魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

86 / 99


なんとか一ヶ月空けずに更新できました




第85話 平行線の先

 

 

 

 

 

 墓守り人の宮殿を、激しい衝撃が殴打している。大気を振動させて駆け抜けるのは、腹の底まで響くような破裂音だ。破裂音は一度ではなく、連続して発生している。刻まれるリズムは常に不規則。発生する位置も目まぐるしく変化している。

 衝撃が生まれる中心には二人の青年がいた。アスカ・スプリングフィールドとフェイト・アーウェンルンクンス。絶え間なく生じる空間破裂は、二人の青年が繰り広げる激突によるものだった。

 これは、自分の力を試す勝負ではない。負けてはならない男の戦いだった。

 無謀で野放図な目標だとしても、世界を変えると言った責任を果たさなければならない。これは誰か他の大人に援助してもらうことが前提の少年の夢ではないのだから。

 

「シャァッ!」

 

 フェイトがアスカの頭目掛けて攻撃を仕掛けながら、口から獣の如き叫びを上げた瞬間だった。

 攻撃を避けたアスカの真下、コンクリートの地面を突き破って巨大な石柱が出現した。

 

「っ――――……!」

 

 アスカは咄嗟に大きく後方へ飛び、そのままザザと地面を滑りながら着地する。

 無詠唱で優に五メートルを超す厚くて巨大な石の塊。その質量は恐らく、十トンを超えるだろう。先の尖ったクリスタルのような形状。

 これほど少ない魔力でこれだけの石柱を一瞬で生み出すとは。

 

「今のに気付くとは、君は凄いね。まったく敬服するよ」

 

 フェイトは心から敬服していた。ここに辿り着くまでの戦闘によって疲労しているはずなのに、消費していない自分と互角の戦いを演じている、アスカの強さに。彼の拳に宿る、計り知れない想いの強さに。

 

「ふん、そう思うならさっさとやられろ」

 

 消えゆく灯火が暗転の間際には鮮烈輝くように、アスカの全身からは一層激しい光が立ち上っていた。

 二人は再び、踏み込んだと同時にいきなり中間で激突した。

 

「――――ッ!」

 

 激突を続ける最中、フェイトの視界からアスカの姿が掻き消えた。

 フェイトは自分へ向かって地を這う影が見えたので右の抜き手を下へと放った。しかし、アスカの左手が払う動きでフェイトの抜き手を捌き、代わりに斜めに振り上げる動きで拳が来る。

 

「ゴハ――なっ!?」

 

 慌てて後ろへ跳んだのに、胴を貫く衝撃を受けた。

 アスカの拳は間違いなく届いていなかった。だが、それでも距離を取った自分が攻撃を受けている。見ると、自分の脇腹に雷で構成された槍のようなものが貫いていた。アスカが拳と一緒に雷の投擲を伸ばしていた為である。

 

「くっ……!」

 

 脇腹を貫く雷の槍を叩き折り、空中で崩れた体勢を整え、脚から着地するタイミングで、距離を詰めてきたアスカが拳撃の連打を放ってくる。フェイトも咄嗟に捌こうとして幾つも被弾する。

 理由は明快。アスカの攻撃がここにきて段々と鋭さを増していたからだ。

 

(これは……っ)

 

 フェイトは必死に攻撃を防ぎながら驚きを抑え切れなかった。それまでと同種でありながらキレを増していく攻撃。攻撃が鋭さを増していくのと比例するようにアスカの眼から闘気が薄れていく。

 

「ふんっ!」

 

 攻撃の間を置かず、右拳を放ちながらアスカの金的を狙って最速の左の前蹴りを打った。ガッと鈍い音。アスカは右拳に惑わされることなく冷静に捌き、フェイトの蹴りを右膝でブロックしていた。

 ヒュー、と空気を切る音がした。一撃に思えるが十に及ぶ連続のフェイトによる拳打が放たれる。

 この凄まじい速度の連打を、アスカは右拳だけで悉く打ち弾いた。

 フェイトは右手の指を二本伸ばして突き出した。伸ばされた先にあるのはアスカの両目、目潰しだ。

 アスカは一歩バックステップして、計ったように伸ばされたフェイトの指が届かない位置で間合いを外す。

 目潰しの指で目隠しにして、殆ど竜巻のような右上段後ろ回し蹴りを打ち込む。この蹴りを、指で視界を塞がれているので見えていないはずなのにアスカは急激に腰を落とした。フェイトの蹴りはアスカの頭上数ミリを霞め、髪の毛を何本か巻き込んでいく。

 腰を落としたアスカは、そこから縦に回転した。地面を蹴って小さく跳んだのだ。右脚を伸ばして、回転の勢いを利用して思い切り踵を打ち落とす。

 

「!」

 

 上体を後ろに反らしたところで、フェイトは危ないところで避けることが出来た。

 胴回し蹴りのような攻撃を放ったアスカが綺麗に脚から着地して、まだ上体を反らしたままのフェイトの懐に潜り込んだ。フェイトが慌てて上体を戻した既にアスカの攻撃は放たれている。

 ドドンッと複数の打撃音が連続して響き渡る。フェイトの肩と脇腹に、一発ずつアスカの拳が炸裂した。 

 

「これは……決勝の時と同じ」

 

 ネギと闘った時に辿り着いた「無念無想」の境地に、アスカは再び踏み込んでいた。闘いを続けるごとに一歩、また一歩と確実に入り込んでいる。

 

(動きが先読みされているのか!?)

 

 攻撃を避けた場所に魔法の射手が放たれ、無理やりな動きで首を動かして避けたが頬を焼いていく。

 全ての攻撃に動きに対応されている。まるで予知されているかのように事前に対応策が敷かれていて、フェイトは動けば動くほど自縄自縛に陥っているかのような錯覚に陥っていた。

 

「遅ぇ」

 

 無理やりな動きに動きが一瞬硬直し、そこへ大きく振りかぶった蹴りを避けることが出来ない。

 

「ぐぅっ!?」

 

 今取れる最大の防御をするが十分な溜めを以て放たれた蹴りが腕ごとフェイトを吹っ飛ばす。

 寧ろそうやって吹っ飛ばされて距離を空けることが目的だったが追撃の魔法の射手が放たれて防戦一方になる。

 

「後ろががら空きだぞ」

 

 百を超える魔法の射手を障壁を全開にして耐えていると、背後に突如としてアスカが現れた。背面を取られたフェイトが対応するよりも早く頬がグルンと回る。拳が頬を打ち抜いたのだ。

 今まであった無駄な力み、無駄な動作、無駄な思考がアスカから消えていく。動作のおこりを完全に殺したその足運び。武道を志した者ならば、何時かは辿り着きたいと願うその動き。

 まるで、雲の上を歩む仙人のように軽妙かつ玄妙な足捌き。相手の呼吸や意識の隙間を完全についた形。それは何気ないようでいて、あらゆる戦闘における奥義とも言うべき到達点だ。

 最短距離で最速で来るのは、あらゆる無駄を省き、一つ一つの動作が極限まで研ぎ澄まされた、必殺とも呼ぶべき打撃の連打。予備動作が無い――――それ故に先読みが出来ず虚を突かれてしまう無拍子。そえは所謂体感速度によるものが大きい。人は思考の視覚にある動きをされた時、それを必要以上に速く感じる。

 闘いの中でそれを自覚したフェイトは堪らず背後に大きく跳ぼうとして、

 

「――――逃がさない」

 

 完全に同じタイミングで、アスカがこちらを追って空中を蹴って一気に宙でフェイトに追いつき、右の跳び蹴りを放ってくる。

 狙われたのは側頭部。フェイトは反射的に左腕を上げ、辛うじてガードが間に合った。しかし重い衝撃が叩き込まれ、左腕全体が痺れる。

 

「ちっ……!」

 

