描写もせずに、ネギVSカゲタロウ戦は終了し、ネギが決勝進出決定。
「さあ、第二ラウンドだ!」
言ったアスカの体がふらりと動く。お互いの距離は十メートル前後。ラカンがこうして観察するにアスカの体は満身創痍の立っているだけで精一杯という有様。立っただけでも奇跡に近い。
それでも先程までとは違うアスカの様子にラカンは全身の神経を集中して、アスカの指先の動きまで捉えていた。下手な一手は打たず、最適のタイミングを見計らっていた。意志がアスカに向けて一斉に集中していくのを感じる。前兆。事が起こる前の第一波を決して見逃すまいと注視する。
(来るか……ッ!!)
決して誓ってラカンはアスカから眼を離していていなかった。
「は?」
だからこそ、アスカは何の策も弄さずに愚直というほど馬鹿正直に走って来たので、悪い意味でラカンの度肝を抜いた。
咸卦・太陽道による身体強化で凄まじい速さではあるが瞬動を使うのでもなく、真っ直ぐに向かって来る姿はラカンが抱いた期待を大いに裏切っている。
この程度か、とラカンが内心で落胆していると、後一歩で攻撃の射程圏内に入るというところでアスカの姿が消えた。同時に入れ替わるように雷の槍がラカン目指して直進してくる。
突如として出現した雷の投擲に驚く。肩透かしを食らっていたところなので初動動作が遅れて回避行動に移れない。
「ちぃ」
咸卦・太陽道で作られた雷の投擲は牽制であろうともまともに食らうわけにはいかない。ラカンが舌打ちをしながら迎撃しようとすると、文字通りに滑り込むように足下をスライディングしたアスカがラカンの左足に腕を引っ掛け、その反動で体が浮き上がる。
「あがっ!?」
「――――来れ、虚空の雷」
雷の投擲を難なく迎撃したラカンは足下に滑り込んだアスカが足に当たったまでは感知していたが、突如として後頭部に衝撃が走ったことに驚く。
雷の魔法の射手が込められた足でラカンの後頭部を蹴って空高くに跳躍しながら始動キーを唱え終わり、得意のコンビネーションである上位古代語魔法の詠唱を重ねる。
「薙ぎ払え、雷の斧!! 」
無防備に受けるには背後から迫る雷の斧は危険極まりない。ラカンは後頭部から足先にまで広がる痺れを無視して地面を踏み抜いた。
雷光剣と気の突撃槍によって穿り返された地面はラカンの力に耐えられず、端を踏み抜かれた岩が雷の斧から護るように屹立する。
雷の斧の前には岩の塊など防壁代わりにもならないが、無理して避けるラカンの姿を一瞬とはいえ隠してくれる。追撃を警戒するよりも体勢を整えることを優先できるならば次の一手が大分変わる。
「契約により我に従え高殿の王、来れ巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆、百重千重と重なりて走れよ稲妻」
雷の斧が岩の塊を粉砕した破砕音と貫通して地面に着弾した爆発音を間近で聞いたラカンの耳が耳鳴りに支配される中でも、朗々と響く詠唱の声と咸卦の力の高まりは見逃せるものではない。
「千の雷!!!」
「気合防御――っ!!」
雷の斧の後でこれは避けられないと、気を膨張させて全身に纏って防御をする。
大戦時代にナギの千の雷にも耐えた防御であったが、アスカが放つ千の雷はそれを凌駕するのではないかとラカンに危機感を抱かせる威力を発揮する。
闘技場全てを埋め尽くすほどの雷の雨が降り注ぎ、審判は最初の攻防で危険を察知して避難していなければ巻き込まれていたことだろう。その雷の雨の只中に晒されることになったラカンには堪ったものではない。
「ぐ、くぅ……」
普通は対軍勢用魔法を生身で受ければ塵も残さずに消えているところだが、ラカンは全身から白煙を漂わせながらも立っている。
「や、やってくれるじゃねぇか。ちょっとだけ危なかったぜ」
カハァ、と大量にあった瓦礫を焼き尽くした浅いクレーターの底で、口から大量の白煙を吐き出しながらあちこちに出来ている火傷の跡を示す。
ほぼ闘技場の地面全てに広がるクレーターの端っこに下りてラカンを見ていたアスカは心底呆れ果てたとばかりに息を漏らした。
「超広範囲雷撃殲滅魔法を食らっといて、ちょっとで済むようなレベルは異常だぞ」
アンタは本当に人間か、と生物であることすらも疑問視しながらアスカがクレーターの中心へと身を躍らせた。
そのまま軽く歩いて距離を詰めて来るのを見たラカンはアスカから意識を放さぬまま、ほんの少しだけ肩から力を抜いた。
(単純な威力だけなら、あの頃のナギの野郎よりも上なんじゃねぇか?)
ナギの千の雷の受けたのはまだ仲間になる前になるが、今受けた千の雷は確実にナギのを上回っている。
二十一年も前の話だから単純な比較にはならないが、今のアスカと当時のナギが同年代であることを考慮に入れると単純な魔法使いとしての力量ではアスカが上なのかもしれない。
ラカンがつらつらと頭の一部で考えていると気が付いたらアスカが真横に、それこそ身体が触れ合うような至近距離に近づいていた。
「なッ!?」
多少は気が緩んでいたがラカンは決してアスカから目を離していなかった。
決して素早い動きではない。むしろ緩やかにすら感じられる歩みで本当に極自然だった。距離を一息に詰めるでもなく、悠々と歩いてきたのだ。まるで友人か家族の家に上がりこむような、何気ない足取りだった。とても戦いの最中には見えない。
まるで、雲の上を歩む仙人のように軽妙かつ玄妙な足捌き。相手の呼吸や意識の隙間を完全についた形。それは何気ないようでいて、あらゆる戦闘における奥義とも言うべき到達点だ。
あまりに軽い歩みだった所為で、ラカンですら懐に潜りこまれたのに気づいても反応するのが一瞬遅れてしまった。
「ぐっ!?」
息を呑む前に、避けろと頭が悲鳴を上げるよりも何倍も速く、残像すら渦巻かせてアスカがラカンの頬を横から殴るように肘を放つ。反応する、という選択肢すら頭に浮かばなかった。
ラカンの視覚は世界が勝手に高速で回りだしたように感じた。
アスカの攻撃はまだ終わらない。宙にあるラカンに音もなく忍び寄り、地に付く直前に鉄球が落ちたような怒号の震脚が地面を揺るがす。
手首、腰、膝の三点に捻りを加えた結果、雷迸る右腕に回転力が付加される。アスカは回転力が付加された右の掌底を、思いっきりラカンの裸の腹部に打ち込んだ。
「白雷浸透勁」
バーン、とアスカが呟いた技名を掻き消すほどの近くで雷が落ちたような凄まじい打撃音が鳴った。
「!」
と、その時、信じられないことが起きた。
アスカが掌底を打ち込んだ場所の、ちょうど反対側のラカンが着ている背中の衣服が爆発したかのように吹き飛んだのだ。
原理は単純。威力だけが貫通して反対側を突き破ったのだ。全て波のようなもので、衝撃や破壊力に形はない。波を上手く使えば、内部に浸透して目標を貫通するような攻撃も可能な骨法でいう徹し。中国拳法では浸透勁と呼ばれる技法である。
白雷浸透勁は、浸透勁を白い雷が込められた右腕で行うことで相手の体内に衝撃と雷撃を叩き込む技である。
「な、に!?」
壮絶な吐き気を抑えようとした時には、既に体のバランスは失われていて思わず片膝をついていた。下手に立ち上がろうとすると、体内に残ったダメージによって地面へ崩れそうになる。
体内にまで重く染み渡った衝撃と雷撃に、如何なラカンといえども立ち上がれるまでの回復にかかる時間は一秒程度を要した。それだけの隙をアスカが見逃すはずが無い。
神速で近づいたアスカが、片膝をついたラカンの顎を思い切り横から蹴り上げた。ご丁寧にも全ての攻撃に魔法の射手が込められており、この蹴りにも雷撃が付与されている。
蹴られた顎にダイナマイトが爆発したような衝撃が走った。
「魔法の射手、集束・雷の1001矢――――雷華豪殺拳!!」
ラカンの人並み外れた巨体が何メートルも浮かび上がり、落ちてきたところに流星が集うように収束した魔法の射手が込められたアスカの右の拳が無防備な腹に叩き込まれた。
「ご、ぉぅッ!?」
どんなに巨大な竜種だろうと一発で内臓破裂間違いなしのボディブローを叩き込まれたラカンは、口から大量の血反吐を溢れさせながらも数歩後退るだけで堪えて見せた。
「へっ…………それぐらいじゃ、屁でもねぇぜ」
腹を両手で押えて顔中に脂汗を垂れ流しながらも強がりを見せるラカンは、そう言いながらもアスカを圧倒できずにいた。
咸卦・太陽道によって大幅なパワーアップを果たしたことで、極限の気に練り込まれ鍛え抜かれた鋼の肉体をも突破する力を有していることを証明した。
「どう見ても効いてるじゃねぇか。痩せ我慢は体に毒だぞ」
「うるせえや、効いてなんかいねえよ」
「足がガタついてるのによく言う」
「かっこつけて冷静に指摘すんじゃねぇ、ばぁか。男ってのはな、痩せ我慢と諦めの悪さで出来てんだよ。テメェみてえなガキにゃ、まだ理解できねえかもしれねえけどな!」
「年寄りの強がりなんて理解したくもねぇな!」
