――――英雄よ、望む未来を勝ち取れ
同時の発声、同時の仕掛け、威力まで同じの攻撃を繰り出したネスカと造物主が額を擦り合わせるほどの超至近距離で鬩ぎ合う。
「ぐっ………っつあああああ!」
「ぬぅっ………っぐううっ!」
極大の力同士のぶつかり合いは弾かれ、衝突を繰り返しながら螺旋を描きながら上昇していく。
「おおおァあああッ!!」
「はああああああァ!!」
両雄の拳。正しくは拳に纏われた力が激突した瞬間、超新星の出現かと見紛う眩しい紫電が周囲数キロまで走り、見た者達の区別なく網膜を焼いた。髪を逆巻かせ、気合の声を絞り、拳と拳の狭間で燻る力の波動を押し合うネスカと造物主だったが、やがて力場は光泡となって四散した。
「力は」
「互角か」
弾かれたように距離を取って一瞬だけ静止した二人は、内在量はともかく一回の放出量に関してはそれほどの差はないことを自覚する。
「なら後は」
「強い方が勝つ!」
それは、神話の再現だった。果てしなき究極の攻撃が、果てしなく究極の防御によって弾かれる。
世界が破裂する音が聞いた事があるだろうか。それは爆音や衝撃波の領域すら超えていた。人間に聞き取れる範囲を遥かに超えた。世界が放つ苦痛の悲鳴。悲鳴の余波の余波、その切れ端になって初めて爆風と化す。悲鳴の切れ端は浮かんでいた岩石を吹き飛ばし、墓守り人の宮殿の地面をビリビリと振動させる。
一見しただけでは果断の撃ち込みと圧し合いを繰り返しているだけにしか見えないが、彼らの攻撃は紛うことなき神域。
そこにあるのは想像を絶する相反する二つの光。二人の戦いに言葉は要らなかった。全ては触れ合う拳を通じ、互いの力が声となって相手を突き抜けた。
ネスカと造物主。魔力の渦に巻かれた墓守り人の宮殿上空で、二人の激突だけが全てであった。
「この武の英雄の体を使う私によく抗う」
「まだまだ!」
二十年前の最強と名高き英雄の肉体を得たことで史上最強と言ってもいい造物主と、後のことを考えず自身の肉体すら考慮せずに力を振り絞るネスカの対決には、先程のアスカ対フェイトや最高峰の力の持ち主同士の戦いとは別種の迫力があった。
普通に力がなんら制約なく解放され破壊に向かえば、恐らくは一撃で大河を干上がらせ、墓守の墓所の中にいる者たち諸共に瓦礫の廃墟と化すことも可能だろう。そうならないのはネスカと造物主の両者が、己の攻撃と同時に、相手の攻撃を封殺する防御壁を展開していたからだ。
「雷の暴風!」
「
裂帛の気合と共に放たれるのは最上位の強さに至った者ですら受けきることが出来ないほどの突き抜けた力。
雷霆の暴風と闇色の大剣の魔法が激突する。何人にも受け止めることの出来ない力を、しかし二人は自身の力を以って弾き返す。
魔法の撃ち合いになれば無数の敗者達の怨念を原動力として無限とも思える魔力を有する造物主を相手にするのは、人外とも言うべき魔力量と太陽道で回復するとしても分が悪い。過去、造物主と相対した数多の武の英雄やナギがそうしたように強力な魔法を突破して近接戦を仕掛ける。
「でやっ!」
雷の暴風と
「その程度で」
やられるほど造物主は愚かではない。思考に反応してナギの体が最善の動きでネスカの拳を迎え撃つ。
両者の間で莫大な力が次々とその性質を変え、音速を超える肉弾戦の最中に別次元の『読み合い』という頭脳線が平行して展開される。
物理と魔法。肉体と精神。騒乱と瞑想。
互いに拳をぶつけて生じた火花を散らしながら行われる頂点を極めし者同士の戦いは熾烈を極めた。
五分と五分の息詰まる攻防戦は身体に幾つものの傷をつけていく。まさに、魂を削るかのような乱舞だった。打ち込む攻撃の一つ一つが、両者を死へと近づける。
拳撃に次ぐ拳撃。繰り出された拳撃の速度は高速を超え音速へ、音速を超えて神速へと変わっていく。刹那で十撃を超え、瞬きで百撃を超え、一秒で千撃を超え、一息で万撃を超え、一拍で億撃を超えていく。
やがて火花は閃光に、閃光は爆発に、爆発は崩壊に、崩壊は無へと変わっていた。ヒトの限界を遥かに超えた攻防は世界をも砕きかねない。
「うぉぉあああああああっつ………………!」
「ぬぅうううあああああぁぁ…………………!」
造物主の連撃速度が更に上がる。合わせるようにネスカの攻撃速度も上がる。
両者の攻撃速度の増加によって連続した音が崩れる。
崩れたというのは少し語弊があった。あまりにも素早すぎて音は数をなくした塊となり、数千数万の爆音が短い間隔で次々に炸裂したため、総体として一つの音のように聞こえて空間そのものを踏み潰すような轟音へと変わったのだ。
「受け入れよ。これが最適解だ。完全幸福への本当の答えだ」
「人の心を大事に出来ずに作った世界が一体何になる! あんたはそんな世界を作ろうとしているんだよ!」
ネスカの一撃ごとに彼の想いの波動が造物主に、造物主の一撃ごとに彼の想いがネスカに。
不変なものなんてなく、自分も世界も心持ち一つで変えられると信じているネスカ。
自分自身の心さえも制御できない愚かな人間では過分な希望は毒になることを知っている造物主。
二人は螺旋を描きながら上昇し続け、中空で静止。どちらかともなく動き出し、極限まで高めた力をぶつけ合う。互いの主張を、拳を、技を、心を、存分に叩きつけた。
「お前の言葉は信じない。思想も、感情も、信用できない。期待を裏切られ続けた二千六百年――――――もはや、誰も私を変えられはしない」
「そんな考えは唾棄すべきだ!」
「私をここまで追い詰めたのは誰だ!」
流された膨大な血の量を知るが故に、次代に祈りを託さずにはいられなかった。その先になにがあるのか、分からないまま。
託しても報われず、託された者達は託されたことすら忘れ果てて死んでいく。希望こそが最悪の毒なのだと何度も思い知らされた造物主にあるのは絶望だけだ。
「俺たちなのかもしれない。でも、俺は諦めない。何があっても、何度間違えても、何度大地に叩きつけられようとも次には勝利するために!」
「お前達に勝利はない。虚しい足掻きが不幸にしているのだと何故分かろうとしない!」
ゆっくりと弓を引くように構えを取り、声音に押し出されるようにネスカの眼前に光が迫る。紙一重で躱した直後、跳ね上がるように膝が突き上がり、胸元に迫った。
「この分からずやっ! みんなが戦っているって見れば、世界はまだ捨てたものじゃないって分かるだろうが!」
「何にも知らない子供が! 扇動した者がなにをほざくっ!!」
口元に血を滲ませた造物主の目がかっと開かれる。再度の攻撃を繰り出そうとした手を掴み、叫びながら圧倒的な膂力が呆気なくネスカの体を押し上げていた。
成す術なく浮き上がった途端、真下から繰り出された造物主の足が腹に食い込む。組み合わせた両腕によってネスカは遥か下方に吹き飛び、墓守り人の宮殿の空域から外れた地面に体を打ちつけた。
「たった一人で世界の代弁者にはなれない。私のように敗者達の怨念を背負わなければな」
生み出したクレーターの底で食い込んだ地面から立ち上がるネスカを、悠々と降りて来て見下ろす造物主の目が圧迫する。ネスカは、意地でもその目から視線を外さなかった。
