ウマ娘 ∼Antithesis hero∼   作:Carboxyl

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 一度手違いで、書き上げたものを全部消してしまって泣く泣く作り直すことになりました。約6500文字は重い・・・。
 幸いなのは何度も推敲と査読を繰り返していたお陰で、内容を大体覚えていた事ですね。まぁより良い文章を書けたつもりなので結果オーライでしょう。
 もう二度と、このような誤りは犯したくないですが。




第2話 新星の加入

 

 ひょんな事から縁ができ、彼女自身のトレーナーさんと契約をするよう勧めてくるルーチェデリカータさん。

 しかし、その肝心のトレーナーさんはあたしとの契約締結を拒否した。

 まあそうですよね、こんな素性の良く分からなくて魅力ゼロのウマ娘なんて普通は願い下げですからね・・・。

 もう気にしてはないですけど、今までずっとありとあらゆるトレーナーさん方があたしを見て言いたい放題でしたから、彼も思う所があるのでしょう。

 

 「じゃ、じゃああたしはコレで失礼します・・・。」

 

 あっという間に気まずくなったこの空間に何時までもいる訳にはいかない。せっかくルーチェさんとトレーナーさんが無事に再会出来たのだからハッピーエンドは最後までハッピーでなければ。

 

 「ちょっと待ってデジちゃん!!!」

 

 背を向けたその刹那、ルーチェさんが大声であたしを引き止めた。

 

 「トレーナーさん!私からのお願いです、デジちゃんと契約して下さい!」

 

 ルーチェさんがトレーナーさんに深々と頭を下げる。そ、そこまでする理由が一体何処に・・・?

 

 「え、いや、でも・・・。」

 

 「競争相手がいない素質のあるウマ娘なんて最高じゃないですか!しかもこの場ですぐに契約可能!今この娘採らないと後悔しますよ〜!」

 

 それでもなお渋るトレーナーさんに対し、ルーチェさんはまるで商品を売り捌く詐欺師のような言葉選びで契約を迫る。

 

 「・・・ほら、本人の意見もあるだろうし・・・。」

 「デジちゃんは是非契約したいと言っております!」

 

 言ってないです!契約の『け』の字も言ってないです。でも口には出さないっ。駄々っ子ウマ娘ちゃんかわよかっ!!!

 

 「・・・デジタルが良くても、オレはダメだ。

 そんな流れで結ぶような契約で、彼女の育成に責任を持ちきれない。彼女に素質があると言うのなら、尚更だ。」

 

 トレーナーさんはそう言うと、心無しか悲しそうな、何処か遠い目をしていた。コレは何か訳アリだと察したあたしは、意を決して彼に提案を持ちかける事にした。

 

 「・・・じゃあ、本来ならあたしと契約をしたいと思っているんですよね?」

 「・・・・・・・・・かもな。」

 「じゃあ、こういうのはどうですか?

 トレーナーさんとあたしは仮契約という形を採って、トレーナーさんには近々行われる選抜レースであたしの走りを見て貰ってから本契約をするかしないかを決めてもらいます。

 他のトレーナーさん方からあたしに声がかかったとしてもあなたが優先的にあたしと契約を結ぶ事が出来ますが、レース内容やその他まだ不満があるようでしたら断って良し。仮契約もその場で破棄です。

 あ、選抜レースまで我慢ならない何かがお有りでしたらすぐに契約破棄してもらっても大丈夫です。

 どうですか?」

 「・・・・・・・・・。」

 

 彼は目を閉じ、顎を手で触りながら真剣に考え始めた。いつでも契約破棄出来るのにそんなに悩む必要ありますかね・・・。

 

 「トレーナーさん!デジちゃんはあなたと是非契約を結びたいって言ってるんですよ!?こういう時は男なら黙ってハンコ押すの!」

 

 ・・・ルーチェさんってもしかして不思議ちゃんタイプなのでしょうか?何かと物事を自己解釈して全力疾走する癖があるようです。Kawaii。

 

 「分かった、分かったよ。仮契約ね。」

 

 ルーチェさんに全身を激しく揺さぶられながら契約を迫られたせいか、彼は観念したように両手を挙げた。

 

 「まあこんな所だから書類は帰ってから作成と言うことで。取り敢えず帰ろう。」

 「ぜぇぇぇっっったいに契約のコト、忘れちゃダメですよー!?明日でいいやはナシですからね!」

 「お前の事じゃないのに、一体全体どうしてそんなにオレとデジタルの契約に固執するんだよ・・・。」

 

