「マスター。恋とは一体なんなのでしょうか?」 作:アグネス・ゾンビ・デジタル
「コイ?」
「はい」
全てのトレーニングメニューをこなしたあと、トレーナー室で少しだけミーティングを開き、それも終わったので「ヨシ、じゃあ帰るか」と、席を立ち上がろうとした瞬間だった。
俺の担当ウマ娘であるミホノブルボンことサイボーグウマ娘は表情ひとつ変えずに訊ねてくる。
コイについて教えてほしいと。
「少し待っててくれ」
「はい」
俺はブルボンを部屋に残し、購買へとダッシュした。
そこで饅頭を二つ購入して、また急いで部屋へと戻る。
ブルボンは相変わらず表情も身体も一ミリたりとも動かさずじっと待っていた。
「ほら、これを食べなさい」
無表情のサイボーグに饅頭を差し出し、俺は部屋の隅に置いてある棚から湯呑みと茶葉を取り出し、常備してあるポットで茶を淹れた。
「あったかいお茶もあるよ」
「マスター」
ブルボンは目の前の饅頭とお茶に視線を落とし、少し考えてからこちらに視線を戻す。
「これは?」
「いいかいブルボン。確かに鯉を使った料理はあるが、あまり一般的ではない。鯉こくと言うのだが、残念ながら俺は作り方を知らないんだ。トレーニング終わりで腹が減っているのは分かるが、これで我慢してくれ」
ブルボンに渡した饅頭は赤餡と白餡の二つ。
そこから白餡のものを手に取り、一口で食べ終えてブルボンの為に用意したお茶に口をつけた。
そんな俺の行動を見てもブルボンは全く動揺せず、なんの反応も示してくれない。
なにお前、絵画なの? ってくらいじーっと見つめてきて、それはまるで、仮に今隕石が降ってきてこの部屋が消し飛んだとしても、彼女は変わらず貼り付いたようにその瞳を動かさないんじゃないかと錯覚させるほど。
「こ、鯉って、カワイイヨナ……。ははは……」
ブルボンほどではないが下手くそな愛想笑いを浮かべて、手にしていたお茶をそっと元の位置に戻した。
「いえ、マスター。鯉ではなく恋です」
「え、濃い? お茶が?」
「濃いではなく恋です」
「…………」
鯉ではなく濃いでもない。来いってことか?
目の前まで来て土下座して靴でも舐めろってことだろうか。
「時々、マスターといると原因不明のエラーに陥ることがあります。頭を撫でられたときの体温の上昇、マスターが他の娘と話しているのを見たときの心拍の乱れ。私はこれを病気と判断しました」
ウンウン、病気だね。間違いない。
「ですがそのことについて先日サクラバクシンオーさんに相談したところ、『それは病気ではなく恋です! 私にはわかりますよー! 何故なら! 学級委員長だからです! ハッハッハッハッハー!』と言われました」
……今のはバクシンオーの真似だったのだろうか。
大根役者もびっくりの棒読みで、なんだったら生気すら感じない。絶望的に似ていなかったのでスルーすることにした。
スルーする……。ふふっ、あとでルドルフに教えてやろう。……いや、流石にこれはレベルが低いか。
「ライスさんにも確認したところ、やはりそれは恋だと言われてしまいました。マスター、恋とは一体なんなのでしょうか?」
故意……。コイか。恋だな。
恋ってなんなんだろう? よく恋をして人生が変わった、なんて言ってる人を見かけるが恋にそんな力があるのだろうか。
そういえば俺も恋はしたことがないのでよくわからない。
トレーナーとしてウマ娘の相談には親身になってやりたいのが本音ではあるが、今の俺では少々力不足なのでリサーチしてみる必要がある。
「明日、もう一度来て下さい。本当の恋を教えますよ」
そう言って、ブルボンが返事をするより先に立ち上がり部屋を出た。
× × ×
翌日、昨日のことなどすっかり忘れてカフェテリアでマヌケ面を晒しながら昼食をとっていると、後ろから肩を叩かれた。
「ランチ中にハロ〜☆」
後ろを振り返り確認すると、そこにはきらきら笑顔のスマートファルコンが立っている。
