昼食を食べた後、海水浴場で遊んでいるといい頃合いになってきた。スマホで時間を確認する柚葉は一瞬驚いたような顔をして、ぼそりと呟く。
「もうこんな時間なんだ……ごめん、そろそろ帰らないと」
「えー、ユズハおねえちゃんもう帰っちゃうの?」
今まで三人で遊んでいたからか、桂音が残念そうな声を上げる。この短時間で随分と懐いたようだ。
「ごめんね。また来るから」
別れを告げる柚葉に悲しそうな顔をする桂音、それを見ていると少しでも時間を引き伸ばしてあげたくなってしまう。
「なら、港まで送って行こうか」
「え、別にいいってば……」
俺は無言で桂音の方に視線を促した。
すると、すぐに意図を理解したようで彼女も頰を緩ませた。
「じゃあ、港までお願いしようかな」
柚葉が照れ臭そうに前を向く。ハンドバッグを後ろ手に持ちながら、前を歩くとその背中を追って桂音が駆け出した。
「ねぇ、そういえば……許嫁がいるんだよね?」
三人で海沿いの道を歩いていると、不意にこんなことを確認される。唐突に何を言い出すのかと思えば俺は適当に頷いていた。
「それがどうした?」
「いや、時代錯誤というかなんというか珍しい話だなぁと思って」
「まぁ、そうかもな」
「その許婚って可愛いの?」
「それは性格か?容姿か?」
「どっちも」
改めて、考えてみる。琴音についてどう思うのか。
「容姿は想像しやすいかと思うが、桂音を大人にしたみたいな感じか」
「やっぱり姉妹って似てるんだ?」
「まぁな。ただ、性格は全く違うが」
「どう違うの?」
「子供の頃の琴音は桂音と違って素直じゃないし、怒りっぽいし、可愛くないガキだった。子供の頃にしていえばまだ……いや、断然桂音の方が可愛いな」
もし、琴音が子供の頃に桂音くらい素直であったのなら、きっと喧嘩もなく平和であっただろう。俺もなんだかんだで子供の頃はガキだったから、喧嘩売られたら普通に買っていた。だから、俺と琴音はそりが合わなかった。
「でもまぁ、そんな可愛げのないところもあいつの魅力だとは思うがな。あいつが反発してたのも今となっちゃ可愛いし」
琴音がいないからか、本人に面と向かって言えないことが簡単に吐ける。
そんな小っ恥ずかしいことを告白していると、港に着いた。
もう既に海の方には迎えのフェリーが見えている。後数分もすれば、着港するだろう。
「もう来たみたいだから」
「おう。じゃあな」
「おねーちゃんまたね!」
船が着港しそれに向かう。降りる乗客と入れ替わるように乗り込んでいく。それを見送った後で、俺は桂音の手を握った。
「それじゃあ、帰るか」
「うん」
俺達も帰路につこうとした、その時–––。
「–––ねぇ、さっきの女は誰?」
底冷えとする声に全身が固まって動けなくなってしまう。
振り返れば、いつも通りの笑顔で佇む許婚の姿が。
隣には智代子と美咲の姿もあり、二人は僅かに琴音から距離をとっている。
「……さて、帰ろうか桂音ちゃん」
「おねーちゃんが……おこってるよ?」
「触らぬ神に祟りなしだ」
桂音の手を引いて港から逃げるように立ち去る。だが、琴音が逃すはずもなかった。
「ちょっ、待ちなさいよ!」
肩を掴まれ足が止まる。フェリー乗り場の前で揉める男女の姿に客達が一瞬立ち止まったが、「なんだあのカップルか」と呟いて港を出て行った。島ではもう日常茶飯事と捉えられているらしい。昔は喧嘩ばかりしていたから、島民にとっては見慣れたものだったのだろう。
「ねぇ、あの女は誰よ」
「あの女とは?」
別に悪いことをしていたわけではないのに、つい口調が誤魔化し気味になってしまう。その対応にむっとして琴音が鞄から長方形の–––スマホを取り出すと、ある一枚の写真を突きつけた。