「無限共感能力、望んで得たものじゃないだろう。そんな物で世界を背負った気になるなよ」
全身から滲み出す圧迫感が毛穴にまで入り込んでくる。口で反論しながらもネスカは生唾を呑み込んだ。
初めて造物主は本音を語っている。自分という他人の中に、自己を投影しているのかもしれない。
「世界は勝者と敗者に別れる。歴史を紐解けば後者の方が多いのは自明の理。少なくとも私は世界の半分を背負っていると言っていい。たかだか一時代を背負った程度の男が言っていい言葉ではない!」
「だとしても、アンタの絶望を世界に押し付けていいってことはない!」
湧き上がってきた口中の血を吐き出し、空を蹴って迫っていた造物主にカウンターで体当たりを仕掛ける。呻いた造物主に胸倉を掴まれ、再度地面に叩き付けられたネスカは、足を蹴り上げて造物主を退かすも、声にならない苦悶を押し殺した顔が視界一杯に迫る。
その体が流れるや、ネスカも一緒に引きずり回され、両者とも錐もみ状態で近くにあった巨大な岩塊へと突っ込み、盛大な粉塵が噴き上がった。
即座に相手の胸倉を掴み、互いに相手より有利に立とうと体が目まぐるしく回転する。極大の力を持つ二人が回転する度に周囲にある何もかもが粉砕され、地面に大きな溝を作り出す。
「小癪な!」
喉元に食らいつき続けるネスカの顎を押し返し、造物主も負けじと振り回す。
何度も、何度も、何度も、互いの体を地面にぶつけ合う度に周辺一帯が砲撃を受けたかのように振動を繰り返す。
数十度目かの激突の際に二人の体が離れ、尋常ではない力で振り回し合っていたこともあって勢いがつき過ぎて、何十メートルも吹き飛んだ体が背後の地面に激突して抉りながら破壊する。
深々と地面を抉りつくして止まった時には息が出来なくなり、口を一杯に開いたネスカは、そのままずるずると瓦礫に体を埋もらせた。
「くっ、つぅ……」
立ち上がろうと瓦礫をどかすも、膝に力が入らず、全身が心臓になったと思える体を折り曲げ、肩で息をする。
最早どこが痛いのかも判然としない体を動かし、直線状に同じように瓦礫に埋もれている造物主を視界に入れたネスカは、地面についた手に力を込めた。ズキンと頭蓋まで突き抜けた痛みを堪え、自身の体より遥かの大きいサイズの瓦礫に体を預けてゆっくり引き起こしながら掠れた喉を震わせる。
「過去の怨念を今に叩きつけたって何も変わるものか」
「ああ、そうとも。変わらぬだろう。人とはそう簡単に変わるものではない」
ただ対峙しているだけにもかかわらず、ネスカは体力の消耗を感じていた。極限状態が精神を磨り減らし、肉体を疲弊させていく。だがそれは造物主とて同じだ。
「痛みを伴って学ぼうとも、世代を経れば学んだことすらも忘れて同じ過ちを繰り返す。それ以前に学習すらせずに何度も同じ過ちを繰り返す者すらいる。これが不完全でなくてなんとする」
「完全ってのは終わりだ。不完全だから人は学ぼうとするし、成長しようと思える。進化の袋小路に陥れば待つのは滅びだけじゃないか」
所詮、英雄であろうとも人でしかない自分に神だった造物主を間違っていると断ずる資格はない。それを百も承知の上で、ネスカは痛みが走る体で歯を食い縛り、痺れて棒になった膝を立たせた。脳裏に思い描く人たちを支えにして、ネスカは両の足を地面に押し付けた。
「かもしれぬ。だが、それで良い。苦しみに満ちた生よりも安らかな滅びを望む」
「決めつけるなよ。そんな消極的な自殺なんて誰も彼も望むものか」
「敗者達が望んでいる。こんな惨めな最期は嫌だと私の中で叫んでいる」
「それこそ死者の怨念に振り回されている証拠だ。末期の叫びは他のどんな声よりも大きい。怨念に突き動かされていると何故分からない」
一途ともいえる狂気に対しても、所詮は感情論で否定しているのに過ぎないかもしれず、明確に否定する論拠があるわけでもない。ネスカは背中を支える圧力にも似た力を信じて、先に進むことだけを走る。
「欲しいのは、時間だ」
迎撃として真っ正面から飛んできた拳の先を払い、相手の斜め後方に滑り込ませる。向き合う間を与えず、左肘を打ち込んだネスカは、超反応で受け止めた造物主に続けざま右拳を叩き込んだ。
「今更、時間など……!?」
立て続けの拳撃を受けて防戦一方になった造物主がよろめくように後退って呻く。
「どうして魔法世界が生まれたのか、どうして魔法世界が滅ぶのか、どうしてアンタが憎しみに染まってしまったのか! 皆に伝えなくちゃ……………誰も分かってなんてくれない!」
続ける間もなく、後方に跳び退った造物主が背後の崩れた瓦礫を蹴り、ネスカの頭上をすり抜けると同時に固めた拳を振り上げる。
「幻想として消え去る者たちに教える必要などない!」
と、唾棄するかのよう言葉を吐き出すや否や、純然たる殺意で固めた拳が目前に迫ってもネスカは臆する様子すら見せず、それを真正面から拳で受け止める。
「そうやって自分だけで完結してしまうから他の道を模索することすらしようとしない! だから独り善がりだって言ってるんだ!」
「貴様ら英雄は何時もそう言う」
ギリッと間近に近づいた造物主の眼が煉獄に燃える。
「別の道、別の方法、もっと良い手段があると大衆に誤認させる。いらぬ期待が、そのような考え方が迷いを誘発し、大きな混乱を生んできた!」
激突し、弾かれ合う拳と脚の幾つもの輝きが矢継ぎ早に光を閃かせ、干渉波を押し広げる。殴り結びつつ移動する二人の足元の地面が捲れ上がり、崩壊して灼熱した空気が包み込む。
「違う! 別の道があるかもしれないってことが混乱を生み出すなら人はとっくの昔に滅びてた。理不尽と戦って、少しでも進んできたのが人だ! あんただってそれを知っているはずなのに、していることは絶望を押し付けているだけだって分かれ!」
強化した脚力と卓越した動作と縮地で、垂直に跳躍したネスカが横殴りの脚撃を躱し、造物主の背後に着地する。即座に振り向こうとする造物主の挙動を予測したネスカは、地面に膝をついたまま倒立のように伸び上がって蹴り上げた。一歩引いた造物主には顎を狙った一撃は僅かの差で当たらない。
「そうさせているのはこの世界の者達であろうがッ!」
「そんな言い方!!」
反撃を避けるために飛び退き、空中に飛び上がって距離を取る。
造物主は追いかけることをせず、地上から闇色の光弾を撃ち放つ。ネスカは迫るそれらを風に揺れる柳のような動きで回避する。
「事実であろう! 貴様の言うような青臭い綺麗事など、この痛みに塗れた世界では何の意味もない」
「それでも俺は言い続けるしかないんだ。伝えなければ何も分からないじゃないか!」
「なら、気づくことだ! 私のように分かり合いたくない者もいる! 伝えたいものが悪意しかない者もいる! 他人が自分と同じ物差しで考えていると判断すること自体が傲慢なのだ! 貴様の理屈を私に押し付けるな!」
回避し続けるネスカを追って、光弾を撃ち続けながら造物主がフワリと浮かび上がる。
地上から降り上がる雨のような千を超える光弾を事も無げに躱すネスカに造物主の顔は歪む。
