魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

76 / 99








第75話 宿命の兄弟

 

 

 

 

 

『お父さんはスーパーマン?』

『お父さんはヒーロー?』

『今もどこかで誰かを助けてるの?』

『っ…………ええ、きっとね』

『じゃあ、僕もヒーローになる!』

『アスカ、どうしたの急に?』

『ヒーローになってみんなを助けたら、どこかで同じようにみんなを助けてるお父さんと会えるはずだよね。だから僕もヒーローになる!』

『あっ、アスカだけずるい! 僕だってヒーローになるもん! ずるいアスカは成れないよ!』

『えぇ!? 僕だって成れるもん!!』

『成れないったら成れないもん!!』

『成れるったら成れるもん!!』

 

 それは遠い日の記憶。

 従姉弟のネカネを挟んで二人で言い合いをしていた。今思い出せば、どうでもいいことに拘っていたのだろうかと苦笑する。

 

『どうやったらヒーローに成れるんだろう』

『困ってる人を助ける?』

『そんなのでヒーローに成れるのかな』

『いっぱい、いっぱい、助けてたらヒーローになれる!』

 

 瞼を閉じればその向こうに思い浮かぶ、もう決して戻ることはない平穏だった頃の二人。

 遠い遠い昔の、まだ二人だった時の優しい思い出は過去の中で輝いていて――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 収容人数十二万人。中央アリーナ部分の直径三百メートルを誇る大闘技場。それがオスティア終戦記念祭の目玉であるナギ・スプリングフィールド杯の決勝戦が行われる舞台である。

 模擬戦形式に変化し、正に拳闘界の頂点に決めるに相応しい舞台が整えられた闘技場は静まり返っていた。この地に集まる全ての者がこれから行われる試合を見に来ており、闘技場中央に立つ悪魔っ娘審判に注目していた。

 

『――――――皆様、長らくお待たせいたしました。これより、ナギ・スプリングフィールド杯決勝戦を執り行います!!』

 

 厳かに告げる悪魔っ娘審判の拡大された声が闘技場に響き、静まり返っていた観客席が歓声で沸き立った。

 

『遡ること三日前、準決勝のアスカ・スプリングフィールド選手とジャック・ラカン選手の試合は伝説に残る試合でありました。どんな言葉で語ろうとも陳腐と思えてしまう激闘は皆様の記憶にも深く刻まれたことと思います』

 

 審判が手を上げると三日前に行われた試合のハイライト映像がパッパッと幾つかのシーンを切りだして流される。

 

『本来ならば昨日行われるはずだった決勝戦が今日に延期になったのは、準決勝での激闘による爪痕があまりにも大きすぎた為です。集団戦闘合戦にも耐えうるこの闘技場がたった二人の試合で重大な損傷を負いました。幾度も常備障壁、緊急障壁が破壊されるほどに』

 

 祭り中の予定変更は普通ならばありえないことだが、それだけの理由があるのだと語る。

 

『されど、先の試合は準決勝です。決勝では更なる激闘が行われると予想し、大会側は補修と強化を施しました。以前の物が連合艦の艦載砲を防ぐ物であるならば、今回の物は複数艦による同時砲撃にも耐えうる規模であると自負しています。今度こそ皆様の安全を保障します』

 

 つまりは現在出来得る限りの防御処置を施したというわけで、準決勝ではあわやの事態も想像した観客の中からは安堵の息が漏れた。

 

『街頭アンケートの勝敗予想では6:4でアスカ選手がやや有利と見られていますが、専門家の間ではラカン選手に勝利したアスカ選手に勝つには千の呪文の男(サウザンドマスター)

の本人か、生まれ変わりでもない限りでは戦いにもならないだろうと、ナギ選手に厳しい評価が出ています。果たしてナギ選手は――』

 

 それはまるで、地鳴りのようだった。空気を鳴動させ、大地を震わせる重低音。だが、それは自然現象とは異なる要因によって生じていた。

 一箇所に集結した大量の人間が、己の体内から発しているもの。興奮だ。ナギ・スプリングフィールド杯決勝の闘技場は今、熱気に包まれている。その熱は喧騒となり、分厚い石壁で覆われた通路を歩くアスカの下にまで届いていた。

 

(まさか、こんなところでネギと試合することになるとはな)

 

 準決勝でジャック・ラカンとの試合に勝った時点で分かりきったことなのに、何とも心の中は不思議な心地であった。

 全ては半ば予想していたことだった。理由などない。肌を包む空気の質、風の音、何処からか忍び寄ってくる湿気も感じてはいた。だが、それが理由ではない。単に分かっていたのだ。彼は胸中で、意味もなく理解した。どうしてか、アスカはこの試合が辛い時間になると予感していた。互いが辿った経緯を慮る余裕はなく、ただ苦い予感を噛み締める内に時間が来たことを自然に悟る。古くからの約束事のように、分かっていたのだった。

 

『まずは最も新しき伝説! アスカ・スプリングフィールド選手の入場です!』

 

 その歓声が入場のテーマ。まず姿を現したのはアスカ・スプリングフィールド。

 特にアスカは、『伝説の傭兵剣士』『自由を掴んだ最強の奴隷拳闘士』『千の刃』『死なない男』『不死身馬鹿』『つか、あのおっさん剣が刺さんねーんだけどマジで』の数々の異名を持つ現代の英雄ジャック・ラカンを正面から粉砕したことで一躍、時の人となっている。

 武舞台へと姿を現したアスカに向けて盛大な拍手と声援が包み込む。

 

『対するは、彼の千の魔法使いと名前を同じくするナギ・スプリングフィールド選手! 同じ名を持つ選手が対戦する異例の事態でありますが――』

 

 程なくして反対側の通路から、対戦相手であるナギ・スプリングフィールドの名を騙ったネギ・スプリングフィールドが姿を現した。同時に観客席から、女達の絶叫に近い嬌声が沸き起こる。

 実況の説明を掻き消すほど互いのファンが歓声と罵声をぶつけ合い、闘技場は一気に騒然となる。だが両者が相手まで十数メートルの距離まで近づくと同時に足を止めたことで声を張り上げるのを止めた。

 ナギの名を騙ったネギが本物であるかどうか気になるところではある。トーナメントの組み合わせで運命的・奇跡の一戦と思われていた彼とジャック・ラカンの試合は惜しくもならなかったが、二十年前の英雄の一人であるジャック・ラカンを倒したアスカとの試合は観客達に別種の興奮を呼んだ。

 

「「……………」」

 

 武舞台では、互いの雌雄を決する者達が向き合っていた。

 

「首輪、外したんだな」

「相手の要求を満たしたから、らしいよ。なんだい、気にしてたの?」

「俺が勝ったら賞金を渡してやらなねぇって思ってたからな」

「もう勝ったみたいな言い方じゃないか」

「そこまでは言わねぇよ。ただ、戦う以上は誰であろうと勝つってだけだ」

 

 ネギは思う。最強と言われているナギと同格のラカンを倒したアスカと比べ彼我の戦力差は明白。真っ向から戦って勝機があるとは思っていない。でも、そう何もかも自分達の思い通りに行くと思ったら間違いだということを教えてやる。

 自分も今日の試合まで何もしなかった訳ではない。

 作戦は練ってある。元々はジャック・ラカン用に考えていた作戦だが、こと相性という点についてはアスカ・スプリングフィールドの方がいい。勝気に逸っているであろう鼻を明かすには十分な作戦を。

 

「忘れてないよね。今までの戦績を」

「忘れてねぇさ。百二十五戦六十二勝六十二敗一引き分け。だが、それは魔法学校の話だろ」

「いいや、今でも同じだよ。僕は敗けない」

「はん、言ってろ。勝つのは、俺だ」

 

 そして審判が厳かに、拡声魔法が付与されたマイクに口を近づけて告げた。

 

『―――――ではこれより、第二回ナギ・スプリングフィールド杯決勝、アスカ選手対ナギ選手の試合を開始します!』

 

 開会宣言に、闘技場が大歓声で沸き上がった。審判は、歓声が少し収まるのを待ってから、試合のルール説明を行う。時間は無制限で、戦闘不能になるか、自分から降参する事によって勝敗が決まると。またどんなに戦闘が激しくても、観客席には被害が生じないカラクリを説明する。武舞台及び武舞台上空を範囲とする戦闘空間についていは、その外周を特殊な結界で覆っている。

 

「「……………」」

 

 張り詰めた空気がある。息を呑むようなその静寂は、やがては観客をも威圧していく。

 審判が安全の為に距離を取ってネギとアスカの間の緊張が最高潮へ高まり、観客が思わず息を呑んで静まり返った頃、闘技場中に、銅鑼の音が鳴り響いた。

 カウントダウンが始まったと同時に全身の血流が早まっていく。逸る衝動に掛けた手綱を一杯に引き絞る。

 

『それでは決勝戦……!』

 

 ネギの全身から、目には見える程の魔力が立ち上り、無風だったはずの闘技場に強い突風が吹き付けた。魔法を使ったわけではない。ネギの気勢とと共に高まり続ける魔力から僅かに漏れ出た欠片に、相性の良い風の精霊が反応して反応を起こしたのだ。

 アスカもまた気迫の籠もった呼気と共に、全身に力を漲らせた。全身から白い雷が輝き、バチバチと火花が散った。息を吸い込みながら僅かに姿勢を低くして身構えると同時に、両者から放射されていた風と雷は揃ったように収まった。

 

開始(インキビテ)!!』

 

 それは、運命と、宿命が交差した戦いの始まりだった。計らずとも兄弟が戦う試合が始まったのだ。

 審判の語尾が闘技場の空に消えるよりも早く、開始位置にいたはずのアスカが魔力による身体強化と縮地の合わせ技による超速移動でネギの背後に移動して、その肩を掴んで無理矢理に振り返らせた。

 先手必勝とばかりに腰溜めに構えていた拳をネギの腹に向けてアッパー気味に叩き込んだ。が、アスカの手には人の肉体を打った手応えはなく、雲を貫いたような曖昧な感触が残っている。

 

「む」

 

 腹を貫かれたネギは霞の如く消え、突き出した腕を捕らえるように戒めの風矢がアスカの全身を縛り付ける。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」

 

 戒めの風矢で動きを封じたネギが風精召還・剣を執る戦友の術式を改造して本物そっくりの見た目の幻影の体一つ分横にいて、魔法発動媒体の指輪を填めた手をアスカの向けている。

 

「地を穿つ一陣の風、我が手に宿りて敵を撃て、風の鉄槌!!」

「ふんっ!」

 

 戒めの風矢は基本呪文だがまともに食らえば脱出に時間がかかる。ネギはその前に中位呪文を詠唱していた。

 アスカは全身に異常なまでの魔力を放出して力任せに戒めの風矢を振り解き、体を後ろに倒したところで耳に「ラス・テル・マ・スキル・マギステル」と遠くから始動キーを唱える声が聞こえた気がした。

 気の所為と断じてしまえばそれで試合は終わると直感が囁き、背後に倒れ込む動作でネギの手を蹴り上げようとしていたのを中断して無視することを決める。

 

「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル」

 

 後ろ手に地面に手を付いて後方に跳ねながらアスカも始動キーを唱える。

 

「「来れ雷精、風の精、雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐、雷の暴風!!」」

 

 五十メートルほど離れた場所に立っていたネギの方が僅かに早く雷の暴風を放つが、離れていた距離の分だけアスカが放つ雷の暴風も間に合った。

 二条の雷の暴風はアスカの近くで衝突して相殺された。衝撃波で体が浮かび上がったアスカは無理に逆らわず、百メートル近くを飛ばされて危なげなく着地する。

 

『開始直後から大呪文が激突ぅっ! 両者共に無傷のままです!』

 

 実況が興奮した声で解説しているが二重の罠を潜り抜けたはずのアスカは仏頂面を浮かべていた。

 

「最初から幻影で登場して、次に現れたのも幻影。本物は最初から離れた場所で隙を伺うなんざコスイ性格が出てんぞ、ネギ」

「アスカみたいな直情馬鹿には言われたくないね」

 

 離れた場所であるが相手にだけ声を聞かせる魔法がある。二人は会話をしながら相手の隙を伺っていた。

 

