誰かが言った。チョコレートが無限に湧き出す泉があると。
誰かが言った。マグロやタイ、ヒラメにメグロ、様々な魚の新鮮な刺身がなる木があると。
誰かが言った。すべての肉が旨味に溢れ、鳴き声さえ美味い極上の鶏がいると。
世はグルメ時代。
人々は未知なる美食を求め世界へ飛び出し、世界の美味を享受している。
しかし、輝く時代の陰にはその恩恵を受けていない人々もいた。
ホコリッポイタウン。
周辺の国から不法に投棄された見渡す限りのゴミの山とそこからゴミ拾いをして生活する人々からなる巨大なゴミ山の中にある街だ。
人の往来がゴミを蹴散らして地面をのぞかせただけの獣道のような通りに一人の青年が寝転んでいる。
「ひもじいなあ」
髪を後ろで束ねて掴んで切った。としか言いようのない雑な赤いショートヘア。体格はいいがその体はやせ細っている。ダメージ加工ではないダメージそのものを受けた穴だらけの黒いTシャツと黒いジーパンに裸足でスニーカーを履いている。
青年は雲を追うでもなく胡乱な目で空を見上げている。噛んでいるのか咥えた串が上下に揺れる。
「ひもじいなあ。なあ、おっさん。なんでかわかるか?」
「知らねえよ! おいアドラこの野郎! 人の作ったモン食いながらひもじいとかいうんじゃねえ!」
青年、アドラの声に隣にいた屋台のオヤジが答える。
アドラが寝転んでいたのはちょうど屋台の脇であり、咥えていた串もその屋台で食べた串焼きの串であった。
「そんなこと言ってもよオヤジ。クズイモじゃあなあ」
「あ!?」
アドラがしゃべると串が揺れる。店のオヤジは串を刺したイモを焼きながらもアドラの言葉に抗議の声を上げる。
オヤジの屋台の看板には『クズイモ焼き』とある。
クズイモ。ホコリの山の中でも育つ。と言われるほど土壌を問わない高い生命力を誇るイモであり、それでいて多くの可食部(イモなので地下茎)を作る。ホコリッポイタウンで唯一育つ作物にして住人たちの主食だ。
しかし、どんな優秀な性質も人々の糧となるありがたみも覆い尽くして余りあるほどに味が悪いのだ。
その味は一言で言って虚無。味が一切しないのだ。
「ひもじい…」
消しゴムが口の中で柔らかくほくほくと崩れたとしておいしいだろうか? たくさん食べれば満足感が得られるだろうか?
答えは当然否だ。
アドラは今日のゴミ拾いの稼ぎで腹いっぱい。とはいかないまでも七分目くらいまでクズイモを食べた。十分空腹感もまぎれたし明日もゴミ拾いに精を出せるだろう。
だが、埋めようのない空虚さがアドラの腹と胸に去来していた。
ゴミの臭いにおいと味のない飯。それがアドラの生活。いや、アドラのすべてだった。
昨日と同じ今日。たぶん明日も明後日もその次の日も同じ日。
満たされたい。いや、一度でいい、美味いものを腹いっぱい食べたい。
それはアドラだけでなく、ホコリッポイタウン、いや、このグルメ時代の日陰にいるすべての者の持つ感情かもしれない。
死んだ魚の眼をしたアドラを見てオヤジはため息をつく。
「しょうがねえだろう。ここは美食屋も料理人も見向きもしねえんだ。世界で一番美食とか満足からはかけ離れた場所なんだよ」
「ビショクヤ? リョウリニン? なんだそれ、食えるのか!?」
アドラが跳ねるように上半身を起こしオヤジの方に向ける。
言葉の意味は分からなくても、文脈からなにか自分の虚無感を埋めるものであると認識したのだ。
アドラは自分の中に小さな、しかし確かな火が灯るのを感じた。
「食べ物じゃねえ、職業だよ。そいつらはグルメ食材、クズイモやネズミの肉以外のもっとずーーっと美味い食べ物のある危険地帯を旅して」
「このゴミ山の外だな!」
それが毎秒燃え上がり
「グルメ食材を手にいれる」
「クズイモ以外の美味い食い物!」
大きな炎となるのを。
「料理人はそれを組み合わせたりいろんな調理をして、もっと美味くするんだ」
「焼くんだな!」
これしかない! その直感の炎が全身を焦がすと、アドラは居ても立っても居られなくなり飛び起きて走り出した。
今まで一度も考えたことのないゴミ山の外の世界。それが突然輝いて見えた。
痩せた体で強く風を切って空虚だった瞳に光を宿しただまっすぐゴミ山の外へ。
美食屋。それは凶暴な野生生物や困難な自然と格闘し未知なるグルメ食材を集め、世界のグルメを広げる者たちである。
そして料理人はそのグルメ食材を調理し、新たな美味を生み出す世界のグルメを深める者たち。
どちらもこの美食を求めるグルメ時代において花形的職業であり、普通の国であれば知らない者のいない憧れの的だ。
そして、憧れ志す青年がまた一人。
「ありがとよオヤジ! 俺はここを出てそのビショクヤだかリョウリニンになるぜ!」
「って、おい! 待てよアドラ! お前街を出たことないだろうが!」
しかし、彼もまた知ることになるだろう。
美食屋や料理人が多くの人の羨望の的でありながら憧れにとどまる理由を。
この世界において美味さとはエネルギーだ。つまり多くの場合、生き物は美味いほど強く、危険なのだ。
ある豚は戦車をひっくり返す力を持ち、あるドングリは調理に失敗すれば大爆発を起こす。
そんな困難に挑むのが美食屋であり、料理人なのだ。
「待ってろよ! 美味い食い物! アドラ様が今行くぜ!!」
向かう先は決して平たんな道ではない。しかし、青年はまっすぐ走りだした。
その青年の名はアドラ。
いずれ世界に名を轟かすことになるかも知れない美食屋だか料理人になるかもしれない青年だ。
クズイモ 捕獲レベル0
クズの中だろうが埃の山の中だろうが育つイモ。
旨味が一切なく虚無な味がする。
一部地域ではこれを主食にしているが、多くの美食屋や料理人には存在すら知られていない影の薄い食材。