菲は一旦地に伏せて動きを止めたドラゴンを見る。

 ドラゴンはそのまま身震いをすると、みるみる内に鱗を赤くしていく。

 

「グゥルアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 大きな口を開けて天空に向け、雷鳴のような咆哮を上げた。

 咆哮に射竦められた二人は身動きも出来なかった。鼓膜が震え、脳が痺れてしまった。毛穴が開くほどの恐怖だ。身が竦む。手足が一気に萎え、危うく気が遠のきかけた。

 頭が凄まじい勢いで回転していた。過去に蓄積してきた体験や知識を総動員して、目まぐるしく記憶がフラッシュバックしている。極限状態に置かれた人間に備わっている生存本能が働いているのだ。

 体を起こしたドラゴンは、全身の鱗を真っ赤に染め上げたラクドリアンの魔龍としての本性を明らかにする。

 今までのは寝ぼけていたと思えるほどに存在感の桁が跳ね上がり、その前に立つ二人の末路は絶望的だった。

 目の前のドラゴンを相手にして、戦って生き残る道はない。なにもなかった。あるはずもない。体格が、スピードが、戦闘能力が桁違いだった。あまりにも生物としての格が違いすぎる。最初から勝てるはずがなかったのだ。

 二人の魂は委縮し、今にも恐怖で押し潰されそうだった。この壮絶な生き物に比べ、なんと自分達の存在はちっぽけで、矮小で、取るに足らない塵の如きものであるか。

 残酷で、悪夢の世界だった。

 例え悪夢であっても、夢であればいい。目覚めれば、温かい布団の中で寝汗に塗れながらも安堵の吐息をつくことが出来る。朝ご飯を食べて何時ものように学校に行く。平凡で、なんということのない、何時もの日常がそこにはある。

 次第に現実感が薄くなってきた。理性が、恐怖を紛らわそうとして麻痺してしまったのかもしれない。

 

「うぅ……」

 

 楓は乾いた喉から呻き声が漏れてくるのを横から聞いた。

 視野狭窄に襲われるほどの極限状態とはいえ、ようやく楓は隣にいる頼もしい友がいることを思い出した。だが、腕が、足が、痺れたように動かなかった。

 その時、急激に周囲の気温が低下していった。

 空気が凍り付き、みるみる壁の岩壁にも霜が下りていく。

 魔龍が周りの熱を吸収しているのだ。牙を剥き出しにした口腔が真っ赤に染まり、紅蓮の炎で一杯になっている。あれを放出されたら、こんな鍾乳洞など簡単に崩れる。

 ドラゴンの口腔内の激烈なる力の高まりに鍾乳洞が鳴動する。

 彼女らの頭上に、鍾乳洞の天井からパラパラと土砂が降り注いできたのである。ハッと身構えるのと、天井が崩れて岩石が落下してくるのは、ほぼ同時だった。

 

「な……っ」

 

 古菲と楓が飛び退いた直後の地面を、巨大な岩が直撃した。

 楓の固まっていたかに見えた体内に流れる血がストッパーを外されたように急速に流れ出した。

 

「逃げるアル!」

「承知!」

 

 突如として湧き上がり、身を縛る恐怖心を焼き尽くしたのは、生物が持つ原初の衝動である生存本能であった。

 反転して全速力で走り出す。

 戦いの時よりも気の強化率が高いのではないかと思うほどに二人の足は速く、そして、そのすぐ後ろに次々と天井から剥落していく瓦礫が落ちていく。

 二人が鍾乳洞の入り口を抜けて外に出ると、あっという間に岩と土砂とに埋もれてしまった。

 

「う~ん、どうやら鍾乳洞が耐えきれなかったようでござるな」

 

 今までの攻撃による衝撃と、ラクドリアンの魔龍の本気に鍾乳洞が耐えきれなかったのだ。

 舞い上がった土煙が収まってみると、ドラゴンがいた大広間までの通路が完全に埋まっている。戻るのは不可能ではないが手間がかかるだろう。

 

「本気になられた時は殺気だけで死ぬかと思ったアル。鍾乳洞が崩れて命拾いしたアル」

 

 ふう、と溜息を漏らして鍾乳洞から離れた古菲は疲れたように地面に座り込んだ。

 

「まだラクドリアンの魔龍に挑むには早かったということでござるな」

 

 精進精進、と元の細目に戻った楓の忍者衣装もあちこちが煤けてしまっている。

 

「ありあどねーのセラスそうちょうが来るまでもう一週間、要修行アル」

「で、ござるな」

 

 この地にいることが出来る後一週間はもっと修行だと、割かし世界が変わってもやることが変わりない二人だった。

 

「グギャアアアアアアアアアア!!」

 

 もう来んなし、と一週間前にも襲って来た二人に向けてドラゴンの雄叫びがあったかは定かではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街道を行く幌馬車があった。幌馬車を引く牛と馬の中間のような見た目の動物の手綱を取るのは、ヘラス帝国のアンマンからメセンブリーナ連合のヴァルカンへと荷を運ぶ行商人である。

 

「今日も良い天気。全て世は事もナシだな、ムンバ」

 

 男がムンバと呼んだ動物だか魔物だか分からない存在が同意するように一鳴きした。

 ちなみにムンバは男が勝手に名づけた名前である。先代が死んだ時に偶々近くにいたムンバで代用してそのままなのでどういう動物なのか、魔物なのかもしれないが、まったく知らない。今は無二の相棒だ。

 

「それにしても良い風だ。毎日こんななら良いのにな」

 

 街道脇の長い雑草が風に揺られている。彼は昼下がりの長閑な空気に欠伸を一つ漏らす。

 この近辺には人を襲う魔物は滅多に出ない。街道を外れればその限りではないが、街道沿いに進んでいる限りは比較的安全だった。

 

「野盗が出るって話だったけど、こんなに良い天気なら昼寝してるだろうし、用心棒を乗せる必要もなかったかも」

 

 商売の為に街から町、村から村へ移動する者にとって、怖いのは何も魔物だけではない。結局の所、人の敵は人であることが大前提にある。それは今も昔も変わらない。最近はこの近辺で野盗が出てるとも聞き、少し不安だったが一応の対策はあるものの仕事なので仕方ない。

 

「どうだい、姉ちゃん。乗り心地は?」

「――――」

 

 聞くと幌に遮られて聞こえ難いが大丈夫と返って来た。

 用心棒というには頼りない人選ではあるが、ヴァルカンに行きたいので護衛をするから馬車に乗せてほしいということだったのでお金はかかっていない。街から町、村から村への移動の際に乗れないかと頼まれてきたことも多く、まだ若い女人であれば断る理由はない。