俺は普段から肌身離さず持ち歩いているサイリウムを振った方がいいのか少し頭を悩ませ、でも右手に箸を持っていることに気づき、視線だけでなんの用かと問いかけた。
「ライブのフライヤーとブロマイドのプレゼントですっ」
受け取るつもりなど毛頭無かったのだが、ファル子は清々しいほどの笑顔で空いていた俺の左手を掴み、凄まじいパワーでフライヤーとブロマイドを握らせてくる。
普段から街中で配られているティッシュやチラシ、キャッチの勧誘は頑として無視するのだが、これには流石の俺も引き攣った笑顔を返すしかない。
ちなみにサイリウムもアグネスデジタルから無理やり持たされたものである。
ヲタクたるものいつ如何なる時もサイリウムを手放してはならない。推しのゲリラライブにも対応できてこそ──だとかなんとか言って今にも天に召されそうな笑顔で、こちらも凄まじいパワーでサイリウムを受け取らされた。
俺はヲタクじゃないし推してるウマ娘ちゃんもいねえよ。
「あ、ありがとう……」
「ライブ、絶対来てねーっ!」
ふりふりと手を振って微笑んでくれるものだから、「あれ、意外とヲタクも悪くない?」とか思ってしまう。
胸がドキドキしているし頬が熱い。
なんだこれ。そうか、これが恋か……。
恋……濃い……鯉……。コイだ!
「ファル子、ちょっと待ってくれ!」
「やーん、なになにー?」
当初の予定を思い出すことができた。
そうだ、俺は恋についてリサーチしなければならないのだ。
「ずばり恋ってなんだと思う?」
「恋?」
「うむ」
ファル子は少し考え込む素振りを見せたあと、なにか思いついたように爽やかな笑顔でポンと手のひらを叩いた。
「ファル子はウマドルだから恋なんてしないんだよ!」
「おぉ。アイドルは恋をしないものなのか?」
「ウマドル!」
良かった。ファル子からは有力な情報を得ることができた。
アイドルは恋をしないらしい。早速ブルボンに教えてやろう。
そう意気込んでトレーナー室へと急いだ。
× × ×
「お疲れ様ですマスター」
「…………」
実はこのトレーナー室、扉を開けてすぐ目の前には長机が置いてあり、その奥には膝より少し下くらいの高さの段があってその先に畳五帖分のスペースがある。
そこで正座をしてブルボンは俺が来るのをじっと待っていたらしい。
いつもだったら椅子に座って待っているのだが、今日はなにか心構えが違うのだろうか。
いや、正直言ってそんなことはどうでもいい。俺は今猛烈に膝枕してほしい。
飛び込み前転でゴロゴロゴロー☆っと転がってあの柔らかそうな太ももに顔をうずめたい。そんで驚く(のかわからんけど)ブルボンの顔を見上げてみたい!
それは一体どんな光景なのだろうか。
やってみようかな……。いやしかしシャレにならないと困る。99.9%平気だとは思うのだが……。
「マスター。どうぞ」
「へ!? いいの!?」
「……? こちらへ来て頂かなければ話ができませんので」
なんだ。もしかしてブルボンも母性に目覚めてしまったのだろうか。
まあ本人が良いと言っているのだし、ここはお言葉に甘えさせてもらおう。
俺は緊張のあまり右手と右足が一緒に出ていたが、そのままブルボンのもとまで歩いて行き、靴を脱いで「失礼します」と断ってからブルボンのお膝に後頭部を預けた。
──山。昔の人は言いました。「そこに山があるから」登るのだと。
「お、おぉ……」
無意識のうちに山に向かって伸びていた右手をすんでのところで押さえつけた。
今ブルボンがどんな表情をしているのか、二つの山が激しく主張しているせいで全く見えない。
見えないが、すぐに聞こえてきた声でなんとなく察することはできた。
「マスター。マスターの行動にはどういった意図がありますか?」
多分、いつもと変わらない無表情。
「胸触ってもいーい?」
「胸を……? 理解不能……いえ。それ 却下デース☆」
「なんだブルボン、どうした。エラーか?」
「エラーではありません。以前トレセン学園で流行っていた言葉です」
「なるほどわからん」
