魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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第86話 終わりの始まり

 

 

 

 

 

 麻帆良学園聖ウルスラ女子高等学校の生徒でドッジボール部「黒百合」の主将である英子は、同じ部活の後輩に呼ばれてこの奇怪な事件に遭遇した。

 

「な……何よ……これ……」

 

 当てもなく逃げ出した途中で、大通りを外れた小道に突き飛ばされた英子は恐慌を来たした同輩達を見て茫然と座り込む。と―――――何時の間にか目の前に一体の召喚魔が忍び立っていた。

 でっぷりと太った巨体を道化染みた衣で包み、紫色の肌と角を持っている。

 まさしく悪魔としか呼べぬ凶悪な貌に愉悦の感情だけがはっきりと浮かんでいた。裂けた口元と異様に発達した牙、そして額から突き出る尖った角を加味しても、それは形だけを見れば人間に限り無く近い。体型こそ人間のものに近いが、明らかに魔の血統を有する存在。魔人、という単語が親しくしている部活の後輩が勧めてくれたゲームの中に出てきた単語が脳裏に浮かんだ。

 敢えて言えば、その瞳だけが人間とは決定的に違う。瞳と白目の境が無く、全てが紅く塗り潰された虚無の瞳。それは今、目前に立つ哀れな生贄の子羊に向けられていた。

 

「ひっ……!?」

 

 少女が身を護るように身体を縮めて目を閉じ、悲鳴のように高い声を上げて尻餅をついてしまった。捕食者に遭遇した食われる感じ取って自力では立ち向かえぬと悟った絶望の反応である。

 遠目で見るよりずっと大きく、なおかつ分厚い筋肉に覆われている召喚魔は嘲りを浮かべ、一歩踏み出した。少女は震えながら頭を掻き抱く。それが精一杯の動作。

 召喚魔が人の言葉ではない何かを呟きながら蒼く光る手を掲げると、掌の先に幾何学模様の魔法陣が浮かび上がった。

 魔法使いでもない一般人の少女に、召喚魔が放とうとしているのが古代語魔法であると分かるはずが無い。だが、それが自分の身を危険に晒すものであることは直感的に警鐘を鳴らす普段は鈍い生存本能で悟った。

 

「神様……ッ!」

 

 英子は固く目を瞑り、名も知らぬ神を口にした。

 

「危ない、英子先輩!」

 

 そこへ召喚魔と英子の間に遮るように現れたのは、彼女を呼び出した部活の後輩である春日直哉であった。

 春日直哉は部活の先輩である英子に惚れている。彼は麻帆良祭で出来なかった告白を夏休み中にする決心した。しかし、夏休み最終日になるまで決心がつかず、今日まで延びてしまった。

 相手を挑発して冷静さを失わせて自分たちに有利な約束を結ばせる策士な面もあるが非常に負けず嫌いで勝気な性格で、引っ込み思案で弱気な性格な自分では釣り合わないかもしれない。そんなことを考えもしたが気持ちは抑えきれない。

 こんな事態になっている中で必死に探したが、ようやく小道で見つけた時には絶体絶命の状況だった。

 自分が死んでも英子を守りたい、と思春期特有の思い込みがあったとしても彼の好意は本物であった。一瞬たりとも迷う来なく英子の盾となるように飛び込んだ。

 

「直哉君!?」

 

 知り合いの少年の背中で向こうで発せられる蒼い閃光が瞼の裏までを貫き――――破滅を止めるべく一瞬で躍り出たのは葛葉刀子だった。クールビューティーという言葉を体現したような彼女は、その長髪と細眼鏡で知的な雰囲気を持つ、壮麗な女性だ。

 着こなしているスーツを翻しながら、バッと二人の前に躍り出て長刀を鞘から抜き放つ。

 

「神鳴流奥義―――――雷鳴剣!!」

 

 間近で女性のものらしき叫びが聞こえたと同時に雷鳴のような爆音の直後、再び視界が闇へと落ちる。

 何も起こらぬ身に少年は戸惑いながら瞼を上げた。

 そこには先程までいた異形の召喚魔はおらず、地面に焼け焦げた跡を残すのがそこに存在していた証明のようだった。 

 揺れる瞳の中、焼け焦げた地面からは煙が立っていた。そしてその前に物凄く見覚えのある女教師がスーツに刀という奇怪な組み合わせで立っている。その女教師にこれまた有名なクラスの担任女教師がやれやれとばかりに近寄る。

 

「あ~あ、一般人の前で刀なんか抜いちゃって。これはオコジョ妖精やろうな」

「その時は貴女も一緒ですよ、千草」

「嫌やわ、刀子さん。うちはなんもしてませんし」

「これからすることになるでしょうに」

 

 違いない、と笑って答えた天ヶ崎千草はスーツのポケットから二枚の呪符を取り出す。

 

「猿鬼、熊鬼出でませい!」

 

 千草が投げた呪符から呼び声と共に現れたのはファンシーな見た目の猿と熊のぬいぐるみ。

 これだけなら一見にして可愛らしい姿で終わるのだが、その大きさが二メートルを越えていると可愛らしい外見も不気味に見え、ある種の圧迫感すら感じさせる。特に熊鬼と呼ばれた方の熊のぬいぐるみには、殺傷力のありそうな鋭い爪を備えており、道端で会ったら一目散に逃げる事を推奨されるだろう。

 

「さあ、行きますよ」

「給料分は働くとしましょか」

 

 二人の女教師は英子と直哉を顧みることなく、二体のファンシーな異形を従えたまま人間離れした跳躍力でこの場から離れていく。

 

『――――諸君!』

 

 その直後、呆然とした二人の頭に学園長の声が直接響いてくる。

 

『状況を理解できない者も多いと思うが今は有事である! 学園長である儂にも状況を掴めとるとは言えんが為すべきことはハッキリしておる!』

 

 現実はどこに行ったのろうかと呆然とするぐらいに突発的な事態が続いていて、有事であるというのは二人も理解していた。

 

『動ける者は避難を! 助け合うのじゃ! 全ての責任は儂が取る! 杖を持つ者は己が使命を果たせ!!』

 

 状況は理解できない。それでも助けたことは間違いなく、異常な事態でもどうするかを考えなくてならない。

 

『儂らの街を守るんじゃ!』

 

 と、次の瞬間、杖を持ったこれもまたどこかで見たようなスーツ姿の中年の男が異形を退治しているのを見て二人はある噂を思い出した。

 

「魔法オヤジって本当にいたんだ……」

「ですね……」

 

 彼らの混乱は絶賛進行中である。

 

 

 

 

 

「キャァアアアアアア!?」

 

 生徒達の避難誘導をしていた新田教諭は聞こえて来た悲鳴に、一切の躊躇いなく発信源に向かった。

 避難場所になっている広場へと続く通路を塞ぐようにガーゴイル型の召喚魔が立ち塞がり、その前に中学生ぐらいの少女たち数人が怯えて蹲っている。

 

「貴様……っ!」

 

 瞬間、新田教諭は獰猛な殺気を放つ召喚魔に突進していった。自分の身の安全のことなど脳裏には欠片もなかった。あったのは、ただ一つだけ。

 

(――――――生徒を守らねば!)