「風精に戒めの風矢を仕込んで、破壊されたら発動させる遅延術式。それが破られたら真横に幻影を映して、魔法を放つかのような動作を取らせる。本体はその間に仕留める準備を整えるなんて、セコイって言わずになんて言えってんだ」

 

 アスカでさえも引っ掛かった気配もあった本物と殆ど変わらない幻影に戒めの風矢を仕込み、破壊されれば発動する術式を別途に仕込む。仮にもう少し早く幻影に気付かなければ、先程の雷の暴風で痛手を負っていたことだろう。

 

「実力差を埋める為に策を巡らせるのは知恵持つ弱者ならば必要なことだよ」

「弱者、ねぇ」

 

 嘯くネギにアスカはコキッと首を傾けて骨を鳴らす。

 

(さっきの雷の暴風は相殺はしたが完全に押し負けていた。込めた魔力なら俺の方が上回っていたはずなのに、だ)

 

 魔力量を覆すほどにネギの術式は優れていると証明でもある。つまりは、魔法使いとして一枚も二枚も上に行かれている中で弱者と言われても納得できるものはないとアスカは口に出して言いたかったが、能書きをたれてもしょうがないので鼻を鳴らすに留める。

 

「で、次はどんな手で来るんだ?」

 

 自らを弱者とするならばお手並みを拝見してやると、かなり上からの物の見方で挑発する。

 一連の罠を見るに何重にも罠が張られていると予想され、不用意に飛び込むよりは相手の出方を窺ってから反応した方が惑わされずに済むと判断しての挑発である。

 

「右腕解放、固定」

 

 挑発を受けたネギは鋭い眼光を保ったまま片手を天に掲げると、手の先に生まれた稲妻が縦横無尽に走る。稲妻は吸い寄せられるように彼の掌に集まり、小さな光の点に凝縮されていった。稲妻の塊を握り潰す。

 

「千の雷の術式兵装か。まあ、闇の魔法(マギア・エレベア)を習得してんなら、そっちを目指すわな」

 

 千の雷を掌握(コンプレクシオー)したネギの姿が劇的に変わるのを見ていたアスカに驚きの色はなく、寧ろ納得の表情が浮かんでいる。

 闇の魔法はエヴァンジェリンが編み出し、秘奥として使った絶技。まだエヴァンジェリンほどに使いこなしていないだろうが、周囲の警戒を怠るほどアスカは甘くない。

 千の雷を術式兵装した際の術式名は|雷天大壮《へー・アストラペー・ヒューペル・ウーラヌー・メガ・デュナメネー》。

 闇の魔法での千の雷を取り込んだことによる効果で、比喩でもなんでもなく、自分自身を雷に変異させているとしか思えない。精霊を纏わせるのではなく、操るのでもなく、自ら変異するその様を、まるで万象の理を捻じ曲げるかの如く。

 

「雷天大壮。僕はこの術式兵装の名をそう名付けた」

「!?」

 

 遥か彼方に離れていたはずのネギがアスカの肩を後ろから引っ張って振り返らせながらそう言った。

 

「魔法の射手、連弾・雷の1001矢」

 

 もう片方の手が腹部近くに向けられ、最大数の魔法の射手が極間近で放たれた。

 閃光と次々と着弾する爆発に包まれてアスカの姿が一瞬で見えなくなる。巻き込まれない様に距離を取ったネギは1001矢の魔法の射手の全てを放ち終え、少し離れた場所で成果を見守る。

 

『専門家の間でも詳細が分からないというナギ選手の謎の変身技からのゼロ距離射程の魔法の射手が決まったぁ! 流石にこれは――』

「おぉ、痛ぇ痛ぇ」

『…………普通に立ってますね。試合は続行です!』

 

 爆煙と巻き上げられた砂煙を払うようにして手首を振りながらアスカが現れたので、実況は少しだけ声を詰まらせた後に感情を廃した声で試合の続行を宣言する。

 

「必殺を期したのに、なんで生きてるの?」

「人を勝手に殺すな」

「あのタイミングで1001矢の魔法の射手を受けて無事っていうのはありえないよ」

 

 完全に虚をついたはずで、避けられるはずも防御する余裕もなかったはずだとネギは告げる。

 

「無事じゃねぇって。また一張羅が台無しだ。後一着しかねぇってのに」

 

 エヴァになんて言って弁明すりゃいいんだ、と後半の言葉は口の中にだけで留めたアスカのシャツは所々破れ、焦げ付いている。

 

「雷速移動、大したもんだ。それが雷天大壮の能力か」

 

 百メートル以上離れた場所にいながら一瞬にして背後に回った移動方法を言い当てたアスカは顎に手を当てて感心する素振りを見せる。

 隙だらけのようにも見えるが、全神経でネギの挙動を見逃さんばかりに観察しており、一片の油断すらその眼からは伺えない。

 そしてそのアスカの目がネギは苦手だった。まるで人の中心を射抜くような視線。どんな時でも、どんな相手でも、自分の信念を曲げない者の強さ。麻帆良祭武闘会決勝で会った父にそっくりな目が。

 

「ノアキスでルイン・イシュクルと戦ってなけりゃ、今ので敗けてだろうな。まさかあの戦いでこんなところで生きて来るとは思わなかったぜ」

 

 精霊特有の気配に反応して魔法の射手を弾く動作に移行できていなければ、今頃地に伏していただろうと語ったアスカは純粋にネギを褒めている。だが、同時にそれだけで自分が敗けるわけがないと強烈な自負を覗かせていた。

 

「俺もスピードには自信があるぜ――――」

 

 ネギと違って精霊に変化するのではなく、全身に雷を纏ったアスカの姿が忽然と消える。

 

「――――雷速とまではいかないがな」

 

 疾風迅雷モードに入ったアスカが縮地との併用で数十メートルを一瞬で踏破し、ネギに肉薄する。

 

「おらぁ!」

 

 絶大な威力を誇る拳が放たれ、これを雷化して回避したネギは自分の得意距離を保とうと五十メートル離れた場所に瞬時に移動する。

 どれだけアスカが速かろうとも雷速に迫ることはないはずだった。十分に余裕を以て体勢を整えようとしたネギの背後にアスカがいることなど想定していない。

 

「隙だらけだぜ」

 

 八ッ、と気づいた時には既に拳が放たれていた。

 常時展開している障壁に拳が降れ、砕かれる一瞬の合間に雷速で先程よりも距離を広げて逃げる。

 

「やっぱ、雷の速度が出せるのは一瞬だけか。流石に逃げに徹せられると攻撃が当てられねぇか。ま、このまま続けてりゃ何時かは当たるだろ」

 

 標的を失った拳は地面を打ち砕き、十メートル近いクレーターを作ったのを上空から見下ろしたネギは忌々し気に表情を歪めた。

 バチバチと全身から紫電を撒き散らすアスカの今の状態が、麻帆良祭で対峙した超鈴音を相手にした時のカシオペア破りの時のと同一であると見て取ったネギは「…………この状態だと勝てないか」と口の中で小さく呟く。

 

「雷速なのは大いに結構だ。だが、その術式兵装の真価をネギが発揮するには、この闘技場は狭すぎる」

 

 もっと広い場所で雷天大壮状態のネギと戦う場合は苦戦必至だが、この闘技場の大体がアスカの射程圏内に入ってしまう。常時雷化出来るようならば盤面はひっくり返るが、今の状態では雷天大壮でアスカに勝つのは難しい。

 

「僕の手はこれで終わりじゃない」

 

 そう、今のままではアスカに勝てない。ならば、もっと手札を出すしかない。

 

「左腕解放、固定」

 

 試合前に左腕に込めておいた遅延呪文を発動する。

 発動と同時に左手の先に台風の塊が荒れ狂い、「掌握!」と叫んで握り潰した。

 

「異なる属性の二重装填だと? 正気か!?」

 

 アスカの驚愕の声を掻き消すほどの一瞬颶風が闘技場内を走ったが直ぐに収まった。

 視線の先で静かに佇んでいるネギに雷天大壮になった時ほどの変化は見られない。風属性の最上位呪文を取り込んだというのに変化がない方が逆に恐ろしかった。

 

(ネギが虚仮脅しなんざするはずがねぇ)

 

 と、アスカが内心で呟いた瞬間、頬に何かがめり込んだ。

 

(な……?)

 

 気付けば、自分は横殴りに吹き飛んでいた。

 疾風迅雷モードに入っているアスカは全身の電気信号が超加速されていて世界は止まったように見える。その中にあっても一雷速のネギを捉えることは出来ないが、反応や反射は出来ていた。動きを先読みして退避場所に先回り出来たのもそのお蔭である。

 止まった世界の中でネギは動いておらず、先行放電もなく動きの前兆も何もなかった。にも関わらず、アスカは頬に何らかの攻撃を受けて横殴りに吹き飛んでいる。

 

「雷の斧」

 

 思考が答えに辿り着く前に何時の間にか、上空に移動しているネギが無詠唱で雷の斧を振り落とす。

 

「くあっ!?」

 

 詠唱とした時と変わらない威力の雷の斧を障壁を全開にして耐えている間に、「春の嵐」とまた詠唱もなく大呪文が放たれた。

 春の嵐から感じられる魔力は詠唱時と全く変わらない。これを受けたら耐えられないと判断したアスカは障壁をオーバーフローさせて爆発させ、一直線に向かって来る春の嵐から自分を弾き飛ばす。

 

「戒めの風矢、魔法の射手・光の1001矢」

 

 自分の障壁を破壊したことでダメージを負いながら受け身も取れずに無様に地面を転がっていると、戒めの風矢が地面から突如として湧き上がってアスカを捕らえようとする。ほぼ同時に上空から光の1001矢が孤を描くようにして向かって来ていた。

 

「ちぃっ」

 

 肘で地面を叩いて魔力を放ち、瞬動の応用で戒めの風矢の捕捉エリアを越える。まだ魔法の射手が迫っているので、体を捻って足から着地して全力で逃げる。障壁の再展開をしている暇もないので、脇目もふらずに魔法の射手の効果範囲から離脱する。

 後方で次々と着弾する魔法の射手に背中を煽られ、最後の一矢の着弾で吹っ飛ばされて闘技場の壁に頭から突っ込む。

 

「おぅっ?!」

 

 全速力で壁に突っ込んだので陥没させながら視界に星が何重にも瞬く。

 頭部が完全に壁に埋まっているので追撃を受ければそこで終わりだったが何故かネギは攻撃を仕掛けず、アスカが壁から頭部を引き抜くまで待っていた。

 フラつく頭でアスカが振り返ると、闘技場中央上空に浮かんでいるネギがこちらを見下ろしていた。その姿を見たアスカは不審げに眉を寄せた。頭部の痛みからではなく、ネギの気配が上手く捉えられなかったからだ。

 

「なんだ、気配がしない? いや、これは……」

「なにかに邪魔をされて僕が何人もいるみたい、かな」

 

 アスカの思考を先読みしたかのようにネギが厳しい表情を崩さぬまま口にする。

 

「アスカの気配察知は厄介だからね。邪魔をさせてもらっているよ」

 

 ノアキス事変で霧を発生する魔法具を使われた時のように気配探知が出来なかったように、確かにネギがそこにいるのに気配がおかしな場所にネギがいるように感じる。

 

「そして僕も見えている場所にいるとは限らない」

「っ!?」

 

 またもや真横から攻撃が放たれ、偶々腕が防御の体を為したが、またもや成す術もなく弾き飛ばされる。

 それほどこの攻撃に大きい力はなかったようで、少し体が反転した程度で着地する。急いで攻撃が放たれた場所を見てもそこには誰もいないし、空気の動きもなく何の気配もない。

 

「姿の隠蔽に気配阻害、それに今のは魔法の射手か?」

 

 風の最上位魔法を取り込んだことで、どこまでの効果を得たのかは推測するしかない。

 

「……?」

 

 何が起こっても不思議ではなく全方位に警戒していると、アスカは耳鳴りを感じた。

 キィィィィィィィィィンと耳を弄する甲高い音が耳の奥で鳴り響き、頭蓋骨の裏を掻き毟られるような気持ちの悪さが血管を伝って全身を駆け巡り、不快感のみを伝播させていく。