 

「ん?」

 

 また一つ大きな欠伸をしていてた行商人の男は、ふと風を切る聞いたような気がして周りを見渡した。

 

「うわっ、な、なんだ!?」

 

 突然、ムンバを引いていた手綱が自分の意志に反して動き出して行商人の男は慌てた。見ればムンバの横腹に矢が刺さっている。

 行商人が手綱を引いてムンバを静めようとすると、後ろから布の破れる鈍い音が聞こえた。

 振り向くと、荷台を覆う幌にも矢が刺さっていた。

 街道脇の雑草の群れから、顔を長い布で隠した数人の男が姿を見せた。顔全部を覆う布の所為で人相や、人間か亜人かすら分からない。

 ヒューマンタイプなのは間違いなが、どちらかを断定できる目印がない。特に現在地がヘラス帝国とメセンブリーナ連合の境目であることが判断を鈍らせる。

 

「野盗か!?」

 

 分かっているのは自分が強盗に襲われているということだけ。

 野盗の一人が射ったであろう弓を投げ捨て、全員が腰に下げていた短刀を鞘から引き抜く。何度も使い込まれているのか、太陽の光に反射して新品にはない妙な凄味の輝きが照らされる。

 行商人の男は自慢ではないが弱い。べらぼうに弱い。この前、近所の十も下の若造の酔っ払いにコテンパンに斃されたところである。

 この人数差では多勢に無勢。戦うことに慣れていそうな野盗相手に、一対一でも負ける自信があるのに無謀なことをする気はない。

 

「う、動かないと!」

 

 行商人の男の頼りは横っ腹に矢が突き刺さっているムンバだけである。

 ムンバを見捨てて逃げるという選択肢はない。荷は別に取られても替えは利くが、噂に聞いた野盗は家畜も皆殺しにしていると聞いた。

 ムンバは無二の相棒である。自分の命より大切とは言わないが下手すれば家族よりも慣れ親しんでいると言っていい。

 家では娘が思春期になって邪魔者扱いされている状況で、妻ですら味方と言える状況ではない。息子とまでは言わないが大事であることに変わりない。

 手綱を操って、なんとか前へ駆けさせようとする。しかし、刺さった矢の激痛にムンバは闇雲に跳ね回るだけだ。

 野盗の一人がムンバに近づく。

 この囲まれた状況では行商人の男の足で逃げるのは不可能だろう。万が一にも逃げられるとしたらムンバが強行突破するしかない。その芽を先に潰しておこうというのだ。

 ムンバの状況を見るに自分を連れての強行突破が出来るとは思えない。となれば、残る一つしかない。

 

「逃げろ、ムンバ!」

 

 手綱を離したムンバが抑えを失って一目散に駆け出す。

 包囲網を強行突破しようとするムンバに野盗達は慌てた様子で道を開けた。下手に抵抗されて怪我をしても仕方ないと最初から打ち合わせでもしたのか、軽くアイコンタクトをした野盗の一人が残った行商人の男に狙いを定めた。

 もはや震えるばかりの行商人の男に、粗野な笑みを浮かべて近づきながら短刀を振りかぶる。

 せめてムンバが逃げ延びてくれればいいなと男は思い、娘が嫁に行く時までは生きていたかったなと場違いなことを考えていた。だから、残りの野盗達が荷台に回って幌の天幕を破こうとしている気づかなかった。

 その時、天幕の内側から何かが飛んできた。

 

「ぐわっ」

 

 幌馬車の行者席に座っていた行商人の男の顔の横を木の棒が突き出ている。その棒が、正確に野盗の額を捉えて吹っ飛ばした。

 一瞬で野盗の一人を倒した棒が引き戻されるのと、幌馬車を取り囲んでいた野盗達が悲鳴と共に倒れたのは同時だった。彼らは自分達を打ち倒したのが誰かを知ることもなく倒れていた。

 野盗達のリーダーらしき男は仲間の惨状にただ目を奪われている。リーダーは一人だけ輪から外れていたから助かったのだ。

 

「おじさん、大丈夫?」

「あ、ああ……」

 

 何時の間にか亜麻色の髪の乙女が近くに立っていて、何が起きているのか分かっていない行商人の男は問われるがままに頷く。

 行商人の男が状況を理解出来ていなくとも、まずは野盗を退治するのが専決と判断した亜麻色の少女は肩に背負い直した大剣を担ぎ直し、棒が引っ込んだ幌の向こうを見る。

 

「良かった。じゃあ、やっちゃいますか、刹那さん」

「ええ、明日菜さん」

 

 幌を捲って荷台から降りてきたのは、亜麻色の少女に刹那と呼ばれる少女。

 行商人の男がアンマンでヴァルカンに行きたいと言われて、少女なので変なことにはならないだろうと乗せた珍客である。

 

「おっと、逃がさないわよ」

 

 一人残された野盗のリーダーは、明日菜が仲間をやった気付き、彼女達の腕が立つと分かって逃げの体勢に入ろうとしていた次の瞬間、野盗のリーダーは誰かが背後に立ち、何かをされて意識が落ちるところで記憶は途切れた。

 行商人の男は直ぐ傍にいた明日菜から目を離したわけでもないのに、野盗のリーダーは倒れその後ろに彼女が立っている。

 木の棒と思われた夕凪の柄を握って馬車から下り立った刹那が行商人を護るように立つ。その背中を呆然と見る行商人の男が口を開く。

 

「あ、アンタ達一体……」

「賞金稼ぎです。この辺で野盗を率いる賞金首がいるとの情報があったので同乗させてもらいました」

「その甲斐はあったわけよね。お出ましよ、本命が」

 

 端的に事情を説明した刹那の横にこれまた何時の間に移動したのか明日菜が立っている。

 

「本命って何が………げげっ!?」

 

 なんのことだと行商人の男が問いかけようとした時、街道の先に現れた二人の男を目にして悲鳴を上げた。

 一人は身長二メートルはあろうかという色黒の大男で、太い灰色の眉、何者をおも貫きそうな鋭い両眼、鼻の下に蓄えた灰色の口髭、もしゃもしゃとした灰色の顎髭、体つきはゴリラのようにガッシリとしていた。両腕をダラリと下げている。

 

「まままままさか、悪名高いブレイド兄弟がなんでこんなところに!?」

「野盗の纏め役なんてしてるらしいわよ」

 

