魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第72話 世界の真実 後編

 

 

 

 

 

 ジャック・ラカンの登場と共に三者会談は終わりを迎え、魔法世界渡航前とは別人のようなネギの変化に困惑したアスカは何故かのどかにも避けられていることに気付いて首を捻りまくった。

 三人で移動するようになっても、最初意外頑なに目を合わせようとしないネギに首を捻り、顔を合わそうとすらしないのどかに更に首を捻り、居心地が悪くなって明日菜達との集合場所だけ教えて逃げるように離れた。

 訪れたのは新オスティアにあるオープンカフェ近くの欄干に腕を乗せて、死んだ目で祭りを楽しむ人々を眺めている。

 

「平和だなぁ……」

 

 祭りに夢中になって周りの事など見えていない若者達、家族で笑いあいながら楽しんでいたり、通り行く人々で通路は溢れ返っている。

 終戦記念祭目当てに集まった露天商が大声で商品を売り込み、その声に足を止めた観光客は商品を手に入れるために己の誇りと財布の紐を賭けて値切り交渉を行っている。ある場所では名物である賭け野試合が行われ、街中が野蛮なオリンピックもかくやとばかりの光景がそこかしこで見られていた。

 世界の真実に悩み、身内が変わってしまった理由に悩み、祭りの喧騒の中でアスカはふとどうしようもない孤独感を覚えた。

 

「寂しい、か」

 

 それぞれの程度の差こそあれ、皆一様に平和そうな顔をしていた。

 この祭りを楽しんでいる者達は魔法世界が今この瞬間にも消え去る可能性があることを知らない。

 そうでなくても、ふとした切っ掛けで万一の事態に巻き込まれるかもしれない。巻き込まれる時は一瞬、死ぬのも簡単なことなのに、彼らはそんなことが起こるとは夢想だにしていない。

 意識的にも無意識的にも自らの死を考慮の外にし、昨日と変わらない今日が続くと信じている。

 

「遠いな」

 

 所詮はそうした集団錯誤で成り立っているのが平和という状況であり、それはどうしようもなく脆いものらしいという理解が、この時のアスカには現実感を感じられなかった。

 目に付くもの全てが現実感の無い夢のような景色の一部に見えてくる。自分も日常の中に身を置いているはずなのに、現実感がなくどこか遠い世界の光景のように思えた。

 当たり前に埋没できた日常という時間が、どうしようもなく色褪せて見える現実。多少の齟齬を含みながらも、問題なく回ってきた歯車が世界の真実を突きつけられた瞬間を境に軋み始め、今や完全に止まってしまったという実感。

 そういったものが自分を焦らせているのであって、周囲の所為にするのは筋違いとだと思う理性を失くしていなかった。

 変えようのない現実を真正面から突きつけられたのである。どれほどに取り繕ったところで単なる現実逃避でしかない。

 今は現実を見ないように、苦しむ自分から目を逸らすように。周りを意識から除外し、剥き出しの心が暴走しないように蓋をすることでしか自分と周りを守る術を持っていなかった。

 

「ネギが奴隷になってるわ、闇の魔法(マギア・エレベア)を習得してかなりの深度まで浸食されてるわ、態度も刺々しいし」

 

 態度が辛辣な時は小さい時からあったが、あそこまで刺々しいのは試験勉強を邪魔した時以上だ。

 奴隷になってるのは完全に予想外で、麻帆良祭の時のアスカの暴走でネギにも闇の魔法(マギア・エレベア)の危険性は承知しているはずなのに、どうして習得したのか。しかも一ヶ月未満で麻帆良祭開始の時のアスカ以上の浸食深度に達している。早過ぎである。

 

「のどかまで余所余所しい、俺なんかやったか?」

 

 ゲートの事件以来、会ってすらいないのだから少なくとも魔法世界に来てから二人には何もをしていないはずである。アスカには何の心当たりもない。

 

「いや、待て。確かネギは偽ナギを名乗ってるんだよな。でも、俺が何か関係してるか?」

 

 関連性が分からない。そもそもアスカは本名を名乗る気などなかったのだがノアキスの一件で知れ渡ってしまったのだから不可抗力である。責任はないはずと、自己反論する。

 

「ネギとのどかのこともそうだし、この世界のことといい、なんなんだよ、もう」

 

 最初は小さな違和感だった異変が次第に全身に広がり、気持ちの落ち込みように比例するように悪化していく。

 

「うげぇ、考え過ぎて気持ち悪くなってきた」

 

 吐きそうな気持ち悪さの中で口を押えた。

 坂道を転がるように際限なく体調が悪化して頭が重い。周りの歓声が頭蓋骨の内側で反響して、胃が裏返りそうなほど捻じれている。

 アスカは即断即決なので物事について細かいことに拘ることはないと周囲の者には思われているかもしれないが、これほどの事態に対して無感でいられるほど薄情ではない。

 逆に一度考え込んでしまうと、ヘルマン時に明日菜の仮契約を断ち切った時のように思い悩む性分なのである。蹲って鬱々とした思考に溺れてしまい、爆発してあらぬ方向に進んでしまう悪癖がある。

 正に張り子の虎か。強くあるのは外面だけで、少しも内実が伴わない。これでは駄目だ。変わらなくてはと思うのだが上手くいかない。歯痒い。あるべき感情をどこかに忘れてしまったようだ。

 自分がどこに行き着くのか、正しいのか、間違っているのか、アスカはそれを知りたかった。

 

「毎日お祭りだといいのになぁ」

「パレード見に行こうか」

 

 後ろを通り過ぎた目の前の親子連れのように実に楽しそうに笑い合う人々の横顔を見ていると、なんだか気分が底抜けに暗くなってくる。

 来るべきではなかった。どこか人のいないところへ行こうと思い、適切な場所を探す。

 

「宿の部屋に篭るかな」

 

 どうしたものかと悩むアスカの思考は、しかし、巡りも回りもする前にビクリと凍りついた。背筋に何か冷たいものが走った。

 カツン、という足音が聞こえた。

 これだけの雑踏の中、人の体が生み出す生活音がそこら中に溢れているはずなのに、まるで洞窟の奥で天井から落ちてくる水滴の音を聞くかのように、その足音は正確にアスカの耳に滑り込んで脳を刺激する。

 音源は自分の背後。何者かが近づいてくる。

 確かな緊張に四肢を強張らせたアスカが振り返る。

 変装用に付けているそのサングラスに隠れた見開かれた双眸が睨んでいるのは、雑踏の先に埋もれるように立っている人物。

 白髪と何故か着ている学生服を纏った少年―――――彼は睥睨するようにこちらを、アスカ・スプリングフィールドを凝視していた。その少年は誰あろうゲートボートでアスカに重傷を負わせた張本人、フェイト・アーウェンルンクス。

 

「フェイト……」

 

 溢れ出す激情を抑えながらも零れ落ちた名前。会ったのはこれで二度目。最初に出会った時も、それほど長く接したわけでもない。

 アスカは思わず握り締めていた右の拳を開いて肩の力を抜く。さっきから『実力行使』の四文字が、アスカの頭の中で躍っている。だが、ほどなくして戦意を消失した。フェイトの正体に気付いたからである。

 

「偽物、いや、分身の類いか」

「正解だよ。良く分かったね」

 

 ゆっくりと歩み寄って来たフェイトが本体ではなく、魔法で作り出した分身のようなものを操っていることを指摘すると、本物そっくりの偽物は薄く笑みを浮かべた。

 

「見ての通り、見た目は本物そっくりだけど戦闘力は格段に劣る。それでも今僕達が戦い始めれば周囲の被害は相当なものになるだろう。それは僕も本意ではない」

「つまり、戦う気はないってことか」

「言っただろう、次に会った時が決着の時だと。今はまだ、その時ではない」

 

 と言いつつも、フェイトは警戒と興味と殺意とが等分に入り混じった奇妙な気配をアスカに向けて来る。

 

「態々、顔を見に来たってわけでもなさそうだが」

 

 様子から察するに今回の来訪はフェイトの意図するものではないということなのか。それでも分身を使ってまでアスカに会いに来たのには理由があると見るのが自然である。

 

「今日、君の前に姿を現したのは戦いに来た訳じゃない。平和的に話し合いと取引をしようと思ってね」

「話し合いだと?」

 

