魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第84話 二人の後継

 

 

 

 

 

 戦場は墓守り人の宮殿内部やその空域だけではない。地上もまた戦場だった。空を飛べない戦士や重武装隊が激戦を重ねている。空にいるのとは違うタイプの召喚魔が何千、何万と召喚されていたのだ。一軍となって戦士達に襲い掛かっていた。

 

「ちくしょうっ! キリがねぇぜ、こりゃ!」

「ぼやくな、トサカ! 次が来たぞ!」

 

 双剣を振るってガーゴイル型の召喚魔を切り裂いたその名の通りに鶏冠のようなモヒカンヘアーをしたトサカの弱気に、兄貴分のバルガスがスキンヘッドでいかつい外見のまま頭を叩く。

 バルガスとてトサカの気持ちが分からぬわけではない。彼自身、無詠唱の砂の魔法の射手を放って道化師型の召喚魔を打ち倒した辺りで斃した敵の数を数えるのを止めていた。キリがないだけでなく、数を重ねるほど虚しくなるだけだからだ。

 

「ほら、アンタも頑張んな」

 

 現役時代に使っていたバトルアックスで敵の攻撃を弾き飛ばしたクママチーフも後ろを振り返ることなくトサカを鼓舞する。

 しかし、かくいうトサカを鼓舞したクママチーフも最早疲労は限界にまで達し、バトルアックスを握る手に力が篭らなかった。

 クママチーフは現役を引退してから十年以上が経過している。簡単な基礎鍛錬自体は怠っていなかったが、長らく実践から遠ざかり肉体も衰えているので、肉体的な面で言えば現役を続けている二人と比べて劣っている。

 

「こいつらを全部、斃さないといけないのは流石にきついねぇ…………」

 

 汗に流血に敵の血と、トサカを鼓舞したがウェイトレス服が見る影もなく汚れてしまったクママチーフが初めて弱音を吐く。そこへ、また新たな召喚魔が襲ってきた。

 二十年前、大戦末期のオスティア崩壊と共に国を失ってから共に行動している三人の絆は強い。携えている獲物からクママチーフが大型を、双剣を持つトサカが小型を、高位の魔法使いであるバルガスが中型だけに留まらず臨機応変に対応する。

 ガーゴイル型のように人間と同じような四肢に、全身を鎧で覆って剣や槍といった武器を持つ戦士型である。地上にだけ現れるタイプで、他にもでっぷりと太った体躯に道化師のような服を纏った巨漢の道化師型と合わせて強敵である。

 道化師型が巨漢に合う強大な腕力による破壊力を持つように、戦士型は持っている武器による白兵戦に特化した厭らしい特徴を持っている。

 クママチーフを襲ったのは非常に大柄な彼女に負けない体格で、鉄槌を持った戦士型であった。

 大まかな特徴として、道化師型は巨漢に似合う破壊力を持っているが相反するように動作は遅い。戦士型は素早く技もあるが一撃一撃の破壊力は他のどの召喚魔のタイプよりも劣っている。

 なのに、クママチーフ襲った戦士型は巨躯に似合わぬ速さと技、力を融合させた稀有な個体であった。

 勢いよく振り下ろされた敵の鉄槌を、クママチーフはバトルアックスを翳してなんとか受け止める。鉄同士が激しく打ち合わされ、銅鑼のような音がした。

 

「ママ!?」

 

 鉄槌を受け止めたクママチーフの足下が衝撃を物語るように陥没する。

 思わず別方向から接近したガーゴイル型の相手をしていたトサカが振り返って叫ぶ。

 

「この馬鹿! 闘っている最中に余所見をする奴がいるか!」

 

 バルガスの怒号にトサカが眼前のガーゴイル型に意識を戻した時には既に攻撃範囲に潜り込まれていた。

 手に持つ小回りの利く双剣でも間に合わない。

 

「ぐっ」

 

 ガーゴイル型の爪が胸に伸びて来る瞬間、トサカは自分でも良く反応した思う速さで咄嗟に横へ跳躍した。それでも斬りつけられた腕に激痛が走るが、そうしていなければ鋭い爪に抉られて身体に風穴が開いていたことだろう。

 

「トサカ!?」

 

 クママチーフとバルガスは弟分の危機にそれぞれが相手をしていた敵を瞬殺する。

 特に疲労の極致に到達していたはずのクママチーフの鬼気迫る気迫に、相対していたはずの鉄槌を持った戦士型は成す術もなくバトルアックスに頂点から両断された。バルガスもクママチーフに負けず劣らず、トサカに傷をつけたガーゴイル型に牽制の魔法の射手を放って距離を取らせ、自分達以外の周りに向かって全方位に向かって中級魔法を連発する。

 瞬く間に周囲の敵を掃討して、傷ついたトサカに駆け寄る。

 

「大丈夫か?」

「何ともねぇよ。二人とも大袈裟なん……っ!」

「何がなんともないだ。確かに直ぐにどうこうなる傷じゃないけど、この腕じゃ剣は振れないよ」

 

 バルガスが油断なく周囲を警戒しながら荒い息を吐きつつ訊ね、強がったトサカはクママチーフがバトルアックスを地面に突き刺して取り出した包帯を強く巻かれて言葉を途切れさした。

 クママチーフの言う通り、傷自体は深くはなく命に別状はない。だけど、剣を振るって激戦を戦えるほど浅くはない。

 

「アンタは下がりな。ここはあたしとバルガスで何とかするからさ」

 

 仲間達の姿も戦闘の混乱の中に消え、背中を預け合うようにして戦っていたこの三人が離れないようにするのが精一杯であった。

 トサカも戦えないことはないが負傷を抱えたまま続けられるほど生易しい状況ではない。無理だと分かっていても弟分が死ぬことに耐えられず、クママチーフは嘯いた。バルガスも同じ気持ちなのか、寡黙に頷く。

 どうやらこの周辺の戦闘は小康状態になっているようで、今のトサカでも撤退出来る状況にある。

 だが、言われた当のトサカは答えず前方、つまりはクママチーフの背後の方を無事な手で指差す。振り返ったクママチーフの顔に、絶望が浮かんだ。

 

「そうも言ってられる状況じゃなさそうだ。新手だぜ」

 

 包帯に血を滲ませたトサカが苦々しげに呟く。彼らの視線の先には、新たに十数体の召喚魔が悠然と進んできた。

 まだ生きてはいるが地に伏せたまま動けない召喚魔の肉体を踏み潰しながらもなお進軍は止めない。憑かれたような行軍には意志というものが感じられず、ただ本能が命じるままに動いているとしか見えなかった。

 

「ど、どうしようママ」

 

 微かに怯えさえ見せるバルガスに、クママチーフは迷う。先ほどの鉄槌を持った戦士型を倒した渾身の一撃で最早握力は殆どなくなっていた。援軍が現れる気配はなく、他の拳闘士たちがどうなったかも分からない。

 震える手を持ち上げた。じん、と痺れていて、バトルアックスどころか小石を持ち上げることも覚束ないかもしれない。

 もう無理や危険どころの話ではなかった。死力を尽くしてきた。それでも、どうにもならないのだ。逃げて確実に逃げ切れる、というものでもないが、少なくともここにいるよりは目があるだろう。

 

「逃げ…………」

 

 逃げよう、と言いかけるクママチーフにバルガスも仕方ないと思う。自分達の限界を把握していた。オスティアが滅びて奴隷になった経験が死にさえしなければどうにでもなると分からせる。

 

「逃げねぇ!」

 

 だから、片手に短剣を握ったトサカが二人の前に歩み出て、言い切った時には驚いた顔を向けた。

 

「アリカ様の息子が、アスカが今も闘っているんだ! 俺だけが逃げることなんて出来ない!」

 

 大戦末期のウェスペルタティア王国王位簒奪の経緯から、秘密結社「完全なる世界」の黒幕ではないかとの有力な証拠が挙がるにいたり、国際法廷による裁判の結果として18年前に処刑された長年の間、タブーとされてきた災厄の魔女アリカ・アナルキア・エンテオフュシア。