 確かに、担当トレーナーさんがいないあたしに対して彼女なりの優しさなのかなと思っていましたが、流石に出会ったばっかりの相手に彼女の行動は常軌を逸しています。

 

 「・・・私がデジちゃんのこと好きだから。・・・じゃ.ダメかな?」

 「ひょえええぇぇぇ!!?す、すすす、すきとすっぽん!?」

 「月とすっぽんね。・・・じゃなくて、好きなの。デジちゃんの事が。」

 

 彼女は冷静にそう言い放ちましたが、あたしの場合そうはいかない。ウマ娘ちゃんから、そんな事を!言われてしまったら!あたしは大爆発してしまいましゅ!

 

 「・・・まあ取り敢えず帰ろうか。せっかくだし何か奢っても良いぞ。」

 「ああ、その必要は無いよ!だって、買ったケーキがあるんだからっ。」

 

 ルーチェさんはそう言うとベンチ下に置いてあった紙袋から、豪勢な飾りや模様が施された紙パックを取り出した。

 きっと、あの中に噂のエクリプスキャロットスペシャルが入っているのでしょう。

 箱から既に漏れ出している甘い香りが、あたしの少ない食欲を唆るのですから、相当凄いケーキですよこれは。

 

 「ほらほら、早く帰ってお茶にしましょ!ただでさえ特別なケーキだけど、三人で食べたら、きっと更に特別なケーキになるハズだからっ!」

 「・・・そうだな。今日は甘い物でリフレッシュしよう。」

 

 天真爛漫でちょっと不思議ちゃんな所があるものの、全てを受け止め幸せを運んできそうな穏やか女神なウマ娘、ルーチェデリカータさん。

 そして、堅実で冷静ながらも担当ウマ娘への思いは本物のトレーナーさんのコンビは、傍から観てるととても相性の良い相棒のような関係に見えた。

 エクリプスキャロットスペシャルを買えなかったのは残念ですが、それ以上に感激の極みとも言える有難い景色が見れて、デジたん恐悦至極です・・・。

 

 「ねぇ、皆で手を繋いで帰らない?」

 

 この人はあたしを殺しに来ているのですか?何故、突然そんな事を!?手を繋ぐとか畏れ多すぎて無理無理無理ィィィ!!!

 と言うか、さっきしれっと「三人で」お茶にしようとか言ってませんでした!?ナンデナンデナンデ!?

 

 「まあ・・・、良いけど。」

 「ほら、デジちゃんも!」

 

 ノリノリで戸惑うこと無く彼女はあたしの手を取り優しく握る。まるで片手だけお布団に包まれているような幸せになる触感で・・・。

 

 「・・・・・・たわばっ!!!」

 

 あたしは一瞬の間に意識が遠のき、その場にぶっ倒れた。

 

 「え、えええええ!!?デ、デジちゃぁぁぁん!!?」

 「お、おい!?しっかりしろ!!!」

 二人の悲鳴が夜空にこだまする。すっかり忘れていましたが、あたしの体はとっくに限界迎えていたんでした・・・。そこにトドメとばかりにルーチェさんの尊みが直撃して耐える間もなく。

 ・・・まあ、ルーチェさんみたいな優しいウマ娘ちゃんの手の中で死ねるなら本望か・・・。

 

 「いやだから、死んじゃダメだよぉ!?」

 

 そのルーチェさんの言葉を最後に、あたしはふっと意識を手放した・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 河川敷での一軒から数日後。

 オレは、ルーチェ、デジタルの三人でミーティングルームもといトレーナー室にて丸いテーブルを囲み、話し合いをしていた。

 内容は選抜レースに向けてのデジタルの調整と仮契約の内容の再確認。そして、改めて各々自己紹介する事になった。

 

 「────と言う訳で、オレはチーム『アークトゥルス』を取り纏めるトレーナーとして活動している。

 ・・・と言っても、今このチームにはルーチェしか在籍していないんだけどな・・・。」

 

 自分で言うと物凄く嫌な事を思い出して大きな溜息を付きそうになったが、二人がいる手前、何とか堪えた。

 

 「・・・じゃあ次私!自己紹介します!」

 

 ルーチェが元気良く挙手し、オレは「どうぞ」と促す。

 