 

「ぐっ、が……」

 

 両手で耳を抑えるが耳鳴りは止まない。ネギはピンポイントでアスカ相手に音波攻撃を仕掛けているのだ。

 

「天雷空壮――――僕はこの術式兵装をそう名付けた」

 

 耳鳴りで自分の苦痛の声すらも聞こえない中でもネギの声だけは明瞭に聞こえた。

 

「効果は大気を操ること。勿論、なんでも出来るわけじゃないけど、限定空間内なら大抵のことは出来るよ。今のように気圧を下げることだってね」

 

 頭痛がし始めた状態で前を見れば視界内にネギの姿が幾つもある。十や二十では利かない。百や二百のネギが空中に浮かんでこちらに手を向けていた。

 視界がぶれているのか、単純にネギが幻影を用いて複数に別れているのか、気配探知が乱されている中では判別できない。厄介なことに全てに気配がするのだから。

 

「雷天大壮は雷速といっても雷化出来るのは一瞬だけで思考速度まで速まる訳じゃないから、これぐらいの距離だと僕では上手く活かし切れない―――――――と、思ったね」

 

 一瞬の雷化を活かし切るならば近接か遠距離の方が良い。典型的な魔法使いタイプであるネギがするとしたら遠距離だが三百メートル四方では狭すぎるとアスカは考えた。

 

「ブラフだよ。一瞬でも雷の速度を得られるなら魔法使いタイプのネックである詠唱に時間がかからなくなる、こんな風に」

 

 全てのネギの掌が光り、1001矢の魔法の射手が放たれる。

 そのどれが本物で、偽物で、どこから放たれたものなのか。仮に全てが本物だとして、雷速で幻影の場所に移動しつつ放った物なのか。

 

「しゃらくせぇ!!」

 

 気圧の急激な変化に耳と口と鼻と目から血を溢れさせながらアスカは全身から魔力を発する。

 後先考えずに魔力を振り絞って向かって来た魔法の射手を弾き飛ばす。魔力が放出された空間内は天雷空壮の影響下では無くなるのか、頭痛も消え去った。アスカはこの間に「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル」と始動キーを唱える。

 

「契約により我に従え高殿の王、来れ巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆、百重千重と重なりて走れよ稲妻」

 

 詠唱を唱えている間に無詠唱で魔法の射手を無差別に放ち続け、攻撃を受けることを防ぐ。ネギに当たっているかどうかも分からないまま、この窮屈な空間を破壊しようと雷を纏った手を振るった。

 

「千の雷!!」

『それを待っていた』

 

 ネギの喜悦を滲ませた声に失敗を悟るよりも早く、放たれた千の雷は闘技場内を奔り回って――――――――地面と観客席を守る為に展開されている障壁に難解な魔法陣が浮かび上がる。

 

「なっ!?」

 

 何時の間に闘技場内を埋め尽くすほどの魔法陣が描かれたのかと驚愕する暇もなく、千の雷は魔法陣に吸収されていく。

 やがて全てのエネルギーを吸い取られた千の雷は、闘技場内に何の傷を残すこともなく消え去る。

 

「太陰道、だと?」

 

 よく見れば先程放った牽制の魔法の射手も地面等に着弾したはずなのに被害がない。アスカは自らが使う太陽道の真逆にある効果を発揮する技法の名を知っている。

 

「敵弾吸収陣――――――気弾・呪文に関わらず、敵の力を我が物とする闇の魔法(マギア・エレベア)のもう一つの技法。師匠(マスター)の構想をそっくり使わせてもらったよ。ああ、地面や障壁を壊したからって魔法陣に影響はないから。都度、展開しているものだからね」

 

 アスカが放った千の雷を吸収したはずなのに相変わらず気配が掴めない。好機に逸って油断してくれれば助かるのにネギにその気配はない。

 目が信用できず、耳が潰され、鼻も利かず、今までアスカを助けて来た気配探知すらも出来ない。アスカの得意距離に入らず、魔法を使っても相手に吸収される。こうやって真綿に首を絞められるように追い詰められては成す術はない。

 

「砂?」

 

 動くに動けないアスカが打開策を必死に考えていると、肌にビシビシと感じたのは吹き上がった砂だった。

 砂がどうして、と思うよりも背筋に走る悪寒がアスカに防御を固めさせた。

 

大地の風(ウェントゥス・テッラ)

 

 次の瞬間、腰を落として防御を固めていたアスカの体があっさりと風に攫われた。

 目も開けていられないほどの風が闘技場内で円を描き、強大な嵐となる。地面の表土や砂を巻き上げて風の乗せ、外から見ればまるで巨大な壁のような外観をした褐色の嵐の中でアスカの体が風船さながらに振り回される。

 大地の風――――響きは美しいがそれは人にとって大いなる禍でしかない。強力な下降気流で巻き上げられた砂を含んだ風が嵐の中を漂うアスカの体を高速研磨機さながらに削り取っていく。

 

「うらぁああ!」

 

 自然の驚異をその身に受けるアスカは、一瞬の内に全身をズタボロにされながら咸卦法を行い、跳ね上がった力の全てを使って大地の風を内側から食い破った。

 

「双碗解放――――術式統合、雷神槍『巨神ころし(ティタノクトノン)』」

 

 何故か目の前にネギがいて、何故か両腕に込めていた遅延術式を発動し、何故か右手の千の雷と左手の雷の投擲を融合させている。

 理解が追いつかない。融合オリジナル呪文をこの状況で披露するということは勝負を決めに来たという証拠。

 防がなければ敗けるというのに、大地の風を破る為に全力で咸卦の力を放出をしたばかりのアスカに巨神ころし(ティタノクトノン)を防ぐ術はない。それでも、と全力で力を集中させる。

 

「そっちは偽物、本物はこっちだよ」

「がっ、ぐぅ……!?」

 

 放たれた前方の巨神ころし(ティタノクトノン)は霞と消え、何の防御もしていない真後ろからやってきた。

 予想外からの方向からの攻撃に一瞬で胴体を撃ち抜いた巨神ころし(ティタノクトノン)によってアスカの意識が寸断され、あまりの痛みに引き戻されたところで「解放・雷神槍」と背後のネギが冷酷にキーワードを放つ。

 

「千雷招来!!」

 

 巨神ころし(ティタノクトノン)は、雷の投擲で作られた魔法の槍に千の雷の強力な魔力を吹き込み、巨大な雷撃の矛を作り出す呪文である。超広範囲雷撃殲滅魔法の力を一点に収束させており、今のキーワードは千の雷の雷撃を解放するキーワードである。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――?!?!?!?!?!?!?!?!」

 

 体の内側から千の雷の雷撃に身を焼かれたアスカの口から人の物とは思えぬ叫びが上がった。その叫び声すら雷撃に焼き尽くされるかのような激音が闘技場中に鳴り響き、やがて全てがシンと静まり返る。

 大地の風によって抉られた地面の上に落ちたアスカはピクリとも動かず、直ぐには起き上がれないのを見たネギは拳を握り直した。

 

「や、やった……やった、のか……?」

 

 ネギの心を占めたのは、想像していた高揚感ではなく眼の前の現実を受け止めきれない戸惑いだった。それが、絶対の壁となって立ち塞がっていた双子の弟アスカを超えたネギの偽らざる姿だった。

 

「これが僕だ」

 

 今までの鬱屈を叩きつけるようにネギは叫ぶ。

 

「これがネギ・スプリングフィールドだ!!」

 

 同じ孤独な部屋で過ごした相手だからこそ、弟に、アスカに叩きつけずにいられなかった。

 

『闘技場内部を覆う竜巻が壊れたと思ったら凄い光が奔り、アスカ選手が地面に倒れています。これは一体何が起こったのでしょうか、解説のジャック・ラカンさん?』

『勝手に人を解説者扱いすんじゃねぇよ。説明してほしかったら一万ドラグマ出しな』

『分かりました、後で払います』

『即答かよ、おい』

 

 実況から解説者扱いされて金を要求したら速攻でOKを出されたジャック・ラカンが困惑したような声を出した後で覚悟を決めたように鼻を鳴らす音が闘技場に響く。

 

『最初から話すぞ。まず、ナギは特殊な方法でアスカの目や耳といった感覚を妨害したんだ。その所為でアスカにはナギの居場所が分からなくなるし、迂闊な動きも取れなくなる』

『成程、ところでその特殊な方法とは一体? ナギ選手の謎の変身技と関係しているのでしょうか』

『一瞬だけ雷の速度を得られることと大気操作と見たが、詳しく知りたきゃ本人に聞きな。続けるぜ。目も耳も、あの様子からして恐らく気配も探れないとなると、取れる手は少ない。アスカは千の雷で状況を打開しようとしたが、俺でも似たようなことをやっただろう。それをナギも当然予想していた』

『あの謎の魔法陣ですね。アスカ選手の千の雷を吸収したように見えましたが』

『実際、吸収したんだろうよ。敵弾吸収陣とか言ってやがったからな』

『声が聞こえたんですか?』

『聞こえなくても唇の動きを見れば大体何言ってるかは分かる』

『百メートル以上、離れていていますが』

『もう話すの止めるぞ?』

『す、すみません。では続きを』

『ふん、後は簡単だ。仕留めればいいだけだからな。隙だらけとはいえ、大呪文も効果がないとなれば普通は防御を固める。アスカもそうしていた。で、文字通りに足を掬われたわけだ』

大地の風(ウェントゥス・テッラ)ですね』

『十分に溜を作ってたんだろう。あのまま受け続けるとダメージが大きくなる。そうなれば壊すしかねぇ。アスカには咸卦法があるから壊すまではなんとかる。が、問題はここからだ』

 

 一度、間を取ったラカンの説明に闘技場中が引き込まれる。その間にもアスカは動かず、カウントが続けられている。

 

『雷の投擲と千の雷の術式を統合した一点突破型の融合オリジナル呪文。あれを受けたら俺でもただじゃ済まねぇ』

『ラカンさんならばそうなる前に回避すると?』

『…………現実に前情報なしで戦ってあの状況に追い詰められないと断言は出来ねぇ。こうやって外から見ているから分かることもある。例え俺が準決勝を勝ってもあそこに倒れていたかもしれねぇな』

 

 あの英雄ジャック・ラカンにここまで言わせたことに闘技場全体がざわつく。

 

『千の雷を内側食らったんだ。こりゃあ、流石にアスカも死んだかね』

「勝手に、人を、斃したつもりになってんじゃあねぇよ」

 

 ラカンの軽口にカウントが十五を超えたところでアスカが身動ぎした。

 全身に痛みがあった。だが、どれだけ身体が傷つこうとも、アスカが戦意を失うことはない。まだ死んだわけではないのだから、立ち上がれないはずがないと四肢を無理矢理に動かす。

 カウント十九を数えたところで、アスカが立ち上がった。

 

「そ、そんな…………神すら斃す一撃を体内から食らって立ち上がるなんて」

「凄ぇ、凄ぇよ、ネギ。一杯食わされたぜ」

 

 ネギの驚きも聞こえていないのか、アスカの言葉は噛み合っていない。

 雷撃によって脳がダメージを負ったのか、瞼を開いているのに何も見えず、音は全く聞こえない。匂いも全くせず、五感の殆どが機能していないようだ。辛うじて僅かに残る触感が着ている服が辛うじて布の体を為しているだけのことを感じ取り、痛みも殆ど感じないことに苦笑する。

 

(殆どの力を防御に回した所為で、すっからかんか)

 

 攻撃を受けた瞬間に咸卦の力の全てを身体強化に回したお蔭で内臓から焼き切られずに済んだ。無茶な力の使い方と巨神ころしの雷撃で体の内側が割と危険な状態であるが根性で耐える。

 生きているだけでも奇跡と呼べるような内情にあっても立ち上がらなければならなかった。

 

「お前を倒す方法が直ぐには思い浮かばねぇ。だけどよ、俺は敗けるつもりはない」

 

