魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第73話 伝説への挑戦

 

 

 

 

 

 そこは古代ローマの闘技場(コロッセウ)に似た巨大な場所になっていた。この闘技場は広く、何よりも高さのある空間になっている。

 全国大会で使うに相応しく、広さも造りも立派なものだった。

 観客席は闘技場を中心に円を描くように並べられ、更に階段状に広がっている。最上階は見上げるほど高い場所に位置し、もしそこに人が座っていたら顔をハッキリと判別できるどうか分からないほどだ。

 

『皆様、長らくお待たせいたしました。これよりナギ・スプリングフィールド杯準決勝第二試合を開始します!!』

 

 実況者の言葉により闘技場が震えるほどに観客の声援が爆発したかのように熱狂する。誰も彼もが腕を振り上げ歓声を飛ばす。

 闘技場の中央上空に投影された巨大モニターには、アスカ・スプリングフィールドとジャック・ラカンが向かい合っているバストアップ写真が映され、二人の異名である『ノアキスの英雄』と『千の刃』の文字が派手なエフェクトに合わせて浮き上がる。

 

『英雄と、同じ英雄のその息子の対決に期待が集まっています。前日までに集計した街頭アンケートでの勝敗予想ではなんと5:5と互角の争いとなっていますが、解説としてお呼びした前回大会準優勝のザイツェフさんは、これをどう見ますか?』

『実際にアスカ選手と拳を交わした私としては彼の勝利と予想していますが、ラカン選手の戦歴を見れば揺るいでしまいます。大戦時における公式発表されているジャック・ラカン選手が沈めた帝国艦は、なんと驚きの大小合わせて百三十七隻となります。数だけなら千の呪文の男(サウザンドマスター)を凌ぎ、恐らく生身で艦を沈めた数では有史以来№1でしょう。他にも九体の鬼神兵に素手を戦いを挑んだ、帝都守護聖獣である古龍・龍樹と引き分けたなど大戦中の逸話には事欠きません』

 

 改めてジャック・ラカンの戦歴が語られた闘技場の観客達がざわつく。

 

『ですが、アスカ選手の経歴も凄いものです』

 

 やはりラカン有利かとなりかけた空気をザイツェフの声が引き止める。

 

『アスカ選手を一躍時の人としたノアキス事変では四属性の最上位精霊と戦ったと聞きます』

『最上位精霊は百年に一度目撃例があるかないかと言われていますので、その話自体が眉唾という話もありますが?』

『連合・帝国が公式で精霊王の降臨を認めたのです。その下の上位精霊が四体揃っていようとも不思議ではありません。しかもアスカ選手は精霊王の一撃をも防いだとの話もあります。決してラカン選手に劣るものではありません』

 

 自信満々のザイツェフの魔法具によって拡大された言葉が闘技場内に響き、ザワザワと騒めく。

 

『それだけではありません。ノアキス事変で有名になり、高額の賞金がかけられたことで個人も含めた多数の賞金稼ぎ結社に狙われたわけですが、その全てを撃退してこの場に大会に出ている時点で並々ならぬ実力が証明されているわけです』

 

 おおっ、と観客席から感嘆の声が上がり、何故か鼻高々と言わんばかりにザイツェフが自慢げな顔をしている。

 十分に場を温める話が出来ているザイツェフだがアスカ贔屓が強く見られるので実況はラカンの方の話を出す。

 

『専門家の間ではアスカ選手の実力は認めるものの、流石にラカン選手相手には分が悪いとの見方が囁かれ、早くも何分間アスカ選手が持ち堪えられるかが賭けの焦点となっており……』

 

 細々とした説明が闘技場で行われている頃、既に超満員となった観客席から響いて来る騒めきを遠くに聞きながら、控え室の壁際のベンチに座っているアスカ・スプリングフィールドは眼を閉じて静かに精神集中を行っていた。

 彼は目を閉じていた。最後の時から、ずっと。視界を閉ざし、さりとて耳を澄ますわけでもなく、ただ意識だけを尖らせていた。感覚を、静かに練っていく。

 逃げられない、と考えて、なにから逃げるのかと自嘲する。

 

「……っ………アスカ選手、時間です。闘技場へ」

 

 それから数分後――――遂に運命を決める瞬間が訪れた。

 大会設営委員らしいスーツを着た男性が控え室に入ってきて、静かな威圧感を発するアスカに息を呑むも己の職務を全うした。アスカが控え室を出た後、大会設営委員の男性が腰を抜かして尻餅をついていたのは余談である。

 控え室を出たところで、アスカの精神集中の為にトサカが外の廊下で壁に凭れて腕を胸の前で組みながら立っていた。

 

「勝てるのか、アスカ。あの大英雄に」

「戦う以上、誰であろうとも負けるつもりはない」

 

 アスカは不敵に笑うと自信有り気な口調で言って、ゆっくりとした足取りで足元が見えるだけの最低限の蝋燭の火が灯された闘技場の通路を歩く。その後をトサカも付いていく。

 

『いよいよ選手入場となります! まず西より、千の刃ジャック・ラカン選手の登場です!!』

 

 西側の入場口から大量のスモークが吹き出したかと思えば、白煙を切り裂くようにしてマントを纏った褐色の巨体が姿を現した。

 ジャック・ラカンは薄く笑みを浮かべて歩みを進め、アーティファクトを呼び出して剣を地面に突き刺し、柄頭に両手を乗せて対戦相手を待ち受ける姿勢を取る。

 

「行って来い」

「ああ」

 

 伝説の英雄の登場に観客達は大興奮して、あらんばかりの声援を送る歓声を聞いたアスカは、拳を突き出して来たトサカに応えて闘技場へと繋がるトンネルのような通路を歩く。

 

『続いて東より、ノアキスの英雄アスカ・スプリングフィールド選手の登場です!!』

 

 選手紹介に合わせてトンネルの出口、莫大な光に溢れたその先へとアスカは踏み出して行く。

 光に慣れぬアスカが瞳を僅かに顰めた直後に耳を聾するほどの爆音が鳴り響いた。それは観客席を埋め尽くした数万にも及ぶ観客達の歓声であり、闘技場の各地に設置されたスピーカーから溢れる司会者の叫び声でもあった。二つの巨大な音は一つの大きな渦となって、巨大な試合会場を包み込んでいる。

 降りかかる巨大な唸りの流れは冷静に事を進めたがる選手にとっては必ずしもプラスになるとは言えない空気の振動だったが、闘技場で並び立つ両陣営はこの程度で揺らぐほど弱くは無い。

 不敵な笑みを浮かべたラカンが歩み寄って来るアスカの姿を見て笑みを深める。

 

「来たか」

 

 年齢は十代前半から後半と若く、細身に見えても頑強な体に強烈な意志を持った双眸は、対峙した相手に彼を隙のない戦士に見えた。引き締まった鍛鉄の如き体躯のアスカ・スプリングフィールド。

 もう一人は人間のものとは思えないくらい発達した筋肉が暑苦しいジャック・ラカン。肌の張り、そして色艶も申し分もない。彼のコンディションの良さは、離れた場所にいるアスカにも分かった。

 

(落ち着け、落ち着け……)

 

