魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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――――真なる絶望を垣間見ろ





第90話 目覚めの鼓動

 

 

 

 

 

 

 世界を造った神だった者が人に絶望し、自らの名前すらも忘れ果てた過去。

 アスカ・スプリングフィールドはまた誰かの過去を見続ける。

 

(ん? ここは、誰かの家か)

 

 場所はどこかの家の中だろうか、幾人かの人間が寄り集まっている。

 

『少しは落ち着かんか、ナギ』

『だってよ、兄貴』

『父親たるものがそんな様子ではどうする? これから生まれて来る子の為にも少しはドッシリと構えろ』

 

 その中の一人、ナギと呼ばれた赤髪の男が落ちつかなげに立ったり座ったりを繰り返し、辺りをグルグルと歩き回っている。部屋にいる兄貴と呼ばれた他の者に落ち着くように注意されて一旦はじっとするも、また同じ事を繰り返していた。

 

『全く、これで英雄などと呼ばれているのだから世界は分からんものだ』

『英雄でもただの人間だということじゃ。お前さんもネカネが生まれる時は同じようなもんじゃったぞ』

『…………スタンさん。私はあんな醜態は晒していませんよ』

『知らぬは本人ばかり、というやつじゃて』

 

 ソファに座って、生まれて来る子を待って落ち着きのない年の離れた弟に嘆息した男だったが、スタンに娘の誕生の時を言われて二の句を告げなくなり沈黙する。

 とはいえ、スタンもいい加減にナギの落ち着きの無さは見ていて気持ちのいいものではない。ここは彼が幼き頃に悪さをした時にしたように頭に一発入れて切り返させようとした時だった。

 

『…………ァ』

 

 スタンの行動を阻み、ナギの落ち着かない行動を止めたのは隣りの部屋から聞こえた一つの泣き声。他の者も色めき立つように立ち上がって隣りの部屋を凝視する。

 

(おい、双子のはずだぞ)

 

 聞こえてくる泣き声は一つだけ。アリカは双子を妊娠していて、もう一人の泣き声が聞こえないことにどんな苦境にも蒼褪めたことのないナギの顔色が変化する。

 漫然と変化が訪れるのを待っていた男達は、やがて聞こえていた一つの泣き声も収まったのを感じて何か不測の事態が起きたのではないかと焦燥に駆られた。

 中からは慌ただしく動く音、何かを叩く音、叫ぶ声がするのだから特に父親であるナギの脳裏には様々な予想が過って顔色と表情は七変化を遂げていく。

 

『――!』

『――――っ!』

 

 十分か一時間か、もっと長い時間が経過しているような錯覚を与える。

 最悪の予想をナギが思い浮べた時、一際大きな泣き声が上がり、少し遅れて重なって聞こえて来た最初はか細く、しかしやがて響き渡るほどに大きくなった泣き声にナギは腰砕けるように地面に座り込んだ。とても最強無敵と謳われた英雄の姿とは思えない姿だ。

 すると、前触れもなく部屋を繋ぐドアが開いて白衣を身に纏った一人の老婆――――スタンの妻が出てきた。 

 

『生まれたよ、ナギ。元気な双子の男の子達だ』

 

 世間的には死んだことになっているアリカの為に産婆として出産に立ち会った老婆が笑顔で言うのと同時に、わあっと湧き上がる部屋。

 

『奥さんが待っているよ。あんたも父親なんだ。地面に座り込んでしみったれた顔をしてないで顔を見せておやり』

『ああ、すまねぇ』

『アンタを取り上げた時よりも重労働だったよ。それに言うことが違うだろう』

『分かってるよ。ありがとう、婆さん。本当に助かった。感謝してもしきれねぇ』

『へっ、この間生まれたばかりの子が一丁前の口を利くようになって。アタシも年を取ったねぇ。ほれ、何時までも油売ってんだ。さっさと行っておやり』

『婆さんが引き止めたんじゃないか』

 

 老婆の促す言葉に、ナギは立ち上がって尻についた汚れを払って緊張を隠せぬ顔で頷き、ゆっくりとドアへと歩み寄る。

 先に部屋に戻った老婆が開けて行ったドアの前で額に緊張で浮かんだ汗をごしごしと袖で拭い、胸に手を当てて無理やり呼吸を整えた。

 この木造の薄いドアの向こうに、新しい家族が待っているのだ。緊張しない方がおかしい。

 アリカにプロポーズした時でさえ、ここまでの緊張はしていなかった。妻にプロポーズした時は状況的に落ち着いている時間などなかったから、言ってしまえばその場のノリとテンションで乗り切れたのだが今回はそうはいかない。

 

『兄貴とスタンの爺さんは来ねぇのか?』

 

 これから対面する者達を前にして今まで感じたことのプレッシャーが肩に圧し掛かる。深呼吸しても収まらない鼓動を放つ胸を抑え、安堵と喜びを顔に滲ませながらも動こうとしない二人に緊張を忘れようと話しかける。

 

『いいから、さっさと行け』

 

 意外な意気地なしを見せる弟は蹴飛ばされるようにしてドアを潜り抜けて部屋に入る。

 ドアを潜り抜けた途端にけたたましい泣き声が聞こえるのでは、という期待と不安があったが中は寂しい程に静かだった。

 部屋の壁側には幾つも家具があって真ん中にベッドがある。

 ベッドに横たわる金髪の女こそがナギの妻である。大きな羽根枕の真ん中に、ナギからすれば不思議なほど小さな頭をすっぽりと埋めるようにして横たわる女がいた。

 真っ白の掛け布が、出産で力を使い果たして血の気のない顔をいっそう青白く見せている。

 そこには、今日この日、この場所で出産という人生の一大事を見事に成し遂げた母親となったアリカがいた。アリカはナギの妻だけではなく、今日からは生まれたばかりの母となっていた。

 

『アリカ』

 

 らしくもなく小さく妻の名を呼ぶと、アリカは僅かに睫毛を持ち上げた。

 

『―――――ナギ』

 

 ナギは手を伸ばして、妻の汗ばんだ額に張り付いた金色の髪の一房を、そっと取りのけてやるとアリカは青く隈の浮いた顔でうっすらと微笑んだ。それは男には出来ない子を産んだ母にだけ浮かべることの出来る、偉業を成し遂げた誇らしげな、そして優しい笑顔だった。

 普段は綺麗に整えられている髪もほつれ、頬も扱けて濃い疲労の跡を残してはいたが、ナギが今まで見た中で最高に素敵な笑顔だった。

 

『ありがとう。お疲れ様、よく頑張ってくれた』

 

 ナギはアリカに心からの感謝と初産を乗り越えてくれたことへの感謝と労わりの言葉を伝えた。

 

『ん、正直しんどかった。まさか、本当に二人も入っていたとは思わなかった。道理で重かったわけだ』

 

 アリカは頷き、初産でありながら双子という苦難を越えて疲れながらも精一杯の笑顔を見せてくれた。

 

『良く頑張った。子供は?』

『生んだ途端に連れて行かれてな、私も見ていない。お義姉様が用意してくれている産湯に着けて下さっているらしいから、そろそろ戻ってくると思うが…………』

 

 ナギがそわそわと気もぞろにアリカに尋ねて旦那の様子に笑みを浮かべながら彼女が答えを返した瞬間、ナギが入ってきたのとは別の扉の外から『入るよ』と老婆の声がした。

 

『赤ちゃんだ! どうぞ、早く開けてくれ!』

 

 アリカは瞳を輝かせて、出産による疲労が色濃く残るのも忘れて肘をついて起き上がろうとした。しかし、出産で体力を消費しきっているので自分の体を支えきれず、ナギが慌てて背中を支えるのと扉が開くのは同時だった。

 

『ああ、私の赤ちゃん!』

 

 開かれた扉から村唯一の助産師である老婆とナギの兄の嫁の二人が入ってきた。二人の両腕の中に白い産着に包まれた小さな命がいた。

 

『今は寝ておるから小さな声でな。間違っても叫ぶんじゃないよ、特にナギ』

『分かった。分かったから早くっ』

 

 アリカが感動している横で思わずナギが口を開けて叫びそうになったのを見た老婆が制止した。老婆に、ナギも大袈裟に頷いて了解し、慌てて小声で言った。

 

『抱かせてもらっても構いませぬか?』

『ええ、貴方達の子供なのだから許可なんて必要ないわよ』

 

 おっかなびっくり手を伸ばすアリカに、ナギの兄の嫁は数年前に出産を経験した当時の自分のことを思い出しながら手渡した。

 

『こ、こうか? こんな風でいいのですか?』

 

 新米お母さんらしく、ぎこちない仕草で我が子を抱いたアリカはナギの兄の嫁に自分の抱き方がおかしくないかを何度も尋ねる。

 

『大丈夫よ。手もあんよも、首も、ちゃんと包んであるから』

 

 アリカの義理の姉は自分もこんな風だったのかと娘を産んだ時の気持ちに立ち返り、村人に預けて来た娘にどうしようもなく会いたくなった。あの子供特有の温かい肌の温もりがどうしようもなく愛おしくて仕方がない。

