魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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――――走れ、行けるところまで






第94話 希望を胸に

 

 

 

 戦端が開かれてどれだけの時が経ったか。

 後方に位置する巡洋艦マルベールには最前線にも勝るとは劣らぬほどの喧騒が満ちていた。汗と血や多種多様な匂いが混ざり合っていた。だが、多くの者達に不快感はない。むしろ安心感に満ちていた。戦う者達が集う場所は、同じく戦いから一時身を休めた者達を優しく迎え入れる。ここもそうだった。

 巡洋艦マルベールの役割は、帰る母艦を失った戦士達を癒す一時の仮宿。戦えない程の重症を負った怪我人は医務室に運ばれるが、疲労や治療すれば再度の出撃が可能な者も多い。

 しかし、その中でオルドはガタガタと震えている自分に気付いた。そんな彼に、直属の上官であるラークウッドが近づいてきた。

 

「先輩」

 

 所々が砕けて焼け落ちてボロボロになった戦闘服を着ているラークウッドは、筋肉がミッシリと詰まった短躯のタフそうな男だった。頬や眉間に大きな傷の跡があり、一見だけすれば裏社会に住んでいる住人と間違われても仕方のない顔だった。しかし、その内面は見た目とは真逆の性格であり、彼を知る者であれば誰もが軍人になるべくして生まれたとすら言われるほど実直な男であった。

 

「さぁ、行くぞオルド」 

 

 こんな局面においても、ラークウッドの顔に恐怖はない。

 巡洋艦マルベールは最前線からは離れている。この艦に乗員以外で乗っている者らは何らかの負傷を負ってここまで後退して来たのだ。だが、何時戦線がこちらに移動してくるか分からない。

 

「………………どうしてですか。どうして先輩は戦えるんですか」

 

 喉が詰まりそうな恐怖に駆られて座り込んだまま言った。体の震えが止まらない。腹の底で脈打っていた衝動が萎え、外に出るぐらいなら永久にここから出なくてもいいと益体のない考えが這い上がって来る。

 今、こうして最前線から下がった艦で治療を受けていると、考える時間あるから戦っていた時よりも戦うことが恐ろしく感じられた。

 体を休めようとしても戦いの緊張感から逃れることが出来ない。常に死と隣りあわせだったということがとても信じられない。そして、心底戦いが恐ろしいと感じるのだ。死にたくない、という単純で力強い感情が錯綜していた。

 

「二十年前と同じように英雄様がいるんだ。僕達がそこまでする必要はないでしょう!! 」

 

 簡単に飛び込める闘いではなかった。また飛び出して行って一瞬で絶命することも十分あるだろう。自分が足を引っ張った結果、ラークウッドの方が倒されてしまうかもしれない。それが勝敗を左右することにもつながりかねない。

 そういう風に考えていくと、オルドには立ち尽くして新たに現れた英雄に縋って脅えることしかできなかった。自分達は一兵士に過ぎない。英雄がいるなら出番なんてある訳がない。

 叫んだ途端に耳が痛くなるほどの静寂が訪れ、空気が変わったという実感が立ち上がったが、目を開けて確かめる勇気は持てなかった。

 

「そうだよな。俺達がいくら戦って何の意味はないわな」

 

 同調する誰かの呟きに、ようやく閉じていた目を開けて周りを見た。

 壁にグッタリと凭れ、医療班の女性スタッフに支えられている者もいた、血の滲んだ包帯を頭に巻いて、床に座り込んで虚ろな眼をしている者もいた。共通しているのは、まるで精気のない表情をしていること。恐らく耳元で名前を呼んでも聞こえるかどうか。

 視線をどこに移しても、飛び込んでくるのは負傷した兵士の傷つき倒れている姿ばかりだ。あまりの惨状にオルドは眉を潜めた。

 仕方がないじゃないか、と誰かが言った言葉に同意するような空気が立ち込める。

 

「なら、お前はここにいろ」

 

 体を強張らせるオルドの方へ、治療が終わって戦場に飛ぶために背中を見せていたラークウッドがゆっくりと振り返って言った。

 

「どうして、どうしてですか!? どうしてみんなそこまでして戦おうとするんですか…………僕は怖い。こんなところで何も残せないまま死ぬのが怖いんですよ!」

 

 人の心は、脆く儚い。どれだけ必死に否定をしても、その事実は変わりようがなかった。

 怖くないわけが無い。にも拘わらず、自ら進んで死地へと向かおうとするラークウッドにオルドは尋ねずにはいられなかった。

 

「俺だって怖いさ。出来る事なら危ない所になんか行きたくなんかない」

 

 そう言うラークウッドの体は戦うと決めながらも足だけではなく全身を震わせていた。

 なんせこの戦いにおいて自分達の役割は、英雄端で言うなら名前すらも出ない幾らでも替えの効く端役なのだから。戦う理由がなければ何時だって逃げ出したくなる。

 

「俺達は軍人だ。民間人を守るために戦うのに理屈などない――――――って、ナマンダル中将のように言えたらカッコイイんだがな。そんな分かり易くて都合の良い奴なんて殆どいない」

 

 苦笑いのような表情を浮かべ、全身を震わせるみっともない姿でありながらオルドの目にはラークウッドが誰よりも英雄のように見えた。

 髭に顔半分を覆われたラークウッドの顔には、長年の軍人生活を忍ばせる皺が何本も刻まれていたが、この時はその一本一本が子供に語りかける優しい表情を作っていた。

 

「俺が戦うのに大層な理由なんかないさ。世界を滅ぼされちまったら困るんだよ。折角、手塩にかけた娘が良い奴を見つけて一緒になろうっていうんだ。親なら子供が暮らす世界ぐらいは守らなくちゃなんないだろうが」

 

 人が立ち上がるのに必要な理由は、それほど特別ものではない。世界のためではなく戦う理由は至極単純な自分のためだった。

 

「それにな、英雄たって戦っているのは俺の年の半分にもならない子供だ。大の大人で軍人の俺がこんなところでのんびりしていられるか。俺にだって意地がある」

 

 他人の口から改めてその事実を突きつけられ、艦橋にいる全ての者達が黙った。本当は自分達が闘わなくてもいい理由を押し付けているだけだと分かっているから。

 軍人であっても命令だけでは命を賭けて戦えない。自分自身の意志がなくては、こんな過酷な戦場で戦い続けられるはずもない。

 理想を口にすることは誰にでも出来る。命じられるままに戦うことも。だが、二十年前の大分裂戦争も経験した長い軍人人生の中でラークウッドは知っている。自分の信念と理想の為に自分の意思で戦える者はそう多くはない。自分の中の弱い心を震わせて立ち上がるには人は弱すぎる。

 

「お前達にはあるか? どんな個人的な感情であっても構わない。どんなにちっぽけな理由でも良い。大それた理由とか責務の問題じゃねぇ、戦うための理由が」 

 

 立て続けに外で起こる轟音の所為で聞こえにくい質問に誰かが顔を上げた。直ぐに顔を上げなかった者も黙考し、そして一つの決断を下す。

 

「やれやれ、俺はここまで言われて黙っていられるほど男を止めちゃあいねぇ」

 

 オルドより少し年嵩の男が真っ先に立ち上がる。治療したばかりなのか、実直に生き過ぎた軍人の典型というべき風貌に巻いた包帯から血が滲んでいる。

 

「もう直ぐ退役なのに人使いの荒い奴らだ」

「ああ、過去の手柄話を孫達に語って聞かせようと思っておったんだがな」

 

 続けて髪の毛に白いものが混ざり出した退役間近の兵二人が続けて、よっこらせと年寄り振りをアピールとしながらゆっくりと立ち上がった。 

 

「思いっきり尾ひれを付けて自慢そうに話すつもりだろ爺さん達は」

 

