魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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―――――声を上げろ。それは生まれた全てに許された権利である





第89話 反逆の咆哮

 

 

 

 

 

 茶々丸は上半身と下半身が切断されていて、右肩と左胸に紅蓮の槍が突きたてられており、そこからは黒煙が昇っていた。小太郎は全身傷だらけのまま氷柱に閉じ込められ、肉の焦げる嫌な臭いを全身から放ちながら気絶している古菲、離れた場所で瓦礫に埋もれている楓。意識がないアスカを抱きかかえて必死に治療している木乃香。

 みんなに目を向ければ、これまでの戦いが如何に激戦であり、またそれ以上の苦戦であることはどんな鈍い者でも感じ取れる状況であった。

 

「状況は二十年前と少しも変わっていないんですね」

 

 クルト・ゲーデルは愛刀を油断なく構えながら、奇しくも二十年前と同じくこの地で行われた決戦をなぞるかのような状況に、少しばかりの感慨を込めて言葉にする。

 

「そういうことです。ただ年月だけがいたずらに過ぎていったのかもしれません」

 

 ついにこの日が来てしまった。自分達の奮闘も虚しく、またも世界は同じ歴史を繰り返そうとしている。

 これこそ天の配剤、全ては収まるべきところに収まりつつあるのかもしれない。一秒未満の悔しさを抱きしめ、二十年前と同じようにこの地に立ったアルビレオ・イマは造物主(ナギ)を見る。

 

「でも、無駄に年齢を重ねたとは思いたくはありません」

 

 無為ではなく、この二十年に意味があったのだとタカミチ・T・高畑は信じていた。

 

(………ああ)

 

 視線を移して傍らで油断なくネギ・スプリングフィールドの姿に一瞬だけ、高畑は目を細めた。

 先の大戦中は必死だった。紅き翼を中心として同じような疑問に突き当たった者達が何時しか集い、戦いを終わらせるための戦いを懸命に模索していた。

 最初は小さな勢力だったが同じ志を持つ者達が集まり、一つの目標に向けて力を尽くした。あの頃の自分の側にもクルトがいて、師であるガトウがいて、憧れたナギがいて、強かった紅き翼がいて、共に悩み、迷い、互いに痛みを分かち合った。

 当時は小さくて弱い自分がどうしようもなく苦しいと感じたこともあったが、今思い返すと必死だった分、ある意味満ち足りた時間だったかもしれない。

 

「どうかしましたか?」

 

 と、アルビレオが訊いた。

 

「何がです?」

「今、笑っていましたから」

「……………そうですか、いえ、気にしないで下さい」

 

 言いながら高畑は頭を振った。

 実のところ、指摘の通りに不謹慎と思われても仕方のないことだが、このような状況にあるにもかかわらず少しだけ高畑は愉快であった。

 こちら側と、向こう側。前の大戦に参加した者としていない者、戦った者と見ていることしか出来なかった者、旧世代と新世代。嘗ては自分は戦えない向こう側にいたのだろう。今頃になって彼らがどういう風に自分達を見ていたか、痛いほど分かる。

 こうやって、引き継がれていくのだろう。こうやって、引き継いでいくのだろう。大人から子供へ。過去から未来へ。受け継がれていく魂があると信じたい。

 しかも、その一人はあの時に憧れた人(ナギ)の息子のネギ・スプリングフィールドだ。

 

(全く我ながら子供っぽい)

 

 笑みを噛み殺す。こんなことで愉快になってはいけない。そんな資格は自分には無い。だけど、それでも。まるで昔に戻ったかのような錯覚に、ほんの数秒だけ高畑は微苦笑した。

 温かいものが高畑の体を満たし、胸に凝っていた何かを洗い流していく。

 自分は一人ではない。ここに、共に戦う仲間がいる。

 ここは戦場。和んでいる場合じゃない。 世界は変わっているのだと信じた。だから高畑も取り残される老人になるには速すぎたから前に進みたかった。

 高畑は両頬を叩き、自分の出来る精一杯を果たすことにした。最後の一瞬に後悔しない為に。出来れば生き延びて、子供達が作っていく夢の溢れた未来を眺めるために命を燃やして戦う。

 何時か高畑を置いていくだろう少年へと、前途を祝して乾杯するように拳を強く握った。

 

「この戦い、必ず勝とう」

「勿論」

 

 言葉少な気に返すネギの顔を見て、もう子供扱いは出来ないなとドクンドクンと破裂しそうな勢いで打つ心臓を抑える。

 

「…………新旧揃い踏みと言うところか」

「そちらも同じではありませんか。まあ、そちらは二十年前にいた者は誰もいませんが」

 

 人数差が入れ替わってひっくり返された盤面を前にして、そっくりそのまま言葉を返された2(セクンドゥム)は気に入ら気に吐き捨てる。

 

「そう言うならば関係のない者もいるようだが」

 

 造物主の使徒であり、アーウェンルンクスシリーズと造物主の完全なる世界側に比べて、英雄一行の中には二十年前にも十年前にも関係のない人物がいた。

 

「キティはネギ君とアスカ君の師匠です。十分に関係ならばありますがね」

「安心しろ。関係なかろうと貴様らは全殺しにしておいてやる」

 

 スプリングフィールド親子との関係を持ち出されなくても、従者である茶々丸をこんな有り様にした奴らを見逃すほどエヴァンジェリンの器は広くない。貴様らは等しく死ね、と嘗ては魔王とすら呼ばれた吸血鬼は敵となった者達の末路を宣言する。

 

「口だけは減らない奴らだ」

 

 ああ言えばこう言う、と大して会話に重きを置いていなかった2(セクンドゥム)は雷光を纏う。4(クゥァルトゥム)6(セクストゥム)もそれぞれの属性を全開にして戦意を見せる。

 

「創造主の道具として宣言しよう。貴様らを根絶やしにすると」

「自らを道具と卑下するか」

「はっ」

 

 2(セクンドゥム)は、いきなり耳に障るような笑い声を上げた。

 

「何が不服なものか。それこそ我らの願い、望み、全て。主の為の、主のお作りする世界の為にこそ、我々の命は存在するのだ。道具であることを何を卑下することがある」

 

