料理が出揃い各々が食事を始めた頃、案の定それは起こってしまった。
「ねぇ、圭君このイカ美味しいよ」
そうか。美味しいなら良かった。と、淡白な感想を返そうと思って隣を見れば、美咲がイカのホイル焼きから一欠片を箸で摘んで此方に差し出す姿が目に映る。
「ほら、あーん」
「……」
「ちょっ、何してるのよ美咲!」
「何ってボクにはちょっと多いから食べてもらおうかと思って」
美咲は悪びれもなくそう言うと俺の口元に箸を向けたまま迫ってきた。
確かにイカのホイル焼きはイカがほぼ丸ごと焼いてあるだけあって、ボリューム満点で女性には少し厳しいのかもしれない。
昔から少食の彼女からすれば、少し多いくらいには思う。
それだけの建前を用意されては、俺も断るなど無粋なことは出来なかった。たとえ直接食べさせる必要性がないにしても。
「どう?美味しい?」
「そうだな。美味いな」
仕方なく受け入れた俺は美咲の箸に摘まれたイカ焼きを口に含むと咀嚼し、飲み込んでそう感想を漏らす。実際は味などまったくわからなかったが、しっかりと味は染み込んでいた。
–––そして、これは始まりにすぎない。
「ねぇ、圭。こっちの塩焼きそばも魚介類の旨味がたっぷり詰まっていて美味しいわよ」
今度は琴音が自分の注文した塩焼きそばをフォークでパスタのように絡めて、俺に差し出してきていた。
「確かに……美味い」
海の家の塩焼きそばとは思えないほどの完成度だ。琴音に食べさせられた塩焼きそばは確かに美味い。鉄板で作っているからか、家庭の味とは少し違う美味しさだ。だが、琴音の作るご飯には劣る。そう感じるとますます彼女に胃袋を掴まれている気がして油断がならない。
それで二人とも満足したのか、二人は自分の食事に戻っていった。
俺はパエリアを完食して、メニューと睨めっこを開始する。
食後のデザートは何にしようか、と悩んでいると横から声を掛けられた。
「ふん。随分といいご身分だな」
それも尊大な態度で……誰だ?と思って振り向くと、何処かで見た顔の少年が俺を睨んでいた。服装は別に海水浴に来たというわけでもなく、薄手のシャツにジーパンと簡素なスタイルだ。その背後には二人の同年代と思わしき少年達が付き従っていた。
「あっ、テメェは……!」
「龍之介……」
二人を含めて、一気に場の空気が変化する。
楽しげだった雰囲気が、少し重苦しい雰囲気へと。
俺は気にせず、メニュー表と睨めっこを再開。
「すみません。紫苑先輩」
「はいはーい。……と、おや?修羅場っすね!」
店員を呼べば、何かを察したのか紫苑までも意味深く呟く。しかし、俺はスルーした。
「かき氷一つ。メロン味で」
「ナチュラルにスルーしたっ!?」
理由が一切合切わからないのでこの反応も当然だろう。説明があるまで、俺はあくまで他人を装うという作戦だ。
紫苑は商魂逞しく注文を受けると、かき氷を用意しに厨房へと戻って行く。
そのタイミングで、龍之介と呼ばれた男の側に控えている二人がバンと机を叩いた。
「おまえこの方を誰だと思っている!」
「無視するな!」
机を叩いた音にびっくりして、桂音が箸を落とした。
「おい。子供がびっくりしてるだろう。次やったら魚の餌にするぞ」
鋭い眼光で睨みつけると男二人はたじろぐ。
替えの割り箸を机から取って、桂音に割ってやる。
「で、他人が食事中なのにいきなり話しかけてきてなんなんだ?おまえらは?」
それを待っていたとばかりに彼らはでかい顔をする。
「俺は赤澤」
「オレッチは黄瀬」
「「そして、この方こそが去年の崩来祭の優勝者である龍之介様だ」」
“崩来祭”はこの島で行われる祭りの一つで、島一の男を決める祭だ。山の大きな鳥居からスタートして山を下り一番に港に到着するのを競い合う伝統行事で島民達の数少ない娯楽の一つでありながら、神聖な儀式でもある。つまり、こいつらがでかい顔をしているのも納得というわけだ。
「まぁ、そう言われても知らないものは知らないしな」
程なくして運ばれてきたかき氷をスプーンで掬い、口に運ぶとその冷たさが口に広がる。
