魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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タイトルは前回予告とは違います


第70話 集う者達

 

 

 

 

 

 イギリスのウェールズにて、ネカネ・スプリングフィールドは石化から回復した両親や他の村人達と村の復旧作業に当たっていた。

 六年前に襲撃を受けた際に焼け落ちた建物は全て撤去されたので一から作り直すようなものであったが、魔法を行使して作業手順の大半を省くことが出来る。一週間もすれば一定の建物が建ち、足りない物の方がまだまだ多いが村としての形を取り戻して来ている。

 大分復興も進んできた村の中を、メルディアナ魔法学校がある町から買い物をして帰って来たネカネはふと頭痛を覚え、頭に手をやった。

 

「…………風邪かしら?」

 

 不可思議な圧迫を覚えた直後に訪れた、胸にまで響く重い頭痛だった。

 日本で教職に付いているとはいえ、事情が事情であるので麻帆良学園学長である近衛近右衛門の計らいで新学期まで仕事を免除されている。

 幼少期に離れ離れにならざるをえなかったアーニャは空白を埋めるように両親に甘えている。だが、アーニャと違ってネカネには六年の空白によって両親の間に見えない溝が出来上がっていた。彼女が一人で買い物に出たのもぎこちない雰囲気に耐えかねてだった。

 夕飯の献立だけを母に聞いて買い物を終わらせた帰り、突如とした頭痛に眉を顰める。

 両親の溝や村の復興に精神的肉体的に疲れている自覚があったので風邪かと一瞬考えたが悪寒が走るわけでもなく、風邪の諸症状はないので別の理由からであるとネカネは考える。

 頭痛の理由である、今も復旧作業が続けられているゲートポートのある方向を見る。

 

「アスカ、ネギ……」

 

 事故に巻き込まれた兄弟達のことが気になって仕方なかった。

 思い浮かぶのは青年となったアスカでも大きくなったネギでもない。六年前のまだ村が襲われる前の、魔法学校の見送りに来てくれた両親と手を繋いだ小さな子供達だった。

 あの小さな子供特有の暖かな体をどうしようもなく求めていた。

 

「ネカネ姉さん、前見て歩かないと危ないわよ」

 

 聴覚が聞き覚えのある声を聴き取った。

 声の聞こえてきた方を振り返ると、ネカネと同じように食材が入っている買物袋を持ったアンナ・ユーリエウナ・ココロウァがいた。

 

「またゲートの方を見てたの? 飽きないわね」

「気になるもの」

 

 呆れている様子ではあるものの、素直ではない少女は態度で心配を隠しもせずにネカネの隣に並ぶ。

 家までの道のりを歩きながら六年間を共にした共有した空気は、これほどに傍にいても肩に力を入れないでいられる貴重なものだ。

 

「あの二人のことなら何があっても大丈夫よ。アスカの生命力はゴキブリ並みだし、ネギもそうそう変なヘマはしないでしょ」

 

 そこで一度言葉を切ると、「大体」と続けて身長が上のネカネの顔を見上げる。

 

「明日菜達もいるんだから悪い事にはならないと思う。どうせまたアスカのトラブル体質から事件が起こっただけだって」

 

 機嫌良さげに鼻歌を歌いながら買い物袋をクルクルと回すアーニャは言ったように心配しているようには見えない。だが、そう見せているのはあくまでポーズであって、早朝や夕刻などふとした時に一人になっているアーニャが先程のネカネのようにゲートポートの方を良く見ていた姿を目撃している。

 

「そうね」

 

 軽口を叩くことで不安を紛らわそうとしているアーニャに同調するネカネ。

 彼女達は置いて行かれた者達であり、着いていくことが出来なかった者達だ。望めば、自らが一歩を踏み出せば共に行くことも出来ただろうが、戦うことが出来ないから、夢を叶えたからと言い訳をして足を止めた。

 事件が起こってからは傍観者になるしかなく、連絡を待つしか出来ることはない。

 

「高畑さんや龍宮さんが向かってくれたから、きっと大丈夫よ」

「きっと、私達が行くよりもずっとなんとかしてくれるわ」

 

 ネカネは自分に言い聞かすように言うのを、アーニャは数日前に不安定だったゲートが完全に閉じる前に魔法世界に渡った二人のことを思い出しながら言葉を返す。

 百戦錬磨でありエージェントとして様々な経験を持つタカミチ・T・高畑と、年齢不詳ではないかと思うほどの底の知れなさを持つ龍宮真名が魔法世界に向かってくれたのだ。少なくとも戦闘能力がないに等しいネカネや、強いとは言えないアーニャよりも百倍以上適任であると、理性は納得しても感情が納得できているわけではない。

 もうIFはない。ゲートは完全に閉じており、復旧するまでは魔法世界に渡る術はないのだから。

 この話題は不毛であるとネカネは判断して話題を変える。

 

「どう、家の方は? もう慣れた?」

「あ~、ん、どうだろう。そっちは?」

「…………まだ慣れないわね」

 

 話題転換は藪蛇だった。

 仲の良さそうな家にこのことを言うのはどうかとも思うが嘘をつくわけにもいかない。

 

「そっちもか」

 

 予想に反してアーニャも長い溜息を漏らした。

 

「お父さんとお母さんってこんな感じだったけて、なんか接していても違和感があるの」

 

 六年前のアーニャは四歳とか五歳で記憶も大分曖昧になっている。

 皆にはついさっきのことでもアーニャ達にとっては六年前のことだから、どうしても共に過ごしていると感覚に違和感が生まれる。こうやってネカネとアーニャは肩に力を入れずに傍にいれるが、両親ですら他人のように感じてしまう。

 

「分かるわ。私も同じだもの」

 

 ネカネもアーニャと同じ気持ちだ。

 あの事件が起こったのが思春期真っ盛りで六年の月日と子供達の母親代わりを努めなければならなかった彼女は、同年代の子達よりも早く大人にならなければならなかった。

 最も大変だった時期に傍にいてくれなかった子供らしい感情と、事情を鑑みて仕方がないと納得してしまう大人の感情の狭間で揺れ動いている。

 そして石化する前は子供だった娘が気がつけば精神的肉体的にも大人になってしまった戸惑いは彼女の両親も同じだった。他の者達も大なり小なり六年の時間の経過に翻弄されながらも、真っ先に現実に直面していたのはこの家族であっただろう。

 

「こんなはずじゃなかったのにね」

 

 アーニャの吐息は地面に沈みそうなほど重い。

 石化さえ解ければ全てが上手くいくと思っていたのに現実はかくも難しい。

 

「今更ながらに六年の時間の流れを実感してるわ」

 

 昔のように戻るにはまだまだ時間が必要で、六年前ならば周りに頼ることが出来た村人達も今では素直に甘えることが出来ない相手になっていた。

 言葉が虚しく虚空へと消え、二人の間に暫し沈黙が下りる。

 

「…………私、日本に戻ろうと思う」

「え?」

 

 信じられない言葉を耳にしたネカネの足が止まる。

 遅れて足を止めたアーニャは一度だけ顔を振り向かせ、また歩き出した。ネカネもその後を追って歩き出す。

 

「ご両親がいるのに、どうして?」

「私がいると困るみたいだものって、これじゃ分からないわよね」

 

 迂遠的で抽象的な言い方では誤解を招くとネカネの表情を見て察したアーニャは困ったように眉を動かす。

 

「昨日のことなんだけど、お母さんがローストビーフを焼いてくれたんだけど、味付けが私の好みとは違ったの。今の私の好みとはね」

 

 一見関係のない話題を話しだしたかのように思えたが、理由があるのだろうと自分を納得させて話を聞く。

 

「昔の私は好きだった味付けかもしれないけど、今の私が好きな味じゃない。食べた時に顔に出たみたいで、お母さんもそのことが分かっちゃったみたい」

「味の好みだって変わるものよ。みんなの中では私達は昔のまま。石化していたんだもの、仕方のない事だわ」

 

 納得と理解はまた別物だとネカネも薄々と感じていた感覚をアーニャもまた味わっていたのだと思うと少し安心する。

 

「このまま一緒にいれば違和感っていうか、差異はどんどん大きくなっていくと思う」

「でも、慣れていくしかないわ。時間の差を埋めていくのは、時間しかないから」

「時間が解決する。それも一つの手だわ。でも、もっと良い方があるわ。一度、距離を置くことよ」

 

 歩く度にユラユラと揺れるツインテールと軽く放たれた言葉尻とは違って、重い足取りのままで歩みを進めていたアーニャの表情は斜め後ろからでは窺い知れない。

 

「別に二度と会わない、なんて言うつもりはちゃんちゃらないわ」

 

 茶化した物言いをしながら、その眼はただ前だけを見つめている。

 

「会おうと思えば会えるし、声が聞きたかったら電話すればいい。石化されていた時とは違うんだから」

 

 笑っているのだろうか、それとも泣いているのか。声と横顔からでは判別できない。

 アーニャの肩に手を乗せようと動かしかけたところで止めた。気丈に振舞おうとしている少女を侮辱する行為に他ならないと気づいたからだ。

 

「私はもう、子供じゃない」

 

 自分に言い聞かせるようにアーニャの口の中で呟かれた言葉は誰に聞かれることなく霧散する。

 目的を見失ったからといって足を止めて現状に耽溺するなどアンナ・ユーリエウナ・ココロウァの流儀ではない。不遜に前を向いて走り続ける姿こそ望ましい。

 

「いい加減に前に進まなくちゃ」

 

 まるでアーニャの背を押すように後ろから前へと一陣の風が凪いでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茶々丸が命名した飛行船スプリング号が雲海を抜け出し、どこまでも続く青い空に向けて飛翔する。向かう先には、キラキラと輝いている緑に覆われた美しい空中都市が浮かび上がっていた。

  日は、昇ったばかりだったが、陽射しは殆どない。上空には厚い雲が広がっていて陽射しを遮ってしまっている。それは、まるでこれから繰り広げられる激しい戦いを人々の目から覆い隠すため準備されたかのようだ。

 雲の合間から降り注ぐ微かな陽射しを受けて飛ぶスプリング号に向かって後方から幾つも光が飛んできた。

 

「キャー!?」

 