叫びながらアスカがラカンとの間合いを詰める。しかし、仕掛けたのはラカンが先だった。近づくアスカに一足で至近距離にまで踏み込んで恐ろしい勢いの踏み込みと共に繰り出された右拳が顔面に振り下ろされた。
顔を傾けて避けたアスカだが体勢が崩れてよろける。
アスカが体勢を整える前にラカンは次の攻めに移っていた。丸太のように太くて長い右足で繰り出される素早い前蹴り。アスカが固めた肘で横から蹴り足を弾く。同時に攻勢に転じる。
左右の拳の連打から、頭部を狙っていると見せかけて足元を狙った左の浴びせ蹴り。
一呼吸で放たれた連撃の全てをラカンが凌ぐ。左右の連打は太さに見合わぬ軽さで動いて阻み、足元を狙った浴びせ蹴りはフェイントに黙らず、右足を上げて空振らせる。が、アスカの攻撃はここからが本番だった。ラカンが巧みに連撃を捌いた刹那、アスカの身体が異常な速度で動いた。
遠くから魔法具で見ていた実況者とザイツェフには驚くべき速さで懐に入ったのが見えたが、多分ラカンにはアスカが目の前で突然、消えてしまったように見えたはずである。
案の定、ラカンはアスカを捉えきれていない。
「がっ!?」
なのに、苦痛の呻きを上げて吹っ飛ばされたのはアスカの方だった。後方に吹き飛ぶ視界は、強すぎる気によって紫電を湛えた拳を突き出して不敵に笑うラカンの姿を捉えた。罠だったのだ。
「ちっ」
舌打ちをしつつ、空中で体勢を整えようとしたアスカに音もなく追い抜いたラカンが振り向きざまに裏拳を打ち込む。
両手をクロスさせて防いだアスカが、ラカンの腕を搦め捕った。立った状態からその腕にぶら下がるように飛びついて仕掛けた。アスカの胴体ほどはありそうな太い腕を脇に挟み、全体重をラカンの肩にかけてゆく。脇固めの形だ。
「ぐははははは、軽い軽い」
二本の巨木と化したラカンの足が頑強に身体を支えている。どれだけアスカが倒そうとしても、びくともしない。
腕を後ろに捻られたまま、ラカンが大きく思いっきり腕を振り上げて――――全力で振り下ろした。柔らかさと硬さが微妙に入り混じった、なんとも嫌な音が競技場に響いた。
「いってぇ……」
先のダメージが大きく、追撃よりも回復を優先したラカンがその場から飛び退くと、叩きつけられた時に出来た血を眉間から垂らすアスカがのっそりと起き上がる。
「本当に馬鹿力だな」
「今のテメェにそれを言われたくはねぇな」
ようやく内臓のダメージが回復してきたラカンはアスカの言い様に我慢が出来ずに反論する。
「咸卦法を使うアスカのパワーは俺に劣らねぇ。いや、寧ろ上回ってる」
認めたくはないが、今のアスカは性能はラカンを上回りつつある。
何かが吹っ切れたのか、動きに迷いがなくなり、果断になった行動に一瞬とはいえラカンも対応できなかった。一度は底が知れたと思えば、こちらの対応を上回る速さで益々深さを増していく様はナギを彷彿とさせる。
「んじゃ、もっとギアを上げてみっか」
ニヤリ、と唇の端に血の跡を残しながら笑ったアスカが地面に着きそうなほど身を沈めて向かって来る。ラカンも坐して待つつもりはない。
「
アーティファクトを呼び出し、大剣や鉾槍といった大きい得物をアスカの進路上に突き刺していく。
進路を変更しようとするのも、行き先を予想して同じように突き刺して動きを封じる。
「必殺――」
アスカを足を止めざるをえない状況を追い込んでいる間に飛び上がってとっておきの準備を整える。
あまりにも巨大すぎて流石の千の顔を持つ英雄でも即座に形を形成することが出来ないソレを握り、大剣達に囲まれて身動きが取れないアスカを見下ろす。
「――――斬艦剣!!」
大戦時代に超弩級戦艦を文字通りに斬り落としたラカンの身の丈を遥かに超える大剣をアスカに向けて振り落とす。
アスカは避けることも出来ず、斬艦剣の影へと消える。直後、地面を貫いた斬艦剣が巻き起こした轟音と砂煙が闘技場の地面を覆い隠した。
「――――雷の精霊1001柱、集いて来りて敵を射て」
「やっぱ、生きてやがるか」
「魔法の射手、連弾・雷の1001矢!」
詠唱のする声が聞こえた時点でアスカの生存を確信したラカンは砂煙を割って突き進んで来る魔法の射手を認めても驚きはない。
「千の顔を持つ英雄!!」
如何なる形にも自在に姿を変えられるアーティファクトである千の顔を持つ英雄には決まった型はない。斬艦剣から飛び上がりながら幾百もの短槍を作り出して千を超える魔法の射手を迎撃する。
「まだ来るのかよ!」
全てを迎撃しきれず、気を纏った素手で払いのけると既にそこには第二弾の魔法の射手が迫っていた。しかも全く途切れずに地上から連射され続けている。
「無詠唱で撃てるだけ撃ってやがるのか!?」
咸卦法をすることで人並み外れた力を持つに至ったアスカの弾幕である。たった一人で数十人が揃って放っているのではと錯覚しそうになるほど、アスカは雨霰と魔法の射手を放ち続ける。
「ぐっ」
遂に弾き切ることが出来ずに一矢がラカンの体に着弾する。
斬艦剣を受ける前に地面を掘って影響圏から退避していたアスカは地上からその姿を見届け、「オラァ!」と気合を上げて弾数と威力を増やす。
「お……おぉ……!?」
回転数と威力が右肩上がりに跳ね上がっていくことで、徐々に体に着弾する数が一矢から十矢、十矢から百矢と加速度的に増えていく。
地上から放たれる魔法の射手が十万を超えたところで、迎撃よりも受けることを重視するのに天秤が傾くのに時間はそうかからず、流石のジャック・ラカンも腕を掲げて耐える。
浮遊術を使っているわけでもないのに魔法の射手の威力にって徐々に上空へと押し上げられていく。
「ずぁ――っ!!」
このままではジリ貧だと悟ったラカンが四肢を開いて全身から大量の気を発し、自身を中心とした数メートル範囲に気のバリアーが広がり魔法の射手をシャットダウンする。
魔法の射手は気のバリアーによって阻まれてラカンの下まで辿り着けない。
アスカがこのまま魔法の射手を放ち続けて気のバリアーを突破するか、別の手段を講じるかで意識の切り替えが行われる瞬間よりも早く動いたラカンが形成した気が込められた突撃槍を投げ下ろした。
「!?」
放たれ続けている魔法の射手の間を縫うようにして投げ落とされた突撃槍が避けようもないタイミングでアスカに命中する。
障壁越しとはいえ、着弾によって大爆発が起こってアスカの体が大きく投げ出された。
なんとか意識を保って四肢をついて着地したアスカの服は上半身の服が殆ど焼け焦げている。先程までいた場所が大きなクレーターになっていることを考えれば生きているだけ儲け物というものだろう。
「はぁはぁ」
最早衣類の体を為していないシャツは着ているだけで邪魔になる。遂に切れ始めた息を整えることを意識しながら服を破り捨てる。その眼は上空から下りて来るラカンから外さない。
「よくもやってくれたな。俺の一張羅が台無しだ」
「ほざけ」
ラカンは言いながらもアスカと同じように服が台無しになっており、同じように投げ捨てる。
互いに上半身裸になりながらも、その眼は油断なく相手の挙動を見逃さないように鋭い。
「俺にバリアーを張らせるなんざ、この二十年の間で両手の指の数ほどもいなかった。誇っていいぜ、今のお前は俺達に比肩する力を持っている」
「比肩? 面白いことを言うな」
純粋な賞賛に何故かアスカは鼻を鳴らす。
「俺は誰であろうと負ける気は無い。例え紅き翼であろうとも、親父やアンタであろうともだ、ラカン。最強は、俺だ」
中指を立てた挑発のポーズを向けられたラカンが心底楽しくて堪らないとばかりに破顔し、手で髪を掻き上げた。
「いいねぇ、いいねぇ。俺様よりも上だとほざける馬鹿野郎が一体どれだけこの世界にいることやら。そしてそれに実力が伴っているともなれば片手の指にも届かないだろう」
傲岸不遜にして大胆不敵な台詞を、英雄であるラカンに面と向かって言える者が世界にどれだけいるか。ラカンの傷を見れば決して大言壮語ではなく、そう言えるだけの実力をアスカは証明している。
ラカンは楽しくて仕方なかった。これほど血沸き肉躍る戦いは久しぶりである。
「だが、まだガキにその称号はやれねぇな。一昨日出直して来やがれ!」
「年寄りは年寄りらしく後進に譲って隠居してろ!」
二人同時に飛び出し、全く同時に同じ右の拳を放って左手で受け止める。
拳を受け止めた間近で視線が交わり、男の意地が足を下げさせることを許さなかった。
拳を開いた二人は互いの掌をしっかりと合わせ、指と指を組み合わせて相手の手をギリギリと握った。共に力で相手をねじ伏せようとするが、その力は拮抗していた。力を込めたことで上半身の筋肉がボコリと盛り上がっている。たちまち、額に玉のような汗が噴き出る。
「ぐおおおおおおおっ」
「があああああああっ」
二人は口元を歪め、顔を真っ赤にして吠えた。
「「ぉおおおおおおおおおおおおおお!!」」