 アスカが歩を進める。一歩一歩近づく度に、胸を押しつぶされそうな感覚に襲われる。

 闘気だ。絶対的な力による圧迫。敵意も殺意も含まない、どこまでも純粋で果てしなく強大な闘気。今のアスカは、ラカンにとって獲物である。それが、痛いほど解った。それでも膝を屈することはない。身体の奥底から湧き上がってくる闘争心が、今にも恐怖に崩れ落ちそうになるアスカの心を支えている。

 

「逃げずにやられに来たは褒めてやる。この場で立っていられるだけでも後々の自慢にしてもいいぜ」

 

 傲岸不遜な物言いに、虚飾は一切無かった。圧倒的な自負とこれまで積み上げてきた道が彼を支えている。

 

「好きなだけほざくがいいさ。試合が終わった後には何も言えなくなるんだからな」

 

 ラカンに負けず劣らずの挑発を返したアスカの表情はまだ固い。

 挑発を聞かされても、ラカンに明確な反応はなかった。ただ黙って、武器である剣を握る手に力を込めた。

 事前に予想した癇癪染みた怒鳴り声もない。鋭い光を湛えた両眼はそのままに、じわじわと戦闘態勢を取っていく。

 

(思ったよりも単純な男じゃないということか)

 

 アスカは胸中で呟きながらラカンの評価を修正する。

 先程まで歓声という音の洪水で満たされていた闘技場が、僅か一瞬で静寂の帳に包まれる。皆が口を噤み押し黙っていた。

 ごくり、と喉の鳴る音がした。多くの観客のかもしれないし、貴賓席にいる誰かであるのかも知れない。明日菜達の内の誰かだったのかもしれない。ともかく、闘技場内の全員が圧倒された。

 空気そのものが痺れてしまったかのように、沈黙が支配する。

 まだ、開始の合図も鳴らしていない。だというのに、耳鳴りがする程の静寂を作り上げた二人は周囲のことなど我関せずとばかりに戦意を高めていく。

 既にラカンの攻撃圏内に入っている。それは同時にアスカの射程範囲でもある。

 互いの攻撃が交錯する距離に二人はいた。

 圧縮された空気が熱を帯びてゆく。息苦しいほどの熱量を浴び、アスカの身体は心地の良い汗を発汗しながら拳にギリギリと力が籠る。

 

『それでは準決勝第二試合開始!』

 

 試合開始の宣言と同時にアスカは呼び出した黒棒の刃を正眼に構える。刃に帯電する雷光は眩く、対するラカンもまた己のアーティファクトの剣を腰溜めに構えた。

 

「そらぁっ!」

 

 ラカンが一気に間合いを詰めにかかると、恐ろしいほどの速さで刃を真横に走らせてきた。

 アスカは後方宙返りをすることで、易々とこの攻撃を躱す。

 

「ほー、速攻で決めてやるつもりだったが、躱しやがったか。まあ、このぐらいはやって見せてくれなきゃな」

 

 ラカンは傷一つなく回避してみせたアスカに感心した声を上げた。

 

「なら、こいつはどうよ?」

 

 言い終わるが早いか、足元を爆ぜさせて迫るラカン。数十メートルの距離を一息に潰して懐に飛び込んできた影。今度も巨体からは信じられない素早さで上段から振り下ろしてきた。 

 何の小細工もない、上段から振り下ろしてくる最速の一撃。掠るだけで身体の半分を持っていかれそうな剣が、後退して跳んだアスカの眼前を通過した。ただし、剣先は地面を抉らなかった。振り下ろした勢いで柄を捻って一回転させ、再び上段に戻してきた。銃弾を装填するように。

 

「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル――」

「遅いッ!」

 

 危機感を覚えて始動キーを唱えた始めたのを遮るようにがなる声と共に繰り出された功撃は単発ではなく六連、アスカの膝元から喉笛までを火花を散らして駈け上げる。その速さに、詠唱を続けて隙を晒す愚は犯せず、相手の初撃を躱しても懐に踏み込むことも出来ない。それどころか六連の内、受け流したのは三連まで、残りの三連は体裁きで避けるも服と肌を浅く掠めて走った。

 アスカは僅かに走った痛みと熱気を堪えて吐息を細く。六連目の振り際に合わせて踏み込み、腰溜めに構えた剣をラカンの腹に突き出すと、そのまま勢いに任せて押し返そうと薙ぎ払う。

 撃音が鳴り響いた。

 金属同士の激突音にしては余りにも太く重いそれは、二人の剣撃がぶつかり合った音だ。薙ぎ払いの一撃と、それを受け止めた剣が衝突は白い閃光にも似た火花を散らす。

 文字通り輪切りにしようと迫る剣を、ラカンは手にしたアーティファクトを振るって受け止め、流す。ギリギリと奥歯が疼くような擦過音と、撒き散らされる火花。

 アスカは全体重を込め、さらに雷撃をも乗せた剣がラカンを押し飛ばそうとするも僅かに押すだけに留まった。

 籠められた力が反発して火花が散る中、二人は同時に後方に飛んで距離を取る。

 互いに僅かにも構えを崩さぬまま、「来たれ(アデアット)」とアーティファクトを呼び出すワードを言ったラカンの背後に剣、槍、鎚、斧、多種多様の白亜の武具が虚空に突如として出現する。

 

「それが千の顔を持つ英雄か」

 

 ジャック・ラカンの代名詞である千の刃の語源となった、如何なる武具にも変幻自在・無敵無類の宝具と名高きアーティファクトを前にしたアスカに焦りはない。

 

「行くぜっ!!」

 

 ラカンの号令に合わせ、白亜の武具の雲が空に舞う。

 アスカに逃げ場などなく、上空から降り落ち、雨となって怒涛の斬撃と化した。その凄まじさを例えるならば何十人もの不可視の剣士に一斉に襲い掛かられるのにも等しい。しかも武具の一振りずつが稀なる名刀のキレ味を湛えて。

 

「温い」

 

 飛来する武具の全てを黒刀であっさりと弾き飛ばす。

 四方八方に散った自身のアーティファクトの行方を見て、構え直しているアスカが無傷なのを確認したラカンが破顔する。

 

「クハァ~………やるじゃないか。いいね、いいねぇ!」

 

 ラカンの全身から噴火寸前の活火山のような、きな臭い闘気が膨れ上がる。

 声も高らかに、一瞬で距離を詰めながらラカンは長身のリーチに任せて大きく薙ぎ払う。受ければ受けた剣ごと吹き飛ばしそうな重い剣戟は、その上で十二分に迅速。身を躱すアスカに対し、時折白亜の武具を投げ飛ばしながら上へ下へと巧みに軌道を変えて執拗に追撃してくる。

 次々と波濤のように繰り出される連撃。しかもその一撃一撃が異常なほど重い。ただ闇雲に振るわれているのではない。まるで生き物のように違う角度から襲ってくる。

 また、それだけではない。時折、フェイントも織り交ぜて来る。

 ラカンの剣技は派手さや豪快さが売りに見られがちだが、実はいくつもの細かい卓越した技が盛り込まれているのだ。

 

「流石にやる」

 

 勢いが乗ってきた最初よりも重い攻撃を受け止める。力負けしないように踏ん張っていたのでアスカはその場から微塵も動いていない。完全にラカンの剣撃とその衝撃を受け止めたということだ。

 防戦一方のアスカは、とにかく全神経を集中しなければならなかった。少しでも集中力が途切れてしまえば、そこで全てが終わってしまう。

 