 操舵を行っている茶々丸が光を避けるように舵を大きく切ると、スプリング号も連動して動き、中にいた長谷川千雨が思わず悲鳴を上げるほど船内で振り回される。咄嗟にアスカが掴んでくれなければ船室の壁の叩きつけられていたことだろう。

 

「あ、ありがとう。助かった」

「ん」

 

 千雨が礼を言った瞬間、急速に左右に船体が振れる。

 

「うぉおおおおお!?」

「ぎゃああああああ!?」

 

 特に何かを持っているわけでもないのに安定しているアスカの腕の中で守られている千雨はまだ良い方で、拳闘団の関係で同乗しているトサカやバルガスは船が上下左右に蛇行する度にあっちへ行き、こっちへ行きと決行悲惨なことになっている。

 

「しつこいな、アイツら」

「いや、こっちを気にしてやれよ」

 

 アスカの意識は少し前から飛行船を追って来る者達に向けられており、どこかに捕まろうにもタイミング悪く船によって壁にゴンゴンとぶつかっている二人が少し哀れになった千雨が言った。

 

「つっても、掴まれるようなもんねぇし」

 

 アスカの言うことも最もである。

 買ったばかりの船には、今回は数時間の移動の為にしか使わないので固定されていない椅子と机が持ち込まれていて、適当に飲み食いをしていた。翻せば内装はないに等しく、掴まれるような物がない。

 

「アスカは安定してるんだから捕まらせてやれよ」

「男に掴まれて喜ぶような趣味はしてねぇ」

「私はいいのかよ…………流石に二人が可哀想だぞ」

 

 千雨も流石にトサカとバルガスにギュッと掴まれるのは嫌だなと思いつつ、壁だけでなく椅子や机にも当たっている二人は哀れでそう言わずにはいられなかった。

 

「仕方ねぇか。来い、黒棒」

 

 千雨に言われるまでもなくアスカもボコボコになりつつある二人を放っておくのは良心が咎めたのか、中空から黒い刀身の刀の相棒を呼び出して床に突き刺した。

 そして千雨に柄の部分を持たせ、近くに来たトサカ、バルガスの順に捕まえて刀身を持たせる。

 

「怖ぇな、おい!?」

「手、切れないか?」

「身体強化すれば切れねぇって、多分」

 

 切れ味抜群の黒棒ではあるが魔力や気を通さなければ、身体強化を施せば刀身を持つことは可能である。

 千雨が自分で体を固定するには柄以外なく、魔力と気が使えるトサカとバルガスが刀身を持つのは当然の流れだと「千雨に刀身持たせる気か」と凄まれると引き下がるしかない。

 納得せざるをえない二人と千雨が安定したのを見たアスカは一人で船首にある操舵室へと向かう。

 

「どうだ、逃げ切れそうか?」

「向こうは高速船です。この船の推進力では、オスティアに着く前に追いつかれます」

 

 話しかけている間にも茶々丸は舵を右に大きく切り、船体も急速に傾いて真横を向いた。すると、先程まで船体が場所に光の矢が通り過ぎていく。どうやら追ってきている飛行船達から攻撃を受けているようだ。

 船体が振られたことで後ろからは「ギャー!?」「うぁあああ!?」「のぅおおおおおお!?」と三者三様の悲鳴が聞こえてくるがアスカは努めて無視してどうするかを考える。

 

「ったく、今度のは随分としつこい。どこの賞金稼ぎだ? 九つの尾を持つ狐(ナインテール・フォックス)か、幻影の猫(ミラージュ・キャット)か、それとも――――」

「船籍によると、追ってきているのは『黒い猟犬(カニス・ニゲル)』と思われます」

 

 どうにもアスカはノアキス事変で闇の手配書で指名手配がかけられているようで、あの事件後に賞金稼ぎから狙われるようになった。その経験から知っている実際に襲い掛かって来た賞金稼ぎ結社の名前を指折り上げるも、そのどれでもないと茶々丸が否定する。

 

黒い猟犬(カニス・ニゲル)?」

「シルチス亜大陸にある賞金稼ぎ結社です。まほネットによると、冷酷非情で名を挙げてきているようです」

「へぇ」

 

 茶々丸は操舵をしながらまほネットに繋いで情報を得ているらしい。

 アスカは右に左に揺られながら、茶々丸が船のシステムに繋いでスクリーンに映し出してくれている黒い猟犬(カニス・ニゲル)の宣伝動画を見ながら感心する。

 

「運転しながらよくこんなことで出来るな」

「私、ガイノイドですので」

 

 黒い猟犬(カニス・ニゲル)に感心していたのではなく、茶々丸の機能の方に感心していたらしい。

 褒められて少し上機嫌になった茶々丸が勢いよく舵を切ると船が横に一回転して、後ろの船室の方から三者三様の悲鳴が操舵室まで響いてくる。

 

「逃げ切るのは無理となると俺が外に出て足止めするしかないか」

「救難信号は出しています。直に救援が来ると思われますが」

「奴らの狙いは俺だろう。このままじゃ救援が来るまで後ろの三人が持たない」

 

 追いつかれても茶々丸の操舵ならば撃墜されたり船を止められることはないだろうが、こうまで船体を振られ続けると船室で黒棒を支えにして踏ん張っている三人が持たないだろう。トサカとバルガスは身体強化出来るだろうから心配はしていないが、一般的な少女でしかない千雨は確実に持たない。

 

「しかし、お一人では危険ではないですか?」

「俺ならなんとでもなる。いざとなれば逃げるし」

 

 また窓の向こうを光の矢が突き進んでいく。

 さっきよりも窓の向こうを通り過ぎていく光の矢の数と頻度が増しており、どうやら後方の追っ手達の射程範囲に入ってしまったようだ。

 

「選択の余地なし、だな」

 

 議論をしている暇はないと、茶々丸の静止も聞かずに床を蹴って操舵室を出た。

 船室に戻ると床に突き刺した黒棒に必死に捕まっている三人を見て、特に千雨の限界が近いと感じ取って「扉を開けるぞ」と一応声をかけた。

 

「大丈夫だって。障壁張っとくから」

 

 ギョッとして声なき三人に言って扉の開閉スイッチを押す。

 開いた扉から気流に乗って風が吹き込んで来るのを広げた障壁で可能な限り船内に入って来ない様に注意する。流石に完璧にシャットアウトは出来ないが体を揺さぶる程ではない。

 

「んじゃ、行って来る。気つけてな」

 

 外に一歩出て浮遊術で飛びながらスプリング号に並走しながら中の三人に声をかけると、何か必死な様子でがなり立てているようだが風の音で全く聞こえず、船体の開閉スイッチを押した後なので問い質す機会も失われた。

 

「何か言ってたが…………ま、いっか。先にアイツらだ」

 

 閉まった扉を前にして一度考えたが、飛んできた光の矢が障壁にぶち当たったことで優先順位をつける。

 光の矢――――スプリング号を撃墜しない様に威力を抑えた精霊砲を放った黒い猟犬(カニス・ニゲル)船籍の高速船数隻を見て、並走を止めて直上に上がり船尾に下がって自身の姿が向こうにもしっかりと見えるように数秒留まると変化があった。

 

「俺に気付いたか」

 

 明らかに狙いが変わり、精霊砲の威力が増したので姿を確認されたようであると判断して速度を落とす。

 飛んできた精霊砲を後ろのスプリング号に万が一でも当たらないように障壁で防ぎながら速度と共に高度も落としていく。その間にも精霊砲と魔法の射手が雨霰と降り注いできて、全てを受け切るのは後のことを考えると最善ではなく、避けつつ時には弾いて直下の荒野へと下りていく。

 もう少しで地上というところで真上を見上げれば高速船から飛び降りる複数の影が見える。飛行船も逃がさんとばかりに散開して上空を抑えながら一定の高度を保っている。

 地上にも追っ手がいたようで接近する気配が増えている。後ろからだけではなく、オスティア方面からも気配があるとなれば待ち伏せをしていたのだろう。

 

「こっちにもいるとなると、これは誘い込まれたか。随分と手際が良い。渡航ルートが漏れてるのか」

 

 ここまで用意周到に配置しているとなると、かなり以前から襲撃が計画されていたとみるのが自然。

 罠が仕掛けられているかもしれないことを念頭に置いて、このまま素直に対応するつもりはなく行動あるのみ。

 

「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル」

 

 伏兵に戦慄するよりも感心しながら、気配の数が十を超えた辺りから数を数えるのを止めて始動キーを唱える。

 

「来たれ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の風」

 

 相手側の方が圧倒的に人数が多いので先手必勝と、右手に紫電と豪風を纏わせて狙いを地上に定める。

 副次効果が目的なので威力は抑え目にして振り被った右手を魔法名と共に放つ。

 

「雷の暴風」

 

 威力を抑えたとはいえ、世界でもトップクラスのアスカが放つ雷の暴風は轟音を立てながら地上に伸びて着弾する。

 ダイナマイトでも爆発したかのような大きな音と衝撃が地面を大きく揺らし、集まっていた気配が踏鞴を踏むように動きを止めた。雷の暴風が着弾したことによって砂塵が巻き上げられ、周囲数十メートルを覆い隠す。

 

「やり過ぎたか?」

 

 着弾の衝撃波に受け止められてゆっくりと特大のクレーターに降りたアスカは手加減したつもりが地形を変えてしまったのではないかと頭を掻く。

 

「ま、いっか。何かあったらアイツらに押し付けよう」

 

 新オスティアの総督府から文句を言われても黒い猟犬(カニス・ニゲル)の所為にしようと、責任を押し付ける満々で懸念を消し去る。

 黒い猟犬(カニス・ニゲル)もこの程度で諦めるつもりはないようで、一度は止まった進行を再開していた。アスカも戦闘に意識を切り替え、全身に雷を身に纏った。

 

「シッ!」

 

 滞留している砂塵を縫うように雷光が奔る。

 周辺から集まっていた者達、上空から下りて来ていた者達に向けてアスカが文字通り雷光のような速さで疾走する。

 

「ぬぁっ!?」

「ごぐっ!?」

「おごぅ!?」

 

 多種多様な苦痛の叫びが木霊し、バタバタと何かが倒れるような音が連鎖する。

 

