命が惜しくば、俺を好きだと言ってみろ。 作:まつりお
グレイスと勇者は、場所を移していた。
貴族と猫耳の組み合わせは、それはもう目立つというレベルではない。下手をするとそのままグレイスが猫耳を処刑しなくてはならないような組み合わせだ。
結果、勇者が先に姿を消して、後からグレイスがその後姿を追う形となった。
物陰で耳を隠し、二人は一度息をつく。
「まさか、お前とまた顔を合わせる時が来るとはな、――リーンヒルド」
互いに、薄暗い路地裏で向かい合って壁に背を預けて話す。
その表情は対照的だ。グレイスは、楽しげに勇者へ笑いかけている。魔王だった頃と比べれば短い人生。その中でようやく見つけた“興味”だった。
対して、勇者リーンヒルドは、苦虫を噛み潰したような顔で魔王を見ていた。
「………………リン」
ん? と魔王が聞き返すと、更にリンは面倒そうな顔をしながらも、
「リンよ! 今のアタシの名前。今のアタシはリーンヒルドじゃない。間違えないで!」
「おっと、すまなかった……では、リンよ。お前はなぜここにいる?」
「アタシの方が聞きたいわ! アンタを道連れに死んだと思ったら、亜人の子供になってた。リーンヒルドだったころの記憶を持って、ね」
そう言って、ため息を付きながらリンは視線をそらした。
不可思議に満ちたその顔から、現状が不満であるかを読み取ることはできない。勇者だった頃から変わらずグレイスには当たりが強い。しかし、それでも今のグレイスからすると、喜ばしいことが一つあった。
「……ふむ、腹が減ったな」
ぽつりとこぼしつつ、路地裏の外に顔を向けながら、ちらりとリンを見る。
「アンタの施しなんて受けない」
そう言いながらも、その目に“敵意”はない。かつて、あれほど目の中にあった、どれだけ追い詰めようと消えることのなかったリーンヒルドの敵意が、今のリンにはない。
そのことが少しだけグレイスは嬉しく、リンの言葉を気にすること無く、外へ向かってあるき出すのだった。
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「さて、手間を書けずに食べるものを調達したい。お前も、酒場に入ってミルクを頼むのは気が引けるだろう」
「……そもそも酒が飲めないなら、酒場になんて行かない」
結局、リンはグレイスに付いてくることを選んだようだ。当然だろう、彼女は正義感が強く責任感の塊だ。目の前に魔王グレイスヒルターと同じ顔をした、グレイスを名乗る貴族がいるのなら、彼女はそれを無視できない。
それが解った上で、あえてグレイスは何も言わずにその場を離れようとしたわけで。
斜め後ろから、恨みがましいリンの視線が突き刺さる。しかし、そこに殺意も敵意も混じっていない今の状況が新鮮すぎて、グレイスはもはやそれすら興味深い感心の対象であった。
「なぁ、あれは何だ?」
「何って……屋台じゃない」
グレイスが目をつけたのは、広場にある屋台だった。香ばしい匂いが広場には広がっており、食欲をそそるものが、あちこちに見受けられる。
もちろん、グレイスはそれを始めてみたわけだが。
「……アンタ、この年までどうやって過ごしてきたの? 屋台さえみたことないって」
「基本的に、屋敷の外に出ることは許されていない。まぁ、もうその規律を守るつもりもないが」
「呆れた……どうやったらそんな特殊な環境に生まれ変われるのよ。亜人になったアタシの方がまだありふれてるわよ」
言いながら、グレイスは屋台に近づく。リンに話を聞いて、あれならすぐに食事にありつけるだろうということを理解したのだ。
途中、列に並んで買え、そのくらい解っているというやり取りをリンとしつつ、適当に興味が惹かれる屋台に並ぶと、注文をする。
「あー、この業魔竜焼きというのを頼む」
「……いっ!?」
「お、おお!? き、貴族様!? こ、このようなところにどういったご用件で!?」
「いや、だから業魔竜焼きを……」
グレイスが適当に目についた料理を注文しようとすると、困惑が起きた。店主から困惑されるのは想定内だ、致し方ない。しかしリンが驚いて目を見開くのはどういうわけか。
首を傾げながら、なんとも言えない顔でグレイスは二人を見た。
「そ、そそ、そいつは構わねぇんですが、業魔竜焼き……ですかい? いや、その……初めて頼むには、ちいっとどうかと……」
「名前が気に入ったんだがな。魔竜、懐かしい響きだ」
「一番辛いって意味よ! 辛いのが好きで好きで仕方ない人向け! 値段だってバカ高い……のは、いいか」
隣からリンがまくしたてる。
業魔竜というのは“魔竜”と呼ばれる魔獣の一種で、その中でも最も凶暴とされる個体だが、この時代ではそれを辛さの段階として表現しているらしい。
