ウマ娘 ∼Antithesis hero∼   作:Carboxyl

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 お久し振りです。
 日々仕事に追われ忙殺されていたというのと今回少し重めの話になって、「デジタルこんな事言うか?」と台詞一つに一日ほど悩んでいたらあっという間に時間が過ぎてしまいました。
 言い訳はここまでとして、今まで書いた小説を振り返ると、稚拙な文章が散々に見受けられるなと思いましたので、一段落したら大幅に書き直したモノを上げようかなと思っています。予定なので確実ではありません。


第14話 Severe noise

 テイエムオペラオーさんが年間無敗の記録を打ち立てた有馬記念が終わり、年が明けて数日後。

 あたしは自身のトレーナーが用事でトレーニングを見れないということで他のウマ娘と併せをしていた。自分のトレーニングも兼ねつつウマ娘ちゃんを間近で拝む・・・、天国かここは?

 そんな蝶舞う楽園にいる天使ことウマ娘ちゃんにあたしが失礼な事をしでかして泥を塗ってしまう訳にはいかない!

 そういう訳でデジたんは併走でも大真面目に取り組んでいたのでした。

 

 「・・・ふっ!」

 

 「おおお〜・・・。」

 

 マイルCSの時に放った末脚はまだまだ健在で、調子の維持も万全。そして嬉しい事に、周りのウマ娘ちゃんから模擬レースの申込みを沢山受けるようになったのです!

 

 「ねねっ!あなたがアグネスデジタルでしょっ!?マイルCSすごかったね!是非今度、芝1600mの模擬レースに付き合ってほしいな!」

 

 「あ、いいなぁ。じゃあ私も!」

 

 「ひょ、ひょえ〜・・・、あ、有難き幸せぇ・・・。」

 

 今まであたしは影からウマ娘ちゃんを見守るだけ、それだけで幸せなのに変わりは無いのですが、このようにウマ娘ちゃんから注目を浴びるのも、悪くは無いですねぇ・・・。

 

 「いやぁ、あれはヤバいわ。あんなのやられた日にゃ、レース展開とか真面目に考えるのがアホらしくなるな。」

 

 一息休憩を入れる事になり体を休ませていると、併せを見ていてくれていたトレーナーが苦笑しながら声をかけてきた。

 自身のトレーナーの同期という事でその関わりから同期に併せをお願いして承諾してもらったらしい(以下、彼の事を同期トレーナー、もしくは単純に彼と呼ぶ)。既にトレーナーとしては成功している方で、トレーナーとしての腕もまずまずあるとの事。自身のトレーナーが何故か自分の事のように話していたのをよく覚えている。

 

 「いえいえ、マイルCSの時は本当は前を取ろうとしていましたし、あの捲りが決まったのもレース展開が上手くこちらに靡いてこそ。そんなに気軽に繰り出せるものでは無いですし、たまたまですよ。」

 

 「だと嬉しいけどな。だが併せを見ていた感じ、とてもあのレースがフロックとは思えない。調子も良さそうだしな・・・。

 まぁそれより。次はどのレースに出るんだ?」

 

 「次は・・・、『京都金杯』、ですかね。」

 

 「はぁ?金杯?」

 

 同期トレーナーさんは上擦った変な声を出して反応した為、周りの担当ウマ娘ちゃん達が目を丸くして彼に注目した。

 彼は頬を赤らめつつ、わざとらしく咳をして話を続けた。

 

 「・・・お前、仮にもGⅠウマ娘だろ?何だってそのレースに出るんだよ。もっと他に選択肢あるだろ。・・・って、お前に言っても仕方無いか。問題なのはそのレースに出ると決めたトレーナーだものな。アイツ何考えてんだ?」

 

 確かに、普通なら京都金杯はGⅠを取ったウマ娘が出走するようなレースではない。それでも出走するのはこちらなりに事情があるからなのです。

 

 「えっと、京都金杯に出させて欲しいって言ったのはあたしの方です。」

 

 「え、そうなの?じゃあ、もう一度言うか。

 お前仮にもGⅠウマ娘だろ。他に出られるレースはあるってのに何で金杯なんだよ。」

 

 「大きな理由は二つあって、まず一つ目は、取り敢えずのあたしの目標がフェブラリーステークスになっているんです。だから、京都金杯は前哨戦のようなものですね。」

 

 「・・・いや、金杯がフェブラリーの前哨戦とか頭悪いんか?」

 

 彼は失笑しながらズバリとストレートにあたしの路線を切り捨てた。

 あまりに突然に毒を吐かれたのであたしが思考停止してぽかんとしていると、彼は自身の失言に気づき慌てて言い直した。

 

 「す、スマン。余りにもぶっ飛んでいたからつい、本音が・・・。いやしかし、まさかとは思うが、両レースで問われる適正が全く違うって事が分からないなんて言わないよな?」

 

 「ええ、よく分かっているつもりですが・・・。」

 

 「・・・う〜ん、いや、それはそれでヤバいな。前哨戦の意味が無くなるし・・・。やっぱお前頭わる・・・いや、何というか、その。・・・前衛的、だな。」

 

 「本音、抑えきれていないですよ・・・。」

 

 何とかポジティブな言葉を捻り出しましたが、彼は明らかに狼狽えていた。まぁ、それも無理は無いと思います。

 京都金杯は京都レース場芝1600m右回りのコース。それに対してフェブラリーSは東京レース場ダート1600m左回りのコース。合っているのは距離くらいで、もう、レース場からコース設計まで違うのだから、彼の言う通り本来の前哨戦の良さというものはこの路線では殆ど意味を成していないと言って良い。

 それでも金杯を前哨戦と言い張るのは、もう一つの理由が自分にとって一番大切な事だから。

 

 「・・・それで、もう一つの理由なんですけれども。実は最近、マイルCSでニ着だった子が、あたしにもう一度チャンスを欲しいと言ってきたのです。」

 

