魔法先生ツインズ+1   作:スターゲイザー

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―――――――物語はハッピーエンドで終わる





最終話 魔法先生ツインズ+1

 

 

 

 

 

 陽射しは暖かく、時間は緩やかに、時に責め苦のように過ぎていく。

 年月は瞬きほど、目蓋を閉じて開く。少し眩しい光だった。瞼を透かし、網膜を刺激する淡い太陽の光が真上から降っていた。何時までもどこまでも降り続く薄桃の夥しい桜の花弁達。煌めく春の光を浴びて、華の色はますます鮮やかでさえあった。

 柔らかいお日様の光、陽射しを受けて鮮やかな色を見せる草花、眠気を誘うような緩やかな空気、微かな風がほのかに甘い香りを運ぶ。

 視界には一面の世界樹に咲いた満開の桜の花。春の光だった。

 柔らかな風がその髪を優しく揺らした。スーツの袖の飾りボタンがカチャカチャと心地良く鳴って、広がった袖口がパタパタとはためく。ネクタイがスーツの外に出たいと言いたそうに揺れている。

 

「……ぁ」

 

 世界樹の生い茂る葉の隙間から漏れ出る陽光に晒され、枝から別れを告げた桜の花弁がのんびりと地面に落ちてくるのを見ていた少女―――――アンナ・ユーリエウナ・ココロウァの口から声が零れる。

 誰もが目を奪われて溜息をつかずにはいられぬ風景の中で、小学校の時も感じたが卒業式の前後はどこか空気が違うようにアーニャは考えた。

 まるで都市中が落ち着かない感じ。学園都市なのだから卒業する生徒の中には外部に出る者もおり、数多くの別れが訪れるからだと思う。

 麻帆良学園都市では卒業式と終業式を合同で行う。なので卒業生達に限らず、在校生の教室も慌ただしい。それぞれの一年を振り返ってというわけでもないのだろうが、一年の帳尻を最後に無理矢理に合わそうとしているような印象を受けるのだった。

 多くの者達にとってこの一年は最も慌ただしく記憶に残るだろうが、一先ずこれで終幕。何時か懐かしく思う時が来るまでは、心のアルバムの中にそっとしまわれるだろう。

 

「あれから半年、か」

 

 魔法世界の命運を握る闘いが終わって半年以上の月日が過ぎて、また春になった。風に乗って舞う花弁を眺めながら思う。

 

「卒業式も終わっちゃったなぁ」

 

 今日は麻帆良女子中等部の卒業式。忘れることなんて出来ない。きっとこれから先の何年、何十年と過ごしても決して忘れることなんて出来ない。

 彼女は卒業式が終わった後、まるで行き場を失くしたように一人で麻帆良で一番目立つこの場所へとやってきた。

 

「本当に魔法の樹なら私のお願い、叶えてくれても良いのに」

 

 アーニャは世界樹を見上げて、物言わぬ桜の花を咲かす神木を見つめた。

 魔王を倒した勇者は、最後に囚われていたお姫様を助け出して結ばれ、ハッピーエンドを迎える。互いのために行動した二人の間に特別な感情が芽生えていることは充分にあり得た。確かにそういう結末があっても、不思議ではない。

 アスカと明日菜の間には、特別な感情があって結ばれた。しかし、この場にはいない。何故なら二人は魔法世界を救うためにいなくなってしまったから。

 体を包むフワリとした温もりが胸の底を打つ悲哀を増幅して、漠然とした感情から直ぐに抗いようのない喪失感に取って代わり、血も骨も臓器も、細胞の一粒一粒までもが等しく泣き叫んでアーニャの目元に涙を浮かび上がらせる。

 

「いけない。もう、泣かないって決めたんだから」

 

 これで全てが終わったわけではない。旧世界に魔法世界の存在、魔法使いのことが知れ渡った以上は本当の始まりはこれから。

 世間はそれなりの騒ぎになっているようで、日々はなにも変わらない―――――いや、この学園都市内にいることに限っていえば守られているからこそ彼女、アーニャの平穏は保たれていた。

 常識が変わろうとも……………常識の範囲が広がろうとも人々は何時もと変わらず仕事をし、学校に行き、遊んでいる。

 もう、ただそこにいるだけでほっと出来る、穏やかな春の風にも優しい二人はいない。

 自分が泣いたら二人はきっと悲しむだろう。

 周りの助けもあって最近になってようやく落ち着いてきたのに、また泣きそうになっていることに気づいて、アーニャは考えることを止めた。何日もこれを繰り返して半年も経てば、多少は上達する。溢れた涙を手で拭うと、泣いていた痕跡は全て消えた。

 後は落ち着くために深呼吸を繰り返す。いずれ傷は治る、が。

 

「アーニャちゃん」

「アーニャさん」

 

 精神集中を掛けられた声によって邪魔されて、アーニャは怒りよりも驚きを感じた。ここに来ることを誰かに話した覚えもないし、今の自分が傍目にも分かるほど人を拒絶している雰囲気を出しているのが分かっていたからだ。

 振り返ると、そこに立っていたのは、あれからの自分を支えてくれた木乃香と刹那の姿。

 

「また、ここに来てたんやね」

 

 二人が大分遠くからアーニャの姿が見えても彼女はぴくりとも動かなかった。何も起きなければ、一時間でも二時間でもそうしているんじゃないかと思うほどに。

 

「どうして……」

「姿が見えなかったからここやと思ったんや」 

 

 問いかけに返って来たのは間違いなくここにいると断定するものだった。

 よくよく考えてみれば時間があれば、世界樹に来ているのを思い出して、ぐぅの音も出ない。

 困ったように後頭部を掻く明日菜を二人が笑い、三人で並んで世界樹を―――――正確には世界樹の根の一つに突き刺さっている黒棒を見つめる。

 

「ちょっと感傷に浸ってたのよ。この半年は本当に激動のように過ぎていったから」

 

 あの日から、色々あった。本当に時代が動く激動の中に世界はあった。

 突然の旧世界の魔法の公表や魔法世界の存在。それに伴う、全世界的な被害。しかし、それらが広まったからといって何かが劇的に変わったわけではない。

 

「世界は変わるようで変わらない、か」

「きっとこれからなんよ、変わっていくのは」

 

 旧世界でも魔法が世界に公表されたことで、テレビのニュースなどは一時騒然となるも、元々が表の世界から切り離された裏と呼べる世界の出来事。今まで表だってなかった犯罪が出てきたことはあっても、世界的な大勢に大きな影響はまだない。

