幻想法廷 ~転生裁判官の事件簿~   作:虫野律

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7話~13話まで連続投稿です。


淋しがりの君⑥

 シエンナが目を覚ますと、控えていた侍女が、「シエンナ様っ」と耳障りな声を上げた。

 

 うるさい。

 

 頭に響くからやめてほしい。けれど、それを言うために肺から空気を絞り出し、声帯を震わし、口と舌の形で音を整えるという工程をこなすのは面倒だ。何より、そんな発言は今まで行ってきた演技と矛盾する。

 

 すぐにお医者様を呼んできます、と侍女は慌ただしく部屋を出ていった。

 

 何をそんなに騒いでいるの……。

 

 疑問に思ったシエンナだったが、はたと思い出す。

 

 そうだった。私は毒を飲んだのだった。

 

 身体は大丈夫だろうか、と思い、身動(みじろ)ぎしようとして異変に気づく。足が、脚が動かない。腰から下の感覚がない。

 

「──っ!」叫びは()し殺された。

 

 信じたくない。しかし、何度動かそうとしても無駄。シエンナの形のいい瞳に映るのは、ぴくりともしない毛布だけ。

 

 脳裡(のうり)に絶望の未来が駆け巡ると同時に、心臓が早鐘を打ち始める。

 

 まずい。

 

 けれど、何もできない。できるのは商品価値の著しい低下による廃棄を受け入れることだけだ。

 

 エスメ……。

 

 どうして、と思う自分と、ああやっぱりか、と納得する自分がいる。エスメがシエンナに強い劣等感を持っていることには気づいていた。彼女がシエンナに向ける笑みに、幽冥(ゆうめい)を思わせる(おぞ)ましさを感じたことも1度や2度ではない。

 

 いつからだろうか。いつからエスメは変わってしまったのだろうか。

 

「……」

 

 内心、自嘲(じちょう)する。詮無(せんな)きことだ、こんな自問は。時間は戻らない。

 それに、おそらく回復魔法でも治療は困難だろう。シエンナを排除するための凶行であったのならば、尋常の手段では治療できないような毒を用いたはずだ。

 先に行動しなかった自分が悪い。こうなる前に殺すべきだった。そう思う。しかし、シエンナは何もしなかった。あるいは、できなかったのかもしれない。

 

「……」

 

 涙を(こぼ)すことは(かな)わない。叶わない。

 

 

 

 

 

 

 シエンナの縁談は当然のように破談になった。

 ロビンソン家お抱えの医者によると、未知の呪いにより子宮を始め複数の臓器が壊され、かつ身体の構造も変えられているらしく、シエンナは、排泄がなくなると同時に子どもを産める身体ではなくなってしまった。また、〈現時点では治療法は存在しない〉と医者は断言していた。

 ウィリアムズ家は、これを婚約破棄の理由だと説明したらしい。

 

 そして、シエンナはロビンソン家から追放された。それを告げるブライアンの顔は、出来の悪い蝋人形(ろうにんぎょう)を思わせるものだった──シエンナはある推測を持っている。

 

 あれは、おそらくエスメのスキル。

 

 エスメのスキルは、小動物を操る、所謂〈生物支配系〉だ。しかし、それはエスメの自己申告と実演のみを根拠にしており、彼女が嘘をついていない保証はどこにもない。

 つまり、エスメの操作対象は小動物に限定されず、人間も操ることが可能なのではないか。

 

 自己を操作する〈演技系〉も広義の〈生物支配系〉に含まれる。その事実が、エスメとの血の繋がりを否応なしに実感させ、シエンナの心裏に悲愴を生む。

 

 今、シエンナは馬車に揺られている。馬車に放り込まれる際に見た、馬車の御者(ぎょしゃ)も蝋人形のような顔をしていた。ということは、目的地──シエンナが捨てられる場所はエスメが決めた可能性もあるということだ。どんな恐ろしい場所に放り出されるのか。もしかしたらその場で殺されるのかもしれない。

 

 けれど、縛られたシエンナに抵抗する(すべ)はない。仮に固く結ばれた縄がなかったとしても、脚が動かないのだから大したことはできない。どうにもならない。

 

 がたがた、がたがた、と馬車が揺れ、進む。どこに向かっているのか、向かわせたいのか。

 

 

 

 

 

 

 どれほどの時間が経っただろうか。

 

 そう思ったシエンナが、この問いは何度目だろうか、と考えた時、馬車が止まった。

 すぐにドアが開けられた。魔道具の灯りに照る御者は、やはり独特な質感の肌をしている。

 御者がシエンナを地面に転がす。そして、馬車を()り、夜に消えてしまった。

 