 

 それだけが、その思いだけが体内を激しく駆け巡っていた。正義感でもなく、社会人としての義務でもなくて、教師としての魂に従って生徒が傷つけられることに耐えられなかったのだ。

 

「障害を排除します」

 

 後少しで殴れる距離に到達するというところで感情の無い機械音声染みた声が響き渡る。

 直後、ミサイルを撃ったような激音が鳴ってガーゴイル型が吹っ飛んで霞と消えていく。

 

「は?」

「皆さま、避難して下さい」

 

 新田が振り上げた拳の行き場に困っていると、次いでSF映画でよくあるガシャンガシャンとロボットが歩く時に聞こえる音が聞こえ、同じ機械音声染みたが声の主が横から現れる―――――五体ほど。

 

「私は麻帆良大学工学部に製作されたT-ANK-α3。開発者より田中さんと命名されました。以後、お見知りおきを」

 

 他と区別をつける為か、頭に赤い鉢巻をつけた田中さんが新田を見ながら言った。

 いかつい体形にサングラスをつけた大男の集団の登場に頭がついていかない新田は「あ、ああ、こちらこそよろしく」と、咄嗟の反応で挨拶を返す。

 

「赤鉢巻、私達は他へ向かいます」

「了解しました。ご武運を」

 

 そうして赤い鉢巻を付けた田中さんを残して他の田中さん達はガシャンガシャンと大きい足音を立てながら走って行ってしまった。

 

「現在、麻帆良学園は厳戒態勢に入っており、二千五百体の田中部隊が救助に当たっております。皆さまは私が守りますのでご安心を」

 

 女子生徒達と共に田中さん達を見送った新田に赤い鉢巻をした田中さんが胸を叩いて請け負う。

 学園祭でロボットであることが周知の事実である田中さんを前にして新田と女生徒達は表情の選択に困った。

 

「あ、あの新田先生、これは一体……」

「…………私にも分からん。分からんが」

 

 田中さんの言葉を信じるならば、少なくともこの事態に対処できるだけの力が動いていることは間違いないだろうと、遠い目をしながら去っていく田中さん軍団を見送る新田なのだった。

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市で一番高い建物の屋根の上でエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがいた。

 都市中が混乱に陥る中で最も平静であろうエヴァンジェリンは魔法秘匿の法を無視することを選択した近衛近右衛門の姿に鼻を鳴らした。

 

「ふん、爺も腹を括ったか」

 

 混乱からパニックに陥りかけたところで魔法を使用しての一喝を行わなければ、二次的な被害は莫大なものとなっていたことだろう。

 魔法秘匿よりも人命と安全を優先するには勇気と覚悟のいることだが、今後次第では立場どころか命すらも危うくなるとなれば中々選択できるものではない。

 

「現状は秘匿云々を言っていられる状況ではない。学園長も相応の覚悟の下で為されたことでしょう」

「分かっている。評価はしてやるとも」

 

 音もなく背後に現れたアルビレオに、前にもこのようなことがあったなとエヴァンジェリンは内心で思いながら上空を見る。

 

「絵に書いたような一大事だが、貴様は手伝ってやらんのか?」

「その必要はないと思いますよ。彼は彼なりにこの事態に備えていたみたいですから」

「ああ、あの田中とかいうロボットか」

 

 視線を下ろして都市内を見渡せば、学園祭で猛威を振るった男性型ロボットである田中さんや多脚型ロボットなどが縦横無尽に走り回り、魔法世界からやってきた召喚魔や落ちて来た岩石に対処している。

 魔法先生や魔法生徒だけで都市中をカバーすることは不可能である。力を持った一般人も協力はしてくれているが焼け石に水の中で、疲れ知らずの田中さんらロボットの活躍には目が瞠るものがある。

 

「備えていた、か」

 

 アルビレオが言った言葉の意味を反芻するようにエヴァンジェリンは口の中で呟く。

 魔法先生・魔法生徒で大体の事態に対処可能であるのに、千以上はいそうなロボット群はどう見ても過剰な戦力ではあるが今の事態においてはこの上ない有益な戦力である。

 

「む……」

 

 エヴァンジェリンの沈思に突っ込みもせず、変わらず上空を見上げ続けているアルビレオが何かに気付いた。

 釣られてその視線の先を追ったエヴァンジェリンも麻帆良学園上空に映る浮遊都市で何度も明滅する光を見た。

 

「戦っていますね。彼の世界の創造主の道具とアスカ君が」

 

 向こう側の都市で明滅を繰り返しり、絶え間なく移動を続ける光の片割れがアスカ・スプリングフィールドであることは超高位魔法使いである二人ならば判別することは容易い。

 

「アル、貴様…………何を知っている?」

 

 もう一つの光の主がハワイで戦ったフェイト・アーウェンルンクスであることはエヴァンジェリンも見たが、名前ではなく違う言い方をしたアルビレオに不審も露わに問いを発した。

 

「オスティアと麻帆良(ここ)がゲートで繋がったことは、まあどうでもいいことだ」

 

 膨大な魔力によってゲートを介して両世界が繋がってしまったことを事態は問題ではないと、今も都市中を覆っている混乱を意図的に無視して鋭い視線を向ける。

 

「絵に書いたような一大事をどうでもいいとは豪胆ですね」

「茶化すな」

 

 暴発して学園丸ごと吹き飛んだら廃墟生活になるが、これだけの異常事態になってしまえばどのような結果になろうとも今後は平穏無事になるとは思えない。

 他人ごとではないが今はもっと大事なことがある。

 

「あの召喚魔は向こうから流れてきたものだろうが、進んで人を害しようとはしていない。襲っているのはある一定の地点に向かう為の邪魔になっているからだ」

 

 言うなれば邪魔な障害物を除こうとしているに過ぎないと自らの推測を話しつつ、アルビレオの反応を窺う。

 

「吐け、アルビレオ・イマ」

 

 彼らしくなく厳しい表情を崩そうとしないアルビレオに直接的な問いを発する。

 

「奴らが向かっている学園中央部――――世界樹の下に何が隠されている?」

 

 核心を突く問いにアルビレオはまるで人形のように微動だにしないまま口を開かない。

 十秒か一分か、或いはもっと短く、もしくは長いような沈黙の後にようやく重い口を開いた。

 

「十五年…………あなたがこの地に留められた年月ですが、果たしてその年月は長かったのでしょうか」

「長いに決まっているだろう」

 

 アルビレオ・イマは無駄話が多い男だがシリアスの時までギャグに走る男ではない。少なくとも必要なのだろうと話に乗る。

 

「馬鹿な学生どもと机を並べて、五回も中学生をやらなければならなかった私の気持ちが貴様に分かるか」

 

 思い出すとイラツキが増してくる。

 三年待ってもナギが来ず、卒業も出来なくてまた中学一年生からやり直しさせられて、そんなことを五回も繰り返せれば誰だって嫌気も覚える物である。

 

「途中から時々見ていたので少しは分かります」

「何?」

「学園祭の時にも言いましたが、私はずっとこの都市の地下にいたのですよ」

 

 どうにもアルビレオにはおちょくられることが多いので話半分にしか聞いていないことが多々あったので、改めて言われて思い出せばそんなことも言っていたような気がする。

 

「つまりは、あなたの封印も解こうと思えば直ぐに解けたというわけです」

 

 記憶を想起していて、続いたアルビレオのその言葉を聞き逃しかけた。

 

「私の存在を知った時、あなたも少しは考えたでしょう。私のアーティファクトであるイノチノシヘンを使い、ナギになれば呪いを解けると」

「…………考えなかったわけではない」

 

 アスカらと出会う前には選択肢の一つとしてアルビレオのアーティファクトはあった。だが、それもナギの生存があってこそ。アーティファクトは仮契約の主が死ねば契約は破棄されて出すことは出来ない。つまりはナギが生きてなければアルビレオがいても意味がない。

 

「昔ならばともかく、今はナギ本人かアスカ達以外に呪いを解いてもらおうとは思わん」

 

 アスカらとの戦いで気持ちの区切りはついているから、今のエヴァンジェリンは昔ほど切羽詰って呪いを解こうという気は無い。

 

「第一、貴様に頼もうものならばどのような対価を要求されるか分かったものではない」

 

 もう一つの理由として、アルビレオの生存を知っても選択肢から外したのは彼が無償で呪いを解いてくれるような殊勝な男ではなく、変態的な対価を求めて来るのは目に見えているからでもあった。

 

「スクール水着を着て、ネコミミとメガネを付けて一日を過ごしてもらうぐらいは要求したかもしれませんね」

「…………」

「後生でセーラー服を着るぐらいは認めてあげましょう」

 

 どこからか取り出した『えヴぁ』と書かれたスクール水着・ネコミミ・メガネ、更にはセーラー服を取り出したアルビレオに心底から頼まなくて良かったと思ったエヴァンジェリンであった。

