魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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超独自設定の嵐です。




第71話 世界の真実 前編

 

 

 

 

 

 しっかりと掃除の行き届いた執務室で、口元と顎に蓄えた鬚を年月を経た鋼の色に染まった一人の男が椅子にゆったりと腰掛けている。

 また見た目では分からないが、壁には厚い装甲材が埋め込まれ、背後の窓には戦艦にも使われている強化ガラスが使用されている。国の中でもかなり上部のセキュリティ措置が施されたその部屋は主の位階の高さを物語っていた。

 男の目の前には机があり、その上には一台のモニターが置かれている。

 モニターには先程から莫大な量の情報が表示されていた。男の視線はモニターに向けられている。眼球がモニターに映し出されている情報に合わせてせわしなく動く。凄まじい速さで、凄まじいの量の情報を追っている。

 秘書官がノックをして返事が返って来ないことに訝しげな気持ちになって、おそるおそる部屋に入ってきても厳格な表情は一切動かなかった。

 

「ナマンダル中将……」

 

 秘書が男の名――――――帝国軍の高級幕僚の一席を担う中将ナマンダル・オルダートを呼んでも、その表情は変わらない。長年、ナマンダル中将の文官として勤めてきた秘書官ですら見たことがない厳しい表情だった。

 

「アリカ王女の子供、か」

 

 その言葉は、あまりにも小さく殆ど彼の口の中で消えてしまった。

 

「あの、何か仰りましたか?」

 

 ナマンダル中将が厳しい表情をしているのはモニターに原因があると悟り、刺激しないようにおずおずと執務室に入ってきた秘書が不審そうな顔を向ける。

 

「なんでもない。独り言だ」

「そうですか」

 

 鋭い両目に射竦められた秘書官にそれ以上の問いが続けられるはずがない。

 

「この後はテオドラ殿下がお見えになる。急ぎの用事でなければ下がっていてくれ」

 

 テオドラ第三皇女との面会を遮るほどの案件ではない。

 可及的速やかにナマンダル中将が処理しなければならないものではないので手元の案件は後回しにしても良し、と動揺している秘書官は自らを納得させた。

 

「はっ、では失礼します。何が御用がありましたら御呼び下さい」

 

 秘書は敬礼して答え、まだ納得しきった顔ではないが、中将ほどの相手に些細なことで追求するわけにもいかないので大人しく執務室を出た。

 秘書官が出て行った執務室の中に一人残ったナマンダル中将は口元を隠すように机に肘を付いて組んでいた腕を下ろした。

 

「ノアキス事変での精霊王召喚…………英雄と災厄の女王の子の出現と続いて、戦後二十年の節目にこうも変事が起きるとは」

 

 まるで前大戦が起きる前の時のようだと、まだ佐官であった当時の自分の心境を思い出そうとしても、出世欲に取り憑かれて軍内の競争をしていたことしか記憶に残っていない。

 

「老いたか、私も」

 

 過去を想うのはそれだけ年を取った証拠だと、二十年前とは違って真っ白になった髭を撫でながら自嘲する。

 

「ほう、鉄のナマンダルとまで呼ばれた男が弱音か」

 

 聞こえて来た声にナマンダルの眉がピクリと動き、モニターに向けていた視線を入り口に映すとドアが半分開いて女性が顔を覗かせている。

 

「部屋に入る時はノックぐらいはしてほしいものですな、テオドラ様」

「したとも。聞こえていなかっただけであろう」

 

 ドアを半分開けて顔を覗かせている女性――――ヘラス帝国第三皇女テオドラに苦言を呈すも、当の本人は皇女らしからぬ笑みを浮かべて体を室内に滑り込ませる。その後に続く者がいないのでナマンダルは眉を内側に寄せた。

 

「従者がいないようですが、まさかお一人でここまで?」

「そこで下がらせただけだ。中将とは内密な話をする故、とな」

 

 どんな時でも最低でも一人は従者が着いているはずなのに一人で室内に入って来たテオドラに返答に、ナマンダルは大きく溜息を吐いた。

 

「あの者達は姫様の護衛も兼ねているのです。幾らここが王城とはいえ、危険ですぞ」

「ああ~、小言は聞きたくない」

「いいえ、陛下より姫様の世話係を任された以上、何度でも言わせていただきます。幾ら人間換算では十代とはいえ、姫様も既に三十路。落ち着いてもらわなければ――」

 

 耳を塞いでイヤイヤと首を横に振るテオドラに、第三とはいえ皇女に小言を言える立場の者は少ないので、この機会もあってクドクドと言い聞かせる。

 

「ええい、小言は聞き飽きたと言っておろうが! そんなことを聞きに来たのではないぞ!?」

 

 最初は大人しく聞いていたテオドラも我慢ならぬと爆発する。

 

「失礼しました。どうにも年を取ると説教臭くなるものでして。して、用件はなんでしょうか?」

 

 会う度に小言を言ってはいるが、今回はテオドラ側からのアポイントメントを取ってのものなのでナマンダルは用向きを聞いていない。

 

「妾は第三皇女で結構偉いはずなんじゃがな……」

 

 どうにも扱いが微妙な気がすると頭を捻ったテオドラであったが、用向きを優先させることにしたようで「ノアキスのことが聞きたいのじゃ」と、ナマンダルの執務机の前の対面ソファーの片方に些か行儀悪く座る。

 世話係としては物申したくなること甚だしいが、ここは我慢と話題の転換に乗る。

 

「報告書ならば王政府に提出していますが」

「あんな堅苦しい文面で何が分かろうか」

 

 事件の規模が規模であったので重要書類に類する報告書の文面は確かに固いのだが、仮にも偉い人のトップである王族に文句を言われては書いた本人であるナマンダルとしては面白くない。

 ナマンダルの眉が僅かに中央に寄ったのを不機嫌の証拠と感じ取ったテオドラは手を顔の前で何度も振る。

 

「直接関わった本人から話を聞いた方が報告書よりも分かり易いと思い、ここに来たわけじゃ。決して報告書を否定するわけではないぞ?」

 

 否定しつつも目が若干泳いでいるので言い訳であろうと察しつつも、役所仕事の文面はどうしても分かり易さ重視では書かれないのでナマンダルもテオドラが面倒臭いと断じた理由も理解できる。

 しかし、王族が親しき者の前であろうともそれを口に出して言うのはよろしくないと、ナマンダルが口に出そうとしたのを雰囲気から感じ取ったテオドラが表情を変えた。

 

「中立交易都市で人間がクーデター、それも亜人差別主義者となれば無視できん」

 

 旗色悪しと見て、皇女モードになったテオドラが先程までの醜態を掻き消すように強引に話題転換を図る。

 

「都市に派遣していた調査員より異変の報告が上がって、ノアキスにお主を派遣したのは妾じゃからな。関わった以上、事態を細部に至るまで知っておきたいのじゃ」

 

 クーデターの情報は王政府に上げられ、極秘裏に調査が進められていた。

 テオドラの要請を受けたナマンダルがノアキスに調査員を派遣し、クーデターの可能性高しと判断して万が一を想定して軍の準備を進めていた中で事件は起きた。

 

「これもナマンダルが艦に乗せてさえくれれば、こんな手間はいらなかったのじゃがな」

「姫様をクーデターが起きている危険な場所に同行させられるわけがありません」

 

 本来ならばナマンダルほどの将官が現場に出たのは事態を重く見たのもあるし、ナマンダルが出なければテオドラがノアキスに行くのを止められなかった。

 

「妾も精霊王を見てみたかったのに」

 

 短い皇女モードは終わり、不満そうにぶーたれるテオドラに対してナマンダルは渋面である。

 

「あれは天変地異や災害と何も変わりはありません。今回は我々に実害はありませんでしたが出会わなければ良い類いのものです。滅多なことは口にしてはなりません」

「分かっておる。興味本位で言ったまでだ。本気にするでない」

 

 それはそれで性質が悪いと口に仕掛けたナマンダルも、既に何度も似たようなやり取りを繰り返しているので疲れたように溜息を漏らすに留めた。

 

「さて、本題だが」

 

 立ち上がったテオドラは二十年前から変わらないやんちゃ娘な面を表に出して執務机の前に移動し、手を着いてナマンダルの前で今も表示されているモニターの映る一人の少年の顔写真を見る。

 

「アスカ・スプリングフィールドのことが聞きたいんじゃ」

 

 オスティア終戦記念祭の二日前の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大戦期の巨大魔法災害によって沈んだ廃都オスティア。嘗て大戦が起きるまでは風光明媚な古都だったが、戦の主戦場となったことであまりの荒廃によって捨て去られた都である。

 戦後にメガロメセンブリアによって実効支配され、墜落を免れた浮遊大地を新オスティアと呼称して都市が建設された。現在は殆ど廃墟で一部が観光の街として栄えている。

 空中を土台もなしに浮かび上がっている都市には、支えも無ければ下部に何かを噴射している様子もない。そんな音もなく浮かんでいる浮遊都市の上空を様々な形状の船が飛び交っている。古典的な帆船に似ているのもあれば金属製の現代性のデザインのも見える。大型から小型まで千差万別であった。

