宿儺は苛立っている。理由は単純、退屈なのだ。
最近は一人の術師の影響で鏖殺などせずとも色褪せることのない、愉快な日々を送っていたというのにその術師は突如として、煙のように宿儺の前から姿を消した。
ゴロゴロと雷鳴を轟かせながら、豪雨と強風が吹き荒れる夜中、宿儺と裏梅はもう幾度目になろうかというやり取りをしていた。
「…裏梅、どういうことだ」
「……帝から苗字をもらったと仰っていましたゆえ、本来は毎日会いに来る暇などないと思われますが」
「それは何度も聞いた。俺は何故名を貰う程度でこんなにも時間がかかるのだと聞いているのだ」
「一般の術師からすれば大出世ですので、色々と身の回りに変化があったのでしょう」
このようなやり取りをかれこれ五日も続けている。
宿儺は勿論、裏梅も最近は玄関に自然と目をやってしまっている。それほどまでに万代という人物は二人に大きな影響を与えていた。
「……退屈だ。近隣の村でも更地に変えてしまおうか」
ガシャガシャン!
宿儺がそう口にした瞬間、屋敷の扉が乱暴に開かれ、壊れてしまったのではないかと疑うような音が屋敷に響く。
「風の影響でしょうか、見て参ります」
裏梅は玄関へと向かう。そしてそこで目にしたのはは全身が雨に打たれずぶ濡れになった万代。しかし、その姿よりも目を引いたのは、ずぶ濡れでもわかるほど、血にまみれて右腕を失った万代の痛々しい姿だった。
「っ!!! 万代殿っ!!」
「ぁぁ…ちょっとだけ…休ませてくれないかな、大丈夫、すぐ出てくから…」
「喋らないでくださいっ、今治します!」
裏梅はかつてないほどに焦りの表情を顕にし、服を脱がせ、ボロボロになった身体に反転術式を使い続ける。しかし、万代に反転術式は作用しない為に怪我が治ることはなく、ただいたずらに呪力を消費していく。
「ゴホッゲホッ、無駄だって、俺の体質を知ってるだろ…」
「喋らないでください!」
「騒がしいぞ裏梅。なにがあった…」
欠伸をかきながら宿儺も遅れて登場し、同様に万代の姿を目にする。
「万代…!」
宿儺は万近に付き、目を閉じかけている万代の名前を呼ぶ。
「おい! 目を覚ませ莫迦者!! 万代!!!」
そこで万代の意識は、繋いだ細い糸が切れるかのごとく、突然途切れた。
ザァー
外は豪雨。宿儺は先程の暇から一転、激怒している。目の前で苦しそうに倒れ伏す唯一の友人の額を優しく触りながらも、その優しさとは対極に憤怒の感情は増していく。
「裏梅、治るか」
「……右腕はもう無理かと。加えまして、一部の内臓と骨の損傷もかなり見られます。…もう、刀を握るのも難しいかと…」
ドォォンッ!!
雷鳴が宿儺の怒りを代弁するかのように轟く。
「裏梅、鏖殺だ…!!塵共め、一人たりとて残さん…!!」
「御意に…!」
宿儺が立ち上がりそう言うと、宿儺の足元に万代の白い触手が弱々しく触れる。
「おい…待ってくれ宿儺…」
キンッ
宿儺の術によって万代の術はいとも容易く破られる。
「指図するな、今の弱い貴様に俺を止められる権利も力もない」
「だからって…行かせられるかよ」
万代は無理矢理立ち上がり、身体の至るところから出血しながら宿儺に近寄る。
「万代殿っ、動いては傷口が開きます!」
「なんだ貴様、まだ呪術師を護るだのと宣うのか」
「違う」
「まだ未練を持っているとは見上げた根性だな」
「違う…!」
「貴様のその傷は誰につけられた? その腕は誰に取られた? この俺が代わりに塵共を鏖殺してやろうと──」
「違う!!!」
ドンッ
万代は大声を出して宿儺の胸を拳で叩く。
「…何故だ」
「ハッキリ言ってやる、俺は呪術師の連中なんざもうどうでもいい! お前の趣味にも興味無いし未練もなければ、復讐を考えてここに来たわけでもない!」
身体中から血を垂れ流しながら宿儺の服を掴む。
「では何故だ! 何故俺を止めるのだ貴様は!!」
「他人の為に力を使うなよ!!」
宿儺は唖然と口を開く。宿儺は強者に敬意を払えど他者の為に動くことはない、はずだった。
今宿儺は自分の為に動いてはいない。
(他人の為…この俺が…?)