 旧オスティアに住んでいたトサカ達はアリカ女王を恨んでいてもおかしくはなかった。中には難民生活が辛いから逆恨みをする者もいた。だが、大戦前のアリカ女王は身分の差なく民に接してくれる気さくな姫として慕われていた。トサカも一度だけ間近で姿を見たことがある。オスティア大崩壊の時も一人でも多くの民を救おうとした必死な姿を見て聞いて、そんなヨタ話を信じていない。

 だから戦犯として刑死したと聞いた日には絶望した。アリカ女王はオスティア難民の心の支えでもあったのだ。

 けど、あの放送で明かされた二十年前の真実と自らを災厄の魔女の息子と名乗ったアスカ・スプリングフィールドの存在が全てを覆す。

 アスカが名乗っているだけで、なんの物的証拠はない。だが、確かにあの強き眼差しに、一人でも多くの民を救おうとしたアリカ女王の面影を見た。

 嘘はないと自らの直感が告げている。ならば、アリカ女王の処刑は政治家が作り上げた真っ赤な嘘で、家名からどこぞの英雄が颯爽と救い出して子供が生まれるまで幸せに暮らしていたことを証明している。

 

「いま逃げたら俺はアリカ様に顔向けが出来ねぇ。そんな情けない男になることは出来ねぇよ」

 

 魔力は微かしか残っておらず、疲労は全身に重く圧し掛かっている。片腕は負傷して武器の双剣の内の片方は使えない。

 しかし、トサカはそんなことがどうしたと言わんばかりに強大な敵に立ち向かう。

 トサカの胸に宿るのは意地ではない、誇りでもない。近いものを上げるとすれば忠義。一国民でしかなかったトサカの胸に宿るのは二十年前から胸の裡で燻り続けた心の灯だった。

 

「二人は…………」

「やれやれ、数だけは多いね」

「全くだ。戦い甲斐があるってもんだ」

 

 逃げてくれ。そう言うより先にクママチーフは両手でパトルアックスを持ち上げて一歩進み出た。戦いの旋律で身体強化をしながらバルガスも続く。

 

「……………来るぜ」

 

 気持ちは同じだと語る背中に静止の言葉は必要ない。トサカも無事な方の手で短剣を握り、視線を召喚魔にだけ据えている。意識を敵へと集中させた。

 ここが正念場だと、彼らは理解していた。

 自分達が相応の時間さえ稼げば、必ず希望は訪れてくれるのだと。

 

「頼むぞ、アスカ」

 

 英雄という名の希望が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界は嘘のように静まり返っている。既に何人たりとも邪魔をしてはいけない戦いが始まっていることを、世界そのものが理解しているかのように静かだ。

 金髪と白色の髪に、激烈なる闘志を秘めた深緑と寒気がするほどに澄んで無機質な藍色の瞳を持った二人の青年が対峙する。獰猛な眼は互いを映し合う。

 制服と戦闘服に包まれた身体は一見するとスリムに見える。だが、見るものが見れば、それが如何に鍛えられた肉体であるか気がつくだろう。穏やかな佇まいの中に見え隠れする鮮烈なオーラ。それは一流の実力者だけが持てる、確信にも似た余裕の表れだ。

 互いにちゃんと向き直ったのはこれで三度目。

 ジャック・ラカン、ネギ・スプリングフィールドとの激闘を潜り抜けて強くなったアスカをして、目の前に立つ以前よりも大きくなっているフェイトの身体から感じられる力は恐るべきものだった。

 フェイトもまた、デュナミスに能力を限界以上に調整させたにも関わらず、彼我の戦力差が紙一重レベルしかないことを悟って眼をスッと細める。

 この程度の距離は、互いに何の障碍にもならない。共に承知している。自分達は既に、一足一刀の間合い――――――――――ほんの少し踏み出すだけでぶつかり合う。そういう状態にあるのだ。

 

「アスカ」

「フェイト」

 

 二人は互いの名を呼び合った。そこには、敵意はあっても殺意は含まれていない。

 憎しみ合っているわけではない。恨み合っているわけでもない。だが、戦わなければならないと感じている。もはや和解の機会は失われている。いや、最初から機会などなかった。和解が不可能だったからこそ、事態はここまで悪化しているのだ。

 互いの発する力が、目に見えないところでぶつかり合っているのだろうか、二人を中心とした地面がピシピシと罅割れていく。地面が微震し、パラパラと砂塵が宙に上って空気が重くなっていく。

 

「今からでも遅くない。儀式を止めるつもりはないか」

 

 戦場で熱くなってはいけない。気を抜いてはいけない。調子に乗るなど愚の骨頂だ。戦意と闘志で心を燃焼させるのはいい。だが、それを表に出してはならない。常に平静を保ち、冷静な視線を向けねばならない。

 

「くどい。現状を維持し、希望を未来に託すなど危険性(リスク)が高すぎる。それよりも発動すれば確実成功する完全なる世界(コズモ・エンケレディア)を僕は求める」

 

 フェイトは自分の成すべきことを完全に理解していた。歪み、腐りきったこの世界を終わらせる。例え生まれ変わった新たな世界を、自分が目にすることが叶わなくとも。

 

「人はどれほど賢くなろうと、正しいことは出来ない。歴史がそれを証明している」

 

 あらゆる者を救うことなど出来ない。あらゆる者が幸せになる世界など来ない。だからこそ、フェイト・アーウェンルンクスは立つ。

 

「知ったことか。人は、正しくても悪でも、過ちを犯す。積み重ねていくことで変わっていくと俺は信じる」

 

 フェイトからは、悪が斃れ、世界が正しくなることの期待をヒシヒシと感じた。

 だが、ここまで辿り着かせた想いがアスカの足は止まらない。

 

「根拠のない楽観論に賭けるつもりはない」

「分かった。なら俺は、どうあってもお前を倒すことで証明しよう」

 

 何時しかアスカは微笑していた。獰猛に口の端を曲げる、獣の笑み。それは、闘争の喜悦を抑え切れない故に零れる、戦士の徴であった。

 

「君に出来るかな?」

 

 アスカと同じ笑みが浮かべたフェイトの身体が、魔力光である蒼い光に覆われる。

 アスカは対峙しながら構えを取った。フェイトも同じく構えを取る。

 相手は動かない。こちらも動かない。呼吸を整え、互いに相手を待っている。靴の中で、足の指の位置を変える。体重の分配をミリ単位で調節しながら、最善の場所を探す。二人の体勢は自然と低くなっていた。筋肉によって骨を引き絞るのは、弓のそれに似ている。

 じりっ、と足を前に進める。呼吸を練る。それを吐き出すタイミングを求めて、視線が巡った。視線は目の前の相手の目で定まり、そこからは微動だにしない。

 音が消えた。永劫かと思えた一刹那の直後に、

 

「はあああああああああああああああああああっ!」

 

 咆哮と共に予備動作一つ無く、烈々と繰り出されるフェイトの拳撃。アスカは手と体捌きで、全てを躱し切る。

 

「おらぁ!」

 

 即座に繰り出されたアスカの反撃は、ただ一撃。ただし、並みの一撃ではない。踏み出す。その踏み込みだけで力尽きても構わない思いで、アスカは全身を跳ねさせた。跳躍が距離を失くし、一瞬地面から離れた足が地面に吸い付くと同時、相手の急所目掛けて収束した拳を突き込む。

 果断の一撃が齎した烈風は、横の動きで躱したフェイトの残影を突き抜ける。

 地面を、天を突くような衝撃波が走り、凶器と化した拳圧は、軌道上にあったモノを次々と破壊しながら、遠く離れた大きな建物の屋根に着弾して爆砕した。

 

「「――――――」」

 

 弾かれたように、両者の身体は大きく間合いを取る。砕かれた屋根は崩れ、瓦礫が建物を押し潰す轟音が地震となって墓守の墓所に響く。

 戦場の誰もが、言葉を発しない。観戦者となった彼らはただ息を呑み、冷や汗が背筋を流れるがままに任せていた。

 誰もが、強さを極めた超人同士の人知を超えた戦いぶりに、圧倒されていた。いずれかの実力が劣っていても、もう一方は全力を出す必要はない。強者の闘いにおいて、両雄の力が均衡していて始めて真の獣欲を剥き出しにした決闘が起こるのだ。