 十年前に終戦記念祭がこの新オスティアで開催されたのは、最後の戦いが起こった地であることを考慮すれば当然の流れである。

 人種・宗教・国境を越えて世界中から人が集まって、誰もが取り戻された平和が続いていくことを願う。

 終戦記念祭は決してお堅いお祭りではない。

 老若男女獣魔はおろか、世界中の商人やらお尋ね者やらゴロツキやらでごった返す。一攫千金、決闘、喧嘩、酒に博打に女に男、なんでもござれの七日七晩にかけて街を挙げての大騒ぎとなるので世界最大の祭りと言っても過言ではない。

 浮遊大地の関係で単純な人数ならば麻帆良祭の方が多いだろうが、こと訪れる人の多様性については追随を許さない。

 

(人間に亜人に魔族に妖精、精霊って、本当になんでもありなんだな)

 

 どこかの偉い人が祝辞を述べているのを他人事のように聞きながら視線を少し上にずらすと、儀仗を持った鬼神兵が目に入る。

 

(こんなに大きくて儀仗兵のつもりなんかね)

 

 大戦期に大いに活躍した鬼神兵に儀仗を持たせただけで儀仗兵というのは無理がある。連合側用意した兵であるが、帝国が守護聖獣の一体である古龍である龍樹を連れてきていることも考えると、両国は示威行為に余念がない。

 

(帝国のインペリアルシップ、連合のスヴァンフヴィートって仲良くしましょうっていうより、自分はこんな強いんだって見せつけてるだけじゃないか)

 

 艦隊も錚々たるもので、この新オスティアに集まった艦隊と戦力であれば下手な小国ぐらい簡単に落とせるだろう。

 式典が進み、帝国の代表であるテオドラ第三皇女と、連合の代表である主席外交官リカードが中央に歩み寄る。

 連合側には新オスティア総督のクルト・ゲーデルが立ち、帝国側にはアリアドネ―のセラス総長が近い。この新オスティアが連合に実効支配されているので中立のアリアドネ―は帝国側に立つらしい。

 

(政治って面倒臭ぇ)

 

 何故か式典に貴賓側に席を用意されたアスカは、テオドラとリカードが向かい合って後一歩で触れる距離になると周りが立ち上がったのに合わせて立ち上がる。

 一応、式の内容は事前に教えられたものの、どうしても場違い感が消えない。

 

(なんで俺はここにいるんだ?)

 

 ボーッとしながら多数の紙の花弁が舞う空を見上げて現実逃避を続けていると、周りから複数の視線を感じて顔を下ろす。

 その場にいた大半から視線を向けられ、式の流れを思い出す。

 

「あ」

 

 式の最後にテオドラとリカードが握手をする際にアスカも参加しろと言われたのを思い出し、現実感が乏しいながら足を踏み出した。

 アスカにだって言い訳はある。

 新オスティアに来る時に黒い猟犬(カニス・ニゲル)に襲われた。それ事態は解決したので問題はないのだが、内輪揉めの証人として証言に駆り出されたので予定されていた話し合いに遅れて式の流れはおおまかにしか聞いていない。

 元より興味のないことには覚える気力が湧かないのでド忘れしてしまった。寧ろ思い出せたことを褒めてほしいと思いながら焦らない足取りながら素早くテオドラとリカードの対角線上に立つ。

 

「それでは最後に握手を」

 

 と台詞を思い出して告げると、二人が握手する。アスカも事前に言われたように、二人の握手に手を被せる。

 その瞬間を狙ってカメラのフラッシュが視界が眩むほどに焚かれ、眩しさに眼を細めながらやはりアスカが感じる場違い感は消えなかった。

 

『二十年の平和を祝して両国代表が固い握手を交わし、前大戦を収めた赤き翼のリーダー千の魔法使い(ナギ・スプリングフィールド)の息子であるアスカ氏が手を添えています』

 

 街頭のテレビにはにこやかに握手を交わす両国代表と手を添えているアスカの姿が映し出されていた。

 

『紅き翼の関係者がオスティア祭に参加するのは始めてであり、大分裂戦争が終結したこのオスティアの地で帝国の王族と連合の主席外交官と共に手を交わしている姿は歴史的瞬間と言えるでしょう』

 

 猫耳の女性アナウンサーはどこか固い表情と声でリポートを続ける。

 

『世界には未だ戦禍の跡も深く、種族差別も消えていません。ノアキス事変の例をとってみても戦後に終わりはなく、まだまだ苦しい時代が続くかもしれません』

 

 少し目を俯かせたアナウンサーだったが、顔を上げて今も拍手の海の中心にある式典へと手を開いた。

 

『しかし、二大国と戦争を終結に導いた紅き翼の関係者がこの地で手を取り合えたことは、未来の希望に思えてなりません。この平和が続くことを切に願います』

 

 そこで映像が切り替わり、別のニュースへと移行している間に式典の参加者であったアスカは控え室に戻って椅子に座って肩を落としていた。

 

「お疲れ様、水飲む?」

「ああ」

 

 首元を締めていたネクタイを緩めていると、控え室で待っていた神楽坂明日菜が心労から長い溜息を吐いているアスカに近寄り、手に持つコップを差し出してくる。

 式典に緊張していたわけではないので喉の渇きはなかったが、気遣ってくれる気持ちは有難い。コップを受け取り、一気に飲み干す。

 ゴクリ、と呑み込んでも疲れは変わらず、明日菜にコップを返しても椅子から立ち上がる気がしなかった。

 

「おい、アスカ。あんま馬鹿面晒してんなや」

「うるせぇ。文句言うんならお前も式典に出ろよ」

「金積まれたって出たかないわ。見てただけでも肩凝ってしゃあいないわ」

「俺だって金積めば出なくていいんならそうしてる」

 

 小太郎の言う通り、気の抜けた顔をしている自覚はあるが改める元気がない。

 肩が凝りはしないが黒い猟犬(カニス・ニゲル)と戦ったのとは別種の疲れに体が重く、今は何もしたくない気分なのである。

 

「まあ、あれだけの場だもん。疲れるのは仕方ないわよ。控え室で待ってた私もなんか疲れたし」

「明日菜、ハラハラしとったもんな」

 

 明日菜が味方して擁護してくれたので顔を上げたが、どうにも木乃香の言い方からするとアスカが変なヘマをしないか心配している母親みたいな印象が浮かんできて、少し動きかけた手をダラリと下ろした。

 

「うちもお堅い式みたいなんにお爺ちゃんと参加したことあるけど、あくまでお爺ちゃんの付き添いやったからな。こんな規模で主賓みたいな扱いされたことあらへんけど、終わったら妙に疲れたしアスカ君が無気力になるんもちょっと分かる気がするわぁ」

「空気から違いますから、やはり気疲れするのでしょう」

 

 木乃香が近衛の家の関係で参加した式での感覚を元に共感するのに顔を上げると、刹那が同調する。

 

「千雨達はどうしたんだ? 姿が見えないが……」

 

 慰められて機嫌を戻したアスカは、仲間の姿が幾つか見えないことに疑問を呈した。

 新オスティアに到着して黒い猟犬(カニス・ニゲル)内の内輪揉めに一定の目途が着いた後、拉致するように式典の場まで連れて来られたので疑問を覚えた。

 

「千雨ちゃんはクママチーフって人と拳闘団の方の手伝いだって」

 

 そうか、と返しながら明日菜の説明に千雨がいない理由に納得して頷いた。

 クママチーフが拳闘団に協力するので千雨と茶々丸も手伝うことは事前に聞かされていた。正直に言って千雨よりも茶々丸の方が戦力に的に大きいのではないかと思って、残りの絡繰茶々丸・長瀬楓・古菲の三人はどうしたのかと聞く前に刹那が口を開く。

 

「茶々丸さん達には私達が泊る所を探して貰ってます。私達も手伝おうとしたのですが、三人で十分と言われてしまって」

 

 オスティア終戦記念祭がある一週間はこの地に留まることになる。

 それぞれが十分な金を稼いでこの地に来たので、わざわざ野宿をしないとなればどこかに泊まる必要がある。

 

「アスカ君らと一緒のところに泊ろうと思ってたんやけどな」

「選手は専用の部屋があるし、千雨と茶々丸は拳闘団と一緒に領主が予約したホテルに泊まる。領主も人数分しか部屋しか取ってねぇから無理だわな」

 

 ノアキス拳闘団が予約したホテルは領主が拳闘団の人数分しか予約を取っておらず、明日菜達は自分達で探す必要がある。

 パーティーの中で一番の常識枠でしっかりとしている茶々丸ならば良い宿が見つかるだろうと納得したアスカは、まだ再会できていない仲間のことを考えると小太郎が口を開いた。

 

「後は夕映吉とネギ達だけやな。今日会えるんやったか?」

「確か夕映ちゃんは、セラス総長が連れて来るんじゃなかったけ」

「私もそう聞いています」

 

 小太郎は何故か夕映のことを夕映吉と呼ぶがそれはともかく。明日菜が記憶を思い出すように顎に手を当てながら、セラス総長と共に来ることを言うと刹那も同意する。

 