咸卦の力と気が二人の体から迸り、相手を圧さんばかりに広がっていく。引いたら負けると直感し、力を入れる互いの顔に青筋が浮かぶ。
一進一退の力場が気流にすら影響を及ぼし、二人を中心として円を描くように巻き上げられた砂塵が渦を描く。あまりの二人の力に闘技場が震えているのではないかと錯覚するほど揺れが観客席を襲う。
どちらにも傾かない天秤は、アスカの背後に浮かんだ雷の球が一気に傾けた。
「くっ!?」
無詠唱で放った雷の魔法の一矢は、ラカンが顔を前に傾けて避けるものの、行動を予測していて跳ね上がったアスカの膝によって額をかち上げられる。
手はがっちりと組み合ったままで離していないので、額をかち上げられたラカンの上半身が僅かに反っている間にアスカは圧することが出来たはずだ。にも関わらず、そうしなかったのは別のことをしていたからである。
「来れ雷精、風の精。雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐」
それが何の魔法を示す詠唱であるかはナギの仲間であったラカンに分からないはずがない。ならば、迎撃を。回避が出来ないのならば迎え撃つしかない。
三秒で全開パワーに達するラカンであろうとも分の悪い賭け。しかし、それしかラカンに出来ることはない。
「雷の――」
「ラカン――」
組み合ったままのアスカの左手とラカンの右手が赤熱する。
極狭いエリアに巨大なパワーが収束したことで空間が歪むほどの熱量が発せられていた。
「暴風――っ!!」
「インパクト――っ!!」
雷の暴風とラカンインパクトが鬩ぎ合い、二人の手は衝撃を抑えきることは出来ずに跳ね飛ばされる。
同時に、二人はバッと跳んで、一旦間合いを取った。
だがラカンは、直ぐに前へ跳び、アスカの懐に入ると右の拳に体重を乗せて頬へとお見舞いして綺麗に命中する。が、アスカは微動だにしない。
次の瞬間、アスカが右の拳を、ラカンの腹部へとめり込ませた。これまたラカンは動かない。
やがて、アスカがポツリと言った。
「――――今のは、ちょっと効いたぞ」
「――――お前のもな」
と、返すようにラカンも言った。
そこからは拳と蹴りの激烈な応酬となった、
雷の暴風とラカンインパクトを撃ち合った手は痺れているのか、攻撃に使われることはなかったが十分に熾烈な攻撃が繰り広げられる。
途中、ラカンがアスカを抱え込み、そのまま身体を回転させて背負い投げを試みた。だがアスカはそれを堪え、かえってラカンを背後から抱えると、自分の肩越しに後ろへと投げ飛ばしたのである。
その先に、捲れ上がった岩があった。
「うおっと」
ラカンは巨体から信じられないほどの身軽さで、叩きつけられる直前に猫のように空中回転をして足から岩に危なげなく着地する。
衝撃を殺すために撓めた膝を活かしてそのまま蹴り出し、投げた姿勢のままのアスカにヤクザキックを顔面にお見舞いする。
顔を蹴られて鼻血とその他を撒き散らしたアスカは、そのまま蹴り足を掴んでラカンを振り回して地面に叩きつけた。
「あでっ」
ビダーン、と音がしそうなほど顔面から地面に叩きつけられたラカンはアスカが顔を抑えながら距離を取ったことに助かりながら起き上がる。
「いってぇな、この野郎!」
「それはこっちの台詞だ、クソ野郎!」
ジンジンと痛む顔の痛みに叫び返しながらラカンはローキックのフェイントから深く踏み込み、アスカの胸を狙って拳を打ち込んだ。どれほどの大きさの巨石であろうとも容易く砕く一撃にアスカは自ら当たりに行くように飛んだ。
(なに!?)
体の中心に拳の直撃を受けて吹っ飛ぶアスカの姿をイメージする――――その一撃は手応えなく空を切った。
ラカンは目を瞠った。アスカは自分から攻撃を受けに行くほど酔狂な趣味を持っていない。まるで体重が消失したような動きで拳を避けると、自分に向かってくるラカンの右腕を両手で手首を捕らえた。
「っ!?」
右腕にアスカの全体重がかかったかと思うと、ほぼ真下から右足が突き上げてきた。
ラカンが反射的に顔を後ろに反らせたが、それこそがアスカの狙いだった。アスカは左足を反らされたラカンの首に引っ掛けて曲げ、右足を外側に開いて膝下を曲げて肩の上から左脚の太腿の上に重ねた。後は自身の体重をかけて両手で掴んだラカンの右腕を引っ張れば、左足が首を絞め、右足と両手が右腕を極めて完成。締め技と関節技を同時に行おうとしているのだ。
「チィ!!」
これを極められてしまえば、さしもののラカンと言えども抜け出すのに手間がかかる。
極められる前に右腕に渾身の力を込めることで二の腕の筋肉を瘤のように固く膨れ上がらせ、後少しで重ねられたアスカの右足を跳ね上げる。
「……っ!」
自由な左手で首にかけた自身の左足を掴もうと伸ばそうとしているラカンの行動を見て、アスカは締め技と関節技を捨てて次の行動に移った。
ラカンの首にかけていた左足を自分から外し、跳ね上げられた右足を自分から下に振り下ろしてラカンの膝裏を蹴り上げた。
膝かっくんをされたように膝が折れたラカン。アスカは左手で掴んだままのラカンの手首を基点に一回転。そのまま胸に乗り上げて地面に倒れたラカンの馬乗りになる。
「マ~ウント、ポジション」
仰向けになったラカンの腰と両腕を自身の両足で抱え込むようにして馬乗りになったアスカは楽し気に笑い、締め技と関節技を捨てた時点から両手に溜めていた力を纏って嬉々として振り抜いた。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっっッ!」
叫び、ありったけの雷を込めて、渾身の力で拳を叩き込んでいく。
アスカの浴びせる鉄拳が、ラカンの体を少しずつ地面にめり込ませていく。
「!」
鋼鉄の肉体を持っていようと、それを越えるエネルギーで叩き潰せばいい。十分に溜め込まれた一撃に、流石にこれは効いたのか殴られた頬に拳の跡がついたラカンの口から血が飛んだ。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ――――――――っ!!!!」
一瞬で十発を、一秒で百発を瞬時に叩き込んだアスカの攻撃は全く緩む気配がない。
顔と首と胴体に次々と連打を叩き込まれ、ダメージと共にフラストレーションを溜め込んだラカンの我慢の糸があっさりと切れた。
「痛てぇな、この野郎が!」
お返しとばかりに開いたラカンの口の中から飛んだ気弾が額を直撃し、攻撃ばかりに意識を集中していたアスカの顔が上空に跳ね上がった。あまりの威力に身体も浮かび上がり、抑え込まれていたラカンはその隙にマウントポジションから抜け出した。
顔を倍に膨れ上がらせたラカンは直ぐに起き上がり、地面を踏み砕きながら前のめりに落ちて来るアスカの顎を再度アッパー気味に炸裂させた。
ダウンすることも許されずに顎を強烈にかち上げられたアスカは棒立ちになったところへ凄まじいタックルを食らって、堪えようもなく吹っ飛んだ。
「全開――」
吹っ飛ばされたアスカを追いかけず、その場に留まったラカンは腰溜めに構えた拳に気を充填していく。
高まる気に気流が動くのを感じながら、ようやく体勢を整えて着地したアスカに向かって拳を振り抜く。
「ラカン・インパクトォォッ!!」
避けようと上空高くに飛び上がるが腕の振り方を変えるだけで簡単に対応できる。全開のラカン・インパクトは、ほぼ闘技場中央の上空まで一瞬で移動したアスカ目掛けて轟音を響かせながら緩く孤を描いて伸びていく。
「――――雷の暴風!!」
もう少しで着弾というところで諦めの悪いアスカが詠唱を破棄して雷の暴風を放った。
孤を描いているラカン・インパクトと違い、真っ直ぐに向かって来た雷の暴風はラカン・インパクトの少し後に技後硬直に陥っていたラカンを襲う。
「ぐぅ……ぬっ!?」
防御よりもこのまま撃ち抜くことを優先したので、諸に食らった雷の暴風によるダメージが大きい。
地面ごと撃ち抜かれた体がバウンドし、直後にラカン・インパクトと雷の暴風によって上下共に障壁を破砕された甲高い音が鳴り響く。
地面を貫いた雷の暴風によって、一度は千の雷で更地にされた地面が再び穿り返された。
穿り返された地面の欠片の一つに寄りかかるラカンは大きすぎるダメージに直ぐに動けない。その直ぐ近くを上空高くから落ちて来たアスカがなんとか四肢をついて着地する。
「く、くそ……」
近くにラカンを認めて立ち上がろうとしたアスカだが、ダメージが多すぎて膝が折れて片膝をつく。
『気が飛び交い、魔法が乱舞し、肉体が躍動する!! というか、いい加減に障壁を壊さないで!?』
実況の泣き声が入るが、戦っている二人にはどうでもいいことだ。もう二人は相手しか見えていない。
「お互いにダメージが大きいようだな」
「はん、お前と比べるんじゃねぇよ」
「意地っ張りめ」
「上等」
互いにダメージの回復を図りながらも減らず口は止まらず、目の前の相手に膝をついていることが我慢できずに同時に立ち上がり、瞬動で相手目指して飛ぶ。