「僕を知らない、だと……!」
戦慄する龍之介とやらを無視してかき氷を食べ進める。
そこで琴音が身体を寄せて、耳打ちしてきた。
「ほら、学校で会ったでしょ。副生徒会長よ」
「あー、会ったなそんなやつ」
言われて思い出そうとするがはっきりとは思い出せなかった。別に七海学園の生徒会だけというわけではなく、中高一貫して誰が生徒会長だった、或いは役員だったとかの情報もまるで覚えていない。
「くっ、僕のことは眼中にナシか……!」
だから、そう卑下することもないのだが、彼は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「悪いな。また会うとも思ってなかった」
赤澤、黄瀬、青峰、並んで信号機。そう覚えておく。
稲荷島には信号機がないため、馴染みはないが。
「それで用件は?」
話が長引くと面倒なため単刀直入に切り出すと、副生徒会長は調子を取り戻したように俺に指を突きつけた。
「僕と勝負をしろ黒崎圭ッ」
「断る」
「……えっ?」
勢いよく宣戦布告してきたものの俺が即行で却下したからか、副生徒会長は間の抜けた顔になる。
「何故だ!?」
「そうだそうだ負けるのが怖いのか!」
「根性無しめ!」
「いや、なんで俺がそんな面倒なことをしなきゃいけないんだ?」
俺が正論を返すと、三人は押し黙った。
「って、団長!受けねぇのかよ!」
「リーダー、今こそ俺達の仇を打ってくれ!」
続いて仲間内であるはずの亮介と真広まで縋ってくるが、その言葉の中には明確な理由とやらが挟まれていなかった。
「ふんっ。怖気付いたのか?」
気を持ち直したように副生徒会長–––否、もう面倒なので龍之介と呼ぶことにする。彼は当初の作戦を変更したらしく、俺の激情を煽ろうとした。
「受ける理由がないって言っただろ」
「……くっ、おまえには無くても僕にはあるんだ!」
「その理由は?」
「僕はおまえに勝って証明しなければならない!」
「……何を?」
琴音達と龍之介の間には何か確執めいたものを予感していたが、そのあと一歩のところで彼は口を噤み怒りに肩を震わせている。
さすがに藪蛇をつつきすぎたかと思ったが、龍之介はやがて顔を勢いよく上げると早口で捲し立てた。
「煩い!おまえが知る必要はない!」
–––以下、ループ。
する可能性が高かったので熟考する。
これは、一度勝負するまで諦めないタイプだ。
「圭先輩、受けてあげたらどうですか?」
そう考えると、智代子の主張も無下にはできなかった。
斯くて、舞台は整った。
夏の日差しを受けて熱くなった砂浜の上。
そこで、気づく。
勝負を受けるとは言ったが、種目を決めていない。
勝敗はどうでもいいが、なるべく面倒な種目は避けたい。
それこそ長期戦になるような種目はNGだ。
「そんで副会長、何で勝負するんだ?」
「何でもいい。おまえが得意な種目でもな」
大した自信だ。どんな決闘でも勝てる自信があるのか龍之介は余裕綽々といった表情で種目を決める権利を俺に渡してくる。
「そうだな、ビーチバレーなんてどうだ?」
夏には島内で小規模な大会が開催されるため島民なら誰でも一度は経験するスポーツだ。なお、その商品が豪華で各家庭から子供が送り込まれるほどの盛況ぶりであり、ある程度はビーチバレーができるようになっている大人も多い。
「いいや、それだとおまえと僕の一騎打ちにはならないだろう」
だが、あくまで龍之介は一騎討ちをご所望のようで、首を縦には振らなかった。
こうなると選択肢は限られてくる。海でやるスポーツのうち、一対一の状況でできるものといえばこれしかあるまい。
「なら、ビーチフラッグスなんてどうだ?」
「いいだろう」
その言葉を“待っていた”と言わんばかりの食いつきに、誘導されていた気がしたが、元々勝敗には拘らないため特に咎めることもなく俺はあたりを見回した。
何かを探す仕草に、視界に入ってくる生徒会長。紫苑は緑と黒の縞々の丸いものを持って、割り込んできた。