「ネギ君とのどかは、じゃっく・らかんさんいうお父様やアスカ君達のお父さんと同じ紅き翼にいた人と一緒に来るって聞いたで」

 

 これもセラス経由で聞いたことを木乃香が口にすると、アスカが何かに気付いたように顔を上げた。

 

「姿を見てない三人も無事は確認されてるし、後はカモだけか」

 

 魔法世界に渡った者達の中でまだ安全が確認されていないと思っているオコジョ妖精のアルベール・カモミールの名を出すと場の雰囲気が凍った。

 その変化は気配には敏感だが雰囲気を感じ取ることが下手なことで定評があるアスカにも分かるものであった。

 

「どうした?」

「カモは……」

 

 明日菜がカモがゲートの事件で死んだことを口にしようとしたところで、控え室の扉が開かれて戦乙女騎士団の甲冑を纏う夕映を伴ったセラスが現れる。

 セラスに促されて室内に足を踏み入れた夕映は、木乃香達を見ると感極まったように涙目になる。

 

「木乃香! 皆さん!」

「夕映!」

 

 夕映が走ってやってきて、同じように走り寄った木乃香と抱き付く。

 

「す、すみません」

「ええよ。夕映も無事でよかったわぁ」

 

 木乃香は甲冑で全力アタックしたから少し痛そうだったが、と夕映が謝るのを手を振って静止して顔を良く見ようとする。

 

「運良くアリアドネ―に転移出来たお蔭で何不自由なく過ごせていました。みんなの方が苦労したでしょう」

 

 賞金首になったり、賞金稼ぎをしたり、ナギ杯の代表選手になったり、何がしかの苦労をしたのは事実なので全員の目が遠くなる。

 

「その甲冑って戦乙女騎士団のやつじゃなかったか? 確かエリートだって聞いた覚えがあるが」

「夕映、凄いやん」

 

 ノアキスで会ったアリアドネ―の者達が纏っていた甲冑に見覚えがあったアスカが記憶を思い出しながら言うと、木乃香が夕映を尊敬の眼差しで見る。

 

「こんな短時間で、そんな凄い所に入るなんてやりますね」

「魔法世界に渡る前より魔力の練りがしっかりしとるし、結構頑張ったみたいやないか」

「流石夕映ちゃん、我らがバカレンジャーの星」

 

 刹那と小太郎が感心し、同じバカレンジャーと呼ばれながらも偉大な出世を遂げた馬鹿仲間の躍進に明日菜も嬉しげである。

 

「い、いえ、私は式典の警備の為の臨時の警備兵ですので、あくまで候補生です。戦乙女騎士団に入れたわけではありません。警備兵になれたのもおこぼれで特別枠を作ってもらっただけですし、運が良かったのです」

 

 壮大な勘違いを正そうと夕映が慌てながら訂正する。

 混乱している様子を面白そうに見ていたセラスが夕映の肩に手を置く。

 

「あら、そうでもないわよ。選抜試験で乱入した竜種を仲間と協力して倒したのだから、選ばれたのは純粋に貴女の実力よ」

 

 セラスの賞賛に夕映は照れたように頬を染めて俯く。

 勉強嫌い等、身内以外ではあまり得意分野で褒められることがない夕映は賞賛されることに慣れていない。純粋に認められることが嬉しく、皆の前で褒められるのが照れくさいのだが雰囲気を読まないアスカが駄目押しをかける。

 

「候補生とはいえ、一国の正規騎士団の一員として任務についてるんだ。自信を持てよ、夕映」

 

 アスカにまで賞賛されて頬を林檎のように朱く染めた夕映は身を縮めて、「そ、そうです! のどかは、のどかはどこです!」とどもりながら矛先を自分から離そうと話題の転換を試みる。

 

「のどかやったらネギ君と一緒に直に来ると思うで」

「そうですか、なら良かったです」

 

 のどかと夕映は親友であったから心配も一入であったようでホッとしたように息を吐く。

 

「話しているところ悪いのだけれど、そろそろ会談の時間だからいいかしらアスカ君」

 

 手元の時計を見て少し申し訳なさげにしたセラスがアスカに話しかける。

 

「ん、ああ、もうそんな時間か」

 

 式典後に連合・帝国とノアキスの一件のことで話し合いの場が設けられることを事前に聞いていたアスカは、だらしなかった姿勢から立ち上がって背を伸ばす。

 ポキポキと首を左右に傾けて骨を鳴らすアスカの横顔を見ていた明日菜がセラスに「私達は参加できないんですか?」と聞いた。

 

「ゴメンなさいね。事件に関わっていない者が参加するのは良くないわ」

「でも……」

「それやったら千雨のねーちゃんと茶々丸のねーちゃんも参加しなあかんのとちゃうか? あの二人も確か当事者やって聞いたで」

 

 セラスはノアキス事変に無関係の者が会談に参加するのは好ましくないとして明日菜の訴えを拒否する。

 諦めきれない明日菜を擁護するように小太郎が口火を切るが、セラスは首を横に振る。

 

「二人はアスカ君と違ってノアキスで行われた会談にも参加していないのよ。記録に残る公式の会談に参加することは出来ないわ」

 

 セラスの話を聞いてアスカは一つだけ疑問を覚えた。

 

「でも、領主も参加しないよな」

 

 ノアキス側で参加するのはアスカだけである。

 事件があった地であるノアキスの領主もまた重要人物である。ノアキスでの会談にも全てに参加しており、事件に関わった代表としてアスカが指名されたのは、分からない話でもないが領主が参加しない理由もまたない。

 

「帝国と連合の関係は今更言うまでもないと思うから省くけど、この会談には護衛を同席させずに行う為に出席者は各陣営一人ずつに絞られているのよ。私もアリアドネ―の代表者として一人で出席するわ」

 

 二大大国は潜在的な敵同士。護衛もつけずに会談を行うならばリスクを避ける為に出席者を減らしたいとのこと。ノアキス側では領主よりもアスカの方がこの事件の代表者として周知されているので、今回の会談では自分が選ばれたのかとアスカは一人で納得する。

 

「分かった。つうわけだから、行って来るわ」

 

 納得すれば会談まであまり時間もないので彼らを残して控え室を出ようとしたところで振り返る。

 

「会談がどれだけかかるか分かんねぇし、ノアキスの拳闘団が泊るホテルで待っててくれ」

 

 会談が終わるまで控え室で待っているかもしれないのでそう言うと、「分かった、待ってる」と明日菜の返事に頷きを返して会談が行われる部屋に向かう。

 

「そういや、会談に新オスティアの総督は出席するのか?」

 

 セラスの案内で歩きながらアスカはふと疑問に思って訊ねた。

 この地は新オスティアなのだから、大事な会談ともなれば総督であるクルト・ゲーデルが出席するかと考えた為である。

 式典にギリギリで現れたアスカに怒っていたのか、妙に見られていた気がするので気になっていた。

 

「彼は関係者ではないから出席しないわ」

 

 参加したがっていたから盗聴しようとするかもしれないけど、とセラスの口の中で呟かれた言葉はアスカの耳に届く前に霧散する。

 会談の場はそれほど遠くなく、二人が歩いて数分もしない内に着いた。

 アスカでもそこが確実に会談の場と分かったのは、人が四人も横に並べば行き交いすることが出来なくなる広さの通路で対峙する二つの集団を見たからである。

 一方はローブを纏った集団で、もう一方はスーツを纏った集団。ローブを纏う集団のあちこちが普通の人間ではない特徴を見せていて亜人と分かる。つまりは帝国と連合が部屋の前で物騒な雰囲気を出しているのである。

 

(これほど分かり易い犬猿の仲もないな)

 

 と、護衛同士が互いに目を光らせ合っている中でアスカが呆れて内心で呟くと、こちらの存在に気付いたそれぞれの集団から二人の人物が出て来た。

 横に垂れた長い耳と褐色色の肌が特徴的な、スーツの人物よりも楚々とした仕草ながらも素早く動いたローブを纏った人物がアスカに向けて右手を伸ばしてくる。

 

「式典で顔を合わせましたが自己紹介は始めてですね。ヘラス帝国第三皇女テオドラ・バシレイア・ヘラス・デ・ヴェスペリスジミアです。今後とも良しなに」

 

 テオドラの動作が握手を求められていると分かったので高貴な人相手に待たせるのは必要だと手を伸ばそうとすると、斜め後ろからカニのような感じに五本尖っている印象的なスーツの男が割り込んできた。

 

「私の名はジャン・リュック・リカード。連合の主席外交官です。同じ男同士、仲良くしましょう」

 

 暑苦しい笑みを浮かべてリカードも左手を伸ばして握手を求めてきており、邪魔をされたテオドラが横で凄い目をしていた。

 二人の後ろの護衛団の目がアスカがどちらかと先に握手をするかを注目しているのが分かり、どちらを先にしても棘が残るのが分かってしまい、上げかけた手が行き所を失って彷徨う。

 

(俺にどうしろと?)