 追い詰められているのにアスカの心は不思議と凪いでいた。勝機を見い出せなくても焦燥に支配されることなく、ただ在るがままを受け入れて前へ進むことが出来る。

 開き直っていると言われればそうだろう。諦めているのとは少し違う。

 目は見えず、耳は聞こえず、嗅覚と味覚も機能していない。五感の内の殆どが潰されたアスカは深呼吸をする。取り込んだ息が体のあちこちに漏れているが気にしないことにする。

 

(世界は、広いな)

 

 目が見えず、気配探知が行えないことで世界の広さをより強く感じる。

 広大な世界において、自分はとても小さな欠片なのだという認識がアスカの内なる世界を広げていく。両腕の紋様がアスカの心模様に反応して明滅を繰り返して動く。右手と左手は常に相反する紋様を描き、幾何学模様が常に変容を続ける。

 棒立ちで内側に埋没するアスカの頭上から様子を窺っていたネギは、そこに隙を見てとると、決して見切れないはずの速度で相手に襲い掛かった。雷光化しての亜光速移動―――――だが、対するアスカは人間の身でありながらその領域へと挑む。障壁の強度を上げて防御を固めようとも人外の防御力を誇るラカンには及ぶべくもない。エヴァンジェリンのような不死や治癒能力もない。

 長く大きく呼吸をし息を長く止める調息を行い、相手の意と合流すれば動きが全く見えないネギの行動も必ず察知できるはず。

 

「ぐはっ!」

 

 地面を蹴り割って振りかぶった拳はネギを捉えたかと思ったが、加減のない雷撃を纏った槍がアスカの顎を斜め下から突き上げた。

 

「がっ!?」

 

 意から動きを感じ取って後方に振り返りながら腕で弾こうとして逆に吹っ飛ばされる。

 眩く弾けた雷光と雷鳴。右と見せて左。東と思わせて西。下を狙う振りで上。この要領で揺さぶりをかけてきた。対処できずに何発も貰ってぐらりと僅かに身を揺らしたアスカ。

 

「ちっ」

 

 ネギがもらした舌打ちは、それがどれほど効いていないと分かったが故。だが、そこで怯んで止まってもいられない。

 ネギは再び魔力を練り上げ、全身に雷を纏いつつ、怒涛の如く無詠唱で魔法の射手を連続で叩き込む。立て続けに鳴り響く雷鳴と爆発音。だが、アスカはそれらに揺らぎながらも攻撃の全てを、ただ、真っ向から受け止めていた。

 雷を地面に流し、風の衝撃を受け流す。ダメージは蓄積するが、もう痛みは感じないのだから気にすることではない。

 

(速さの優劣は分かっていたことだ)

 

 人の動きを読みには目線、筋の伸縮、重心の変化を一瞬で見極める必要がある。

 始めから見えないのならば、聞こえないのならば、感じ取れないのならば、第六感を高める。相手の意を読み取り、相手の気持ちになって、相手の攻撃を予測する。

 

(怯むな! 思い出すんだ、今までの戦いを……っ!!)

 

 ネギが雷光を研ぎ澄まし、放つ一矢一矢に更に力を込めていく。より重く、より速く。

 一際激しく弾けた雷光。ネギの放った雷が付与された風の鉄槌の直撃を受けて口から胃液や血を噴き出しながら、またも無様に吹き飛ばされたアスカだが自分から飛んでいることで致命傷ではない。

 

「雷の投擲!!」

 

 アスカが慣れた雷の槍を作り上げ、ネギのつもりになって行動していればここにいると予測した場所に打ち込む。

 直後、七閃の雷が空間を引き裂いた。

 大気をつんざいてぶつかり合い弾き合う雷撃の応酬。目にも留まらぬ高速の魔法の打ち合いは、そもそも迸る雷光に遮られて直視が叶わない。闘技場を、雷たちが激しく交差する。

 駆け巡る雷鳴と閃光。文字通り眼も眩む超高速の戦闘に晒された闘技場。

 幾度も交錯しぶつかり合うネギとアスカ。次の瞬間には意識を飛ばされているかもしれないが、構わない。目の前にいる相手にだけは膝を折りたくない。

 

(咸卦・太陽道にはまだ先がある。いや、俺が発揮できていない領域が)

 

 マナを取り込んで魔力を生成するだけが太陽道の全てではない。

 マナは万物に等しく存在する粒子であり、流転し、回帰し、流れていくものだ。天雷空壮に支配された空間であっても変わらない。

 ネギから発散される無意識のマナから意を読み取る。そしてアスカから発散されるマナもまたネギの中へと入る。

 量で言えば極々少量である。本来ならば微量のマナを人が認識することは出来ない。認識できるのは意識的にマナを集めることが出来るアスカだけで、他の誰にも真似は出来ない。

 

(相手の意を読み取るだけじゃ足りない)

 

 今のままではネギに届かない。ならば、もっと先へ自らを高め続ける。

 どうやってもただの人間が速さで雷に勝てるはずがない。だとしたら、相手が動き出す前に意を読み、先に対応して動くしかない。ネギの意を読み取り、行動をコントロールして対応する。つまり相手をこちらの思う通りに動かすしか雷速に対応することは出来ない。

 

(無駄を削ぎ落せ)

 

 動作から無駄な行程を省き、攻撃の軌道を予測して初動を早め、回避の動作を最小限に抑えることで、本来は受ける事も目で追う事もできない一撃を回避しる。自分だけを判断基準とするのではなく、相手の身になって物事を考える気持ちで自分が相手ならどう行動するかを読み取る。

 相手の流れに合わせるだけでは足りない。相手と一つになるだけでは届かない。相手を自分の流れに乗せて相手の動作を思うままにコントロールへと発展させてこそ完成となる。

 

(出来ないはずがない……っ!!)

 

 心の中で叫んだ直後―――――アスカの中でなにかが切り替わる。

 時間が歪む。意識が急速に拡大し、全方位に向けて拡散していく。アスカの体内時間が、異常なほど引き延ばされる。

 脳の処理速度を強引に加速させ、刹那の時間をスローモーションに引き延ばす。秒が切り刻まれる。刹那が引き延ばされる。これから生きるはずだった何十年かを凝縮するように、時の刹那が切り刻まれ、引き延ばされていく。その集中の余り、アスカに向かって世界が収斂していくようでさえあった。

 

(ああ、これだ。これこそが太陽道の真価)

 

 太陽道を扱う者は世界に遍くマナを統べる術者となる。マナの範囲下にいる全てを感じ取り、感知・操作しうる権能を得る。

 マナが持つ過大な情報量を統御するには人間の脳では追いつかない。限界を超えて灼熱するほどの稼働を強いられた。

 アスカの感覚器官ではありとあらゆるものが静止している。何もかもが、遅滞したセカイ。空気分子一つさえ見落とさぬ、絶大な集中。そんな何もかもが静止した世界の中で、唯一、動くものがあった。ネギ・スプリングフィールドである。

 先程までは知覚すらできなかったネギの存在を、動きの流れを感じた。いや、感じ取れると言うべきか、正しい表現が思いつかない。

 指一本、瞬きすら出来ない世界の中で普通の速度(・・・・・)で宙を飛び、カタツムリの歩みよりも遥かに鈍重なアスカの腹に風の鉄槌を叩きつけた。

 

「ぐっ」

 

 次の瞬間、痛みに呻きながら何百倍何千倍にも伸長していた時間の流れが元に戻った。感覚器官が元に戻ったのだ。どおっ、と雪崩の如く、鼓膜をつんざく音。五感が取り戻されていた。

 開いた目に映るのは輝かんばかりの鮮やかな色彩。自分がどれだけの情報に包まれて生きていたことを、アスカは認識する。生きているということは、なんと騒がしいことか。

 

(世界はこんなにも美しい)

 

 無に浸されていたアスカの世界は、こんなにも騒々しく愛おしくなるほどに美しいのかと改めて実感する。

 美しさを知った感動からの涙か、目に砂が入ったことに対する防衛本能によりものか、アスカには分からない。それでも世界はこんなにも尊いものだと感じ取れたことが何よりも嬉しい。

 だが、歓喜に咽ぶって惚けている時間など無い。もう一度集中を極限にまで高めて領域へと突入する。

 

「見えている? ならば……!」

 

 アスカの表情と目の動きから五感が戻ったことを悟ったネギは、天雷空壮が対応され始めていることを察知し、両腕に込められた遅延呪文を解放して二つの千の雷を握り潰した。

 

「雷天双壮……! 常時雷化している僕には対応できないだろ!!」

 

 最後の奥の手である術式兵装『雷天双壮』による常時雷化の雷速瞬動を発動し、ネギの姿は闘技場から完全に消える。

 

(今まで捉えられなかったネギの動きが………観える)

 

 だが、その姿をアスカは観ていた。見えるのではなく、観える。感覚を僅かに刺激する微弱な殺気まで全身の肌で感じることが出来る。迫り来るのを感じる。雷が迸る音、切り裂かれる空気の悲鳴が聞こえる。

 

(今までの全てがこの体の中に生きている)

 

 自分でもまだはっきりと判らない感覚であったが、この感覚は以前とまるで違う。アスカの感覚が自己から世界へと拡大している証拠でもあった。

 今までは相手の動きに合わせて読んでいた。だから、天雷空壮には歯が立たなかった。常時雷化の雷天双壮は捉えることすら出来ない。

 今はネギの指向性まで感じる。どこを狙い、何時来るかまで読み取れる。論理とか理論とかそういうものではない。

 世界をこの手に収めたかのような不思議な感覚を感じたことは何度かあった。でも、確信は持てなかった。今までの戦い、そしてラカンとの戦いが自身の中で何かを引き起こしたのか。

 自分の感覚が拡張し、指先の末端まで神経が張り巡らされてゆく。だが、ネギの動きに反応して体を動かすも、ひどく遅く感じられる。体が重い。まるで液体に漬け込まれたかのようだが、これは時間感覚が狂ったが故のことだと分かっていた。一秒が百倍にも引き延ばされたような世界では、空気も粘度を持つ。精神と肉体が乖離し、普通の速度でしか動けない血と骨に圧がかかっているのだ。

 アスカはネギの移動の軌跡が見えていた。正確に言うと見えるというのとは違う。意思の向く先、流れとでも呼ぶべき線が今のアスカにはネギの攻撃の軌道を感じさせているのだ。

 

「うぐっ!」

 

 だが、判っているのに左腹部を狙った避けられない攻撃が容赦なく食い込む。

 

(なにかもが遅い。それに無駄な動作が多すぎる!)

 

 極限の集中に入った状態で見た自分の動きのなんと無様なことか。肉体の隅々まで通った神経を操り、アスカは無駄な動作を省いていく。

 時の流れが外界と緩やかになった視界の中ですらネギの姿ははっきりと映らない。だが、感じる、分かる。無駄を省き、余計な動作を消し、最短の軌跡を描けばネギの動きについていける。その確信があった。

 

(俺なら出来る。やってやるさ!)