「ちっ、雑魚ばかりじゃねぇのか」

 

 砂塵内にいる三十近い敵の全てに一撃を叩き込んだが、確実に意識を刈り取れたのは半数と少し。

 まともに一撃を食らう者がいれば、耐えた者、防御した者、それぞれの対応から見るに黒い猟犬(カニス・ニゲル)内の強さにはかなりのバラツキがあるようである。やり過ぎると殺してしまうので手加減をしたのだが、相手が多すぎたので下の方にレベルを抑えすぎたようだ。

 

「――――来れ地の精、花の精。夢誘う花纏いて蒼空の下、駆け抜けよ一陣の嵐、春の嵐!」

 

 左方より魔力反応が高まり、風系統の高位魔法が放たれた。

 アスカの一撃を耐えた高位の魔法の遣い手が視界を塞がれたまま戦闘を継続するリスクを嫌い、多数の仲間を巻き込むのを承知の上で放たれた春の嵐が砂塵を吹き払う。

 五人ほど春の嵐に巻き込まれて吹き飛ばされて行ったが、賞金稼ぎ結社である黒い猟犬(カニス・ニゲル)は死ななければ問題ないと考えているようで、意識のある者の大半が雷光を纏うアスカに向けて疾走を開始する。

 向かってくるもの全てが街にいるようなチンピラとは一線を解している。

 

「五百万ドルの賞金首ッ!?」

 

 一番近くにいた人間種族(ヒューマン・タイプ)の双剣使いが目を血走らせながら迫って来たので、つい気持ち悪くてカウンターで顎の先を揺らして意識を刈り取ってしまった。

 

「何時の間に五百万ドルに跳ね上がってたんだ?」

「その首貰った!」

「やらねぇって」

 

 呑気に考え事をする暇もない。

 背後から魔力でコーディングされた穂先の槍を突き出してくる次の賞金稼ぎを振り上げた踵で顎を蹴り上げてノックアウトしつつ、この間まで二百万ドルだった賞金が倍以上に膨れ上がっていることに首を傾げる。

 傾けた首の横を、耳の長い拳闘士系の賞金稼ぎが拳を放っており、裏拳で鼻面を叩いて衝撃で怯ませる。

 

「なあ、そこんところ何か知らねぇか」

 

 振り向きながら両足を刈り取ってバランスを崩させ、体勢を直そうとするところに膝蹴りを腹に放って息を吐き出させ、肘を後頭部に落とす。

 完全に意識を刈り取ったかまでは確認せず、少し離れた場所で詠唱を重ねている魔法使いを標的を定める。

 

「ものみな焼き尽くす浄北の炎、破壊の王にして再生の徴よ。我が手に宿りて敵を――――」

「遅い」

 

 護衛らしき体格の良い盾使い(シールダー)を無視して、紅き焔の詠唱を唱えながらも堅い障壁を持つ魔法使いの真横に移動する。

 障壁に手を添えて足を開いて腰を少し落とす。

 

「ふんっ!」

「喰らばらえばぁっ?!」

 

 気勢を発して障壁を壊すことなく、障壁に繋がっている魔力ラインに衝撃を伝播させる。

 紅き焔を放とうとしていた魔法使いは魔力ラインから逆流して来た衝撃に詠唱を終えようとしていた口から血の霧を吹き出した。

 

「効果は抜群なんだが多重高密度魔法障壁には効き難いのが難点だ、なっと!」

 

 一撃ノックアウトした魔法使いの状態から己の放った一撃の効果を確認しつつ、振り返りかけている盾使い(シールダー)の脇に一瞬で近づいて手を添えて同じ方法を試す。

 

「ぬ、ぐぬおおお!?」

 

 防御力が売りの盾使い(シールダー)は三層にも及ぶ魔法障壁を展開しており、寸勁による衝撃伝播も本人に届く頃には減衰されていて一撃ノックアウトには至らない。

 衝撃を伝播する層が多いと減衰してしまうので、このやり方はフェイトの多重高密度魔法障壁を超えるには向いていないと、今度は鎧に直接寸勁を叩き込んだ倒す。

 

「隙有――」

「白雷掌」

「ギャン!?」

 

 顎に手を当てているのを隙と見て殴り掛かって来た犬耳の賞金稼ぎの拳を躱し、腹部の部分の服を掴んで無詠唱の白い雷を打ち込んで雷撃で麻痺させる。

 犬耳の賞金稼ぎが全身から白い煙を立ち昇らせながら倒れてゆく向こうの空で光が瞬いた。

 

「おぉ」

 

 それが魔法の射手の光であること、総勢にして千を超える数が飛来してきたことに僅かな驚きを覚えてバックステップを行う。

 魔法の射手も千を超える数にもなれば絨毯爆撃にも等しい範囲攻撃となるが、言い換えれば同時に打った場合は全てを同じ場所に打ち込むことは出来ず、どうしても範囲が広がってしまう。

 この魔法の射手の雨は広範囲に広げられていたので自分に向って来る分だけ防ぐと、着弾によってまたもや砂塵が舞い上がる。

 

「今のは俺を狙ったというよりも、俺の視界を防ぐのが目的か。気配も探れねぇ」

 

 先の魔法の射手には探知を妨害する機能が付与されたのか、砂塵の中の気配が感じられない。

 気配探知を行えず、視界も遮られてはアスカといえども不確定要素が大きくなる。修行としてなら悪い条件ではないが今は実戦の最中である。

 

「おっ」

 

 砂塵の上へと飛び上がると山羊骸骨顔の魔族の男と目が合った。

 骸骨顔魔族に意識を向けながら次の一手を考えて辺りを見渡すと、誰かに使役されていると思わしき砂蟲二体が触手を伸ばしてノックアウトしている仲間達を回収しているのが見えた。

 

「仲間想いなのか、そうでないのかハッキリしろよ」

 

 春の嵐で仲間ごと吹き飛ばしたり、今度は回収したりと行動に一貫性がないことに文句を言いつつ、当座の標的を骸骨魔族に定めて虚空瞬動を行おうとしたところで、骸骨魔族の上半身の服が破けて手が増えて伸びた(・・・・・・)

 

「おおっ!?」

 

 驚きつつも伸びてきた骨魔族の手を振り払いつつ、魔族ならばそういうこともあるかと妙な納得を覚える

 骨の魔族は四本の右腕を振り下ろしてくる。アスカは体を捌いてその攻撃の軌道外に飛び出すと、更に左手が伸ばされて横腹を狙ってきた。異様な角度から伸びて顔面に一撃を放ってきたのを残った左腕で防ぐ。

 

「ぐっ」

 

 命中はしたが当たりは浅い。ダメージも殆ど無く衝撃が腕を震わせただけだが、魔族ならば人間では不可能なこともあると予測していなかった自分に喝を与える役目にはなった。

 

(ちっ、戦闘中に余計なことを)

 

 内心で毒づきつつ、開いた隙間で腕を振り、伸ばされた手を足場にして短い距離を飛んで、骨魔族の目の上を右足で蹴りつける。

 これも、骨である以上は痛痒を感じるはずもないが、一瞬でも注意を引くか、視界を奪うだけでも意味があった。

 

「はッ!」

 

 骨の魔族の動きが僅かに止まったその瞬間に左足を振り上げ、踵を敵の身体の中心へと叩き込む。

 その時、砂塵の向こうの地上から砂が波のようにうねり始め、一斉に舞い上がってアスカを覆う檻のような形に変じようとしている。

 

「優れた魔法使いがいるな」

 

 全身から魔力を発して骨魔族ごと砂の檻を吹き飛ばすと、更に地面から仲間を回収し終えた砂蟲の触手が幾つもこちらに向かって突き進んでくる。

 あり得ない角度で突進してきた触手を、『疾風迅雷』と名付けた雷を纏うモードで迎え撃つ。

 疾風迅雷には身体強化・肉体活性・攻撃強化・防御強化の効果があり、肉体活性によって単純に防御力と攻撃力を飛躍的に上昇させるだけでなく、全身の神経に雷を流し込むことによって、電気信号を加速させて人間の限界を超えた、超人的な反射速度を可能にさせる。

 雷を身に纏っているのと変わらない疾風迅雷モードによって、触手は触れる端から炭化していく。

 

「おおっ!」

 

 疾風迅雷モードの確認をする為にわざと触手に捕まってアスカが静止したその間に、砂塵を割って飛び出した爬虫類のような皮膚をした賞金稼ぎは撓んだ膝を戻す勢いを利用し、目前のアスカに拳を突き上げた。

 砂蟲に攻撃を仕掛けようとしたアスカの喉元に、カウンターで襲いかかる狂気の一閃。

 

「魔族か」

 

 狭い来る一撃を冷静に見つめつつアスカが口の中で呟いた。

 敵は人間ではない存在である。人間ではない強さ、人間ではないタイミング、人間ではない空間の使い方をする。

 アスカは攻撃の手を止めようとはせず、更に一歩を踏み込みながら、思い切り深く腰を落とした。目の前を風を切り裂く拳が駆け抜けていくのを確認し、掌を爬虫類賞金稼ぎの下腹――――丹田に当てる。

 空中に展開した魔法陣の上で両足を強く踏みしめる。

 その反発力を腰、腰から肩へと、螺旋を描き増幅しながら伝達していく。肩から腕の先へ、全身の運動エネルギーを収束し、流れに沿って掌から前方へと全身の筋力と共に解き放つ。同時に身体から溢れ出るほどに練り上げた力が、掌から迸り、敵を貫く様子を明確にイメージした。

 

「発っ!」

 

 短い気合と共に、十数メートルの巨岩でも爆砕するほどの発頸が、爬虫類魔族の丹田―――人間なら霊的中枢―――に炸裂した。カァァンと銃弾が鉄骨に当たったような、異種とはいえ、身体が互いにぶつかって発するもとのは絶対に思えない音が響いた。爬虫類魔族の身体が爆破されたように吹っ飛び、数メートル先の岩壁にめり込む。

 人間の気は丹田を基点に全身を循環する。故にここは急所中の急所なのだ。術者ならば気の巡りを乱されて一時的に術を行使できなくなる。それが人間ならば―――――

 

「むっ」

 