 老兵二人の言葉に突っ込みを入れながら立ち上がった男は折れているのか右手を包帯で固定している。

 座して待っていても平和は訪れない。闘う理由はそれぞれの胸の中にある。自分が守りたいものを守るのに他人の手は借りれない。俯く必要はないと判断したから顔を上げた。或いは家族の為、命の為、信条の為、願いの為、と理由は違えども答えは決まっている。

 ラークウッドに呼応するように次々と男達が立ち上がる。顔に浮かぶのは戦場に臨む戦人の表情。我が身を死人と決し、死を決したからこそ如何なる敵をも恐れず、成すべきことを成し遂げる男の顔であった。オルドが何度か戦いの中で見た英雄の顔であった。

 けして、皆が幸せになれるわけではない。ただ、なるようにしかならなだろう。それでも、ただ一つの小さな奇跡にオルドは生気を取り戻した。

 

「僕にだって…………戦う理由があります!」

 

 傷ついている者もそうでない者も立ち上がった中で、一番最後にオルドも恐怖を振り払うように叫びながら立ち上がった。

 

「はは、とんだ馬鹿野郎どもだ」

 

 戦意を復活させた者達の先陣を切ってラークウッドが笑う。

 

「扇動したあんたも同類だよ」

「はっ、俺にそんな気はない」

 

 冗談を交し合って外で壮絶な戦闘を繰り広げているとは思えないほど和やかな空気が広がる。肉体は疲弊していても、精神は不思議な高揚感に満ちていた。そしてその感覚が、麻痺した四肢を突き動かしていた。

 

「さて、歯ぁ食い縛れよ、野郎ども!」

 

 ラークウッドは共に戦う仲間達を、喉が枯れるほど大きな声で鼓舞した。

 彼は、ただの人であり英雄や超人ではない。歴史のうねりを単身で止める力もない。ただし、命を掛札にして大勝負に参加できる権利だけは持っていた。

 

「一分一秒でも時間を稼げ! 未来を、世界を、俺達が守るんだ! その間にきっと英雄様が世界を救ってくれる! 英雄様が世界を救ってくれれば俺達の守りたいものが守られる!!」

 

 そうやって希望を信じる意志こそが、疲れた体を奮い立たせる。それだけは、確かだった。

 不可能と思えたことを可能とする力。しかしそれはなにも運命に選ばれた英雄のみに許されたものではない。自分を信じ、そして未来を切り開く意志さえあれば誰にだって困難に立ち向かい、何かを勝ち取ることは出来る。

 

「さあ、ちょっくら個人的事情の為に世界の危機とやらを防ぎに行こうぜ!」

 

 敵も味方も乾坤一擲。勝利の女神がどちらに微笑むかは、まだ分からない。それぞれが死ぬほど重いものを抱えて失わないように戦っている。ここにいるのは英雄端で名前も上がらないような端役達。だが、間違いなく誰かにとっての英雄達が様々な思いを抱き、再び戦場へと舞い戻る。その先にどんな結末が待っているのか、皆が不安を抱える戦場だ。それでも戦い抜いて、己の道を切り開かなければならない時代に彼らは生きていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻帆良学園都市。世界樹広場の一角に急遽建てられた仮設テントには多くの傷病人が運び込まれていた。学園祭や体育祭で使う仮設テントを有志達が組み立て、ベッドを持ち込んで緊急の医療テントの役割を果たしていた。

 各学校にある普段は生徒が怪我をしたり体調が悪い時に寝かされる保健室にあったものを運び込んだベッドに、今は怪我人達の体臭と血が染み込んでいく。そのベッドももう一杯になった。 

 仮設テントの救護所は場末の宿よりもなお暗く、急拵えで作り上げたので空気は澱んでいた。

 ベッドは傷の深い者から順に宛がわれた。重傷者の数に対して仮設テントに持ち込んだベッドだけでは足りず、学校の机を持ってきて並べ、シーツを敷いただけの簡易ベッドを作って対応している。安定はしなくても冷たい地べたに直に寝かせるよりはマシであった。

 

「誰か! どこの学校でもいいから保健室からありったけの薬と医薬品を取って来て!!」

 

 保険医か医者なのかの叫びがあちらこちらで連鎖し、元気な学生が取りあえず自分の学校に向かって走る。

 

治癒(クーラ)治癒(クーラ)治癒(クーラ)! 魔法薬を飲んでもういっちょ治癒(クーラ)!!」

 

 魔法使い達が治癒魔法を重傷者に片っ端からかけながら、魔法薬も飲んで顔色を劇的に変化させながら治療行為を続ける。

 

「あ」

 

 世界樹前広場が直上からの閃光で再度照らされ、誰かが声を上げた。

 膨大な魔力で魔法世界の墓守り人の宮殿と繋がっている麻帆良学園都市でもネスカと造物主の戦いは見えていた。

 

「天使と悪魔が戦ってるのかな」

 

 世界樹の直上に映る映像は城から光と闇の戦いへと移っていた。不安げに呟くまき絵に祐奈も何も言えない。

 神話のようだった。まるで何かの伝説のようだった。どちらが正しいかは分からないが、白と黒の色から天使と悪魔が戦っているように思えた。

 

「これは……世界の終わり……なの」

「なんなのよ、一体!」

 

 世界樹が光ったと思ったら変な映像が映り、突然現われた先程まで見たことも無い化け物やそれと戦う学園の先生や生徒達・学園祭の最後に出てきたイベントのロボット兵器群の姿。

 飛来する岩石や倒壊する建物。巻き込まれて怪我をする人々。叫び、喚き、恐慌を来たす都市。化け物達がいなくなったと思ったら空のことが気になってきた。見上げる先には、白い光と黒い闇が絡み、ぶつかり合っていた。

 訳が分からないことばかりだった。

 ふとすれば、全身の力が抜けて立ち上がれなくなりそうだった。そうならないのは互いを繋ぐ温もりのお陰。時折届く赤いサイレンの不吉な色と唸り声。異常を来たした世界を前にして自分はあまりにも無力だった

 それでも救護所には声無き悲鳴と活気が満ちていた。声を上げて嘆く者達。声すら上げられぬ者達。そして何かに突き動かされるようにして嘆き、或いは黙り込む人々の間を走り回る者達。

 軽症者は応急処置の後、テント外での待機を指示された。テントの外に地面に敷いた毛布の上に座り込む者の数も増える一方だ。

 

「まき絵、足は大丈夫?」

「ただ挫いただけだし。立たなかったら痛むこともないよ」

「裕也君の家族、見つかるといいね」

「うん」

 

 足を挫いたまき絵や瓦礫を除ける時に手の皮が擦り剥けたアキラの応急処置を受けた後、祐奈とまき絵の二人はテント外でぼんやりと座っていた。アキラと亜子は助けた少年の親を探しに行ってこの場にはいない。

 頭に包帯を巻いたり、添え木で固定している人や、地面に敷かれた毛布の上で辛そうに横になっている人といった、平和な日常の中では見るから重傷でも今は軽症の部類に入るのだ。同じようにテントの周りで屯する人の数が、そのままベッドの不足数を現している。

 

「魔法使いって本当にいたんだね。私、ビックリしちゃったよ」

「まあ、ね」

 

 天に映るこの世の者とは信じられない光景と、麻帆良学園都襲った異形の怪物達、それを撃退した知っている魔法先生と魔法生徒達を目の当りにした今、魔法という信じられないものの存在をどうして否定できようか。

 事態の急変に追いついていないまき絵の平坦な感想に、小さな頃の記憶が刺激された祐奈は少し言葉に困った。

 

「お蔭で誰も死んでないみたいだし、こんなことになっちゃてるけど運が良いのかな」

 

 麻帆良学園都市を突如襲った異形の化け物達を魔法先生、魔法生徒達が退治し終えたお陰で、増加する一方だった怪我人の数も減りはしなくても一時のピークは過ぎてきたように思える。