 

 二人の間を遮るような障害物はない。互いを隔てるものはなく、雌雄を決するのみ。

 それが分かっていて、アスカは動かなかった。それどころか体の力を抜いて、構えを解いた。両手をだらりと垂らし、向けられた殺気を全ていなしていく。

 アスカは軽く息を吐き、気息を整える。目は半眼に開き、焦点を無限遠に。精神を内に沈め、同時に外に開いて意識を全方位に集中する。

 拡大した自我が、近く範囲内にある全ての事象を掌握する。五感以外の近くに齎されるその感覚は、次いで細かに分散する殺気になってアスカの脳髄を貫いた。

 

―――――アスカの左腕が大きく弾けた。

 

 誰もがアスカの動きが変わったと感じ取った。

 アスカの動きはネギからすれば全てスローモーションにしか見えない。魔法の射手は身体のど真ん中を狙ったはずなのにズレて左腕に当たるはずがない。直前の意識では間違いなく当たっていたはず。それでも狙いが外れたというならアスカがなにかをしたということ。

 

―――――右の太腿が蹴られた。

 

 突進してすれ違いざまの蹴りは、アスカの右太腿を深く抉りながら血と肉片を撒き散らす。

 忘我の境地に至ろうとするアスカにはもはや痛みはなく、ただ肉が削られたという実感だけがあった。痛覚などという情報を得るほどアスカに余力は残っていなかったのだ。

 今のネギは動体視力、瞬発力、思考力、機動力、速度等の性能において、アスカを遥かに上回っている。

 しかし、そんな時こそ慌ててはいけない。今までアスカを上回る敵など山ほどいた。絶望的な状況に陥っても生き残ってきた自負がアスカを踏み止まらせる。

 今までの日々、ラカンとの戦い、ネギとの戦いという極限まで追い込まれたことで、アスカの中で今までずれていた感覚が上手く噛み合っていく。

 

―――――三度目は、脇腹を抉られた。

 

 串刺しにするつもりで放たれた風の投擲が掠め、衝撃で身体が揺らぎ、腹部から足首にかけて温く濡れていく。

 まだ、自分の血は温かかかったのかと思った。生命が零れていく実感を覚える。

 今までの傷と流れ出た血によって意識は朦朧としているようで、別の領域へとシフトしていった。集中を極めた領域の更に上へと。

 

「……………」

 

 圧倒的に有利なはずのネギの眉が微かに顰められるほどに、アスカの目からは闘争心が戦意喪失かと思うぐらいに完全に消えた。だけど、極々一部の者だけが静かだけど重い闘争心を、目の奥深くに感じ取っている。

 一度なら偶然で決め付けられる。でも、雷の速さという超越した速度を手に入れたネギが三度かかってもクリーンヒットを外すのは偶然でない。

 アスカの視界から色が消えた。見える景色は白と黒の世界。視界はひんやりと冴え渡り、周囲の何もかもが手に取るように感じ取れる。

 人とは生きていく上で、幾つもの顔を見せる。それは、自身にも有る。闘争に飢えた滾りがある。強くなりたいと泣き叫び我武者羅に鍛える自身が居る。これもまたその中の一つ。

 

「「魔法の射手・()の1001矢!!」」

 

―――――四度目は、完全に避けた。

 

 雷速であることを利用した連続の魔法の射手。余人には全く同時に放たれたと思うほどに雷と風のそれぞれの魔法の射手・1001矢がアスカを包囲するように散開した。

 2002にも及ぶ魔法の射手が雨のように降り注ぐ逃げ場などない状況の中でアスカはゆったりと歩み出した。

 ダンスを踊るようにステップを踏み、時に身体を揺らしながらまるで舞でも舞っているかのように無造作に避ける異様な光景。

 それを看破したネギが放っておくはずがない。雷の速度を利用した新たな攻撃を放つも、その攻撃すらもアスカは避けて見せた。極限まで五感を研ぎ澄ますことである種の第六感まで発展させて、ミリで見切って薄皮一枚で躱したのだ。

 避けられたことを察したネギは、文字通りの雷の速さで反応すると、アスカの足の付け根辺りを狙って風の槍を複数穿ち上げる。

 雷化の状態あるネギの動きについていける者などいない。なのに、全て予想済みと言わんばかりにアスカは動いた。

 アスカはほんの少し、傍から見たら頭が揺れた程度にしか見えなかっただろう小さな挙動で自分の身体を後方にずらし、小石を避けるように数ミリの差でギリギリ触れないくらいの距離で躱した。いや、上がったとも認識できない手によって僅かに軌道をずらされたのだ。僅かに軌道を逸らされた槍は、アスカの身体を掠めるように通り過ぎる。

 

「どうして……!」

 

 ネギは必死だった。試合前の冷静さなどとうに吹き飛び、視界にはアスカの姿しかない。それなのに、どれだけの攻撃を加えようとも防御を突破できず、必殺を確信した攻撃が全て回避される。

 もはやその身に纏うのは敵意と言う以上に澱むような執念である。ネギが纏うはずのない感情に、アスカは肌をほんの僅か粟立たせる。

 背後から打ちかかった右手を簡単に跳ね除けられ、たったそれだけの動作で突き飛ばされてネギはかっとなった。自分とアスカの間には、これほどまでの力の差があるのかと。

 

「でやあああああああっ!」

 

 この世のどんな大砲にも勝る拳を雷速の速さで躱し、魔法の射手で牽制しながら再び突っ込む。

 

「ぅうぉぉぉぉぉぉッ!」 

 

 ネギは自分が獣のように呻いていることにも気づかず、ひたすら目前の敵を追った。自分の目から溢れて落ちる涙にも気づかず。

 

「!!?」

 

 雷の速度の攻撃をまるで見えているかのように回避し、且つ呼び動作なくこちらの懐に潜り込んで攻撃を加えてきた。油断していたところなのでひっくり返るように弾け跳んだ体を回転し、錐揉み状態のまま瓦礫に激突する。

 無論、人間の速度が雷に叶うはずがない。不可能を可能にするのは、単なる技術の積み重ねだ。

 アスカは、ほんの僅かな姿勢のブレや視線の誘導。そういったもので、敵の動きを限定し、誘導しているのだ。それも歩くだけで傷口が開くような身体で。しかも、ネギですら気づかぬ精度で。

 自分と敵とを区別しない。自分と他人とを区別しない。自分と世界とを区別しない。

 武術に聴勁というものがある。功夫も達人の域になると、視覚で敵を捉えることなく、腕と腕とが触れ合った刹那に相手の次の動作を読み取ることが可能。だとすれば死角は死角足りえず、攻めても必ずしも効果があるとは言えない。攻撃をブロックされる限り、目が見えているも同然だ。

 しかし、アスカはネギに触れている時間は驚くほど短い。肉体に対する聴勁を行おうとも効果は薄い。

 そんな中でアスカが成したのは常識外れの『心』の聴勁とも呼ぶべきもの。

 全ては一つであると受け入れいて、より高次の領域から俯瞰する時、自分と他人も一つに溶け合い、森羅万象は武器と化す。

 数え切れない聖職者や武芸者たちが求めてきたその境地に、この時のアスカは偶然か必然か到達していた。 

 集中の妨げになる痛覚を眠らせる。死にたくないという恐怖を眠らせる。生き残りたいという執着を眠らせる。喜怒哀楽、すべての感情を無に還して、愛する人々の顔も意識の底へ沈め、息をするよりも、心臓を脈打つよりも、生存することよりも、ただただ意識を研ぎ澄ませる。

 意識的にではなく、全てが当然のように、当たり前のようにその境地に踏み込んだ。

 嘗てのアスカ。何度となく修羅場を越え、敵を屠ってきた自身。理由も、想いも、全てが自身のためにある戦いに忘我していた。ずっと自分から目を背けていた。苦しかった。辛かった。逃げ出したかった。だけど、それら全てが無駄ではなかった。悩みも何もかもが受け入れられる。全てが今ここに収束する。

 

「!!」

 

 雷速で切り返して後ろから迫るネギの振り下ろしの一撃を薄皮一枚で躱し、逆に振り向きざまの振り上げのカウンターを打ち込む。

 防ぐでもなく、躱すでもない。拳は打つのではなく、既に打ち込まれいなければならない。敵の動きに応じ、勝手に導かれていなければならない。攻撃のモーションに入るかと思ったら次の瞬間にはもうアスカは攻撃を終えている体勢になっている。まるでコマ送りだった。

 カウンターを紙一重で躱し、反転したネギの一撃が首筋の急所に決まる寸前、先行放電(ストリーマー)でその攻撃に気付いたアスカは、掌を叩きつけた勢いで、大きく後方に跳び退り、それを躱す。

 直前で目標を見失い、体勢を崩したネギに向かってアスカが振り上げた腕が一閃する。その一撃を受け止めようとしたネギの身体が簡単に吹っ飛んだ。そこを追撃。ネギの身体が大きく「く」の字に折れ、宙を舞っているところを、アスカが腕を掴んで無理やりその場に引き止める。

 

「殺気が漏れ過ぎだ」

 

 軽く足を振るってネギを蹴り飛ばす。

 自分から飛んでダメージを半減させたネギは急速上昇してアスカを睨みつけたまま、その全身に雷を帯電させ、直後、雷光となって瞬動した。

 

「僕はアスカには及ばないのか」

 

 どんな攻撃もアスカには届かない。その事実がネギをどこまでも追い詰める。

 こんなにも自分はアスカより劣っているのか。憎悪でネギの脳内が真っ赤になる。捻れそうだ。壊れそうだ。ネギのコトを一度も振り返りもしないで。

 

「僕は、僕は……っ!」

 

 周りを振り回すばかりで、自分の存在が他人をどのように脅かすかも想像できない。そんなアスカが大嫌いで、憧れていた。

 アスカから放たれた雷撃がネギを襲い、全身に衝撃が走った。全身の筋肉が震え、殴られたのか、焼かれているのかも分からない激痛と熱さに、声にならない絶叫を上げる。心臓が縮み上がるような異様な痛みに死の恐怖を覚えた。

 

「は―――――あ、あ―――」

 

 地面を転がって大きく肩を揺らし、体を起こしながら苦しげに吐息を漏らして、ネギは白い光を纏って悠然と佇む双子の弟を睨む。

 雷天双壮が解除され、自分のものとも思えない激しい呼吸音を聞きながら震える両手をきつく握りしめる。

 

「ふざけるな―――――! そんなの不公平だ、何時もアスカ、アスカばっかり、どうして―――!」

 

 話している内に興奮してきたのだろう。ネギの言葉に熱が帯びてくる。

 繰り返される攻防、何らかの壁を越えたアスカにダメージを与えられない無意味な攻撃と知りながらも、長く鬱積し続けた、唯一の肉親に対する恨みと共にネギは叫び続ける。

 何時も、何時も、圧倒的な差を見せつけ、超然と高みから見下ろされてきた。

 

「そうだ………! 僕はアスカが羨ましかった………! 周りから褒められて、輝いていて、僕が欲しかったものを手に入れたアスカが憎らしかった。だから勝ちたかった。一度ぐらい、一度でいいから勝ちたかったのに………! なのにどうして、そんなことも許してくれないんだ………!」

 

 支離滅裂な言葉。怒りと悪意が先行し、結果として論理と整合性が失われた言葉の数々がただ言葉となって口から迸る。

 

「―――――」

 

 アスカは意を重ねながら、歯を噛み締めて双子の兄の心を垣間見る。

 

「どうして!? 僕は違ったのに。同じ兄弟で、同じ家に生まれたのに、僕には何も無かった! 誰も彼もがアスカを褒めて、ラカンさんもアスカを認めた! 僕は見てさえもらえなかったのに………!」

 

 その憎悪は、弟である自分に対してのものではなく、無力な己に向けたものが大半。それでも溢れる想いがアスカに向けられる。

 悪いのはアスカだ。全てを奪いながらも、奪ったという自覚すら持たないアスカ・スプリングフィールド。あいつの存在が全てを狂わせたのだ。不意に結露した感情がじわりと視界を滲ませた。何も知らないような顔をして、何時でも渦の中心にいる。流れを変えたり引き寄せたり、まるで天性の王様。

 アスカを見ていると苛々する。お前は出来損ないと嗤われているようで、わけもなく不安になってくる。目から溢れ、頬に吹き零れた結露の雫を拭おうともしないネギは、今まで溜めに溜めていた感情をあらん限りに吐き出した。

 アスカさえ生まれてこなかったら、アスカと同じ強さが自分にあったなら。父はラカンは皆は自分を見てくれただろうかと。

 

「どうして、同じ兄弟なのに、同じ人間なのに、どうしてアスカにだけが与えられるんだよ………!」

 

 だから理不尽だろうが、不合理だろうが、嘘っぱちだろうが、出鱈目だろうが、必死で、ありったけで、アスカを憎む。そうしないと立っていられない。そうしないと意地を張ってもいられなかった。

 人が、人をこうも憎む。同じ種から発した命であっても―――――いや、そうであればこそ。寒々とした感慨を抱く。その憎悪は、弟であるアスカに対するものではなく、世界と自分自身に向けられた、出口のない懇願だった。

 近親憎悪。血の繋がりのある者同士が憎み合う。互いに近しいが故に、その存在を許せない。

 

「英雄なんだろ、誰よりも強いんだろ。なら、僕を救ってくれよ、助けてくれよ……!」

 