 アスカが必殺で放った一撃を受けて、岩壁に埋まったままで呻く爬虫類魔族を見て、やはり人間とは耐久力が違うのだなとシリアスな場には見当違いな感想を抱いた。

 

「魔法の射手・雷の三矢」

 

 体の中心にダメージを受けて地面に膝をついて直ぐには動けない様子の骨魔族を次の標的に定める。全身にコートを纏った人物に牽制の魔法の射手を放って足止めをしつつ、虚空瞬動を繰り返して接近する。

 

「させん!」

 

 もう少しで接敵というところで、スキンヘッドで頭の先から腹部まで刺青のような模様をもつ巨漢がアスカの拳を阻んだ。

 

「我ら傭兵結社『黒い猟犬(カニス・ニゲル)』賞金稼ぎ部門第十七部隊はそう簡単には――」

「長ぇ」

「ごぱっ!?」

 

 アスカは拳を腕で防御されたのを見るや、土手っ腹に蹴りを叩き込んで話を中断させる。

 そこへ、もう動けるようになった骨魔族が次々と腕を伸ばしてくる。

 八本の腕を内、六本を躱して弾き、残りの左右の腕を掴んで力の限りに引っ張っる。左右に広げた腕の所為でリーダー格の刺青男諸共にアスカの下へと引き寄せられる。

 

「雷の斧」

 

 六本の腕で抵抗しようとするが詠唱を破棄して放たれ、威力が極めて弱い雷の斧が骨魔族の眉間に突き刺さる。

 

「ぬがっ!?」

 

 魔族ならば眉間にダメージを負っても致命傷にはならない。それでも骨の魔族は仰け反り、硬直を長いものにした。

 

「雷の投擲」

 

 回復したリーダー格が動こうとしているが、骨魔族の腕が邪魔で身動きが取れないでいる。

 右手の周囲に雷の槍を三本纏って懐に潜り込もうとしていたアスカに、魔法の射手を込めた拳を放つが骸骨魔族の骨腕を防御に使われて届かない。

 アスカは僅かに出来ている隙間に身体を滑り込ませて、「オラァッ!」と叫んで拳と共に雷の槍を腹に叩き込んだ。その威力は凄まじく、二人の腹を貫いて地面に叩き落とされる。

 

「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル」

 

 また一つクレーターを作り出したアスカは地上に降り立ちながら、晴れた砂塵の向こうから砂蟲が迫ってきているのを見ながら始動キーを唱える。

 

「影の地、統ぶる者。スカサハの我が手に授けん、三十の棘もつ愛しき槍を」

 

 やや斜めに構え、迫りくる砂蟲に相対する。

 慣れているといえば慣れている攻撃準備だが、それとは違う感覚が頭の中に芽生えていた。自分の動きを見つめながら、これから自らが為す行動を予想しながら思い描いていたのは自分の敵の姿だった。

 眼前の砂蟲でも、先の賞金稼ぎ達でも爬虫類魔族でも骨魔族でも刺青男でもない。

 脳裏を過るのは、ゲートボートで対峙したフェイト・アーウェルンクスの姿。

 何故だろうと、アスカは苛立っていた。初めて味わう感覚―――――いや、これは、フェイトには負けたくないと、理屈抜きに思う。敵愾心を刺激されてしまう。

 声に出さずに呟いたその名は、確かな苦味をもって内心の懊悩を一纏めに染め上げる。そもそもアスカはハワイで初めてフェイトを目にしたその瞬間から、確かな敵意と嫌悪を抱いていたのだ。今ではそれらの感情はより大きく深く、決定的になる。

 

「雷の投擲」

 

 三十の雷の槍を背後頭上に展開し、穂先を標的に向けてブルブルと震える様は血に飢えた獣のそれ。

 

「行け」

 

 号令と共に撃ち放たれた雷の槍は砂蟲の触手を突破し、その巨体を貫いて岩山に磔にする。

 断末魔の叫びを上げて磔にされた砂蟲の近くに魔獣の使役者である全身をコートと帽子で包み、目以外ほとんど見えない格好をした人物が慌てていた。

 

「くっ、幾ら高額賞金首とはいえ、この僅かな時間に黒い猟犬(カニス・ニゲル)が全滅するとは…………やるネ!」

 

 似たような語尾の奴がいたな、と内心で思いながら二人揃って雷の槍に貫かれたまま地面に縫い付けられている骨魔族と刺青男に一睨みを利かせながら、コートの人物に歩み寄って行く。

 

「おっぱいについて語らんかネ」

 

 何故そこで胸の話題になるのかとアスカは首を捻りつつ、コートの人物がポケットに手を入れているのを見逃さない。

 

「巨乳も良いが貧乳もまた良し。オッパイに貴賎なし。乳の道は奥が深く、人類皆おっぱいに愛された――」

「下手な時間稼ぎだな」

 

 というか、もっとマシな時間稼ぎの方法をしろと言いたくなりながらも瞬動でコートの人物の前に移動し、ポケットの入れている手を捻り上げる。

 すると、コートの人物の手から何らかの魔術具が零れ落ちたのを掴む。

 

「い、イタタタタタッ!? 暴力反対ネ!」

「人を集団で襲っといてそれを言うのか? しかもこれ、魔力を込めて投げると爆発するやつじゃないか」

 

 検分した魔術具の機能を推測しながら、ここまで自分勝手な論理を展開できるのは逆に凄いと呆れと同時に感心もした。

 

「ああ、もういい。仲間を集めてとっととどっか行け」

 

 肩から力が抜けてしまい、襲われたこともどうでも良くなって投げやりにコートの人物の手を離した。

 魔族たちに放った雷の槍も解き、彼らが自由になっても相応のダメージを負っているので負けはないと冷静に判断した結果であった。

 

「ひぇえええええええええ」

 

 と叫びながらコートの人物が仲間達の下へ向かうのを見届けたが、アスカの中の感覚が戦闘意識を解かせなかった。

 

「なんだ?」

 

 戦闘意識を押し退けるほどに警鐘を鳴らす危機感がこの場から退避することを求めていたが、その具体的な理由が分からず行動に移せない――――――途端、足元の地面が光って周囲百メートルにも及ぶ巨大魔法陣が浮かび上がる。

 

「これは戦術広域魔法陣――っ!?」

 

 地面に浮かぶ魔法陣の紋様からその用途を見抜いたアスカはこちらが本命の罠かと推測した。

 陣の発動前に脱出しようとして賞金稼ぎ達を見ると、彼らも唖然とした目で魔法陣を見下ろしている。罠ではないのかと疑念が一瞬頭を過り、次への行動がコンマ数秒だけ遅れる。その瞬間に魔法陣は発動した。

 

「がぁああああああああああああっ――――!?」

 

 魔法陣の上にいるアスカと黒い猟犬(カニス・ニゲル)の者達の一切の区別なく、効果範囲に含まれる百メートル四方に雷撃の雨が降り荒れる。

 大戦期の骨董品である大軍用魔法地雷はその威力を存分に発揮し、アスカでさえ魔力を防御に回して耐えるのがやっとの雷撃の嵐を生み出し続ける。

 特にダメージを負っている黒い猟犬(カニス・ニゲル)の面々の中には気を失っていた者も多く、アスカのように障壁を張ることも出来なくて雷撃を直に受けていて。後十秒も耐えることは出来ないだろう。

 

「ぐぉおおおおおおおおお!?」

「ああああああああああああ!?」

「づぅううううううううううう!?」

 

 アスカによって特に大きな負傷を負った爬虫類魔族や骨魔族、刺青男も同様だ。このまま雷撃を浴び続ければ如何な魔族と言えども長くはない。

 

「ちぃっ」

 

 特異系統である雷ならばアスカにも多少の操作は出来る。逸らすことは出来ないが、自分に集めることならば。

 

「グガァアアアアアアアアアアアア?!?!」

 

 雷を自分に集めることで黒い猟犬(カニス・ニゲル)の面々への雷撃を減らすことは出来たが、それはアスカへの負担が倍加することを示していた。文字通り骨身にまで染みて来る雷撃に獣の如き叫びを上げる。

 

「ぐっ、な、何故我らを助けようとする? 我らは貴様を襲ったのだぞ」

「か、関係ねぇ。死なれたら目覚めが悪いだけだ。黙って助けられてガアアアアアアアアアアア!?」

 

 狙った賞金首が自らに雷を呼び寄せたことで自分達への負担が減ったことに気付いた刺青男が問うが、答える途中からアスカの声が裏返る。

 

「ぶ、部長! 何故だ! 何故こんなことを!」

 

 刺青男は今回の作戦を指揮する黒い猟犬(カニス・ニゲル)賞金稼ぎ部門の部長へと広域念話をかける。

 雷撃に阻まれて届かない可能性はあったが返答はあった。

 

『作戦の一部に決まっているだろう、ザイツェフ』

 

 雷撃の最中に聞こえ難いが壮年の男の声が広域に響き渡る。

 

『ノアキスの英雄――――数多の賞金稼ぎ結社を返り討ちにした五百万ドルの賞金首。そんな相手に真っ向からぶつかるなどあり得ん。貴様らが勝てるならこんな作戦を使うまでもなかったのだが、第十から二十までの部隊を使って倒せなければ仕方なかろう』

 

 言葉とは裏腹に声に笑みを滲ませながら部長と呼ばれた男は楽し気に語る。

 

『駄目元であったが不思議と使用許可はあっさりと取れた。ふん、天は私に味方したということだ』

「なにを――」

『知っているぞ、ザイツェフ。貴様が私の椅子を狙っていることを』

 

 楽し気な声が一転して刺青男――――ザイツェフを名指しした部長の声が妄執にも似たネットリとした粘着質な声で断じる。

 

『貴様は前年度ナギ杯準優勝というネームを利用して黒い猟犬(カニス・ニゲル)の幹部になるつもりなのだろう。今回のノアキスの英雄を捕れば部長の座が約束されるともな』

「そ、そんなことはない!」

『嘘をつくな! …………貴様らの犠牲は無駄せんよ。これほどの高額賞金首を仕留めれば本部長の座も確実となる。身内を囮にして賞金首を捕まえたところで私の評価は地に落ちるだけだが、それも目撃者がいたならばだ』

 

