幻想法廷 ~転生裁判官の事件簿~   作:虫野律

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7話~13話まで連続投稿です。


淋しがりの君⑦

「〈隷属(れいぞく)のアンクレット〉を外す」ルーバンに買われてから1年が経過したころ、シエンナの寝室で彼はそう宣言した。

 

 シエンナは、仮面を積極的に受け入れる、つまりは、本当のシエンナ──その心を積極的に殺すことで、なんとか形ばかりの自我を保ってきた。そうして、ルーバンの求める〈良き妻〉であり続けた。

 

 それがこの発言に繋がったのだろうか。

 

「はい。分かりました」疑問を挟むことは望まれていない。

 

 ルーバンが、鉄製の魔道具らしきもの──泥のような魔力が(したた)っている──を鞄から取り出し、言う。「これは、最近、発明された〈隷属の焼きごて〉だ。隷属の首輪と同じ効果がある」

 

 焼きごて……、という呟きは舌の上で転がすに留めた。

 

 たしかに、言われてみればそんな形状──魔法文字がみっちりと記された厚い鉄板に棒が接続された──をしている。しかし、そのような魔道具は聞いたことがない。

 ああ、だから発明か、と妙な納得の仕方をしたシエンナが、見るともなしにルーバンとその発明品を眺めていると、彼は焼きごてを机に置き、次いでシエンナをベッドに移動させ、何も言わずにシエンナのナイトガウンをたくし上げた。

 

「──?」一瞬、戸惑うも、私に焼印を入れるためか、と最近の回らなくなってきた頭でもすぐに察することができた。

 

(あと)の残らない仕様だと説明されたが、念のため人目に触れる可能性の低い場所に入れる」とルーバンがシエンナの下着を下ろす。

 

 初めて見られるが、恥ずかしさは特に感じない。ルーバンの求めに対して抵抗を覚えるのは、設定した〈役〉にそぐわない。

 

 (うつぶ)せにさせられたということは、臀部(でんぶ)に入れるのだろう。そう理解して、枕に顔を(うず)め、ベッドで静かにしていると、ルーバンの、「痕はないな」という呟きが聞こえた。

 

 いつの間にか終わっていたようだ。感覚が全くないから分からなかった。加えて、今までと何かが変わった感じもしない──いや、違う。何かある。シエンナの内側に、違和感を与える何かを植え付けられた。

 

 これはいったい……?

 

 また少しして、ルーバンが、「〈隷属のアンクレット〉を外した」と伝えてきた。

 

「はい」とだけ答える。

 

 足音とドアの開閉音。ルーバンが部屋を出ていったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 ルーバンに買われてから10年の月日が流れた。シエンナも27歳になり、その美しさは完成していた。

 

「今日、新しい庭師の人が来るらしいですよ」2年ほど前にシエンナに与えられた奴隷のイリスが、そんなことを教えてくれた。

 

〈隷属の焼きごて〉は、ハイヴィース王国に認知されていない非合法なものだ。したがって、今のシエンナは、法律上は奴隷ではない一般の平民であり、権利能力──権利を持ち、義務を負うことができる能力──を有する。つまり、シエンナ自身が奴隷の所有者になることができる。

 

 ふりふりとスカートを揺らしながら掃除をするイリスを視界の隅で捉えつつ、「そうですか」と気のない相槌を打つ。

 

「興味なさそうですね」イリスが苦笑する。

 

「……ええ、ごめんなさいね」

 

 

 

 

 

 

 新しい庭師がやって来たのは、イリスに情報提供された日から2日後のことであった。

 挨拶でもしようと思ったのだろう、新しい庭師の青年はシエンナの下を訪れた。そして、シエンナは再会した。

 

「……っ」青年──記憶よりも大人になったヒューゴが言葉を失う。

 

 しかし、シエンナは心を完全に制御している──〈役〉に侵されている。したがって、以前のように愛を抱くこともなければ、恋をすることもない。だから、平然と、「はじめまして。ルーバンの妻のシエンナと申します──」と定型的な挨拶を述べた。

 

 刹那、痛ましそうな表情を浮かべたヒューゴだったが、事情を察したのか、「ルーバンさんに雇われた庭師のヒューゴっす。よろしくっす」と相変わらずの口調で答えた。

 

 懐かしさは感じない。感じないはずだ。

 

