ウマ娘 ∼Antithesis hero∼   作:Carboxyl

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 毎度のように遅くなりましたが、その分ボリューム多めです。それにデジタルが最近あまりデジタルしてないので好み分かれるかも。今回もそれなのでご容赦下さい。暫くこの流れが続く予定です。


第15話 誰が為に君は走る

 

 「よ〜し。デジたんタクシー、目的地に到着でありますっ。」

 

 「お疲れ様。後はトレーナー室まで直行するだけだな。」

 

 そろそろ息が上がってきた頃合いに、あたし達は学園に到着した。

 

 「・・・と、あの方は・・・。」

 

 トレーナーさんを下ろし、書類を取りにトレーナー室まで向かおうとしたところ、特徴的な緑のスーツに身を包んだ見覚えのある人が近寄ってきた。

 その方とは、駿川たづなさん。理事長秘書の美人さんです。お仕事がとても速い事で有名なのですが、あたしはこの方に妙な親近感というか、同類といいますか、不思議な感覚を覚えるのです。謎に包まれたままで、その正体は一切不明なのですが。

 

 「デジタルさん、トレーナーさん、お帰りなさい!早速で申し訳ないのですが、シンボリルドルフさんが生徒会室でお待ちですので、お早めに向かって差し上げて下さい!」

 

 「え、会長さんが?あたし達を?」

 

 「・・・もしかして、例の件についてだろうか?とにかく、行ってみるか。」

 

 解消願をトレーナー室から回収したいという思いもありますが、会長さんとお話出来るのなら補佐のエアグルーヴさんがそれを回収したしない云々の話が出来るだろうと思い、あたしたちは生徒会室に行く事を優先することにした。

 

 「ね、ねぇねぇ、あの子って・・・。」

 

 「うん・・・、きっとそうだよ。噂の・・・。」

 

 生徒会室に向かう途中、すれ違う幾人かのウマ娘ちゃんから何やらコソコソと噂話をされた。

 まぁそれも仕方無いでしょう。先日と今日であれだけの騒ぎを起こせば、迷惑をかけてしまった事は事実ですから、例え陰口叩かれようと致し方無し。なんなら学園中のウマ娘ちゃん達や先生、トレーナーの方々にお詫び行脚する事も視野に入れています。

 恐らくきっと、会長さんがあたし達を呼び出したのもこれまでの件を踏まえてお叱りをする為でしょう。迷惑ばかりかけて、本当に申し訳無さで一杯です・・・。

 

 「さて、着いた訳だが・・・。」

 

 高級感溢れるシックな木の扉。その向こうにあるのが生徒会室です。その扉から滲み出てくるような圧倒的神聖感たるや、気持ちの整理をする為に何度も固唾を飲むほど。

 

 「・・・よし、行きますか。」

 

 ドアを静かに、徐ろに二度叩く。コンコン、という音が静かな廊下に響いた。

 

 「どうぞ。」

 

 「失礼します。」

 

 扉を開け、丁寧にお辞儀をする。顔を上げると、会長さんことシンボリルドルフさんが生徒会長が座る席に手を組み座していた。

 無敗クラシック三冠。ウマ娘なら誰もが羨むであろうその肩書きを持つウマ娘。レースに絶対は無いが、彼女にはあると言わしめるほどの圧倒的な存在。会長さん自身が持つカリスマ性、そして強者のオーラが庶民のあたしをビシビシと刺激する。

 正直、非常に畏れ多くてその麗美な顔を見て話すことなど出来そうにも無い。いや、ウマ娘ちゃんなら誰であろうと自分はいつもそのような調子か。

 

 「話がある、との事なので伺いに来ました。」

 

 「うむ。病院からの帰宅際、すぐに呼び出してしまって済まない。」

 

 「いえいえ!こちらこそ、ご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ありませんでしたっ!あた・・・、私の体の具合はお医者様によると、特に異常は無いとの事なのでご心配なく・・・。」

 

 「そうか・・・、良かった。何やら学園中が大騒ぎだったからな。生徒に聞いてみれば、君が大病に侵され病院に運ばれたと物騒な話を聞かされてね。」

 

 「えええぇぇっ!!?いや、あの、あたしは、この通り元気でございます!いや、本当に申し訳無いどこまで迷惑かければ気が済むんだデジたんのばかっ。」

 

 「ふふ、ウマ娘は噂話が大好きだからな。伝わっていくうちに話が誇張されていったのだろう。何はともあれ、無事で良かったよ。」

 

 「スミマセン、スミマセン。この度の事件の責任を持って、切腹する覚悟がございます。」

 

 「いや・・・、何もそこまでしなくても良いだろう・・・。

 一件落着。丸く収めようとしようじゃないか。」

 

 流石会長さん、こんなに周りを騒がせたというのにこのデジタルを赦すとは、なんとお懐が深い事か・・・。感激の余り、涙が出てきそうです。

 因みにトレーナーさんはというと、あたし達の会話の流れについていけないのかあたしより一歩引いたところでまごまごしていた。

 

 「・・・ふむ、どうやらまだ緊張の糸が解れないようだな。」

 