 その目と声も、大事なものを盗られた子供そのもの。愛惜と憎悪が入り混じり、本人の中でも仕訳されていない感情を宿った血走った目を向け続けるネギにアスカが言えることは何もない。

 怒りと悲しみが交じって我慢できる許容量を超えていた。感情の暴走が止まらない。口の中に血があふれ出して唇から零れるのと同時にネギは叫んでいた。

 

「アスカが元凶なんだ。全部奪った。みんな、みんな……………!」

 

 湿った声が耳朶を打ち、汗と涙でグショグショになったネギの顔。突き刺さってくる視線から決して目を離さない。

 

「魔法世界なんて来るんじゃなかった。来るべきじゃなかったんだ!」

 

 限界に達した心臓が弾け、熱い感情が迸った。とうとう口にしてしまった。今までずっと誰にも言えなかった気持ちをまるで氷のように冷たい感情の声で叫んだ。

 

「アスカなんて――――」

 

 違う。こんなことが言いたいんじゃない。言ったことを全部取り消してしまいたかった。でも、言葉止まらない。憎しみと怒りと罪悪感と後悔が入り混じって心の中が滅茶苦茶だ。

 ネギはいま超えてはならない一線を越えようとしている。例え身内でも――――いや、身内であるからこそ、そこより先は引き返せないに足を踏み出そうとしている。でも、一度走り出した感情は歯止めを失って止めようがない。

 ネギははち切れそうな自分の心臓の音を聞き続けた。そして決定的な一言が放たれようとした刹那。

 

「いったい、何を言っている?」

 

 ネギの独白を遮ったアスカは理解できぬと首を傾げた。

 実際には疲労と負った負傷に合わせて、重ねた意から混入してくる整理されていない想いがアスカを襲って来て頭がフラつく。

 あっちこっちに飛びまくっている意を受けたアスカは吐き気を覚えながら、脳の奥で鈍く響く痛みに考えることが億劫になり、思ったままを口にする。

 

「俺は誰にも付いて来てほしいなんて強制しちゃいない。言い出しっぺの責任は取るが、そんな闇の魔法に惑わされた戯言を聞く気は無い。言ってやる―――――だからどうしたってってな」

 

 可哀想だな、なんてアスカは一切ネギに同情しなかった。

 魔法世界に来てどんな辛い目にあったかは知らない。アスカにも責任の一端はあるだろう。だけど、アスカは一度も誰にだって付いて来てほしいなどと言ったことはないし、強制したこともない。その意志を問うた上で来るというならば拒まなかっただけ。

 

「こっちに来てから何があったかは知らねぇけどよ。自分の決めたことに泣きごとを言うな」

 

 その苦悩はネギだけのもので、今の憎悪はアスカに責任を転化しているだけに過ぎない。そんなことは憎悪に染まりかけたネギの中にある冷静な部分が頷いた。

 心に秘めた感情を理解し、解放することなど他人にはできない。そんな偽善は絶対にない。自分が苦しい思いをしたのと同じようにアスカにだって辛いと感じることは山ほどあった。

 ノアキスで望んでもない闘争に巻き込まれ、四大上位精霊と戦って精霊王に立ち向かわざるをえなかった。世界の真実を知り、完全なる世界の真の目的を知り、誰にも言えずに苦しんできた。

 少なくとも不幸自慢で負ける気は無いので泣き言を聞く気は無い。

 

「正直に言えば、お前がどんなに辛い思いをして、どんなに酷い日々を送ってきたかは解らない。悪いけど、理解しようとも思わない。俺には俺の苦しみがあって手一杯なんだ。今だって余裕があるわけじゃない。自分のことは自分でなんとかしてくれ」

 

 だとしたら、どうなるだろう。

 何時も自信に満ち溢れていて、自分の欲しい物を全て持っていて、まさしく目指す理想そのものだった存在。そんな弟が自分と同じ。いや、それ以上に苦しみ続けていたとしたら。

 

「ぁ……」

 

 憎悪を軽く流されたネギの口から、微かな呻きが漏れる。

 醜い自分。アスカを憎んで、妬んで、眼の前からいなくなればいいとさえ願う汚れきった自分。それだけでなく、苦心して掴んだ強さでも遠くアスカには及ばない事実と相まってネギの魂を侵す。

 

「黙れ。黙れ! 黙れッ!」

 

 ネギは息を止める叫びながら否定した。否定しなければネギが壊れる。

 ネギの心と言葉は、配線をつなぎ間違えたかのような不自然さがあった。

 当たり前だと思っていたことが、そうじゃなかったら。ただ単に自分が不幸なのだと、そう思い知らされたなら。想像したのだ。あまりにも絶望的すぎる事実。その衝撃は大袈裟ではなく、少年の世界を破壊するに足りると、確信してしまったのだ。

 

「カモ君が死んだんだ! 死んだんだよ! お前の所為で!」

 

 言ってはいけないことだと感じた。けれど、開いてしまった心の隙間から漏れ出す言葉が止められなかった。

 悲しみ、怒り、罪悪感、自分の中にある感情がなんなのかすらもう分からない。分かっている。こんなのは八つ当たりで責任転嫁に過ぎない。それでもネギには一度壊れた感情の箍を止められない。

 

「魔法世界に来なければ、来なければ!! カモ君は死なずに済んだんだ!」

 

 責任転嫁もここに極まる。ネギは分かっていた。カモは自分を護る為に死んだ。自分の所為で、死んだのだと。

 あまりにも惨めで、いい気になっていた。

 自分にないものを持っていた。自分に出来ない事を可能とした。自分の立てない場所に生きていた。そして、その誰かに決して及べない自分を、思い知っていた。だから妬んだ。そうではない自分を怨み、そうである誰かを憎み、それを許容する世界をも、呪うかのように妬んだ。

 それはなんてドス黒く、なんて禍々しく、なんて卑屈で罪深き業の闇。人を傷つけ、殺し、自分自身をも焼き尽くす凶暴な熱。

 何時も何時もアスカばかり。悔しい。憎い。恨めしい。自分とアスカの何が違う。世界の全てが呪わしい。自分自身を含めた、この世の全て、あらゆる法則が憎らしい。何もかもが妬ましい。淋しさに、悔しさに、怒りに、絶叫したくなるほどの羨ましさに。

 

「アイツ…………カモは死んだのか?」

 

 心底驚いたとばかりに目を見開いたアスカが、その言葉を放った。

 アスカはアルベール・カモミールが死んだことを知らなかった。あの時、ゲートポートの一件でネギを庇ってフェイトに殺されたカモが死んだことを、知らなかったことがネギの呼吸を止めさせた。 

 アスカのたった一言が、ネギの内奥に巣食っていた決して起こしてはいけない眠り続けている獣を呼び起こす。長年の間に溜め込んだ鬱屈を、今こそ解放する密やかな合図だった。

 

「―――――、あ。ああ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああ…………………!!!!!!」

 

 胸倉を掻き毟り、歯噛みして涙すら浮かべてネギは絶叫する。

 行き場を失った想いが、強く自身を呪い始めた。力を、全てを壊す力を求める。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 ネギは叫んだ。胸に刺さる絶望を、なんとか吐き出そうとでもするかのように。その一声で正気を失ってしまおうするかのような、悲痛という言葉さえ拒絶する獣染みた声が虚空に拡散する。

 しかし、何もかもが手遅れだった。魂の内側で、何かが音を立てて切れた。思考がどす黒い憎悪に支配される。全身に亀裂が入るように、ネギは己自身の悪意で壊れていく。

 

「ぐぁああああああ……………!」

 

 目は妖しく光り、並びの良かった白いが歯が剥き出しになり、ダラダラと涎を流していた。ググググと伸びる八重歯が牙となって涎が糸を引いて滴った。

 自身を構成する柱が砕ける音を聞いて、ネギの体の奥深くで何かが弾けた。

 力が全身に流れ込んでくるのを感じる。凶々しいまでに大きな力の渦は、ネギを人以外の何者かへと変えていくかのようだった。

 目の前を闇が覆い、何もかもがあやふやとなる。体の中心から末端までがドロドロとした感情に染まった。歯を食い縛り、眼球を真っ赤に染めてネギは世界の果てまで方向を響かせる。

 皮膚という皮膚に、魔法陣に用いられるような異様な黒の紋様が浮かび上がっている。影が全身を覆い、指先に至るまで力が漲ってきた。

 

「こ……………こっ、こっ、これは!」

 

 アスカが変容していくネギから放たれる魔性の風を腕で防ぎながら悲鳴に似た声を上げるも直後に湧き起こった咆哮に掻き消された。地を揺るがす叫びが、ネギの喉の奥から声という形になって放たれる。

 

「くっ、はは!」

 

 ネギが人間のものとは思えない声で不意に笑った。

 

「がはははははッッッ!! ぎゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 声の波が安定しない。高くも低くも大きくも小さくもある奇妙な声だった。ガスの元栓から何かが零れる音よりも、それは遥かに危機感を煽らせる声だった。

 今まで感じたこともないほどの力が、体の中で暴れている。双眸から人の意志が無くなり、ネギは魔獣のように理性を感じさせない哄笑を放ち続けている。

 

「おぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 きしっ、と歯が軋るような笑い声がネギの口から漏れた。

 

「アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 危険を感じて止めようとアスカが動くよりも早く絶叫しながらネギが飛び出した。ひどく重い音を立てて地を蹴って向かって来る速度は超絶ではあるが、雷の世界に身を浸していた時と比べれば見切ることが難しくない程度のものだった。

 疾風の如き速さで迫りながら大きく振り上げた右手が肥大化、人間を容易く両断できる巨大な爪を生やした腕に形が変わる。

 

「!?」

 

 ネギの行動に対応が遅れたアスカの目の前に浮かんでいた。いや、浮かんでいたように見えた。それは、時間にしてほんの一瞬のことに過ぎなかった。瞬きよりも速く肉薄して、異形と化した巨大な腕を作り上げてその手を振るってアスカの頭上から叩きつけた。

 地面に五本の巨大な亀裂が走った。だが、アスカの姿はない。ほんの少し離れた距離に避けていた。

 それを追いかけて、両腕からそれぞれ千の雷を出し、双碗掌握して『雷天双壮』状態になったネギの精神は闇に覆われた。自意識は既にない。

 

「くっ!?」

 

 黒き雷神と化したネギがアスカに襲いかかる。恐ろしい速度だった。アスカの跳躍も十分に素早かったはずだが、それを圧倒的に勝る速さで迫ったネギは、手の先端を尖らせ、その魔族化したことで異常に伸びた爪で宙に浮かんだアスカの左上腕を一瞬にして貫いた。

 

「グアアアアアアッツ!」

「カカカカカカカカ」

 

 アスカの口から獣染みた咆哮が漏れる。ネギが嘲笑うように声を立てた。

 

―――――憎い………!!