 

「それはともかくとして、少なくともこの十年間の間、私はあなたが苦しんでいたことも知っていたし、無理をすれば呪いを解くことも出来たことは事実です」

 

 アルビレオの言い様から嘘ではないだろうとエヴァンジェリンも結論付ける。

 諧謔を弄することは多々ある男ではあるが、ここ一番にまでふざけた物言いをすることは決してないことは長い付き合いで知っている。

 

「そう出来なかったと言いたい訳か」

「呪いを解いた場合、不都合があったから。理由はただそれだけです」

「不都合、か。私が荒れていたから、ではなさそうだな」

「ええ」

 

 十年前とすると、一度目はともかく二回目の中学を卒業できなかった時期は特に荒れていた自覚が有るので抗弁する気は無い。が、アルビレオの言い様からするとそれ事態は問題ではなさそうだ。

 

「ナギが呪いを解きに行けなかったのは武道会の時に聞いていますね」

「ああ」

 

 卒業しても呪いが解けなかったと学園長から聞いたとはナギも言っていた。そしてアスカらを妊娠した妻を放っておくことが出来なかったとも。

 

「アスカ君達が生まれてもナギがあなたの前に現れなかった理由は十年前にあります」

 

 溢れ出る感情を無理矢理に抑えたような抑揚のない淡々とした声で秘された過去を告げるアルビレオは、そこで一拍を置いて一瞥もなく続ける。

 

「十年前、私達は敵との一大決戦を行いました。二十年前に比べれば規模は小さくとも、二十年前に勝るとも劣らぬ激戦でした」

 

 内心で荒れ狂う激情を隠しもしないアルビレオの横顔を見たエヴァンジェリンを見ることもない。

 

「元老院の暗部が手を出して来たこともあって混戦を極めましたが、敵の大半を倒したことだけを見れば勝利とも言えるでしょう。その代償としてガトウが死に、ナギは敵の首魁と相打ち、私も重傷を負い、最近まで碌に動くことも叶いませんでした」

 

 決して歴史に記されることのない戦いを語ったアルビレオは、そこで疲れたように深く息をついた。

 

「だが、お前はナギが生きていると言った。相打ったが死んだわけではないのだろう。生きてはいるが、何らかの変容があったということか?」

「…………正にその通りです」

 

 アルビレオの肯定を受けて幾万の可能性がエヴァンジェリンの脳裏を過るも、可能性はあくまで可能性でしかない。

 全てを知っているであろうアルビレオの続く言葉を待つ。その姿勢を見たアルビレオも覚悟を決めたかのようにエヴァンジェリンを始めて見た。

 

「二十年前…………いえ、もっと遥かな昔から始まっていたことです。今更、何かを変えることなど出来ないと分かっていたはずなのに」

 

 それでも期待してしまったのはナギ・スプリングフィールドという英雄を間近で見ていたからか。アルビレオは二十年前の決戦地である墓守り人の宮殿を見上げる。

 

「二十年前、敵の首魁は我々紅き翼も討伐に失敗し、十年前も辛うじてナギが相打つことで倒しました」

「変な話だな。十年前と言えばナギも全盛期だろう。アイツと相打つほどの力の持ち主などあの筋肉バカか、神や魔界の最上位クラスの魔族ぐらいものだ。少なくとも十年前の時点でこちらと魔法世界にそんな奴がいたなどという話は聞いたことがない」

 

 全盛期のナギと相打つほどの力の持ち主ならば世界に知られていないはずがない。二十年前というのならば大戦の黒幕の首謀者だとしても、そこまでの強さがあるなどとは噂にも上がっていない。

 

「無理もありません。彼の者は魔法世界の闇に潜み続け、決して歴史の表舞台に出て来ることはありませんでした。二十年前の時点では十全ではなかったナギとゼクトの二人掛かりで倒せたことからも考えれば決して戦闘巧者ではありません。彼の者の本分はあくまで造り出すことにあるのですから」

「それこそおかしいだろう。二十年前のまだ若造だったナギに勝てなかった奴が全盛期のナギと相打てるはずがない」

「カラクリがあるということです」

 

 エヴァンジェリンの疑問は最もであり、二十年前と十年前ではナギの戦闘力が違うという矛盾を突いていた。反対であるならばともかく、大戦期よりも肉体の全盛期を迎えているナギが同じ相手に勝てなかったというのはおかしすぎた。しかしアルビレオは理由があると告げる。

 

「二十年前に倒したと言いましたが言葉通りの意味です。一度はその肉体を殺しています」

 

 肉体を殺した、という変わった言い方に眉を顰めつつ、不死ならば殺せるはずがないのだから自分のような不老不死ではなさそうだと推測する。

 二十年前では手負いのナギに負けたにも関わらず、十年前の肉体の全盛期を迎えているナギとは相打っている。普通ならば逆である。この矛盾を解消をするには前提を変えなければならない。

 

「肉体を殺せたということであれば不死ではない。不死ではないが何らかの方法で生きていた?」

「ええ、彼の者は不死ではなく不滅。貴女の好きなテレビゲームでもよくある設定ですね」

 

 瞼を伏せたアルビレオは僅かに痛ましげな感情を覗かせる。

 

「その方式は報復型精神憑依。自らを殺害した者の精神を強制的に乗っ取る。そうやって彼女は遥かな昔より存在し続けて来ました」

 

 遥かな昔から存在していた者がたった十年やそこらで劇的な変化を遂げるとは考え難い。しかし、自らを殺害した者の肉体を乗っ取るとすれば話が変わって来る。

 

「つまりは二十年前と十年前では肉体が違う」

「二十年前はナギと共に彼の者と戦ったゼクトが憑り付かれました。十年前にナギと戦った際はゼクトの体を使っていたのです」

 

 例えるならば車を乗り変えたようなものである。車が変われば走る速度が変わることもある。もしもそれが普通車とF1カーともなれば馬力の差は歴然である。

 恐らく二十年前にナギと戦った時点での肉体は戦闘に秀でたわけではなかったのだろう。手負いのナギとゼクトでも倒せる強さであった。

 乗っ取られたゼクトはナギに伍する超高位魔法使いで、言うならばF1カーの肉体である。全盛期のナギが相打ちにしか持ち込めないほど二十年前と十年前で強さが変わってもおかしくはない。

 

「ナギとしてもゼクトは魔法の師でしたから叶うならば助けたいとは考えていました。ですが、状況がそれを許してはくれなかった。魔法世界に迫るリミット、攻勢を強める完全なる世界、元老院の暗部の追っ手…………対してこちらは、旧世界にはジャックは来れず、アリカ様の懐妊と出産もあって戦力が落ちていました。少なくとも決戦を仕掛けるタイミングではなかった」

 

 戦力は減るばかりで増えることはなく、寧ろ年月を重ねるごとに状況は悪くなりばかリ。

 

「その時でなければいけない理由でもあったのか?」

「ナギとアリカ様が今でなければいけないと言っていましたが私にも理由は分かりません」

 

 戦力が落ちている中で決戦を仕掛けた推測が頭の中で幾つか浮かび上がるが、答えを知る二人はいないので推測の域を出ない。

 アルビレオとしては決戦を行った事実に対してそこまでの思い入れはないようで、「一番の問題は魔法世界の救済です」と次の話題を振った。

 

「魔界にも手を広げましたが私達には完全なる世界以上の救済案がなかった。ナギとしては旧世界にも応援を求める気でいましたが秘匿のこともあって我々で止めていましたから足踏みしていましたね」

「問題の解決には手段を選ばない辺り、アイツらしい」

「ナギとしては出来る人間に任せるのが手っ取り早くて楽で良いらしいですが」

 

 自分で出来ないことは出来る者に任せる方が効率的ではある。魔法世界の問題にしても、自分達には思いつかなくても魔法など全く知らない技術進歩の著しい旧世界ならばと望みを託したのかもしれない。

 

