魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第82話 剣の果て

 

 

 

 

 

 

 先を急ぐアスカ一行は邪魔をする召喚魔を排除しつつ螺旋階段を登り切り、墓守り人の宮殿の上層に到達していた。

 この場にはいない真名以外の全員と顔を合わせたアスカが墓所への扉へと近づく。

 

「何かいるでござるな」

「うむ、強い気の持ち主アル」

 

 待ち伏せか罠を疑いながらも先を進むアスカの背中を信じて付いていく一行。

 

「相手は恐らく……」

 

 強い気の持ち主が誰であるかを感じ取った刹那は、手に持つ夕凪を意識して戦意を高める。

 アスカによって扉が開かれる。その先にいたのはただ一人の人間。

 

「ようやく来はりましたか」

 

 何かの台座に腰かけて足を宙ぶらりんに浮かせていた月詠が、当たり前のように立ち上がってアスカ達を、特に刹那を見た。

 

「刹那センパイ以外は先に行っても構いまへんへ」

 

 初めから刹那と戦うつもりだったのだろう。迷いなく自然に鞘を払って太刀と小太刀の刀身を翳す。ちょうど日本刀が入るぐらいの細長い黒地に封印札が張られた麻袋を背中に背負っている。

 

「貴様の相手は私、ということか」

 

 刹那は、修学旅行の一度だけのそれも百にも満たない攻防しか交わしていない月詠が刀を抜いた時点でもはや話し合いはないと分かっているから、自らも夕凪の柄を握って応じる。

 

「ゲートポートで言うてた通り、殺し合いをしましょ」

 

 月詠の、自身の敗北の可能性を全く織り込んでいない余裕が少女の誇りに火をつける。

 

「みんなは先に行ってください。月詠の相手は私がします」

「全員でやれば楽に倒せるぞ」

 

 前に踏み出した刹那の背中にアスカがこの場における最も簡単な月詠の倒し方を明示する。

 事実、アスカが共に戦えば時間は取られるが確実に月詠を倒せるだろう。だが、今は一分一秒が惜しい。真名がそうしたように、刹那も同じことをする。

 

「今は一人に時間を取られるわけにはいきません。明日菜さんを助けるためにも先へ。私も直ぐに向かいます」

「言うてくれますなぁ」

 

 夕凪を手にした刹那が自信満々に自らの方が強いと暗に言っているのを楽し気に聞いた月詠は今にも舌なめずりしそうな表情をしていた。

 

「ここはせっちゃんに任せてうちらは行こう」

 

 最初に刹那のパートナーである木乃香が言って走り出す。

 

「待ってるからな、せっちゃん」

「はい、先に進んで下さい。直ぐに追いつきます」

 

 横を通り抜ける時に二人は信頼の目を交わし合い、遅れてアスカ達も走り出した。通すと言っても信用できない月詠を警戒しつつ、木乃香を護りながら横を通ってアスカが最後尾を守護しつつ大広間を抜けていく。

 アスカ達が完全に見えなくなるのを確認して、刹那は一時も視線を自身から外そうとしない月詠を見る。

 

「お前のことを聞いた、月詠。時坂のことも、お前が生み出された経緯も、そして時坂にしたことも」

「つまらんことしてますな」

 

 自身に纏わる話を一刀の下に切り捨て、数歩刹那に歩み寄った月詠は表情を消して対峙する。

 

「もう、終わった話ですわ。今のうちはただの月詠。時坂とはなんの関係もありません」

 

 一足一刀。剣士ならば一呼吸で他人を切り伏せられる間合いは二人の場合、優に十メートルを超える。迂闊に踏み込んだ者は痛みさえ感じずに両断されるに違いない。

 

「初代青山もか?」

「ええ」

 

 遥かな昔、侍達は刀を抜いた時点で殺し殺されることを当然のように受け入れたという。それは武士としての心構えからではない。刀の柄を握った瞬間に彼らは覚醒するのだ。殺し合う為だけの肉体、生き残るためだけの頭脳に。

 

「血沸き肉躍る闘争こそが我が故郷。言葉は無粋なりて、ただ剣にて語れ」

「剣、か」

 

 試合の前に気を引き締める、などというレベルの話ではない。彼らは刀を抜くことで、精神の切り替えを行っている。その領域に二人は既に至っていた。

 戦うしかないことは分かっている。だが、どことなく刹那はやり切れなかった。まるで姉妹と殺し合わねばならぬ不条理に苦しんでいるような感じというべきか、刹那自身にもこの気持ちの正体が今一つ良く分からないのだ。

 刹那と違って月詠は二刀を使うといっても互いに同じ神鳴流。ならば、偶然の介在する余地は限りなく薄い。獲物の差はあれど、純粋な実力の差こそが両者の命運を分けるに違いなかった。

 

「……………」

 

 刹那の吐息が細くなっていく。それに伴って、二人の神鳴流剣士の周囲には沸々と戦意が滾り、五体を取り巻くように気が湧き上がっている。

 互いの気は、如何なる形をとって喰らい合うか。

 両者の全身が強張る気配が、音もない戦いの開始の合図だった。

 

「「――はっ!」」

 

 気合の声は一瞬。刹那が目にも留まらぬ速さで抜刀した夕凪から、月詠は既に抜いていた太刀を振るって、凄まじい二つの紫電が生まれた。

 どちらも神鳴流奥義・雷鳴剣を選んだのは、最速で最大の威力を以てまずは戦いの主導権を得ようとした結果だっただろうが、同時に二人の思考の同一性をも示していた。

 紫電が激突し、技量に見合った爆発が互いの中心で炸裂する。二人は神鳴流剣士として限りなく完成に近い領域に至っており、それ故に結果を待つことはしなかった。

 

「以前とは見違えるほどに腕を上げましたな、センパイ」

「貴様こそ、更に練磨されたようだな」

 

 またもや同時に踏み込んで斬撃を浴びせるタイミングが同期していた。

 両者の中間地点で太刀と太刀が火花を散らし、この衝突で二人は相手の強さが自身とそう変わらないことを理解する。

 

「月詠! これほどの腕がありながら何故外道に堕ちた! 幾ら初代青山の記憶があろうと――」

「刀を持つなら刀で問うべきやで先輩。うちを打ち負かしてから改めて訊けや!」 

 

 月詠は刹那の放つ問いに攻撃で答える。

 攻守は目まぐるしく入れ替わり、刃速は互いの剣が触れ合うたびに加速していく。衝撃が肩から伝わり、全身を痺れさせる。皮膚が、骨が、細胞が、血液が、身体の中にある、あらゆるものが斬撃によって振動する。

 

「シャァァァァァッッッッ!」

「ハァアアアアアアアアア!」

 

 裂帛の気合と共に、まるで弾幕のような連続攻撃が斬り結ばれる。食いしばった歯の根から二人の口腔を鉄の味で満たす。

 

「貴様の剣が鳴いているぞ!」

「何を阿呆なことを!」

 

 剣がぶつかり、鍔が競り、また剣が打ち合う。火花の散る鍔迫り合いは互角に終わり、刹那と月詠は互いに距離を取る。そして直ぐに地を蹴り、再び刃を重ねる。

 斬撃を放ち、斬撃が来ることを予期して受け止め、更に受け止められることを予測して太刀筋を変える。

 激突する度に凄烈な金属音が幾重にも鳴り響く。命を削るように響く音が二人の太刀筋の凄まじさを物語っていた。

 どちらも得物を完全に使いこなし、間合いを十分に心得ている。

 月詠の剣は二刀である分だけ速く、そして目まぐるしく変化した。足を使って立ち位置を常に変えつつ、左上かと思えば右下、頭上かと思えば突きが、刹那の首を刈りとろうして風に悲鳴を上げさせた。

 刹那の剣技は一撃一撃が重い。神鳴流が想定している敵とは人間よりも遥かに強固で強靭な魔であるが故に、如何なる堅牢をも断つ威力を持つ。だが月詠はリーチで太刀の刹那に軍配が上がる中で、驚異的な踏み込みと太刀と小太刀のリーチ差を考慮した攻撃によって本来の威力を発揮する前に巧みに受け流していた。

 まともに打ち合えば一撃で折れそうな小太刀で受けながらも歪み一つ生じた気配がないのにはそんな理由があった。

 

「この!」

「なんつう力ですか……!?」

 

 だが月詠にそれほど余裕があるわけではなかった。自分とさほど体格の変わらない、世間一般で言えば痩せて小柄な刹那の体から信じられない剛剣が繰り出されてくる。それらを自ら危険地帯に踏み込んで一つ一つ捌きながら背中に冷や汗を掻いていた。少しでも仕損じれば瞬時に左右で斬り別れることは間違いなかった。

 

「ははっ」

 

 しかし、月詠は寧ろそのような感情自体を喜んでいた。彼女が求めるのは、ただ血と戦のみ。弱者を斬り殺すのにも楽しみはあるが強者を斬り殺すのに比べれば満足度は段違い。それが彼女が同類と思った刹那であれば尚更。

 

「ハァァァァァッ!」

 

 抑えても抑え切れぬ狂笑を浮かべた月詠が宙を駆けた。

 

「行きますえ!」

「来い!」

 

 瞬動と虚空瞬動を併用して息つく暇もない乱撃が刹那に迫る。単なる力任せではなく、全てが基本に忠実で必殺の威力を誇る。刹那の夕凪に比べれば軽く細い二刀で、月詠が休みなく攻撃を繰り出し続ける。拮抗していた。寧ろ、月詠の間合いで攻防が続いている。

 

「流石の技だ!」

 

 月詠の恐るべきはスピードでも二刀を操る技術でもなく、無限とも思える手数を有する繰り出す技にあった。何種類もの突き、何種類もの斬撃。三重、四重のフェイント、縦横無尽のステップ。

 

「よう受け張りますな!」

 

 しかし、刹那は体捌きと夕凪の切っ先を右に左に揺らすだけで払いのけてしまう。彼女の太刀は月詠の太刀と小太刀よりも遥かに長く、そして重いはず。にも関わらず、完璧な防御を披露してみせる。しかも時折、カウンターの一撃を打ち込むのを忘れない。

 

「力はセンパイの方が上ですな」

「そういう割には余裕がありそうだ」

「まだまだこの程度では終われませんから!」

 

 この反撃を月読は巧みに防いでいたが、かなりギリギリだった。同じ神鳴流でありながら対人を主眼とした邪道の月詠と退魔を主眼とした正道の刹那。こと対人戦においてはより特化した技術と経験を積んでいた月詠が上回るはず。

 

「そうでなくてはな。この程度では、チャチャゼロさんの方が遥かに凄かったぞ!」

 

 刹那がこうも拮抗出来ているのは、魔法世界に来る前に重ねたエヴァンジェリンの初代魔法使いの従者(ミニステル・マギ)であるチャチャゼロとの模擬戦の数々と、夏休みに集中的に行われた青山鶴子の強制修行があったからである。

 身長70cmほどの人形で茶々丸の姉に当たる彼女は中世の百年戦争時代からエヴァンジェリンと行動を共にしており、魔法使いタイプである彼女を守るため数多の敵に立ち塞がった前衛として経験は筆舌にし難い。多数の刃物使いで自分の身長以上の刀も振り回す彼女の剣術は我流でありながら千変奔放。対人戦の経験が不足していた刹那にエヴァンジェリンが用意した彼女は、型に囚われず、ただ斬るためだけに特化した技術は正に天敵。