 全ての動きが先読みされているように動かれ、どんな攻撃にも対処される。距離を開けようとしたら機先を制され、未来を予知しているように向こうの攻撃が突き刺さる。

 それでもフェイトは痺れていない右腕でアスカの右脚を掴み、そのまま地面に叩き付けようとしたが向こうの方が動きが速かった。左脚を振り上げ、直上から踵を振り下ろしてくる。

 攻撃よりも防御を優先。掴んでいる右脚を離して右腕を頭上に掲げる。

 

「!」

 

 直ぐに生まれた右腕に衝撃。だが、咄嗟に出した右腕だけでは受けきれずに直下へと叩き落される。

 

「――ガッ、ハ……ぁっ!」

 

 フェイトの全身を、激しい衝撃が襲った。

 大地に叩き付けられて轟音を生み出し、新たなクレーターを作り出す。咄嗟に背に魔力を集めて防御を高めたものの、激突の内部が身体の内側にまで響いていた。

 幸いにも戦えないほどのダメージではない。直ぐに立ち上がる。アスカが空から強襲をかけようと、大砲となって降りて来る。

 ダメージで直ぐに動けず、防御の体勢を取る。その顔は悔しげであった。

 ここに来て急成長を続けるアスカに、フェイトは一抹の勝利の予感を抱けなかった。それどころか自らが負けるイメージばかりが思い浮かぶ。

 

(負けるのか、僕は)

 

 敗北の二文字を思い浮かべた瞬間、いきなりフェイトの中に怒りが溢れた。

 

「まだ僕は全てを出し切っていないっ!」

 

 怒りを引き金として何かが彼の意識を強制的に引き上げた。同時にフェイトの世界は一変した。

 例えば、盲目の人間が視力を手術で取り戻したようなものだ。これまで視野が前方に限られていた世界が、今や全天周に近く出来るかのように感じられた。それだけに留まらず周囲の時の流れが急に減速した。それは錯覚で、実際には彼の意識が急速に加速したのだ。彼らの動きによって飛び交う石が眼の前で止まり、荒れ狂う空気の流れすらも停止した。止まっているも同然に思えるほど、意識が高速で動いているのだ。

 まるでどこかでスイッチが切り替わり、時間が止まったかのようだ。

 

(見え、る……?)

 

 アスカの攻撃が嘘のように見える。それが体を勝手に反応させた。

 たった一センチ、一センチだけ体を動かす。その一センチが降りて来る蹴りを絶妙に外させた。

 アスカの攻撃が決まらなかった。「無念無想の境地」に入り、どのような時でも何ら変化のなかったアスカが初めて瞠目した。予定調和のように決まるはずの攻撃が躱された。

 フェイトは回避したその一瞬に深く体を沈めていた。そして、そのまま大きく踏み込んで、後少しで地面を蹴り抜くアスカの胸を左右の掌で打ち据えた。ドンッと大砲のような音が轟いて地面が大きく陥没するのと、アスカの身体が木の葉のように舞うのは同時だった。瓦礫の一つに大きな音を立ててぶつかり、砂塵が舞い上がる。

 無防備に必滅の攻撃を受けたアスカが起きれる一撃ではなかった。並みの者ならば爆砕してもおかしくはない一撃。

 

「立て、アスカ。大して効いていないのは分かっている」 

 

 超然と言い放つその瞳からは、アスカ同様に溢れんばかりの闘争心が消えていた。否、静かだが重い闘争心が目の奥深くに感じられた。

 無駄な力なく、すっと立った姿はそれだけで一個の芸術だった。澄み渡った湖の如きその横顔は、闘いの最中にあって一切の殺意を感じさせない。悟りの境地に至った術者の在りようだった。人を打ち倒すのに殺意も敵意も不純物とみなす武術の境地の極致。

 放った双掌打だったが全力で打ったにしては手に手応えが薄い。派手に吹っ飛びはしたものの、ダメージを与えたという手応えは全くなかった。その理由も分かっている。掌打が炸裂する瞬間、自ら飛び退いて衝撃を緩和されていたのだ。

 フェイトの言葉を証明するように、アスカがむくりと上体を起こした。落下点となった瓦礫に大きな穴が出来ているが、アスカの顔にダメージの色は微塵も感じられない。

 

「この感じ…………そうか、俺の感覚に引っ張られたか」

 

 言いざま、意識の隙間に入り込むような歩法であっという間に近づいてきたアスカの拳が飛んだ。

 ゆらりと揺れるように動いたフェイトが避けながらアスカの顔面目がけて拳を返す。フェイトの拳がアスカの頬を掠める。腕を交錯させたまま、フェイトは笑った。

 

「成程、これが君が見ている世界か!」

 

 アスカが至った境地に自分も辿り着いたわけではない。正確にはアスカに引っ張られていると理解していた。

 理屈ではない。だが、アスカとの接触を契機になにかが変わり始めていたという感触はずっと持っていた。

 互いが互いの意志を見通し、自分という存在が他者の存在と共鳴して世界が拡大してゆく覚醒感。初めて向き合った時には威圧感しか感じられなかった敵が、今はなにがしかの親和性を持ち始めている。

 この不可思議な知覚を全面的に受け入れてしまったら自分が変質するとの予感はある。が、今はこうして従うのが正しいという思いは、フェイトの中に間違いなくあった。

 心臓が狂ったように早鐘を打つの感じながらフェイトが叫ぶと同時に膝を放った。至近距離、それも真下の死角からの一撃なのに、アスカは最初から知っていたかのように後方に飛んで避ける。

 

「凄まじい。今まで見てきた世界が児戯のようだ」

 

 この回避行動もフェイトには見えていた。肉体の隅々まで通った神経を操り、軸足で前方に跳躍して間合いを詰めて、放った膝を伸ばして高々と上げる。踵落としだ。しかし、行動が見えているのはフェイトだけではない。先人であるアスカもまたフェイトの行動を読んでいた。

 アスカはフェイトが足を高々と上げたと同時に飛んで避けた距離を踏み込んで距離を詰めて懐に飛び込む。これで踵落としをしても肩口に喰らうことになっても威力の半分も発揮されない。そのまま踏み込んだ足を軸として拳をフェイトの顔面に放つ。

 骨を打つ感触がアスカの手に響く。

 

「まだ君の方が上回るか」

 

 当たるよりも僅かに早く首を捻ってダメージを最小限に抑えていても、頬骨に食い込んだ拳に顔を歪ませながら冷静に分析する。

 首を振って拳を払いながらアスカの肩に乗っていた足を利用して飛び上がり、全体重を乗せた肘を脳天に叩き落とそうする。 

 

「だが、直ぐに追いついてみせる!」

 

 ドロリと粘度を持った空気を掻き分け、更に高まる動悸に全身が爆発しそうに熱くなるのを感じながら、受け止められた肘の状態で体を捻って蹴りを避ける。

 

「させるわけがないだろうが!」 

 

 少しまでの激流のような激しい戦いとは打って変わって、清流のような静かだけど激しい戦いへとシフトしていた。一箇所に留まらず、縮地と浮遊術を併用して高速移動を繰り返す。同じ高みに至った者同士は、互いの動きや流れを読み切った複雑に入り組んだ攻防を繰り広げていた。

 アスカが後方に宙返りして顔を上げる挙動まで、全てがスローモーションにしか見えなかった。

 相手の動きを視線と流れから先読みして、次の動作に対応する。知覚して、それに対応する動きを体にさせるには、何千分の一秒とい誤差があるものだが、二人は同時に行っていた。

 

「動きが見える。いいぞ、この世界は素晴らしい!」

 

 フェイトの言うことは比喩ではなかった。感覚が異常なまでに研ぎ澄まされている。世界の全てが自分とアスカを中心に収束して開いていく。全ての事象が手に取るように予測できた。それをどう呼べばいいのか分からない。だが、彼はそうすることが出来た。