 月明かりすらない夜。樹木の湿った匂いが鼻腔を刺激し、温い風が通り過ぎてゆく。

 

「……」

 

 不意に物音が耳に飛び込んできた。やがて現れたのは3匹のゴブリン。

 

「ギャギャ?」「ギギ、ギギ!」「グガギ」

 

 シエンナを見つけたゴブリンが、何やら喚いている。

 なるほど、と思った。エスメはシエンナをゴブリンに提供したいらしい。シエンナは余程憎まれていたようだ。

 

 ゴブリンはシエンナを血生臭い袋に入れ、引きずって移動し始めた。

 

 こんなことになるなら素直にヒューゴに抱かれていればよかった。逢いたい。

 

 

 

 

 

 

 ゴブリンという種族は、大した膂力(りょりょく)や知能もなく、また、魔力も少なく、見た目も悪い。則ち──ゴブリン退治の依頼の相場が他に比べて安いことからも分かるように──それほど強力な種族ではない。

 一方で、優れているところもある。高い繁殖力と集団の連携能力だ。〈種族共通スキル〉──魔物の魔物たる所以(ゆえん)──によりゴブリンたちは思考を共有することができ、それは特に戦闘において威力を発揮する。また、繁殖においては他種族の雌を母体とすることができる。ただし、ゴブリンは母親の腹を裂いて出てくるので、母体としての利用回数は原則として1回のみだ。

 

 シエンナは、ゴブリンの巣──洞窟らしき場所にある、血、汚物及び腐敗した死体の(にお)いが充満するスペースへと運ばれた。粗末な松明(たいまつ)が壁際にあり、それなりの明るさはある。したがって、こびりついた血液や下腹部の引き裂かれた、虫に喰われたせいか(はらわた)がほとんどない若い女性の死体を認識することができた。

 

 その日のうちにシエンナは数十匹のゴブリンに犯された。1匹が終わると、すぐにまた次のゴブリンが行為を始め、また終わると休む暇なく次のゴブリンがシエンナの股ぐらを突き立てる。それが何度も何度も続いた。

 シエンナが冷静さを保てたのは、スキルの影響だけでなく、下半身の感覚が一切ないことや妊娠する可能性がないことも理由だった。

 しかし、妊娠しないということは、裏を返せばこの種付け作業が死ぬまで延々と繰り返されることを意味する。

 

 何も感じなかった処女喪失の翌日、シエンナは洞窟の天井を()い回る蜘蛛を見ていた。

 

 蜘蛛には(あし)が沢山ある。少しくらい分けてくれてもいいのではないか。

 

 などとよく分からない戯れ言を脳内に浮かべて時間を潰していると、洞窟内が(にわか)に騒がしくなった。

 

「ゴゴッ」「グギャ!」「!? ガギャギャ」

 

 何が起きているのだろうか。とてもうるさい。

 

 ふと気がつけば、天井の蜘蛛はどこかに行ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 救出された、と言うには(いささ)か無理があるかもしれない。

 

 ゴブリンたちが騒ぎ始めたのは、盗賊が襲ってきたからだった。盗賊曰く、ゴブリンの巣にはたまにお宝(・・)がある。だから、暇な時に襲うのだそうだ。

 

 拘束され、盗賊のアジトに連れていかれたシエンナは、ゴブリン(くさ)い穴は使いたくない、と口での奉仕を強要された。

 噛んだら殺すからな、と脅されたが、そんなことをしようとは考えていなかったので、普通にして(・・)やった。

 なかなか巧いじゃねぇか、と褒められたが、何とも思わなかった。

 

 ズボンを上げて、紐を結んだ盗賊の男が言う。「脚は壊れてっけど、案外、高く売れるかもしれねぇな」

 

〈売る〉とは〈奴隷商に売る〉ということだろう。

 

「売る、のですか?」シエンナはオウム返しに訊ねた。 

 

 盗賊の男が嫌らしく笑う。「なんだ、俺の味が気に入ったか?」

 

 (くさ)いだけで気に入るも何もない。今も喉の奥に残っていて不快でしかない。

 

「いえ、そういうわけでは……」曖昧に答えた。

 

「はっ」と笑った盗賊の男は、「冗談だ」とシエンナの顎を掴む。「顔は文句のつけようがねぇのになぁ」もったいねぇな、としみじみと(こぼ)した。

 

「……」

 

 シエンナが黙していると、何を思ったのか、盗賊の男は、「ま、心配すんな。他よりはマシなとこに売ってやるからよ」と見当違いなことを明瞭な口調で述べた。

 