 

『ん、温かい』

 

 義姉の保証を貰ったアリカは我が子から感じる体温に自分が出産した実感を得た。出産を終えてまだ間もないというのに、我が子を抱く妻の顔が、もうすっかり母親のそれになっていたのでナギは見惚れてしまった。惚れ直したと言ってもいい。

 

『お、俺も抱かせてもらってもいいか?』

『お前もこの子達の父親だよ。許可など求めなくてもよかろうに。全く似たもの夫婦だね』

 

 普段は人に少しは上げた方がいいと思うぐらい無駄に自信満々なのに、今はおずおずと自信なさげに聞いてくるナギの行動の可笑しさに柔らかい声音で答えた。

 老婆は遠い過去の悪餓鬼だった子供が親になったことに感慨を覚えながら、生まれたばかりのもう一人の赤ん坊を差し出した。

 

『ええっと、首がすわっていないから、気をつけないといけないんだよな』

 

 妊娠が分かってから妻と一緒に勉強した知識を思い出しながら、老婆から受け取った赤ん坊を怪しい手つきで受け取って抱き締める。戦闘以外では不器用なナギの為に行っていた既に伝えた安全策のことは耳に入っていなかったのだろう。

 

『軽いなぁ。それにこんなにも小さい』

 

 受け取った赤ん坊は信じられないくらいに軽い。細すぎる首を見れば、少しでも力を加えただけで簡単に壊れてしまいそうな恐怖をナギに与える。それは我が子を抱くアリカにしても同様だった。

 

『どっちが先に生まれたんだ?』

 

 言いながらナギはアリカと抱いている子供を交換する。全ての行動がおっかなびっくりなのは、万が一にも手を滑らせて落としたら大変だとの思いから慎重になっているのだ。

 

『いまナギが抱いている薄ら金髪の子が弟だよ』

『て、ことはアリカが抱いてる薄ら赤髪の子が兄貴か』

 

 ナギに抱かれた赤ん坊がどこかむずかる様にしていているのは抱き方に問題があり、アリカの下だと安らかな寝息を立てているのはそこら辺に理由がありそうだ。

 

『目はまだ開かないのですか?』

『それに泣かねぇんだな。赤ん坊って何時も泣いてるもんなんじゃねぇのか』

 

 と、兄である赤髪の子を抱くアリカが我が子の目を見たさに疑問を呈し、ナギが少しピントのズレた疑問を続けた。

 

『そう、急ぎなさんな』

 

 義姉は部屋の外で待っている自分の旦那に詳細を伝えるために退室したため、残った老婆が答えることになる。

 

『疲れてるんだよ。お母さんも大変だけど、赤ちゃんだってこの世に出てくるには頑張らなきゃなんない。産声はしっかりと上げているから、散々泣き疲れて、ようやく一息ついて寝てるんだ。直に嫌ってほど元気よく泣き出すんだ。今は無理に起こすもんじゃないよ』

 

 出産で疲れたのか、腰をトントンと叩きながら老婆が一仕事を終えた良い顔を見せる。

 

『寝てるのに手は握ったままなんだな』

 

 ふと、ナギは寝ているというのに手は握ったままの赤ん坊を見下ろして首を捻る。

 

『幸せを逃がさない為さ』

 

 あまりにもナギの赤ん坊の抱き方が拙すぎたので、正しいやり方にしながら老婆が言うと赤ん坊も安らかな寝息を立て始めた。

 

『赤ん坊の手の中には沢山の夢が詰っているのさ。でも、手を開いた瞬間にみんな飛んで行ってしまう。だから、人は失くしてしまった夢をもう一度掴むために生きている』

 

 臭い言い様だがね、と老婆は生まれたばかりの赤子達を優しい目で見つめると、もう一度自分の腰をトントンと叩いた。

 

『これからは毎日が戦いだよ。素晴らしい日々ではあるが頑張って育てな』

 

 老婆は最後に年季の入った顔に深々と皺を滲ませてニッコリと笑みと、部屋を出て行った。

 見ての通り、高齢での出産の立ち合いは想像を絶する。それも初産の母親に双子の取り上げともなれば、体力の消費がズッシリと全身に伸し掛かっているだろう。疲れた仕草一つ見せずに、親になったばかりの新米達に激励の言葉を残して去って行った老婆に二人は深い謝辞を捧げた。

 部屋に二人と、生まれたばかりの赤ん坊達だけが残される。

 互いに手に持つ赤ん坊を見ていて、最初に口を開いたのはナギだった。

 

『名前、考えたか?』

 

 生まれる子が双子だと分かってからは、先に生まれた方をアリカが、後に生まれた方をナギが名前を付けることにしていた。ちょうど、互いに抱いている方の名前を付けることになっているので都合が良かった。

 

『勿論、決めている。この子はネギ、ネギ・スプリングフィールドだ』

 

 得意そうに生まれたばかりの我が子を見下ろしてアリカが宣言する。

 

『ネギ? なんでまたそんな名前に』

『分からないか?』

 

 悪戯っぽく笑うアリカ。鳥頭と言われたこともあるナギでも少し考えれば分かった。

 

『もしかして俺の名前から取ったのか?』

『その通り。ナギのように育って誰にも負けない強い男になってほしいと願っての。丁度、ナギと同じ赤髪じゃしな。アギやノギと他にも候補はあったがネギの方が響きが良かったからこちらにしたのだ』

 

 それだけ言われれば嬉しくないはずがない。だが、ナギは何度か『ネギ・スプリングフィールド』と口の中で転がしてみて、重大なことに気がついた。

 

『でもな、ネギって食い物のことじゃねぇのか』

『あ』

 

 イギリスではスプリングオニオンと呼ばれているが、数年前まで日本に住んでいたことが二人に食用のネギを連想させた。

 そこまでは頭になかったアリカは自分の子供に食べ物の名前をそのまま付けてしまったことに気付いて慌てる。

 

『ま、待て! 今のはナシじゃ! やり直しを要求する!!』

『いいじゃねぇか。語呂もいいし、いい名前だと思うぞ。まぁ、食い物名前ってのがあれだけどな。そんなに叫ぶとネギが泣くぞ』

 

 顔を真っ赤にしてやり直しを要求したアリカだが、クツクツと笑うナギの言う通り、母の叫びに赤毛の子がむずかるようにして泣きそうになっていた。

 

『おお、よしよし。ネギよ、泣くでないぞ』

 

 腕を揺り籠のように小さく揺らして宥めると息子は直ぐにまた寝たようだ。聞き分けのよさそうな息子にアリカの頬を緩む。

 

『やっぱりネギで決定だな』

『は!?』

 

 つい、自分でも咄嗟に息子を宥める時に『ネギ』と呼んでしまったことに遅まきながら気がついた。全ては遅きに逸していた。

 こうなったらナギが考えただろう名前が変であることに一縷の希望を託した。そうすればそれを理由にしてネギの名前も変えられる。

 

『う~、そういうナギはどのような名前を考えたのだ』

『俺か?』

 

 言われたナギは我が子を見下ろす。

 名前は最初から決めていたことだけれど、それを口にすることは少し躊躇ってしまう。呼んでしまえば、もう後戻りは出来ない。自分のしていることは、きっと間違っている。そんな思いが拭いきれない。それでも、ナギは名を呼ぶことを選んだ。

 

『アスカ…………お前の名はアスカ・スプリングフィールド。お前の名前だ』

 

 そう告げると、生まれたばかりの我が子が腕の中で分かるはずもないが気に入ったのか笑みを見せる。

 

『そうか、お前も気に入ったか。悩みながら考えた甲斐があったな』

 

 アスカが笑ったのは偶然だとしても零れてくる笑みを抑えきれない。この喜びはなにものにも代え難く、後悔はなかった。

 

『アスカとは、どういう意味なのだ?』

 

 思ったよりまともな名前だったので、由来が気になったアリカは問いかけた。

 

『お前の名の『アリカ』から名前を取って『アスカ』にしたんだ。勝手で悪ぃけど使わてもらったぜ』

『わ、私の名を取ったのか!?』

『それとアスナの名もな』

 

 まさかナギが自分の名前を取って息子に付けるとは思っていなかったので、アリカは頬が真っ赤になるのを感じた。

 

『後、アスカを日本の漢字に直すとな『飛ぶ鳥』と書いて『飛鳥(あすか)』って読めることに気づいてな』

 

 母となるアリカと、今はガトウとタカミチと行動を共にしているアスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシアから一文字を取り、『アスカ』と名付けた我が子を見つめるナギは彼らに訪れるだろう過酷な運命を想う。

 

『どんな籠に囚われても破壊してどこまでも飛んで行けるように、囚われず、捉われず、捕らわれず、どこまでも、地の果てまでも己が翼で飛び立って欲しい。そんな男になって欲しい。願わくば自分だけじゃなくて色んな人に希望を与えられたらって望むのは贅沢だけどな』

 