 こんな悲劇の中でも唯一の救いは重傷者は出ても死者が出ていないことだけだろう。それにしても幾つもの偶然の積み重ねと多くの人の願いが交差し合った奇跡のお陰か。

 

「みんなが頑張ってるのもあると思うよ」

 

 異形の化け物達の襲来に魔法の秘匿よりも人々の安全を思って逸早く行動した魔法先生や魔法生徒、果ては本人すらも意図せずに気の力を使える一般人の救援行動。超鈴音がこの日の為だけに用意していたロボット兵器軍を動員した葉加瀬。その全てを決断した学園長の判断を知ってか知らずか、祐奈は彼らを擁護するように言った。

 

「…………明日から学校やるのかな」

 

 聞かれても答えようもない祐奈はまき絵と身を寄せ合い、言葉もなく押し黙っていた。麻帆良中に充満する異常な空気、先程まであった暴力そのものといった音と光に感情を麻痺させられているかのようだった。

 これは一体何なのか、と誰とも目を合わせる気力もなく、祐奈は一人で内心に呟いてみる。少しまで誰もがさして代わり映えのしない日常の中にいたのに、たった数時間かそこらで覆されてしまう日常はなんなのか。日常という時間、厳然と周囲を取り囲んでいた壁のなんと脆いことか。

 

「………………」

 

 人の多さに見合わない静けさの中、互いの行方が分からなかった家族や友人との再会に声を殺して喜び合う者達。慌ただしく行き交う医師や看護師、杖を持った魔法使いらしき人。そしてまた一つ、新たな即席で作られた担架に乗せられた人が少女達の眼前を通って行く。

 全身にドロリと血糊をこびり付かせているのは微かに見覚えのあるスーツを着た男性だった。どこかの学校の教師なのだろう。意識無く横たわっていた。

 

「先生! しっかりして!」

 

 男性が教師と分かったのは、麻帆良女子中の制服を着た少女がそう言っていたからだ。庇って怪我をしたのか少女の表情の悲壮さは、一瞬で流れる出来事の数々に現実感を失いかけていて二人を現実に呼び戻した。

 今日だけでどれくらいの人がこんな気持ちを抱えているんだろうか。

 

「裕也君のお母さんは無事だったよ」

 

 アキラの声に、祐奈は顔を上げた。

 座っている祐奈と立っているアキラの対比で、背後に砕けた建物の塵芥と火の粉が入り混じって視界は暗く、空は得体のしれない闇のように見える。

 

「裕也君の家、パン屋さんで、これ貰ってきたんや。食べよ」

 

 アキラの一歩後ろに立っていた亜子が手にした紙袋から菓子パンを取り出し、祐奈に差し出した。

 

「ほら、チョコチップ。好きやったやろ」

「………………ありがと」

 

 食欲など欠片もないが元気づけようとしてくれる親友の好意に、小さく笑みを作って受け取った。処理能力が追い付いていないのだろう、隣のまき絵は何も返せず、ただ黙ってチョコチップを見ているだけだった。

 アキラは祐奈達の隣に、彼女達が来るよりも前からそこに座っている小学生ぐらいの男の子と女の子を見た。

 親が迎えに来るのを待っているのか、もしくはテントに入った重症の親の帰りを待っているのか、周りの状況が状況故に安易に聞くことは出来なかった。ただ、女の子の方は疲れ果てて男の子の肩に頭を凭れて寝ている。

 女の子を守るのは自分だと、男の子も自分が寝たいのを必死に我慢しているのが分かった。

 辛うじて聞けたのは、男の子がはる樹で女の子が雪という名前だけ。

 

「はる樹君食べる?」

 

 アキラは、自分のチョコチップをはる樹に差し出した。はる樹は「ありがとう」と微笑んで受け取り、半分に割って食べた。残りの半分を食べる気配がないので雪が起きたら上げるつもりなのだろう。

 亜子やまき絵、祐奈も自分の半分に割って周りの人達に分ける。

 四人で並んで腰を落ち着け、広場から辺りを見渡せば数時間前までは何時も通りだった日常の風景が見るも無残に破壊されている。特にこの世界樹前広場は攻防が激しかったらしく、通いなれた街路には瓦礫が散らばり、あちこちから黒煙が上がっている。

 

「一体、なにがあったんやろうか。テロって感じやなかったけど」

「怪物とか化け物を見たって人も多いよ」

 

 学校へ行って、帰って、安らかに寮の自室で眠れる日常は崩れ去った。何が切っ掛けだったのか、どうすれば元の平和が戻ってくるのか、祐奈には分からない。非日常に潰されないように多くの人達と同じように逃げ惑うだけだ。きゅっと口元を引き締めて歩く。級友や知り合い達の安否が気になったが、無事に避難しただろうと思うしかない。

 

「魔法使いとか、化け物とか…………意味わかんないよ」

 

 三人の中の誰が言ったのか、祐奈には判断がつかないが、それでも魔法のことを思い出した彼女に言える言葉はない。

 明日も明後日も変わらないと信じていた日常。それは、これほどまでにも脆いものだった。彼女達の人生において戦争やテロといった非日常は、どこか行ったこともない国で行われる何かであった。地球人口が60億を超えようかという時代だ。この日本と同じように戦争をしていない平和な国だけが彼女達の世界であり、その世界の外で人が死んだからといって気の毒なと考えるのみ。こうして自分達の世界が非日常に呑みこまれて、ようやく日常の在り難さを実感する。

 パトカーや救急車のサイレンが絶え間なく流れ、学生や有志によって救助活動が行われて彼方此方で声が飛び交っていた。病院の窓は昼のように輝き、夕方に訪れた異変に誰もが家の中でじっとはしていられなかった。

 家族の安否を気にして必死で連絡を取る者、怪我をした友人を気遣う者、傍にいる恋人を護ろうとする者、全ての者が共通して空に描かれた予言に記された黙示録の如き光景を見上げた。 

 

「あれ、アンタ達。こんなところに座り込んでどうしたの?」

 

 かけられた聞き覚えのある声に辛い現実を直視したくなくて地面を見ていた四人は一斉に俯けていた顔を上げた。

 

「アーニャちゃん!?」

「な、なんでここに!?」

 

 顔を上げた四人は目の前に立つ小柄な少女――――アンナ・ユーリエウナ・ココロウァに目を丸くしてまき絵と祐奈が次々に問いかける。亜子とアキラは驚きのあまり口をあんぐりと開けていた。

 

「なんでって、明日から新学期じゃない。これでも副担任補佐なんだからいても不思議じゃないでしょ」

「い、いや、まあそうなんやけど」

 

 よくよく考えてみれば別に驚く理由はなかったのだが、このように素で首を捻っている少女を見るとなんとなくこれじゃない感が頭に浮かんでしまう亜子だった。

 

「しかしまあ、なんとも派手なことになってるわね。魔法の秘匿もあったもんじゃないわ」

 

 一人で何かに納得しているアーニャに口から零れ落ちた『魔法』というキーワードに祐奈以外の眼の色が変わる。

 

「アーニャちゃんは何か知っているの?」

「悪いけど詳しいことは何も知らないわよ。ただ」

「ただ?」

 

 可愛い物好きなアキラが率先して問いかけるが思わせぶりなアーニャの発言に少し苛立ったように繰り返した。

 

「アスカの馬鹿がこの事態に深く関わってるんじゃないかって確信してる」

「アスカ君が?」

 

 続いて出て来た馴染みのある名前に亜子が窮していると、アーニャはまるで携帯電話が電波を受け取ったかのようにピクリと反応した。

 

「へぇ、葉加瀬ったら面白いことを考えるわね」

「葉加瀬さんがどうかした?」

「学園長はこの事態を隠し立てする気は無いみたい。ほら、空を見ときなさい。面白いものが見られるわよ」

 