 散々、敵として戦っておきながら今更話し合いなどとおかしなことを言い出すなと言わんばかりのアスカの表情に、フェイトは表情を一つ変えずに「そうだ」と返した。

 

「ハワイの時といい、ゲートポートの時といい、不幸な巡り合わせで互いの目的の為に拳を合わせてきたが、一つ何かがずれれば僕達は本来ならば戦う必要もなかったことは君も理解しているね」

 

 ハワイでは、ゲイルに雇われたフェイトと、ゲイルの目的を阻止するために動いたアスカ。互いに明確な遺恨があって戦ったわけではない。雇い主の意向とその邪魔をしたい者の利害がぶつかっただけである。

 ゲートポートの時はもっと単純だ。ゲートを破壊したいフェイト達とその場に居合わせてしまったアスカ達。アスカ達を見逃せば外部の邪魔を呼び寄せるとなればフェイト達は排除するしかない。

 仮にアスカ達がハワイに行かなければ、使うゲートポートが違っていれば、二人は互いに顔すらも知ることもなかっただろう。

 

「僕達が何者なのか、何を目的としているのかを話そう。その上で敵対するかどうかを決めるといい」

 

 そう言ってフェイトはオスティアンティーを飲みながら話そうと近くのカフェの席に座ることを勧めた。

 少なくともこの場においてフェイトの話を断る理由はアスカにはない。仕方ない風情を装い、勧められた席に座ったアスカの前でフェイトはやってきたウェイトレスに注文をする。

 

「君は何を?」

「同じ物でいい」

「じゃあ、オスティアンティーとコーヒーを一つずつ」

 

 人が同じ物で良いと言ったのにアッサリと違う物を頼むフェイトにアスカの頬が引くつく。

 注文を受けたウェイトレスが笑顔で復唱し去っていくのを眺めたアスカは、なんとなく空へと視線を移した。

 上にはどこまでも広がる青い空。建物の上にもモクモクと入道雲が湧き上がり、焼けた石畳からは幾つもの陽炎が立ち昇る。輝く太陽の下、三角形をした白いテーブルが幾何学的に並べられ、街の風景にちょっとした彩りを与えている。

 

(火星って赤い星じゃなかったけか)

 

 見上げる青い空からは那波千鶴が所属する天文学部に遊びに行った際に見た火星と思うことは中々出来ない。

 未だに呑み込めない魔法世界の真実を前にしてそれほど長い時間、見ていたわけではないが顔を下ろした時には去ったはずのウェイトレスがアスカの前にオスティアンティーを並べているところだった。

 香りから察するにオスティアンティーとは、要は茶のようなものかと察して、つい長年の習慣から紅茶を飲む時のように机に置かれていたミルクを手に取る。

 

「やれやれ、いきなりミルクかい?」

「なに?」

 

 アスカのようにミルクに手を伸ばすことなく、コーヒーが入ったカップを手にしたフェイトが揶揄するように言った。

 

「薫り高い銘茶として名高いオスティアンティーにいきなりミルクなんて…………ミルクティー、なんでもかんでもミルクティーって子供みたいだ。これだから英国人は。まあ、僕は圧倒的に珈琲党だからどうでもいいけど。珈琲は精神を覚醒させる。僕は日に七杯は飲むよ」

「いや、一日に七杯はどう考えても飲みすぎだろ」

 

 ミルクを置いて持論を展開するフェイトに突っ込みを入れる。

 作法なんて知らずにネギの真似をしてミルクを入れていたので、別に入れなければ飲めないわけではない。

 

「ん、美味いな」

 

 フェイトが絶賛するだけあって、食べたり飲めればそれでいい派のアスカをしてオスティアンティーが美味であると認めた。

 

「僕の言うことを素直に聞くとは、少し意外だね。君は僕のことが嫌いだと思ったが」

「ああ、嫌いだね。だが、俺は嫌いだからと他人の意見を端から否定するほど狭量じゃない」

 

 言葉以上には驚きを表に見せないフェイトにオスティアンティーの香りを堪能していたアスカが澄まし顔で答える。

 嫌いであることは認めつつも、注文時に同じ物と言ったのに自分はコーヒーを頼んでいたフェイトを皮肉る。

 今度はフェイトの頬が僅かに引くついたように見えたが、錯覚かと言われれば納得してしまうほどの微かなものである。だが、見過ごさなかったアスカはやり返せたことにご満悦な笑みを浮かべる。

 

「本題に入ろうか」

 

 数口飲んだオスティアンティーをソーサーに戻したアスカが口火を切る。

 

「フェイト・アーウェンルンクス、完全なる世界の幹部が俺に何の用だ?」

 

 同じように珈琲を半分飲んだフェイトもカップをソーサーに置き、口火を切ったアスカを見据える。

 

「僕が完全なる世界の幹部であると知っている者は少ない。それを知っているとなるとタカミチ・T・高畑か、アルビレオ・イマか聞いたのかな」

「どっちでもいいだろう。で、どうなんだ?」

 

 こちらの頭の中までも覗き見るように透徹した瞳に屈せぬように腹の底に力を込めて再度の問いを放つ。

 

「その前に完全なる世界について詳しく聞いているかい? それによって話す内容も変わって来る」

「…………いや、何も。世間で流布している以上のことは俺も知らない」

 

 そもそも魔法世界でフェイトと激突する予定などなかったし、アルビレオ・イマもアスカの問いに対して自分で調べる方が良いとしか言わなかった。

 自分で知った場合と、アルビレオが語った場合ではアスカの主観に影響が出るという話だったが、この事態を考えれば先に聞いておいた方が話が有利に進んだのかもしれない。

 

「まさか世界を滅ぼすなんて戯言を本気で信じているとしたら、僕は大口を開けて笑いコケてしまうよ」

「正直、その姿は見てみたい気もするが、この世界は何もしなくても滅びると聞いた」

「情報源が気になる所だけど話が早くて助かるよ。僕も無様を晒さずに済む」

 

 今は真面目な場なので自嘲して先程の会談で聞いたことをそのまま伝えたが、この人形のような男が大口を開けて笑い転げる姿が想像すらも出来ない。アスカの本音としてはその姿を見てみたい。

 

「とはいえ、流石に君がこのことを知っているのは意外だったよ。このことはこの世界の上層部、それも極一部しか知らないことだ。君に戦う姿勢が見えないのも世界の真実を知ったことが関係しているのかな」

 

 意外そうに少し目を見張ったフェイトが自分の反応を落ち着けるように珈琲を一口飲み、敵意があってもアスカがが戦う気にならなかったのは世界の真実知ったことにあると推測する。

 

「ああ、俺が知ったことを教えてやるよ」

 

 この世界の現実世界の場所、世界に開いた穴と流出を続けるマナ、魔法世界人の不安定さ、滅びが不可避であること、を敢えてアスカはフェイトに語った。

 

「そのヘドロを呑み込んだような胸糞が悪いと言わんばかりの顔。それだけを聞けばそうなるのも無理はないね」

 

 自分のこの苦しみを目の前に叩きつけてやろうという些か下衆な心持ちであったが、話を聞いたフェイトはむしろ納得したような面持ちになり、アスカが期待したような顔にはならなかった。

 

「この世界の滅びは回避できない決定事項だ。僕達が世間で言われているような世界を滅ぼすことを目的として行動するなんてナンセンスだよ。放っておけば滅びるんだからね」

 

 カップをソーサに置き、足を組みかえたフェイトが「とはいえ」と続ける。

 

「ある側面から見れば、僕達の目的はこの世界を滅ぼす事にある。 一概に彼らを間違っているとは言えない」

「なんだって?」

 

 矛盾した言い様に眉根を寄せ、真意を問い詰めようとしたアスカの言を先回りしたフェイトが先に口を開く。

 

「君はこの世界をどう思う?」

 

 フェイトは周りを見渡して手を広げながら、ゆったりと言葉を紡ぐ。

 

「人は野蛮な生物だ。どれだけ文明が進歩しても闘争本能を捨て去ることが出来ない。いや、その文明こそが本来は平等であるべき人々の間に貧富を生じさせ、対立を生んで争いを引き起こしている」

 