 続けられたナギの嘗てないほどの真面目な言葉にアリカは背中に芯が入るのを感じた。

 自分達は色んな柵に囚われている。世界、過去、因縁、数えきれないほどの柵に。夫婦で子供に願ったのは同じことなのだ。アリカもまたネギに同じことを望んでいたのだから。

 

『やっぱ、駄目か?』

『いや、いい名前じゃ。この子にはこれ以上相応しい名前はない』 

 

 思索に耽っているのを怒っていると勘違いしたのか、ナギが心配そうに聞いてくるのを否定する。

 ナギが英雄として様々な物を背負っているように、自分も世間では死んだことにされていても災厄の女王としての重荷がある。アスカと名付けられた子は金髪をしている。男の子なのだからナギに似て欲しいと思うが金髪である。万が一でも自分に似てしまったら、と考えて背筋を怖気が走る。

 もし自分に似てしまったら考えている以上の苦難がアスカを襲うだろう。自分達が必ず傍にいて守ってやれるとは限らない。

 

『名は体を表す、と日本の諺では言うのだろう。少しでも名前がこの子の力になってくれるなら、それ以上のことはない』

 

 その時に少しでも名前が我が子を守ってくれるなら僅かながらでも救いになるだろう。

 

『ああ、この子達のこれからには多くの苦難が待っているかもしれない。それでも―――――』

 

 腕の中にいるかけがえのない、たった一つの大切な宝物。 

 誕生したばかりの生命を前に怖々ながらもその感触を確かめようと赤ん坊の頬に触れた時、指先に伝わってきた肌触りはあまりにも柔らかく、少しでも力の加減を誤ればか細い陶器のように壊れてしまいそうな脆さに酷く戸惑った。

 そして赤ん坊が、アスカがナギの指を握り、あどけない笑顔を見せた瞬間、戸惑いは喜びに変わり、命の尊さを自覚したのだ。

 

『俺達の子供に生まれてくれてありがとう』  

 

 今こうして実際に子供を抱いて、そして子供を抱く妻の姿を見て思うことは、ただこの子達に幸せになって欲しいということだけだ。妻がずっと傍で微笑み、そして子供達が誰よりも幸せであることがナギにとって、何にも代えられない幸せになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『雷速』という代物は中々に厄介である。恐ろしく強力なのだが、厄介ごとも数多い。

 まず速すぎることである。慣れない内は、相手が逆に遅すぎて普通のスピードで動く存在に触れられなかった。

 更に心身への負担。雷速の世界に五分もいると、体が激しく軋みあげる。通常速度の世界とは流れる時間が異なるため、その差異を処理する脳が悲鳴を上げる。また二十分も使い続けると、雷速をオフにした時、時差ボケを百倍強烈にしたような不快感が襲ってくる。

 ネギは修行の段階で、スピードがつきすぎて中々通常速度に戻って来られず、ずっと雷速のままでいた時もある。ちょっとした浦島太郎だ。

 人の体のまま雷速へと至るから厄介なのだ。速きことが当たり前の姿、閃電のスピードこそが本質たる状態になればいい。

 人によっては狂気とも考えられる思考の下、ネギは辿り着いた。

 一時的にせよ人の肉体を捨て、雷天大壮発動時に自身の体を完全に精霊化してしまえばいいと。人としての肉体を解き、プラズマの塊に化身したのだ。

 勿論、人を捨てる気はないので専用の術式を開発しなければならず、初期はミスをしてうっかり戻れなくなりそうなことが何度かあったが。だが、それだけの甲斐はあって雷速突入による心身への負担が皆無となり、後顧の憂い無く戦える。

 物理攻撃も意味もなさなくなるので無敵に近いが、同時に代償として精霊の弱点も抱えることになった。

 雷天大壮発動時のネギの天敵は人を護り魔を狩る退魔の剣である神鳴流。特に『神鳴流奥義・斬魔剣弐の太刀』は相性が悪すぎる。大戦期のナギやラカンともいい勝負を出来るだろうが、全盛期の詠春には惨殺されるだろう。

 とはいえ、雷速のネギに反応出来るのは英雄級のとんでも馬鹿か、対応できる技術を持つ者。そして雷のアーウェンルンクスである2(セクンドゥム)もまた雷速に近い領域にいた。

 

「先手必勝!」

 

 大地を蹴ったそのひと跳びで、雷の速度で2(セクンドゥム)との間合いが一気に詰まる。大地を蹴ったことで撥ねた小石が地面に落ちるよりも、ネギが肉薄する方が遥かに速い。

 勢いに任せて繰り出した飛び蹴りを2(セクンドゥム)の両腕が受け止めたが、それをガードの上から叩き潰す。ネギの一撃は腕もろとも2(セクンドゥム)の腹へと食い込んだ。

 

「ぬぺろがまぁ!?」

 

 大柄な身体が軽々と吹き飛ぶ。しかし、彼は空中で体勢を立て直しながら、その両手で地面を掴んで無理矢理に着地する。

 

「どいつもこいつも…………」

 

 自分達以外の全てを傲慢に見下す表情をかなぐり捨て、荒々しい本性を剥き出しにした2(セクンドゥム)は全身に殺気を充満させた。

 

「後少し…………最後の最後に安い逆転劇など許さん。完璧な勝利のために、もはや手加減はしない。貴様らに冥土の土産に教えてやろう! この造物主の使徒で最強の2(セクンドゥム)が本気になれば、貴様らなんぞ虫けらだということを!」

 

 全ての虚飾を捨てきった激しい感情のまま、四つん這いのままで2(セクンドゥム)が牙を剥いて吠えた。

 2(セクンドゥム)が吠えている間にも、ネギは飛び掛かっていた。

 空いた距離など、ただのひと跳びで十分に詰まる。

 再び2(セクンドゥム)へと迫りながら拳を振るう。風を置き去りにして、2(セクンドゥム)が着地した際に巻き起こった砂塵を切り裂いた。

 崩れた体勢を整えるために距離を取ろうと、後ろへ跳ねた2(セクンドゥム)よりも、先に大地を蹴ったネギの二歩目の方が速い。

 2(セクンドゥム)が逃れようと跳ねた時、地面を蹴った為に遅れた形になっている足をおもむろに掴み、思いきり振り回す。2(セクンドゥム)の体がそのまま地面に叩きつけられ、大地が抉れる。

 ネギは掴んだままの2(セクンドゥム)の身体を更に振り回し、今一度叩きつけようとする。

 だが、地面に激突する寸前、2(セクンドゥム)は傲慢な性格からは想像もつかないほど器用に身を反転させて四肢を付いた。

 

「貴様ッ!」

 

 侮蔑していた相手に文字通り振り回された2(セクンドゥム)が怒号を上げた。

 ネギに背を向け、片足を握られた姿勢ながら、動く動作は俊敏極まりなかった。握られていない足が勢いよく振るわれ、無詠唱で放たれた雷の斧がネギの腕を切り裂きながら逃れる。

 生憎、切り裂かれる前に腕を分離して逃れたことでネギにとっては何ら通用は感じない。

 ネギが切り裂かれた腕を再結合している間に2(セクンドゥム)はその勢いを殺すことなく、全身をくねらせて身体を反転させてネギに向き直りながら、今度は腕に雷の鎌を手にして横薙ぎに叩きつけた。

 ネギは咄嗟に無詠唱で断罪の剣を使って弾いた。火花が散り、激突する甲高い悲鳴を上げる。

 

「くっ……」

 

 確実に攻撃を受け流したはずが、2(セクンドゥム)から繰り出された重い一撃は凄まじい膂力を発揮してネギの身体を揺るがした。

 生じた一瞬の隙をつき、2(セクンドゥム)が大きく真上へ跳ね上がる。

 ネギのように完全雷化して雷そのものとなった速さには劣るものの、2(セクンドゥム)は単純な速度ならばアスカにも勝るだろう。造物主によって能力値を最大値に設定され、速度に優れる雷属性を得意とする面目躍如である。

 2(セクンドゥム)を追い、ネギもまた地を蹴って跳び上がった。こと速度において雷化したネギを上回るには雷を越えなければならない。一瞬で追いつき、殴りかかる。

 だが、その一撃を2(セクンドゥム)は器用に身体を捻ることで回避し、間髪入れずに前蹴りの一撃をぶつけた。

 

「ルイン・イシュクルと同じ完全雷化能力か。その程度でこの2(セクンドゥム)様に有利に立てると思ったか!」

 

 完全雷化していても攻撃の時に実体化しなければ、打撃戦で与えるダメージは雷のみとなる。自分の攻撃にほぼ交差する形で叩き込まれた一撃を回避することはできず、辛うじて防ぎながらも、今来た道を遡るように地面へ叩きつけられる。

 

「確かに強い」

 

 すぐさま起き上がったが、巨像の全体重を叩き込まれたかのように両腕が痺れていた。大地に衝突したことで受けたダメージは微々たるものであったが、2(セクンドゥム)の実力は予想を上回ることを認めざるをえなかった。

 