「さっき見送ってたこの女よ」
表示されていたのは食堂で食事する俺と桂音と柚葉の三人の写真。よく綺麗に撮れてるなー、と思いながらいつ撮ったのだろうと不思議に思う。が、すぐに犯人は思い当たった。
「誰が撮ったんだこの写真?」
「会長よ。ご丁寧に送ってくれたの」
この島でプライバシーは皆無なのか、島民の間ではすぐに情報が伝達する。それもスマホという情報端末が合わされば伝達速度は光速といっても過言ではないようだ。
「柚葉だ」
「……どういう関係なの?」
「うーん。友達?」
「も、もしかして、本土にいた時の?」
「いや、出会ったのは帰ってきてからだ。他は何も知らん」
「随分と仲がよろしいようだけど」
「……何怒ってるんだよ」
不機嫌そうに琴音はスマホを握りしめて、今にも画面を破りそうだった。
「だ、だって、あたしがいない間に他の女と会っているのが気に食わないんだもん」
「そう言われても会ったのは全くの偶然だぞ。桂音と遊んでたら偶々会っただけだし」
–––その“偶然”も、あちらから意図的に接触したのであれば“必然”となるが事の真偽はともかくとして。
「連絡も夜、暇な時にしか取りあってないぞ。ほら」
俺もポケットからスマホを取り出して連絡に使っているSNSアプリ『Rain』を起動する。その瞬間、琴音の顔が今まで以上に驚いたものになっていた。
「なっ、あんたも携帯電話持ってるなら言いなさいよ!」
「それ言ったら俺もお前がスマホ持ってるの初耳なんだが」
持っていないと思って昼間、智代子に連絡したのだ。そして、お互い様と言う前に言い訳をするならば、俺はこう言う。
「それに聞かれなかったし」
「だからなんであんたって連絡に関してはいつもズボラなのよ!」
「そもそも携帯電話自体、あまり使わないからな」
解約しようと思っていたが、柚葉や智代子と連絡先を交換する事で使い道が出来てしまった。故にまだ持っている状態だ。節制するなら解約した方が良いのだが、それだと不便だ。子供の頃はそう思わなかったのに。
「あんたがうちに電話してきた事あったかしら」
「ないな」
家が近かったこともあり、島民は大抵、家に突撃する。連絡網回すより島を一走りした方が早い。
「そういうわけで失念していたな。うん」
–––と、言っている間にも俺のスマホはぶんどられ琴音の手によって連絡先が一つ追加される。これで女性だけならば三人目だ。
「むむむ……」
まだ何か言いたいことがあるのか、琴音は不機嫌そうに唸る。
「迎えに来てくれたのかと思ったら、別の女見送ってるし。挙げ句の果てに帰ろうとして無視するし」
「おまえが不機嫌そうにしてたからだろ」
あれは誰だって逃げ出す。見つけても声をかけづらい。現に桂音だって、不機嫌そうな姉の前では黙りと口を閉じているのだ。本能が今の姉は危険だと警鐘を鳴らしているのだろう。
「あー!」
そんな妹ですら危ぶむ琴音の様子を気にもせず、美咲が大きな声を上げる。パタパタと走ってくると今度は俺のスマホを琴音から奪い返して眺め始めた。
「いいなー、圭君も持ってるんだスマホ!これさえあれば圭君と四六時中連絡を取り合えるのに」
「両親に頼めば買って貰えるだろ。多分」
俺の場合は自分でバイトをして代金を支払っているが、各家庭は事情により親が支払ったりと色々あるはずだ。美咲の家なら簡単に手に入るだろうと思ったが、美咲は悲しそうな顔で首を横に振った。
「高いからダメだって。それにそんなもの持ったって意味ないとか、必要ないとか言われるし」