 

 そんな貫かれた痛みよりも、アスカには耐えられないものがある。

 他人には決して届かぬ苦悶の声、悲しみの哭き声、怒りの咆哮、それらが渾然一体となったネギから届いてくる負の想念が、外部からの痛みよりもなお強くアスカを苦しめる。

 

「あああああああああああ!」

 

 爪から伝播してくる雷撃によって体内部を焼いてくる苦痛で絶叫するアスカがネギを蹴り飛ばした。爪が抜けて吹き飛んだネギだが、獰猛な獣性を剥き出しにしてアスカに迫る。

 

「づらぁっ!」

 

 反撃するようにアスカが拳を振るったが、そんな状態で放った一撃は健全な精神を放棄して獣性に身を任せたネギに当たるはずもない。

 容易く肉体を粉砕する一撃を易々と回避し、雷速を維持したまま背後へと回り込む。

 

「あっ……」

 

 アスカが振り返るよりも早く、ネギの手がアスカの体を殴りつけていた。吹っ飛ばされるかに見えたアスカの体は、だがそうはならなかった。一瞬で回り込んだネギが反対方向へ蹴り飛ばしたからだ。

 

「AHAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

 人間の言語すら解さなくなったのか、獣染みた雄叫びを上げたネギの動きは更に速まった。超高速で動くために、ネギの姿が何重にも分身したようにも見える。アスカは殴られ、蹴られ、打たれる度に弾かれるのだが、それ以上の速さで動くネギが連続で攻撃を加えるために、アスカの体はその場から殆ど動くことも出来ずになされるがまま、四方八方から一方的に袋叩きにされている状態だった。

 

「ダメ、ネギ先生」

 

 観客席で見ていた宮崎のどかは思わずそう呟いていた。確かにネギは強くなっている。一時は押されていたが、今はまたアスカを圧倒している。だけど、その強さはネギが求めていた強さでは、決してない。

 哀しみで、目の前が暗くなっていく。歪んでいく。ネギ・スプリングフィールドという宮崎のどかが愛した男の根源が歪んでいく。谷底へ真っ逆さまに落ちていくような深い絶望感だけがあった。

 

「それ以上はダメです!! もう止めて、戦わないで!!」

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

 のどかの叫びは、ネギの更なる絶叫で掻き消された。もうのどかの声も届いていない。

 無償で得られる力などはない。代償を払わなければならない。自らの器を越えた力は、肉体にとって過度の負担となる。時間をかけて少しずつ馴らしていくならともかく、一気に大量の力を受け入れれば、器である肉体がそれに耐えられない。

 闇の魔法(マギア・エレベア)の浸食は留まることを知らず、やがてはネギの魂魄すらも侵して肉体を魔族へと作り替えていくだろう。

 

「馬鹿野郎」

 

 再び咸卦・太陽道の真価を発揮するとネギの心に自分を重ね合わせることで感じ取れるものがあった。

 壮絶なる孤独。アスカの強さに対する嫉妬があった。父との戦いを得られなかった憎しみがあった。自分以上に物事を上手くこなす弟への憧憬があった。叶えられない出来事を容易く成し遂げてしまう憧れがあった。それよりも遥かにカモを失った心の喪失は大きい。アスカへの嫉妬に転化することで誤魔化していた心の隙間は、のどかが傍にいてくれても埋まることなく、ただただ孤独に喘いでいた。

 

(これが…………ネギの負の心)

 

 重ねた心の向こうでネギの慟哭の叫びを聞いた。

 

「馬鹿野郎っ!!」

 

 その罵倒はネギに向けたものであり、何よりもそれほどの深く傷ついていたネギを慮ってやれなかった自分自身に向けたものでもあった。

 同時にアスカの中に、音を立てて燃え上がるものがあった。

 ネギから感じられる負の壮年に心まで呑み込まれそうな恐怖感に襲われ、自分を見失いそうになる。アスカは歯を食い縛ると、薄く目を開き、自分の内にいるネギに向かって吼える。

 

「最初から言えよ! 寂しいなら寂しいって、苦しいなら苦しいって!」

 

 空中から悠々と見下ろすネギに向かって、アスカは自分に返ってくる言葉をぶつけながら、さっと顔を上げる。その目には、ネギの闇に気付いてやれなかった自分に対するあらゆる感情が渾然一体と混じった光を爛々と湛えて激しい怒りに溢れ、それがネギに向けられた。

 

「自分の殻に閉じ籠るお前を引っ張り出すのには慣れてんだ。これで終わらせたりしねぇぞ!」

 

 魔法学校に通っていた頃、図書室に篭り切りになっていたネギをアーニャの命令で引っ張り出したのはアスカだ。あの時とやることは何も変わらない。ネギがどれだけ嫌がろうとも力尽くで引っ張り出すのみ。

 

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

 雄叫びを上げたネギが雷速という誰も踏み込めない速さの領域へと入り込み、全ての者の視界から消え失せる。

 アスカは言葉を一切放つことなく、ネギが消えた空間をじっと見つめた。と、突然鋭い痛みが右頬に走る。何時の間に殴られたのか、身体が後ろに傾くほどの衝撃が突き抜けた。

 

「GYAッ!!」

 

 ネギの気合の声に遅れて、再び目にも止まらぬ攻撃が全身を揺るがす。腹を殴られ、顔を蹴られ、背中を打たれ、アスカの身体は次々と攻撃を受け、傷ついてく。

 だが、アスカは動じなかった。僅かに腰を落とし、胸の前で交差させた腕を勢いよく左右に大きく開く。途端、生まれた衝撃波が、アスカの直ぐ近くで今にも攻撃しようとしていたネギを吹き飛ばした。

 

「GYAAAA――――ッ!?」

 

 如何に雷化していようと攻撃する直前では物理干渉を避けることが出来ずにアスカの衝撃波をもろに受け、吹き飛ばされていく。

 

「GYAAAァァァァァッ!」

 

 ネギは喚き、空気を切り裂いて雷速で突進する。

 アスカは防御動作すら取らず、纏う障壁の角度を動かして受け切り飛び退く。

 

「……!」

 

 繰り出される疾風迅雷の連続攻撃。その全てをアスカは避け切った。

 出された攻撃を見切るのではない。敵の心に攻撃の意思―――――殺気が揺らめくのを第六感で悟ったのである。そして、ネギが消えた。その刹那にアスカは右足を振り上げる。目の前にいるネギの顎を、頭部ごと蹴り砕くような勢いで。

 同時に、常軌を逸した速さで近づくネギがその蹴りを受けたと感じた。しかし、防御されたようでダメージはなく再び、閃光となって消えた。

 

(落ち着け。心を乱すな)

 

 消えたネギを追うことなく、一度は熱した心を覚ます。

 常に最高速で動く必要はない。必要な時だけ神速を発揮すればいい。動くのは一瞬、瞬き以下の時間だけ。それでも雷の速度に対応しようとすれば肉体に無茶をさせる必要がある。鍛えたといってもまさに血肉を削りながらの綱渡りの状況である。

 

「――?!」

 

 闘争本能に支配されたネギが衝撃に目を剥いた。

 闘う者が被弾を忘れた時、如何な大人であろうとその耐久力は赤子並に成り下がる。意識の隙間を縫う絶妙の攻打。被弾を覚悟する隙を与えない対戦者にとってはまるで不意打ち。

 如何に雷並みの思考加速があろうとも元が人間であるネギでは決して消えない心の隙間を打つ。言葉にすれば容易いことであっても実行に移すことは不可能。絶対なる雷の速さの有利が効かない。有史以来、人が人のままで雷の領域へと手を伸ばせたことはないのだから。

 

「……っ」

 

 何だこれは、どうして自分の動きを追いきれると、まるでネギがそんな戸惑いを覚えているように動きを鈍らせた。

 

「…………」

 

 対して、アスカは言葉を語ることなく、動くことなく沈黙していた。

 彼の目に映る視界がひどくクリアだった。今までよりも細密に世界を感じることが出来た。この世界でもネギの姿を完全に視認出来ない。それでも心を重ね合わせたことで流れを読み取ることが出来た。意思の行き着く先と言ってもいい。

 ネギの流れに自分を乗せて、思考の隙や死角を作りだし、その虚を突くように動いている。

 

「ガアアアアアッ!」

 

 達人の目にすら視認も出来ない速さで下段から顎元を狙って雷化しているネギの体が、アスカの雷を纏った手刀によって切り裂かれた。首を動かして紙一重で避け、打ち合わせていたかのように今度はアスカの手刀が斬り払ったのだ。

 アスカの動きに余計な成分が削ぎ取られ、鋭さと鮮やかさだけが残った。まるで、ワルツのように、見えていた、感じていた、分かっていた。心を重ね合わせているが故に、受けられるのも、避けられるのも、承知の上。

 獣の怒号が雷と化して闘技場の空を走り抜ける。 

 それもまたアスカを捉えることは出来ない。彼は未来が見えるとでも言うように、稲妻の軌道から身を逸らして地を伝い来る落雷の余波からも逃れるように巧みに距離を取っている。

 VIP席で観客として見ていたリカードは違和感を覚えた。アスカが雷の軌道を読んでいると、何故、自分が思ったのか分からない。

 今のネギは暴走しているといっても紛れもなく雷そのものだ。光に近い速度で飛来するその動きを、生身の人間であるアスカが捉えられることは出来ない。

 

「亜光速だぞ!? 稲妻は!!」

 

 進路をふさぐ形で放たれた稲妻すら掠りもしない。アスカは焦る様子もなく横に跳んで易々とそれらを躱す。

 攻撃の悉くを読み切り、躱しているようだった。

 だが、ネギは、ネギだけは認められない。今のネギはアスカを認めることが出来ない。

 暴走する肉体とは別に、心は人生に疲れ果てた老人のように今は無き壊滅した故郷の村外れの岩場の上に腰掛けていた。

 受け流すということを知らず、なんにでも真正面から向き合ってしまう生真面目な魂。掛け違えたボタンを直す暇もないまま、自分を殺し続けてきた孤独な魂。

 行かなければならない場所、成さねばならないことがあったはずなのに、闇の魔法(マギア・エレベア)の侵食によって頭に霞が掛かったように何も思い出せない。

 今まで肉体だけに留まっていた魔素の侵食は魂魄にまで及び始めていた。徐々に侵食が深まっていく所為で重くて身動きが取れず、とても痛くて触った人を皆傷つけてしまうと怯えていた。

 しかし、動けない()とは別に脳裏に流れていくものがあった。

 

「……………」

 

 それは心を重ね合わせたことで流れ込んでくるアスカの記憶。

 アスカがネギを感じ取ったように、ネギもまたアスカを感じ取っていた。表で暴走する肉体と内に籠もる心と別れてしまったからかアスカよりも強く心を感じていた。

 有体に言って魔法世界に来てからのアスカの境遇はネギが考えているものよりも何倍も酷いものだった。だからといって何かが変わるわけではない。同情もしない。哀れみもしない。凄いとも思わない。だけど、闇に堕ちるだけだったネギに心に小さな変化を与えるには十分だった。

 

「……ぅ」

 

 まるで逡巡するように動きを止めたネギを前に、不意に襲い掛かる激痛にアスカは呻き、よろめいた。今まで蓄積したダメージがここに来て遂に限界を超えて表に現われてきた。

 ネギが駆使する魔法に比べれば、アスカのそれは派手さも威力もない稲妻の速度といえば秒速150キロ―――――マッハ440。空気抵抗を考えれば人間の体の方が持たない。精霊化をしたネギの肉体は三次元空間における時間の束縛から解放されているのだ。傷ついた体でその領域に至ろうとすれば無事であるはずがない。

 多くの負傷によって本来在り得ないはずの負荷に晒され続けた四肢の骨に、次々と亀裂が生じた。限界を超えた筋肉は軋みを上げ、稼動させられ続けている神経は既に限界を超えてたった一つの動作にすら痛みを伴っていた。

 

「来いよ、ネギ」

 

 が、そんな苦痛もダメージも一切頓着することなく、アスカは戦い続ける。

 ネギが背後に回り、相手の死角から存分に仕掛ける。

 背中から迫り来るネギの拳に、だがしかしアスカは身体を巡らすことなく、僅かに屈んで応じにかかった。どのみち転身は意味がない。速すぎるネギの動きに振り向こうともまた背後に回られれば同じことだ。アスカは死角を衝かれる不利をものともせずに背中を見せたままで戦うしかない。

 立て続けに閃く連撃。もはや常人どころか達人でも視認すらできず、文字通り稲妻の残像だけを目にするしかないそれを、アスカは悉く躱し、受け流し、捌いた。

 

「――――!」

 

 途端、ネギの体は大きく飛び退った。その鬼面染みた横顔が困惑に揺れていた。

 完全に自分の雷の速さにすら食い下がって対処するアスカの手練に、怪物に堕ちたネギは戦慄する。殆どが明らかに視野の外からの攻撃なのに、アスカはまるで見えているかのように確実に防ぎ通す。

 この男の積み上げた強さは、もはや速さの優位だけで覆すことなど不可能なのか。

 怪物―――――もはやアスカをそう形容するしか他にない。一体誰が音を越えて光に迫る雷の領域に付いて来れると思うのか。一体どのような執念が、生身の人間をここまでの領域に練磨しうるのか。

 ネギが先の先を極めたとするならば、アスカは相手の出方に合わせて自分の攻めを決めることを徹底した後の先の極みに近づきつつある。

 時間をかければかけるほど、僅かな動きで、腕が、脚が、心臓が、猛烈な痛みで悲鳴を上げるアスカの状態は悪化する一方。ついていくだけで精一杯のアスカにネギの優位性は変わらない。