「反対に貴様は少し期待外れだったな。速さ任せで技量が追いついていない」

「そう言う割には油断がないようだけど」

「獅子は兎を狩るにも全力を賭すというようだが、貴様は兎ではない。少なくとも獅子たる私を噛み殺すだけの力はある。油断などするはずもなかろう」

 

 ネギが立ち上がった場所から僅かに離れた所に着地した2(セクンドゥム)にも油断の気配はない。

 

「雷速の貴様の方が速いが、せめて後十年研鑽を積むべきだったな」

 

 差はあれど、互いに神速の域に達した二人すれば、この距離は瞬きよりも早く詰まる距離だ。

 

「…………そうだね。多分、十年後に戦っていれば僕が圧勝出来ただろう」

「所詮は過程の話だ。貴様は此処で死ぬ。造物主の使徒たる私に殺されるのだ!」

 

 ネギはたかだが十年と少しの年月を生きただけに過ぎないただの人間。相手は世界救済を神に宿命づけられた戦士。

 

「言っただろう。倒されるのは君達の方だって!」

 

 総合的なポテンシャルでは、今はまだネギは2(セクンドゥム)に敵わない。今までのような油断を突いての不意打ちも恐らく通じない。だからネギが勝つには短期決戦。この一瞬で決着をつけるしかない。

 だが、2(セクンドゥム)の動き出しの方が速かった。ネギが次の行動に移るよりも速く、彼の周囲には雷の投擲が無数に展開されている。雷鳴を鳴らして一斉に襲い来る。

 

「………………くそっ!?」 

 

 避けられる物量ではない。展開したままだった断罪の剣を盾とし、正面突破を計ろうとしても相当の傷を負うのは免れない。

 ナギ・スプリングフィールド杯決勝でのアスカとの戦い。後半は我を忘れて暴走していたが都合の良いことに記憶は残っていた。闘いの中で完全雷化していたネギを、アスカは雷系の技で傷つけている。完全雷化による回避も同じ雷属性の攻撃には絶対ではない。

 

「超えてみせる!」

「させんがな!」

 

 跳ぶと同時に断罪の剣を盾にしたたまま突き進む。それでも、なお、2(セクンドゥム)の攻撃は激しさが増しこそすれ、収まることはなかった。

 

「英雄と女王の落とし子よ。此処で等しく消え去るがいい!!」

 

 ネギの眼前には数百本の雷の槍が雨の如く飛来する。

 雷化しようともネギ自身の体積は変化できない。雷の速度であっても雨のように降り注ぐ雷の投擲の狭すぎる隙間を通過することは不可能。

 例え雷の雨を抜けようとも、先の雷の投擲の術式展開速度を見れば、速度同様に並外れていると見た方がいい。直ぐに軌道を修正して、文字通りの針鼠ならぬ槍鼠にするまでネギを追い詰めにかかるだろう。

 

「それでも、前へ!!」

 

 飛び来る槍を左手で握り潰し、別の雷槍を断罪の剣で斬り落としながら更に前へ出る。

 

「前へ!」

 

 直撃しないものは避けない。長い髪の毛が千切れ、皮膚を裂かれ、肉まで抉られるが、戦闘に支障さえでなければ構わない。アスカは、生徒達は、もっと苦しみ辛かったはずだ。この程度の苦痛は意地で噛み殺す。

 

「小賢しいわ!」

 

 こじ開けた隙間を埋めようとするネギの頑張りを嘲笑うように雷の投擲の数と速度が上がった。

 

「…………ぐ!?」

 

 2(セクンドゥム)の攻勢が増すにつれ、徐々にネギの動作が遅れ、それが身体の傷を増やしていく。辛うじて致命的な直撃を裂けるのがやっとだが、時間の問題だということは分かっていた。

 

「僕はバカだから前に進み続ける……っ!」

 

 血肉を散らせながら、それでも進む。致命打を受ける前に2(セクンドゥム)を叩くしか勝つ術はない。

 後、一歩で槍の壁を抜けて拳が届く間合いに入る。地に足がつく。そのまま、ネギは地面を蹴り砕き、前へ跳んだ。

 

「小僧が舐めるなっ!」

 

 ネギの踏み込みよりも早く一歩下がっていた2(セクンドゥム)は叫びながら、両手に握る自分よりも長い雷霆を一つに束ね、より長大な稲妻の槍を振りかぶっていた。

 稲妻の槍がネギ目がけて突き入れられる。

 地を焼き尽くし、触れた物を全て破壊する雷光が閃光を伴って大地を這うように襲い掛かり、大気を震わせる轟音がその場にいた全ての者の臓腑へ叩きつけられた。

 2(セクンドゥム)の放った稲妻の槍は触れたもの全てを轟音と共に穿つ。先に放たれていた雷の投擲によって幾つも穿たれた地面に、新たな大穴が開いていた。数十メートルにもわたる地面が深々と抉れ、長い溝を作り上げている。

 だが、2(セクンドゥム)の勝利の笑みは目の前に立つネギの姿を前にして容易く崩れ去った。

 例え雷の速度であろうと回避不能な神速の一撃を、ネギは自らを極限にまで細分化して避けるという荒業に出た。

 闇の魔法に習熟してきたといっても基本は人間でしかないネギが自らを細分化するなど危険が大きすぎる。自らの肉体を再構成出来るだけの強い意志がなければ普通ならば元の形を取り戻せずに消滅しているところだ。

 

「馬鹿な! 今のを避けただと!?」

 

 必殺を信じて疑わなかった全てを穿つ一撃を躱された2(セクンドゥム)は逃れようとまた後ろに跳ぶ。

 ネギは止まらない。2(セクンドゥム)の眼前に再構成する。

 

「解放固定・雷の暴風! 雷の投擲!」

 

 あらかじめ呪文を唱えていた術式を解放し、右手に雷の暴風を、左手に雷の投擲を収束させた塊が現れる。

 

「術式統合!!」

 

 戦闘面に特化しているナギとアスカとは方向性が違うネギの持ち味は、莫大な魔力や技能でも努力でもなく類稀なる頭脳から作り出される開発力にある。一流大学の教授の知恵と努力を軽々と上回る天才性。闘いの場ではなく、新たなる魔法理論と魔法技術の開発の場こそがネギがいる舞台。

 

「巨神殺し『暴風の螺旋槍』」

 

 暴風の螺旋槍はネギが開発した融合オリジナル呪文である。千の雷と雷の投擲の術式統合した雷神槍のバリエーションの一つ。

 暴風の螺旋槍は千の雷と雷の暴風では投入される魔力量が十倍も違うので、単純な破壊力では雷神槍よりも遥かに劣る。が、コストパフォーマンスに優れているだけで、このような場面に暴風の螺旋槍を使うはずがない。

 

「奇策を用いようともっ!」

 

 雷速には劣るとはいえ、驚異的な速さでフェイトと同じ曼荼羅のような多重高密度魔法障壁を展開して強化する。

 その瞬き以下の直後、暴風の螺旋槍と曼荼羅魔法障壁が衝突して、接触点から目も眩むような閃光を発する。

 

解放(エーミッタム)! 抉れ雷の狂飆!!」

 

 螺旋の槍が回転して、穿つ力を全開にするして直進する暴風の螺旋槍は止まらない。

 雷系最大の突貫力を有する魔装兵具である轟き渡る雷の神槍を上回る暴風の螺旋槍が、2(セクンドゥム)の曼荼羅魔法障壁を少しずつ抉りながら直進していく。

 

「何、だと……っ!」」

 

 ジワジワと抉りこんでくる暴風の螺旋槍を前にして、魔力の全てを多重高密度魔法障壁に注ぐ2(セクンドゥム)の顔には恐怖の色が浮かんでいる。さながら目の前にある透明の壁を削り取りながらチェーンソーが迫っているようなもので、常人ならば恐怖で発狂してもおかしくはない。

 

「超えろっ!」

 

 更に叫びと共に魔力が込められた暴風の螺旋槍が回転力を上げる。同時に曼荼羅魔法障壁を削る音が大きくなった。

 この近距離では回避することは出来ない。避けるよりも暴風の螺旋槍が2(セクンドゥム)に届く方が早い。それどころか防御に少しでも力を抜けば忽ちの内に食い破られる。

 

「なんだ…………なんだこれは!? 使徒の多重障壁を無きの如くなど」

 

 それは2(セクンドゥム)の知らない感情だった。

 

「主より世界の守護者として莫大な魔力と戦闘力を与えられた私を、ただの人間が超えていくなどありえていいはずがないのに!!」

 

 2(セクンドゥム)を襲う感情が恐怖であると彼に教えてくれる者はいない。彼は奪うことにだけ慣れていき、造物主の命に従うことを当然としてきた。だから逆境における身の処し方を知らなかった。

 

「デ、デタラメだ!? わわ、私はこんなことは聞いていないぞ?!」

 

 使徒の中でもパラメーターを最大に設定されて最強のはずの2(セクンドゥム)が多重障壁に全魔力を回しているにも関わらず、恐怖を煽るように徐々に暴風の螺旋槍が抉り込んでいるのを見て狂乱する。

 