 「・・・フジノネヴァーが?チャンスをくれ?・・・それってつまり・・・。」

 

 「挑戦状、ですね!で、京都金杯にフジノネヴァーさんが出るとのことですのであたしも出ることにしましたっ。」

 

 「いやいやいや、そんな軽く言うけどさ・・・。いや、う〜ん、そっかー。」

 

 彼は半分諦めたようなトーンで天を仰ぎ、そして顔を覆った。

 

 「もー、訳分かんないよー。なんだよー、金杯からフェブラリーってぇー。ほんとにさー。うーん。理解出来ないっすねー。」

 

 変な調子で愚痴を漏らし続ける彼を担当ウマ娘ちゃん達は変なモノを見る目で様子を伺っていましたが、彼は気にする様子もなく悲鳴ともとれるそれを漏らし続けた。

 

 「・・・あのさ、別に挑戦を受けるなら金杯じゃなくても良いだろ?フェブラリーの後でも大丈夫じゃないか。一体全体どうしてそういう選択を取った?」

 

 彼は急に我に返り、京都金杯を選んだ理由を聞いてきた。

 

 「・・・ウマ娘は、桜のように華やか且つ強くも、その実態は儚く、脆い。お互い、いつ走れなくなるか分からないですからね・・・。」

 

 あたしは力強く大地に立つ自分の足を見つめながら呟いた。

 最近様々な出来事や事件に関わる中で、夜もなかなか寝られずに思考を巡らせる事が増えた。

 色々考える中で、ふと、今の自分はとても恵まれているという事に気がついた。

 去年はGⅠを勝てなければ引退危機みたいなすったもんだがありましたが、そもそもGⅠを勝つウマ娘ちゃんなんてほんの一握り。重賞勝利でも褒め称えられるぺき栄誉であるのに、歴史あるレースに自分の名前が残されるなんて身に余る光栄です。

 さて、ウマ娘ちゃんはいつの日か現役を引退する日が来る訳ですが、その引退の要因も数多くあります。単純な衰え、骨折等によるケガ、多い理由だとこの二つになるでしょう。

 そしてケガによる引退、コレはどんなウマ娘ちゃんにでも起こり得る事態であって、いつ起きてもおかしくない。

 過去には後の活躍を期待されていたのに僅か八戦でケガによって泣く泣く引退を余儀無くされたウマ娘ちゃんだっている。また、レースで運悪く重度の骨折をしてしまい、二度とターフに立つ事が出来なくなってしまったウマ娘ちゃんだっている。

 先程も言ったように、誰しもがいつ負傷してもおかしくない。

 そして自分は幸いにもここまで大きなケガは無く伸び伸びとやってこれて、おまけにGⅠ勝利という肩書きまで得てしまっている。何でも無いようで奇跡に近いのだ。

 その奇跡が続いている間に、自分が出来る事はしておきたいと思ったのです。

 

 「・・・ああなるほど。確かに早めにやりたい事はやっておくに越したことは無い、か。」

 

 彼もあたしの意図を察したのか、腕を組んで目を瞑り深く頷いた。

 

 「それも、確かに進む道としては有りだろう。だが、オレは反対だな。」

 

 組んでいた腕を降ろし目を開くと、彼はあたしの肩を掴んで真剣な眼差しを向けてきた。

 

 「まず第一に、お前にとってメリットが少な過ぎる。得るのはライバルと戦ったという事実だけになるだろう。

 クラシック級の頃からお前達の事は暇さえあれば様子を見ていたが、はっきり言って滅茶苦茶だ。適正が分からず右往左往するのは分かるが、そのうち進路は一つに絞らないと大きな代償を背負う事になる。

 その証拠に、目をつけられたんだろ、URAによ。あいつらみたいにお前のことをよく思わない連中だって出てくるんだ。

 いいか。道を間違える前に、安定択を採れ。それが一番お前の為になる。力になるんだから。」

 

 彼は「分かってくれるよな」と言わんばかりにあたしの背中を軽く叩き、担当ウマ娘ちゃん達が練習している所へ歩み寄って行こうとした。

 

 「・・・果たして、本当にそうでしょうか。」

 

 あたしが異を唱えると、彼は振り返らずに足を止めた。

 

 「確かに、あたし達のやってる事は周りから見たら滅茶苦茶でしょうし、URAから目をつけられたのも事実です。

 しかしこの滅茶苦茶な一年間の間にも、得た物は沢山ありました。よく言うじゃないですか、平地を行くよりも険しい山地を行く方が得られる物が大きいと。

 あたしは本来ならGⅠを勝てるような器のウマ娘では無いハズなのに、色々なレースを走ってきて得た経験と沢山の周りの方たちからの温かいご支援により、今のあたしがあるんです。

 そもそもあたしは、ウマ娘ちゃんの青春の為にこの学園にやってきました。ですから、自分がどうこうではなくウマ娘ちゃんの力になりたいのです・・・!」

 

 言いたい事を言い終えると、同期トレーナーさんは鼻で笑い振り向いた。

 

 「・・・いや、お前は無謀なだけだぞ。そんな調子でいたら、いつか身を滅ぼすぞ?」

 

 「別に構わないですっ。」

 

 「お前、意外と頑固だな。なんとなく優柔不断なヤツなのだと勝手に思ってたけど、オレがどうこう言った所でお前は譲らなさそうだな。」

 

 彼は軽く伸びをすると、深いため息をついた。

 

 「・・・なるほどな、URAが目をつけるのもよく理解(わか)る。こんなの放っておいたら何仕出かすか分からん。」

 

 「あ、一応補足しておきますが、勿論ルールはきちんと守った上で滅茶苦茶やってるので!」

 

 「だからこそ余計にたちが悪いんだよなぁ。まぁコンビ解消が近いうちに正式決定するだろうし、その滅茶苦茶も金杯かフェブラリーで最後になるだろうが・・・。」

 