 抗弁しようとするザイツェフの言葉を遮るように言葉を重ね、この後のことを暗示する。

 

『ザイツェフ、貴様がいけないのだよ。私の椅子を狙ったりするのだから仲間も含めてこのような目に遭う。フフフフ、ハハハハハ…………』

 

 笑い声が響き渡る頃には既に八十秒が経過している。

 アスカも黒い猟犬(カニス・ニゲル)もまだ耐えている。後、二十秒も雷撃に晒されるのは辛いが耐えられないことはない、と思われた。

 

「契約により我に従え高殿の王」

「契約により我に従え奈落の王」

「契約に従い我に従え炎の覇王」

「契約に従い我に従え氷の女王」

 

 戦術広域魔法陣の範囲外から轟く四つの詠唱の声。

 迸る魔力はそれだけ空間を歪めかねない程の高まりを見せ、それが四方を囲んで上がるものだから戦術広域魔法陣の雷撃に晒されていてもアスカと黒い猟犬(カニス・ニゲル)が気づかぬはずがない。

 

「最上位古代語魔法、それも四つを同じ標的に放つだなどと我らをこの世から物理的に抹消する気か!?」

 

 ザイツェフが雷撃に晒されながらも戦慄も露わに叫んだ。

 『雷』の千の雷、『土』の引き裂く大地、『火』の燃える天空、『水』のおわるせかい。上位古代語魔法(ハイ・エンシェント)の中でも四つの属性の最上位に位置する魔法を同じ標的に向かって撃ち放つなど正気の沙汰ではない。

 意識のある黒い猟犬(カニス・ニゲル)のメンバーは少しでも逃げようと防御から意識を移した途端に雷撃に身を焼かれる。

 

「来れ巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆」

「地割れ百重千重となりて走れよ」

「来れ、浄化の炎、燃え盛る大剣」

「来れ、とこしえのやみ、えいえんのひょうが」

 

 雷撃が勢いを増し、地面が割れてマグマが見え、気温が急激に上がって肺が焼かれ、急激に気温が下がって足が地面から動かない。

 身動きは取れず、放たれれば確実に塵もこの世に残らない。凄腕の賞金首達だからこそ容易く想像できてしまい、絶望し諦めこのまま死ぬしかない。雷撃に晒されたままではアスカでさえ、この状況からの脱出の術がない。

 

「百重千重と重なりて走れよ稲妻」

「滾れ、迸れ、赫灼たる亡びの地神」

「ほとばしれよ、ソドムを焼きし火と硫黄。罪ありし者を死の塵に」

「全ての命ある者に等しき死を。其は、安らぎ也」

 

 後は魔法名を唱えるだけ。

 死神の鎌は振り上げられたが、その前に天空より剣が舞い降りた。

 

「「「「「「「「「「っ!?」」」」」」」」」」

 

 最上位古代語魔法四種が死神の鎌であるならば、それは超常の力を無に還す神剣であった。

 舞い降りた大剣はアスカの眼の前に突き刺さり、刃先から地面に伝播するように何かが染み渡って戦術広域魔法陣を打ち消した。後数秒は振り荒れているはずの雷も一瞬で消え去り、まるで幻であったかのように虚空へと溶けて行く。

 ガクリ、と雷撃から解放されて口から煙を吐いたアスカは地に膝をついて大剣に目が釘付けになる。

 

「これはハマノツルギ?」

 

 アスカの心臓が激しく鳴った。既知感を伴った、胸騒ぎというにはあまりにも具体的な安堵感と恐怖と不安とかが入り混じった表現し難い何か。

 雄の生理を揺るがす雌のフェロモンの匂いが鼻を撫でる感触がして、天使が舞い降りるように亜麻色の髪を黒いリボンで纏めた少女が地に降り立った。

 

「明日菜……」

「大丈夫、任せて」

 

 アスカの呼びかけに顔だけを振り返らせて笑みを浮かべた神楽坂明日菜が地に刺さったハマノツルギを抜き放ち、大きく一歩を進み出て振り被った。

 同時に四種の上位古代語魔法が放たれる。

 

「千の雷!」

「引き裂く大地!」

「燃える天空!」

「おわるせかい!」

「――――無極而太極斬」

 

 ざぐんっ、と大きく振るわれた一撃が、なにもかもを真っ二つに切り裂き、切り開いた。

 防御するなど考えるだけでもあり得ぬと分かる四種の上位古代語魔法を苦も無く切り裂いた明日菜は美しかった。亜麻色の長い髪を黒いリボンで束ねた毛先を躍らせ、アスカを呑み込む程の気迫を全身に纏いながら闘う姿は途方もなく美しかった。

 言葉を忘れた。信じられないものを見て、アスカはさっきまでとは別の意味で固まった。

 

「狗神!」

「忍!」

「伸びれ!」

「斬空閃!」

 

 上位古代語魔法を放った魔法使い達がいる場所に聞き覚えのある声が聞こえ、その後に悲鳴等が聞こえたがアスカの耳には入っていなかった。

 

「――!」

 

 明日菜がこちらを見て優しげに微笑んで、花開いた艶やかな美貌を見めてアスカが息を呑む。

 どれくらい、ただ黙って対峙し続けていただろう。お互いに、なにか言わなければと思うのだが、上手く言葉が出てこない。

 

「お前……」

 

 意思の強そうなアスカの蒼の瞳が、明日菜を映して見開かれていた。睨むよう細められた明日菜の目が濡れていた。

 明日菜、ともう一度呼びかけた声が喉に詰まり、大きく目を見張って言葉にならない言葉を呟く。

 アスカの言葉を切っ掛けとして明日菜が動いた。

 足音を響かせて、アスカの近くまで歩み寄ってくる。余計な小細工など要らなかった。ただ真正面から最短距離で接近する。アスカの顔を見ると、決心で固めた心が一瞬にして溶けて感情が溢れそうになった。それを押し留めるように後一歩のところで足を止めて名前を呼んだ。

 

「――――――アスカ」

 

 明日菜の口から自らの名が零れ落ちるように紡がれた。腫れ物に触るような、それでいて退かない強さを宿した声に、アスカの体は我知らずに体が一瞬震えるのが感じ取れた。

 

「どうして…………お前がここに?」

 

 アスカは近づいてきた明日菜に早速質問をぶつけた。

 黒き猟犬(カニス・ニゲル)を相手にしたことも雷撃に耐えたことも、頭から吹き飛んでいた。腹の底から湧き上がってくる感情は、ひどく珍しいことに困惑に近い。

 

「オスティアの港で待ってたら千雨ちゃんと茶々丸にさんに会って、襲われてるって聞いて一緒に急いで来たの」

 

 明日菜はアスカの問いに一瞬の躊躇もなく言い返して、堂々と自分の胸を張った。その動作や言葉の一つ一つで、この少女が神楽坂明日菜に違いないことが嫌というほど思い知らされる。

 

「危ないところだったみたいね。間に合って良かったわ」

 

 真っ直ぐに、まるで人の中心を射抜くような視線でアスカを直視して、にっこりと彼女は微笑んだ。

 

「ああ、本当に助かった」

 

 この少女は全力で真っ直ぐに物を言う。物を言う姿勢に、随分と強くなったものだと色んな意味を込めてアスカは我知らずに力が入っていた眉尻を緩めたから力を抜いた。

 

「ニュース見たわよ。また随分と危ないことしたみたいね。一杯心配したんだから」

「俺だって好きで騒動に巻き込まれているわけじゃない」

「本当にそうかしら」

 

 こうして触れることの出来る所にアスカがいるなんて、明日菜はまだ信じれていなかった。離れ離れになっていた時間が長かったせいで、なかなかその実感が湧いてこなかった。

 胸が怖いぐらいに高鳴っていた。顔が火照って、風の冷たさがまるで分からなかった。

 世界中がこの数メートルに隔離されたような気分だった。高鳴っている心臓の鼓動が聞かれていたとしても、まるで気にならない。

 

「「…………」」

 

 二人の間を沈黙が支配する。

 勿論、明日菜は何度かこの沈黙を打ち破ろうと試みたのだが、しかしその度に喉がつっかえ、勇気が失われて最後には溜息とも咳ともつかない、ただ闇雲に音を発するだけの行為をしては場を誤魔化すばかり。

 胸の鼓動さえ相手に伝わりかねない。只管もどかしいばかりの時間だけが過ぎていく。

 そうしてふと、無理に聞き出そうとしない方がいいのかもしれないと思った。

 ただ、こうして共にいられる時間を大切にしたかった。守りたかったものは、このかけがえのない今。微笑みと優しさに溢れた、この今という大切な時間。

 二人の間に流れている沈黙は、実際の時間にしてみればさほどではないが、それでもとても長く感じられるものだった。

 

「ごめん、迷惑かけた」

「いいわよ。元気な姿が見れたんだから」

 

 かけられた声に明日菜の背筋が矢でも打ち込まれたみたいに伸びた。

 

「でも、残念だったわね。アンタのお父さんの行方を追う旅のはずがこんなことになって」

「親父のことよりもみんなが無事に帰る方が大事なことだよ。生きてれば何度だってやり直しは出来る」

 

 自分達が、どんどん変わっている最中だとしても、これからも変わってしまうのだとしても、どんな結末が待っているのだとしても、それでもこの一瞬だけは、この刹那に込み上がった気持ちだけは忘れるはずもない。

 ここまで積み重ねてきた時間を悔やむことだけは絶対にしないと、明日菜は語ることなく心の中で誓ったのだった。

 

「本当に、明日菜も無事で良かった」

 

 アスカは空を見上げて心底から安心したように言った。それまでのアスカと違う、ひどく切なく――――しかし、ずっと強張っていたものが解けたような素直な声だった。

 切り離したはずの繋がりを紡ぎ合わせられたことに喜びを覚え、胸に絡みつく思い出の重みを何度も反芻する。

 ただアスカがそこにいることが嬉しかった。だから静かに彼の息遣いに耳を澄まし続ける。随分こっ恥ずかしいことを思ってしまった気がして、いまさら顔が熱くなってきた。

 思い出のように閉じ込めるのではなくこんな風に共に生きることが守るということだという教えられた気がした。大事だからこそ一緒に歩まなければならないものがあって、自分にとって目の前にいる彼は、そういうものだと思うのだ。