 アスカの脳裏にノアキスでの一件が流れていく。

 貧困から抜け出せず、居場所を見い出せない者達。富める者を妬んでその席を奪おうと立ち上がった者をいたずらに非難することは誰にも出来ない。誰もが幸せになりたいだけなのに、幸福の席は決まっているから他者から奪おうとする。同時に不幸を生み出すことと同意であることにも気づかず。

 

「世界はシステムだ。だから造り上げる者と、それを管理する者が必要なのは分かるかい?」

 

 人が集まれば集団となり、村となり、街となり、都市を造り、最終的には国へと行き着く。

 

「人が管理しなければ、庭とて荒れる。誰だって自分の庭には、好きな木を植え、芝を張り、綺麗な花を咲かせるものだろう? 雑草は抜く必要がある」

 

 アスカはフェイトの長広舌に、仏頂面で聞き入っている。そんな相手を見もせず、フェイトは得々と語り続ける。

 

「人は誰だってそういうものが好きなのは世界を見れば分かる。きちんと管理された場所、安全をね。今だって世界をそうしうようとしている。街を作り、道具を作り、ルールを作った」

 

 人が目指してきたものは、秩序ある世界だ。より自分達が生きやすいように、人は環境を作りかえ、様々なルールを作り、そのルールが遅滞なく機能するように作りかえ、それに従って生きている。

 

「だが、現実はどうだろう。種族、人種、住んでいる国、場所、生まれ、能力、資質、性質、様々な者が他者と違うからといって争い殺し合いまでする。誰もが不幸になりたくて生まれてきたわけではないというのにね」

 

 幸せになりたいだけなのに、人はどうしてもすれ違い争い殺し合うのか。そう語るフェイトの目は煉獄を見ているようで、決して終わらぬ問いを続ける聖人のようで、矛盾した両者が同居した眼差しをアスカに向け続ける。

 

「この世界を見渡してみて、喜んでいる者と苦しんでいる者のどちら多いと思う?」

 

 今この新オスティアにいる者の大半は喜んでいる者だろう。だが、この都市外の者はどうだろうか。今日食べるご飯がない者、住む場所がなくて放浪を続けている者、明日をも知れない者達が山ほどいる。

 

「何が言いたい」

 

 長々と語るフェイトの真意を読めず、黙って聞いていたアスカはいい加減に我慢が出来なくなって唸るように言った。

 

「完全なる世界の目的とは即ち、この不完全な滅びに瀕した世界を造り変えることにある」

「世界を造り変える、だと?」

「僕達にはそれが可能だ。既存のルールに縛られた世界では不幸になる者の方が多い。僕達が作り出す世界は、ただ一人の漏れなく人々を幸福に出来ると断言するよ」

 

 本気か、と胡散臭さを隠そうとしないアスカが声に出さずとも顔に書いてある言葉にフェイトはハッキリと頷いた。

 

「救われる者の数は、間違いなく正義だよ。無駄に死ななくて良くなる者達が何十万、何千万といるはずだ。これだけの命を前に、動かないことは悪ではないかな」

「そうだが、ただの一人の漏れもなく幸福な世界なんて信用できない」

 

 幾ら地球の半分程度とはいえ、数億の者が平等に幸福になることなどありえない。

 もしも全ての者が食い詰めず貧しくならない世界なら、アスカの信念如きではフェイトが告げた以上を実現できることなど想像も出来ない。それでも、アスカは膝を屈することが出来ない。

 

「出来る」

 

 虚言ではありえない自信を覗かせてフェイトは断言する。

 

完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)――――僕達の組織名だが、実際は造り上げる世界の名称でもある」

 

 魔法世界は不完全な世界であると暗に込めながら、自らの組織の名称の真の意味を告げる。

 

「有り得たかもしれない幸福な現実、最善の世界。『完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)』は各人の願望や後悔から計算した、最も幸せな世界を提供する。人生のどの時期であるかも自由、死もなく幸福に満たされた暖かな世界。見方によってはこれを永遠の楽園の実現と捉えることも出来るだろう」

 

 滅びが避け得ない世界を作り変え、幸福が約束された世界を生み出す。確かに人生において最も幸せな世界であれば幸福は約束されていると言えるだろう。誰一人の例外もなく、誰もが幸福に包まれる。

 争いのない幸せなだけの、みんなが何時も笑顔でいられる世界。不安はなく、悩みもなく、ひたすら健やかに幸福に生きられる世界。なんだか、狂った世界に思えるが、或いは天国のような、完結してしまった恐ろしいほど退屈な世界である。

 

「出来ると言うのか、そんな世界が」

「その為に何千年と準備を重ねて来た。それに完全なる世界であれば魔法世界の滅びを回避できる」

 

 アスカには理解が及ばない事態だ。三者会談における世界の真実から続き、前大戦において世界の敵とされた完全なる世界の真の目的が救済となれば、アスカの混乱は深まるばかりだ。

 

「第一、連合や帝国に魔界を通して世界の真実を教えたのは僕達完全なる世界だ。だが、彼らは滅びから回避する方策を見つけるどころか自分達が生き残ることしか考えていない」

 

 大国が自国の利益を優先し、代表であるテオドラとリカードの二人が対立していたのをその眼で見たアスカに抗弁は出来ない。

 

「世界の崩壊は不可避だ。魔法世界崩壊後、純粋な人間だけが生き残れても不毛な荒野に放り出されて苦しむことになる。仮に帝国と連合の計画が間に合ったとしても、残っているのは悲惨な未来だけだ」

 

 アスカにも簡単に想像がつく。

 仮に世界崩壊後に両国の計画が間に合ったとしても、種族の壁が消えないままで魔法世界より狭いシェルターに閉じ込められ続ければ、何時かはノアキスの一件のように不満が爆発する未来予想図が簡単に描けてしまう。

 

「だが、それでも世界に開いている穴は変わらない。マナが増えるわけでもなし、永遠になんて続けられるはずがない」

 

 穴から流失し続けるマナによって、やがて魔法世界のように維持が困難になる時がくるはずであるとアスカは言った。

 

完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)は魔法世界とそこに生きる者達の肉体をマナに分解し、魂のみを封ずる。世界を根本から造り替えるわけだから当然、穴は無くなるし、分解されたことで生み出されたマナと、完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)に封ぜられた者達が生み出すマナだけで世界の維持は十分に可能だと試算が出ている。これは魔界の研究機関も認めている」

 

 フェイトの語る論理に穴はない。

 世界に出来た極小の穴を防ぐ術がないのならば、防ぐのではなく世界を造り替えるなどという発想は中々出てこない。

 魂だけを本人が望む願望の世界に送り込むならば肉体は必要なく、その肉体を分解して得たマナは膨大である。願望の世界ならば大きさは関係なく、魂が発するマナさえあれば永遠とも思えるほどに世界を永続させていくことは可能かもしれない。

 

「分かるかい。大戦前から完全なる世界の目的は一貫しており、世界の敵はむしろ紅き翼の方であったということが」

 

 フェイトの言うことにアスカは否とは言えない。

 紅き翼では世界の崩壊のカウントダウンを止められず、完全なる世界は彼らなりのやり方で世界を救おうとしている。

 

「このままじゃ、世界が滅ぶって言うことをどうして公表しなかった? そうすればあんな戦争を起こす必要はなかっただろ」

「愚策でしかないね。確かにやり方に問題があったのは認めよう。だが、それも故あってのことだ」

「その理由は?」

「答える気は無いね。その必要もない」

 

 世界が滅ぶ瀬戸際であるのに大戦を起こした理由をフェイトは語らなかった。

 考えるが答えは見つからず、アスカは「マナ流出を止める方法はないのか?」と訊ねた。崩壊をより先に知っていたのならば知っているのではないかと期待したのである

 

「仮に防いだだところで何の意味がある? 数十年滅びを先送りにするだけだ。もう世界を維持するマナは限界に来ているのだから意味はないよ」

 

 疑問に対して疑問を問い返したフェイトの目はここではないどこかに向けられていた。

 

「消えぬ種族差別、大国の溝、癒えぬ戦禍の傷、歴史は勝者が作り、敗者はひっそりと忘れ去られる。そんな世の習いしか築くことが出来ないこの世界は間違っている。幸福が約束された完全なる世界へ移行すべきだ」