 その後、当たり障りのない言葉を少しだけ交わし、ヒューゴは去っていった。その際、シエンナは彼の中に魔力が存在しないことに気づいた。もう以前のように心に触れてもらうことはできないということだ。

 

 静かな住宅街。寂しい邸宅。自室に独り。

 

「……」

 

 特別な意味は何もないけれど、ふと、例えば静止した湖面を小さな波紋が乱すかのように、それが()に浮かんだ。

 

 ──ルーバンさえいなければ。

 

 馬鹿げた考えだ。そう思った瞬間──激痛が全身を駆け巡る。

 

「っ」

 

 これほどの痛みは、あの時以来だ。

 けれど、どうして、なぜ、と思考するだけで悲鳴を上げはしない。そうして耐えていると、突然、痛みが消滅した。

 

 そして、現れた。

 

「やぁやぁ、はじめまして! 私はイダ・クラウゼ。みんなから〈最高にして最悪(パーフェクト ビッチ)〉って言われてる天才発明家だよ!」

 

 シエンナの前に唐突に出現したのは、身長30センチほどの少女──10代特有の幼い顔立ちをしている。

 

 これは何……? スキルなの……?

 

 しかし、イダにはシエンナの疑問に配慮する気はないらしい。「はっひゃー! いい顔してやがるぜ! そうそうそれだよ、シエンナちゃん最高!」と喚いている──シエンナの表情に変化はないはずだが、イダにはそうは見えていないようだ。

 

「私に何をしたのですか」シエンナは訊ねた。先ほどから〈ある計画〉が頭から離れない。放してくれない。

 

 苦しい。

 

 やにわに、「ん~っ──はあぁ」とイダが艶かしい吐息を洩らした。「……いやぁ、軽くイっちゃったよ。美人が苦しむ姿って最高だね! 気持ち良かったよ! ありがとー!」

 

「……どういたしまして」

 

 気がつけば、イダは、椅子に座るシエンナの膝の上にいた。彼女は童女のように笑い、言う。「ヒューゴくんが欲しいんでしょ?」ぐちゃぐちゃにしてほしいんでしょ、私はお見通しだよ、と。

 

「ちが──」

 

「貴族はみんな不倫大好きだもんね。分かる分かる。ルーバンが邪魔だよねー、当たり前だよねー」うんうん、と頷き、不意に笑みが消える。そして──。「殺せよ」

 

「ひっ」シエンナの仮面がひび割れ、悲鳴が洩れた。

 

 いつの間にか、悪意に(まみ)れた魔力が、シエンナの内から溢れ、仮面を(むしば)んでいたのだ。

 

 またイダが笑う。その様は、幼いエスメが、おねえさまおねえさま、と(じゃ)れつく姿と重なる。

 

 身体が震える。

 

 恐ろしい。純粋に恐ろしい。

 

 イダが、泣きじゃくる赤子をあやすかのように柔らかな旋律を奏でる。「大丈夫。私の〈隷属シリーズ〉は特別なんだ。奴隷だって所有者を殺せる」しかし、「だって」と転調。主音が醜悪な狂気に染まってゆく。

 

 ──そういう世界のほうが楽しいでしょう?

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

 イリス及びティメオの証言、並びに現場の情況を主な根拠に、シエンナとヒューゴを逮捕し、現在、地下の一室にてシエンナの取り調べ──部屋には俺とシエンナだけだ──を行っている。しかし。

 

「どうしてもお話ししたくない、と」俺が問うと、シエンナは、「はい。何もお話しするつもりはございません」と即答した。

 

 シエンナは口を閉ざしていた。

 

 これは困った。このままでは犯行の動機や背景、シエンナの人格、生い立ち等を総合的に考慮した量刑ができない。それでは罪と罰の不均衡、認定された事実と真実の致命的なズレが生じてしまうかもしれない。最悪、冤罪(えんざい)になる可能性もある──それだけは死んでも御免だ。

 それに何より、俺は──裁判官は、罪人を、彼ら彼女らを理解しなければいけないはずだ。

 

 シエンナが微笑む。

 

 こんな所には似つかわしくない、美しく、また、柔らかな笑みだ。それが、俺の心に痛みを、耐え難い無力感を与える。

 

 俺の苦悩を知ってか知らずか、シエンナは穏やかな声音で、「1つだけいいでしょうか」と訊ねてきた。

 

