何が面白かったのかわからない。
魔法が解けた後に思うのは、いつもそれだった。ぼくらの日々の中には、いつも魔法が根付いている。夢の魔法。夜の魔法。酒の魔法。ドラマチックの魔法。
どれも共通するのは、酔いしれた時の心地よさであり、主人公にでもなったような特別感であり、何より覚めた後のつまらなさだった。
部屋に転がった空き瓶を見る。空き缶を見る。ベッドに寝転がった女を見る。どれも同列に、夢の後だ。魔法の痕跡だ。一夜の宝物であり、術の解けたパンプキンだった。
「……起きてたんだ?」
「うん、おはよう」
慈しむように頭を撫でて、できるだけ優しく微笑んで見せる。よく眠れたか聞くと、「おかげさまでね」と、桃色満面な答えが返ってくる。そんなお互いさまにも、愛想笑いだけ返す。
「大丈夫?」
「え? 何が?」
「二日酔い、昨日結構飲んでたじゃん」
「大丈夫だよ、お酒強いの知ってるでしょ?」
「そう、ならよかったけど」
それだけ言うと、彼女はもぞもぞと布団を抜け出して、脱ぎ捨てられていた下着やらトップスやらに着替え始める。ぼーっと眺めているうちに、昨日会った瞬間の彼女に戻っていた。
「じゃあ今日は帰るね」
「シャワーとか浴びなくて大丈夫? 今日も休みでしょ、もう少しゆっくりしていった方が」
「ううん、大丈夫。ありがとうね」
彼女は少し困ったようにしてから、逃げるように玄関に向かった。扉の閉まる音を聞き届けて、ユニットバスに向かう。便器の中に、静かに吐いた。空っぽの胃から出る吐瀉物なんてなくて、絞り出すようにえづく。ようやく落ち着くと、不意に先日の記憶が蘇ってきた。
ぼくの所属しているサークルは、俗に言う飲みサーだった。何かしらのサークル名と活動内容があったはずなのだけれど、入部して一か月もすればすべて煙に巻かれ、アルコールに溶ける。飲んで騒いで、楽しければ勝ち。新歓のとき、先輩がそんなことを言っていた。純朴だったぼくはそれを疑問に思わず、至言とすら感じ、当然のように堕落していった。大学にいる時間よりも、居酒屋か人の家で飲んでいる時間の方が多い。ろくに出席せず受けるテストに単位すら危ぶまれたが、そこはサークルの人脈で誤魔化した。持つべきものは友だなぁ、なんて馬鹿丸出しの思考で過ごし続け、気づけば三年、就職、卒論、二文字の言葉が圧を増していく。青春は煤けて部屋の隅に消えてしまった。
昨日も飲みだった。いつも通り、クズみたいなやつらで顔を突き合わせて、センパイの家で無為な時間を過ごす。染髪、ピアス、ドラッグ。こいつらに比べりゃマシなもんだ、と目糞鼻糞を笑って、酒を呷って、飽きてきたな、と思った頃に丁度、本日の解散を告げられた。彼女とおっぱじめるらしい。昼間から盛りやがって、と次の飲み会場を探し始めたところで、彼女から声がかかったのだ。
「よかったら一緒に飲まない?」
同級生の子だった。一年の頃からずっと同じサークルにいたが、大して喋ったことはなかった。たぶん、お互いに人に話しかけられないと口を開かないタイプだから、自然と。
「いいよ。どこで飲もうか?」
一駅隣の居酒屋に行くことになった。道中何を喋ったのかは覚えていない。どうせ酒の力を借りて、適当な法螺でも吹いていたのだと思う。座敷に通され、お通しの届いたタイミングでようやく、彼女の顔を見つめた。長い黒髪の、鼻の高い切れ目の美人だった。いるだけで雰囲気が何処か華やかになるから、文字通りサークルの華として、いてもらっている感じだった。学部も名前も、ぼんやりとしか覚えていない。先輩と寝てるっていう噂があった。
「とりあえず生二つで」