「常々、ナギは言っていました。今の自分や皆には出来なくても、明日の自分や皆には出来るかもしれない。今が出来ないのだとしても諦める理由にはならないのだと」

「ナギは未来に賭けた。例え敵を殺して自分が乗っ取られたとしても、自分のように誰かが立ち上がって問題に立ち向かってくれると信じたんだろう」

 

 人の悪性を散々見てきたにも関わらず、善性を疑いようもなく信じぬくことが出来る精神性は英雄としか言いようがない。大戦で世界の闇を見ても人を信じることが出来るナギだからこそ、どこまでも前向きで太陽のような男をエヴァンジェリンも好きになった。

 

「正にその通りです。憑依された者も直ぐに乗っ取られる訳ではない。もしそうならば二十年前の時点で戦闘で重傷を負っていたナギはゼクトの体を乗っ取った首魁に殺されていたことでしょう。ゼクトを殺し、憑依されたナギは自分ごと封印せざるをえなかったのです」

 

 乗っ取られることが分かっているのならば対応策を考えないはずがない。しかし、殺害と乗っ取りが結果でイコールで結ばれているならば、乗っ取りを防ぐことは出来ない。叶うならば殺害せずに封印してしまうことだったが、ゼクトの肉体を使う首魁の強さと状況がそれを許してくれなかった。

 

「…………やはりそういうことなのか」

 

 灯台下暗しとは良く言ったもので、ここまで情報が与えられれば直ぐに分かった。

 

「世界樹には封印したナギがいるんだな」

 

 学園祭の時にアルビレオがずっと地下で療養していたと言っていたことから怪しんではいた。嘗てのナギには会えないとも。そしてここにきて、魔法世界から溢れたはぐれ召喚魔が世界樹を目指す目的。そしてこれまでの話を繋げていけば子供にでも連想出来る。

 

「ええ、十年前からずっと封印を施したアリカ様と共に。そして私も」

 

 アルビレオの肯定にエヴァンジェリンの内側から込み上げてくるものがあったが意識的に抑え込む。

 

「私の封印を解かなかったのにも理由があるんだろう?」

 

 右手で顔を覆うが感情はコントロールできている。今はまだ感情的になる時ではない。

 

「万が一の抑止力を期待していました。ゼクトの肉体を使うことで全盛期のナギを追い詰めた敵に対抗するには生半可なことではありません」

「不老不死である私ならばナギの肉体を使う輩にも抗しうると」

「その強さは最早想像絶します。ジャックではこちらの世界に来れない以上は貴女に期待するのが最も可能性の高い方策だったのです」

「勝手だな。自慢ではないが何も知らずにナギの肉体と戦わされて動揺しない自信はないぞ」

 

 肉体上、死にはしないエヴァンジェリンならば他の有象無象に比べれば生存可能性と戦闘続行が可能ではある。但し、それは単純なスペックの話で心情は全く考慮されていない。

 仮に何も知らずに遭遇して戦闘に発展したとしても動揺しっぱなしで、まともに戦うことは出来ない自信が自慢にもならないがエヴァンジェリンにはある。

 

「そのことは分かっていましたから所詮は時間稼ぎでしかありません」

 

 他の方法がなかったとアルビレオは苦渋を滲ませる。

 

「タカミチ君ではそもそも実力が足りない。この十年間のあなたでは、とてもではないが任せることすら出来なかった」

 

 少なくともナギの肉体を使う彼の者はナギ以上の強さを有するはず。であるとすれば、当時のナギ以上の強さか不死のような特殊能力が必要だった。高畑にはそのどちらもなく、ナギの死の情報に動揺していたエヴァンジェリンに任せるには不安が多すぎた。

 

「幸いと言っていいか、アリカ様の封印術は生半可な方法では決して破ることは叶わないので余裕はありました。ナギとしては封印されている間に彼の者と対話して翻意させようと考えていましたが、二千年以上も同じ考えに拘っている者に対しては難しいでしょう。私としては新しい希望が生まれることを期待していました。望みは薄いと考えていましたが見事に芽吹きました」

 

 良くなることはなく、悪くなることも待たない。現状維持を続けるしかないが、未来は不確定なので現状を覆せる存在が現れるかもしれないと期待していたアルビレオの望みは叶った。

 

「不滅を滅する神殺しの刃―――――――あの時のアスカを指してお前はそう言っていたな」

 

 学園祭の最後、機龍を斃したアスカが為した技法を見たアルビレオの言葉が狂笑と共に強く記憶に残っている。

 

「魔法無効化能力と闇の魔法(マギア・エレベア)は拒絶の力と受容の力という本来ならば同時に存在しえない。にも関わらず、どちらも不完全であるからこそ奇蹟的なバランスで成立しています」

 

 アルビレオも一度は夢想しながらも決してありえないと断じた推測である。

 

「あなたが編み出した闇の魔法(マギア・エレベア)も神に通ずるもの。魔法無効化能力に関しては、アリカ様の子であることから可能性は低いものの発現してもおかしくはありませんでしたがね」

 

 大戦で滅びたウェスペルタティア王国の初代女王は創造神の娘で、彼女の血を受け継ぐ者は不思議な力が宿ると伝えられていて、王族の血筋には完全魔法無効化能力を持つ特別な子供が生まれている。つまり、最後の女王であるアリカの息子であるアスカならば魔法無効化能力に目覚めてもおかしくはない。

 

「魔法無効化能力は彼の者に連なる力、同種であるからこそ干渉出来る。火星の白と金星の黒が交じり合っているアスカ君なら不滅をも滅することが可能だ。そしてアスカ君がこのまま順調に成長し続ければ、ナギを殺さずとも彼の者を打ち滅ぼすことも出来るかもしれない」

 

 二千八百年以上、一度も訪れなかったチャンス。この十年の間、探し求めていた力。

 

「アスカのアーティファクト」

「ネギ君と合体すれば未だ未熟でありながらもナギに到達しえた。もしも彼らが単独でナギのいる領域に至り、合体すればその戦闘力は予測すら出来ません。彼だけがナギを救える可能性を持っている」

 

 合体して大幅なパワーアップが望める絆の銀を持つアスカがこのまま強くなり続ければ、全盛期のナギの肉体を使う彼の者を打倒することも不可能ではないと夢が見れる。現に本気の本気ではなかったとはいえ、学園祭の武道大会ではアーティファクトで作った幻とはいえ本物と変わらない強さのナギに勝っている。

 

「これはチャンスなのです」

 

 決して現れることのないと思っていた千載一遇の機会を決して逃すまいとアルビレオは心に誓っている。

 

「創造主の道具との戦闘はアスカ君が強くなる餌としては上等でしょう」

 

 麻帆良学園都市を覆っている混乱の元すらも利用する気満々なアルビレオはエヴァンジェリンから見れば驕っているように見えた。

 

「随分と余裕のようだが、人間得意ぶっている時ほど足下を掬われるものだぞ」

「なにを馬鹿なことを」

 

 アルビレオは彼に向けられた珍しいエヴァンジェリンの忠告を一蹴する。

 

「警備は二重三重にかけてあります。仮に全てを突破できたとしても封印を解くのは不可能――――」

 

 と、そこまで言ったところでアルビレオは言葉を止めて黙考を始めた。

 

「完全なる世界がこの地に創造主がいることに気付いた? アスナさんの存在を知り得たのならばこの地にいると踏んでもおかしくはない。世界樹が最も封印に適すると考えるのも簡単」

 

 彼らしくもなく思考が口から漏れ出ている。そのことすらも気づかぬまま独白は続く。

 

「オスティアと麻帆良のゲートが繋がったということは、中枢への直接経路を確保したとも言える。召喚魔が陽動であるとしても封印は常に世界樹の力で補強されている。外的要因で破るには世界樹を上回るほどの力が必要になる以上、現実的ではない。となれば別の要因。だが、封印を開くには鍵が必要――っ!?」

 

 思考を巡らせていたアルビレオが息を止めた。

 何時も道化染みた仕草ばかりをしているこの魔法使いが、今ばかりは心臓を貫かれたかのように全ての動きを停止させたのだ。

 