 行商人の男の疑問に対して明日菜は肩に背負っていたハマノツルギを下ろしながら簡潔に答える。

 

「ブレイド兄弟のゲヘレケとラバレイトで間違いありませんね」

 

 ポケットから取り出した手配書を開いて人相を比べ、刹那が声の届く位置に近づいてきた兄弟に問う。

 

「ああ、そうだぜ」

 

 大男の後ろにいた者が誰にともなく言った。

 

「俺が兄のゲヘレケだ。で、こっちが弟のラバレイト」

 

 大男の背後から現れたのは、色黒な大男とは対照的に小柄で色白な小男だった。厭らしそうな視線を二人に向けて、手には小さな筒を持っていた。

 

「まさかこんなところに賞金稼ぎが、ガキだが別嬪さんがいるとは思わなかったぞ」

 

 ゲヘレケと名乗った子男が、足下で転がる野盗達を無造作に蹴飛ばして鼻を鳴らしてから口を開いた。

 

「こいつらは使えねぇし、しょっぱい儲けかと思ったが女がいるとなれば話は別だ。げへへ、仕事の後の楽しみが出来たってもんだ」

 

 漏れた涎を拭いながらの口調は、視線に負けず劣らず好色的だった。明日菜達の背に鳥肌がゾゾゾッと立つ。

 

「良い声で鳴いてくれよ」

 

 ゲヘレケと呼ばれた小男は嘲笑するように言って筒を握った片手を振るうと、その先から魔力で構成された鞭がするするっと伸びた。鞭が地面に触れると、バチリと激しい音がして、その部分が真っ黒に焦げた。

 無言を貫いている大男―――――ラパレイト――――――は、両手をダラリと垂らしたまま、のっそりと前に出る。

 

「へ~、あんたは丸腰なんだ。こっちは武器を使うけど、文句は言わないでよ」

 

 立ち位置的に自分が相手をするラパレイトが動いたのを見て、明日菜はハマノツルギを上げて両手で握って正眼の構えを取る。

 

「気をつけて下さい。この男達は並みの使い手ではありません」

 

 自らもゲヘレケに注意を向けながらの刹那の警告は、少しばかり遅すぎた。

 ラパレイトの体が、ふわりと地面から浮かび上がったかと思うと、目にも留まらぬほどの速度で固めた肩から明日菜にぶつかっていったのである。

 

「ぐふっ」

 

 明日菜も油断があって、実に三倍以上はあるであろう体重差によって留まりきることは出来ず、弾かれたように後ろへと吹き飛ばされて背中から地面へと倒れた。

 これだけの大きな隙をラパレイトが見逃すはずもない。目に見えるほどの魔力を巨大な拳に滾らせ、砲弾のように撃ち放った。幾つもの魔力弾が明日菜へと向かって飛ぶ。

 

「くっ」

 

 幾つもの魔力弾が炸裂する。

 煙が晴れると、地面は爆撃を受けたように荒れ果て、余波を受けて長い雑草が吹き飛ばされていたが明日菜の姿はなかった。彼女は可能な限りの速度で起き上がり、瞬動でギリギリ後方へと飛び退っていたのである。

 

「ぬ!?」

 

 そちらへ気を取られていた刹那は、突然、なにかを感じて横に転がった。

 今まで彼女のいた場所に、魔力の鞭が振り下ろされた。

 

「ゲッゲッゲッ、中々やるじゃないか」

 

 気色の悪い声でゲヘレケが笑う。

 

「鞭使いとはかわっています、ね!」

 

 余裕を見せつけるゲヘレケの隙を利用して起き上がって飛び込み、今まで納刀したままだった夕凪を鞘から抜き放つ。

 今も魔力弾を撃たれて回避し続けている明日菜のこともあって一気に勝負を決めるべく、夕凪に紫電を纏わりつかせて斬りつける。だが、ゲヘレケの余裕はポーズだったのか、あっさりと躱して素早い動きの刹那へと魔力の鞭を振るった。

 予想よりも遥かに素早い挙動に、勝負を焦りつつも仕方なく刹那が後退する。だが、魔力の鞭がそれまで以上の長さにスルスルと伸びてきた。

 

「伸びたっ!?」

 

 魔力の鞭は普通の鞭と違って柄以外は魔力で構成されているので、物質的な射程距離は意味をなさない。持ち主の魔力の込めようによって理論上の限界値はない。

 

「くっ」

 

 魔力の鞭を持ち出した時点で可能性として頭の隅にあったことが幸いしたのだろう。虚を突いた攻撃にもなんとか夕凪で受け止める。

 雷属性を負荷されたサンダーウィップなのか、受け止めた夕凪との間にバチバチと激しい音が鳴る。

 

「ぐっ」

「ちっ」

 

 奥義を放つために夕凪に紫電を纏わりつかせていなければ刹那の全身を雷撃が走ったことであろう。

 効果が薄いと判断したゲヘレケは一旦サンダーウィップを戻した。

 

「やぁああああああ!」

 

 明日菜はラパレイト相手に、ハマノツルギを振るい易い距離ではなく接近戦に持ち込んで、蹴りと拳を織り交ぜて立て続けに繰り出す。

 が、ラパレイトは低距離の浮遊術で飛行して易々と避けた。

 

「空を飛ぶなんてずるいわよ!」

 

 と、言いつつ明日菜も飛び上がって上を取り、上段からハマノツルギを振り下ろす。

 

「…………」

 

 ラパレイトは微動だにせず、明日菜のハマノツルギは命中するかに見えた。

 だが、ハマノツルギは宙を薙いだだけだった。明日菜の動きを見切ったラパレイトは、寸前で身を躱したのだった。

 

「ひっ」

 

 痛みに呻いたのは明日菜の方だった。

 ラパレイトは迫り来るハマノツルギを完全に見切り、僅かに後退してミリ単位でやり過ごした。目の前を刃が通過してから空中を踏み込む神業を披露して、流れるような動きで明日菜の眼前まで稲妻の如く駆け寄り、明日菜が刃を戻すよりも早く、その腹部へと膝蹴りをめり込ませた。

 丁度良い高さにある明日菜の顔面へと裏拳を叩き込む。

 

「くはぁっ」

 

 明日菜は成す術もなく空中で体勢を崩す。

 ラバレイトはトドメを刺すべく、右拳に尋常ではない魔力を込めて振り被ったところで明日菜が動いた。

 

「でりゃああああああああああああっ!!」

 

 ラバレイトの拳が放たれるよりも早く、明日菜はただでさえ身の丈以上に大きく重いハマノツルギに全身の体重と運動能力を乗せて振り回した。

 