 会長さんはそう言うと、生徒会長が普段事務処理等をする為に使う机の上に置かれていたぶどうを一房手に取り、あたし達に向き直った。

 

 「ここに、ぶどうがある。」

 

 「・・・そう、ですね?」

 

 彼女は目を閉じた。あたしは知っている。テレビで幾度となくこの会長さんの姿を見てきた。

 まるでゲートに入り体勢を整え、それが開かれるのを今か今かと待ちつつも、レース展開、出走ウマ娘ちゃんの情報、あらゆる状況を想定し作戦を落ち着いて練る様。まさに、皇帝と言われるに相応しい貫禄とオーラ。

 これは、渾身の有難いお言葉が聞けるに違いありません!その瞬間、あたしの脳内は今までにない程ぐるぐると思考が回り始めた。

 ぶどうを手にとって語り始めた。つまり、今から語られるのはぶどうを例え話にした教訓や名言が語られるに違いませんっ!ぶどうの産地といえば、ズバリ地中海の国々。地中海の国々と言っても沢山ありますけれども、まず話に出される可能性が高いのはギリシャ、イタリア、フランス、スペイン等でしょう。そういえばフランスでは「Bon pain et bon vin et tu feras un bon chemin」、日本語では「美味しいパンと良い酒があれば、良い道が開かれる」と訳せる諺があるのですが、こんな感じでお洒落なお話の導入としてぶどうが使われるのでは!?いや、庶民のあたくしめが皇帝様のお考えを勝手に思案するなど無礼にも程がある。彼女こそ絶対であり、彼女の言葉こそ正しいのです。つまりデジたんは黙って聞いとけって事ですね!

 徐ろに会長さんの口が開く。何が、何が語られるのです!?

 

 

 

 「・・・ひとつぶ、どう(・ ・・)?」

 

 

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 冬場なので生徒会室は戸締まりされ、暖かい空気が床暖房を通して供給され、部屋中を満たしていた。

 ・・・ハズなのですが、何故でしょう。外よりも寒い空気が、木枯らしが、あたし達の足元を吹き抜けた・・・、気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・タル、デジタル。そろそろ起きろ。何分気を失い続けるつもりだ?」

 

 「え、あ、えうあ、あの、え?」

 

 はっと我に帰ると、会長さんが心配そうにあたしの顔を覗き込んでいた。

 

 「ひゃ、ひゃわあああぁぁぁぁ!!?あたしは何もしていませんよぉぉぉ!?」

 

 気がついてすぐ至近距離のイケメンは心臓に悪い。あわや感情と共に身体が爆ぜるところだった。・・・それより、何がどうなったのでしょう。気を失っていたと言われても前後の記憶が吹き飛んだみたいで、何が何やらさっぱり・・・。

 

 「デジタルお前、20分くらいぼーっと突っ立ったままだったんだぞ。どれだけ声かけても反応しないものだから、先に会長と話をしておいた。」

 

 「・・・ええと・・・、有難うございます?」

 

 「てな訳で、用事は済んだ事だし帰るか。」

 

 どうやら知らない間に話は進んでいたようで、気が付いた時にはもう帰るという爆速の展開にあたしは困惑を隠せなかった。

 

 「ああ、デジタルはデジタルで個人的な話があるんだ。トレーナー君には悪いが、一人で席を外してくれないか。」

 

 「え?ああ、分かった・・・。」

 

 訳も分からないまま生徒会室を出ようとしたその時、会長さんが制止を呼びかけ、トレーナーさんは言われるがままにそそくさと生徒会室を出ていった。

 喧騒とは無縁の静かな空間に残されたあたし。いやしかし、これから奥に佇んでいる会長さんという別世界の住人、いや、RPGの裏ボスみたいな圧倒的な存在と一対一で「お話」しなければならないのです。

 

 「まぁ、取り敢えずここに座りたまえ。」

 

 「し、失礼しましゅっ。」 

 

 そう促され、彼女と対面になるような形でソファにゆっくりと腰を下ろした。

 例の如く、とてもではないですがその麗美なお顔を見つめながらお話するなど到底出来そうにもないので、目線を下に落として何とか心の余裕を保っていた。

 会長さんは何故かあたしを見つめ続けるだけで話を切り出さず、冷や汗と緊張による手の震えが止まらない。

 

 「・・・デジタル。私は君と、目を合わせて話がしたいのだが・・・。」

 

 「ひゃ、ひゃわ!?すすすすみませんすみません・・・!」

 

 なるほど、会長さんはあたしが目を見ようとしないから気分を害して、それでもなおあたし自身が自然と目を向けるまで待って下さっていたのですね・・・。結局指摘され、至らぬ自分が不甲斐ない。

 いやそれより、咄嗟に目を合わせてしまいましたが何なのでしょうかこの時間は!?口を開かぬ代わりにあたしに目を合わせ続けるその様はまるで獲物を狙う猛禽類!

 お怒りなのか、お怒りなのでしょうか!?不甲斐ないあたしにお怒りなのでしょうか!?