末尾に☆までつけておいてその棒読みは無いだろう。一瞬機械が喋っているのかと思っちゃったよ。
「そんなことよりブルボン」
「はい」
「恋についてわかったことがある。実はな、アイドルは恋をしないんだよ」
少しの間静寂が訪れた。
相変わらず二つの山が目の前にあるせいでブルボンの表情は見えないが、呼吸に合わせて微かに動いている様は美観だ。
「マスター、私はアイドルではありません」
「…………」
俺は一体なんの情報を得たのだろうか。
今になって考えてみると全く意味の無い情報だったことがわかる。
まぁそれはそうと、次に言うブルボンの言葉があまりに脈絡の無いものだったので俺は大層驚かされることになる。
「来週、花火大会に行きませんか?」
× × ×
「悪い、待たせちゃったか? デジたんに着付け頼んだんだけどちょっと手間取っちゃってさ」
「いえ。1時間13分22秒です」
「めちゃくちゃ待ってんじゃん……」
おかしいな。待ち合わせの五分前に到着したんだが。
「まぁとりあえず行こうか」
「はい」
桜色を基調としたボタニカル柄の浴衣は、ブルボンらしいと言えばらしいし、らしくないと言えばらしくない。
一歩遅れてついて来るブルボンに歩幅を合わせながら人混みを掻き分けた。
「マスター」
「ん?」
何歩目かで隣に並んだブルボンは汗ひとつかいていない涼しげな顔でこちらを見つめている。
「……似合っていますか?」
「へ?」
似合っている──と言えばもしかしなくても浴衣のことだろう。
そうか、なによりまずそれを褒めるべきだった。
しつこく忠告してきたデジたんの言葉も、ブルボンと合流したときにはすっかり忘れていた。
「似合ってるよ」
たった一言。特別な想いを乗せたわけでもないその言葉に、ブルボンの耳がピクリと反応する。
「この感情は……『嬉しい』、です……」
行き交う人々の雑踏と、ひぐらしの鳴き声が交錯する。
じわじわと出てくる汗が気持ち悪い。
「早くマスターに会いたい。浴衣を見てもらいたい。マスターの声が聞きたい。……待っている間、ずっと考えていました。今までの感情も、今の感情も……このことから推測すると恐らく私は──」
並んで歩いていたブルボンが立ち止まり、きゅっと袖の裾を掴んだ。
その指の先から、感じるはずのない熱が伝わってくるようで、俺は後ろを振り返ることができないでいる。
「いえ……。100%の確率で私はマスターのことが大好きだと判断します」
汗が噴き出したのはもちろん夏だからであり、こう人が集まっていれば風だって通らないから。
じゃあ喧騒にまみれても、普段と同じように聞こえてもどこか頼りない声が何故かはっきりと聞こえてきたのはどうしてだろうか。
「は、はははっ……。いやしかし、どうしてこう祭りの日はゴミが増えるのかね。ゴミ箱をもっと設置するべきだよな。よし、ちょっくらゴミ掃除でもするか。なに、褒めそやされるようなことではない。エロロだ」
「エコロです、マスター」
その機械的な声を聞いてようやく振り返ることができた。
振り返ったのと同時に、袖の裾を掴んでいたブルボンの指先が離れていく。
鉄仮面のような無表情で、頬だって少しも染まったりしていない。だから安心して息を吐いたのだが、落とした視線の先で、ブルボンが手にしていた巾着が少しだけ揺れている。
──あぁ。最低なことをした。
どれだけ勇気を出した一言だったのか、考えもせずにバカなことを言った。
感情を表に出すことが苦手なだけで、なにも感じないわけじゃないだろう。そんなことはわかっていたのに。
「まずは先に謝っておく。ごめん、ブルボン」
「……はい」
ワンテンポ遅れて聞こえた返事が胸を締め付けた。
「なあ、ひとつだけ訊いても良いか?」
「はい」
「えっと、どうして俺なんだ? 正直俺はデリカシーが無いし気も利かない。ブルボンの浴衣姿を見ても褒める言葉ひとつ出てこなかった男だぞ」
「エラーです。私にもわかりません」
本当にわかっていないのだろう。