 政治家や上層部の人間は各種対外折衝や魔法に関する対応を協議するなど慌しいものがあるが、一般人にまで魔法の影響が出てくるには、まだ時間がかかるだろう。

 旧世界を覆っていた混乱は、民間のレベルでは徐々に回復しつつあるとのことだった。

 アスカが選んだのは、閉じない運命、続いていく時間、なにも変わらない世界。造物主が、閉じる運命、廻り続ける時間、変わる世界を求めた。二人の選択は真逆故に争い、アスカが勝利した。

 アスカの選択の結果が出るのは何年もずっと先のことだ。けれど多くの人が今、当たり前のアスカの夢想を現実にするために動いている。

 

「学園長達は忙しいらしいわね。ネギも久しぶりに見たし」

「仕方ないんやけど体壊さんか心配やわ。お爺ちゃんも何とかうちらの為に無理して卒業式の時間を作ったらしいし」

「ネギ先生とナギさんやアリカさんも方々も飛び回ってるらしいですから」

 

 学園長は旧世界の魔法組織に渡りをつけ、連日会議を行って対応を協議している。ネギも父や母の名と力、新しき英雄のネームバリューを使ってアスカが敷いた世界を守ろうとしている。

 多数の内紛や行き違いが頻発し、戦死者や餓死者も出るのを少しでも抑えようと忙しく各地を飛び回っている。

 過去の悪行を表に出されてガタガタの元老院議員の一部が暴走したり、情報操作にも限度があって大きな対立や戦乱が起こり掛け、あわや両世界を巻き込んだ戦争に成り掛けたのを止めたのもネギだ。その功績で、世論の中ではアスカよりもネギを評価する者も多い。アスカがしたことは性急な面と希望的で楽観視している面があるのは否めないのも理由の一つだ。きっとアスカを英雄と言う者よりもネギを英雄と言う者の方が多いだろう。

 

『僕だけの力ではとても………きっと、誰もが望んだことで力を貸してくれたお陰です』

 

 とある騒乱を話し合いで収めたネギに、取材を行っていた心無いリポーターの一人が向かってアスカを貶したことがあった。

 

『アスカがいなければ今の僕は無かった……………兄として誇りに思いますし、尊敬しています』

 

 若輩の身でありながら多くの有識者に囲まれながら、胸を張って応えるテレビに映ったネギの姿を思い出す。彼もまた多くの哀しみと後悔を積み重ねながらも前を向いてやっていこうとしている。

 

「アスカのしたことは正しかったと思う?」

 

 アスカの選択は是非が分かれている。正しかったのか、間違っていたのか、多くの人々が己が答えを叫び続ける。だからこそ、アーニャは是非を問うた。本当の意味で正否を決められる人がいないと分かっていても。

 

「分かりません。それはこれからのこと次第だと思います」

 

 世界樹を見上げる刹那にはそう答えることしか出来なかった。

 アスカが事前に撒いた種は確実に世界に広がって花を開こうとしていた。きっとこれから世界は変わりながらも、変わらない毎日を続けていくのだろう。それでも、不安と恐怖は誰の胸にもある。誰もがこの先、途方もない破綻が待っているのではと疑わずにはいられない。

 

「アーニャちゃんは戦ったことを後悔してる?」

「後悔はしないわ」

 

 と、木乃香の問いにアーニャは即断した。

 

「停滞した世界で生きるなんて真っ平ごめんだもの。そんな世界じゃ、私達は大人になれない」

 

 アスカが描いた運命は夢のように。それだけに実現せず、破滅を導く可能性は高い。例え実現しても多くの犠牲が出るのは避けられない。魔法が世界に公表されたことで混乱も生まれたし、魔法関係者による犯罪が起こり、民間人が犠牲になるケースもあった。それが世間に報道され、魔法使いへの目が厳しくなるのは仕方のないことで。

 

「変化が反発を生むのは当然のことよ。それでも私達はこの世界を生きていくしかない」

 

 物語の中だけのものだった魔法が実在したことで固定観念が崩れた者、魔法によって被害を受けた者、既得権益を侵された者、明確な理由はなくとも不安から異を唱える者等、魔法の存在を世間にバラしたアスカを悪く言う者も多い。賞賛と非難が拮抗している状態にあり、英雄と大罪人、それがアスカにつけられた対照的な字だった。

 全世界に渡る被害の規模がどれほどだったかなど、想像さえできはしない。どれだけ世界が変わろうとも、影が消えることはない。ただ、その姿が変わるだけで今までと同じ。文化や価値観の違う種族間の共存共栄は一日で成せるものではないが、それでも彼らは互いに理解し合う努力を忘れずに、少しずつ交友を深めていくしかない。

 

「魔法が不幸やなんて思われたくないもんな」

 

 それでも、それでも確かに刹那と木乃光は微笑していた。アーニャもまたぎこちないながら微笑む。

 多くの犠牲を伴いながら、ほんの少しずつであっても、平穏の道を手繰り寄せると信じている。きっと世界はよくなるはずだと、そういう希望を抱いていた。でなければ、あの戦いを、アスカの願いとあの戦いで散った命が無駄になってしまう。

 人は現実にしか生きられない。けど、夢を見ずに生きるものが全てとは思いたくない。だが、夢は大抵、人を裏切る。アスカの夢は世界を滅ぼすかもしれない。それでも手放さずにはいられないもの、それが本物の見るべき夢と言うものではないだろうか。成功するから信じるなんて、単に見返りを期待しているだけで不純な話だ。そんな打算的な心でどれほどのものが手に入られるか。

 世界は幻想を現実にしても変わらない。どうしようもなく変わっていない。醜さも美しさもそのままに、ただ続いている。継続している。命の鎖を危なげにつないで、必死に今を守っている。

 

「不思議ね。今でも毎日来てしまうの。墓なんかじゃないのに」

 

 精密な機械の中身とは裏腹に、遣い手の性格を現すような素朴な剣の柄の表面を撫でつつ、アーニャは呟いた。

 あの墓守り人の宮殿での激闘の際に紛失したはずの黒棒黒棒が何故ここにあるのかという答えは簡単。膨大な魔力によって旧世界の麻帆良学園と墓守り人の宮殿にあるゲートが一時的に繋がり、フェイトとの戦いで手放した黒棒が魔力乱流に乗って流れ着いたのだ。