 まき絵が問うもアーニャは核心には触れず、空を見るように促す。

 理由が分からずともこの事態に関する何かが空にあるのだとすれば見ないはずがない。

 四人が頭上を見上げると、数秒後に空にノイズが奔って立体映像らしきものが映った。

 

「なに?」

「誰か、いる……」

 

 撮影者は遠く離れた場所から誰かを撮っているようで、立体映像には小さく誰かの背中が映っている。しかし、遠すぎて背中の主が誰かは判然としない。

 

『無駄だ。最早、戦える体ではない。私がそんなにも憎いか、アスカ・スプリングフィールド』

 

 若い男と分かる酷薄な声が世界樹広場に木霊する。

 

「今、アスカ・スプリングフィールドって」

「私にもそう聞こえたよ」

 

 収音マイクで遠い場所の音声を拾っている所為か、かなり聞こえ難いが確かに四人が良く知る人物の名前がしっかりと聞こえた。

 

『父と母を奪った私が憎いから戦おうとするのだろう。でなければ、命を捨ててまで戦おうとする理由を見い出せん』

『憎んでなんかいない』

『憎しみでないのならば、どうしてそこまでなっても闘おうとする? 辛いだろう、諦めてしまえ』

『諦める理由なんか、ねぇ』

 

 なんとか立ち上がろうとしても出来ない映っている背中が何度も震える。その背中の持ち主が半年間を同じ教室で過ごしたクラスメイトであるとは容易くは信じられない。

 

『同情なんてしない。魔法世界を救ってほしいと頼まれたわけでもない。親父達が守った世界だからって、俺が命を賭けてまで戦う理由はない。精々一ヶ月程度しかいないんだからな。俺が戦う理由はないはず、だった』

「世界だなんて、またアスカはとんでもない事態に巻き込まれてるわねぇ」

 

 と、聞こえたシリアスな音声とは裏腹にアスカが巻き起こす事件に慣れっこのアーニャの感想は呑気なものであった。

 

『造物主、アンタには世界を作り変える権利があるのかもしれない。正直、アンタが正しいとも思うよ。それでもさ、俺にも戦う理由があるんだ』

 

 映る背中だけでも傷ついていると分かる姿ながらもアスカは立ち上がろうとしている。

 

『お、ぉぉおおおおおおおおおおぁぁああああああああああああ!!』

『アスカ……』

 

 今聞こえたのはネギであろうか。ネギ大好きなまき絵などは目を丸くして映像を見ている。

 

『はっ――――ぜっ―――――ぁ、何故闘うだと? そんなことは決まっている!』

 

 立ち上がったアスカの姿は背中だけでも痛々しかった。それでもその背中からは力強さは失われず、その声は世界樹前広場にいる全ての者が聞かずにはいられない覇気が込められていた。

 

『…………よく聞け、俺は―――――俺は、明日菜を助けるためにここにいるんだよ! 世界なんてそんな小さい事情なんかどうでも良い! 他の誰でもない。明日菜を救う為だけに戦ってきたんだ!』

「うわっ、何を小っ恥ずかしいことを言ってるのかしら」

 

 アーニャが赤面して顔を覆っているが、明日菜の名前が出ても四人はジッと映像を見ていた。

 

『惚れた女をこの手に抱きたい! そのために邪魔なテメェはぶっ飛ばす! ついでに世界を救う! 全て俺のためだ! 邪魔をするなァァァァァァァァ―――――ッ!!!』

『―――――――個人の為に世界と戦うなど馬鹿げている。正気か、貴様は」

『それでも安かねぇんだよ! 世界の未来みたいに大きくなったって、明日菜の命は俺にとっては安かねぇんだよ!!』

 

 女ならばここまで男に想われたいと思わせる熱情を発露するアスカ。今度はアーニャも弄ることはせず、ただ何かを決意したように手に持っていた箒を見る。

 

「たった一人の為に世界を救うなんて馬鹿なことする奴だわ。まあ、私も嫌いじゃないけど」

「あの、アーニャちゃん」

「悪いけど私も何が何だかよく分かってないし、説明は出来ないわよ。話している感じからして明日菜が捕まってアスカが助け出すついてに向こうの世界を救うみたいね」

 

 そんな説明では何も分からない。四人は揃って疑問顔だが、追及の言葉をかける前にアーニャはヒラリと箒に跨った。

 

「ネギにだけ任せておくのも不安だから私も行って来るわ」

 

 ちょっとコンビニに行って来る的な気安さで箒に跨ったまま、なんの支えもなく宙に浮かび上がったアーニャに四人の顎がカクンと落ちた。

 

「リシ・トル・キ・ラトレ 汝が為にユピテル王の力をここに 大治癒!!!!!!」

 

 直後、力強い声と共に中位治癒魔法が世界樹前広場全域が照らされ、範囲内にいる者の傷が問答無用で癒される。

 

「…………流石はネカネ姉さん。アスカの生存が分かって意気込むのは分かるけど凄い治癒魔法ね」

 

 精神は時に肉体を凌駕するというが、魔法の腕にまで影響するらしい。アーニャと共に麻帆良に帰って来て負傷者の治療に当たっていたネカネが発動した中位魔法は、とてもその位階ではありえない規模の威力を発揮している。

 

「化け物が現れたり、魔法使いが本当にいたり、アスカ君が何かと戦ってたり、明日菜が捕まってるとか、アーニャちゃんが空まで飛んで、ネカネ先生まで魔法使いとか…………もう、訳がわかんないよ」

 

 アキラが頭が痛いとばかりに抑え、まき絵が目を回し、亜子が気絶しそうで、祐奈は苦笑を浮かべていた。

 

「訳わかんなくてもなんとかなるわよ。これ、経験談ね。あの万国ビックリ箱みたいなバカ達と一緒にいたらよく分かるわよ」

 

 彼・彼女らの表情は先程まであった暗い影が微塵も感じられない。若さ故の特権と言うべきだろう。それまで内気であったり、何かと消極的だった顔にも、まるで童子のような前を見据える輝きが見受けられるほどだ。

 

「それじゃ、私も行って来るわ」

 

 どこにとは聞かない。分かりきっていることを聞くはずもない。

 

「私達はどうすればいいの?」

 

 と聞くのは祐奈の中にある種の確信からだった。ここでこうやって座り込んでいても出来ることはない。ならば、何ができるのかといってもただの中学生に過ぎない彼女らには出来ることは何もない。

 それでも聞いたのはアーニャならば今出来る正しい答えを教えてくれると何故か理由もなく思えたから。

 

「祈って、応援してあげて」

「それだけでいいの?」

「祈るっていうのは、結構大変なのよ」

 

 誰にでも出来ることだけど、誰にでも出来るから大きな力になるのだと今まで彼女らの立場にいたアーニャは確信を持って言った。

 

「それがアイツらを強くするわ。賭けたっていい」

 

 そう言い残して、アーニャは世界樹の上空へと飛んで行った。

 その姿を見送った四人は、原始に神も知らぬ人々が両手を組み合わせたように祈る。

 早くこの事態が収まりますように、明日から皆が学校に通えますようにと、彼女らの行為に倣って世界樹広場にいた誰もが真似をする。

 それは、確かな力。英雄のように選ばれた者でなくとも、或いは権力や暴力のように直接的ではなくとも、きっともっと根源的なところで世界を変えていく力。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法世界の各地で茶々丸を中継して戦いを眺める者達がいた。

 映像に映る目の前のこの一個人が戦っているとは思えない圧倒的な光景は、もはや人々の心のキャパシティを軽く凌駕してしまっていた。

 彼らは正直に、それこそちっぽけな一般人として、繰り広げられる戦いを怖いと思っていた。勇気とか正義感とかそういう次元ではなく、それは人として真っ当な心の動きだったのかもしれない。

 そして英雄すらも地に堕ちた。まさに目の前の光景は絶望の象徴だった。

 