「………何故だ!? それだけの力がありながら何故、私が理解できない? 貴様ら英雄は何時の代も私を理解しようとしない……?!」
迫る光弾を迎撃すべく放たれた魔法の射手が衝突して、相手を押し込もうとする二人の間で表面化した力が小規模の爆発を起こした。
「独り善がりの絶望なんて他人に理解できるわけ無いだろうが!!」
常識を超えた互いの疾さでは派手な回避は意味を持たない。最良の迎撃はギリギリまで引きつけての
押し寄せる絶望に圧倒されながらも、それでもネスカは火線を避けて飛び回り、その手に意思を込めて戦う。
「貴様の言うのはただの願望だろう!」
「違う! どれだけ過酷な世界であっても、その結果がどうあれ、誰かが勝手に決めていいものじゃないんだ!」
叫ぶネスカの手に千もの光の煌めき集い、身の丈十メートルはありそうな雷の大槍の輪郭を形作っていく。
「俺たちは全知全能になんてなれない。時間をかけて変えていくしかないだろう、造物主!!」
完成した雷の大槍が振りかぶって放たれた。
有り余る力を込められて巨大化した雷の投擲は、その大きさもあって幾分か鈍重であった。造物主にとってみれば躱すことなど造作もない。
余裕を持って躱す造物主。しかし、この戦法の真価はここから発揮される。
「弾けろっ!!」
造物主が躱した直後、巨大な雷の投擲から全方位に向けて千条の閃光が弾けた。
器だけを作ってその中身には千もの雷槍が犇き合っている。避けられた瞬間に巨大な器を自壊させて中の雷槍を解き放つ。その特性上、一方向に狙いなどつけられないので全方位に飛んで行く。
なので、造物主に向かったのは百にも満たない雷槍。如何な造物主といえど不意打ちで、優れた魔法使いの放つ中位魔法クラスもある一槍を千も受ければ無事では済まなかっただろう。
単純に全方位に飛ぶ特性に助けられたとはいえ、次々と被弾しても力尽くで耐え切った。
「ちっ! そうやって何時かはと時間を掛ければ何でも解決すると、そんな甘い毒に踊らされて一体どれほどの時を私が過ごしてきたか、貴様に分かるか!?」
多少なりとも傷を負って爆煙から飛び出した造物主の脳裏に浮かぶのは過去。
「所詮は現実を知らぬ者が嘯く理想論だ。そんなもので人は変わりはしない!!」
人の心は脆く弱いもの。些細な誘惑に負け、欲望に支配され、憎しみ、殺し、憎悪を募らせる。憎しみだけは、幾年過ぎ去ろうとも、薄らぐことはない。むしろ日を追うごとに、強くなってゆく。それどころか、人の短き一生すら越え、復讐の念は子々孫々に至るまで継承される。価値観、文化、種族、些末な違いに捉われ、相手を排除し、戦乱に明け暮れる。
「何かが変わるかもしれないと夢想して、やがては膿み憑かれるだけだ!」
この世界に生きる者たちが犯してきた、数々の所業。尽きぬ欲望、失われし道徳、独善、不条理な差別、造物主が変えなければ決して世界に平和は訪れない。
善とはなにか。悪とはなにか。その通念はひどく不安定なもので、時代、価値観、見定める者の立場によって直ぐに入れ替わる。それでもなお、普遍の悪と直感するに容易いだけの悪行を、愚行を造物主は嫌になるほど見てきた。
「次があると、また今度ならばと、何時までも繰り返して苦しみたいか!」
己の身を削ってまで作り上げた者たちが唾棄すべき存在に成り下がったことを知った時、彼女の身を狂おしい怒りが貫いた。だが、唾棄すべき存在に成り下がろうとも、彼女にとっては世界に生きるものが自身の子供のような存在であることに変わりない。ならば、その過ちは自らの手で覆すのみ。
不完全なるこの世界に、不変なものはありえない。永久の平和はない。永久の安寧もない。だからこそ、造物主は誓ったのだ。不変を、永久の平和と安寧を作り上げてみせると。
「他者を傷つけるだけの地獄のようなこの世界を終わらせる……」
周囲の光は増え、何時しか千を越す黒の玉達が造物主の周りで煌めくようになった。
ネスカも迎撃すべく、周囲に魔法の射手を生み出す。周りで輝く光の玉は瞬く間に数を増やしいてく。
造物主の光は太陽を覆い隠すほどの暗黒の輝き、さながら宇宙を埋め尽くす漆黒の闇だった。反対にネスカの光は夜空を満たす星々の輝き、銀河を彩る星々の煌めきの如く燦然と輝く。
両者から暴風が撒き散らされ、更に幾百筋もの光弾が互いに向けて放たれる。
「今度こそ世界を、人を救うのだ!!」
造物主の声が迫り来る光弾を迎撃し、避け続けるネスカの耳に毒を注ぎ込む。
後悔に、苦渋に塗れた言葉を聞けば誰もが彼は十分に手を尽くしたのだと分かるだろう。造物主が一番望んだモノは、きっと普通に笑って、普通に泣いて、それを普通に誰かと分かち合える世界なのだろう。
冷たく暗い暗闇で、遠く皆が輪になって当たっている焚き火の温もりに一生懸命に手を伸ばすようなそんな虚しい日々を送ってきたんだと思う。なのに、どれだけ苦しみ、もがいて伸ばした手の先には望んだ世界がない。
アスカが示す世界は正しく、そして美しい。だが、それは誰から見ても恵まれ、幸せに映る物が言ったのでは空虚な綺麗事に過ぎず、人を動かすことなど出来はしない。
動かせるとすれば、誰から見ても不幸で推測される未来すらも無残な奴が実際に笑って言ったときだけだ。
そんな者を造物主は知らなかった。その者がいれば皆を救えると分かっていても、その存在を信じることはできなかった。
「俺は傷つけ合うことが悪いこととは思わない!!」
光弾と魔法の射手の激突の最中でネスカの一秒も間を開けずに断言した返答は、造物主の予想を覆すものであった。
「差し出した手が傷つくことを怖れていたら、触れることもできないじゃないか!」
これまでずっと戦い続けてきた。目の前で誰かが泣くのが嫌だから必死になって戦ってきた。死にそうな目にあったのも一度や二度ではない。死に物狂いで生きてきた。
対して、手にすることが出来たのは本当に些細なものだっただろう。割に合わないことをしている自覚ぐらいはある。単純に自分がもっと強くて頭が良ければもっと上手くやれたと思うことの方が多い。
でも、だからこそ得られた実感もある。
拙い手で必死に掴み取ったものが決して無価値ではなかったことを、ネスカは知っている。
「お前にみたいな諦めた奴に救われなければならないほど、世界は弱くなんかない!」
本当に平和な世界っていうのは、ただ痛みを忘れられている場所なんかじゃない。もし二度と痛みを生まずに済む場所まで辿り着いたなら、その時人間は、過去に置き去りにしてきた痛みや犠牲を、本当の意味で悼んで、偲ぶことができるようになるのではないか。
「前提が間違っているぞ! この世界は歪んでいる。魔法力枯渇ではない。そこに住まう者達がだ! 一つ一つの問題を順番に解決できるような状態ではなくなっている!」
その瞳に、明確な憎悪が宿る。
「何時まで経っても消えぬ人種・種族差別、偏見、奴隷、何も、何も変わらない!」
闇の光が辺りを包み込む中で、炯々と輝く暗い瞳だった。
「こんな世界が弱くないだと! それは悪意という言葉の意味を知らん子供の寝言に過ぎん!!」
造物主が絶叫し、その造物主の気合に呼応するかのように力を放出していくように見えた。