「ほれ、次行くぞっ!」

 

 二刀になったラカンは楽しそうに眼を細め、更に勢いを増した連撃を放った。

 このまま防御を続けていても、アスカは勝つことは出来ない。ラカンの体力が尽きるのを待つのも一つの手かもしれないが、それよりも先に、アスカの集中力が切れる方が早そうだ。

 とにかく攻めるしかない、とアスカの脳が激しく指令を出している。

 

「うるせぇんだよ! この馬鹿力がっ!」

 

 次々と放たれる一切の容赦のない剣撃に、アスカは堪えかねた叫びに鋭い叫びを込めながら、一際大振りに迫る一撃を払って軌道を変える。

 そこに隙が生じた。アスカにとっては僅かに訪れた攻撃のチャンスだ。それを逃すまいと、身を撓めて飛び越えた。地面を蹴り砕いての跳躍は、薙ぎ払う剣どころかラカンの頭上を大きく飛び越えて宙返る。

 

「そらっ」

 

 アスカが背後に降り立ったところへ、ラカンは身を反転させつつの薙ぎ払いを放つ。そんなものは予想通りだとばかりにアスカは着地して身を低く沈めざま、最高速の独楽となってラカンの足を浅く斬り払った。

 

「ぐぉっ!?」

 

 痛みよりも斬られた驚きに体勢を崩し、仰け反ったラカンの後頭部をアスカは雷を纏った飛び膝で蹴り上げる。

 それは見事なまでのクリーンヒット。人体の中でも固い膝頭が後頭部を強打し、込めた雷撃がラカンの体内を駆け巡る。ラカンも流石にこれは効いたのか、二刀の内の一刀を取り落とし、ガクリと膝を折った。が、崩れ落ちそうになったのは一瞬のこと。

 

「舐めるなよ、これぐらいで俺がやられるわけないだろうがぁっ!!」

 

 その叫びと共に身を翻し、爆発的な勢いで地を蹴ったラカン。巨体を獣のように低い放物線を描いてアスカへと踊りかかる。

 

「ふ……ッ!」

 

 アスカは黒棒を斜め後ろに提げたまま、ラカンが虚空に描くアーチの下に駆け込んだ。見下ろすラカンと見上げるアスカの視線がぶつかり合い、ラカンが眉を顰める。下に潜りこまれてしまえば、跳躍などは隙だらけだ。

 アスカは片足を踏み出した疾走を止め、身体を低くしてラカンとの距離を計る。身体一つ上に、ラカンが見えた。この距離ではアスカの黒棒のリーチには絶妙の間合いだった。対するラカンの大剣は大きすぎて大振りになっていた為、寸瞬だけ黒棒の方が速い。

 

「はッ!」 

 

 アスカは上半身を捻りながら黒棒を跳ね上げた。

 雷光を纏わせた黒い刀身が斜めに走り、ラカンの足元から腰を断ち割らんと迫る。雷刃が描く死の軌跡を瞳に映し、少しも慌てずにラカンは大剣を握る両腕を振り上げた。

 

「こん……のおッ!」  

 

 上げた両腕を力の限り振り下ろす。速さの増した剣速が寸瞬だけ上回っていた黒棒が届く寸前に間に入って行く手を阻んだ。

 ぶつかり合う二つの剣から青白い雷光と気のエネルギーの波濤が飛び散った。鍔迫り合いの体勢で、二人の動きが空中で一時凍る。

 

「はン……」

 

 噛み合う刃越しにラカンが笑って黒棒を弾き上げて、がら空きになったアスカの脇腹を狙い、蹴りが横薙ぎに襲う。

 アスカは円舞のようにステップを踏んで身体を回転させた。一回転ターンした視界が正面に戻ると流れるような踏み込みに乗せて、遠心力を付加した雷刃を右斜め上へと振り上げた。

 

「オラァ!」

 

 アスカの動きを予測していたラカン雄叫びと共に大剣が疾風の如く急加速させて振り下ろされた。

 ガギリ、と異様な音が生まれた。落雷のような激しい、シンバルの一打ちに似た音がビリビリと闘技場を震わせた。そして刃の軌跡が空中に留められたように、紫光が残ったままだ。

 二人の剣がずれ、互いの剣が相手の顔を狙う。

 

「クソが!」

 

 折れんばかりに首を傾けるアスカ。だが完璧には避けきれず、大剣が彼の頬をザックリと切り裂いた。一方ラカンの頬にも薄く斬り傷が走っていて微かに痛みを覚えたようで頬を顰めている。

 ラカンが口元を歪める。

 互いに得物を突き出した体勢の二人は、剣を引きその場から飛び退った。二人は頬の血を乱暴に拭う。ラカンが付けた傷の方が何倍も深い。

 

「ハッキリ言って、テメーがここまで俺に付き合えるとは思ってなかったぜ」

「そっちの方が傷が多いくせに何言ってやがる。降参宣言なら何時でも受け取ってやるぞ」

「口の減らねぇガキだが、ここまで楽しませてくれたんだ、見逃してやる」

 

 ああ言えばこう言うラカンの言い様に、アスカはこんな緊張状態にありながら自然と笑みが零れた。身体の高揚感を感じずにはいられなかった。

 

「もう少し楽しませろや、アスカ!」

 

 アーティファクトを剣から突撃槍に変えて、至近距離での高速突貫。それは実際に地を蹴った爆発を伴って、穂先はアスカがガードした剣に逸らさせられて火花を散らす。

 穂先はギリギリで受け流したアスカだっだが、身体ごとぶつかってくる突貫そのものを防ぐことはできず、爆圧と共に空中へと吹き飛ばされる。

 

「せいっ!」

 

 宙で身体を捻ったアスカは、追撃の構えを取ろうとしたラカン目掛けて剣に力を籠めて、剣撃を連続する。それは斬撃の衝撃波を生み、神鳴術の斬空閃にも似た力の刃が一斉にラカンを襲う。

 

「詠春の技に似てんじゃねぇか!」

「直伝だよ!」

「にしては威力が弱ぇなっ!」

 

 力の刃を軽々と斬り払い、アスカを跳ね飛ばしたラカンは身を顰めるように低く伏せ、更なる気を解き放つ。

 全身のバネを駆使しての跳躍。その力の全てを槍の穂先に込めて、迫り来る力の刃を蹴散らしつつ頭上のアスカを真上から突き上げる。技を放った直後で宙に投げ出されたアスカにはそれを躱す術はなく、両の手で槍の柄を掴み取るが、槍撃はそれで止めきることは叶わず、突き出された穂先がアスカの肩口を軽く抉った。

 

「ぐっ」

 

 吹き上がる爆炎と、溢れ出る鮮血。

 その確かな手応えに、ラカンは「ハッ」と、短い笑声を吐きつつ、突き刺した状態のままで空中から槍を振り下ろしてアスカを地面に叩きつける。

 

「がっ!?」

 

 受け身も取れずに背中から落ちたアスカ。ラカンは気を抜かずにトドメの一撃を放つために槍を引こうとして、しかし、未だにガッシリと握り締められているそれは動かず、逆に自身の力の反動で大きくつんのめった。

 

「はっ! 剣はどこに……!?」

 

 アスカが片手で何かを指しているのに見て、その時になってようやくアスカが剣を手放しているのに気がついたラカンは、あまりにも迂闊すぎるというものだろう。

 