 

 何時の間にか一歩退いていたセラスからも注目され、どうしようもなくなったアスカの両腕が上がる。

 

「よろしくお願いします」

 

 言いつつ、腕をクロスさせて二人同時に握手する。

 どちらかを先にしたら問題が残るならば同時にしてしまえばいいと単純に考えた結果であったが、生徒が問題の答えを導けたのを見るかのような笑みを浮かべたセラスと二人の護衛団の雰囲気が和らいだのを見るに正解の対応だったようだ。

 

「会談を始める前に一つだけ」

 

 満足そうな笑みを浮かべて握手を解いてリカードが、後ろに見えない位置でアスカに向けてニヤリと笑う。

 

「我が国を訪れていた麻帆良からの使節団が貴殿との面会を希望しています」

 

 そう言うとリカードの護衛団の後ろから何人かが前に出て来る。

 

「高音、愛衣、それに美空!? っと誰だっけ?」

 

 高音・D・グッドマン、佐倉愛衣、春日美空と褐色肌の小さな少女が現れるが、最後の少女に関してはアスカも知らないので首を捻った。

 

「私だけリアクションオーバーじゃない!?」

「いや、なんかすまんつい。そういやお前って魔法生徒だったよな。学園長から使節団の話は聞いてたが、お前らだったのか」

 

 よくよく考えれば魔法生徒の高音や愛衣が使節団なのだから、同じ魔法生徒の美空がいても不思議ではないのだが、あまり魔法生徒である認識が無くて凄く驚いてしまった。

 驚きように美空が不服そうであったので珍しくアスカが謝っていると、高音が顎をツンとして腰に手を当てる。

 

「お久しぶりですね、アスカさん」

「あ、ああ」

「お元気そうで何よりです。ゲートポート事件に巻き込まれたと聞いて心配していましたが、ノアキスで英雄級の働きをしたと見聞きし、同じ麻帆良生として私も鼻高々です!」

 

 麻帆良祭でのことで、どうにも高音に苦手意識を抱いているアスカは腰が引き気味だったが、高音は開いた距離の分だけ歩を進めて目を爛々とさせている。

 嬉しげなのは結構であるが手を伸ばせば触れそうな距離を詰められながら絶賛されても嬉しくない。

 

「ゲートポート事件のことをニュースで見た時は心配ってレベルじゃないぐらいで慌ててたけどね」

 

 ボソリと呟かれた美空の小声は高音に聞かれることなく彼女の声に掻き消される。

 

「アスカさんの名誉を穢さないように私達も使節団として頑張りました」

 

 だから褒めて褒めて、と尻尾があれば大きく振りまくっているところが幻視出来そうな顔で言い切った高音に、「あ、ああ、良くやったと思うぞ?」と何をやったかは知らないので最後が疑問形になりながらもなんとか口にする。

 

「現在進行形で名誉を穢している気がするような」

「あら、なにか言いまして? 使節団のメンバーではない春日さんは下がっていて下さいな」

 

 グイグイとアスカに突っ込んで今にも壁に追い詰めている姿を見て率直な感想を抱くも、一転した高音の冷たい声に美空は「あれ?」と首を捻った。

 

「え、私って使節団のメンバーじゃないの?」

「春日さんはココネさんの付き添いですので、厳密にいえば使節団のメンバーではないです」

「…………知らなかったぁ」

「自分が使節団に入れるような人間とお思いで?」

 

 高音の暴走を止めるのを諦めて傍観していた愛衣が近くいたので訊ねると、物凄く申し訳なさげに言われた美空だったが高音の言うことは最もだと逆に納得してしまった。

 

「ドンマイ、ミソラ」

「全然気にしてないよ、私のご主人様。いやぁ、アンタのお蔭で高級ホテル・高級ディナーのサマーバケイションを堪能出来たんだから文句なんてないよ」

 

 褐色少女――――ココネに励まされたがめげていない美空は丁度良い位置にあった彼女の頭を撫でる。

 美空に話しの矛が向いたことで高音から離脱したアスカはホッと一息をついて一定の距離を取る。

 

「明日菜達も新オスティアに来てるから一度ぐらい顔見せとけ。ノアキスの拳闘団が泊るホテルに来てくれれば会えるから」

 

 ジリジリと高音との間合いを図りながらスリ足で移動し、動きを警戒しながら会談の場に近くなると一気に背を向けて歩き出す。

 

「さあ、会談を始めないとな。今直ぐ、即座に、そして速やかに」

 

 脱兎の如く早足で護衛団の間を通って会談の部屋に辿り着くと、扉を押して開いて中に入る。

 少し遅れて楚々とした仕草のテオドラと肩を張るように歩くリカードが同時に室内に入り、最後にクスクスと笑っているセラスが入って扉を閉める。

 高音の姿が見えなくなってホッと一安心したアスカは室内を見渡して、菱形の机に備え付けられた四つの席のどれに座ろうかと悩む。 

 

「ふぃ、やっと周りの目が無くなったぜ」

 

 扉が閉じられてこの部屋にいる者以外に外部の目は無くなった途端、リカードが力の入っていた肩をグルグルと回し始めた。

 

「ったく、元老議員とか肩凝って仕方ねぇよ。向いてねぇんだ。あの頃が懐かしいぜ」

「このおっさん、どの面下げて向いてないとか言ってるのかしら」

 

 オホホホホ、と笑うセラスも他国の外交官に向けていい言葉ではない。

 アスカが目を白黒とさせていると、近づいてきたテオドラがしげしげと顔を覗き込んでくる。先程までの楚々とした雰囲気から一変して、どこかやんちゃな子供染みた笑みが浮かんでいる。

 

「えと、なにか?」

「先の対応は中々であったぞ。合格点をやろう」

 

 先程までの深窓の令嬢もかくやの雰囲気であったのに、今はその辺にいる気の良い姉ちゃんな感じである。褒めながら手を伸ばして来たので改めて握手ということか。

 

「しかし、あまり両親に似ていないと思うっておったが、驚いた時の顔は母親そっくりじゃの」

 

 流されるままに握手を交わしたところで、その言葉の内容に離したばかりの手がビタリと止まった。

 

「テオドラ殿下は俺の母親のことについて知っているのですか?」

「テオで構わんよ。それと楽に話してくれてよいぞ。この場にいるのは気心の知れた者ばかりじゃからな」

「じゃあ、テオ。遠慮はしねぇぞ?」

 

 構わん、と懐の大きさを認めたテオドラはそこで表情を少し申し訳なさげなものに変化させる。

 

「妾はお主の両親とは友人じゃった。じゃが、妾は何もしてやれなんだ。許せ」

「ってことは、やっぱりお袋は無実だったってことか」

「ぬ、もしや聞かされておらんのか?」

「ぶっちゃけ、何も聞かされてない」

 

 真実を告げるとテオドラがしまったとばかりに手で口元を抑えた。

 

「悪いが俺達には何も教えてやれねぇんだわ」

 

 目をキョドキョドと彷徨わせたテオドラに変わって、額をペシッと叩いたリカードが言った。

 

「戦後のアリカ姫のことはナギと一緒になったこと以外は皆が知っている程度のことしか知らねぇ」

 

 スーツの胸ポケットに手を入れて煙草を取り出したリカードだったが、未成年と女二人しかこの場にいないことを思い出して吸うのはマズいと判断して直す。

 

「詳しく聞きたきゃ、もう直ぐ来るラカンの野郎に聞け。俺達よりも詳しいだろうよ」

「…………分かった」

 

 追及するべきかと考えたがより詳しい人間がいるのならそっちから聞いた方が良いと判断したアスカが納得の意を返すと、セラスが三人に席を勧める。

 

「防諜対策は行っているけど、早く終わらせるに越したことはないわ。始めましょう」

 

 アスカが勧められた席はセラスの対面、対面に座ったテオドラとリカードの対角線上である。

 常に互いを見る位置に座る連合と帝国、その両者が見える位置に座ったアリアドネ―を見て、こういうところにも国の関係が出てくるのだなと席に座りながら思う。

 

「さて、まずはノアキスの件から始めましょうか」

 

 議事進行役はセラスが務めるようで会談の口火を切った。

 

「待ってくれ。その前にオスティアのゲートの件について確認したい」

 

 アスカは会談の前にどうしても確認しておかなければならなかった。

 現状では全てのゲートが破壊され、魔法世界と旧世界を繋ぐ橋が壊れてしまった。繋ぎ直すには数年かかるという話だが、夏休み中に旧世界に戻れなければネカネ達に迷惑がかかる。

 幸いにも廃都オスティアに今は使われていないゲートがあるという。ここはフェイト一味に襲われておらず、ゲートは休止しているだけで生きている。

 フェイト達がゲートを壊したのには何らかの理由があると予測され、一つだけ残った休止中のゲートを放っておくとは考えにくいが、現状では旧世界に帰れる唯一の手段である。セラスを通して両国に許可を求めていたのだ。

 

「帝国としては、この祭りの後であれば構わん」

「連合も同意見だ。このままゲートが開かんのも困るからな」

 

 帝国・連合共に色よい返事が貰えたことで、もうアスカにとっての会談の目的は果たしたと言える。

 

「終戦記念祭終了後に両国立ち合いの下でゲートを開通することでよろしいかしら」

 