 これは別種の存在であると、高らかに嗤う2(セクンドゥム)からネギは感じ取った。

 

「現実を見せてやろう。どんなに頑張ろうとも、お前達は終わりだ。虚しいとは思わないか? 命に限りがあり、どんなにもがいてみても最期には『死の恐怖』が待つのみ。お前達も同じだ。苦痛と恐怖と絶望の内に死ぬがいい」

「倒れるのは君達の方だ!」

 

 そう叫んだネギの言葉を契機として、新たなステージの戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、麻帆良学園都市も混乱は収束に向かっていた。

 向こうの戦いから漏れ出た流れ召喚魔による世界樹への侵攻。そして―――――それを隠れ蓑にしてのデュナミスの決死の策。墓守人の宮殿にいる本体から核を分割して分身を作り、目覚めたばかりのアーウェンルクスシリーズを引き連れての封印された「造物主」の奪還。

 召喚魔は魔法先生・魔法生徒と、学園祭で超鈴音が率い残していったロボット兵器群を葉加瀬が起動したお陰で何とか一般人に被害が及ぶ前に事無きを得た。だが、デュナミスの策を防ぐことは出来ず、学園深部は襲撃にあって「英雄」と「災厄の王女」の犠牲によって封じられていた「造物主」は遂に解き放たれた。

 造物主の解放と同時に召喚魔は消え去ったが、残されたのは戦闘によって荒れ果てた麻帆良学園都市。建造物の破壊と魔法世界側の浮き岩の落下による二次被害は防ぎきれなかった。

 真夏でもあり得ないほどの熱い熱が、火の粉と爆音、そして人々の悲鳴を運んでくる。

 

「頑張るのよ裕也君! お姉ちゃん達が必ず助けてあげるからねっ!」

 

 汗で額や頬に髪がへばり付いているのにも構わず、明石祐奈が瓦礫に手を掛けた。そして腕にありったけの力を込める。

 これでもう何度目の挑戦か分からない。同じように腕に力を込めている佐々木まき絵・和泉亜子・大河内アキラの手も既にあちこち皮が破れて血が滲んでいた。

 目の前にいるのは、崩れた建物の外壁に両足を挟まれて身動きの出来なくなった、四歳ぐらいの男の子。不安そうに祐奈を見上げている。顔は涙と鼻水でべとべとになっているが、身体に大きな怪我はない。

 異変が起きてから両親と逃げている途中で逸れて、一人で泣きながら彷徨っていたところ、建物の崩壊に巻き込まれてしまった、ということらしい。

 彼女達は買い物帰りに混乱に巻き込まれ、近くを通りかかった時に少年の泣き声が聞こえて駆けつけたのだ。この周囲は既に避難が行われているのか他に人影はない。どれだけ声を上げて助けを呼んでも誰も来ない。

 どうにかなってしまった世界を前に、今にも崩れそうな顔の子供を見捨てることは出来なかった。どこもが似たような状況で子供を助けられるのは自分達しかいないと発奮していた。

 

「いい加減に持ち上がりなさいよぉ――っ!」 

 

 叫んだ祐奈だが、タイミングが良いのか悪いのか、今までビクともしなかった瓦礫が音を立てて動いた。

 

「引っ張って!」

「分かった!」

 

 僅かに浮いた瓦礫をアキラとまき絵が支え、亜子が少年を引っ張り出す。

 

「あっ!?」

 

 亜子が少年を引っ張り出したと同時に一番の力持ちであるアキラの手が血と汗で滑る。祐奈とまき絵だけでは支えきれずに瓦礫が落ち、すっぽ抜けた亜子は思いっきり尻餅をつくはめになった。

 

「あいたたたぁ……」

 

 固いコンクリートで思いっきり打ったお尻が痛くて涙目になりながら唸る。

 

「亜子、大丈夫?」

「平気、平気」 

 

 まき絵が心配そうに聞いて来て本当は泣きたいぐらいに痛かったので本当のことを言いたかったが、抱えている自分を見つめる男の子に不安を与えてはいけないと、聞いてくるまき絵に平静を装って親指を立ててウインクしてみせて返す。

 アキラが手がすっぽ抜けたことを謝ろうとするのを止めながら祐奈は少年の体に傷がないかを見る。

 

「ここも何時まで無事か分からないし、早く逃げないとね」

「ボク、歩ける?」

 

 まき絵が辺りを見渡しながら言って、祐奈は亜子が抱えていた少年に問いかける。

 少年は言葉もなく眉を引き締めてコクンと頷いただけだが、状況が状況だけに泣き喚かないだけでも少女達には十分に助かっていた。

 

「偉いっ! さっすが男の子!」

 

 祐奈が身を屈めて目の高さを合わせて髪をくしゃっと撫でてやると、男の子は「へへっ」と無邪気に笑った。

 そこかしこで火災が発生しているためか、それとも緊張のためか、感じる気温はかなり上がっているように感じる。浮かんでくる汗を拭いつつ、荒れた呼吸を整える。

 

「さあ、行こう」

 

 魔法世界だけではない、墓守り人の宮殿だけではない。誰もが戦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メガロメセンブリア艦隊の戦艦エルストロメリアの中でブリッジよりも一段高い場所にある艦長席と思われる席に、はちきれんばかりの巨体を軍服に包んだ壮年の男が座っていた。ガッシリとした肩の階級章から大佐と分かる。

 ブリッジに詰める者達も大半が如何にもなマッチョ体型ではないものの、制服を捲り上げたりして露出している異様に太い二の腕といい、分厚い胸板といい、まさに訓練によって造られた特殊仕様の肉体を持つ者が多かった。

 

「我らの陣営とヘラス帝国のみならず、多数の諸国から個人に至るまで、なんとも壮観な眺めじゃないか」

 

 低く呟く声に、副官オルフェ・ボルドマンが艦長席に座る艦長クラップ・ゴドリー大佐へと顔を向けた。

 上級士官の制服に包まれたクラップ艦長の恰幅のいい肉体からは、岩の如き重厚な存在感が漂っている。そこにいるだけで、船は沈まないとさえ思える雰囲気があった。敵であるヘラス帝国軍にも広く名前を知られ、メガロメセンブリア軍一の猛将と名高きこの艦長の副官に成れたことはオルフェにとって人生最大の幸運であった。