「お前を…縛りたくないんだよ…! 俺の為に力を使うな。自分の為にだけ、自分の…自由の為にだけ! にその力を使え…よ…」
ズルルッドサッ…
身体を宿儺に預けながら万代はうつ伏せに倒れ伏す。
「万代殿!!」
「………裏梅」
「ハッ!」
「止めだ」
「?」
「どうやらコイツは生意気にも俺に指図するらしい…鏖殺はやめだ。今暫くは、"自由"に過ごすのも悪くはない。最善を尽くせ、死なすな」
「…御意に」
宿儺は溜息をつき、部屋から出ていった。
──ー
裏梅の見立ては、傷だけならば後遺症付きで生き永らえることは出来た。しかし、万代には呪いがかかっていた。"非呪術師百三十人"を犠牲に使った強力な呪い。万代の心臓をどんどんと蝕んでいく、特級の呪い。裏梅にも宿儺にも解呪は出来ず、二人の術師が選んだのは、残りの半年を"自由"に過ごすこと。
一週間。その間寝たきりだった万代は、そこから変わった。
「んーっ、今日は良い天気だね」
「動いてもよろしいのですか?」
「もう、老人扱いしないでよ」
物腰が柔らかくなり、まるで今までの男だった時間を取り返すかのように、服も女性の着物を着るようになった。
極めつけは
バフッ
「ぅわっ」
「今日は冷える。外に出るなら上着を羽織れ」
「宿儺まで私を老人扱いしないでよ」
「フン、老人の方が今の貴様より健康体だ」
一人称が俺から私へと変わった。無理をして変えているわけでもなく、ごく自然と当たり前かのように突然変わったのだ。
女性と分かってからも男性と同じように扱えと宿儺に再三言っていたにも関わらず、一週間という短い時を経て、万代はあっさりと今までの生き方を捨ててしまった。
「今日は冷えるのか…そろそろ雪が降るかもね」
「冬は好かん、寒い」
「夏は?」
「暑いから好かん」
「…宿儺の方がよっぽどじいさんじゃない?」
「あいも変わらずに減らず口を」
ビュゥッ
縁側で話していると、冬の訪れはもうすぐとでも言いたげに風は二人の身体を冷やす。
「ぇぎしっ!」
「ぅぅ、寒っ。戻ろうかな」
残り半年。毎日治療を施し、やれることをすべてやってもその時間は覆らない。一日、また一日と無情にも時は過ぎていき、死へのカウントダウンは止まることはない。
秋の夜長、季節は冬へと移り変わろうとする季節。
縁側で二人は月を眺めながら他愛もない、けれど無下にしてはいけない会話をしていた。
「万代よ、貴様が望むのであれば俺はいつでも塵共を鏖殺してやるぞ」
「何度も言ってるように、そんな気遣いはいらないよ。それよりほら、綺麗な満月だよ」
万代は月を指さしながらニコニコと笑う。宿儺は毎晩この質問を繰り返し、万代もまた、何度も同じ回答を繰り返している。
「これも何度も言ったけど、何をするかくらいは自分で決めてよ。私の望みの為になにかするんじゃなくて、自分の望みの為にその力を使うべきだ。まぁ、例えば、目の前にいるか弱い乙女に酌をするとかね」
左腕だけの万代は屈託のない笑顔でクイクイと空いた盃を宿儺に向ける。
「…相変わらず煙に巻くのが上手いな、貴様は」
「宿儺が単純なだけじゃない?」
夜は更けていく…。
やがて日は上り、月は沈む。同様に、月は上り日は沈む。
秋は終わり、冬は来る。同様に、冬は往き、春が還る。
地球が終わるまで、終わることなく永遠に続いていく世界の決まり。
世界に置いていかれるのは、いつだって生命だ。
その中でも一際強い感情を持ち、哀しむことを許されるのが人間だ。
「…ついに動けなくなったか」
万代は布団から立ち上がることもせず、静かに目を瞑りながら宿儺と話している。
「……まぁ、耐えた方でしょ」
「万代殿…」
「あとどのくらいかな…こうして話せるのは」
生気のこもっていない両目を開き、宿儺と裏梅を見つめる。
ギリィッ!
直後、宿儺は大きな歯ぎしりの音を立て、万代の腕を掴んで馬乗りになる。
「……どうした?」
「…最後だ万代…俺に願え。あの痴れ者共を鏖殺するに足る理由を俺によこせ。お前はただ復讐を願うだけでいい、俺はただ友人の手助けをしたに過ぎぬのだ」
「……何度も言うけど、答えは変わらないよ」
「万代!!……頼む…俺に、このままお前を看取らせるな…!」
万代は宿儺の首に手を回し、下から抱きしめる。
宿儺は表情こそ崩さぬままだが、悲しみか、怒り故か震えている。
「願いね…だったら、最期くらいは私の側にいてよ…私を一人ぼっちで逝かせないでくれ。もちろん、裏梅さんもね」
「………はい」
裏梅は静かに万代の横に佇む。
万代は静かに宿儺から離れ、二人の手を握る。
「……我ながら乙女だね…。そろそろ時間かな」
みるみるうちに万代の顔色は青白くなり、手からも温もりが消えていく。幾度となく体験したであろう、他者の死。唯一、今までと違うのは、他人ではなく友人だということ。
「……裏梅さん、来世でも…よろしくね。宿儺…またね」
手は冷たくなり、呼吸器が動くこともない。瞼は静かに閉じられ、二人の姿を映すことはなくなった。
「これは縛りだ。お前はいつかまた俺と出逢うのだ…決して違えるなよ、万代」
死滅回遊、いつ始められるかな、、、