「来い」

 

 アスカは魔法で黒棒を手元に引き寄せようとしていた。それ事態には殺傷能力はないが、鋭利極まる黒棒の刀身が背後から空を駆けてラカンを狙う。

 

「ちぃっ!?」

 

 ラカンが咄嗟に視線を巡らせるよりも早く、飛来した剣は子供の腰ほどの太さはある二の腕に突き刺さる。が、ラカンは避けられないと悟っていたのか、避けるのでも、防ぐのでもなく、逆に突き出した槍に気を込めた。

 槍を掴んでいたアスカにそれを避けられるはずもなく、さながら巨大なドリルのごとく唸りを上げる気によって地に巨大な溝を抉りつつ、穂先を抜いたアスカを怒涛の勢いで後方に押し流いていく。

 

「ゥオオオオオオオオァラァァァ――――ッ!!」

 

 渦巻く気はラカンの雄叫びに呼応してさらに大きく激しく。立て続けに爆音と地の裂ける破壊音が響く。

 地を抉り込む気の渦が、大きくその勢いを止めた。決して勢いが弱まったわけではない。受け止めるアスカが力を振り絞り、その輝きを強めたが故だ。

 アスカの身体は無事とは言い難い。槍に貫かれた肩からは力を振り絞ったことで血が噴き出し、ところどころ衣服が裂けて血が滲んでいる。

 

「ラァアアアアアアアアア――――ッ!」

 

 限界に達したエネルギーが爆音として破砕した瞬間、アスカは怪我に構わず地を蹴った。爆炎の中を掻い潜り、ラカン目掛けて一直線に飛来する。

 飛び蹴る様はまさに雷光一閃。堪らず仰け反ったラカンの胸を踏み蹴って跳躍したアスカの手には、ラカンの腕から抜けた黒棒が舞い戻っている。

 

「これで――」

 

 振り上げた刃が放つ雷は、激しく音を立て雷光の如く輝き猛る。眼下には未だ槍を構えることはおろか、身を起こしてもいない無防備なラカンの姿。その姿を掻き消さんと、雷刃が稲光る。

 

「――――終わりだ!」

 

 跳躍で百メートル近く上昇したアスカが握る刃の先から敵に絡み付かんと伸びてゆく。ラカンもこの雷の脅威を悟ったのか、身を捻り避けようとするが――遅い。崩れた体勢で、此方の攻撃を回避できる筈が無い。ラカンの体に雷鳴剣が直撃して、トドメの宣告は雷光と着弾した爆音によって全員の目から遮られた。

 

『アスカ選手の高威力攻撃炸裂――っ!! ラカン選手が一瞬にして爆炎にって障壁障壁!?』

 

 興奮気味だった実況が地面を突き抜けた爆炎が魔法障壁を貫いたのを見て慌てて叫んでいる途中で、中空に滞留するアスカが何かを感じ取ったかのように顔を強張らせた。

 

「オラァ!」

 

 ラカンの雄叫びと共に爆炎を切り裂いた突撃槍がアスカに向かって一直線に飛ぶ。

 膨大とも言うべき凄まじい気が込められた亜音速の突撃槍は、先程天空から舞い降りた雷光とは逆のルートを辿ってアスカへと直撃する。

 次の瞬間、辺りを真っ白に染め上げる眩い閃光が観客全員の目を焼き、直後に発生した大規模な爆発は上空へと抜けたにも関わらず、観客席にまで衝撃が襲い掛かって来る。先のアスカの雷光剣の着弾で発生した緊急魔法障壁でも抑えきれなかったのだ。

 会場外の警備をしていたアリアドネー魔法騎士団員がテロ攻撃ではないかと勘違いしかける程であった。

 

『コラー、二人とも!! 何を考えておるんじゃ―っ!! 念の為に緊急障壁を何重にも敷いてそれらが働いたから良いものの、防ぎ切れなければこの闘技場が消し飛んでおったところじゃぞ!』

『ひ、姫様!! 口調が…………全国ネットですよ!!』

 

 テオドラが闘技場にいる二人に向かって放送で罵声を浴びせたが、観客はこれほどの高威力の攻撃を食らって生きている方が信じられない。

 

「無事だからいいじゃねぇか。しかし、案外脆いもんだなこの闘技場」

 

 まずラカンが辺りを漂う爆煙を焦げ付いたマントを脱ぎ捨てて払うことで姿を現す。

 

「全くだ。この程度で壊れちまったら全力が出せねぇ」

 

 黒棒を振るい、若干煤けているアスカがケホッと黒煙を吐き出しつつ、あちこちが穿り返された地面へと下りる。

 

『す、凄まじいまでの大規模高威力攻撃が両者より放たれましたが、どちらにも大きなダメージは見られません! アスカ選手が放った技は紅き翼の青山詠春氏の技に似ているように思えましたが…………なんにせよ、試合開始直ぐの展開とは思えません。これは期待が高まります。試合は障壁の再展開が完了するまで、今暫くお待ちください――』

 

 魔法障壁が再展開されるまで試合再開を待っている間、ようやく一息がつけた観客達が隣近所の者と話している。

 

「凄ぇ……闘技場の地面が滅茶苦茶じゃねぇか。上位精霊四体と戦って生き残ってるってるのはマジなのか」

「これが世界を救った英雄の力、今のがホントに個人の技なのか」

「こんなの初めてみるよ。二人とも戦艦の主砲以上ってことだろ?」

「流石はノアキスの英雄、千の呪文の男(サウザンドマスター)の息子だ」

「ナギの盟友ラカンの力はそれ以上だぜ」

「ああん、テメェはラカン派の野郎か? 筋肉マニアは下がってな」

「お前こそアスカ派だってのか? 止めとけ止めとけ。あんなひょろいガキが英雄と同格のはずねぇだろ」

 

 先の光景を巡って観客席で二人のファンが相手ファンに対して敵意を剥き出しにしていたりする。

 

「久しぶりに本気で放ったんだが、大した傷も負っちゃいねぇとは流石に思わなかったぜ」

「鍛え方が違うんだよ。そっちこそ、俺の全力の雷鳴剣に耐えるとは思わなかったぞ」

 

 地上で再び向かい合った二人はお互いを賞賛しながらも先のダメージは大したことがないと浮かぶ笑みで確認し合う。

 

「良い武器じゃねぇか。俺様に傷をつけられるなんざ、魔法世界でもそんなにねぇぞ」

 

 本当にアスカに大したダメージがないことを確信したラカンが視線を黒棒を見て言った。

 

「へへ、そうだろ」

 

 貰い物ではあるが、今では無二の相棒とも言える黒棒を褒められたアスカは得意気に黒棒を振り回し、もう片方の手で鼻の下を擦る。すると、ラカンが笑った。

 

「鼻の下に煤がついてんぞ」

「なに?」

 

 言われて鼻下を指先で拭うと確かに煤跡が付いている。

 格好悪い姿を晒していると気づき、恥ずかし気に服の袖でゴシゴシと拭う。

 

「まあ、抜けたところはあるが、お前はそれなりには強ぇ。それは俺も認めてやる」

 

 頬を僅かに朱く染めたアスカを笑ったラカンは言い終えてアーティファクトをカードに戻す。

 

「だが、それだけだ。怖くはねぇ。ただ、強いだけで凄みが足りてねぇんだよ、ガキ」

 