 

「お前のその曼荼羅のような多重高密度魔法障壁は、強固であっても無敵ではない。破ろうと思うのなら、さっきみたいに防御を上回る一撃を与えればいい」

「確かにあれだけの威力なら破れるだろう。だけど、そんな大振りが当たると思っているなら甘いよ」

 

 睨み合う両雄の力の高まりに沿って、墓守の墓所全体に地響きが起こる。周囲に満ちている魔力が反応してざわめいてるのだ。

 

「まさか、他に方法がないとでも思っているのか?」

 

 殺伐とした眼でフェイトを睨むアスカの、白の魔力光が、彼の右拳に集中していく。

 

「試してみたらどうだい。させないけどね」

 

 フェイトの挑発に光に照らされて銀髪にも見える白髪を風に舞わせ、獲物を狙うように、後ろでに回した手から黒棒を取り出し、弧を描いて構えた。

 対峙するフェイトもまた身の丈を遥かに超えた石で出来た大剣を魔法で作り出し、片手で軽々と振るって構えた。

 

「「……………」」

 

 武器を構えた両者の一瞬の沈黙。

 

「はあああああああああああああああっ」

「うおおおおおおおおおおおおおおおっ」

 

 一瞬の静寂から一転して、互いに発した気合が重なり合い弾かれたように前へ出た。アスカとフェイトの距離が急速に縮まり、さっきまであった距離の中央で両者は肉薄。二人が激突する。黒棒と無骨な岩の大剣がぶつかり合い、金属の塊である黒棒は別にしても岩から削りだしたようなフェイトの持つ大剣が出すには激しい金属音が打ち鳴らされる。

 厳密には二人の武器は接触していない。武器に纏わせた力が反発して金属音にも似た音を奏でているのだ。現にギリギリと鍔迫り合いを続ける二人の狭間からはガラスを擦ったような音が今も尚、鳴り響いている。

 

「……っ!」

 

 このままでは埒が開かないと考えたアスカが力を込めてフェイトを域の届く距離から僅かに弾き飛ばし、出来た間隙に流れるような横薙ぎを繰り出した。だが、フェイトは地面を蹴ってこれを回避。

 フェイトは距離を詰めることなく、その場で大剣を横薙ぎに振るう。

 武器の重量差と大きさの二点から受けたとしても、こちらの剣の攻撃範囲では届かない。敢えて受けることはせず、身を地面に着きそうなぐらいに低くして遅れた髪の毛が両断させるのを感じながら黒棒で斬り上げた。

 己に迫る黒棒を手首を捻って大剣の柄で受け止めたフェイトは、斬り上げたことでがら空きの脇腹へと蹴りを叩き込む。

 

「ぐっ」

 

 蹴りを受けたことで口から呻き声が漏れ、その隙に振るわれた大剣で弾き飛ばされるアスカ。

 持つ得物の違いから攻撃範囲の大きさが異なる二人。大剣の大きさを活かせば一方的に攻撃出来るフェイトと懐に潜りこまねば攻撃を当てることの出来ないアスカ。

 戦いは必然的に近接戦闘へ突入する。互いの距離が縮まり、アスカの間合いまで、後半歩まで縮まった瞬間に姿が掻き消えた。

 高速移動。フェイトは咄嗟にこれに反応する。

 身を屈めて背後を庇うように大剣を構えたのと、金属音が鳴り響いたのは同時だった。背後からの攻撃を防いだフェイトは、そのまま大剣を振り回して弾き飛ばす。そして、

 

「―――――喰らえっ!」

 

 超重量級の大剣を身軽に剣撃を放ち、衝撃波の刃を放った。しかし、アスカは武器であっさりとそれを打ち払う。

 その時には、既にフェイトは距離を詰めていた。重量にモノを言わせて叩き伏せようと空中にいるアスカ目掛けて振り下ろす。大剣は過たずアスカの身体を左右に切り裂いた。

 

「っ」

 

 それは成功した。フェイトの大剣が完全にアスカの身体を左右に切り裂いた。避けようのない絶命の一刀を見舞ったのだ。

 なのにフェイトの表情はやにわに硬直した。大剣は確かにアスカを切り裂いた。にも関わらず、全く人体を切り裂いた手応えがない。手の中に残る感触は、例えるなら岩を斬った(・・・・・)ような…………。

 

「なにっ?!」

 

 そう思った瞬間、左右に切り裂かれて地に落ちるアスカの身体に驚くべき変化が起こった。切り裂いた筈のアスカの体がブレる音と共に断ち切られた岩の破片に変わり、本物は呆然自失となっていたフェイトの背後で黒棒を振りかぶっていた。

 

「はぁあああっ!!!」

 

 フェイト目掛けて一気呵成・縦横無尽に斬りかかる。不規則な威力と速度の斬撃をランダムに織り交ぜる。大剣より攻撃範囲が小さいことを利用した懐に潜りこんでの剣撃の乱れ打ちだ。

 一気に決める、とアスカの意気込みが伝わってきそうなほどの勢い。回転の速すぎる連撃によって空気を切り裂くことで鳴らす羽虫が羽ばたくよう独特の風切り音と、連続した衝突によって発せられる金属音が同時に鳴り響いたことで一種独特の音を生み出していた。

 それが表すことはつまり、フェイトがアスカの連続斬りを全て受けきっているということになる。

 

「くっ……この……っ」

 

 言葉で言うほどアスカの攻撃を捌いているフェイトに余裕があるわけではない。空を裂いて繰り出される剣撃は、フェイトの目にも捉えきれないほどの速さを持っていた。フェイトは反撃することすら出来ず、防御に専念させられることになった。

 目で追うのではなく、反射的に剣を振るわなくては対処出来ない程の高速の剣撃に、先程から防戦一方に陥っているのがその証拠である。それに扱う武器の性能差か、受けた攻撃の差か岩の大剣がピシピシと罅が入り始めた。

 

「っ!」

 

 ここが攻め時だと直感したアスカは更に攻撃の回転を速めた。余りにも速過ぎて攻撃を重ねるアスカの姿がブレるように増え、無数の残像を生み出した。傍から見れば何人ものアスカが攻撃をしているようにも見えよう。

 

(このままでは不味いね………なら!) 

 

 フェイトは自身が持つ大剣の罅が致命的な所にまで達しかけているのを見て、不利な状態に追いやられていることを自覚して一か八かの策に出ることにした。

 

「これでっ」

 

 アスカもまた戦況を優位に進めていることを自覚して、ここで勝負を決めるべく決断した。

 今までよりも多くの雷撃が流された黒棒が高音を奏で始める。

 全てを切り裂く雷光に光り輝く剣が、罅割れて頑丈さの大半を失った大剣を破壊した上でフェイトをも切り裂けるだけの威力を持って振り下ろされようとしていた――――フェイトが予想外の行動を取りさえしなければ。

 フェイトがアスカに向けて大剣を放り投げた。それだけではない。幾ら罅が入って脆くなったといっても大剣を破壊するのにコンマ数秒程度の時間を要する。それだけの時間があれば、破壊された瞬間に両手で真剣白羽取り(一か八かの策)が可能だった。

 

「な―――っ」

 

 思わず絶句するアスカに、フェイトは横蹴り。堪らず宙を吹っ飛ぶアスカの手から黒棒が離れ、荒れ狂い始めた魔力乱流に乗って何処かへ飛んで行ってしまった。

 

「余所見をしている余裕は無いよ!」

 

 ほんの0コンマ数秒程度の時間だけ黒棒が飛んで行った方に意識をやったアスカに叫びながら無手で迫るフェイト。

 

「……!」

 