 

「……そうですね」

 

 応えつつ刹那は当時のことを思い出した。

 

「現代の聖剣伝説かっての。つまらない茶番だわ」

 

 最初に黒棒が見つかったのは、九月末になって皆がようやく魔法世界から麻帆良に帰ってきて直ぐの頃だった。その頃には旧世界でアスカが幼い頃からの経歴を辿るなりして有名になり、当然の如く直前まで滞在していた麻帆良が大騒ぎになっていた。

 アスカが持っていた武器。金儲けのために黒棒を盗ろうとする人間が現われるのは必然だったので、抜くことになったのも必然の流れだった……………のだが、何故か抜けなかった。アーニャにも、刹那にも、木乃香にも、そして他の誰にも。

 血縁も、知り合いも、腕自慢も、噂を聞いた野次馬も、多くの人が抜こうとして果たせなかった。

 多くの人が麻帆良を訪れて挑んでも抜けないことに、人々は『現代のアーサー王伝説』なんて揶揄する者も現われた。主を失った愛刀が彼以外に自身を使わせないために、だとかいう話もある。

 だが、それがまるで墓のようだと言ったとのは果たして誰だったか。

 アスカの遺体もない墓は復興したウェールズの故郷の村にちゃんと立派なものが建っている。世界を救った偉人に相応しい巨大な墓が。  

 だけど、それでも明日菜の言うように黒棒がある麻帆良のこの場所を、アスカを偲ぶ者達が訪れる場所だった。過去にアスカと関わった多くの人達もこの街の世界樹を訪れた。

 

「世界を護る礎になったとしても死んだわけじゃない。こんな墓があったって何になるのよ」

 

 儚げに、今にも散ってしまいそうな雰囲気を放ちながら言うアーニャに二人の胸の方が締め付けられる。

 今でも耳に残っている、二人が消えて泣き叫ぶ誰かの叫び。

 

「毎朝起きる度に、夜にベッドで横になる度に、何か考える時間が出来てしまったその度に死にそうになるの。でもね、本当に怖いのは後悔と絶望が薄らいでいってしまうこと。こんなにも悲しいのに、何時かは二人を想っていることすら忘れてしまうんじゃないかって怖い」

 

 未だにあの瞬間に囚われたままの少女が告白する。

 怖いのは、後悔でも絶望でもなく忘れてしまうことだと。毎日死にたくなるような後悔と絶望が、ゆっくりと消えていってしまうことだと、泣きそうな声で語る。

 事実、麻帆良に帰ってきた当初は歩く屍のような彼女が今では危なげながらも日常生活を普通に送っている。この時点であの時程の思いを抱けなくなっているという証明でもあった。そうでなくても、負の感情に慣れてしまったということなのだろう。

 これが良いことなのか、悪いことなのか。それはきっと誰にも分からないし、決められない、当の本人以外には。

 

「「…………」」

 

 伏せた瞼の下から重力に負けて頬を伝って流れる透明な雫を前にして、木乃香も刹那も言うべき言葉を持てない。雫が音もなく落ち大地に染みて、波紋を作って少女の哀しみを世界へ広げていくようにも思えた。

 彼女にとって忘れることは罪であり、罪悪なのだ。哀しいのは二人も同じだが、アスカを想う思いの強さは彼女に遠く劣る。

 

「今は一人にしてくれるかな……?」

 

 彼女達は今日、卒業式を迎えた。

 二人がいたクラスが卒業してしまうのだ。また一つ、繋がりを失ってしまう。

 消えてしまった二人との繋がりは減りはしても増えることはない。忘れてしまうことと似てどうしようもない。いなくなった者との間に新しい繋がりが出来る事はないのだから。

 そんな彼女の気持ちを刹那と木乃香も分かっているから受け入れるしかない。

 

「分かりました。では……」

「みんなで卒業パーティやるからアーニャちゃんも来てや」

 

 先に刹那が、木乃香が心配気に何度も振り返りながら去って行った。

 互いに握り締めた手から心の痛みが伝わってくるような気がして、二人の目から自然と涙が零れた。自分達では少女の傷を癒すことが出来ないことに涙を零しながら。

 

「…………」

 

 二人が去った後もアーニャは最初から彼女達がいなかったように立ちつくす。

 彼女の瞳は根に突き刺さった黒棒を見ているようで、遠くどこかココではないどこかを見つめるようだった。遠すぎて、かえってここにいる自分自身に思いを馳せるようだった。

 

「分かってる」

 

 愛した人がこの世から去ると、遺された者は不幸だ。愛情は、そっくりそのまま悲しみとなって遺された者の胸を貫く。

 深く悲しんだところで、死者が還ることはない。遺された者がどれだけ手を伸ばしても、死者の背中には決して届かない。溺れるぐらいに涙を流しても、死者は救いの手を差し伸べてはくれない。

 追いつけない。絶対にして永劫の距離、それが死である。

 

「いい加減に前に進まないといけないことも」  

 

 失って涙が止まらなくなるくらいに愛したことを間違いとは思わない。思いを胸に秘めて生きていかなければ二人の想いを無駄にする。

 水を含んで、風が吹いて髪が靡く。

 

「でもね、どうしても寂しい」

 

 そっ、と手が黒棒の柄に触れる少女の言葉が風に流れていく。その声同様に髪が、どこか寂しそうに風に揺れる。

 

「他には何もいらない」

 

 いなくなった人を想う彼女の願いはどこにも行き場所がない。

 誰もが希望に満ちた明日を生きているのに自分はあの日に囚われたまま、一歩も前に進めない。二人がいなければアーニャは永遠に心をあの日に囚われたまま前に進めない。

 強がりではなくて、今の世界こそ、二人が繋ぎ取ったモノなのだと信じられる。ただ、そう信じるからこそ、二人がもういないのだと思い知らされる。

 

「アスカに傍にいてほしい」 

 

 他にはなにもいらない。差し出せるものならなんでも出す。だから返してくれ。と、あの日からどれだけ願ったか。

 

「帰ってきてよぉ……」

 

 声が涙で途切れ途切れに。その瞳からは堰を切ったように涙が溢れ出してきた。二人に帰ってきて欲しいと、そうすれば、もう一度帰ってくるかもと、祈るかのように、いなくなった人を思い、誰にも届かないと分かっても願い、行き先がないと知っていても叫び、せめて届いてほしいと懇願した。