「大戦から二十年経って世界の何が変わった! 何も変わっていない。だから、私が変えなければならんのだ。それがこんな不完全な世界を創ってしまった私の責務だ!!」
絶望を我が物として、絶望の中に生きて、それをまるで希望のように語る哀しい人の瞳だった。
「確かにそうなのかもしれない。俺もアンタの眼を通して見た」
ネスカは造物主の記憶を見た。魔法世界の戦いの歴史を、忌まわしい記憶を。
でも、とネスカは続ける。
「人の本性はそれだけじゃない」
「何、だと……?」
「人がどうして一面しかないと断言できる。俺達にそれ以外の側面が一つも存在しないなんて、どうして断言できる」
言葉を紡ぎながらネスカは思う。
人の心の中には、どうしようもないほど深い闇が広がっている。人間は他人と繋がる事だけを考える生き物ではない。身を守るため、安全を保つため、何かを独占するため、様々な名目で他人を遠ざける性質を持つ。人を傷つけたり排除しようとしたり、そういった行動を自然と取るようにできているのである。
でも、それと同じか、それ以上の光も同時に眠っている。普段は恥ずかしくて出そうともしない善意。わざわざアピールする必要すら感じないほどの正義。そうしたものは必ず存在する。見えないだけで絶対にある。
そうでなければおかしいのだ。人の心の中に、本当に他者を殺し奪うだけの悪意しかないのなら、とっくの昔に人は勝手に争って滅んでいたはずだ。自分達が今日まで生きてこられたことが、歴史が途絶えずに続いていることが、滅びようとする心よりも繋がろうとする心の方が強かったのだと、きちんと証明してくれている。
「それが幻想であることを歴史が教えているのだと何故気づかない!」
造物主の言いようは理解できる。正しい、とも思える。が、どこかで大切なものが抜け落ちていないだろうか。言葉を重ねれば重ねるほど、遠ざかってゆくようなもどかしさを感じる。
「このままでは何も変わらない!! 私が変えなければ、呪われた宿業は!! 嘆きの運命は!! 果てもなく貴様達を焼き続けるのだぞ!!」
「その時はまた誰かがあんたみたいな馬鹿をぶん殴って止めてくれる! 遠い過去から連綿と続けてきた営みと一緒にな!」
誰が正しくて、誰が間違っていて、何が正しくて、何が間違っているのか。そんなもの誰にも決められるわけがない。でも、みんな戦っている。そこに自分が信じたものが、信じた人がいるから。
みんな同じ。誰かの幸せを願って戦っている。そのためならきっと自分の命だってかけられる。何人にも追いつけぬ速度で、何人にも叶わぬ力を振るって目の前の存在に教えなければならない。
「自分が見たいものだけを見て、全てを否定して!」
「見るに値するものがなければ仕方なかろうよ! 全ての弱き者の悲鳴と呻きが消え去るその日まで私は止まらん!」
「見たくないのなら目を瞑れ! 聞きたくないのなら耳を塞げ! 幾ら絶望を叩きつけられても、今を生きる者に向けるのはただのエゴだよそれは!」
最初に造物主が世界を作り、子らを作ったのは善意からのはず。過酷な現実、理不尽と戦う中で紡ぎ出された善意。ネスカもまたそれを見た。その上で造物主とは違う答えを見い出した。
「不滅だろうと封印は出来るんだ。他者の悲鳴と呻きが聞きたくないのなら一人で引っ込んでろ! 今を生きる者の邪魔をするな!」
「それではこの世から嘆きが止まることはない! 誰かが救わねばならんのだ!」
「だからって…………アンタは不滅なんだろ、永遠に生きるんだろ。だったらなんで敗者の痛みと嘆きを代弁して叫ばない!」
「何を!?」
その指摘に造物主の動きが僅かに鈍ったところで、ネスカの攻撃が更に苛烈さを増して襲いかかる。一瞬で差を引き離されそうになり、しかし造物主は逆転し返すべく拳を振るう。
「勝者に声高に叫べよ。お前達が倒した相手の想いを知れって。何も知らない奴らに教えてやれよ、ひっそりと忘れ去られようとしている敗者の気持ちを」
「がぁっ!?」
「声高に叫べば共感してくれる者が必ず現れる。一人で小さな世界に閉じ籠ることもないだろうが!」
ネスカは一撃を躱し様に、風の塊を幾つか放出して造物主を背後から吹き飛ばした。凄まじい衝撃が背中に走り、造物主が成す術もなく弾き飛ばされる。飛ばされた造物主が、直径五十メートルほどの浮遊岩に激突した。
「これ以上の苦しみを感じたくないって言ったな。だったら、世界を喜びで満たせ!」
偶然ではない。流動する周辺の状況を読み、衝突させる腹積もりで風の塊を見舞ったのであろうことは、間を置かず距離を詰めてきたネスカの挙動を見れば分かる。
衝突の影響で一時的に朦朧とした意識の端に閃く剣呑な気配を捉え、半ば無意識に全身に力を込めて埋まった岩石から光を溢れさせた。造物主が岩石を爆砕させて、吹き上がった砂塵が爆発的に広がる。
「叫んだとも、共感する者は現れたこともあった。だが、それだけだ。永続することはなく、死と共に終わる」
破片が迫ってくるのを見たネスカは少しの機動で回避した。気配を察するのには長けていないのか、造物主はネスカを見失ったのだろう。砂塵の中をすかさず転身したネスカが素早く離脱したことを分かっていない挙動をしている。造物主の隙を逃さず、瞬時にその背後を取る。
「一時だけ苦しみを和らげたところで世界に何ら影響を及ぼさん。それよりも世界を造り替えて悲劇を止める方が先決だ!」
背中を見せる造物主に蹴りを叩き込んだが、体の超反応によって防御される。
攻撃を受けた防御した手の痛みを堪えながら、攻撃を放った直後で直ぐの追撃を選択しなかったネスカを目にした造物主の手が閃光で光る。
「私は、既に歴史の闇に消えていくしかない嘆く弱者達をこそ救いたいのだ! でなければ彼らは何時まで経っても救われない!」
姿勢制御を放棄して攻撃を受けたままの慣性で跳びながら両腕を胸の前で抱え込むと、空気の引き裂ける音を立てながら驚くべき密度と圧力を持つ力の炎球の塊が出来上がっていく。
炎球が出来てからも、造物主は力を籠めるのを止めずに新たな変化を加えていく。すると、今度は球体を覆うように雷の迸りが生まれ、それが腕の間で増幅しあって威力を高めている。
炎球を中心にして遠くからでも間近で稲妻が落ちたかのような閃光が輝いていた。
どんどん大きさを増していく炎球から迸る雷によって周囲が圧力でビリビリと震える。空気を普通に感じ取る能力があれば、それがどれだけの威力を持つか、見ただけでハッキリと分かる。それほどの魔法だった。
ただでさえ、脅威の威力を発揮しそうな炎球が更なる増大を見せた。最初の五倍近くの大きさになった炎球をネスカに向ける。
「術式統合、雷神槍・巨神ころし!」
造物主が力を溜め続けている間に迎撃の手を整えていたネスカは左半身を後ろにした半身になりながら、掲げた左手の上に巨大な雷槍を作り上げている。
雷神槍を収束させたネスカに向かって、人の姿など簡単に飲み込む炎雷球を撃ち放った。
上位古代語魔法を遥かに超える炎雷球が彼我の中間地点を越えてようやくネスカは雷神槍を放つ体勢を整えた。出来上がった雷槍は腕の中で圧倒的な力を内包し、まさに稲妻のように閃光を発し続けていた。