「繋がり過ぎるのは問題だが、繋がらないのも問題だぞ。女の子なんだからいつでも連絡をとれるようにしておいた方がいいと思うがな。島の外の学校に通うなら、いつでも連絡取れる方が安心だろう」
「そっか。安全を盾に取ればいいんだ。さすが圭君!」
物は言いようだ。しかし、勧める気もあまり起きない。スマホを持っていても電話としての機能はあまり果たしていなかったりするからだ。スマホがあっても宝の持ち腐れだったのは、この島に帰ってきてから智代子と柚葉の連絡先を手に入れるまでのこと。それからは頻繁に電話やメールが飛んでくるようになった。
それと違って島の外、本土の学校の連中とも付き合いはあって連絡先も残っているが、最近はめっぽう連絡も減っている。距離的な問題か遊びに誘うのも難しい。
俺の悪知恵に感銘を受け、早速とばかりに彼女は港を飛び出して行った。
「では、圭先輩、チョコも帰りますので」
「おう。暗くなる前に気をつけて帰れよ」
智代子も美咲の後を追って港を出て行った。
「……とはいえ、圭にはお仕置きが必要ね」
「お仕置きって何する気だよ」
「ちょっと買い忘れたものがあるから、二人とも先に帰ってて。桂音は自分のお家にちゃんと帰りなさいよ」
「えー、おにーちゃん達といっしょがいい」
「今日の夕飯はグリーンピース」
「–––帰る」
「ならばよし」
最後に桂音の熱い手のひら返しを確認すると、琴音は商店街の方へ駆けて行った。
◇
日が完全に暮れる前に琴音が遅れて帰宅した。
「圭、すぐに晩御飯作るから待っててね」
居間に顔を出すなりそう言って台所へ引っ込んでいく。その笑顔に何か不穏なものを感じたものの、問い掛ける隙もなく琴音は居間から遠ざかって行った。
それから約数分後。
–––ズドンッ、バキッ、ドゴッ。
「この音は……まさか……」
料理とは呼べない破砕音が台所の方から。
不審者が侵入し、琴音を襲っているというわけではない。
それならば悲鳴の一つ上げてもおかしくはないだろう。
そうでないと断言する理由は、幼い頃に聴き慣れたこの音。
これは間違いなく、“あれ”を“あれ”している音だ。
そして、俺はこの音を聞くたびに毎回思う。
『断頭台の刃が落ちた音だ』と。
気分は死刑執行を待つ囚人。“あれ”を切断する音が響くたび、俺の気分は滅入っていく。
–––それから約一時間、刑の執行の時間がついに。
「ご飯できたから食卓出して」
–––訪れた。
居間の中央に出した食卓に並べられる大皿の上にはまずメインであるトンカツとキャベツの千切り。それと白米の盛られた茶碗が並び、それに付け加えられ汁物と小皿が追加された。
「“南瓜”の煮物と“里芋”の入ったけんちん汁……」
南瓜と里芋、共に嫌いな食べ物だ。智代子と違って性質が悪いのは、琴音は俺がこの二つを嫌いなことを知っていて出していること。確信犯でありながら、“お仕置き”とはよく言ったものだ。
「「いただきます」」
両手を合掌して祈りを捧げる。この島では狐の神様に祈りを捧げるが、俺はそんなことお構いなしに自分の安否に祈りを捧げていた。どうか無事に食べ終わりますようにと。
ちなみにだが、俺は嫌いなものから食べるタイプだ。
好きなものは後に残しておくタイプ。ケーキで言い換えれば、苺は最後に食べる。
だから、先に南瓜の煮物に箸を伸ばした。
「……南瓜って、撲殺も毒殺もできるよな」
食べた感想を一纏めにすると『南瓜は凶器』という言葉が出てくる。そんな感想を漏らすのは、世界中探したとして俺一人だろう。
「とか文句言いつつもあんたは残さず食べるわよね」
「出されたものは食べるのが俺の信条なんで」
「だけど、智代子が作った南瓜の甘露煮と筑前煮は進んで食べてたでしょ」
『嫌いなはずなのに』と言わずとも、視線で語る琴音に俺は目を逸らして答える。