「もう、終わりだ」

 

 群集の中で誰が言った。

 ただでさえ人は臆病で非情で、憎悪や邪念に囚われたり、無知や不実や冷酷さを見せてしまう。無論、そうでない心だってある。誰の胸にも光が宿っている。けれど絶望という死に至る病は強く、希望を圧倒してしまう。

 むしろ嘗てないほどに輝いていた希望が失われたことで、これまでより苛烈に、圧倒的に絶望は彼らを犯していた。 

 魔法が使えようが戦いの訓練などしたこともない彼らは単なる民間人だ。軍人が戦うのは当然で、英雄が悪を倒すのは必然だった。戦う力なんてない自分達が戦況に影響する何かを出来るとは露とも考えはしていない。

 

「ちくしょう……ッ!!」

 

 その時、そんな声が群集の中から上がった。

 薄汚れた服を着た見るからにみすぼらしい浮浪者の少年だった。少年の服は、まるで同じ一枚の服を何度も洗い直して使っているかのような薄汚れた生地だ。旧世界風に言えばホームレス。

 ストリートチルドレンの少年は憤りも露わに、画面の向こうで倒れているアスカを睨み付けた。

 

「なにやってんだよ、アンタは!!」

 

 向こうは覚えてもいないだろうが少年はアスカのことを知っていた。実際に会ったこともある。

 アスカが魔法世界に来て辿り着いたノアキスで、少年が悪漢に襲われていたのを助けた。その後のゴタゴタに巻き込まれることを嫌って逃げた少年は自分とは違うはずのアスカが破れたことを怒っていた。

 

「今までそんな風に生きてきたんだろ。僕を助けてくれたことだってアンタにとって特別な事だったんじゃない。アンタはずっと、そんな風に生きてきたんだろが!! 」

 

 ナギ・スプリングフィールド杯での戦いの中継を少年も見ていた。

 正直に言えば、どうしようもない強さに憧れを抱いた。同時に自分とは全然違うアスカに嫉妬も抱きもした。世界という舞台を相手にして戦いを挑んだ英雄アスカ・スプリングフィールドに諦めも抱いた。

 

「アンタは僕と違って英雄なんだ。誰よりも光り輝いている奴が諦めるな!!」

 

 アスカが立っている場所が、戦っている相手がどれほどのものなのか、どれだけ傷つきながら戦ってきたのか、少年には想像もつかない。 

 

「……………………立てよ」

 

 アスカがナギや高畑に並々ならぬ想いを抱いたように、戦う力を持たない少年には世界の命運を掛けた場所で戦うアスカに想いを託すしか出来ない。

 託す相手が瀕死の怪我人であることも承知の上で少年は叫ぶ。

 

「立てェェェえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッッ!!!!」

 

 本物の英雄とは、一度倒れた程度で諦める者を指すのではない。人々の声に応じて、何度でも起き上がる者を指し示す。

 

『お、ぉぉおおおおおおおおおおぁぁああああああああああああ!!』

 

 そうして、少年の叫びを聞き届けたかのように、画面の中でアスカ・スプリングフィールドは天に向かって吼えるように立ち上がった。画面越しにも骨を軋ませ、全身から多くの赤い鮮血を噴出させながらもアスカは立ち上がった。

 全身から血を吹き出させながらも、フラフラで今にも倒れそうになっていても立っていた。

 

「へ、格好良いじゃねぇかよ。英雄(ヒーロー)

 

 聞こえるはずのない声に応じて立ち上がった英雄に、沸き上がった感情に鼻を啜りながら画面のアスカを見る。周りにいた誰もがアスカに見惚れていた。

 

『…………よく聞け、俺は―――――』

 

 彼の声はどこまでも真っ直ぐで、そしてそれ故に眩しい。

 

『俺は、明日菜を助けるためにここにいるんだよ! 世界なんてそんな小さい事情なんかどうでも良い! 他の誰でもない。明日菜を助けるために戦ってきたんだ!』

 

 声は波だ。空間を震わせて伝わっていく音の波。波は弱くて、遅くて、直ぐに消えてしまうほど儚い。

 映像を通してアスカの声は空間に響き渡る。それは、この世界に比べれば存在しないのと同じくらい矮小でささやかすぎる現象。

 

『惚れた女をこの手に抱きたい! そのために邪魔なテメェはぶっ飛ばす! ついでに世界を救う! 全て俺のためだ! 邪魔をするなァァァァァァァァ―――――ッ!!!』

 

 声はやがてそれがあった痕跡も残さず一瞬で消えてしまう。けれど、声に込めた想いは消えない。

 例え弱くとも、見えなくとも、それは消えない。

 幾重にも折り重なった壁の向こう。その壁を突き破って想いは飛ぶ。その想いが空間を越えて息づく者全ての耳に届けられる。

 当たり前のことだが、どれだけ引き籠ろうが現実から離れられるわけではない。この世界に生きている以上、誰も無関係ではいられない。同じ空の下で戦っているのに何もしないことに我慢できない者もきっと現れる。

 

「敵と戦わなくても僕にだって出来ることは何かあるはずだ。僕だって戦える。あんな風に闘えなくても戦えるんだ」

 

 薄汚れた服を着た見るからにみすぼらしい浮浪者が自分に出来ることを探して動き出した。

 少年はただ一人のちっぽけな人で、世界の全てを背負うことなど出来るはずもない。けれどほんの一部なら、自分の目につく小さな範囲なら、背負うことは出来るのだ。他の誰もが同じように、そのために出来ること、今しなければならないのは戦うこと。

 そんな浮浪者の少年の姿を見ていた小さな少年がいた。母親に抱き締められて突然起こった戦争についていけない一人の小さな少年が顔を上げた。小さな少年は、アスカの声を聞いてゆっくりと立ち上がって母を守るように立ち上がる。

 

「僕がお母さんを守るんだ」

 

 戦いは殴り合いだけで勝敗が決まるものじゃない。無理矢理に他人から奪うものでもない。そんなことをしなくても、大切な人を守れるような人間になれるかどうかで全てが決まるのだ。特別な力を持っているからといって、特別なことをしなくてはならないのではない。誰だって戦って良いんだ。例え世界を敵に回してでも、これだけは命を懸けて守りたいと、そう認めた者のために。

 自分の半分もない小さな子供が母親を守ろうとしている姿を、風に当たりに来たブラットが握った拳をギリギリと震わせた。

 ブラッドは、アスカの声を聞いて血が出そうなほど強く握り締めていた拳を解いて歩き始める。

 

「こんな子供が戦おうとしているんだ。俺にも何か出来る事があるはずだ」

 

 粛々と大人達が自分達の役割を果たすために歩いてゆく。

 アスカから発せられた声が少しずつ人々に影響を与えていく。彼らの前にあるのは暗い迷路だ。逃げても具体的な目的地は見えない。それでも足を止めていてはそこで終わってしまう。

 誰もが戦っている。いや、人だから機会があれば戦うのだ。

 それは完全な相互理解とか、人々の進化とか、そんなご大層なものではない。偶々、その時において人々の利害が一致し、アスカの行動から生まれて集約しただけだ。理解し合えたことなど幻想に過ぎない。明日には消えてしまう。夢のようなものだ。しかし、その幻想はあまりにも尊かった。

 今のアスカなら少年が指で突いただけでも倒れそうだ。だけど、幻のように美しかった。人々を救い導く救世主という幻想が形を取った姿だった。儚い希望でも全ての人々の未来を背負って世界に平和を取り戻す英雄の姿だと誰もが思った。

 行動した人達は、目撃した人達は、何十年も子孫の代までこの日に起こった奇跡を語り続けた。一人の人間から発せられた心の灯が多くの人々を揺り動かす瞬間を。それは人の魂が歴史の中で幾度も見せてきた輝きだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この一瞬に、自分が生きてきた年月の全てが掛かっている気がした。ネギは雷を纏って蠢動しながら奥歯を噛む。