「オラァ!」
「うりゃっ!」
再び激突する拳と拳の間に、大量の血が飛沫く。アスカとラカンの双方が流した血。錆びた鉄の臭いと鮮やかすぎる紅色。
紅色に半顔を染めながら、ますますラカンは楽しそうに笑みを深めた。
「ははっ」
ラカンと同じように喜色を顔面中に滲ませながら、アスカは剥き出しのままの素の自分で戦えることが楽しくて仕方がない。本来はそうであったはずの自分を取り戻せた気がする。
拳を叩き込みながらアスカが口を開いた。
「なんかさ、分かって来た気がする」
「なにをだ?」
お返しのように頬を右拳で振り抜いたラカンが問う。
自分から首を捻って拳の威力を逃がしてラカンの軸足を刈りながらアスカは笑った。
「どんなに格好つけても、どんなに無理をしても、俺は俺を止められない」
掌打が放たれて顔の前面に受けながら、刈り取られた足でアスカの顎を蹴り上げたラカンにとっては当たり前のことであった。そんな当たり前のことを今更ながらに理解したアスカに少し呆れる。
「ぐっ……!」
「ぬううっ!」
同時に踏み込み、右拳を振り抜いて互いの頬を撃ち抜く。
口から血を噴き出しながらアスカの顔からは獰猛な笑みが消えない。
「期待をかけられたら応えたくなるし、助けを請われたら無茶だってしちまう。それが俺だ。他の誰でもないアスカ・スプリングフィールドだ」
やられたらやり返し、やられる前にやる。殴られれば殴り返し、殴られる前に殴る。そんなことを幾度も繰り返す。
「他人から見たら馬鹿なことをしているのかもしれねぇ。実際、今までに自分でも馬鹿だと思うことが何度もあった。自分だけじゃなくて、周りにも大きな迷惑をかけてきた」
張り付いていた余計なものがどんどん剥がれて行って、頭ではなくて心で体が動く。
嘗てないほどに体が動き、これほど体が軽いと思ったことはない。蹴られて体が宙を舞っても強く握った拳が解かれることはない。
「でも、それでいいんだって今は思える」
アスカには末来なんて見えない。ネギのように頭は良くないし、アーニャのように機転が利くわけでもない。それこそアスカに出来るのは、こうやって拳を相手に叩きつけることだけだ。
見えるのは、ここまで走って来た自分の道と今この瞬間しかに対峙している相手であるラカンだけ。
「俺はバカだから、考えるよりも心に従いたい。英雄がなんだ、紅き翼がなんだ。俺は、俺がアスカ・スプリングフィールドだって世界中に言ってやるよ!」
自分の中にあった余計な物を捨てて全部取っ払った後に残ったのは、幾人もの願いと想いで作られた羽の山だった。
嘗て戦った敵ですら、今のアスカを構成する羽の一つになっている。どれかが欠けても今のアスカにはなりえない。自分を肯定出来たその先にあったのは、他には例えようもないほどの全能感であった。
現実にアスカに出来ることは少なくとも、全ての問題に立ち向かえる気概が心の奥底から湧いてくる。
「俺に、出来ない事なんてない!」
今こそ、嘗ての誓いの言葉を声高に叫ぶ。
必要なのは信じること。出来ないことはないのだと自分こそが信じれなければ、誰も己を信じてくれることなど出来ない。試練上等、もっと壁を寄越せと、全能感に酔いしれたアスカは殴られ続けてハイになった心持ちで全世界に言いたいぐらいであった。
「ははっ、言うじゃねぇかアスカ!」
一分一秒、一瞬でも眼を離した隙に生まれ変わるかのように変化していくアスカにラカンも笑いが止まらなかった。
先程まで自分で飛ぶことすら出来なかった雛が、瞬く間に成長して大空を飛び始めたのを見送る親鳥のような心境でアスカに向かい合うラカンは、まさかここまでナギにそっくりな馬鹿野郎であることに心底喜んでいた。
『殴る蹴る切る投げる叩きつけるっ! 両者一歩も譲らずに相手を打倒しようと全力を尽くす! これこそが、拳闘の極み!!』
実況が興奮した口調でがなり立てる。
自分の信念を揺るがぬ答えとして世界に示すために敵の顔を殴れ、腹を蹴れ、足を払って地面にたたきつけて叩き潰せ。
殴る。ぶつかり、弾かれて再び激突する。二人の戦いに耐え切れず、地面は捲れ上がって、さながら嵐の巣となっていた。
痛みに呻き、気合を叫び、殴られて傷つき、蹴られて血を流し、叩きつけられてみっともなく反吐をぶちまけて、痛みに涙を滲ませるのだ。気を失いかけても、根性で拳を握りしめろ。負けない。負けられないのだ。男のケンカには。
雷が舞い踊り、気が乱舞する。
思うがままに暴力を貪った雷と気によって、闘技場地面の表面は融解し、抉れた大地の痕はガラス状に変質した。熱量の凄まじさが小規模な水蒸気爆発を起こし、いまだ周囲の空気は陽炎の如く揺らめいている。
陽炎のように揺らめく空気を突き破り、ラカンの顔目がけてアスカが頭から体当たりを仕掛け来た。
ゴッ、と固い者同士が激突する重い音が響いた、アスカの頭突きは狙い通りラカンの顔面を捉えた。二人は瓦礫に倒れ込む。
素早く起き上がったのはラカンの方だった。
「オラァッ!」
ラカンの強烈な右足が振り上げられた。それはアスカの頭上高くまで持ち上がると、鉈の如く脳天に目がけて振り下ろされたがその前に足を掴まれた。
「残念だったな」
しまった、というラカンの表情を不敵な笑みを浮かべつつ、アスカが足を掴んだまま彼の体を振り回した。まるで人形と戯れているかのように軽々と、自身を軸にハンマー投げの要領でラカンを振り回す。
そして十分な遠心力を付けたところでアスカは振り向きざま、背面にあった岩に向かってラカンを投げつけた。
岩に強かに背中を打ち付け、ラカンが苦しげに呻く。だが、それも一瞬、ラカンは直ぐに身体に活を入れ直すと、斜め前に跳び込んで猛牛にも勝るアスカの突進を躱した。
雷を全身に纏って突進してきたアスカの体当たりによって岩は大きく揺れ、やがて中心が真っ二つに折れる。
「チャンス!」
背を向けているアスカに向けてアーティファクトを呼び出したラカンが大剣に気を込める。
気の高まりを背中越しに感じ取ったアスカが、「ふっ」と呼気を発すると手を着いていた岩の片割れが粉微塵に粉砕された。強すぎる威力によって地面まで打ち砕き、巻き上げた砂煙が一瞬だけアスカを覆い隠す。
その瞬間に気が込められた大剣は放たれた。
「ちっ」
大剣の着弾よりも一瞬早く、アスカが瞬動で砂煙から出て闘技場の向こう側に退避するのを見たラカンが舌打ちする。
「来れ雷精、風の精、雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐」
標的を失った大剣が大爆発するのを意識の外へと追いやって、アスカが雷の暴風の詠唱を重ねているのを力の高まりと同時に感じ取りながら、体をアスカの方へと向けて珍妙なポーズを次々に取る。
「エターナル・ネギフィーバー!!!」
最後にそう言いながら四肢を開く決めポーズを取ると、膨大な量の気を前方に向けて全身から迸らせた。
怒涛の如き気の波濤が一直線に伸び、雷の暴風を放とうとしておいたアスカを呑み込んで爆発した。観客席の下、闘技場の内壁を貫通したエターナル・ネギフィーバーという、ネギに
何度も張り直したことで強度が弱まっていた緊急魔法障壁を全て貫く。闘技場が街よりも高い位置になければ市街地にまで影響が出ていたことだろう。
(まさか、これで終わりか?)
爆炎が晴れていないが、エターナル・ネギフィーバーは確実に直撃した。既に互いのダメージは大きいので決着がついてもおかしくはないが、これではあまりにも呆気なさ過ぎる。
これで終わってくれるなよ、と再びやってくることに期待しながら着弾地点を見ながら油断せずに気を配り続ける。
「――――今だ!!」
「「「「「「「「「「応!!」」」」」」」」」」
真後ろから聞こえて来た一つの掛け声に対して全く同じ声が複数応える。ギョッとしたラカンが後ろを振り返ると、地面の下からアスカと全く同じ姿と形をした十体のアスカが現れた。
アスカ達は全方位からラカンに飛び掛かりながら魔法の射手を放った。
音はなく、雨のような弾丸が避けようもなく歴戦の勘から咄嗟に防御体勢に入ったラカンに全ての魔法の射手が着弾する。
「ぐっ!!!!」
雨霰と降り注ぐ弾丸が着弾した直後、まるで雷のように一瞬遅れて轟音が鳴り響いた。
僅かに遅れてラカンの瞳に、無数の白い雷光が映りこむ。
先程の大剣を避ける前に生み出された分身達は、地面を穿り返して接近したために付いた土塊を振るい落としながら走る。
「「「「「「「「「「雷華豪殺拳!」」」」」」」」」」」
アスカの分身達がそれぞれに雷華豪殺拳を構え、何かをする間を与えず一気にラカンに突っ込んでいく。
もしもラカンが大剣が着弾した後にも目を向けていれば、不自然に空いた穴にも気づいたことだろう。だが、既にもう賽は投げられている。
(分身たぁ、ナギにどんだけ似てんだよ!)