ジョッキが置かれるや否や、彼女は半分ほど一気に飲み干した。酒に弱い印象はなかったけれど、ガツガツ飲むタイプでもないと思っていたから、何だか意外だった。まだ乾杯してないじゃん、と唇を尖らせてみる。「嫌いなの」
「何が?」
「乾杯、ってやつ。何だか馬鹿馬鹿しくて」
貴方もでしょ、と彼女はぼくの目を見ていった。ハイライトの薄い無機質な瞳は、ともすれば見透かされているようにも思えた。
「違いない」
頷いて、同じように半分ほど飲んだ。彼女が少しだけ微笑んだので、ぼくもそうした。
ぼくらは、旧交を温める友人のように、一息に色々なことを話した。好きなこと、趣味のこと、大学のこと、サークルの嫌いなところ──エトセトラエトセトラ。ひとしきり話しきったところで、ふと彼女に聞いた。
「どうしてこのサークルに入ったの? 真面目そうなタイプなのに」
「破滅したかったんだよね」
はめつ、と棒読みで繰り返す。子供の頃にしてみたかった夢を話すような、そんな声色だった。
「あそこにいれば、簡単に終われると思った。でもダメだね、なれないことするもんじゃないや」
「そうなんだ」
遠くを見つめていた瞳がふと、こちらに向かう。
「風太くんはさ、なんでサークル入ったの?」
「楽しそうだったからさ」
残り半分を飲み干しながら言った。「ふーん」と興味なさげな相槌が打たれた。嘘はバレなかった。
「まあ、つまんなそうな人いないもんね」
「きみは楽しんでるの?」
さあ、どうだろうと言って、華奢な手がジョッキに伸びた。一拍置いて「でも」と声は続く。
「今は楽しいよ」
「それはよかった」
静かな笑顔だったが、確かにサークルにいる時よりは楽しそうだった。名前を覚えられていたことが何だかこそばゆくて、誤魔化すようにつまみを飲み込んだ。
「何処か落ち着いた場所で飲み直したいな」
彼女が言う。それならと自宅を提案して、連れ込むまでに時間はかからなかった。酔いが回ったからか、興味がなかったからか、アパートに着いてからの記憶はあまりない。何をしていたのかも、何を話していたのかも分からない。次に記憶があるのは、彼女を押し倒してからのことだった。動じる様子も沸き立つ様子もない顔が、印象に残っている。優しく口付けた。
「ねえ、名前、呼んで?」
耳元で甘く響いた声に、聞こえないふりをした。呼吸もできないくらい深く、壊すように口付けた。少しの愛撫でも十分濡れていて、彼女はぼくを拒まなかった。おかしいと思ったのは、やけにマグロだったところで。少ししてようやく、彼女が出血していたことに気づいた。
「舞花」
自分でも気づかぬうちに、彼女の名を呼んで、抱き寄せていた。
「いいの、ありがとう」
取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな感覚があった。もう二度と元には戻らないことを、赤くなったシーツと、彼女の瞳が告げていた。
「気持ちよかった?」
慈しむような笑顔に、責め立ててられているような錯覚を受けた。肯定だとか、謝罪だとか、欺瞞だとか、そのどれを返す勇気もなくて、いずれも嘘っぽく、腐って見えてしまって。ただ、頭を撫でられる感覚だけが、生ぬるい手のひらの感触が、いつまでも残っていた。
「はあ」
思考を振り払うように嘆息して、ゴミで散らばりかえった机上から、潰れた箱を取り返す。大して好きじゃなかった先輩からもらったジッポで火をつけて、マルボロを吹かした。吸い過ぎて小さく噎せる。ダサいなあ、と陰から笑われた気がして、空き箱を放り投げた。乳白色だったはずの天井は、すっかり汚れてしまっていた。