 クラップ艦長は五十五歳という年齢を感じさせぬ揺るぎ無い姿勢で、艦長は戦場を見つめている。髪と顔周りを覆う髭は灰色が混じっているものの、その顔には静かな気迫が常に感じられる。太い眉の直ぐ下の瞳は、そこらの若者以上の生気に満ち溢れていた。

 右上から左下へ眉間を通る深い傷跡が男に凄みを与えている。オルフェはクラップ艦長の顔を斜めに走る醜い傷跡は二十年前の戦争で受けた傷だと何時か酒の席で聞いたことを思い出した。

 

「ええ、全くです」

 

 一隻の艦船に乗る艦長がそんな場合でもないのに心の感想を表に出して嘆息するように呟くと、隣りに控えるオルフェが相槌を打つ。短い相打ちしか打てなかった。

 クラップ・ゴドリーは現場主義の行動力に富む人物で、上に行けば上に行くほど政治に関わろうとする軍人の中では異彩を放っている。年を取っても現場から引くことなく、数多くの戦果を上げながらも未だ大佐の位置に留まっている。

 軍内では勇猛果敢さと功績の多さに人望は多いが、上層部には逆に煙たがられて孤立している立場にいることは否めない。

 軍人という職業は、末端ならまだしも上に行くほど平時においては軍人としての実力よりも政治的な手腕が要求される。それは世界、時代、国の隔たりなくそうしたものだ。クラップには、そのような要素が欠けていた。本人としてはまどろっこしいことは嫌いなので前線で戦っている方が気が楽なのもあったのだろう。いい意味でも悪い意味でも生粋の軍人なのだ。

 しかし、オルフェは、そんなクラップを心底尊敬していた。自分も軍人としてこう在りたいと切望していた。

 

「だが、皮肉なものだな……こんな時でなければ纏まれないとは」

 

 くたびれたキャプテン帽を被り直したクラップ艦長の目は、苦渋と誇らしさがない交ぜになったような複雑な色だった。

 過去を回顧するような表情を浮かべる。

 以前に酒の席で二十年前の戦争のことで思うことがあると言葉の端に匂わせていたことがあった。二十年前には市井の一般国民でしかなかったオルフェには想像することも出来ない何かしらの事実を知っているのかもしれない。

 例え何もなくても何がしかに思うことがあるのは間違いない。副官に着任して短いといっても実力で地位を掴み取った能力は伊達ではない。クラップ艦長が何を考えているか感じ取っていた。

 

「だけど、世界は今一つになっています。これも悪くないのではないですか?」

 

 大分烈戦争から時代は流れ、仮初めとはいえ平和の下、各国は健やかな友好関係を結んでいる。なにも解決していないのだとしても、この二十年は決して無駄ではなかった。

 遠くには魔法使い・亜人・戦士で構成された飛行部隊が召喚魔達と交戦しているのが見える。

 凄まじい数の者達が下方から魔法を放って上空に光を閃かせる様は、光の奔流が重力に逆らい猛り上がって行くようで、この上もなく美しかった。もしかすると敵味方の区別なく団結している姿に、そう思わせる要因が含まれているのかもしれない。 

 ブリッジのフィルター付きのガラスは、その光を減殺してくれたが、それでも窓の向こうが真っ白になった。今もまた窓の外で光条が輝き、爆発光がそれに彩りを添えて艦長の顔を照らし出す。

 

「ああ、確かにそうだ。こんな状況だからこそ纏まれることが悪くないと思っている俺がいる」

 

 副官の問いに、艦長は同意するようにふっと口元を吊り上げてニヒルな笑みを浮かべて見せる。これだけの戦力が揃えば、何の不可能ごともないとすら思えた。オルフェの口元もまた、主人の意志を無視して自然に曲線を描く。

 

「戦況はかなり悪い。数も集まりつつあるがこちらが劣っている。だが、不思議と負ける気がせんでな」

 

 状況を分析する声は至極冷静だった。その目が僅かに細められる。口元には笑み。悲壮さはない。それどころか勇壮ですらあった。

 

「若者はいい。混迷する世の中にあっても常に未来に向かって歩いている。そうは思わんか、オルフェ」

「ええ。時折、羨ましく思います」

 

 クラップは艦長席から立ち上がり、灰色に染まった髪を掻き上げて軍服の襟元を緩めた。戦闘を前にして軍服を崩すという軍人としてあるまじき行為だが、それは如何にも手馴れたといった仕草だった。彼の部下なら誰もが知る戦いに猛った上官が戦闘モードに移行した証。

 

「これだけの大戦は二十年前以来だ。血が滾って仕方ない。ラゲイマの野郎には感謝しないとな」

 

 根っからの軍人で、中央で政治をやっているよりは最前線で戦っている方が性に合っていると常日頃から言い切るクラップ艦長らしいと、副官を勤めるオルフェは浮かびそうに苦笑を抑えるのに必死だった。

 

「機関全速! 敵陣に突っ込むぞ!」

「了解!」

 

 クラップ艦長が立て続けに命令を下し、クルー達は勢い込んでそれに従う。精霊エンジンが唸りを上げ、船体が急激に加速を始めて横に並んでいた

 

「これより敵を叩く。余所見をくれるな」

 

 クラップは指示を下しながらもチリチリと脳のどこかでアドレナリンが蠢く気配がした。結局、どのように飾っても戦争がクラップ・ゴドリーは戦うことが好きなのだった。

 この内に秘めた好戦的な気性が若くして大佐の位に就きながらも政治に興味を持たなかった所以だった。だが、年老いても現場に拘る彼の姿勢は多くの軍人の指示を集め、アスカの演説を聴いて狼のように戦闘の臭いを感じ取った。元老院幹部であるラゲイマ・タナンティの後押しがあったとはいえ、瞬く間に軍勢を纏め上げて馳せ参じたわけだ。