 

 

 

 

 麻帆良の最深部、世界樹の根が幾つも張り巡らされた開けた空間がある。窓もなく太陽の光が差し込まず、電球のような電気で光を灯すような設備があるわけでもないのに不思議と明るい。

 理由は空間内に張り巡らされた世界樹の根が光を放っているからである。

 光は目を眩ませるほどではなく、空間内に明るく照らし出していた。常ならば自然の現象に畏敬を抱く光景だったが、辺りは嵐が来て爆撃でもされたように蹂躙されていて以前のような面影は欠片もない。

 普段ならば神聖な空気が満ちて動く者のいない空間は破壊されつくしてされており、それを為した幾つもの人影があった。

 似たような容姿が三つと、クリスタルにいる全身を黒のローブで覆った存在と似たような服装をした背の高いのが一つのと合わせて四つの人影があった。

 小さな人影達は兄弟のように似た容姿と子供のような小さい体格をしており、同じ灰色の制服のような服を着ていることもあって益々兄妹のような印象を与える。

 三人と一人の視線は揃ってクリスタルに注がれていた。

 

「――――ぉお」

 

 その中で背の高いローブらしきものを纏っていた人影が、クリスタルに囚われている全身を黒のローブで覆った存在を見上げ、長い巡礼の旅路の果てに神の下に辿り着いたかのように声を震わせる。

 

「ようやく、ようやくこの時が来た。おお………我が主よ。遂にあなたの下へ辿り着きましたぞ」

 

 声からして男であるローブの人物は世界樹の根に覆い尽くされるようにして鎮座する大きなクリスタルを見ながら、ここに辿り着くまでの十年を思い浮べる。

 

「御身を救えず、無様に生き恥を晒したのも御身をお救いするこの時の為。忌まわしくも英雄と災厄の女王に縛られた封印。このデュナミスが解き放って見せましょうぞ」

 

 長身で普段は着けていた白い仮面を外し、彫りの深い顔立ちをしたスラリとした線の細さ。似た服装も相まってどこかアルビレオ・イマに雰囲気が酷似している男の名はデュナミスといった。

 魔法世界の墓守り人の宮殿でアスカと戦い、敗れた男の姿が何故か麻帆良学園都市の地下にあった。幻ではない。地に足を着け、今も輝き続ける世界樹の根に照らされて出来た影が実体を持った存在であることを伝えている。

 

「主の末裔でありながら反旗を翻したアリカ姫。英雄として我らの前に立ち塞がったナギ・スプリングフィールド」

 

 クリスタルの内側にいる二人、災厄の女王との忌み名で呼ばれているアリカ・アナルキア・エンテオフュシアと、彼女に抱き締められるようにして抱えられているローブで全身を覆っているナギ・スプリングフィールドの名を忌々し気に呼ぶ。

 クリスタルの内側にいる二人を見ていると、まるで囚われているような錯覚を覚えるのは何故か。否、閉じ込められているというべきか。事実、フードを被った人影とアリカはクリスタルに囚われて、この場所で十年もの長い間封印されていた。

 

「共鳴りを抑える為とはいえ、厄介な結界を施してくれたものだ」

 

 ウェスペルタティア王国の王家の直系にだけ口伝で語り継がれていた隔離結界。王家の魔力を持ち得る者のみが使うことの出来る魔法である。

 現存するあらゆる防御・結界魔法を超える世界を切り取る魔法。完全に殺しもしないが固められて動かぬ身体では抜け出すことも出来ない、疑似的に時さえも固められたクリスタルの隔離結界。

 ここは豊富なマナが潤沢に溢れ出す神木・蟠桃がある。大樹は魔力を生み出し続け、クリスタルの隔離結界の維持に必要なマナを失うことなく、故にこの結界は永遠に崩れない。

 

「神域の結界を破ることは内側からも外側からも不可能。だが、閉じられた封印を開く為の鍵があれば良い。この地はオスティアと繋がっており、こ奴らの息子の魂と近い。手に入れた血肉もここにある」

 

 現在、麻帆良と魔法世界のオスティアはゲートで繋がっている。物理的な距離ではないが、概念的には両地は近い場所に存在している状況である。

 

「英雄を打倒し、儀式を完遂させられるならばそれに越したことはない。英雄とは厄介なものだ。奴らはゴキブリのようにしつこい。故に策を弄する必要があった」

 

 勝てるならばそちらの方が良い。だが、敵は武の英雄。世界の守護者として主から莫大な魔力と戦闘力を与えられているとはいえ、英雄は常識外れの領域外の存在である。

 現に二十年前の盤面をひっくり返され、十年前も主を奪われている。

 そしてまたもや、歴史は繰り返すようにアスカ(英雄)が現れた。だからこそ、デュナミスは備えた。自分が破れようとも主は取り戻して見せると。

 

「主を取り戻す。その為に我が身を裂いた。その成果を此処に」

 

 隔離結界を解くには、クリスタルの内側にいる器と封印を施した肉親が生きた状態で近くにいること、そしてその者の血肉が手元にあれば鍵として機能し得る。つまりは、デュナミスにとってアスカとの戦いは足止めが目的ではなく、その血肉を手に入れることこそを第一としていた。

 

「始めようぞ」

 

 クリスタルから幾らか離れた位置で、デュナミスが胸の前でアスカから採取した血が塗られた左の掌に右の拳を当てて、術を行使するための精神集中を行う。

 

「――――――」

 

 ぽうっ、とデュナミスの正面のクリスタルに、半径二メートルほどの魔法陣が浮かび上がった。魔法陣の中には幾つもの複雑な紋様が組み合わされていて、全体が青白く輝いている。

 魔法陣が完成すると、デュナミスが視線を上げた。

 

「我、デュナミスの名において命ずる。隔離結界よ、その鍵を以て開け」

 

 デュナミスが言い切ると、クリスタルからビキッという音がした。

 結界の構成が崩れ始めたのか、クリスタルの表面に亀裂が走っていた。

 

「止めろォおおおおおおおおおおー――――――――っっ!!」

「遅い」

 

 侵入と異変に気付いて転移して来たアルビレオ・イマがデュナミスらがやろうとしていることに気付いて絶叫するが遅い。デュナミスが右手を振り下ろすや否や、波紋のように広がっていた闇の光が刹那にクリスタルの表面を駆け抜け、更に大きな亀裂が走った。

 亀裂は瞬く間に表面全体に及び、クリスタルを爆砕させた。甲高い音を響かせて弾け飛ぶクリスタルの欠片。

 無数の煌めきの中、閉じ込められていたアリカの身体が倒れて落ちていく。

 

「喜ぶがいい、アルビレオ・イマ。我らの創造主が目を覚まされる」

 

 同じようにクリスタルから解放されたローブの人物はアリカのように崩れ落ちることなく地面に立ち、閉じられていた瞼が開かれていく。

 

「ナギ!」

「――――――この体は既に我の物、奴の意識はもうない」

 

 一縷の望みを賭けて放たれた希望は無惨に打ち捨てられ、ナギと同じでありながら決定的に違う声が返される。

 

「貴様も眠れ、古き書よ」

 

 光が空間を埋め尽くし、この日一番の激震が麻帆良を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これからの九分二十九秒は瞬く間に起きた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仮に、彼、としよう。男と想像する理由は、その身長だ。アスカも長身の部類に部類に入るが、彼の身の丈は長身のアスカに決して引けを取らない。

 そして、年齢不詳、性別不明の理由は彼の全身をすっぽりと覆い隠す黒いローブにあった。頭頂部から顔面、胴体、四肢の先に至るまで人の肌が露出している部位が全くないのだ。お陰で見る者にしてみれば、齢や男女の別を選択する以前に、この者の正体が本当に人間であるかすらも疑わしく思える。

 その馬鹿馬鹿しいまでの存在感は、その禍々しいまでの圧倒的オーラは、何者の常識をも許容しない。全身からは黒の燐光が立ち上り、凛然と佇む様からは、黙しているだけで、神話の中で数多く描かれてきた絶対的な『神』に勝るとも劣らぬ威厳が滲み出ている。