「あれは残せない雰囲気だったし……せっかく作ってくれたのに、残すのはちょっと……」
そのおかげで食い過ぎたわけだが。
「昔からそうよね。嫌いなものも残さず食べる。でも、無茶しすぎじゃない?」
「そう言うおまえは納豆食べられるようになったのか?」
確か琴音は納豆やニンニクなどの匂いが強いものが嫌いだった筈だ。指摘すると、琴音の瞳から僅かに色が消える。
「……この話はやめましょう」
「そうだな」
なんとか美味しいはずの南瓜の煮物と里芋を噛み砕いて、けんちん汁で流し込んだ。
夕食を終えると風呂に入って歯を磨く。島では特にやることもないため、子供以来の早い就寝時間、夜の九時には床に就いていた。都会にいた頃は深夜まで日付が変わるまで起きているのは当たり前だったのに、えらく健康的になってしまった。
「……桂音もこれくらい聞き分けが良かったらいいのに」
風呂から帰ってきた琴音が思わぬ愚痴を漏らす。そして、そのまま自分の布団に潜るかと思いきや、こっちに来て布団を捲り上げた。
「お邪魔するわね」
「なんでだよ」
「いいでしょ。男からしたら役得でしょ」
その隙に入り込むと身体を密着させてくる。女性と同衾しているという状況に俺は否応なく理解させられた。
背中に当たる柔らかくて、温かい人肌の感触。至近距離で聞こえる息遣いと、月明かりに火照る琴音の表情が艶っぽくて嫌でも視線が惹きつけられる。
全身が女の子に反応していて、夏の暑さではない熱さを感じていた。
「良かった。あんたの匂いがするわ」
密着どころか抱き着いて、琴音が匂いを嗅いできた。
「今までどんな匂いがしてたんだよ……」
「あの柚葉って女の匂いと、桂音の匂いが染み付いてた」
「……なるほど」
琴音があまりベタベタしてこなかったのは匂いがついていたかららしい。飼い主が他の動物の匂いをつけてくると飼い猫が不機嫌になるという、あれだ。
「桂音とは遊んだのに、あたしのことは放っておいてすぐに寝ちゃうし」
昼間の時のことも、まだ拗ねているようだ。
「朝からおまえがいなかったからだろ」
「あんたが水着姿見たいって言うから急いで買いに行ったのに」
そう言われると言い返せない。
「妹相手に嫉妬するなよ」
「桂音だけじゃないわよ。あの女もよ」
琴音は随分と嫉妬深いようで、少しだけ声音が低く唸るような声を上げた。
「むぅ〜」
控えめに言って可愛い。
寝返りを打って琴音の方を向き、そのまま抱きしめてみる。
彼女はすんなりと受け入れて、そっと寄り添う。
「子供の頃はいくら時間があっても足りなかったのに、少し大人になるとやること思いつかないな」
欲を言えばこうしてイチャイチャするのも悪くはないが、泥沼にハマりそうで怖い。
「……あるでしょ。子供の頃にはできなかったけど、大人になったら出来ることとか」
腕の中を見下げれば、月夜でもわかるくらい顔を真っ赤にした琴音が、俺の胸に顔を押し付けていた。おずおずと見上げては恥ずかしげに俯いて誘うような視線を向けてくる。指先一本でも動かせば、理性が吹き飛んでしまいそうなほど熱い視線に心が揺らぐ。
「むぅ。まだキスすらしてくれないの?」
頬を膨らませて怒った表情。
「あたしからはしないわよ。だって、初めては圭からしてほしいもの。だから、今日はこれくらいで我慢してあげる」
そして、琴音は俺の胴に手を回したかと思うと首筋に吸い付いた。唇を首筋に這わせたり、鎖骨を噛んでみたりとまるで猫が戯れるような甘噛みを繰り返す。
謎の求愛行動は、彼女が満足するまで続いた。
この翌日、啄木鳥が如く柱に頭を打ち付ける主人公がいたとかいなかったとか。