なお、店主は従者だと思っていた少女がいきなりタメ口でツッコミ始めたことに困惑して二人はどういう関係なのかと両者を見比べている。
「辛いのか、そうか。より一層興味がでてきたな。なら店主、それで頼む」
「へ、へぇ……」
「食べれなくても知らないわよ……」
頭を抱えるリンと、困惑したまま手はちゃんと動いている店主。それを全くよく解っていないグレイス。三人の反応は対照的だ。
そして、リンが何も言わないでいると――
「……と、そうだ。こいつの分も頼む。業魔竜焼きを……」
「わーわー! アタシはいいから! こっちの青スライム焼きでいいから! ね!!」
「…………そうか」
グレイスはちょっとだけしょんぼりした。
それから少しして、
「へ、へいお待ち。業魔竜焼きと青スライム焼き。お題は銀貨二枚と銅貨五枚」
「解った……む、おかしいな、出てくるときよりも金が少ない」
「スられてる……っ!」
思わず悔しくなってリンは歯噛みした。
そりゃそうだ、こんな明らかに貴族のボンボンから、スらないスリはいやしない。とはいえ、それでも多少は残っていた。一人で全部盗むのはリスクが大きすぎるという考えだろう。結果、一人が少しずつ持っていって――すごい数のスリにたかられたらしい。
やがてグレイスは懐から、金貨を一枚取り出す。
「そういえば、物価というやつはどうなっているんだ? 銅貨が五枚と銀貨が二枚で何が違う」
「銅貨百枚で銀貨一枚よ。アンタの出してる金貨は銀貨百枚……この店は屋台としての値段は適正だから、そこから考えて」
「ふむ……悪い、金貨しかないがこれでいいか?」
「は、はぁ……」
一応、金貨の扱いができない店ではないので、店主は拒まないが、やはりこうして物価すらよく解っていない貴族のボンボンが街を歩いているというのは異常事態であり、訝しむほかない。
ともかく金貨を受け取ろう、と親父が手を伸ばしたところに――
やたら装飾が豪華な金貨が降ってきた。
「え――――?」
「……ちょ」
金貨の中でも、白金貨と呼ばれるものが存在する。これは少し特殊な金貨で、主に大量の金貨の代わりとして作られたものだ。貴族や大商人が、資産をやり取りするために使われる金貨――一枚で金貨1万枚の価値がある。
「む? これではだめか? ちょっとまて、普通の金貨だな? 少し待ってろ」
――流石に、その気配をグレイスは感じ取ったのか、白金貨をしまって懐を漁る。特に財布も持たずに飛び出してきたものだから、彼の懐は金貨がジャラジャラしていた。
「……これしかないぞ」
「わ、わー!!」
そして、そう言いながら取り出した大量の白金貨に、店主は卒倒。リンは怒鳴りながら即座にそれを懐に戻させるのだった。
――なお、その中に一枚だけ金貨があり、なんとか支払いには成功するのだった。
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白金貨はそもそも、盗んでも換金できる場所がない、絶対に足がつく。そのためスリたちは懸命にもそれを狙わなかったらしい。
そんなことをリンから聞きながら、グレイスはリンに“青スライム焼き”を手渡す。リンはため息を付きながらも、今更断れないのか、潔くそれを受け取った。
「……ありがと」
「なんだ?」
「奢ってくれたんだから、礼は言わなきゃダメにきまってるでしょ!」
「そうか」
残念ながらグレイスは礼を言う生活なんて一度も送ったことはなかった。そのことに思い至って、リンはもう一度ため息をつく。
二人して街を歩きながら――相変わらず、すごい勢いで視線を集めながら――それぞれ自分の料理を口につける。
直後、
「……ごふっ」
グレイスが咳き込んだ。
「ああ、言わんこっちゃない。家で食べなさいよ。水がないと食べきれないでしょそんなの……」
「げほ、ごほ。……いや、辛い、辛いがうまい。あの店主、腕がいいな」
「それは……否定しないけど」
正直なところ、あの屋台は当たり中の大当たりだった。リンが食べている青スライム焼きは非常に絶品で、これほどの料理、正直リンは口にしたことはないレベルだ。
「これが銅貨五枚って、安すぎでしょ……後でチビたちに買って帰りましょ」
「なにか言ったか?」
「なんでもない」
それからしばらく、二人は黙々と食事を続けた。業魔竜焼きを口にするたびに咳き込んで、だんだん顔色が真っ赤になっていくグレイスと、そのたびにいい反応を見せながら心配そうにしているリン。
傍から見るとなかなかにお似合いに視えるのだが、ローブとフードの妖しい少女とボンボン貴族という組み合わせが奇異過ぎて、周りからは変なもの見る目でしか見られなかった。