 例え数㎞先であろうが息を止められてしまいそうな、圧倒的なヒトガタの気配。

 闇のように、奈落のように、ただ底抜けに暗かった。

 純粋な憎悪、破壊への衝動、ヒトの負の部分を濾し取って熟成したかのような、真っ黒な靄が周囲を包んでいるような気がして直立していることすら苦しい。気を張っていなければ、荒波のように押し寄せてくる正体不明の威光の前に、いまにも武器を投げ出してひれ伏し、従属の誓いを結んでしまいそうになる。

 その闇が、ひどく虚ろに見えた。

 闇の中で、ぽっかりと浮かんだ双眸が動いた。微かな光に照り映える大量の血で固めたような紅い瞳は、人の純粋な負の感情が形をとった邪な宝石に見えた。世界から隔絶された闇の中で、その紅眼だけが浮き立って見えた。

 いや、違う。瞳の存在感があまりにも強すぎて、他を虚ろで薄っぺらいもののように見せかけているのだ。息苦しくなるぐらいの強烈な意思。重苦しさ。世界の何もかもが、その瞳に向かって砕けてしまいそうな、凄まじい重圧感。地獄のよう、という。まさしく、その瞳こそが地獄だった。九層地獄のなお奥底より睨め付けるが如き、業火と業苦を練りこんだ瞳だった。

 

「ああ……う、ぐっ………」

 

 全身の毛穴が開いて汗を流し、前歯が噛み合わされてガチガチと鳴って心の奥が熱く疼いた。呻き以外の言葉が出なかった。

 

「……ッ!?」

「なん、や………!」

 

 その瞳を見た時、その威圧感に晒された仲間達、古菲、木乃香、小太郎、茶々丸もみな、首筋や胸などを押さえ、まるで横殴りの嵐に抵抗するかのように、苦しげながらも辛うじて正気を保っていた。

 造物主を見つめるアスカですら表情を強張らせて体を震わせていた。

 体を抱きしめ、震えを強引に捻じ伏せようとしたが無駄だった。体の芯から溢れ出てくるそれは、動物としての本能が発する警鐘である。意志ではどうにもならない。ただこうして向き合っているだけで、一刀も交えずして自ら敗北を懇願したくなるほどの凄まじき圧力は、神と呼ぶに相応しいものだった。

 これが、これこそが、神の力とでもいうのか。だが、その存在は『神』とは質が異なる。いっそ、間逆と言っていいだろう。

 闇が光を食い散らすように広がっていく。それは全ての希望を絶望に変え、全ての天国を地獄に変える魔界からの使者。天使を堕天させる腐れて淀んだ暗黒の瘴気。

 両肩が鉛のように重くなり、瞬きの内に全身が巨人の手に押さえつけられたような感覚に襲われる。

 

(な、何なんや、これは。地平線の向こうにまで続く死者が見えたで)

 

 見えない重圧という名のプレッシャーに片膝を突いた小太郎が心の中で独白する。

 理不尽なまでの力。不条理という言葉では生温すぎる力。隔絶した力の差。しかし、力の差自体はアスカがヘルマンと戦っていた時に感じた。今回のことにもっとも近いのはあの時のことであろう。だが、今感じるのはあの時を遥かに上回る。

 見えない手が頭の中を触ってくる感覚―――――だが、これは違う。もっと一方的で、もっと異質だ。実体がないくせに威圧的な、存在を丸ごと鷲掴みにしようとするなにかの圧力を感じていた。

 

「……狗神……!」

 

 小太郎は腕を小刻みに震わせながら地面に押し当てた。己が動けなくても影から出てくる狗神ならばと、そう思ったのだが――――。

 

「な……?」

 

 影からは何も出てこなかった。小太郎は戸惑いを浮かべながら地面から手を離す。

 

「怯えているっていうんか、俺が!?」

 

 戦う前から無駄だと、抗うことは無意味だと、本能が戦うことを拒否して狗神を呼び出させない。小太郎の裡に流れる半分の妖怪としての本能が逃げなければと警告を発する。だが、逃走のために体が動かない。動こうともしないのだ。

 危険などという生半可なものではない。視線の先にいる相手と関わるぐらいなら、死すら安らぎと感じるに違いない。人の形をした異形は、ただひたすら暗き闇が存在するのみである。

 

「な………なにごとアルか、これ………!」

 

 小太郎より一呼吸早く跪いていた古菲は取り落とした自分の獲物である神珍鉄自在棍を握ろうとした。しかし重圧に抗う指は振るえ、ままらなず―――――やがて耐え切れず腕ごと落ちた。

 

「これは……っ!?」

 

 本来ならば機械の茶々丸が恐怖を感じるはずがない。

 なのに、何故だかひどく明瞭に状況を理解してしまった。絶対的な存在と向かい合ってしまった恐怖。逃げることも、抵抗することも許されず、ただ相手に生かされているだけの状況。気紛れ一つで命が飛んで、茶々丸の芽生えたばかりの感情がそこで終わる。

 

「ぐ……」

 

 重圧がいっそう強まり、茶々丸は立てた膝に自身の胸を圧し付けられていた。

 行動しようにも体が動かない。得体の知れない恐怖を感じているのか、体が言うことを聞かないのである。どのような状況でも毅然と対応出来ると確信していた茶々丸だが、それは単なる思い込みでしかなかった。

 

(あ……)

 

 チリチリと肌に焦げるような痛みを木乃香は感じていた。造物主が魔力を行使したわけではない。その存在自体が発する狂気に、木乃香の肉体が耐えられないのだ。額に浮かんだ汗が次々と頬を伝い、脚が小刻みに震える。喉はカラカラに渇き、水分が失せたザラつく口内の官職が不快だった。

 

(学園祭で超がアスカ君に放った呪詛よりも何白、何千倍の…………桁違いの規模の祟り神)

 

 足が竦んでいた。先程から体の震えが止まらず、意識を集中しないと全身がバラバラに崩れてしまいそうだった。

 奇跡なんてあるわけがない。命は簡単に散る。

 

「……っ?」

 

 デュナミス、フェイトと続いた激戦による影響、特に最後の気力を振り絞った千の雷によって、ガクッと身体の中から釣り針で引き摺りだされたように力を消費してしまった。全身全霊で力を放射しなければ負けていたのはアスカの方であっただろう。

 仕方がなかったとはいえ、想像以上に消耗が激しかった。全身から汗が噴き出し、指先に力が入らない。平行が分からなくなったように膝は震えてるし、内臓がキリキリと痛んだ。ほんの一瞬に、無理な運動を重ねてしまったかのようだ。

 脇に控える造物主の使徒達が動くまでもなく、一撃で捻じ伏せられてしまう。無条件に沿う思わせる、アスカですらこれまで向き合ったためしのない桁違いの冷気を発する造物主。

 気圧されている。圧倒されている。体が竦んでいる。

 

(……なのに)

 

 彼・彼女達の中でアスカだけは何かが違っていた。

 知っていると、自分が知っている相手だと、そういう不思議な確信を造物主は喚起させて止まぬ相手だった。

 誰も彼もが造物主を見つめていた。魅入られたと言っても過言ではない。あまりの存在感に逸らせないのである。

 

「ははっ!」

 

 アスカらの姿があまりにも滑稽だったのか、フェイトと同じ制服を着た自分以外の全てを見下しているような傲慢さが表情に滲み出ている男が乾いた笑い声を発した。

 

2(セクンドゥム)……何故……?」

「魔法世界全土の魔力がこの祭壇上に充満する今、造物主()たる我らが主に不可能はないのだよ。自分で殺しておきながら核を持ち帰ってくれたことには感謝しないといかんかもな。でなければ、幾ら主であろうとも私を蘇らせることは出来なかった」

 