 「えー、改めて、ルーチェデリカータです!皆からはルーちゃんって呼ばれる事が多いですっ。

 好きな食べ物はさくらんぼ!あとニンジン!宜しくねっ!」

 「さくらんぼ・・・ねぇ。」

 「・・・な、何故ニヤニヤして・・・。」

 

 オレが笑みを堪えきれない理由を聞いてきたルーチェだが、頰を膨らませて「何も言うな」と目で訴えてきている辺り、凡そ見当はついているのだろう。

 

 「・・・分かったよ、秘密にしておくって。」

 「分かれば宜しい。」

 

 ふと我に返り、デジタルの方を見やる。

 すると案の定、話についていけていないせいで──何故か笑顔を携えているが──硬直してしまっているではないか。

 

 「す、すまんデジタル。

 ルーチェがさくらんぼ好き過ぎて無限に食べ続けてしまうから各所から出禁言い渡されてるとか内輪ネタ通じないよな・・・。

 ・・・・・・・・・・・・あ。」

 

 口が滑った、と気づいた時にはもう遅い。

 ルーチェの方を恐る恐る振り返ると、殺意の波動を感じるくらいに耳を絞り不適な笑顔を浮かべている。

 

 「いやあの、ごめんなさい。本当に。悪気はこれっぽっちも無かったんです。」

 

 「ふんだ、トレーナーさんなんかもう知りません。」

 

 「オレが悪かったって、そんなに怒らないでくれよ。まだこの前のレースでゲートイン時に隣の子のさくらんぼの髪飾りに見惚れてて出遅れ負けしたこととか言ってないじゃん・・・。

 ・・・・・・・・・・・・あ。」

 

 「あー!!!もう絶対に許さないっ!!!この口、縫い合わしてやる!!!」

 

 ルーチェはズカズカと歩み寄ると、オレの口を掴み左右にかなり強く引っ張ってきた。

 

 「いべべべべべべっ!!?」

 「・・・あ、そうだ。デジタルちゃんも自己紹介してよ。」

 「え、そのままでですか・・・?」

 「うん大丈夫!寧ろこうしていないと次何を暴露されるか分からないからねっ。」

 

 ちょっと待て。何時までこの口が裂けそうな思いをしなくちゃいけないのだ。冗談抜きで裂けそうだぞ?

 

 「は、はやふひへふへ(はやくしてくれ)ぇぇぇ!」

 「え、えと、アグネスデジタル、です!

 好きなものはウマ娘ちゃんで、好きな事は推し活です!」

 「へえ、デジタルちゃんってそんなにウマ娘が好きなんだ?どうして?」

 「・・・子供の頃の事なんであまり覚えてないですけど、テレビでたまたま見たウマ娘ちゃんのレースに物凄く感動した記憶が・・・。

 その辺りからですかねぇ、あれよこれよとウマ娘ちゃんの沼にどっぷりと・・・。」

 「ふふ、素敵だね。

 じゃあ、トレセン学園にはそんなウマ娘達と一緒に走りたくて来た感じかな?」

 「ぶ、部分的には・・・。」

 「・・・部分的には?」

 「あー、えと、あたしの地元だとそんなにウマ娘ちゃんを直接見る機会が無くて、それでもっとお近づきになりたかったと言いますか・・・。」

 「ん?それって一緒に走りたいんじゃないの?」

 「いやあ、そんなの畏れ多すぎて無理ですよ・・・。

 黄金のように価値あるウマ娘ちゃん達のレースにあたしなんかを加えてしまったら蛇足以外の何物でもありませんっ。」

 「え、いや、そんな事は無いと思うけど・・・。」

 「まあこの学園来てからずっとそう思っていて、もしトレーナーさん方からオファーがあっても断ろうと思っていたんですよ、今までは。」

 

 もう口が痛過ぎて涙が出てきていたオレの方をデジタルは視線を移し、何故かとても柔和な笑みを浮かべた。彼女、あんな顔も出来たのか・・・。

 

 「全く根拠は無いんですけれどね。何となく、この方ならついて行っても良いかなって一目見た時そう思ったんですよ。それでも初めて会った時はウマ娘ちゃんを追っかけたい気持ちの方が強かったですが。」

 「・・・そっか。」

 

 この時になってようやく、ルーチェはオレの口を引っ張っていた指を離した。

 引っ張られていた時間が長過ぎてまだその感覚が残っている。口を抑えられずにはいられない・・・。

 