 そんなに芝と砂を往復する事は周りから見ていて不快なのでしょうか。いや、あたしの場合は勝てないから恐らく上の人達をイライラさせて・・・。

 

 「・・・はぇ?コンビ解消?何の話です?」

 

 「え?」

 

 同期トレーナーさんは先程までの気怠そうな態度から一変、「寧ろ何故知らないんだ」と言わんばかりに目を丸くした。

 

 「・・・お前とお前のトレーナーの専属契約解消の話、聞いてるだろ?」

 

 「いやそれあたしがマイルCS勝って踏み倒したハズですけれども?」

 

 「ん?いや、オレはもうすぐお前達の契約は終わるっていう話を聞いていたんだが・・・?」

 

 「・・・はい?」

 

 話が見えてこず、頭が混乱してきた。取り敢えず一旦落ち着いて、状況を整理してみましょう。まずは相手の話を聞くのです。

 

 「ええと、トレーナーさんが聞いている話、知っている範囲で良いので洗いざらい全部話してくれませんか?」

 

 「お、おう。オレが聞いた話だと、アイツ・・・、もといお前のトレーナーがだな、『より良いトレーナーといた方がデジタルの為になる』とか何とか言ってたぞ。それで契約を解消してベテラントレーナーに引き継ぎさせるつもりらしいのだが、それを何でお前が知らな・・・。・・・あの、デジタルさん?」

 

 ・・・なるほど、話が何となく見えてきました。つまりトレーナーさんは何らかの影響でトレーナーとしての自信を喪失し、あたしとの契約を解消しようとしているのでしょう。

 恐らくその原因の何らかはマイルCS。あのレースがあった日から徐々にトレーナーさんの態度が何処か余所余所しくなっていきましたからね。多分、あたしとの契約解消を踏まえて距離を置こうとでもしていたのでしょう。いや、自分の気の所為かと思っていましたが、そういうことですか。

 ・・・それにしても、なんと身勝手なっ!

 あたしは暫く忘れていた、体の奥底から沸々と煮え立つような感情を覚えた。

 

 「・・・デジタル、さん?あの、非常に顔がこわ・・・。」

 

 「・・・スミマセン、トレーナーさん。あたし、少し用事が出来ましたのでこれにて練習は上がりにさせて下さい。」

 

 「あ・・・、ど、どうぞ?」

 

 「では、失礼します。」

 

 彼に深く一礼すると、あたしは一目散にトレーナー室へ向かって走り出した。ウマ娘ちゃん達が手を繋いで歩いていても、きゃっきゃと戯れていても、珍しくこの時は、何も思わないどころか視界にすら入らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁ・・・。いい加減、言い出さないと幾らデジタルでも怒るぞ・・・。」

 

 オレはトレーナー室で片付けた資料の山に囲まれながら机に突っ伏し、目の前に無造作に置かれている皺まみれの「専属契約解消願」と書かれた紙をまじまじと見つめていた。

 

 「だがなぁ・・・、いざ言おうとすると・・・。」

 

 オレは勇気が出ない自分に苛立ちを覚え、深いため息をつき軽く机に頭突きした。

 

 「何でだよ。一回は決めた事なのに何故こんなに躊躇ってしまうんだ?」

 

 恐らくきっと、自分の中ではまだ未練が残っているのだろう。一番近くで、あの娘の行く末を見届けたい。契約当初から燻っていた思いが消えずにいるのだ。

 

 「ああくそ、ムシャクシャする。食堂行って何か食べて心を落ち着かせるか・・・。」

 

 席を徐ろに立ち、トレーナー室のドアに向かおうとした時だった。

 突然、爆発でも起きたのかと思う程の轟音と共にトレーナー室のドアが開き、オレは驚きの余り仰け反り床に尻もちをついた。

 

 「な、な、え?」

 

 瞼を上下させながら入口に目をやると、余程急いできたのか、かなり息の上がったデジタルがオレを見下ろしていた。

 

 「・・・な、なんだデジタルか・・・。驚かさないでくれよ・・・。」

 

 正直今の衝撃で肝どころかあらゆる内臓が凍てつき縮んだと思う。だが、更にここから寿命が縮むような出来事がオレを襲った。

 

 「・・・それより、言うこと。ありますよね?」

 

 「・・・え?」

 

 オレの頭の理解が追いつく前に、つかつかとデジタルはトレーナー室の机に歩み寄り、置いてあったくしゃくしゃの紙を鷲掴みにするとオレの目の前に突きつけた。

 

 「これの説明、詳しくお願いします。」

 

 デジタルはニコリと微笑んだ・・・のだが、目が笑っていない。これ、オレの知ってるデジタル?本当にデジタルさん?そこら辺の鬼コーチより怖いんですけど?オレ、取って食われるんじゃなかろうか?

 いや、おどけている場合ではない。現実逃避したいのは山々だが、察するにコレはオレが招いた事態だ。考え得る限り最悪の。

 どんな目に遭おうが、オレには説明する責任がある。覚悟を決めてオレは、今まで中々言い出せなかった重い口を開けた。

 

 「・・・まずは、結果的にずっと黙っていた事、謝ろうと思う。本当にすまない。いや、スミマセンでした。」

 

 オレは目の前の存在が余りにも恐ろしく、自然と手を膝を頭を床につけた。

 先程の物凄い音とドアが開けっ放しであった事もあって何事かと近くにいたウマ娘達がわらわらと集ってきており、大の大人が女子中学生に土下座しているという余りに恥ずかし過ぎる光景を目撃されてしまった訳なのだが、当のオレはそんな事気にしている場合ではなかった。

 

 「・・・で、コレは何ですか。」

 

 「・・・専属契約解消願です・・・。」

 