 一足飛びに近づいて、身を翻しながらの体重が存分に乗った視界の外から振り下ろされる右の浴びせ蹴りを、意識ではなく反射的に体が動き左腕で防御した。

 フェイトの攻撃はまだ終わっていない。着地する前に空にいる状態で左の拳をアスカの腹に向かって放つ。

 今度は意識も目の前のフェイトに戻っていることで開いた掌に受け止められた。逆に空いた左腕で着地したフェイトの顔面を狙って振り抜いた(・・・)。アスカの拳は当たることなく攻撃を予測していたフェイトが屈んだことで頭上数センチのところを通過する。続けて下段蹴り。

 

「ひゅ――っ!」

 

 鋭く呼気を継いだフェイトは、屈んだ自身に向かって振り抜かれる蹴りを飛び上がって躱し、その体勢から蹴りを放った。

 蹴りを放って片足が浮いた状態にあるので回避は難しい中で、何と自分から仰向けに沈み込みながら前方に跳んだ。地面についた腕だけで着地し、その手を基点として回りながら着地地点を狙って回し蹴りを放つ。

 足から着地をしようとしたフェイトはその蹴りを見て、空中で自分から体勢を崩し、アスカの蹴りの攻撃範囲外に腕で着地して飛び上がる。今度は足から着地して後転宙返り、後転倒立宙返りを二、三度繰り返す。その間に体勢を立て直すアスカ。

 四度目の後転宙返りの最中、空中で突然フェイトの姿が消えた。

 

「……後ろ!」

 

 フェイトが浮遊術と虚空瞬動を併用して一瞬の内に背後へと回り、完全な死角から蹴りを放つもアスカはまたもや反応して見せた。腰を落として薙ぎ払うような蹴りを躱し、攻撃直後で流れる身体を利用しての背後からの肘を受け止めた。そのまま腕を取って前方に向けて投げる。

 十数メートルは投げられたフェイトはクルクルと身軽に回転して着地直後にアスカ目掛けて跳んだ。それよりも早く投げた直後に動いていたアスカもフェイト目掛けて跳ぶ。

 中間よりもややフェイトの着地点に近い狭間で二人は衝突した。

 二人は拳と蹴りを組み合わせて目まぐるしく攻守を入れ替えながら、息も吐かせぬような空中戦を繰り広げてゆく。一秒たりとも同じ場所に留まらず、世界トップクラスの実力を持つ者達ですら目で追うのがやっとというレベルの戦いを繰り広げる。

 いっそ緩やかな円の動きから、鋭い剃刀の如き直線の動きへと変じ、視線が合った。

 ほんの一瞬、瞳が交わされ、様々な感情もまた相互に伝わった。

 

「アスカ…………スプリングフィールドォオオオオオオオオ―――――ッ!」

「フェイト………アーウェンルンクスゥウウウウウウウウ―――――ッ!」

 

 戦いを続けながら、互いに最初は呻くように、徐々に声を張り上げてその名を呼んだ。

 

「うおおおおおおおおッ!」

 

 フェイトが咆哮する。もう少しで完粋する儀式の邪魔をされる憤怒がフェイトを叫ばせていた。

 

「ぬああっ!」

 

 空間そのものを貫くような勢いで拳を放つ。アスカは僅かに首を振るだけで顔を狙った拳を躱す。紙一重の間隙だ。一分たりとも無駄な動作はない。フェイトの放つ攻撃の悉くを見切り、完璧な間合いで躱し続ける。勿論、躱しながらも反撃を浴びせることも忘れない。

 

「逃げるな!」

「誰が!」

 

 間断の無い攻撃を避け続けられる苛立ち交じり叫びに叫びが返される。

 

「君の存在だけは、認めない!」

 

 フェイトの目の前には誰よりも強く、圧倒的な輝きを放つ人間がいる。他の追随を許さず、あくまでも超然として。彼こそナギ・スプリングフィールドの跡を継ぐ英雄。光に包まれた新たなる英雄と呼ぶべき存在。それが目の前にいるアスカ・スプリングフィールド。

 人類の果てしない欲望によって絶望した果てに、造物主によって世界の守護者として生み出された人形である自分と同じく、これから生まれる新たな世界に不要な存在である。即ち過去に属するもの。

 だからこそ、互いの拳を撃ち合い、衝撃で僅かに体勢を崩しながら決意を込める。

 

「何を……!」

「英雄である君達には分からないことさ!」

「勝手に一人で納得してんじゃねぇ!」

 

 前蹴りをフェイトの腰の高さよりも深く踏み込み、戻すところに踏み込んで肘で横に弾く。片足を上げたことによる不安定になりやすい姿勢のところに、ドッと音がするほどの衝撃で横に傾くフェイトの体。

 

「さっきからごちゃごちゃと、テメェは小姑かオラ!」

 

 直後、踏み込んだ足で追うようにアスカが飛ぶ。自ら右の前回り受け身する勢いを生かし、地面と平行になったフェイトの顔目掛けて全体重と重力が加算された浴びせ蹴り。

 

「…………小言の一つぐらいは言いたくもなる」

 

 普通の手段では回避不能だと直感したフェイト。

 瞬動術の応用で横に向けた掌に魔力を集中して一瞬の放出。変形の虚空瞬動でギロチンの如く振り下ろされた一撃を回避して体勢を整え、即座に反転して拳を放ってくるアスカを冷静に見つめる。

 

「本当に厄介だよ、君という存在は。()のように人々を騙し、欺き、導こうとする英雄が!」

 

 衝撃を受けて、一瞬アスカの気が逸れる。その隙を逃さず、フェイトは右横から接近。腰を捻りながら運動エネルギーを込めた肘打ちを叩き込んだ。

 

「くっ」

 

 辛うじて腕を差し出して直撃を防いだものの、耐え切れずに地面を抉りながら吹っ飛ばされる。

 

「終わらぬ争い、消えない差別。それらを全て終わらせる! ()には出来なかった! 終わるんだ、完全なる世界なら!」

 

 瓦礫を押し退けて立ち上がったアスカの直上からフェイトが拳を構えて落ちてくる。

 すぐさま己も拳を構えて迎撃するも、対峙する相手の憎悪・信念・義務感、そしてそれらとは裏腹な虚無と諦観の感情が伝わってくる。

 互いに複雑なステップを踏むように空中を蹴って飛び交い、次々と拳撃を放った。体勢を崩したアスカは押し込まれないようにするのに手一杯だ。

 フェイトがフェイントで拳を振ってから身体を転じて低く蹴りを放ってくる。アスカは後退してそれを凌ぐと、圧されていることを自覚して舌打ちしてフェイトの死角に潜り込もうと体勢を低くし、相手の次手を予測して肘を固めた。

 フェイトはアスカの肘を受け止め、防御されようとも腰を膝で蹴りつける。共に身体を密着させた上体の攻撃だが、手応えを得たのはフェイトの方だった。ふらつくアスカの背面から拳を突き出し、背骨を打つ。

 

「ぐッ」

 

 アスカはつんのめって転倒しかけたが踏み止まり、改めて構えを取った。

 構えを取った直後、踏み込んできたフェイトが連打してきた拳を腕で避ける。脛を蹴って相手のリズムを崩そうとするも、フェイトは機敏で牽制すら捉えきれない。人間を超えた何かに突き動かされた予言のようにフェイトは揺らがない。

 

「完全なる世界には、世界を救う力が、人を正す力がある」

「頼んでもない救いの為に、勝手に人の運命を決めてんなよ! お前ら何様――」

 

 アスカは言い切ることも出来なかった。聞き分けのない獣が打たれるように頬が打ち抜かれた。

 

「救わなければ、何時までも敗北者が生まれ続ける。彼らは世を呪い、生者を妬み続ける!」

 

 打たれる前から首を捻って受け流していると、視覚から別の攻撃を放たれているのを感じて避ける。

 

「諦めることが、誰にとっても救いだというのに」

 

 どちらを選んでも正しくなどなかった。だからこそ彼の生命が激しく猛った。

 

「世界はあるべき正しき姿へと戻る。主が望んだ世界と人に!」

 