「――ッ!」

 

 今までよりも早く、速く、疾く、振り回されたハマノツルギを避けることが出来ずに、がっしりと両拳で挟んで受け止めた。ハマノツルギがピタリと止まる

 静止したのも一瞬。押し込められていくハマノツルギの勢いは止まらない。

 

「おぉ――っ!」

 

 ラパレイトが初めて叫んだ。

 すると、ただでさえ太く厚い腕や胸板が倍くらいに膨れ上がった。肉体の膨張に耐え切れず服がズタズタに破れ、みるみる内にラパレイトの体は何倍にもなっていき、押し込まれるハマノツルギが今度こそ止まった。

 このままでは押し切れないと判断した明日菜の決断は早かった。

 

「なっ!?」

 

 ラパレイトの上半身の筋肉がボコリと盛り上がって、押し返そうとしたところで明日菜がハマノツルギを意図的に引き、スポンと抜けた刀身が通り過ぎていくのを見つめながら拳が合わさる。

 

「ハァッ!」

 

 押し、押し返すことに終始していたラバレイトの動きが固まり、その隙間を縫うように振り被られたハマノツルギがラバレイトの頭上が迫り、グシャと林檎が潰れるような音と共に迫っていた地面に叩きつけられる。

 

「ラバレイト!」

 

 ラバレイトがハマノツルギによって頭から倒立するように地面に突き刺さるのを見たゲヘレケが刹那に向かってサンダーウィップを伸ばす。

 だが、刹那は仲間が倒された焦りで今までとは違って正確さを欠いた雷の鞭を易々と掻い潜り、尚も前へ進んだ。

 

「小娘! お前は邪魔だっ!」

 

 焦るゲヘレケを後目に、刹那はその懐まで入ると、出した足を絡ませて転がせる。

 

「ゲッ!?」

 

 軸足を刈り取られて無様にも尻餅をつく。

 ここを好機と見た刹那が瞬動でゲヘレケに一足で迫ろうとした。

 

「なんてな」

「くっ」

 

 武器を手に後一歩の距離まで接近しているの気づいて慌てながらも振るったサンダーウィップが、見事に刹那の右手に巻き付いた。

 

「ぐあああああっ!」

 

 武器ならまだしも気で防御していようとも生身の部分で受けた激痛が刹那を襲う。よほどゲヘレケは慌てていたのか、柄が焼き付く程の魔力を込められた雷撃は普通の人間が雷を浴びたに等しい痛みを与える。

 しかし、サンダーウィップは結果的にせよ、封じられている。

 雷撃の痛みに悶絶しながらも、刹那は先よりも更に紫電を漲らせる夕凪を無我夢中で突き出した。

 

「はんっ! この距離で当たるはずが」

 

 長い野太刀よりも外へ飛び退きながらゲヘレケは自らの勝利を確信した。この攻撃が終わった後に目の前の女の止めを刺せば、ラバレイトの応援に駆け付けられると考えた。

 考えただけで実行には移せなかった。ゲヘレケの全身を雷が打ち据える。

 

「がっ、ぐ………が………」

 

 雷の正体は簡単。刹那が伸ばした夕凪から放たれた一撃である。

 

「つぅ」

 

 刹那が腕を振るって巻き付いていたサンダーウィップを払い落とした。袖は焼け焦げて肌も火傷を負っているが重傷ではない。全身に残ったダメージも少なく、殆どの雷が夕凪へと流れてしまったらしい。

 ゲヘレケが完全に気を失っているのを確認し、地面に埋まっている巨漢のラバレイトを引っ張り起こしている明日菜の姿を見た刹那も肩から力を抜いた。

 

「無事ですか?」

「うん、ちょっとやられちゃったけど」

 

 問いに対して明日菜は打たれた腹と頬を痛そうに擦る。

 勢いよく打たれた割には目に見える頬は僅かに朱くなっているだけで、まるで軽く小突かれたようなリアクションなのはそれだけ気の扱いに習熟して来たことを証明している。

 

「随分、気の扱いに慣れてきましたね」

「刹那さんのお蔭よ。やっぱ師匠の教えがいいと覚えも早いわ」

 

 もう痛くなくなったのか、腹部を擦っていた手を離して傍の地面に突き刺していたハマノツルギを抜いてカードに戻す。

 さっきまで殺し合いをしていたのに戦いが終われば何事もなかったかのように話す二人の底知れなさに、行商人の男はまだ震えている。野盗よりも目の前の二人の方が恐ろしいとでも言いたげだ。

 

「今ならあの時のアスカの気持ちが少しは分かるわよね。人に怖がられるって結構クるものがあるわ」

「………………」

 

 行商人の男には聞こえぬように小さな声だったが、近くにいた刹那には聞こえていた。

 守った者から恐れられるのは想像していたよりも心に突き刺さる。

 アスカがヘルマンと戦った時、今更ながらにあの時の自分達の反応が如何に無神経であったかを思い知らされる。

 

「おじさん、怪我はない? 仲間に治癒術士がいるから治して――」

「ムンバ!」

 

 明日菜が柔らかい態度で話しかけていると、行商人の男は街道の外れから牛と馬の中間のような動物――――逃げたはずのムンバが黒髪の少女を扇動するように走り寄って来る。

 

「おぉ、お前無事だったのか……」

 

 懐に飛び込むようにやってきたムンバを見て喜色を露わにした行商人の男は矢傷もない体を触れて驚き、近くにやってきた黒髪の少女の見上げて先の明日菜の言葉から彼女――――近衛木乃香が治癒術士だと判断して「ありがとう、ありがとう」と涙声で何度も礼を言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 滝から水飛沫が落ちて、飛沫が小さな虹を生み出していた。落差は大きくないが水量が多く、滝つぼは池のようにようなっている。

 清涼な滝の音だけが響くその水辺に、刹那が水に濡れながら羽繕いをしていた。

 まるで日に当たった事がないかのように透ける白く美しい肌に、その瞳と髪だけが肌とは対照的に夜のように黒い。まだ慎ましい膨らみや均整の取れた体つきが彼女が将来身につけるであろう今以上の美しさを予感させる肢体が光を浴びて眩しく映える。

 

「せっちゃんの羽は何時触ってもモフモフやなぁ」

「こ、このちゃん、その触り方は……」

 

 同じく何も身に着けずに隣に座る木乃香に白翼を慈しむように撫でられる刹那の背がビクビクと跳ねる。

 