「それで――」
青スライム焼きを食べきって、指をちらりと舌で舐め取りながら、リンはグレイスを見る。行儀が悪いが、なかなかどうしてリンがやると愛らしい動作である。
「――なんでアンタはここにいるのよ」
が、それはそれとして話は本題に移る。
勇者として、それは聞かないわけには行かない内容だった。今は互いに人間で、仮にこの場でリンがグレイスに襲いかかったら、リンは殺されても文句を言えないが、それでも。
相手が魔王である以上、リンは踏み込むしかなかった。
「魔王……俺は特殊な力を持っていた。これを魔王術というが――その中に、魂を転生させる術があった」
「なにそれ、魔王は殺しても死なないってこと?」
「転生できるのは、見ての通り人間だけだ。そもそも、俺は魔王にもう一度転生するなど死んでもごめんだったからな」
「何よそれ」
リンはわけがわからないと、眉をしかめた。
「その事は別にいいだろう。お前はどうだ、リーンヒルド。なぜ転生した?」
「……リンよ」
「リンよ、お前はそもそも転生など望むようなやつだったか?」
指摘されて言い直す。そもそもリンとリーンヒルドを区別するために呼び分けたのだが、リンはいささか手厳しかったようだ。
「さっきも言ったとおりよ。アタシは何もしてない。勝手にこうなってたの。……アンタがなにかしたんじゃないの? 実際、アンタはアンタの力で転生したわけだし」
「偶然巻き込んだ可能性は、まぁ無くな無い。だが、意図してやることなどあるわけ無いだろう」
「意外ね。アンタそもそも、アタシに命が惜しくばどうたら、って言ってたじゃない。あれはなんだったのよ」
「アレと転生は関係ない。お前が拒否した時点で、お前の意志を無視してことを起こすことなどありえないよ」
そもそも、グレイスは魔王術による転生は自分だけにしか効果がないと考えていた。試したことがなかったのでぶっつけ本番だったのもあるが、少なくともグレイスはリンを巻き込むつもりなど毛頭なかったのだ。
「……アンタが、アタシを?」
ふと、訝しむようにリンがグレイスを睨む。
なにか地雷を踏んだのか、その瞳には、リーンヒルドの時に浮かべていた敵意が、薄くではあるが滲んでいた。
「――アタシの故郷を奪ったアンタを?」
「それは……」
「アタシの国を焼き尽くしたアンタを?」
「…………」
「アレだけ、多くの人の命を奪ってきたアンタを?」
その瞳は、敵意と、憎悪。
勇者が魔王に向ける瞳だ。
「誰が、誰の意志を無視しないことが、ありえないって言ってるの?」
グレイスは、大きく息を吐いた。
やはり、根底が変わったわけではないか、と。
リーンヒルドからリンへと転生し、リンの周囲は環境が変わっただろう。今のグレイスが魔王ではなく貴族であることから、直接的な敵意を向ける理由はないと彼女が考えるようになった。
そのことをグレイスは嬉しく思っていたが。
根底は変わらないのだ。
リンの根底は、今もリーンヒルドのままだ。
――あの頃から、何も変わらない。
「……リーンヒルド」
「リンよ!」
「…………リン、ここでは視線を集めすぎる、場所を変えよう」
そう、あの頃から――
――周囲に騙され、勇者として祭り上げられ、正義を疑うこと無く散った、あの頃のリーンヒルドから。
亜人の少女リンは、何も変わってはいなかった。
<魔族>
かつて大陸の覇権を握っていた種族。単一の個体として存在し、子をなすことはない。
不老であり、非常に強力な魔力を有している。
完全な個人主義のため魔族同士でつながりを持つことはないが、その時もっとも強い魔族は魔王と呼ばれる。
リーンヒルドの時代、魔族は力をつけた人類に取り入って、人類の国家と共に大陸の覇権を握るべく動いていた。
魔王グレイスヒルターはそれに興味を持たず、不干渉であったが人類が攻撃してきた場合はこれを撃退していた。
人類の中から現れた魔族を倒すことのできる個、勇者によってその数を急速に減らし、グレイスとリンが転生した時代では、かつての栄華は衰え、魔族の名を大陸で聞くことはない。
<亜人>
古くから存在していた獣の特徴を持つ人間。身体能力が高く、代わりに魔術を行使するための魔力を持たない特性を持つ。
人との違いはそれだけで、寿命や身体的特徴が大きく変わることはない。
人と個を為すこともできるため、かつては人と同じに扱われてきた。
魔王を討伐し、大陸から魔族の影響がほとんど取り払われた後、覇権を握った国家が民衆の反感を抑えるための存在として、亜人の迫害を推奨、以来大陸では亜人は差別される存在となり、現在はスラム街などに寄り集まって暮らしている。
人前に姿を表すことはほとんどない。