初めてナギと戦った際に同じことをされた経験があるが、今の状況でアスカの分身達の攻撃を全てを受ければラカンでさえ危険である。かといって、牽制の魔法の射手を食らって避けるだけの動作は取れそうもない。
「うおおおおおおおおお――――!!!!」
前、後ろ、左、右、上をアスカの分身体によって遮られて後方に逃げても打開策にならない状態になったラカンは、全身から気合の声と共に全周囲に気を迸らせる。迸らせた気は衝撃波を発生させて辺りの瓦礫を吹き飛ばした。
その気流をまともに食らったアスカの分身達は、余波だけでもたちまちの内に消滅して姿を消していく。
背後で消えない気配から感じた凄まじい圧力に待ち構えていた身体が反応して振り返ると、消えぬ一体が迫ってきているのが見えてラカンはこれが本体だと直感した。
「テメェが本体か!!」
不意打ちが決まったかに思っていたが全ての分身が迎撃されて焦ったのか、アスカの動きは単調だ。分身に合わせるのを止めたのか、速度は段違いに速くなって腕の輝きも増して空気を切り裂きながらラカンに迫るが絶好のカモである。
「甘めぇ! 食らえ、零距離・全開ラカンインパクト!!」
ラカンは、相手のその技が恐るべき威力を秘めていることを察しながらも、余裕を浮かれるように口端を引き上げて、振り返って腰を僅かに落として身構えていた。そうして、拳に集中させたエネルギーをアスカの技に合わせるように突き出すと共にエネルギーを放出した。
光は竜の吐息にも似ていた。
絶大なる力を秘めた、破滅の光。
目も眩むような光を放って、二人の間で恐るべきパワーが激突した。それは強烈な衝撃波を作り出し、辺りのものを薙ぎ払うカマイタチのような突風が、所構わず吹き荒れる。
拮抗したと思われたパワーは、一瞬のみで天秤はラカンへと大きく傾いていく。
歯を食い縛りながら前に出たラカンに、押し込まれながらも負けじと相手を押し返そうと力を込め直したアスカだったが、時は既に遅く、パワーバランスが一気に崩壊した。
「しまっ――」
アスカの雷華豪殺拳は、ラカンの零距離ラカン・インパクトに完全に押し込まれてクリーンヒットする。
(勝った!!)
避けるのも防御するも絶対に不可能なアスカの状態に、ラカンは心の中で勝利を確信した。
「これも分身だと!?」
零距離ラカン・インパクトが直撃した瞬間に空気の抜けるような音を残し、アスカが霞と化して消えた。必殺の技を放ったはずのアスカが消え、それが分身であることに気付いたラカンが驚きの声を漏らす。
しかし、ピンチを切り抜けて、その後には全力の技を放ったことで如何なラカンといえでも絶対的な隙が生じた。
そしてアスカが待っていたのは、待ち望んでいたのはこの瞬間だった。
「契約により我に従え高殿の王」
零距離ラカン・インパクトの爆発が闘技場を支配する中で、最初にエターナル・ネギフィーバーが命中した場所に本体のアスカがいた。
ほぼ生身でエターナル・ネギフィーバーを受けたのか傷だらけであるが、こんなことをしたのは当然、ラカンを倒すため。
「来れ巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆」
壁に足を付けているアスカの足下で力が収束され、高められる力に耐え切れぬとばかりに軋む。その手には今か今かと雷が膨張と圧縮を続けている。
「百重千重と重なりて走れよ稲妻」
溜めに溜めて空間を軋ませんばかりに壁を踏みつけて縮地无疆を行い、アスカは自らの身体を弾丸として撃ち出した。あっという間に音速を超えた速度の進撃は、当たっても外れても大怪我必死の、文字通り肉の弾丸となって飛ぶ。
「収束・千の雷!!」
詠唱が完了した千の雷を、無理矢理に収束させる。
本来ならば超広範囲雷撃殲滅魔法は収束できるような代物ではない。それをアスカは咸卦の力で無理矢理に右拳に押し込める。
強すぎる力に皮が剥がれ、肉が暴れ、神経が燃える。暴発しそうになるのを、幼いころから魔力の扱いが下手で最大級の一矢で雷華豪殺拳を放っていた経験が活きる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!」
それでも押し込めきれずに右腕を焼かれて雄叫びを上げながら、本物のアスカがラカンへと迫る。
「くらえッ! 雷轟塵殺拳だァァァァアッ!!」
1001矢が込められた雷華豪殺拳や、分身達が放とうとした魔法の射手が一矢込められたものとは文字通りの桁が違う今現在のアスカが放てる最高最大にして最強の一撃。
エターナル・ネギフィーバーを放ち全身から気を発したところに全開のラカン・インパクトを放ったラカンは、他の者には短く感じても超高位に至った者には隙だらけであるほど技後硬直に陥っている。
狙いは過たず、千の雷が込められた雷轟塵殺拳が振り返ったばかりのラカンのどてっ腹に叩き込まれるその刹那。
「全力・気合防御!!」
攻撃を受けることは避けられないと悟ったラカンは、避けるでもなく、振り返るでもなく、選択肢したのはこの場面における最善の一手である全力の防御。
「うっ、ぐぉおおおおおおおぉおおおお!?」
刹那、縮地无疆の突進のエネルギーすらも足された雷轟塵殺拳を気の鎧が押し留めたように思われたが、それもやはり瞬きにも満たない一瞬のことに過ぎなかった。
凄まじいほどのパワーが気の防壁をあっという間に引き千切り、今度こそ本当に相手の内懐に食い込んでいった。
ラカンの口から体内にある全ての血が吐き出されたかと思うほどの吹き出し、瞬く間に蒸発する。
とっておきの切り札である分身をここぞという場面でフル活用した三度の攪乱で、完全に余裕を失くしていたところに痛恨の一撃を受けたラカンの目からは半分意識が飛んでいる。
意識がまともであれば、生きていることが信じられないことに自分を賞賛していただろうが今のラカンは意識を殆ど飛ばしながら動く。
「ぉ、ぉおおおおおお!!」
打たれた部位の感覚を完全に無くしながらも拳を振り上げたジャック・ラカンを動かしたのは英雄の意地か、それとも他の何かか。
縮地无疆の突進エネルギーも無くなり、地に足を付いたアスカは顔を上げない。
アスカはこの一撃に必勝を期していた。そう、既に勝ち筋を見い出していたのだ。
「
「げっ」
顔を伏せているアスカの全身を雷光が照らし出す。
ありえない。有り得てはならない光景だった。雷轟塵殺拳を放った手とは反対の手に雷霆の暴風があることなど、決して認められることではない。第一、遅延呪文を何時の間に行っていたというのか。
(あの、時か?!)
意識が半分飛んでいるラカンの脳裏にエターナル・ネギフィーバーを放った瞬間が蘇る。
あの時、確かにアスカは雷の暴風の詠唱を唱えていた。確かにあの時ならば遅延呪文をストックできる。だが、あのタイミングで遅延呪文をストックすることを優先すれば、生身で受けることになる。
アスカは決断した。障壁を張ることなく、ラカンの一撃を受けると、受け切って遅延呪文をストックすると。賭けである。下手をすれば自分が敗けるリスクを冒してでも、勝利を目指した。そして今、アスカは賭けを勝つ。
「雷の暴風!!」
「ぐ………ぐおおおおおおおおおぉお!」
アスカの突き出した手の平から、残りの全ての力が込められた力が込められた雷の暴風が解き放たれた。
ほぼゼロ距離から雷霆の暴風を前にしてラカンに出来ることは何もない。
ラカンが咆哮した声すらも瞬く間に飲み込まれる。
閃光の閃きと共に二人がいた辺りが爆発して吹っ飛び、土煙を巻き上げて渦を巻く衝撃波が突き抜けていく。
ラカンの背後にあった瓦礫を粉々に砕け散り、その向こうにある地面を抉りながら、直線上に存在したあらゆる物体を丸々薙ぎ払い、吹き飛ばし、破壊の限りを尽くしていく。
闘技場の壁を塵すら残さず貫通して、新オスティアの上空を雷の暴風が突き抜けていった。
『こっ、これは……どう見ても勝利ッ!!! アスカ選手、伝説の英雄を打ち倒し、完・全・勝・利ぃいいいいい!! というか、生きているのかジャック・ラカンゥゥゥゥッ!!』
雷の暴風の射線上には何も残らず、これには実況もアスカの勝利を欠片も疑わず、寧ろ肉体の欠片すらも残さずにこの世から消えたかもしれないラカンの心配をする。
闘技場は勝利宣言がされたにも静まり返り、その不気味な静けさがラカンの死を印象付けるかのようだった。
「ハァッ、ハァッ、勝った…………のか?」
崩れ落ちそうになる身体を何とか支えながら言葉を漏らす。
エターナル・ネギフィーバーに耐えて縮地无疆からの雷轟塵殺拳、そしてトドメの遅延呪文でストックしておいた雷の暴風で一気に咸卦の力を使い果たし、咸卦法を維持する集中力と体力を失ってアスカはもう指一本動かすのも億劫なほどであった。
分身を最後の切り札として温存していたのは本当だが、勝敗は紙一重の差に過ぎなかった。
気が込められた大剣の爆発に地面に潜った分身が耐えられる保証もなく、エターナル・ネギフィーバーとかいうふざけたネーミングの割に強力な気の攻撃を本体が生身で受けて動ける保証も待たない。