「なんで? よく寮で背中とか流してるやん」

「背中と羽とは違うんです」

「一緒やと思うけどなぁ」

 

 言葉尻はともかく刹那も嫌がっているわけではないので、木乃香の為すがままになっている。

 キャッキャッと百合の華でも咲きそうな雰囲気に第三者が現れる。

 

「あ、二人ともズルい! 私も入るわよ!」

 

 二人が水浴びしているのを見た明日菜は躊躇いもなく服を脱ぎ出した。着ている服を全部脱いで裸になって水に入る。

 

「ぷはぁ、冷たくて気持ちいい」

 

 頭まで水に浸かり、顔を出した明日菜の胸の間を筋のように水滴が落ちていた。

 普段は黒いリボンで一結びにしている髪を流した明日菜が立ち上がると二人は呼吸を忘れた。スラリとした体格は、適度な筋肉と女らしい柔らかさの両方を併せ持つ人体美の見本のようだった。

 二人が自身の身体に見惚れていることに気付いていない明日菜は、横になって水面に浮かびながら視界一杯に空を映し、ひどく遠く感じられるクラスメイト達の顔を呼び起こした明日菜は、ふと割って入った空と同じ蒼色の瞳に胸を突かれた。

 アスカ・スプリングフィールド。神楽坂明日菜が追い求めている人。彼も魔法世界にいる。この同じ空の下のどこかにきっとにいる。

 会いたい。奥底から湧き上がって来た思いに胸を締め付けられ、無為に拳を握った刹那、「賞金はどうなったん?」と木乃香の問いが放たれて意識を現実に戻した。

 

「しっかりと払われたわよ。これでやっと船に乗れるわね」

 

 ブレイド兄弟を近くの街に連れて行って掛かっていた賞金を貰い、数日分の生活費を抜いても船舶賃としては十分な金額であった。

 

「やっとって、まだ賞金稼ぎを始めてニ週間しか経ってないやん」

「私にとってはニ週間も一年と変わらないわよ」

 

 会話をする二人は何一つ身に着けていない全裸だ。

 同姓だけとはいえ、刹那は外で自分が身に何も着けていない素っ裸であるという事実が今更ながらに恥ずかしくなり、見られているのが同姓といっても体の底から羞恥が生まれた。

 

「アスカったらまた無茶してるんだもの。気が気じゃないわ」

 

 明日菜の声が響くように、ゆったりと流れる水面がその顔を映し出している。

 

「こっちが違う世界に慣れなくて悪戦苦闘してる時にクーデターとか精霊王とか訳分かんない騒動に巻き込まれてるし。まあ、お蔭で連絡が取れたわけだけど」

 

 旧世界の中でも彼女らがいた日本は裕福な部類に入る。完璧とも言い難いところもあるが、蛇口を捻れば水が流れ、スイッチを押せば照明が灯る。コンビニに行けば食べ物が手に入り、暑い寒いもスイッチ一つ。中世ヨーロッパの基準で言えば、まさに天国と言えるような環境だ。

 飲める水を探すのにも一苦労と三人が人里離れた地に転移してきて、アリアドネーかメガロメセンブリアにいるはずのドネットに連絡を取ろうと手段を模索していた中で、街中で流れたニュースでアスカのことが出ていたのだから驚かずにはいられない。

 居場所が分かれば連絡を取るのは難しくない。

 

「凄い騒いでいましたね」

「そやな、英雄の子ってのはホンマに注目されるもんなんやってよく分かったわ」

 

 誰も彼もがニュースを見ながら興奮した様子で話し合っていたのだから、ゲートポートでその洗礼を受けた木乃香は実感を強くした。

 

「言いたいことは会った時に言ってやるわ」

 

 言いたいことは山ほどあると据わった目でブクブクと水面で噴いて呟いた明日菜に、もしも木乃香と一緒に転移できていなければ情緒不安定になっていたであろう刹那は心配性だなと内心で思っていたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自由交易都市ノアキスが夕闇に沈んでいく。

 岬や海が夕闇に沈むと、ノアキスの繁華街の照明がいっそう冴え冴えと輝きだした。

 『黒龍の晩餐亭』は、活気溢れる通りの中でも特に賑やかな一件だった。地元ではそれなりに知られた店である。安くてそこそこ上手くて満腹感が得られる。大衆食堂の基本に忠実であるということは強い。

 開けっ放しの扉や窓から調子のいい音楽と笑い声、むわっと包み込むような油と香辛料、上手そう料理の匂いが途切れもなく溢れ、石畳の街路を歩く人々の目や耳や鼻を惹きつけた。

 ぎっしり並べられたテーブル席は満杯だ。一階の大多数を占めるのは街から町へと渡り歩く若い冒険者達だ。服のあちこちが破れた男達が酒をかっ喰らって己の武勇を誇り合い、仲間の暴走にほとほと呆れた女性陣が最近流行しているファッションについて語り合っている。

 カウンターの周りでは、独りを好む者達が静かに酒を飲み、待ち合わせをしているらしき者達が辺りを見回している。

 二階にはノキアスに住む者達が夕餉を過ごすために訪れている。二人きりで出かけてきたのは初めてらしい若い男女がぎこちなく会話をして食事が意識の外へ行っていたり、また別の席では何か祝い事らしい家族連れが団欒を過ごしている。

 総じて赤ん坊から年寄りまでが湯気を立てる馳走をにこやかに分け合っているのには変わりない。

 

『ノアキス事変。通称「精霊王事件」について、帝国・連合・アリアドネ―の専門家は――――』

 

 店の中央ではニュース映像が立体画面で映し出されており、事件が起きた地であるからこそ注目している者達もいるが大半は享楽に興じていた。

 

『精霊王なんて伝承、伝説の類だわさ。どうせ見間違いだわね』

『いいや、ありゃ精霊王様に間違いねぇだど。ほれ、これは連合の艦隊に搭載されているセンサーの数値の写しじゃが、ここの部分を見てみい。これほどの数値の異常は精霊王の存在を証明してるぞい』

『センサーを誤認させる方法なんて五万とありますわ。数値の異常を以て精霊王と断じるのは危険であると思われます』

『彼らの発言は近視眼的である。現地にいた者ならば誰でも、あれが精霊王だと認識させられたものです。あれほどの高位次元存在を間に当たりにした時、センサーなどよりも実感として精霊王であると認めざるをえない。なんならばノアキスの住民に聞いてみるといい。アレは何だったのだとね。誰もが精霊王と答えるよ』

『人の感覚ほど、不確かであやふやなものはない。錯覚に過ぎん』

 