 それは祈りだった。小さな祈りで、物理的な力を持たないかもしれなかった。遠く、細く、長く、その声音は流れていった。

 

「――――――――で、何時までこの茶番に付き合わなくちゃいけないんだ?」

「そうよね。勝手に死んだような扱いにされるのは面白くないわ」

 

 と、少し離れた場所で寸劇を見させられていた二人の人物が心底からつまらないという感情を表しながらベンチに座っている。

 突っ込まれたアーニャは浮かべていた涙をあっさりと引っ込めると、髪を靡かせて不敵に笑う。

 

「アンナ・ユーリエウナ・ココロウァ作、『英雄と姫巫女還らず』のエピローグで悲しむ聖女の演技っぷりはどう?」

「アーニャは聖女って役目からは真反対のキャラだと思うよ」

「演技が大根なネギは黙ってなさい」

 

 リストラされたネギは演技に付き合った木乃香と刹那が苦笑いを浮かべる横で不満げな態度である。

 

「ったく、人の黒棒まで勝手に持ち出して」

「いいじゃない。こう、演劇を盛り上げる為の小道具よ」

「世界樹に勝手に傷つけて後で賠償請求されないかしら?」

「卒業パーティーにはお爺ちゃんも参加するんやし、聞いてみたらどうやろ」

「いえ、これぐらいの傷ならば私が治しておきます」

「流石は刹那。助かるわ」

 

 世界樹の根に突き刺さっている黒棒を抜いたアスカが呆れながらも注意するもアーニャに堪えた様子はない。勝手に世界樹を傷つけたことで賠償しないといけないかもと明日菜が若干の不安を煽るが刹那が符を張って治す。

 

「ほら、みんな。何時までも話してないで卒業パーティーの方に行かないと」

 

 収拾のつかなくなりそうな場をネギが手を叩いて注目を集める。

 

「京都からお父さんとお母さんも来るし、魔法世界からもラカンさん達も一杯来るんだから遅れると後が怖いよ?」

「たかが中学の卒業式に何をみんな張り切ってんだか」

「まあまあ、高校は三界から生徒が集まる学校を新設するからどうしても神経質になっちゃうから今の内にってことだよ」

「私はウェールズに引っ込むけどね!」

「させねぇに決まってんだろ!」

 

 ははは、と一人で駆けだしたアーニャを追って走り出したアスカの後を歩きながら全員が笑顔を浮かべる。

 

「夏の大冒険から始まって、色々とありましたけど無事に卒業式を終えて一安心ですね」

「秋にナギさん達とお父様に会いに行ったら鬼神が蘇ったりして大変やったけど」

「あの時に一番大変だったのは性転換してきた月詠さんに迫られた刹那さんじゃない?」

「お、おおおおお思い出さないで下さいよ!」

「ウルティマホラでのくーふぇいとアスカ君の試合も盛り上がったわよね」

「興奮したラカンさんとお父さんが乱入して武舞台が吹っ飛びましたけど?」

「話を聞いて下さいよ―――――――――私としては体育祭の方が凄かったです。教師借り物でまさか都市存亡の危機になるとは思いもしませんでした」

「ネカネ先生に告白した生徒がフラれて、まさかあんな一大事になるなんてなぁ」

「でも、やっぱ一大事といえば大晦日での魔界だったわよ」

「ああ、あの魔神の」

「でも、どうやって勝ったのか、全然分からないです」

「うちもや。倒したアスカ君に聞いても首を捻るばっかりやし」

「今でも偶に夢に見ますよ、あの強さ。本当にどうやって勝ったのか」

「まあ、倒した相手のことはいいじゃない。大切なのはこれからのことよ」

 

 卒業パーティーが開かれる一際桜が美しく咲いている広場へと向かいながら明日菜は空を見上げて笑った。

 

「お前ら、遅いぞ!」

「ごめん、千雨ちゃん」

 

 言い出しっぺの所為でパーティーの幹事を務める千雨が遅れてやってきた四人に向かって叫ぶ。

 その後ろでは今日の為に集まった大勢の人たちがいて、高校からは別になるクラスメイト達と談笑している。

 

「さあ、パーティーを始めんぞ。準備はいいか!」

 

 既に出来上がってるらしいナギとラカンに絡まれながら、一人で離脱したアーニャを恨めし気に睨みながらアスカがやけくそ気味に叫ぶ。

 

『おー!』

 

 唱和する叫びに、これが戻って来た日常なのだと明日菜は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆっくりと自身の意識が回復し、アスカが閉じていた瞼を開くと白い光が目の奥に刺さった。

 身体を起こそうとして頭を上げて、ベッドに寝かせられているのに気付いた。

 

「………………」

 

 仰向けから上半身を起こした姿勢で茫洋とした目を前に向け続ける。長いこと眠っていたからか目覚めても思考が働いてくれない。

 

「もう一回寝るか」

 

 こういう時は寝るに限る、思考を放棄してぽとんと柔らかく清潔な枕に頭を落とす。とはいえ、別に眠いわけではないから瞼は閉じない。

 数秒ほど白い天井を見つめていると、ようやく脳細胞が活動を始めて状況を理解してくる。

 

「なんでだ?」

 

 素早く体を起こしながら今の状況に対する疑問を口にする。

 

「ん、んぅ……」

 

 同じ枕のアスカが頭を下ろしたり上げたりした所為で寝心地が悪くなったのか、隣で寝ている明日菜がムニャムニャと言葉にならない言葉を漏らしながら頭の位置を直す。

 

「おい、明日菜」

 

 状況が理解できないアスカは取りあえず明日菜を起こすことにした。

 起こす為に肩を揺さぶると、「後、五分だけ……」とベタな文句を口にしてアスカの手を払う。

 バシンと払われた手を見たアスカは自分が白いシャツを着ていることに気が付く。それはともかくとして、ちょっとムキになったアスカは眉間に皺を寄せる。

 矢を弓に番えたように中指を折り曲げて親指に引っ掛ける。狙いはスピーと息を漏らす明日菜の鼻。

 

「ていっ」

「あいたっ!?」

 

 鼻面に割と本気目なデコピンを放つと、痛みで明日菜の体がベットから一メートル近く飛び上がる。

 やり過ぎたかもと思いつつも、「必殺鼻デコピンか。いいかもしれない」と今度他の奴にもやってみようと細やかな野心を抱くアスカだった。

 