「食らえ!」
威力を充分に溜めたその魔法名の通り、雷神が放ったかのような槍の一撃が解き放たれた。音速の二倍の速度で加速された雷神槍が空気摩擦で加熱する。
遅れて放たれたはずの雷神槍が炎雷球を強襲する。
「解放、千雷招来!」
両者の技が激突した瞬間に雷神槍に込められた千の雷が解放される。膨大な量の空気が一点に吸い込まれていくような音が風に流れ―――――次の瞬間に天まで吹き飛ばしそうなほどの衝撃波を発した。
最早、竜巻と呼ぶほうが相応しい空気の激流が、二人の技の激突地点から渦を巻いた。
「「!」」
互いの魔法が荒れ狂う。衝突した周囲数㎞が爆炎に覆われ、爆風に押されるように更に距離が空く。相殺した爆発だけで周囲の物を根こそぎ吹き飛ばし、空間に悲鳴を上げさせながら煙を割って二つの影が飛び出した。
「完全なる世界に囚われようとも、何時かは楽園から出ようとする者が必ず現れる」
海に出て上空から光を撃って来る造物主に魔法の射手を撃ちながらネスカが断言する。
「人は強欲なんだよ。もっと、もっとって先を望む」
「その欲深さこそが世界を破綻させる!」
「人の業だよ!」
刹那の攻防を続けながら互いに攻撃・防御・高速機動を繰り返し、どんどん墓守り人の宮殿から離れていく。
「世の中には完璧なんてものはない。こんな簡単なことにも気づかないなんて、アンタは死人に引っ張られ過ぎてるんだ!」
「今更!」
振り下ろされた風の斧をネスカは躱せず、海に叩きつけられてその凄まじい威力は海底まで水面を鋭い切り口で切り裂く。
「言ったはずだ! 私は敗北者たちの代弁者だと! 完全なる世界は完璧なのだ。楽園から出ようとする者などありえない!」
「疑似とはいえ、俺は抜け出したぞ」
「偽物は偽物に過ぎん。本物の完全なる世界から抜け出してから言うのだな!」
海底で立ち上がったネスカに向けて割られた両脇の水面から槍が突き出す。それを叩き折り、折れたところを踏んで足場にしながら離脱する。その直後、割られた海面が元に戻る。
「現実も夢も同じ儚い物でしかない。同じならば幸福な世界を人は望む!」
「地獄のような世界で生きていたって、それが何だって言うんだ? 例えどれだけ現実が辛くて自分が弱かったとしても、この世界に生きている人達が全力で生きていくことには変わりはない!」
「黙れ! 何も知らないくせに、世界の真理も、絶望も知らない無知な子供如きに何が分かって………」
「何も知らなければここにいるわけがない!」
白い雷を雨霰のように撃って、造物主を後退させながら叫ぶ。
「貴様はよほど楽な人生を生きてきたと思える。知っているか? 幸せとは、絶望を知らないこと。無知は人にとって救いなのだ」
魔法の射手を拳に収束させて撃ちかかって来たネスカの攻撃を捌きながら、ひどく空虚な穴が造物主の胸にポッカリと開いたようだった。それでいて、ジワジワとしたその穴を埋めるにあまりある何か熱い物が込み上げてくるようであった。
類い稀なる存在感が目の前の男にはあった。人を惹きつける資質。カリスマといっていい。選ばれた者だけに許される圧倒的な存在感。ネスカにはそうした陽のカリスマが備わっていた。
死線を踏んでなお猛々しく嗤い、ますます優美に舞い踊る。たった一つ対処を間違えれば、忽ち黄泉路を辿るというのに、身のこなしに曇り一つとてない。
正しく、英雄。
ネスカと違って他の人々は愚かしく弱い人間なのだ。そう、人の心は弱いものだ。何時も迷い、小さなことでも激しく揺れ動き、簡単な誘惑で負に屈する。時に過ちを犯すこともある。
弱い弱い人間なのだから、楽な方に流れても責めるべきではない。正しいことは痛いもので、間違いや怠惰の方がずっと楽で気持ちがいいのだから。
「絶望なら知っているさ。それも特大のな。でも、何時までも絶望に浸っているほど、俺はセンチメンタルな男じゃないんでね!」
造物主は声を張り上げる度に音がなくなる息継ぎの瞬間を恐れるように手に沿うように断罪の剣を作り上げる。
「ほざけ! 貴様らのような英雄が根拠のない希望を振りかざし、大衆を煽り続けて来た。結局は何も変わらないまま、今に至っていることを知れ!」
先を進むネスカに向けて、断罪の剣を一瞬にして伸長して斬りかかる。
「変わり続けてるさ! アンタがそれを認めようとしないだけだ!」
ジグザクに飛びながら躱すネスカの言い様を造物主は受け入れられない。
「英雄が言うことなど信じれるものか!」
「英雄だって同じ人間だ! 俺はどこもみんなと変わらない、人と世界の軋轢の中で生きるちっぽけな人間だ!」
毛穴にまで染み込んでくる冷たい声を押し返し、叫ぶと同時に急停止して迫る造物主に膝を叩き込む。「ぐあっ」と苦痛を押し殺せぬ声を漏らす造物主に更にアッパーで顎を跳ね上げる。
更に肘撃ちを打ち込んで離れたところに、スピードをそのまま乗せたドロップキックで突っ込んだネスカは、蹴り飛ばした造物主の後方に一瞬で移動し、背中の方から蹴り飛ばした。
「がぁっ」
造物主の苦痛の呻きが空に響き、一転して造物主の体が蹴り飛ばされて回転しながら飛んでいく。
海を越えて龍山山脈にまで蹴り飛ばされた造物主はグルグルと回る体を正すことも出来ないまま背中から激突し、まるで磔にされたようなポーズで山に深々とめり込んだ。見た感じでは埋まっていてその姿が見えない。
「これで決める!」
身動きの取れない造物主に向かって、数少ない好機と見たネスカは全力の雷の暴風を放つ。
「―――――ぉぉおおおおおおおっ!!」
迫る雷の暴風が着弾する寸前、遮る声音が山の向こうから発して光が溢れた。攻撃動作を隠したまま岩塊ごと吹き飛ばすつもりだと理解するのに、コンマ一秒分だけ対処の挙動を鈍らせた。
高速で山から抜け出した光の弾丸がアスカを強かに打ち据える。
光の弾丸と化した造物主は吹き飛んだアスカの足を掴んでお返しとばかりに山に投げつけて叩きつけ、再び断罪の剣を作り上げて振り被った。
「ぜあっ」
百メートル近い断罪の剣によって数十回切り払われた山がボロボロになる中で雷が迸る。
「雷の斧、千の雷、術式統合」
切り払らわれた山の欠片が舞う中で、雷の斧と千の雷を合成したネスカが鮮烈に笑う。
「雷神槌、
直後、山が消失した。
雷神槌が放たれた余波で山を消し飛ばし、辛うじて防御が間に合った造物主を上空高くへと吹き飛ばす。その間に大魔法の連発で魔力の残量が危なくなってきたネスカは千の雷を唱える。
「
放つのではなく球状に留め、握り潰して内包されていた魔力を太陽道で取り込む。
村の石化を解除する為に必要な魔力を得る為に行った闇の魔法の応用。千の雷に使った魔力以上のエネルギーがネスカの中に生まれた。当然、負担は大きく、魔力を受け止めたネスカの背が激しく震えだす。苦痛を物語るように全身から一斉に汗が噴出する。
「狂人か」
「必要なことをしているだけだ」
体勢を立て直し、大きく肩を揺らして遥か下にいるネスカを睨み付けた。