 「そんなの見たら分かるんですよ。何勝手にサインしてるんですか。」

 

 デジタルは皺だらけの紙を広げて書かれている内容を隅々まで見回した。

 

 「ご丁寧にまぁ、後はあたしがサインして提出するだけにまで仕上げてくださって。」

 

 彼女は再び紙をくしゃくしゃにして丸めると、机に向かって雑に放り投げた。

 

 「あたしに黙って勝手に事を進めた事にもすごく腹が立ちますが。それより何より、困っているなら何故あたしに相談してくれないんですか?そんなにあたしは頼りないですか?」

 

 「いや、その・・・。」

 

 「ぶっちゃけ言わせて頂きますけど、トレーナーとして酷過ぎると思いますよ。具体的に何があったのかは知りませんが、あたしを信頼してくれていなかったのかなって、怒りを通り越して哀しいですよ。」

 

 オレは胸がきゅうと締め付けられるような痛みを感じた。先程まで怒り心頭だったデジタルが唇を噛み、如何にも哀しそうな様子がより一層オレの胸を締め付ける。

 

 「でもな・・・、言い訳にしか聞こえないだろうが、オレはお前の事を想ってこの決断をするに至ったんだ。知っての通り、お前はGⅠウマ娘となった。色々言われているが、オレはあのレースはフロックでは無いと思っている。まだまだ伸び代があるし、可能性に満ちている。もっと上を目指せるんだ。

 だが、オレのような半人前のトレーナーではお前の真の実力は引き出せないと思う。オレなんかよりもっと相応しいトレーナーがいるハズだ。だから・・・。」

 

 「トレーナーさん。顔を上げてください。」

 

 デジタルに促されるまま徐ろに顔をあげると、バチンという乾いた音と共に右頬に激痛が走った。

 

 「・・・ふざけないで下さいよ。何があたしの為ですか。あたしにもっと上を目指して欲しいから契約解除なんてそんなの、トレーナーさんの自己満足でしかないですよ・・・!」

 

 ・・・確かに、その通りだ。オレはデジタルの事を考えているようで、その実全く彼女の気持ちに寄り添えていなかった。

 徐にデジタルを見やると、先程オレの頬を打ったデジタルの左手は小刻みに震えており、本人は今にも大泣きせんばかりに瞼の内に雫を溜め込んでいた。

 

 「そんな軽い気持ちで契約解除だなんて言い出すなら、最初から貴方と出会わなかった方が良かったです!あの時のように、誰にも目を向けられる事無く、ひっそりと陰からウマ娘ちゃん達を応援していた方が・・・。

 こんな、こんな辛くて、悔しくて、悲しくて、遣る瀬無い思いをするくらいだったら・・・。」

 

 デジタルはごしごしと両目を擦ると、校舎中に響き渡ったのではないかと思う程の大声で叫んだ。

 

 「トレーナーさんのバカァッ!!!」

 

 ライブでもたまに聞くか聞かないかの大声に思わず怯んでいる隙に、デジタルはトレーナー室を飛び出し何処かへ行ってしまった。

 オレは暫くぽかんとその場に立ち尽くしていたが、我に返ってくるにつれて強烈な罪悪感と自己嫌悪の渦に呑まれた。

 デジタルの為と行動したのに、結果的に取り返しがつかない程、彼女を傷つけてしまった。

 オレは、何がしたかったのだろう?

 様々な感情が激しくぶつかり合いやがて熱を帯び、それが目頭へ集うと、つうと一粒の涙が頬を濡らした。

 オレはふらふらとした足取りで椅子に座り、机に突っ伏し腕に顔を沈めた。最早自分が何をすべきなのか訳が分からず色々考えているうちに、オレはそのまま眠りについてしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・さん!デジタルさん!?」

 

 「えあ、はい!・・・はい?」

 

 クラスの担任の先生の呼びかけで、あたしはふと我に返った。朝からずっとぼーっと過ごしていたせいか、今日どのように過ごしていたのか、記憶が全くと言っていいほど無い。

 

 「・・・この問題の答えをお願いします。」

 

 黒板につらつらと書かれた数式を指差しながら、先生は解答を促した。パッと見たところ二次関数の問題のようですが、あたしは全く頭が回っておらず、理解が出来なかった。

 

 「・・・えと、スミマセン。授業聞いてませんでした・・・。」

 

 途端に静かだった教室がざわめく。先生も少々驚いた様子であたしを見つめた。

 

 「め、珍しい事もあるものですね・・・。ウマ娘に熱中していた・・・のかな?」

 

 「・・・実は何も考えずぼーっとしていただけでして・・・。」

 

 すると、ざわついていた教室が怖いくらいしんと静まり返った。

 

 「あ、あの?もし宜しければ、もう一度解法を解説して頂いても・・・。」

 

 すると突然ダイワスカーレットさんが立ち上がり、あたしの席まで一直線にずんずんと歩いてきた。

 

 「ちょっとデジタル!アンタなんかのビョーキなんじゃないの!?授業聞いてない上にただぼーっとしてるだけだなんて、普段のアンタからじゃ考えらんないっ!」

 

 このスカーレットさんの発言を機に、クラスメイトのウマ娘ちゃん達が次々と席を立ってあたしの周りに詰め寄ってきた。

 

 「そうだよ、スカーレットちゃんの言うとおりだよ!デジタルちゃん保健室行った方が良いって!」

 

 「え、保健室じゃなくて病院の方が良くない!?」

 

 「いや取り敢えず保健室行って様子見て貰ってからに・・・。いや、いきなり病院も選択肢か。・・・精神科になるのかな、この場合。」

 

 「明日地球最後の日なんじゃないの!?まさかデジタルが世界滅亡の引き金だったなんて・・・!ラグナロクはすぐそこだ・・・、もう終わりだこの世の中・・・ッ!」

 

 「うわ〜〜〜んッ!!!デジたんが壊れたぁぁぁ!!!」

 