「い、いたひぃ~」

「こんな状況で悠長に寝てる方が悪い」

「だからって、なんでデコピンなんかするのよ!」

 

 ベットの上に蹲って赤くなった鼻を抑えて悶える明日菜の心からの叫びに、そういえばなんでだろうとアスカは首を捻った。

 

「さあ?」

「いいわ。その喧嘩買おうじゃないの。我が聖剣エクスカリバーが光線吹くわよ」

「正直、すまんかった」

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ、と謎のオーラならぬ咸卦法で物理的なオーラを発しながらハマノツルギを呼び出した明日菜に、悪ふざけが過ぎたと平謝りするしかないアスカであった。

 お返しとして峰内ちでデコピンの比ではない衝撃を頭に受けて大きなタンコブを作ったアスカを満足げに見下ろした明日菜は、「で、ここはどこ?」と今更ながらの疑問を口にした。

 

「知らん。寧ろ俺が聞きたいぐらいだ」

「じゃあなんでデコピンなんてしたの?」

「今は俺の方がダメージが大きい気がするんだが」

 

 この話題に関してはもうどっちもどっちになってしまったので、二人はアイコンタクトで話題を変えることを了承し合う。

 

「起きたらこんな状況だったんだよ」

「変よね。私達って魔法世界の礎になったんじゃなかったっけ」

「そのはずなんだがな、さっぱり分からん」

「――――――――それはあなた達がいなくても魔法世界が存続できるようになったからですよ」

 

 ベットの上に座りながら顔を突き合わせていた二人は第三者が部屋に入って来たのも当然ながら気づいていて、ドアが外から開けられる前からそちらを見ていた。

 二人は揃って驚愕の表情を浮かべた。真っ先に姿の見えた相手にではない。先の声の人物が乗る車椅子を押す人物にこそ注目していた。

 

「茶々丸!?」

「茶々丸さん!?」

 

 多少の造形が変わり、知るものよりも遥かに自然で柔らかい笑みを浮かべてはいるが確かに絡繰茶々丸その人である。

 

「お久しぶりです、旦那様、奥様」

 

 懐かし気にニコリと笑った茶々丸はそう言って一礼する。

 

「あら、私のことは無視ですか、お二人とも」

 

 車椅子を押してもらって室内に入って来た老女は放っておかれたことに対して、言葉では不満げながらも茶々丸と同じく懐かし気な雰囲気を隠せてはいない。

 アスカはまるで自分達のことを知っているような老女に内心で誰だろうと思ってると、その横で逸早く正体に気付いた明日菜が口を手で覆った。

 

「もしかして、いいんちょ?」

「ええ、そうですわ。あなたの知る雪広あやかその人ですわよ」

 

 いいんちょ→委員長→雪広あやかへと連想ゲームのようにして辿り着いたアスカは、記憶の中にある姿と老女を見比べて、その気配を感じ取って固まる。

 

「ええ――――っ?!?!?!」

 

 やがてその事実を受け入れると口から驚愕の叫びが放たれて部屋を木霊する。明日菜は自分で言った言葉が信じれない様子で口を開けて固まっている。

 

「ふふ、十代のお二人に会えるなんてわたくしとしても不思議な感じですわね」

「本当に委員長なのか」

「その呼び方も懐かしいですね」

 

 学校を卒業してからはあやかと呼ばれていましたから、と二人が驚いている間に茶々丸に車椅子を押してもらいながらベットの近くにやってきたあやかは、ニコニコと微笑みを浮かべていた。

 年齢に変化はあるものの、確かにその表情には二人の知るあやかとの一致がある。

 

「お二人にとっては百年振りでしょうか。長い長いお勤め、ご苦労様でした」

「実感は全くないんだが、ありがとうでいいのか?」

 

 二人にとっては寝て起きた感じでしかない。ご苦労様と言われても対応に困ってしまう。

 

「しかし、百年か。こうやって生きてるとは思わなかったな」

「本当。私なんて人格を塗りつぶされてるもんだとばかり思ってたんだけど」

「どうなんだ、そこら辺」

「どう言ったらいいのかな。明日菜であり、アスナでもあるって感じ」

「わたくしが聞いた話では二つの人格が統合して記憶も経験も継承されていると窺っていますよ」

「そうなのか?」

「そうそう、そんな感じ」

 

 アスカが月日の流れと今こうしている不思議を噛み締めていると、明日菜も所詮は代理人格に過ぎない自分が未だ残っていることを感慨深く口にする。その辺の説明は上手く出来なかったが横から入ったあやかの分かり易い解釈に強く頷く。

 

「二人に触れてもいいかしら?」

 

 あやかに聞かれて別に二人が断る理由はない。

 頷きを返すと、おそるおそるといった様子で車椅子に座ったまま手を伸ばして頬に触れてくる。

 

「分かっていましたが、こうやって二人にまた会えて触れられるとは感激ですわ」

「いいんちょ、恥ずかしいんだけど」

「あら、ごめんなさい。でも、もう少しだけ」

 

 涙を浮かべながら頬を撫でられると恥ずかしい面もあるが、なんでか申し訳ない気持ちにもなる。明日菜が黙ってされるがままになってる横で、アスカも撫でられる任せる。

 すると更に感極まったのか、あやかが徐に車椅子から立ち上がった。

 

「ああ、本当に懐かし過ぎますわ!」

「わぷっ」

「きゃっ」

 

 そのままアスカと明日菜を胸に抱き締める。全く予想もしていなかった二人はあやかのされるがままになり、「大奥様、お年を考えて下さい! その役目は私が!!」とうずうずと自分の番を待っていた茶々丸が慌てた様子で手をワタワタと動かす。

 

「ふふ、115歳まで生きると感情を抑えられなくて。ごめんなさいね、つい」

 

 あやかから解放されても次は茶々丸から抱き締められ、そんなことをさせているのは自分達の所為なのだろうと負い目があった二人はされるがままに任せる。

 茶々丸の抱き締めから解放されて、ようやく落ち着いた心地であやかと茶々丸に向き直る。

 

「嘗ての友人も粗方いなくなって寂しくなっていたところです。お二人の驚く顔が見たくて長生きした甲斐がありました。先に逝ってしまった方々にも良い土産話になりますわ」

 

 感慨深げにそう言うあやかを改めて見れば、百十五歳と言った年齢に違わぬ皺が刻まれた顔が目に入る。

 