 次の瞬間、ラカンの発する気配が膨れ上がった。力の波動が渦を巻き、気配に煽られたアスカの鳥肌が総毛立つ。

 

『――――緊急障壁の復旧が終了、魔法障壁の強化も完了しました。試合を再開してください!!』

 

 ラカンに負けじと大きく息を吸い込んだ呼吸は巨龍の息吹の如く。地を踏みしめた足は重圧で地面に亀裂を走らせる。振り上げた拳はアスカの戦意に応えて激しく雷光を放った。

 

「せいッ!!」

 

 宣言と共に迸る雷を伴って走る。地面を蹴ったアスカは、踏み出した一歩目からトップスピードに乗っていた。踏み固められた地面が一瞬で抉られた。爆発とすら言えるほどの速度で、見えない壁を蹴りつけるように加速。彼我の距離を一瞬で詰めた。

 人間の限界を超えるような速さで放たれた拳は雷光を走らせてラカンを吹き飛ばす。

 

「オラァァァァァァッ!」

 

 ラカンの奇声が、響いた。苦痛の悲鳴ではなくて闘志の雄叫び。体を()の字に折って四肢を地面に叩きつけて体勢を整えた全身から発せられる威圧感に些かも翳りはなく、引き下がる様子は全く無い。

 瞬間から今宵の悪夢まで尾を引きそうな長い掛け声と共に放たれた敵の一撃は、容赦なく速い。

 直進であるかのように錯覚するほどの速度だが、決して直進ではない。見れば身体を左右に振って、闇に纏い付く奇怪な足捌きで突き進んで切る。その転進のリズムが視覚に幻惑を齎し、また振り出す腕に更なる威力を付加する。

 

「疾ィッ!」

 

 放った雷の九矢が避けられたのを見た刹那、アスカは横に跳んだ。そのギリギリの視界を、踊るような動作で大きく腕を振り下ろして――――ラカンが通り過ぎていく。寸でのところでその一撃を躱し、アスカは体が流されないうちに、足の裏を地面に叩きつけた。

 身体が止まる。振り返って迎撃の態勢を作り、敵を視界に収める。

 

(……速い……!)

 

 なんの小細工もない、新兵器もない、ただの素手の一撃。それだけで、容易く人体を爆砕させる威力をラカンは持っているのだ。

 

「くっ……」

 

 真正面に見据えた相手の身体が、爆発するように膨れ上がった。

 それは錯覚だった――――分かっていたが。身長は二メートルクラスあり、フットボーラー的な全身の筋肉を鍛え上げた分厚い身体が、鈍重さをまるで感じさせない素早い踏み込みからエルボーで突っ込む。

 相手が突進してくると分かってから接触するまで、まったく間がなかった。

 アスカは背中側に躱して死角に入ろうとしたが、ラカンは最初から予測していたように肩を使った体当たりに変化して突き飛ばされた。突き飛ばして体勢を崩したところに再度エルボースマッシュを見舞った。

 ガツッ、と鈍い音がしたものの、辛うじて打点は外した。が、その一発でアスカのガードが緩んだ。その気を逃さずラカンは重いフックとボディブローの連打を浴びせる。

 連打を避けたり、受けたりしながらアスカは、ここで打ち負けて守勢に回ってしまえば相手の思うツボであることを感じていた。

 烈風にも似たラカンの腕の内側に入り込むと、身体を沈めて回転しながら通り抜ける。受けにも、逃げにも回らない。その際に二発。急所には至らないが、ラカンの肉体へと拳を触れさせた。

 

(これは……っ)

 

 だがこの勢いのある重量物へと痛痒を与えることはできず、敵の身体の強靭さを思い知るだけに留まった。アスカが突き出した拳から感じた感触は、不動の大樹を殴りつけたかのように重い。

 

(固いっ、拳が押し返されるっ!!)

 

 人間の肉体とは思えぬ感触にアスカが固まっている間に、雷の矢が込められた拳で麻痺していなければおかしいラカンはその巨体に似合わぬ素早さで振り返りつつ、右フックを放つ。全てが異常な素早さだった。

 

「ハッ!」

 

 気がついたときには邪魔な蝿を払うような腕の振り回しによって弾き飛ばされていた。その動きは余りに流麗。ラカンの動きは余りに鮮やかすぎて、攻撃を受けた後にしか理解できなかった。

 

「くっ」

 

 弾き飛ばされて空中で体勢を整えるアスカに向かってラカンの剛腕が空気を切り裂いて唸る。

 その拳を身を捻ることでかわし、逆に虚空瞬動でラカンの懐に飛び込んで先程の回避動作の遠心力を利用して喉下に蹴りを放つ。だが、喉下という鍛えることの出来ない人体の急所を衝かれたのにラカンに効いた様子はない。

 ラカンの攻撃は始まっているが、先程のこともあって逡巡は短い。かといって遠心力を利用して攻撃していたために背中を見せる形となっていた。しかし、ただ背中を見せるつもりはなかった。背中越しに攻撃の気配を察知して、空中で身を屈めて右フックを外側にかわしながら、その手首を掴んで引いた。相手が抵抗して腕を引っ込めようとした瞬間、その力を逆に利用して空中で跳躍する。脇腹に右膝を食らわせ、そのまま後ろに倒れ込むラカンを飛び越えて両足を首に引っ掛ける。

 自分の頭を振り子の錘のように使って後方に倒れこみ、自らの脚力で相手の上半身を前のめりにさせ、ラカンの頭部を地面に叩きつけた。

 

「ぐはっ!」

 

 プロレス技の一種であるフランケンシュタイナーの変形型を受けたラカンは、ダメージは大きくないが衝撃に息を漏らした。

 そのままトンボを切るように手をついて飛び上がり、ラカンから距離を取った。

 これで終わったとも思えない。そう思ってラカンの方を見ると丁度、何事もなく起き上がっているところだった。

 

「まさか、あれを食らって全然効いてないのか!?」

「おう、効いた効いた! おかげで肩こりが取れたぞ」

 

 ラカンは首をコキコキと鳴らしながら、ニィッと笑った。

 

「ちょろちょろと飛び跳ねやがってやりづれったらありゃしねぇ。まあ、大分慣れてきたし、勘も戻って来た。次、行くぜ」

 

 アスカの視界からラカンが消え失せる。凄まじい速度でアスカの視界の外へ移動されたと気づくまで、一瞬の時間が必要だった。そしてその時には風を切る音がアスカの真後ろから響いていた。

 反射的に後ろを振り返りながら無意識に腕を上げて防御に入る。

 

「ッ!?」

 

 ラカンが放ったのは、ただの蹴りだった。にも拘わらず、アスカの体が防御した腕ごと大きく吹っ飛ばされた。仰け反り、バランスを崩すアスカの腹へ、ラカンは握った拳をただ放つ。

 空気を溜めに溜めた風船が破裂したような凄まじい轟音が炸裂した。

 巨龍をも屠る右拳を受けて苦痛に呻くアスカの口から唾液が零れ、ノーバウンドで十メートルも飛んで戦いの中で生まれた瓦礫の岩石の一つに直撃した。長身のアスカと同じくらいの大きさの岩石が粉々に砕け、体が更に地面を滑る。

 

「がっ……く……」

 

 腹部から全身に広がる痛みに耐えながら岩に食い込んだ体を引き抜く。

 

(一筋縄でいくとは思っていなかったのが、この強さは……ッ!?)