「ビーチフラッグスなら、畑山さんが作ったスイカなんてどうっすか?負けた方がご購入ということで」
商魂逞しく、スイカを売りつけようとする紫苑に俺は「食べ物で遊ぶなよ」と言い返そうとしながらも、畑山さんが栽培したスイカがスイカ割りの定番の的となっていることを思い出した。結局、スイカ割りもビーチフラッグスも一緒だ。
「それでいいか?」
「あぁ、なんでもいいぞ。さっさと始めよう」
承諾を得たことでそのスイカが海の家から50mほど離れた浜辺に設置される。
「はーい、それじゃあ位置についてください」
それを確認してから、何故か紫苑が取り仕切って懐からおもちゃの拳銃を取り出した。体育祭などで使うような、スタート合図用の火薬を破裂させるあれだ。
俺と龍之介は揃ってスイカとは反対にうつ伏せになる。
スタートの合図を待ち、俺は完全に脱力していた。
「くふっ、せいぜい無様な姿をさら–––」
–––パァンッ。
龍之介が何かを言いかけたようだが、彼の言葉を遮るように銃声が鳴る。
そして、二人揃って出遅れた。
完全に脱力していた俺と、何かを言い掛けていた龍之介。
俺達は何が起こったか理解した瞬間、身体を跳ね上げた。
「……ッ、あの女狐」
横目で確認すると紫苑が悪戯っぽい笑みを浮かべて、ピストルを構えてハートを撃ち抜く仕草をしている。そこにトキメキなど何も感じないが、ちょっとした苛立たしさを感じた。
スタートダッシュして、ほんの数秒。
強く砂浜を蹴りつける。いや、若干肩の力を抜いているだろうか。
少し脱力した状態で、熱い砂浜を跳ねるように前に進む。
僅か数秒の距離、俺はそこそこの力で駆け抜け、スイカに手を伸ばした。
「させるか!」
「うおっと」
横から伸びた手に驚いて、俺はスイカを指で弾く。そのまま掬い上げるようにスイカを拾って、一度スライディングするように砂浜を滑ると身体を跳ね上げて立ち上がった。
–––あ、やべ、勝っちまった。
当初の予定ではいい感じに負けるのが丸く収まる方法だとは判っていたのだが、昔の負けず嫌いだった俺の意思が身体を勝手に動かしたようである。
敗北した証、俺の手にあるスイカを見て、龍之介は呆然と砂浜に倒れ込んだままだ。
「僕が……負けた?」
「というわけで、お買い上げありがとうございます!」
事実確認に戸惑っている龍之介にトドメを刺しに行く紫苑。彼女は手を差し伸べて–––。
「一括でお願いしますよ〜」
助け起こすでもなく、お金を催促した。
龍之介はポケットに手を入れると財布を取り出して千円札を数枚取り出す。それを受け取るや紫苑は彼から離れ、俺のところへやってきた。そっと身体を寄せて耳打ちする。
「若旦那も手を抜いちゃダメっすよ?そんなのバレたらあの手の男はプライドを傷つけられたって憤慨するものですから。なので、公平な勝負になるようにこっちで調整させてもらいました」
「ッ!?生徒会長にできる気遣いとか、そういうレベルじゃないだろ」
紫苑には俺が手を抜いて負けようとしていたことが判っていたのだろう。そして、それを公平にするためにわざと俺と龍之介が気を抜いていた瞬間を狙ってスタートの合図を出したようだ。
「しかし、それはいいとして紫苑先輩、あんたの副会長の扱い雑すぎじゃないか?」
「あれはいいんっすよ。優しい言葉かけたところで意味ないっすから」
さすがは生徒会長、副会長の扱いは心得ているらしい。それだけ言うと海の家の方へと引き返して行った。彼女にはまだ仕事が残っているのだ。
他の面々はなんとも言えない表情で遠巻きに此方を観察している。とはいえ、予想していた結果だったのか、琴音達は喜ぶでもなくただ行く末を見守っていた。
時間にして三分、ようやく龍之介が立ち上がる。
「黒崎圭。今回は負けたが、本番の崩来祭では僕が必ず勝つ。覚えておくことだな!」
そして、捨て台詞らしき言葉を吐いて彼は海水浴場から去って行った。
–––いや、俺出ないよ?
日本の何処かにこんな祭りがあったはず……。