 

「人に引っ張ってもらっておいて好い気になってんじゃねぇよ」

 

 咸卦・太陽道の真骨頂であるマナ支配による相手との交感。無意識化に相手から発せられるマナを取り込むことで思考から何までを読み取る。副作用としてアスカの思考まで相手に筒抜け手になってしまう可能性もある。

 アスカによって普段より活性化しているマナを感じ取り、極限の集中力状態を維持することが出来なければ同じことは行えない。言い換えればその状態を維持できればアスカに引っ張られるようにして無念無想の境地へと辿り着いてしまう。現に今のフェイトの状態がそうなのである。

 

「そこは素直に礼を言おう。この世界を知れたことは純粋に感謝している」

 

 視界の横で流れていく光景がひどく長く感じられる。世界と共に自分の感覚が拡張し、指先まで神経が張り巡らされてゆく。

 変わりに身体が重い。まるで液体に詰め込まれたかのようだが、これは時間間隔が狂ったが故のことだと分かっていた。一秒が十倍にも引き伸ばされた世界では、空気も粘度を持つ。精神と肉体が遊離し、普通の速度でしか動けない血と骨に圧がかかっているのだ。

 

「じゃあ、敗けとけよ」

「それとこれとは別の話だよ」

 

 左を出せば払い落として右、右を突かれる前に足下を蹴り払う、蹴り払われる前に踏み込んで腕を掴んで投げる、掴まれる前に捌きショートレンジから顎を狙う………と、一つの動作だけで幾つもの攻防を同時に処理している。過程や理論を一足飛びに越えて正解が見える。その正解に向けて体を動かすことが予知のような行動となっている。

 僅かな肩の動き、眼の動き、指先の曲げ具合、膝の方向、体幹の傾き、といった様々な要素の少しの変化だけなので傍目には何を意味しているのかすら分からない。

 小さな要素を幾つも組み上げて動作を読み合う事で、相手の動きを観察して攻撃の軌道を脳内で先読みし、牽制し合っていた。詰め将棋のように最初から定められたような攻防。

 

「うおおおおおおおっ!」

「まだ温い」

 

 裂帛の気合と共に放たれたフェイトの一撃を、アスカは首を動かして紙一重で避けて反撃を放つ。

 

「君もな」

 

 最初から打ち合わせていたかのように、今度はフェイトが体を横にずらして躱した。

 まるで二人で踊るダンスのように互いに流れを読んでいるが故、戦いからは余計な成分が削ぎ取られ、互いに命を奪い取らんとする鋭さと鮮やかさだけが残った。

 しかし、今の二人が戦っているのは更に高次の盤面である。

 受けられるのも、避けられるのも、全て承知の上。目的とするのは十手も二十手も先。最終的に自らが勝利する流れを掴み取らんと儚い火花を散らす。

 心を重ね合わせたことで伝わってくるアスカの心には、濁りもなければ曇りもなかった。あるのは闘争心だけで殺意もなければ憎悪も感じられない。フェイトと武技を競い合えることが楽しいとすら感じ取れた。

 

(ああ、僕も同じだ)   

 

 何時までも続けばいいという思いが心を満たしているのはフェイトも同じ。アスカも同じ気持ちであることは口元に浮かぶ笑みを見れば明白だった。

 

「行くぞ、アスカ!」

「来い、フェイト!」

 

 向き合う二人の男の間には主義も主張もない。ただ競い合えることに喜びがあるだけだ。

 二人が円を描く。交錯する姿は、まるでワルツのよう。

 何年も練習してきた円舞を披露するかの如く、優美にして大胆。ステップが一度でも狂えば忽ち破綻してしまいそうな狂気のリズム。拳と脚をぶつけ合わせながら、二人の足取りはますます速度を上げていく。

 纏う力を激突ごとにスパークさせ、二人とも全力で戦っている。打ち込んだ。打ち込んだ。打ち込んだ。身体が軽い。力が漲っている。いま、心を支配しているのはなんだろう、と不思議な思いが去来して、それがどちらの思いだったかも曖昧になる。

 憎しみか、怒りか、と考えて違うとどちらかが思った。好敵手と戦うことの昂り、自らの力の全てを振り絞れる喜びだった。

 この時の二人は世界を賭けて戦っているにも関わらず、何の言葉もなく打算もなく分かりあえていた。敵同士であっても人が全ての欲を越えて分かり合える黄金の時間がそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市を襲った異常の前触れは、本来なら二十二年に一度に大発光する世界樹が先の麻帆良祭後に半年も立たずに一般人の目にも分かるほどに光り輝いていたことから始まった。

 

「なんだ? あれ? 隕石か?」

「オーロラとも違うな。光は揺れていない」

 

 それは最初、夕焼けの空をただ落下して行くだけの物体に見えた。

 当たり前の感じ方として、早めの流れ星と考えた者が多かった。この段階でも近づいて見る事が出来たなら流れ星なんて生易しいものではないと分かったであろうが一般人の想像力で分かるはずもない。

 彼らに欠けているのは想像力である。世界中で戦争をしていても、それは遠くで行われていること、誰かが対応することだと考えている彼らには、政治家に文句を言うことは出来ても、それを当事者として捉える想像力はない。

 そう、何時まで経っても流れ星が流れず最初は霞だった存在が世界樹から発せられる光に照らされた現実のものとしてハッキリと映るまでは。

 夜に向けて沈み込むために高度を下げた夕方の太陽に照らされた光り輝く尖塔群。まるで古代の天地儀のよう。白い都市が天空に逆さまにそそり立っていた。

 夏休みとはいえ部活もあるので麻帆良学園都市に残る学生はかなり多い。夕焼けの空に描かれた非現実的な情景で、彼らの理性は簡単に奪い去られてしまった。誰もが立ち尽くして空を見上げた。

 

「世界樹が光ったと思ったら今度はなんだい」

 

 二十二年に一度しかない現象を前にして暢気に携帯のカメラ付き機能で撮影している女子学生に比べれば、一昔前のヤンキーのようなリーゼントに服は学ランという極めて古風な格好をした豪徳寺薫の疑問は尤もであった。

 

「に、しても何のイベント?」

 

 豪徳寺薫の隣りで同じ光景を見上げていた空手着の中村達也が考えたように、超鈴音によって外界よりも数十年は進んだ科学力を持つ麻帆良学園都市に住む人々が工学部のデモンストレーションや3D技術が進歩したと考えるのは無理もない話だった。

 勿論、そんな訳はないのだが、学生達はそういう風に自分達の枠の中で事態を納得しようとする。危機を感知しない事が危機回避能力と同義であると勘違いするように。

 

「あ、あれは……本国の新聞で見たことが……」

 

 周りが空を見上げたまま困惑する中で、魔法世界の新聞で同じ光景を見たことがある魔法生徒である夏目萌は驚愕していた。

 明らかな異常事態に空を飛べる者達は逸早く行動を起こしている。しかし、上空に出た彼らが目撃した物は想像を絶していた。パイロットの達の目には、地上よりも明確に見る事が出来たからだ。

 

「こちら軍事研まほら☆おすぷれい! 駄目だ! あの物体の周辺に見えない壁でもあるみたいに知らぬ間に進路を曲げられて2500以内にどうやっても近づけない!」

 

 満足に状況も分からないまま発進した大学の軍事研の男性パイロットの感じ方は正しく、未知の状況を把握できるほどの余裕はなかった。

 

「確かに近づけないが周囲を旋回は出来る! 蜃気楼でも映像でもなく実在の物体に見える!」

 

 学園祭でも飛んだ旧式のプロペラ機を操りながら、航空部長である七夏・イアハートが先導する五機からなる連隊を組んで飛行しながら無線に向かって怒鳴る。

 回転するプロペラが轟音を出すので相手に声を届けるには必然的に声が大きくなってしまう。普段なら相手を気遣ってもう少し声のボリュームを落しているが未知の現象を前にしては気にしていられない。