 動き出した自らに触発された者達を続々と纏め上げながらも滾る血を抑え切れない。

 

「偶にはこんな柵のない戦いもいい。二十年前もそうだった」

 

 軍人が戦いに赴くのは、どんな綺麗事を重ねても何時だって命を奪うためである。でも、今回だけは違う。守るため、世界を救うための戦いだ。後ろめたい作戦では得られない、二十年前と同じ本物の闘いの高揚が血を沸き立たせるのを覚え、口中に広がるアドレナリンの苦味を堪能した。

 

「総力戦になるが全員生きて帰ってこいよ! 俺の奢りで上手いものを食べさせてやる!」

「はっ!」

 

 楽しみにしておく、と部下達の返礼の中に臆していない気持ちを感じ取ってクラップも腹を決めた。

 

「総員、第一種戦闘配置」

 

 クラップは正面を睨み据え、一拍間を置く。そして高らかに命じた。

 今のクラップは、散発的に発生するだけの戦闘に満足していたハゲワシではない。鋭い目と牙を持つ猛獣だった。獲物を狙いすます野獣の長だった。

 

「ハッ! 対空、対召喚魔戦闘、有視界戦闘用意っ! 精霊ミサイル、第一波! 第二波! 発射準備よーいっ!」

 

 副長であるオルフェの命令が必要な部署で復唱されて行く。

 彼はある意味で細かいことは気にしない鷹揚な艦長とは対照的に几帳面な男であった。オルフェも世間一般で比較すれば大柄な男だったが、クラップ艦長ほどの威圧感はない。だが、やはり艦長の女房役として比較的新参者でありながら、その存在感は古株の者にも認められていた。時に艦長よりも怖い人物と恐れられてもいる。

 

「空戦部隊急速発進! 射出後、一個中隊を本館の直衛に回らせろ! 一番から十番の精霊ミサイル装填急げ、続けて十一番から二十番の装填も忘れるな!」

 

 ブリッジでオルフェの命令に従ってオペレーターがパネルのスイッチを入れていく。その間にも別のオペレータ達が艦内の格部署と連絡を取り合う声が交錯していた。

 副長とは艦長の予備ではない。艦内の状況を最善の状態に保つのは副長の責任だ。副長がその庶務を果たしているからこそ、艦長は作戦指揮に専念できる。

 

「…………第一波! 発射だ!」

 

 各部署の準備が整って一瞬の静寂がブリッジを支配し、オルフェがクラップ艦長を仰いだ直後に号令によって艦から精霊ミサイルが発射された。間を置いて近くにある全ての艦から同じように精霊ミサイルが発射される。

 一拍遅れて随伴していた艦隊からも精霊ミサイルが続けて発射される。

 爆音と共に射出された熱が閃光と焔を纏い、一直線に敵へと向かう。精霊ミサイルが直進して遠雷にも似た轟音と共に砂柱が何本も上がった。着弾した攻撃が爆発したのだ。閃光にも等しい強烈な光が幾つも迸り、野獣にも似た凶暴な唸り声がそこかしこで漏れて聞こえる。無慈悲に破壊を広げ、抗しきれなかったものから死んでいく。

 

「さぁ、野郎ども。戦争をするぞ。俺に遅れずについて来い!」

 

 野獣の長に率いられた一群は、その身を一気に猛らせた。推進剤の奔流を引きながら、エルストロメリアは敵の一団に向けて加速した。轟音に猛々しい鬨の声が混じった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メガロメセンブリアの元老院。

 ここには主に武官や文官といった政に関わる人々の執務室などが集結し、いわばメセンブリーナの心臓部といってよい場所だ。ラゲイマ・タナンティの執務室もこの階の一階の最奥に設けられていた。

 しんと静まり返った部屋に、古い柱時計の音だけが響いていた。木製の柱時計だ。

 ボーン、ボーンと部屋中に響き渡る時報を聞きながらラゲイマは書類に走らせていたペンを脇に置くと、顔を上げた。

 穏やかな時間よりも、自らを律する厳しさを選んで皺に刻んできたような風貌を見つめた秘書官が不意に口を開いた。

 

「本当によろしかったのですか?」

 

 丸い小さなツーポイントの眼鏡をこの男は、もう四十半ばを回っているにもかかわらず、実際の年齢よりも遥かに若く見えた。常に物静かで物腰も柔らかいが、それでいて眼鏡の奥の瞳は、まるで全てを見透かしているかのように鋭く、如何にも切れ者といった感じのする男だった。

 ラゲイマの第一秘書であり、彼の名実共に片腕ある男であった。

 

「状況が状況だ。良い悪いの問題ではない。私は私に出来る最善をしただけだ」

 

 元老院議員ラゲイマ・タナンティは、世界の中心を貫く軸であるかのように、背中を真っ直ぐに伸ばして座っている。

 苦渋の選択を選ばざるをえなかったとしても眼光の鋭さに変わりはなかった。滲み出る存在の重みにも衰えはなく、続けた声音は刺さるように冷たかった。

 

「しかし、今後のことを考えて我らがすべきは万が一を考えて戦力を温存しておくべきではありませんか」

 

 窓の外では、今や誰の目にもハッキリと分かるほど黄金色の魔力が神秘的な河となって空に広がっている。世界の終焉を予見するような、美しすぎる輝きであった。

 

「糾弾されるか、英断と称えるかは世界が存続してこそ」 

 

 どんな残酷な仕組みでも、運営しているのは人だ。それは働く者と組織の間に偽善にしろ妥協点が無ければ人が運営している意味がないということでもあった。立ち位置を守りながら、良心や利害から助け合い繋がっている。偽善であっても善を為すし、そうして繋がることで恐怖から逃れたい。

 

「もし彼らの命が潰えるようなことがあれば、恐らく完全なる世界を倒し得るだけの戦意と結束力は失われる。そうなれば、どれだけ戦力を温存していようが必ず負ける。そも、既に儀式は始まっているのだ。今この時に勝たねば全てが終わる」

 

 ラゲイマは振り返り、何時も通りの厳しい表情のままで言った。その顔を窓の外からの光が照らしだす。

 

