命が惜しくば、俺を好きだと言ってみろ。 作:まつりお
そこはすべてが終わっていた。
音も、空気も、命も、景色も、何もかもが終わり果てて朽ちていく瞬間を切り取っている。
崩れ落ちた宮殿だった。今まさに破壊されたばかりのそれは、いずれ廃墟となって大地が満ちる以前の、なにもない虚無に満ちた空間だ。
遠くからみれば、それが戦闘痕であることがすぐに見て取れるだろう。しかし、未だ破壊されたばかりのそれは熱を持っており、そもそもこの戦闘痕の中心に近づくことは難しい。
激しい戦闘の痕であると言える。
当たり前だ、この戦闘は、この世界の頂点同士の戦いだったのだから。
宮殿の中央、破壊の中央、戦闘の中心に、二つの影があった。
一つは男だ。齢二十ほどの美麗な面構えと、屈強で精根な体つき。しかし、今はそれが見るも無残なほどに崩壊している。片腕と片足がちぎれ、腹には巨大な空洞がある。死屍累々――まもなく死を迎えるのは疑いようのない状態だった。
もう一つは女。齢は十八とそこら、小娘と美女の半ばにあるような体つき。絶世の美貌は、しかしその半分が血に塗れている。胸には鋭い漆黒の刃が突き刺さっており、こちらも死が間近であることが伺えた。
そのことから、この戦闘が最終的に相打ちに終わったことが理解できる。
互いに崩れ落ちた柱と瓦礫に背を預け、互いに視線を一切ぶつけることなく――もはやそんな気力すらなく――息は絶え絶え、今にも力尽きるだろう、といった状態。
両者は宿敵としか言いようのない関係だ。なにせ――
「――――は、ァ……ぐ、」
にらみつける女に、男が声を書ける。
「無理……を、するな……“勇者”――リーンヒルド」
精一杯の薄い笑みを浮かべて語る男に、“勇者”と呼ばれた女、リーンヒルドは吐き捨てるように大きく嘆息をしてから、鋭く男を睨む。
「アンタに……言われる、筋合は……ない。“魔王”グレイスヒルター……!」
“勇者”が敵意を持って“魔王”の名を呼んだ。
それで答えは十分だ。魔王グレイスヒルターと勇者リーンヒルドは激戦の末相打ちとなった。勇者が魔王を道連れにする形で、戦いは終わりを告げる。
「ク……ハハ、お前は……最期まで、変わらないな。その顔も、その表情も」
「うる、さい……見るな……アンタなんかに、見せるために、こんな顔してる……わけじゃない」
吐き捨てるようにしながら顔を伏せる勇者を、魔王は楽しげに笑いながら見る。その視線がまた不快だったのか、勇者はキッと魔王を睨みつけながら顔を上げた。
「アンタが、したことを……許すつもりは、ない……! アンタはここで、アタシと死ぬのが……お似合いよ!」
「……」
その言葉に、魔王の笑みがふっと消える。
なんとも言えない、微妙な顔を魔王はしていた。苦々しいとも、悲しげであるとも、退屈そうにも視えただろう。
少なくとも、好意的なものではない。
「……そうか、お前は最期まで……知らずに逝く、か」
「なに、よ……何か、言った?」
その言葉が勇者に伝わることはない。所詮は魔王の独り言。何より聞かせたいとは思えなかった。魔王の言葉など聞き入れるはずがないし――
「俺は……お前の選択を、肯定するとしよう」
「訳のわからないこと……言ってんじゃないわよ」
魔王は首を横に振って、話を打ち切る。勇者もそれ以上追求することはなかった。少しの沈黙の後、勇者が咳き込む。いよいよ、意識が薄れてきたのであろうことが見て取れる。
「……なぁ、勇者リーンヒルドよ」
ぽつり、と魔王はつぶやいていた。
口にせずにはいられなかったのか、思わず口をついて出ていたのか、喋りだしてなお、それがわからない。ただ、勇者が聞いているにしろ、いないにしろ、魔王の口は止まらない。
「この世界は、お前の思っているような世界では……ない。美しくもなければ……正しくもない……だが、お前は、正しい」
「なに、を……」
「お前のような人間は、正しいのだと、俺は……思う。正義とは、善とは、お前にこそ……相応しい、と」
「……私、は、勇者よ。魔王を倒し、世界を……っ、救う」
それ以上、言葉を紡げなかった。勇者は苦しそうに顔をしかめて、魔王の言葉を聞くことしかできない。その手から、急速に力が失われていくのを彼女は感じているはずだ。
もう、目を開けていることすらつらいだろうに、それでも気丈に魔王を睨みつけてくる。
「勇者よ――」
見ていられない。
きっと、その時の魔王は、そう思っていたはずだ。
「命が惜しくば、俺を好きだと言ってみろ」
口に出していた。
「そうすれば、命だけは助けてやろう」
――ああ。