分身にどれだけ引っ掛かってくれるかも分からず、全身の気の放出に分身一体が残ったのも偶々他の分身が壁になったからに過ぎない。
過分に運の予想が大きい博打の中で、分身の迎撃まではやってみせるだろうと、そこまではアスカの計算の内に入っていた。何段にも張り巡らせた陽動で隙が出来たラカンに、隠れていた本体が飛び出して雷轟塵殺拳で斃す。これがアスカのシナリオであった。
まさか絶対の隙が出来ていたにも関わらず防御したことには驚きを覚えるが、如何なジャック・ラカンとはいえども大河を割る一撃を耐え切ることは出来なかったようだ。
雷の暴風を遅延呪文でストックしたのは、これまでの戦いで雷轟塵殺拳でも仕留めきれなかった場合の保険であったが、まさか反撃をしてくるとは予想していなかった。後少しでも遅延呪文の発動が遅れれば、地に伏せていたのはアスカの方だっただろう。
「そんな……信じられん」
VIP用の特別観覧室で試合の行方を見守っていたテオドラは、呆然と呟いていた。同席するリカードとセラスも同様だ。
「あの、ジャック・ラカンが」
「まさか」
ラカンと互角に戦い、そして勝利するという結果が示され、それを為したのが二十歳にも満たない少年なのだ。
幾らノアキスの英雄と言えど、本心からジャック・ラカンにアスカが勝てると信じ抜けた者はいない。
眼の前で信じられない光景が起きたからこそ、誰もが未だに雷の暴風の余波の跡が残る闘技場を見ながら目の前の光景を受け入れられずに呆然としている。そんな中でも逸早く我を取り戻したのは、試合を監督せねばならない審判であった。
あまりの危険さに観客席に避難していた悪魔っ娘審判は、おっかなびっくりな様子で闘技場に下りて、未だに赤熱する地面に足がつかない様に背中の翼をはためかせながらアスカの下へと飛ぶ。
『あ、あのラカン選手を打ち破る者が本当に現われたとは信じられませんっ! ささ、早速勝利者インタビューを行って見ましょう!!』
拳闘士のルールとして、例え試合の結果として死んだとしてもお咎めはない。
実際、予選では殆どいないながらも死者も出ており、ルールを熟知している悪魔っ娘審判は障壁を張っても熱さが酷い地面に辟易としながら、アスカの近くへと下りた。
近くにやってきた悪魔っ娘審判の興奮した声を聞きながらアスカは勝利の実感を少しずつ感じ取ってきた、その瞬間だった。
「ダメェッ! アスカ!!!」
「え?」
全力を出し尽くしてラカンを倒したと思ったアスカは完全に油断していた。
丁度、闘技場の中央にいたアスカから見て左側にいた神楽坂明日菜から緊迫した声が掛かって、力を使い果たして思考能力落ちたアスカは疑問符を上げて声を上げた明日菜へと無防備に視線を向ける。
アスカが明日菜へと視線を向けた次の瞬間だった。雷の暴風が駆け抜けて穴が開いている闘技場の壁の近くの瓦礫がいきなり吹き飛んだのは。その瞬間、瓦礫を吹き飛ばした
「がふっ?!」
成す術もなくぶん殴られたアスカは、ラカンが気の放出で捲れ上がっていた瓦礫を吹き飛ばしながら元いた場所から数十メートルは離れた場所に地面をズガガガガガと滑って停止した。
突然の事態に、観客達がどよめきの声を上げる。
『な……なん、ななな!!』
驚きの光景を目の前にして悪魔っ娘審判は言葉にならず、驚愕するしか出来ない。
そして灰色の煙を振り払い、アスカを殴り飛ばした
「敵の生死を確かめもせずに気を抜くとは致命的なミスだぜ。だが………見事ッ! 見事だぜ、アスカ!!!」
瓦礫を吹き飛ばしてアスカを殴り飛ばした張本人――――ジャック・ラカンは全身傷だらけで満身創痍な状態にありながらも決然と立っていた。
『なんで生きてんの、この人!?』
「うおおおぉ――――いッ!!? あれを食らってそりゃねぇだろ、流石にッ!?」
「やっぱり、ただのバグキャラじゃねぇか!!?」
悪魔っ娘審判やVIP席にいたリカード、観客席にいた千雨があり得ない光景に突っ込みを入れているが、それは会場全体の総意と言えた。誰もがアスカの勝利を疑っていない中でのラカンの復活に驚きを隠せない。
『ふふふ、復活ッ!? 英雄ラカン復活――っ!? どーなってんの、この試合は!?』
アスカが放った雷の暴風は六年前にウェールズの村を襲った悪魔を一掃するためにナギが放った物と比べても明らかに上回っていたはず。
炸裂すれば大山一つを容易に消し飛ばすほどの威力を誇っているのも関わらず、その前にラカンが原型を留めているだけでも驚きなのに、立って動いて攻撃までした。雷の暴風の前に、それ以上の威力のある縮地无疆からの雷轟塵殺拳を食らっていたにも関わらずだ。
「な、なんで生きてる?」
完全に気を抜いていたところに一撃をもらい、フラフラになって立ち上がったアスカの言葉は闘技場の全ての者の気持ちを代弁していた。
「おう、俺も流石に死ぬかと思ったぜ。正直に言って、今までで一番死を覚悟したってレベルだ」
一歩も動かないまま、ダメージでジッと立つことが出来ずにフラフラと体を微妙に揺らしながら遠い目をしたラカンが答える。
「あの一瞬、僅かに雷の暴風から芯を外せなけれゃ、今頃塵も残さずに消えていただろうよ」
「芯を外せても、なんで生きてたんだよ。普通死んでるぞ」
幾ら雷轟塵殺拳を多少は防御したとはいえ、その殆どのエネルギーを受けて雷の暴風まで受けて原型を留めている方がおかしい。しかも、アスカを殴り飛ばすだけの力が残っているのだから驚嘆すべきタフさだ。というか何で生きてるのかと突っ込みたい。
「生きてるだけだ。残っていた力はさっきので全部出し尽くした。もう、尻を掻く力も残ってねぇ。空っぽだ」
全身に闘気を纏わりつかせたラカンが、そう呟く。体中傷だらけで満身創痍だが、力は全く残っていないと言いながらも戦意は少しも衰えていない。相変わらずの凄まじい圧迫感だ。アスカはそう思いながらも、それでも圧倒されることなく佇んでいた。
「俺もだ。さっきので全部使い果たした」
そう言うとアスカはゆっくりと歩いて移動し始めた。今にも倒れそうなほどよろめきながらも、ラカンもアスカに近づくように歩く。
二人は拳の届く間合いまで近づき、構えずに胸を張って仁王立ちになった。
ラカンの人並み外れた筋肉に力が篭る。アスカの足のバネが撓み、何時でも動けるように待っている。もはや魔法や気を使う闘いになどなる訳がない。互いに動くだけでも奇跡な死に体。出来る事など、この肉体を相手に叩きつけることだけ。
「おら、来いよ。疲労はそっちの方が大きいだろ。先に殴らせてやる」
この男はどこまで意地っ張りなのか。間違いなくダメージはラカンの方が上なのに意地を張るのか。
「は、施しを受けるほど弱っちゃいない。お前こそ、来いよ」
アスカとラカンでは身長で三十センチ以上、体重で二、三十キロは差がある。まともに正面から殴り合うのは不利と承知で言うからには、よほど自信があるのか、それともこちらを舐めてかかっているのか。笑ったラカンにはどちらでも良かった。
「後悔するなよ」
ラカンが言いながら半歩踏み込んで右ストレートをアスカの顔に打ち込んだ。空手式の正拳突きに似ている。
もう全力を放つことは出来ず、六分にも満たないパワーだがアスカ程度の体格なら軽く吹っ飛ばせるだけの威力がある。防御もせず受け止めれば骨に罅が入ってもおかしくはない。
「今度はこっちの番だ」
ラカンの拳が届いた瞬間、仰け反りよろめきながらも身体を捻った勢いのままにアスカが凄絶に笑う。
この一撃を堪えたアスカが地面を蹴って拳を放つ。
拳と拳が交錯し、互いの顔面を捉え合う。
「がっ」
ラカンは息を吸って打撃に備えるも、胸に打ち込まれた拳にハンマーで叩かれたような重い衝撃が身体の芯まで染み通った。後退せずに耐えたが、自分が打ち込んだ打撃の力を利用されたのでダメージは大きい。
「くっ……」
「へっ……」
お返しのパンチがアスカの胸に突き刺さる。今度は受け流されないように身体の真ん中を狙っているので、アスカはダメージを受けた。
互いに力の迸りは、もう感じられない。体力も力も底をつき、文字通りの気力だけで動いているのだ。
「ぐ、っ――!?」
アスカが反撃をするも、そこにラカンの姿が無い。
躱しようのないタイミングで渾身の一撃を放つも突き出した右拳は宙を切り、衝撃を受けたのはこちらの胸元。一瞬で視界から消え去り、長身を折り畳むようにアスカの左横に屈み、拳で腹を殴りつけ、迸る左右の足で、アスカの身体を容赦なく蹴り上げた。
「うおおおおおっ!」
痛みを振り切るように空間中に響くような雄叫びを上げて、アスカが繰り出した頭突きが攻撃のために腰を下げていてたラカンの額に炸裂した。
ドゴオッ、と爆発音にも似た重く鈍い音が遠く離れた観客席にまで聞こえ、ラカンの意識が衝撃で真っ白に弾けた。
「はっ!」
負けじとばかりに、ラカンから火を吐くような左右の蹴り上げが放たれる。
「ぎ、っ――」