 

「それより更に上空を見たか? 逆さまの大地が見える。これはまるで……まるで……!?」

 

 鏡に文字を映すと反転してしまうように感じ取って、光の向こう側に世界が広がっていると言いかけた七夏・イアハートの言葉は空に浮かぶ無数の黒点が見えたことで途切れた。

 

「あれは!? グ……グレムリン!?」

 

 徐々に近づいてくる黒点は最初翼をはためかせる鳥に見えたが、大きさや人型に羽が生えたような明らかな異形の輪郭がはっきりと見えた。しかもそれは一つではなく、目算では十や二十ではきかない。

 七夏・イアハートがその異形を目にして咄嗟に「グレムリン」と叫んだのは、20世紀初頭にイギリスの空軍パイロットの間でその存在が噂されたのが始まりとされている機械に悪戯をする妖精の話を聞いた事があったから。既存の常識が全く通用しない存在を目の当りした時、脳裏に咄嗟に浮かんだ飛行気乗りの故の勘違いだった。

 飛行速度は異形達の方が数段勝る。接敵まで時間の問題だった。

 

「キャアアッ!」 

 

 迫り来る異形達の群れに突然の事態に回避行動すら取れなかった七夏・イアハートの緊張の糸が切れ、パニックに陥って悲鳴を上げながら顔を伏せるのと異形達が手を伸ばせば届く距離にまで近づいたのは同時だった。

 異形達は七夏・イアハートの存在を一顧だにすることなく側を通り抜けていく。パニックを引き起こしながらも操縦桿を傾けたり離さなかったのは奇跡的と言えた。

 振って来る異形の姿はやがて地上からも見えて、対岸の火事だった現実が近づいて来てパニックを引き起こす。

 

「なんだ!?」

「化け物だ!! 化け物が降ってくるぞ!!!」

 

 叫び声が聞こえた。地上から上がったのは連鎖する叫びだ。連鎖する悲劇だ。

 瞬く間に拡がり、狼狽と狂気の大乱となって辺り一帯を飲み込んだ。逃げ惑う者、這い蹲う者、体を凍てつかせる者。

 

「ワァアアアアアアッ!!」

 

 その騒然を目がけ、巨大な影が幾つも落下した。腹を殴りつけるような衝撃と地響き。巻き上がる粉塵が視界を覆う。

 粉塵の中で何かの影が揺らめく。どこからか、低く轟く唸りが聞こえる。近いようで遠く、遠いようで近い、不気味で不吉な脈動だ。如何なる存在がいるのだろう。濃霧にも似た粉塵の中では判然としない。

 小山のような質量を持った何かが、ビリビリと肌を叩く空気を放ちながら身を起こした。影が、地面に大きく染み広がってゆく。

 異形が落ちた場所が人を避けたのは奇跡であった。湧き上がった地煙が漂い去り、人間のものではない肉体が姿を見せる。瓦礫を踏んで現れたのはこの世の者とは思えぬ異形の存在。

 人間よりも遥かに大きい二本足が滑らかな動作で瓦礫を踏み砕く。その行為は、悪魔の所業である。それは玩具にでも戯れるかのように、何の躊躇いもなく街を破壊していく。

 異形の怪物達の前には、今まで日常を謳歌していた学生達がいた。

 

「うわぁぁぁぁぁ!」

 

 始まりは、跳ねるように逃げ出した一人の学生服を着た生徒の叫び声から。

 

「ひぃ―――――この世の終わりっス~~~~~!!」

「あ………あれって………」

 

 そこには単一の恐怖はない。突然の出来事に、そういった感情に分類される以前のもっとごちゃごちゃとした感情の渦に翻弄されて、がくがくと震えている。

 たった数分で暢気な見学者から被害者へと変えられてしまった人間達は、頭を抱えて蹲り、両手を突き上げて罵り、足早に逃げ去る。走って転ぶ。連れと逸れる。他人を押し倒す。その背中を踏んづける。無視する。泣き喚く。どこにかは不明だが電話をかける。暢気にデジタルカメラで撮影する。

 対して、異形の怪物達の対応は単調だった。

 獣のような、もっと異質で、人間の心の中へと抵抗なく滑り込み、否応なく感情を揺さぶってしまう咆哮が響き渡る。

 

「ひ、ひぃ!?」

 

 魔法世界にいるはずの召喚魔の叫びに腰が抜けてしまった、まだ新人らしき若い教師は遠くから聞こえる同様の地響きに振り向いた。

 人混みの向こうに落ちた化け物と同じように、次々と新たな化け物が重力に身を任せて落下している。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ…………。

 静かに日常が壊されていく。

 

「いったい………どういうことなんだ」

 

 教師の震える瞳から混沌の涙が一粒、滑り落ちた。

 この教師の涙が地面に落ちるのと麻帆良学園都市が混乱の坩堝に落ちたのはどちらが先か。

 悲鳴、怒号、絶叫、号泣、罵声、哀願、呆然、懇願、困惑、興奮、焦燥。

 麻帆良学園都市を席巻して、まるでドミノ倒しのように狂気が伝染していく。部活帰りの中学生の集団や高校生達、見回りで騒がしすぎる生徒達を叱り付けていた教員達も、誰もが次々に平静さを失い、取り乱し、うろたえる。

 一点の墨で、広大な海が汲まなく黒くなっていくかのようだった。

 

「危ないってば! …………痛いっ!」

「うるさい!」

 

 パニックの見本とも言える惨状で、彼らは我先にと駆けて行く。そこに人間性などありはしない。生き残るために人を押し退け、倒れた者は踏み越えていく。

 

「押すな危ない! あぶな…………うわあっ!」

 

 相手を押し退けてでも助かりたい生存本能の制御が利かなかった。追い越そうとして小競り合いが起きて大きな混乱となり、混乱の中で振り回した腕や足が拳骨と足蹴に変わって飛び交う。誰かが倒れ、踏まれ、遂に次の段階へと突っ込もうとした、まさにその刹那。

 

「…………………………喝っっっっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!」

 

 魂にまで響いた大音量の声に全員の膝が子供のように震えた。

 

「諸君らはそれでも良識ある麻帆良学園都市の住人か! 節度というものを知りなさい!!」

 

 一体何時の間に現れたのか。肉付きの薄い白い髭の生やした、老人という単語に相応しい姿もなかろうというほどに老人らしい老人――――――麻帆良学園学園長、近衛近右衛門その人である。

 奇術のように何の支えもなく空中に浮かびながら学園長の声が天地を揺るがしていた。少なくとも混乱していた人々が無防備な背中に冷や水を垂らされたような感覚に陥り、それほどの迫力でもって感じられていた。

 

「――――諸君!」

 

 この場の混乱が落ち着いたのを見るや否や、辺りに響き渡るほどのとても老人とは思えぬ声量が放たれる。

 

「状況を理解できない者も多いと思うが今は有事である! 学園長である儂にも状況を掴めとるとは言えんが為すべきことはハッキリしておる!」

 

 麻帆良学園学園長という、この麻帆良学園都市のトップである立場を良く理解した上で為すべきことを見定める。

 

「動ける者は避難を! 助け合うのじゃ! そして全ての責任は儂が取る! 杖を持つ者は己が使命を果たせ!!」

 

 魔法使い、もしくはそれに類する者に伝わる隠語を広域念話に乗せて麻帆良学園中に聞こえるように伝播させる。

 

「儂らの街を守るんじゃ!」

 

 優先事項は当面を乗り切ること。

 その後のこと――――――政府や諸外国、そもそも麻帆良学園都市に住む一般住民の反応を考えると頭が痛いどころの騒ぎではないが、今は考えない。後のことは後に考えればいいのだ。今は目の前にある危機を何とか乗り越えることが肝心。