 常に予測外と予想しても防ぎきれない攻撃を仕掛けてくるチャチャゼロに比べれば、相性が悪く二刀流といっても神鳴流の流れが残っている月詠の剣に追いつくのは不可能ではない。

 更に夏休みの鶴子とのマンツーマンでの修業、魔法世界での実戦は確実に刹那のレベルを上げていた。

 

「はあっ!」

「せいっ!」

 

 同じ神鳴流剣士、攻撃と防御、どちらにも隙がない。

 これほど実力が拮抗した相手に、どうやって攻め崩すのか。

 重要なのは観察することだ。際どい勝負の場に立つ時ほど、目と頭が冴える。敵の一挙手一投足。表情。視線。

 勝機に繋がる気配は一つも見逃さない。敵の性格を見極め、思惑を読み、行動を見定める。観察し、考える。人であれ、悪魔であれ、妖怪であれ、どんな存在であれ、どんな強敵でも性格さえ把握できれば対策は立つ。

 

「シィッ!」

 

 顔面、側頭部、左肩、腿、脇腹、心臓、頚動脈、右手首。それらの部位を狙って互いに遠慮呵責は一切なく、疾風迅雷の斬撃で続けざまに攻め立て、受け止め、斬り込む。

 月詠は太刀が近づくたびに体を揺らし、双刀を盾にして避けていく。

 二人が激しく切り結ぶ。自分に向いた流れを察知して一気に勝敗を決しようと迫る。月詠も押されてはいない。必死に踏み止まり、押されては押し返す。

 刹那の夕凪が月詠の小太刀を跳ね返し、返す刀で斬りつけて来る。月詠は敵の切っ先を刀身で逸らすと、刃先を滑らせるようにして横薙ぎに走らせた。

 超高速で剣戟の応酬が交わされる。刹那の夕凪が月詠の太刀に阻まれ、月詠の小太刀が戻した刹那の夕凪に弾かれる。

 刹那と月詠は、互いの得物を防ぎ、弾き、斬り付け、受け止めては攻撃に転じるを繰り返した。得物がぶつかり合うたびに重低音が鳴り響き、鮮やかな閃光の火花が星屑のように飛び散って散る。剣戟の余波が足場を突き抜けていく。

 遂には足場が耐え切れずに根元から圧壊していく。

 

「「!」」

 

 予想外の事態に同時に後方へ跳び退る二人。

 しかし、瞬き以下の間に全く同時のタイミングで鋭い呼気を吐き出しながら空を蹴り抜いた。

 遠い間合いを一瞬で踏破して野太刀と太刀が衝突する。火花と、武器に込められた気が二人の闘争と狂悦に染まった顔を一瞬だけ明るく照らす。

 金属がぶつかり合ったとは思えぬ轟音が戦闘再開の合図だったとでも言うように、一気に加速した二人の剣戟は激しさを増していく。共に同じ流派、互いの手の内は知り尽くしている。気の閃光が迸り奔流となる。それは二人の意志のぶつかり合いを象徴するかのように。

 その最中で、刹那がふっと身を屈め、水面蹴りの要領で柔軟に足を回す。

 

「――――何っ!?」

 

 月詠の左脚に、刹那の足が絡みつく。

 ここまでほぼ手に持つ得物だけに限定された攻防に思考の死角を突かれ、一気に体勢を崩される。しかし、月詠は小太刀と太刀の二刀流で斬りかかりながら、体当たりで刹那を突き飛ばすことで回避と攻撃を同時で行った。

 逆に刹那の体勢が致命的に崩れる。

 

「くっ……!」

「もらったで!」

「舐めるな!」

 

 体勢を崩したそこに月詠が無数の斬空閃を放ってくる。空を切り裂いて迫る風の牙。対する刹那もまた、溜めた気を夕凪に込めて振り抜いた。

 月詠が放った無数の斬空閃と刹那の一筋の斬空閃が激突した。互いの気斬が気の刀身を削り合い、接触点から眩い火花が乱舞して辺りを照らし出す。キーンと激しい耳鳴りのような音が聞こえた。

 刹那も月詠に勝るとも劣らない速さで横に動く。剣術というより舞踏――――――――――フラメンコにも似た躍動的なステップで、仇敵の接近を避けようとする。それを追う月詠の足捌きは、膨大に撒き散らす気とは逆に滑るような摺り足。氷上を追うスケートで走るかのような滑らかさで、刹那の軽やかなステップに追いすがる。

 刹那は上回る月詠の速さを食い止めるために夕凪を振るう。単発ではない。首筋、胴体、脚を狙った必殺の三連撃。

 それを太刀と小太刀が、楽器の調べにも似た美しい金属音を立てながらリズミカルに打ち払っていく。狂気に落ちた心とは別に月詠の剣捌きは美しく、的確で、精妙に、刹那が操る太刀を軽やかに弾き、もしくは受け流してしまう。

 だから刹那は、無理に攻めなかった。夕凪だけではなく、足を出す。狙いは月詠の足の甲。そこを踵で踏み砕こうと、刹那は思い切り足を踏み下ろした。

 

「ええですよ、センパイ。その今までみたいな綺麗にお高く染まった剣だけやなくて全てを使ってウチを倒そうとっていう気概。前に戦った時よりも遥かにゾクゾクしますえ!」

「ふん、貴様に褒められても嬉しくともなんともない!」

 

 踵を避けた月詠は言葉通り艶然と微笑み、攻撃を避けられてやや後退をした刹那は向けられた好色に満ちた視線を振り払わんと再度踏み込み、夕凪で月詠目掛けて全力で斬りつけた。しかし、太刀で見事受け止められてしまう。野太刀と太刀を重ねて、二人の少女は鍔迫り合いを開始した。

 

「ぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「ぁああああああああああああああああ!!」

 

 斬り合い、打ち合いを続けていれば、互いの間合いは自然と詰まっていく。そうでなければ組み打ち、足がらみを仕掛けるのは剣術の常道である。

―――――斬! 斬斬! 斬斬斬! 斬斬斬斬! 斬斬斬斬斬! 斬斬斬斬斬斬斬斬斬!

 そのまま、真正面から切り込み合う刹那と月詠。

 小太刀を大上段から振り下ろす月詠。大して刹那は夕凪で稲妻の鋭さで中段の剣を叩きつけて来る。小太刀を夕凪の柄が受け止める。剣と剣が正面衝突し、そのまま再び、真っ向からの鍔迫り合いになった。

 普通の剣なら、こんな乱暴な激突をさせれば、直ぐに刃が欠けてしまう。

 

「やるな、月詠」

「やりますな、センパイ」

 

 だが、気で強化された武器に、そんな心配は無用。この程度でどうにかなるほど柔な造りではない。鍔迫り合いのまま、両剣士はニヤリと笑みを浮かべ合った。

 

「はっ!」

 

 月詠が双剣を使った光線のような斬撃を繰り出す。並みの剣士であれば、自覚がないまま十の肉片に分割されているだろう。

 対する刹那は、それを見事に防いでいた。避けるでもなく、一つ一つを正確に打ち落としている。基本に忠実な動きだが、それだけに隙が無い。一瞬でも見切りが狂えば致命傷となる身の毛もよだつ攻防だ。

 

「くっ……」

 

 そこから更に月詠は体当たりの要領で踏み込み、もう一刀を叩きつけて刹那を夕凪ごと吹っ飛ばした。

 

 すると刹那は吹き飛ばされた勢いを利用して、そのまま白鳥の如き白い翼を背中から出して文字通り鳥の如く高みを舞った。当然、月詠も空を跳んで刹那を追う。

 

「残念だが、(ここ)は私の領域だ」

 

 魔法や気を使えば人も生身のまま空を飛べる。だから人間は忘れてしまう。人間は空を飛ぶことに適していないのだと。

 

「私が持つ全てでお前を倒そう!」

「うちの持つ全てでセンパイの翼を剥ぎ取ったるわ!」

 

 跳び上がった月詠を狙って、刹那が猛禽のように舞い降りていった。

 甘い、と言いたげな不適な微笑が刹那の口元に浮かんだ。彼女の使う飛行の術は、魔法や気を使って飛ぶ者達のそれを大きく上回る。より速く、より高く、より遠くに飛び、時には慣性の法則さえも半ば凌駕する。彼女には常人が持ちえぬ翼があるのだから。

 

「ぬっ!?」

 

 いきなり落下の勢いが止まった。空中でブレーキでもかけたかのように刹那の落下は急停止し、予測していた動きを外された月詠の太刀は空を切った。

 斬り込んできた月詠をスカした刹那は、再び落下を始める前に羽を羽ばたかせて素早く背後に回り込んで夕凪を振り下ろす。

 狙われている部位は右肩。この速度と間合いでは受けるのも、避けるのも難しい。跳躍の勢いと全体重を乗せた剣が、月詠の右肩から左腰にかけて深々と切り裂き、抉り取るはずだった。月詠が双刀使いでなければ。

 考えるよりも早く体が判断して、自ら持つ太刀ともう一刀の小太刀で合わせると、小太刀を叩き折られながらそのまま真横へと押した。軌跡が折れ曲がり、肉と骨の変わりに皮一枚だけを薙ぎ斬る。そしてその力の反作用が月詠の体を一歩分の距離だけ前方へとずらさせた。

 刹那の目が僅かに驚愕する。けれどそこには動揺はない。隙らしい隙は生まれない。互いの手傷は致命傷には及ばず未だ戦闘続行可能。冷静に回避行動をしたばかりの月詠の背中に蹴りを見舞った。

 

「がわっ!?」

 

 上から踏みつけるような蹴りを食らって、壁に向かって投げて跳ね返って来るボールのように落ちていく。

 

「―――――はっ!」

 

 落ちる月詠に向かって刹那が夕凪を振り切ると、剣筋に沿って気の斬撃―――――斬空閃―――――が凄まじいプレッシャーとなって月詠を襲った。

 月詠の小太刀は半ばから折れ、本人も使えないと思ったのか放棄した。今は刹那と同様に太刀を両手で握るスタイルに変更した。

 月詠に植え付けられた記憶の持ち主である初代青山は野太刀一刀流の遣い手。初代を追い払うために為に二刀流を手にしたので、記憶の中の時間では二刀流よりも一刀流の方が長いので手に良く馴染む。違和感はさほどない。

 

「斬空閃!」

 

 天罰の如く振り降りる気の斬撃の刃に同種の技を放つ。が、完全に二刀流の剣士となっていた月詠が今更一刀流を扱おうとも体が思うよりも上手く動いてくれない。気の問題でも技の問題でもない。二刀だった者が一刀に持ち替えたからといって都合良くいくはずがない。

 

「!?」

 

 二刀で放つ時よりは一撃にパワーはあったが刹那の斬空閃の前に及ばなかった。自らが放った斬空閃が掻き消されたのを見て、振り下ろした太刀の持ち手を逆手に変えて振り上げて、もう一度斬空閃を放ってぶつけたことでなんとか相殺出来た。

 

「二撃でようやく相殺か…………うちの倍のパワーがあるってことかいな」

 

 元来、人の身よりも強靭で巨大な妖魔を対峙するために生まれた神鳴流は一撃のパワーがある。反対に月詠の二刀流は対神鳴流とも呼ぶべき、パワーよりも小手先の技術や速さが信条だった。

 一撃のパワーで劣るのは仕方のない話であったが倍近い差があるとなると忸怩たる思いが心中に生まれた。

 

「ここで終われ、月詠!」

 

 思いを外に吐き出す前に白翼を羽ばたかせて距離を詰めてきた刹那の一撃が、水平に構えた太刀と激突した。

 

「くふっ……!」

 

 その衝撃で一辺に数十メートルも押し込まれた月詠は、それでもどうにか虚空で両足を踏ん張って鍔迫り合いに持ち込んだ。そのまま無様に空から転げ落ちるなんてことにはならなかった。

 

「ッ!?」

 

 風が動いたと、そう月詠の頭が気づくよりも先に、残った太刀が動いていた。

 鋼が鋼を噛む、鋭い金属音。意識が危険に気づくよりも早く、反射神経が右手を撥ね上げていた。握り締めていた太刀が、それこそ旋風か何かのように飛び込んできた刹那の夕凪を受け止める。

 

(うちの予測を超えた!?)