 しかし、会長さんの隠す爪で例えこの身が引き裂かれようとあたしは構わない。断罪だというのなら進んで受け入れる。と言うか、会長さんに見つめられ続けるこの謎のシチュにどこか興奮を覚えている自分なんか、是非とも一度、いや、二度三度と引き裂いて貰いたいっ!許せんデジタルこの野郎!

 ──と、テンパりまくって頭がおかしくなっていたあたしでしたが、一方で会長さんの方も困惑している事をあたしは知らなかった。

 

 (・・・アグネスデジタル。以前から変わり者が多い学園内でも変人だという事で少々話題になっていた人物なだけあって、何を考えているのか分からない。

 「目は口ほどに物を言う」という諺がある故、その瞳を長々と見させてもらったが、なるほど全然分からない。ここまでその思考が読めない相手は初めてかもしれないな。

 しかし、驚いた。ソファに座る前後の仕草、是非ともテイオーに教授して貰いたいほど、非常に上品で完璧だった。

 ・・・面接だとでも思われているのだろうか?これから話す内容を考えると強ち間違いでは無いのだが、いやしかし、あまり堅くなられるとこちらも堅くなってしまう。何とか緊張を解せないものか・・・。

 だが、私が知り得る緊張を解す手段など、洒落以外の物がまるで無い。そして、その洒落がこの娘には通じない、となると・・・。

 ・・・ふっ、私もまだまだ無知だな。精進せねばなるまい、世の中の全てのウマ娘の理想郷を作り上げたいという己の標の為にも。)

 

 ──お互い口を開かずに見つめ合い、時間だけが過ぎていく。そろそろあたしの心のキャパが限界になってきたところで、ようやく、会長さんは口を開いた。

 

 「・・・さて、デジタル。即刻本題に入りたいところだが、まずは君のトレーナーと何を話していたかを語る事にしよう。君自身も気になっている事だろうしな。」

 

 「え、あ、有難うございましゅ!」

 

 「では、専属契約解消願の件についてから話そうか。」

 

 「うあ・・・。よ、宜しくお願いしましゅ・・・。」

 

 いきなりカロリー高めの話題が出てきて、息が詰まりかけた。確かに気になりますけど、万が一の事を考えると気が気ではなくて、聞きたくない気持ちもある。

 

 「案ずるな。君のトレーナーの要望により、白紙となった。だから、君たちはこれまで通りパートナーのままだ。」

 

 「ほ、本当ですか!?有難うございます!」

 

 あたしはほっと胸を撫で下ろした。これでようやく厄介事は一段落、ですかね。

 

 「・・・ふふ。その様子だと、すっかり仲直りしたようだな。」

 

 「うえ?仲直り?・・・会長さん、あたしとトレーナーさんが喧嘩したこと知っていたんですか?」

 

 「先程、君のトレーナーがそのような話をしていてね。かなり申し訳無さそうに、何度も自分の所為なのだがと念を押して語っていたから、相当罪悪感を感じているのだろう。」

 

 「・・・うう、あたしがもっとしっかりしていればこんな事にはならなかったんです。ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ないです・・・。」

 

 「禍転じて福と為す。失敗は誰にでもある事さ。大事なのはこれからだ。」

 

 おお、流石会長さん。何事も後ろ向きにならず反省して次に活かそうとする姿勢。彼女とお話するだけでも勉強になる事ばかりです。

 

 「・・・一蓮托生、とまではいかなくとも、トレーナーとウマ娘は深い絆の下で共に助け合わなければ、この道は長く続かない。そうだろう?」

 

 「・・・そうですね。彼らの協力無しでは今のあたし達ウマ娘は無いでしょうし。信頼関係は大事なものでしょう。」

 

 会長さんは大きく頷くと、まるでここからが本題かと思わせるような、凄みのある目つきに変わった。

 

 「また、目指すべき標も同様に大きな意味を持つ。日本一のウマ娘、無敗の三冠ウマ娘、ルールすら塗り替える怪物ウマ娘・・・。各々で進む道は違うだろうが、目的無くして事は無し得ない。そうだろう?」

 

 「・・・そう・・・ですね?」

 

 「ところが、君はどうだ?特に何を目指す訳でもなく、往々にして芝とダートを転々としている。そう、まるで迷子のようにね。」

 

 ・・・確かに、あたしは別に何を目指している訳でもない。最初の方は重賞を勝つというトレーナーさんとの共通の目標があった。でも、それを終点としていたのではなく、取り敢えず設定したものだった。

 ですから、目標はあって無いようなものだった。それも、あたしが重賞を勝ちたいと望んだ訳でもなく、トレーナーさんが言うから従っていた。それだけだった。

 思えば、そこから既に解釈の不一致は起きていたのだ。

 トレーナーさんはあたしに一流のウマ娘になって欲しいと願っている。でもあたしはウマ娘ちゃんの輝いているお姿を間近で拝めたらそれで良いと思っていた。

 そして元々生まれていた溝がどんどん深くなっていった結果、起きたのが今回の契約解消騒動・・・?