「嘘だ! 私は負けない! 私が負けるはずがないんだ――――っっ!!」

 

 そういう肥大化した自意識と、恐怖だけが死に行く2(セクンドゥム)の心に染み込んでいて、虫の羽音の如き不快な声を放っていた。口元には涎。眼鏡は炯々とし、表情は野獣のそれだ。先ほどまで見せていた余裕気な態度はどこにもない。

 

「ま、ままっ待て待て待て!! はっ、はなっはっ話し合おうじゃないかぁ、あぁぁッ!?」

 

 遂に暴風の螺旋槍の穂先が障壁を突破した。ガガガガ、と今も障壁を抉り続けていて、そう遠くない内に自身に到達するのを否が応でも実感した2(セクンドゥム)は、目の前に迫る特大の危機に今まで自分がしたことを忘れて命乞いを始める。

 

「我々の目指す場所は最終的に同じハズァッ?!」

「――――同じ場所だって?」

 

 最後の一押しを押す前に、槍投げの選手が投擲する前に力を溜めていたネギは2(セクンドゥム)の命乞いの一部分の言葉を繰り返した。

 

「そ、そっそそうだ! 望むのは同じ平和な世界のはずだ我らは協力できる」

「じゃあ、お前が木乃香さんや皆にしたことはなんだ!」

 

 勢いが弱まったと勘違いした2(セクンドゥム)は脈ありと言葉を重ねようとしたが、遮るようにネギが喝破する。

 暴行他、数え上げれば切りがない。その全てを知るわけではないが、木乃香の姿から彼女らが味わった苦しみを察した。その上で覚悟する。例え、人形であろうとも命を奪う覚悟を。

 

「償え、なんて言わない。僕にそんな資格はない。ただ、僕は僕の感情で君達を倒すと決めた!」

「や、止め……」

「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!!」

 

 2(セクンドゥム)が止めようとするが最初からネギは緩める気など欠片もない。雄叫びと共に遅々としていた進みの中で溜めていた力を一気に解放し、多重障壁を完膚なきまでに破壊して2(セクンドゥム)を貫く。

 

「い、いっいいいい嫌だぁッ、あああああああああああ―――――ッッッッ!?」

 

 暴風の螺旋槍はあっさりと2(セクンドゥム)に大きな穴を開け、螺旋の槍部分が回って胴体を抉り取る。回転を続ける暴風の螺旋槍に身体の内側から抉り取られ、2(セクンドゥム)は汚い悲鳴を漏らしながら核の消滅に伴って残った四肢と顔もやがて消える。

 

「……っ、くはぁ」

 

 2(セクンドゥム)の消滅に伴い、戦闘態勢を緩めたネギは肺に溜まっていた空気を吐き出す。

 

「強い、敵だった」

 

 ネギの雷速には及ばないもののかなり速度で、アスカとは違う方法で対応してきた2(セクンドゥム)は間違いなく強敵だった。戦いが長引けば勝者は逆であったかもしれない。

 

「それでも勝ったのは僕だ」

 

 人形とはいえ、命を奪ったことに揺らぐことはない。例え揺らいだとしてもこの戦いが終わった後だ。

 他の戦いに加勢しようと顔を巡らせたところで、ヒヤッとした冷気が肌を震わせる。

 

「ほう、もう終わったか」

 

 冷気の元はネギよりも早く、相対した6(セクストゥム)を氷漬けにしたエヴァンジェリンである。

 戦いを終えたネギが未だ解いていない術式兵装『雷天大壮』に興味を見せながら、ゆっくりとした歩みで近寄って来る。

 

「短期決戦でなければ敗けていたのは僕でした。師匠(マスター)のように実力で圧倒出来たわけではありません」

 

 余裕を以て倒せたと態度から分かるエヴァンジェリンに、やはり同じ闇の魔法を習得してステージは登れたとしても別格であると改めて認識する。

 少なくともネギには、2(セクンドゥム)と同型であるらしい6(セクストゥム)相手にこれほどの余裕を見せれる自信はとてもない。

 

「圧倒したのは当然だが、どうやらコイツは外れだったようだ。戦いに迷いが見えた」

「迷いですか?」

「アル曰く、ぼーやが戦ったやつ以外は最近になって起動したタイプらしいが理由は知らん」

 

 それこそ戦いに迷いを見せる理由はないのだとネギは思ったが、エヴァンジェリンには迷いが見えたというのなら事実なのだろうと疑いはなかった。結果としてエヴァンジェリンの前に敗れたのであれば特に知る必要も思い浮かばないのだから。

 

「さて、あっちはと」

 

 もう6(セクストゥム)に興味を失くしたエヴァンジェリンが視線を動かすと、そちらも佳境を迎えていた。

 4(クァルトゥム)で炎の塊が生まれた。それはただの炎の塊ではなかった。

 

「炎帝召喚!!」

 

 真紅に燃え盛る炎の中で、重油のような黒くドロドロしたモノが形を成していく。次第に人間の形を形成したソレ(・・)は巨人となって両手を広げる。だが、対峙している高畑とクルトにとってすれば大きな的でしかない。

 

「邪魔だ、タカミチ!」

「そっちこそ邪魔だ、クルト!」

 

 先を急ぐ様に斬撃が振り抜かれ、拳撃が撃ち放たれる。斬空閃によって攻撃を放とうとしていた腕が切り落とされ、下方から接近して顎に豪殺・居合い拳が打ち抜かれる。

 

「真・雷光剣!!」

「七条大槍無音拳!!」

 

 神鳴流の決戦奥義と居合い拳の奥義が全く同時に放たれては、両奥義を受けた炎帝もこの世から欠片も残さず消え去るのみ。

 

「ええい、紅蓮蜂っ!」

 

 相手を邪魔扱いするくせに息はピッタリな二人に苛立った4(クァルトゥム)は次の手を放つ。

 ザーッ、と音を立てるようにして、火を宿した蜂の群れが高畑を取り囲む。瞬動で移動しても着いてくる様は、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄だった。いくら振り切ってもピタリと張り付き、四方から体当たりを繰り出してくる。

 

「こいつらっ!」

 

 狙いを付けずに飛び上がりながら体を縦回転させながら無音拳を放つ。浮遊術も併用して全方位に拳圧をばら撒き、死角に滑り込んだ火蜂を打ち倒す。扇状に広がった拳圧と接触した端から小規模の爆発を連鎖させる。ストロボに似た閃光が連続して咲く。

 

「はっ、タカミチはそこで遊んでろ!」

「なにっ!?」

 

 まさか仲間を助けることもせずにこちらに攻撃を仕掛けて来るクルトに、同型シリーズであろうとも仲間意識は持たない4(クァルトゥム)であってもありえないことだった。せめて心配ぐらいはするだとう考えていて反応が遅れ、斬岩剣によって右腕を斬り飛ばされる。

 

「貴様ら仲間だろう!」

「タカミチも貴様も等しく敵だ!」

 

 即座に腕の切断面の組織を閉じると、クルトが4(クァルトゥム)よりも悪役らしい台詞を放ちながら切り返してくる。バランスを崩しながらも無様に避けると、そこへ紅蓮蜂を引き連れた高畑が瞬動の超速度で向かって来る。

 高畑の接近は4(クァルトゥム)に追撃をしようとしていたクルトにも見えていた。

 

「タカミチと一緒に死ねぇっ!」

 

 言葉通り、諸共にと言わんばかりに極大の斬空閃が直線状にいる4(クァルトゥム)も射程に巻き込んで放たれる。高畑は「死ぬかぁっ!」と叫びながら瞬動スライディングして、立ち上がろうとしていた4(クァルトゥム)の足をついでに刈り取る。

 斬空閃は標的二人を見失って紅蓮蜂を呑み込む。流石に極大・斬空閃を放ったクルトも技後硬直で動作の流れが止まる。その間に瞬動スライディングでクルトの横も通り過ぎた高畑が地面に踵を叩きつけて一回転。空中で回転して地面に下りる前に上下逆さまになりながらポケットに手を入れる。

 

「諸共にくたばれっ!」

 

 やられたらやり返す。

 千条閃鏃無音拳――――召喚魔を幾百体纏めて消し飛ばした拡散型無音拳がクルトを巻き込み、足を刈られて倒れ込んで起き上がろうとしている4(クァルトゥム)に向けられた。

 その直前、技後硬直から抜け出していたクルトは自分も高畑を巻き込もうとしていたのだから奴も必ず同じことをすると、激動の時代の中を共に過ごした理解が次の行動に移っていた。

 

「ぅおおおおお!」

 

 背後上空に力の高まりを感じ取る前にクルトの回避に成功している。極大・斬空閃を放ったポーズのまま、逆再生のように力の溜めも出来ず弱い斬空閃を放つ。しかし、今度は足の踏ん張りを利かせない。

 足の踏ん張りを利かせていないので、斬空閃がブースターのようにクルトの体を後方へ動かす。そして放たれた斬空閃は千条閃鏃無音拳を回避しようとしていた4(クァルトゥム)の背中を押す。

 多重障壁があるので傷をつける威力もないが、不安定だった体勢を崩す一助にはなる。

 