「ごめんね、随分と心配かけたみたいで」

「そうでもないですわよ。まあ、アスカさんには色々と言いたいことが山ほどありますけど」

「俺にはあるのかよ」

「他の方々からも預かってますわよ。お聞きになります?」

「結構です」

 

 明日菜にはなくて自分には言いたことがある理由に皆目見当もつかないが、物申したいことが山ほどあるとあやかの後ろに立つ茶々丸の影の映える表情が物語っており、アスカは即座に頭を下げて断る。

 クスクスと笑うあやかに不思議な感じを覚えつつも、年月の流れを感じて少しノスタルジーな気分を覚える。

 

「ねえ、この百年間に起こったことを教えてよ」

 

 アスカがセンチメンタルな気分になっていると、明日菜が率直に聞きたいことを切りだした。

 

「教えられませんわ」

「へ?」

 

 しかし、返って来たのは拒否であった。

 

「もしかして、怒ってる?」

「大奥様も今は怒ってはいないですよ」

「でも、教えてくれないんだろ」

 

 勝手に魔法世界の礎になったことを怒っているのでは戦々恐々としつつ明日菜が尋ねるが、茶々丸は柔らかく違うと否定する。

 理屈に合わないことにアスカが疑問を呈すと、苦笑を浮かべたあやかが「理由があるのですよ」と答える。

 

「だって、お二人には過去に戻って行かないといけませんから」

「はぁ?」

 

 と、この百年後の世界に生きていかないといけないと考えていた二人の口から変な声が漏れる。

 

「過去に戻るだって?」

「ええ、過去に戻る人に未来のことを教えてしまったらタイムパトロールに逮捕されてしまいますわ」

「ええと、いいんちょ。それ、本気で言ってる?」

「本当に想像通りのリアクションを取ってくれますわね」

 

 口元に手で隠しながら上品に笑ったあやかは後ろにいる茶々丸を見た。

 何らかの合図でもあったのか、茶々丸は一礼してあやかの後ろから移動して部屋を出ていく。

 

「どうしたんだ?」

「少しお待ちになって」

 

 アスカが聞くがあやかは答えようとはせず、少し待つとドアの向こうからノックが二回鳴る。

 あやかが入室を促すと、四歳ぐらい小さな少女と更に小さな二歳ぐらいの少年を連れた茶々丸が部屋に戻って来た。

 

「お待たせしました」

 

 少女少女を連れた茶々丸はベットの近くまで戻って来ると、アスカに向かって何かを差し出してくる。

 

「お二人が過去に戻る為の必要な物。航時機(カシオペア)・試作一号機ですわ」

 

 これは何かと聞こうとした機先を制して物体の概要を説明する。

 

「あ、ああ、あれか! 確かにこれなら過去に戻れるな」

「本当に戻れるの?」

「魔力も五十年分は溜まってますから十分に戻れますよ」

「やったな!」

「ええ!」

 

 最初は何を言っているのかと首を捻っていたアスカだったが、名称を言われて機能'82vい出したことで合点が行った。少し訝し気な明日菜も茶々丸の保証もあってアスカと抱き締め合って喜ぶ。

 

「ありがとう、委員長、茶々丸」

「礼なら過去のネギ先生と葉加瀬さんに言って下さい。航時機(カシオペア)を開発したのはお二人ですから」

「はぁ、あの二人がね」

「お二人が百年後に目覚めることは伺っていましたから、それに合わせて作っておいてくれたんです」

 

 流石の天才達と言うべきなのだろうかと考えながら喜びを露わにしていた二人は荷物を下ろしたように晴れやかな笑みを浮かべていた。

 

「未来のことを知っても良くありませんから、名残惜しいですが過去に戻って下さいな」

「ええ~、そう言うこと言っちゃうわけ」

「長居をされると引き止めてしまいそうになりますもの」

 

 少しは未来を体験してから過去に戻ろうかと考えていた二人は、あやかの真剣な眼差しに彼女の本音が垣間見えて深く頷いた。

 あやかと茶々丸の言葉の端々から、過去に戻ってもアスカ達は百年後までには生きてはいないらしいことは分かる。

 二人の気持ちを考えない軽はずみなことを言ったと謝辞すると、苦笑を浮かべたあやかはここは狭いからと外へと誘った。

 

「ほぇ、あれは軌道エレベーターって奴か?」

 

 促されて外に出ると、地上から天へと伸びる長い塔が目に入る。

 

「アマノミハシラと言うんです」

「へぇ、SFみたい。未来も進んでるのね」

 

 百年の年月の変化を改めて感じながら航時機(カシオペア)・試作一号機を茶々丸から受け取る。

 

「設定は既にしてあります。後はこのネジを回すだけです――――本当に戻るのですね」

「ああ」

 

 問いにパチパチと瞬きし、アスカは頷き胸を張って即答した。誰よりも力強く、誰よりも堂々と、それだけは譲れない。己が声を出したという実感は無い。自然に、呼吸をするように口から声が零れ出た。

 今にして思えば一つ一つが愛おしい。振り返るだけで、つい微苦笑してしまうような星の輝きのような時代へ戻ることに何の躊躇もない。

 

「戻っても戦いばかりだとしても、その最期が報われないものだとしてもですか?」

 

 袖の端を握りながら茶々丸が悔しそうに言うのだから、アスカの最期は碌なものではないのだろうとなんとなく推測はつく。

 どれほど幸せであっても、それは一瞬後に破壊されるかもしれない。どれほど恵まれていても、そんな環境なんて直ぐに押し潰されてしまうかもしれない。だったら造物主のように、世界を変革して幸せを確定してしまった方がいいのではないかという考えがアスカの脳裏を過る。

 そういう目にあえば、自分の考えも変わるかもしれない。甘かったのだと、楽天的過ぎたのだと後悔して、真っ当な世界などよりも閉じた世界を望むのかもしれない。

 

「……………それでもさ、やっぱり裏切れないよ」

 

 少し沈黙してアスカは困った風に微笑して、出来る限り真っ直ぐを向いたつもりで、茶々丸の眼を見据えて言う。

 

「報われるために戦ってるわけじゃないし、積み重ねた結果だとしたら仕方ない。俺は俺の信じた道を行くだけさ」

 

 自身の胸の裡を曝け出すように言葉を続ける。

 

「―――――そうですか、旦那様らしい答えです」

 