 高らかにラッパが鳴り、忽ち口笛と拍手、足を踏み鳴らす音が混乱の店内を一つに纏めた。甘い歌声が響き渡り、高まる音楽と眩い照明の中、踊り子達が軽やかに舞台に登場して自慢の踊りを披露する。これに見とれて静まった座席の間を給仕達が駆け抜ける。

 この都市の名物料理が次から次へと通り過ぎ、手近な人々の食欲を更にいっそう煽るのだ。

 

『今まで確認されなかった精霊王の召喚事態が眉唾物なのに、この事件を収めたヤツだって本当にサウザンドマスターの息子かどうかも怪しいものだわさ』

『しかし、アリアドネ―の総長セラスが保証しているとか』

『大国が睨み合っている中で行動を制止するには、それだけのビックネームが必要だったというだけで必ずしも本物である必要はないじゃろう』

『彼が持つ杖はサウザンドマスターの物であると確認されていますが』

『遺物を持っているから血縁だというのはナンセンスだ。そも、彼の英雄は十五年前から行方不明のまま。他にも同姓同名の偽物が現れているのだから、その真偽もまた怪しい』

『金髪に蒼眼と、サウザンドマスターとは似ても似つかぬ。同姓同名の偽物の方が息子と言われても、まだしっくりする面はあろう。仮に二人とも息子と考えると年齢的にありえなくもないんじゃろうが、そうなると大きな問題がある』

『『『『『母親は誰か?』』』』』

 

 しばらくして、最初のステージがつつがなく終わり、踊り子達が袖に引っ込むと、それを潮に勘定を頼む卓が続いた。長いこと座る席を探していた大勢が遅れまいと移動する。入れ替わりの混乱に、店はまた一頻りざわついた。

 そんな中、騒ぎまくっている一階と違って特に入れ替わりが激しい家族連れや連れ合いが多い二階の奥に彼らはいた。ついさっき入店したばかりのアスカ・スプリングフィールド・長谷川千雨・絡繰茶々丸の三人である。

 

「いらっしゃいませ!」

 

 ウェイトレスが、お盆に水の入ったグラスを二つ乗せて運んできた。チラチラと二人の様子を、特にアスカを気にしている。テーブルにグラスが置かれた。

 茶々丸が各自の前にグラスを置いている間に、アスカはテーブルの隅に置かれたメニュー表を手に取って上から順に丁寧に目を通しているので気づかない。千雨はアスカの他人からの視線に対する無関心さに呆れながら我関せずにグラスに手を伸ばして水を一口に飲む。

 

「ご注文がお決まりになる頃、またお伺いします」

 

 顔を上げないアスカを見て手短にそう言ったウェイトレスは残念そうにクルリと背を向けた。

 

「本選出場の祝だ。私と茶々丸の奢りだから好きなだけ食え」

 

 少しの興味も持たれないのは同じ女としては傷つくものがあるな、と哀れみを感じながら千雨がグラスを机の上に置いて言う。

 

「サンキュー。遠慮なく食わしてもらうぞ。さて、なにを食べるか」

 

 どれも美味そうだ、と呟いている。なかなか決めかねている様子だ。

 食物からエネルギーを摂取することは出来ないので注文する気のない茶々丸が視線を去ったウェイトレスに向けると、階下で他のウェイトレスと駄弁っていた。

 

「恰好良い人だったんだけど彼女持ちか、残念。好みだったのに。しかも二人もなんてね」

「あら、私は彼女持ちでも構わないけどね。あの黒のグラサンもミステリアスでカッコいいし」

「結婚してるわけじゃなさそうだから粉かけるぐらいは自由だもんね」

 

 これは意地でも席から離れるわけにはいかなくなったと、食事をする必要がないことからとアスカの本選出場記念食事会に同席することに懸念を示していた自分の意見を百八十度撤回する。

 茶々丸が決意を固めていると、アスカが何にするのか決めたらしくメニュー表から視線を上げて千雨を見る。

 

「千雨は何にする?」

「同じものでいいよ。量は少なめでな」

「少な目っていうなら、俺が頼むやつにミニってのがあるからそっちでいいんじゃないか」

「任せる」

 

 旧世界と全然違う料理のメニューを見ても千雨では健啖家のアスカと同じ量を食べることは出来ないので判断を預ける。 

 ふむ、とアスカはウェイトレスを探すように辺りに視線を回した。

 アスカの視線に気づいた近くにいた別のウェイトレスが慌てて近寄って来る。その頬が少し紅い。

 

「ご注文はお決まりでしょうか」

「鉄塊ステーキ定食を一つ、同じもののミニを一つ頼む」

「はい、以上でよろしいですか?」

 

 ウェイトレスは取り繕うように軽く咳払いをして、素知らぬ顔のまま力強くガシガシとお盆の上の伝票に注文を書きつけた。

 頷きを返すと、階下に向けて階段を下りながら、「鉄塊とミニ一つずつでーす」と、声を上げた。

 茶々丸は何の気なしに、一階と違って家族連れが多い二階のテーブルにだけ付いているフリルの付いたテーブルクロスをそっと手の平で撫でている。落ち着いた白とピンクの格子模様。その光沢から上質な布地を使っていることが分かる。

 

「この店にして正解でしたね」

 

 そうだな、と何故かテーブルクロスを撫でながら並々ならぬ闘志を燃やしている茶々丸に言葉に千雨も頷いた。

 ウェイトレスが客に色目を使うのはどうかと思うが店の雰囲気も良く、これで出された料理が美味であるならば言うことはない。そして味が良くなければここまで繁盛することはないのだから期待も膨らむ。

 

『――――ナギ・スプリングフィールド杯の続報です』

 

 と、テーブルクロスや店に大した考えを持っていないので料理を待っていたアスカは、店の中央で流れている立体映像ニュースに目をやった。

 

『つい先程、盧遮那地区の代表が決まり、これで主催者推薦一名を含む代表選手八名が決定しました』

 

 アスカがニュースを見ていると二人もその視線を追う。

 

「主催者推薦って何なんだ?」

『第二回ナギ・スプリングフィールド杯では規定で前大会で優勝した地区からは選出されない仕組みになった為、その欠員分を穴埋めするために新設された枠です』

「あ、そうなのか」

 

 千雨の疑問は続いたニュースキャスターが説明してくれた。

 

『主催者推薦が誰になるかは明かされておらず、本選トーナメント表の公示と共に公開されることになっています』

「誰なんだろうな、主催者推薦は」

 

