命が惜しくば、俺を好きだと言ってみろ。 作:まつりお
元魔王グレイスヒルターは絶句していた。
貴族公爵グレイス・ヒルドレッドは唖然としていた。
つまりグレイスはびっくりしていた。
そこはグレイスやリンたちが暮らす“旧王都”の下水道だ。旧王都には古くから下水道が存在し、この下水道のおかげで、街は清潔で綺麗であることが街の誇りと言われている。
「俺の知識では、この下水道は特殊な魔術が組み込まれていて、自動的に清潔になるよう毎日清掃されていると聞いたのだが……」
「されてるわよ?」
リンがそう言って、手近にあったパネルのようなものに触れる。すると、どこからか水が流れてきて、グレイスとリンの眼の前にある水路を流れていった。
「こうやって、手動でもできるけど、一日に三回自動で水が流れてる。この時、さっきみたいに水路だけじゃなく、私達がいる通路まで水が流れるから、もし巻き込まれると死ぬわよ」
「先程の水は、魔術で作られた聖水としての機能を有しているのが視えた……では、この異臭はなんだ?」
「あっち」
言って、リンが指差す先には――凄まじい量のゴミがドカドカと流れ込んできていた。これまらグレイスは絶句する。流れ込んでくるゴミに再現はない。先程の水が流れるよりも勢いがあるように視えた。
「確かに魔術で綺麗にはなってるけど、それより捨てられるゴミの方が多いのよ。だからこうして下層に住んでる貧民……つまりアタシ達が毎日せっせと掃除してるわけ」
「やはり人類は愚かなのではないか……?」
「今更魔王みたいなこと言わないでよ」
魔王時代、魔族が人類を見下している姿をグレイスは何度も見てきたが、今更になって彼らの気持ちが解ったような気がした。おそらく彼らはそんなこと一切考えてもいないだろうが。
「まったく。リンよ、この下水道を掃除することが、人生の楽しみにつながるというのか?」
「そうよ。はいこれ、ブラシ」
「いらん。俺は魔王だぞ? この程度、魔術を使えば――」
そうだ、魔王であるグレイスならば魔術が使える。今の時代、魔術とは特権階級の権益らしいが、そうだとしてもグレイスは公爵貴族だ。
魔術を使うことにためらいもない。
しかし――
「…………む?」
「無駄よ」
――魔術は、発動しなかった。
「なぜだ? 魔術は問題なく発動しているが、それが発動する直前に魔力がかき乱されている。これは一体……」
「この下水道じゃ魔術が使えないの。下水道に水を流す魔術と一緒に、そういうものが組み込まれている見たい」
「……どういうことだ? ここはかつて、王族が街から逃げ出すための脱出路にもなっていたと聞いたが」
この旧王都は文字通りかつてはこの国の中心だった。そのため、この下水道は生活のためという意味合いの他に、王族が逃げ出すための隠し通路としての役割を担っていたりもする。
なのに、魔術が使えないのでは、王族を守ろうにも守れないのではないか? というグレイスの疑問は最もだ、しかし残念ながらここにソレに対する答えを持っている人間はいない。
「知らないわよ、後から付け足したとかそんなんじゃないの」
「誰がそんな無駄なことを……」
しかし悩んだところで答えは変わらない。グレイスはブラシやスコップを使って、あの大量のゴミを掃除しなくてはならないのだ。汚れてもいい服装で来るように、と言われた時から嫌な予感はしたが――なお、そんなものはなかったのでリン達が暮らす下町で適当に調達することになった。
ちなみに先程使った洗い流しは、次に使えるのは数時間後だ。そもそも使えたところで通路に乗っているゴミには何の効果もないが。
「むぅ……人生というのは難しいな……」
「流石に考えすぎだと思うけど?」
なんて話をしつつ、グレイスはブラシを持って下水道を進む。鼻がやられてしまいそうなほどの汚臭、魔王時代の経験からなんとか耐えることができているが、下町の人間はこれが日常なのだと考えると、自分との落差にめまいがする。
それも人の生活と言ってしまえばそれまでだが。
「む?」
ふと、グレイスは違和感を感じて足を止める。何事かと振り返るリンに、
「いや、足音が」
「……ああ」