 だとしたら、トレーナーさんはきちんと目標を見据えて頑張っているのに、あたしというウマ娘はその頑張る人の足を引っ張っていた愚か者なのでは?頑張る人の側で、私利私欲を満たしていただけでは?謝るべきは、トレーナーさんではなくあたしなのでは?

 マイルCSのあの時も結局の所、上からGⅠを勝てと言われたから仕方無くという面と、トレーナーさんとの契約を解消されたらレースでウマ娘ちゃんを拝めなくなるという自分勝手な思いが確かにあった。

 ・・・あたしは、トレーナーさんに甘えていたのかもしれない。中央でデビューする以前にはモットーとしていた、「誰にも迷惑をかけず、影として過ごす」事がきっと出来ていたハズ。トレーナーさんと過ごしている内に、気付かない内に、自分の信条に緩くなっていた。

 「彼がいるなら」、「彼が喜ぶなら」。そんな言い訳を考えて、ウマ娘ちゃんとの接点を作る為に出しゃばっていたのではないでしょうか。

 

 「君も今年からはシニア級ウマ娘だ。これまでより一層、戦いは激しくなるだろう。

 一つ上の世代ではテイエムオペラオーにメイショウドトウがシニア級の王道レースを制圧してしまっているし、今度のクラシック級ウマ娘は、かの黄金世代に代わる新たな黄金世代が築かれるのではという期待の声が上がる程の猛者揃いだ。代表的な例を挙げると、丁度現在レコード合戦を繰り返しているアグネスタキオン、サスミサラマス辺りだろうな。

 ・・・そんな傑物揃いの中で、何となくで、甘い考えで生きていけると思うか?」

 

 ・・・あたしの戦いは、マイルCSで終わってなどいない。寧ろこれからが本番・・・。そう会長さんは仰っているのでしょう。

 競争ウマ娘の世界は厳しい。結果が出せなければ、止むなく引退に追い込まれる事だってある。そんな幾人もの「敗者」の上に、今もなお現役で走り続けるウマ娘ちゃんがいる。あたしは、そんな現役で走り続けているウマ娘が一人・・・。

 でも、泣く泣く引退していったウマ娘ちゃん達の事を考えたら、あたしは競争ウマ娘としての自覚が足りていない。だから、URAに目を付けられるし会長さんには注意を促される。

 今まで漠然と不思議に思っていた事や疑問が、霧が晴れていくように解っていくと同時に、自分の拙さ至らなさもまた思い知らされる。

 

 「よく考える事だな。己が何の為に走っているのかを。」

 

 自分が何の為に走っているのか?

 それは勿論デビューした当初から、いや、それ以前からウマ娘ちゃんの為に決まっている。でもウマ娘ちゃんの為と信じてやってきたこと全てが無駄だったのではないかと思うと気が気では無くて、目の前が真っ暗になる。

 

 「・・・デジタル?やけに顔色が悪いが・・・、大丈夫か?」

 

 「は、はは。大丈夫ですよ。ええ・・・。」

 

 精一杯はにかんだつもりなのですが、きっと誤魔化しきれていないのだろう。会長さんは怪訝な顔をして見せた。

 

 「これから降りかかるであろう試練は、私の言葉以上に厳しい現実を突きつけてくるだろう。強い言葉を浴びせたかもしれないが、コレは君の為だ。」

 

 「・・・え?というと・・・。」

 

 あたしが顔を上げると、会長さんは目線を壁に飾られている額縁に移した。彼女の視線をなぞるようにあたしも額縁へと目を遣る。

 そこには「Eclipse first, the rest nowhere」と綺麗な筆記体で書かれていた。真っ黒な墨汁とわざと擦れさせたと思われる一辺一辺が文字の凄み増させ、生徒会室に置いてある装飾の中でも一際目立つ物だった。

 

 「・・・希望に満ちていた者が絶望に呑まれていく姿は、出来れば見たくないからな・・・。」

 

 「・・・・・・。」

 

 ああ、会長さんもまた、ウマ娘ちゃんを大切に思っているんでしょう。

 そうだ、そうでした。彼女の理想は全てのウマ娘ちゃんが幸せになれる世界を作ること。ですから厄介者のあたしにも、彼女が出来る限り気を配っているのではないでしょうか。

 ・・・あたしは、どうするべきなのでしょう。全てのウマ娘ちゃんの幸せを望む同志として、是非とも彼女に微力ながらでも協力したいものなのですが、しかし今のあたしにそんな資格があるのでしょうか?