 この声を契機として、麻帆良防衛戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互角の戦いを見せる二人の攻防は一進一退で、このままでは両雄が数千年戦い続けても雌雄は決しないように思われた。

 墓守り人の宮殿を覆う引き裂かれた魔力の塊も即座に修復されるが、修復の過程で発生した微風がやがて大きなうねりを伴う乱流となる。竜巻の如く、二人の戦いによって捲れ上がった瓦礫が巻き上げられて空の向こうへと跳んで行く。一瞬だけ瓦礫に視線を追った二人は全く同時に弾かれた様に間合いを取った。

 

「あれは……」

 

 魔力の海の上の空に何かが薄らと映っている。

 少し前までそこにあったはずの星空に変わって、そこに逆さまの大地があるかのような光景。大地に灯る光の柱の先にあるものはとても見覚えがあった。

 

「世界樹、まさか麻帆良学園?」

 

 樹霊結界に囚われている明日菜と世界樹が光の柱で繋がり、確かに逆さまの麻帆良の大地が空の向こうにあった。

 

「オスティアのゲートは麻帆良に繋がっているという話だったけど、まさかこうまで旧世界と繋がるとはね」

 

 フェイトにとっても予想外の事実だったようで、傷だらけの顔には驚きの色が濃い。

 この魔力の乱流は魔法世界と旧世界の魔力濃度の違いにより起こった魔力の流入現象に違いなく、ゲートを介して両世界が繋がった証明でもある。

 

「向こうの世界に混乱が広がるのは僕も望んじゃいない」

「それはこっちの台詞だ」

 

 新オスティア方面の空域で光と光がぶつかり合う中、フェイトの声が通って視線を戻す。

 フェイトの体を見れば、立っているのもやっとというボロボロな有様だ。アスカの方もデュナミスとの連戦もあって疲労も怪我も限界である。

 あまり時間をかければ連戦のアスカの方が持たなくなるかもしれない。故に口火を切った。

 

「互いに体の限界は近い。次で決着を着けないか」

「悪くない提案だね」

 

 二人は十数メートルの距離を間に向かい合う。呼吸が荒い。両者は微動だにせず、ただ向き合って射抜くような眼光で相手を睨み続ける。

 

「決着を着けよう」

「ああ、お前の顔にも見飽きた」

 

 それは、ハワイでの両者の初めての対決を思い起こさせた。思えばあの時から、アスカとフェイトの因縁が始まったのだ。そして今、両者は互いの因縁を終わらせようと向かい合っている。最後の一撃を繰り出そうと身構える。

 これも現実。言葉だけでは変えられないし、救われない。死力を尽くして決着をつけなければ分からないこともある。

 

「「―――――」」

 

 アスカとフェイトの間の空気が、緊張で張り詰めてゆく。次の行動で勝負を決める事になると、互いに理解しているからだ。攻撃を当てるにせよ、避けるにせよ、先に動いた方が圧倒的な不利な状況。

 

「アスカァァァアア…………………!!!!!」

 

 それでもアスカが、勝負を決めるために動こうとした時だった。こちらよりも先に先にフェイトが叫びながら動いたのは。

 

「フェイトォォォオオ…………………!!!!!」

 

 向こうもそのつもりか。アスカは獰猛な形に唇を歪めた。

 もう駆け引きや戦術を云々する段階ではないと、フェイトも思っているのだ。こちらには時間がなく、両者共に満身創痍。それゆえ思惑は重なった。

 

「フェイト様……」

「アスカ君……」

 

 墓守り人の宮殿の空気がピリピリと帯電しているみたいだった。見守ることしか出来ない少女達でさえ、凄まじい内圧に身体を震えを押さえるのが精一杯だった。

 これから放たれる一撃で全てが決まると誰もが悟った。

 

「フェアリー・テイル・マイ・マジック・スキル・マギステル!!」

「ヴィシュ・タルリ・シュタル・ヴァンゲイト!!」

 

 二人は全く同時に始動キーを唱え、足元を陥没させながらエネルギーを溜める。

 

「契約により我に従え、高殿の王!!」

「契約により我に従え、奈落の王!! 」

 

 構成が世界を書き換えて現象を引き起こす。

 アスカの姿勢が右腕を出した状態で定まる。右腕の先に、一個人で扱えるはずのない雷が現れる。手の先ただ一点に収束し、今にも解放されようと荒れ狂う。

 フェイトの詠唱によって地を裂き、遥か地下にあるマグマが今にも溢れんばかりの灼熱の業火を迸らんと勢いを増す。辺りで渦巻く熱気を揺さぶり、光熱波が轟いた。

 

「来れ、巨神を滅ぼす燃え立つ雷霆!!」

「地割れ来たれ、千丈舐め尽くす灼熱の奔流!!」

 

 二人は互いの詠唱と共に浮かぶ構成で相手が何の魔法を使うのか分かったが、自分が知る魔法とは最早別物であるそれに僅かに眼を剥いた。

 氷属性のおわるせかい、炎属性の燃える天空と並ぶ上位古代語魔法。だが、これはそんなものに収まるようなものではない。構成の緻密さは最上位の更に一段上を行き、速いだけではなく絞り込んで余裕を持たせた隙間にも別の構成を埋め込み、その密度は尋常ではない。

 例えるなら数人掛かりで行う儀式魔法のようなもので、とても個人でやっているというのは信じ難い。二人の残りの全精力を注ぎ込んだことで、魔法名だけを名残とした別種の魔法である。

 

「百重千重と重なりて走れよ、稲妻!!」

 

 白く、眩い破滅。闇夜を砕き、空気分子を焼き払う稲妻。何もかもを微塵と化す稲妻の龍は、有り余るエネルギーを纏い、敵を喰らわんと高い咆哮を上げる。

 

「滾れ! 迸れ! 嚇灼たる滅びの地神!!」

 

 フェイトが翳した手の先から光が放たれた。遥か眼下の地面に青光の線でいる織り上げられた魔法陣が浮かび上がり、赤黒い炎の柱がまるで太陽のプロミネンスのように次々と噴き出していた。地面から噴き出した何本もの炎の柱がグルグルと回転し、別の帯とくっついたり離れたりを繰り返す。

 次々と吹き上がる炎の帯はそうやってフェイトの背後で合流し、収縮し、やがて光の球体となって空中に固定された。

 

「おおおぉっ!!」

「あああぁっ!!」

 

 爆発的な、いや、それすらも生ぬるい光の本流が迸り、空を覆う。圧縮と膨張を繰り返しながら、今や今やと撃ち出されるのに耐えかねた空間の絶叫。空間が捻じ曲がり、それはまるで世界の終わりに歌う引き金の祝詞。

 二人が掲げた手の先に集まった球体から放たれる炎の光が世界全てを染め、視界が光に染まっていく。

 破滅的な力の渦に、空間が戦慄き、大気が咆吼する。

 二人の詠唱に呼応して、滾り溢れる膨大なエネルギーが地殻変動に等しい重さとパワーで空間を軋ませていく。それだけに止まらない。仲間がいる状態で広域にまで消滅範囲に入る魔法を使うことが出来ないアスカ。儀式を前にして儀式場に致命的な被害を与えるわけにはいかないフェイトも同様。

 

「―――――千の雷(キーリプル・アストラペー)――――――!!!!!!!!!」

「―――――引き裂く大地(テッラ・フィンデーンス)―――――!!!!!!!!!」

 

 魔法名が唱えられたのが合図。

 光が凝縮した。野放図に垂れ流されるのではなく、何と二人ともが広範囲殲滅魔法とも言えるエネルギーを片手に球状に収束して固定させ、相手に向けて一直線に神速で飛び込んだ。

 収束させた千の雷と引き裂く大地を手に飛んだ両者は中間地点で衝突と同時に光が爆裂した。

 