 

 フェイトは言い切った後に喉の渇きを覚えたかのようにカップを口に傾けたが、もう中身は残っていないようで残念そうにソーサーに戻す。

 

「だが、これらは本来は旧世界に生きる君や君の仲間には関係のない話でもある」

 

 主張を止めたフェイトは考え過ぎて頭がしっちゃかめっちゃかになっているアスカを労わるように声音を和らげた。

 

「どういう意味だ」

「簡単なことさ。世界の真実を知り、僕達の組織の目的を知った上で敵対するというなら止めはしない。君が君の父達の遺志を継ぎ、滅びる世界の守護者となる選択を取るというのならば、世界の敵となることを覚悟するといい」

 

 前大戦のように完全なる世界と敵対するということは、世界の真実と彼らの目的を知った上では意味が異なってくる。

 

「世界の敵……」

 

 救われる者の数が多い方が正しい。それは一つの真理だ。

 滅びが確定されている魔法世界で代替案もなく完全なる世界と敵対することは、文字通りの世界の敵になることに等しい。その事実がアスカの肩の上にズッシリと乗っ掛かる。

 

「好き好んで世界の敵になんてなりたくはないだろう。旧世界に戻り、この世界のことは忘れてしまう方が良い。寧ろ、協力しても構わない」

「なに?」

 

 とんでもない提案を出したフェイトにアスカは目を剥いた。

 帰還に際して、連合と帝国、アリアドネ―の協力は既に取り付けてある。その上で仮想敵であった完全なる世界も旧世界への帰還に協力的な姿勢を見せたことがアスカに驚きを抱かせた。

 

「君の存在は僕達にとって脅威だ。ノアキスで名声を得て、大国との繋がりも得ていると聞いている。今の君は二十年前の紅き翼のような存在になりつつあることを自覚した方が良い。そんな君が何もせずに旧世界に帰るというのなら僕達にとっては願ってもない事だ」

 

 語るフェイトの言うことを鵜呑みにして判断を下すのは危険ではあるが、敵性勢力が減るのは悪い事ではない。理屈も納得の出来るもので、今のアスカの実力と発言力ならば紅き翼並とまではいかなくても、かなりの領域で完全なる世界の邪魔が出来る。

 アスカが魔法世界に来た目的は両親の足跡を知ることにある。その目的は達成できていないが、言い出しっぺとして仲間を無事に旧世界に連れて帰らなければならない責任がある。そのことを考えれば二重の意味でフェイトの提案は断りにくい。否、断る理由を探す方が難しい。

 

「ただ、協力だけはさせておいて後で前言撤回されてこの世界の問題に首を突っ込まれても困る。それでこれだ」

 

 ポケットから天秤を下げる鷲を象った魔法の印璽を取り出し、テーブルの上に置く。

 

「これは鵬法璽(エンノモス・アエトスフラーギス)――――この印璽は、標的となる人物の言明を魂に刻みつけ、強制的に厳守させる」

 

 アスカの眼から見ても最高位クラスの魔法具で、フェイトの言う通り対象が口に出して成立すれば如何な超高位魔法使いであろうとも逃れることは出来ない。

 

「僕が望むのはただ一つの言葉だけだ。『完全なる世界の邪魔をしない』と、それで取引は成立だ」

 

 印璽を見つめたまま肩を震わせるアスカを見て、ほくそ笑みながら言うフェイト。

 戦うべき理由が存在しないアスカは苦虫を潰したかのように唇を歪めながら、テーブルの下で両手を強く握り締めていた。

 

「何も英雄の息子だからといって英雄になる必要も、父親達の残した因縁を引き継ぐ事も無い。この世界のことを忘れて旧世界で幸せに生きるといい」

 

 フェイトの言うことは常に真っ当で反論しようもないほどの正論である。

 嘘は言ってないだろうし、質問に対して真摯に答えてくれていると分かる。語っていないのも大戦を起こした理由と穴を防ぐ方法があるかないかを答えていないだけである。

 

(そうだ、頷いてしまえ)

 

 内心で呟くが何故かその気にはちっともなれなかった。

 魔法世界のことを見捨てて旧世界に帰ってしまえば楽であるはずなのに、アスカの中にある何かがこの提案に対して反発するものを覚えている。

 

「さあ、口に出して言って……」

「うるせぇ!」

 

 人が考えている時に急かされ、頭が煮詰まっていたアスカはテーブルに力一杯拳を叩きつけた。

 ゴッ、という大きな音がしてテーブルが叩かれた部位を中心として真っ二つに割れ、生じた衝撃が周囲に波紋を広げた。

 

「さっきからごちゃごちゃと…………」

 

 周囲から唖然とした目で見られているのを感じながら椅子から立ち上がり、自分が使っていたカップとソーサーを確保しているフェイトに向けて指を突きつける。

 

「お前に保証されなくなって、こっちは勝手に帰らぁ! テメェに指図される謂れはねぇんだよ! その珈琲臭ぇ口を閉じやがれってんだ!」

 

 魔法世界云々のことは横に置いておいて、二大国とアリアドネ―の協力を取り付けているのだからフェイトの保証など必要ないと吠える。

 正直、言ってからやってしまったかと少し後悔したが、心は晴れ晴れとしている。

 

「ハ……ハハハ、ハハハハハハハハハ!」

 

 フェイトが大口を開けて笑う。まるで笑うという動作を人形が真似しているかのように目だけは感情を伴わせないまま。

 

「これほど譲歩し、情報を与えてあげたのに愚かな選択ではあるが、アスカ・スプリングフィールド。君なら、そう言ってくれると思っていた。期待通りの返答をありがとう。これで僕達は晴れて敵同士だ」

 

 機嫌良さそうに、アスカに向って告げる。

 二人が会話をこれ以上続ける意味はない。互いに歩み寄る意思はなく、外交策としては最も愚劣で直接的な手段に訴える他ない。

 距離は一歩分開いており、双方ともに初手で仕留めるにかかるのは難しいと素人やある程度の強さの人間は思う。彼らの力はもはや常人の及ぶ領域にはない。たった一撃で川を切り裂き、山を穿つ攻撃は人を容易く殺す。

 

「ああ、そうかい!」

 

 敵認定に嬉々として言いつつ、問答無用に殴りかかるアスカ。その拳を腕で払いつつも、フェイトは飄々とした人形染みた表情を崩さぬまま。

 

「いきなりだね。相変わらず沸点が低いなキミは」

 

 気が合うとはまた違い、息が合うといった方が正しいか。性格は全然違うはずなのに、妙に似た部分があるような、まるで歪んだ鏡を見ているような気がして癇に障るわけだ。

 正反対だけど、似ているところあると自覚できるから、やけに反発してしまうというか。録音した自分の声を聞く気分になるのだ。

 

「はっ、ゲートでいきなり襲ってきたお前にだけは言われたくないね」

 

 皮肉に返した軽口もまた飄々とした態度は逆に挑発となったのだろう。それが引き金であったかのように、フェイト・アーウェンルンクスは地を蹴り、脚を踏み出す。今度はフェイトが受け止めた腕とは逆の拳でアスカに殴りかかった。

 

「野蛮なのは先に始めた方に決まっている」

 

 今度はこちらが流したアスカだが、なおも止まる様子のないフェイトに、その腕を掴み止めた。

 ギリリと軋む両者の四肢。掴んだ腕を捻じ伏せようと、掴まれた腕を振り抜こうと、互いに力を込める。幼稚な意地の張り合いそのものの力比べに、小さく舌打ちを鳴らしたのもまた同時。

 

「初めて会った時からお前が気に入らなかったんだよ」

「君と気が合うというのは最悪だが同感だよ。僕も君が気に入らない」

 

 待ちに待ったこの瞬間を見逃さないと、両者は掴まれた腕を力任せに振り解くと、前にも増して大きく腕を振り被る。

 鈍く激しい打撃音は、互いの拳が頬を殴りつけたもの。マトモに入った一撃によろけながら苛立ち呻いた。

 

「テ、メェ……ッ!!」

 