 

「はぁあああああああああああああ!!!!」

 

 空間が振動する。落下する隕石を押しとどめるように、彼らは造物主を迎え撃った。

 

「邪魔をするな!」

 

 薙ぎ払う一撃が旋風なら、振り下ろす一撃は瀑布のそれだ。まともに受ければ良くて致命傷、悪ければ即死するだろう。複数の衝撃波が周囲を震わせ、激突の余波が音の洪水となって辺りへと撒き散らされていく。

 

「まだまだ!!」

 

 直接的な肉体の衝突の他にも、彼らの周囲では断続的に光が瞬き、複数の方向から何色もの色の光が放たれていた。

 しかし、両陣営の激突は拮抗していなかった。

 

「蠅が何匹集まろうとも……っ!」

 

 造物主の強さは圧倒的だった。消耗が激しいとはいえ、ネギやエヴァンジェリンの実力は世界トップクラスで紅き翼に勝るとも劣らない。その彼らが束になってかかっているというのに、アスカとの闘いで消耗しているはずの造物主に相手にならない。

 崖から落ちそうになる体を指先だけで必死に捕まっているような危ういバランスを保っていた。

 

「止まるなっ!!」

 

 それでも、上から、下から、左から、右から、後ろから、前から、ネギ達は絶え間なく攻撃を仕掛けた。

 

「合わせろっ!」

師匠(マスター)!」

 

 師弟はアイコンタクトだけでお互いの行動を理解し合い、ネギは力を溜め、エヴァンジェリンは氷雪を纏って蠢動する。高畑とクルトが両脇から造物主を牽制し、アルビレオが渾身の重力場で足を止める。

 付き合いの長さなど関係ない。 想いを同じくする彼らはわざわざタイミングを揃えるまでもなく、その攻撃はピタリと息が合っていた。時間差をかけた波状攻撃。異なる角度からの一斉攻撃。フェイントとフェイントと特攻。力と技とスピード。

 これだけやって致命の一撃も加えられないが、二人の魔法使いが大魔法を放てるだけの時間を作り出す。

 

「雷の、暴風!!」

「闇の吹雪×16!!」

 

 最大限にまで力を溜めたネギが六年前の故郷の村でナギが放ったそれを遥かに上回る雷の暴風を放ち、術式兵装・氷の女王で上級以下の氷属性魔法を無詠唱無制限に放てるエヴァンジェリンの十六もの闇の吹雪が絡みつき、雷氷の闇風となって足止めを食らっていた造物主に襲い掛かる。

 

「小癪な」

 

 大海とも思える無限の魔力によって雷氷の闇風が打ち消されようとも肉体に宿る力を振り絞り、僅かな休息すら許さずネギ達は猛攻を仕掛けた。歴史を振り返っても、これだけの実力者にプレッシャーと攻撃を受けた者はいないだろう。密度といい、物量といい、圧巻としか表現しようのないコンビネーションだ。

 

「武の英雄以外に私を越えられるものかっ!」

 

 が、歯が立たない。墓守り人の宮殿を揺るがさんばかりの、怒涛の攻撃が続いている。次から次へと途切れることなくだ。

 それを正面から、怯むことなく最大の力で弾き返す造物主。少しずつ、まるで鋭い嘴で柔らかい肉を啄ばんでいくかのように形勢が悪化していく。

 

「うおおおっ!!!!」

 

 嵐のように振るわれる一撃に対し、全身全霊の一撃をもって弾き返す。そうでなければ受けた防御ごと両断される。間断なく繰り広げられる無数の拳撃は、その実、受けたネギ、エヴァンジェリンにとって一撃一撃が渾身の攻撃だった。

 

「崩れ落ちろ!」

「するものかっ!」

 

 絶え間ない攻撃の音。間合いが違う。速度が違う。力が違いすぎる。彼らに許されるのは、避けきれない衝撃に全力を以って迎え撃ち、威力を相殺することで負けないようにするだけだった。

 力の波動が痛いほどの空間を満たしている。なのに、その中心にいる造物主は、まさに神の如く次元の違う強さを持って全方位から近づくモノ全てを容赦なく粉砕する。少しでも欲を出せば終わりだ。逃げるなんてことすれば塵のように微塵になるだろう。

 そんなモノに立ち向かえない。近づけば死ぬだけなら逃げるしかない。だが、彼らは暴威の内に身を置き、退く事をしなかった。ならば削られるしかない。彼らは常に一秒後には即死しかねない渦に身を置いている。 

 

「無駄な足掻きをっ! 仲間、絆、愛に何が出来た! 運命に少しでも気を与えることが出来たか!」

 

 光と光がぶつかり合う中、造物主の声が通る。

 雷速を駆使して誰よりも危険域にネギは怖くて心臓が止まりそうだ。それでも、信じようと決めた。この世界には希望があるのだとアスカが言ったのだから。

 

「出来る!」

 

 自分に言い聞かせた。世界の未来がかかっている。正義の味方ごっこをしている場合ではない。それで、ベストを尽くしてどうしようもないからと簡単に取り下げるものは信念ではない。

 

「運命は我らを嘲笑い、変わることはない! 現実に押し潰されるがいい!!」

 

 狂気染みた響きが、造物主の声には籠っていた。

 かつて、旧世界で十字の理想を掲げ、領地回復を目指した軍隊もそうだったろうか。

 

「運命なんて超えてやる!!」

 

 力が違うのなど百も承知。それでも、彼らは千載一遇の機会に賭けた。死んでも構わない。せめて一撃、自分たちが刻を稼げればアスカがなんとかしてくれる。それまで戦ってみせる。この身が引き裂かれようとも。

 自分たちを遥かに凌駕する巨大な暴力。目を奪うほどに絢爛な戦いは、しかし、一秒毎に傷ついていく彼らの敗北しか結末を用意していなかった。 

 

「おお――っ?!」

 

 高畑の雄叫びが木霊する。造物主の光弾が大気を裂き、避けたはずの高畑を弾き飛ばしたのだ。

 高畑が戻ってくるまで、全員で掛かっても及ばない敵では戦力が欠けた状態では圧倒されるのが必然。それでも皆は勇猛に造物主へと突進する。

 激突する熱量の凄まじさが小規模な水蒸気爆発を次々と起こし、周囲の空気が陽炎の如く揺らめいている。それも既に限界だ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

「ゴフ………ハァ」

「ゼェ、ゼェ、ゼェ、ゼェ」

 

 連戦を続けた全員の呼吸は乱れて、体の動きも目に見えて衰え始めている。常に全開で力を発揮し続ければ当然の結果だった。 だが引かぬ、負けぬ、挫けぬ。

 

「何故だ………何故立ち向かってこれる!?」

 

 幾つもの致命打を受けたはず、何故彼らは死なずに立ち向かってくるのか造物主には理解できなかった。肉体が破壊されても精神は死なぬというのか、彼らを支えているものが分からない。そこには既に余裕はない。なのに、そんな彼らを倒しきれない。

 

「消え去れ!!」

 

 造物主の全身からあまりにも恐ろしい光が噴き出した。

 一本、二本ではない。造物主を中心として、数千、数万にも及ぶ莫大な光が全方位へと。

 

「避けろ――――ッ!?」

 

 世界でも最強クラス達の術者達が体面もプライドもかなぐり捨てて、エヴァンジェリンの叫びよりも速く慌てて回避行動に移る。

 全力で回避行動に移った彼らの直ぐ近くを、一瞬で肉体を塵も残さずに消滅させる力を持った光が通過する。間近を通過した衝撃で肌にはビリビリとした痛いほどの感覚が伝わってくる。まるで間近で打ち上げ花火を見たような、腹の底に深く響く衝撃は、 殆ど透明な壁にも近かった。