 

 刹那の勢いは止まらない。第二撃、三撃。夕凪の白刃が煌めいたかと思うと、次の瞬間には襲い掛かってくる。その一撃一撃が、まるで斧のように重い。

 まずい。月詠は頭の隅でそう判断する。予想以上に刹那が実践慣れして、修学旅行の頃と比べて格段に実力を上げている。神鳴流の太刀筋は変わらなくとも、実践を重ねた乱撃は月詠をして驚異の一言に尽きる。一撃一撃の力と速度が尋常ではない。

 意地で防ぎきっているが、こんな凌ぎ方では長くはもたない。そしてそれ以前に、戦いというものは攻撃を凌いでいるだけで勝てるものではない。

 考えるよりも早く体が動く。

 

「はぁああああああああああああああああっっ!!」

 

 全身に全力の気を滾らせて、太刀を撃ち振るって刹那から距離を取る。

 

「させん!」

 

 しかし、刹那は暴風な勢いで襲い掛かってくる。開いていた距離を一瞬で踏み潰し、巨木も切り倒さんばかりの勢いで夕凪が振り抜かれる。体勢が整っていない。受けても弾き飛ばされて、余計に体勢を悪くするだけだから受け切れない。

 

「言ったはずだ。私の全てで貴様を倒すと」

 

 鋼と鋼が噛みあう鋭い音。

 

「半妖の私の方がパワーは上だ!」

 

 自身が異端であることを受け入れている刹那が叫ぶ。

 気で強化される腕力の量は、むろんその個人が抱える気の総量によって決まる。元々の体格や筋量から生まれる力など、そのイカサマ染みた圧倒的な力の前には端数も同然だ。力を込めた剣撃を打ち合わせる度に、パワーで劣る月詠の小柄な体が反動で吹き飛ばされる。

 気で増幅された大きな力のぶつかり合いで、体格も気の総量も劣る月詠では支えきれない。

 

「はぁあああああああああああああ!!」

 

 吹き飛ばされる度に、中空で体勢を立て直す。着地と同時に杭を打ち付けるような勢いで地面を蹴り、開いてしまった間合いを詰め直し、次の一撃を加える。

 何度も何度も、それを繰り返す。

 掬い上げるような鋭い斬撃を、月詠は身を退いて躱した。間一髪だ。遅れた髪が切断され、ハラリと空を舞っていく。

 

「斬岩剣!」

 

 激烈なる踏み込みと共に神鳴流の奥義の一つ斬岩剣が振るわれる。

 上段の構えから剣先に気を集中させて、一気に振り下ろされた夕凪を皮一枚で躱した月詠が、刹那に体当たりをかける。倒れざまに振り上げられた夕凪の切っ先が月詠を掠め、頬を裂いて飛び散った血が花火の如く閃く。

 

「ふっ――!」

 

 堪らず、月詠が逃げるように跳躍する。

 それをも、刹那は見透かしていた。

 

「斬空閃!」

 

 空中へ逃げた月詠へ、横殴りに気の斬撃が襲い掛かる。

 戦士としての本能がこの一撃を食い止める。しかし、刹那の剣撃は一撃ではなかった。

 

「おおおおおおおっ!」

 

 ただの一撃で月詠を葬ろうとするほど、刹那は浅はかではなかった。

 放たれるのは斬空閃が六つ。間断さえおかない縦横無尽に走る連撃。

 左右縦横、直線曲線を描いて襲い掛かる気の刃を、辛うじて手持ちの全ての護符で受けることで相殺しきった。だが、これすらも布石。無防備を晒す月詠の胴体に、とうとう躱しきれなくなって斬撃を受けた。

 

「ぐっ――」

 

 押し殺したような悲鳴が聞こえた。

 体の前面に服を切り裂いて幾重もの紅い線が走っており、裂傷から紅い雫が噴水のように辺りに撒き散らされていく。

 

「その傷では勝負は見えた。負けを認めろ、月詠」

 

 勝者の余裕を垣間見せ、着地した月詠に宣言する。

 太刀を地面に突き刺して斬られた部位に治癒符を張り付けるが即座に治るわけではなく、戦闘で酷使すれば傷は広がるだろう。勝負は最早決まったようなものである。

 

「このままでは、勝てまへんなぁ」

 

 そう、このままでは勝てない。ならば、その背にある奥の手を使うのだと月詠は嗤った。

 

「勝負はまだまだこれからですわ」

 

 ゆっくり流れる時間の中で、月詠が背中に背負っていた麻袋を体の前に持っていき、張られていた封印札を剥がし、袋の口から年季の入った柄を押し出す。

 そのまま流れるような動作で刀袋を置いた左手で柄を掴み直す。

 

「姿を見せい、ひな」

 

 静かな呟きと共に刀が抜き放たれる。抜刀と同時に凄まじい黒一色に染まった気が月詠の持つ日本刀から迸る。

 右手で優美な刀身を一気に引き抜く。日本特有の乱れた波紋が、窓から微かに差し込む外で輝く魔力の光を受けてユラユラと揺れて見えた。その揺らめきは光と大気の加減によるものののはずなのに、波紋自体が動いているように思えた。

 鞘から抜き払った月詠の目は閉じられていた。だが、眼光よりもハッキリと、刀の冴えが剣鬼の心を映した。

 

「!?」

 

 刹那は眼を見張った。

 月詠が右手に持っている刀を以前に見たことがある。幼き頃、師である青山鶴子が教訓として見せた東に伝わる魔剣。妖刀ひな。過去にひなを手にした剣士を相手に、神鳴流全剣士が絶滅の際にまで追いやられたという逸話を持っている妖刀。

 

「月詠………………なぜ貴様がその刀を?」

「ウチが京都を出たのはこの刀をかっぱらったからや。どうやら最期を齎したこの刀に惹かれてしまったようなんですわ」

 

 錯覚かと思うほどに月詠らしくない苦い笑みを一瞬だけ浮かべたが、直ぐに消え去ったのでひなに目を奪われていた刹那は気付かなかった。

 

「嘗て剣士ですらない男が手にしたこの妖刀ひなによって神鳴流を滅ぼされかけた。今のウチが使えばどれほどのもんになるんやろうな」

 

 マズイ。冗談ではなく、何の余裕もなく本気でマズイと感じていた。

 月詠は確かに強い。刹那が押しているように見えるが、目に見えるほどのハッキリとした差はない。でも、あの刀は別だ。そもそもあれは、魔力も気も使えなかったただの剣士が隆盛を誇っていた神鳴流を壊滅させかけた妖刀。

 肌で感じる気の上昇に圧倒される。まともに闘っても対処のしようがない。

 

「今更何を驚いてはるんですセンパイ? 闇と魔で力を増幅させるのは魔法の専売特許やと思ってはりましたの?」

「力の為に、魔に身を委ねるとは………………月詠!」

 

 月詠の全身から迸る暗黒に染まった気と、その瞳に宿る狂猛な殺気と闘志。命がけの戦いを飄々と楽しんでさえいた剣客の目ではなかった。立ち塞がる敵は全て打ち倒し、殲滅せねば気が済まない鬼の瞳。

 

「力の為? ウフフ、違います。センパイを心ゆくまで味わうためですわ。さぁ、味わせて下さい。センパイの全てを」

 

 嗤う月詠の内側に剣気が篭るのを刹那は見た。

 さざ波の如く、津波の如く、時に弱く、時に強く、剣気は揺曳する。月詠の呼吸に合わせて、その形を変えていく。

 暗黒の気を放つひなを掲げた瞬間、月詠は無造作に刀を振るった。

 剣が消えた―――――いや、消えたように見えた瞬間、刹那は斜め後ろに飛び退いた。そうしなければ、死ぬ。理屈抜きにそう悟り、助走なしで跳べる最大限後方へ、咄嗟にジャンプしたのだ。

 直後、恐らくコンマ一秒にも満たないほどの直後。そこまで刹那がいた空間を、横薙ぎのひなが真一文字に斬り裂いた―――――ように思える。先程よりも遥かに増した剣速に眼が追いつかず、太刀筋も剣も朧にしか見えなかったので、断言は出来ない。

 

「加減が難しいですな。まずは小手調べ」

 

 月詠が言った直後、刹那の頬が裂けた。

 

「な!?」

 

 裂かれた頬から血が噴き出して刹那は始めて攻撃を受けたことを悟った。

 

「どうしたんや、センパイ。さっきとは違って避けることも忘れたんか?」

「ぐっ!」

 

 防御を固めた刹那を嘲笑い、月詠が超速で接近して再度刀を振るう。奥歯を噛みしめて刹那が慌てて距離をとるも次は肩が裂けた。

 

「あはは、ちゃんと避けてくれな!」

 

 標的を逃がしたのに、月詠は陽気に笑っていた。だが、笑う瞳が闇に染まっていることに刹那は気付いた。

 

「月詠――ッ!!」

 

 心の底から湧き上がる全ての感情を込めて、その名を叫んだ。

 あらん限りの力を込めて地面を蹴る。靴底の下で地面が割れ砕ける音が響いたが、そんなことに構ってなどいられない。前へ、ただ前へ。月詠の魂の全てが闇に堕ちる前に、とにかく前へ。

 月詠が動いた。迸る闇によって刀身すらも定かにならぬひなを握って、圧倒的な速さで刹那の前に立ち塞がる。

 

「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 気は現実を歪める。単なる人間の体の内にある気は、宿命的に逃れられない現実を容易く破壊する。本来ならば持ちえない筋力。本来ならばありえない耐久力。それらが単なる人間にはありえない、暴風の如き斬撃を可能にする。

 目の前に立ち塞がる闇に向かって、野太刀の刀身を上から叩きつける。

 神鳴流奥義を放つレベルの気を込めて叩きつけられた斬撃はビルを真っ二つにするだけの威力を持っていた。生身の人間の膂力では決して止められない一撃。刹那が放ったのは、そういう一撃である。ひなを出す前の月詠であれば、双刀で受けようとも纏めて叩き折れたはず。

