命が惜しくば、俺を好きだと言ってみろ。   作:まつりお

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5 魔王とミルクと風呂上がり

「よぉ、兄ちゃん」

 

「む?」

 

 湯船を堪能するグレイスに、つるつる頭のおっさんが一人、近づいてきて声をかけた。グレイスはそれをみやって、意外そうにしている。

 自分に声をかけるものがいるとは思わなかった、といった様子。

 

「お前さん、他所から来ただろう、一体全体どういうわけでここに来たんだか知らないが」

 

「ああ――」

 

 警戒させてしまったか、とグレイスは納得する。よそ者、たしかに下町の人間からすれば警戒対象だろう。特に自分は身なりがいい、育ちの良さというのは服を変えても隠せまい。

 彼らにとって、自分は異物。溶け込めるほうがおかしいのだ。うぬぼれているつもりはないが、申し訳ないとは思う。

 早めに上がったほうがいいだろうか――

 

「――いや、気に入ったぜ! ああも見事に湯船に感動してくれると気持ちがいい!」

 

「おお?」

 

 意外な反応だった。

 そりゃあ親指グッ、をした中なのだから当然といえば当然なのかもしれないが、ここまで好意的に見られるとはグレイスとしては意外と言う他無い。

 快活なおっさんの笑み、グレイスも薄く笑みを浮かべる。

 

「それに、きちんとマナーを守ってくれるのも好印象だ。あんた、名前は?」

 

「グレイス……グレイス・ヒルドレッドだ、見て分かるかも知れないが、公爵貴族だ」

 

「公爵……!? いいとこの坊っちゃんだとは思ってはいたが、大物すぎるだろ!?」

 

 もしや、自分の立場は彼らが思った以上に高かっただろうか。いや、もちろん公爵ともなればこの国でも一番位の高い貴族なのだから高くて当然なのだが、この場合彼らが想像していたよりもグレイスの立場が高かったということ。

 せいぜいが大きな商店のドラ息子と思われていたのなら、そこまで警戒されないのも、納得――これは、少しばかり失敗したかもしれない。

 身分を隠すのは、彼らにとって誠実ではないと思ったのだが。

 

「いやぁ――」

 

 おっさんは驚きながらも、呆れるような表情を浮かべていた。

 

「お前さん、正直すぎるだろ。まぁリンちゃんが連れてきたヤツなんだから、それくらい素直な方が信頼できるってもんだが……」

 

「……そうか、リンか」

 

 どうやら、彼はグレイスが公爵貴族であると明かしてもそれを受け入れてくれるらしい。それもこれも、リンというこの街でも慕われている存在の紹介だから、という側面が大きいだろう。

 彼女の立場は、グレイスにとって心底ありがたいものだった。

 

「いいさ、よろしくなグレイス。ここではお前さんは一人のグレイスだ、その方がいいだろ?」

 

「ああ、それで頼む」

 

 おっさんは話が分かる人だった。それから、周囲の他のおっさんたちも交えて、話は弾む。グレイスは自分の身の上を話ながら、この街のことを聞いていく。

 人と亜人が当たり前のように隣り合って暮らす街。グレイスにとっては、魔王だった頃は当たり前の――しかし今の時代には貴重な街の話は、非常に興味深いものだった。

 対してグレイスの身の上話は、おっさん達にとっては同情に値するものだったのか――グレイスが魔王として、確固たる自我を形成していなければ、普通歪むような環境だ――親身にグレイスの話を聞いてくれた。

 

 一番盛り上がったのはグレイスとリンの関係だ。

 ここに関しては、話せないこともある、という前置きをした上で昔馴染み――下町を進む道中でリンが知り合いに語っていた関係――を話す。

 リンは幼い頃にチビ――妹たちを連れてこの街にやってきて、以来ずっと住み着いているから、ソレ以前の関係だとすれば、二人は中々に奇縁だろうとおっさんたちは言う。

 実際には、互いに互いを殺して同じ場所で死んだ仲なのだが、これは奇縁がどうとかいう話ではないとグレイスは思った。

 

 ちなみに、グレイスはリンのことが好きなのかという質問のさい、おっさんたちから仄かな殺意をグレイスは感じ取った。大切な娘のような存在であろうから、当然といえば当然だろうが、少しだけ元魔王グレイスヒルターは恐怖した。

 尊敬している、と回答しておいた。玉虫色の回答だ。

 

 そうして風呂上がり、おっさん達はグレイスにこういった。

 

「――風呂の楽しみは、これだけじゃ終わらねぇぜ?」

 

 そういって、くいっと何かを飲む仕草をする。アルハラは勘弁願いたいのだが――

 

 

 <><><>

 

 

「――来たわね!」

 

 出れば、すでに風呂から上がっていたリンが待ち受けていた。

 

「まさかアタシの方が早いとは思わなかったわよ。おっさんたちに捕まってたってんなら納得だけど」

 

「おう、悪いなぁリンちゃん。けど、こいつのことがよくよくわかってよかったぜ」

 

 パンパンと背中を叩かれるグレイス。少しむず痒かった。

 

「それでどうしたのだ。もう日も暮れた、そろそろ解散したほうがいいだろうに」

 

「まだ終わってないのよ! なんにも終わってない!」

 