 と、もう大騒ぎ。先生が慌てて生徒達を落ち着かせようとしていますがウマ娘ちゃん達は聞く耳持たずで、果てには隣のクラスのウマ娘ちゃん達まで何事かと覗きに来る始末。

 

 「あ、あたしは大丈夫ですから・・・。」

 

 「何処が大丈夫なのよ!?ていうか、これだけウマ娘がアンタの周りに集まっていながらうんともすんとも言わないのがおかしい証拠よ!嫌だと言っても保健室に連れて行くわ!」

 

 「そ、そんな大袈裟な・・・。あたしは本当に何でも無いんですって・・・。」

 

 「デジちゃん、大病って言うのはね。ある日突然予兆無くやってきたり、じわじわと症状が出てきたり、様々なんだよ。保健室行って損は無し!」

 

 「そうだそうだー!皆ー、デジタルを担げーッ!!!保健室まで急行だぁぁぁ!!!」

 

 「え。ちょ、ま・・・。」

 

 体が小さいせいで特に抵抗などさせてもらえないまま、ひょいとウマ娘ちゃん達に担がれると、お祭り騒ぎのまま保健室まで運ばれた。

 

 「ちょっとあなた達授業中でしょ!?何事!?」

 

 保健室に着くと、騒ぎに気付いた保健の先生は当然ながら困惑と驚きを隠せない様子で部屋から飛び出してきた。

 そしてお神輿のように担がれたあたしをちらりと見やると、半分落ち着きを取り戻した様子で質問をした。

 

 「またデジタルさんが倒れたのね?でもこんなに大人数で来なくても・・・。」

 

 「違うんです先生!デジタルさんがウマ娘に興味を示さないんです!」

 

 「・・・は?」

 

 せっかく落ち着きを取り戻しつつあった保険の先生は、生徒の一言で目がブラウン運動のように動き回り、明らかに動揺していた。

 

 「・・・それは私には手に負えないわ。今すぐ病院へ運びましょう。」

 

 「ちょちょちょ、落ち着いて下さいよ先生!?あたし、この通り元気ハツラツなんですけど!?」

 

 「デジタル、アンタは黙ってて!!!」

 

 余りにも余りなオーバーリアクションぶりにあたしは慌てて病院行きを止めようとしましたが、ウマ娘ちゃん達に抑えつけられてからそこからは流れるように病院に運ばれてしまいました。

 ・・・あたし、一体何だと思われてるんでしょうか。

 

 「──なるほど、デジタルさんがウマ娘に興味を示さない・・・。」

 

 診察室に案内されたあたしはお医者様に促されるままに椅子に座ったものの、何故か症状の答弁は付き添いのスカーレットさんが行うという状況になっていた。他のクラスメイト達は流石に迷惑だということで帰って行ったのですが、これも何故かは知らないですがあたしが入院する前提でお見舞いの品を買おうという話をしており、話が飛躍しすぎて何だかどうにでもなれという気がしてきました。

 と言うか、お医者様側は迷惑じゃないんですかね。こんな事で病院に押しかけられて・・・。いや、それよりすごく真面目にお医者様がスカーレットさんと対話しているのが嫌な予感しかしないのですが。

 

 「いや、ウマ娘ちゃんに興味が無いは語弊がありますよ。今もすごく好きですし・・・。」

 

 「・・・好きですし?」

 

 「・・・。」

 

 もうこれ以上の騒ぎの拡大は勘弁だと、のらりくらりと会話を交わして帰ろうと思ったのですが、相変わらず頭が働いていないようで、次の言葉が全く出てこないではないですか。

 

 「そう、コレですよ!普段のデジタルならウマ娘について語りだしたら一日に48時間は喋る事が出来る程なのに、今日は色々様子がおかしいんです!」

 

 スカーレットさんはまるでそう言えとばかりにお医者様に迫って言った。

 

 「先生!コレって絶対、何か重大なビョーキですよね!?」

 

 彼は特に表情を崩さず冷静に、「そうですねぇ・・・」と一言呟いた。

 

 「そうですよね、そうですよね!ふふん、どうよデジタル。アタシ達の言った通り、アンタは大病を患っていたのよ。病院に来て良かったわねっ。」

 

 ・・・何が良かったのかあたしにはさっぱりなのですが・・・。

 いや、待てよデジたん。ここまで来ると、あたしは本当に何かの病気を患ってしまっているのでは?

 言われてみれば確かに、今日はウマ娘ちゃん感知センサーが全く働かないですし、毎日の日課である尊み探しも全くしていない気がする。

 

 「あれあたし、もしかして結構ヤバい?」

 

 「今更?結構どころか絶望的にヤバいわよ。」

 

 「まぁまぁ、取り敢えず落ち着いて聞いて下さいお二方。」

 

 掛かりに掛かるあたしとスカーレットさんをお医者様は優しく宥めると、あたしの様態についてゆっくりと語りだした。

 

 「今まで嗜んでいた趣味に急に興味を示さなくなる。趣味に冷めたという見方もありますが、この場合徐々に段階を踏んで冷めていくものなので恐らく可能性は低いでしょう。

 私なりの考えですが、恐らく強烈なストレスを感じた等が原因で趣味を嗜むどころではない、自分を守る事で精一杯になっているのではないでしょうか。」

 

 「強烈なストレス・・・?デジタルって案外図太いからそんなの感じないと思うんですけど・・・。」

 

 「いえいえ、他人からはそ見えても本人にしか分からない事は沢山あります。

 どうですか、デジタルさん。最近何か嫌な事があったりしませんでしたか?」

 

 「嫌な事・・・。」

 

 そう言われてあたしはすぐに、昨日のトレーナーさんとの大喧嘩を思い出した。が、しかし、あたしとしてはすぐに忘れたい出来事であったのですぐにその雑音(ノイズ)を振り払った。