 顔を戻す前に牽制の魔法の射手を放ったが容易く避けられていたアスカは、人と世界のあるべき正しい姿という言葉に反発を覚えた。

 

「ふざけんじゃね」

 

 怒涛の拳を捌くアスカは、不意に猛烈な反発を覚えて歯を強く噛み締めた。

 

「ふざけてんじゃねぇぞ、テメェ!」

 

 人間は愚かである。言語という意思疎通の道具を持っていながらそれを活用しようとしない。流血の果てにしか人は学ぼうとせず、多くの犠牲で教訓を得ても時間が経てば忘れてしまう。

 何度も言われていることだが、人類の歴史から戦争やそれに類する火が完全に消え去ったことはない。

 

「世界は不完全かもしれねぇ。人は愚かかもしれねぇ」

 

 欲望・独善・無関心、それらが戦いを産み、人々は更に戦い続ける。人の中のエゴイズムが失われない限り、戦争の火種がなくなることはないのかもしれない。どれほど嘆いても、止めようと足掻いても叶わず、結局自分もまた戦いの道を選んだ。

 何時かはやがて何時かは―――――そんな願いは決して叶わないのかもしれない。もし『完全なる世界』のやろうとしていることを止めれば、人はこのまま何時までも、際限なく争い続けるばかりなのかもしれない。

 ならば、あるべき正しい姿とは何だ。今を精一杯に生きている人達は、そこから外れた間違った存在だというのか。

 

「だからって、人や世界に正しいも間違いもあるわけないだろうが!」

 

 アスカは声を限りに叫び返して一直線に突きこむ拳を躱しざま、ぐるりと身体を回転させて裏拳。余波だけで大きく大地を抉ったその裏拳をフェイトは跳躍して回避しながら、左目を妖しく光らせた。

 やばい、と思っても放たれた裏拳は止まらない。

 フェイトの左目から光線が放たれて、石化の邪眼という高等魔法を受けたアスカの腕が石像のように固まる。

 

「うらぁ!」

 

 体の内側から無理やりに力を通して石化を解除し、並行して魔法の射手・雷の一矢を生み出した瞬間に爆発させる。

 雷光で視界を塞ぎ、石化の邪眼を防いでいる間にフェイトは「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト」と始動キーを唱えていた。

 

「小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ――」

「させるか!」

 

 触れただけで石化させてしまう雲を生み出す『石の息吹』を放つ前にアスカの魔法の射手が先制する。

 威力は左程ではないが受けるにはダメージを負ってしまう。フェイトは舌打ちをしながら魔法の発動を止めて、魔法の射手を弾く。

 二人は闘い続ける。

 戦い―――戦い―――戦い。連綿と続く修羅の道から、人は初めて救い出されるかもしれなかった。自分のしていることは、それを邪魔する行為に他ならないかもしれない。

 だけど、全ての命は産み落とされた瞬間から、その人のものとなる。命に意味も必然もない。みな、同様に戦い、生き抜き、この瞬間を味わう。それに『正しさ』などという基準を当て嵌める権利は誰にも無い。

 

「正しい答えなんか出ないんだよ! 出せるならとっくの昔に誰かが出してる!」

 

 怒涛の攻撃を放つアスカは自分が善人だとは思っていない。視界に入った全ての他人が例外なく善意の塊だとは思っていない。旅の中で、人がどれだけ邪悪になるのか、人間という生き物がどこまで容赦がないのか理解している。

 

「だから探すんだ。求めるんだ。何時かはそこへ辿り着けるのだと信じて!」

 

 圧されて吹っ飛んだフェイトに向かって白い雷を放った。

 

「ちィッ!」

 

 堪らず、フェイトは地面を隆起させて盾にした。躱すことを考えられる速度ではなかった。

 外と内側の両方に幾重にも重ねされる土の盾が、白い雷を受けて撓んだ。幾層にも重ねられた土の盾は、雷撃を受け止めていた

 

「諦めた奴が俺の道を阻むんじゃねぇ!」

 

 ならばとばかりに、二発目、三発目、四発五発六発――――と、まるで流星雨の如く白い雷が降り注ぐ。

 

「どれだけ進んでも問題のツケばかりにぶち当たる。諦めた方が正しいのだとしても、上手くいかないことばっかりだとしても、それでも前に進むんだよ! 変われるのだと訴え続けなきゃ何も変わらない!」

 

 連発性を重視して一発の威力を落とした無詠唱の白い雷の猛射がフェイトへと浴びせられた。穿たれても自己修復する土の盾を幾重にも作り上げながらも、雷撃が着地する度に破砕された土の欠片が花火のように散った。

 

「ぬっ、ぐぅうう」

 

 地震が起こったように地面が震え、大気が爆発に拍動した。絨毯爆撃を受けようとも傷一つつかない土の盾が欠損し、砕け散った岩塊が赤熱した雫となってそのまま飛びぬけていった。

 視界を粉塵で遮られ、射撃を止めた。赤熱した粉塵の煙の向こうにまだ人影があった。その人影に向かってアスカが躍りかかる。

 土の盾は無残に砕かれ、制服や体に傷はついているもののフェイトはまだ生きていた。縮地で一瞬で迫って来たアスカの拳をフェイトは受け止めた。

 

「ナギ・スプリングフィールドは答えを持っていなかった。人に期待だけさせて、何も為せずに失敗した。君も同じだ」

 

 広げた掌で拳を受け止めたフェイトは、嘗てもそうしたように言葉を発する。

 十年前、彼に本人にも気づかぬ期待を抱かせたナギ・スプリングフィールドは失敗した。今に至るのはあの時、自分が無意識に彼を殺すことを躊躇したことから始まっている。

 

「例えここで世界を存続させても混乱は長く続くだろう。人々は猜疑心に囚われ、或いは混乱に乗じてより多くを取ろうとし、戦火は魔界や旧世界にも広まる可能性がある」

「何を……!」

「旧世界と魔界の手を借りるということは、魔法を旧世界に公開する必要がある。分かるかい、あの世界でも新たな差別が生まれる」

 

 魔法使いとそれ以外ではない。強大な力を持つ者達を恐れた結果生まれる人種差別(・・・・)だ。

 肌の色が違う、瞳の色が違う、信仰が違う。そうやって人という種は、自分とは異なる者を忌避してきた。そしてそれは、旧世界でも魔法世界でも行われてきた事だ。理不尽な侵害と弾圧―――――それは何時の世も変わらない世界が必ず抱える闇の一つなのだから。

 

「人は動物を差別しない。だが、自分と異なる人間は差別する。知ある生き物として差別されて快い者はいない。待っているのは戦いだ」

 

 生み出されて十二年間でこれまで見てきたものが、次々とフェイトの脳裏を過ぎる。目の前で花弁となって消えた女、あの美味しい珈琲はもう飲めない。

 救い難い運命の中に置き去りにされた全ての為に終わらせなければならない。自身に架せられた運命ではない。生まれてから見たものから考えた末の結論である。

 

「君がしようとしていることは無用な争いを、犠牲を生むだけだ。僕が終わらせる!」

 

 空を駈けながらの近接戦闘(インファイト)の最中、地面が限りなく近づいた瞬間に足に魔力を纏わせて力強く踏み締めた。彼が踏みしめた地点が不自然に盛り上がり、葉脈の如き線を生んで周囲に伸ばした。ばかりか、その脈は瞬時に更なる地下の深奥へと潜り込んでとある液体(・・・・・)を刺激した。

 下から何かが突き上げる音がした直後に轟音が鳴り響く。フェイトが無詠唱で発動した地を裂く爆流によって中心に大地が爆発した。

 

「!?」

 

 まるで地面の深い地下で爆発したような衝撃と共に足場が崩れ、足元に開いた地割れから鋭い岩石の槍衾(やりぶすま)が飛び出したのをかわして、たまらずアスカの体勢が崩れた。

 

「今度こそ―――――この混迷に満ちた世界を終わらせる!」

 

 決意を胸に飛び上がり、膝蹴りをガードさせながら同時に左を叩き込む。

 

「―――お前は……!?」

 