「申し訳ありません。仰られる通りです。ですがラゲイマ様は、勝機があるとお考えですか?」

「勝敗は時の運と言う」

 

 実直で確実な手ばかりを打つラゲイマにしては珍しく無責任な発言に、秘書官は目を丸くした。

 

「上手くやってくれるでしょうか? 彼らは……」

 

 まだ不安に囚われたままの秘書が窓の外に広がる魔力の海に目を向ける。ラゲイマは椅子を回して背後を振り返ってその視線を追った。

 

「確かに運に身を任せるには、あまりにもリスクが大きすぎる。だが、打てる手は全て打った。後は戦闘の場に立てぬ我ら文官に出来るのは戦う者達を信じることのみ」

 

 ラゲイマは大きく溜息を吐くと、椅子の背もたれに深く身を委ね、ジッと目を閉じた。

 このように巡ってしまった事態を受け入れて、対処するしかない。その為に出来ること、するべきことは全てしたつもりだ。表だって戦える技能を持っていない自分達に残っているのは信じ祈ることしかないとラゲイマは知っている。

 

「英雄と災厄の女王の子が世界の為に戦う、か」

 

 独りごちてみて、寓意が過ぎると改めて思う。しかし、物事が大きく動く時はそんなものだという思いもラゲイマにはあった。全てが最初から計画されていたなどということはなく、後になって偶然の符合に震撼とさせられる。そう、所詮、人の生は偶然と運に支配されているのだ。

 

「複数の思惑が絡み合い、雁字搦めになった事態を突破し得るのは何時だって我ら大人ではなく彼ら子供達だ。信じよう、良くも悪くもこうなってしまったのだと」

 

 二十年前の時点で、ラゲイマは完全なる世界に興味が持てなかった。政治家だった彼を突き動かすのは、そこで何が出来るだけだ。

 

「賭けてみるしかあるまい。我らに出来るのは備え、終わった後に元の木阿弥にしないことだけだ」

 

 ラゲイマは無言で窓越しに空を見上げ続ける。革張りの椅子に背中を預けて息をついた。

 好々爺といった表情がラゲイマの顔に広がり、秘書官は呆気に取られた目を瞬いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『繰り返しお伝えします。本日未明、旧オスティアにある墓守り人の宮殿が』

 

 誰もいない部屋の中、消し忘れたらしいテレビの画面から、アナウンサーがたった今届いたばかりのニュースを読み上げている。部屋は乱雑に散らかり、食卓の上には食べかけたまま放置された食器が残っている。

 

『現在、墓守り人の宮殿で行われている戦闘は収まる気配を見せておりません。時間が経つごとに激しさを増しているような見えます――――――』

 

 家々から人の姿は消え、誰もが外に出て空に流れる魔力の川を見上げて押し黙り、固唾を呑んだ面持ちで見つめる。

 酒場からも殆どの人が避難したがブラットはカウンターで酒を飲み続けている。

 

「お兄さんは避難しないのかい?」

「酒でも飲んでいた方が有意義だ」

 

 どちらにせよ、自分に関係のある話ではない。家族と仲間を失った時から自分の世界はとっくに死んでいる。

 

「英雄なんてのは俺達に関係のない世界に生きている。勝とうが負けようがどうでもいいさ」

 

 歴史上には、しばしば求められるように現れて一時代を創る人間がいる。

 しかし、所詮はアスカは自分とは違う人種。立っている場所が端から違えば、これからも同じ目線に立つことはない。ようはそれだけのことだ。

 

「マスターこそ避難しないのか?」

「客がいる内は逃げませんよ」

「すまんね」

 

 仕方あるまい、と胸中に呟く。アスカ達が見ている未来を否定するつもりはないが、少なくとも自分はそこには住めないし、自分のように前大戦の亡霊達もそれは同じだろう。

 

「亡霊は何時か消えていくのみだ」

 

 人はそれほど強くも高貴にもなれない。生まれた場所に縛られ、過去に囚われながら自分では変えようのない流れの中を漂い続ける。出来ることといったら、その過程で小さな取捨選択を繰り返し、自分の人生を生きていると錯覚するぐらいだ。

 

「世界が滅びようがどうでもいい」

 

 これが現実、と酒を入れたグラスに薄らと反射する覇気のない衰えた自分の顔を見据え、ブラットは虚ろに内心に嘯いた。

 

「俺の知らないところで手の届かないところで好き勝手にやるがいい」

 

 とブラットは口の中では呟いた。完全なる世界が魔法世界を滅ぼすだとか、アスカ達が世界を掬うだとか言われたところで、どうあれ自分には関係がない。

 言葉はただ言葉でしかない。受け止める心がなければ、ただの音の連なりでしかないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスカ・スプリングフィールドが気づいた時、周りは全てが闇に染め上げられた空間を揺蕩っていた。

 

(俺は、死ぬのか?)

 

 これで死ぬのか、という思いが脳裏を過ぎる。

 ひどく間隔が曖昧で、自分自身に実在感がなかった。なにもかもが半透明な被膜に包まれ、現実感を失ってゆく。夢現であるように思えるが、記憶は最後の瞬間が克明に刻まれている。腹部を貫いた激痛を思い返し、身震いする。

 

(やばいな)

 

 忍び寄る死の影に、アスカはもはや覆われた脳髄の片隅で漠然と思う。

 

(冗談じゃない。俺にはまだ、やることがあるんだ)

 

 思いが意志という名の火をくべる風になり、アスカは未だ魂の奥で燻り続ける熱を知覚した。

 こんなものではない。まだ出来ることはあるはずだと訴えて退かない熱が体の奥で胎動している。その熱が薄まりかけていた心身に血を通わせるが、現実はどこまでも厳しかった。

 意識が遠のき、暗転しつつあったアスカの視界に幻想的な光景が飛び込んできたのはその時だった。

 

(なんだ?)