 

 「いえ、特に・・・。」

 

 視線を逸らすなど分かりやすい反応をしてしまったのが原因かもしれませんが、あたしが何かをはぐらかしていると悟ったのか、うんうんと頷くとお医者様はこう続けた。

 

 「・・・ふむ。では、今日の所はこの辺でおしまいにしておきましょうか。」

 

 あたしは思わず顔を上げた。もう少し勘繰ってくるかなと思っていただけに、意外な反応だった。

 

 「え、もう終わりですか!?もっと、することは・・・。」

 

 スカーレットさんも診察がすぐに終わった事に驚き、異を唱えようとした。

 

 「第三者が焦ってもどうにもなりません。心のケアは本人のペースに合わせて行うべきです。それに、医者は患者の同意無しでは治療出来ませんからね。」

 

 そう述べると、お医者様はあたしの目をしっかりと見て言った。

 

 「また、どうしようもなくなったらココに来てください。何時でも歓迎致します。トレセン学園にもカウンセラーはいらっしゃるハズですし、そちらを利用するのも良いかもしれません。

 では、診察は以上とさせて頂きます。」

 

 「・・・あ、有難うございました・・・。」

 

 あたしは呆然としながらも椅子から腰を上げ、お医者様にお辞儀をして踵を返した。ドアに手をかけ診察室を出る時、「独りで抱え込んではダメですよ」と彼は笑顔で見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ねぇ、デジタル・・・。聞きたいことがあるんだけど・・・。」

 

 病院からの帰り道、お互い特に何も話さずにとぼとぼと歩いていると、スカーレットさんが突然歩みを止めて、何故か申し訳無さそうにしながら口を開いた。

 

 「・・・え、何でしょう?あたしが答えられる事でしたら何でもどうぞ。」

 

 「じゃあ・・・。」

 

 スカーレットさんがそんなに申し訳無く思うような話って何でしょうか?あたしは耳を立てて一字一句聞き間違うこと無いように意識を集中させた。

 

 「デジタルとアンタのトレーナー、契約解消するって噂・・・本当なの?」

 

 「ぐほぉおあ・・・!?」

 

 しまった、それですか。一番聞かれたら困る話題持ってこられた・・・。

 まぁ昨日は周りの目を気にせずに大騒ぎしてしまいましたし、どんな噂もコンマ数秒で伝わるようなトレセン学園では話題にならない方がオカシイですよね・・・。

 

 「・・・認めたくは無いんですけど、本当の話です。」

 

 「・・・アンタがウマ娘の話をしないっていう異常事態に冷静な判断が出来ていなかったわ・・・。つまるところ、嫌なことって・・・?」

 

 「かも、ですね・・・。まぁここ最近あった嫌な事なんてそれくらいしか思い当たりませんが。」

 

 強いて言うならライブ抽選にまた外れたり、やっとこさ出来た原稿の一枚にコーヒー溢してやり直すハメになったりとかありますけど、それらは自分の運の無さと不手際。仕方無いと割り切れるしショックこそ受けたものの嫌な事かと聞かれたらそうではないですからね・・・。

 

 「・・・ふーん・・・、そっか・・・。」

 

 スカーレットさんは何事も無かったかのように、黙ったままあたしの歩幅に合わせて歩きだした。

 気を遣われているなと感じた。こうなるとこちらこそ申し訳なくなってくる。他人に心配させるなんて、ヲタク十七条の憲法によりレッドカード三枚分で断首モノ。詫びても詫びきれない。しかもその心配を推しにさせるなんてけしからんこの上ない。

 いかんデジタル。お前の都合で推しや周りを曇らせてはならない。どんなに嫌な事があろうと、所詮は自分の事。周りは関係無いのだ。気を引き締めなければ・・・。

 

 「・・・あのう、スカーレットさん、ちょっといいですか?」

 

 「なに?」

 

 「・・・そのぉ、先程の契約解消の話なのですが。・・・受け入れる・・・べきなのですかね?」

 

 「はぁ?・・・アンタばかぁ?」

 

 スカーレットさんは立ち止まると、腰に手を置き、こんこんと説教し始めた。

 

 「そんなの、あたしの知ったことじゃないわよ。アンタがどうしたいかが大事でしょ。」

 

 「・・・はぁ。」

 

 「どうせデジタルの事だし、相手の事を思ってーとか、相手が願うならーとか、そう思ってるんでしょうけど。

 アンタ受け身過ぎるのよ。もっと自分の欲望剥き出しにしなさいっ!」

 

 「し、しかし、迷惑になってしまうのでは・・・。」

 

 「・・・ああ、もう!そういう所!そういう所よ!

 迷惑上等!補い助け合っていくのがパートナーってもんでしょーがっ!」

 

 そう言うと、スカーレットさんはあたしの頭に手刀を軽く振り下ろした。

 

 「・・・欲望・・・。」

 

 手刀が頭に刺さったまま、あたしはスカーレットさんの言葉を反復した。あたしがどうしたいのかだなんて、よく分からない。

 何度も考え直してはみたのですが、あたしの欲望って、ウマ娘ちゃんが幸せであって欲しいということ以外全部おまけみたいな感じで。

 心のモヤモヤは確かにあるのに、それが霧なのか幻覚なのか、正体がよく分からないのだ。

 

 「分かった?」

 

 「・・・・・・。」

 

 「はぁ、やっぱり今日のデジタルは何処か変ね。調子狂うわ・・・。」

 

 「・・・スミマセン。」

 

 しかし今日は、猛省すべきであることは確かでしょう。あたしが不甲斐ないばかりに、多くのウマ娘ちゃん達に迷惑をかけてしまいました。

 明日からはしっかり意識を確かに持って学業に臨まなければ・・・。

 

 「・・・ねぇ、デジタル。あの人って・・・。」

 

 「え?どの人です?」

 