自分でも心底不思議そうにしている表情が少しだけ可笑しかった。
「あのさ、謝ったのは……ブルボンの気持ちも考えずに誤魔化そうとしてしまったことだから──」
「……?」
「返事は保留ってことで……」
逸らした瞳をゆっくりとブルボンの方へ向けると、いつもと同じ無表情だった。
「……ステータス、『あざとい』を検知。頬がとても熱いです、マスター」
「そうだね。珍しく真っ赤だね」
ただ、頬だけは紅葉のように紅く染めていた。
× × ×
それからふたりでいろんな屋台を周り、もうすぐ花火が打ち上がる時間だというところで、ブルボンの歩き方に違和感を覚えた。
本当に小さなものだったが、右足を少しだけ引きずっている。
「靴擦れか?」
立ち止まり問いかけると、ブルボンは無表情のまま目を逸らす。
「いえ」
「俺に気づかれるくらいだ。相当痛いんだろう?」
大丈夫だと言い張るブルボンを、「トレーニングに支障をきたすからダメだ」と嗜め、背負って歩き出す。
「もうすぐ花火が始まります」
「手当が先だ」
そのまま近くにあったベンチに座らせ、絆創膏などを買いにコンビニへとダッシュした。
軽い手当を済ませた頃にはもう既に花火は打ち上がっていて、祭り会場から花火大会の会場までは幾らか距離がある。
今からブルボンを背負って向かっても間に合わないだろうと、帰ることにした。
背中が蒸れて、浴衣が貼り付く。
二つの柔らかな感触と、剥き出しになった真っさらな両脚に心が掻き乱される。
やばい、手汗かいてるのバレてるんだろうな──って、その脚に触れている手を意識すると余計に汗が出て困る。
なんとか意識をどこかにやりたくて色々考えていると、少しの間止まっていた音が再び響きだした。
夜空に咲いた大輪の花は、幾つもの建物に隔たれ、隙間から微かな光を漏らすだけ。
肩を掴んでいたブルボンの手にきゅっと力が入り、すぐあとに「申し訳ありません」と小さく呟いた。
「……ちょっとそこの公園で休んでいこうか」
暑いし疲れたしで、俺ももう限界だった。
公園に入ってブルボンをベンチに座らせると、俺もその隣に腰を下ろして息を吐く。
パタパタと手で煽いだくらいじゃ全然涼しくはならなくて、水風呂にでも飛び込みたいと視線を落とすと目の前に散らかった花火のゴミに気がついた。
「どーして片付けないのかねえ」
落ちていたゴミを拾い上げると、ブルボンが手伝おうと立ち上がったので片手で制して、中央にある水道で濡らしてからゴミ箱へと捨てた。
一緒に捨てられていた手付かずの線香花火と、ライターだけを持ってブルボンのもとへと戻る。
気がついたブルボンは俺の手の中をじっと見つめたまま微動だにしなかった。
「これも立派な花火だよ」
袋から二本取り出し、その内の一本をブルボンへと手渡す。
「空には上がらないけどな」
苦笑した俺を見つめたまま、ブルボンはほんの少しだけ口角を上げた。
ベンチに腰を下ろしたブルボンの目の前にしゃがみ込み、二つの花火に火をつける。
風に吹かれればすぐにでも消えてしまいそうなくらい儚い光なのに、それは打ち上がる花火にも負けないくらい綺麗なものだった。
「マスター」
「んー?」
手の先でパチパチと火花を散らす球体をじっと見つめながら、気の抜けた返事をする。
「今回の目的は花火大会でした。私はやはり夜空に打ち上がる花火が見たかったのだと考えます」
「あぁ……。ま、これも趣があって良いんじゃ──」
「ですが」
珍しく俺の言葉を遮ったブルボンの方へ顔を上げると、珍しいなんてレベルじゃないくらい優しい笑みでこちらを見つめていたブルボンと目があった。
「毎年……夏の終わりには、マスターとふたりでこうしていたいです」
「…………」
──よく言うよ。『あざとい』のはそっちの方じゃないか。
「……まあ、それは……俺も賛成かな」
ようやく引っ込んでくれた汗がまた一気に噴き出したことに嫌悪感を覚えながら、五月蠅く鳴り響く心臓の音と、呆気なく落ちていった花火を見て俺も微笑んだ。