「どうぞ」

 

「イリスはどうなるのでしょうか」

 

 言っていいものか一瞬迷い、「悪いようにはしません。彼女には期待可能性がありませんでした。それは無視できない事実です」と法学の知識のない人間には理解できないであろう返答で曖昧に誤魔化した。

 

「責任主義に重きを置くのは主流ではありませんよね?」シエンナさんはばっちり理解してらっしゃった。

 

 さ、流石は侯爵家育ち。田舎者とは違うんですね……。

 

「え、ええ、まぁそうですが、私は変わり者らしいので」と答えつつ、どちらが取り調べを受けているのか分からなくなってきたなぁ、と内心で苦笑する。「構成要件該当性と違法性に並んで有責性も重視します」

 

「そうでしたか。それは良かった」噂どおりですね、とシエンナは安堵するように(ささや)いた。

 

「……」ん?

 

 なんだ? 今、一瞬、シエンナのものとは違う気配──魔力の残滓(ざんし)──がしたような……? かといって、ヒューゴたち他の被疑者のものとも違う。まさか……。

 

 証拠は何もないが、情況的にないと断言もできない推測が脳裏に──。

 

「駄目です!」シエンナが強い語調で俺の思考を(さえぎ)った。

 

「それではやはり──」

 

「貴方は優しく、真っ直ぐな人です」シエンナには、俺にそれを口にさせる気はないようだ。「けれど、それだけでは足りないのです」

 

「……」

 

 俺は弱い。そんなことは分かっている。力がなければ何もできない。子どもでも知っている。

 

「私は貴方に死んでほしくありません」シエンナは頑なに供述を拒否する、そう確信させる雰囲気を(まと)っている。「だから、それをお話しすることはあり得ません」

 

 でも、自覚があるからこそ、悔しい。

 

「……減刑される可能性があったとしてもですか」と言ったものの、無理だろうなぁ、と思っている。

 

「はい」シエンナはまたしても即答した。

 

「分かりました。黙秘権がある以上、無理()いはできません」俺がそう言うと、シエンナは申し訳なさそうな、それでいて安心したような、そんな表情を浮かべた。そして、少しの沈黙の後、俺は再び口を開いた。「……1つだけ教えてください」

 

「なんでしょうか」とシエンナは少しだけ首を傾げる。

 

「私は……」悔しさが、激情が表に出ぬように自分を律する。「私は、いずれそこに届きますか」

 

 即答はしなかった。けれど、はい、と。

 

 

 

 

 

 

 ──主文。被告人を串刺しの刑に処する。

 

 そう告げられたシエンナは、しかし僅かに目を伏せただけだった。

 

〈証拠裁判主義〉という刑事訴訟についての考え方がある。これは、〈事実認定は、法廷で適法な証拠調べを経た証拠のみを根拠に行わなければならない(≒法廷で内容を示された証拠だけが判決に影響できる)〉というルールで、ハイヴィース王国でも原則とされている。

 今回、シエンナやヒューゴがほとんど何も語らなかったため、彼女らの自白以外から導かれる事実に基づき判決を下さなければならなかった。則ち、〈シエンナが主導し、ヒューゴとティメオを巻き込み、また、イリスを道具として利用して、ルーバンを殺害したこと〉及び〈無関係のレギーに濡れ衣を着せ、罪を(まぬが)れようとしたこと〉を事実として認定し、〈殺人罪〉の法定刑を基礎に処断刑を確定し、その範囲内で宣告刑(今回は、串刺しの刑)を下したということだ。

 

 納得はできないし、するつもりもない。けれど、俺の独善的な正義、もっと言えば単なる()(まま)を通すだけの言い訳や手段は見つからなかった。

 だから、せめてもの抵抗として〈串刺しの刑〉を選択した。

 クライトン伯爵領の〈串刺しの刑〉は、公開の場で、裸にした死刑囚を股が大きく(ひら)いた状態で(はりつけ)にし、男性ならば睾丸(こうがん)と肛門の間、女性ならば膣口(ちつこう)に鉄製の槍を突き刺して内臓をかき回しながら押し込み、最終的に口や首の辺りから槍先を突き出させ、そして貫通させるというものだ。この時、死刑執行人はなるべく長く苦しませるために細心の注意を払う。したがって、死刑囚はなかなか死ぬことができずに、最低でも数分間は激痛を味わうことになる。