 見つめていると、先の言葉が恥ずかしくなったのか、アスカはそっぽを向いて顔を掻く。

 そんな癖の一つ一つが愛おしくて――――愛おしい理由に気がついてしまって、好きなのだと、この少年のことを想ってしまっているのだと少し気恥ずかしくなった。

 

「…………イチャついているところ悪いんやけど、ええ加減に周りに目を向けてくれへんか」

「「は?」」

 

 少し低い声の関西弁に促されて二人が素面に戻って周りを見ると、魔法使いらしい黒いローブを纏った者達を足下に転がした犬上小太郎・長瀬楓・桜咲刹那・古菲が呆れも隠さずに直ぐ傍に立っていた。

 

「仲良きことは美しきかな、でござるな」

「む~ん」

 

 一句残す楓はともかく、古菲は少し不満げである。

 視線を少しずらせばオスティアに向かったはずのスプリング号が近くに着陸しており、船から下りて来た木乃香に向かって刹那が向かっているところだった。

 アスカが視線を向けていると、船から出て来た木乃香が手を振って来たのでなんとなく振り返す。

 木乃香はそのまま黒い猟犬(カニス・ニゲル)の治療を開始する。

 

「あ、えと、こんなことを仕出かしたあの部長とかいう奴は」

「ここにいるぞ」

 

 珍しいことに赤面したアスカが話の矛先を逸らそうと今回のことを仕組んだとザイツェフが言っていた部長のことを出すが、当の本人はザイツェフにふん縛られて地面に転がされていた。

 

「こちらの不手際に関して誠に申し訳ない」

 

 これはかなり意識が長いこと外側に向いていなかったのだと思い知らされてまたアスカの頬に朱が散る。

 努めて平静を装いながら軽く頭を下げたザイツェフとの会話に集中する。

 

「こっちは賞金首、そっちは賞金稼ぎ。不手際だろうが何も言うことはねぇ。そいつには思うところは山ほどあるが、落とし前はそっちでつけるんだろ」

「勿論」

 

 と、ザイツェフは魔法のロープで縛られて呻く部長の頭を踏みながら力強く頷く。

 

「周りから冷酷非情と言われようとも仲間殺しは最大の禁忌。未遂に終わったとはいえ、報いは受けて貰わなければならない」

 

 そこまで言ってザイツェフは表情を緩めた。

 

「お嬢さんやそちらの仲間方に我らは救われた。君達に深く感謝する。我ら黒い猟犬(カニス・ニゲル)一同、命を救われた恩義は決して忘れない」

 

 骨魔族や爬虫類魔族、他の賞金稼ぎ達も揃って頷いた。コートの人物は少し怪しい。

 

「流石は五百万ドルの賞金首と言ったところか。手も足も出なかった」

「そうそう、名に相応しい実力の持ち主であると実感させられたよ。あ、僕はモルボルグラン。よろしくね」

「…………いいおっぱいがこんなに一杯なのに手が出せないネ。ちくしょう」

「おい、パイオ・ツウ。変なことは言うな」

 

 爬虫類魔族が出来ればもう戦いたくはないと肩を竦め、骨魔族改めモルボルグランが長い手を振る。ニョロニョロと指を動かしているコートの人物改めパイオ・ツウの背をザイツェフが叩いた。

 魔族二人掛かりでパイオ・ツウを下がらせたザイツェフは、コートのポケットに手を入れてアスカに向かって少し端が焦げている名刺を差し出す。

 

「何かあれば、ここに連絡してくれれば大国だって戦おう」

「いや、そんなことする気はねぇし」

「我らも流石にそれは困る。それぐらいの感謝と気持ちはあるということだ」

 

 手を伸ばして来たので、それが握手を求めているのだと分かり、アスカも手を伸ばしてグッと二人の手が交わる。

 

「英雄の名に偽りはなかった。君達のこれからに私も期待しよう」

 

 少し重い期待を背に背負いながら、先程まで敵であった者でさえ手を繋げるのならば、この世界は案外捨てたものではないとアスカには思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 木の葉が千切れて風に舞う。淡い灰色をした雲の群れが、とんでもない速さで空を流れてゆく。命あるものは死んだように沈黙し、命のないものが踊るように暴れ狂う。そんな矛盾に満ちた世界がそこにあった。

 人里離れた森に囲まれた一件の寂れたお屋敷。

 森の中に目立たずにひっそりと佇んでいた。見るからに古さを感じさせる壁の色は、あちこちに見える苔と黴とも混ざり合ったくすんだ緑である。使わなくなって久しいのかボロボロだが最低限の機能だけは残っているようだ。

 陰鬱に沈むくらい木々の合間にある屋敷の二箇所ある出入り口の内、正面玄関に中から黒いスーツを着た壮年の男が現われて、とうに枯れ落ちた朽ち葉を踏み締めて土に還しながら見張りをしていたローブを目深に被った男に問いかけた。

 

「どうだ様子は」

「はっ、今のところは異常ありません」 

 

 予定調和の問いかけに返ってきた言葉もまた、何かあれば流石に気づくから予定調和に過ぎない。

 

「ローウェン隊長、ちょっとよろしいでしょうか」 

「なんだ?」

 

 ローブを目深に被った男と共に玄関側の見張りをしていた体の要所要所に鎧を纏った軽装の男が壮年の男―――――この部隊の指揮官であるローウェンに訊ねた。

 男の顔つきは精悍であり、体格も良い。実際の年齢はさほど高くはないのだろうが、見かけはそれより老けて見える。実年齢で三十を少し回ったぐらいだが、見かけでは四十過ぎに見えなくもない。精悍な顔つきに伸びる無精髭が印象を加速させている要因の一つか。

 

「本当に攻めてくる敵はいるんですか? とても信じられないのですが」

 

 鎧という格好とは反対にぼさぼさの黒髪に隠れるようにして眠たげな眼差しを覗かせる男の、ぼそりとした声で呟く言葉にローブの男も同じ気持ちなのか、視線だけは絶え間なく辺りを見ながらも意識はローウェンの方へ向いていた。

 ローウェンもまた二人の疑問は最もであると理解できた。

 彼らがこうやって警備しているのも、この屋敷の主を護るため。侵入者を発見次第殺せと命令されているのだ。この周囲だけでも二桁の人員が配備され、内部にもかなりの人数がいる。それこそ突破するには二十年前の英雄『紅き翼』や軍隊でも持ってこない限り不可能だと、彼らは言いたいのだ。

 

「俺も来るとは信じ難いな。だが、既に似たような状況で被害が出ていると聞く」

「それでは………あの噂は」

「事実だ」

 

 メガロメセンブリアの一部だけに回っていた、現役の元老院議員と引退した元老院議員に襲撃をかけている者がいるという局所的な噂。

 それらの者達が二十年前の大戦後、あの「災厄の女王(アリカ・アナルキア・エンテオフュシア)」を逮捕した当時の元老院議員だったこともあって、周囲の者達は彼女の呪いなんていう者までいた。

 

「おい……」

 

 ローウェンが不意に厳つい表情の中にある鋭い目を更に尖らせ、傍目にも分かるほど体に緊張感を漲らせて鎧男に訊ねた。

 

「はい? どうしました?」

 

 落ち着かないのか、腰にかけてある鞘に入った剣に無骨な手が柄に触れながらの鎧男からしてみれば突然の問いかけに困惑し、何か粗相をしてしまったのかと思ってビビリながら返した。

 

「……………もう一人はどこに行った?」

「は、なんのこと」

 

 でしょうか、と問いかけかけて気付いた。

 鎧男同様に正面玄関に配置されていたはずのローブの男の姿が何時の間にかなくなっていたことに気付いたからだ。間違いなくさっきまでいたはず。

 ローウェンが見回りに来た時に姿を見て返事もした。その後、ローウェンが鎧男と話をしている間に魔法で辺りを精査していたはずで、数分も目を離していなかった。

 

「警報を鳴らせ、早く!」

 

 ローウェンに命じられ、鎧の男が懐に入れていた魔法具を慌てて取り出す。

 侵入者を探知した時や視認した時に直ぐに全員に伝えられるように爆音を鳴らすだけの至極簡単な魔法具が配られていた。

 辺りを見渡してもローブの男の姿はどこにもない。自分でどこかに行ったとしたら足跡ぐらい残っているはずだがそれもない。

 周囲は屋敷の外壁と森林だけだが、侵入者とローブの男の二人を隠せるほどのスペースは無い。

 ローウェンは既に腰を落として何時敵が現われても対処できるように戦闘態勢になって周囲を警戒しており、慌てて魔法具を取り出している鎧の男と比べれば段違いの胆力といえた。

  

「おい、鳴らすのに何時まで時間をかけて……!」

 

 流石に慌てるにしてもたかだが魔法具を取り出して鳴らすだけに時間をかけるのかとローウェンが振り返ったその瞬間だった。

 ぞわり、と背筋に悪寒が走るのを感じて咄嗟に後方に跳び退った。

 

「!」

 

 着地したローウェンの鍛え上げた動体視力の端に影が映った。物体を認識する前に視界の埒外に入ってしまったことで対象を把握できない。消えた方向に目を移しても次は捉えることすら出来ない。

 先程までいた場所に鎧の男が崩れ落ちているのが一瞬だけ見えた。外傷などで出血している様子は無く、傍目には怪我はしていないように見えた。一撃で意識を落とされ、そのまま意識を失って倒れたような感じ。

 ローウェンは自分が紅き翼の面々と比べるほどにもならないほど弱いことは自覚しているが、それでもこの魔法世界の裏社会を生き抜き、とある要人の警護部隊の隊長を任せられている以上はそれなりの実力があると過信ではなく事実として自負している。

 ローウェンが鎧の男を視界から外した時間はほんの数秒に過ぎない。その間に一切の気配を断ち、音も立てずにやってのけている。並み以上の者であっても同様のことをすれば絶対に気づける自信があったはずなのだ。

 

「どこだ、どこにいる」

 