 あたしは遣る瀬無くて悶々とし、会長さんは会長さんで何かを考えていらっしゃるようで、また生徒会室が静まりかえったかと思ったその時、部屋の外が何やら騒がしくなってきた。

 

 「・・・は大事な話をしている最中で!」

 

 「関係ないね。話ったって、問題児との面談なんだろ?皇帝サマじゃどうせ個人を見て躾きる事は出来ない。それは私の分野だろーが。」

 

 扉を開く大きな音と共に、それは現れた。

 腰の辺りまで伸ばした暗めの茶髪に前髪にはしずく模様を上下反転したような特徴的な白のメッシュが入っており、顔は会長さんにも引けを取らない程の美貌さ。

 そのカリスマオーラたるや、あたしを消し炭にするには十分なのです。

 

 「・・・シリウスシンボリか。」

 

 「スミマセン、会長。何度も止めたのですが、シリウス先輩は一向に耳を傾けず・・・。」

 

 更に、生徒会室前で様子を見守っていたエアグルーヴさんまで部屋に入ってきて、豪華メンツによるイケメンワールドが展開された。

 

 「シリウス、何のようかな?」

 

 「まぁ、急かすなよ。どこだ?噂の問題児ってヤツは。」

 

 「・・・その問題児というのは、デジタルの事か?彼女ならソファに倒れてしまったよ。」

 

 「はぁ?」

 

 い、いけないいけない。まだあたしとシリウスさんとの距離は凡そ250センチはあるというのに、意識を失う所でした。しかし、今のあたしはイケメンウマ娘ちゃんとイケメンウマ娘ちゃんに挟まれた状態。オセロならとっくにひっくり返されている。よく耐えた、デジたん!

 

 「だ、大丈夫です!デジたん復活です、生きてます、ハイッ!」

 

 無理やり身体を急いで起こし、シリウスさんの方へ向こうとしたところ、なんとそのシリウスさんの顔が起きて目の前にあるじゃありませんか。

 

 「ピエッッッ!!?」

 

 声にならない声を発し、あたしは頭を抱え再びソファに倒れ込んだ。

 

 「いやいや待って待って。シリウスさんのお顔とあたしの顔、50センチあるかどうかくらいの距離まで近づいてませんでしたか!?嬉しい気持ちもある反面、彼女のソーシャルディスタンスに故意では無いとはいえ迂闊に踏み込んでしまったこの罪は重い!

 畜生、めっちゃ良い匂いした!畜生、何をこれ幸いとばかりに嗅いでるんですかあたしのバカッ!!!」

 

 「・・・クックック。誰かと思えば、アグネスデジタルってお前のことか。そうか、そうか。」

 

 シリウスさんはタキオンさんが時たまするような不敵な笑みを浮かべた。

 

 「はぇ?あたしなんかの事を、ご存知で・・・?」

 

 「ああ。去年のマイルCSの時、残り一ハロンで出走ウマ娘の殆どをぶっこ抜いてレコード勝ちしたの、お前だろ?」

 

 「あ、ああ。それは確かにあたしですね・・・。」

 

 「・・・なんでどっか他人事なんだよ。もっと誇れよ。すげえ事したんだぜ、お前。」

 

 「あれは、トレーナーさんの理解やタキオンさんのご援助、あたしの練習に付き合って頂いた沢山の方々の支えがあってこそ出来た事で・・・。誇るのは何だか、その方々を蔑ろにするようで申し訳無い気がしまして・・・。」

 

 「でも、実際に走って勝利を掴んだのはお前自身の力だろ?」

 

 「・・・それは、そうなんですけれどもぉ・・・。」

 

 「・・・そんなに悩むことかよ。少なくとも私はおもしれーと思うけどな。前走ダートからいきなり芝GⅠに参戦するとか、聞いたことねぇよ。」

 

 シリウスさんは爽やかな笑みを浮かべながらあたしに近寄ってきた。何をされるのかとビクビクと身構えていると、彼女はあたしの顎を片手で優しくつまみ、あたしの目線が半強制的にシリウスさんのご尊顔に向くように仕向けられた。

 

 「意味分かんねぇが、面白え。そういう『枠組み』に嵌まんねぇで自由に走ってるヤツ、私の大好物でね。」

 

 小さく舌舐めずりすると、彼女はソーシャルディスタンスとか考えていたあたしがおバカに思えるほどあたしの腰に手を回し、その美麗な顔を近付けた。

 整った顔立ち、妖美な雰囲気、明らかに落としに来ている口調。そして、先程濡らした艷やかなふっくらとした唇が近づいてくるごとに指数関数的にあたしの心臓が破裂せんばかりの勢いで脈を打ち始める。

 そして、彼女はあたしの耳元で触れるか触れないか、絶妙な距離間で撫でるように囁いた。

 

 「堅物の皇帝サマに従うより、私に従え。存分にお前の中の眠れる力を引き出してやる。拘束されるならそれなりの見返りがないと、なぁ?」

 

 その瞬間、雷が落ちたかのような衝撃を受けたかと思うと同時に、あたしの中の何かが爆ぜた。

 

 「・・・コホン。・・・シリウス、まさかデジタルを口説きに来ただけではあるまい?何の用件でここに来たか、聞かせてほしい。」

 

 「・・・おい。それよりコイツ、私の腕の中で仰け反ったまま動かなくなったんだが。」

 

 意識は辛うじて残っているけれども、燃え尽きた。デジたんは燃え尽きました。いや、萌え尽きました。吸い取られたかのように力が抜け、自力で立つことも危うい。

 シリウスさんの耳元ボイスは破壊力が高過ぎる。きっとブラックホールが出来る程の超新星爆発くらいの破壊力はあるに違いない。

 