 ほう、と諦めるように茶々丸は溜息をついた。

 何かしらを悟ったような、そんな感じの溜息だった。空間の悉くに溜息は溶けていった。

 

「頑張ってください。過去の私も、皆さんも、アスカさんの道を全力で応援しますから」

「ありがとう」

 

 感謝を告げると一歩下がった茶々丸の後ろで、何故か彼女の後ろに隠れるように立ちながら見つめて来る小さな少女にアスカは見覚えのあるような気がした。

 

「今更、わたくしが言うことは何もありませんわ。過去のことは過去の人達でどうにかして下さい」

「なによ、いいんちょ。冷たいわね」

「それだけの苦労してきたのです。明日菜さんも直に分かる時が来ますわ」

 

 二人の未来を知るあやかは多くを語らず、笑みだけを浮かべて見送る体勢を取る。

 アスカが言われた通りに航時機(カシオペア)・試作一号機のネジを捻ると、溜め込まれていた魔力が解き放たれて二人の上空に大きな魔法陣が浮かび上がった。

 

「そうそう、言い忘れていましたが、この子らについて」

 

 もう少しで遥かな過去へと送られようとしている二人を前にして、今思いついたようにあやかが少年少女のことを話題に出した。

 

「なにか気づきませんか?」

「つってもな。なんとなくそっちには見覚えのあるような気がするが」

 

 同じ黒髪黒目姉弟というにはあまり似ていない二人の内、何故かアスカを凝視してくる女の子が現れた時から既視感を覚えていた。どこかで会ったことがあるような気がするのだがどうにも思い出せない。

 これぐらいの年齢であれば印象に強く残っているはずなのだが、未来人と会ったことなど一度しかない。

 

「あ」

 

 未来人など一人しか知らない。未来人という縛りで記憶を探れば該当者は一人しかいないし、想起すれば人相合わせは容易い。

 

「超鈴音か」

「ええ、あなた達の…………ええと、何代目後だったかしら。まあ、ともかく子孫ですわ」

「そしてこの子が近衛刀太。鈴音と同じくアスカさん達の子孫ですよ」

 

 驚きも一定の領域を通り越すと平静になってしまうものである。

 子供すらいないのに子孫だと言われてもピンとこないアスカは、指を咥えて見上げて来る刀太とジッと見上げて来る超の傍に屈む。

 

「ははっ、小っちぇの」

 

 頭をグリグリと小さな子供には痛いだろうと思いながら撫でまわすも超は奥歯をグッと噛んで我慢している。

 

「本当ね。あんだけ苦労させられたんだから、どうせなら恨み言の一つでも言おうと思ったけどこんな子供じゃねぇ」

 

 学園祭で超の謀で厄介事をこなさなければならなかった明日菜としては物申そうかと思ったが流石に小さな子供相手にそれをしては大人げない。

 

「いいじゃねぇか。あのことがなければ俺達は分かり合えなかったんだし」

「そうだけどさ」

「私が何をしたノ?」

 

 黙っていた超が唐突に言葉を放つ。

 

「そうだな……」

 

 何と言ったものかと考えたアスカだったが大して気にせずに口を開く。

 

「全力で俺に挑んできた。すんごい悪役振りだったぜ」

「私ガ?」

「俺はそうでもなかったけど、明日菜とか随分と苦労したらしいしな」

「他人事みたいに言うじゃない」

「怒るなって。終わったことじゃないか」

 

 少しムッとした様子の明日菜を焦って宥めるアスカの二人の姿を超はキョトンとした目で見上げる。

 純真な子供の眼差しを向ける超を見下ろしたアスカは苦笑を浮かべながら、ポンと頭に手を置いた。

 

「まあ、そういうわけでお前が大きくなって俺と戦うっつうんなら全力を賭けて挑んで来いよ。遠慮なく叩き潰してやる」

「む、これでも私ハ天才少女の名を欲しいままにしてるネ。逆に叩き潰すヨ」

「これでも世界を背負った英雄様だぞ。小指の先で倒してやるよ」

 

 ニヤリと野生的に笑って、またグリグリと頭を撫で回す。

 

「泣くなよ。別れに涙はいらないぜ」

「これは頭の撫でまわされるのが痛いだけネ」

 

 分かってて茶化したアスカの全身を覆うように魔法陣を照らすように光の柱が立って二人を包み込み、地面から光の輪が何重にも浮かび上がった。

 

「もう時間切れのようですね。お二人とも壮健でありますように」

「お元気で」

 

 体が浮かび上がり、遥かな過去へと送られようとしている二人にあやかと茶々丸が最後の声をかける。

 

「わ、私ハ貴方達に勝つネ! だから――」

 

 まるで、心をぶつけるように。自らの全てをぶつけるように言う思念。思念の渦に混じった幾多の誰かではなく、アスカを求めた声が真っ直ぐに伸びる。

 

「おう、死力を尽くして勝ちに来い。待ってるぜ」

 

 収束していく光の中で自身の身体がどこかに飛ばされていくのを感じながら、アスカは笑って挑戦を受け入れた。

 そしてブラックアウトする。

 距離感の麻痺。時間、上下左右の感覚の喪失。漠然と広がる虚空の先に、青く輝く光がぽつんと浮かんでいる。何もない闇の中にある光に引っ張られるようにして、アスカと明日菜の二人は未来から消えた。

 

「…………行ってしまわれましたね、大奥様」

 

 光の残照が辺りを照らす中で、引き止めることも出来た選択を選ばなかった茶々丸は少し悲し気にあやかに話しかけた。でも、返事がない。

 

「大奥様? ぁ……」

 

 身を沈めるように座る車椅子に上であやかは目を閉じていた。

 

「大御婆様?」

 

 光に満ちた世界に福音の鐘が鳴り響いていた。

 あやかは今は亡き人々を思った。そこで待っているであろうと愛しき人達を思った。

 長い人生という旅を終えたあやかの魂はあるべき場所へと還る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すすり泣く声が木霊する中でネギは逸早く顔を上げた。

 

「帰りましょう、皆さん。それが二人の望みです」

 

 魔力切れから回復はしていないながらも、もう前を歩いていたアスカはいない。

 代わりにはなれなくてもケジメを果たすのはネギを置いて他にはいない。苦しい役割を背負って立ち、俯きそうになる顔を上げ続ける。

 