 異議なし、と頷いた二人に安堵の息を吐いたアスカを優しい目で見たセラスが、「では始めましょう。ノアキスの件について帝国は何かありますか?」とテオドラに視線を移して問いかけた。

 

「最終的な亜人の被害がどうなったかを聞きたい」

 

 テオドラがアスカを見ながら言い、これはノアキスの代表である自分が答えるべきことなのだろうと口を開く、

 

「亜人も含めて多少の怪我人は出たが既に治癒済みだ。死傷者はなく、後遺症が残った者もいない」

「人的被害は軽微ということか。では、クーデターを起こした者はどうなったんだ? 一応はウチの元軍人崩れだったから詳細が気になる」

 

 リカードが気にしたのはノアキス事変において、クーデターを起こした者達の処罰がどうなかったであった。

 

「実質的に被害を起こしたのは彼らではなく精霊によるものだ。クーデターも起こっておらず、未遂に終わっていることは分かってもらえていると思う」

 

 前置きを置きながら、新オスティアに来る前に領主から伝えられた文言を脳裏に羅列する。

 

「彼らがクーデターを起こしたのは、居場所を失くしていたからだ。彼らに強い罰は与えず、奉仕活動を行わせるものとする。ノアキスは種族を問わずに受け入れている。都市の在り方を受け入れるのならば職の斡旋を行い、家を与えて居場所を作ることを約束する」

「ふむ、奉仕活動の期間は?」

「一年を見ている、と領主は言っている」

「未遂に終わったことを考えれば妥当な期間か。奉仕期間を終えて、都市の在り方が受け入れない場合はどうするんだ?」

「奉仕活動の後、都市から放逐する」

 

 奉仕期間の間に寝泊まりする場所と食事は領主が提供することになっており、少ないながらも給料も出ることも伝える。与えられた奉仕以外は自由で特に拘束もされない。その代わり一年間は領主の許可なく都市から出れば犯罪者として賞金がかけられて賞金首となる。

 

「随分と思い切ったことをするな」

 

 リカードの言うように罰というには少し甘すぎるきらいがある。

 

「領主曰く、チャンスを与えるだそうだ」

 

 元の根無し草の傭兵や賞金稼ぎ暮らしに戻るか、一年の間に手に職をつけて都市に住むことを決めるか。落伍者として蔑まれて来た彼らにも平等にチャンスを与えるのだと。

 

「良い領主ですね。確かに大戦後に軍を辞めさせられた者達は時代が時代でしたから再就職もままならず、難民と変わらぬ生活をしている者も多いと聞きます。今回のことは今後も起きる可能性が高い」

 

 二十年の間に溜め込んだ不満の種が別の場所で爆発しても可笑しくはないと語るセラスの言を誰も否定できない。

 

「前大戦後に兵士で無くなった者達に限らず再就職の斡旋や、未だ難民として苦境に喘いでいる者達に支援の手を伸ばす必要性があります。付きましては両国に力添えをお願いしたい」

 

 セラスの目がテオドラとリカードを見る。

 世界的な問題は二分する大国が同調しない事には始まらないことを良く知っているからだ。

 

「前向きに検討しよう」

「俺だけでは答えられん。持ち帰って議論する」

「はっきりしないな」

 

 否定も肯定もせず、玉虫色のなんとも政治家らしい返答にアスカは呆れた。

 

「即答できんのには理由があるのじゃよ」

 

 ふぅ、と重い息を吐いたテオドラの面持ちは暗い。

 

「前大戦の傷跡は未だ生々しい。戦後補償で財源はカツカツ、二十年経ってようやく立ち直ってきたと言えるところじゃ。自国内での再就職の斡旋ぐらいなら出来ないこともないじゃろうが、国外の難民への支援まで確実にやれると保証が出来ないのじゃ」

「じゃあ、落ちぶれた奴は放っておけってのか?」

「そうは言わん。大国であるからこそ、護らなければならない者が多い。そのことは理解してくれ」

 

 無い袖は振れず、より多くの者達を護る為には、少数の者までは手を回せないということか。理解はしても納得は出来そうにないアスカは腕を組んで鼻を鳴らした。

 

「それ以外にも理由がある」

「今を苦しんでいる者を助けない理由がか?」

 

 アスカが皮肉ると、リカードは重々しく頷いた。

 瞼をピクリと痙攣させたアスカに「何か理由があると?」と聞くと、リカードではなくセラスが口を開いた。

 

「始まりは戦後のことよ」

 

 目を伏せて話すセラスの表情は無であり、そこから感情は読み取れない。

 

「百年前まで民衆の間では旧世界は伝説かお伽噺と思われていた。世界の十一ヵ所にあるゲートで繋がっていて、週に一度、長い時で月に一度のタイミングでしか開かない。今は安定して開けるようになったけど、安全が確認されるまでに十数年もかかったことは貴方も知っているわね」

 

 今更何でそんなことをと思いながらもアスカは頷きを返す。

 

「安定してゲートを開けるようになったといっても、当時は魔法世界も旧世界もゴタゴタしていた時だから、旧世界から来る数に比べれば魔法世界から渡る数の圧倒的に少なかったわ。文化も風習も違うから、だからこそ余程の物好きでない限りは旧世界を訪れようとは思わない」

 

 アスカは麻帆良で学んだ授業の内容を思い出す。

 百年前から十数年後となると、旧世界では第一次世界大戦が行われていた時代と被る。魔法世界ではそこまで大きな大戦はないが、当時から帝国と連合が小国を巻き込んで小競り合いをしている。

 社会情勢的にどちらの世界も間違っても平和と呼べるような時代でなかった。魔女狩りの件もあって一市民が好き好んで旧世界を訪れようとする者は稀であったのだろう。

 

「戦争が終わったことを契機に旧世界がブームになったんだよ。それはナギや詠春の世界ということで注目されたのもあるけどな。それは人間に限った話じゃなく亜人も含まれる」

「亜人だと見た目的には問題あるわな。人種がどうこうってレベルじゃねぇし」

「旧世界の者に見えるように変装は必須じゃな」

「魔法世界の技術なら、余程のヘマをしなければバレることはないだろう。もしかしてバレたのか?」

「そこら辺は厳重じゃよ。人間への変装は必須で、こんな分厚い注意説明書を読まされるんじゃぞ。変装にしても滞在する日数・場所によっては非常にコストがかかる。中々、庶民が気楽に旅行出来る金額ではない」

 

 手を大きく開いて注意説明書の分厚さを表現するテオドラに、アスカは自分ならそんな面倒はゴメンだと内心で考える。

 

「分からないな。結局、何が言いたいんだ?」 

 

 話の内容からするに身バレしたわけでもなさそうで、ゲートがどう難民を助けない理由に繋がっているのかが読めない。

 

「大事なのはここからじゃ」

 

 と、一端そこで話を止めたテオドラが一呼吸置いた。

 

「問題が起こったのは、裕福な亜人が旧世界を観光目的に訪れた時じゃ。先に言っておくが、その亜人が何か問題を起こしたわけではない」

 

 裕福なのは変装にかかるコストと旅行の金銭を自前で賄える財産が必要になるからである。

 

「じゃあ、何があったんだ?」

「亡くなったんじゃ」

 

 ピクリとアスカの眉が動き、その脳裏に色々な仮説が浮かべ上がる。

 

「事件や事故に巻き込まれたとか、そういうことではないぞ。死因は単純、病死じゃ。所謂、持病の悪化という奴で何の事件性もない」

「分からねぇ。事件でも事故でもないなら一体、なにが問題なんだ?」

 

 事件や事故に巻き込まれたのではないかという可能性はないと断言されると、アスカには大国が難民を救わない理由にどう繋がるのかが皆目見当もつかない。

 

「消えたんじゃよ、魔法世界に搬送中に死体が。衆人環視の中で忽然と」

「高位の魔法使いなら幾らでもやりようはある。が、ことはそう簡単にはいかなかった感じか」

 

 腕を組んだリカードが「そうだ」と言い、話を引き継ぐ。

 

「死体の搬送に使われたのは、偶々近かった連合側のゲートでな。少し前まで帝国と戦争をしていた連合の仕業じゃないかって決めつけられたってわけよ」

 

 疑問の目が向くのも無理はないが連合にとっては寝耳に水の話であったとリカードが語る。

 

「帝国が捜査をさせろと言ってきたが安易に認めるわけにはいかねぇ。認めるわけにはいかねぇが、戦後にようやく落ち着いてきた頃だったから厭戦ムードもあって喧々囂々のすったもんだの末、合同捜査を行うってことで落ち着いたわけだ」

 

 下手に連合の領土内で帝国の専横を許せば自国民が納得せず、かといって帝国の要請を端から突っ撥ねて戦争再びというのも困るから、連合の監視下で捜査を行えるようにしたということか。

 

「目撃証言の洗い出し、現場の監視カメラの映像、魔力反応検査等々…………様々な検査や調査が行われた。目撃者の記憶が正しいか、映像が細工されていないか、魔力反応は隠蔽されていないか、両国のそれぞれの分野における人材のトップが互いを監視をしながら微に入り細を穿つほどに捜査された」

 