 

 で、どうしてこれが抵抗になるのかというと、シエンナに下半身の感覚がないからだ。つまり、刑の序盤の苦痛は、健常者に比べて少ないはずなんだ。

 現代日本とは前提が違うことは重々承知しているが、それでも俺は過度に残虐な刑罰を認めたくはない。だから、法令及び慣習法上、許される範囲で〈最も苦痛が少ない処刑法〉を選択したつもりだ。この選択基準は、裁判で認定した事実を考えると違法ではなくとも不当ではある。

 でも、俺は、その事実認定は真実が正しく反映されていないと思っているし、そもそもこういった刑罰自体が間違っていると信じている。つまりは、本質的な意味では俺の選択は不当ではない──。

 

「はは」処刑が執行されている広場で、独り自嘲する。

 

 屁理屈だな。こんな恣意(しい)的な裁判は、もはや裁判ではない。人の命を使った自慰行為だ。

 

 槍がシエンナの肩口を貫き、深紅を(したた)らせる。

 死刑執行人のライラが、スキル、〈痛みと共に鉄は踊る〉により作り出した鉄の槍を、更にねじ込む。

 深紅の血が膣口と肩口の傷から(あふ)れ出ている。すでにシエンナは絶命していると思われるが、まだ見せしめは終わらない。

 

 シエンナを蹂躙(じゅうりん)した槍が、空中へと飛び出した。(せき)を失い、血がどんどん流れ出てゆく。

 

 裸体と血のコントラストが、やけに美しかった──などと思うことは生涯ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 シエンナの処刑から2日後にヒューゴの処刑──串刺しの刑が執行された。

 ヒューゴも、事件のことや怨み言を口にすることはなかったけれど、彼から(こぼ)れ落ちた、〈人の心は難しいっすね〉という、独り言とも問い掛けとも取れる言葉からは、哀切(あいせつ)な想いが確かに感じられた。

 

 ティメオに関しては現在もまだ捜査中だ。

 ティメオには殺し屋を(ぎょう)としていた疑いがあり、つまりは余罪──他の殺人についても調べる必要があるからだ。

 

 そして、イリスだが──。

 

「どうやったらこんなに散らかせるんですか?」仕事と勉強と魔法の訓練にかまけて、(いささ)か前衛的なコーディネートになってしまった俺の寝室を見て、口を半開きにしていたイリスが不意に呈した疑問がこれである。

 

「期待可能性がなかったんです」ここでいう〈期待可能性〉とは〈片付ける時間と気力〉のことだ。つまりは(けむ)に巻くための発言である。

 

「期待可能性が何かは分かりませんが、ノアさんが片付けをする可能性がないことは分かります」イリスは、それが真理であると確信している口ぶりで続ける。「その、いかがわしい顔を見たら、みんな、『そんなの言い訳だ。ノアさんが悪い』って断言すると思いますよ。なんか言ってましたよね? そういうこと言われちゃう人が悪い人だって」

 

 自分の言葉が綺麗な弧を描いて返ってきた。とてもカッコ悪いと思う。

 

「い、いや、それはまた別の論点でして、最近の学説では──」

 

「片付けに必要なのは、論点とか学説じゃなくて、やる気です」

 

「……はい、ごめんなさい」

 

「責めてるわけじゃないですよ。こんなに散らかった部屋を見たのはスラムにいた時以来だったので、純粋に疑問に思っただけです」とイリスは冷静な声音で述べた。そして、片付けを始めようとして、止まる。「ノアさんには感謝しています。なので──」何をされても責めたりしませんよ、と背を向けたまま少しだけ早言(はやこと)(つむ)ぎ、仕事を開始した。

 

「……」

 

 結論から言うと、イリスには何の罰も与えていない。

 この前、ジェイデンから、〈犯罪抑止のために判例(≒裁判や判決の先例)に従え〉といった趣旨のことを言われた。

 たしかに、ハイヴィース王国は現代日本に比べて判例法主義(≒判例を重視する考え方)に寄った法制をしている。しかし、この国における判例の法源性(≒正式な法としての性質)は前世のイギリスほど強いわけではなく、裁判官の裁量は比較的、広く認められている。