と告げると、リンは納得した様子で、グレイスが視線を向けている方へと同じように視線を向けた。そう、足音。それも一つではない。複数の足音が警戒にこちらへ近づいてくるのだ。
何事か、リンが察していることから危険ではないのだろうが、グレイスは不思議に思いながらもその足音に意識を傾けて、
「だーれーだー!」
瞬間、それが突如として自分の顔に飛びついてきた。
「お姉ちゃーん!」
「きたよー!」
「ぬ、うお!」
突如として顔に誰かが張り付いたせいで視界を奪われ、グレイスはたたらを踏む。間に手すりがあるとは言え、隣は激流流れる水路。危険極まりない場所で慌てふためくグレイスを、リンが冷静に顔に張り付いた誰かを引っ張って態勢を整える。
なんとか持ち直して、息を吐く――と即座に汚臭が吸い込まれてグレイスは咳き込んだ。
「げほ、ごほ、一体何だ!」
「こぉらチビ達! 急に飛びつくんじゃないわよ、危ないでしょ!」
「ごめんなさーい!」
綺麗な謝罪が、3つ並んで飛んできた。グレイスの顔から飛び降りた一人を、グレイスは見下ろす。幼い――六歳くらいの少女だった。
三人の少女がグレイスとリンを笑顔で見上げている。
「お姉ちゃん! この人だぁれ?」
「お姉ちゃんのカレシさん? ヒュー!」
「おめでとーお姉ちゃーん!」
「違う! 勝手に話をすすめるな!」
急に現れた少女は、話すたびにぴょんぴょんと跳ねて、とても騒がしい。それぞれ髪色の異なる亜人の少女で、リンを姉と呼んでいるところから考えると――
「……お前が保護しているのか?」
「正解。血はつながってないけど、私の妹よ。自慢のね」
「自慢だぞー」
「だぞー」
「だぞー」
三人はまるで三つ子なのではないかというくらいに息ピッタリだ。それだけ仲がいいというのもあるだろうが、リンの育て方が良かったのではないかとも思う。
とはいえ、目につくのは彼女たちの手にある――スコップとブラシだろう。
「こいつらも掃除をするのか」
「そうよ。下町の人間なんて、この歳から下水道掃除をしてくもんなの」
六歳といえば、グレイスならばまだろくに授業も受けていなかった頃だ。その頃から魔術を個人的に使って吐いたものの、やっていたことなどそれくらい。
屋敷に幽閉されて、一人で何もない場所で時間を過ごすか、書斎に引きこもって本を読むかしか、当時のグレイスには許されていなかったというのに、
「……そういうものか」
大変な話だ、とグレイスは嘆息した。
なお、自分の置かれた環境が特殊であるとは、グレイスはついぞ考えてはいなかった。
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「んで、こうやって大きいゴミはこっちに纏めておくの。なんだかんだ自動放水の勢いはすごいから、纏めておけば勝手に流されてくれるわ」
「俺達の役目は、こびりついた汚れの掃除と、ゴミの整理なんだな。匂いはキツイが思っていたほど絶望的な作業ではないか」
「アンタは下水道掃除を何だと思ってるのよ」
「アレを見てまともな仕事だと思えるか?」
今もどんどん放り込まれるゴミの山を指差すグレイスに、リンはため息を尽きながらそれもそうね、と同意する。楽しそうに仕事をしているのはリンの妹たちくらいで、ここでの仕事を楽々とこなせる精神性の人間は少ないだろう。
リンは苦もなくそれをこなしているが、グレイスは慣れるのにはもう少し時間がかかりそうだった。
「いや、でも……アンタは思ったよりスムーズに作業してると思うけど」
「普通の貴族なら、今頃お前に切りかかっているだろうな」
「え、なにそれ」
ドン引き、といった様子でグレイスから距離を取るリン。
グレイスは苦笑してから、手近なゴミにブラシを突きつけて、力を込めながらつぶやく。
「魔王になるまえの魔族だったころ、魔術もろくに使えなかった時、魔術具は自分の手で作るしかなかった。作業の内容は違うが、地道に数をこなすしかないという意味でそう変わらんよ」
「そう変わらない、で一番の問題をスルーしてるアンタは、割とどうかしてるわよ」
そう言いながら、グレイスよりも手早くゴミを片付け汚れを洗い流していくリン。手慣れているのだから当然だが、グレイスは少しだけそれが気に入らない。