何メートル突き上げられたのか。胴から首を引っこ抜かれてもおかしくない衝撃。いや、それを言うなら腹を叩いた二撃目ですら、内臓を破壊する威力があった。
追撃が来ることを考え、固まった関節を力尽くで曲げ、身体を起こす。
「は――」
「っ、ふっ……!」
目を背けず、火花染みた速度で迫る敵を迎え入れ、ラカンの顎に掌底が叩きつけられる。
初動作の無い最短の軌跡。円であり線、外部はもとより内部へのダメージを考慮したそれは、中国拳法という。外側ではなく内側の破壊を旨とした一撃は、容赦なく衝撃を通す。
二人とも仰け反りよろめきながらも倒れない。力の入らない足で踏ん張り、再び拳を交換する。
耳朶に響くものは己の心音のみ。裡にあるのは相手を打倒し、超えようとする燃え盛る戦意の心のみ。
眼下で繰り広げられる戦いを観客席から見下ろす観客達は息を呑んでいた。
アスカが殴り、ラカンが殴り返す。良いのを食らった二人は互いに堪えきれずに半歩下がるも、直ぐに踏み込んで殴り合いを再開する。
小細工無用。技を繰り出すだけの気も魔力も互いに残っていない。ただの殴り合いである。
アスカが殴る。ラカンが殴り返す。その繰り返しだ。
傷つけられた痛みで意識が飛ぶなど、この戦いでよくあったことだだろう。明日には指一本動かす力さえ残らなくても、今、この瞬間だけ動ければいいという気迫がここまで届いてくる。
拳を動かすのも、両足を支えるのも、ただ男の意地のみ。
『こ………これは先程までの目まぐるしい戦術、戦略、魔術戦、大魔法戦はどこへやら!? 両者駆け引きなしの真っ向勝負!! ただの殴り合いだ――!!!!』
眼下での闘いは続く。
アスカが殴り、ラカンが蹴る。相手の腕を掴んで、そのまま投げを放つ。
一進一退。二人の周囲を、夥しい量の鮮血が覆っている。真紅の舞台の上でどっちが先に潰えてもおかしくはなかった。
ノーガードでやり合う二人に観客がどよめいた。数多の拳闘試合を見てきたこの場にいる誰一人として見たことのない、魔力も気も全く使わない己が肉体のみを武器とした闘いを、男達の宴を呆然と眺めていた。
不器用なほどに無鉄砲な殴り合い。防御も駆け引きもない。出鱈目な戦いだった。
しかし、無邪気なまでに殴り合う二人の姿に、観客の誰もが言い様のない気高さを感じていた。神々しく魂を燃やして輝く二人の姿に言葉を失っていた。
男達の中でも血気に逸る者は、こんなにも楽しそうな宴をどうしてこんな所から眺めているのかと自問した。
ある者は全身の血が沸き立つのを抑えられなかった。心を冷静に努めるのに必死だった。あの中に交って、闘いたいという衝動に必死に耐える。でなければ、乱入してしまう。
やがて誰かが足を踏み鳴らし始めた。それは瞬く間に観客全体に伝染し、会場を揺るがすほどの響きとなる。
「アスカ!」
地鳴りのような足踏みに続いて観客席の最前列にいた明日菜が誰よりも真っ先にアスカの名を叫んだ。
「ラカン!」
次にそれに対抗するかのように誰かがラカンの名を呼び、再び別の誰かがアスカの名を呼ぶ。
「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」「アスカ!」「ラカン!」
闘技場に居る二人の名を呼ぶ声は止まらず、うねる波のように会場中を流れ始めていた。
繰り返される声援は、最早どちらを応援しているのか分からない、気付けば観客は両方の選手を応援していた。それは試合に勝てと言っているわけではない、ただ声を上げずにいられなかったのだ。
その歓声すら当事者の二人には届かない。例え届いていたとしても認識しえないほど、二人の世界は二人だけで完結している。
歓声に包まれる闘技場の中に掠れたアスカの声で笑みが漏れた。
「酷い顔だ。声も変だぞ」
「しゃあねえだろ。テメェも一緒だろうが。へっ、口の中が鉄の味で一杯だぁ」
ラカンが唾を吐き出すと、それは真っ赤な血の色をしていた。だが、御顔相に関しては、アスカも同様だった。二人の顔は、頬も唇も瞼も腫れ上がり、痣だらけだった。顔があちこち腫れ上がって左右非対称になってしまっている。
痛いのに、火傷しそうなほどに熱を持っているのに、体は今にも休息を欲しているほど疲れ切っているのに、心は太陽のように燃え盛っている。
「おおおおおおおおおおおおおおっ!」
ブツブツと肌が泡立つ。グツグツと血が沸騰する。異常な興奮と衝動の中で、アスカはラカンへと吠えながら跳ねた。
「クハァ――」
パンチの応酬が何発になったのか、もはや数えること事態分からなくなった時点で良いのを貰ったラカンは数歩後退り、倒れはしなかったものの上体を折って喘いだ。真っ赤に焼けた鉄を放り込まれたように全身の血が沸騰しそうだ。しかし、その熱も胸の奥にある意思までは溶かせない。
「はっ、はぁ!。ここまでとは思わなかったぜ!」
言いざまラカンの反撃の右拳がアスカの顔面を捉えた。
拳が頬に当たって食い込んでもアスカは瞬き一つしない。ラカンはさらに左フックと右の膝蹴りを出したが、アスカは右フックと左の膝蹴りの相反する攻撃を出してくる。
「嬉しいぜ、アスカ!!」
何の思惑もなくできるこんな心躍る楽しい戦いはナギ以来、久しぶりだとラカンは笑わずにはいられなかった。
息子ほどの年の離れているアスカが巷では英雄と呼ばれている自分に肉薄している。下の世代が突き上げているのだ。旺盛な戦意で勢いは上回っているほど。
ラカンは初心を思い出し、目の前で歯を剥き出しにして迫ってくる若い男と同じように身を曝け出して勝機を得ようとした。
かかってこいと言わんばかりに、アスカが手招きする。観客がラカンを急かすように足拍子も速まる。
ここで行かなければ男ではないとラカンは良く知っている。
「――――おおおしゃぁっ!」
ラカンが雄叫びを上げてアスカの胸に拳を打ち込んだ。渾身の力を込めた一撃に堪らずアスカは数歩後退するも、楽しげにニヤリと笑った。ラカンも自身の口元に同じ笑みが浮かんでいるのを感じた。
「まだだ、まだ足りねぇ! 全然伝わらねぇぞっ!!」
「はっ! さっさと倒れろよ、この
再び拳と蹴り、ありとあらゆる箇所を使った攻撃の応酬が始まった。
互いに吠えて手と足と体が交錯し、互いの熱だけが膨らんでいった。言葉以上に別のものが二人の間を繋いでいった。感情と言えばいいのか、モヤモヤとした何かが熱になって伝わってきたのだ。
希望と絶望、希求と渇望、楽しさと悔しさ、狂おしさと満足さ。
どう言っても少しずつ違ってしまいそうだった。所詮は相手の仕草から垣間見える熱情を自分勝手に噛み砕き、再解釈しているに過ぎない。だけど、それでも百万言を費やす以上に、二人は互いを理解していった。
ラカンはこのような触れ合いを過去に経験している。
心が静かなのに、肌が熱い。何時までだって、こうしていられそうだった。何時までだって、こうしていたいと、心の底から願った。
(フ…………なぜか懐かしいぜ。見た目も違うし、細かなところが違うはずなんだがな。テメェと戦ってるみてぇだぜ、ナギ)
身体に残されたエネルギーを最後の一カロリーまで使い切るつもりで拳を繰り出しながら、ラカンはかつての親友兼ライバルの姿を思い出していた。
(熱い………熱で全身が焼けそうだ)
アスカも感じていた。拳が熱い。痛みではなく、血の熱さだ。
(そうだ、俺は戦いを楽しんでいる)
これほど戦いを楽しいと思ったことはない。
胸の奥の鼓動が指先まで伝わり、弾け迸る。全身全てが心臓になったような錯覚。敵を倒すための冷たい凶器でしかなかった拳に血が通い、魂を宿す器となったようだ。今までずっと胸の裡に蟠っていたものが頚木から解き放たれ、自由になった感触があった。
「はははははははははは」
「あはは、あははははは」
フラフラとよろめきあいながら、互いに零れ出るのは心底楽しくて堪らないと感じさせる笑い声。
体力など、とっくの昔に尽きている。お互いに足が利かなくなっているから、もう避けることも蹴りを放つことも出来なくなってきていた。出した拳は確実に相手を捉え、出された拳は確実にもらってしまう。
拳にも、もうまとまな威力は残っていなかった。虫を殺すのがやっとという拳だが、それでも効いてしまう。一発貰う度に意識が飛びそうになりながらも、二人は決して倒れない。
互いの頭骨を打つ鈍い音が闘技場に延々と響き渡る。
如何に体力が尽きようとも互いの眼だけは死んでいなかった。息を切らし、震える脚に手で活を入れ、額から汗と血を垂らしながらも、彼らは倒れず、戦いを投げ出すことなく、気力を振り絞って相手を見据える。
(あちこちの骨が………体中が悲鳴を上げている!!)
(ここに来て最後のダメージが………限界だ!!)
小手先の駆け引きなど無用とばかりに全力で殴り、全力で受ける。これまでの戦いでボロボロになった全身の血と骨と肉が更に悲鳴を上げようと、そんなことはお構いなしだ。
意地で拳を繰り出し、意地で耐える。意地と意地のぶつかり合いを何度も繰り返す。
((だが、負けられない!!))