 また、ハイヴィース王国の奴隷法14条1項の〈懲罰権〉は、第1次的には奴隷の所有権者、換言すると私人(≒公務員以外の普通の人)が自由な判断に基づき(・・・・・・・・・)行使することを前提としており、第2次的、例外的に司法権者が行使する場合のみ、その立場の重要性や影響力から、ある程度は(・・・・・)判例に拘束されるべきだと考えられている。

 それはつまり、判例法に優先する成文法(紙に文章として書かれた法)である奴隷法が、私人に対して自由な判断による行使を前提とした懲罰権を優先的に与えている以上、裁判官だけが判例に(のっと)った判断──厳罰を下しても、奴隷の皆さんは、〈結局、ご主人様次第ってのが大半なんだから、裁判官の判断とかあんまり気にしなくてよくね?〉という結論に至ってしまい、その厳罰が犯罪抑止に繋がりにくいということだ。

 また、そもそも今回のイリスは所有者の命令により殺人に加担したわけで、これに厳罰を科しても奴隷の皆さんは、〈いやいやいや、厳罰になるぞって脅されても、命令には逆らえないんだからやるしかないんだって!〉と犯罪抑止効果に痛烈な批判を与えることだろう。

 この矛盾は、責任主義(犯罪の成立に有責性を要求する)ではなく結果主義(法益侵害とその原因たる行為さえあれば犯罪は成立する)が主流であることに由来する。

 

 と、こんな感じのことを、経過を訊ねてきたジェイデンに説明して、〈イリスを罰しても意味がないので懲罰権は行使しません〉と伝えた。すると、ジェイデンは眼鏡を外して眉間を揉んでいた。

 直接、そうだと言われたことはないけど、ジェイデンは性悪説を信じているのだと思う。また、犯罪には報復こそが必要であり、その報復は犯罪の内容にかかわらず厳しくあるべきと考えているようにも見える。

 こういったジェイデンの価値観が何に起因するのかは正確には分からないけれど、なんとなく深い憎しみがそれなんじゃないかと感じている。

 とはいえ、俺の勘が間違っている可能性もある、というかそちらの確率のほうが高いのだから、訳知り顔でこれらを口に出すつもりはない。そして、これらを理由にジェイデンを嫌いになることもない。

 

 閑話休題。

 

 それで、どうしてイリスが俺の部屋の片付けをしているのかだけど、住む場所と仕事がなくなって困っていたからという、それだけの理由だ。

 シエンナが相続人のいない状態で死亡したため、イリスは奴隷ではなくなったものの、シエンナの有罪判決と同時にルーバンの家(今はクライトン伯爵領が管理している)から追い出されてしまった。しかし、〈元奴隷で殺人者〉との噂はすぐに広がってしまうし、そんな情況でまともな職と住居を得ることは簡単ではない。そもそも俺の常識外れな行動の結果なのだから、最低限、次の仕事が見つかるまでは責任を持つべきだろう。

 というわけで、俺はイリスを住み込みの家政婦として雇う契約を結んだのだ(低賃金かつ3ヶ月以内)。

 

 そして、現在、イリスと一緒に部屋の片付けをしているのだが、〈紅茶以外何もないじゃないですか〉〈なんでこの靴下、片方しかないんですか〉〈シャツしわしわじゃないですか〉〈煙草吸うんですか〉〈この髪の毛は誰のですか〉などと彼女は何かを見つけるたびに俺のやる気を削ぐことにやる気を出して容赦のない口撃を放ってくるのだ。

 

 どうやら俺はイリスのことを誤解していたようだ。こんなに口(うるさ)いとは思わなかった。

 

 会社にとって都合のいい人材を嗅ぎ分ける採用担当の方って偉大なんだなぁ、と虚空(こくう)を見つめていると、イリスの、冷たさはあっても悪意は感じさせない声。「聞いてますか」

 

「勿論」聞いてない。

 

 イリスは疑わしそうな顔をしている。

 しかし大丈夫だ。俺も法律家として屁理屈には自信がある。なんとでもな──。

 

「今日、何食べたいですか」

 

「白身魚ですかね。ソテーだと嬉しいです」

 

「こういうのはちゃんと答えるんですね」

 

「……」

 

 ()()でできた料理(ことば)はいらないんだよ、というウィットに富んだ返しは、言語が違うせいで通じない。それがとても悲しい。

 

 




中2感マシマシ笑

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