ブラシに力を込めると、一気にスパートをかける。
「やってみれば、この作業もそうつまらないものではない。体験すれば、見方も変わるのだな」
「このくらいで悟られても困るんだけど。っていうか、あんまり勢いつけすぎると、汚れがムラになって残っちゃうわよ。丁寧に一つずつ片付けるの!」
「む、むぅ……」
――結果、即座にリンからダメ出しを受けた。
「しょんぼりしてるー」
「しょん」
「ぼりー」
楽しげに妹たちが指摘するくらいにはしょんぼりしてしまった。申し訳無さそうにムラになっている部分を丁寧にブラシでこする。
それを、リンは目を丸くして見ていた。
「なんだ」
恨みがましく、リンを見る。
せせこましいにも程があるが、それでも見ないでは居られなかった。
「…………いや、アンタがそんな反応するとは思わなくって、ちょっと天地がひっくり返ったくらいびっくりしてる」
「そんなにか!?」
愕然とした。
具体的に言うとここに連れてこられたとき以上にびっくりした。
そこまでびっくりするのかと、それはもう目を丸くしてしまった。
「……ぷ」
――ふと、リンから笑みが溢れる。
「あはは、あはは! なんだ、そういう顔ができるやつだったんだ、アンタ!」
「……当たり前だ。俺とお前は、所詮宿敵でしかなかった。お互いのことなど、何も知らんのだ」
それもそうだと、リンも頷く。
リンが笑う間も、グレイスは黙々と相似を続けている。それでも、リンのペースには到底追いつけそうにはないので、グレイスはまた歯噛みした。
「……うん、確かにそのとおりだわ。アタシ、アンタのこと何も知らない」
「そうだな」
「――だから、アンタの言葉を信じられなかった」
ふと、笑みが混じっていた声のトーンが変化する。
真面目なものに、グレイスは手を止めて、リンの方を見た。
「アンタは何もしてない。ただ魔王と名乗っていただけ。――嘘を言ってないのはわかってんのよ。これでも、目の前でつかれた嘘を見抜けないほど腑抜けてなんかない」
「……そうか」
「アタシが信じられなかったのは、アタシ自身。だから、知らなきゃいけないと思ったの、アンタを。アンタを知れば、アタシはアタシを信じれると思ったから」
「なら、今はどうだ?」
そう、姿勢を上げて問いかける。
視線を合わせて、少しだけ顔つきが柔らかくなったリンは、
「……昔は昔、今は今。そう思えるようになった」
「そうか」
「そして、そうおもった時――アンタにこれを体験してもらおうと思った理由もわかった」
すっと指をつきつけて、
「――アンタ、めちゃくちゃつまらそうな顔してたわよ」
そう、言ってみせた。
――ふと、グレイスはそれを見入ってしまった。
異臭が漂う下水道、服はゴミと汚れで真っ黒になって、お世辞にも綺麗だとは言えないのに、そうやってグレイスを指差したリンは――不思議なほどグレイスを惹きつけたのだ。
「…………何よ」
「いや――」
ふ、と笑みを浮かべる。
「お前は、変わらないな」
なぜ、こうもグレイスは惹きつけられるのか。
目の前に、かつてと変わらないリンの姿を見せつけられたからだ。勇者リーンヒルドの心根は、未だリンの根底にある。
そのことが、どうしてかグレイスには嬉しく思えててしょうがなかった。
「なにそれ」
それを、リンは変なものを見る目で見る。ピンと来ていない様子だ。とはいえ、グレイスにも特に意図はなかったのだが。
――旗から見ればそれはどう視えるか、というのは別問題だ。
「……やはりお姉ちゃんとこの人はお付き合いしているのでは?」
「熟年すぎるのでは……?」
「然り然り……」
――見れば、何故か妹達は距離をとって、二人のことを観察していた。完全に出歯亀のそれは、二人の関係を恋人のそれだとみなしていて、
「そういうんじゃない!」
「そういうわけではない!」
否定するグレイスとリンの言葉が、ハモってしまった。
結果、
「お付きあいだーーーー!!」
妹たちはそうやって楽しげに駆け出して、グレイスとリンもそれを驚きながら追いかける。
――勇者と再開して一日。
元魔王であり、元貴族。グレイスの日常は、一日にしてあまりにも鮮烈に、退屈から塗り替えられようとしていた――