 

 不意に体が震え、アスカの頭の中に莫大な情報が映像と音とに転換されて流れ込んでくる。何か不思議な夢の中に迷い込んだような、映画の世界に入り込むような不快感。

 刹那、彼の意識は何かに引っ張られるように時の狭間を飛び越える。

 未知の記憶がそこから溢れ出し、見たことのない、しかしどこか覚えのある光景が像を結んで、眩暈の波が押し寄せてくるのを感じた。

 

(幻覚……? あれは)

 

 初めに見えたのは、人ならざる者達の楽園――――神々の世界だった。

 豊穣、地母、天空、冥界、愛、美、月、死、法…………様々な神々が星の数ほど存在し、彼女もまた造物神として高い神格の持ち主として人と共に暮らす神々の絶頂期を過ごしていた。

 絶頂期はそれほど長く続かなかった、ソレ(・・)が現れるまでは。

 ソレ(・・)は何時の間にかこの世界に存在していた。生まれ育ったものか、それとも外の世界から現れたものかは定かではない。ともあれ、ソレ(・・)は存在を世界に示すと同時にとあることを始めた、殺戮である。

 生きとし生けるもの、人や動物だけではなく、精霊や妖精、その他一切の区別なく殺し始めた。そしてソレ(・・)は遂には神にまで牙を向け始めた。

 最初神々は楽観していた。例えソレ(・・)が幾ら強かろうとも感じられる力は神の領域には程遠い。そう、当初は神よりも圧倒的に弱かったのだ。

 だが、ソレ(・・)は闘う毎に力を増して強くなり、やがては神すらも屠り始めた。

 最初は戦いに向かない文化的な神が、次にそこそこ力のある神が屠られて始めて神々も危機感を覚えた。戦闘を本職とする武神が出張って戦って敗北した時には静観していた神々もソレ(・・)の排除論に賛成するほどに。

 名前のないソレ(・・)は便座上、魔神――――神達は神以上の存在を認めなかった――――と呼ばれ、一対神連合による戦いが繰り広げられた。

 彼女はその結末をその眼で見たわけではない。戦闘を得意とする神ではなく、生み出す、もしくは作り出すことに特化していた神であったから、その役割は闘うことではなく戦いの後にことにこそ求められるものが大きい。

 彼女は万が一を考えた神達が人に啓示を与えて建造させた箱舟に乗って旅立った。万が一、例え魔神によって世界を破壊されても安住の地を見つける為に。

 魔神と神々の戦いの結末を旅路に出た彼女は詳しくは知らない。それよりも自らに与えられた役目を果たすことに必死だったから。

 長い長い旅路は箱舟に乗り込んだ生物達が死んでも終わらない。

 

(これ、は?)

 

 混乱した思考に、色褪せたフィルムのような情景が拍車をかけるも映像は止まらない。

 常命の者にとっては長い旅路を終えて辿り着いたのは、大いなる《無》だった。そう、これは無だ。あまりにも圧倒的で、普遍に浸潤する、絶大な無―――。

 ―――――世界は、未だ存在せず。

 生きるものもなく。海と、空と、陸の区別もなく。命も、緑も、何もなく。

 ただ、無窮の空間だけが無限とも思えるほどに広がっていた。世界全てが無とも思える静寂がある。

 造物神の力では世界を創造し、生き物を生み出すことはできない。彼女はあくまで造り変えることは出来ても、無から有を生み出すことは出来ないから。だが、等価交換ならば可能だった。

 自らの神の肉体を苗床として世界とする。失敗して無に帰す可能性の方が高かったが、もはや船に乗る神は彼女一柱のみ。失敗したところで一柱の神が人知れずに消えていくだけだ。

 例え成功しても神としての力を捨てることになるが、それでも構わなかった。彼女は造物神、生み出す者であったから。

 神の肉体を苗床として空間に凪の一波を放つ。

 一片の波紋。それは、ともすると見逃してしまいそうになるほど微々たる変化ではあったが、無が、揺らめいた。

 揺らぎは本当に、本当に、小さなさざ波でしかなかったが、零と一は天と地ほどに違う。零は無であり、一は有だ。やがて、無の内に生じた一の揺らぎから光が生まれ、闇もまた、生まれた。

 土は一所に集まり三日月の形を成し、箱舟に乗り込んだ生物を雛型とした世界に不変に蒔かれた生命の種は、嘗て神だった造物主の願いによりて形となって実を結び、実は新たなる種を生んで、やがて、初めての命がそこに宿った。

 原初の生命に、心なく。感情もなく。砂粒のように小さく、脆弱なその者たちは、食べることも、喋ることも、眠ることもせず。それは生きているというだけの、魂の宿らぬ空蝉のような存在だった。

 しかし、肉体を失った彼女は、この上のない歓びと愛情をもって、彼らの誕生を迎えた。何故ならば、それが、空しき虚無の澱みを拭い去る、大いなる端緒と知っていたから。

 無窮の刻が過ぎ去った時、空蝉は、恵みによって劇的な転生を果たした。

 生命の祖は、万の生きとし生けるものへと姿形を変え、増え、別れ、極みなき大空を鳥が舞い、地の倍の領域を与えられた水のものたちは、茫洋たる水脈を伝って、大河と海原を遊楽した。

 清涼な風は森の種子を運び、広がりゆく台地の緑には、何時しか生命たちの番う声が響く。

 そして、遂に亜人という自分の分身が誕生したのだ。その中には自分の神としての因子を強く引いた人間種も少しだが存在している。

 動物から派生して生まれた亜人と比べて肉体的にひ弱な彼らを保護した彼女は、最も自分の因子を色濃く継いでいる子を娘として育て、弱き彼らでも生きていけるように術を教え、様々な文化を伝えた。

 娘は彼女を母と慕い、やがて娘――――アマテルは王国を作り上げてその初代女王となった。この時に生まれたの国の名はウェスペルタティア、後に世界最古の王家となる。

 子らは、知性と、勇気と、自由なる心をもって、世界の果てまで踏破し、自らの世界を拡大していった。

 彼女は愛していた。アマテルだけではなく、自らが生み出した子ら全てを愛していたのだ。

 全ての人が、互いに敬意を払い、誰も誰かを虐げたり、憎んだりせず、争いや貧困は過去のものとなり、人々は愛しあい、生きる未来を切り開いていく、平和で穏やかな素晴らしい世界になると信じていた。まるで現実感を伴わない、明るく子供っぽい夢。

 

(俺はいま、何を見ている?)