「ぐぉ……ガァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」

 

 完全に予想もしていない攻撃を受けて無様にも顔から地面に倒れ込み、その背中側から千条閃鏃無音拳が襲い掛かる。多重障壁に魔力を回す余裕もなく体が削られる。

 

「「チャンス!!」」

 

 敵が絶好過ぎる隙を見せると敵対していたはずの二人は揃って目を輝かせる。

 高畑は着地して振り向きながら、その横に後退していたクルトは更に切り返す。

 

「豪殺・居合い拳!」

「雷鳴剣!」

 

 最速にして最大の威力を放てる慣れた技を、これまた全く同時に4(クァルトゥム)に放つ。

 

「はぁああああああああああっっ!!」

「おらぁあああああああああっっ!!」

 

 今の攻撃で多重障壁が壊れたと見るや、連打連打連打連打連打連打連打連打連打連打である。拳撃が飛び、雷撃が舞う。

 豪殺・居合い拳と雷鳴剣の連打が4(クァルトゥム)を隠し、自身の敵を倒したネギとエヴァンジェリンがあまりのオーバーキルに同情すらし始めたところで高畑とクルトは攻撃を止めた。

 

「やったか……?」

「やり過ぎた気がしないでもないが」

 

 前者がクルトとで後者が高畑である。権力者で実戦の場がどうしても高畑に劣ってしまうクルトの方が判断が甘い。高畑も途中で気づかない辺り、クルトの存在に看過されていた面もある。要はどっちもどっちである。

 

「議員になって鍛錬を怠ってないみたいで安心したよ。足を引っ張られたらどうしようかと思った」

「そっちも教師になって腕は落ちていないようだな。伊達に年は食ってないようだ」

「なにか言ったか? 全世界に公表された失恋野郎」

「別荘使い過ぎの若年寄。とても同い年とは思えんな」

 

 4(クァルトゥム)の消滅を確認した二人は相手を睨み付ける。

 敵を倒す時についでと言わんばかりに相手を抹殺しようと二人は、敵を倒した後も一触即発のままで顔を突き合わせる。

 

「仲の良い事だ」

「「誰が!!」」

 

 反発しつつも互いを理解し合っている二人をエヴァンジェリンが揶揄すると異口同音で返す。そういうところが本質的なところで仲の良いところではないかとネギは思った。

 

「ままならぬものだ」

 

 直後、ナギの声でナギの口調ではない造物主が使徒達の敗北に感情の籠らない言葉を吐く。

 ヴヴン……と、衝撃を伴った音波が大気を伝播して渦巻く黒い奔流が、周囲の地面ごとナギのしなやかやな身体を包んで呑み込む。アルビレオが放った重力の渦はあっさりとナギの身体を叩き落し、地面そのものが細かい振動にブレるように揺れて爆砕した。

 しかし、噴煙が晴れた後も造物主にはなんら痛痒の様子は見受けられず。更なる重力魔法で常人ならば体を百度捻じ切られてもおかしくない攻撃を受けながらも纏う黒いローブに傷一つなく立っている。

 

「人形は所詮人形。想定外が多い人とは違い、人形は設定を越えることはない。そういう意味では3(テルティウム)は人形ではなくなったと言ってもいい」

 

 話している間にも次々と重なる重力場を気にした風もない。

 空間が捻じられる音が響く。見ているだけでも骨が、筋肉が、内臓がギシギシと軋む。食い縛った牙も砕けてしまいそうだ。

 

「この体も馴染んできた。もう想定外はいらない。全てを、終わらせよう」

 

 その瞬間、その場にいる全員の時が凍りついた。重力場を事も無げに粉砕した造物主から目が離せない。

 赤色の髪を靡かせながら、彼らの下へと近づいてきた。歩きながら全身から何かが爆発的な勢いで噴き出した。魔力だ。黒色の魔力が絵の具のように世界に塗りたくられていく。暗黒、闇、負の塊。浸食する、それは闇そのものだった。

 

(…………今、確かに地平線の果てにまで続く骸骨と血の海が)

 

 造物主を中心にして徐々に徐々に周囲を蝕んで負の想念。果てが見えないほどに血の海が広がり、そこに骸骨が浮かんでいる。その中にあっても、あまりにも存在感が強すぎて造物主の周りだけ色が失われているようだ。

 ただ、あれは良くないものだと分かる。それだけは本能が、魂が理解している。

 ポタリ、と知らない内に浮かび上がった汗が、ネギの顎から滴った。それは冷や汗だった。恐怖と畏怖からか、額から汗が次々と浮かび上がってくる。体が小刻みに震え出した。全身から冷や汗が吹き出し、呼吸が激しく乱れている。

 対峙している相手は、造物主は、あまりにも異質だ。存在の根源が自分達とは違いすぎる。そしてあれに比べれば、自分達はなんとちっぽけな存在なのだろう。圧倒的な力を前に、ネギは絶望にも似た喪失感を感じていた。

 

「武の英雄達よ。羊達の慰めも、もういらない。ここを終わりと定めよう」

 

 憂いも嘆きも憎しみも混合した重い声。声自体はナギのものなのに、放つ根本の存在が違えばこれほど変わるのか、心の奥深い所を直に触るような原始的な恐怖を呼び起こす声だ。

 

「あ……っ!」

 

 思わず声が上がった。

 脳髄から爪先までを一気に突き通すかのような恐ろしく冷たい気配であった。例え氷の杭に腹部から喉元まで貫かれたとしても、これほどの衝撃はあるまい。

 冷や汗を頬へ伝わせるネギに、造物主はいっそ友好的と思えるように傲然と笑った。

 

「全てを満たす絶対解はない。全ての魂を救う唯一の次善策。絶望の帳が下りる前に永遠の救いに沈むがいい」

 

 歩くという動作にさえ、神の風格が漂っていた。世界を洪水で洗い流した神の如く、確信と傲慢に満ちて、造物主は高らかに告げる。

 

「――――――――その前に、愚かなお前達に今一度考える時間を与えよう」

 

 歩いて近づいて来る。放射される圧力が更に高まり、極度の存在感で肺が潰されそうだった。視線だけで人を殺せるではなく存在だけで押しつぶせる、過剰なまでに苛烈な負の化身。

 刹那、エヴァンジェリンをある感覚が貫いた。

 

「――!?」 

 

 何の装備も無く裸一貫で荒れ狂う海に投げ込まれたような、鉄を簡単に溶かす煮え滾る炉に放り込まれたような、底が見えない千尋の谷に突き落とされたような、そんな感覚。

 造物主の魔力は尋常ではない。ネギやエヴァンジェリンの魔力を巨大な山だとすれば、造物主のそれは海だ。どこまでも広く、深く、暗く、冷たい海だ。ただ淵に立っているだけでも、絶望が圧し掛かってくる。

 虚空の常闇。漆黒というだけでもまだ足りない。一切の光を吸い尽くして広がる無辺の闇だ。

 それは恐ろしい感覚だった。血が、骨が、細胞が、未知の異常を訴えて発熱しているのが分かる。そうして結露した汗が冷たい悪寒になり、喉元に畏怖の塊が込み上げてくる。

 カタカタと何か硬い物を打ち鳴らす音を耳元に聞いた。それは真祖の吸血鬼として様々な強敵を打ち倒してきたエヴァンジェリンの奥歯が鳴る音だった。

 

「この私が気圧されているだと!?」

 

 エヴァンジェリンは寒くもないのに震えていた。両膝は生まれたての山羊のように奇妙なほど笑っており、立っていることすらままならないほどである。

 恐怖が、本能的な恐怖が呼び覚まされているのだ。その原因となっているのは彼の瞳である。光を宿さぬナギの肉体の瞳の奥には暗黒が広がっており、こうして向き合っているだけで絶望して自殺しかけないほどの狂気が横たわっている。

 本能が逃げろと警告を発していたが、竦んでしまって足が動かない。十三階段を力尽くで上らされていくかのような絶望感が全身を支配していく。いっそのこと絶望して、自害して果てた方がどんなに楽かもしれない。

 横を見れば、ネギや高畑、クルト、アルビレオをもまた同様に脂汗を流して次々と膝を付く。

 

「――――――」

  

 造物主と眼が合った瞬間、ネギは糸を切られた操り人形のように、がっくりとその場に両膝をついた。造物主が何かしたわけではない。ネギの意志によるものでもない。

 

「う……」

 

 直ぐに立ち上がろうとしたが叶わなかった。意志とは無関係に、掠れた呻きが漏れた。

 足腰に力が全く入らなかった。なのに両腕は石のように強張り震えている。

 この感覚には覚えがある。極最近、つい数ヶ月前まで常に裡にあった全ての生命あるものが持つ本能と直結した感情、即ち恐怖だ。それがネギを跪かせたものの正体だった。

 

「完全なる世界を受け入れるも良し、今すぐこの場で死ぬも良し。さあ、選ぶがいい」

 