 なのに、ひなを持った月詠は、この一撃を蠅を追い払うように簡単に正面から弾き飛ばす。

 

「!?」

 

 鋭い剣音。激突の反動が、そのまま同じ勢いで刹那の小柄な体を弾き飛ばす。

 全身の骨が砕けてしまいそうなほどの衝撃。全身の血が逆流するような、吐き気を伴う浮遊感。刹那の体が軽々と宙を飛ぶ。

 

「く――っ」

 

 白翼をはためかせて急制動をかけて勢いを殺した。

 その目前に、闇を纏った人影が肉薄する。火薬に弾かれた砲弾にも勝る速度で、ただ真っ直ぐに飛翔し刹那との距離を詰めて来る。言うまでもなく、その身体能力は人が人のままで持ち得るものではない。ひなを持つ前とは比べ物にならない。

 

(これが妖刀ひなの力――――)

 

 突き出される妖刀を前にして悠長に考えている暇はなかった。まともに避けるには体の反応が間に合わず、背後に身を倒すことで無理矢理に回避。

 小手調べで斬られたのとは反対の頬の辺りに熱い感触。避けきれていない。足首に軽い衝撃。バランスを崩したところに足払いを受けたのだと、そう頭が把握した時には、既に天と地がぐるりと一回りを終えている。

  

「が、ぐっ――」

 

 振り下ろされた柄が鳩尾に食い込み、強かに背を打ちつける。呼吸が止まるのを強引に抑え、大きく息を吸う。無理を強いられた肺が激痛を訴えるが、この際知ったことではない。

 ちり、と刹那の首筋で何かがちりついた。反射的に握ったままの夕凪を動かして、防御を固めた。

 その防御の上から暴風が叩きつけられた。

 不意打ちではあったが、奇跡的に反応が間に合った。攻撃を予測しての行動ではない。肉体が起こした反射的な動きである。叩きつけられるひなの軌跡に、夕凪を割り込ませることには成功した。だが、地面を抉りながら繰り出された剣撃を受け止めるには何もかもが足らず、くるくると宙を舞った。

 体と一緒に吹き飛びかけた意識をなんとか繋ぎ止めて考える。握力が受けた衝撃を支えきれず、少しでも気を抜けば持っている夕凪がすっぽ抜けそう。

 

「なぜ貴様は自分から闇に堕ちようとする!?」

「これがうちの望んだことですえ!」

 

 答えるように少女の容赦なく斬撃が迫る。

 受ける度、弾く度、得物を叩き込む度、火花が飛び散る度に全身から力が抜けていく。ただの疲労感ではない。

 

(浸食、されている?)

 

 理屈は分からない。だが、そうだと自覚するなり、月詠の攻撃は更に激しさを増していった。苛烈に、激烈に、猛烈に、淡々と、まるで大木を切る鋸のように激しさを増していく。

 全ての攻撃を防ぐことが出来ず、傷を負う度に内臓が焼かれるような激痛が走った。ダメージと共に自らの動きが鈍っていくのを自覚する。

 

「ああ、気が漲る! 滾る! どこまでも高まっていく!!」

 

 月詠が持っているひなの柄の部分から伝わってくる絶大な力に陶酔しながら叫ぶ。

 握っているだけでも心が昂ってくる。初めて人を殺した時以上の、その時のイッてしまいそうな感情を遥かに超えた圧倒的な陶酔感があった。

 

「時坂も、初代青山も、世界も………………何もかもがどうにでも良くなってきましたわ!」

 

 夢でも、現実でも、どうでも良かった。とにかく、良い気持ちだった。生まれ変わったかのように、身も心も軽い。叫びたくなるほどの解放感があった。これほど爽快な気分にはなったのは生まれて初めてのことだと哄笑にして吐き出す。

 

「あははははは、ぎゃはははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 「ひな」からあらゆる負の感情が荒々しく柄から流れ込んでくる。直接脳に手を捻じ込まれ、掻きまわされているようだったがそれですら月詠にとっては快感だった。

 

「なにが初代青山の記憶も時坂も関係ないだ。本当は気にしてたくせに!」

 

 受けに回って刹那が勝てるはずもなかった。だが、不用意に打ちかかれる相手ではなかった。ひどく死に近い場所に刹那は立っていた。

 月詠が空間を蹴りつけて走り出すと、それに応じるかのように 刹那も羽根を羽ばたかせて一歩を踏み出した。足の裏が虚空を踏んだ瞬間、意識していなかった緊張が全身を痺れさせた。それでも刹那もまた疾走する。

 二人の距離は一瞬で縮まり、突き出された刃が甲高い金属音を響かせながら交差した。

 

「クッ……」

 

 生身で全速のトラックに追突されたかのような激しい衝撃が、手に持つ夕凪から伝って全身を突き抜けていく。刹那でなければ体中の骨が砕けていたに違いない。

 刹那は力任せに夕凪を押し込むと、その勢いを利用して刀を振るった。勿論、その程度の攻撃では月詠の体に傷一つつけることは出来ない。

 後方へと自分から弾かれた月詠は中空で体勢を立て直すと、何事もなかったように突進してきた。ひなを正眼に構え、黒色の光で輝く気が空中に残光を描きながら刹那へと迫る。

 

(速いっ!)

 

 月詠の攻撃は目で追いかけられるような速度ではない。それでも刹那は不思議と反応することが出来た。考えながら対処しているわけではない。今まで培ってきた経験、そして本能が体を突き動かしているのだ。

 月詠が高速で攻めて来るのであれば、刹那もまた高速で迎え撃つ。光速で打ち込んで来れば、光の速さで受け流していく。

 刹那と月詠は何百、何千、何万と攻防を交えていく。その度に一方的に刹那の体にばかり小さな傷が刻まれていった。一つ一つの傷は些細なものである。だが何千、何万と刻まれた傷は、それ自体が致命傷となり得る。

 体中から染みだす血液が刹那から体力を奪ってゆく。それでも気力は衰えず、闘争本能が萎えることもない。むしろ勢いは増しており、体の切れは鋭くなっていた。

 

「ここまで持ちますか。では、一段ギアを上げますで」

 

 ニヤリと笑う月詠を見た刹那の背中に、ゾクリと悪寒が走った。

 ひなに膨大な闇の気が集まっていく。灼けたように刀身が赤々と輝いた。悪意と憎しみを凝縮させ、凶悪な力を放とうとしているのだ。

 

「黒刀――――斬岩剣!!」

 

 ひなによって膨大にブーストした暗黒の気による月詠の黒刀斬岩剣は、一振りで岩をも真っ二つに斬るどころか世界すら切り裂きかねない錯覚を同種の技を放てる刹那に与えた。

 刹那の視界を染める黒い気を撒き散らす剣。

 天より振り下ろされる巨人の剣か。或いは審判を告げるダモクレスの剣か。

 空に浮かぶ月さえ斬り捨てんばかりに伸びた漆黒の巨刃が、一切の遅滞なく、一切の容赦なく、一切の油断なく、あまりにも優美な弧を描いた。理想的過ぎる軌跡を流れた太刀は、逆に緩慢にも見えて、死に行く者に僅かな悔恨の時間を与えるようでもあった。 

 

「斬岩剣!!」

 

 刹那は避けられない距離で放たれた一撃に対して全力を以って迎撃に出た。

 衝突の直後、耳をつんざくような金属同士の激突音が鳴り響いた。と同時、二人を中心にして地面が陥没した。それは二人の斬撃が衝突した余波であり、一目瞭然の破壊力。

 生じた激突は、エネルギーの嵐を巻き起こした。

 断ち切らんとする絶大な力が、匹敵するだけの斥力と衝突してねじくれ、蛇を思わせる蠕動。互いの中間で支えきれなかった圧が、余波となって四方八方へと散る。

 

「―――――ッ?!」

 

 月詠の力のあまりの強さに刹那の顔が歪んで床に膝をつく。

 

「フウゥッ!」

「ぐッ………あ……が!!」

 

 月詠が力を込めるごとに刹那の足元は砕けていき、二人の力の差は歴然だった。

 両手の刹那に対して、月詠は片手である。気のブーストがあるので一概には言えないが、それでも両手の方が有利のはず。にも拘わらず、幾ら刹那が力を込めても微動だにしない。それどころか押し込まれる。

 それが意味するところは一つ。

 刹那よりも、ひなを使ってブーストした月詠のパワーの方が遥かに上回っているということだ。

 撓んで両足が床に沈み、簡単に砕けていく。最初は真正面からぶつかったはずなのに力の差によって上から刹那を沈めるように剣を振り下ろし続ける。

 このままでは力の差に押し切られると悟った刹那が、これを抑えるべく見せた技はまさしく『柔』だった。拮抗していた剣を自分から傾けて力を受け流す。結果、ひなは目標を失って地面へと打ち下ろされた。

―――――百の力で攻めてくる敵に対して、自分が十の力しか持っていなくても、綿が水を吸うように力を吸収し、受け流し、防ぎきる。

 柔よく剛を制すというが、言うは易し。完全な再現は出来なくとも一端ぐらい行う技術を刹那は持っていた。受け流されたひなが地面へ。

 刹那、世界が大きく傾いた。いいや、傾くばかりか、地面ごと滑落したのだ。

 受け流したひなによって百メートルはありそうな円形の儀式場らしき足場が切り裂かれて真っ二つになって大地が爆発した。埋まっていた地雷が炸裂したかのような熱と衝撃。

 

(ぐっ………なんという力だ!) 

 

 爆発に巻き込まれたが、刹那のダメージは少しの火傷と裂傷くらいだった。しかし、爆風と衝撃までなかったことには出来ず、吹っ飛ばされた。余波だけで吹き飛ばされて破壊した岩石の一つに着地し、あまりの破壊力に恐れを抱いた。

 

「もしかしたら、鶴子様以上の――」

 

 感じるだけでも単純な力だけならば今の月詠は宗家…………いや、歴代最強と呼ばれた刹那の師である青山鶴子すらも上回っている。

 耽る暇などない。月詠は、身も心も明敏に研ぎ澄ましながら踏み込んできた。

 月詠が軽やかに腕を振ると、ひながまるで鞭のようにしなって見えるほどの速さで刹那の首筋―――――おそらく頚動脈へと走る。攻撃の気配を全く感じ取らせない自然な動き。しかも、速すぎるほど速い。

 刹那も完全には見切れなかった。半ば勘に任せて首を振り、斬撃を薄皮一枚のところでなんとかやり過ごす。

 

「避けられてしまいましたわ、刹那センパイ」

 

 その狂笑とは裏腹に優雅に双刀を構えながら、月詠は毒花のように甘い眼差しを向けてくる。女の刹那ですら見惚れてしまうほどの妖艶さだった。

 そして、この名をこれほど蜜のように甘く、これほど恋焦がれるように呼ぶ人間は、世界中でも月詠ただ一人である。……………問題は、そんな風に名前を呼びながら、躊躇いなく刀を突き込んで来るところだった。

 

「力にはしなやかさで、剛には柔で対抗するのが武の妙味。しなやかさにはしなやかさで、柔では柔で応じれば如何に」

 

 朗々と語りながら月詠は全身を綿のように緩めた。蛇の如く、蛭の如く、綿の如く、五体と双剣を振る。刹那よりも柔らかく、しなやかに。更に優雅に、緩やかに。

 魔に堕ちながら魔を従える月詠の優美な剣捌き。四つの斬撃を一呼吸の内に放ってきた。

 まず右手のひなで袈裟懸けに切り下ろし、その刀を逆袈裟に斬り上げたと思ったら左の太刀が挟み込むように振り下ろされ、最後は双刀が登頂目掛けて大上段から再び斬りつける。その太刀にもひなの暗黒の気が移っている。

 

(妖刀二刀化……!?)