 

 己が子らを見て、熱く理想を想う彼女の幸福を噛み締める時は長くは続かなかった。

 

――――痛い

 

 始めに嘆きが聞こえた。

 最初は小さな声だったそれが徐々に大きくなり、やがては彼女を苦しめ始める。

 

――――苦しい

 

 始めは小さな諍いからだった。徐々に規模を大きくし、やがては一つの大陸を十の国にもぎ取って闘い、十の国に分かたれた人々は、百の民族となって敵対し、百の対立は千の血に、千の血は万の憎悪へと化した。

 森を焼かれ、住処を追われた獣の群れは、血の匂いに渇いて狂ったように吼え、罪深き者は、死後の行く末に恐怖して狂い死に、聖者もまた、塩の柱となって朽ちた。憎悪、怨嗟、傲慢―――――各々が大罪を写したような表情を、誰かの手が押しのけ、誰かの足が踏みつけている。煉獄のようである。

 

『耳にこびりついて離れない。子らの末期の叫びが、痛みが。何も出来ずに全てを奪われた恨みと憎しみの声と感情が頭にこびり付いてくる』

 

 地獄と化した世界で、生きとし生ける者たちは、ただ啼いていた。

 無論、彼女が何もしなかったのではない。

 ウェスペルタティア王家直系で血の濃い者の体を借り、自らの手で救われぬ者を救おうとした。

 そして、救おうとした誰かが目の前で死んだ。

 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んで、しまった。なにもかも。みな。

 死に顔すら、彼らは安らかではなかった。負に囚われて死に逝く者は、魂までもが、負の呪縛に落ちる。

 災いの如く喚く妖鴉の泣き声が木霊する。反響し、共鳴し、圧倒する。溢れ、笑い、這いずり、濁り合う。

 

『そう、そうだ。私の掌から、星砂のように、彼らの魂が零れ落ちていった』

 

 とめどなく、とめどなく、とめどなく。永久であったはずの幸福は空しく塵芥と化し、地獄の業火に焼かれていった。嵐に打たれた大樹の葉のように。天の恩寵から離れた魂が堕ちてゆく。堕ちてゆく。

 

――――苦しいよ

――――こんなにも痛いのに、どうして助けてくれないの?

――――アイツさえ、いなければ

――――死ねばいいのに

――――憎い

 

 底知れぬ深淵、タールのように重たく粘る汚泥だ。そこに揺蕩うのは万象の残滓、夢の切れ端、口にされることのなかった叫びと、生まれる間もなく押し殺された嘆きだ。

 

――――死にたくない

――――なんで私が

――――僕が

――――俺が

――――死にたくない

――――死にたくなんか、ない。

 

 疎んじられ、遠ざけられ、無用になり、捨てられ、省みる者のなくなったものが集う。折り重なって圧迫され、発熱し、爆発し、混濁し、溶解し、微細な反応を繰り返して難泥の海となる。

 嘗ては美しい生者達が、彼女が気が付いた時には群れを生して醜い呪詛を撒き散らす死者となって背後に広がっている絶望。

 

『私は彼らに幸福でいてほしいだけなのに。どうして争う? どうして殺す? どうして傷つけることが出来る?』

 

 呪詛が消えない。絶望が広がる。憎しみが何時までも連鎖する。

 復讐者、狂信者、求道者、傍観者のあらゆる人々が発する共通する意思。

 

『こんなはずではなかった。こんな結末がありえていいはずがなかった。どこで間違えた。何を間違えたのだ』

 

 悲劇は終わらず、呪詛だけが増えていく。

 負の連鎖に陥った人々は世界を生み出した神に助けを求めながらも、その手で誰かを傷つけていく。

 嘗ては穏やかだった心は荒みはて、血の嵐が吹き荒れていた。ある者は水と食料を求め、ある者は混乱に乗じて権力を欲した。無秩序と混乱の中、弱き者はただ天に救いを求め、祈っている。そんなことが何度も繰り返される。

 

――――生きたい

 

 生き延びること。それは生命が持ち合わせた最大の欲求だ。自らの種を生き延びさせるため、生物は自らの生命を維持し、また繁殖する。

 生命維持に必要な栄養素を求めて戦い、より優れた伴侶を求めて戦い、自らの遺伝子を受け継ぐ子を守って戦う。それらは全て、生まれた時から遺伝子に刷り込まれた行動で、生命の形態によって差異はあるものの、一つの衝動に衝き動かされている点は同じだ。

 

『何故、自分の分にあった幸福を甘受できない? 何故、手元にある分だけで満足できないのだ、人は』

 

 人は、もっと幸福を、もっと優れたものをと。あらゆる競争に勝ち残り、他を圧倒しようとする。身の丈にあった幸福を受け入れることが出来ず、他者を羨んで奪おうとする子らが理解できない。

 他者を羨みながらも拒絶する矛盾。ヒトは互いを敵とし、際限なく続く戦火は血と涙を呼ぶ。憎しみが憎しみを呼び、一つの勝利は新たな報復によって覆される。

 

――――こんな世界なら、生まれて来なければよかった

 

 この世界に神はいない。嘗て神だった世界創造に肉体を捨てた彼女に往年の力はなく、ただ嘆きの言葉だけを聞き続ける。

 

『違う違う違う! 私が汝ら造ったのはそんな願いを抱かせるためではなかった!!!』

 

 何故ならばこの世界には遍く彼女の因子に満ちている。範囲など関係ない。人数に意味はない。神を信じようと、否定しようと、無神論者であろうとも、この世界に生きとし生ける者全てに彼女は繋がっている。

 喜びも哀しみも、怒りも楽しみも全てを彼女は共に感じている。自らの生み出した物に責任を持つのは当然のことだ。

 

『私の愛する者達の嘆きは、止まらない。何故、止まらないのだ』

 

 歴史と世界は勝者が作り、敗者はひっそりと忘れ去られる。それが世の習い。敗者の痛みと嘆きは永遠に彼女の身に刻まれる。

 そうして、どれだけの年月が過ぎ去ったのだろう。その間に、長大な歳月と同じだけの命が失われ、痛みと嘆きが彼女に刻まれ続ける。

 