つん、と鼻の奥に痛みが走り、続きの声が喉に詰まった。ヌルリと生暖かい感触が鼻に拡がり、漏れ出した血が目前に散るのを見たネスカは手の甲で拭って散らす傍ら、上空の造物主に向かって牽制の魔法の射手を撃つ。
「明らかに動きが鈍いぞ。意志ばかりが先走って、身体がついてこられなくなっている」
「はっ、良いハンデだ! こんなことで負ける物かよ……!」
弾幕を突破してきた造物主に向けて、手に生み出した雷の槍を身の丈を遥かに超えて伸ばす。大出力の雷を収束させた槍が、近くを飛んでいた飛行岩を蹴って回避行動をした造物主を掠める。雷の投擲は流れていく飛行岩を貫き、瞬時に灼熱させた。
バチバチと溶けた礫を爆ぜさせ、直径十メートルはあろう岩塊が粉微塵に破砕する。飛散した破片が体を打ち据え、ネスカの背中に回り込もうとした造物主の挙動を一拍遅らせる。
「人は分かり合える。そういう可能性が人にはあるんだって分からないのか!」
岩塊を打ち砕いたアスカがすかさず手に魔法の射手込めて振りかぶり、自らも岩塊の群れにいる造物主に突っ込む。
「その可能性が人を殺す。何時だって貴様たち英雄は無責任に可能性だけをばら撒く。誰もが様々な道を選び、他者の可能性を認められず否定する。だからこそ、私は未来を一本道に定めた」
明日、未来という不可知な情景であるが故に、刻々と形を変えていくら求めても決して追いつくことはない。
「それでも…………それでも明日が欲しいんだ! 誰も見たことのない明日へ!」
この肉と心には、弱きも、脆さも備わっている。傷を受ければ赤い血が流れ、苦難にぶつかっては迷い、恐怖に出会えば恐れもする。決して不磨の肉体と精神を持つ超人ではない。不動の心を持つ、悟りを開いた超越者でもない。なれど、意思があるかこそ戦う意味があり、生きる理由がある。
「若いというのは滑稽なものだ。貴様の願いが遂げられることはない!」
上身を一杯に反らせたネスカを掠め、造物主の膝が虚空を切る。そのまま後方に一回転した勢いを借り、ネスカは造物主の腹部に倒れざまの蹴りを打ち込んだ。
「はっ、若さは若者の特権だ! 世界に倦んだ老人の絶望を押し付けてもらっては困る!」
下から上へと流れた踵が腹部にめり込み、蹴り飛ばされた造物主がよろめく。「くっ……!」と呻くや、その右腕が閃き、ネスカの頬を深々と抉った。
「貴様の根拠なき希望を認めるわけにはいかんな!」
人は変わらず、学ぼうとしない。闇から生まれて闇に帰る一瞬の光にすぎない。人や世界に過分な期待をするのは間違いだと、造物主は2600年の絶望の果てに気づかされた。いまここにいる造物主は人と世界の真実に触れた者の末路に他ならない。
他者より強く、他者より先へ、他者より上へ。競い、妬み、憎んで、その身を喰い合う。
命を守るために命を散らす矛盾。些細な違いに拘り、共に歩むことは出来ぬとその未来を切り捨て、相手の明日を潰すことで自らの明日を確保しようと望む。だが、彼らの間にどれほどの差異があろう。泣き笑い、憎み殺し合う。その行動に何の違いもないというのに。
まさしく造物主の存在こそが、魔法世界が自ら育てた闇。
「善に導けるのが人の心だろ!」
捻れた首を引き戻しつつ、造物主の言葉に拳で応じる。
造物主の背後から放たれた大出力の光がネスカの体を掠める。
「俺は、お前に負けはしない!」
未来は今を生きている者が作るべきだ。大昔の錆び果てた想いの塊などに負けられない。ネスカの当たり前で甘い、だからこそ尽きぬ思いは決してそんなものに呑み込まれて果てたりはしない。
「その程度の執念で私を倒そうなどと、笑止!」
叫びと同時に二人が拳を放った。
互いの腕に衝撃が伝わり、それぞれの耳に高い音が遅れて届いた。ネスカが音速を超えて拳を振るい、造物主はそれを上回る疾さで防いだ。ネスカが腕を振り上げたコンマ数秒後には造物主が受けている。
近くに誰かいれば無音の激突の後に
拮抗する膨大なエネルギーが両雄の間で集約し、行き場を失って爆砕した。爆発の煽りを弾け跳び、すぐさま相手に向かって突進する。
間違いなく史上最強の造物主とそれに比肩しているネスカ。頂点を極めし二人は、有為転変の魔法世界の歴史にあって、これほどまでに傑出した使い手が同じ地を踏むことなど未だ嘗てなかった。
その極点の両雄が一瞬の気の緩みも許されない、互いの全知全能をかけた戦いを繰り広げていた。
戦いは何時果てるともなく続いていく。傍目には二つの光点が重なり、離れ、そしてまた重なるようにしか見えない。牽制ですら岩を砕き、鉄を貫き、空間を打ち据える威力と重さを有した一撃必殺の連続。攻撃をまともに喰らえば致命は必死。
二人の戦いは何時終わるともなく続いていた。
墓守り人の宮殿近辺の戦争とでも呼ぶべき争いが繰り広げられている空域から十数キロ離れた、比較的安全な場所からヘラス帝国第三皇女から借り受けた飛行船が停留していた。
戦いに赴く意思はあったがネスカによって戦力外通告をされた長谷川千雨といった非戦闘員と、彼女達の護衛として残った春日美空、高音・D・グッドマン、佐倉愛衣、ココネ・ファティマ・ロザの合わせて四人の姿が艦橋にあった。
「どうなるんでしょうね、これから」
そう不安げな声で言ったのは、高音の斜め後ろに立っている愛衣。周りのみんなも同じ気持ちなのか、全員の表情に不安の色が浮かんでいた。
「分かんねぇよ。私達に出来ることっていったら精々祈ることぐらいだろ」
睨むような目つきを遥か彼方の空域に向けて、普段している伊達眼鏡を外している千雨が言った。
女達の視線の先には、今も激闘が続く墓守り人の宮殿がある。遥か離れた空域にいる飛行船の下にまでびょうびょうと吹きすさぶ風、立ち込める黒煙を千切っ溶かしてゆく。
「それはそうですが……」
高音など一心不乱に胸の前で手を組んで目を閉じてアスカの無事を祈っている。その姿を斜め後ろから見ながら愛衣は視線を前に向ける。
出来るのは無事を祈ることだけ。祈ってみんなの無事が確約されるなら、いくらだって祈る。けれど、そんなことはありえない。祈りなんて所詮は気休めだ。それでも、確かに今の自分達達に出来ることといったら、祈ることぐらいしかなかった。
「みなさん戦ってるんですよね。もう何時間経ったんでしょうか」
永遠とも思える時間の中で思うのは、戦いに向かった皆は無事であろうかということ。
生きているということと無事であるということは必ずしもイコールではないのだ。信じたい。信じたいのに、恐怖が勝ってしまう。時間の流れが遅い。一分が一時間にも二時間にも感じる。ただ待つことしか出来ない辛さを噛み締め、強い不安が胸を締め付けていた。
ある者は靡く髪を押さええながら墓守り人の宮殿を見つめ、誰もが口を開くこともなく、睨むような不安を込めた目つきで墓守り人の宮殿がある空域を見つめていた。
戦闘は数時間経過しても留まることを知らず、尚も激しさを増しているように感じる。特に遠目からでもはっきりと分かる白と黒の光が互いを打ち消し合うように衝突しているのを見ると、その思いが強くなる。
「何て異常な魔力、大気の乱れ方が尋常ではないわ。彼が負けたら、この世界は終わりね……」