 怒気も凄まじく繰り出したアスカの三撃目は、初撃、二撃目に勝るとも劣らぬ重さでフェイトを打ち据える。仰け反ったフェイトは踏み留まってアスカを睨む。お返しするように攻撃を叩き込むが分身を操作にしている過ぎない以上、アスカに簡単に防がれる。

 

「こんなことなら本体で来るべきだったよ!」

「全くだ! ここで決着を着けてやったのにな!」

 

 ならばこそ、二人は込めた激情も凄まじく更に拳を振るい合う。

 魔法も培った技術も使わない純粋な肉弾戦。そこにあるのは、ただ、相手に抱く嫌悪と敵意の爆発。何がそんなに気に喰わぬのかと問えば、存在の全てがと答えるであろう。

 それは初めてハワイで出会った時から、そして、今対峙したこの瞬間において決定的に二人の中に刻み込まれた敵意。目の前に立つ男が心の底から気に喰わない―――――それは反発しあいながらも皮肉にも同期した感情。

 

「うぉおおおおおおおお!」

 

フェイトの怒声は改めて激しく、そこに込められた嫌悪を露に、アスカの腹を右膝で蹴り上げた。

 

「この野郎ぉおおおおおお!」

 

 対するアスカの叫びは憤怒に震えて底冷える。前のめりに崩れかけたアスカは、グッと踏ん張って持ち直すと、反動のままに頭を突き上げ、フェイトの顎先を跳ね上げた。

 分身である以上、パワーで劣るフェイトだけが衝撃に大きくよろめいて、それでもなお引き下がる意思はなく、それどころか文字通り怒り心頭の形相で、周りに群集がいるのにも関わらずに必殺を繰り出そうとする。

 

「「死ねっ!!!!!」」

 

 互いの叫びが重なって濁る中、だが、必殺の一撃を放とうとした二人の動作は半ばにて掴み取られていた。

 

「アホかッ!!」

 

 呆れも強く張り上げられた叱責は、双方の攻撃の手を掴みとめた男の怒声。響いたそれは怒りの激しさを物語るように、大気を振動させて爆発する。

 争う二人に対して放たれた、指向性もった衝撃波。

 

「んぎゃ!?」

「ぬ!?」

 

 予想外の方向からの攻撃に成す術もなく吹き飛んだアスカとフェイトは、それぞれ身体を強かに打ちつけて石畳に転がった。

 それでも油断なくあっという間に立ち上がると、攻撃を放った男を同時に睨み付ける。

 

「なにしやがる、ジャック・ラカン」

「コイツと同じ気持ちなのは癪だけど僕も聞きたいね、ジャック・ラカン」

 

 二人に攻撃を放った男――――ジャック・ラカンは周りのことなど欠片も考えていない二人を見据え、「祭りの最中に殺し合いを始めるんじゃねぇよ」と言い捨てた。

 

「血気盛んな年頃なのは分かるが時と場所を考えな。祭りは楽しむ物であって、殺し合いをする場じゃねぇ」

 

 至極最もな言い様であったので二人は揃って閉口し、何時の間にか周りから人がいなくなっているのを目にして互いを見ながらゆっくりと戦闘態勢を解く。

 二人が戦う気を無くしたのを確認したラカンの眼が細くなって眼光が一点に集中する。フェイトを見るというよりは射抜くといった方が相応しいその眼には、物理的な力さえ感じられそうである。

 

「こりゃまた随分と懐かしい顔じゃねーか。土? 地だっけか、のアーウェンルンクスだったか。二十年前に一人目、十年前に二人目がナギの野郎にやられたって聞いたが、テメェが三人目か?」

「…………三番目などと無粋な呼び方をしないでほしいね」

「ああ、フェイトだったか。自分でつけたにしちゃいい名前じゃねぇか」

「どうも」

 

 ラカンは楽し気な笑みを浮かべているが全身に油断はない。反対にフェイトは完全に戦う気を失っているようで体から力を抜き、返答にもどこか適当さが滲み出ていた。

 アスカをチラリと見たフェイトは改めてラカンに視線を戻す。

 

「貴方が人里に出て来るとは少し意外だったね。世捨て人になったのかと思っていたけど」

 

 ラカンの太い眉の下にある瞳は、どこか遠くを見ているように思える。鍛え上げられた身体には、異常なまでの筋肉の隆起が見られる。生半可な修練ではこれほどの肉体を得ることは難しい。筋肉質といっても肉の厚みからくる重さを微塵も感じさせない。野獣だけが持つ無駄なく研ぎ澄まされた肉体美がある。

 これでもかと存在感を主張する男が、今この時にこの浮遊都市に現れたことをフェイトは憂いていた。

 

「引っ張り出されちまってな。まあ、悪くねぇよ。こういう予想も出来ないことががある分だけ、人里の方が刺激に満ちてやがる」

「僕と()るつもりかい?」

「前大戦の生き残りっつうんなら、自分の拭き残しぐらいは拭かなきゃなんねぇが、お前は大戦後に作られたタチだろ? 俺が戦う意味はあんまねぇな。ま、そっちの坊主やこっちの嬢ちゃん達が五百万出すなら話は別だがな」

 

 そう言ってラカンが親指で後ろを指し示すと、そこには明日菜達が物陰から隠れるようにしてこちらを見ている。

 分身であってもフェイトの実力はまだ彼女らを凌駕している。全員で闘えばいい線を行くだろうが、その場合は周りの保証は出来ない。アスカとフェイトが戦う気になってしまったことを考えれば、彼女達がラカンを引っ張り出してきたのは英断と言えるだろう。

 

「詠春の娘に自分の拭き残しぐらいは拭けって言われたが、来てみれば見覚えがあるっつうんで介入したが別人だしな。場所を変えるなら幾らでも戦って来い」

 

 シッシッと手を振って追い払う動作をしたラカンにフェイトは呆れたように息を吐いてアスカを見る。

 

「興が削がれた。今日はここで失礼するよ」

 

 言って、分身を解いたのか、足元から砂となって体が解けていく。

 一瞬で砂になっていく中でフェイトの口が「次は必ず決着をつける」と動いたのを目にしたアスカは、親指を下に下ろして「一昨日来やがれ」と返す。

 風が吹き、フェイトがいた場所に留まっていた砂が攫われてどこかへと運ばれていく。

 

「はぁ」

 

 衝動的にフェイトの取引は断ったが、アスカの口からは重い溜息が漏れていた。

 

「テメェら兄弟は揃って何時も辛気臭ぇ顔してやがんな」

 

 溜息と一緒に下がった視界が地面を映し出し、そこに突如として入り込んだ影の主であるラカンを見上げる。

 

「辛気臭くもなる。なんだって誰も彼も俺に秘密を打ち明けたがるんだ?」

 

 これはアスカにとっての本音だった。たった半日に過ぎない間に知った隠された事実は、とてもアスカの裡に収めておけるような内容ではない。さりとて容易く他人に相談できる内容でもなく、鬱屈が溜まるばかりだ。

 

「俺にどうしろってんだ? ああ、どうしろってんだ!?」

 

 頭を掻き毟りながら叫ぶ。叫ばずにはいられなかった。

 

「何を聞かされたのか知らんが、考え過ぎだ。ていっ」

「いたっ!?」

 

 大きい拳が煮詰まってこんがらがっていたアスカの頭に下ろされ、視界に星が散ったような感覚と痛みを得る。

 

「なにしやがる!」

「苦み走った顔をしてたからスッキリさせてやったのよ」

 

 頭を押さえながら頭二つ分は上にあるラカンの顔を見上げると彼は笑っていた。そのことが妙に癪に障った。

 

「元はといえば、紅き翼がこの世界の問題を片付けていれば俺がこんなに苦労することもなかったんだぞ!」

「ほぅ」

「完全なる世界は全てを救うと言った。じゃあ、アンタ達がやったことはなんなんだ? やったことに意味はあったのか!」

 

 アスカが胸の裡に溜まっている思いをぶちまけると、一瞬二人の間を沈黙が支配する。

 

「知るかよ」

 

 間を置いたラカンは心底どうでもいいとばかりに口にした。

 

「じゃあ、逆に聞くがお前は意味がなければ戦えないのか?」

 

 はぐらかすな、と激昂しかけたアスカよりも早くラカンが問うた。

 