 

 一太刀でも浴びれば、確実に即死できる。

 最初の二撃を防ぐのが精一杯だった刹那は残りの二太刀を、ギリギリのところで後ろに飛び退き、身体を捻り、もう一度バックステップして、どうにか避け切った。

 足を払いに来たひなによる一撃を飛び退いて躱す。

 しかし、遠ざかった刹那を追い込むようにして、次の短刀による一撃へ。ひなよりも射程距離が短いので突き刺すように短刀が懐に伸びる。

 

「せいっ」

 

 今度は、刹那は退がらなかった。僅かに横にステップするだけの、最小の動きで避けながら逆に月詠の懐へと踏み込む。同時に針のような一突きを月詠の胸元に。

 刹那の意図であるカウンターを察して、月詠は敢えて避けなかった。これはもう間に合わない。刹那の足元を払った右手の手首を捻り、手首のスナップだけでひなはムチのように撓り、刹那を払いのける。

 人間離れした反撃だが、気で強化された肉体、狂気によって戦鬼と化した月詠には造作もない。間一髪であったが夕凪に貫かれる直前で、刹那を弾き飛ばすことが出来た。

 

「ふふっ…………ええですわ。今のウチからであっても、隙あらば命を取りに来れるとは思っていませんでしたで」

 

 攻撃に失敗したというのに、月詠は微笑んでいる。あんな無理な動きをしたというのに彼女の方にダメージはなさそうだ。

 先程までは単純な実力ではほぼ互角。技量では二刀と一刀の差はあれどほぼ互角。パワーでは刹那、スピードでは月詠が上回り、半妖の能力で僅かに刹那が有利といった安パイだった。だが、それもひなの存在によって覆される。

 

「アデアット!」

 

 続けて横薙ぎに振り回されるひなを、刹那は呼び出した『建御雷(タケミカズチ)』で受け止めた。だが、体ごと吹っ飛ばされる。斬撃の威力を殺しきれなかったのだ。もっとも、木乃香の魔力が充填していなければ石剣は粉砕され、刹那の体は両断されていただろう。

 簡単に吹っ飛ばした月詠は宙を跳んでいてる彼女に追いすがり、間髪いれずに襲う。刹那は急激なパワー上昇の鍵であるひなを建御雷(タケミカズチ)で巻き取ろうとしたのだが、上手くいかなかった。

 逆に月詠が巻き取ろうとしたひなと妖刀した太刀を軽やかに振り回した。薙ぐ、薙ぐ。左右の横から、斜め上、斜め下、真下、真上、ありとあらゆる角度から斬りつけ、薙ぎ払い、時には真っ直ぐに切っ先を突き出す。

 その軽やかさとは裏腹に暴風雨のような斬りつける。一瞬の停滞もない、間断なき連続攻撃。さながら鋼の竜巻である。

 

「ぐ………! うっ………!!」

 

 咄嗟に懐から取り出した護符による防御壁を築き上げるも、月詠は打ち崩そうと容赦なく攻め立てる。

 暗黒の気によって増大した圧倒的なパワーとスピードによるひなは速く、鋭く、着実に刹那を追い詰めて行く。正気を失っているようなのに、異様なほど速く月詠が踏み込んでくる。その勢いに乗って、八相の構えから袈裟懸けの一刀を振り下ろす。

 それを刹那は、右手に夕凪、左に建御雷(タケミカズチ)を構え、がっちりと受け止めた。漆黒の妖刀が、雷の神剣と英雄の相棒であった野太刀と激しくぶつかり合おう。両者の接点では火花が散り、暗黒の気と刹那の気+木乃香の魔力が迸る。

 まさに互角の押し合い―――――と見られたが拮抗は一瞬。一種類の束ねられた力相手に二種の相反する力を平行していては叶うはずもない。押され、迫る突き。刹那の体はイナゴの如く後方へ飛んだ。

 

「な、何故だ! 世界が終ろうとしているのに、お前はそこまで魔に耽溺できる!?」

「どちらが勝とうが、この世界がどうなろうが、ウチにはどうでもええことです」

 

 そこで月詠も地を蹴った。

 

「ウチは強者と戦えればそれでええんです。勝った方に闘いを挑めばええだけですから。ふふ、フェイトはんとアスカはんならどっちが勝っても心躍る殺し合いが出来る。想像しただけでイッてしまそうや!」

 

 自分よりも明らかに上位にいる二人と殺し合う想像をして、もはや戦う力が半減した刹那から興味を失いつつあるのか恍惚とした表情を隠しもしない。

 退がる刹那に向けて、駿馬のように突進。すかさずひなで切り払い続ける。怒涛の連撃。何十発と打ち込まれる刃先から、刹那は時に地面を転がりながらも無様に逃げる。その寝転がった体勢から、追いすがる月詠の脛を薙ぐ一太刀。

 月詠は驚異的な反射神経で軽くジャンプして躱し、着地を待たずに突きの軌道で迫っていた。

 

「―――――ちぃっ!」

 

 起き上がりの動作を捨て、更に横に転がって回避。着地の姿勢に入ったのを見逃さずにその勢いで立ち上がると、水平に夕凪を振り抜いた。

 生じたのは剣閃が生んだ気の刃である斬空閃。だが、それは空を凪いだだけで終わった。

 そこにいる筈の月詠の姿がなかったからだ。あの瞬間、虚空瞬動で跳びあがったのだ。今ので追撃を断った刹那も、間髪いれずに立ち上がる。その姿は、服は所々切られ、体中に大小の傷を作っていた。

 

「ハッ! は、ははははは! 凄いですわ。どこまで持つんやろうな!」

 

 感心したようにいきなり笑い出した月詠。ひなの狂気に囚われてからの冷徹な声ではない。修羅場すら飄々と楽しんでみせる、可憐な剣客本来の声音だった。ひなの効力が切れたのかと期待したが、直ぐに勘違いだと悟った。彼女から発せられる気が、より一層に膨れ上がったからだ。

 両手でひなを握り、刹那目がけて切っ先を突き入れてくる。

 

「くっ……!」

 

 刹那は仰け反って攻撃を躱す。顔の上をひなが通過していった。

 体勢の崩れを直す時間を稼ぐために顔の上にあるひなを弾こうと夕凪を振るうも既にそこに存在しなかった。

 月詠は刹那の目論見を予見していたのか、体勢を整える暇を与えぬように次々と切っ先を繰り出した。攻撃を放つひなの刀身が何重にも見えたほどだ。

 

「月詠っ……!」

 

 必死に回避に努めたが防御の隙間を縫うように腕に足にと傷が増えていく。刀身が肉に深々と食い込み、血潮が激しく噴出すると刹那の視界が朱に染まる。

 激痛に耐え、強引に退いて攻撃範囲から逃れる。そのみっともない様に月詠が哄笑を上げる。

 

「もっとや! もっとウチを楽しませて!」

 

 叫ぶ月詠の手中で、漆黒の魔刀が黒色の稲光を発しだす。

 バチバチと火花が散り、黒く放電するひな。古の人々は雷を雷を神々の成せる業と見なしていた。つまり、神鳴流の名の下である雷鳴を「神鳴(かみな)り」というように、気の昂ぶりによって余波だけで雷を発生させているのだ。

 

「!!」

 

―――――一瞬千激・弐刀黒刀雷撃五月雨斬り

 

 黒きオーラを纏いながら強力な斬撃を繰り出す秘剣。ただの一撃で刹那を葬ろうと思うほど、月詠は浅はかではなかった。

一瞬の内に放たれた雷を纏った黒刃は優に千連に及ぶ。その凄まじさを例えるならば、千人もの不可視の剣士に、一斉に襲い掛かられるのに等しい。しかも剣士の腕は自分と同等かそれ以上、剣の一振りずつが世にも稀なる名刀の切れ味を湛えて襲い掛かってくる。

 

「ぐ……」

 

 夕凪だけで受け切るのは不可能と直感して、取り出した持ちうる中で最高位の護符も使って辛うじて防御には成功したものの、衝撃までは殺せなかった。

 

「速さも桁違いか……ッ」

 

 少女の身体が地面と平行に吹き飛び、ひな発動前とは段違いの速さと力に戦慄しながらも何とか宮殿の壁に足からぶつかった(・・・・・)。壁に着地しただけで粉砕しながらも肋骨に激痛が走った。

 確実に折れた。一本か数本纏めてかは分からない。ただ灼熱だけが刹那の脳髄を刺す。こほっと咽た舌に嫌な鉄の味が残った。血の味だと分かるのに、数瞬の時間を要しただろうが、そんな余裕を月詠が与えるはずも無い。

 

「クス……隙だらけですえ」

 

 切れた頭部から流れ出た血によって左側の視界が遮られ、そちらか聞こえた声に振り向いた瞬間には強烈な一撃に防御した腕ごと吹き飛ばされ、壁を崩して墓守人の宮殿から飛び出してしまった。

 月詠の一撃は凄まじくて墓守人の宮殿を飛び出しても勢いは止まることなく、遥か眼下の地表にまで飛ばされて背中からめり込んだ。直ぐ近くに手を離れた夕凪が突き刺さる。

 

「ご……あ、は………っ!」

 

 剛撃に痺れる腕で取り出して発動した護符も、落下の衝撃を和らげることは出来ても激痛を抑える効果までは無い。背中だか脇腹だかも分からず、肉と骨がまるごと焼けるようだった。内臓から湧き上がってきた口から大量の血を吐き出す。

 今にも意識が途絶してしまいそうで、寧ろ痛みに縋りつくようにして顔を上げた。

 視界の先、漆黒の太陽のように暗黒の気を撒き散らしながら向かってくる月詠の姿。まるで神に反逆した堕天使のように―――――刹那の白翼の対となるように撒き散らす暗黒の気が翼のように広がっていた。

 

「まだ沈まんといてや」

 

 痛みに耐えながら無理矢理立ち上がった刹那の耳に囁き声が聞こえたと同時に、月詠が彼女の眼前に移動していた。ブーストした力にモノを言わせたことで空間が破裂したような爆音を轟かせながらも、速さは事実上の瞬間移動に等しい。

 時空を捻じ曲げた如き錯覚と共に、下段から掬い上げられる漆黒の乱れ刃紋。

 ぼっ、と血煙が噴いた。

 刹那の気の防御などまるで紙切れの如く切り裂き、しかし、その一撃は彼女の命脈を断つには浅かった。剣士としての勘か、意思が反応できなくとも肉体が動いて割り込んだ剣のためだった。だが、防御出来たとしても剣から放たれる衝撃までは防げない。背後にあった夕凪諸共に吹き飛ばされる。

 

「この程度で終わったらつまりませんへ!」

 