「でも、ネギ君。みんなにはなんて言ったら」

「僕が伝えます。クラスのみんなにも、お父さんやお母さんにも」

 

 辛い役目であっても最初から最後まで見届けたアスカの半身としてネギがやらなければならないことだった。

 

「――――――後者の二人に関してはその必要はありませんよ」

 

 そこへ失われたはずの声が降りかかる。

 

「あ、アル?」

 

 忽然と一人女性を抱えながら現れたローブの男は、造物主に自爆攻撃をして消え去ったはずのアルビレオ・イマその人。彼の消滅を目撃した高畑が困惑した感じで目を見開く。

 

「いえ、私はアルビレオ・イマではありません。記憶を受け継いではいますが彼の写本。私を呼ぶのならばクウネル・サンダースと呼んで下さい」

 

 高畑の疑問を否定したアルビレオ・イマ改め、クウネル・サンダースは抱えていた女性アリカを離す。

 まるで立つことが久しぶりかのようにぎこちない動きで歩き出したアリカは倒れたままのナギをチラリと見て重い口を開く。

 

「全て終わったのじゃな」

「ああ、アスカは行っちまった」

 

 造物主から体を取り戻しても動かせない様子で答える。

 

「ネギよ、アスカが破滅すると分かっていながら止めようともしなかった愚かな親を罵ってくれて構わん。だから、そんなに抱え込まなくても良い」

「お父さん、お母さん……」

 

 ヨタヨタとネギの下へと歩いたアリカは膝をつき、その身体を抱きしめる。

 細い体と温もり、優しさと覚えていないのに懐かしいと思える匂いにネギの目に涙が浮かぶ。

 

「ごめんなさい、僕がもっと上手くやっていれば」

「自分を責めるな。お前達にそうさせた俺達が全部不甲斐なかった所為だ」

 

 悔し気に唇を噛み、際限なく自らを責めるナギに彼のことを嫌っていたクルトですら何も言えない。

 

「ちくしょう、どうしてこんなことになっちまったんだ」

 

 世界が救われても、これでは誰も浮かばれない。ナギの悔し気な声が全てを物語り、木乃香が親友がいない現実を認められない中で流した涙が風に吹かれて零れ落ちたその瞬間に異変が生じた。 

 

「……え」

 

 少女の吐息が止まる。

 心を慟哭させていた木乃香に、或いは神の気紛れか、悪魔の気紛れか。

 頭上に映っている世界樹が突如、光りだした。

 学園祭の時よりも、決戦の時よりも、激しく光が収斂して蜃気楼の如く空を歪ませるほどに絢爛に輝く。

 朝焼けの空に、そこだけ間近に太陽が生まれたように輝き、細かな上空で紫電を纏わせた上、強烈な風を地上へ吹き付けていた。

 

「……っ」

 

 自然現象としてはありえぬ出来事に、刹那が覆い被さって来るが何故か木乃香は別種の安心感を抱いていた。

 世界樹上空で絢爛と輝き集まった光は何が何だか分からない明日菜を尻目に、限界までエネルギーを溜め込んで遥か上空に打ち放った。

 両世界の中心で虹色の輝きが迸った。

 その輝きの中心に何かが生まれる。同時に耳鳴りにも似た甲高い音を辺りに響かせる。離れた場所と場所とを繋ぐことで生じる空間の歪みの際に稀に生じる発光現象に似ているとは、木乃香には分からない。

 

「―――――!」

 

 無性に胸を焦がす予感と共に見上げていると、眩い輝きが収束すると光の中から人影が姿を現した。

 光は一つの形を成していく。彼女が求め、焦がれ、追い求めた希望。世界樹が、まるで世界を救ったご褒美に彼女が最も求めた人を帰そうとするように。

 光の中から生まれたように転移してきた短い金色の髪の男と亜麻色の髪を黒い布で束ねた少女―――――アスカ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜が墓守り人の宮殿へと降り立つ。

 二人は閉じていた目をゆっくりと開いた。

 

「…………帰ってきたよ」

 

 聞き覚えのある――――――大好きな声。

 数秒か、数分か。世界が凍結したかの如く、アーニャは言葉を失っていた。目の前にいる二人があまりにも大切で、大切だったからこそ、迂闊に信じることが出来ないようだった。

 

「ただいま」

 

 悠然と背筋を伸ばしたアスカが放つ声は消して偽物であるはずがなく、自然とアーニャの口元に笑みが零れ落ちた。

 アーニャは胸の中に深く呼気を流し込むと、それを吐き出した。冷たい空気が心地良い。再び息を吸った。今度は、たいして深くはなく。澄んだ空気が、これ以上はないほどに肺を満足させた。

 一歩、小さく、まるで生まれて初めて脚を動かす幼子のようなぎこちなさで、前へ進んだ。

 

「遅いわよ、馬鹿」

 

 アーニャの、みんなの胸で湧き上がる想いは山のようにあって、けれど、喉に上がる言葉は一つだけ。

 どれだけ会いたかったか、どれだけ待たされていたかは、もう意味のないことだ。守り抜いた末に出会えたものがあった。生き抜いた先に尊いものが残った。

 アーニャは崩れるように微笑んで口を開く。

 

「お帰りなさい!」

 

 アーニャの言葉を合図としてみんなが二人に飛び掛かる。

 

「全員で飛び掛かって来るなよ!? 重いっての!!」

「潰れる~っ!?」

 

 押し潰されたアスカも明日菜も、飛び掛かったみんなが笑顔だ。

 

「お帰り、アスカ」

「お帰りなさい、アスカ」

 

 真っ先にアスカに飛びついたネギとアーニャにアスカが返す言葉は一つだけ。

 

「ただいま、ネギ、アーニャ」

 

 帰ってきた事を伝えるただ一つの言葉。待ち侘びた言葉が返って来て、二人の歓びの涙が最上の笑顔へと変わっていた。

 これからは科学と魔法が入り混じった混迷の時代が訪れる。

 未来には無限の選択肢が与えられている。その中の一つを選び、未来へと続く道を歩いて行く。どの道を選んだとしても、そこには沢山の障害が待ち構えている。時には傷つき、足踏みすることもあるだろう。行き止まりになっていて、引き返さなければならない時だってあるかもしれない。結末は誰にも見えない新たな未来の始まり。この先、どれほどの困難が待ち受けていようとも決して足を止めることはない。

 終わりの、その先の物語がこれから紡がれていく。

 

 

 

 

 

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