 

 呼吸困難になったアスカの脳裏に警鐘にも似た認識が浮かぶが、冷静に考える暇はなかった。苦痛に呻く視界の先でラカンが空を跳んでアスカを踏み潰すために空中から脚から落ちてきているのだから。

 

「な、ァ……ッ!?」

 

 咄嗟に横へ転がるアスカ。しかしそれは遅きに逸していた。

 轟音と共に落下したラカンの蹴りの一撃はミサイルが着弾したような衝撃と爆発を起こした。無防備に受ければ死を免れない攻撃の直撃こそ避けたが、安全圏へは逃げられていなかった。

 爆発と衝撃によって撒き散らされる土塊がアスカの体を叩いたのだ。

 血を噴きながら転がるアスカを、ラカンは着地点からゆっくりと立ち上がりつつ静かに見下ろしていた。注意深く観察しているというよりは、慌てて追う必要はないとでも言わんばかりの表情だった。

 

「クソがっ」

 

 立ち上がりながら自分を叱咤していると、ラカンが飛んだ。その拳は固く握られている。

 

「そらっ」

 

 アスカがその場を飛び退き、ラカンの拳が地面に触れると拳から生じた衝撃波が、闘技場の地面を砕いて吹き飛ばした。

 アスカは火山弾のような勢いで飛んでくる破片を見切って避けたが、その直後、視界を覆った巨大な手に顔面を鷲掴みにされた。ラカンは破片が舞い散る中で地面を蹴り、砲弾のように低い弾道で飛翔して、空中でアスカの顔面を捉えたのである。

 

「つ・か・ま・え・た♪」

 

ラカンはアスカの頭上を飛び越えて着地し、首切り投げの要領で肩越しに引っこ抜くようにぶん投げた。

 

「オラアアァッ!!」

 

ラカンの投げは一発で終わらなかった。アスカの首を捕まえたまま、右へ、左へ人形を振り回すようにして何度も叩きつける。最後にアスカの身体を抱えたまま垂直に百メートル近くも跳躍すると、自分の巨体と地面の間でサンドイッチになるように大の字に落下した。

 競技場の地面が盛大に陥没し、破片ではなくて瓦礫が放射状に飛び散った。

 胸の悪くなるような沈黙が会場を押し包む。死んだ、と誰もが直感した。

 

「あ、やっべぇ。つい、やり過ぎちまったぜ…………死んじまったか?」

 

 遠慮なく全力を出せる喜びに恍惚とした薄笑いを浮かべながら、ラカンはゆっくりと身を起こして陥没した穴を見下ろす。が、真っ直ぐ突き上げてきた足が、覗き込んでいたラカンの顔面にめり込んだ。

 

「重たいんだよ。さっさと退けや、ゴラアアッ!!」

「がっ!」

 

 更にぐるりと腰を支点に体を回し、不安定な体勢だったにもかかわらず完全な制御と勢いを持ってもう片方の足がブレイクダンスのように跳ね上がり、真下からラカンの巨体の胸を蹴り上げた。

 そしてラカンを弾き飛ばしつつ穴から飛び出したアスカは、空中で華麗に回転して足から着地する。

 一拍おいて、観客から絶叫のような歓声が巻き起こった。

 

「おい、ピンピンしてやがるぜ!」

「なんで、あんなの食らって生きてるんだ!?」

 

 呼吸をするのも忘れて見ていた観客たちの驚きの声が、辺りそこらで巻き起こる。

 流石に無傷とはいかず、頭部に裂傷を負って血が流れているものの、常人なら一発で死ぬような攻撃を何度受けてその程度なら十分だろう。

 無事なんてものではない。内臓が破裂するような衝撃によって痛みに喘ぎつつ、なんとか立ち上がっただけだ。呼吸法でダメージの回復を図りながら相手の動きを見る。

 当のラカンは納得と少し落胆を覗かせて、回復に努めるアスカに直ぐに攻撃を仕掛けない。

 

「情弱の連中にとっちゃ、お前は俺と同格に映るんだろうが…………本物には未だ及んでねぇ。期待はしたんだがな」

 

 かったるげに髪を掻き上げたラカンの最後の呟きはアスカまで届かずに霧散する。

 

「拳からは本当のお前が見えて来ねぇ。一番頑丈な檻の中に閉じこもってんじゃねぇのか」

「何を、訳の分からないことを言ってやがる!」

 

 まだダメージは回復していない。ラカンが攻撃して来ないというのならば相手の話題に乗るつもりであったが、訳の分からないことを言われて口調が荒くなる。

 

「仲間、友達、魔法世界、現状、敵、色んな思いを抱えている、抱えすぎちまっている。期待を背負って、やらなくちゃなんねぇと義務感を抱いて、他の奴には出来ねぇから、自分ならば出来るかもしれねぇからって、それが重荷になってる」

 

 ラカンはアスカに強い言葉を聞いていないかのように続きを捲し立て続ける。

 

「悪い事じゃねぇ。この広い世界には他人の期待を、願いを、想いを力に変えることが出来る奴もいる。俺や、ナギの野郎がそうだった」

 

 ドクン、とアスカの心臓が高鳴った。

 

「だが、今のお前はそうじゃねぇ。期待を重荷に感じてしまってる」

 

 やっと言いたいことが理解できた。今のアスカは世界の真実を知って苦悩し、多くの者から期待されることを辛いと感じている。力に変えるどころか、心の重荷になっていることは否定出来ない事実である。

 

「ふざけたことをっ!」

 

 事実は時に受け入れることは出来ない時がある。今がそうだ。認めることは出来ない一心で、縮地を使って拳を振り上げた。

 

軽い(・・)

 

 放った拳は簡単に払われ、足払いをかけられる。

 体勢を崩すことを嫌ったアスカは自ら飛んでラカンの横を通り過ぎ様に身体を捻って雷の投擲を無詠唱で放ち、穂先がラカンを貫くかに見えた。少なくともそのつもりで放った――――身体の中心、背骨を狙って。

 当たれば数秒は動きを封じることが出来る。悲鳴を上げる隙を与えず、相手を無力化できる。

 

「ちんけな攻撃だ」

 

 だが、ラカンは背中に眼があるかのように俊敏に横に回って雷の槍を躱す。更には体勢の偏ったこちらに対して、横殴りの一撃を打ち込んでくる。歯を食い縛り、アスカは身体を仰け反らせた。尻餅をつくほどに身を低くし、打撃を回避する。そのままバランスを保ち、素早く起き上がる。

 相手も止まっていなかった。振り向いた時には既に、拳を突きこんできている。

 

(避けるか、受け止めるか)

 

 一瞬にも満たない時間で、選択を迫られる。敵の拳に込められた気を見るに受け止めるのは得策ではないと瞬時に判断する。

 だがアスカは避けることもせず、その場で右足を振り上げた。内側に円を描くように、極度に絞り込んだ動作で蹴り出す。靴がラカンの拳を振り払い、衝撃が体の芯にまで通る。

 

(ぐっ……)

 