 笑いながら刃風が跳ねた。盾するために差し出した夕凪だけでは受け止めきれずに弾かれ、刹那の肩口が裂け、服の破片と血を撒き散らす。

 

「――っ」

 

 刹那は、激痛と絶望を噛み殺す。一秒ごとに、勝算の薄さを思い知らされてゆくようだ。

 

「まだだ!」

 

 刹那の叫びに呼応するかのように、手に持つ建御雷の刀身が光を放ち出した。

 

「その意気ですわ」

 

 建御雷を真っ向から迎え撃った掌に伝わる鈍い振動。死を与えるという確かな感触。柄から伝わるそれは掌から腕へ、腕から全身へと波及し、脳髄を痺れさせていく。そしてそれは例えようもない快楽を月詠へと与えていた。

 

「まあ、意気に実力が伴ってませんが」

 

 あっさりと建御雷を弾き飛ばし、逆に月詠の強烈な蹴りが刹那の腹部を深々と捕らえた。

 

「かは……」

 

 刹那の身体が文字通りくの字に曲がり、面白いように吹き飛んだ。一瞬、目の前が真っ暗になり、呼吸機能が停止した。身体全体がまるで雷に打たれたような痛みに襲われた。

 それでも刹那の戦士としての本能は建御雷を手放すことをさせなかった。それが唯一の僥倖だった。

 月詠が宙を飛び、まったく無防備と思っていた刹那に向かって、漆黒の雷を帯電させたひなを横に一閃した。

 ガツンと刹那の全身に衝撃が走る。今度こそ、建御雷を落としそうになった。もし刹那が本能によって建御雷を掲げて防御をすることがなかったら、この斬撃で彼女の身体は間違いなく真っ二つになっていただろう。

 斬撃は防御できても帯電していた漆黒の雷が容赦なく刹那の身体を蹂躙する。

 

「ぐぁあああああああ!?」

 

 刹那の体は紫電に捉えられて、空気の破裂した衝撃でその身体ごと後方に吹っ飛んだ。

 雷に打たれて跳ね飛ばされた人間が、受け身をとって起き上がるところなど早々見れるものではない。一直線に飛んでいった刹那の身体は、勢いよく地面に叩きつけられてそのまま転がってゆく。

 

「はっ!」

 

 更に月詠は、うつ伏せで倒れている刹那の背中に漆黒の気弾を放った。

 

「ぐあ――――っ!」

 

 エビ反りの状態で、悲鳴を上げる刹那。背中全体に焼き鏝を押し付けられたような激しい痛みが走る。気弾が直撃した白翼が焼け焦げ、刹那の背中には火傷の痕がクッキリとついていた。

 

「うう…………ああ…………」

 

 ほんの数センチ先にある夕凪を掴もうと腕を伸ばしただけで、全身を激痛が駆け抜ける。

 

「恨むなら、己が弱さを恨み。弱いからセンパイはこんな目に合うんや」

「があッ、あああああああッ!?」

 

 月詠は冷酷に言うと、刹那の太腿を黒塗りの剣で抉った。灼熱の感触が意識を引きはがそうと荒れ狂う。

 ひなから送り込まれてくる闇に染まった気によって、どうしようもないほどの寒気が襲う。

 血が飛び、とっさに身を躱した刹那は地面に手を付いて転がるのを防ぐ。そこを追撃する月詠の血刀。刹那も反転して避けるが、避けきれずに肌を服を切り裂かれ傷ついていく。

 血煙が更に舞う。

 跳ね上がり、気合でかなり深く足を斬られているのに刹那は立ち上がろうとした。もはやまともに立ち上がることも出来ず、それでも倒れることを拒んで土を掴む。握る夕凪を地面へ突き立てた。血に塗れた唇から荒く乱れた息が漏れ、泥にまみれた頬を伝い落ちる滝のような脂汗の中にもまた赤いものが混じっていた。

 なんとか掴めた夕凪を杖に身を起そうとするが、震える膝は言うことを聞かない。

 

「センパイとのこの三十九分三十一秒………………ウチの一生の宝物にさせて頂きますえ」

 

 戦闘の最中だというのに、月詠は記憶を反芻して愉悦に染まって心ここにない表情をしていた。一方、立っているのもかなり厳しいのだろう。ふらつきながら刹那は月詠をにらみつけている。

 

「貴様に褒められても嬉しいものか」

 

 刹那は険しい表情を、真っ直ぐに月詠に向けて吐き捨て、猛然と挑みかかる。しかし太腿が痛むのか、その動きは明らかにおかしく精彩を欠いていた。

 それを見逃す月詠ではない。

 

「まだ向かって来てくれるのは嬉しいですけど―――――――無様ですえ」

 

 武器すら使わず夕凪を避け、月詠は一切の躊躇もなくひなと太刀を同時に振るう。刹那の両肩が派手に血をぶち上げて夕凪を取り落しそうになる。嘲笑を隠しもせず、技すらもいらぬと言わんばかりに前蹴りで刹那を蹴り飛ばす。

 

「がっ……」

 

 なんとか倒れることだけは避けたが満身創痍に刹那に対して月詠は余裕気に立っている。彼我の戦力差は圧倒的だった。

 

「うちは結局、初代青山の記憶を植え付けられただけのただの子供やった」

 

 一歩ずつ刹那に歩み寄りながら月詠が語り掛ける。

 どうしてか、その眼は闇に囚われていない。或いは完全に堕ちる前の一瞬の正気の発露か、刹那には分からない。

 

「ずっと剣筋に、動きに常に違和感がありましたわ。当然ですわな。幾ら記憶を再現しようとも初代青山とうちは別人なんやから。うちに剣の才は無い」

 

 肉体が違う。魂が違う。

 どれだけ記憶が月詠に定着しようとも、別人である以上はどこかに齟齬が出る。本物の初代青山ならば刹那程度など、直ぐに倒されているだろう。確かに月詠の剣技は優れているが、戦って感じた中では師である鶴子には遠く及んでいないと分かる。でなければ、ひなを出す前に刹那と拮抗した理由にはならない。

 短時間で驚くほど強くなった刹那に比べて、どれだけ修練を続けても月詠は大して強くなれてはいないのだから。

 

「記憶に縛られているのに初代青山ではなく、うちを生み出した時坂も滅ぼしたうちは一体誰なんやろうな」

 

 墓守り人の宮殿で溢れている世界を飲み込むほどの閃光を背中に、月詠は一瞬だけ迷子のような寂し気な目で、傷つき普段のように動けない刹那を見たが直ぐに闇の囚われて堕ちた。

 

「センパイには感謝してますねんで。短い間ですがありがとうございました。ああ、あの世とやらがあったとしても寂しくないですえ。お仲間を一杯送りますから」

 

 今までの刹那との戦いを反芻するように、懐かしむように一瞬だけ完全に闇に堕ちた目を細める。

 

「月詠」

 

 刹那は瞳を憤怒に燃やして吠えた。

 刹那は怒っていた。月詠の現状に、生まれに、そして何も気づいてやれなかった自分に怒りを抱いていた。

 

「センパイを殺した後は神鳴流を滅ぼしましょか。そうすればこの初代青山の記憶も消えるやろ。それでうちは完全に自由ですわ」

 

 その間にも月詠は今までにないほどに気を収束させて奈落そのものと化したひなを振りかぶっていた。トドメを刺す気だ。

 

「お嬢様、お姫様、仲間、世界………センパイには気にするモノが多すぎましたな! 何もかもを切り捨てて自由になるウチに叶う道理がありまへんよ!!」

 

 気が無尽蔵であろうと技量が一流であろうと、心の隙が、絶対なる一に成れない弱さでは絶対に勝てないのだと証明するように、吹き上がる叫びは歓喜だったか、激怒であったか。

 突進はもはや何の技術も行使されていない。しかし、その速力は以前の比ではなかった。

 

「はァァァァァァッ!!!」

 

 闇が膨れ上がった。圧倒的な闇の奔流が、か弱い光を飲み込もうと迫る。

 膨れ上がった剣の有様は、まさしく天から振り下ろされる神罰の剣か。

 

「ああ……」

 

 空さえも斬り捨てんばかりに伸びた漆黒の巨刃が、一切の遅滞なく、一切の容赦なく、一切の油断なく、あまりにも優美な孤を描いた。理想的すぎる軌跡を流れた太刀は、逆に緩慢にも見えて死に逝く者に僅かな悔恨の時間を与えるようもであった。

 

「――――――」

 

 流れ出た血、邪法といえど届かない高みに至った力の差による絶望、全身を苛み続ける痛みが刹那の意識を茫洋にさせる。

 防御をし、反撃もしなくては。そのための技を、桜咲刹那は幾つも身につけている。千変変化・変幻自在の剣技を駆使して迎撃するのだ。しかし、刹那の頭から思い浮かべた技が全て消えていった。ひどく緩慢になった時間の中で、刃がぐんぐんと大きくなり、脳内を鳴らす警鐘とは裏腹に刹那の腕は剣を構えることを止めた。

 思い浮かぶのはナギ・スプリングフィールド杯の決勝でネギと戦ったアスカの姿。動体視力、瞬発力、思考力、機動力、速度等の全ての性能において劣っていながらも最終的に勝利した。

 力で劣り、速さで劣り、技で劣り、練度で劣り、経験で劣る。ネギと戦ったあの時のアスカよりも条件が悪い。刹那にはアスカ程の技術も何もかもがない。

 木乃香の優しさに触れて救われ、アスカの容赦のない強さに怯え、明日菜の辿り着いた答えに感動した。

 だらりと剣を下げる。構えるべきではないのだ。攻めるべきでも防ぐべきでもない。ただ心の赴くままに剣を動かせばいい。これは謂わば無の構えだ。無であるが故に、無限の変化を生み出せる。変幻自在ではまだ足りない。簡素にして変幻無窮。陰と陽を極めるが如く、矛盾する二要素を渾然一体に。

 後はただ、無心に。無念無想。何も念じず何も思わず―――――。

 刹那はアスカのように自らの力でその領域に入れたのではない。至ったアスカに話を聞き、強敵たる月詠の存在と守るべき木乃香と救うべき親友である明日菜がいることで、恐らくこの先の人生では決して届かないかもしれない剣の極意へと片足を突っ込んだ。

 そこへ、月詠が奈落を背負って真っ直ぐ突き込んでくる。刹那の気の防御も意味を持たぬ。一瞬後の少女は、嵐の前に濡れた紙切れよりも呆気なく消滅するだろう。

 しかし、刹那は全く臆することはなかった。

 

「――――それが私とお前の違いだな」

 

 刹那は無想のまま、右手に持つ夕凪で擦り上げるような一太刀を繰り出した。これば上手く決まれば、下からの斬撃を受けてひなは高々と宙に跳ね上がるのだが―――――。 

 硬質の金属音が響く。高々と宙を舞ったのは、刹那の夕凪の方だった。その刀身が半ばから折れていた。

 

「違い? そうおすなあ、それが結局、ウチの勝因かもしれまへんなあ」

 

 ひなの軌道を変えることには成功したものの、武器は折られて弾き飛ばされ、右肩に浅くない傷を負った。切り裂かれた肩から血が噴出し、刹那の顔が血に彩られる。

 月詠の攻撃はまだ続く。肩を切り裂いた行動から繋ぐように首を薙ぎ払うような一撃。これを何とか躱すものの続けて放たれた振り下ろしは避けることは出来ない。

 