 限界を越えた激戦の結果、ノコギリで切られるような痛みが脳を苛む。体のダメージも凄まじく、特に異常稼動している心臓の痛みと動悸が酷い。雷で心臓が薬物注射(ドーピング)ですら不可能なスピードで鼓動している。

 随所の毛細血管、果ては一部の動脈や静脈がぶちぶちと切れ、内出血を起こしている。何時破裂してもおかしくない状況。

 でも、そうやって送り出された大量の血液は体中の筋肉と脳細胞を活性化させ、常から常人離れしていた身体能力を達人離れしたものにまで昇華させ、人を完全に超えた身体能力と判断力、代謝を生んでいる。

 動きの中でついでにクハッと喀血した。あちこち骨折もしているはずだ。これが代償。今の超人的な戦闘能力はその副産物。長期戦どころか中期戦すらも不可能な、短期戦特化の戦法。

 ネギとアスカが乱れ舞う激空間。その凄まじき衝突は、徐々に、そして確実に、決着へと傾き流れていく。

 アスカは、双子の兄ネギと対峙した。遥か昔に進む道を違えた二人の兄弟は、間合いを大きく取って向かい合っている。

 

「本当、なんでこんなことになったんだろうな」

 

 これも現実である。言葉だけでは到底変えられるものではないし、救われない。死力を尽くしてぶつかり合わねば、分からないこともある。もはや戦う以外道はないと、アスカは知っていた。だから拳を構える。気負いはない。だが躊躇もない。試合前にはあった不安も迷いも今はなくなっていた。

 お前が憎い、と。お前を呪う、と。

 人の心を持たぬ魔族と成り果てて狂乱に身を委ね、紅い双眸に憎しみを滾らせて獣のように吼え猛るネギに、もう声は届いていないかもしれない。それでもアスカは語りかけた。

 誰かと分かり合うことは凄く難しい。言葉にしなければ伝わらないことがあって、言葉では何も伝わらないことがある。どうにも伝わらないほどに胸が熱い。

 

「全てが終わったら話をしよう。今まで出来なかった分も全部」

 

 悩んで、苦しんで、迷って、間違えて、自分の醜さを恥じて。人として、悲しいくらいに人として生きてきた。まるで、旧友との再会を心底懐かしむように、激さず、怒声を上げるでもなく、アスカは静かに声をかける。彼は、ネギの身体を上から下に繁々と見つめた。

 

「だけど、今は――――」

 

 話さなければ、言葉にしなければ伝わらない。想いを口にせずに分かってもらおうなどと傲慢に過ぎない。だけど、想いを口にしても伝わらないモノがあるとしたら、どうすればいいのか。

 苦労しても伝えても理解してもらえないことなんてザラにある。誰かと分かり合うのは何時も凄く難しい。言葉にしなければ伝わらないものがあって、言葉では伝わらないこともある。ならば、初めから知ろうとしなければ、分かろうとしなければ自分の心にも、互いの関係にも変化を及ぼさないから楽だ。けど、それが必ずしも良いというわけではない。

 アスカがそうやってネギと分かり合うことを避けたからこの結果に至ったのだ。もちろん自分から歩み寄ろうとしなかったネギも同様だ。

 二人はあまりにも似すぎて近くにいすぎていた。

 相手の自分が持っていない何かを羨み、求め、焦がれ、憎んでいた。

 こうなってしまったといういう思いもあるが、何時かはこうなるだろうという思いもあった。生まれた時からこうなることは決まっていたのかもしれない。

 一度別たれた道を進めば、次に出会う時はぶつかり合うしかない。今がそのぶつかり合う時。

 今更悔やんでも遅かったが、そうせずにはいられない。可能なら子供の頃に戻り、一からやり直したかった。だが今となっては叶わぬ願いである。もはや衝突は避けられない。  

 言葉が通じないのなら想いを形にして相手に打ち込むことしか出来ない。その結果どうなるか分からない。けれど、何時かこの戦いも必要なことだったと二人で笑って言える日が来るだろうか。

 

「決着を着けよう、お互いが納得できる決着を」

 

 自然と体が両足を不動の大樹の如く根を張り、腰を下ろして不動の構えを取る。

 体重移動の流れに澱みが見えない。体幹を支える筋力に無駄がない。正中線を走る重心が全くぶれずに全身が重心を軸に螺旋を描いている。速さとは筋肉の伸縮が主ではない。大地に根を下ろす木の幹の如き不動の重心を得ることにある。

 ネギも多少なりとも傷を負っているがアスカ程ではない。

 アスカの方は重症だ。体中の骨が折れたり罅が入ったり、筋肉が軋み千切れ、神経が限界を超えた稼動に途切れかけている。流れ出た血は足元に池を作り、後数分もすれば強靭な精神力でも耐え切れずに足を折るだろう。

アスカの表情は今までの激戦でボロボロな体とは違って考えられぬほど穏やかだった。ネギもまたあれほど激しかった殺意や殺気も今はない。混じり気のない透明な闘気だけがそこにはあった。

 

「次の一撃で決着をつけよう」

「……………」

 

 子供のように純粋な笑顔を向けてくるアスカに、魔族化したネギもまた、同意するように拳を構える。暴走したといっても少しは意識が残っているのか、最後はやはり拳で決着をつけることこそが、もっとも相応しいと思ったのか。

 実際にはネギは唇を結んだまま、何も語っていなし表情も変えていない。アスカは漠然とネギもそう考えているのだと思った。大して理由なんていない。敢えて上げるとすれば双子だから、だろうか。

 全身に力を蓄え、短く長い時間が過ぎ。

 

「――――最後に一言だけ、言わせて欲しい」

 

 一瞬だけ過去を想うように眼を閉じ、拳を握って深く沈黙したアスカは穏やかに眼を開けて心からの言葉を贈る。

 

「この戦いは本当に楽しかったよ――――――――兄貴」

 

 ネギに自分の心が伝わったか、確かめる術などない。いいや、確かめずともいい。

 自分は言うべきを言い、伝えるべきを伝えた。断絶していた兄弟の絆が繋がったかどうかなど判らない。

 口と鼻の機能を止めて呼吸を止め、皮膚で細胞で呼吸する。

 すると意思に反応して己に中にある力を昇華させると、下半身が締め付けられて重い感覚を味わいながら激しく集束していくのを感じ取った。

 ネギは完全に魔族に堕ちたわけではない。そのギリギリの境目にいる状態ならば、元に戻すことが可能かもしれない。

 魔を浄化する光は、救いと呼ぶには程遠いやり方かもしれない。いや、力を求めて闇の魔法を会得したネギをこの姿にしたのはアスカだ。その責任を取るわけではないが、出来ることならば人間に戻してやりたい。

 しかし、それは希望的観測。奇跡の領域。それでも結果は見えなくとも、それが今のアスカに出来る最善だった。

 不思議なことに、この時のアスカは死の恐怖を微塵も感じていなかった。

 アスカは自分の心がそうしたいと感じるがままに『ネギ』を『兄』と呼び、乾いた風が戦場を吹きぬけ、そして―――――二人は同時に飛び出した。

 これを最後の一撃と、そう示し合わせたかのように、真っ直ぐに正面から、全出力を解放して最高のスピードで。

 最初から決めていたのだ。ネギを倒す時は、背後からではなく正面からで。そして剣や術や魔法ではなく、己の拳で決着を付ける(・・・・・・・・・・)と。

 

「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」

 

 二つの雄叫びが反響する。

 次の瞬間、何かが爆発したような音を立ててネギが跳ぶ。自らを雷に変え、人の身ではありえぬ超加速。音の壁を越えて空いていた距離を一瞬で無へと縮める。反対に、二人の距離が離れているといってもネギの圧倒的なスピードの前ではアスカに許されるのはたった一歩。だからアスカ・スプリングフィールドは、右の拳を固く握って軸足の左足で大地を蹴った。

 相手がどんなに速かろうと、やることは既に決まっている。

 一歩で爪先、足首、膝、腰、肩、肘、手首の順に関節に捻りを加え、後を追うようにして足先から拳の間の筋肉に、回転エネルギーが加えられる。最後に、丹田に集まった力が移動し、同じルートを駆け抜けて右拳に光が収束する。

 攻撃は同時。もはや技などとは呼べない。互いに力を拳に乗せ、殴るだけの攻撃だ。

 瞬間、膨大な光が爆ぜる。

 それは途方もない破壊の力を宿していた。だから、直後に起きた出来事を誰も理解できなかった。光は忽然と消えてしまった。だが、それも直ぐに判明した。途方もないエネルギーが結界を突き抜けて空に向けて飛んで行ったのだ。

 二人の身体は交錯した。上空を突き抜けたエネルギーは空の彼方へと消えていった。

 ほんの僅かの差で勝敗は決した。いや、勝敗などないのかもしれない。

 

「「―――――」」

 

 何も聞こえなかった。静か過ぎて耳が痛くなるような深すぎる静寂があるだけで、自分の喉から猛りあがった声も、攻撃が当たった衝突音も何も聞こえなかった。

 ただ、感触があった。ネギの放った拳はアスカの左頬を深く切り裂いただけに留まり、アスカの放った渾身の右拳がネギの左胸へと叩き込まれていた。

 その拳から撃たれた光は、敵を滅する憎悪の刃ではなく、あくまでも温かく。ただ兄の魂が闇から解き放たれることのみを祈った弟の願いが込められた一撃。

 

「!?」

 

 衝撃は突き抜けるようにしてネギの胸から背後へと貫通した。

 突き抜けた衝撃を表すようにネギの服の背中の部分が弾け飛び、同時に黒い瘴気のようなものが飛び出して纏っていた黒い皮膚、角、牙、爪、尻尾が空気に溶けて消えていく。肌は元の色合いを取り戻し、眼から魔に染まった狂気が薄れて元のボロボロの戦闘装束へと戻っていた。

 拳を繰り出したアスカも、それを受けたネギも、そのままの体勢で動かずにいて。

 そして暫くの後―――――先に動いたのはネギだった。倒れ込む。全ての力を失ったように、ゆっくりと前へと。

 そんなネギを、アスカの腕が抱きとめた。目を閉じたネギは口元だけで穏やかに、ようやく向き合えたことに満足そうに笑っていた。二人の兄弟は、お互いの成長を確かめ合えたことを喜んでいた。

 兄が知らぬ間に弟は成長し、弟が知らぬ間に兄もまた成長していた。その失われた時を実感し合えた。

 もう、右も左も分からない幼い頃に共に暮らしていたあの頃には戻れない。互いにあの頃よりも成長し、変わりすぎてしまった。だけど、今は、今だけは子供だった頃の思い出に浸るように笑みを浮かべていた。

 互いに己が全てを掛けた死闘、ここに決着。

 

 

 

 

 

 




魔  法:|大地の風(地面の砂を巻き込んだ台風で、取り込まれると高速研磨機にすりつぶされるように肉を抉られる)

術式兵装:雷天大壮
効  果:一瞬のみ雷化、雷の速度を得る
備  考:原作では主に近接戦目的で使用しているが、本作ネギは詠唱時間の短縮の方に使っている。傍目には最上位魔法ですら詠唱無しで詠唱と同等の威力を放つことが出来る

術式兵装:天雷空壮
効  果:大気を操ること。限定空間内ならば幻影、視覚誤認、気配探知阻害、音声反響、気圧操作
備  考:雷天大壮に風の上位呪文を取り込むことで、相手の殆どの外部器官(目や耳)を封じて詠唱無しのような速さで攻撃が出来る

術式兵装:雷天双壮
効  果:常時雷化が可能

太陽道:自然エネルギー(マナ)を取り込み、魔力・気を回復する。
*追加:マナを操作して相手の思考、意を読み取る。究極の集中力の果てに得られる境地で、この状態になったアスカにはどんな速さも対応されてしまう。但し、相手の心に自分を重ねてしまう為、強い思いに引きずり込まれる危険性と、逆に引っ張ってしまう可能性がある



次回『第76話 熱に浮かされて』



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。