 眩暈と吐き気が止まらない。造物主から放射される闇が全身を貫いて荒れ狂い、凄まじい恐怖となって心を打ちのめす。ここでは、絶望だけが唯一の真実。

 

「受け………」

 

 小さなネギの呟き。逃げることが恥とは思えなかった。こんな絶望に立ち向かえる人間なんて、この世に存在するはずがない。世界は広くて大勢の人が暮らしているというのに、たった五人でこれほどの悪夢に相対せねばならないというのだ。

 

「受け入れる…………」

 

 こんな岩ばかりの殺風景な場所で、世界を背負った気になって闇に貪り尽くされるのは嫌だった。全てを投げ捨て、泣き叫びながら逃げ出したかった。

 

「受け入れるわけがないだろう!!」 

 

 しかし、ネギは既に闇を克服する術を会得している。ネギが習得した『闇の魔法』とは、善も悪も強さも弱さも、全てをありのままに受け入れ飲み込む力。恐怖を制し、御することで大きな力とする。全精力を振り絞って立ち上がる。

 闇を背景に佇む造物主からは、圧倒的なプレッシャーを感じ取ることが出来た。ネギは折れそうになる心を支え、強引に奮い立たせて震える足を無理矢理に動かして立ち上がり怒鳴った。

 

「アスカは逃げなかった! 立ち向かって見せた! なら、兄の僕が恐怖に負けるわけにはいかない!」

 

 世界のためなどではなかった。今の自分が感じる恐怖を知ろうともしない人々のことなど、どうでもいい。ただ自分自身の衝動に突き動かされて口が動く。

 

「良くぞ言った、坊や」

「全く見違えたよ、ネギ君。もう君を子ども扱い出来ないな」

「アリカ様の子ならば当然。これぐらいは言ってくれなければ困る」

「ふふ、クルト君も素直じゃない」

 

 造物主から発せられるプレッシャーは変わらず、絶望は体を戦きで縛り続けようとしている。だがネギの叫びに応えられないほど、彼一人を戦わせて震えていられるほど、彼らは腑抜けではない。

 エヴァンジェリンが魔力を猛らせ、高畑がポケットに入れた拳を強く握る。、クルトが剣を握る手に力を込め、茶々を入れたアルビレオに照れ隠しに凶悪とさえ見える目つきで睨み付けた。

 彼らは絶望に抗って次々と立ち上がる。這い上がる恐れを己が闘志で打ち消し、沸き起こる迷いを先達としての挟持で振り払う。

 

「愚かな選択だ。だが、それもまた人であるが故…………かかってくるがいい、武の英雄達よ。この体の真価をとくと味わうが良い」

「ぬかせっ!!」

 

 戦意を露わにする彼らを見渡し、ナギとは似ても似つかない諦めが染みついた目を向ける造物主に叫んだのは誰だったか。

 五人が一斉に飛び出し、狂ったように魔法を、剣撃を、拳撃を撃ち込み続ける。

 

「流石は武の英雄の体。今までとは格が違う」

 

 だが、そのどれもが効果を示さなかった。百を超えて炸裂した攻撃がようやく収まると、風に吹き散らされた爆煙の中心では、造物主が変わらぬ様子で佇んでいる。纏っている黒のローブがボロボロになったぐらいでダメージを受けた様子もない。

 

「この体を少しは試したい。精々、抗って見せろ」

 

 言いざま無数の煌めきが一点へと渦巻いて光の輪を形成する。そこへ向かって魔力が集まり出した。

 それは造物主が天に差し上げられた両手に集中しており、寸刻後、煌めきが一気に膨れ上がった。回転する光の輪が縮まるにつれて魔力は渦を巻き、空の下に太陽が降りてきたのかと思うほどの光輝を放った。

 それを見たエヴァンジェリンが呻く。

 

「まずいっ! あれは――」

 

 左右に開かれた腕の動きに従って半円状の軌跡を描き、身体の前に下ろされて組み寄せられた手に合わせて集積する。造物主の組んだ両手に、その光が余さず吸い込まれる。

 

「防ぐな! 避けろ!!」

 

 防御態勢に入ろうとしたネギに叱咤しながら、エヴァンジェリンは回避行動に移ろうとした。遅れて他の者達も動き出そうとする。

 しかし、その行動は遅きに逸していた。

 

闇に染められし血を求める剣(ダーインスレイヴ)

 

 魔法名と共に重ねた両手から凄まじい奔流となって闇の剣が撃ち放たれた。

 

「「「最強防護(クラティステー・アイギス)」」」

 

 間に合わぬと悟ったアルビレオとエヴァンジェリン、ネギの三人が精神を集中して掌を突き出した。三人の前に十ほどの対物理&対魔法に効果がある魔法陣を展開させ、彼ら以上の防御手段を持たないクルトと高畑は三人の後ろに下がる。

 両者が接触して、閃光と灼熱が膨れ上がり大爆発が起こった。

 重密度の閃光と極高温の衝撃波が撒き散らされ、大気が激しく鳴動する。閃光・灼熱・轟音が渾然一体となったそれらが岩のような質量を持って降り注ぐ。余波ですら、鉄すら一息に溶かす煉獄の焔となって荒れ狂う。

 展開していた一〇もある魔法障壁が粉々に砕かれ、大気中の力、その全てが凝縮され、爆発したかのようだ。悲鳴さえ、灼かれる。

 

「中位魔法で上位魔法を遥かに超えるだと…………魔力の桁が違い過ぎる」

 

 焦げ臭い空気と苦悶の声が流れる中、怪我を負いながらも起き上がることが出来ただけでもネギ達の非凡さを現している。

 

「耐えたか。すまぬな、もしかしたらやり過ぎてしまうかもしれん」

 

 陣が組まれ、切り替わり、複雑怪奇な魔法陣を形成していく。

 刹那、ドンと重い物が叩きつけられるような音と共に、造物主の周囲の地面が陥没した。

 

「――――ぐっ!?」

 

 その苦鳴を上げたのは、造物主だ。

 

「アルビレオ・イマ、古き書よ。まだ貴様は諦めぬのだな」

「その体、その声でそれ以上、囀らないでもらいたい!」

「私が自ら望んだものではない。これは貴様らの為した結果でもある。受け入れよ」

 

 アルビレオが更に力を籠めると、造物主を中心とした半径一メートル程の範囲内を通常の数万倍の重力が襲ったのだ。重力はドンドン強さを増してゆき、地面の陥没も深くなってゆく。だというのに、造物主は潰れも倒れもしなかった。僅かにつんのめっただけだ。

 

(これが効かないというのですか、造物主には!?)

 

 大してダメージを受けた様子のない造物主を見て、アルビレオが内心で唾棄する。

 魔法の効果は無限ではない。それよりも先に造物主が煩わしげに手を振るっただけで重力場が消え去った。

 

「神鳴流奥義! 極大――――」

 

 アルビレオに半瞬遅れて、必殺を決めて全力で剣先に電気エネルギーを帯電させながら落雷のような極大・雷鳴剣を放とうとクルトが横合いから造物主に迫る。

 

「地よ、割れろ。引き裂く大地(テッラ・フィンデーンス)

 

 クルトを見ることなく、造物主は煩わしげに振った手とは反対の手で足下に向かって何かを振りまくような動作を行う。

 すると激しい振動と共に熱風が、地面より更に下、大地の底から吹き上がった。どこからか現れた煮え滾る溶岩が一瞬にして床を覆い尽くし、空を赤黒く染めて荒れ狂う灼熱が、容赦なく神鳴流奥義を放とうとしていたクルトを悲鳴諸共に一瞬で呑み込む。

 

「クルト!?」

 

 長年いがみ合ったとはいえ、最も苦しい時代を共に過ごした同輩に救援が間に合わなかった高畑が名を呼ぶ。

 現れた時と同様の唐突さで溶岩が消える。どうやら呼び出された灼熱は、物理的に噴出したものではなく、魔法によって一時的に現れたものらしかった。後に残されたのは地面の焦げ目ときな臭い臭い、そしてクルトが深刻な痛手。

 

「く、そぉ…………あんな短い詠唱で最上位クラスの魔法を使えるとは。相殺してもこの威力、化け物め……っ!?」

 

 陽炎と蒸気の中を、クルトの苦悶の声が交差した。

 溶岩に呑み込まれたまさにその時、放とうとしていた極大・雷鳴剣で大部分を相殺しようとしたがしきれなかった。技を放った反動に身を任せて撤退していなければ、焼け爛れた足以上の被害を負っていただろう。

 僅か二小節の単語でフェイトがアスカとの戦いで使った引き裂く大地(テッラ・フィンデーンス)を放つ造物主の異様さ。

 

「来れ、浄化の炎。燃える天空(ウーラニア・フロゴーシス)

 

 動けぬクルトに止めを刺そうと思ったのか、クルトを見る造物主の右手に青白い炎が浮かんだ。瞬く間に紅蓮に染まった炎が放つ力は燃える天空に他ならない。しかし、この時既に、雷光を発したネギが懐に飛び込んでいた。

 

「はっ!」

 

 渾身の拳を、鋭い呼気と共に造物主の胴体に向けて放つ。

 