流石に何時間も祈り続けていた高音が顔を上げて靡く髪を押さえながら、やはり険しい顔で前を見ながらどこか力のない声で言った。
一般人と大差ない少女達とは違って未だ未熟な身であれど魔法使いである高音には、全体的な闘いよりも白と黒が放つ尋常ではないエネルギーに慄いていた。
そんな高音を隣りから見上げて表情を曇らせた千雨は、きゅっと唇を噛み、胸の前で両手を組んで、祈るような眼差しを墓守り人の宮殿に向けた。
白と黒の光がぶつかり合った直後から、素人の千雨でも悪寒と吐き気を覚えていた。肌も粟立っている。
アスカは決して負けない、必ず生きて帰ってくると、みんなに言いたかった。しかし、激しく乱れた大気と、吹き荒れる風に漂う素人目でも分かる程に莫大なパワーが、千雨に言葉を呑み込ませた。
「ううっ……は、吐きそう……」
皆が墓守り人の宮殿の空域に目を向けている中、一人だけ座り込んでタラップに凭れかかって、がっくりと項垂れている人物がいた。春日美空である。
魔法使いならずとも、長時間これだけの濃厚な魔力に浸っていれば吐き気や眩暈に襲われるだろう。魔法使いであるがために魔力に敏感だが幼いココネにも技量である彼女は、一同の中で最も酷く力に当てられていた。
条件で言うならば、高音・D・グッドマン、佐倉愛衣、ココネ・ファティマ・ロザも同じだが、彼女だけが特に酷いのには理由があった。
高音と愛衣は単純に美空との魔法使いとしての単純なレベル差。親の意向で魔法を習っているのと、マイペースで面倒臭がり、いたずら好きな性格なので普段から真面目に修行に励んでいるココネにも魔法使いとしてのレベルは劣る。ようは、このメンバーの魔法使いとしての括りの中では一番レベルが低いために影響を諸に受けているのだ。
ココネに背中を摩ってもらいながら、美空は視線だけを動かした。
「うええっ」
一際激しい光の衝突と共に訪れた波動に、吐き気が込み上げてきて美空は半泣きになった。
「美空、大丈夫?」
他の誰もが一心不乱に墓守り人の宮殿を見つめる中、彼女の主であるココネだけが常と変わらぬボソボソとした口調のようで心配を込めた顔で声をかける。
「本当、もう勘弁してほしい感じだよ」
廃都オスティアを包み込む積層魔法障壁を取り込んで脈動する度に毛細血管のような光の筋がオーロラのような被膜を走らせ、じらじらと拡散する細かな光の粒を散らす。
頭上を見上げれば光のベールが空を閉ざし、オーロラの如くたゆたう光景を見た。胸がざわめき、光の脈動に引き摺られた鼓動が早鐘を打つ。
遠く離れた距離を隔てて瞬く爆光は、色の薄いイルミネーションに似ていた。星よりも鋭く冷たい光が現れては消える。細い糸のような光芒が時折走り、光輪の中に鮮烈な光を刻み付ける。
あの光の中にアスカ達がいる。敵が放出する憎悪に呑み込まれまいと、必死に踏み止まろうとする彼の鼓動が何故か感じ取れる。言葉とは裏腹に勝利を祈っているが、早く終わってほしいと思っている。
(本当に頑張ってね、アスカ君! 主に私とココネの為に!)
戦力扱いされなくて良かったと思いながら他力本願なことを考えていた。
「あ……」
不意に千雨は止めどない悪寒を覚えた。
突然の眩暈。思わずしゃがみ込み、沸き起こった不吉な思いを振り払うように首を振った。無駄だった。予感は尚一層増大し、心中で幾重にも重なり不気味な渦を巻いた。
恐怖、戦慄、驚愕。そんな言葉では言い尽くせない感覚に、千雨はただ身震いするだけだった。
「大丈夫ですか、長谷川さん」
微かに揺らいだ千雨の身体を、愛衣が慌てて全身で支えた。
「いい、平気だから」
千雨は支える愛衣の手を申し訳なく思いながら軽く払い、青褪めた顔で無理に笑顔を作った。それが彼女を一層痛々しく見せる。
「平気なものですか、唇まで真っ青ですよ!」
「無我夢中で戦い続けているアスカ達はもっと辛いはずだ。私だけが休むなんて出来ない」
顔色は青色のままだ。だがその瞳は、生気と決意の色で満ちている。流石に全てを見届けようとする悲壮な決意で立ち続けている千雨を見ては愛衣も心配げに見る高音も、それ以上は言えなかった。
「何があっても最後まで見届けるって誓ったんだ」
しかし、時が経るにつれて逃げ出したい衝動に駆られる。怖いのだ。戦いの結末は常に勝つか負けるか、生きるか死ぬか、ただそれだけだ。中庸はない。
誰かが死ぬかもしれない。そう思うと、身体が凍りつきそうになる。だが、それでも自分は見届けねばならない。クラスメイト達のように戦うことも出来ない、のどかのようにネギを一心に思って傍にいることも出来ない。何の役割も持たない自分は見届けることが使命であると考えた。
アスカ達に付いて行っても自分に出来ることは何もない。それが納得出来ないほど、千雨は物わかりが悪くなかった。自分が足手纏いになるのだけは堪えられなかった。だからこうして、みんなを待ち続けている。
「アスカ……」
千雨は心から零れ落ちるように名前を呟くと、不安を遠ざけるように自分の体を抱きしめる。
「勝っても負けても、どっちでもいい」
千雨は今にも消えそうな弱々しい声で祈った、祈るしかなかった。
「みんな無事に帰ってきてくれ」
それは彼女のたった一つの願いである。
最良の結果を信じたかった。必ず叶う。そう願わなければ、起きるものも起きないのだから。
遥かな果てで黒と白の光の波動が煌めき、ぶつかり合い、光の膜を脈動させている。それがここら一帯の空間全体を鳴動させ、小さき人の身を押し潰しそうな力を発生させる。
治療のために巻いた包帯に内側から赤いものを滲ませるという凄惨な状況も気に留めず、皆は墓守り人の宮殿から離れた空で繰り広げられる戦いを呆然と眺めていた。
同じ人間であるにも拘わらず、圧倒的な運動量と衝撃波によって荒れ狂う力の渦すら薙ぎ払って激闘を繰り広げる怪物達。戦いの規模が違う二人の激闘を茫然と眺めることしか出来なかった。
爆音、爆風、衝撃波は余波だけで凄まじく、伝わってくる衝撃と振動から考えて墓守り人の宮殿が壊れないのが奇跡だと思えるぐらいだった。
ただでさえ世界最高峰の桁が外れた強さのエヴァンジェリン達でさえ、軽々と凌駕して粉々に砕くほどの力を持った者同士の戦闘だ。
雄叫びが響き、拳と拳がぶつかる激突音が炸裂し、爆風が空気中の粉塵を吹き消して飛行機雲のような残像を生む。攻撃の合間合間に複数の閃光が瞬き、その内の一つでも浴びれば彼らでは耐えられない力が次々と迎撃されていく。
離れた所から見ると、それは銀河と銀河のぶつかり合いにも見えた。激突と共に複数の星が爆発し、空間が撓み、暗黒に呑み込まれ、その闇すら振り払うように新たな光が生み出される。ならば仮初の銀河の中心に立つあの二人は何を示すのか。
あの内の片方は彼らの良く知る人間である。
木乃香たち女生徒たちには、自分たちの担任補佐やクラスメイト。
高畑には憧れた人の息子であり、守るべき対象であった子供だった人。
クルトには恋焦がれ、求め続けたあの人にどこか似ている人。
その彼らが今、たった一人で戦っている。
「…………、」