『人は何故、争うのか。自らの住まう地を汚すのか。他者の言葉に耳を傾けず、私から離れ、滅びの道を歩もうとするのか。何故、何故、私の願いは届かないのか……』

 

 先へ、もっと先へ、と希求する心は、果たして善なのか。なにも知らないがために、彼らは、あまりにも安易だった。何時でもやり直せると、思っていたのだ。止まることができると、漠然と、無垢な幼子のように信じきっていたのだ。だから彼らは、未来の行く末に心を砕かず、自己を省みず、安易に戦いを始めてしまう。まるで、嵐の恐怖も知らずに、無謀にも櫂を持たずに荒海に漕ぎ出す小船のように。

 違う、違う、違う。後悔しても間に合わない。それは、堕ちたる星が決して天に昇らないが如く、堰を溢れた濁流が、下手の何もかもを呑みこまねば、治まらぬように。

 過ちを犯した子らは、自らの命をもって、その罪を贖った。悠久の時の中で星の数ほどの命が失われた。どこまでも浅ましく、いじましい人の営みが世界を汚していく。

 

――――助けて下さい、神様

 

 守るべき沢山の子が絶望と共に死んだのだ。純粋無垢だった全ての子の母だった心が憎悪の輝きと憎しみの叫びに染まっていく。絶望、狂気、悲哀、憤怒、憎悪、達観、欺瞞、嫉妬、その全てが彼女に刻まれる。

 

『―――――――――――救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった救えなかった護れなかった――――――――――』

 

 そして、彼女は絶望した。

 絶望とは負の許容と同義語。世界の誰よりも澄んだ心をしていた彼女は、もういない。

 悲恋に打ちひしがれるのでも、死に別れて涙するのでもない。真実の絶望は、ただただ無感動になる。彼女は何時しか思うようになった。

 

『愛した。心の底から愛していた者たちの命が、朝露のごとく潰えてしまった。数限りなく。私の手の届かないところへと逝ってしまった』

 

 世界が廻る。勢いよく、或いは緩慢に、性急に回っていく。回る、廻っていく。

 

『私は間違えた』

 

 全てが塗りつぶされていく。この呪わしい世界が恐怖と狂気で埋め尽くされていく。

 

『この世界は、造り出した者達の全てが間違っていた。不完全だったのだ』

 

 長い時が経過して、摩耗し、薄められ、何に絶望しているのかを忘れてしまっても、絶望していることだけは忘れなかった。それだけは忘れぬようにしがみついた。

 

『間違えているというのならば造り変えねばならない。それがこの世界を造った私の役目であるから』

 

 人が間違えてしまうのは、救われぬ者がいるのは、自分が何かを間違えたからだと結論付ける。

 不完全な者たちが犇く今の世は、自身が本来願って創造した世界とは異なるのではないか。ならばいっそ、全てを滅ぼし、穢れ無き新しい世界を創造すればいい。尽きぬ欲望、失われし道徳、独善、不条理な差別、今の者たちがいる限り、決して世界には平和は訪れない。

 彼女の望みは傍から見れば独り善がりである。だが、世界を真摯に憂うあまりに彼女の考えは歪んでしまったのだ。それだけの業、呪いを彼女はその眼で見てしまったのだから。

 

『それでも彼らを愛そう。歴史の闇に打ち捨てられた敗者達を、今を苦しみながら生きる者を、これから生まれる不幸を与えられる全ての者を、等しく私が救おう』

 

 恨み、怨念、恨みの為の恨み、怨念の為の怨念。それは、そういうものだ。長すぎて、遠すぎて、そういう風に歪んでしまったモノだ。

 地獄の具現といってもよかろう。当に始まりの想いを置き忘れてしまった憎悪の塊。真っ当な思考など、遥かな過去に塗り潰したヒトという概念の末路であった。

 

『私は始まりの魔法使い、神であった名を捨て去った者』

 

 悪鬼と呼ぶべき形相が迫り、喰われるという根源的な恐怖がアスカの全身を貫いた。

 恐怖が全身を塗り込め、毛穴を塞いでゆく。紅い燐光を放つ眼光に追い立てられ、不気味に血のように紅く輝く双眸に射すくめられ、死以上の絶望と恐怖に曝された身体が絶叫を迸らせた。

 

『我が名は、造物主(ライフメイカー)。魔法世界に存在する過去・現在・未来に至る全てを救う者』

 

 長い長い、一人の人が見た歴史の源流だった。

 一人の存在が絶望する過程を、ずっと知覚していた。

 時間はどれだけ経ったのだろう。一瞬と言われても、一億年と言われても納得出来そうだった。或いは時間が逆光しているとしても、この場では不思議ではなかった。

 ただの一瞬も見逃さず、ただの一瞬も見逃すことが出来ず、あらゆる光景をあらゆる角度から認識していた。認識しているのになにも出来なかった。全てを知りながら、アスカは蟻の一匹よりも無力だった。

 

(判らない。…………判ら、ない。いま見えたものは、いったい………誰の………心?)

 

 無性にアスカは哀しかった。こんなにも心というものが歪んでしまうことが哀しかった。ひょっとしたら自分もこうなっていたのかもしれないことが哀しかった。

 絶望に、怒りの激しさにアスカの体が揺れる。ずっとずっと醸成されてきた呪いは、それだけで人を殺すことが出来る。

 何時の間にか、虚ろな眼差しを虚空に向けるアスカの頬を、一筋の涙が伝わっていた。まるで、突然に彼の脳裏に浮かんだ誰かと同調するように。

 この人はこの上なく善良なのだとアスカは思う。子を愛し、孫を愛し、隣人を愛し、他人を愛している。ただその愛が強すぎたせいで失われていく絶望が深すぎたのだ。

 アスカが静かに涙していると、場面が唐突に変わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り一時間四十五分四十一秒。

 

 

 

 

 




 オリジナルに突入。



次回『第90話 目覚めの鼓動』



7/7修正。

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