「おや、今日は一人かい?」
八百屋へ顔を出すと開口一番にこう言われた。そう言われたのも普段は必ずと言っていいほど誰かが隣にいるからで、一人で外出する機会が少なかったからだ。
「琴音ちゃんは一緒じゃないのかい?」
「えぇ、まぁ」
主に一緒に買い物に来るのが琴音とあって、まだ許婚という関係にもかかわらず夫婦として認知されつつあるのも、外堀から埋められているような気がしてならない。
「ついに尻に敷かれはじめたか……」
「違います」
そこだけは否定しておく。
「それで何を買いに来たんだい?」
気を取り直して本題へ。商店街へ足を運んだ理由を思い出して……献立が決まっていないことに気づく。
「……なに買いに来たんだっけ」
「決まってないのかい?」
和食にするか、洋食にするか、簡単に言えばライスにするかパンにするかだが、今から米を炊く労力を考えると朝はパンの方が楽でいいと思ってしまう。そう考えれば、毎朝ご飯を炊いてくれる琴音の苦労が判るというものだ。
「朝はパン……にするとして、昼は……」
ぶつぶつと口に出して呟くと献立が形を成していく。僅か三食分の献立だが決めるまで意外と時間が掛かり、八百屋の前で十数分も悩んでしまった。
そんな俺の背中に思いっ切り誰かが抱き着いてきた。
「圭君おはよー!」
耳元で耳朶を打つ女性の声に振り向くより早く、俺はその正体が誰だか判ってしまう。
「……おはよう美咲」
「今日も圭君はテンション低めだねぇ」
「なんでおまえらは朝から元気なのか不思議なくらいだよ」
「えー、ボクをあの二人と一緒にしないでよ」
亮介と真広と同列に扱われるのは不服らしく、美咲は可愛らしく頰を膨らませている。
「美咲も買い物か?」
「ううん。圭君がここにいるって聞いて飛んできちゃった!」
美咲曰く、家に行ったら俺は不在で、そのまま商店街まで追い掛けて来たらしい。相変わらず凄い行動力だ。
「それで圭君は朝食の準備だよね?」
「琴音に全部聞いてきたのか?」
「うん。よかったら今日は全部ボクが圭君のお世話するよ」
非常に魅力的で怠惰な提案だが、俺は数秒悩んだ末に決断する。
「……いや、いい。このままだと女性陣に骨抜きにされそうで怖いしな」
甘えてばかりだと現状を繰り返しているだけだ。そう思い返して美咲の甘い誘惑を突っぱね、トマトやナス等の野菜を籠に入れる。
「美咲は朝ごはんは?」
「まだだよ。一分一秒でも圭君に早く会いたかったから」
「じゃあ、うちで食うか?」
「いいの?」
「一人も二人も変わらないしな。それに美咲にだって世話になってるんだから、そのお礼ってほどでもないけど。あとあんまり期待するなよな。おまえらと比べたら料理はそこまで上手くないし」
「圭君の手料理!?絶対食べる!」
美咲はキラキラと目を輝かせて食い気味に答えた。物凄い食いつきの良さに若干戸惑ったものの、追加で材料を買い足す際にふと何か予感めいたものが脳裏を掠める。
「……もう一人分、買い足しておくか」
◇
肉屋で牛肉と卵を買い求め、雑多な調味料や乾燥パスタを揃えた俺と美咲が帰宅する。その音に反応して玄関へとひょっこり顔を出したのは珍しい顔だった。
「おかえりなさい圭先輩。……と、美咲先輩」
「え、チョコちゃん?なんでいるの?」
智代子がうちにいることが珍しいのか美咲が目を白黒とさせながら問うと、その答えが居間の方から返ってきた。
「あたしが呼んだのよ」
どうやら智代子は琴音に呼ばれたらしく、「はい」と頷くと事のあらましを語って聞かせてくれる。
「朝早くに突然、琴音先輩から呼び出されて。圭先輩の手伝いをしてくれって」
「け、圭君は知ってたの?」
「いや、知らん」
「その割には驚いてないですよね先輩」
「だいたい予想はしてたからな」
美咲が家に行って話を聞いてすっ飛んで来た時点である程度の予測をしていただけのことだ。美咲だけが俺の好感度を上げるのは面白くないから邪魔してやるにはどんな方法がいいか、その方法が別の人間にお世話させることである。智代子にはとばっちりだが、それで琴音が智代子を呼ぶのは予測していた、というところだ。
「先輩ってエスパーです?」
「いや、琴音と美咲が考えることはだいたいわかるしな」
「これも愛の力ってやつですね」
「まぁ、腐れ縁とか、言い方は様々だな。付き合いは長いし」
付き合いの浅い智代子の行動はまるで予測が立てられない。どうして面白くなさそうな顔をしているのかも理由は不明だ。
「先輩を驚かしてみたかったのですが、これはチョコちゃんの完敗ですね」
「割としょうもない理由だった」
「なんですか圭先輩?」
「いや、こっちの話だ」
玄関先で話すのも程々に台所へ向かう。その後ろを三人がぴったりとついてくる。
「……何故ついてくる」
「ちょこは圭先輩のお手伝いをするように言われていますので」
「圭君が料理してるとこ見たい」
「……本当に料理とか出来るの?」