 二大国の人材が結集した、間違いなく魔法世界一の捜査が行われた以上、互いを監視しているから不正の入る余地はなく、そこで出された結論はその当時においては覆しようのない答えとなる。

 

「行われた捜査の結論は事件性なし。唯一、分かったのは死んだ亜人の体が魔力になる前のマナ(自然のエネルギー)となって散ったということだ」

「マナに?」

 

 『マナ』とは大気中に満ちる魔力以前の自然のエネルギーであり、人が魔力を生成するには大気に満ちるマナを肉体内に取り込む必要がある。人もマナを生成出来るが、大気中に満ちるマナと比べれば微々たるものでしかない。

 大気中のマナを肉体のマナと混じり合わせ、魔力とする。先天的に魔力容量が大きいものは、肉体のマナ生成力が多い者が大半である。アスカがこれで、アーティファクトの使用の度にこの生成力が増していることが魔力容量の拡大の理由である。

 

「人の体がマナになるなんてありえない」

 

 大気中に満ちるマナを吸い集めて自らの力とする咸卦・太陽道を扱うアスカだからこそ、肉体がマナに還元されることは物理的にありえないと知っている。

 

「俺達もそんなことが可能なのかと世界中の学者達に聞き、誰しもがお前と同じことを言ったよ」

 

 アスカの否定にリカードも同意見だと頷き、二人の男の反応にセラスは苦笑を浮かべた。

 

「途中で参加したアリアドネ―でも同様の結論に達したのよ。その上でその方法が分からなかった」

 

 連合と帝国は捜査に行き詰まり、独立学術都市であったアリアドネ―も捜査に加わったが同様の結論にしか達せず、亜人の体がマナに還元された理由は分からず仕舞い。

 

「連合は帝国が再度の戦争を始める為に何か仕掛けをしたのだと疑い」

「同じように、帝国は連合の策略を疑ったというわけじゃ」

 

 リカードとテオドラが言った通り、信頼関係は無きに等しいから荒唐無稽な話を信じるよりも、信用できない相手が何かを仕掛けたと考えた方が楽である。

 

「事件の追跡調査…………正確には他にも被害がないか調べてみたらゲートが開通した百年間の間に行方不明になっている者が何人かいたの。亜人だけではなく連合の人間も中には含まれていたわ」

 

 百年の間に同じことが繰り返されていたとなると、やはり組織的関与は疑わざるをえない。そんな権力があるのは二大国のどちらかだけなので互いに疑いの目を向ける。

 帝国は連合を疑い、連合は帝国を疑う。肩を並べて捜査出来ただけで奇蹟なような関係はあっさりと破綻する。

 

「斯くして二大国は不審を募らせ、両国上層部では第二次大分烈戦争も秒読みとされたわ」

 

 セラスが大きな溜息を漏らす。

 関わったアリアドネ―としては、どちらに非があるようには思えず仲裁をしたのだろうが、元から仲の良くなかった国同士が不審を募らせれば衝突するしかない。

 

「だが、現実に第二次大分烈戦争は起きていない」

 

 歴史に記されずに起こっていた事件は、表沙汰になればそれだけ世界をひっくり返す可能性があるのだと思い知らされる。しかし、第二次分烈戦争は現実には起こっていない。つまりは、捜査に何らかの進展があったのだとアスカは推測した。

 

「情報提供があったのじゃよ。ご丁寧に連合・帝国・そしてアリアドネ―同時にの」

 

 テオドラが苦み走った表情でその事実を伝える。

 

「情報提供ねぇ。二大国と学術都市が分からなかったことをそれ以外の国で分かるものなのか?」

 

 人材・機材の両面から見ても魔法世界トップの者達が出した結論以上の物を、三国に及んでいない国が出せるものなのか。仮に出せたとしても信頼に値するものなのかと考えたアスカの推測はリカードから根本から覆される。

 

「正確には国からじゃねえ。情報提供元は――――魔界だ」

 

 魔界、と口の中で同音を繰り返したアスカの眼がパチパチと瞬きを繰り返す。

 

「魔界って、あの魔界か?」

「魔族達が暮らす世界、その認識で間違いはねぇぞ」

 

 信じられない思いで問うもリカードに肯定されてアスカは腕を組んで考え込んだ。

 魔界が魔族達が暮らす世界というのは、魔法世界や旧世界の裏側の関係者なら誰もが知っている話である。他にも妖精が暮らす妖精界や、妖が暮らす妖界、その他にも様々な異界があるとされている。

 基本的に魔界や妖精界、妖界に人が行くことは出来ない。物理法則や自然法則が旧世界や魔法世界と全然違い、人が生きていける環境ではないというのが定説である。行ったまま帰って来なかった者、帰って来たが何らかの異常が出る者が多く、各世界の内容については伝聞が殆どを占める。

 

「信じられないのも無理はないわ。私達も魔界がそれだけの文明を築いていたなんて知らなかったもの」

 

 アスカの表情が疑念を示しているのを見たセラスがむべなるかなと強く頷いた。

 

「信用したのか、魔界の言うことを」

「信じるしかなかったのよ。というより、信じさせられたと言うべきかしら」

「彼らは我らが知らなかったこの世界の秘密を解き明かしたのじゃからな」

「世界の秘密?」

 

 最初は魔法世界側も魔界の情報を疑わしいと感じていたが、彼らが明かした魔法世界の秘密によって信じるしかなくなったというのか。

 

「魔界の研究機関は、魔法世界に極小の穴が開いていてそこからマナが流出し続けていて、このままで世界の維持すらも危うくなると言ったんだ」

「は?」

「更に魔法世界人は魔法生命体に近く、世界の根幹に何かが繋がっているらしい。魔法世界が消失すれば運命を共にすることになる。死体がマナに分解されたのはその繋がっていた何かが切れたからじゃないかなってな」

「いやいやいや、さっきから何を言ってるんだ!?」

 

 何を聞いているのかとアスカは自分を信じられなくなり、頭を押さえながら説明を続けるリカードを制止した。

 

「魔法世界に穴が開いていて、このままだと魔王世界が消失して魔法世界人も消えるってのか? んな、馬鹿な話が」 

「あるのじゃよ、これが」

 

 アスカの混乱に満ちた否定を、以前の自分の視るような優しい目で見つめたテオドラが一刀両断する。

 

「詳細は秘するが、実験を行ったのじゃよ。その結果、以前までは旧世界で暮らそうとも問題なかったが、死亡したり生命活動が停止すると肉体が魔法世界以外ではマナへと分解されることが分かったのじゃ。マナへと分解されるのは旧世界でのみ。違うのは世界だけじゃ」

 

 実験の詳細は言われずとも決して人道的なものではないと分かってしまい、アスカも終わったことを問い質すほど愚かではなかった。

 

「マナの流出は我らでも観測できた。じゃが、穴を止める術はない」

 

 語るテオドラの表情はこの部屋に入った際に抱いた印象とは真逆の無である。

 それよりもグルグルとテオドラの言葉がアスカの頭の中で、『魔法世界の穴』『マナの流出』『魔法生命体』『旧世界』といった単語だけが飛び回っていく。

 

「マナに分解されないのは、生まれた地が旧世界であるか、もしくは家系の中に魔法世界の者がいない、つまりは純粋な人間でなければならん」

「この世界に旧世界から移住してきた新しき民にしても、混血が進んだ中でどれだけが確実な人間か分からねぇんだ。移住時から家系図を残していなければハッキリとしないしな。余程古い家系で純血の人間か、比較的新しく移住してきた者や最近やってきた者に限られるとなれば、恐らく魔法世界中を合わせても純粋な人間は多くて数百万といったところだろうよ」

「魔法世界人が旧世界に渡るのは稀だから問題にはなっていないけど、魔法世界が鎖国政策を推し進めているのは、この事実が表沙汰にならないようにする為よ。魔法世界側からの物資の流入も制限し、少しでもこの事実が知られるのを遅らせようとしているの」

 

 テオドラ・リカード・セラスが何かを言っているが、もうアスカの頭はパンク寸前だ。さっきから脂汗が止まらず、手の中は濡れてグショグショだ。

 

「穴が開いてたのは何時からだ? もしかして前大戦末期の広域魔力減衰現象が関係しているのか?」

「魔界の研究機関の話では、穴は世界創造時からあったものと考えられておる。前大戦以前からのものじゃ」

「数千年に及び流失し続けたマナの流出は世界の根幹すら揺るがしていて、魔法世界の消失は明日かもしれないし十年後か百年後かはまだ分かっていないの。このままでは魔法世界はいずれ必ず滅びる」

「…………教えてくれ。魔法世界人が魔法世界と消失したら、残った人はどうなる?」

 

 重い頭を支えきれなくなり、机についた手で頭を支えながら辛うじて動く思考がその問いの答えを欲する。

 

「なあ、魔法世界の大きさって分かるか?」

「なんだよ、いきなり」

「いいから答えろよ」

「確か三千kmぐらいじゃないか。地図にそんなことが書いてあった気がする」

 

 問いに対する返答がなく、関係のなさそうなリカードが発せられた問いに頭を上げたアスカは魔法学校の授業とノアキスで見た世界地図を思い出して答える。

 