「「――っ!!」」

 

 この世のものとは思えない澄んだ音が響いた。

 両者の破滅的エネルギーが衝突した瞬間、墓守人の宮殿上空に太陽が生まれた。そうとしか思えぬ巨大な閃光によって世界が光に埋め尽くされ、全て人の目を焼いたのだ。

 どちらともなく飛び込んだ二人の色彩は、互いの最強を以って、打ち砕くべく牙を剥いたのであった。

 蠢く光の柱が世界を突き破る。同時に音が消え去っていた。それを奪ったのは、巨大なエネルギーの衝突によって生じた衝撃。

 盾同士で防御力を競っても意味はない。ならば、最強の矛同士で打ち合った場合どうなるか。答えは簡単、より強い矛が勝つ。

 互いが誇る貫けぬ物なしの最強の矛同士による激突によって、ごおっと烈風が巻いた。

 雷霆の光芒と煉獄の物塊のぶつかりあった接点で、現実の物理法則が砕けて悲鳴を上げたのだ。

 いっそ暴力的なほどの灼熱と光芒が渾然一体となり、世界を我が物顔で荒れ狂った。清冽にして苛烈なるエネルギーの竜巻は、空気分子の一つずつさせ瞬時に沸騰させ、あらゆる障害を呑み込まずにはおかなかったのだ。

 

「うおおおおおおッ!!!!!」

「オオオオオオオッ!!!!!」

 

 雷と溶岩を凝縮したエネルギーが僅か数センチしか空いていない二人の掌の狭間で鬩ぎ合う。

 五分と五分。互角のぶつかり合い。それも広範囲殲滅魔法を対個人に向けて放つというとんでもないことをしながら、魔法を放つのとは違うもう一つの手で溢れ出そうとする力を抑えつけるなんて非常識なことを成していた。

 

「なんというパワーアルか!?」

「二人が抑えへんかったら、この周りは塵も残らんで……!?」

 

 余波だけで吹き飛ばされそうになりながら各々が何かに捕まりながら趨勢を見守る。

 二人が発動と同時に広がることを抑えなければ恐らく墓守人の宮殿が飲み込まれて跡形もなく消滅していただろう。そんな非常識なことをしながらも魔法を放っている両者の右手が僅かずつ、一mm、また一mmと近づいている。互いの広域殲滅魔法を打ち消しあいながらも、少しずつ近づいていく。

 稲妻と溶岩が抑えの無い上下に乱れ飛び、二人を中心として何の混じりけも無い純粋なる閃光が墓守人の宮殿を照らすどころか付近の数十キロ先の空域まで白金色に染め上げる。

 二人の距離が近づいていくごとに全てが捲れ上がり、ひっくり返されるような、痛みではなくただ只管に肌を撃つ衝撃が身体を揺らす。

 光の発生源である二人が意識を保っていられたのは、奇跡に近かった―――――が、素晴らしい奇跡とも呼べなかった。衝動的に何もかも投げ出したいと思うほうどの衝撃の中で、二人が己の敵の眼だけを見つめ続けていた。

 

「アスカ君……」

「フェイト様……」

 

 木乃香と調が、息を呑んで白い、或いは赤い、極端な刺激の明滅に目を眩まされ、余波の風に立っていられなくてその場に座り込んだ。

 光は時間を重ねる事に光を巻いて更に純度を上げ、白く眩い灼熱の衝撃は解放された竜の如く魔法世界の天空へと猛り狂って、天にはオーロラまで現われた。

 まさしく天地開闢の光景。旧世界の黙示録にも記された終末の予言が今こそ人類へ襲い掛かっているかの如き、悪夢の光景。誰もが目の前にある光景が信じられず、今も腕を翳しても網膜に残る光の圧に慄いた。

 彼女らの、相手に寄せる信頼は、殆ど確信に近いものだった。どんな強敵相手にも勝利してきたのだ。だから今度も、きっと…………。

 

「おぁあああああッ!!!!!」

「オオオオオオオッ!!!!!」

 

 直近にいる二人には、それだけで記憶の全てを奪うほどの光が迸り続ける。光の筋が視界の全てを染め上げ、自分の身体すらちっぽけなものとして包み込んでいた。

 両者の激突は一進一退だった。

 負けた方は消滅しかねない技と技・力と力のぶつかり合い。絶大なる力を秘めた破滅の光。爆縮と拡散を繰り返すように、その光の奔流は付近の空域をうねる。二人の真下の地面が思うがままに暴虐を貪る光によって表面が融解し、抉れた大地はガラス状に変質した。

 刹那を万に切り刻み、億に切り刻み、意識だけが引き延ばされるのを二人は感じた。瞬きさえ許されない、走馬灯にも等しいコンマの時間に力が膨れ上がり続ける。

 闘いの中で高まる意識領域が重なり出し、ずれもなく一致した時、二人は意識の奥に光が弾けるのを自覚した。

 

「「っ!?」」

 

 その瞬間、互いの魔力光が乱舞する中で発散される波動が発光して見えた。幻覚かもしれなかった。二人は互いの魔力がぶつかり合い、絡み合い、溶融してゆくのを見た。

 重ね合わせている意志が共鳴し、閃光の中で互いの意思が競合して融合するのを感じ取った。

 

『アスカ、雪だるまを作るのはいいけど遅れないでね!』

『おはよう、3(テルティウム)

 

 一秒の何百分の一の時間に得た知覚。気がつけば二人は時間の流れを逆行して、相手の記憶が流れ込む。

 

『よぉ、テメェが新人か? さっきの陣のタイミングは良かったぜ。以後、よろしくな』

 

 まるで相手の人生を映画館で観ているかのように静かだった。今までの激烈な戦いが嘘のように、二人を取り巻く世界は静寂を保っている。

 

『ここに誓おう。必ずみんなの石化を解くって! 俺達に出来ない事なんてないんだから!!』

 

 その静寂の中でアスカとフェイトは互いの人生を見る。

 時間の流れが、ここだけ違っているかのようだった。悠久の時間が刹那に凝縮されているようにも、刹那の時間が悠久に引き伸ばされているかのようにも思えた。

 

『何故だ、何故だナギ! 君には答えがあったんじゃないのかっ!』

『答えなんてねぇよ。でもさ、俺の後に続く者が現れて答えを出してくれるかもしれねぇじゃあねぇか。その為に未来を守るんだ!』

『今を守ったところで何も変わらない! 君がしているのは現状維持だ。それでは魔法世界は救われない!』

『そうかもしれねぇ。だけどよ、今が無理だからって明日が出来ねぇとは限らねぇだろ?』

『可能性では誰も救われない! 』

『救われるさ。少なくとも俺のガキ達が大きくなるまでの時間は稼げる』

『っ!? やはり君も他の俗物達と何も変わらなかったのか!』

『子供の未来を守るのは親の役目であるぞ』

『アリカ王女!?』

『すまねぇな、アリカ。お前まで』

『これで良い。一時だとしてもあの子らが危険から遠ざかるのならば』

『認めない…………僕はこんな結末を認めないぞ!』

 

 一瞬で流れ落ちる記憶は普通ならば覚えていることは出来ないが、時間の流れに意味はないこの世界において容易い事である。

 この時、二人は世界中の誰よりもお互いを理解し、その根元から先に至るまで知った。

 

『親父とお袋は未来に賭けた。そして俺はこの道を選んだ』

 

 アスカは無意識の内に、そんな言葉を口にしていた。だが、アスカは口を開いていなかった。アスカの思考が直接フェイトの意識に飛び込んできていた。

 

『ナギの言う通り、君は答え(魔法世界の救済案)を持って現れた。彼は自らの行動を以て言葉を証明した。そのことは、認めざるをえない』

 