 「気持ちは分かるよ。

 私もこのトレーナーと一緒に暫く頑張ってきたからね。ちょっと情けないけど、いやだいぶ情けないけど、たまには頼りになるからさ。」

 「・・・それ褒めてるの?」

 「うん、とっても!」

 

 ルーチェはそう言うと、眩しいくらい可愛い笑みを浮かべた。

 正直ずるいと思う、この笑顔。

 口が痛いこととか褒めてるようで貶してるような発言とか文句の一つでも言おうかと思っていたが、彼女の笑顔を見ると不思議と何もかもまあいいかと脳が考えるのを止めてしまう。

 

 「・・・まあ、まだデジタルとの契約は決まった訳じゃない。そうだろう?」

 

 デジタルは神妙な面持ちでコクリと頷いた。それに比べてルーチェはと言うと、

 

 「えええぇぇぇ!!?この期に及んでまだそんな事言うんですかっ!?女の子が逆アプローチしてくれてるんだから潔く受け入れ手下さいよほんとに情けないなぁばかばかばかっ!」

 

 罵倒を畳み掛けるように放ち、ぽかすかとオレの体を叩いてくる。

 

 「痛い痛い痛い。良いだろ別に、彼女がオレの心を動かすような走りを見せてくれれば良いだけの話だ。」

 「ちぇっ、頑固なんだから・・・。」

 

 ルーチェはそう吐き捨てると、再びデジタルと二人で話し始めた。

 彼女が知っているか知らないかは分からないが、担当ウマ娘の面倒を見るというのはその後の彼女らの人生を左右しかねない為に、非常に責任重大な事なのだ。

 そしてオレはまだ駆け出しのトレーナーに過ぎない。だからこそ決めたのだ。生半可な気持ちでウマ娘と契約を結ばないと。

 

 「デジちゃん。こうなったら、ニ着のウマ娘に二十バ身差付けて圧勝しちゃいましょう!」

 「に、にじゅう・・・?」

 「それはもうウマ娘じゃなくてウマ娘の形をした何かだろ。UMAだわ。」

 「いやいや、ゲートにニンジンを大量にぶら下げておけば皆食いついて、一人だけスタートダッシュで差をつけてイケるかもしれないですよ?」

 「不正だから。」

 「じゃあ代わりにケーキとか?」

 「吊るす物の問題じゃない。」

 「んー・・・、ゲートに細工して開かなくするとか。」

 「不正だから。」

 

 ・・・だいぶ話が脱線してしまった。おまけにここから自然と戻る気配も無い。

 

 「さてさて、これからの話をしようじゃないか。二人共、そこの椅子に腰を掛けてくれ。」

 

 オレは無理矢理話題を変え、デジタルとルーチェを自分の対面に座らせた。

 

 「まず、デジタルは何時かの選抜レースに向けてトレーニングを積んでいく事になる。

 本当なら高負荷のトレーニングとかやりたいんだけど・・・。」

 

 オレはちらりとデジタルを見やった。

 彼女はそれに対し、首を横に傾げて「何か?」と言わんばかりにきょとんとした顔を浮かべる。

 

 「・・・デジタルは、ちょっと身体が小さ過ぎる上に線も細過ぎる。正直に言うと、明らかにアスリートとして戦っていく体型じゃない。

 身体作りに暫く時間を使おう。話はそれからかな。」

 「生まれてきてすみません。」

 「いや、謝る必要は微塵も無いんだけど。」

 

 頭を下げたままのデジタルを横目に、ルーチェの方に視線を移す。

 

 「ルーチェは、二週間後のレースに向けて引き続き調整していくぞ。

 前走ではコーナーリングでもたついたり仕掛けのタイミングがやや遅かったり、修正点が幾つかあった。

 先ずはコレを改善していけるように頑張ろう。」

 「了解ですっ。」

 

 オレは机に散らばっていた数枚の資料を一纏めにし、クリップホルダーに挟んだ。

 

 「よし、じゃあミーティングはコレで終わり。早速だが、練習に移ろうか。

 あー、デジタルは聞きたいことあるから、ルーチェのトレーニングを見てぼんやりウチの雰囲気を感じつつオレの質問に答えてくれ。」

 

 「えっ、ルーチェさんのトレーニングをお側で見られるんですか良いんですか!?無料で!!?」

 「・・・必要だと言ったらお金払うの・・・?」

 「寧ろ払わせてください!おいくら万円ですか!?」

 「いえ払わなくて結構です。」

 