あらゆる事象や状況が頭から蒸発していく。他の者の思い、頼み、願い、目的、しがらみ。もう何もない。ここはアスカとラカンだけに用意された純粋な空間。
無駄な情報の一切を排除し、眼前の敵を倒す事だけ考える。そうすることで心がこれ以上なく澄み渡り、頭の中が限りなくクリアになって目の前の敵を妥当することのみに集中する。
二人の頭には、目の前の相手に勝ちたいという気持ちしかなく、勝った場合の決勝のことも綺麗さっぱり忘れ去っていた。
何の躊躇もなかった。計算も打算もなかった。ただただ、互いの本気と本気とをぶつけあった。
「づらぁ!」
アスカがラカンの顔面を殴る。
「ぐぬぅ」
食い縛った歯の隙間から呻きが漏れた。ラカンは体が揺らぎながらもなんとか踏ん張る。
反撃を試みようと、右の拳を放る。
アスカに待ってやる義理はない。順番など待っていられない。もう一発行く。
「おんどるらぁぁ!」
奇声を発しながらラカンがアスカの拳が放たれる前に無理な体勢で打ってきた。
カウンターで決まった一撃の衝撃がアスカの全身を襲う。痛みなどとうの昔に限界を超えた所為で感じなくなっている。
拳と拳。気迫と気迫がぶつかり、肉が軋みを上げる。肉体には隠しようもない深刻なダメージが蓄積していく。それでも意地で苦痛を噛み殺す。
立っているのは最早、戦士ではなかった。本能が四肢を支配する男である。
もはや何発殴ったかも分からない。何時しか足拍子は止み、拳が肉を打つ音だけが辺りに響いた。互いに自分が立っていることが信じられなかった。
顔面に相当食らって人相が変わるほど腫れ上がっているが、それでも倒れる気がしない。
全身を充足感が支配していた。
重ねてきた経験も、磨いてきた技も最早意味はなさなくなった。二人を突き動かすのは男としての意地のみ。目の前にいるから殴る。永遠かと思えるほど続く、純粋な拳闘が心の不純物を流し去っていく。
心地良い。まるで夢のように楽しい一時を、二人は過ごす。夢現の時はどれほど続いたのか。どれだけ楽しい祭りでも、必ず終わる時が来る。やがて終わりの時が来た。
元の人相すら分からぬほどに腫れ上がったアスカの頬に、これまで以上に的確にラカンの拳が炸裂した。奇妙なほどに歪む血塗れの顔が、おかしな角度に曲がっている。
「ぐぅつつつぅ」
細かい血煙を口中から迸らせ、アスカが膝から崩れた。
だが、アスカ・スプリングフィールドのどこにそんな力が残っているのか、ジャック・ラカンの大砲のような拳を食らって腰から崩れ落ちたのに倒れなかった。
「俺は、負け、ない!」
荒い息を吐きながらアスカはラカンに、そして自分に向かって声も高らかに叫んだ。
「勝つんだっ!」
「いい加減に倒れやがれ――っ!」
ラカンもアスカの叫びに負けじと叫び返す。
二人の距離は手を振れば必ず当たる近距離、次の一撃で終わりになると悟っている。互いに防御など考慮もしないノーガードで、叫びながら右拳を振り抜く。
横から回り込むように進んだアスカの拳よりも僅かに先に下から掬い上げる振るわれたラカンの拳が早い。一瞬だけ早くラカンの拳がアスカの顔面を下から抉った。
「おおおおお!!」
この最後の一撃に渾身の力を込めてラカンは雄叫びと共に腕を振り抜いた。
真下から突き上げてきた拳を受け、アスカは天を仰いだ。もう痛みは感じなかったが自分が負けるのだとは理解できた。
敗北を意識したことで視界が急速に暗くなっていく。意識が途切れようとしているのだ。だが、もう勝敗などどうでもいい。このまま眠ることが出来れば、どれだけ楽になれるだろうか。
アスカの中で戦う理由が消え去り、楽になりたいという気持ちが全てを支配した刹那。
「アスカ!」
真横から放たれた明日菜の鋭い声が闇に沈もうとしていたアスカの意識を繋ぎ止める。
暗くなっていく視界の端に、胸の前で固く拳を握る明日菜の姿が映る。
彼女は何を言うのだろうかと、繋ぎ止められた意識が再び闇に落ちようとした時、明日菜は腕を振り上げた。
何時だって男を奮い立たせるのは女と決まっている。
「――――勝てぇええええ!!」
その叫びは静まり返った闘技場に鮮烈なまでに響き渡り、アスカの耳にも入って電撃の如く意識を賦活させた。
「ぉぉぉぉぉぉ――――」
女に心の尻を蹴られた男の魂が最後の活を入れた。
肉体は動かない。だけど、太陽道で回復したほんの僅かな雀の涙ほどの欠片の様な魔力だけなら扱うことが出来た。
後頭部に瞬動の要領で魔力を集中して一気に放出。殴られた慣性重力に従って落ちるだけだったアスカの身体が「起き上がり小法師」のように頭から跳ね上がった。
「ぉおおおお――」
アスカの声が上から聞こえて、勝利を確信していたラカンは腫れ上がって視界を塞ぐ瞼を押し上げて上空を見上げた。
「おおおおおおおおおおおおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
もはや指一本動かすことは出来なくても、顎をかち上げられて仰け反った時に上がった拳だけは固く握っていた。後頭部に瞬動をして跳ね上がった勢いそのままに、倒れ込むようにラカンの頬に拳を叩き込んだ。
鈍い音が響いて、そのまま巨体を地面へと叩きつける。
二メートルを超す巨体が仰向けに倒れた姿勢のままピクリとも動かない。反対にアスカは何とか倒れず、生まれたての小鹿のように今にも倒れそうなほど足を震わせているが立っている。
「ゼッ、ハッ……………俺の、勝ちだ!!」
アスカは倒れたままのラカンではなく、ここまで戦った相手を見下ろすことを嫌って遠くを見つめたまま、大きく息を荒げながら勝利を宣言する。
「ああ。そして、俺の敗北
ラカンは、宣言するアスカを見上げて、そう、目蓋を閉じて己に言い聞かせるように呟いた。
数万人分の歓声が聞こえ、彼方に遠ざり、意識が薄れていく――――。
『き、決まった! ラカン選手、動けません!! ダウン! ダウン――ッ!! 負けを認めました!』
近寄ってきたアナウンサーが落ち着きなくラカンの周りを動きながら言っているのも、全くアスカの耳に入ってこない。
「っ……」
ふと、アスカの口から声が零れ落ちた。
両手を硬く握り締め、ぐぐと身体を折って縮めると、抑えることの出来ない感情の奔流を解き放つ。
「ああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
大きく上体を反らし、両の拳を高らかに突き上げて天を振り仰ぐように、アスカ・スプリングフィールドは勝利の雄叫びを上げた。試合で全ての力を使い果たしたアスカの声は掠れるように小さいが叫ぶ、叫び続ける。
静まり返った闘技場に響く静かな声に、落雷を撃たれたように体を震わせた人々が、次の瞬間には一斉に手を叩き始めた。割れんばかりの拍手が渦となって闘技場を包み、観客の歓声と鳴り止まぬ拍手がアスカの叫びを覆い隠すように何時までも響き渡っていた。
地に沈む褐色の巨体と両の拳を突き上げて勝利の雄叫び上げる青年の姿に、多くの者が眼を疑ったに違いない。
――――伝説の英雄ジャック・ラカンが負けた
観客達の目の前の光景は、そう物語っている。俄かには信じ難いことだ。ジャック・ラカンの名はナギ・スプリングフィールドらと並んで不敗の象徴であり、敗北から最も遠い存在なのだ。
だが、目の前に広がる光景は最強神話の終焉を揺ぎ無い事実として示している。それを否定することは誰にも出来ない。 この時になって、人々は初めて理解することになる。新たなる伝説の誕生を。
「アスカ!」
観客席と闘技場を遮る障壁は既にない。まず最初に明日菜が身を乗り出して下り、アスカの下へと走る。
明日菜を皮切りとして、小太郎が、刹那に抱えられた木乃香が、古菲が、楓が闘技場へと下り、控え室通用口からトサカやバルガスが現れて、皆がアスカの下へと走る。
アスカに親しい者達が続々とアスカの下へと向かうのを契機に観客達も後へ続く―――――――――アスカの掲げた拳の下へと。
「千雨さんは行かないのですか?」
「…………うるせぇ。黙って見てろ」
絡繰茶々丸に聞かれた長谷川千雨はどんどん溢れて来る涙を手で拭いながら、辿り着いた小太郎やトサカに抱えられても拳を突き上げ続けるその姿を目に焼き付けた。
人種も種族も関係なく老若男女獣魔が集い、誰もが笑みを浮かべている光景はとても尊いものに思えた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『終了したナギ・スプリングフィールド杯準決勝第二戦は大方の予想を裏切り、アスカ・スプリングフィールド選手の勝利でした』
『鍛え上げられた肉体がぶつかり、知恵の限りを駆使した試合は一進一退の攻防を繰り返したわけですが、それにしても最後は壮絶な殴り合いでしたね。あそこまで駆け引きもへったくれもない、肉体の頑丈さと根性だけで競う勝負は見たことがない』
『十年に一度の試合となることでしょう。何度も障壁が壊された所為で会場の修復と補修、更に残る決勝戦に備えて急ピッチに工事が行われています』
『激戦の影響で記録機器にも故障が相次ぎ、全てを収めた映像が高値で売買されているという情報もあります』
『え、なにそれ? 私も欲しい』
ブツン、とテレビの電源を落としたネギ・スプリングフィールドは闇に染まった室内で、膝の上に置いた手を強く握る。
何故、と同じ立場であったはずなのに変わってしまった自分達の立ち位置に強張った手の平をきつく握りしめた。
「なんで……………僕じゃなかったんだ」
喉奥から絞り出した声が体を震わせた。感情の波が行き過ぎるまで伏した顔を上げなかった。
同じ種から発した命。アスカでもなければ、自分でもない。別のなにかと向き合い、必死に踏み止まっているかのような顔だった。内面の脆さを押し隠し、折れそうなまでに張りつめた瞳。ネギの瞳の暗さは、ヘルマン戦後に明日菜に離別を告げた時のアスカと哀しいくらいに似ていた。
勝負の決め手は、声援を力に代えられたかどうか。
オリジナル技:雷轟塵殺拳
・千の雷を咸卦の力で無理矢理に右手に収束して放つ拳。威力は雷華豪殺拳を遥かに上回るが、収束しきれないので効率は悪くアスカは使った後は右手がボロボロになっている。
それでも対個人に使って相手が原型を留めている辺りにジャック・ラカンの桁外れの耐久力が分かる。
次回はナギ杯決勝であるネギ戦
長ければ二話、それ以外では一話になります。
次回タイトルは『宿命の二人』と『兄と弟』か、『宿命の兄弟』です。