 「まぁ、そのうち起きるだろう。そのままソファに寝かしておいてくれ。」

 

 「・・・分かったよ。って、コイツ軽・・・。ちゃんと飯食ってんのか?」

 

 どこまで人のヒットポイントをすり減らせば気が済むのやら、シリウスさんはあたしを丁寧な所作でお姫様抱っこをすると、徐ろに、まるで貴重品を扱っているかのように優しくソファに置いた。

 もうまぢ供給多過ぎ。いつでも死ねる。

 

 「・・・で、皇帝サマが散々急かした用件についてだが。」

 

 「うむ、聞こうか。」

 

 「何も難しい話じゃねぇ。オペラオー世代についてだ。」

 

 「・・・ほう。彼女達が、どうかしたのか?」

 

 「恍けるなよ。少なくとも風の噂程度には聞いているはずだ。

 オペラオーが強いんじゃない。他のウマ娘が弱いだけだって世間様の評判をよ。」

 

 ・・・は?オペラオーさんの世代のウマ娘ちゃん達が弱い、ですと?

 悪い冗談は止めて欲しい。確かにオペラオーさんは一人抜きん出ているかもしれませんが、ドトウさんにナリタトップロードさん、もう最前線からは退いていますがアドマイヤベガさんなど、黄金世代の方々に引けを取らないほどの輝きを放つウマ娘ちゃんで溢れた世代が、弱いハズがない。

 一体、どこの誰がそんな失礼な事を言っているのでしょうか?

 

 「・・・ああ、そうだな。風の噂程度には聞いている。」

 

 「ハッ、本当にその程度にしか聞いていなかったのかよ。まぁいい。

 で、皇帝サマとしてはどう思うんだよ。」

 

 「どう、とは?」

 

 「真面目に頑張ってる連中がバカを見るような環境を、どう思うかって聞いてんだよ。」

 

 「・・・勝者の影には、必ずや敗者がいる。十八人立てのレースなら、一人の勝者に対して十七人の敗者がいる。競い合うレースというシステムの都合上、この事実は覆せないだろう。」

 

 「だからなんだよ。今更レースの仕組みなんて言わなくても分からぁ。結局、勝ったヤツが正義で、それ以外は価値が無いってか?」

 

 「・・・そういう面も、あるかもしれないな。

 何れにせよ、彼女達の戦いだ。土俵に上がっていない我々がとやかく口を出すべきではない。」

 

 「なるほどな。皇帝サマは現状を指咥えて傍観するってことか。そうかそうか。・・・クックックッ。ハッハッハッハッ!!!

 ・・・一人の勝者が得をするが、敗者はとことん虐げられる。回り回って結果的に得をするハズの勝者まで損をしている。つまり全員、『負け』ってこった。

 勝利に文句はねぇ。だが、努力する連中全てが不幸になるのは我慢ならん。・・・テメェは何とも思わねぇのか!?」

 

 怒声と共に、机が叩き割れるんじゃないかという程の轟音が生徒会室に響いた。

 

 「何だっけか、ウマ娘全員が幸せに暮らせる世界を作るのが皇帝サマの理想だっけ?

 ハッ。その理想は実現出来そうにもないね。今ここで、苦しむ庶民達を見捨てる宣言をしたんだからよ。」

 

 「誤解しないでもらいたい。見捨てる気は毛頭ない。」

 

 「言い訳なんざ聞きたくねぇ。傲慢なヤツの口から出る言葉はつまらん。」

 

 そう言い捨てると、シリウスさんはつかつかと生徒会室から出ていってしまった。

 

 「・・・黙って聞いていましたが、最近のシリウス先輩の言動には流石に目に余るものがあります。忠告致しましょうか?」

 

 「いや、心配はいらない。彼女も彼女の信条があり、それを貫き通そうとしての行動だ。本当に行き過ぎる時は、私から注意するさ。」

 

 石像のように動かなかったエアグルーヴさんが会長さんを気遣ったが、彼女はシリウスさんを放免すると言う。あれだけ物を言われても動じない会長さん、器デカ過ぎか?

 いや、そんなことより。オペラオーさんの世代が、まさかそんな言われようだったとは。

 ふと、あたしは弱気なウマ娘ちゃんを思い出した。確かあの娘も、お膳立て役はもう嫌だとか、言われたくないとか、そんな事を言っていたような気がする。

 そうだ、何も彼女に限った話では無かった。去年の有馬記念にいた殆どのウマ娘ちゃんが、そのような世間の評価に辟易としていたのです。だからこそ、オペラオーさんを何が何でも勝たせないという戦法に手を出した。

 その賛否はさておき、どうしてもっと速く気付かなかったのでしょう。あれは、自分が思うよりもずっと根深い問題だったのだ。

 しかし、気付いた所であたしに何が出来るのかと考えると、何も出てこなかった。つくづく自分の至らなさに呆れてしまう。

 供給を求めるばかりで、自分には何の生産性も無い。これでは、ただの乞食ではないか。

 

 「やぁ、デジタル。お目覚めかな。」

 

