そんなこんなで、私は今名前も知らないウマ娘と二人でとある場所に向かっている。 ラズには、とりあえずコースを走り込んでおくように指示を出しておいた。 適当で投げやりな指示だが、ラズならきっちりとこなしておいてくれるはずだ。
あの時、泣きそうな顔を見て、勢いで「トレーナーを紹介する 」と言ってしまったが、私の狭い交遊関係の中では、あてにできる人物は一人しかいない。 その人が彼女の担当を引き受けてくれるかは、全くの未知数ではあるが、私はその人以外に賭けられる人がいないのだ。
その人がいる部屋の扉の前に立ち、すぅっと息を吸って覚悟を決めてから、コンコンと扉を叩く。
すると、室内から扉の方に向かってくる足音が聞こえ、ガラッと扉が開かれた。
「ああ、熊谷トレーナー。
俺のトレーナー室に来るなんて、どうしたんですか? 」
私達の前に現れたのは、大体三十前半くらいの年齢の男性。 トレセン学園にいる私の数少ない知人の一人である粟屋トレーナーだ。
「粟屋トレーナー、お久しぶりです。
今日はちょっとお願いしたいことがあってですね…… 」
そこまで話すと彼は、
「まあまあ、廊下で話すのもなんなんで、散らかってますが部屋の中で聞きましょう。
どうぞお入りください 」
と入室を促してきた。
その言葉に従い、私は後ろで控えていた彼女と共に部屋に入る。
彼は「散らかっている 」と言っていたが、室内は物が散乱している様子は微塵もなく、散らかりやすい仕事の資料類でさえも、机の上に綺麗に積まれており、几帳面な性格を思わせるような部屋だった。
私達は彼に促されるまま、来客用と思われる白いソファーに腰を下ろすと、室内で待機していたマチカネフクキタルが素早くテーブルにお茶を出した。
「では改めて、今日はどのようなご用件で? 」
私達と対面するように椅子に腰掛けた粟屋トレーナーはそう問いかける。
これから自分がするお願いは、軽々しく頼めるようなものではないとわかっているだけに、彼の言葉に対してすぐさま声を返すことはできなかったが、私は一度深呼吸をして口に出す覚悟を決めるのだった。
「実は……私の隣にいる彼女を粟屋トレーナーに担当してもらえないか……と思いまして 」
恐る恐る口を開き、声を震わせぬがらそう告げる。 対面する彼の顔をチラッと覗くと、やや厳しい表情のまま一点を見つめ続ける粟屋トレーナーの姿があった。
ある程度、こうなることは予想できていたただけに、軽はずみな言動をしてしまったことに、後悔が後を絶たない。
沈黙。
どれくらいの時間、静寂に包まれていたか定かではないが、体感ではとても長い間、静かな時間が流れていたように感じた。 その沈黙を破ったのは粟屋トレーナーだった。
彼は、先程見せた厳しい表情を和らげ、申し訳なさそうな顔で
「すいません、俺にはできません 」
と頭を下げたのだった。
「そっ、そんな! 頭をあげてください!
謝るのは私の方です。
こんな突拍子もないお願いしちゃって、すいません 」
私は慌てて、彼に頭をあげるよう促し、自身の頭を下げて謝罪した。
「力になれず、申し訳ないです 」
そう言いながら、ゆっくりと頭をあげる粟屋トレーナー。 私は彼から少し遅れて頭をあげた。
そしてもう一度、沈黙が訪れる。
部屋にいる誰もが気まずそうな表情で下を向き、声を出さずにいるなかで、再び粟屋トレーナーは口を開ける。
「俺が言うようなことじゃないと思うんですが……。
やっぱり、担当トレーナーっていうのはよっぽどのことが無い限り、ウマ娘本人が選ぶべきだと、俺は思います。
もちろん、ウマ娘からの逆スカウトなんかは中々成功しないので、アプローチをかけてきたトレーナーから選ぶってことになると思うんですけど、それでもなるべく、ウマ娘が選ぶべきだと思っています 」
そこまで言うと、粟屋トレーナーは一旦話を区切り、私の隣に座っている彼女の方に視線を移してから、話を再開した。
「彼女のことは、名前くらいなら存じてます。
この前の選抜レースにでてたので。
そこでの結果は……良いと言えるものではなかったですが、彼女にはまだ先があり、チャンスだって何回もあります。
彼女次第ではありますが、もっといろんな人の中から選んだ方が、良いんじゃないかなと思います。
……君はどうしたい? キングヘイローさん 」
キングヘイローと呼ばれた私の隣に座る彼女は、一瞬うつむいてから粟屋トレーナーの方に顔をあげて
「他の子達はもう契約を済ませているのに、キングである私ができていないなんていいわけ無いじゃない!! 」
と大きな声で怒号を発した。
私はすぐ隣から発せられた声に驚き、すぐさま彼女の顔を凝視する。
彼女の瞳からは一粒、二粒と涙がこぼれていた。
きっと彼女も、粟屋トレーナーが言った事が間違っていないことくらい、わかっているのだろう。 わかってはいるが、それでも納得をしたくない何かが、彼女の心の中にあることを、落ちる涙が物語っているように感じた。
『誰が相手だろうと、キングに負けは許されないの!! 』
『キングである私ができていないなんていいわけ無いじゃない!! 』
彼女の言葉が、頭の中でこだまするように響き続ける。
すると、私の心の中にとある感情がわいた。 そしてその感情は一人で私の手元から離れていくと、私の中で一つの意思を固めさせたのだった。
(彼女の力になりたい)
「……わかった 」
彼女が目元を拭う音だけがしていた室内に、私の口からポツリと出た言葉が響き渡る。
「私は他のトレーナーと違って、実績も経験もない新人だけど、あなたが良いって言うなら私があなたを担当する!! 」
私は立ち上がって、彼女の目の前に行き、そう言葉をかけてから、ラズに差しのべた手とは反対の方の手を彼女の前に出した。
「キングのトレーナーは……一流でないといけないのよ?
だから、新人だろうとポンコツだろうと、あなたは一流のトレーナーなんだからね! 」
私はゆっくりと頷いて、重なった手を握ることで彼女の言葉に答えて見せた。
キングヘイローは静かに微笑む。
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