 防御し切れなかった蹴りの衝撃が顔の前に構えた腕を突き抜けて前頭部を揺らし、反応し切れなかった拳が左前腕部に入った。同時に弾けた衝撃を受けながらアスカの口から疑念が零れた。フェイトからドス黒い闇の粒子が放射されるように、強烈な負の感情が伝わってくる。だが、それはアスカだけに向けられたものではない。

 覚えがある。これはアスカを見て、その背中にナギを見ていたデュナミスから発せられたのと同じ感覚。

 

「「!」」

 

 ぶつかり合ったフェイトの拳の間から激しいスパークと光塵が散る。

 パワーを上げて敵の攻撃を振り払おうとしているのに、じりじりとアスカが押される。咸卦・太陽道を使っているアスカが魔力だけのフェイトに力負けしている。ジャック・ラカンにも迫ろうという圧力を持ってアスカを追い込む。このままではいずれ押し切られる。

 

「勝手に世界を終わらせるんじゃねぇよ」

 

 そう判断したアスカは瞬間的に咸卦・太陽道の出力を抑えた。自動車で言えば全開で踏み込んでいたアクセルを一気に放したようなものである。突き進んでいた敵の力を受け流し、またそれを利用して、その場でくるりと身体を回転させ、オーバーヘッドキックのような格好で足裏をフェイトの胴部に叩きつける。

 蹴りつけた反発力を使って、アスカは崩れた体勢を整えるためにフェイトとの距離を開けようとした。が、相手の動きの方が僅かに速かった。無防備に晒されたアスカの背中に、反撃の蹴りを食らわせたのである。

 

「くっ!」

 

 後背から来る攻撃の気配を探り、身体を捻って頭部を守るようにして腕を掲げる。

 蹴り飛ばした直後に追ってきたフェイトが思い切り腕を振り下ろした。激しい衝突音がしてアスカは弾き飛ばされたが、しかしその勢いのまま背面飛行し、魔法の射手を放つ。

 

「だとしても、旧世界で生まれ育った君に魔法世界の未来を決める資格もまたない」

 

 広範囲に及ぶ五十以上の魔法の射手を前にして、フェイトは退かなかった。フェイトを囲むように小さな魔法陣が浮かび上がり、魔法陣から黒い杭が出てきた。

 杭を打ちつけるようにフェイトが右手を振った。千には及ばないものの数十、数百にも届くかと思われた万象貫く黒杭の円環(キルクルス・ピーロールム・ニグロールム)がフェイトの命令と共に撃ち出される。

 すると杭の群れが、それ自体が生命を持つかのごとく、それぞれが異なる方向と捻れを以って迫り来る魔法の射手へ襲い掛かったのである。

 あるものは地面へと潜り、あるものは頭上から降り注いだ。またあるものは蛇のように円を描きながら抉らんとした。五十以上の魔法の射手と数百の石化の黒杭が迫り、次々と激突して絨毯爆撃のような閃光を上げていく。

 数で劣った時点で射程外に退避していたアスカに向け、フェイトが爆炎を掻い潜って虚空瞬動を行って突進する。

 フェイトが肩で担ぐように構えた千刃黒耀剣を叩きつけるように両腕で振り下ろした。アスカは迎え撃つように雷の投擲で受け止める。

 石の剣と雷の槍の接触面から苛烈なスパークが四散し、チェーンソーで木を削り取るような甲高い音が鼓膜を煩わせる。

 

(不味い……!)

 

 敵は流れに乗っている。いや、意志の力で無理やり流れを造り出したのだ。一度それに呑み込まれては抜け出すことが難しくなる。アスカはそう判断したが、寸瞬遅かった。既に敵が先んじていた。

 怒りに呼応するようにフェイトの周囲に加速度的に黒剣が現われ、背後から全ての黒剣が四方に飛び散った。放たれるとそのスピードを上げ、四方八方からアスカに襲いかかる。何十もの黒剣が彼の意を受け、鋭い弧を描いてアスカを切り裂かんと押し包む。

 加速したアスカの視界に、己を包み込むように無数の黒剣が迫る。圧しかかるような圧迫感に、体の奥底から悪寒のような戦慄が這い上がってくる。逃げ道もなく完全に網を打たれたかのように映った。漁られた者に死を齎す、美しく、致命的な罠。

 

「ふっ……!」

 

 集中力を極限にまで高め、時間が止まったかのような静止画の中で遅々とした速度で激流のように襲い掛かる全方位から放たれた黒剣を、湖岸を流れる清流のようなゆったりとした動きで、常人にはありえない反応を見せて、それらの黒剣全てをすり抜けた。

 千刃黒耀剣を放ったと同時に浮遊術で飛び上がったフェイトが、ス……と片手を上げる。

 

「ぬ!」

 

 千刃黒耀剣を潜り抜けたアスカの足元が光を放つ。六芒星の魔法陣が浮かび上がり、六芒星の頂点に位置する地面から六本の石柱が地面を割って直立する。魔法陣が効果を発揮して、飛び上がりかけたアスカを地に縛り付けた。

 

「これは地系の捕縛陣!?」

 

 動こうとしても捕縛陣によってギシギシと体を縛られて何も出来ない。戦闘中にこれだけの強度の仕掛けを仕込むことはまず不可能。予め戦闘前に準備していたということになる。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタルヴァンゲイト。おお 地の底に眠る死者の宮殿よ、我らの下に姿を現せ!!」

「何!」

 

 力尽くで破ろうとしたアスカの耳に距離を取って浮かび上がったフェイトの詠唱が入ってきた。

 

「冥府の石柱!」

 

 驚きによって捕縛陣を破ることが遅れ、詠唱を阻む者の無い魔法が効果を表した。

 フェイトの背後の天空に無数に浮かぶ無数の巨大な石柱。

 

「行け!」

 

 フェイトの手を振り下ろす動作と同時に未だに捕縛陣を破れていないアスカ目掛けて落ちてくる。それだけではない。先ほど、地面に突き刺さった千刃黒耀剣までが敵を求めるようにアスカへと迫る。

 千刃黒耀剣の動きに先程までの機敏さと鋭敏さがない。まるで無造作に投げられたナイフのような無軌道な動き。無秩序であるが故に軌道を読むことが出来ない。

 フェイトが、地系の捕縛陣を展開してから冥府の石柱の詠唱を始める間にアスカ目掛けて放っただけで制御はしていないからこそ、絶対の包囲網が完成していた。

 千刃黒耀剣でアスカを予め定めていたポイントに誘導して、仕込んでいた地系の捕縛陣を発動。アスカが捕縛陣に縛られた直後、最初に誘導して地面に突き刺さっている千刃黒耀剣を制御してアスカ目掛けて放つ。そして冥府の石柱の発動。

 一つ一つを破るのは容易くとも三重に絡め取られたアスカに対する絶対の包囲網が形成された。

 

「くっ!」

 

 アスカは腰を落として防御のような姿勢を取り、衝撃に備えるのが見えた。ほとんど間を置かずに強大な大質量で柱状の一枚岩に呑みこまれてしまう。

 

「アスカ!」

 

 巻き上がった土煙が晴れた時、そこにアスカの姿はなかった。小太郎らが彼の姿を求め、戦場に目を光らせるが、どうしても見当たらない。

 

―――――まさか、アスカがやられてしまった!?