 いつまでもソファで寝ている訳にもいかないのであたしは身体を起こしたのですが、その時丁度会長さんと目が合ったので頭を下げた。

 

 「・・・全く、テイオーといい貴様といい、ここは休憩所では無いんだぞ・・・!?」

 

 「まぁ、良いじゃないか。たまには賑やかなのも悪くない。」

 

 会長さんは呆れつつも物を言うエアグルーヴさんを宥めた。

 

 「・・・あの、会長さん。お聞きしたい事があるのですが。」

 

 「おや、珍しい。私が答えられる範囲でなら、何でも聞いてくれ。」

 

 「あ、有難うございます!・・・質問に質問で返すようで失礼かもですが、会長さんはどうしてターフで走ろうと思ったのですか?何の為に、走り続けるのです?」

 

 己が何の為に走るのか。あたしは、輝けるウマ娘ちゃん達を間近で拝みたいが為、ということ以外特にない。もし走る事に新しい価値観を見出すのなら、他のウマ娘ちゃんの価値観も参考にしておこうと思い、畏れ多いですが会長さんには是非聞いてみたくなったのです。 

 

 「ほう、私の在り方を問うか。宜しい。

 ・・・端的に言うと、私が走るのは皆に夢を見せる為だ。」

 

 「・・・夢を。」

 

 「自分で言うのは烏滸がましいが、無敗の三冠ウマ娘として、七冠ウマ娘として。数多のウマ娘の頂点に君臨する王者の一人として、在るべき姿を貫き通し、そして後続のウマ娘達に背中を追われる。そんなウマ娘を私は目指している。」

 

 会長さんの言葉を聞いて、やはり強い事は非難されるべきことではないと思いました。

 ウマ娘ちゃんは多種多様。何事にも、どんな人にも得意不得意が必ずある。だからこそ、走りの強弱だけでそのウマ娘ちゃんを判断するのは少々軽率であると言わざるを得ない。

 皐月賞、日本ダービー、菊花賞。数多くの大舞台でのレースと猛者ばかりのライバル達とのぶつかり合いと弛まぬ努力の果てに、今の彼女の強さがある。オペラオーさんは、夢を見せる走りなのです。決して、他のウマ娘ちゃんを駆逐するようなものではないのです。

 しかしそうは言っても、ここはトレセン学園。文武両道は勿論のことなのですが、一流のウマ娘ちゃんが集うこの学園でレースに出る以上、走りがそのウマ娘ちゃんの評判に直結してしまうのは無理もない話。

 あたし自身も、所々で期待外れとかしょっちゅう言われてきた身ですから、この世界の厳しさが痛い程分かる。だからこそただのウマ娘ちゃん好きから進化して現場をちょっと知ってる更にウマ娘ちゃんが好きになったヲタクになって活動していた訳ですが、まだまだあたしは井の中の蛙でした。

 どちらかというと、あたしの方がレースに負けたウマ娘ちゃん達を追い詰めているのだろう。こんなしがないヲタクに負けるなんて屈辱だと思われたりとか、血が滲むような努力を経てやっと重賞レースに出られたのにひょっこり出てきた知らない誰かに負けただとか、あたしが出走ウマ娘として自覚が足りていないから、あたしが勝者として自覚が足りていないから、萎えさせて引退に追い込んでしまったウマ娘ちゃんもいるかもしれない。

 本当に、身の毛がよだつような話だ。もしそのようなウマ娘ちゃんがいるのならば、謝罪行脚して某樽に収まった黒髭にナイフを刺すオモチャみたいにあたしをハリネザミにしてもらっても構わない。いや、した方が良い。

 

 「・・・会長、そろそろ会議の時間ですが・・・。」

 

 「ああ、そうだな。・・・という訳で、デジタル。済まないが生徒会室は暫く入れなくなるから、まだ話があるのならまた今度にしてくれ。」

 

 「す、スミマセン!すぐに出ていきます!失礼しましたっ!」

 

 あたしはそそくさと生徒会室を後にした。

 今日はもうトレーニングは無いので、取り敢えずトレーナー室に向かう為に、あたしはとぼとぼと廊下を歩いた。

 何だか、思っていたよりずっと、この世界は複雑なのです。ずっと勝ち続けたら周りが弱いだけと言われるだなんて。

 ・・・しかし、会長さんが言っていた試練というのは、オペラオーさんやドトウさんに加えて、タキオンさんやサスミさんと言った猛者達に挟まれてひっそり生きていくしかないという事を言っていたのでしょうか?