 結局、主催者推薦が誰なのかは公開されないままなので千雨が呟くと、対面のアスカが「俺も詳しく知ってるわけじゃねぇけど」とグラスの縁を指でなぞりながら言った。

 

「ナギ杯は国が主催してるものじゃなくて連合・帝国、その他大小様々な国の富豪や豪商達が出資してるって話だ。大元の出資を集めて、この大会を企画した企画者は謎のまま。だから、誰も主催者推薦が予測がつかない」

 

 グラスをなぞって指先についた水滴を舌で舐め取ったアスカの色っぽい仕草に千雨の背筋はゾクリと来た。

 

『優勝本命と目されるのがノアキス事変で脚光を浴びるノアキス拳闘団所属のアスカ・スプリングフィールド選手。予選では相手から有効打を一度も受けることなく勝利し、新世代と目されている中でも注目の選手です』

 

 吸い寄せられる目を意識して離してニュースの方を見ると、こちらでもアスカが映っていて千雨の顔を赤面させていた。

 運良くアスカは続いて現れた選手の映像に注目していて気づいていない。残念なような気付かないアスカの鈍感さにムカッとしている千雨の顔を茶々丸が見ていたりする。

 

『グラニクス地区より、サウザンドマスターと同姓同名で姿さえもそっくりと評判のナギ・スプリングフィールド選手』

 

 続いて現れたのは赤髪の厳しい目つきをした男の姿。その姿は背丈は大きく違うものの身近にいる者を容易く連想させた。

 

「どう見てもネギ先生だよな。でも、体格が……」

「恐らく年齢詐称薬による効果ではないかと」

「あの幻術の出来映えからするに、かなりの高額のはずの薬を飲んでまで大会に出るなんて何考えてんだ?」

 

 三人で映像を見ていても答えは出ず、そうしている間に映像は見知った黒髪の少年に映っていた。

 

『盧遮那地区からは、決まっていた代表を野良試合で倒して瞬く間に代表にまで成り上がった犬上小太郎選手です。以上、三人は十代前半とプロフィールで公開されていることから新世代と目されています』

 

 本名で登録して大した変装もしていない小太郎が映像の中で腕を振り上げてガッツポーズをしていて、続いて喉太い声援が巻き起こっていた。

 

「小太郎は男に好かれるよな」

 

 割かし同姓には嫌われることの多いアスカは少し羨まし気に胴上げをされている小太郎の姿を見つめる。

 

「お前は女に好かれてるけどな」

 

 千雨がニュース映像から視線をずらすと、階下では誰が料理を運ぶかでウェイトレス数人が口論している。彼女らの視線はアスカに集中しており、どう見ても誰が目的か分かり過ぎていた。

 

『前大会出場者のマニカグ・ノーダイクン選手、ボスポラスにその人ありと言われるカゲタロウ選手、他にも――――』

「ご注文の鉄塊定食とミニ鉄塊定食をお持ちしました」

 

 意図したわけではないだろうが選手紹介を邪魔されてしまったわけで、文句を言いかけたアスカはウェイトレスが持ってきた料理にあっさりと口を噤んだ。食欲に敗けたとも言う。

 

「ありがとう」

 

 ウェイトレスに礼を言い、黒龍の晩餐亭の看板メニューの一つである鉄塊ステーキ定食を受け取る。その際に手が触れてウェイトレスが一瞬、期待に満ちた目をしたがアスカの意識は鉄塊ステーキに注目して気づいてすらいなかった。

 千雨も肩を落として去っていく姿は流石に可哀想と思いもしたが、前に置かれた鉄塊ミニステーキ定食から香る芳醇な香りに食欲を刺激されて直ぐに忘却する。

 鉄塊ステーキとは、その名の通り表面が真っ黒になるまで火の通された肉に、ガリガリとナイフを入れると炭のようになっているのは表面だけで、肉の内側はほどよく火が通っている。見た目はともかくボリュームと味は中々のものであった。

 アスカは運ばれてきた料理にがっつきだし、千雨も遅ればせながらもナイフを手にする。

 

「んっ、美味い」

 

 アスカのようにフォークを肉に刺して直で齧り付くという下品なことはせず、ナイフで苦労して切り取ってから口に運ぶと、ジュワーと肉汁が広がって味覚を支配していく。人気店の秘密が分かるというものだ。

 美味なる物を食す時、人は黙々と食事を続けるという。であるならば、食していない者が黙る通りもまたない。

 

「アスカさん」

 

 食事の途中で話しかけるのはマナー違反と分かっていても茶々丸は口を開いた。

 肉に齧り付いていたアスカは何度か噛んで呑み込むと、「ん?」と話を聞く姿勢を作る。

 

「シェリーのこと、領主様に頼んで頂きありがとうございました」

「大したことはしてないぞ」

 

 と、茶々丸の礼に対して前置きを置く。

 

「あの子は僅かな時間とはいえ、精霊王を召喚したんだ。権力者なら取り込んでおきたいってのは、連合や帝国との会談の時のことを考えれば分かるだろう」

 

 アリアドネ―が仲介をした連合・帝国を交えた領主が開いた会談に何故かアスカも参加することになり、妙に持ち上げられて二者の間に挟まれて胃の痛い思いをしたものである。

 

「精霊王なんて召喚なんて荒業をやったんだ。俺が見る限りでは以前のような精霊への感応力は失っている。例え取り戻したとしても感情の制御さえ出来ればあんなことにはならないって領主に言っただけだ」

 

 野心的な面がある領主はアスカの助言を受けてシェリーを手元に置いておくことを決めたのである。連合と帝国は、何時起爆するか分からない爆弾を手元に置いておくよりは中立地帯に置いておく方が無難であると判断して軍を退き上げて行った。

 

「領主はシェリーを利用する気なのか?」

「暫くは万が一を考えて精霊を排除する結界の中で暮らすことになるが結界の維持には莫大な金が必要になる。シェリーにとっては最善の環境でも領主にとってはリターンが約束されているわけじゃない」

 

 利用するには確実性がない、とアスカは言に込めつつ、切り分けた肉にフォークを突き刺す。

 

「分かった上で迎え入れると判断したんだ。あの一件で領主も思うところがあったようだから、例え力を取り戻しても戻さなくても悪い事にはならないだろう」

 

 言い切って突き刺した肉を口に運ぶアスカを見た茶々丸は安堵した息を吐く。

 

「そっか…………ハクもあっちに行っちゃったし、少し寂しくなるな」

 

 無くなった重みを感じつつ少ししんみりとする。

 先に量の少ない千雨が食を終え、少し遅れてアスカも食べ終えた。

 