 

 小太郎達が、俄かには信じがたい思いにかられた瞬間、突如としてフェイトの真下から地面を突き破って雷霆の台風が向かって来る。

 

「くっ!?」

 

 向かって来る雷の暴風を前にして大魔法を使ったばかりのフェイトに避けるだけの時間はない。常時展開している多重高密度魔法障壁を強化して対応しようとするも、威力に対して防御の力が足りなかった。

 大爆発を起こしてフェイトの姿が爆炎と黒煙の向こうに消える。

 

「フェイト様!」

 

 調達がフェイトの名を叫んだ叫んだ直ぐ後に雷の暴風が通った穴から誰かが出て来た。当然、アスカである。

 無傷、ではなかった。完全に躱し切ったわけではなかった。

 アスカは全身に傷を負っていた。服の至ることろが破れ、切り傷が刻まれている。最優先の地系の捕縛陣を破っても上空から迫る冥府の石柱と地上から迫る千刃黒耀剣を前にした回避不可能な絶望的な状況。

 絶体絶命に陥ったアスカは混乱をする自身を抑えつけて今までの経験から最適の行動を割り出した。

 千刃黒耀剣に切り裂かれたり、冥府の石柱に押し潰されるよりかはと、地面に一撃を加えて逃げることを選択した。とはいえ、捕縛陣に囚われている中でタイミングはギリギリ間に合わなかった。

 千刃黒耀剣に切り裂かれ、冥府の石柱に押し潰されながら地面に穴を開けて致命のダメージだけは避けた。0コンマ数秒の躊躇いもなく行動しなければ死んでいたところだろう。

 

「まぁ、九死に一生はお互いさまってか」

 

 アスカが上空を見上げれば十分な溜を持って放たれた雷の暴風を、障壁を強化したとはいえまともに受けたフェイトが黒煙から姿を現したところだった。

 負った負傷は同程度、損耗具合はデュナミスと戦ったアスカの方が重いぐらいか。

 

「どうだ、必勝の策を破られた気持ちは?」 

「あの程度が必勝のはずがないだろう。手間をかけた割には効果は薄かったってだけだよ」

「つう割には仏頂面してんぞ」

「そう見えると言うなら君の目は腐ってるんじゃないか」

「ほざけ!」

「君もね!」

 

 アスカの蹴りをフェイトの腕が受け止めると、ガキィン、と重い金属の塊同士が激突したような音が響いた。

 腕を使って蹴りを防いだことで顔面の防御に隙が出来た。その隙にねじ込むようにして下から拳が突き上げられる。迫り来る拳を何とか頭を横に動かすことで回避して躱す。

 

「やはり勝手だよ、君達英雄は」

 

 この世は天国と地獄が同時に存在している。

 人は死を迎えると、神様はその人を天国へ送るか地獄へ落とすかを決めるらしい。だからこそ、人は生きている間に良い行いを沢山して、天国へ向かう準備をするものらしい。しかし、神様が全ての人々を救う力を持つならば、そもそも何故「地獄」が必要なのか。

 

「どれだけ傷つこうとも、何を喪おうとも前へ進もうとするその気概は素直に称賛しよう。だが、世の中には君達のようにはいかない。不安に揺れ、喪ったことを嘆いて、足を止める」

 

 全ての人を救えるなら、一人も残らず救って上げれば良い。何か道を外した人がいるならば、正しい道へと引き上げて上げれば良い。救いの手なんてものが本当にあるのなら、等しく平等にみんなが笑って幸せにならなければ一番嬉しいはずなのに。

 

「幸福な者は一部だけだ。大半が不幸を嘆き、苦痛と共に生者を呪って死んでいく。そんな世界が正しいわけがあるものか」

 

 どうして、限られた人しか幸せになれないのか。

 どうして、選ばれなかった人が地獄に落ちなければならないのか。

 何時だって救いの手を求めるのは運命から見放された「選ばれなかった人」なのに。

 

「世界を変えなければならない。でなければ、何時までも救われない者だけが増え続ける。この世から嘆きの声が消えることはない」

 

 善行を積んでも、それを評価して報いてくれる父はいない。悪を罰する約束はない。

 祈ったところで、救ってくれる神はいない。この世界は、そんな世界だ。人は、実在しない神にしか希望を持てないからだ。

 

「未来がなんだ。今を救って見せろ。過去からの嘆きを止めれないのならば、君こそ僕の邪魔をするな」

 

 それはアスカ・スプリングフィールドとは全く正反対の考えだろう。前へ進むためではなく、後ろを振り返るために全力を尽くす。

 

「過去からの嘆きか。確かに止めれねぇな」

 

 目に見え、手で触れられるものに人は絶望する。それは絶対に希望を上回ることはない。見えれば見えるほど、触れれば触れるほど、より失望していく。だが、それでも………失望しても、絶望しても、人間は生きていくしかないと諦観する。

 

「でも、お前の道は未来の笑顔も摘むことになる」

 

 この世にいるありとあらゆる全ての人間が例外なく救われないのならば、現在まで歴史は続くはずがない。ネギ然り、アスカ然り、多くの人々の心の中には、どうしようもない闇や欲望と一緒に、ちっぽけだが力強い光が宿っているのだと言う事を。

 

「君の道は嘆きを増やすだけだ」

 

 どこで世界は狂ってしまったのだろう。どこで哀しみはとめどなくなってしまったのだろう。

 ここで自分達がしていることこそが、まさに人の欲望を体現している。どんな理屈を掲げていようとやっていることは変わらない。

 これこそが人の本質なのか。妬み、憎み、戦う。それこそが人が欲望を脱しきれていない証明なのか。共に歩むことは出来ぬとその未来を切り捨て、相手の明日を潰すことで自らの明日を確保しようと望む。護るための戦いで相手の望みを奪う矛盾。

 

「望む世界は同じだ。誰もが嘆かず、幸福でいられる世界」

「けど、方向性が違う。僕は過去を、君は末来を望む」

 

 二人の道は平行線を辿る。決して道は交わることない。

 

「完全なる世界は幸福が確定された世界」

「未来はない。閉塞した、何時かは自滅する世界だ」

「未確定の推測に過ぎないよ」

「現に俺は抜け出した。永遠もの時間があれば夢から目を覚ます奴も現れる。誰かに救い上げてもらっても人は変わらない。自覚し、変わろうとしなければ、人は、生命は変わらない」

 

 所詮は感情論で否定しているのに過ぎないのかもしれず、明確に否定する論拠があるわけでもない。しかし、言葉が溢れて来る。信じ合い、響き合い、胸の中で鍛えられてきた思いが、熱になって込み上げてくるのが分かる。

 

「夢を見るのは寝ている時だけで良い。俺達は現実を生きているんだから。現実を生きている俺達自身が変わらなければ意味がない」

「天に祝福された英雄だけが言えることだよ、それは!」

 

 否定するようにフェイトの足許に渦巻いていていた灰煙が鋭利に尖った石を複数形作り、その尖端をアスカに向けて発射した。

 放たれた障壁突破(ト・ティコス・ディエルクサスト)石の槍(ドリユ・ペトラス)が、迫るアスカに襲い掛かる。鋭い石柱で相手を攻撃する魔法・石の槍にあらかじめ詠唱しておいた障壁解除の呪文の発動を遅延させ、同時に発動させたもの。

 アスカの防御力で障壁を展開しても突破されるだけ。だからこそ、アスカは防御でもなく回避と迎撃を選んで最短コースを選んだ。

 複数の石の槍の間に身を投げ、当たりそうになるものだけを弾いて表面を掠めるようにして、旋回しながら接近したのである。

 

「バカな!」

 

 敵の移動スピードと自分から攻撃に向かっていく無茶な行動にフェイトが驚く。 

 しかし、フェイトは一瞬の精神的失調を振り捨て、近づくアスカを迎え撃つべく四肢に力を込める。

 

「このっ……!」  

 

 二人の拳がぶつかり合い、間を置かずにもう片方の拳も放って激しく閃光が散る。それは、意志と意志とが互いにその身を削りあうような凄まじい光の乱舞であった。

 爆発的に生じた干渉波に弾かれ、後方に撥ね跳んだフェイトの体が一瞬がら空きになる。チャンス、と他の思考は吹き飛び、アスカは一気に前方へ跳んだ。

 

「こうなる他に道はなかったのか!」

「あったかもしれない! けど、どうして分かる! 事実を知ろうとも自分たちのことしか考えない者達しかいない世界でどの道がある!」

 

 アスカの叫びに対するフェイトの返事は、彼に押し寄せるあらゆるジレンマへの呪詛が込められていた。沸き立つ激情によって全身からあらゆる邪悪が染み出してきて、放つ攻撃全てに乗り移っているようだった。