 あたしは全然それでも構わないのですが、あたしが苦に感じるような話じゃないと会長さんは試練だなんて言わないでしょうし、この話、もう少し続きがあるような気がしてならない。

 

 「お、デジタル。ようやっと解放されたか。随分と長い話し合いだったな。」

 

 快活な声とは裏腹に、待ちくたびれた様子のトレーナーさんが手を小さく振りながら近寄ってきた。

 

 「あ、トレーナーさん・・・。」

 

 「・・・?なんか、浮かない顔してるな。何を言われたんだ?」

 

 「・・・端的に言うと、今のあたしは競争ウマ娘としての自覚が足りていない、と。」

 

 「え、どこが?確かにたまーにボロ負けする時とかあるけど、真面目に走ってるしちゃんと結果も残してるじゃないか。」

 

 「・・・ええと、問題はあたしが勝つ勝たないの先の話でして・・・。」

 

 斯々然々と生徒会室で起きた事、話した事を全部話すと、トレーナーさんは困ったような表情を見せた。

 

 「なるほどなぁ。勝者としての自覚、か。」

 

 「状況が状況なだけに、きっと、今のあたしじゃ周りには悪影響しか与えないんじゃないかって・・・、そう思うんです。」

 

 「・・・それは違う。少なくとも、お前はオレに良い影響を与えてくれている。」

 

 あたしは自分の耳が腐ったのかと思った。しかし、トレーナーさんは真剣な眼差しでこちらを見ている。彼は、本気でそう思っているのでしょうか?

 

 「いやいや、そんなバカな。あたしがいつ、トレーナーさんにそんなことを?お世辞ならいいんですよ。

 ・・・アグネスデジタルは褒められたり称賛されたりするようなウマ娘じゃない。それはあたしが一番、分かっていますから。

 ああ、もうこんな時間ですね。寮に帰らなきゃいけないので、ではこれで失礼します。」

 

 引き止めるかのようなトレーナーさんの視線を振り払い、あたしは自分の寮へ向かって一目散に走った。とにかく、一人になって頭を冷やしたい。そんな気分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレはトレーナー室で、天井に取り付けられた蛍光灯を見上げ、眺めていた。

 帰ってきて早々、机に山積した仕事の資料を見たときは卒倒するかと思った。一時期はデジタルと別れてまた元の雑用係に戻ろうと思っていたから、その時に暇だろうと思い引き受けた仕事が今になって回ってきたのだ。つまり完全に自業自得な訳だが、それでもこの量はおかしい。タイムトラベルが出来るなら、少し前の自分をぶん殴ってやりたい所だ。

 とまあ文句を垂れていても仕方が無いから地道に片付けていき、少し休憩を挟もうと思い何も考えず天井を見上げていた訳だが、その時ふとデジタルの事が頭に浮かんだ。

 

 「・・・まったく、問題を解決したと思ったら次の問題が出てくる。イタチごっこだな・・・。」

 

 デジタルと言えば、根はとても穏やかで優しい性格なのだが、とにかく自己評価が低い。そしてルドルフとの会話で出てきた、競争ウマ娘として在るべき姿。これが彼女の良心を揺さぶった。だから夕方の時、あのように後ろ向きな発言が目立ったのだと思う。

 彼女は、ウマ娘への愛が異常なまでに深い。ウマ娘を傷つける事は自分も含めて、何人たりとも許しはしないだろう。そして他人よりも自身に厳しい彼女なら、レースから距離を置くことだって考えるかもしれない。

 

 「もう少し自信持ってもいいのにな・・・って、オレが言えた口じゃないか。」

 

 そう。オレだって自分のトレーナーとしての手腕に自信がなくて、デジタルと距離を置こうとした。そんなオレが彼女に自身を持てだなんて、とんだお笑いも良いところだろう。

 ・・・いや、待てよ。寧ろ、そんなオレだからこそ彼女に言える事があるんじゃないか?

 以前、同僚のヤツが仕事の合間に話していた事を思い出した。彼曰く、オレとデジタルは似た者同士なのだと。言われた当初はどこをどう見たらそう思えるのか理解に苦しんだが、今なら少し分かる気がする。

 

 「・・・取り敢えず、京都金杯だな。このレースが終わったら、ちゃんとデジタルと話そう。」

 

 今年の京都金杯は一月五日。年明け間もなくのレースでこの時期は多忙極まりない上に、ここまでの諸々の事情でオレが彼女の仕上がり具合をあまり見れていない為、一抹の不安が残る。それに、今の彼女はレースとどう向き合うのか、まだ答えが出せていない。このように、それなりの足枷を付けたまま今回は走ることになってしまった。

 

 「・・・まぁ、大丈夫だと思おう。昨年の夏合宿を通してデジタルは心身共に大きく成長した。それに、バケモンみたいな末脚も武器として使える訳だしな・・・。」

 

 不安もあるが、好材料も勿論ある。京都金杯はその名の通り京都で行われるレースで、しかも距離は1600m。あのマイルCSと全く同じ条件でのレースなのだ。

 それに、レースというものは実力も然ることながら、運にも左右される。負けたら負けたで、相手が強かったと認め、己の走りを反省すれば良い。

 そうオレは楽観的に捉えていた訳だが、これが後々最悪の展開を呼ぶことになるとは、思いもしなかった。

 




 追記 : 2022年8月17日早朝、タイキシャトル号が老衰による心不全により亡くなったそうです。ご冥福をお祈り致します。
 アグネスデジタル号が亡くなった時同様、訃報を聞いた時は現実を受け入れられませんでした。いつかそういう日が来ると分かってはいるものの、やはり悲しいものです。
 彼もまた、先立った数々の優駿達と穏やかに過ごさんことを。
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