 頑なにリンはそう言って聞かない。グレイスとしては、わざわざ待たせてしまったことに対する申し訳無さが勝つのだが、リンはそんなこと気にしてもいないようだ。

 風呂から上がって、これ以上なにかあるというのだろうか。

 

「むしろここからなのよ! 労働に寄る疲労を湯船で汚れごと押し流して、さっぱりした後には当然、待っているべきご褒美があるの!」

 

「酒か」

 

「アタシたちは飲めないわよ!」

 

 言いながら、タッタッタとリンはどこかへ駆けていく。

 そうして持ってきたのは、一つの瓶だった。

 

「これ!」

 

「……なんだ?」

 

「ミルクよ!!」

 

 ミルク。流石に言われて見てみれば分かる。そこがわからないほどグレイスも世間知らずというわけではないのだ。

 ただ、言われてもピンと来なかったが。

 

「いや……俺はミルクではなくコーヒーの方が好きなのだが」

 

「この偏食家ァ!」

 

 バシィ、とリンから叩かれるように瓶を押し付けられた。本当に叩きつけたわけではないのが、彼女の人の良さを感じさせる。

 

「分かるから! 飲めば分かるから! 飲んで分かれ! ってか分かれ!」

 

「むぅ、なんかテンションがおかしいぞ。本当に酒は飲めないのだよな? お前……」

 

「雰囲気に酔ってる所はあるわね」

 

 温泉に入ってテンションが上がったからだろう、とリンは笑う。それにしたってテンション上がり過ぎじゃないかというのはグレイスの考え。

 どちらにせよ、飲むまで彼女はここに居座るだろう。

 

 というか、見れば周囲の視線がこっちに集まっている。リンの妹たちも何故か物陰からこちらをじーっと見ているし、おっさんたちも酒を飲みながらチラチラと見ているわけだが。

 なんだろう、湯船に入ったときのような視線だ。

 

 ……ちょっとだけ、期待値が上がった。

 

「まぁ、そこまで言うなら吝かではないが……しかし知らんぞ?」

 

「大丈夫!」

 

「その絶対的な自信はどこからくる……」

 

 言いながらも蓋を開けて、グレイスは中を覗き込む。まずいということはなさそうだが、飲んで見るまではなんとも言えない。

 苦手とはいっても飲めないわけではないのだし、覚悟を決めてさっさと行くべきだ。

 グレイスはそう思い、ミルクを煽った。

 

 ――直後。

 

「……!!」

 

 その目が見開かれる。

 周囲が少しどよめいた。

 

 ごくり、ごくり、ごくり。

 

 喉を鳴らしてグレイスはミルクを飲み干していく。勢いよく、ずずいっと。

 

 そして――

 

「ぷはぁ!」

 

「おおっ!!」

 

 一息で飲み干してしまった。衝動的に、ごくごくと。

 

「……うまい」

 

 ――直後、リンや妹たちから歓声が上がった。おっさんたちも、したり顔でうなずいている。

 一口で、グレイスはわかってしまった。

 

 労働、入浴、そしてミルク。

 

 ああ、たしかに風呂上がりにこれを飲まなければ、銭湯は完結しない。

 コレは確かに――やめられないな。

 

「感謝するぞ、リン」

 

「ふん、トーゼンよ!」

 

 見れば、リンの顔は先程から、ずっと笑顔だった。満面の、華やぐような笑み。ああこれは――可憐だ。気を許したようなリンの笑みに、思わずグレイスは引き込まれるのだった。

 

 

 <><><>

 

 

 それから、グレイスは事あるごとに屋敷を抜け出して、下町に通った。

 グレイスの屋敷には、それを一人で管理する執事がいるのだが、彼の目を盗んで。

 

 疑われても、証拠がでなければいいのだ、そもそもグレイスはいいつけで勉学に励むよう言われているのだが、そのノルマはきちんとこなしている。

 師がやってきて直接講義を受けるときだけ、屋敷を抜け出さずにその講義を受けて、それ以外の日はリンが仕事をしている日はほぼ毎日下水道に通った。

 

 街にも、少しずつ馴染んでいった。旗から見れば金持ちの道楽にしか視えない行為だが、グレイスは天然でそんなこと考えもしなかったというような態度で、周囲の毒気を抜いていた。

 他にもリンの紹介というのもあるが、何よりこの街の顔役をしているおっさんたちに認められたというのもあってか、一気に彼は下町の一員として受け入れられていった。

 

 もちろん、グレイスが真摯に仕事へ取り組んでいたというのもあるし、下町の人間に対して、一切慇懃な態度をしなかったことも大きい。

 人柄と縁。それらが合わさって、グレイスは下町で認められる存在になることができた。

 

 そのたびにリンへ愚直に感謝して、リンを照れさせていたわけだが、風呂上がりの機嫌がいいリンに感謝すると自然とそれを受け入れてくれるということを悟ったグレイスは、風呂上がりにリンを口説くことを覚えてしまった。

 街の若い男たちがグレイスに嫉妬するなか、二人は少しずつ距離を詰めていく。

 

 魔王と勇者。その枠組を取り払ってしまえば、どちらも純朴で天然で、そして前を向いて生きることを望む気性をしている。ようするに馬が合うのだ。

 そうしている内に、時間はあっという間に過ぎていく。

 

 

 ――気がつけば、二月の時間が流れていて、グレイスの手はすっかりゴツゴツとした、下町の人間の手になっていた。

 

 


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