「言葉遊びだ。人は何かを得る為に、何かを失わない為に戦う。俺だってそうだ」

 

 やがて、ゆっくりとアスカが答える。それは考え抜いた上に、やっと言葉にすることが出来たかのように想いの籠もった口調だった。

 

「ふぅむ、思考の袋小路に至ると自分の中で結論を出そうとするのは母親似か。かぁ、面倒臭ぇ」

 

 思いつめた眼差しで見上げて来るアスカを見たラカンは、ふと何かを思いついたような顔をする。

 

「良いことを思いついたぜ。おい、アスカとかいったか」

「あん?」

「俺もナギ杯に出る。何を隠そう、俺こそがナギ杯の主催者の一人だ。他の奴らから主催者推薦で出ろって言われてたんだが受けることにしたぜ」

 

 もうラカンに興味を失くして恐る恐るやってきている明日菜達に意識が向いていたアスカの眼が急速に戻って来て点になる。

 

「大会で俺に勝てることが出来れば、俺の知る全てを教えてやる。俺達が何を思って戦ったのか、ナギのことも、お前の母親のことも含めて一切合切全部な」

 

 アスカは最初ラカンが何を言っているのか理解が出来なかったが、やがてその意味が頭の中心部にまで浸透するとゴクリと唾を呑み込んだ。

 

「途中で敗けたらどうするんだ?」

「そん時は何も教えてやれねぇな。運と自分の弱さを嘆け」

 

 ラカンは自分が敗けることをチリほどにも疑っていない。出場すれば自分が優勝することは自明の理であると、慢心ではなく事実として認識している。

 

「本当に全部を教えてくれるんだろうな」

「くどいぜ。男に、二言はねぇ」

 

 尚も言い募るアスカに向けて、ニヤリと凄みを滲ませて笑う。

 

()ろうぜ、アスカ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 歓声が沸き起こる。その中心で踊るのは二人の拳闘士である。

 その戦いは世界から選りすぐられた頂点と呼ぶべき大会に相応しく、武技に溢れ選手は勇猛にして果敢。しかし、必ずしも両者の実力が拮抗しているとは限らない。

 

『ナギ・スプリングフィールド杯の記念すべき第一試合。千の刃のジャック・ラカン選手、新世代と呼ばれる犬上小太郎選手を全く寄せ付けません!』

 

 試合が始まって既に数分が経過し、実況者が語るように試合状況は英雄ジャック・ラカンが貫録を見せつけていた。

 

「確か犬上小太郎とかいったか」

 

 アーティファクトを展開しているラカンは、試合相手である犬上小太郎に良い一撃を与えて地面に叩き伏せた後に追撃をしないまま、痛みに呻きながらも立ち上がろうとしている少年を見下ろしながら話しかけた。

 

「お前は確かに良いセンスをしてるぜ。後二十年、いや十年も死ぬ気で修行すりゃ俺達の領域に踏み込めるほどだ。だが、それは今じゃあねぇ」

 

 そんなことは闘っている小太郎自身が分かっていることだった。

 気の総量、練り、集積率、経験、技量、色んなものがまだ小太郎に足りていない。そんなことはずっと承知しているのだ。

 

「五月蠅い、わぁ! 及ばんからって戦わん理由にはならんやろ!」

 

 ボタボタと頭から垂れる血を拭いもせず、立ち上がった小太郎は吠える。

 足りない物は百の承知で、及ばないのも千も承知で、勝てないことも十分に承知している。それでも、と小太郎は痛みを堪えて立ち上がってみせた。その足はダメージの重さを物語るように震え、自分の足だとは思えないほど頼りない。

 

「俺は手負いだろうが向かってくる相手にゃ、手加減しないぜ」

 

 と、ラカンが手を振るった。周りの地面に突き刺されていた無数の剣や槍といった無骨な武器を掴み勢いよく投げ放たれ、小太郎を襲う。

 

「この程度でやられんわ!」

 

 一気に半獣化した小太郎は叫びながら数え切れないほどの武器から身を躱す。狼を彷彿とされる素早い動きであった。

 

「さぁ、どんどん行くぜ!」

 

 ラカンは背後の武器の中から無造作に大剣を掴んで放つ。その要領で武器を次々と放っていく。武器が刺さった地面は瞬時に吹き飛び、大穴が開いていく。恐ろしい威力であった。

 小太郎は走り回る自らの影から狗神を呼び出し、ラカンに向かって飛びつかせる。

 

「おいおい、こんなちゃちなもんで俺を倒そうってのかよ?」

 

 ラカンに迫った狗神の悉くが武器の斉射を受けて木端微塵に粉砕された。やはり英雄が相手ともなれば、苦し紛れの攻撃の小細工などあまり意味がない。

 

「れりゃぁ!」

 

 と、狗神に気を取られた隙に小太郎がラカンの死角に回り込み、背後から襲撃する。しかしラカンは振り返ることなく、小太郎の気が十分に込められた一撃を最初から分かっていたように動かした剣の刃で弾いた。

 

「おっと、危ねぇ危ねぇ」

 

 実際危なくなんてないのに、ラカンは振り返りながら呟いた。

 一撃を防がれようとも連打を続ける小太郎を軽くいなしながら軽口を言う余裕がラカンにはある。

 

「テメェ、中々速いじゃねぇか。少し驚いたぜ」

 

 小太郎が体を回転させて素早く放った回し蹴りを受け止めながら、口笛を吹くラカンの顔には紛れもない賞賛があった。

 

「俺を舐めるなや!」

 

 受け止められた足を起点にして、飛び上がりざまの蹴りを放つ。狙いは先程防御した腕。

 ラカンはこの一撃を受け止めようとしたが、今度はラカンの腕が蹴りで弾かれた。

 

「へ~」

 

 しかしラカンの余裕は崩れない。あっさり体を反らして、更に体を回転させて放った最初に受け止められた足での蹴りを躱した。

 

「おおおぅ」

 

 小太郎が右手を振り上げ、狗神を召喚して疾空黒狼牙を放とうとした――――――――が、右肩に衝撃が走り、その手の力が抜けてしまった。

 

「な!?」

 

 十分な距離が空いていたはずなのに、伸びあがったラカンの長い脚蹴りが小太郎の右肩を打ったのだった。強烈な蹴りだった。一撃で肩関節が粉砕された。狗神を使うヒマがない。

 

「ふっ」

 

 続いて、ラカンは着地と同時に右足を振り上げ、体勢を崩した小太郎の顎先を爪先で思いっきり蹴り飛ばした。脳髄まで響くほどの衝撃。痛すぎて、痛覚を痛覚として感じるよりも前に体が弾き飛ばされる。

 体が後方へ飛ばされる―――――――が、思ったほどに飛ばなかった。何故なら一瞬で背後に回り込んだラカンが、小太郎の脳天に強烈な踵落としを決めて地面に叩きつけてくれたからだ。

 

「ぐがっ!?」

 

 成す術もなく地べたに倒される小太郎。闘技場の固められた地面が粉々になって、小太郎の体は一メートル近くも地面に穴を掘って、ようやく勢いが止まった。

 狗神を使うどころか、まともに防御するヒマすらなく叩き伏せられた。

 圧倒的な実力差。まさに悪夢だ。勝てないと、小太郎は本能的に、その事実を悟る。

 

「一丁上がりだ。もっと修行して来な。次に戦う時を楽しみにしてるぜ」

 

 倒れたままの小太郎を見下ろして、ラカンが呟く。

 これはラカンにしてみれば最高級の賛辞であるが、そんなことが小太郎に分かるはずがない。

 

「意識があったら辛いだろ。一思いに楽にしてやる」

 

 ラカンが手を振り上げる。具現化されるほどの強烈な気の塊が唸る。

 

(これで終わるんか?)