「まあ、そんなもんだ。ところで地球の大きさが六千㎞超ってのは知ってるか?」

「だから、それがなんだって……」

「この世界が異界にあるとされていることは貴方も知っているわね」

 

 頭がパンクしそうになっているところに問いを重ねるだけでさっさと核心に至らないリカードに苛立っていると、セラスが彼の味方をするように言葉を重ねて来る。

 

「一般魔法理論によると、異界とは現実世界に重なり合うように、或いは現実から半歩足を踏み出した場所にあるとされているわ」

 

 理論立てて説明を始めたセラスに、ここが会議室ではなく学校の教室にいるような錯覚を味わい、アスカの頭が少し冷えた。

 

「問題なのは、広大な異界はそれに見合った現実世界の広大な土地を必要する点にあるわ。ここで貴方に質問するわ、アスカ君。魔法世界に対応する現実世界上の空間はどこにあるのかしら?」

 

 魔法世界も地球と同じく惑星型の球体を為している。今までアスカは何の疑問もなく魔法世界の現実上での対応する空間は地球と考えてきたが、大きさが合わない。

 

「地球、じゃないのか」

 

 魔法世界周期も地球と同じ。半分程度の大きさしかない魔法世界では理屈に合わない。

 

「最新の研究で火星であることがほぼ確実視されているわ」

「か、火星?」

「ちなみに魔界は金星にあるらしいわね」

 

 またまた出て来た新事実にアスカは遂に眩暈までしてきた。

 

「とはいえ、世界の大きさの差異に関しては以前から疑問視されている声が大きかったわ」

 

 どうやら魔法世界の人の中にはアスカのように先入観に囚われることなく、目の前にある事実に疑問を覚える者もいたらしい。

 

「旧世界から持ち込まれた資料の中に火星の地図があったの。それが魔法世界の地図と比較すると地形や地名に相似が幾つもあって、大きさも近いことから対応する真の場所は火星であることはほぼ間違いないとされているわ」

「魔法世界が火星の大地を触媒にして、その上に重なり合うように存在する世界なのは分かった。だが、そうなると魔法世界の成り立ちはどうなる? 対応する世界が地球だとされていたから、創造神が異界を作ることも可能だって話じゃないのか。火星ってことになると、どうやって星を移動したんだ?」

「世界を造ると言うこと自体が想像の埒外のあるのじゃぞ。それこそ、神のみぞ知るじゃろうな」

 

 テオドラが軽く言うが、要は方法が分からないと言っているに等しい。

 世界最古の王家だったオスティアの初代女王は御伽噺で有名なアマテルという女魔法使いと言われている。創造神の娘だったとも伝えられている彼女の血を受け継ぐ者には不思議な力・神代の魔法が宿ると伝えられている。

 ハワイでカネ神と対峙したアスカは神の巨大さを知っている。あれで不完全というのだから、万全ならば異界を造ることも不可能でないと見ているが、果たして星を移動して異界を造ることまで可能なのか。

 

「親父達は、紅き翼はこのことを知っているのか?」

 

 火星と聞いて、アスカは真っ先に火星から来た火星人と言った超鈴音を連想する。そして京都のナギの別荘に望遠鏡があることも思い出した。

 アスカの頭の中では、超のいた未来では魔法世界は存続しているのではないかという確信に至るが、証拠は何もないとノアキスの一件で自らの立場と責任の重さを自覚したが故に何も言えなかった。

 

「知っておったよ。我らとは違う独自のルートで情報を得たようじゃ」

「そうか……」

 

 京都の別荘に望遠鏡があったのは、父達が魔法世界の真実に直面したからこそだろうか。その答えを知る者はこの場にはいない。

 

「世界創造すら私達の手に余るのに、観測できないほどの穴を見つけ、更に穴を防ぐのは至難の技よ。これほどの事態の重要さだから公表すれば大きな混乱が広がるわ。知っているのも、元老院や帝国でも上層部の極々一部。研究するにしても公表できないから規模が小さく遅々として進んでいないの」

「だからこそ、帝国はこの件に関して魔界の研究機関に依頼し、並行して別の対策を取っておる。そしてこれが難民への支援が出来ない大きな理由でもある」

 

 見方を変えれば世界の問題に対しては魔界を頼りにしているとも取れるテオドラの言葉だが、セラスの言う通り公表できる事実ではないから無理のない面もある。

 魔法世界の穴と崩壊へのカウントダウンの答えを示したのは魔界で、内外に問題を抱えていては全面的に信用できるか不明であっても頼らざるをえないのだろう。

 

「亜人が主な帝国は例え世界を存続させることが出来たとしても、何時マナに分解されるのかという恐怖を抱えることになる。そして仮に世界が崩壊したとしても亜人が生きた痕跡を残したい。その為に移民計画を立てた」

 

 世界がどうなろうとも消滅の恐怖と向き合わなければならない亜人のテオドラを真に理解できないアスカが何かを言うことは出来ない。

 

「亜人も現実世界に確実に存在しておる。妾は決して吹けば飛ぶような幻想ではなかろう?」

「ああ」

 

 あの握手の時に感じた温かさと力強さは確実に命を持った肉体であったとアスカは疑いもしなかったからテオドラの問いに強く頷く。

 

「移民計画は、遺伝子情報を抽出して本人そっくりの肉体を作り出すことにある。成長で負った傷から細かい癖までが浸透した疑似体がな。そしてそれは既に実用段階に入っておる」

「本当に本人そっくりなのか?」

「お主は既に実験体に会っておるよ。気づかんか?」

「なに?」

 

 魔法・科学の両面の技術を駆使しして既に計画は完成に近いとアスカはニュアンスで受け取ったが疑わしく思える。

 実験体に会っていると言われても心当たりがない。

 

「つい、さっきだ。いただろ、さっきの使節団に」

 

 リカードに言われて面子を思い出す。

 高音・D・グッドマン、佐倉愛衣、春日美空、そしてココネと呼ばれた少女。

 

「まさか、あのココネって子か」

「ココネ・ファティマ・ロザ。帝国移民計画実験体十八号よ」

「全然、気づかなかった……」

「気づかれていないのは良い事じゃ。それだけ計画の完成度が高いということじゃからの」

 

 気配に鋭いアスカに何の違和感を抱かせなかったのに、テオドラの表情は決して晴れ晴れとしたものではなくどこか晴れない。

 

「とはいえ、成長し続ければ問題なしじゃが、如何せん観察期間が長すぎる。ヘラスの(うから)は長命じゃからの。生まれてから死ぬまで、何例か観察するまでは実験は終わらんのじゃ」

「なんとも気の長い話だな」

「計画が完成するまで魔法世界が持つ保証はないしの。このままでは他のアプローチも試さななければならんようになる」

 

 三十路でも人間換算では十代となるから、百年以上は実験期間は続く。それまで魔法世界が持つ保証はない。そうなるとそれこそ人道に配慮することもなくなる。

 

(別荘を使って時間経過を早めるとかか)

 

 アスカ程度で思いつく程度のことを研究者が考え付かないはずがない。テオドラの他のアプローチは恐らく別荘や他の方法を視野にしているようだ。一人の人生を別荘内に固定すると言っているに等しいから、テオドラも出来るならやりたくないことなのだろう。

 テオドラが暗い表情で話しを終えると、こちらも出来れば話したくないという顔をしたリカードが口を開く。

 

「連合が進めているのはノア計画っていう、まあ一言で言えば魔法世界が消滅しても暮らしていけるシェルターを作るってやつだな」

 

 煙草でも吸わなければ話せないとばかりに、遂に胸ポケットから煙草を取り出したリカードは火を点けて紫煙を吐き出す。

 

「何万何億と収容して自給自足で暮らしていける環境をって話しらしいが、どうにも上手くいってないらしい」

 

 紫煙で輪っかを作り、虚空に消えていく様を見つめるリカードの目に感情は浮かんでいない。

 

「元老院の中には純粋な人間を収容することのみ優先しろなんて意見と、そもそも魔界の言うことは疑わしいという意見もある。資材は地球縛り、誰にもバレないように海の底で作って、しかもゲートが不通になって計画に遅延が出ている…………これだけ重なると遅々として進んでない」

「地球が受け入れるのは…………無理か」

「私達でも何白万と突如として訪れた異世界人を受け入れろと言われれば難色を示すわ。希望的観測でも良い結果にはならないでしょう」

 

 となれば純粋な人間だけでも地球にとも思ったが現実問題として厄介事でしかない。地球側が喜んで受け入れてくれるとはとても考えられない。

 

「だから連合も我らに協力するように言っておるんじゃ。少なくとも生きる者は多い方が良かろう」

「ああん? 人の生存不可能な火星の荒野に投げ出される者が増えたって直ぐに死んだら意味がない。それよりもシェルターを増やす方が得策だと俺は思うがね」

「仮にシェルターを増やしたところでそこで生きる者がいなければ意味がないであろう」

「確実に生きる者を優先するべきだと俺は言っているんだ」

「お主は亜人を見捨てると言うのか!」

「そんなことは言っていないだろう。事実を曲解するな。大体、移民計画は亜人を優先して人間は対象になっていないのは何故だ? 帝国こそ人間を見捨てようとしている証拠だろ!」