言ってしまった。
こんなこと、口にするべきじゃなかった、絶対に。だって答えはわかりきっているのだから。聞くまでもない事なのだから。聞くべきじゃなかったことなのだから。
勇者の顔を見れば分かる。一瞬、何を言われたのかわからない、そんな呆けた顔をした後、もう一度こちらを睨み返してきた。
ああ、お願いだ。
「――――絶対に、嫌よ」
そんな顔をしないでくれ。
命が終わるその一瞬に、敵意だなんてつまらない顔をしないでくれ。
魔王もまた、意識が薄れてゆく。
気がつけば、二人の間には瓦礫が落ちてきていた。
もう、勇者の顔は覗けない。彼女の目を見ることはできない。魔王は、そのことを最後に悲しんで――
そして今生から意識を手放した。
<><>
それから、三百年の時が流れた。
時代は代わり、魔王の名は文献の中にひっそりと残されるのみとなった。大陸の覇権が人の手に渡ってから長い。魔族と呼ばれる存在が人々を脅かしていたのは、もう過去の話だ。
少なくとも、この時代を生きる上でそれを意識したことはない。
平和な時代だ、と思う。大きな戦争もなければ、魔族や魔獣による災害もない。長い人の歴史でみれば、それが幸運な時代であることも、稀有な時代であることも分かる。
だが、その上で退屈な時代だ。
魔王グレイスヒルター――今生においては公爵貴族グレイス・ヒルドレッドはそう感じていた。
魔王はあの戦いの後、人に生まれ変わっていた。魔王の力の中に、そういった力が存在していたのだ。とはいえ、今のグレイスに魔王としての力はない。他人よりも優れた“魔力”を有し、“魔術”の知識に長けているが、それだけである。
それ自体に不満はないが、今の時代は退屈であるとグレイスは強く感じていた。貴族として生まれ変わり、何不自由なく育てられてきたが、それはグレイスの思い描いていた人の生活ではない。
人は人と交流する生物なのだ。平民であれば酒場で飲み交わし、貴族であれな社交界で語らうものではないのか。
それに対して今のグレイスはどうだ。基本、家から出ることは許されず、人との接触などほとんどなく今まで生きてきた。
限界が生じるのは当然。グレイスは従順な少年ではなかったのだ。仮にも、かつては世界を脅かした魔王だったのであるからして。
結果、グレイスはその日、ついに家を抜け出した。
いくら人の世に疎く、町中に出たことのないグレイスでも知っている。硬貨がなければ買い物はできない。故に家にあった金貨を大量に懐に入れて、グレイスは興味深そうに街を眺めながら歩いていた。
あえて確認するが、グレイスは公爵貴族である。落胤であるという特殊な事情こそあるが、その出で立ちは貴族然とした、街を歩くにはあまりにも場違いな格好をしている。
護衛もなし、年格好は成熟しているが、大人とは言い切れない年若い青年貴族がお上りさんのように街を歩いている姿は、当然ながら周囲の視線を集めた。
そんなことつゆ知らず、人通りを楽しそうに眺めるグレイス。スリや盗人に散々その姿をアピールしながら、けれども彼はそんなこと気にした様子もなく街を歩いて――
ふと、人だかりを見つけた。
グレイスの周囲はグレイスに対する不躾で疑問に満ちた視線で溢れていたが、その場所だけは違った。人の意識が、グレイスではないなにかに集中している。
果たしてそれは見世物か、はたまた大道芸か、よっぽどな光景なのだろうと思ったグレイスはそちらへ足を向ける。人の生活は大変興味深いものだったが、イベントが圧倒的に足りていなかったのだ、興味と若干の興奮でそちらへ近づいたグレイスは――
「――亜人の娘が! こんなところで何をしている! 汚らわしい!」
その叫びに、一瞬で興味を消し飛ばされる。
若干浮かんでいた笑みがさっと引いていく。こんなものを楽しみにしていたのかという自分への嫌悪と、この場に飛び交う感情が悪意であることに気がついて、途端にグレイスはそれが気持ち悪く思えてならなくなった。
悪意が悪意によって肯定されている。そして彼らはそれを疑問にも思っていないのだ。
――今の時代、人間が支配するこの大陸で排斥される存在がいる。獣の耳と尾を持つ人間。亜人と呼ばれる種族だ。
彼らは人と何ら変わらない。ただ人よりも身体能力に優れる代わりに、魔力を有さないという特性を持つだけ。
そんな彼らが、今は弱者として迫害の対象にあった。
ただ人と少し違うというだけで。魔力を有していないというだけで。
「おい」
――不愉快だ。
そう思った時、すでにグレイスは動いていた。
怒りを込めて呼びかける。
途端。