 その会話の全ては夢ではないし、幻覚や幻聴でもない。アスカが自分の全てを知ってしまったように、自分もアスカを織った。彼の生まれ、育ち、背負ってきた重荷。互いの意識が共鳴した一瞬に、恐らく相手以上に相手の事を織ってしまったのだから。

 

『僕は君にナギを見た。ナギと同じようでいて、君は決定的に違う道を作り出した。だけど、それでも僕もまた自分でこの道を選んだ』

 

 二人の意識が異常なほど深いレベルで繋がり、混濁しているのだった。ひどく複雑に縺れあっている。グルグルと撹拌される二人の精神は互いの垣根を乗り越え、だけど確固として強力な個としてあることで精神を共有しているという不思議な感覚にあった。

 

『この十年、自分の眼で世界を見て回った。完全なる世界の構成員(テルティウム)としてではなく、一個人(フェイト)として世界を見た』

 

 奥の奥まで、底の底まで繋がってしまっている。

 まるで宗教で言うところの悟りを開いた人間のように他人の心が手に取るように分かり、誤解も行き違いもない。

 

『その上でこの世界を変えなくてはならないと思った。この空間では君の考えが手に取るように分かる。勿論、僕の考えも君に筒抜けだろう』

 

 十年間の間にフェイトが見てきたものがアスカの脳裏を過る。

 貧困、紛争、差別…………世界から決して根絶できない負のそれらを見た上でフェイトは使徒としてではなく、魔法世界に生まれた一個人として変革を起こすと決めたのだ。

 

『止まる気は無いか』

『結論はもう出ている。この意味なき世界で唯一の救いであり、創造者たる僕達の責務だ』

『なら、なんで栞達を助けた?』

 

 アスカの問いに、フェイトの思考にノイズが奔った。

 

『お前の行動は矛盾している。魔法世界に生きている全ての者は人形で幻だから世界を閉じるのだと考えている癖に、この十年の間にやっていることは真逆のことばかりだ』

 

 魂狩りをせずに世界を見て回り、自分の手の届く範囲で助けられる人達を救う。やっていることはどう見ても人形だと断じている相手にすることではない。フェイトはその矛盾から目を逸らしている。

 

『本当のことから目を逸らすな。お前のしたいことが別にあるだろう』

『無駄な話だ。最早、互いに引くことは出来ない。僕らはどこまでいっても平行線だ。平行線は決して交わることはない』

『だがよ、平行線ってことは向いてる方向は一緒ってことだ。望む世界も求める物も同じなんだぜ』

『皮肉な話だね。ここにきて、僕らは世界中の誰よりも理解し合っている』

 

 フェイトの言をアスカは否定しなかった。

 

『同感だ。運命の皮肉を感じずにはいられねぇ』

 

 ふっと苦笑したフェイトに吊られるように、アスカもまた微笑んだ。

 

『僕は君が嫌いだ』

『俺もお前が嫌いだ』

 

 平行線にいるからこそ、理解し合えたからって相手への心象は死んでも変わることはない。

 

『俺は今の世界を変えていく』

『僕は絶対の楽園を築く』

『何時か破綻するかもしれない世界をか?』

『不完全な世界が続いていくよりはいい』

 

 フェイトの偽りの無き本音ではあるが、彼自身は自分の内なる望みに気付いていない。

 

『本当に、それがお前の望みなのか?』

 

 フェイトの全てを知ったからこそ言えるアスカの言葉を最後に、二人の間の世界は霧散した。

 

「ォオオオオオオオオオオッッ!!」

「ァアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 雷と溶岩は激しくぶつかり合い、弾け合い、絡み合い、破壊の光を撒き散らし、遂に揃って消えていった。或いはこの空域全てを呑み込みかねない大爆発を想起させた激突は、二つのエネルギーの総量が同量であったが故か、しゅるりと互いを喰らう蛇のように相殺して消滅した。

 その際、凄まじい衝撃波が駆け抜けた。猛烈な爆風だけが渦を巻き、周囲を煽る。衝撃波だけで地形すら変える―――――どころか、原型も留めさせぬほどの威力。

 ごっ、と二人の間に空気が流れ込む。この天空にある全ての空気が、たった二人だけに集中するようだった。

 二人を中心に発生した衝撃波によってフェイトとアスカは互いを中心点に反対方向に派手に吹き飛んでいた。それこそ何百メートルも吹き飛びそうな勢いで弾け飛んだ二人だが、その後の行動も同じだった。

 

「!」

 

 一瞬で数十メートルを飛ばされたがアスカは直ぐに体勢を整えた。物理法則に反した行動に身体を軋ませて腕を振り被ると驚異的な力がアスカの右腕に収束していく。

 凝縮した筋肉が痛めた内臓を軋ませて込み上げた血を噛み切り、吼えながら虚空瞬動で未だ最初の体勢のまま吹き飛ばされているフェイトに向けて一直線に飛ぶ。

 

「……っ!!」

 

 ほぼ同時に体勢を整え、同じように右腕に力を収束させてアスカに向けて飛んだフェイト。

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」 

 

 迫り来るアスカに向けて吼えると共に滑空する。時間は限界まで凝縮して爆発した。瞬く間という言葉すら短い時間に腕を振り被って迫るアスカへと近づいていく。

 

「「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」

 

 二つの雄叫びが反響する。もはや技などとは呼べない。互いに拳に力を乗せるだけの攻撃だ。

 互いに引き延ばされた刹那の時間、二人の瞳は相手を映し見た。後少しで接触というところで、先程の二人の意志を交わらせた世界の揺り戻しが起こった。

 

「「!?」」

 

 自分の人生を相手が知る先程のとは逆に、今度は自分の人生が脳裏でフラッシュバックする。 

 

『美味しい珈琲を淹れて、お待ちしていますね。何時でもいらしてください』

 

 生まれてから十二年の人生が一瞬の内にフェイトを襲い、記憶の中の少女が朝日に照らされた笑みを向けて来る。

 

『――――――あの珈琲は、もう飲めないね』

 

 死神のように傷を負った少女の魂を刈り取った2(セクンドゥム)を消し飛ばした後に漏らした自分の言葉こそが押し殺していたフェイトの本音だった。

 

『待っててね。直ぐ戻るから』

 

 アスカの中にも自分の人生そのものと言える膨大な量の記憶が雪崩れ込んきた。十二年に及ぶ記憶の奔流を刹那の時では全てを認識できない。

 それでもアスカは本当に大切なことだけは感じることが出来た。

 

「あ」

 

 交差する両者。放たれた攻撃。

 相打ちにも満たない。いや相打ちでも足りない。自分が斃れれば、目の前にいる相手によって仲間が屈するだろう。体に走る傷と力の消耗はほぼ同じ。ならば、最後に勝負を決する要素は果たして何か。

 

「ゴプッ……!」

 

 勝負を決したのは小さな要素。過去を力に変えた者と止まってしまった者。その違いこそが勝負を決定付けた。

 一直線に放たれたアスカの右拳がフェイトの腹を抉った。人のそれとは違う白き血を吐き出し、眼を剥いて己を抉ったアスカの腕を凝視する。

 

「ハッ!!!」

 

 激烈なるアスカの発声と共にフェイトは派手に吹っ飛んだ。破壊されて抉られた通路を吹き飛ばし、橋下にあった剥き出しの岩場に落ちて地面を壊し尽くした。

 何度も何度も地面に叩きつけられ、抉り、フェイトの何倍もある岩石を吹き飛ばし、元がどんな土地だったかも定かではない荒れ地がまた一つ誕生した。

 

「け……は……ッ!」

 

 もうもうと砂煙が舞う中、自らが突き崩した瓦礫にうつ伏せになって両手を突き、フェイトがその狭間に血の塊を吐き出した。

 殺しきるだけの時間が足らなかったのも向こうも同様のようで、幸いにもフェイトの腹に穴は開いていないが今の一撃は致命的だった。

 