 

 今の一撃の衝撃で思考が朦朧としかけている小太郎はぼんやりと思った。

 

「まだや!」

 

 自分で終わりに仕掛けたことを契機として、全部を曝け出したわけではないと叫んだ小太郎の身体が変化していく。

 半獣化させていたた体を更に変化させる。彼の全身が体毛状の鎧を纏って巨大な獣の姿に変わる。そして現れたのは巨大な漆黒の狼。

 黒く尖った針のような獣毛に覆われた四肢が大地を踏みしめている。土を抉る鉤爪の一本一本ですら、成人男性の平均を凌駕するほどに長い。牙を剥いた口腔に赤黒い舌が覗く。

 

「我流・犬上流奥義、狗音影装!!」

 

 狼となった小太郎は地面を蹴り黒き閃光となって、宙を舞った巨体がラカンへと襲いかかった。

 空を迸る気を纏う一匹の獣が飛ぶ。

 

「グルウウウァアアアアアアアアアア!!」

 

 獣化した小太郎が咆哮した。

 彼の前脚が、まるで獲物を捕らえるように、乱暴に空中を薙ぎ払った。肉と肉がぶつかるような、重々しい音が鳴り響いた。

 

「――――――――なに!?」

 

 呻いたのは小太郎の方だった。

 

「へぇ、その姿でも人語を喋れるんだな、と!」

 

 前足を軽々と手で受け止めたラカンが言いながら小太郎の前足を引っ張りながら軽く放ったように見える拳が胴体に直撃し、「がっ!?」と血反吐を撒き散らしながら吹っ飛ばされる。

 

「残念だったな。魔獣退治は傭兵剣士()の専門領域でな」

 

 ニヤッと笑って呼び出したアーティファクトを握り、砲弾のような勢いで未だ地面に並行に吹っ飛ばされている小太郎に向かって跳躍する。

 腹部から全身に向かって走る痛みに呻きながらも向って来るラカンの姿を視認した小太郎は、一気に気を練り上げて口蓋に集中させていく。今の小太郎は人間である面よりも狗族である面の方が強く出ているので、態々狗神を呼ばなくとも気に宿っているような物なのである。

 

「お」

 

 自然と狗神が宿る漆黒の気弾が幾つも吐き出され、もう少しで小太郎に追いつこうとしていたラカンに着弾した。

 一個当たり数メートルの爆発をしてその最中にラカンの巨体も呑み込まれる。

 

「溜め無しでこの威力は褒めてやるが――――」

 

 体勢を整えて滑るように地面に着地した小太郎の耳に低い男の声が届いた。

 

「――――まだまだ足りねぇな」

 

 気弾の爆発が切り裂かれ、幾つもの剣が飛んでくるのを見た小太郎がその場から飛んで回避する。

 上空に逃げた小太郎が瓦礫の中で傷一つなく立っているラカンに向けて、もう一度数発の気弾を吐くがその場から動くこともなく片手で相殺される。

 ただ、気の籠った拳を放つだけで狗神が籠った気弾を難なく相殺され、追撃を仕掛けようと口から漆黒の気弾を吐き出そうとしていた小太郎の動きに躊躇いが生まれた。

 

「隙有りだぜ」

 

 突如体に走る、鋭い痛みと衝撃。一瞬で目の前にまで移動したラカンが剣を小太郎に突き刺していた。激痛と共に、体に鋭利なものが貫通する不快な感触に口の端から血が零れ落ちる。

 

「まだ――」

「これで終わりだ」

 

 痛みで霧散させてしまいそうな気を根性で纏め上げ、漆黒の弾丸として解き放つ前にラカンが剣を持っていない方の掌に莫大な気を込めて小太郎に叩きつける。

 小太郎が放った複数の気弾の爆発よりも遥かに大きい爆発が闘技場の半分を覆うほどに広がり、生じた光が観衆の目を眩ませる。

 爆発が収まり、観衆達の目が元に戻ってから闘技場を見る。

 

「ほう、まだ立ってるか」

 

 まず目に入るのは圧倒的なまでの存在感を放ちながら仁王立ちするジャック・ラカン。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 襲い掛かる圧倒的な戦力差に翻弄され、完全獣化どころか半獣状態でもなくなり満身創痍となった小太郎は荒く息を吐いていた。それでも二本の足でしっかりと立ち、手に拳は構えたままだ。

 もう立っていることがやっという感じで、少しでも気を抜けば意識が飛ぶよう状態で小太郎の視界はぐわんぐわんと歪んでいる。

 

「…………俺は、アンタには及ばん。今は、まだ」

 

 実力差は始めから分かっていた。勝てないこともまた。

 それでも挑むのだ、戦うのだ。反骨の精神を持つ小太郎は諦めることを知らず、挫けても直ぐに立ち上がり、何度でも向かって行く。この敗北もまた糧として小太郎は強くなる。

 

「負けを認めといたる」

 

 敗北宣言をした瞬間、張り詰めていた糸は切れて小太郎の意識は一気に闇の中へと落ちて行った。

 

『おおっと、犬上選手の敗北宣言が出ました! んん? もしや意識を失っておりませんか? 審判確認を!』

 

 実況が試合の決着に興奮染みた声を上げ、立ったまま動かない小太郎の状態の確認に悪魔っ子の審判を向かわせると、悪魔っ子は頭の上でバツ印を作った。

 その様子を双眼鏡の魔法版の魔法具で実況席から確認した実況者が腕を振り上げた。

 

『犬上選手はどうやら意識を意識を失っている様子! 記念すべきナギ・スプリングフィールド杯第一試合はジャック・ラカン選手の勝利です!!』

 

 実況者が声を張り上げてラカンの勝利を喧伝するのに合わせて観客達が大声で歓声を上げる。

 前評判通りの結果となったが、小太郎は未だ十代も半ばに達していない少年だ。ジャック・ラカンと戦いらしい戦いが出来ている時点で、新世代と目されている面目は躍如している。

 ラカンが言ったように十年後が楽しみであると、今日の観客達は決して犬上小太郎の名前を忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ナギ・スプリングフィールド杯第二回戦は開始と同時に激しい剣戟が交わされております!』

 

 実況の声を耳にしながらアスカ・スプリングフィールドは対戦相手のことを見る。

 

(マニカグ・ノーダイクン、前大会出場者か。かなり、やる)

 

 黒棒で攻撃を捌きながら相手の容姿、体格、武器捌きを観察していく中で、前大会出場者の肩書に偽りはないと判断する。

 羆のような見た目に、ガッチリとした体躯。年の頃を三十を少し過ぎたところだろうか。戦士としてはもっともよい時期を迎えているといってよい。

 その巌のような男は首から下を鎧で包んでいる。年季こそ感じられるものの、手入れはよく行き届いている。擦り傷や切り傷が鎧の至る所につけられているのは、幾多の戦場で主人を守ってきた証だ。

 そして手にしている武器は身の丈ほどもるバスタードと呼ばれる剣で、幅の広い刀身には文字とも紋様とも取れるものが刻まれている。

 

「斬り捨て御免!」

 

 振り上げたバスタードに極炎の蒼炎を纏いつかせながら、マニカグは跳躍する。ばさついた体毛が踊り、身に着けた古風だが堅牢な造りをした金属鎧が音を鳴らす。

 

「セイッ!」

 

 アスカの振るった黒棒の剣先が、一端足首辺りにまで下がってから迎え撃つように旋回する。

 跳躍から落下に至る勢いと、全身を覆う鉄鎧と、獲物のバスタード自体の大きさ、それだけの質量を込められた一撃が、重力に逆らって振り上げられた剣に受け止められた。

 ぶつかり合い、衝撃波を押し広げて衝突による閃光が、巻き上がった砂塵に呑み込まれる。殆ど衝撃と言っていい熱波が肌を叩く。

 二つの剣先が凍り付く。だがその氷もすぐさま砕け散った。

 着地しかけたマニカグが無謀にも金属鎧の肩の装甲を押しかけて、ずいっと圧し掛かって来た。魔法的処置が施されているとはいえ、効果が付与されるのは着ている当人のみ。押し当てられたアスカには金属鎧本体の百㎏近い重量が圧し掛かり、踏み抜いた地面に亀裂が広がっていく。

 

「そこっ!」

 

 ここが好機と見たマニカグは手に持つバスタードから放つ蒼炎を撒き散らし、このまま叩き潰さんと力を込める。蒼炎によって膨張する熱波が亀裂によって生まれた細かい破片を舞い上げていく。

 重量と勢いでジリジリと押されてきたアスカは、このままでは押し切られると察して体を引いた。押される勢いに逆らわず、体捌きだけでマニカグの剣撃の威力を受け流しきって側面に回り込んだ。