 石柱が落ち、雷槍がぶつかり合う。

 破片があちこちに飛散し、雷撃の残り香が焼き尽くす中で二人は言葉を交わし合う。

 本当ならばこうして交わす言葉に意味はない。言葉が心を通じ合わせるものであるなら、絶対に分かり合えない二人に言葉は不要でしかない。だが、それでも言葉にして示さなければ、世界は希望も絶望も知ることが出来ないのだから。

 人は言葉を発明して意志の伝達を行い、文字を発明して知識を後世に伝えることが出来るになった。

 だが、伝えることが出来るのは知識であって感情ではない。話を聞き、書物を読んで感情を継承した、或いは共有したつもりでいても、所詮は「つもり」でしかないのだ。痛みを伴わなければ伝聞など突き詰めれば情報でしかないのである。生物として生まれた以上は寿命により人ならば百年で世代が交代し、感情がリセットされてしまう。

 

「誰も選ばない。失った痛みを忘れ、もう争うのは嫌だと言いながら何度でも繰り返す!」

 

 雷が蛇のようにのた打ち回り、黒曜剣が避雷針の如き役割を果たして滞留する。

 

「何度も! ああ、飽きるほど何度もだ!! どうしろというんだ! ああ! どうしろっていうんだ!」

 

 呪うように言い募るフェイトの言葉が蹴りと共にアスカの胸を打つ。

 誰もが自分の幸せを願う当然の権利を主張し続ける。自分の幸せを、自分の意思でと。それがぶつかり合って大きな戦いのうねりを生み出す。

 

「人は変われる。みなが望めば――――」

「それが綺麗事の楽観論しかないと言っているんだ!」

 

 胸を打つ足首を持ち捻るよりも早く抜け出したフェイトの強い声で遮られ、蹴りを受けたアスカは虚を突かれた思いで顔を見返した。

 

「誰も世界が変わるなど信じはしない。今の生活を守れれば、百年後の世界がどうなろうとも、他人がどうなろうともどうでもいい。そんな人間たちを敵に回して一人で戦うのか? そうまでして、なんの意味が――――」

 

 顔を狙って来た拳を腕で弾いたフェイトの望みは勝ってこの不完全な世界を終わらせ、完璧で幸福な世界を創り上げたい。それだけだ。

 

「戦うとも! 一人でも、意味がないとしても!」

 

 二人は舞い続ける。衝撃波は光となって空を飾り、戦いに花を添える。

 全体としては何かが崩れていく中で、アスカとフェイトの衝突は世界そのものを無視した美として完成されつつあった。だがその美は、完成されれば壊れるしかない脆いものであると、誰もが予感してもいる。

 

「俺は俺なりの理由があって、ここまで来た」

 

 拳をぶつけ合って大きく距離を取りながら、何時だってアスカの戦う理由は己の中にあったから言い切った。

 数は絶対だ。今を見るならば、救われる者が多いのは完全なる世界。そんなことは百も承知でアスカは闘うことを選んだ。

 まともではない、そんなことは分かっている。でも自分が求める物はこの光の先にある。なにもできないかもしれない。後悔しながら死んでゆくだけかもしれない。

 自分はまだ、こうして生きている。戦うための命がある。拳を握るための指は動き、相手を見据えるための目も開いている。ならば、最後の最後の瞬間まで、投げ出してはならない。 

 確かに、人は愚かしい存在かもしれない。自らの世界を汚してきた人間たちを、《運命》という超越的な存在が排除しようと審判を下したとして、当然のことかもしれない。だけど、アスカはそんな『運命』を座して受け入れる気はない、認めない。

 

「それでも俺は明日が欲しい! 自らの足で歩き、自らの意思で求めた先にある未来が!」

 

 1001矢の魔法の矢と万象貫く黒杭の円環が真っ向からぶつかり合う衝撃波に身体を揺るがせながらもアスカの芯はぶれていない。

 未来に希望を持てるから、人はどれほどの苦難を経てもなお、頭を上げることが出来る。人は愚かかもしれない。どうしようもなく醜い存在かもしれない。それでも尚、その内に美しい夢を秘めているとアスカは信じている。

 

「正しくなくても、不完全な世界でも生きていくしかない! 間違っても苦しくても! それが生きるってことだろうが!」

「英雄の戯言だ!」

 

 次々と魔法の矢と万象貫く黒杭の円環を放ち続け、墓守り人の宮殿を爆光で染め上げる。

 見知らぬ他人を救うために己を投げ出す者がいれば、欲望の為に家族を殺す者もいる。壊れた本能は感情を超えられず、人を命の破壊者にしてしまうのだ。それを素晴らしいことだと褒め称えたり、なににも勝る罪と恐れ貶したりするのもまた人なのだから。

 運命という概念はどのようにして生まれたのだろうか。

 偶然の出来事も全て過去によって起因しているとしたら、確かに宇宙の誕生以来時間は一つの方向に向かって動いているのかもしれない。

 耐えねばならないのは現在だけである。過去も未来も押し潰すことは出来ない。何故なら過去は既に実在していないし、未来はまだ存在していないのだから。

 歴史にもしもは無い。それでも未来にだけは無限の可能性を求めるからこそ、人類はここまで発展してきた。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

「ああああああああああああああああっ!」

 

 アスカとフェイトの叫びに、拳が交錯し、人知を超えて荒れ狂う。ぶつかり合う二人は、まさしくヒトガタの天災に他ならなかった。

 単なる威力だけの激突ではない。技術が、駆け引きが、その全てが至高の領域。この二人は、間違いなく世界の頂点に立てる実力を持っている。

 彼らの戦いは既に無意識の領域だ。本能と理性は乖離し、しかして融合し、空中戦を演じ続ける。 

 激突し、弾き合い、防ぎ、応戦し、再び縺れ合う。たった二人のヒトガタの戦いが、天と地を裂くこの異常。一進一退というが、これは互いに一歩も譲らぬ決闘であった。

 轟音を立てて爆砕する地面。重力に絡め取られ、落下する瓦礫を三角跳びの要領で蹴って跳ね回りながら激突し、文字通りの瞬く間に幾つもの瓦礫が粉砕されていく。 

 

「すっ……」

 

 旋風として巻き上げ、刃として研ぎ澄まし―――――鎌鼬。

 近距離から放たれた無力無形の鎌は、フェイトの血管を切り裂き、腱と脛を断つ。頚動脈を深々と切り裂く。フェイトが力なく啼いて、砂となって崩れ去った。

 何時の間にか砂と入れ替わっていた本物のフェイトはアスカの直上で足を振り上げていた。

 

「はぁ!」

 

 裂帛の声と共にフェイトが上がっていた踵を振り下ろすと、衝撃波が墓守り人の宮殿を縦断し、軌道上にあった建物を倒壊させながら端まで到達する。

 あらぶる獣の素早さ、鋭さで体を操り、蹴りを放つ。

 

「ぜぁ!」

 

 対するアスカが拳を振り上げると、巨人の剛腕でも受けきれないと思われる拳激は弾かれ、アスカの一撃から発生した衝撃の余波は宮殿をミルクの如く渦巻く魔力の海を一瞬だけ両断する。

 二人の戦いは、一瞬交錯し、残像を刻みながら打ち合った。地を割り、天を裂き、星さえも砕かんとする互いの拳と脚が合わせた合数は既に五千を越えていた。

 アスカが攻撃を放つと同じ数だけフェイトも攻撃を放ち、激突は止めどなく連鎖する。その度に悲鳴の風は勢いを増し、罅割れた地面から破片や土塊が中空を舞うのだった。

 人にはありえぬ速度、ありえぬ精密さで、二人は戦い続ける。三次元空間を駆け抜け、飛び抜け、衝撃の発生位置は予想もつかぬ。瞬間移動に匹敵する互いの戦闘機動を行っている。

 血が爆ぜる。肉が沸騰する。骨が残らす焼け落ちる。しかし、両者の実力は全くの互角で、一向に勝負がつかない。強烈なエネルギー同士が炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り三時間。

 

 

 






次回『第85話 平行線の先』


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