琴音だけ辛辣な評価だ。その理由はすぐに判明する。
「前に亮介と真広の班が調理実習でとんでもないもの作ってたのよね……」
「とんでもないもの……?」
「食べた人は全員、保健室へ行ったわ」
曰く、それは課題であった料理とはかけ離れた見た目をしていたらしい。道理で警戒されるわけだ。
「まぁ、いいけどな」
台所に入るなり買い物袋から朝食用の材料を取り出していく。食パン、卵、牛乳、砂糖、バター。他にサラダの材料を残して、他は適当に冷蔵庫に突っ込んでいく。
「圭先輩、これ何の材料ですか?」
「何ってフレンチトーストだが」
「……フレンチトーストって、あのフレンチトースト?」
「どのフレンチトーストか知らんがフレンチトーストだ」
卵を割り、牛乳、砂糖と混ぜ合わせ、卵液を作る。そこにパンの耳を切った食パンを漬け込む。その間にサラダの準備を始めれば横から智代子が覗き込んできた。
「手際良いですね。よく作るんですか?」
「料理はたまにするが、フレンチトーストは二回目だな」
「この前は上手にできたんですか?」
「いや、失敗した」
「「「えっ……?」」」
不安そうな声が揃う。
「前はバターないから適当にサラダ油使ったら不味くて食えたもんじゃなかったな。今日はバター買ったから大丈夫なはずだ。多分」
一応の弁明はしておいたが失敗のまま終わった料理だ。失敗する確率の方が高い。
「本当に大丈夫なのよね……?」
「保証はしない」
フライパンにバターを落として第一陣を焼いていく。
パチパチと弾ける音と共に、バターの濃厚な匂いが広がった。
片面五分、蓋をして焼いていく。
そして、十分かけて試験的に焼いたフレンチトーストが出来上がった。
「いい匂いがする」
「味見してみるか?」
「うん!」
毒見役に立候補したのは美咲だ。小皿に一口サイズに切り分けたフレンチトーストを取り分け、渡すと彼女は息を吹きかけて冷ましてから口に運ぶ。
「あふっ、あちゅ……。美味しい!すっごく美味しいよこれ!」
「そうか。じゃあ、全部焼くか」
熱さにはふはふと息を荒げたものの、咀嚼した瞬間に頰を抑えて幸せそうな顔をすると、彼女は称賛の言葉を口にした。さっきまでの不安は何処へやら、物凄い手のひら返しだ。
それから俺は黙々とフレンチトーストを焼いていった。
「おいしいー!」
朝食には少し遅い時間、桂音はフレンチトーストを食べた途端、そう言ってパクパクと次々に口に入れていく。頬袋いっぱいに頬張る姿はハムスターのようで中々愛嬌があり、頑張って作った甲斐があったと初めてそう思った。
「これほんとーにおにーちゃんがつくったの!?」
「そうよ。本当に意外よね」
同じくフレンチトーストを口にしながら琴音が言う。ただ、何処か不満そうに見える。
「……うぅ、こんなに料理が上手なんだったらあたしの存在価値って……」
何やらぼそぼそと呟きながら二つ目のフレンチトーストを口にする。一口サイズに切り揃えているからか、姉妹揃ってパクパクと皿の上のパンを平らげていった。
「あんた絶対に他の娘の前で料理作るの禁止だからね!」
「え、なんで?」
「圭が料理上手なの知ったら変な虫が寄ってくるかもしれないじゃない」
琴音の理不尽な言い分に苦笑いしながら俺も自分で作ったフレンチトーストを口にする。早々にそんな機会あるわけもないが、調理実習の一つや二つあれば料理する機会はあるだろう。そう考えるとできる約束ではない。
「あれですね。道理で琴音先輩と美咲先輩の料理で靡かないわけですね」
「ちょこ〜?詳しく聞かせてくれないかしら?」
「いや、あの、別に他意はないですよ?」
藪蛇をつついたと言わんばかりに、琴音に凄まれて智代子は目を逸らす。その視線は「助けてください先輩!」と俺に向けられている。
「琴音と美咲の方が料理上手いし、毎日食べられると嬉しいがな。なぁ、桂音」
「ううん。おにーちゃんの料理がいい。おねーちゃんの料理飽きた」
–––ここでまさかの幼女の裏切り。
子供は残酷だ。
素直が故に、歯に衣を着せない。
純粋が故に、無邪気。
悪気はないんだよ。ないんだよなぁ、と遠い目をして思う。
「ふ〜ん、圭もそう思ってるの?」
「そんなことは断じてありません」
機嫌を損ねると何を食卓に出されるか判ったものじゃない。慌てて言い繕う。とにかく必死に琴音のご機嫌を窺う。
「っていうか、毎日食べたいくらいに美味いって言ったろ」
「毎日食べたいってそういう……?」
「琴音先輩、さっきの話だと二人にプロポーズしちゃってますよ」
既に脳内トリップしている琴音を智代子が引き戻そうとするも、彼女はまったく耳を傾ける様子もなく照れた様子だ。
「圭君がお望みなら毎日でも作りに来ちゃうよ」
もう一方の美咲もご満悦でそんな言葉を放つ。
「これならお昼ご飯も期待できそうですね」
「過度な期待はするなよ」
最後の一口を口に放り込み、併せて用意したコーヒーを飲み干した。