 ローウェンは絶えず周囲を警戒しながら頭をフル回転させて自分が何をすべきかを考えた。

 間違いなく相手は自分よりも手練。取るべき行動は、闘うか、逃げるか、それともと手段を模索する。

 集中力によって極限まで加速された思考が答えに思い至るまで一秒も掛かっていないだろう。

 ローウェンは選択を、敵の侵入を他の仲間に知らせるために手を懐に入れて魔法具を探った。彼の選択は真っ当に正しく―――――だが、それ故に襲って来た相手が悪すぎた。

 焦らず、慌てず、早く、静かに魔法具発動のボタンに手をかけたローウェンの耳に、

 

「初めまして、そしてさよならです」

 

 耳の中にどこかで聞き覚えのある声が入ってきた瞬間、首の後ろに衝撃が来て意識が遠のいていく。

 最後の抵抗を試みて魔法具を動かそうとして、再度の衝撃を感じて今度こそ完全に意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灯火の揺れる音や、壁から埃が落ちる音。耳を澄ましたとしても、聞こえるか聞こえないかあやふやな音。それらに囲まれて、男は待っていた。

 蝋燭一つしか明かりのない部屋の中は、まるで影の住人が犇いているかのように、暗く狭く感じる。実際には、部屋には十分な広さがあった。

 豪奢に飾り立てられた広大な部屋である。広大な空間を埋め尽くすのは豪華な調度品達だ。

 床には複雑な模様の描かれた毛皮の長い絨毯が敷き詰められ、魔物の皮の敷物なども置かれてあった。壁には著名な絵画が所狭しと並べられ、部屋に置かれた無数の調度品はどれもが世界的に有名なブランドの最高級品だ。極めつけは、煌めくような輝き達。金や銀、各種宝石をふんだんに使った世界に二つとない贅をこらした飾りが部屋中に施され、それらが放つ眩い輝きが部屋の中をより華やかに彩っているのであった。

 ただ、それらが豪華絢爛で珠玉の極みであることは間違いない。たが、あまりに大量に、無節操に集めたてられたそれらはかえって主張が強すぎて、ただの成金趣味のようにしか見えなかった。

 ここには全ての物が自己の血統を訴え、頑なに変化を拒む息苦しさがある。よそ者を寄せ付けない空気を放っているように思えた。

 部屋の中心にいるのは、中年太りの男がお世辞にも格好のよくない体躯をつまらなそうに突き出しているゴッコモド・ダールスト。メガロメセンブリの上院に名を連ねる議員の一人。

 これまた豪奢な椅子に座っていた。背もたれの高さがダールストの倍くらいはあった。見るからに高価な椅子で、骨組み部分には金銀財宝が惜しげもなく使われている。この部屋に相応しい椅子である。

 椅子に深く腰掛けたダールストはスーツを着ているが、ネクタイをかなり緩めて身軽にしていた。

 時を刻む何か―――――ただし時計はここにない―――――に意識を傾け、仮眠しながらそれに聞き入る。世界が始まって以来、時が止まったことはあるのだろうか。止まったとしても誰も気づけないのだから、何度かそういうことがあったのだとしても否定は出来ない。

 広い部屋ではあるが、こうも人数を揃えて侵入者に神経過敏になっていては息苦しくも感じる。軍人ではなく一介の政治屋でしかないゴッコモドには馴染んで心安らげる空気ではない。

 部屋には他にも何人かおり、その身のこなしには訓練を受けた兵士のようなものを連想させた。

 ダールストは傍らのテーブルに置かれたシャンパングラスを手に取り、中の深紅色の液体を一気に嚥下した。

 

「クルトの奴、こんなところに押し込めやがって。さっさと議員襲撃の犯人を捕まえられないのか」

 

 苛立ちを紛らわすようにテーブルに置かれた高そうなボトルを自ら手に取り、グラスに中身を注ぐ。

 落ち着きのない動作であったので手元がブレてワインをテーブルに零してしまった。

 

「ちっ、くそっ。おい! 拭いておけ」

 

 部屋で周囲を警戒していた一人に機嫌も悪く怒鳴りつける。

 男達は誰が見ても分かるほどに屈強で戦士系の者が多い。中にはひょろい者もいるがローブを纏っていることから魔法使いなのだろう。男達に灯る眼光は罵倒されようとも平静そのもので、御小言に付き合って見せるのも仕事の内という顔を押し隠している。

 

「了解です、ボス」

 

 ダールストに命じられた、明らかに執事などといった職には縁遠い汗臭い骨太い男は、内心はともかくとして表向きは嫌な顔一つせずに零れたワインを拭き取る。ハンカチなどという気の利く物を武辺者が持っているはずもないので服の裾で拭った。

 ダールストに見られれば激怒しそうだが、本人がワインを飲んで目を逸らしている間に拭き取ってしまったので問題ない。

 ちなみにダールストが飲んでいるワインは、下手すれば一般階級が男性の一年分の年収に値する値段である。プロであっても、武辺者は酒が好きと相場が決まっている。水を飲むように頓着せず煽る主人に悟られぬように羨ましがる者達は多い。

 

「少しは落ち着いたらどうだ、息子よ」

 

 落ち着きないゴッコモドを諌める声が薄暗い部屋の中に響く。

 声の主は壁に近い安楽椅子に座った老境の男であった。ゴッコモドと違って線はかなり細く、下手をすればミイラが辛うじて人の形を保っているような薄気味悪さを感じさせる。

 この男こそゴッコモドの父にして、嘗ては元老院で辣腕を振るった前議員である。

 今は政界を追われ、こんな辺鄙な地で老後を送っているが、その眼はとても侘しい老人のモノではなく、感情を感じさせない老獪さだけが鈍く輝いている。

 

「しかし、父上よ」

「私は、落ち着けと言ったぞ」

「ぐっ……」

 

 不詳の息子でしかないゴッコモドは老い先短いはずの父の決して強く言われたわけではない言葉に喉の奥を詰まらせたような唸りを漏らした。屈強な男で構成された護衛の者達もまた老人から放たれる異様なほどの威圧感に呑まれたようにゴクリと唾を呑み込む。

 父の威圧に長年晒されて来たゴッコモドの回復力は早く、口答えをするように拗ねた眼差しで睨む。

 

「ぜ、全部父上が悪いんだ。父上が災厄の魔女を陥れたりしなければ」

「まさかお前まで呪いだと信じているのか?」

 

 息子の言を呆れたように見下しながら、地に着いている杖を一度上げて下ろしカツンと高く鳴らす。

 

「下らない。ああ、本当に下らない」

 

 やはり貴様は不詳の息子だ、と物憂げに語ると、ゴッコモドの背後に立っていた男が拳を振り下ろした。

 

「うぐっ」

 

 後頭部を打たれたゴッコモドの首がガクリと傾き、意識を落とした。

 

「事態が収まるまで寝かしておけ。五月蠅くて適わん」

 

 意識を失って椅子にダラリと身を沈めている息子を一瞥し、どこで育て方を間違えたかと何度も思ったことを繰り返す。

 

「情報を挙げろ。外からの報告が止まっている」

 

 本当の雇い主として部下に命令を下そうとした、その時、室内を冷たい風が流れた。

 

「もう外に貴方の部下はいませんよ」

「っ!?」

 

 声は唐突にした。いきなり聞こえた声に、ダールストと彼の部下たちが、同時に同じ方向を見る。だが、声が聞こえたと思えた場所には誰の姿もない。否、正確にはそこには護衛の一人が倒れていた。

 

「誰だっ!?」

 

 護衛の一人が、鋭く叫ぶように聞く。部下たちも油断なく辺りを見回した。誰もいない――――誰もいないが。

 いる(・・)ということは分かる。先程まで、人の気配などしなかったというのに、その声の気配は、肌にひりひりと感じるほどに、その場に満ちていた。

 突然、室内に轟音が響く。視界を音の方に向けると、入り口の扉が吹き飛び、壁に突き刺さっていた。もうもうと煙が上がっている。その煙の中から、ダールストが雇った傭兵が部屋の中に飛び込んできた。いや、正確には部屋の中に吹き飛ばされてきた。

 男は室内を転がり、高そうなカーペットの上に手をついてなんとか体を起こそうとする。そして、自分が吹き飛ばされた方向を強い瞳で睨み付けた。

 煙がまだ晴れない入り口から、風のように一つの人影が現れた。

 闇に溶け込むような真っ黒なローブを纏い、体のラインも分からず体のサイズから長身であることは間違いない。

 ローブの人物はそのまま倒れている男の前に進み、足で蹴り飛ばした。出て来たその足は黒いローブとは真逆の白いスーツのズボンを履いている。

 

「ぐぅっ」

 

 背中から壁に激突して息が漏れるような悲鳴が上がり、部屋に吹き飛んできた男はゴッコモドにぶち当たって意識を失って床に崩れ落ちる。逆にゴッコモドが苦痛の呻きを上げながら目を覚ました。

 

「役者二人が揃っているようで何よりです!」

 

 と、室内にまるで最初からそこにいたかのように透き通った男の声が響き、語尾を強く言い切った直後に白刃が煌いて、部屋の中にいた護衛達が次々と倒れた。

 ゴッコモドが目を覚まして最初に見たのは、室内に入って来た黒いローブを纏った男がそのフードを取ったその姿だった。

 

「貴様は、クルト・ゲーデル!?」

 

 ゴッコモドが目を覚まして現状を認識するまでに、部屋の中は散らかり護衛の者達がもみくちゃにされてあちこちに倒れている。その中央で王のようにクルト・ゲーデルが立っていた。

 

「ま、まさか貴様が議員襲撃の犯人か!?」

「そうだ、と言ったのならばどうすると言うのです」

「貴様、こんなことをしてただで済むと思うなよ!」

 

 ゴッコモドは引きつった笑みを顔に貼り付けながら、殆ど裏返った声を張り上げた。

 恐怖からか、多少錯乱しているようにも見え、座った椅子から微動だにしていない父の後ろに逃げようと、ジリジリと逃げながら叫び続けているゴッコモドは多少哀れさえ誘う小物ぶりだった。

 傍目にも分かるほどに見下しの視線を向けたクルトが一瞬でゴッコモドに近寄って蹴り上げた。

 

「がひいぃっ!」

 

 見苦しく情けない叫び声を上げたゴッコモドの丸い体が、空中で一回転して仰向けに地面に落ちた。

 