「美味かった。ありがとう、二人とも」

 

 食事途中で邪魔そうに黒のサングラスを何度もかけ直しながらであったが、大変満足したように椅子の背凭れに凭れかかる。

 

「そこまで喜んでもらえて何よりです。邪魔ならばサングラスを取ってもよろしいのでは?」

「これ取ると囲まれるからな。変装でもしなきゃ外も碌に歩けやしねぇ。なんであんなにサインを欲しがるんだか」

 

 認識阻害がかけられた黒のサングラスをかけなければ外を碌に歩けもしないと、腹が膨れて満面の笑みだが不満げな雰囲気を隠しもしないという器用なことをしているアスカに千雨は笑った。

 

「人気者はつらいねえ」

「変われるのなら変わってくれよ。厄介事はちっとも減りやしねぇよ。」

 

 千雨がからかうとアスカは不満そうに鼻を鳴らす。

 

「明日になったら少しはマシになってるといいんだがね」

「余計に注目されるだけだと思いますが」

「私も同感だ。と、そろそろ出るか」

 

 食事を終え、腹もこなれてきたところで清算を行おうと千雨がウェイトレスを呼んだところで、「そういえば」と言いながらアスカを見る。

 

「明日は何で行くんだ?」

 

 アスカに聞いたのだが、何故か茶々丸がニヤリと笑った。

 

「アスカさんに賭けていた賭け金で飛行船が買えましたので、そちらで向かいます」

「は?」

 

 何時の間に茶々丸はそんなことをしていたのかと、なにも知らなかった茶々丸の眼が点になる。

 

「この都市に来た当初は必ずしも領主が全面的に信頼のおける相手とは限らなかったので、私達の稼ぎの一部でアスカの勝利に賭けさせて頂きました」

「私、知らなかったんだけど」

「念の為の予備策でしたので、アスカさんにだけ許可を貰いました」

 

 茶々丸がアスカに視線を向けると頷いている。一人だけ知らなかったことに千雨は疎外感を覚えるが、あの頃はレストランの仕事を覚えてこなすことに躍起になっていたので相談されてもまともな回答が出来たか怪しい面もあり、仕方なく納得することにした。

 

「まだアスカさんも有名ではなかったので賭け倍率も高く、あの一件までに目標額に達成しました。領主が信頼のおける相手と分かったので、使い道の無くなったお金で中古ですが飛行船を買いました。これで彼の地に集まることの出来ない人達の所へも居場所が分かれば迎えます」

 

 予備策は無駄にはならないと分かり、安堵した千雨は肩をゆっくりと撫で下ろす。

 

「じゃあ、何の気兼ねなく行けるわけだな」

「そういうわけにもいかねぇんだよ」

 

 一階に下りて会計を財布を握っている茶々丸に任せ、ウェイトレイス達から桃色視線を向けられても気づきもしていないアスカが嘆息する。

 

「セラスから言われてんだよ。向こうに行ったら大事な話があるから予定を開けておいてくれって」

「大事な話って旧世界に戻る方法についてか?」

「それもあるだろうが、どうにもきな臭い話でな」

 

 会計を終えて外に出ると、夜のノアキスの街が三人を迎え入れる。

 赤、青、黄、緑に橙。薄闇に滲む船灯りは色とりどりの蛍となって豆々しく飛び交っていたが、やがて互いに一つに寄り集まり始める。止まった先が埠頭である。

 魔法世界での移動は空路が主流であるが、海産を取るための漁船や、空船を使うまでもない距離への移動には海路が用いられている。自由交易都市ともなれば一日の空船の離発着が多く、空路より海路の方が早いことも多いので港の灯りが消えることはない。

 

「この間の事件のことで連合と帝国を交えて話し合いを行いたいからって話だが、別に向こうでやる必要はないだろ? あれから何度も会談の場は持たれてるってのに、どうしてわざわざ終戦記念祭にやるんだ?」

「確かに変ですね」

 

 隣に並んだ茶々丸が首を傾げる。反対隣りの千雨も訝し気な顔をしているのは、彼女達まで情報が降りてこないからだ。

 

「しかもその話し合いには領主は参加せず、参加を求められたのは俺だけ。何か裏があるって言ってるようなもんじゃないか」

 

 頭の後ろで腕を組んだアスカは、黒のサングラスを付けていて視界はかなり効かないはずなのに真昼と変わらない足取りで進む。

 

「断るってことは出来ないのか?」

「それは難しいと思います。セラス総長にはあの事件での調停に入って頂いただけでなく、ドネットさんとの仲介に始まり、仲間間での連絡の橋渡し、長瀬さんと古菲さんを渡航手助けまでしてもらっているんです。余程のことがない限りは向こうからの要請を断ることは難しいと判断します」

「だよなぁ……」

 

 慮った千雨の言葉は茶々丸にあっさりと否定されるも、ある程度は理解していたアスカに落胆はない。

 

「まあ、なんとかなるさ。気にせずに行こうぜ」

 

 片目を閉じたアスカはその閉じた眼で己がルーツがある地を思い浮かべる。

 

「オスティアへ」

 

 歴史と伝統のウェスペルタティア王国、麗しき千塔の都、全ての始まりの地である空中王都オスティアに運命が収束する。

 

 

 

 

 




本作では時間の流れは現実と同様です。


8月1日 魔法世界に到着、ゲートポート破壊テロによって散り散りになる
8月3日 ネギ゙、のどか、砂漠を彷徨ってキャラバンに助けられる
    その夜、千雨、目覚める
8月4日 アスカ一行、ノアキス到着。アスカ騒動に巻き込まれて牢行き
8月5日 アスカ牢から出て代表になる為、バルガスと試合をする。
    ネギ、ドルゴネスに脅されて奴隷にされる
8月6日 アスカ、試合に出る(描写ナシ)
ネギ゙、ナギ・スプリングフィールドを名乗らされて試合に出る(描写ナシ)
8月7日 ノアキス事変
    ニュースでアスカがナギの息子であると報道されてドルゴネスが不安を覚える
8月8日 夕方にネギ、カゲタロウと野試合を行って破れる。ドルゴネス、知己のラカンに連絡する
8月9日 ネギ、ラカンと出会って師事を決意する
8月13日 古菲・楓、ラクンドリアの魔龍に挑む
8月20月 明日菜・刹那、賞金首ブレイド兄弟を討伐。
8月22日 アスカ・千雨・茶々丸、黒龍亭で食事

と、なります


次回「第70話 世界の真実 前編」

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