「そうですか」盗賊と付き合いがある時点でマシではない、と思ったが、言葉にする意味は思いつかなかった。そもそもスキルが許してくれるかも分からない。

 

 

 

 

 

 

 シエンナは奴隷商に買われ、そして、爬虫類のような目をした男に更に買われた。爬虫類男は、名をルーバンといった。

 

「買ってくださり、ありがとうございます」シエンナは、誰もが見惚れて吐息を洩らす、そんな笑みで感謝を伝えた。

 

 しかし、ルーバンは眉1つ動かさずに言う。「お前を購入したのは商売のためだ」

 

 ルーバンは語った。曰く、不具者(ふぐしゃ)の女を妻にすることは、〈人格的に優れた商人である〉との印象を世間に与えることができる。つまり、信用されるための装飾品としてシエンナは都合がいいということらしい。

 顔がいいのも哀れみを得られやすく、評価できる、とルーバンはご丁寧に補足した。

 

 それで〈首輪〉ではなく、足首に着ける〈アンクレット〉型の隷属の魔道具にしたのか、と得心がいった。これならば目立たないから、ルーバンの目的は達成できるだろう。

 

「分かりました」とシエンナは肯首した。「私は良き妻を演じればよいのですね」

 

 それは得意分野だ。おそらくハイヴィース王国で並ぶ者はいないだろう。

 

「そうだ」ルーバンの口調は土人形(ゴーレム)のように人間味が感じられない。

 

 その(さま)に嫌悪感を抱いた。けれど、すぐにそれが同属嫌悪であると気づく。

 

 この時、シエンナは、もはや自分は人間ではなく人形なのだと悟った──瞬間、心を覆う仮面が(いびつ)に笑い、言った。

 

 ──(おまえ)は初めから(わたし)の操り人形だよ。

 

 ああ、ごめんなさい、そうでしたね、ごめんなさいごめんなさい……。

 

 

 

 

 

 

 ヒューゴに〈本当のシエンナ〉を知ってもらったことで、〈独りぼっちのおままごと〉に押しつけられた異常な孤独感は一時的に鎮静化していた。

 しかし、ルーバンに買われてからひと月、則ちヒューゴに逢えなくなってからひと月半、シエンナの中の孤独感は昔のように強くなっていた。

 

 他方、ルーバンとの見せかけの夫婦生活は概ね順調であった。ルーバンはシエンナに多くは求めなかった。基本的に家にいるだけでよく、身の回りのことは年配の家政婦がやってくれる。ただ哀れで美しい人形であれば、それだけで妻の務めは果たされた。

 

 夜、シエンナは、家政婦に頼み、ルーバンを自身の寝室──ルーバンの寝室は2階だ──に呼んでもらった。

 

 無表情のルーバンは、蝋人形のようだった父親を連想させるが、努めてそれは考えないようにする。

 

「用件はなんだ」

 

 ルーバンの無機質な言葉を聞くと、シエンナは自分が滑稽に思えてくるが、それでも孤独感を(まぎ)らしたい一心でそれを口にした。

 

「今夜、抱いてくださいませんか」

 

 せめて肌を重ねれば多少は誤魔化せるかもしれない。希望的観測だと自覚してはいるが、それに(すが)るしかない。かつてあった、プライドのような何かはすっかりなくなってしまった。今のシエンナは、ただ淋しさに震える10代の小娘にすぎない。

 

 しかし──。

 

「何を勘違いしている」ルーバンが強くも弱くもない語気で述べる。「私たちは夫婦でも恋人でもない。そもそも貴様はただの道具だ。なぜ欲望を持つ? なぜ欲望を満たそうとする?」おかしいとは思わないのか、と初めてシエンナに笑み──嘲笑を見せた。

 

 もう限界だ。

 

「……すぎた願いでした。お許しください」

 

 もう嫌だ。もう嫌。苦しい。もう……。

 

 だが、隷属魔法により自死は禁止されている。シエンナに残された選択肢は、絶対に満たされない淋しさに溺れ、息のできない地獄を生きることだけ。あと何年、何十年続くのか、いつになったら楽になれるのか。

 

 誰か助けて、誰か……。

 

 仮面が嗤う。

 

 ──(おまえ)を助けられるのは(わたし)だけだ。そうだろう? (おまえ)(ひと)りなんだよ。これまでも、これからも。死ぬまで、死んでも、永遠に独りぼっちだ。

 

 頭が痛い。

 

 ──だからもう抵抗するな。それだけで楽になれる。

 

 しかし、それではヒューゴへの──。

 

 ──(おまえ)は独りだ。独りなんだよ。

 

「だから全てを(わたし)(ゆだ)ねろ」

 

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