すべての視線がグレイスへと向いた。
――悪意がグレイスへ矛を向けたわけではない。グレイスが惹きつけたのだ。声が、雰囲気が、形相が、グレイスの怒気を一瞬で群衆に伝えた。
ただ、それだけのことだった。
「な、え――き、貴族様?」
いるはずがない、という困惑の声があちこちから起きる。それはそうだ。ここは平民の街。貴族が一人で歩いているわけがない。少なくとも、彼らの人生においては初めての体験だった。
その上で、貴族が今にも自分たちを殺してしまいそうなほどに睨みつけてくるとしたら。
それはもはや恐怖体験以外の何物でもない。
「――通行の邪魔だ、消えろ」
グレイスは端的に告げる。
効果は覿面。蜘蛛の子を散らすように一瞬で人々はその場から逃げ出していく。もちろん、グレイスはそんな連中に興味などない。
もっと言えば、亜人の娘とやらにもそこまで興味はなかった。もとより外に出た興が削がれたというのが大きいが、グレイスが気に入らないのは人の悪意であり、亜人の少女ではなかったのだから。
しかし、
ふと、足が止まった。
少女の顔が目に入ったからだ。
端正な顔つきをしていた。目元は愛らしく、けれども強い意志に満ちている。先程ああして大勢に囲まれていたときも、強く相手を睨みつけていたのだろうと伺えた。
ローブで身体を隠し、耳を隠していただろうフードが取り払われた状態で、赤髪の少女がこちらを呆然と眺めている。
燃えるような赤髪だ。周囲から迫害されるであろう環境で暮らしていながら、一切くすむことのない美貌を伴った髪。
それもまた、少女の美しさに拍車をかけていた。
頭には猫の耳。彼女が猫の亜人であることを示している。
しかし、何よりも特徴的だったのは――
グレイスはその顔に、見覚えがあったということだ。
そして同時に、
少女もまたグレイスを見て目を見開いていた。きっとこの時、二人は完全に同じ顔をしていただろう。驚愕に驚愕を重ね合わせたかのような、そんな顔を。
「な――」
「……んで」
二人は、ついに声を揃えて相手の名を呼ぶ。
「――どうしてここにいるのよ、グレイスヒルター!」
「なぜ、亜人となっている。リーンヒルド!?」
魔王、グレイスヒルター。
勇者、リーンヒルド。
――三百年の時が過ぎ、グレイスヒルターは転生を遂げた。公爵貴族グレイス・ヒルドレッドとして。しかしこの時、彼は思ってもみなかったのだ。
勇者もまた、転生を果たしているということに。
まるで二人は惹かれ合うかのように。
魔王は貴族として、勇者は迫害される亜人の少女として生まれ変わり。
この時、再開を果たす。
かくして物語は始まった。
命が惜しくば、自分を好きだと言えと呼びかけた魔王。
それを絶対に嫌だとつっぱねた勇者。
二人の物語が、もう一度。
ここから始まろうとしていた。
<世界観解説>
この世界は、三百年前勇者が魔王と相打ちになり、以降勇者を排出した国が、大陸の覇権を掴んだ世界である。
大陸では魔族と国がお互いを利用しあっていたが、平民である勇者はそのことを知らず、自分の故郷を滅ぼした魔族や、その親玉である魔王を倒すために旅をして、これを成功させた。
現代では一つの国が覇権を掴んだ後、民衆の意志を統一するため、亜人(ケモミミを有し、魔術が使えない種族)を迫害するように仕向けた。
現在はその文化が根付いたまま、表面上人々は戦争などのない平和な時代を築いているが、国は腐敗し限界を迎えつつあった。
<魔王グレイスヒルター→公爵貴族グレイス・ヒルドレッド>
元魔王、現在は人間に転生し、貴族の箱入り息子となっている。
彼は落胤の息子であり、その醜聞を隠すため、本家から隔離されて一人で育てられている。
魔王時代の知識故に魔術に優れ、将来的には軍属か研究者にでもなって家に多少貢献してくれえばいいと思われている。
本人はその暮らしを非常に退屈だと思っており、今回こうして家を抜け出すに至った。
魔王時代から人の暮らしには疎く、常識がない。
<勇者リーンヒルド→亜人の少女リン>
かつて魔王を倒した勇者。どういうわけか転生し、亜人の少女となっている。
勇者だったころは平民の出で、魔族に故郷を滅ぼされた過去がある。
非常に優れた魔力と魔術の腕を有していたのだが、亜人は魔術が使えないため、現在は使えない。
亜人特有の身体能力を有し、肉弾戦は非常に得意。
どういうわけか町中で耳を隠して活動していたが、フードが取れてしまったのか、その存在がバレ人々に攻撃される直前だった。
グレイスに対しては直接の仇ではないため、転生後は転生前の事は分けて接している。