ガシャン、という音が聞こえた。戦いを眺めていた古菲の手から、彼女のアーティファクトである神珍鉄自在棍が滑り落ちた音だった。力を得る為に木乃香と仮契約してこの戦いにおいても存分に力を発揮したアーティファクトが、まるで路傍の石のように、ただ転がっていた。
古菲だけではない。他にも何人かが武器を落とすほどではないが同じような表情を浮かべていた。それは、ただ圧倒的な無気力感。
自分は一体何をやっていたんだろう、と古菲は思っていた。
この戦いの前に申し出て戦いに赴くことを認められた。自分を認めてくれたようで嬉しかった。実際、戦いにおいて多少なりとも役には立ったという自負はある。しかし、今は誰にも到達できないような高みで戦いを繰り広げるネスカを見れば、そんな必要があったのかと思わざるをえない。
最初から自分たちは当てにされていなかったのか、自分たちがいなかった方が上手くいったのではないか、と邪推してしまう。
ネスカが自分たちに助けを乞うたか、無駄なことをしたのではないだろうか。
超人とは孤独である。だから、誰も理解出来ない。しかし、一人だからこそ超人は思うがままに行ける。超人にとって、自分以外の者達は重石でしかない。その事実が彼らにとっては痛みを与えるものでしかなかった。
全然、本気で見てもらえていなかった。どこまでいっても、頼りにされていなかった。
その厳然とした事実に叩き潰されそうになりながらも、そして同時に、アスカ・スプリングフィールドが見せた優しさに対して、そんなことしか考えられない自分の矮小さに、特に最初から戦いに参加していた古菲が特に打ちのめされる事になる。
途中で参戦したエヴァンジェリン達はそこまで悲観的になる者はいない。だが、一人で戦わせることに対する己の力が足りない無力感を感じていた。
とても割り込むことの出来ない圧倒的な戦闘を眺めているだけで、凄まじい無気力感が傷ついた体に残った僅かな体力や気力を削ぎ落としていく。あまりにも圧倒的な力は、直接的にぶつからずとも、ただ見ているだけで人の心を抉り取っていた。
足掻こうと思うことが間違い。あまりの戦い、壮絶な光景は現実で動いて未来を変えるその歯車さえ取り外してしまう。
「あれはもう神魔の戦いなのか?」
高畑の目には遠い空で絡み合うように舞い、空を圧しながらぶつかり合う巨大な黒と白の光を瞳に映していた。初めは小さな瞬きに過ぎなかった白と黒の輝きはぶつかるごとに強さと長さを増していった。今や魔法世界の空は、巨大な光に縦横無尽に切り裂かれている。
それは神々の戦いと呼びたくなるほど、神話的な情景だった。
気流とは無縁に滞留し、互いに鬩ぎあって明滅する光の波動。クルトは肌を粟立たせながら、世界そのものを振動させる光が個人の力で成されているのだから悪夢の中の光景を見た。
人にこれほどのことが可能なのかと、畏れに打たれた。
オーロラともつかない光は高速移動を繰り返す二人を中心に膨れ上がり、戦いのフィールドを形成するように数十キロメートルもの範囲をすっぽりと包み込んでゆくようだった。
小型の太陽にも匹敵する光が四方に拡散し、それは意思あるものように二人以外の全てを押しひげ、戦域外に押し出した。
「きゃっ……!」
出し抜けに発した熱風と轟音に背中を叩かれ、隣にいた木乃香が耳を抑えて体を強張らせた。どうにか顔を上げた木乃香の目には、数十メートル先まで接近したネスカの姿が映り、その全身から噴き出した白い光が焼きついた。
「ぉぉおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」
ネスカの体からまるで命の輝きのような燐光が湧き出し、四方に撒き散らされる光景を目の当りにした。
僅か数秒だけ静止して乱れた息を繰り返したネスカが嘗てないほどに厳しい顔をして舞い戻っていく。ネスカから発せられた熱波から思わず目を閉じた。そして再び瞼を上げた時、ネスカの姿を確認できなくなり、遥か遠くの空域で造物主と交わっている。
高速で移動しつつ攻撃を繰り返して残光を引いて跳んで行く。
直後、軍用機が間近を通り過ぎたような爆音が炸裂した。砲撃音にも似た大音響の正体は、音速を超えたことによる遅れて来た衝撃波だ。
援護をする間もなく―――――いや、その発想を持つ間すらも与えずに、ほとんど一体となった二つの光点が衝突を繰り返す。花火のように空を抉り瞬く光。 星のように天を切り裂き流れる光。 鼓膜を襲う轟音の波は、瞬くたびに世界を揺るがせる。
変幻する光の膜が周囲を押し包む一方、膜の中間点で激突する両者の息吹が肌身に伝わり、木乃香は息を詰めて弾かれ合う廃都オスティアを包んでいた積層魔法障壁を取り込んだ力場から発生した燐光を凝視した。
二人を包み込んでいるらしい光の帯は、ここからは揺らめく光の繭に見える。
目の前でたゆたっていても現実感がなかったが、時折爆ぜる光と爆音が現実を否応なく認識させた。その一撃一撃に籠もる力に空気が脅えるように震え、大気が慄くように鳴動する。
人の命を吸い、喰らい、奪う、魔性の光を発生させている。あの光の芯から発する感情は、それほどに激しい。かなりの距離があるのに、ぶつかり合う二人の力がビリビリと肌を痺れさせる。
「どのみち、我々の力では造物主には届かない。樹霊結界と概念結界が重ね掛けされている明日菜さんを救い出すことが出来ない以上、彼に任せて………せいぜい巻き込まれて死なないように気をつけましょう」
アルビレオの言葉を、誰もが締め付けられるような無力感の中で受け入れるしかなかった。
儀式の鍵となる黄昏の姫巫女である明日菜は二重の結界によって祭壇に閉じ込められている。外部からの結界の突破が不可能とあっては超常の戦いを見守ることしか出来ることがない。
その力は神罰と呼ぶに相応しい圧倒的な破壊力であり、エヴァンジェリンら世界最高クラスの者でさえひれ伏さずにはいられない存在感を誇示していた。
人を超えるとは、人であることを捨てることなのか。戦おうと思うことすら許さない絶対的な強さを前に彼らの心は折れかけていた。
「違う」
一時、唖然としていた木乃香がアルビレオの言葉に反発するようにぶんぶんと頭を振った。
「戦えなくたってうちらには出来る事があるはずや」
何が出来ても、出来なくても、自分の力を誰かの為に使って上げようとする人間は足手纏いなんかではないと、木乃香は思う。その人は誰かの役には必ず立っているのだから。
「…………コノカ」
古菲の苦し気な言葉にも木乃香の口は止まらない。
「うちには回復以外に出来る事がなかったんや。今更、闘えんことで全部任せることは出来ん」
深く深く息を吸って肺に酸素を溜める。
「二人とも頑張れっ!!」
あの領域の闘いには自分では力及ばず、どうすることもできないけれど、この喉が張り裂けても構わない。この声が、声援が、少しでもネスカの背中を押す『力』になるのならと木乃香は一人で叫び続けた。
人など容易く消滅させる光が飛び交う空に、星の光は絶えていた。神でもなければ悪魔でもない光の持ち主達の、互いの色は違っても闘い続ける二つの意志だけが満ちていた。
儀式発動まで残り四十五分九秒。
次回『この醜くも美しい世界で』