 耳元を弾丸が通過しようとも笑っていられる彼らが恐怖で大声を発しようとしたままで口が固まっていた。度重なる戦闘と無理によって全身が痛みを発している。しかし苦痛を訴えている暇はない。次の一撃が来る。

 

「させませんっ!」

 

 そんな中で回避ではなくダメージを負ってでも光を越えたアルビレオが背面から造物主を拘束した。

 

「くっ、古本風情がっ!」

「ぐぬっ、がぁあああああああああ?!!!」

 

 造物主は雷撃を纏ってアルビレオを引き剥がそうとするが、なにが彼をそこまでされるのかと戦慄するほど拘束が解けない。

 

「…………ははっ、私程度を振り解けないとは、彼らとの戦いが効いているようですね」

 

 あちこちを焦げさせながらも決して離さないアルビレオに再度の雷撃を与え、力任せに振り解こうとするが果たせない。

 アルビレオの言うようにネスカとの戦いによるダメージは引いておらず、ネギ達が全力でかかってくる以上は手を抜けず、造物主もまた死に物狂いだった。

 

「私は長く生きました。嘗ては神だった人よ、貴女も長く生き過ぎた」

 

 仲間が最低でも動けるまでの時間を稼ぐ為に全身全霊を賭けて造物主を拘束しているが、ネスカ戦でのダメージで戦闘力が落ちているとはいってもアルビレオではどうあがいても不可能。

 そうなれば、彼の未来はたった一つだ。ならば、そうなる前にこの肉体を駆使して、生命の輝きに新たな一筋の光彩を加えてやろうではないか。

 

「老人は若者達に託して死んでいくべきなのです」

 

 あたかも黒いドレスを纏った貴婦人が抱きつくように、影のような重量場が造物主を打ち倒す。

 

「貴様!? なにをっ!!」

「子を成して、世代を重ねて、未来を残す。人の生は何を成して、どのように次に世代に命を受け渡したかで決まる。そういうことが分からなくなった貴女は私と同じく長く生き過ぎたんだ!」

 

 アルビレオは笑っていた。血反吐で口元をべっとりと濡らしながら、それでも笑っている。

 

「未来を、子供達を守ってみせる!」

 

 爆発の光に包まれたアルビレオの意思は四散して、歪んだ空間を元の時間に戻していった。

 拡散する光を残して、アルビレオがいなくなった。今日、この戦場で消えた多くの戦士達と同じように。一つ一つに宿る思い、同じ物のない人生を一切想像させることなく。

 

「アル!」

「くそっ!」

 

 良く知った者が目の前でいなくなった。その現実を目の当たりにしたネギ達の前で、爆煙を割いて更なる傷を負った造物主が落ちて来る。

 

「行きます!」

 

 アルビレオが自爆してまで稼いだ時間を無駄にしない為に、動く力を取り戻したネギが誰よりも速く造物主へと突貫する。エヴァンジェリンも、高畑もクルトもネギに続く。

 悲しむのは後だ。今はただ、目の前の敵を倒すことだけに集中する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眩い光が、少年の手に凝縮する。今のアスカに残る全てを振り絞って集められた力であった。周囲の闇すべてを振り払うような強烈な輝きだった。目的を成すために練り上げて、高まり続ける力が高く美しい音色を響かせる。

 

「温かい」

「それに綺麗や」

 

 刹那と木乃香が思わず呟くほどその光は温かく綺麗だった。

 弱く、そして強く、微かに瞬きながら、光は次第に明るさを増して、やがて小さな太陽のように煌々と輝き始めた。

 あたかもそれは、不浄な世界にたった一つ残った抗いの鐘のように。世界を滅ぼそうとする神に向けた人間の宣戦布告のように。

 

「まだ足りねぇ。もっとだ」

 

 まだ、逆転には足りない。まだまだ足りない。何一つとして足りない。圧倒的に足りない。最大限にまで高められた造物主の力を押し戻し、打ち破るには、まだ多くの力を必要としていた。

 アスカの体は既に限界を遥かに超えている。疲労などというレベルではなく、生命活動のための力が消えていくのだ。「死」という脱力感をチューブから挿入されているようだった。

 絶対安静にしなければ死ぬ体を押して、アスカは周り中から力を集め続ける。

 自分の中の大事なものが、少しずつぴしり、ぴしりと、綺麗な音を立てて罅割れて砕けていくのが分かる。物理的なものではなく精神的な音。当然、足にも力は入っていないが、少女達が支えてくれている。彼女達の腕は、アスカにとって何よりも心強い支えだ。

 全ての力を振り絞っても届かない。全く以って八方塞がり。自分でどうにか出来ないのならば、外部に助けを求めるしかない。

 

「もっと俺に力を! 戦うための力を! 明日菜を助けるための力を貸してくれ!」

 

 アスカは叫び、手の先にある自らが生み出した光を天に翳した。

 求めに応えるように、最初は手の指ほどの光が集まる。

 次第に増えて数百、数千、数億、もはや数えることすら出来ない光が集い、黄金色の輪郭を形作っていく。それは例えるなら銀河の光。暗黒の宇宙に輝きを灯す星雲の煌めき。弾けては混ざり、また弾ける。光が重なり合い、凝固し集まって形を成していく。

 集いし光は猛々しき力となり、勝利への路となる。

 

「うちの力も使って」

「私も微力ながら」

「気を送るのはこんな感じでいいアルか?」

「十分でござるよ」

「なんとも変な感じだね」

「ほら、持って行きなさいアスカ!」

 

 声が聞こえる。少女達だけではない。

 戦っているネギ、エヴァンジェリン、高畑、クルトの声が聞こえた。

 

『後は任せましたよ』

「アル!?」

 

 一時の時間を稼ぐ為に自らの全てを差し出したアルビレオが去り際にアスカに全ての力を譲り渡した。その悲しみに浸る暇もなく、更に様々な人の声が聞こえる。

 

……………! ………………! ………………!

 

 やはり聞こえる。何者かが、大勢の者たちが遠くから呼ぶ声。

 十人、百人、いやもっと多いか。こんなに沢山の人たちの声が何故か聞こえる。よく聞こえない。だが、戦ってくれと勝ってくれと懇願されているような気がする。

 

……………! ………………! ……………! ………………!

 

 声は止まない。群集の声。力を求める声。救済を求める声。アスカは顔を上げて、周囲を見渡した。その瞬間に、理解した。

 アスカに援軍を届けたのは、いまなお矢面に立って造物主と戦う戦友たちだけではなかった。

 

『頑張れ!』

『世界を救ってくれ!』

『英雄、皆を守ってくれ!』

 

 魔法世界の色んな場所で、戦場で戦いで傷つきながらも皆が呼びかけ続けていた。

 超常の能力がなくても、今なら人の心が分かる。

 世界に存在する人々が、ほんの少しずつの力をアスカに分けてくれている。

 援軍の送り主は人間や生命体という枠組みさえ越えて、魔法世界にある、あらゆる植物、あらゆる生き物、果ては命無き無 機物―――――一掬いの泉の雫、大地に転がる石の一片に至るまで、悉くに及んだ。

 彼らはこの世界に生まれ、この世界と共に生きてきた。故にこの世界と共に滅びるのが必定であり、必然。彼らはまるで世界の今後を委ねるように、アスカに力を分け与えた。

一つ一つ分けて見れば、造物主の力に比べてけし粒にも及ばない小さき光。だが魔法世界に疎らに点在する光点は、やがてしっかりと結び合い、地平より昇る雄大な朝日のように天地を逆流していく。

 それだけではない。

 

『アスカ君、頑張って!』

『明日菜と一緒に帰って来てよ!』

『なんかよく分かんないけど頑張れ!』

 