 軌道を逸らし、相手の攻撃動作を崩したところで更に足を上げ、自分から前進してきたラカンに向かって痺れた踵を振り下ろす形で攻撃を仕掛ける。

 蹴り足はラカンの肩口を捉えたが、痺れたことによる感触の浅薄さにアスカは舌打ちした。攻撃を逸らすことに成功したのは良いものの、その威力に負けて体勢を崩し、痺れたせいで威力が足りない。奇襲の勢いと足を使ったことで体重差を埋め合わせたつもりだったが、相手の攻撃の威力はそれを尚凌いでいる。

 威力だけではない。身体全体を移動させる足の運び、攻撃角度、全てが的確で最短しか要しない。

 

(人の壊し方を心得ている動きだ、こいつは)

 

 心中で呟きながら、幸い向こうの方が体勢は崩れているので些かの余裕があったので軸足で後ろ向きに滑り込み、肩と背で突き上げてラカンを押しやる。岩を押すようなもので微動だにしない。だが、ラカンは人間であり、決して岩ではないと念じて足を踏み出すと、その一撃に鋭さを加える。

 体重差は、体格で大きく劣るアスカが絶望的だったが、向こうは体勢を崩しているのと、かえって此方が逃げないのを見て取って接触を嫌ったのか、ほんの僅かに身体を退いた。

 僅かに空いた間隙に一撃、二撃と繰り出されてくるラカンの攻撃を死角への体捌きで躱すと、踵で敵の踝を狙う――――腱を切断することを目論んだ反撃だが、ラカンは見た目に反する舞うような動きで身体を反転させ、一旦間合いを空けた。

 

「逃がすか……っ!」

 

 そう言って、アスカは右足を前に踏み出した。

 地面を踏み抜くような、重い一歩は震脚だ。それは練り上げられた力を、一気に体内で高速循環して圧縮し、解放させる。そして生み出されるのは、流れるような動きで左拳を突き出す。

 

「誰が逃げるかよ……っ!」

 

 ラカンが叫び返しながら右の掌を使い、柔からな動作でアスカの拳を流すと、そのまま懐へ。

 

「「オオオオオラァアアアアアアアアアアアアアアアァ―――――ッ!!!!!」」」 

 

 放った叫びは同じくなら取った行動も全く同じ。相手の反撃を一切許さぬ拳の弾幕。互いの手の動きが見えず、只管に攻撃の衝撃だけが体を突き抜けてゆく。

 両者は止まらない。打ち付けた拳を支点として、身体ごとタービンの如く捻りこんでの渾身のラッシュ。その都度、無数の攻撃が穿って相手の身体が振動させる。相手を殴り倒さんばかりの、あまりに原始的な、だからこそ必殺を誇る攻撃。

 手数ではアスカが上。

 威力ではラカンが上。

 二人の体がマシンガンに打ち抜かれているかのように振るえ、顔が上下左右に激しく揺さぶられながらも攻撃は止めない。ここで攻撃の手を休めれば相手に圧倒されることが分かっているから、防御や回避せずにただ攻撃の一念のみ。

 手数と威力を総合すれば攻撃は恐らく互角。ならば、揺れる天秤を傾けるのはどれだけ攻撃に耐えられるか。即ち攻撃に耐えることの出来る肉体の耐久力こそがこの局面を決しうる。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!」

「……く……ぅ」

  

 攻撃の手数こそ緩めないものの、アスカの口から僅かな呻き声が漏れた。

 速度で上回ろうとも極限の気に練り込まれ、鍛え抜かれたラカンの鋼の肉体を前にして同じ土俵で打ち合って勝つには彼以上の耐久力か、鋼の肉体を突破出来る火力が必要だった。

 突破できる火力を用いようにも手数を緩めれば圧倒されることは分かりきっていた。だが、他にはどうにもすることが出来ない。逃げることも避けることも受けることも、選択した瞬間、倒されれる自分の姿が簡単に脳裏に浮かんだ。

 

(どうする! どうする?!)

 

 ダメージから徐々に手数は減っていき、被弾が増えていく悪循環を前に、良い手が思い浮かばずアスカは焦っていた。

 魔法の射手を拳に乗せれれば威力を上げることは出来るが、この攻撃を放ち受けている状況で一撃一撃に乗せるだけの集中力が保てない。魔力と気を攻撃と防御に振り分けながら対応しているが妙案は浮かばない。

 そんなアスカの思惑など知ったことではないラカンはニヤリと笑うと右手を大きく振りかぶった、

 

「そりゃぁっ!」

 

 掛け声と共に、カウンターで放ったアスカの右拳を左手で受け流しながら拳が放たれた。

 真正面からアスカの腹を打ち抜き、吹き飛びかけた体を先回りして掴むと「羅漢大暴投!!」と言いながらそのまま遥か彼方へと投げ飛ばした。

 数百メートル離れた壁際近くまで投げ飛ばされ、序盤で穿り返されて出来た岩石を幾つも穿つ。それでも勢いは止まらず、闘技場端の防御結界を作動させて跳ね上がる力の抜けたアスカの体。

 しかし、ラカンの攻撃は未だ終わらず。

 獲物に止めを刺す肉食獣の如く、これまでの動きが信じられないほどの速度で接近して、意識があるかどうかも怪しいアスカの腹部に飛び蹴りを叩き込む。

 

「おげぇっ!?」

 

 内臓が口から出て来そうな一撃の後に崩れ落ちかけたアスカの前に着地したラカンの手が指が下に来る変わった形の掌底の形で添えられた。

 

(防御を……!)

 

 飛んでいた意識を腹に当たる手の感触で呼び戻したアスカは、最大限のサイレンが鳴る予感に急かされて防御をしようとするも体が動かない。

 

「羅漢破裏剣掌!!」

 

 それよりも速く、ラカンは掌を強引に回転させて完全密着状態から捻りが加わり、螺旋状の衝撃が捻じ込まれる。

 アスカの防御を打ち抜いて内臓に響く衝撃がぶち込まれた。接触状態からの純粋物理攻撃には障壁による軽減にも限度があり、アスカの視界が自分の意思とは関係無しに大きく旋回しながら内臓に深いダメージを与える。

 腹に来た一撃は、容易く筋繊維をブチブチと引きちぎり、胃液と共に血が逆流する。激痛。

 

「うぐぅ……ッ」

 

 為す術もなく吹き飛ばされてそのまま地面に叩き付けられ、何とか四肢を付いて着地した。

 痛い。思考が明滅するほどの痛み。嫌悪感が食道を這い上がってくるような感覚があった直後に堪らずに大量の喀血。ビチャビチャと地面を跳ねて飛沫が範囲を広げる。

 下を向いて血を吐いたアスカの首筋に――――――ラカンの回し蹴りが突き刺さった。

 

「ガッ!」

 

 蹴り飛ばされて数十メートル転がって地面を擦れ、アスカは悲鳴もなく倒される。その一撃はラカンなりに殺さないように手加減されていたのだろうが、今の状態でも何の防御もなしに大型トラックに撥ねられたのと同じ衝撃だった。

 

『ラカン選手が圧倒! 英雄の名は決して伊達などではなかったっ! しかし、これだけの猛攻を受けたアスカ選手に息はあるのか――――ッ!?』

「アスカ!?」

 

 実況や観客席にいる明日菜が何かを叫んでいるが耳がイカレたのか聞こえない。それよりも痛い。とにかく痛い。脳が揺れていて思考がおぼつかない。

 

「く……そっ」

 