「いいや――」

 

 月詠は刹那が手を伸ばせば届く距離の地面に突き刺さっている建御雷で受け止めると考えた。他に武器はなく、避けることが出来ない刹那に取れる選択肢は建御雷で受け止めるしかないのだから。

 だが、だからこそ次に取った刹那の行動は彼女の裏を掻いた。

 

「違う」

 

 なんと、あろうことか刹那は唯一の選択肢である武器を手にすることなく無防備にも月詠に自分から近づいた。そしてその身だけで突っ込んだ。

 何も考えていなかった。何も考えられなかった。身体だけが、ただ前へ前へと突き進んでいく

 

「甘い、甘すぎるわセンパイ――――ッ!!」

  

 そんな無策が通用するほど月詠は甘くない。振り下ろしの途中で無理やりバックステップ。懐に飛び込まれる前に刹那が突っ込んで詰まった分だけの距離を開けた。

 これでひなは脳天を唐竹割りして纏った黒雷が刹那を跡形も消滅させることが確定した―――――はずだった。

 月詠は一つだけ勘違いをしている。

 

「言い返そう。繋がることを見縊ったことがお前の敗因だ、月詠!」

 

 刹那は決して一人で戦っているのではない。彼女の傍には何時だって親友の木乃香がいる。刹那が使っている建御雷は彼女との仮契約によって引き出されたアーティファクト。刹那の危機に木乃香は何の合図もない状態にも係わらず要求に答えて見せた。石剣にしか見えなかった建御雷は魔力を充填することで巨大化した。

 

「なっ?!」

 

 そう、巨大化した建御雷は期せずして『ひな』を一瞬だけ受け止めた。言葉を交わさず、眼も交わさず、意志すらも交わさず、そもそもその場にすらいない木乃香に状況が分かるはずがない。 なのに、刹那が最も欲しいタイミングで彼女は答えて見せた。

 考えて動くのではない。ただ心と体が天然自然に動くに任せた刹那には建御雷がひなを受け止めた一瞬で十分。

 

「神鳴流は武器を選ばず」

 

 ボソリと呟かれた刹那の言葉。その言葉が意味するものを月詠は正確に読み取った。

 

「無手で何が出来るって言うんや!!」 

 

 月詠の言う通り、刹那には最早武器はない。幾ら神鳴流が武器を選ばずと言っても無手では瞬間的にひなから吸い出して鎧のように纏った黒い瘴気を突破できない。

 無手のまま右手を手刀の形にして振り下ろすが、ここで月詠は驚くべき反射速度を見せた。

 

「「――っ!」」

 

 体の構造を力尽くで制御し、ひなを身体から血を噴出させながら己が下へ引き戻して、振り下ろされた手刀に抗して見せた。

 月詠にして良くぞ反応したと賞賛したくなるぐらいの動き。会心の一撃と感じた。作られた頃から剣を握ってよりこれ以上の手応えはないと確信する。

 ひなと手刀を境に二人の間で黒雷が降り荒れ、周囲を余波だけで破壊していく。黒雷は確実に刹那に牙を向いた。

 

「ぐぅ、ああああ!」

 

 腕を焼き、足を焼き、体を焼く痛みに壮絶な叫びを上げる刹那。だが、決して力を弱めはしない。

 不利なのは刹那。気の強さに劣り、無手なのだから彼女の方に雷は増えていくばかり。だが、この勝負は既についている。刹那がさっき言ったではないか。「繋がりがないからことがお前の敗因だ」と。

 

「ああああああああああぁぁぁ――――――――――っ!!」

 

 その瞬間、刹那の身体の中から、押さえようもない猛烈な力が沸き上がった―――――身体の中に詰まった空気が、一気に破裂するような力に吼えた。

 

「!」

 

 突如、増大する刹那の力。理解できない月詠には成す術もなく、瞬く間に均衡は崩れ、

 

―――――斬!!!!!

 

 ひなに比べれば小さな、人の身体の一部分でしかない手刀が妖刀を真ん中から断ち切り、更に月詠の左肩から右脇まで切り裂いた。

 断ち切られた妖刀ひなは、その魔性そのものを切られたかのように刀身から瘴気が抜けて白い刀身を剥き出しにして、ただの折られた刀として切っ先が地面に突き刺さった。

 

「まさか………今のは………咸卦法」

 

 膝をついた月詠は刹那の急激な力の増大を成した技法を言い当てた。

 だが、あり得ない。神鳴流は気を使う剣術。京都にいた時に究極技法を習得したとは思えない。かといって修学旅行で戦った時、彼女は咸卦法を使っていなかった。ならば、その時もまた習得していなかったのだろう。それから覚えたというなら一年にも満たない月日で習得したことになる。

 

「いいや、私のそれは完全と言うには程遠い。一人では発動することすら出来ぬ紛い物だ」

 

 究極技法を短時間で習得など出来ていないと刹那は首を横に振って月詠の言葉を否定した。

 

「明日菜さんに教えてもらい、お嬢様の魔力供給があって、アスカさんを見て来て、この土壇場で一瞬だけ成せたんだ」 

 

 決して習得するために明日菜に教えてもらったわけではない。剣術を教えてもらった明日菜が刹那に何かを返したいと考えた時に彼女が出来る事が咸卦法を教えることだったのだ。だが、気を主流として学んだ刹那に魔力の扱いを同等にまですることは不可能だった。

 その部分は木乃香からの魔力供給で改善したものの、普段から思い悩む性質の彼女に自分を無にすることなど出来やしない。なので、一度として成功したことはない。大抵が反発して終わりだ。

 ナギ杯でのアスカの姿を見て、この戦いで血を失い、忘我の境地に至ったことで為せた一瞬限りの奇跡。だが、それで十分。力で劣る月詠に勝つための唯一の勝因となった。

 

「月詠、お前の言う通り私は大した人間じゃない。でも、私は………このちゃんを、明日菜さんを、アスカさんを、皆を信じている」  

「……………!」

「何からも自由なことが強さへの道だと言うのはきっと間違いだよ、月詠」

 

 遠くなっていく意識の果てに月詠は刹那の言葉を聞く。

 

「一度ならず二度までも―――――ウチの完敗どすな」

 

 諭すような刹那に月詠は大人しく己が負けを認めた。

 明日菜に切っ掛けを貰って、木乃香に命を助けられ、アスカに導かれた勝利。卑怯などとは言うまい。助力を得て勝利したことに対する憤慨などない。何からも自由である自分が繋がりによって刹那に敗北したこの結果が全てだ。

  

「もっと早くに気づいたらなあ」

 

 惜しいと、今更に自分が刹那との戦いを求めている理由に気付いた。

 

「センパイに憧れてた。どうして同じ異端やのに人と共にいられるセンパイがどうしようもなく羨ましかったんや」

 

 自分と同じように逸れ物でありながら対極の道を行き、大切な人を守り続ける彼女が羨ましかったのだ。

 

「うちはセンパイが好きやった。その魂に焦がれてた。今更気づくなんて……」

 

 今になって刹那の繋がりを羨ましいと思ってしまった。そんな強さが自分にあったならばと願ってしまった。

 だけど、全てがもう遅い。この身は切り裂かれ、遠ざかっていく意識は死へのカウントダウン。戦いよりも本当に欲していたモノを見つけたけど既に手遅れ。

  

「遅くはない。次に眼が覚めたら話をしよう」   

「………え?」

「なあ、月詠。お前の名前、苗字がないじゃないか。私が付けてやる。その誕生を言祝ごう。今より『祝』月詠と名乗れ」

 

 理解できない刹那の言葉への問い返しの言葉と同時に月詠の意識は途切れて俯けに崩れ落ちた―――――手刀によって切り裂かれた跡のない体のままで。

 

「やれやれ、こんな無邪気な顔をされたら斬れないじゃないか」

 

 先程までの戦闘時のような魔に堕ちた顔とは違って、憑き物が落ちたかのように穏やかに年相応な無邪気な顔をされたら斬るものも斬れない。

 

「見えたよ、お前の心が。助けを求める、繋がりを求める声が聞こえたぞ」

 

 アスカと同じ無念無想の境地に片足でも突っ込んだ刹那は月詠の心を垣間見た。その心の奥に何重にも厳重に隠された本当の欲求を。

 

「お前を縛る青山の記憶を斬った。二度も出来ることではないが、斬魔剣・二の太刀は形無きものを選択して斬る技。魔を、記憶を限定して斬るなど容易い事だ」

 

 あの瞬間に放った斬撃はただの斬撃にあらず。

 神鳴流奥義・斬魔剣弐の太刀――――その無手バージョン。元々は悪霊に取り憑かれた狐憑きや悪魔憑きの、悪霊のみを斬り伏せる技として生まれた。まさに退魔の技の真骨頂。本来ならば宗家青山家や縁の者でもなければ扱えない技。

 

「私はお前と友達になりたい」

 

 無念無想に境地に片足を突っ込んでいた刹那は、咸卦法を発動させて押し切った瞬間に月詠の心を垣間見た時に思った―――――友達になりたい、と。

 自分は木乃香に救われた。明日菜に助けられた。ならば、自分も同じように誰かの手を取りたいと。

 無意識だった。決して意識をしたわけではない。

 刹那は無意識に咸卦法を発動させた状態で神鳴流奥義・斬魔剣弐の太刀を無手で放った。魔のみを切り裂く刃はひなに込められた闇を断ち、月詠の青山の記憶のみを斬り払った。その肉体に一切の傷を作ることなく、手刀から放たれた刃は魔性のみを切り裂いた。

 

「繋がりがあるのはいいぞ、月詠」

 

 憑き物が落ちたかのように安らかに眠る月詠に話しかけ、視線を遠く離れた墓守人の宮殿へと向ける。

 

「このちゃん、ごめんなさい。少し、遅れます……」

 

 二人の決着は着いたが、刹那が負った傷は深すぎた。

 白翼で空気を叩いて飛び上がるよりも早く、刹那の意識は闇へと引っ張られて意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがてアスカ達一行は墓守り人宮殿最上層部に辿り着き、それまで何度も目にしてきた物とは明らかに違う巨大な階段を見出した。

 階段の上は吹き抜けになっている。登るべきその先には密度の濃い魔力が視界に映るほど渦を巻いて海鳴りのように音が響く。見上げた先に待つ苦難は、ここに辿り着くまでの道程よりも比べ物になるまい。誰もが階段に踏み出そうする足を強張らせ、痺れるような恐怖を喚起させた。

 

「皆、分かるでござるか?」

 

 つ、と頬を伝った汗を拭いながら楓が乾いた声を発する。

 

「あの先にいるアル。この肌がビリビリと痺れる空気を発する根源が」

「俺にも分かるで。今までのヤツとは桁違いや」

 

 古菲の答えに続いて小太郎が全身を総毛立たせて呟いた。無意識に強く拳を握りながら楓が二人に頷く。

 

「例え相手が誰であろうと関係ない。倒すのみだ」

 

 足を止めた少年少女を追い越して勇ましく眼光を輝かせたアスカの足が階段に足をかけた。

 

「行くぞ」

 