「自ら人であることを捨てようとしている愚か者よ」

 

 力を存分に込めたネギの拳には、大岩を塵に変えてしまうほどの威力がある。その威力は中級呪文にも匹敵する。絶好の一撃だった。しかしその拳が捉えたのは、造物主の胴体ではなく、目にも止まらぬ速さで持ち上げられて袖から露になった、造物主の左腕の肘だった。

 

「人へと還れ」

 

 至近距離でタイヤが破裂したような音がして、雷化しているはずのネギの拳が砕けた。術式に強制的に介入されたことで精霊化が解除され、骨が砕ける手応えが腕を伝わって頭に伝わってきた。

 

「ぐああああっ!!」

 

 痛みに目を剥き、苦悶の声を上げてネギが砕けた拳を抱えて首を擡げる。反対に攻撃を受けた造物主の腕は、多少赤らんだだけで傷一つついていない。

 

「させんっ!」

 

 敵の前で無防備な姿を晒すネギを刈り取らんと造物主が動いた刹那、半瞬で肉薄したエヴァンジェリンが背後から首を狙って手刀を放った。魔力を帯びたその手刀から伸びた断罪の剣が虚空に紫色の軌跡を描いて造物主を襲う。

 目前で無防備なネギを狙っていて隙だらけだった。が、首まであと紙一重というところで、造物主の手がエヴァンジェリンの手首を掴んだ。ただそれだけの衝撃波がネギを簡単に弾き飛ばす。

 吸血鬼の力にモノを言わせて筋肉がはち切れるぐらいに力を込めて振り解こうとしたが、造物主の手はビクともしない。

 

「非力だな。そんな有様では真祖の吸血鬼の名が泣くぞ」

 

 ネギを蹴飛ばし、心底失望したと言わんばかりに斬り上げられた造物主の手刀が虚空に赤い軌跡を描いた。

 腕に力を込めていたエヴァンジェリンは、力を入れる先を失って宙を泳いだ。

 

「「「おぉあッ!!」」」

 

 そこにエヴァンジェリンの後ろの左右上から、あちこちが焼け焦げたクルトが放つ斬撃が、高畑の拳撃が、アルビレオの重力が迫る。

 しかし、造物主は一瞥を向けただけでふっと唇を笑みの形に歪めると、エヴァンジェリンの手首を切り落とした手を振るった。手を振るった動作に連動するように造物主の身を纏うローブが生き物のように動き、ローブに触れた三人が悉く防御も買いも出来ず、紙くず同然に弾き飛ばされた。

 

「以前ならば苦戦していただろうに、武の英雄の体は凄いものだ。これでは弱い者苛めになってしまう」

「私を弱い者扱いするなど――」

 

 力を誇示するなどという次元ではない。まるで顔の前を跳ぶ目障りな羽虫を潰すような動作だった。誰が何をしようが、その抵抗ごと粉砕するような動きだった、そして二の腕の丁度真ん中から切断したエヴァンジェリンの腕を、伝説と呼ばれる吸血鬼の腕をあっさりと切り取りながらも興味がないとあっさりと放り投げる。

 

「ぬ……」

 

 傷口から噴水さながらに血が噴き出し、エヴァンジェリンが唸った。

 しかし、エヴァンジェリンは真祖の吸血鬼、腕を斬り落とされた程度では闘気を衰えさせる要素にはなりえない。

 

「おおおおおっ!」

 

 右手を斬り落とされようとも瞬く間に再生させて、泳いだ身体を制御して宙にあるままで気迫の籠もった蹴りを放つ。造物主は避けようとも防ごうともせず、エヴァンジェリンの蹴りはまともに造物主の側頭部に入った。

 が、造物主は身じろぎ一つしない。

 

「ならば、ここならどうだ!」

 

 素早く蹴り足を引き戻すと、今度は喉に突き刺すような蹴りを喰らわせた。

 例え紅き翼や完全なる世界のメンバーでも喰らえば首が吹っ飛ぶような威力がその蹴りにはあったが、造物主には微塵も効きはしなかった。それどころか吸血鬼の行動を憐れみの眼で見ていた。

 桁が違う魔力に護られて、エヴァンジェリンの攻撃は何一つ効いていない。

 

「無駄だ。弱すぎる――――不死殺しの鎌(ハルペー)

 

 魔法名を唱えた造物主の手が赤い閃光に染まる。

 赤い閃光が虚空に軌跡を描き、造物主の喉に入ったままのエヴァンジェリンの足が膝の上から切断された。

 足が無造作に地面の上に落ちると同時に、エヴァンジェリンの身体はぐらりと前に傾いた。そこに造物主の手が伸びてきて、エヴァンジェリンは首根っこを鷲掴みされた。

 ジャック・ラカンのように筋肉質の腕ではないのに、彼以上の力を持ってエヴァンジェリンを高く持ち上げる。喉を絞める造物主の手に凶悪なまでの力が込められ、エヴァンジェリンは喘いだ。殴るなり伸ばした爪を刺すなりして反撃したかったが、抵抗の手を緩めると一瞬で落とされかねないので出来なかった。

 

「ぐぅ――がっ!?」

 

 振り解こうとするエヴァンジェリンの叫びは、半ばで短い呻きに変えられた。エヴァンジェリンを覆うように魔法陣が煌めき、造物主の手刀が閃いたからだ。

 

「ぐッ……!」

 

 残っていた足、再生した手と反対側の手が切断されてエヴァンジェリンは四肢を失った。

 だが、吸血鬼の能力を持ってすれば再生は容易いが。

 

「ば、馬鹿な! 何故、再生しない!」

 

 なのに、一向に再生する気配はなく切断された跡から間欠泉のように血が噴き出し続ける。

 

「不死者にはそれぞれ対処法がある。特に吸血鬼はその力に比例するように弱点も多い」

「私は全ての弱点を克服している!!」

「だとしても、特性が消えるわけではない。この不死殺しの鎌(ハルペー)は貴様のような不死者を狩るのに最も適している」

 

 四肢を切り払った手に纏わせた赤いオーラの光を見た瞬間、エヴァンジェリンは魂に舌を這わせられたようなおぞましい感覚を覚えた。

 

「とはいえ、私の不死殺しの鎌(ハルペー)神具(オリジナル)に比べれば劣化模造品(デッドコピー)の魔法の一種に過ぎない。精々が再生阻害といったところで殺す力はない」

 

 四肢から抜け出ていく多量の出血が、エヴァンジェリンの意識と闘気を薄れさせていく。

 

「血が抜けきったら適当に封印するとしよう。不老不死の体には些かの興味がある」

 

 造物主は人の肉体に乗り移ることで生き長らえてきた。だが、例え『不滅』の身でも肉体がなければどうしようもない。

 

「用があるのは肉体のみ。魂に用はない。長き時を生きるのは辛かろう。幸福の底に沈むがいい」

 

 エヴァンジェリンの身を覆うように魔法陣が煌めいた時、紫電の如く悪寒が通り抜けたから何かが干渉してくるのを感知する。最強と謳われた種族の吸血鬼が、まるっきり子ども扱いされている。造物主の力は次元を超えていた。

 

「……あ?」

 

 エヴァンジェリン・A・K・マグタウェルの意識がブレる。目の前の景色が極彩色に染まり、前後の記憶が呼び出せなくなる。上下の感覚が消失して、熱さと寒さを受け取れなくなる。全てがグチャグチャに混ざっていく。

 意識は残っていたが、暗幕が下りたように何も見えなくなった。

 そうしてから気づいた。修復と呼べる回復能力を持つ吸血鬼ではありえない消耗と出血、そしてまるで一つ上の高みから泥の中でもがく昆虫でも眺めているような目で自らを見つめる造物主を前にして、最強の誇りを折られて諦めが視力を奪ったのだ。

 努力や意志がつけ入る隙はない。何をやっても無駄、打つ手なし。

 絶望感がエヴァンジェリンの身体を満たしていく。無駄なのか。全部無意味なのか。これまでエヴァンジェリンが積み重ねてきた六百年の経験も努力も研鑽も、それ以上の二千六百年の前に一蹴され、無残に散っていくのか。

 これが絶望。気力は尽き、心は折られ、エヴァンジェリンはこの時に真の意味で敗北しようとしていた。無駄な努力を繰り返すほど気持ちを蝕む害悪はない。エヴァンジェリンは疲れ、病みつき、この時緩慢ながらも楽ではある敗北という未来を選ぼうとしていた。

 

「アス、カ君………?」

 

 なにかの波動。いや、鼓動といった方が相応しい振動がアスカを抱く木乃香の全身を背中から貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り一時間十三分四十一秒。

 

 

 

 

 




造物主の強さは

大戦期 10(手負いのナギ+手負いのゼクトで倒せるレベル) 
10年前 25(全盛期のナギが相打ちに持ち込むのが精一杯)
現在 100(紅き翼全員でも勝てない強さ)

さあ、どうやってナギ=造物主を倒すか。


次回『第91話 過去の先へ』


7/7修正。

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