 改めて思うが、デジタルは少し変な娘である。今まで数多くのウマ娘を見てきたが、この掴み所が無く、形容しがたい性格の娘は初めてだ。

 多分、本人にそのつもりは微塵も無いのだろうが、関わっているこちらとしては常に煙に巻かれているようで少々もやもやする。

 

 「さあさあ行きましょうお外へトレーニングへ!楽園(エデン)があたしを待っているっ!」

 「な、何だか恥ずかしいなぁ・・・。」

 

 デジタルからの催促を受けて、オレ達はやや足早でトレーニング場へとやって来た。

 今日も沢山のウマ娘が、来たるレースに備えて、いつか夢を掴むと信じて、各々で研鑽に励んでいる。

 

 「おほぉぉぉおおおぉぉぉ・・・。何度見ても堪りませんなぁ、この青春を謳歌するウマ娘ちゃん達を一望する景色は・・・!」

 「確かに、毎日同じように見えるけど、皆それぞれで何かしら少しずつ成長しているから、飽きはしないよな。」

 「おお、分かりますか?分かりますか!?

 ありふれた風景、されど変化していく風景!止まったように見える時間!けれど目を閉じ開けば、あの子は既に大物の階段を登っていた!

 普段は仲良し小好しの良き友でもここでは競い高め合うライバル!

 勝負の世界は過酷!でもだからこそうんたらかんたら・・・。」

 「始めようか。」

 「そ、そうですね・・・。」

 

 堰を切ったように無限とも思える語彙力で眼の前に広がる光景を言葉にし続けるデジタルを無視して、オレ達はトレーニングの準備をした。

 ルーチェは軽く伸びをし、深く息を吐く。そしてストレッチで徐ろに身体を解し始めた。

 事前の準備運動は、一般人が思っている以上に大事な事だ。入念に行えば、怪我のリスクをガクンと減らすことが出来る。

 普通、アスリートのスポーツ選手生命なんて十年持てば御の字の競技が殆ど。歳を食えば食うほど、蓄積される技術に対して、身体は動かなくなっていくものだから。

 競走ウマ娘も例外では無い。その殆どが、四、五年程で引退していく。

 だから、短く貴重な選手生命がケガで棒に振るとなっては目も当てられない。

 

 「・・・よし。」

 

 準備運動を終え、ルーチェの顔持ちが明らかにスイッチが入ったそれになる。

 

 「先ずは軽く走ろうか。千メートルを六十秒で。」

 「分かりました。」

 

 ルーチェが位置についたのを確認し、オレがストップウォッチのボタンを押すと共に、「ドンッ」 と声をかけた。

 その刹那、彼女の加速に合わせて、土砂が足の踏み込みで巻き上げられる。

 風を切るようにグングンとスピードに乗る彼女を見送りつつ、オレは「良いスタートダッシュだ」と思わず声を漏らした。

 

 「ええ、本当に!

 雰囲気もキリッと厳かな感じですし、まるで本番さながらのような、覚悟が決まっているような・・・。」

 

 語りに語り尽くした後、恍惚とした表情を浮かべながら呆然として突っ立ていたデジタルが、いつの間にかオレの隣に並んでルーチェの走りを見ていた。

 

 「・・・覚悟、ね・・・。」

 

 「そう言えば、ルーチェさんが出るレースって何処何ですか?二週間後と言えば、九月の初週ですよね?

 小倉と新潟でジュニア級限定重賞がありますけど・・・、ルーチェさんはどのレースに?」

 

 「・・・言わなきゃダメ?」

 

 当然と言えば当然だが、オレの言葉に対してデジタルは怪訝な顔をしながら首を傾げた。

 

 「・・・えと、自分で調べてくれって事ですか?」

 「いや、そうじゃあないんだが、な・・・。」

 

 オレは首を振った。

 どの道、いずれは知る事になる。それが早いか遅いかの違いでしか無いだろう。

 

 「・・・トレーナーさん?あの、事情は良く分かりませんが言いたくないのならばあたしはその意志を尊重しま--。」

 「未勝利戦だ。」

 「へ?」

 

 オレは声が震えていたかもしれないと思い、深く息を吸い、体の中のものをすべて出すように長い息を吐いた後、もう一度その事実を告げた。

 

 「ルーチェが次に出るレースは、未勝利戦だよ。」

 

 

 




 
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