 着地したマニカグも座して見ていたわけではない。振り下ろしたバスタードの勢いを殺さず、体を駒のように回して半回転する。下ろしたバスタードを半回転した体の動きに合わせて下から掬い上げ、背面から放たれたアスカの黒棒と交錯させる。

 反発した剣が左上から右下へ、右下から左上へと、二人の剣が描いた二筋の孤が幾度も交差する。激突し、弾かれ合う剣筋が矢継ぎ早に閃光を閃かせ、衝撃波を押し広げる。斬り結びながら移動する二人の足下で地面が次々と捲れ上がり、土塊を吹き上がらせて二人が発する闘気が包み込む。

 

「ハァアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 アスカは吠えると、左右の上段から猛烈な速さで刃を走らせる。

 マニカグには光が走ったとしか思えぬほどの速度だった。反応できたのは奇跡に他ならず、素人が振り回したよりは五段階ぐらいマシ程度の剣技が恐るべき速さで迫るのを半ば無意識に防いだ。本人ですらよく防げたと思うほどの反応であった。

 更にアスカは黒棒を大きく振りかぶった。もはや自らの意志ではなく肉体の反応に動かされる器である。だからこそみえみえのフェイントにも引っかかってしまう。

 振り上げた黒棒を降ろすことなく、背中に構えたままで斬撃と見せかけて腹部に渾身の蹴りを入れた。

 

「うぐ」

 

 鎧がベコリと靴型にヘコんで呻くマニカグ。

 鎧は剣や斧のような鋭い刃に対しての防御には有効だが、打撃系のダメージは完全に殺げるというものではない。マニカグが纏っている鎧は魔法的処置が施された一級品であったがアスカ・スプリングフィールドという常識外の相手と対峙するには頼りなさ過ぎた。

 

「ぜらぁっ!」

 

 獣染みた速度と執拗さで追撃を仕掛けて来るアスカ。

 体は前かがみの状態でよろけながらも、袈裟に振り下ろされた一刀をマニカグはバスタードを合わせて防ぐ。それを皮切りに次々と飛来するアスカの斬撃・拳撃・蹴撃に対応する。

 

「それっ」

 

 下から振り上げられるように放たれた黒棒を追いかけて蹴りが放たれ、刀身を蹴り上げられたことで加速する。

 加速した剣速に対応できずに鎧がスパッと斬られるが生身にまでは至っていない。が、斬られたという事実がマニカグを一瞬硬直させ、軸足を回転させたアスカが刀身を蹴った足を胴体にねじ込んで来るのに反応が遅れる。

 

「ぬうっ!?」

 

 衝撃に息が詰まっている間に体勢を戻したアスカの疾風迅雷の如く閃く連撃。その一撃、一撃を受け止める度にマニカグの腕は軋み、二度蹴られた腹部が燃え上がるように疼く。

 今のマニカグにアスカの剣を弾き返して、反撃に転じるのは不可能だ。このままでは凌ぎ切れなくなるのは時間の問題だが、かといって下手に回避すれば、先程のように蹴り飛ばされるのが目に見えている。 

 マニカグは数合の立ち合いで目の前で相対する少年の底知れぬ実力に気づき、目に映る物事を少しでも多く理解しようと瞳孔が広がった。だからこそ、ほんの寸瞬だけ曲がったアスカの膝が必殺の前兆であると見て取れた。

 だが、彼の足が反転伸びきるのを見れても反応するだけの反射神経は持ち合わせていない。

 十年に一度開催されているナギ・スプリングフィールド杯は、終戦二十年を記念する大会だけあって前回大会よりもレベルが高い。マニカグも本選トーナメントに出場するだけあって実力は折り紙付きである。その反射神経も常人を遥かに超えた域にある。ただ、アスカがマニカグの上を行く速度で動いてみせた。それだけである。

 

「疾ィッ!」 

 

 股、腿、膝、脛、足首、踵、爪先、全てを一直線にしてアスカはその力を己の剣へと伝えた。

 勝負を決めるべく放たれた一閃を、マニカグは全身ほどもあるバスタードで受け止めようしたが、果たせずに手から弾き飛ばされて飛ぶ。自らの手から解き放たれた武器から意識を戻すまでに要した時間は瞬きほどもない。

 油断ともいえない時間の経過がマニカグの敗北を決定づけた。突きつけられた黒棒の先が首元に向いている。

 

「参った」

 

 完敗だ、と清々するぐらいの力の差を見せつけられ、マニカグは両手を上げて降参した。

 

『マニカグ選手ギブアップ! アスカ選手の勝利です!』

 

 審判がアスカの勝利を謳い、歓声が闘技場を揺るがせた。

 黒棒を仕舞ったアスカはマニカグと健闘を称え合い、握手を交わして登場入り口に向かって歩く。

 この後にも試合があるので、闘技場の整備の時間を考えれば選手が何時までも留まるのは望ましくない。ラカンと小太郎の試合に比べれば、多少地面がめくれ上がって切創や焦げ跡が付いているだけでさほどの時間がかからなくてもだ。

 

「ん?」 

 

 もう直ぐで選手入り口というところで妙にその近くがザワザワと観客が騒いでいるようで気になったアスカは顔を上げた。

 

「よう」

 

 観客が騒いでいる原因――――ジャック・ラカンが観客席の縁に腕を乗せてそこにいた。

 

「お互いに勝ったようで安心だな。これで俺達は闘うことになる」

 

 アスカがラカンに勝てば彼が知る全てを話すという約束。その為には本選で闘う必要があったわけだが、互いに一回戦を勝ち上がって準決勝で闘うことが決まったラカンは上機嫌にアスカを見下ろす。

 

「どうせなら決勝で戦いたかったとこだが、そこは組み合わせの妙ってやつで仕方ねぇ。まあ、お前が勝って良かったよ。折角の約束が不意にならなくて良かった」

 

 自分が敗けることなど端からありえないと絶対の自信を覗かせたラカンがギラリと獣の如き眼光を放つ。

 サインが貰えるか、握手だけでもと互いを牽制し合っていた観客達が自分に向けられたわけではない英雄の鋭い眼光に静まり返っている中で、ただアスカだけが気圧されることなく睨み返している。

 

「ああ、本当にな」

 

 ラカンの近くにいる者が気絶しそうになっている威圧感に晒されても毛ほども恐れを感じていない様子のアスカが涼やかに答える。

 涼やかに答えた言葉とは裏腹に目には激烈なる闘志が込められており、既に戦う気満々になっていることが誰の目にも明らかであった。

 

「明後日まで首を洗って待ってろ。ぶっ飛ばしてやる」

「言ったな、小僧」

 

 英雄に発するとはとても思えない挑発を向けられたラカンはニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の新オスティア新聞に号外が出た。

 選手入り口前にいるアスカと観客席の縁にいるラカンの姿を横から捉え、傍目にも闘志をむき出しにする二人の姿を写真に捉えた一面が掲載されていた。

 その新聞を一回戦を難なく勝ち上がり、次の準決勝の対戦相手であるカゲタロウとの戦いに向けて英気を養っていたネギ・スプリングフィールドが読んでいた。

 

「千の刃と英雄の息子の対決、か」

 

 英雄と同じ英雄の忘れ形見が対決するのだ。二人の実力は一回戦で証明されており、誰もが楽しみにしているのは今も外から響いてくる人々の声が物語っている。

 

「僕だって……」

 

 ネギの記事はとても扱いが小さい。カゲタロウの扱いに比べれば大きいが一面を飾っているアスカとラカンに比べれば紙面の端っこに載っているようなものだ。

 ネギはアスカと同じ立場であるはずなのに、少し前まで何も変わらなかったはずであるはずなのに、どうしてこんなにも変わってしまったのか。

 胸郭の中で、心臓が狂ったように拍動している。息は上がり、汗が噴き出し、体の節々に激痛が走り抜けていく。少しでも気を抜けば卒倒しかねなかった。

 体だけではない。意識の奥底で何かが蠢いていた。それはネギの心に牙を立て、食らいつき、ジワリジワリと心を蝕んでいく。その度に、ネギは神経を撫でられるかのような鮮烈で絶望的な感覚を味わっていた。

 

 

 

 

 






次回『第73話 伝説への挑戦』



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