「自国の者で実験をすれば亜人ばかりになるのは仕方なかろう! 文句があるならば出資ぐらいはしたらどうだ!」

「こちらこそ同じ言葉を返そう! シェルターに入りたければ金を出せ!」

「ほら、それが本音であろう!」

「そっちこそ!」

 

 テオドラとリカードが立ち上がって口論を始めた。

 どちらも正しいのに、どちらも譲らないものだから泥沼の言い合いに終始する。

 幾らでも湧き出す金でもない限り、限られた財源で戦後復興と自国の繁栄を続けながら世界の問題に直面するには各々に課題を抱えすぎている。自国民でない難民に金を使うならば他のことに使いたいと本音が見えている。

 旧世界の出身であるアスカが魔法世界に来てから一ヶ月も経っていない。これが現実なのだと明かされた世界の真実を前にして、何の権力も持っていないアスカの口は貝のように閉じたままだ。

 

「全く折角設けれた会談の場なのに」

 

 怒鳴り合う二人の声の合間に、眉間を揉み込むセラスの呟きが聞こえた気がした。

 

(ノアキスは両国が会談の場を設ける為の体の良い口実か)

 

 セラスの呟きからアリアドネ―が大国の間にまで立ってこの会談を設定したのは、アスカを口実にしての両国が話し合いの場を設ける為であったのだと悟る。

 ノアキスの一件で有名になっても一個人でしかないアスカがこの場にいる本当の意味は無きに等しく、繋ぎに使われただけでしかない。アスカに話して見せたのも両国の共通認識を確かめるためで、あわよくば互いから譲歩を引き出そうという意図もあったのか。

 

「貴方達、いい加減に……」

「オラァッ!」

 

 セラスが二人の口論を止めようとした時、外に通じる扉が廊下から何者かによってぶち開けられた。

 防諜対策されていた所為で気配も探れず、知らずに俯いて机を見ていたアスカが音に驚いて顔を上げた。

 顔を上げた先には、扉をぶち抜いた男の手がまず見えた。 

 腕を見ても分かる筋骨隆々とした野性味溢れる壮年の巨漢は、手入れとは無縁そうなぼさぼさの蓬髪と、口元に浮かんだ野生的な笑みが印象な容貌だった。身長はおそらく目算で二mを越えている。

 褐色に焼けた肌に着古した衣類。決して太ってはいない。逆三角形の上半身。分厚い胸板。鎧を付けているかのように盛り合っている肩や上腕。全身これ、筋肉の塊であった。その袖から伸びた腕は、仁王像のそれのようであり、二メートルを超える巨体と相まって見る者の足を一歩退かせるに十分怪異であったがその豪放磊落な表情が不思議と中和する。

 普通はこれだけ長身だと、どうしても背ばかり高く、細く見えてしまう。だが、彼にはそれがない。隆々と盛り上がる巌のような肉体に、見ているだけで圧倒されてしまう。別名、暑苦しいというかもしれないが。

 

「メガロの元老院議員にヘラスの第三皇女、更にアリアドネ―の総長まで集まって何してんだ?」

 

 豪放磊落なユーモアを感じさせる声が天井近くから降り注ぎ、笑みを含んだ声で巨漢が訊ねてきた。

 

「こ、この筋肉ダルマ! いきなり何をしとるんじゃ!」

 

 突然の暑苦しい男の登場にアスカが唖然としていると、男を見たテオドラが姫被りもせずに叫んだ。

 

「何って俺を呼んだのはお前だろ、じゃじゃ馬姫」

「だからといって扉をぶち壊す必要はないじゃろう! 驚いて心臓が止まりそうになったぞ!」

「まあ、コイツらしい登場の仕方ではあるがな」

 

 男の登場に驚いて心臓を抑えているテオドラと何故か納得の表情を浮かべているリカードの間にあった陰惨は空気は最早存在すらしていない。

 

「で、コイツがもう一人のナギの息子か」

 

 男――――ジャック・ラカンがアスカを観た見た視た。

 目が合うと眼の光が明らかに常人と違う分かる。何より、気迫というのであろうか。肉食獣を思わせる凄まじい気迫が体から迸っている。殺気ではない。体の中にとてつもない熱量があり、それを抑えきれずに放っている。そんな感じである。

 

(熱い……?)

 

 一瞬、ジャック・ラカンを前にしてアスカが思ったことである。

 ジャック・ラカン――――魔法世界で暮らす者なら、その名を知らぬ者はいない。『英雄』という称号は、物語の中の人物には相応しくても、現実の人間にはなかなか与えられないものだ。それでもない、ジャック・ラカンは『英雄』と呼ばれるのに相応しい男だった。

 近衛詠春と同じように大戦期を絶頂期とするなら、現在は肉体の絶頂期を超えているはずなのに衰えを感じさせる部分は外見上どこにもない。それどころか、男の外見からは他者を圧倒する強い何かが感じ取れる。それは肉体的な強さというより、男の精神力の強さが空間に滲み出ているかのようだ。

 

「容姿はアリカの方に似てるが、眼の光はあの野郎そっくりだな。生意気そうな面しやがって」

 

 近付いてきたラカンは顔を綻ばせて、いきなりアスカの頭を鷲掴みにして持ち上げ、何故か胴回りを抱き込んで絞り込むように締め付けてきた

 

「ぐえ~~~~。苦しい。苦しい…………!」

 

 強烈な抱擁に、身長差で浮かされた足をジタバタさせるアスカ。

 ラカンにとっては単なる抱擁だろうが、バカ力によって身体を締め付けられているだけではなく、顔全体をラカンの胸の辺りに抑え込まれているため、まともに呼吸が出来ず、今にも窒息しそうだ。

 ジタバタさせていた脚の動きが段々と弱っていく。

 

「ちょ、ちょっと止めなさいって!」

 

 二人のやり取りを見ていたセラスが驚いた声で訊ねた。

 

「おっ? ああ、悪い悪い。感動でつい、やっちまったぜ」

 

 どう考えても相手の背骨から肋骨にかけてを圧迫することなどわざとでなければやるはずもないが、ラカンは抱擁を解くとアスカを解放した。

 男の胸の中で危うく昇天しそうになっていたところを解放されたアスカはズルリとその場にへたり込んだ。

 

「死ぬかと思った……………一体何なんだよ、アンタ」

 

 アスカはのそのそと立ち上がるとラカンを睨んだ。

 

「その顔だぜ。アリカの顔をしてナギと同じ目をした奴が辛気臭ぇ顔してんじぇねぇよ」

「ぬ……」

「ほれ、お前の兄弟を連れて来てやった俺様を讃えろ」

 

 図星を刺されて言葉に詰まっているとラカンが入り口を示し、その手の先を追うと壊れた扉の後ろに立つ二人の人影が立っていた。

 

「ネギ、のどか、無事だったのか」

 

 半身ともいうべきネギと宮崎のどかが心細そうに寄り添いながらも並んで立つその姿に、先の暗い話が多かった所為もあってアスカは喜色満面で二人に駆け寄ろうとして――――。

 

「ネギ?」

 

 ネギの様子がどこかおかしく、その首に見慣れない首輪が付いているのが見えて途中で足を見えた。

 

「お前……」

 

 その首輪が奴隷を示す物であることも、ネギの両腕から漂う馴染み深い魔性の気配が何を示す物なのかを察知したアスカは、それ以上の言葉もかけることすらも出来なくなった。

 暗い目の奥で鈍い闇を纏わせながらネギは双子の弟の元気な姿を見て、そしてその後ろの室内にいる世界のVIP達の姿を見据える。

 

「アスカはいいよね、順風満帆そうで」

 

 ラカンによって一度は振り払われた悪い雰囲気が戻って来たかのようなネギの暗い声が廊下と室内に静かに木霊した。

 

 

 

 

 

 




本当ならフェイトとの対話まで行きたかったのですが、長くなるので一旦ここまでで。

ちなみに『第62話 ターニングポイント』において、フェイトの石の槍を受けて昏倒したアスカはカモの死を見ていない。つまりは知らない。

後、設定・魔法所為について

・大戦期、もしくはそれ以前から魔法世界の秘密を知っていた者は完全なる世界・魔界の者を除いて両手の指で足りる
・両国の上層部の一部が知ったのは戦後の亜人消失事件の時
・旧世界で亜人、もしくは魔法世界人の血が入ったものが死ぬと肉体がマナに分解される。どの程度血が入っていると魔法世界人判定されるかは誰にも分かっていない
・生きている間は旧世界でも行動できる。但し、死ぬと肉体がマナに分解されるが、魔法世界崩壊のカウントダウンが進んでいる状況では分解されない保証はない。
・魔法世界崩壊の理由は、世界創造時より空いていた極小の穴よりマナが流出し続けていた為
・火星の異界に魔法世界があるのは上層部には周知の事実



「第72話 世界の真実 後編」



UQ HOLDERでは亜人が地球にいたので現実世界に出て来れないっていう問題は解決したのだろうか?

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