 スカーレットさんが指差す方向をちらりと見やると、よく見覚えのある人物が見えた。走っていたのか、彼は息を切らしているようで肩を僅かに上下させながら、徐に近づいてきた。

 あたしは、思わず視線を反らした。

 

 「・・・病院に行ったって聞いてさ・・・。デジタル、無事か?」

 

 「・・・。」

 

 やはりというべきか、昨日の出来事がフラッシュバックしてきて複雑な気持ちで一杯になった。どんな顔をして彼と目を合わせたら良いのか、分からない。

 何か反応はしようと思ったが、頭の中が真っ白で掛ける言葉も思い浮かばず声にならない。

 そんなこんなで、短いようで長い沈黙の時間が暫く続いた。

 

 「・・・あ、あの。アタシ急用思い出したんで先に帰ってますね!それじゃあ!」

 

 こんな気まずい空気にスカーレットさんが耐えられる訳も無く、トレセン学園へと一目散に走り去っていった。

 出来ればあたしもこの場から今すぐにでも逃げ出したいのですが、体がまるで鉛のように重くて動かないのだ。口も動かなければ足も動かない。そう、あたしは完全に邪魔なオブジェクトと化していた。

 

 「・・・その、なんだ。昨日の事は、本当に済まなかった。」

 

 「・・・別に、もう気にして無いですから・・・。」

 

 我ながら嘘が下手だなと思った。本当に気にしていないなら、ハキハキと相手の目を見て物を言えば良いものをと、自分に呆れるのだった。

 

 「詫びても詫びきれない。お前の言う通り、オレはお前の本当の気持ちを無視して、オレのやりたいように行動してしまった。その結果、今まで築き上げてきた信頼関係に深い溝を作ってしまった。オレがバカだった。」

 

 「・・・本当に、気にしてませんから。」

 

 いやだから、何故あたしはこんな見え透いた嘘をつくのですか。つくならもう少しマシな嘘をついたらどうですか。

 ・・・あたしは、どうしたいのでしょうか。これから先のビジョンがまるで浮かばない。

 彼の事は、確かに許せない。許せないんですけど、何なのでしょうか。この気持ちの悪いもやもやとした感じは・・・。

 

 「あたしもあなたに謝っておきたいです。つい冷静さを欠いて、思わず手を挙げてしまいました・・・。本当に申し訳ありません。」

 

 一先ず、気持ち悪さを感じている原因の一端であろう、彼を引っ叩いてしまった事を丁寧に謝った。しかし、まだ蟠りは取れそうにもない。

 

 「いや、いいんだ・・・。元はと言えばオレのせいだ。」

 

 「・・・。」

 

 「・・・。」

 

 まるで世界が凍りついたかのような沈黙の時が流れる。彼が言いたいのは、それだけ・・・?

 

 「・・・じゃあ、あたしはこれで・・・。」

 

 かろうじて動かせるようになった足でそそくさと退散しようとした。しかし不思議な事に、彼から遠ざかる程に蟠りは大きくなっていった。逃げたい一心であるハズなのだが、一歩一歩踏み出すごとに、足枷が重くなってく。

 

 「待ってくれ!」

 

 毛頭、待つつもりは無かった。しかし、私の足は歩みを止めた。何故なのかは分からない。

 

 「こんなこと言う資格、オレには無いだろうが・・・。オレが、間違っていた。君が望むのなら、赦してくれるのなら。オレをもう一度、トレーナーとしてお前の傍にいさせて欲しい。誰がどう言おうと、オレは君の・・・、アグネスデジタルのトレーナーとして務めを全うするよ。約束する。」

 

 「・・・そんな事、急に言われたって、赦せる訳ないじゃないですか。」

 

 「・・・そう、だよな・・・。」

 

 そうだ、彼の事は今も許せない。けれどもあたしは、一つ安心感を覚えた。先程まで鉛のように重たかった体も、まるで大きなりんごが胸につっかえたかのような苦しい蟠りも、徐々に和らいだ。

 なんとなく、何故自分が彼を拒絶しきれなかったのかが分かった。少なくともあたしは、彼の口からまだあたしを必要としていることを聞きたかったのではないかと、そう思った。

 

 「本当に、あたしのトレーナーであることを望むんですか?そういうからには、何があったとしても・・・?」

 

 彼は唇を噛み、苦い顔をしながらも、力強く頷いた。まだまだ不安は見え隠れしてはいるものの、確かな覚悟がそこにはあった。きっと今の彼となら、歩みなおせる。

 

 「・・・行動で示してくださいよ。恩着せがましい言い方ですが、貸しって事にしておきます。」

 

 なんだか、どっと疲れた気がする。強張っていた身体から一気に力が抜けていく感じがした。

 

 「だからこれからも、宜しく、な。」

 

 トレーナーさんは力強く頷くと、ぎこちなく手を差し出してきた。一瞬戸惑ったが、あたしもまた、ぎこちなく手を差し出した。

 包むように、トレーナーさんの手があたしの小さな手に覆いかぶさる。なんとまぁ、ぎこちない握手でしょうか。握手とは言ったけれども、実際には本当に包み込む程度で、握るという表現には程遠い。

 でも、何故だろう。妙な安心感を覚えた。彼なりの気遣いなのでしょう。そう思うことにしました。

 

 「じゃあ、帰りましょうか。」

 

 「・・・お、おう、そうだな・・・。」

 

 取り敢えず、よく分かりませんけども一先ず仲直りした、という事で良いでしょうか。正直もう面倒くさいですし彼が心の底からあたしとの解約を願っていた訳でも無い事も分かりましたのであたしも全部許そうかと思いもしましたが、流石にそこまで出来る程お人好しじゃないといいますか、あたしの最低限のプライドというものが許さないと言いますか。

 

 「・・・もう専属契約解消願も要らないことですし、ビリビリに引き裂いてゴミ箱行きですね。」

 