 漏れそうになる喘ぎ声を押し殺すと同時に激痛が内臓から手足の末端に向けて迸った。頭蓋骨に釘が打ち込まれ、脳に深々と突き立つような感覚。

 気を抜けば一瞬で意識を失いかねない状況に、必死に歯を食い縛って抗った。 

 

「痛ぇだろ。その痛みはお前だけのものだ」

 

 何時の間にか、少し離れたところに立っていラカンがアスカを悠然と見下ろしている。

 

「今のお前は一人だ。敵も目の前にいるこの大英雄ジャック・ラカン様よ」

 

 ラカンが向ける静かな眼差しは百年を生きた賢者のようであり、子供のままのやんちゃな少年のようもであり、色んなものが混ざり合った異質なものであった。

 

「捨てちまえ、全部。期待も、悩みも、これからのことも、何もかも。集中しろ、俺だけに」

 

 戦いの場において当たり前のことを説くラカンに、アスカの中で定まっていなかった何かが嵌っていくような感覚があった。 

 

「素のままのアスカ・スプリングフィールドを、その全てを俺に叩きつけて見せろ。じゃなきゃ、何時まで経ってもお前の親父にも俺にも届かねぇぞ」

 

 その一言を聞いた瞬間、アスカの目に光が戻った。その光は、空のように透き通った蒼い青色をしていた。

 

「――――!」

 

 全身の血を振り絞るかのように、アスカが激しく身悶えした。

 爪に土が入り込むのにも頓着せずに地面に爪を立てる。砂を掻くように足を動かす。喉を突き上げて空気を貪る。眦が裂けるほど両眼を見開く。

 

「ガアアアアアッ!」 

 

 アスカが苦痛を振り払って獣染みた叫び声を放って、全身をまざまざとした闘志に燃え上がらせる。

 意志の力で肉体を無理矢理動かす。膝を立て、胸を浮かした。蒼く光り輝く瞳に闘志を燃え上がらせて、彼はゆっくりと足を曲げ、片膝の状態から立ち上がる。ガクガクと震える足は、ダメージがまだ抜けていないことを示していた。それでも、気力だけでアスカは己の体重を両足で支えていく。

 岩でも引き抜くように全力を込めて、自らが作り上げた瓦礫の上に立ち上がって見せた。その膝は震え、足元はおぼつかない。

 

『た、立った!? アスカ選手、カウント十八で立ち上がりました!!』

 

 アスカが立ちあがっただけで闘技場の空気が震えていた。まるで、巨獣の腹の中に飲み込まれて、アスカの血塗れの体が消化されて無くなってしまうような、圧倒的な感覚だった。立つ地面が無くなったようだった。ただ人間が沢山いるということが、全感覚を狂わせる麻薬だということをアスカは始めて知った。

 戦慄く膝を押さえて、立っているのがやっとだった。力が入らないのに、体の奥から熱が後から後から湧き出して止まらなかった。息が出来なくて咳き込むと、喉の奥にへばりついていた血が口元を覆った手に散った。

 

「ケッ!」

 

 血混じりの唾を吐き捨て、不敵な表情でアスカは完全に立ち上がっていた。普通に考えれば既に立っていること自体が奇跡のような状態だったが、アスカの中から湧き上がる力は未だ尽きていなかった。 

 

「散々言ってくれやがって……」

 

 アスカの体は痛みだらけ、傷だらけだ。反対にラカンの傷は少なく疲労も殆どない。

 既にアスカの勝てる要素は殆どないと言っていいだろう。だが、アスカの今までの戦いにおいて、勝機が薄い戦いなど幾らでもあった。そしてその殆どに勝っている。

 最初からアスカがああだこうだと悩むのは性に合わない。今まではアーニャやネギに任せていたのに自分で考えるようになったからドツボに嵌るのだ。良い考えも浮かばないのに長く考え込んだところで何の役にも立たない。時間の無駄であるということは、ここ数日に悩んで判明している。どうせ考えることは頭の良い者達が散々にやっているのだから任せてしまえばいい。これは適材適所であると、自分を納得させる。

 

「いいぜ、見せてやるよ。俺の全てをっ!」

 

 全国区に放映されているのだからフェイトも見ていると考えた方が良いからと、技の出し惜しみをしていた。後のことを考えながら戦うなど本来ならばアスカの流儀ではない。

 らしくもなく出し惜しみをし、かけられる期待に重圧を感じて世界の真実を知って委縮していた。

 どうせ今までも出たとこ勝負でやってきたのだ。昔のやり方で押し通すと、追い込められて逆に開き直る。

 

「ここからは出し惜しみなしで行くぜ!」

 

 叫んで両腕を紋様を浮かび上がらせ、右手に気を、左手に魔力を灯らせて胸の間で合わせる。

 

「マジかよ、咸卦法だと? いや、それだけじゃない。なんだ、これは……?」

 

 ラカンをして異常と称せる光景が目の前で繰り広げられている。

 咸卦・太陽道を発動させたアスカの力は天井知らずに跳ね上がり、全身をすさまじいまでに強大なオーラが覆っている。異変はそれだけに留まらず、上がりきったと思われた力が更に上がったのだ。

 咸卦法というだけでは力の上がり方がおかしすぎる。その原因はアスカの両腕にある闇の魔法(マギア・エレベア)に似た紋様に理由があると推測は出来る。

 

「おぉおおおおおおおおおおお――――――っ!!」

 

 雄叫びを続けている間にも力が上がっていくのに、世界に溶け込みそうなほど自然過ぎてラカンの内心では混乱が収まらない。

 とはいえ、これがアスカの切り札の一つであることは間違いなく、見えていたと思った底が自分の間違いであると認め、ラカンは楽し気に笑った。

 

「俺も負けていられねぇな! はぁあああああああああああああああ――――っ!!」

 

 負けじと雄叫びを上げるラカンの全身を青く輝く半透明の煙のようなものが包んでいた。これは闘気だ。ラカンの闘争心があまりにも強すぎて、視認できるまでに具現化したものだ。

 ラカンはただ立っているだけだというのに、周囲の空気がビリビリと振動している。時折、火花のようなものが飛び散り、地面の小石に撥ねて砕いている。闘気の余波だけでこの威力とは恐れ入る。

 

「へっ」

「はっ」

 

 更なる力を纏った二人は笑い合い、戦いは次のステージへと移る。

 

「さあ、第二ラウンドの開始だ!」

 

 

 

 

 







 仲間を麻帆良に帰さなければならない、新しい英雄と呼ばれる重圧、期待をかけられる責任感、大国の思惑、世界の真実、完全なる世界の目的、紅き翼の真意、過去の出来事諸々……。
 ジャック・ラカンにいいようにやられ、言われて、我慢の限界に来て開き直ることにしたアスカ。
 切り札を知られるのがなんだ、世界の真実がなんだ、そんなことは今はどうでもいい。敗けるのが嫌いだ、考えるのは性に合わない。原点に立ち返って、ただ戦え。
 嘗て、桜通りの吸血鬼には二人でも足元にも及ばなかった。
 嘗て、父が瞬殺した過去の悪魔を打倒した。
 嘗て、古本の魔法使いに翻弄された。
 嘗て、千の魔法使いに二人で辛うじて勝った。
 そして今、父と同じ英雄に、ただ一人で挑む。
 挑戦はまだ始まったばかり。どれだけ父の背中に追いつけたのか、今試される。



次回『第74話 男の戦い』



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