「こ、殺さないでくれ」

「別に殺しはしませんよ」

 

 痛みと怒りと恐怖で悲鳴を懇願するゴッコモドにクルトは軽くそう言いながら、ぐい、と手首を捻り上げた。

 片手でゴッコモドの豚のような巨体が軽々と持ち上げられ、吊り上げられる。表情を引き攣らせ、恐怖の浮かんだ眼差しでクルトを見下ろす。

 

「安心して下さい。まだ殺す気はありません」

 

 クルトは若干言葉を変えてそう繰り返して、くすっと妖艶に笑った。ただ笑うという動作だけで人はここまで妖艶に成れるものなのか、クルトには人成らざる魔性が取り憑いる錯覚をゴッコモドに覚えさせた。

 恐怖から漏らし始めた息子を見た父は、クルト入室からピクリとも動かさない眉の下にある頑迷な目を向け続けている。

 

「我がダールスト家にこのような狼藉を為すということは、十分な準備が出来たということか」

 

 ゴッコモドが口惜しげに繰り返し呪詛のような呻き声を繰り返しながら手を振り解こうとしても、まったく歯が立たないのを見ながら他人事のように父が言った。

 

「おや、貴方は私が議員襲撃の犯人であることに驚かないのですね」

「他の議員を襲った手際の良さとこの襲撃のタイミング、なによりも息子をここに送り込んだことを考えれば自ずと予想はつく」

 

 カッカッカッ、と骸骨が笑っているような不気味が笑い声を発した前議員は眼光鋭くクルトを見る。

 

「何時かは動くと思っておったが、また随分と性急に動きおったな」

「これも貴方の薫陶があればこそですよ」

「若造が師に牙を剥くか」

「必然ですよ。老いたリーダーを越えなければ新たなリーダーにはなれませんから」

 

 恐怖で大きな声は出ていないものの、父の諦観だけはゴッコモドにも伝わってきた。

 ゴッコモドには分からない。クルトが言っていることも、父の諦観も。

 

「実を言えば、これほど早く行動に移す気はまだなかったのですがね」

「当てて見せよう。英雄の…………いや、災厄の女王の遺児が世間に出て来たことが大きな要因だろう」

「その通りです。何事にも予定通りとまではいかないものですが、この場合は良い意味で事態は進んでくれました」

「父と同じく英雄の道を進んでいる。世界を率いるに相応しい器か、私には分不相応だと思うがね」

 

 クルトにも父にも、この事態になってしまった状況を別に気にした風もでもなく、平気な顔で言葉を交わす。

 

「彼自身が何かをする必要はありません。御輿は、御輿たるに相応しい条件さえ整っていれば案山子でも構いませんから」

 

 それを聞いた父は何がおかしいのか、クツクツと笑い始めた。

 

「貴様に何かを教えた覚えはないが、成程こうも似るとは。つくづく貴様とソレが逆であったならばと悔やんだことだが」

「元より懇切丁寧に教えて貰わなくとも大体のことは見ていれば分かります。良き教師とさせて頂きましたよ」

「金を払えと言いたいところだが、まあいい」

 

 ゴッコモドには分からぬ理由で一頻り笑った父は覚悟したように背筋を伸ばす。

 

「十分な準備をしてここに乗り込んできたからには、ただ二十年分の恨みを叩きつけに来たわけではあるまい。わざわざ我ら親子を一つに纏めた理由はなんだ?」

 

 問われたクルドはにこやかに笑う。残酷、容赦なく、どこまでも冷酷な、悪寒を感じさせる笑みを。

 

「ひぃっ!」

 

 未だに腕を捻り上げたままのゴッコモドはその笑みがあまりにも恐ろしくて、また悲鳴を上げて体を震わせて抵抗を試みた。

 ジタバタと暴れられて邪魔になったのか、クルトはゴッコモドを壁に叩きつけた。

 ガゴン、ズシン、と壁にぶち当たり床に落ちて大きな音を立てながら「うぐぉおおお」と苦痛にのたうち回る。

 醜いブタが泣いているのを一顧だにもしないクルトが、ゴッコモドを持っていた手をコートで拭い、髪型を整えるように両手で髪を掻き上げた。

 

「二十年前にアリカ女王の真実、六年前のウェールズの片田舎が襲われた真相、その全てを相応しき場で世界に公表します」

「ま―――――待て!? そんなことをすれば元老院は」

「良くて解散、悪くて組織解体の上で関わった者は極刑といったところでしょうか」

 

 ゴッコモドが慌てて叫んだがクルトの未来展望が見せる、脅しにしては目が本気で堂の入りすぎた内容を止めずにはいられなかった。

 既にゴッコモドは詰んだ状態にあり、クルトと駆け引きが出来る状況でもないと分かっていない。

 

「貴方達はその末路を見ることは決してありませんよ」

 

 クルトは、童子のようににっこりとした。それが先程の、こちらの背を怖気が走るほどの狂笑を浮かべた者と同一の者とは信じられない。

 

「二十年前にアリカ女王にかけられた父王殺し及び完全なる世界との関与の疑い、更にオスティア周辺の状況報告について虚偽改竄の疑いまでかけて、世界を救った女王に全ての負債を押し付けたその罪。貴方達が百度生まれ変わろうとも贖い切れるものではない」

 

 二十年の間に降り積もった感情を表情に張り付けて、「それだけではない」とクルトが鬼面の如き笑みを浮かべる。

 

「収賄、公文書偽造、虚偽告訴、職権濫用、亜人売買、軍に勝手な命令を発行したこと、その他諸々と数え上げれば切りがない。そうそう、最近ので言えば、オスティア総督府にある情報を勝手に賞金稼ぎ結社に流したというのもありましたね。更に総督府を通さずに大戦の骨董品の使用許可と、またまた罪状が増えました。貴方達の全ての罪を公表すれば、一度や二度の処刑ではとても足りないぐらいです」

 

 パチパチ、と手を叩くクルトの言う意味が浸透するに連れてゴッコモドの顔色が赤から青に変わる。

 その末路が簡単に想像が出来て、太って血圧の高いゴッコモドの顔からこれでもかと血が更に落ちる。

 

「二十年前の真実が公表されればアリカ女王の名誉は回復され、陥れた者達の名声は地に落ちる。おお、世界を救った者がこれ以上ないほどの汚名を着せられたことを知った世の者達は何を想うか」

 

 自分達が追い込んだことに対する罪悪感か。

 人は弱く多数に流され、逆に言えば操作しやすいことは二十年前に彼らが証明している。

 

「私ならばこう言うでしょう。『奴らにアリカ様が受けた処刑方法を受けさせろ』と」

 

 戦後の悪を押し付けられた災厄の女王は、古き残虐な処刑法である魔獣蠢くケルベラス渓谷に落とされたとされている。

 魔法を一切使えぬその谷底で、幾百の肉片となって魔獣の腹に収まる。例え吸血鬼の真祖であろうと復活が不可能な残虐すぎる処刑方法を自分達がされるのかと、ゴッコモドはクルトに問いかけた。

 

「因果応報、貴方が今までしてきたことに比べれば軽すぎる罰ですよ」

 

 クルトは否定はしなかった。

 ゴッコモドは連合駐留軍を使って部族対立を煽り、資源の搾取に亜人売買にまで手を染めているとの黒い噂もある。その全ての罪が明らかになれば、生きながらに魔獣に貪り食われたとしても軽すぎる罰だとクルトは断じた。

 

「好きにするがいい。事ここに至って、貴様に逆らったところで意味はない」

「父上……!」

 

 父の言葉に、ゴッコモドはかっと激高して叫んだ。

 そんな息子を見て、父は諦めたように溜息を吐いた。

 

「物分かりの悪い。ここまで準備を整えている以上、証拠は万全であろう。我らに勝機など欠片もないと分からんか」

 

 順風満帆。それがゴッコモド・ダールストの人生を示す言葉だった。

 メガロメセンブリアの裕福な家庭に生まれ、何不自由ない暮らしを送り、高い教養を身につけ、元老院議員だった親の跡を継ぐように彼もまたなんの疑いもなく議員となった。

 誰もが脳裏に描くエリートの人生を歩んできた。今まで一度も失敗して来なかったし、これからも成功以外の道は歩まない。一点の曇りも無くそう信じてきた。誰にも話していないが、いずれは元老院のトップとしてメガロメセンブリアの全てを、行く行くは魔法世界全てを掌握することも難しくないと思っている。

 そんな彼は夢にも思わなかった。その末路が父の価値を否定され、その命が無惨に奪われるなどと。

 

「最後まで貴様は出来損ないであったよ」

 

 と、息子の価値を切り捨てて座ったままクルトを見上げる。

 

「………………」

 

 そうしてゴッコモドの心は簡単に折れた。

 仮にも国のトップである議員の一人がたったこれだけで崖っぷちに追い詰められたのだ。

 

「最後に一つだけ、君に忠告を残そう」

 

 前議員は息子を一顧だにせず、政治屋としての気質を図らずとも受け継いだ息子とでも呼ぶべきクルト・ゲーデルを見据える。

 

「事態は君の思う通りに進むとは思わないことだ。私のように予想もつかないところで足を掬われることもある」

 

 息子の不始末で政界を追われ、取り込んだ獣に手を噛まれた自らのようになると、まるで未来を見透かしたかのように二十年から何も変わらない冷徹な眼差しにクルトの背を冷や汗が流れて行った。

 

「私は貴方のようにはなりませんよ」

 

 そう自分に言い聞かせるように言いつつもクルトの中から不安は消えなかった。

 

 

 

 

 




ちょっと甘酸っぱい感じと、クルト君の復讐劇的な感じです



オスティア終戦記念祭、その式典に集まった帝国・連合という二大強大国。
ノアキスの件で両国と会談を持つことになったアスカはアリアドネ―のセラス総長と共に出席する。
出席者は少ない。
帝国からはテオドラ第三皇女、連合からはリカード主席外交官、そしてアリアドネ―からはセラス総長。
錚々たる面々の中で会談が始まる。だが、中身はノアキスのことではなく、もっと差し迫ったもので。
明かされる世界の秘密に対してアスカは……。



次回『第71話 世界の真実』




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