 その正体を知るフェイトへの返答の声はひどく楽しそうだった。猫がネズミをなぶり殺しにする類の笑みで心から楽しげだった。

 顔立ちはフェイトと似て端正だが、にこやかな表情の直ぐ裏側に底の知れない凄味が感じられた。見かけの年齢には不似合いな、何もかも見透かしたような冷たい瞳をしている。

 

「思えば」

 

 アスカによって殺されたはずのデュナミスがオペラ歌手の如く優雅に手を広げる。

 

「長い、長い道のりだった。この時に至るまで多くの物を犠牲にしてきた」

 

 まるで全てが終わってしまったかのように、演劇の幕が降りる寸前に最後の言葉を告げるように朗々と語る。その身体の末端がサラサラと崩れ落ちていく。

 

「今代の英雄は紅き翼と比べれば全体の戦力はアスカ・スプリングフィールド一人に偏っている。私と強化調整したテルティウムならば何の策も弄せずとも勝てたかもしれぬ。だが、私には安心できなかった。今までそうやって油断して英雄にひっくり返されてきたのだから」

 

 広げた指先から崩れ落ちていく自らの身すらも誇りと思えると、雄弁に顔に書かれているデュナミスが朗々と語る。

 

「麻帆良学園中枢への直接経路の確保、器の肉親の魂が祭壇上にあること。これらの点から主の奪取を目論んだ。主の居場所はテルティウムが麻帆良に上位悪魔を放った時にザジ・レイニーデイの協力によって判明している。しかし、テルティウムの調整終了には時間がかかる。故に私が墓守り人の宮殿から離れるわけにはいかぬ」

 

 ならばどうするべきか、と肘まで消滅したデュナミスは自らの末路を気にすることもなく口を開く。

 

「この身を二つに別けるしかあるまい。造物主の鍵さえあれば、核を割ることも可能だ。当然、この末路も覚悟の上」

 

 消滅が胸に達し、やがては全身にまで及んでデュナミスは消え去ることだろう。核を割ったことで2(セクンドゥム)のように復活することは叶わない。それを覚悟の上でこの作戦を決行した。

 道具でもいい。使い捨てでもいい。最後までデュナミスは裏切らない。敵がどのような正当性で向かってこようとも、責められ罵られ石を投げられても、策の為に魂を分割して消滅すると分かっていても主の開放を求めた。

 

「申し訳ありません、我が主。道半ばで果てるこの身をお許しください」

 

 我が身は主の道具、報われることはないだろう。だが、満ち足りている。

 

「――――我が第一の忠臣デュナミスよ。汝の忠義、真に大儀であった」

「……ぉぉ」

 

 命を賭した献身を為したデュナミスに、造物主は働きを認めて労いのことを掛けた。その言葉を受けたデュナミスは顔にまで及んだ消滅に抗うことも出来ないまま、歓喜の呻きを上げる。

 

「勿体なきお言葉。それだけで私は――」

 

 報われた、と人形としてであっても満足した笑みを浮かべてこの世から消え去った。

 

「安らかに眠るといい、デュナミス。貴様はそれだけの働きをしたのだから」

 

 忠臣の消滅を見届けた2(セクンドゥム)は、次いでアスカの近くにいるフェイトを見る。

 

「デュナミスと違って貴様は何をやっているテルティウム? その様はなんだ。出来損ないにしても仮にも使徒がすることか」

「…………全力で戦って、そして負けた。ただそれだけだよ」

 

 傷だらけの体でなんとか立っているフェイトはそう言い返すことしか出来なかった。

 

「負けたことに関してはどうでもいい」

 

 と、フェイトの予想とは全く違った返答を返す。

 

「何?」

「デュナミスに聞いたぞ。幻共を部下にしているとな」

 

 そこで祭壇上にいる調達を見る為に向けた2(セクンドゥム)は、彼女らを塵芥のような存在であると誰の眼にも分かる感情を隠そうともしない。

 

「今代の英雄に負け、幻を刈り取ることもしない。ああ、やはり貴様は出来損ないであった」

 

 2(セクンドゥム)は演劇臭い仕草で嘆いているのを見ながら、アスカの頭の中では激動の速さで駆動している。

 逃げ出したとしても手負いで数も劣る自分達が助かる可能性は皆無に等しい。明日菜を残して退けない以上は、後味の悪い思いをするよりも挑むべきだとアスカは考えた。

 造物主の闇に呑まれて動けそうにも無い仲間達の命はアスカに委ねられていた。一歩たりとも退けなかったし、退くつもりもない。

 アスカの悲壮たる決意を余所に、2(セクンドゥム)は「邪魔者が多いですね」と背後にいる造物主に向けて言った。

 

「…………極光の光よ」

 

 その途端、急速に造物主から魔力が膨れ上がっていく。

 造物主の背後に幾つもの魔法陣が浮かび、解読すら叶わぬ複雑な術式から完成に至るまで尋常ではない力を感じることが出来た。それも単に巨大なだけではない。

 良く見ると、陣の中に複雑な紋章を描くように、恐るべき魔力が走り回る。海を泳ぐ魚の群れのように、地を歩く蟻の行列のように、規則正しく巨大な魔法陣を築き上げていた。

 魔法陣の意味が分からぬとも体の内側が震えるような桁外れの魔力。術式は着実に完成へと向かっていく。

 何かをするつもりだ。観察している暇はない。今は戦闘の最中だ。侮ってはいけない。だがアスカの警戒は、あまりにも遅すぎた。

 アスカは肌身で造物主から発せられる魔力の行先を察した。標的は―――――木乃香達と調達のいる場所。

 

「逃げろっ!!」

 

 アスカと同じように気づいたフェイトが調達に向けて叫ぶも、彼女らも木乃香達と同じように造物主から放たれる死の気配に心を呑み込まれて放心している。動く気配はない。

 

「間に合え!」

 

 平和な時ならば美徳であるが戦闘中では思ってはならない言葉を口にしていた。敵は万全の状態でも勝てるかどうか怪しい造物主と自分と同格の使徒達。背を向けるなど愚の骨頂でしかないと分かっていても、アスカは一にも二にも無く彼女達がいる場所へ飛んだ。

 フェイトも動こうとしたがダメージが多すぎた。膝が折れて動けない。

 アスカが木乃香達の前に辿り着いたと同時に造物主の背後の魔法陣から黒色の光が放たれた。獣の咆哮に似た爆音を轟かせながら、世界を引き裂き一点を目指して飛んでいく。

 

「お、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 辛うじて間に合った。

 木乃香達の前に立って腕を全開に広げて咆哮する。咆哮する。アスカは、あらん限りの力を振り絞りながら咆哮する。

 迫り来る絶望を追い払わんとする抵抗の咆哮だった。迫る絶望の足音を認めぬと、世界すらひれ伏させ破壊し尽くすのだという凶悪な意志の発露を掻き消すだけの意志をあらん限りの叫びに乗せて叫ぶ。

 

「ぉあああ―――――ッ!!」

 

 背後に庇われた少女達と小太郎が、少しでも気を抜けば意識を手放してしまいそうな状態でありながら腕を広げて咆哮し続けるアスカを呆然とした様子のまま見る。

 庇われた者達からすれば、膨大で埒外の力がアスカの身体を中心に全身から振り絞られて障壁となる。

 一瞬の出来事だった。造物主から放たれた目が眩むほどの黒の光が世界を蹂躙したかと思うと、地面が捲れ上がり、全てが薙ぎ倒される。そしてアスカの元へと一瞬で巨大な光が到達する。

 

「ああァ――――――――――ッッッ!!!!」

 

 まさしく爆発だった。

 あまりにも莫大かつ巨大な力は、アスカが張った障壁だけで受け止めることが出来なかった。障壁にぶち当たり木っ端微塵に粉砕した。

 圧倒的過ぎる黒一色の閃光に、アスカ達は自分達が目を開けているのか閉じているのかも判別できなくなった。無形の衝撃に押されるようにアスカの背後にいた木乃香達を蹂躙するのに一秒も必要なかった。

 

「―――――――――」

 