「フ………所詮は人形………何度繰り返しても結末は同じか。十年前、二十年前………或いは、それ以前からずっと……」

 

 叩き付けられた岩塊からフェイトが震えながら身を起こしていた。常人なら即死してもおかしくないほどの衝撃にもかかわらず、フェイトは起き上がった。片膝をついて座り込む。

 ごとり、と岩の塊がフェイトの背から落ちた。己に圧し掛かる岩石をどかして立ち上がったフェイトだが、既に満身創痍。体は不規則に揺れており、膝は笑っている。

 殆ど全ての力を使い果たし、無理な調整によって生まれた歪みによって体は上手く動かず、ダメージは限界を超えた。

 

「これで、終わりか。今回は、嘗て程の苛立ちを感じない。己の全てを掛けて、挑んだからかな」

 

 フェイトの顔に自然と笑みが広がる。

 一瞬前まで死闘を繰り広げていた相手なのに、敵意も恐怖も感じない。殺し合っていたこと自体、夢現の遠い記憶だと思える。それを不思議と感じることすらなく、フェイトは満たされていた。

 ふと視線を動かすと、祭壇の近くに調達仲間の少女達の姿が目に入ってきた。

 全員が全員、両手で口元を覆い、ボロボロと涙を流している。言いたいことが山ほどあるが、想いが深すぎて何も言えない――――そんな様子だ。

 フェイトの胸にも、熱いものが込み上げて来る。

 何度か咳き込み、汗と血で汚れた顔を拭ってから、汗とは違う雫が目から零れ落ちていることに気づいた。

 

「涙か。人形である僕が涙を流しているのか」

 

 記憶が相手に伝わったように、自分の記憶をも走馬灯のように脳裏に流した。封じ込めた認識を受け入れると目から一滴の涙を流させた。

 

「ああ、認めるよ。僕はもう一度あの珈琲が飲みたかった。完全なる世界を造れば、もう一度彼女と会えると思ったんだ」

 

 体ではなく心が滲ませた雫。頭の中に押し入り、痛切な熱と共に押し入ったアスカの記憶。一体あれはなんだったのか。

 動かぬ手で億劫に目を擦り、掴まえた端から霧散してゆく記憶を弄りながら遠く離れたアスカを見つめた。

 

「ハァ………ハァ………ハァ………ハァ」

 

 敵に劣らず、アスカの体もボロボロだった。

 幸いにして骨が折れるまでの重傷はないが、打撃によって内臓が傷ついたのか、血も吐いた。吐き気も凄い。負荷を越えた心臓がキリキリと痛む。擦り傷、打撲、内外の出血も数知れず。……………現実空間で広域殲滅魔法なんてものを打ち合って五体満足でいるのだから、むしろ良く生きているといえる。

 息を大きく乱したアスカは立つだけで精一杯といった様子のフェイトの方へ、ゆっくりと近づいた。

 

「決着は着いた」

「殺さないのかい?」

「俺はお前を理解した。お前も俺を理解した上でそんなことを言うなら、もう一回ぶん殴るぞ」

 

 フェイトに近づいたアスカが膝を曲げつつ、右手を差し出した。

 

「手を出せ。お前の仲間の所まで運んでやるから」

 

 フェイトは、その手をパシッと叩いた。

 驚くアスカに、フェイトはニヤッと笑う。

 

「君に運んでもらうほど弱ってない」

 

 アスカの手を借りることなく、膝に手を付いて立ち上がる。足元がふらついているが、不思議と体が軽くなった感じがした。

 

「素直じゃない奴」

「ふん、君ほどじゃない」

 

 憎まれ口を叩きながらも笑い合う二人の顔には悲壮感も焦燥感も無い。あるのは、互いを認め合った気持ちだけだ。

 

「しっかし、世界だ何だ言って理由は女か」

「君も同じだろう。人のことは言えない」

「違いねぇ」

 

 手を繋いで慣れ合うような仲ではない。アスカとフェイトは、互いに共になることはないと知っていた。この関係は永遠に平行線で、望む未来が同じだとしても道が重なることは決してない。

 

「僕達は同じ道を歩みことはない」

「分かってる。この世界に続いていく価値がないと思ったんなら何度でもかかってこい。相手をしてやる」

「寝首を掻かれないように邁進するんだね」

 

 偽善ですらないたただの利害関係だった。それでも全く違う方向を向きながら二人は繋がっていた。

 一瞬の幻に過ぎなくても、命を奪い合った敵をすら信じられるなら、この世界はそれほど悪くないとフェイトは思った。 

 

「僕の、負けだ」

 

 勝敗は決した。墓所の主は静観の構えを見せ、フェイトガールズは楓達によって破れ、デュナミスはアスカの手にかかって死んだ。残ったフェイトの敗北を以って完全なる世界は英雄の前に膝を屈した、その瞬間までは。

 

「!」

 

 アスカの全身を悪寒が走り冷や汗が襲った。まるで冷や水でも浴びせられたかのような寒気が体を駆け抜け、全身の産毛が総毛立つ。

 神経を抉り出して直接冷水に浸されたかのような強烈で鮮烈な感覚。そのまま凍死しても不思議ではないほどの衝撃がアスカの体を冒していく。その絶望的な感覚は致命傷に近く、その瞬間、アスカは本当に死んでいたかもしれない。

 その場にいた全員の肌に寒気が走った。鈍い衝撃が足下から伝わってきた。

 

「なんだ、この気配は?」

 

 ただでさえ魔力の圧迫感は強まっているというのに、今また更にその重圧が増してきている。とんでもない膨大な魔力の持ち主が、この空間に顕現しようとしている。

 確かな質量を持ったなにか、肌を粟立たせるほどの存在感をもったなにかが、この場所に迫っている。

 悪寒の元を振りまく先へと体が恐怖に屈した意志とは反対に勝手に動いて見てしまう。

 アスカの千の雷とフェイトの引き裂く大地の衝突によって荒された墓守り人の宮殿の都市には今もなお粉塵が撒き散らされている。だが、いる。この空気を殺す存在が向こうに。

 何かの軋むような音の後に破裂音が響く。アスカ達の見守る中、宙に裂け目が出来ていた。あたかも、空間に亀裂が入ったかのように、何もない空中に唐突にそれは現れたのだった。

 

「来る!」

 

 空間の裂け目から二本の逞しい腕が突き出てきた。なにか巨大な気配のようなものが、闇と共に現われようとしている。

 ぞくっと肌が粟だった。

 空間の裂け目から溢れ出る気配は墓守り人の宮殿を覆っているかのような嫌な感じだった。これは人間が生み出せる気配ではない。

 アスカの顔がこれ以上ない緊張で引き締まる。

 敢えて隠すこともなく、自分の力に圧倒的な自信を持っている気配の持ち主だと分かる。相手の正体が分からないだけに、余計油断できなかった。

 裂け目の縁に指を引っ掛けると、左右に押し開くように力を込めた。それだけで大地が、空気が、この魔法世界全てが震撼するような重低音が響き渡る。空間の裂け目は、たった二本の腕の力によって大きくその口を開けることとなった。

 広域殲滅魔法のぶつかり合った余波で生まれた風が徐々に粉塵を払って――――――――足音もなく、裂け目の奥から悪寒の元の姿を白日の下へと晒した。

 

「造物、主…………始まりの魔法使い…………」

 

 黒のローブと布で肉体の全てを覆い、顔どころか素肌が一切見えない独特の服装。それはクルト・ゲーデルが見せた過去の記憶の映像に現れた『完全なる世界』の首魁。彼、もしくは彼女こそが悪寒の元。

 本当の絶望に、アスカ達はまだ触れてもいなかったのだ。闇が絶望を連れてやってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り二時間四十四分二十九秒。

 

 

 

 

 






次回『第86話 終わりの始まり』


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。