 臆することなく先頭に立って階段を登り始めたアスカに倣って、意を決して少年少女達もゆっくりと階段を登り始めた。

 待っているのは絶望か、死か。それでも進むしかない。

 こんなにも大気を鳴動させる力を前にしても前を行くアスカの背中は凛とした背中には臆する気配はない。少年少女達にとっては何よりも頼もしい。

 厳しい顔つきの楓が、唇を噛んだ古菲が、拳を握り締めた小太郎が、三人に遅れて木乃香と茶々丸が続く。一歩一歩、階段を登るに従って緊張と決意が等しく彼らを包んでいった。そして――――――――光が彼らを包んだ。

 温い風が吹き、吹き晒しの外周部には太い柱が等間隔に屹立し、中央に設えてあるのは巨大な祭壇である。十字架に縛り付けられたように両手を広げて宙に浮く明日菜の姿。

 しかしそこに立ち塞がると予想されていたフェイト・アーウェンルンクスの姿はない。祭壇の中央に立っているのは怪しく燃え盛る暗黒の瞳を宿した、夜をそのまま置き換えたような衣装を纏った男と少女が四人立つだけである。

 

「デュナミス」

 

 アスカが男の名を告げると、デュナミスは聖職者が着るカソックに似た衣装の胸の前で手を組み、几帳面なぐらいに真っ直ぐ立っている。そうすると、巨漢の男は尚更大きく見えた。

 

「来たか」

 

 罠を警戒して歩み寄って来るアスカらの姿を見据え、祭壇の大分前の魔法陣が描かれた台座で待つデュナミスが組んでいた腕を解く。

 

「ようこそ、新たなる英雄達よ」

 

 完全なる世界で最も最古参のデュナミスが尊大な声を返す。アスカの後ろで少女達が武器を構え、小太郎が戦闘態勢を整える。

 

「悪の大幹部としての様式美として、ここから先は通さん、と言っておこうか」

「ならば、こちらも英雄としての流儀で答えてやる――――――――力で押し通さしてもらおう!」

 

 全身から咸卦の力を溢れ出させながら英雄の覇気を向けて来るアスカにデュナミスは仮面の奥で過去を思い出す。

 

「くく、奇妙な偶然もあるものだ。奇しくも十年前とは逆の立場か」

 

 今にも飛び出しそうなアスカは笑みを含んだデュナミスの言葉を足を止められる。

 

「その様子では十年前に何があったかを知らんと見える」

 

 意気盛んだったアスカが足を進めなかったことから察したデュナミスは仮面から覗く目を暗い怨讐で輝かせる。

 

「あの時は紅き翼が黄昏の姫巫女を守り、今は我らがそうなっているのだから時代の流れとは恐ろしいものだ。我らは黄昏の姫巫女を奪えず、火のアートゥルの二代目と水のアダドーの十七代目を失い、我が主すらも奪われた。我らの敗北であった」

 

 クツクツ、と喉の奥で笑ったデュナミスが「歴史は繰り返す」と言った。

 つまりは、奪う側になったアスカ達もデュナミスらと同じように仲間の誰かが死に、目的を果たせないのだと暗に語っていた。

 運命が示すのは貴様らの敗北だと言われたアスカは何と的外れなことを言うのかとせせら笑った。

 

「ああ、歴史は繰り返すだろうさ。お前達の敗北というな。二十年前に続き、十年前も負けたんだ。二度あったんなら三度目もあるかもしれねぇな」

「…………何も知らぬ遺児が知った風な口を」

「何も知らなけれりゃこんな場所にいねぇよ。そうだ。もう一つ、教えといてやるよ」

 

 二度とも目的を達成できないことを根拠に示され、その二度ともアスカは生まれてすらいなかったことを当て皮肉るも堪えた様子はない。

 

「物語において悪の大幹部なんて三下は、英雄に敗けると相場が決まってんだよ!」

 

 中指を立てて啖呵を切ったアスカに、しかしデュナミスは自らの勝利を疑わない。

 

「物語は所詮物語。虚構でしかない。勝つのは完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)だ!」

 

 アスカよりも早く、デュナミスは「ふん!」と気合を込める声を発した。

 

「!?」

 

 直後のデュナミスの変化にアスカ達のみならず、傍に控えていた少女らも唖然とした。

 

「墓守り人より聞いてる。貴様には世界救済の方策があるようだが、やはり我々には歩み寄りの余地はない」

 

 これから戦うというのに何故か仮面とフード以外を自ら吹き飛ばして全裸になりながらも、一人で話を続けるデュナミスに誰もついていけない。言い換えればデュナミスに視線も意識も集中している中で少女らの内の一人が手を背後に回していることに誰も気付かない。

 

「そう、既に世界の崩壊は問題の核ではない」

 

 切っ掛けで本質ではない。世界の変革を望むか、継続を望むか。在り様を賭けて戦うことになる。

 

「自らを貫きたくば、障害を排除するのみ。さあ、拳で語ろうぞ!」

 

 先程まで纏っていたローブから解かれた黒の鋼糸がギュンギュンと音を立ててデュナミスの体に縛りつき、その体積を増していく。

 一瞬にして三倍に増した体積となって変化したデュナミスに誰もが目を奪われる。

 

「このデュナミスの大幹部戦闘形態をとくと味わってもらおう!」

 

 デュナミスが瞬動を使って新たに増えた象の如き太さの巨碗を振るって来る。

 フードと仮面以外全裸からの悪の大幹部に相応しい姿への移行に意表を突かれたが、むざむざ受けてやるほどアスカらは耄碌していない。

 小太郎と古菲が左右に散り、木乃香を抱えた茶々丸を守りつつ楓が後ろに下がるのを感じながら、アスカは右手に雷を纏う。

 

「雷の――」

 

 事前に遅延呪文で溜めていた雷の暴風を放って初撃で決着を着けようとしたアスカを異変が襲う。

 

(身体が動かない……っ!?)

 

 声も出ない。発動し掛けていた魔法すらも不自然に止まった。

 

(任意の空間への時間干渉かその類いか!?)

 

 麻痺や何かではなく、発動中の魔法すらも停止したことから何らかの方法による時間遅延や時間停滞がアスカのいる空間にかけられたと悟った。

 

「掛かった!」

 

 声に前方に向けたまま動かせない目で意識を向ければ、黒髪の猫耳っぽい少女――――暦が右手に砂時計のようなものを掲げている。

 アスカは暦が持っているのがアーティファクトであることを見抜き、それよりも向かって来るデュナミスに意識を戻した。

 アーティファクトの能力は決して万能ではない。暦のアーティファクト『時の回廊』は任意の空間へ時間干渉して、時間遅延や時間遅滞延できる砂時計ではあるが今のアスカの力を抑え込むほどの力はない。

 

「――――――しゃらくせぇ!!」

 

 気合の声も一発。咸卦の力を爆発したように全身から放出して、一定空間内への干渉を逆に塗り潰すことで打ち破る。

 停止されていた空間の時間が進み始めたことで、自らの行動の方が早いと考えたのであろうデュナミスよりも先に魔法は発動する。

 

「良い作戦だが、この程度で俺を倒せると」

「馬鹿め――――使用権限代行・無限抱擁発動」

 

 既に勝利を確信したアスカを嘲笑ったデュナミスが巨椀の中より半分となっている仮契約カードを発動させる。

 アスカが失敗を悟るよりも早く、世界が切り替わる。

 

「くっ」

 

 発動途中の魔法は急には止められない。

 放たれた雷の暴風は標的を見失って直進し、そこらに浮かぶ白い柱を幾らか吹き飛ばして彼方へと消えていく。

 

「結界空間を作るアーティファクトか」

 

 無限抱擁という名の通り、無限の拡がりを持つ閉鎖結界空間が発生し、大量の巨大な白い柱が空に縦横ランダムに無数に浮かび、底はどこまでも続く雲海という現実離れした光景が広がる。

 無限の広がりを持つだけあって、当然底に落ちればどこまでも地面は無くただ落ちていくだけである。

 

「然り。フェイトの部下の娘のアーティファクトである。この無限の広がりを持つ閉鎖結界空間に出口はない。理論的に脱出は不可能だ」

 

 浮遊術で浮かぶアスカにどこからかデュナミスの声が届く。

 姿は見えなず、気配も感じない。が、感知外にいると考えるのは早計である。何せ隠れる場所は幾らでもあり、気配を消して潜まれると厄介であった。

 

「全裸になったのは空間の時間停止のアーティファクトの発動を悟らせないための罠か」

「いや、普通に戦闘形態に移行しただけに過ぎん」

「全裸になった意味は?」

「その方が移行しやすからだ」

 

 罠でもなんでもなく戦う為に全裸になったと語ったデュナミスに、アスカは聞かなかったことにして頭を切り替えて「話を聞くに他人のアーティファクトを使ったようだが」と変なほどに話しを変えた。

 

「本来、他人のアーティファクトは使用できないが、黄昏の姫巫女の帰還によって起動した造物主の鍵を使えば使用権限の代行と分割は容易い事だ」

「分割だと?」

 

 ふと、答えたデュナミスの言葉に看過しえないものがあった。

 

「このアーティファクトの欠点は術者は展開中の結界内に必ずいなければならず、その術者を倒す、もしくは結界を解けば脱出できてしまう。だからこそ、使用権限の分割に意味が出る」

 

 つまりは使用権限の代行をすれば術者は二人いると解釈することが出来て、必ずしも本来のアーティファクトの持ち主が結界内にいる必要がなくなることを示していた。

 

「本来の主である娘はこの結界空間外にいる。幾ら貴様が私を倒そうとも意味はないということだ。私と娘、二人を倒さねばこの結界空間は解けぬ」

 

 何らかの魔法を使っているのか、喋る声は辺りに反響してどこから発せられているのか分からない。

 

「貴様らの中で警戒するのはアスカ・スプリングフィールド、貴様のみ。英雄一行と言えど、紅き翼と違って私やテルティウムに匹敵するのは貴様だけ。他は恐れるに足らず」

「随分と俺の仲間を舐めてくれるじゃねぇか」

 

 朗々と語るデュナミスの居場所を探すアスカの眉が怒り立つ。

 

「テルティウムの部下の娘達は塵芥ではあるが、その意志に関してだけは見所がある。幾ら強者であろうとも、旧世界の平和な国の学生如きに負けるほど弱くはない。私が英雄を倒す以上、従卒程度は下してもらわんとな!!」

「従卒じゃねぇ、俺の大事な仲間だ!」

 

 叫び返したアスカに向かって背後の白いブロックの後ろから影の槍を纏ったデュナミスが躍りかかる。

 意表を突いたかに見えた攻撃にすぐさま対処したアスカが、やり返すように雷を纏う。

 

「勝つのは俺達だ!!」

 

 閉鎖結界空間内で英雄と悪の大幹部の激闘が始まった。

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り三時間四十二分五十一秒。

 

 

 




刹那vs月詠(ひな込み)決着。
刹那の勝利だが負った傷が大きく意識消失して戦線離脱。

造物主の鍵を使うことでアーティファクトの使用権限の代行と分割が出来るというのは本作設定です。


次回はアスカvsデュナミス、小太郎・楓・古菲vs調・暦・焔・環

次話『第83話 抗いし者達の挽歌』


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