 閃光は、世界を沸騰させて色褪せた世界をそのまま洗い流した。

 音は無かった。視界は真っ白に塗り潰された。

 風が死に、音が死に、空気が灼熱していた。常人であれば、軽く息を吸っただけで呼吸器が焼かれて命を落とすほどの熱さだ。焼けているのは、空気だけではない。周辺の地形が造物主の一撃によって悉く焼き尽くされ、蹂躙しつくされた。

 立ち込めた爆煙が晴れた後に残ったのは傷だらけで立つアスカだけで、周囲にあった建造物は先程の一撃で全て薙ぎ払われ、掘り返された大地だけが残っていた。

 アスカの後方だけが微かに建造物を残しているが木乃香達の姿が無い。遥か後方で呻き声だけが聞こえることから生きてはいる。

 墓守り人の宮殿の都市部が原型を失くしていた。粉砕することのみに特化した、愛想も何もない淡々とした一撃は絶対的な力を有する者のみに許された、神罰にも等しい力の権限である。

 少女達は衝撃に吹き飛ばされて何百メートルも浮遊してから地面に叩き付けられていた。決して浅からぬ傷を負いながらも、重症にまでは至っていないのはアスカが張った障壁のお陰か。

 アスカ自身もまた無事ではすまなかった。ボロボロだった服は上半身の全てが掻き消え、ズボンの裾もなくなっている。体中の傷は隠しようもなく、青痣や裂傷が全身を覆っていた。

 

「く、く……!」

 

 仲間達の惨状を見たアスカは体の芯が熱くなっていくのを感じた。それは一瞬にして沸点に達し、全身を貫く激しい悪寒を闘争心で一掃すると体を突き動かす。

 全身の痛みも、失われている体力のことも忘れて、まるで足の裏がロケット噴射でも起こしたように駆け出した。

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」

 

 アスカの右手に雷が宿る。それは純粋な抗いの意志の結晶だった。

 自分がやらねばならないという不倶戴天の決意、後に続く者のいない悲壮な決死の疾走。絶対的な恐怖の感情に抗う意志に支配されている今の彼に、己の意志など存在してはいなかった。ただ造物主のみを視界に捉えて倒すことだけを考えていた。

 

「ふ、屑が最後まで抗うか」

 

 ❘2《セクンドゥム》の頭上に、巨大な光球が膨れ上がる。稲妻を捕まえてくしゃくしゃに丸めたようなそれは周囲の空間を一気に帯電させる。

 

「「「「ヴィシュ・タルリ・シュタル・ヴァンゲイト」」」」

 

 小さな少年達と同じ詠唱キーを唱え、各々が好き勝手な呪文を叫んで、炎・風・水・雷―――――無数に閃く閃光の刃が、耳を痺れさせるような轟音と共に飛びかかってきた。

 

「しゃおらっ!!」

 

 アスカは数多くの攻撃を全く意に介した様子もなく、己を鼓舞するようにより大きな雄叫びを上げて雷を纏う右手ではなく左手を突き出した。

 最大展開した障壁に幾重もの閃光の刃を遮る。

 無数の魔法が同時に着弾し、もはや何であるかも判別できない力の津波だった。圧倒的な攻撃力の前にその盾を打ち砕いて通り抜け、アスカの身体に浅からぬ傷を作っていく。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」

 

 全身を激しく揺さぶられ、アスカの意識は遠のいていく。だが、一瞬のことだ。激痛で半ば強制的に現実へと引き戻されたアスカは呻き、一切の遅延無く腹を極限まで空かした状態で獲物を前にして枷を外された獣のような勢いで、ただ造物主へと向かって駆ける。

 

「今のを耐えるとは、たかが息子と思って油断したか。認めてやろう。貴様を今代の英雄だと」

 

 2(セクンドゥム)は少し感心したような表情を浮かべたが、直ぐに嗜虐に満ちた笑みを浮かべて控える少年少女に向かって、「やれ」と命ずる。

 

「「「はっ」」」」

 

 フェイトに似た背格好の少年少女達が2(セクンドゥム)の命令に従い、向かって来るアスカを迎撃する。

 激痛に霞む目で向かって来る少年少女の姿を見たアスカは即座に分身を出して本体も紛れる。

 

「「「「ふんっ!」」」」

 

 一合しか耐えられなかったが突破する時間は稼げた。

 分身四体が破砕されたのを隠れ蓑に本体のアスカは包囲網を突破した。

 

「貴様っ!」

 

 敵を罵るのは、自分の不甲斐なさを罵ることである。2(セクンドゥム)は、早すぎるアスカの速度に遅きを逸していると分かりながらも直ぐに反転して、主の下へ向かって疾走する敵を追った。

 

「邪魔だっ!!」

「ぶぺら……っ!?」

 

 雷を身に纏って最も早くアスカに辿り着いたが軽く振るわれた左手が、本当に偶々頬にクリーンヒットして2(セクンドゥム)はバランスを失ってもんどりうって倒れる。

 良い感じに入ってしまったのと、侮っていたアスカが自分達の包囲網を突破して造物主に向かったことに焦った所為である。

 他の三人の内、速度に優れた5(クゥィントゥム)2(セクンドゥム)によって邪魔された所為でアスカが造物主に辿り着く方が早い。

 

「これで――っ!」

 

 遂に使徒達の包囲網を突破して造物主の眼前にまで躍り出た。

 右手を振りかざし、全ての運動エネルギーと力を込めて造物主に叩き付けんと迫る。

 悠然と構える造物主へと襲い掛かっていく。アスカは回避動作を取らぬ無防備な造物主へと腕を突き出した。

 それは絶対的な破壊力を秘めた必滅の一撃であった。雷迸る拳撃は造物主の前に出現した障壁を砕いて肉体を貫く―――――はずだった。だが、アスカの手は無造作に伸ばされた手によって掴まれた。

 受け止めても突進の勢いまでは100%殺しきれず、旋風が造物主を揺らす。

 ローブが旋風に靡き、造物主の顔を覆っていたフードが捲くり上がる。

 

「………!」

 

 晒された造物主の素顔を見たアスカの心臓の鼓動が早鐘の如く鳴り響く。あまりの速さに、機能を停止してしまいそうだ。アスカは息苦しさを感じていた。息苦しいのではない。呼吸すら忘れるほどの衝撃が目の前で起きていた。

 

「……おや、じ……?」

 

 それは奇妙な再会と言える。誰かに計算され尽くした結果であるのか、或いは運命の女神の些細な悪戯によるものなのか―――――このアスカ・スプリングフィールドと、造物主と成り果てたナギ・スプリングフィールドの再会は。

 

「邪魔だ」

 

 アスカの耳に簡単な単語だけの無情なるナギの声が届くと同時に、造物主の体内から魔力が迸った。

 するりと腕が伸びてアスカへと伸びる。腕の先、広げた掌に強大すぎる魔力が集まり始める。広げた掌に凶暴な光が浮かび上がる。そのまま腹に押し当てられ、それは彼にとっては呼吸をするよりも簡単な魔力でしかなかった。

 黒い光が世界を覆い始める。衝撃は音もなく訪れた。アスカの体を突き抜ける鈍い衝撃。脳を不気味に揺さぶった。

 

「ガハッっ!?」

 

 巨大な鉄球が体の中を通り抜けていくかのような重い衝撃、体の中に埋め込まれたダイナマイトが内側で爆ぜたような衝撃。内側から内臓を引っ掻き回されたようなおぞましい感覚と共に簡単に吹き飛ばされたアスカの肉体が衝撃に押されて浮遊する。

 何十メートルも吹き飛ばされ、受け身も取れずに背中から地面に激突した。

 二回、三回、地面の上で跳ねて、やがてボロ布のように力なく広がって動きを止めた。大の字に倒れたアスカは一度、大きく痙攣して動かなくなる。それっきり、ピクリともしない。木乃香達はまだ意識を取り戻していない。

 これは九分二十九秒の間に起きて決着した悲劇。アスカ達は敗北を宣告された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り二時間三十五分。

 

 

 






次回『第87話 閃光の如く』


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