 麻帆良学園都市で避難していた祐奈、アキラ、まき絵、亜子が空に祈るような瞳を向けて、頭上で戦い続ける知り合いに向けて呼びかけた。

 少女達に呼応するように生徒達が、大人達が叫びを上げる。

 オスティアのゲートを通じて麻帆良にある世界樹を介し、旧世界にいる人々の光もまた流れ込み、魔法世界の光と溶け合ってアスカの下へと届けられた。

 

「みんな、ありがとう」

 

 世界の全てがアスカの目になったようだ。光の下の意志を我が事のように把握できた。

 

「この光は……!?」

 

 それだけの光が集まり、戦っていた造物主も気付くほどに規模を増していく。

 滅びに対抗せんとする全存在の『想い』の結晶が咲かせる、大輪の華。アスカが天へと掲げた手のひらの先へと希望の光が集っていく。

 拳に未来への意志、前に進む意志の想いを全て込める。恨みも嘆きも切り裂いて、ただただ幸せに生きたいと願う想い。その想いは、金色の光となって眩いばかりに拳を輝かせる。

 大勢の人々が願い、請い、念じ、祈る想いの力。心の力がこの場に集まり、光となって集まっている。今のアスカには 、それがはっきりと理解できた。

 魔法世界に来てから出会った人々、旧世界で出会ってきた人々の全ての想いに触れて力が際限なく湧き出してくる。朽ち掛けていた肉体に、新たな息吹が吹き込まれる。ここで負けたら、皆に顔向けできない。

 中心として集まった希望の光はアスカの体に吸い付き、寄り添い、燦然と輝く。まるで銀河を纏うかのようにアスカの体が輝きを増していく。

 

「させるかっ!」

 

 それだけの力の集まりを造物主が察知しないわけがない。造物主はどれだけ傷を負ってもしつこく迫ってくるネギたちを両腕から迸らせた波動で吹き飛ばし、天に腕をかざして闇よりも深い魔力を集中させていた。

 

「千の雷! 燃える天空! 引き裂く大地! おわるせかい!」

 

 唱えるのは雷属性・炎属性・土属性・氷属性の最上位古代語魔法のオンパレード。

 稲光を放つ雷球・燃え盛る炎球。呑みこむ土球・氷結させる氷球が造物主の周りに滞留する。一発一発がネギやエヴァンジェリンの全力に相当する魔法を無詠唱で唱えて固定して各属性を螺旋のように絡み合わせる。

 造物主が全てを一つにして握り締めた。

 

(あ……あ、あ……)

 

 ネギには見えた。見えてしまった。見せられてしまった。古いストッキングが破れていくかのように、空がぱっくりと裂けた。あまりにも巨大で、膨大で、壮絶な闇の塊。それは黒々と唸るのだ。それは轟々とざわめいているのだ。それは嫋々と泣き喚いているのだ。

 

「全て、滅び去れ!」

 

 四大精霊魔法の最高位の魔法を合成したものは宇宙のようでもあり、星々の群れ集う星群にも似ていた。実体を持たないフレアのようでもあり、何百光年の彼方にまで吹き抜けていく太陽風のようでもあった。

 全ての要素が入り交じり、絡み合って次元の概念さえ曖昧となり、ただただ漆黒に滲んで溶けていく。これでは、ブラックホー ルの特異点にも等しい。極微の微小点でありながら無限の広さを誇るという、矛盾に満ちた概念を獲得していた。

 最早、魔法という領域に納めてるには範疇を越えすぎていて、ほんの末端ですら力を感じ取っておかしくなってしまいそうだ。或いはノアキスで降臨した精霊王が放った一撃すらも超えるほどの威力を感じさせる黒い輝き。

 大地が怯え、世界が震撼した。壮絶なエネルギーに空間が歪む。

 一瞬は永遠となった。希望と絶望、光と影、善と悪、始まりは終わりで、終わりは始まりだった。表裏一体の想いが目まぐるしく入れ替わる。

 

「…………無理、だ…………」

 

 呆然と、ただ茫然とネギは思った。

 誰もが見た。誰もが感じた。全員の力を結集したとしても絶対に届かない。築かれた希望を打ち砕くために、今日見た中でも最大最強の闇であることは疑いようのない一撃。

 造物主の攻撃を受け続けたネギ達だからこそ分かる。あれを一度でも受ければ、今度こそ命はない。この世から存在の欠片すら残さず消え去るだろう。

 造物主の両手の合間に生まれた闇から発せられる威圧感に打ちひしがれていった。その中で、ネギの背後から目前の闇に対抗するには小さすぎる光が迸った。

 

(え?)

 

 振り返って見た光の発信源にいるのはアスカ。

 その光には太陽のように人を照らす輝きは無い。

 その光には星のように人を魅了する輝きは無い。

 アスカはまるで光そのものだった。命尽きるまで輝き続ける、例えるなら月光のように見えた。

 闇の中で少しだけ足元を照らしてくれるような月光。全てを呑み込んでしまうブラックホールを前にすれば小さすぎる光。だけど、その光は瘴気と狂気と憎悪と苦悩と絶望に満ちた地獄の中にあっても陰ることを知らず、人の心に希望を照らす清浄なる輝きを放っていた

 闇に比べれば小さすぎる光では勝てる要素など、どこにもない。どこにもなかったが、負ける要素も見つからなかった。

 ネギの体の奥底から力が湧き出してくる。それは体中を満たし、心が、体が、細胞の一つ一つが活性化していた。萎えていた戦意を復活させて 溢れ出した力が総身を満たす。

 未だ力は集まり続けているが足りない。このままでは間に合わない。

 

「纏めて砕け散れ!!」

 

 闇が吹き荒れた。それは存在する全てを焼き払い、消滅させる神の鉄槌だった。

 

「皆、アスカを守れ!!」

 

 間に合わないと歯噛みするアスカの目の前でネギの号令に、エヴァンジェリンが、刹那が、古菲が、小太郎が、真名が、高畑が、クルトが、木乃香すらも、各々がアスカを護ろうとするように魔法の射線上に飛び込んでいく。

 造物主を見上げ、睨みつけながら、各々が防御の構えを取って障壁を張り、防御陣を敷いていく。

 反撃のための挙動ではない。全ては防御。古今東西あらゆる防御壁を寄せ集め、ただアスカを守るための盾となる。

 

「うぉおおおおおおっ!!」

 

 ますます発光を増していた。それは数匹の蟻で前進するマンモス象を押し返す行為に似ていた。

 

「うわっ!?」

 

 放たれた魔光の前に一人、また一人と防御を紙の如く吹き飛ばされながらも己が体を盾として在り続けた。―――――だが、足りない。

 満を持して放たれた最強の魔光を阻むには、彼らだけの力ではまだ足りない。残るは、自分の力を全てアスカに分け与えた所為で立っていることすらやっとの木乃香のみ。

 障壁を張る魔力すら残っていない木乃香は立っていることがやっとの状態でも、己が体を盾として身を投げ出そうとした。

 しかし、ここで木乃香の体は後方へと引っ張られた。力の入らない体は抵抗も出来ずに後ろへと流れて行く。

 

(なんで……?!)

 

 守ろうとしたアスカの手によって、木乃香は後方に引っ張られた。

 全ての守りが打ち抜かれ、間を遮るものがなくなったアスカに凶光が迫る。

 光を集めることに集中しているアスカには避けることも、受けることも出来ない。造物主は勝利を確信した。だが、迫る魔光を前にアスカの表情に恐れはない。それどころかその顔には―――――笑みが。

 

「遅いぞ、明日菜」

 

 黒色の閃光が炸裂する。全てを呑み込む恐ろしい光。目を閉じても呑み込んでしまうの莫大な闇が塗り潰す。木乃香の目が、耳が 、鼻が、舌が、肌が、全ての感覚が消えてなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式発動まで残り十六分四十四秒。

 

 

 

 





次回『第95話 絆の光』

残り二話。



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