 そうなんとなく呟くと、トレーナーさんはぴたりと足を止めた。

 

 「・・・トレーナーさん?」

 

 「・・・オレ、不味い事に気がついたかも。実は専属契約解消願の提出日、今日なんだよね。」

 

 「はい・・・?でもあたし達には関係の無い話では・・・。」

 

 「いや、生徒会のエアグルーヴが取りに来るっていう話で・・・。」

 

 「・・・それで?」

 

 「単刀直入に言うと、さっさと帰らないとトレーナー室に置いてある専属契約解消願が回収されてオレ達本当に契約解除になるかも・・・。」

 

 「・・・・・・・・・。」

 

 「いや、あの、こればっかりはうっかりと言うか、忘れていたんです。言い訳しか出来ませんスミマセンオレのせいです。

 あと追い打ちかけるような事言うけど、オレ徒歩で来たから走って帰る事になる・・・。」

 

 ・・・本当に大丈夫でしょうか?ものすごく不安になってきたのですけれども・・・。

 

 「まぁ、良いですよ。貸し三つって言うことで。」

 

 「本当に申し訳ありません・・・。・・・え?三つ?」

 

 「ええ。コレを許す分と今から学園まで全力で走る分で二つの貸しです。先程の貸しと合わせて三つ分。」

 

 「今から全力で走るって・・・。オレは後から追いつけばいいのか?」

 

 「何を言ってるんですか。万が一解消願が回収された時に説明する立場のあなたがいなかったらどうにもならないでしょう?

 ですから、トレーナーさんを学園まで背負って行きます。これを貸し一つに数えてるんですよ。」 

 

 「・・・え、あの、デジタルさんにおんぶされるんですか?オレが?」

 

 「嫌ならこのまま本当に契約解消になりますけども?」

 

 「・・・そ、そうだな。おんぶくらい何て事は・・・。いや、ちょっと待て。ただ背負われるならともかく、全力で走るって言いました?」

 

 「嫌ならこのまま本当に契約解消になりますけども?」

 

 「・・・そ、そうだな。言うて最高時速約70キロメートルだ。普段車で公道を走るスピードよりちょっと速いくらいじゃないか。そうだ、なんて事ないよな・・・。」

 

 自己暗示でごまかそうとはしているものの、明らかに目が泳いで動揺している。まぁ、仕方無いですね。これくらい我慢してもらわないとこれから先、これまでのように二人三脚で上手くやっていけるかすごく不安ですし。

 

 「じゃあ、どうぞ。」

 

 あたしが少しかがんで背中を差し出したのですが、まだ躊躇っているのか彼はその場から動かない。

 

 「・・・大丈夫か?」

 

 「何がです?」

 

 「いや、デジタルって小さいからオレの体重だとそのまま倒れやしないかなって・・・。」

 

 「あたしも腐ってもウマ娘ですから。男性の一人くらい余裕で背負えますって。」

 

 トレーナーさんは納得したのかようやく、あたしの肩に腕を乗せ覆いかぶさるように背中に身体を預けた。

 彼の足を持ち上げると確かに負荷は感じましたけども、タキオンさんの研究に付き合ってた時にはもっと重い物を身体に括り付けて走ったりしたのでそれに比べたら何という事は無かった。

 

 「よぉし、行きますよ〜っ。しっかり掴まってて下さいね、振り落とされたら大ケガでは済みませんよ。」

 

 「・・・肝に銘じる。」

 

 「さーん・・・、にーい・・・、いーち・・・、ドンッ!!!」

 

 さながらゲートが開かれた時のように思い切り足を踏み込み、一気に加速していく。普通の人だと中々味わえない感覚でしょう。速度が上がるに連れて空気の抵抗もまた大きくなり、強い向かい風を感じる。全力で走っている為疲労が溜まるのも早いですが、この向かい風が何とも言えない心地良さなのです。

 

 「ギャアアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 ・・・と、恐らく走るウマ娘ならこう感じるのでしょうが、如何せん彼はあたしに背負われている身。大小様々な振動と押し戻そうとせんばかりに強い風が慣れない身体にモロに伝わるのですから、多少なりとも困惑するのは目に見えてはいたのですが・・・。

 

 「ちょっ、近所迷惑ですから、お静かに・・・。」

 

 「そんな、事、言われても・・・。・・・うぷ。」

 

 「ちょちょちょちょいっ!?止めて下さいよ、そんなところで!?」

 

 避けられもしない時に戻されては堪らない。出来るだけ歩幅を狭くして揺れが伝わりにくいように走るよう努めた。

 普段のあたしは一般的なものより狭い歩幅で走るピッチ走法を得意としているのでこの手に関してはお手の物なのですが、だいぶ意識した走りだったので恐らくそれよりも歩幅が短いものになっていたのではないでしょうか。

 

 「・・・なぁ、デジタル。」

 

 「なんでしょう?」

 

 トレーナーさんは声が低く依然気分が悪そうな事には変わりないですけれども、少し持ち直したのか話しかける余裕くらいは出てきた様子。

 

 「・・・風になるって、こんな感覚なのかな。」

 

 「・・・本当に風になれたのなら、もっと心地良いですよ。」

 

 「そうか。・・・デジタルは、風になれたとか思ったこと、感じたこと、あるか?」

 

 「う〜ん・・・。色々言ったは良いものの、実はレース中は、ウマ娘ちゃんのこと以外、特に何か考えてる訳でも無いので、意識したことないかも・・・。」

 

 「ああ、そうか。そうだったな。・・・はははっ。」

 

 抑え気味な小さな笑い声ですが、久しぶりにトレーナーさんが心の底から笑っていると思えた。そんな彼を見て、あたしも思わず笑みが溢れた。

 




 何度見ても「デジタルこんなこと言うか?」と悩んでしまう。
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